酷評よろ
速い時間の流れの中でA

東京の大学に入学して、わかったことが二つある。一つは都会の時間の流れと静岡にいた時の流れがずいぶん違う、ということ。もう一つは高校の時の自分が極めて限定的な世界に生きていたということ。
昨年の三月まで高校生だったことを思えば、大学に入学するまでの時間と入学してからの時間に隔たりはなく、
ただ季節の変わり目に静岡から東京に越してきた程度の変化なのであるが、それがあたかも何十年も経て別の世界にやってきたくらいの違いが田舎と都会にはあった。
田舎だって随分、情報は入ってくる。今の時代、インターネットやSNSの普及によって静岡の片田舎にいたって情報を得ようと思えばいくらでも望み通りに欲しいものは手に入る。
だけど、そうではない。田舎にいて必要な物事は、極めて限定的なものに限られてくる。都会はまた別の世界なのだ。
流動化された社会。時間の流れが速い町。
静岡の遠州に位置する高校にいた時期、受験で初めて品川の駅に降り立った時に感じた衝撃は今も忘れられない。
それはまるで私を喧騒の中で置き去りにするような雑踏だった。都会にいると街に立っているだけで、多くの人に囲まれているだけで、いろいろな物事が流動的に動いているのを感じる。
大勢の人の中にいる自分がいかに小さな存在であるか、ともすればこの巨大都市の中で私の存在や価値が膨張してはじけ飛ぶかのような、そんなインパクトが東京にはあった。