ロスト・スペラー 19
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ラントロック以外の者達も、暗闇に囚われて、孤独感を深めていた。 これは全ての感覚を封じられた、死の闇なのだ。 闇が魔力を食らうので、魔法を使う事も出来ない。 宛ら、暗黒に溺れる様であった。 中でも、ネーラとフテラは、この暗闇に重大な危険を感じている。 唯、暗闇に閉じ込められているだけでは無いと。 その通り、フェレトリはウィローを仕留めた後、この場に居る者達を全滅させる積もりで、 攻撃するだろう。 しかし、誰にも妙案は無い……。 無為に時を待つばかりだ。 その頃、獣人テリアを倒して屋敷に近付こうとしていたワーロックは、昆虫人スフィカと対峙していた。 四つ裂きにされた筈のスフィカは、テリアと同じく切断された痕を謎の粘液で癒着している。 「お前達が反逆同盟の構成員だったとは! 何時から同盟に……否(いや)、そんな事は、どうでも良い。 そこを退け!」 スフィカは無言の儘、返事の代わりに不快な羽音を響かせた。 羽音に引き寄せられる様に、多くの虫が集まり、空間を埋め尽くす。 「仕方無い……。 A17!!」 ワーロックはパックパックから棒状の殺虫香を取り出し、魔法で着火した。 殺虫成分を含んだ煙が拡散して行く。 スフィカも吸い込めば無事では済まない……が、彼女とて無策では無い。 羽を小刻みに振動させて、羽音を変化させると、虫達はワーロックを中心に円を描く様に飛行し、 風を巻き起こす。 それは強い風では無いが、煙を拡散させない様にするには十分。 「ムーッ、ゴホッ、ゴホッ、煙い!」 風の渦に閉じ込められ、行き場を失った煙がワーロックに纏わり付く。 ワーロックは煙を吸ってしまい、噎せて屈み込んだ。 (ええい、こうなったら!) 虫如きに翻弄されてなるかと、彼は殺虫香を持った儘、虫の渦に突っ込む。 煙が渦に取り込まれ、虫達は次々と落ちて行く。 殺虫香の効果は覿面だ。 ワーロックは虫の大群を突破して、スフィカに向かって突進した。 スフィカは飛行して避けるが、ワーロックは無視して直進する。 彼はスフィカを倒すのが目的では無い。 フェレトリを止める事が第一なのだ。 真っ直ぐウィローの住家に向かい、結界内に侵入したワーロックを、スフィカは止められない。 一定上の魔法資質を持つ者を拒むウィローの結界は、内側から特殊な解き方をしなくてはならない。 魔力と精神で構成される精霊体となっても、肉体を持たない者は通り抜けられない。 フェレトリの様に自身の精霊を小さく分裂し、何かに宿らせて潜り抜けるか、或いは圧倒的な力で、 強引に突破するしか無い。 ワーロックはウィローの住家に上がる階段を二段飛ばしで駆け上がり、扉を開け放った。 中は真っ暗で何も見えず、彼は一瞬、突入を躊躇う。 (これも奴の仕業か!? この中にラントが……。 くっ、行くしかない!!) ワーロックは闇を睨み、勢いに任せて、真っ暗な家の中へと飛び込んだ。 彼の魔法は特殊であり、発動には相手と自分が相互に存在を意識していなければならない。 闇に飛び込む事で、フェレトリが自分の存在を感知する事に、彼は賭けたのだ。 所が、屋敷の中の闇は視覚を奪うだけでは無かった。 闇の中では右も左も判らず、地面を踏む感覚さえ無い。 試しにワーロックは声を出してみた。 「La――――」 しかし、屋内の筈なのに反響音が聞こえない。 木造家屋に特有の匂いもしない。 (全ての感覚が封じられているのか! 恐らくは、魔法資質までも……。 だったら、これで!) ワーロックはフェレトリの闇を突破するべく、彼の魔法を使う。 コートの内ポケットから魔力石を取り出し、両手で握り締め、呪文を唱える。 「回れ、未来の輪! 道を拓く『切っ掛け<キュー>』となれ! 『夜明け<ドーン>』!!」 それは物事を解決する為の、直感の魔法だ。 感覚を研ぎ澄ます事で、ある時は進むべき道を見付け、ある時は鍵の掛かった扉を開き、 ある時は仕掛けの解き方を閃き、ある時は謎を解いて、先に進む方法を示す。 要するに、これは魔法で思考する「熟考の魔法」。 魔法を使ったワーロックは身震いした。 この暗闇全てが、フェレトリだと言う事実に気付いたのだ。 (……これが悪魔か!) 今、この屋敷の中に居る全員が、フェレトリの腹の中も同然なのである。 人間の常識では考えられない現象。 だが、それでも打つ手はある。 ワーロックはベルト・ポーチからモールの樹液が入った小瓶を取り出すと、辺りに振り撒いた。 そうすると、白い樹液が掛かった部分だけ、闇が晴れる。 続いて、彼は魔力石を右手に持ち、高く掲げた。 闇に隙が生じた今なら、明かりの魔法が通じる。 「A4H1H3C5! A17!!」 魔力石が眩い光を放つ。 魔法の明かりに押される様に、闇が退いて行き、ワーロックの感覚も元に戻る。 「O16A4H、O16A4H」 発光魔法で周囲を照らし続けながら、ワーロックは室内を見回して、今居る場所を確認した。 そして、更にモールの樹液を床に壁に撒き散らす。 彼の行為は「場を荒らす」と言うには小さな事だったが、それでもフェレトリの注意を引いた。 「小賢しいぞ、貴様っ!! 未だ邪魔をするか!!」 声が聞こえたと同時に、俄かに闇が蠢いたのを見て、ワーロックは確信した。 今、フェレトリはワーロックを無視出来ない相手と認めたのだ。 「捉えた! 煌くっ、幾千万星の瞬き! ミリオン・スターライト!!」 ワーロックは両手を高く上げて、彼の魔法を使う。 フェレトリがワーロックを認識した時、魔法が発動する条件が整った。 ワーロックの弱小な魔法資質は、フェレトリの警戒網を擦り抜け、大きな流れと一体化する。 こうして彼は他人の魔法資質を「借りる」のだ。 屋敷の中を埋め尽くしているフェレトリの精霊が、ワーロックの魔法で光へと変わって行く。 「なっ、何であるか、これは!? わ、我が精霊が食われて行く!?」 この魔法の原理を理解するのは、迚(とて)も難しい。 「相手の魔力を奪う」訳では無いし、「相手の魔法を使う」訳でも無い。 「乗っ取り」とも違う。 飽くまで「相手の魔法資質を利用する」だけ。 それが異空では無かった。 圧倒的な強者の前に、弱者は平伏するのみだった。 先ず、「自分の魔法資質が利用されている」と気付く事が出来ない。 これはワーロックの使用する魔法が、「独自の魔法」である為だ。 魔法資質に関係無く、原理の不明な魔法を使っているとしか映らない。 フェレトリやサタナルキクリティアは、彼の魔法とは「1人の魔法資質を封じる」物だと思っていた。 対象が1人に限られる所は合っている(厳密には異なる)が、魔法資質を封じられたと感じたのは、 魔法の発動が魔力の流れの相殺によって食い止められた為である。 ワーロックの魔法は屋敷を隅々まで眩く照らした。 フェレトリの闇に囚われていた者達は、皆解放される。 「又しても! 又してもか!」 フェレトリは悔しがり、捨て台詞を吐いて、逃走しようとする。 自らの強大な魔法資質を利用されて、弱点の発光魔法を使われたのでは耐えられない。 ワーロックは後を追う事をせず、ウィローの名を呼んだ。 「ウィローさん、無事ですか!?」 眩い光が収まると、そこは薄暗い屋敷の玄関。 ウィローはワーロックの足元に、眠る様に横倒(たわ)っていた。 ワーロックは屈み込んで、ウィローの上半身を起こす。 「ウィローさん! 目を開けて下さい! ラントは!?」 彼の声に反応して、ウィローは呻きながら薄目を開けた。 「うっ、うう……。 ラヴィゾール……逃がすな……」 「何の事です?」 「フェレトリを、奴を逃がすな……!」 それだけ言うと、ウィローは再び気を失う。 止めを刺せと言う事だと理解したワーロックは、その場に優しくウィローを寝かせた。 直後、ウィローを心配したラントロック等が玄関に駆け付ける。 不意の父子の対面。 ワーロックとラントロックは暫し無言で見合った。 お互いに何と言葉を掛けたら良い物か、分からなかった。 最初に沈黙を破ったのは、鳥人のフテラ。 「あっ、お前っ!!」 ワーロックの方はフテラの容姿が変わったのもあって、彼女だと気付かなかったのだが、 声や表情から何と無く恨まれていそうだとは察した。 面倒な事は後にして、先ずウィローの指示を遂行しようと決めたワーロックは、ラントロックに言う。 「ラント! ウィローさんの手当ては任せたぞ! 私は敵を追う!」 その場を乗り切るには、良い口実でもあった。 屋敷の外に出たワーロックは、結界から出られないでいるフェレトリを発見する。 ワーロックの接近を察知して振り返ったフェレトリは、恐慌状態に陥っていた。 「くっ、来るなっ! 来るでない!!」 「お前を見逃す訳には行かない!」 ワーロックは冷徹に告げる。 結界の外ではスフィカが待機しているが、殆どの虫が殺虫香で弱ってしまったので、 フェレトリを結界から出す事が難しい。 出来なくは無いのだが……。 追い詰められたフェレトリに、ワーロックは情けを掛けた積もりで、交渉を始める。 「死にたくなければ……。 今後、態度を改めると言うなら、見逃しても良い」 「『見逃しても良い』!? 貴様、人間風情がっ!」 フェレトリは激昂するが、ワーロックは動じず、条件を提示した。 「一つ、人間を襲わない事。 一つ、これ以上反逆同盟に加担しない事。 一つ、私達への復讐や付き纏いもしない事。 この3つが守れるなら――」 「巫山戯るなっ! 我は悪魔貴族であるぞ! 貴様如き無能の滓が、一々条件を付ける等っ、図に乗るなーーっ!!」 所が、フェレトリは聞く耳を持たない。 悪魔貴族として、人間優位の「約束」をさせられる事が気に入らないのだ。 これ以上の話し合いは無意味とワーロックは割り切り、両手を高く上げた。 「では、消えろっ!! トゥウィンンクル・バースタァ!!」 フェレトリの体が眩い光に包まれる。 しかし、彼女には精霊を分割して、スフィカが操る虫に宿らせ、結界の外に逃れると言う、 最後の手段があった。 事ここに至っては、それに頼らざるを得ない。 問題は……フェレトリの精霊が完全な状態で、結界の外に出る事は叶わないと言う事。 精霊を宿せる虫は激減している上に、ワーロックの魔法にも耐えなくてはならない。 即ち、フェレトリは御自慢の伯爵級の魔法資質を、永久に失ってしまうのだ。 ここで消えるか、弱体化して生きるかで、迷う時間も選択の余地も無い。 「我は死なぬ、死なぬぞぇ! 斯様な処で斃(くたば)りてなる物かーっ!」 光を放って消滅して行く精霊を切り離し、フェレトリは見っ度も無い事は承知で逃げた。 彼女の周囲に虫が集まって行くのを見たワーロックは、何か企んでいると察し、追撃を加える。 「レイッ!!」 魔力石を握り締めた彼の右手の拳から、光線が真っ直ぐ虫の群れとフェレトリを貫いた。 僅かに残った数十匹の虫が、結界の外に逃れる。 待機しているスフィカの横で、フェレトリは再び実体化した。 ……だが、その姿に嘗ての威圧感は無く、能力は元の何百分の一にまで落ち込んでいる。 最早、悪魔伯爵と名乗る事は出来ない。 否、そればかりか「悪魔貴族」と認められるかさえ危うい。 「おお、何と言う事……」 フェレトリは自らを哀れみ、悲嘆に暮れた。 彼女は忘れている。 魔法資質の低いワーロックは、自由に結界に出入り出来る事を。 「覚悟っ!!」 結界を越えて、ロッドで攻撃を仕掛けて来る彼に、フェレトリは恐怖した。 「ヒィ」 そこへ昆虫人のスフィカが駆け付け、透かさずフェレトリを抱えて飛翔する。 ワーロックには空中に逃げた相手を追う手段が無い。 弱体化したとは言え、否、寧ろ弱体化した事で、フェレトリは復讐心を燃やすだろうと、 ワーロックは危惧した。 しかし、急場は凌げたので、取り敢えずは良しとする。 一度に多くの事を考え、実行しようとすれば、手に余って失敗するのが落ちだ。 ウィローやラントロックの事は気になるが、ワーロックは先ず敵が残っていないか確認しに、 屋敷の周辺を歩いてみる事にした。 そこで彼は狼犬達の唸り声を聞く。 何事かと駆け付けた彼が見た物は――、 「……煩いぞ、野良犬共めっ」 狼犬達に取り囲まれ、威嚇吠えされている獣人テリアの姿だった。 未だ傷は完治していないのか、腹を押さえて蹲っている。 ワーロックは狼犬達の間を抜けて、テリアの前に出た。 「逃げていなかったのか」 ワーロックの問い掛けに、テリアは怒った。 「お前が動くなって言ったんだろう!?」 牙を剥いて敵意を表す彼女に、ワーロックは淡々と告げる。 「……お前の仲間は逃げたぞ。 残っているのは、お前だけだ」 「は? フェレトリの奴、私を置いて逃げたのかー! スフィカまでぇぇ……!」 テリアは恨み言を吐いて悔しがり、憤慨した。 蹲って怒りに震える彼女に、ワーロックは声を掛ける。 「大人しく降伏するなら、手当てをしても良い。 どうする?」 テリアは犬の様に低く唸りながら考えた。 「ウー、『どうする』って……」 「傷の具合と相談するんだな」 ワーロックは狼犬達を撫でて、緊張を解させつつ、彼女の返事を待った。 テリアは中々治まらない腹の疼きに不安感を覚えて、遂に決意する。 「……分かった、手当てしてくれ」 先まで大人しくなっていた狼犬達は、動き出したテリアを見て一斉に警戒した。 それをワーロックが再び宥める。 「大丈夫だよ、大丈夫」 彼は狼犬達から離れ、テリアに近付いて問うた。 「一人で歩けるか?」 「……何とか」 「それじゃ、行こう」 ワーロックはテリアを先に歩かせ、自分は後から付いて行った。 未だ彼女を信用していないのだ。 腹の傷を押さえながら、鈍々(のろのろ)と歩くテリアを、ワーロックは急かさなかった。 所が、開けた場所に出た所で、テリアは立ち止まる。 「……あの、気分が悪いんだけど……」 「傷が悪化した?」 「そう言う訳じゃなくて……。 目の前が眩々(くらくら)して足が動かない……」 「んー……? あっ、結界か! 分かった、そこで大人しく待っててくれ」 ワーロックは彼女を置いて結界を越え、ウィローの住家に上がった。 屋敷の中は妙に静まり返っている。 自分が外に出た間に何かあったのかと、ワーロックは俄かに不安になって来た。 「おーい、誰か居ないか!」 彼は呼び掛けながら、屋敷の中を見て回る。 それに反応したのは、ウィロー本人。 足取りは弱々しく、彼女を心配したラントロック等が後に付き添っている。 ワーロックもウィローを心配して、声を掛ける。 「ウィローさん、大丈夫なんですか?」 「あんなので斃る程、柔じゃないよ。 それより、仕留めたのかい?」 気丈に振る舞うウィローに、ワーロックは安堵しつつも、残念な報告をしなければならない。 「……いえ、逃してしまいました。 もう元通りには戦えないでしょうが……」 ウィローは正確な情報を求める。 「どう言う事?」 「精霊の大半を犠牲にして、結界を通り抜けたんです。 元の力はありません……が、弱体化した所為で、余計に復讐心を燃やすかも知れません」 復讐の心配をするワーロックを彼女は慰めた。 「気にするな。 済んだ事は仕方が無い。 ――それで、人を呼んでいたが? 他に何かあったか?」 ウィローはワーロックの方からも何か話があるのではと、問い掛ける。 ワーロックは小さく頷いた。 「ええ、フェレトリとか言うのと一緒に襲って来た獣人を、庭先に――」 それを傍で聞いていたラントロックは、独り駆け出す。 「テリアさんだ!」 彼に続いて、フテラとネーラも外に出た。 ヘルザは一旦ワーロックに視線を送る。 ワーロックは彼女に気付いて尋ねた。 「君は、ヘルザさん……。 今までラントと一緒に?」 「はい」 素直に頷くヘルザに、ワーロックは言う。 「御両親が心配していたよ」 「……お父さんと、お母さんには、悪い事をしたと思っています。 でも――」 彼女にも彼女なりの事情があるのだろうと、ワーロックは深く追及しなかった。 「込み入った話は後にしよう。 今は、目の前の事を片付けないと」 ヘルザは小さく頷き、ワーロックとウィローと共にラントロックの後を追って、庭に出る。 庭先ではラントロック等が、結界を挟んでテリアと対面していた。 「テリアさん、大丈夫?」 「大丈夫じゃないよぉ……」 結界があるので、お互いに近寄ろうにも、これ以上は近寄れない状況。 ウィローは周囲を警戒しながら、結界を解こうか迷っている。 テリアは弱ってこそいるが、瀕死で動けないと言う訳では無い。 その気になれば、不意打ちで一人二人は楽に殺せる。 「一体誰に……」 ラントロックの問い掛けに、テリアはワーロックを睨んで答える。 「あいつだよ! あいつ、何者なんだ!?」 皆、ワーロックを振り返り、驚いた顔をした。 当のワーロックもテリアの敵意剥き出しの発言に驚いている。 腹を裂いて、恨まれない訳は無いのだが……。 恨みの篭もったテリアの発言に、ラントロックは気不味い思いをする以上に、先ず疑った。 彼の中では、父親は気が優しいばかりで、狩りも真面に出来ない男だった。 知的ではある、腕力もある、優しくもあるが、威厳と度胸が足りない。 真面な魔法資質も無い。 そんな情け無い父親像を、ラントロックは実の父に対して持っていた。 ラントロックはテリアに視線を戻し、小声で言う。 「俺の……親父だ」 「は?」 その発言に、テリアとフテラは目を丸くして唖然とした。 当然、ラントロックとて人の子だから親も居よう。 だが、魔法資質が殆ど無い父親と言うのが、信じられなかった。 彼女等の隙を見て、ウィローはワーロックに依頼する。 「ラヴィゾール、あの獣人を完全に無力化してくれ」 「……弱っている物を叩くのは、一寸気が咎めるんですが」 「奴は未だ戦う力を残している」 折角フェレトリを撃退したのに、ここで誰か殺されては堪らない。 そう思い直したワーロックは、ウィローに従う事にした。 ロッドを袖に忍ばせて、結界の外に出ようとする彼を、ラントロックが目敏く見咎める。 「何をする気なんだ、親父?」 「少し大人しくなって貰う」 「……止せよ。 それなら、俺の能力があるから」 ラントロックは父親の反応を窺った。 父は自分の魔法を快く思っていない筈だが、この期に及んでも「魔法を使うな」と言うか? もし、そんな事を言うのであれば、二度と心を許す事は無いだろうと、彼は頑なになる。 ワーロックは暫しラントロックを無言で見詰めた後、ウィローの元に戻って、話を持ち掛けてみた。 「ウィローさん、獣人の扱いに就いては、ラントが何とかするそうです」 「……分かったよ。 おい、ラントロック! 今、結界を解くからな!」 ウィローは小さく頷き、ラントロックに呼び掛ける。 振り返ったラントロックは無言で頷く事で、了解の意思表示をした。 その内心では、浅りと自分の提案を認めた父親に少し驚きながら。 一方で、ウィローは独り、屋敷の裏へと回る。 それから約1点後に、結界が解除された。 ワーロック以外の全員は、その瞬間を感知する。 ラントロックはテリアの目を見詰める。 「テリアさん、先ずは傷の手当てをしよう」 「……ああ」 一度決別した者の世話になる事に、テリアは抵抗があったが、拒む事はしなかった。 背に腹は代えられないのだ。 そんな彼女を揶揄する様に、フテラが囁く。 「良いのか? マトラを裏切る事になるぞ」 テリアは外方を向いて、澄ました顔で反論する。 「フン、私は『捕虜』になったんだから、仕様が無いじゃないか」 「態度の大きい捕虜が居た物だ」 フテラとネーラは小さく笑った。 その後、テリアはウィローに治療され、ネーラとフテラは、その付き添いに。 遂にワーロックとラントロック、そしてヘルザが真面に対峙する時が来た。 全員が全員、何から話して良い物か、分からなかった。 言いたい事、言おうと思っていた事は、互いに山程あった筈だが、言葉が出て来なかった。 最初に口を利いたのは、ワーロック。 彼は当たり障りの無い言葉を口にする。 「……取り敢えず、無事で良かった」 偽らざる本心だったが、どこか上辺だけの様にも聞こえる。 ワーロックは続けて問うた。 「反逆同盟とは縁を切ったのか?」 ラントロックは答えなかったが、ヘルザが代わりに頷いた。 「……良かった」 今度はラントロックからワーロックに質問する。 「義姉さんは?」 「後から来る」 それだけでラントロックは後に続ける言葉を失った。 元々彼は父親と会いたくは無かった。 自分から家を飛び出した手前、気不味くなる事は確実で、その心配は的中した。 一方で、ワーロックは少しずつ質問をする。 「ラント、悪い事はしていないよな?」 「悪い事って何だよ?」 ラントロックは打っ切ら棒に尋ね返した。 明らかに不機嫌で会話を拒む様な態度に、ワーロックは少し怯んだが、これは親の責務と、 心を強く持って会話を続ける。 「……人を殺したりとか」 「しないよ」 そんな事をする訳が無いと、ラントロックは外方を向き、小さく溜め息を吐いて答えた。 「良かった」 ワーロックは安堵して、俯き加減で小さく笑み、又続けて問う。 「どうして、家を出て行ったんだ?」 漸く本命の質問が来たかと、ラントロックは内心で呆れ、冷たい言葉を浴びせる。 「解らないのか」 「予想は付く。 でも、お前の口から聞きたい」 ラントロックは何も言わず、書き置き等もせずに、家を飛び出した。 ワーロックの真剣な言葉に、仕方が無いとでも言う風に、大きな溜め息を吐いて、本心を告げる。 「嫌だったんだ。 あの家では、皆、自分を押し殺してた。 俺も義姉さんも……。 だから、家を出れば、自由になれると思った」 「家を離れて……、私から離れて、自由になれたか?」 気遣う様なワーロックの問い掛けに、ラントロックは小さく首を傾げた。 「どうだかな……。 少なくとも、家に居た間よりは自由だった。 後悔はしていない」 ワーロックは尚も問う。 「これから、どうする?」 「……分からない。 でも、親父と義姉さんには悪いけど、家には帰らないよ。 多分、もう二度と」 気不味さを見せつつ、しかし、確りとワーロックを見据えて、ラントロックは答えた。 ワーロックは少なからぬ衝撃を受けた。 「そんなに家が嫌か?」 「嫌って訳じゃないけど……」 ラントロックは言葉を濁す。 嘗て感じていた、父親への嫌悪感は、彼自身も驚く程に薄れていた。 「親父には分からないか? もう母さんは居ないんだ。 あの時間は帰って来ない」 どうして実家に愛着を感じないのか、ラントロックは今漸く理解した。 彼にとって家族の団欒は、母親あっての物だった。 その母親が死して、思い出の残る家での暮らしが、虚しくなってしまったのだ。 (あれから全てが嘘臭くなってしまった。 親父も義姉さんも、どこか無理をしていた。 その儘、母さんの居ない生活に慣れて行くのが怖かった) これを正直に告白する事は躊躇われる。 結局は母親を忘れられない、甘えっ子の我が儘ではないか……? そんな考えが、ラントロックの中に浮かんだ。 彼は変化を求めていたのではない。 母親が消えた「日常」に、戻りたくなかったのだ。 父親への反発も後付けの理屈に過ぎなかった。 ラントロックは俯いて黙り込んだ。 ワーロックは彼に掛ける言葉が思い浮かばなかった。 何を言っても、息子を心変わりさせる事は出来ないだろうと、強い確信を持ってしまっていた。 愛する息子に、「もう家には帰らない」と宣言された事は辛かったが、それでも心の片隅で、 息子の行動を理解しようとする働きがある。 子供は何れ親元を離れて独立する物で、今回の事は、それが多少早まっただけと。 虚しい自己の慰めかも知れないが、そう思えば気は楽だった。 だが、それでは片付かない問題もある。 リベラは何と言うだろうかと、ワーロックは考えた。 ラントロックが家に戻らない事を、納得するだろうか? 彼女は家族が離れ離れになってしまう事を恐れている。 思案の末、ワーロックはラントロックに告げた。 「ラント、お前は私の息子だ」 「……何だよ、改まって。 分かってるよ、そんな事。 事実だし、どうにも出来ない事だろう?」 余り肯定的でない反応に、ワーロックは不安になるも、「父親としての言葉」を掛ける。 「帰りたくないなら、帰らなくても良い。 だが、どんなに離れても、お前が私を嫌おうとも、お前は私の大事な息子なんだ。 困った時には頼ってくれ。 助けが必要なら、どこへでも駆け付ける」 「……要らねえよ、そんなの」 ラントロックは照れ臭くなって、素直に頷けなかった。 又も否定的な反応で、ワーロックは悲しくなるも、心を強く持って告げた。 「それでも私は、お前の父親なんだ」 父子の語り合いを傍で聞いていたヘルザは、親子と言う物に就いて考えていた。 自分の両親も、同じ様な気持ちで、我が子の帰還を待っているのだとしたら……。 「あ、あの、ワーロックさん……」 真面目で重苦しい空気の中、怖ず怖ずと問い掛けるヘルザに、ワーロックは力を抜いて応じる。 「何かな?」 「私も……今は帰りたくありません」 ヘルザの発言に、ワーロックは弱った顔になる。 彼女の両親の気持ちを考えれば、戻って上げて欲しい所なのだが、自分の息子は認めながら、 他人の娘には良くないと言えるのか……。 しかし、他人の娘だからこそ、勝手に肯く事も出来ない。 困ってばかりのワーロックに、ヘルザは加えて告げた。 「でも、何時かは帰って、お父さんとも、お母さんとも、話をしないと行けないと思います。 話し合って、解って貰えるかは、分かりませんけど……。 そう遠くない内に、自分の気持ちと考えを整理出来たら、その時は……」 それを聞いて、ワーロックは安堵した。 ヘルザも両親を嫌っている訳では無いのだ。 「分かった。 御両親に伝えよう」 嘗ては、両親を実の親か疑っていたヘルザも、何か心変わりする様な事があったのだろうと、 ワーロックは彼女の変化を嬉しく思った。 実際には、ヘルザと両親の話し合いは、衝突や困難が予想されるとしても……、全ての蟠りが、 一度に氷解するとは限らないとしても、未来は良くなるとワーロックは信じた。 翌日には、リベラとコバルトゥスも、ここに到着する筈である。 ワーロックはウィローの住家に一泊して、2人を待つ事にした。 その後、夕食を皆で取ろうと言う事になり、ラントロックが2階の一室のワーロックを呼びに行く。 「親父、夕飯どうする? 皆で一緒に食べないか」 「いや、大丈夫だ。 食料は持参して来た」 ウィローに気を遣って断るワーロックだが、歩み寄りの積もりだったラントロックは、 少し不機嫌になった。 「……飯は皆で食おうって。 親父は何時も、そう言ってたじゃないか」 家族の団欒を演じる積もりは無いが、ネーラ、フテラ、テリアも居るので、顔合わせには丁度良いと、 彼は考えていた。 「余りウィローさんに迷惑は掛けられないだろう」 「大丈夫だよ、台所は広いし、飯を作るのは俺だ」 変な所で遠慮するんだなと、ラントロックは呆れる。 「お前が……。 分かった、頂こう」 ラントロックに説得されたワーロックは、部屋から出て、台所に向かった。 ラントロックが母親を手伝って、時々料理をしていた事を、ワーロックは知っていたが、 独りで料理を作れるとは知らなかった。 出来ても不思議では無いのだが、妻カローディアの死後、彼はラントロックが料理をする所を、 見た事が無かった。 母親の死から立ち直りつつあるのかと、彼は息子の精神的な成長を内心で密かに喜ぶ。 食卓には全員が集まっていた。 卓上には野菜のスープと、白身魚の餡掛け蒸し、それに漬物と青菜の盛り合わせが並んでいる。 豪華な御馳走とは違うが、十分な食事だ。 そこでネーラ、フテラ、テリアの3体と対面したワーロックは、漸く過去に対峙した事があると思い出し、 露骨に警戒した。 「あ、君達は――」 ネーラがワーロックの言葉を遮る様に、話を始めた。 「お久し振りです、お義父様」 フテラとテリアは吃驚して、ネーラを睨む。 「どう言う積もりだ、ネーラ!」 声を潜め、責める様に問い掛けたフテラに、ネーラは平然と答えた。 「この方はトロウィヤウィッチの父上なのだろう? 失礼の無い様に振る舞うのは、当然ではないか」 納得させられて黙り込むフテラとテリアを横目に、ネーラは改めてワーロックに話し掛ける。 「お互い過去の事は水に流しましょう。 人魚だけに……、フフフ」 ワーロックは未だ不信の目で、ネーラ達3体を見ている。 人を襲った過去がある上に、殺され掛けているので、そう簡単には信用出来ないのだ。 「反逆同盟とは、どんな関係なんだ?」 彼の質問に、ネーラは優美な物言いで、余裕を持って答えた。 「御安心下さい、もう縁を切りました。 今の私達は無害な存在です」 未だ不信感を拭えないワーロックに、ラントロックが横から口添えする。 「本当だよ。 皆、俺に付いて来てくれた」 魅了の力を使ったのかと、ワーロックは複雑な気持ちになった。 この状況で、それが悪いとは言えないが、結局は本心では無いのだから、魅了の効果が切れたら どうなるか分からない。 ワーロックが素直に納得しないので、ラントロックは眉を顰めた。 恐らくは、魅了の力を使ったのだと、疑っているのだろうと。 ラントロック自身、どこまでが魅了の力なのか分からないので、何とも言えないのだが……。 ワーロックは小声でラントロックに言う。 「悪いと言う訳じゃないんだがな、その……」 互いに気不味い表情になる父と子。 その空気を何とかしようと、ヘルザが話に割り込む。 「あ、あのっ、ワーロックさん! 言い忘れてましたけど、有り難う御座いました! フェレトリさんを追い払ってくれたのは、ワーロックさんですよね!」 ワーロックは面食らったが、一拍置いて、落ち着いた声で答える。 「あぁ、でも、止めは刺せなかった……」 「良いんです! ワーロックさんが来てくれなかったら、今頃皆どうなっていた事か……。 そうですよね、ウィローさん!」 唐突に話を振られたウィローは、戸惑いから数極固まるも、遅れて相槌を打った。 「あ、ああ、そうそう、助かったよ」 事実、フェレトリの闇から全員を解放したのは、ワーロックである。 だが、ラントロックは今一つ信じられなかった。 魔法資質の低い父に、そんな大逸れた事が出来るとは思えないのだ。 それはネーラも同様で、何か能力を隠しているのかと訝る。 「大した事はしていませんよ……」 謙遜を通り越して、卑屈にも思える態度で、ワーロックは自らの功績を否定したが、 テリアが恨みの篭もった口調で、横槍を入れた。 「私の腹を掻っ捌いたのも、大した事じゃないっての?」 その一言で食卓の空気が凍り付く。 ネーラとフテラが慌ててテリアの口を塞ぎ、ワーロックの顔色を窺った。 「済みません、礼儀のなっていない物で!」 「どうか、お気になさらず!」 俄かには信じ難いが、ワーロックがフェレトリを撃退したならば、その実力は計り知れない。 敵意を持たれては堪らないと、2体は兢々としていた。 「いや、気にしてないよ……と言うのも変かな。 3対1では手段を選んでいられなかった。 一撃で仕留める積もりだったんだが」 「『仕込み』が無かったら死んでたし、その後も追撃しやがったんだよ! 信じられる!? 私じゃなかったら、無残な撒ら撒ら死体になってたんだからね!」 ワーロックとテリアの遣り取りで、2体は益々恐怖する。 ネーラとフテラはテリアを押さえ付け、強引に黙らせた後、宥め賺した。 ワーロックは心地の悪さを覚えながらも、食事に手を付け始める。 時々ヘルザが彼を気に掛けて、話を振る。 ラントロックはテリアから、ワーロックの戦い振りを聞き出そうとしている。 賑やかな中で、ウィローは我関せず黙々と食事を続ける。 そうして夕食が終わると、ラントロックとヘルザが片付けを始める。 ワーロック、フテラ、テリアは邪魔になるからと、台所を追い出された。 フテラはワーロックを凝視して、沁み沁みと語る。 「……分からない物だね、人の巡りってのは。 あんたがトロウィヤウィッチの父親だってのも。 信じられないよ」 「色々あったんだ」 詳細を語ろうとしないワーロックに、フテラは纏わり付く。 「フェレトリを倒せる位、強いとも思わなかった。 しかし、レノックの手を借りたとは言え、一度は私を倒したのだったな。 人は強くなると言うが、当時から片鱗はあったか」 その様子を見ていたテリアが、フテラに嫌味を言った。 「どうした、フテラ? そいつに乗り換えるのかぁ?」 「黙ってろ。 ××の事しか考えられないのか、この獣め」 「何を!」 啀み合う2体の間に、ワーロックは仲裁に入る。 「止めなさい、止めなさい。 こんな所で怪我をしては詰まらない」 実力の知れない彼を警戒して、2体は互いを牽制しながら、渋々矛を収めた。 深夜、台所で独り酒を楽しんでいるウィローに、ワーロックは相談を持ち掛ける。 「ウィローさん、暫くラントロック達を匿っては貰えませんか?」 「ああ、構わないよ。 レノックに連絡した際、序でに応援を要請した。 又襲撃されても、乗り切れるだろう」 安堵して小さく頷くワーロックを見たウィローは、心配そうに問い掛けた。 「どうなんだい、親子の問題は? 解決出来そうかな?」 「幾らかは……。 しかし、残念ながら、家に戻る積もりは無い様です。 私に似たのか、あれで強情な子ですから」 「何時までも預かる訳には行かないよ」 「はい、承知しています。 反逆同盟が倒されるまでは……」 その答を聞いたウィローは、真剣に尋ねる。 「ラヴィゾール、息子を取り戻すと言う、当初の目的は果たした筈だ。 反逆同盟との戦いから引いて、後は魔導師会に任せる手もある。 ……未だ戦うのか?」 ワーロックは大きく頷いた。 「出来れば、戦いたくはありません。 でも、そんな事を言ってられる状況じゃ無いんです。 元の平和な生活に戻る為に、子供達の未来の為にも、反逆同盟を打ち倒さなくては……。 それにレノックさん達も戦っていますから。 自分だけ安全な所で隠れて待っている訳には行きませんよ」 彼の決意は固い。 ウィローは小さく息を吐いて、一つ忠告する。 「死ぬんじゃないよ。 態々戦場に出て行って、子供を残して死ぬとか、人の親のやる事じゃない」 「解っています。 死ぬ積もりはありません」 「『積もりは無い』じゃなくて」 「はい、生きて帰ります」 ワーロックの返事を聞いた彼女は、未だ不満の残る顔をして言った。 ワーロックの返事を聞いた彼女は、未だ不満の残る顔をして言った。 「『生きて帰る』、言うは易しだけどね……。 約束だよ。 それも旧い魔法使いとの約束だ、解るよね?」 「違える事は許されない……」 「ああ、そうだよ。 あんたは約束を守る男だ。 だから、絶対に無事に帰って来る」 「はい」 ウィローの心遣いが、ワーロックは嬉しかった。 小さく口の端に笑みを浮かべた彼に対して、ウィローも小さく笑い、木の実で作った首飾りを、 投げて遣す。 「そいつは、お守りさ。 悪魔公爵の前では、本の気休めでしか無いが」 それを受け取ったワーロックは、小声で礼を言った。 「有り難う御座います」 「良いんだよ、礼なんて。 私との約束を守ってさえくれればね」 旧い魔法使いとは義理堅く、情に篤い物なのだ。 翌日、リベラとコバルトゥス、そして事象の魔法使いヴァイデャの3人が、ウィローの住家に着く。 先ずは家族で話をと言う事になり、リベラとラントロック、そしてワーロックの家族3人で、 1階の客間に閉じ篭もる。 コバルトゥスはラントロックが孤立無援となる事を心配していたが、ワーロックが一言告げた。 「もう無理に連れ戻そうとは思っていないよ」 和解するには未だ時間が必要だろうと思っていたコバルトゥスは、今度は別の意味で心配する。 「諦めたんスか?」 「……一度に多くは求めない。 今は反逆同盟から離れただけで良い。 それに――」 「それに?」 ワーロックはラントロックが言った事の意味を考えていた。 (親父には分からないか? もう母さんは居ないんだ。 あの時間は帰って来ない) 幸せだった時は戻らない。 ラントロックは母親の居なくなった家で、何時も通りに暮らして行く事が出来なかった。 母親の居ない生活に慣れて行く事に耐えられなかったのだ。 ワーロックとリベラは「家族」と言う枠組みを保つ事で、その悲しみを乗り越えようとしていた。 それが逆にラントロックを傷付けてしまった。 時間の経過により、彼の心の傷は幾らか癒えた様に見える。 今、ワーロックは「家族」の「在り方」に就いて、考えを改める時が来たのではないかとの、 思いを強くしていた。 一緒に暮らすだけが、家族では無い……。 客室で3人は暫く沈黙していた。 リベラは真っ直ぐ、睨む様な目でラントロックを見詰めている。 ワーロックはリベラかラントロックが口を利くのを、静かに待っていた。 先に口を開いたのは、リベラ。 「何で反逆同盟に協力してたの?」 彼女の口調は怒気を孕んでいた。 「家が嫌で出て行ったなら、それは仕方が無いよ。 でも、悪い人達に協力する事は無いよね?」 ラントロックは言い訳する。 「皆が皆、悪い人達じゃないんだ。 唯、居場所が無かっただけで」 「私の質問に答えて。 何で反逆同盟に協力してたの?」 リベラの詰問に、彼は破れ気狂れに、同盟に加わった時の心境を告白した。 「……この世界を打ち壊したかった。 共通魔法使いが支配する世界を」 それに衝撃を受けたリベラは、俄かに怪訝な顔付きになって、問い掛ける。 「そんなに共通魔法社会が憎かったの? それとも憎かったのは――」 ラントロックは俯き加減で首を横に振った。 「もう良いんだ、その話は。 もう誰も恨んでなんかいない」 独りで結論を語る彼を、リベラは勝手だと感じた。 散々問題を起こしておいて、自分の中で解決したから、もう良いとは何だと。 どう言う心境の変化か問い詰めようとするリベラを、ワーロックが制する。 「リベラ」 諄々言わずとも、その意思は伝わった。 リベラは一度深呼吸をして、乗り出した身を引き、改めてラントロックを睨む様に凝視する。 今度はワーロックが話をする番である。 「私から聞く事は、特に無いが……。 ラント、3つ頼みがある」 何なのかと、ラントロックは顔を上げてワーロックを見た。 「1つ目は、公学校卒業程度認定試験を受ける事。 2つ目は、月に一度で良いから、連絡をする事。 3つ目は、偶に里帰りする事」 それさえ守れば、後は自由にして良いと、ワーロックは暗に言っていた。 リベラは驚いた顔でワーロックの腕を掴んで揺する。 「お養父さん!?」 もっと言うべき事、聞くべき事があるだろうと、彼女は訴えていた。 しかし、ワーロックはリベラを見詰めて、小さく首を横に振る。 「良いんだ。 ラントロックは無事だった。 反逆同盟とも関わりを断った。 これ以上、望む事は無い」 それで本当に良いのかとリベラは疑うが、ワーロックの表情は穏やかだ。 リベラとしては、ラントロックを家に連れて帰りたかった。 だが、ワーロックが良いと言ったので、どうするのが正しいのか判らなくなる。 「本気で、そう思ってるの!?」 彼女に問い詰めれたワーロックは、困った顔をした。 「確かに、ラントが独立するには未だ早いかも知れない。 でも、何時までも同じ家で暮らす訳には行かないのも、解るだろう?」 ラントロックも何時かは大人の男になって、好きな女を見付けて、その人と暮らす様になる。 何時までも一緒には居られない。 リベラとて、その位は承知している……積もりだ。 「それは未だ先の話で――!」 彼女は家族が離れ離れになるのを、先送りしたかった。 それが彼女の本心。 「リベラ、お前もだよ」 そして、ラントロックと同じくリベラも、何時かはワーロックと離れる運命なのだ。 「お養父さんは、どうなるの? 私達が出て行って、独りになるじゃない!」 リベラはワーロックを心配する体で尋ねた。 家族が皆、家から去ってしまった後、どうするのかと。 愛する妻は、もう居ない。 ワーロックは小さく笑った。 「馬鹿だな、今生の別れになる訳でも無し。 お前達が立派な大人になってくれたら、何の心配も無い。 余生の過ごし方は自分で決めるさ」 彼は改めてラントロックに言う。 「そう言う訳だ、ラント。 家に戻るのが嫌なら、それで良い。 お前には、お前の考えがあるんだろう。 何か力になれる事があったら、言ってくれ」 聞き分けが良過ぎる父に、ラントロックは逆に困惑した。 「い、良いのかよ?」 「ああ、全く考え無しって訳じゃないんだろう? 手を尽くして、それでも上手く行かなかったら、戻って来れば良い」 その言葉に、失敗して家に帰る落ちになると思っているのかと、ラントロックは反感を覚える。 「全部見透かした様な、訳知り顔をするなよ。 どうせ上手く行かないって思ってるんだろう?」 ワーロックは変わらず穏やかな態度で答えた。 「そう邪推するな。 お前が何を考えているのか、何をしたいのか、これから先どうなるかも、私には何一つ分からん。 予知魔法使いでは無いからな」 その言葉に、今度はリベラが反発する。 「そんな好い加減な! ラントが心配じゃないの!?」 息子と娘から責められ、ワーロックは弱った顔になりながらも反論した。 「心配が無いと言えば、嘘になる。 だけどな、リベラ。 ラントも15だ。 15と言えば、公学校を卒業して、皆自分の将来を決める頃だ。 もう働き始める子も居る。 屹度(きっと)、ラントは自分だけの道を見付けたんだ」 ワーロックはラントロックに視線を送った。 「ラント、そうなんだろう?」 ラントロックは面食らい、慌てて頷く。 「あ、ああ」 彼の自信の無さを見切ったリベラは、烈火の如く怒って遮った。 「嘘だよっ、お養父さん!! ラント、絶対そんな事、考えてないって!!」 否定されたラントロックは、向きになって言い返す。 「勝手に決め付けるなよ!」 「じゃあ、言って御覧なさいよ! その進むべき道が何なのか!!」 姉弟の口喧嘩をワーロックは敢えて止めなかった。 彼はリベラと共に、ラントロックを静かに見詰めていた。 ラントロックは視線を泳がせた後、小声で答える。 「お、俺は……、色んな魔法使いが暮らせる場所を作りたい」 リベラは追及の手を緩めない。 「目標は良いけど、具体的に、どうすれば良いか分かってるの? 何と無く思ってるだけじゃ、何も出来ないよ? 色んな魔法使いが暮らすって、禁断の地と何が違うの?」 ラントロックは追い詰められながらも、確りと言い返す。 「禁断の地は……、あれは生け贄の村じゃないか……。 魔法使い達の為に、人間が囲われている。 俺が思うのは、そんなんじゃない」 リベラは強気に問い詰めた。 「じゃあ、どんなの?」 「全ての魔法使いが対等で……。 他の魔法使いも、勿論、共通魔法使いも」 理想論に過ぎないと、ラントロック自身も薄々は自覚していた。 リベラは鼻で笑ったが、ワーロックは真剣に聞いていた。 「簡単な事じゃないぞ。 この大陸では無理かも知れない」 ラントロックの意志を試す様に、ワーロックは忠告する。 「だったら、どこか小さな島にでも――」 何とか答を絞り出すラントロックを、リベラは小馬鹿にした。 「本当に、そんなので上手く行くと思ってるの?」 「やってみないと分からないじゃないか……」 ラントロックは拗ねた様に呟く。 それをワーロックは擁護した。 「確かにな。 やってみないと分からない」 「一寸、お養父さん!」 諦める様に説得したいリベラは、ワーロックを咎める。 ワーロックはリベラを一顧し、改めてラントロックに告げた。 「とにかく、何でも試してみれば良い。 それが本当の夢なら、私から言う事は何も無い」 「お養父さん!」 「リベラ、そんなに心配なら、ラントに付いて行くか?」 リベラの目には、養父の態度は無責任に見える。 実の息子に対して、何と薄情な仕打ちなのかと、彼女は失望した。 「もう知らない! 何でも勝手にすれば良いじゃない!」 リベラは部屋を飛び出してしまう。 その場に残されたワーロックとラントロックは、互いの顔を見合った。 「追い掛けないのかよ、親父」 「後で緩(ゆっく)り話し合うさ。 ラント、決意は変わらないんだな?」 義姉の姿を見て、ラントロックが心変わりしていないか、ワーロックは尋ねる。 「……ああ」 ラントロックは決まりの悪そうな顔をして頷いた。 リベラの意に副えない事を申し訳無く思っているが、だからと言って、決意が揺らぐ事は無い。 それを認めたワーロックは、徐に立ち上がって、リベラを追った。 彼がリベラの行方を居間のウィローに尋ねると、外に出て行ったと言われる。 ワーロックが屋敷の外に出て、周辺を歩き回ると、屋敷の裏手で話し声が聞こえた。 そこにはリベラと共にコバルトゥスが居た。 ワーロックは物陰から様子を窺い、聞き耳を立てる。 「お養父さんはラントの事なんか、どうでも良いんです。 私の事だって……」 「そんな事は無いよ。 先輩はラントを信じているんだ」 「嘘ですよ。 だって、絶対に失敗するに決まってます物」 「それは分からないだろう? 確率は低いかも知れないけど、絶対とは言い切れない」 「でも……。 もっと心配しても良いじゃないですか……。 私達は家族なのに」 泣き言を吐き続けるリベラを、コバルトゥスが宥めている。 ワーロックはリベラの言葉を尤もな事だと思いつつ、愛していないのではないと反論したかった。 しかし、ここで出て行くのは躊躇われ、2人の話が落ち着くのを待つ。 「先輩がラントの事を心配していたのは、君が誰より解ってる筈だろう? 態々ラントを追って旅を始めたんだから」 「でも、ラントが反逆同盟と縁を切ったと判ったら……」 「先輩はラントの意思を尊重してるんだよ。 子供は何時までも子供の儘じゃない。 何時かは大人になって、独り立ちしてしまうんだ」 「未だ早いですよ……」 「だったら、何時なら良いんだい? 2年後、3年後?」 リベラは泣き出して、コバルトゥスの胸に顔を埋める。 それをコバルトゥスは優しく抱き止めて、子供を愛(あや)す様に、無言で彼女の背を撫でた。 ワーロックとてリベラの心が解らない訳では無い。 実父との面識が無く、実母とは死別した彼女は、「家族」に並ならぬ拘りがある。 それをコバルトゥスも読み取っていた。 彼はリベラを抱き締めた儘で囁く。 「リベラ、君も大人になる。 時間の流れは残酷で、一瞬たりとも止まってくれない。 以前(まえ)にも言ったよね? お父さんだって、何時かは衰えて、死んでしまう。 何時までも一緒には居られない」 「そんな先の事――」 何十年も先、余りにも遠い未来の事だと、リベラはコバルトゥスの言葉を拒絶した。 しかし、コバルトゥスは説得を止めない。 「先の事、でも、何時か来る事。 その時、君は……どうする?」 「どうするって……」 困惑するリベラに、彼は予言する様に告げた。 「『悲しむ』だろうね。 『絶望する』かも知れない。 そして、『独りになる』」 それを想像して、リベラは恐怖に竦む。 考えたくは無いが、そうなる事は容易に想像出来た。 唯一の家族だった、母を失った時と同じなのだ。 トラウマを刺激されたリベラは、激しく身を震わせて膝から崩れ落ちる。 「あ、ああ、ああ……」 コバルトゥスが不味いと思った時には、もう遅い。 リベラは真面な言葉を発する事も出来ずに、息を荒げて呻くばかりだ。 コバルトゥスの精霊魔法では、深い昏迷に陥った精神を落ち着かせる事が出来ない。 これは行けないと、ワーロックは飛び出した。 「コバギ、退け! 私が診る!」 彼はコバルトゥスを押し退け、リベラの背に左手を添えると、残る右手で彼女の左手を掴んだ。 そして、共通魔法を唱える。 「AI16H4・J1JE246、I1N5・M2J1H4」 感応の魔法を利用して、ワーロックはリベラの心を暗黒から救い上げた。 リベラの瞳には生気の輝きが戻り、顔の血色も良くなる。 「大丈夫か、リベラ」 未だ呆けている彼女を心配して、ワーロックは声を掛けた。 リベラは困惑した顔で、彼を見詰め返す。 「ど、どうして、お養父さんが?」 「お前を追い掛けて来たんだ。 行き成り飛び出すから……」 ワーロックが呆れた様に言うと、リベラは恥じらって俯いた。 その場の3人共、居た堪れない気持ちになる。 やがて、何か言わなければと、ワーロックが沈黙を破る。 「『あれ』は何年振りか……。 十年以上、あんな事は無かったのに。 完全に克服した物とばかり思っていた」 リベラが不安に苛まれ恐慌状態に陥る事は稀にあったが、それは何れも彼女が幼い頃だった。 彼女が成長して行くに連れ、ワーロック等と「家族」になって行くに連れ、発作は見られなくなった。 それが今になって……。 「お前が、そこまで追い詰められていたとは……。 ラントが居なくなるのが、そんなに……?」 「ち、違うの! そうじゃなくて!」 ワーロックの予想を、リベラは反射的に否定した。 それが事実か否かより、取り敢えず否定する。 理由は後で考える。 (……何が違うの? ラントが居なくなるのが、そんなに嫌?) 冷静になった彼女は、もうラントロックの事を余り重大な問題と捉えていなかった。 では、どうしてラントロックの独立に反対していたのか? (何でだろう?) とにかく意地になっていただけと言う事を、彼女は自覚していない。 ラントロックを追って来た旅が、無意味になる事を彼女は嫌ったのだ。 ワーロックは怪訝な顔で、リベラを見る。 「違うのか……?」 改めて問われると、リベラは困った。 違うと言い切ってしまうと、何故ラントロックの独立に反対したのかとなり、理由が答えられない。 結局、彼女は何も答えずに、ワーロックに泣き付いて誤魔化した。 「リベラ……」 これでは良くないと、ワーロックは悲しい顔をする。 抱き合う親子2人の傍らで、コバルトゥスはリベラを苦しめてしまった罪悪感から、独り俯いていた。 ワーロックはコバルトゥスの様子に気付き、声を掛ける。 「コバギ、一寸良いか?」 リベラはコバルトゥスを一瞥して、警戒する様な表情をした。 それを見たコバルトゥスは、大いに動揺して言葉を失ったが、ワーロックは構わず話を続ける。 「リベラも聞いてくれ。 ラントロックが反逆同盟から離れて、私達は一応の目的を達成した。 もう戦う必要は無い訳だが……」 リベラはワーロックに抱き付いた儘、不安気な顔で問うた。 「……家に帰るの?」 ワーロックは彼女に目を遣った物の、何も答えずにコバルトゥスに言う。 「コバギ、お前の考えを聞きたい。 反逆同盟との戦いから、手を引くか?」 コバルトゥスは困惑した。 「いや、俺は……。 そんな行き成り言われても」 リベラの事を追及されると思っていた彼は、落ち着かない心持ちで応える。 そして暫し思案した後、ワーロックに尋ね返した。 「先輩は、どうするんスか?」 「私の事では無く、お前の意思を聞いている。 ……リベラ、お前もだ」 急に話を振られたリベラは、コバルトゥスと同様に慌てた。 「えっ、お養父さんは?」 「私の事は措いて、お前の考えを言え。 直ぐに答えられないなら、時間を掛けても良い。 少なくとも今日一日は、ここに滞在する」 それだけ言うと、ワーロックはコバルトゥスに視線を送り、小声で言った。 「2人で話し合え。 私は引っ込んでいる」 ワーロックは先までコバルトゥスがリベラに何を言おうとしていたか、大凡は察していた。 何れリベラが独りになると言うのは、ワーロックも考えていた事だ。 それをコバルトゥスは先んじて告げたに過ぎない。 その場を去ろうとするワーロックを、リベラは追い掛けようとするが、コバルトゥスに制された。 「待ってくれ、リベラちゃん」 警戒した目をするリベラに、コバルトゥスは一瞬怯むも、懸命に弁明する。 「先(さっき)は悪かった。 意地悪を言いたかったんじゃない。 聞いてくれ、大事な話なんだ」 彼はリベラの反応を待たず、一方的に告げた。 誤解する間も与えない様に。 「何時か、君は独りになる。 そうならない様に、その時に傍に居るのが、俺じゃ駄目なのか? 俺じゃ君の支えにはなれないか?」 愛の告白には十分な言葉だった。 リベラも彼の言っている事の意味が解った。 「今、そんな……」 返事に困ったリベラは、回答を引き延ばそうと思ったが、コバルトゥスは退(ひ)かない。 「今だからこそ言うんだ。 ラントは自分の道を行こうとしている。 君は……、どうする?」 どうすると問われても、彼女には答えられない。 自分で何をしたいと言う事も無いのだ。 何と無く、これまでの生活が続くと思っていた。 それを壊したのは、ラントロックで……。 リベラは弱々しく答えた。 「私には何もありません。 やりたい事も、これから何をすれば良いのかも、全然」 彼女の素直な言葉を受け止め、コバルトゥスは力強く誘う。 「俺と一緒に行こう。 色んな所を旅して、色んな物を見に行こう。 君に寂しい思いはさせない。 俺が何時でも傍に居る」 これ程、真面目で情熱的なコバルトゥスを、リベラは初めて見た。 何時もの気取った風では無い。 全てを擲つ様な姿勢に、リベラは心を打たれるも、返事は出来なかった。 コバルトゥスは尚も言う。 「今度はラントを探す旅じゃない。 俺と君との、2人の旅だ」 今までの旅をリベラは振り返った。 彼女から見て、コバルトゥスは頼れる人物と言って良い。 一緒に旅をするのも良いだろう。 少なくとも、これまでの旅が苦痛と言う事は無かった。 しかし、そうなると養父が独りになりはしないかと、彼女は思った。 「お養父さんは……」 コバルトゥスは呆れた顔で言う。 「先輩は自分の考えを言えって――」 「解ってます、でも……」 煮え切らないリベラの態度に、コバルトゥスは大きな溜め息を吐いた。 彼女は養父の事が心配でならないのだ。 コバルトゥスにも、その気持ちは解らないでも無い。 彼もワーロックが反逆同盟との戦いを続けるのか否か、気になっている。 だが、それにしても……。 「お養父さんの事が諦められないのかい?」 コバルトゥスが静かに問い掛けると、リベラは困った顔で答える。 「……分かりません。 でも、養父(ちち)の事が心配なんです」 「少なくとも、俺と一緒に居るよりは、お養父さんと一緒に居る事の方を選ぶのか」 「御免なさい」 リベラの謝罪は単純に、コバルトゥスの想いに応えられない、罪悪感から来る物だ。 参ったなと、コバルトゥスは頭を掻いた。 リベラは自分の感情が、本当の恋なのか、それとも親しい者への愛情なのか、理解していない。 コバルトゥスの目にも、どちらなのか判断が付かない。 大人の男性に対する憧れや、安心感への依存が大きい様で、真剣な恋慕の様にも見える。 何時かは自分に振り向いてくれそうだと言う、微かな手応えはある物の、何時の事になるかは……。 (気長に待つか……。 それも悪くない) 彼は小さく息を吐くと、リベラに言った。 「それじゃ、先輩の話を聞きに行こうか」 リベラは小さく頷いた。 2人は揃ってウィローの住家に戻り、ワーロックの真意を尋ねる。 「私は禁断の地に帰ろうと思う」 その答に、リベラとコバルトゥスは驚いた。 「帰る!?」 「そんなに驚く事か? 一応の目的は果たした。 他に何をするって言うんだ」 他に何をと言われて、コバルトゥスは直ぐに反論する。 「未だ反逆同盟が残ってるじゃないッスか!」 「本気で戦う積もりなのか?」 ワーロックの真剣な問いに、コバルトゥスもリベラも気圧されて沈黙した。 悪魔公爵ルヴィエラは強い。 これから戦いは益々激しくなるだろう。 既に魔導師会が対応しているのに、これ以上自分達が命を懸けて戦う必要はあるのか……。 「無理をする必要は無いんだぞ。 お前達は若いんだ」 ワーロックは自ら戦いから身を引く事で、2人にも戦いを思い止まらせる事が出来るのではと、 考えていた。 逆に言えば、老いた自分が戦おうとしているから、2人は無理をして付いて来ているのではと。 「じゃあ、お養父さん、一緒に帰ろう!」 リベラは思い切って言うも、ワーロックは頷く前にコバルトゥスを一瞥する。 「コバギ、お前は?」 「俺は……」 コバルトゥスは返事に困ったが、リベラとワーロックを交互に見て、やがて決意した。 「俺は反逆同盟と戦います。 連中が悪さしてるんじゃ、気楽に旅も出来ないんで」 彼はリベラに振られた事で、戦いの道を進もうと開き直っていた。 ワーロックは大きく頷き、力強く言う。 「分かった。 気を付けてな」 その反応にリベラは違和感を覚えた。 こんな時に養父は、人任せにして自分だけ安全な所で待っている人では無いと。 仮に力不足を感じて引っ込む時は、もっと申し訳無さそうにする。 しかし、今は心の迷いや揺らぎが読み取れない。 コバルトゥスも訝しんでいる。 リベラは小声でワーロックに尋ねた。 「……お養父さん、コバルトゥスさんを助けなくて良いの? 私達も一緒に戦った方が……」 それを聞いたワーロックは、真っ直ぐ彼女を見詰める。 「リベラは戦いたいのか?」 率直な問い掛けに、リベラは返答に困った。 彼女は自分の考えを纏めながら、今の気持ちを正直に告げる。 「戦いたい訳じゃないよ……。 でも、自分達だけ安全な所で待ってるって……、それで良いのかな? 私達にも何か出来る事があるんじゃ……」 ワーロックは穏やかな笑顔でリベラに言う。 「そう思うなら、そうすれば良い」 「えっ」 笑顔の意味を量り兼ねて、彼女は困惑した。 何か喜ぶ様な事なのか、何が嬉しいのか? 「お、お養父さんは……」 「私の事は関係無い。 今の自分の気持ちを大事にするんだ」 ワーロックは自立を促しているのだと、リベラもコバルトゥスも察した。 彼は娘の為に、敢えて引き下がる決断をしたのか? そうした疑念を2人は抱く。 ワーロックはリベラに説教する。 「リベラ、お前が『何か出来る事は無いか』と言い出した事を、私は嬉しく思う。 『人の助けになりたい』と思う、それは人として当然の、真っ当な感情だ。 私に付き合う必要は無い。 私も好い加減、年を取って来た。 若い頃の様には戦えない」 「何言ってんスか、先輩。 俺と、そう幾つも変わらないっしょ」 コバルトゥスは笑い飛ばそうとしたが、ワーロックは悲しい瞳を向けた。 「そうは言うがな、年々衰えを感じるんだ。 私の魔法資質では、魔法で体力を補う事も難しい」 ワーロックの魔法資質の低さは、リベラもコバルトゥスも知っている。 故に、何も言えなかった。 如何にも年老いている風では無いが、もう数年で五十路に届く事を思えば、無理はさせられない。 リベラは決意して、コバルトゥスに告げた。 「コバルトゥスさん、私も反逆同盟と戦います。 何か少しでも私に手伝える事があれば……」 「良いのかい? お父さんは――」 「良いんです」 彼女はコバルトゥスの問に被せて答え、反論を封じる。 そして、ワーロックに視線を送った。 「これで良いんだよね?」と。 その態度をワーロックは良くは思っていなかった物の、それは心の中に仕舞って、今の時点では、 これで良いのだと小さく頷いて見せた。 リベラはワーロックの歓心を買おうとしている。 どうすれば、彼が喜ぶかと考えている。 それが彼女の価値基準になってしまっている。 養父が喜ぶ事が良い事で、悲しむ事が悪い事なのだと。 儘ならぬ物だなと、ワーロックは複雑な思いで俯いた。 しかし、リベラが自分で反逆同盟と戦う道を選んだ事は、歓迎すべきである。 その内に、独りでも生きて行ける様になるだろう。 そう考えて、ワーロックは無言で過ごした。 これで一家は再び散り散りになる……が、家族と言う関係が終わる訳では無い。 寧ろ、家で一緒に暮らしていた頃より、絆は深まっている様に思える。 後にコバルトゥスはワーロックに尋ねる。 「先輩、本当に帰っちゃうんスか?」 「私は私で反逆同盟との戦いを続ける。 お前達と一緒には居られないが」 その回答に、コバルトゥスは安堵の笑みを浮かべて言った。 「やっぱり嘘だったんスね。 下手な嘘は吐かない方が増しッスよ」 ワーロックは深刻な表情で語る。 「リベラは今の儘では行けない。 私から離れて旅をする事で、精神的に自立し、成長しなくては」 それを期待して、彼はリベラをコバルトゥスに預けた積もりだった。 しかし、これまでの旅でリベラの依存心が変わった様には見受けられない。 ワーロックはコバルトゥスに謝罪する。 「本当は、お前に頼り過ぎるのも良くないのかも知れない。 リベラを押し付けて、悪いと思っている」 「そんな――」 「そんな事は無い」とコバルトゥスは言おうとしたが、ワーロックは聞かなかった。 「お前には、お前の都合がある筈だ。 例えば、反逆同盟との戦いで、危険に飛び込まなきゃ行けない場面が訪れたとして。 そう言う時に、リベラが傍に居る所為で思い止まる何て事が……」 コバルトゥスは自由人で、束縛を嫌う。 本気で反逆同盟と戦う時、リベラと一緒に居る事が枷になるのではと、ワーロックは心配していた。 コバルトゥスは肩を竦めて、戯(おど)けて見せる。 「気にしないで下さい。 反逆同盟と戦うって言いましたけど、計画とか何か考えがある訳じゃないんで。 リベラちゃんと一緒なら、暢(のん)びり観光旅行でもしますよ、ハハハ」 「そうしてくれると助かる」 ワーロックは安堵とも呆れとも取れる小さな息を吐き、遠い目をした。 それが気になったコバルトゥスは、自ら尋ねる。 「先輩は……。 どうやって反逆同盟と戦うんスか?」 「魔導師会やレノックさん達と連絡を取り合って、私に出来る事をする。 それだけだ」 「危ない事はしないんスか?」 「……時には命懸けになる事もあるだろう。 なるべく危険は避けるが、どうしても避けて通れない事はあると思う。 余り言いたくは無いが、命を落とす事が無いとは限らない」 「何で、そこまでするんスか? 戦いは魔導師会とかに任せとけば良いじゃないッスか」 ワーロックは責任感が強く、自ら重い物を背負い込む癖があった。 だからコバルトゥスは彼を信頼するのだが、不安にもなる。 何時か自分の手に余る事に打ち当たり、避けることも逃げる事も出来ずに、押し潰されるのではと。 ワーロックは苦笑した。 「お前も言っていたじゃないか……。 反逆同盟の連中が悪さしてるんじゃ、気楽に旅も出来ないって」 「それだけの為に?」 信じられないと言う顔をするコバルトゥスに、ワーロックは少し眉を顰めた後、毅然と言い切る。 「リベラやラントの為、共通魔法社会に生きる全ての人の為に。 この平和を脅かす存在を放置する訳には行かない」 コバルトゥスは目を丸くして驚いた。 「そんな正義の味方みたいに……」 ワーロックは飽くまで、何の責任も無い一人の市民。 それも魔法資質の低い、守られる側の存在だ。 大きな正義を掲げて行動するのも、彼らしくないとコバルトゥスは訝った。 だが、ワーロックは至って真面目である。 「コバギ、この戦いは想像以上に深刻で重大な危機なんだ。 それを前にして、『私にしか出来ない』事がある。 『私になら出来る』かも知れない事がある。 私が戦わない訳には行かない」 「……先輩にしか出来ない事って何スか?」 「私の魔法に関わる事だ」 ワーロックは未だ自分の魔法の全てを明かしていない。 強敵を打倒する為の切り札は、その時が来るまで伏せておく物だ。 ラントロック等が離脱して、フェレトリも力を失い、反逆同盟は最早組織としての体を成していない。 決戦の時は近い。 「お養父さんは、本当に独りで帰る積もりなの……? 私達と一緒に行かない?」 「遠慮しておくよ。今の私では足手纏いになる。元々独り旅をしていたんだし、寂しくは無いさ。 村の人達も居る」 「お養父さん、独りで大丈夫? 御飯とか、お風呂とか、お掃除とか……」 「親を馬鹿にしてるのか」 「そうじゃないけど、心配で……」 「お前の方こそ、大丈夫なのか? 本当は帰りたいんじゃないのか」 「……でも、やっぱり自分だけって言うのは……」 「それで良い。後悔の無い様に生きるんだぞ。コバルトゥスと仲良くな。奴は意外と繊細な所がある。 突っ走りそうな時は、止めてやってくれ」 「分かった」 「反逆同盟との『戦い』だから、当然危険が予想される。絶対に無理はするなよ」 「分かってる」 「何か行動する時は、魔導師会やレノックさん達と連絡を取り合って、連携する様にな。 コバルトゥスは面倒臭がって、自分からは協力を申し出ないだろうから……」 「はい」 「他に何か言っておく事は無かったかな……」 「あ、あの、お養父さん、大丈夫だから」 「用心するに越した事は無いんだ。直ぐに助けを呼べる様に、魔導師会の人に緊急用の回線を、 用意して貰おうか?」 「じ、自分で言うから」 「大丈夫か? 忘れるなよ、重要な事だからな?」 「分かってるよ……」 「リベラちゃん、良かったのかい? お父さんと一緒じゃなくて」 「もう言わないで下さい。私は決めたんです」 「俺と一生添い遂げるって?」 「茶化さないで下さい」 「ははは、御免、御免。所で、ラントは誘わないのかい?」 「ラントを……?」 「仲間は多い方が良いと思うんだけど」 「ラントはラントの考えがあるみたいですから」 「残念だな。反逆同盟を倒すまでの間、協力出来ないかと思ってたんだが……。 駄目元で話だけはしてみるよ」 それぞれの道 ブリンガー地方キーン半島南端にあるソーシェの森にて 反逆同盟から離脱したラントロック等は、ソーシェの森の魔女ウィローに匿われ、 そこで家族との再会を果たした。 改めて反逆同盟と戦う決意をした、コバルトゥスとリベラに対して、ラントロック等は……。 「ラント、君も俺達と一緒に、反逆同盟と戦わないか?」 「同盟と……」 ウィローの住家の広間で、コバルトゥスに共に戦わないかと誘われたラントロックは、 迷いを顔に表す。 「元仲間と敵対するのは、気が引けるか」 「それもあるけど……。 小父さん、『マトラ』は強いらしい」 「マトラって、反逆同盟の長『ルヴィエラ』の事だな? 知ってるよ。 俺達の手には到底負えない、化け物みたいな奴だと教えられた」 「誰に?」 コバルトゥスがマトラの事を詳しく知っている様なので、ラントロックは驚いて尋ねた。 「レノックとか言う子供の姿をした魔法使い」 「あぁ、レノックさん……。 音楽の魔法使いの」 ラントロックもレノック・ダッバーディーとは面識がある。 レノックは度々禁断の地を訪れては、ワーロックの家族の様子を見に来ていた。 「小賢人」レノックの魔法資質は優れており、音楽を用いた彼の魔法の華やかさ、美しさには、 ラントロックも敬意を持っていた。 コバルトゥスは説得を続ける。 「何もルヴィエラと直接戦おうって訳じゃない。 仮令、力及ばずとも、同盟の悪事を止める為に、出来る事はある筈だ」 「……義姉さんや親父も一緒なの?」 嫌そうな顔をするラントロックに、コバルトゥスは半笑いで答えた。 「お姉さんとは一緒だけど、お父さんは別行動だ」 「そう……」 ラントロックは肯定の返事も否定の返事もせず、何事か考えている。 彼が結論を出すまで、静かに待つコバルトゥスに、獣人のテリアが横から声を掛けた。 「同盟と戦うのか?」 「君はテリア……」 彼女はコバルトゥスに辛辣な一言を浴びせる。 「トロウィヤウィッチを巻き込まないでよ。 私達は反逆同盟とは縁を切ったんだ。 それで十分だろう?」 「君の意見は分かった。 だけど、俺はラントに話を聞いてるんだよ」 コバルトゥスも強気に言い返し、テリアは無視してラントロックを真っ直ぐ見据えた。 それに対してテリアは立腹するも、素直にラントロックの答を待つ。 「俺は……戦いたくは無い……」 コバルトゥスは落胆の、テリアは安堵の溜め息を、同時に吐く。 「それなら仕方が無い。 魅了の魔法は戦いには向かないか」 ラントロックの魔法は直接相手を傷付ける物では無い。 魅了の魔法が効かない相手には、全く無力になってしまう。 戦いたくないのであれば、無理は言うまいと、コバルトゥスは引き下がった。 所が、ラントロックの方は話を終わらせる積もりは無かった。 「待ってくれ、小父さん。 戦いたくは無いけど、でも……、これで良いのかって気持ちはある。 俺に……、俺達にも出来る事があるのか……?」 これにはテリアが驚いた。 「止せ、トロウィヤウィッチ! 戦いは共通魔法使い共に任せておけば良い! 私達には何の関係も無い事だ!」 彼女の言葉に、コバルトゥスが反論する。 「無関係でも無い。 共通魔法使いから見れば、俺達は『外道魔法使い』で一括りだ。 外道魔法使いの中にも、共通魔法使いの味方が居る事を示すのは重要だ」 政治的な「大人の発言」に、ラントロックは反感と憧れを同時に覚える。 大局を見て行動出来るのは格好良いが、打算的な所は嫌悪する。 コバルトゥスは不信の目をするラントロックを見て、今の言葉は不味かったかと思い、言い添えた。 「そう言う建て前とは別に、邪悪を許しては行けないと言う気持ちもある。 俺は精霊魔法使いだ。 精霊の秩序と世界の平穏を守る役目がある」 そう言いながら、彼は両親の事を思い出していた。 どうして父と母は、自分を置き去りにして行ってしまったのか? 精霊や人間が、どうなろうと知った事では無いと、幼い頃の彼は思っていた。 自分達を奇異の目で見る共通魔法使いの為に、命を落とす事は無かろうと……。 今でも両親の気持ちは解らない。 しかし、どう言う人だったかは何と無く解る。 「善人振る積もりは無いが、俺は血の定めに生きる」 「血の定めが無かったら?」 ラントロックの問い掛けに、コバルトゥスは真剣に答えた。 「それでも『力』があれば、戦っていたと思う。 どこか遠い場所の見ず知らずの人を救う気は無くとも、目の前の不幸な人は見過ごせない。 そう言う物だろう?」 感情に訴える事は、時に理屈で諭すより効果的だ。 ラントロックの心は揺れた。 コバルトゥスは更に言う。 「迷いなんてのは表面的な物だ。 本心では、『こうしたい』、『こうありたい』と言う理想がある。 それが出来ないから迷う。 ラント、君の理想は何だ? 戦うにしても、戦わないにしても、それは何の為だ?」 何の為と聞かれて、ラントロックが先ず思い付いたのは、義姉の事だった。 彼の義姉リベラは、コバルトゥスと共に反逆同盟との戦いを続ける。 もし義姉の身に何かあった時、自分は後悔しないと言えるのか……。 少し前に仲違いしたばかりだが、恨みや憎しみの感情は無い。 寧ろ、本気で怒られて、自分を心配してくれているのだと感じる。 これが実父であったならば、逆に益々反感を強めたに違い無いが……。 ラントロックは長い間を置いて、こう答えた。 「俺も同盟と戦う。 それは……小父さんや義姉さんの為だ。 もし同盟との戦いで、小父さんや義姉さんの身に何かあれば、俺は後悔するだろうから……」 テリアは目を見張って、猛烈に反対した。 「馬鹿を言うな! 他人の事なんか、どうだって良いじゃないか! もっと身勝手で良いんだよ!」 一方でコバルトゥスは深く頷く。 「仲間は一人でも多い方が良い。 1人では出来ない事も、2人なら出来る。 2人では出来ない事も、3人なら出来る」 ラントロックはテリアを一顧した後、コバルトゥスに告げた。 「一応、皆とも相談してみるよ。 一緒に戦ってくれるかも」 そう言うと、ラントロックは席を立ち、2階に上がる。 テリアは暫しコバルトゥスを睨んでいたが、やがてラントロックを追って行った。 ラントロックは一緒に反逆同盟を抜け出した者達を一室に呼び集めて、自らの決意を語った。 「今後の話なんだけど、俺は反逆同盟と戦おうと思う」 魚人のネーラと鳥人のフテラは、目を剥いて反対した。 「正気か!?」 それ見た事かと、獣人のテリアは呆れる。 悪魔公爵の組織を敵に回そう等、全員反対するに決まっているのだ。 しかし、ラントロックは引き下がらない。 「ああ、正気だ。 何時までも、身を隠しながら逃げ回る訳にも行かないだろう?」 逃亡生活にも限界が来るであろう事は、皆薄々解っていた。 マトラ事ルヴィエラの気紛れに怯えて、鼠の様に隠れ暮らす生活が辛い物である事は、 想像に難くない。 だが、反逆同盟と戦う苦難に比べれば、何て事は無いと言うのが、ネーラ、フテラ、テリア3体の、 統一した見解だった。 「皆は俺『達』と一緒に行動するか、ここで戦いが終わるまで匿って貰うか、ここで決めてくれ」 ラントロックに二者択一を迫られ、3体と残る1人のヘルザは沈黙した。 そんな中、ネーラが諭す様に彼に言う。 「何もトロウィヤウィッチが戦う事は無いじゃないか」 ラントロックは頷いて答える。 「そうかも知れない。 でも、俺の家族や知り合いが戦ってるんだ。 俺だけ何もせずに見ている訳には行かない」 生まれが魔物であるネーラには、家族と言う物が解らない。 ラントロックは毅然とネーラに告げる。 「今度ばかりは強引に連れて行く事も出来ない。 皆、自分で判断してくれ」 そう言われ、互いに顔を見合わせるネーラとフテラ。 少しの間を置いて、フテラがラントロックに尋ねる。 「本気でマトラと戦う気なのか?」 彼女はラントロックに必死さが無い事を怪しんでいた。 未だマトラの恐ろしさを理解していないのかと。 「マトラは強い。 フェレトリなんか比べ物にならない位に。 あれの前では、フェレトリでさえも取るに足らない雑魚なんだ」 ラントロックは小さく頷いて応じた。 「だから、直接は戦わない。 反逆同盟の野望は阻止するけど、マトラと戦(や)り合ったりはしない」 「あっ、そっかあ!」 納得したテリアの頭を、フテラが鉄槌打ちで叩く。 「ギャフン!」 「何が、『そっかあ』だ! マトラが黙って見過ごす物か!」 反逆同盟の活動の邪魔をして、マトラと敵対せずに済む訳が無いのだ。 途中でマトラが飽きでもしない限り、どこかで対峙する事になってしまう。 それでもラントロックは真剣に訴えた。 「皆が戦いたくないって言うなら、それは仕方が無い事だ。 マトラと戦わないって言ったって、実際そう都合好くは行かないだろう。 でも、俺は自分にも出来る事があるのに、やらない訳には行かないんだ。 解ってくれとは言わないよ。 戦いが終わったら、又会おう。 そして、皆で平和に暮らせる土地を探しに行こう」 その言葉に触発されて、ヘルザが立ち上がる。 「わ、私も一緒に行って良い……かな?」 ネーラ、フテラ、テリアの人外3体は目を見張って、止めに掛かった。 「止せ、足手纏いになるだけだ!」 「自分の魔法も判らないのに!」 「そうだ、そうだ!」 一斉に非難されたヘルザは怯むが、ラントロックは構わず受け容れた。 「気にする事は無い。 仲間は多い方が良い」 彼もヘルザを止める物だと思っていた3体は、衝撃を受ける。 「本当に良いのか、トロウィヤウィッチ!?」 「死ぬかも知れないんだぞ!」 「そ、そうだよ!」 ラントロックは頷き、自分がコバルトゥスに言われた事を彼女等にも言った。 「1人じゃ出来ない事も、2人なら出来る。 2人じゃ出来ない事も、3人なら出来る。 3人じゃ出来ない事も、4人なら出来る。 そうだろう?」 人外の3体が反逆同盟に居た頃は、昆虫人スフィカを含めて「B3F」を名乗り、4体で活動していた。 しかし、それは狩りを円滑に行う為であり、強敵に対抗する為では無い。 3体が重苦しい沈黙を続ける中、最初に口を開いたのは鳥人のフテラだった。 「仕様が無いな、私も一緒に行って上げるよ」 ネーラとテリアは目を丸くし、彼女を凝視した儘で硬直する。 「正気かよ、フテラ」 あり得ないと言う顔をするテリアを、フテラは見下した。 「お前は大人しく引っ込んでいろ。 それが地を這う物には相応しい」 嘲笑されたテリアは、怒るよりも狼狽して、ネーラを顧みる。 ネーラも基本的な考えはテリアと一緒だった。 彼女の場合は反逆同盟からの離脱でさえ、自分の意志では不可能だったのだ。 その上、反逆同盟の活動を妨害しよう等とは、とても畏れ多かった。 ネーラは弱気な瞳でフテラを見詰めて問う。 「恐ろしくは無いのか、フテラ」 「私は何百年も昔、旧暦から生きる物だ。 マトラの飼い鳥では無いし、子供でも無い。 ネーラ、あんたも同じだろう?」 フテラもネーラも、マトラの力を借りて人化した訳では無い。 長い年月を経て、魔性と知性を蓄えて行った動物だ。 マトラが倒れても力が衰えると言った影響は無い。 沈黙するネーラを見て、これは彼女を出し抜く好機ではないかと、テリアは心変わりした。 「良し、分かった! 私も一緒に行くぞ!」 これにはフテラが吃驚する。 「ほ、本当に良いのか!?」 フテラも内心、これは他の2人を出し抜いて、ラントロックに接近する好機だと思っていた。 テリアの参戦は本来ならば歓迎すべきだが……。 「マトラを恐れないと言うんだな?」 再びのフテラの問に対して、テリアは平然と答える。 「直接は戦わないんだろう? じゃあ、良いじゃん。 他の同盟の奴等は、どうでも良いしぃ」 彼女はネーラやフテラの忠告を忘れて、元の思考に戻っていた。 魔物らしい薄情さを発揮して、元仲間に牙を剥く事も躊躇わない。 ラントロックは参戦を決意したフテラとテリアに礼を言う。 「有り難う、フテラさん、テリアさん」 そしてネーラにも視線を送った。 暗に一緒に来てくれないかと期待されていると、ネーラは判っていたが、小さく首を横に振る。 「私は……行けない」 寂し気な顔をするラントロックを、フテラとテリアが慰める。 2体共、心の内では笑っていた。 「もう良いよ、こんな奴」 「そうそう、弱虫は放っとこう」 ネーラは2体に貶されながらも、反論しなかった。 概ね、その通りだと認めているのか、悔しがりもしない。 それをラントロックは不審に思い、ネーラを見詰める。 彼女は小声で答えた。 「私は私に出来る事をする」 ネーラにも彼女なりの考えがあるのだろうと察したラントロックは、小さく頷き返した後、全員に言う。 「それじゃあ、皆、準備が出来たら外に集まってくれ。 険しい旅になると思う。 でも、1人じゃないから、協力して乗り越えて行こう」 彼は一足先に退室して、一階に下りると、義姉リベラの姿を探した。 リベラは一階の広間で、コバルトゥスと立ち話をしていた。 義姉を発見したラントロックは、直ぐには顔を出さず、少し2人の話を聞いてみる事にする。 盗み聞きは良くないと解ってはいたが、何を話しているのか、興味の方が先行した。 「本当にラントが私達と……?」 「ああ。 君達は姉弟なんだなと思ったよ」 「どう言う意味ですか?」 「どうって、その儘の意味だけど」 コバルトゥスの言葉の意味が、リベラもラントロックにも解らない。 そう言われるからには、何等かの共通点、似通った性質がある筈だが、双方共に無自覚だった。 互いに本当の姉弟では無いと判っているから、「似ている」と言われる事に違和感がある。 疑問ではあるがその話は横に置いて、ラントロックは義姉が自分も反逆同盟との戦いに加わる事に、 悪感情を持っていない様だと察して、少し安心した。 先は喧嘩別れの様になって、嫌われてしまったのではと気にしていたのだ。 彼は今来たばかりを装って、2人の前に現れる。 「小父さん、後3人来てくれる事になったよ」 「おお、それは良かった」 ラントロックは義姉では無く、先ずコバルトゥスに話し掛けた。 リベラとコバルトゥスは同時に振り返り、彼に視線を向ける。 「ラント」 リベラとラントロックは互いに見詰め合う。 その儘、暫し無言。 重苦しい沈黙を先に破ったのは、リベラの方。 「良いの? 貴方には目的があるんじゃ……」 「反逆同盟から抜け出した俺達は、裏切り者として追われる身だ。 先ず、この騒動を片付けないと、落ち落ち夜も眠れない」 ラントロックは義姉が心配だと言う本心を隠した。 本当の理由を知っているコバルトゥスは、こんな時に見栄を張るのかと苦笑を堪える。 散々暴露した後で、今更隠す必要も無かろうにと。 リベラはラントロックの手を取って言った。 「有り難う、ラント。 一緒に来てくれて」 家族が離れ離れになると思っていた彼女は、ラントロックが同行してくれる事が、素直に嬉しかった。 「そんな、礼なんか……。 これは俺達の為でもあるんだし」 義姉を異性として見ているラントロックは、照れながら否定する。 「……そうだね、御免、大袈裟だよね。 でも、ラントと一緒に居られるのが嬉しいんだ。 本当は1年足らずの筈なのに、もう何年もラントと離れていたみたい」 「一寸背が高くなったね」とリベラは付け加え、ラントロックの頭を触る。 未だリベラの方が背が高いが、遅くとも2年後にはラントロックが追い抜いているであろう。 ラントロックは益々照れて、赤面した儘、俯いた。 その様子を見ていたコバルトゥスは、リベラの精神の弱さを心配する。 彼女の態度は本人も言う通り、大袈裟だ。 家族が離れ離れになる事を、誰よりも恐れている。 故に、自立したがっているラントロックや、自立を促したいワーロックとは相容れない。 この先、彼女が孤独の恐怖を克服出来るのか……。 旅の中で徐々に彼女の意識を変えて行くしか無いと、コバルトゥスは小さく溜め息を吐いた。 ワーロックから養娘を託されたも同然の今、リベラを一人前の大人にするのは、己の責任なのだと、 変に気負うコバルトゥスだった。 その後、ラントロック等と同行する事を決めた2体と1人が合流する。 コバルトゥスの姿を見て、フテラとテリアは本日何度目か知れない驚きを味わう。 「お、お前は!」 コバルトゥスもラントロックの同行者が、この2体だとは思わなかった。 「……ラント、こいつ等を信用して良いのか?」 彼は裏切られはしないかと、小声でラントロックに尋ねる。 耳の良いフテラとテリアは、確りと聞いていて、不満を顔に表した。 ラントロックは自信を持って頷く。 「ああ、大丈夫」 彼の瞳が妖しく輝く。 コバルトゥスは己の心臓が一度大きく弾んだのを感じた。 (魅了の魔法か……) 魅了で裏切りを防げるなら良いがと、コバルトゥスは完全に納得はしていないが、 一応は疑問を引っ込める事にした。 リベラは難しい顔をしているコバルトゥスに尋ねる。 「お知り合いですか? 一人はエグゼラで戦った人ですよね」 「そうだよ、人を食らう化け物だ」 「えぇっ!?」 そんな物と一緒に旅をして大丈夫なのかと、リベラは動揺してラントロックに目を遣った。 ラントロックは義姉を安心させる為に、説明する。 「だから、大丈夫だって。 もう反逆同盟とは縁を切ったし、人間を襲ったりもしない」 そう言われても素直に信じられないリベラは、フテラとテリアに目を向けた。 怯えの感情を読み取り、2体は不機嫌な顔をする。 しかし、リベラは彼女等の予想しない行動に出た。 「私はリベラ・アイスロン。 よ、宜しく」 挨拶と同時に握手を求められ、2体は戸惑う。 フテアとテリアは互いの顔を見合い、視線で握手する順番を譲り合った。 結果、先にフテラが握手に応じる。 「ど、どうも、宜しく」 片手だけ人の手に変えた彼女は、愛想笑いしつつリベラの手を取った。 極普通の握手をして、互いに手を放そうとした所で、ラントロックが横から言う。 「フテラさん、名乗らないと」 「あっ、ああ、私はフテラだ。 『鳥人<プテリアントロポス>』のフテラ。 『人間<シーヒャントロポス>』では無い」 フテラが名乗りを終えると、テリアが進み出て、自らリベラに握手を求める。 「私はテリア、宜しくね! 『獣人<シリアントロポス>』だよ」 笑顔から覗く鋭い牙に、リベラは一瞬怯んだが、躊躇わず手を取った。 テリアの手はフテラより筋肉質で、爪も鋭い。 その握力にリベラは顔を顰める。 「い、痛い、痛い」 「御免、御免、つい力が入っちゃった」 勿論、態とである。 テリアは腕力で優位な事を示したのだ。 彼女が手を放すと、リベラの手には真っ赤な跡が残っていた。 そして、優越の笑みを浮かべる。 悪い癖だなとラントロックは呆れ、テリアに注意する。 「テリアさん、その人は俺の義姉(ねえ)さんなんだ。 それなりの敬意を払って貰いたい」 その一言に、フテラもテリアも狼狽する。 特にテリアは慌てて言い訳した。 「そ、そう言う事は先に言ってよ〜! ニュ〜ン、御免よ、御免よ、お姉さん」 俄かに態度を変えて擦り寄る彼女に、リベラは苦笑いで応じる。 「な、何とも思ってないから……」 フテラは呆れた顔で溜め息を吐き、テリアをリベラから引き剥がした。 「こう言う奴なんだ、済まないね」 「ニュ〜……」 テリアはフテラに襟首を掴み上げられ、仔猫の様に大人しくなった。 反逆同盟に所属していただけあって、変な人達だとリベラは圧倒される。 そんな中、未だ後ろの方に引っ込んでいて、自己紹介をしていない一人が、彼女は気になった。 「ラント、そっちの子は?」 「ああ、ヘルザ」 ラントロックはリベラの問い掛けに応じて、ヘルザを手招きして呼び寄せた。 ヘルザは彼に促されて、自己紹介をする。 「わ、私はヘルザ・ティンバーです。 宜しく、お願いします」 「私はリベラ、宜しく。 貴女も反逆同盟から逃げ出したの?」 「ええ、はい、一応……」 リベラは畏まって小さくなっているヘルザを、真面真面と見詰めて尋ねた。 「ええと、貴女も人間じゃないの?」 「あのっ、いいえっ、私は人間です!」 「あっ、御免なさい……」 「い、いえ、気にしてないので……」 互いに配慮し合いながら話していると、横からコバルトゥスがヘルザに問う。 「君は、どんな魔法を使うんだい?」 背の高い男性の登場に、ヘルザは緊張の剰(あま)り硬直した。 それを見たコバルトゥスは一つ咳払いをして、自己紹介する。 「これは失礼、お嬢さん。 未だ名乗っていなかったね。 俺はコバルトゥス・ギーダフィ、精霊魔法使いだ」 しかし、礼儀正しく接しても、ヘルザは俯き加減で何も答えない。 気取った言い方が不味かったかなと、コバルトゥスは反省した。 若い女を引っ掛けて遊んでいた彼だが、若過ぎる女の子の扱いは分からない。 (俺も年を取ったかなぁ……?) 容姿には自信があるが、若い子には「小父さん」は受けないかと、コバルトゥスは肩を落とした。 沈黙するヘルザに代わって、ラントロックがコバルトゥスに説明する。 「ヘルザは未だ自分の魔法が判ってないんだ。 共通魔法使いじゃないのは、確かなんだけど……」 そんな子を戦いに連れて行って大丈夫なのかと、コバルトゥスは驚いた。 何かあった時、ラントロックでは責任を負い切れないだろう。 若さ故の暴走かと思う。 だが、ラントロックは冷静だ。 ヘルザには聞こえない様に、声を潜めてコバルトゥスに言う。 「戦う以外にも役目はある」 「何だ?」 「義姉さんを危険から遠ざける」 数極思考した後、成る程とコバルトゥスは頷いた。 戦えないヘルザが居れば、「彼女を守る」と言う名目で、自然にリベラを戦いから引き離せる。 コバルトゥスはラントロックに向けて、嫌らしく笑う。 「悪い奴だなぁ」 そんな風に言われるのは心外だと、ラントロックは眉を顰めた。 「それだけじゃない。 魔法にも期待してるんだ」 「何の魔法か判らないのに?」 コバルトゥスは訝る。 戦略上、計算出来ない物は、無い物として扱うのが正しい。 何時どこで、どんな風に作用するかも判らない物に、期待を掛けるのは愚かだ。 それはラントロックも理解していたが……。 「マトラは強いんだろう? 普通に戦っても勝てないなら、未知の力に賭けるのも悪くない思う。 勿論、期待し過ぎるのは良くないけど」 共通魔法使いだけで、マトラ事ルヴィエラを倒せるかは不明だ。 もしかしたら、総力戦になるかも知れない。 都合好くヘルザが新しい魔法に目覚めるとは限らないが、可能性が少しでもあるのなら、 試してみるのは悪くない。 「そこまで考えての事なら、何も言わない。 確り守ってやれよ」 コバルトゥスはラントロックの肩を強目に叩いて、発破を掛ける。 ラントロックは少し自信の無さそうな顔で、小さく頷いた。 こうして4人と2体は、一緒に反逆同盟と戦う旅をする事になった。 ……と言っても、具体的な目的地や標的がある訳では無く、暫くはレノックから情報を貰って、 行き先を決める事になるのだが……。 その際の騒動は、又後の話。 at that time 「久し振りだな、精霊魔法使い」 「あんたは……。確か、ヴァイデャと呼ばれていた……」 「事象の魔法使いだ。ヴァイデャは職業に関する号(よびな)。しかし、よく私の号を覚えていたな。 何十年も昔に、一度会った切りの者の事を」 「記憶力は良い物でね」 「あの時は、お前の存在の危機だった。忘れる訳も無いか」 「その事は――!」 「お2人共、何の話をなさってるんですか?」 「ああ、以前に彼が女の――」 「いや、何でも無いんだ、リベラちゃん」 「女の……?」 「どうも聞かれたくない事らしい」 「本当に何でも無いんだ、あっちに行こう、リベラちゃん」 「何なんですか、コバルトゥスさん……。あ、ヴァイデャさん、失礼します」 「はいはい」 meanwhile 「フェレトリ、入るぞ」 「マトラ公であるか……。何用か?」 「何用か、では無かろうよ。どうした、その様は?」 「昆虫人から話は聞いておろう」 「手酷くやられた様だな」 「笑いに来たのか? 笑わば笑うが良い。最早、嘗ての力は無く、言い返す気力も無い」 「重症だな。私の霊を分けてやろうか?」 「何?」 「我が精霊を、そなたに貸してやろう」 「良いのであるか?」 「気にするな。私にとっては、本の一部だ」 「忝い」 「しかし、そなた程の物が、ここまで追い詰められるとは」 「マトラ公も油断召されるな。魔城に現れた、あの男である」 「……誰だ?」 「お忘れか? それとも――」 「聖君は片付けた筈だが……。他に何ぞ居ったか?」 「奇怪な男である。無能に見えて……。否、マトラ公は御案じ召さるな。我が始末を付ける故」 afterword 「先輩、ラントも俺達と一緒に行く事になりました」 「大丈夫なのか?」 「ええ、そんなに危ない事をする積もりは無いんで」 「いや、そうじゃなくてだな。面倒見切れそうか? もう何人か大人が付いていた方が……」 「あー、そう言う心配ッスか……。大丈夫だとは思うんスけど……」 「私の方で、同行してくれる人を探してみよう。人の間に立って、物事を仲介出来る人物が良い」 「あ、出来れば女の人、お願いします。フヘヘ」 「その要望は聞けない。ラントが居るからな」 「魅了されるから?」 「ああ。仲介者が一方に肩入れするのは良くない」 「ラントを信じてないんスか?」 「お前は魅了の魔法の恐ろしさを知らない。あれは使用を意図する必要が無い。逆に、 意図しなければ抑えられない」 「そうなんスか」 「お前も他人事じゃないぞ。何時の間にかラントに魅了されている何て事が無い様にな」 「俺、男なんスけど」 「男女は関係無いんだ」 「えっ? ……まあ、平気っしょ? 平気、平気」 「そうだと良いがなぁ……」 「私が来た意味は無かった様ですね」 「そうでも無いよ。フェレトリが再び、ここに来ないとも限らない。確り守っておくれよ」 「自分より目上の存在に頼られるとは、何とも奇妙な感覚です」 「あのね、これでも私は女の子なんだよ? もう少し気を遣ってくれないか」 「魔法使いに男も女も無いでしょう。それ以前に、貴女は『女の子』とは――」 「お黙りっ! 近頃の若い者は、口ばっかり達者になりおって!」 「私も若くは無いのですが……。冗談は扨置き、伯爵級の悪魔と対峙する事になるのですか?」 「恐らくな。……怖いのか?」 「いえ、楽しみです。昔から戦いには縁が無かった物ですから、どこまで事象の魔法が通じるか」 「あんたは強いよ。その力は数多の魔法使いの憧れだった」 「貴女に、そこまで持ち上げられると、気持ちが悪いですね」 「この男は……」 崇高なる存在 第四魔法都市ティナーにて ティナー市は唯一大陸で最大の人口を誇る大都市である。 人が多いと言う事は、それだけ経済活動が活発で、市民の生活にも余裕が出来る。 人が多ければ、傑出した人物の出現も、それに比例する。 とにかく数は力なのだ。 一方で、良い事ばかりではない。 人が多ければ、それだけ悪事を働く人も増える。 傑人は善良な者ばかりではない。 悪の傑物も出現する。 並外れた知能と計画性を持った、邪悪な人間が……。 巨人魔法使いの襲撃、自己防衛論者の魔導機密造事件、そして協和会の人身売買事件を経て、 ティナー市内では再び魔導師会を頼りにしようと言う者が増えて来た。 反逆同盟の出現で、都市警察の治安維持能力に疑問や限界を感じる市民が増えた事が、 その背景にある。 一方で、復興期の様に魔導師会が権力を握り、直接都市の行政に介入しようと言う、 懐古的で強硬な主義や主張は、少なくとも魔導師会本部では潰えた。 これにはファラド・ハクムの失脚が関係している。 だが、魔導師会を頼ろうとする市民の一部は、遂に自ら魔導師会に市政を掌握せよと要請した。 そこでティナー地方魔導師会も、市政に介入する事は無いと度々宣言しなければならなかった。 これは平穏だった時期では、全く考えられなかった事である。 潔癖な魔導師会は、どちらかと言うと市民に嫌われていた。 所が、貧富の格差が拡がるに連れ、富める者は不正を働いていると言う意識が市民の間に広がり、 間の悪い事に、協和会事件が、それを一部証明する形になってしまった。 格差の是正は公平な魔導師会によって成されると言う幻想が、一部の市民にはあるのだ。 そんな中、自己防衛論者の集団『帳幕の会<シュラウズ>』の派生である、『忠臣の集い<リテイナーズ>』が、 奇妙な動きを見せていた。 「帳幕の会」は飽くまでも「自衛」の為の武装組織を目指した剣士会や、棘盾の会とは異なり、 武力を持つ集団が政治権力を持つべきだと言う、主張を繰り返していた。 この武力とは都市警察の事では無い。 詰まり、武装する権利を持つ為に政治に介入するのではなく、武装して政治の主導権を握ろうと言う、 危険な野望を持っていたのである。 そこから派生した「忠臣の集い」は、更に歪な思想に染まっていた。 それは「魔法資質の高い選ばれた者が、魔法資質の低い一般人を率いる」と言う物である。 故に『従僕<リテイナー>』。 単に武装しただけでは、市民は脅威から己の身を守れない。 優れた者による統治が必要なのだ。 一口に「優れている」と言っても、多様な優秀さがあるが、最も重要な物は「魔法資質」。 どんな危険が訪れようとも、魔法資質の高い者に守って貰えれば安全だ。 だから、魔法資質の高い者を統治者に迎え、その庇護下で平穏を取り戻そう。 こうした彼方任せの考えに染まる者が、徐々にではあるが増え始めていた。 ティナー市内の地下クラブ・ホール「DD」にて クラブ・ホール「DD」は普段は酒の飲めるダンス・ホールである。 よくインディ・バンズが小規模な『演奏会<コンサート>』を開催しているが、趣味の集いにも利用される。 この日は「忠心の集い」が、会合を開いていた。 正式な政治団体であれば、この様な場所では無く、ホテルや公民館、市民会館を利用するが、 「忠心の集い」は自己防衛論者の分派である事から、信用が無い。 忠心の集いの会員も、そうした場所を借りられず、クラブ・ホールで集会を開催する事を、 恥や屈辱とは思わず、寧ろ人目を避けられる場である事を好都合だと考えていた。 会合に集まった人数は、100人に満たない。 余り広くない場所である事も理由だが、そもそも熱心な賛同者が少ないのだ。 非常時は頼るかも知れないが、普段は関わりたくない。 そうした消極的な支持に留まる者が大半を占める。 逆に言えば、ここに出席する様な者は「精鋭」だ。 忠臣の集いの「会合」とは、誰かが講演や演説をするのでは無く、銘々が自由に出席者と話して、 意見交換をする形式。 一見では会長や幹部に接触する事は難しい。 会合の出席者の中に、地下組織の出身者が混じっていた。 彼は忠臣の集いを見張る為に、魔導師会に雇われた潜入者で、職に溢(あぶ)れた流れ者を装って、 この会合に参加した。 金を掛けずに、身形だけを整えれば、それらしく見える物だ。 地下組織に所属していた彼には、会合に参加している会員では無い人物の正体が判る。 (……『猫悪党<キャトラスカル>』関係の『手配師<フィクサー>』が何人か居るな。 何をしようってんだ?) フィクサーの服装は地下組織の人間と共通している部分がある。 先ず、身形は綺麗にしており、服装は高価な物で纏めている。 そして、魔法から身を守る『装飾品<アクセサリー>』を態と目立つ様に身に付けている。 ここでは身分を隠す積もりは無い様だ。 忠臣の集いは既に魔導師会や都市警察に目を付けられている。 それなのにグレー・ゾーンの人間と結託して、何をしようとしているのか? (この上、騒ぎを起こそうなんて、余っ程気が狂ってない限り考え難いが……。 未練囂しく組織を維持してる様な連中が、そうじゃないとは言い切れない) 潜入者がフィクサー達を監視していると、忠臣の集いの会長であるドロイト・ドイトが、 フィクサーの1人に話し掛けた。 (来た、来た) ドロイトは31歳の若造で、組織の長には頼り無い。 金持ちでも無ければ、権力者でも無いし、そうした者達との繋がりも無い。 長が居なくなった潰れ掛けの組織を、どうにか維持しているだけだ。 潜入者は近過ぎず、遠過ぎない距離までドロイトに接近し、耳を澄まして会話を盗み聞きする。 重低音の音楽と、人の話し声、足音が煩いが、何とか内容は聞き取れる。 「――――博士とは、――会える?」 「そう焦――。――に必要なのは、――だろう?」 「……本当に――は有る――?」 「直接――て、試して――んだな」 「その為には、先ず――が無いと」 ドロイトはフィクサーに何かを催促している様子だった。 取り敢えず、フィクサーを通じて何者かと会おうとしている事は判る。 キャトラスカルのフィクサーが紹介すると言う事は、碌でも無い人物に決まっている。 「忠臣の集い」の目的を考えると、お飾りに相応しい、高い魔法資質の持ち主を探しているのかと、 この潜入者は予想した。 潜入者が監視しているのも知らず、ドロイトは小さな『錠剤<タブレット>』が数個入った小瓶を、 フィクサーから受け取る。 (あれは何だ? 麻薬……の訳は無いか) 潜入者は直感で麻薬では無いと思った。 フィクサーは飽くまで、キャトラスカルを「必要とする人物」に紹介するのが仕事だ。 自分で危ない橋を渡る事はしない。 しかし、合法な物とも思えなかった。 容器は市販の栄養剤の小瓶に似ているが、中身が少な過ぎる。 使い掛けの物を人に渡す訳が無い。 気になった潜入者は、それと無くフィクサーに接触する。 「なあ、あんた。 今、会長に渡したのは何だ?」 行き成り話し掛けられたフィクサーは、警戒した目で潜入者を見た。 「何だ、手前?」 「何だとは御挨拶だな。 お宅とは結構付き合いがあったんだが……。 一々客の顔は覚えて無いってか?」 「だから、どこの誰だよ」 フィクサーは惚けつつ、記憶を辿っている。 潜入者は小声でフィクサーに告げた。 「ここでは言えない。 あんただって、そうだろう? 『枷<シャックル>』」 シャックルとは、このフィクサーが所属している会社だ。 会社と言っても、本拠地や実体がある訳では無い。 仕事上の都合で名乗るだけの物である。 フィクサーの表情が強張った。 「どこで、それを――」 「先も言ったじゃないか? お宅の『客』だったって」 実際には客だった訳では無い。 繋がりのあるフィクサーは居るが、シャックルとは違う。 但、その伝手でフィクサーの事情には詳しい。 「……それは良いとして。 今、会長に渡したのは何なんだ?」 「さあな? そんなに気になるなら、会長に直接聞けば良い」 これは真面な物では無いと、潜入者は確信した。 「そうするよ。 又、仕事で会うかもな」 潜入者はフィクサーの肩を軽く叩くと、ドロイトに向かって行く。 ドロイトは別のフィクサーと話をしていた。 「駒が――い。 1人、2人――わない――、どうでも――奴を――てくれ」 「どうでも――?」 「足の――――奴。 ――が居なくて、――持て余し――様な。 ――素質――らない」 「はぁ、何に――んだ?」 「犯罪を――――ってんじゃ――。 只の――係だ」 このフィクサーはドロイトの提案を怪しんでいたが、商売と割り切って話に乗る。 「1人5――、どうだ?」 「高――る、半額――未だ――。 1万に――らないか?」 フィクサーを介して誰かを雇おうとしている事は判る。 そして、フィクサーを介するからには、雇うのはキャトラスカルだ。 態々キャトラスカルを雇う理由は不明だが、良からぬ事だろうと察しは付く。 ドロイトは金に余裕が無いのか、値切ろうとしている。 (値切ったら注文通りの物が届かないかも知れないのにな。 フィクサーを何人も呼んで、付き合いがありそうな割に、今まで使った事が無いのか?) フィクサーを利用する際は、言い値で買うのが基本だ。 信用商売だから、フィクサー側も無理は言わない。 潜入者が心配した通り、フィクサーはドロイトに捨て台詞を吐く。 「『苦情<クレーム>』は――――ないぞ」 ドロイトは何を企んでいるのかと、潜入者は益々怪しんだ。 こうなったら自分で確かめるしか無いと、彼は愈々接触を試みる。 「初めまして、ドロイト会長。 お会い出来て光栄です」 潜入者が悪手を求めると、ドロイトは少し驚いた様な顔で応える。 「あー、君は?」 「失礼しました。 私はグウィン・ウィンナントです。 友人の紹介で、ここに来ました。 どうか、お見知り置きを」 「えー、それで、何の用かな?」 偽名を名乗る潜入者に、ドロイトは困惑して尋ねた。 「何やら人をお探しだった様なので」 「人?」 「いや、盗み聞きした訳じゃないんですけど……。 人手が欲しいんですよね?」 潜入者はドロイトがフィクサーから紹介された人物を使って、何をしようとしているのか、 直接自分の手で探ろうとする。 ドロイトはグウィンを、自分を売り込みに来た、出世意欲の高い人物だと読み取った。 「ああ、その通りだが……。 二、三、質問させてくれるかな?」 「はい、何でも聞いて下さい」 「グウィン」は勢い良く返事をして、やる気がある所を見せ付ける。 如何にも、それだけが取り得の様に。 ドロイトは苦笑しながら質問した。 「君は手配師では無さそうだが……、どんな仕事をしている?」 「ははは」 グウィンは笑って誤魔化した。 そこへドロイトは虚偽の発言を検知する魔法を密かに使う。 これは愚者の魔法とは違い、嘘を封じたりはしないが、意図的な虚偽の発言に反応する。 「答えてくれ」 「いや、その、今は……」 察してくれと言わんばかりに、グウィンは言葉を濁して苦笑いした。 真昼間から世間的には怪しまれている団体の会合に参加しようと言う人物は限られている。 詰まりは、真面な職に就いていない。 ドロイトは察して、次の質問に移った。 「今は独りで暮らしている? 親しい友人とかは居るかな?」 「独り暮らしではありますが、友人は多いですよ」 友人が多いと言う事は、人脈が多様であると言う事。 それを強調するのは、自信の無さの表れでもある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる