最後のレーション

 今夜はメシが食える。敵兵を一人、殺した。

 拠点のテントに戻った。拠点を守る味方が構えている兵士のカラシニコフにはマガジンが装填されていない。極東の平和ボケした国みたいだと思った。しかし、そんなことを口に出そうものなら督戦隊の女子高生士官に背中から弾を撃ち込まれる。俺は、そんなロバを二人は見た。いや、もっと、見ていたかもしれない。この戦争がはじまって、何年かを俺は忘れていた。その間に中止になった五輪は夏季、冬季が数度あった。

 督戦隊のメス豚が、俺に声をかけてきた。戦争が長くなり、俺の故郷(くに)から誘拐されてきて洗脳されて兵士に仕立て上げられた少女だった。洗脳されて督戦隊にふさわしい女性に成長したのだ。
「お前は何日ぶりの夕食になる?」
「三日ぶりであります」
「役に立たないやつだ。まぁ、いい。三日、続けて畜生どもを処分したらもっといいことがあるのはわかっているんだろ。あんたの最後はいつだったかな?」
 そうして、彼女がレーションを地面に投げつけた。俺はそれを拾った。それを見る、彼女はオーガズムに達した。
レーションは「牛肉入りお粥」、「牛挽肉のミートボール」、「牛肉とにんじんとえんどう豆の煮込み」だ。俺は自分のベッドのあるテントに向かった。レーションは軍用の保存食だ。

 俺はバーナーでお湯を沸かし、レーションを温めた。敵側のレーションを略奪したことがある。奴らのレーションは加熱式パックになっておりお湯で温める必要がない。その上、うまい。俺らのレーションは半世紀以上前の本来は廃棄されるはずだったレーションだ。当然、まずい。そして、こちら側はそれですら、補給が追いついてはいない。それで、戦果をあげた時にしか支給されない。俺はこの部隊では戦果をもっともあげている。それでも一週間でメシを食えるのは3日もない。そんな腹ペコで戦争に勝てるか?勝てるわけがない。それでも俺たちの国は戦争を続けている。ある意味ではSDGs的な持続可能な戦争だ。俺たちの軍が不利になると、なぜか補給が増えて反攻が可能になる、そして戦力の均衡がはかられる。戦争は続く。その時は毎日、メシも食える。そのために少女・少年たちは戦う。
腹ペコになった兵士はどうなるか?死ぬだけだ。俺の隊だけでもこの1年で俺以外の顔ぶれは全員、変わっている。この拠点で言えば、俺と日本のやくざの片手の指ほどの兵士が一年間、生き残った兵士だろうか。あとは督戦隊のメス豚だけだ。

 お粥をスプーンですくい、口に運ぶ。寒い時は暖かいものはまずくても体が温まる。小雪が舞っている。同時におふくろのボルシチが懐かしくなる。思いだす、暖炉が部屋を暖め、家族3人で食べた、ボルシチ。あの頃、俺は5歳だったろうか。俺もメス豚と同じく、誘拐されて兵士になった。

彼女が気の毒なのは美人すぎたことだ。ゆえに大人たちの玩具にされ、狂ってしまった。その大人たちはストレートだけではない。LGBTQ+、そんなものはきれいごとだと彼女は絶望している。俺も狂っているが、彼女は世界に絶望している。
わかっている今夜は来るだろう。いやだった、愛のない交わり。それも彼女が達するまで何度も何度も続く。ひどい時は朝まで休みなしだ。その上、彼女は交わりでドラッグを使う。
兵士が生き残るためにはドラッグが必要とも言われる。俺は違うと思う。ドラッグをやると敵を見つける繊細さが失われる。撃たれる恐怖も感じなくなり、殺されていく。俺はドラッグをやらなかった。だからこそ、生き残れた。
少年・少女をあやつるためには食そして性しかない。もう、戦場では貨幣など価値をもっていなかった。少年・少女の戦場でのストレスのただのはけ口がメス豚だった。
彼女がなぜそんなことをやるか?そこまでしないと士気が保てないからだ。彼女の意思などはそこにはない。絶望して狂った彼女が求めるものなど、そこしかなくなる。