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雪国の夏はカラッとして涼しい。雪国と一口にいっても、私の生まれた岐阜県の高山市も雪国だし東北や北海道、晶子と大学生の一時期を過ごした蓼科高原も雪国だ。
雪国で一番いい季節は夏だろう。私が今暮らしている遠州地方は、夏はジメジメしてとても暑く、冬は北風が強く過ごしにくい。東京と同じ、この地方で凌ぎやすい季節は、春と秋である。
春といっても四月も中頃までは風の強い日も多く、一番気持ちの良い季節は五月を跨いだ辺りの頃であり、秋は十月中盤から十一月がいい。
晶子はちょうど頃合いの良い春先から五月に掛けて静岡に滞在していた。
私は病院を退院して直ぐに退職届けを書いて提出した。およそ五年近く勤めた事務用品メーカーを退職するに当たって、引き継ぎに三週間を要した。
今の時点で抱えている案件があった。ある静岡の自動車メーカーの事務移転に関するものであり、この案件に一週間ほど取られた。
オフィス用品やデスクとチェアーを納品して物流会社と後任に今後の事務移転があった場合のノウハウを伝え、それが済んだ後に事務作業に付随するシステムの引き継ぎ、
そして私物をまとめ、万事が終わった時には退職届けを上司に提出してから十九日が経過していた。
辞めるときようやく肩の荷が降りた心持ちになった。どこか頭の片隅に晶子の財産のことがあって否応なく私はそれに安堵していた。
晶子とは退職する前の十九日のあいだに二回食事をした。どうやら晶子は掛川の駅前のシティーホテルにいるらしかった。
「毎日、何してるの?」と私が尋ねると、友達が次から次へと静岡に来て会っているのだという。
「みんな心配して来てくれるの」
晶子が云うには、一ヶ月で六十人くらいの人間がこの土地を訪れたとのことだ。
「なんか普段会わないような人とも会えて、横浜にいる時よか人間関係が好転している感じ」と晶子は言っていた。
正直言って私の人生に残された友達は十人に満たない。それも今何気なく連絡を取れる人間が数人という意味だ。頻繁に連絡を取り合っている人間は晶子を含めると四人。それ以外の人間は疎遠になりつつある。