【ファンタジー】ドラゴンズリング6【TRPG】
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――それは、やがて伝説となる物語。
「エーテリア」と呼ばれるこの異世界では、古来より魔の力が見出され、人と人ならざる者達が、その覇権をかけて終わらない争いを繰り広げていた。
中央大陸に最大版図を誇るのは、強大な軍事力と最新鋭の技術力を持ったヴィルトリア帝国。
西方大陸とその周辺諸島を領土とし、亜人種も含めた、多様な人々が住まうハイランド連邦共和国。
そして未開の暗黒大陸には、魔族が統治するダーマ魔法王国も君臨し、中央への侵攻を目論んで、虎視眈々とその勢力を拡大し続けている。
大国同士の力は拮抗し、数百年にも及ぶ戦乱の時代は未だ終わる気配を見せなかったが、そんな膠着状態を揺るがす重大な事件が発生する。
それは、神話上で語り継がれていた「古竜(エンシェントドラゴン)」の復活であった。
弱き者たちは目覚めた古竜の襲撃に怯え、また強欲な者たちは、その力を我が物にしようと目論み、世界は再び大きく動き始める。
竜が齎すのは破滅か、救済か――或いは変革≠ゥ。
この物語の結末は、まだ誰にも分かりはしない。
ジャンル:ファンタジー冒険もの
コンセプト:西洋風ファンタジー世界を舞台にした冒険物語
期間(目安):特になし
GM:なし(NPCは基本的に全員で共有とする。必要に応じて専用NPCの作成も可)
決定リール・変換受け:あり
○日ルール:一週間
版権・越境:なし
敵役参加:あり
名無し参加:あり(雑魚敵操作等)
規制時の連絡所:ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/3274/1334145425/l50
まとめwiki:ttps://www65.atwiki.jp/dragonsring/pages/1.html
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過去スレ
【TRPG】ドラゴンズリング -第一章-
ttp://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1468391011/l50
【ファンタジー】ドラゴンズリング2【TRPG】
ttp://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1483282651/l50
【ファンタジー】ドラゴンズリングV【TRPG】
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【ファンタジー】ドラゴンズリング4【TRPG】
ttps://mao.5ch.net/test/read.cgi/mitemite/1501508333/l50
【ファンタジー】ドラゴンズリング5【TRPG】
ttps://mao.5ch.net/test/read.cgi/mitemite/1516638784/l50 「エーテルの指輪……!?」
>「……本当に残念です。この世界の指環の勇者たちが――この程度とはッ!」
>「我が勇猛なる英雄たちよ、魂すら残らぬ虚無より我の下に集え!『リターン』!!」
>「偉大な英雄たちよ、紛い物の勇者たちを魂ごと滅ぼしてしまいなさい!」
かつて全の竜が全ての属性を統べていたという時代に虚無の竜に挑んだ英雄達。
その影が現れ、新世界の勇者を打ち倒すべく歩んでくる。人数は――奇しくも8人。
実は属性は8つあるのではないかという憶測と奇妙に符合してしまっていた。
『……手伝ってくれとは言いません――ただ手出しをしないでいてくれれば』
テッラが、かつて旧世界の英雄達と共に戦ったのかもしれない守護聖獣達を気遣う言葉を掛けた。
「――バインディング」
ティターニアが使ったのは、魔力の植物を絡みつかせ身動きできなくする魔法。
すると旧世界の英雄のうちの一人が巨大なバトルアクスを一閃し、絡みつこうとする魔力をバラバラに断ち切る。
そのままの勢いでバトルアクスが地面に叩きつけられたかと思うと、一瞬にして轟音と共に床に地割れが走る。
どうやらこの英雄は大地の属性を操る者らしい。
ティターニアが地面の裂け目に飲み込まれようとした時だった。
地面に出来た裂け目を跳躍して横切る巨体――フェンリルが間一髪で前足でティターニアを掬い上げたのだった。
フェンリルの肩の上に乗せられ礼を言うティターニア。
「フェンリル殿……助かった」
『勘違いするな、貴様のためではない――だがテッラが貴様を選んだからには仕方がないだろう』
『フェンリル……』
『テッラ、貴様も貴様だ。手出しをするなとはどういうことだ。我では足手まといということか?』
何故かテッラとフェンリルが少しいい雰囲気になっている。
地底都市にて、フェンリルがテッラとずっと一緒にいたくて大地の指輪を一行を渡すのを拒んでいたことが思い出された。
「我、もしかしなくてもお邪魔虫……? 後はお二人に任せた方がよいだろうか」
基本的に魔法使いは知性を磨いた方が様々な魔法を使えるようになるが、
異なる二つの存在間で魔力を伝達するにあたって、知性は妨げになってしまう。
これが、自分以外の人格らしきものを持つ存在から力を借りる系統の魔法を使うにあたって、魔法使いがぶちあたるジレンマだ。
そこでこのジレンマを克服するため、魔術師達は敢えて何も考えない状態を作り出す訓練も積む。
ティターニアはこの技術を用い、テッラと同化することとした。 「テッラ殿、暫しそなたの依り代となろう。フェンリル殿と好きなだけ暴れるがよい。
竜装――アースドラゴン」
ティターニアはフェンリルの肩から飛び降りたかと思うと空中で指輪から放たれた黄金色の光に包まれ、巨大な竜と化した。
普段の竜装は指輪の竜の力のほんの一部を借り受け同化するものだが、これはその全部版。
テッラが地底都市にて見せた大地の竜の姿そのものだ。
『フェンリル! 来ますよ!』
『言われずとも分かっている!』
邪魔に入ったフェンリルを切り伏せんと突進してくる大地の英雄。
暫しバトルアクスとフェンリルの爪での激しい立ち回りが行われる。
その立ち回りは唐突に終わりを迎えた。不意に英雄の動きが止まる。
大地から生えた、石とも植物の根ともつかぬものがバトルアクスに絡みついている。
今度は先刻とは違い、簡単に切り飛ばすことは叶わない。
『テッラ!』
フェンリルが飛び退ると同時。
翼をはためかせて上空に滞空するテッラが吐き出した地属性のブレスが、大地の英雄に直撃。
跡形もなく消し飛んだように見えた。
『まぁ……貴様にしては上出来なんじゃないか?』
『デレてる場合じゃないでしょう、皆さんを加勢に行きますよ!』
意識の片隅でテッラは思う。
他の英雄達も、自らが操る属性と同じ属性の指輪を持つ者に狙いを定めているのだろうか。
まだ指輪が手に入っていないエーテル属性の英雄は……ジュリアンかアルダガかシャルムあたりを狙っているのかもしれない。
歴代のエーテルの勇者達には意外なある共通点が見られ、それは異種族が珍しくない指輪の勇者の中にあって、決まって純人種であることだ。
それも、純人種の中にごくたまに生まれる規格外の人間であると思われ――
つまり、現在の一行の中でエーテルの指輪を扱う素質があるのはその3人であることが推察されるのだ。 ディクショナルさんとジャンソンさんが敵陣へと突撃し、虚無の兵士達を薙ぎ倒す。
正直、あの二人だけでも問題なく彼らを全滅させられそうです。
……こうなる事は、女王パンドラにも分かっていたはず。
こちらの世界の指環の勇者……虚無の指環を持っていたアルバートさんが敗れた時点で、
いくら精鋭とは言えただの兵士が私達に勝てる訳がない。
なのに何故……。
>「10秒経ったら退避してください!範囲法術で焼き払います!」
>「逃げるのはてめえらじゃねえぞ!『フラッシュフラッド』!」
バフナグリーさんが神術の詠唱を始め、合わせるようにジャンソンさんが敵の拘束を図る。
ディクショナルさんは巻き添えにならないよう、一足先に後方へ飛び退いてきて……
「……お怪我は、なさそうですね」
なんだか無性に彼の事が気になって、私はそちらに歩み寄る。
それからディクショナルさんの右肩に左手を乗せて、背伸びをして、彼を見上げ……
「ですが……あれだけ派手に動いたから、ほら、髪が乱れてますよ。
この長さなら、髪留めを使ってもいいんじゃないですか?」
右手の人差し指で、彼の前髪を、すいと撫でる。
「男の人でも、落ち着いたデザインの物なら変じゃありませんし。
ほら、私の使ってるこれとか……あなたにもきっと似合いますよ。
これくらいの小物でしたら、魔法ですぐに作れますし……」
私は右手に軽銀の細いカチューシャを作り出して……
……や、やっぱり何かが変です、私。
私がディクショナルさんに、贈り物を?
しかもお揃いの髪留めだなんて。
い、一体何を考えて私はこんな事を……いえ、いえ、落ち着きましょう。
「あー……デザインは気にしないで下さい。
ただいつも身につけてるからイメージしやすかっただけです。
それに、私なら装飾品にエンチャントを施す事も出来ますし……」
そう、そうですよ。その鎧に高機動戦用の術式が付与されているように、
エンチャントが施された装備品の有用性は明らかです。
私はあくまで合理的な判断の下に提案をしているだけで……
「まぁ……もし私と一緒のデザインが嫌だと仰るなら、別に作り直してもいいですけど」
……な、なんで私は自分から話をややこしい方向に戻したんでしょう。
自分で自分が分からない……。
「……『フォーカス・マイディア』の反動がまだ残っている?そんなまさか……」
と、不意に玉座の方から大きな音がしました。
ジャンソンさんの指環による攻撃に加え、バフナグリーさんの神術。
完全に勝負は決したものだと思っていましたが……
>「……本当に残念です。この世界の指環の勇者たちが――この程度とはッ!」
「我が勇猛なる英雄たちよ、魂すら残らぬ虚無より我の下に集え!『リターン』!!」
「偉大な英雄たちよ、紛い物の勇者たちを魂ごと滅ぼしてしまいなさい!」
……まだ食い下がるつもりですか。
過去の勇者の召喚……降霊術の類でしょうか。
魔法?それとも神術?その技法には興味深いものがありますが…… 「……もうやめませんか。あなた達に勝ち目があるとは思えない。
私達は原住民の虐殺がしたい訳ではありません。
それに、あなた達にも分かっているはずです。この世界を救う術……」
私が言い終えるよりも早く、斧を構えた大男が突撃してくる。
狙いはティターニアさん……ですが、指環の力とフェンリルの援護を得た彼女に勝てる訳もなく。
かつての英雄は大地の竜のブレスを受けて……消えてしまいました。
……当然の結果です。
こちらにはかつて彼らの世界を統べていた、竜の力を宿す指環がある。
彼らに勝ち目があるとすれば……虚無の指環。
属性を奪う指環という、指環の勇者に対する圧倒的な相性の良さ。
そこだけが彼らの唯一の勝ち目だった。
そんな事は彼らだって分かっているはずなのに……。
残る七人の英雄……その一人が、深く項垂れ首を振りながら、溜息を吐いた。
「まったく、粗忽者め……気が乗らぬにしても、もう少しやり方というものを考えんか」
瞬間、彼らが動いた。
私達の懐に飛び込むようにして……剣と剣がぶつかり合う音が幾つも響く。
「こうなれば、竜の力を無闇に振り回す事は出来まいよ」
他の英雄に遅れてゆっくりと、私を見つめながら歩み寄ってくるのは……嗄れた声の老人。
白髪にモノクル、顔の下半分を覆う豊かな白ひげ。
黒いローブに、つばの広い三角帽子……これまた、分かりやすい相手ですね。
「お主……この世界の魔術師を超えている、とか言われておったのう。
それはつまり、この儂をも超えておるという事じゃろ?
にわかには信じられぬのう……一つ、確かめさせてくれぬか」
「……こんなの、無意味です。無意味な戦いだ。
もしかしたら私達の内、何人かが敗れ……だけど最後には、竜の力によってあなた達が負ける。
それだけの戦いでしかない。一体、どうしてこんな事を」
「それはどうかの。全てはやり方次第じゃ。例えば……」
不意に、私の周囲に幾つもの魔法陣が現れる。
そこから生じるのは無数の槍。
それらがまるで私を包囲するかのように檻を形成する。
ただの檻じゃない。これは大地の属性は地面や植物だけでなく、金属も象徴している。
それはつまり金属から生み出される物をも象徴するという事。
例えば檻や金庫、鎖に錠前。つまり……封印術ですね。
「お主を生かしたまま人質にするという手はどうかのう」
「……自分で言うのもなんですけど、効果的かもしれませんね」
……ですが、湧き水や川がそうであるように。
大地とは水を生み、呼び寄せる属性でもある。
そして水は金属を腐食させ……また植物を育む。
強固な槍によって構築された檻は錆びて崩れ落ち、代わりに草花へと変化する。
「友を呼べ、小さき踊り子。証明せよ、その姿。
その振る舞い。その暴威。来たれ見えざる盟友……『花びらの刃(サベッジブルーム)』」
そして植物はその揺らぎをもって、姿なき風の振る舞いに形を与える。
それはつまり、より確かなものにする……強化するという事。
花びらを纏い渦巻く風の刃が、老魔術師へと襲いかかる。
「……ねえねえイグニス様。本当に僕の事覚えてないの?」
わたくしに斬りかかってきた少年は、鍔迫り合いの最中、そう尋ねましたの。
わたくしの手元の指環に向けて。
「あなたが僕に、一つの国を任せてくれた時の事。僕は今でも覚えてるのに」
剣と、女王の毒針。この距離で刃を交えていながらも、彼の目はわたくしを見ていない。
炎の指環だけを見つめていて……なのに、強い。
剣を払い除けようと力を込めても、押し返せない。
確かにわたくしちっちゃいですけど、この身にはムカデの王を宿していますの。
そのわたくしが……完全に、力負けしているなんて……。
『……すまないが君の知るイグニスと、今ここにいる妾は別の存在だ』
イグニス様は静かにそう答えましたの。
『だが……そうか。君は妾が選んだ王だったんだな。
かつての妾も、今の妾と同じように、王を選んでいたのか』
ならば、と彼女は続ける。
『分かるね、フィリア』
「……ええ。あなたは、この戦いに力は貸さない」
『ああ、そうだ。君が君じゃなくてジャンだったなら、敵が彼じゃなかったなら、
私は構わず力を貸していただろう。だが彼はかつての王で……君は虫のおうじょさまだ。
ならば君は、君の力でこの戦いを乗り越えなくてはならない』
「……ふうん」
瞬間、少年の腕に一層の力が籠もる。
「だったら、ねえ、イグニス様。僕がこの子をやっつけたら、今度は僕の指環になってくれる?」
『……考えておいてあげよう』
「やった。変わってませんね、イグニス様。あなたは四竜の中でも特に超然としていた。
嬉しいです、あなたはやっぱり……今でも、僕の憧れたイグニス様なんですね」
お……押し切られますの!
わたくしは咄嗟に後ろに飛び退いて、体勢を立て直す。
力比べでは不利……ならば女王蜂の速さで撹乱すれば!
わたくしは稲妻のごとく飛びかかり、五月雨のように毒針を振り回す。
だけど……当たらない。
斬撃は全て防がれて、掠りもしない。
「……もしかして、これで本気なの?」
ようやくわたくしを捉えたその双眸には、蒼い炎が宿っていた。
……わたくしも炎の指環を手に入れてから結構な時間が経ってますの。
だから分かる。
炎とは活力の象徴。あの恐ろしい膂力と眼力は炎の属性によって得られたもの。 「残念だなあ……昔より、見る目は曇ったんじゃないですか?イグニス様」
少年の放った、ただ一回きりの、横薙ぎの斬撃。
その一撃が、私が右手の構えた女王蜂の毒針を、砂糖菓子のように叩き折った。
……強い。
力も、速さも、彼の方が上回っている。
だけど……だからって、諦める訳にはいきませんの!
まだ、手は残っている!
「っ、このぉ!」
一歩深く踏み込んで、折られた毒針で突きを放つ。
これがわたくしに残された唯一の手……意表を突く事。
「……浅はかだね」
そして……少年が剣を振り上げて、わたくしの右腕、その肘から先が宙を舞った。
彼は重力に捕まって落ちてきた私の右手を掴んで……炎の指環を見つめる。
「約束したよね、イグニス様。これで、僕の指環に……僕だけのイグニス様になってくれるんだよね」
『……ああ、確かに約束した』
イグニス様は平然とした口調でそう答える。
『しかし……残念ながら、やっつけられるのは君の方のようだ。君の指環にはなってあげられないな』
直後……彼の掴んだわたくしの腕が、無数のムカデへと変化した。
ムカデ達は彼の体を縛り上げる。
関節を制し、牙と足を肉に食い込ませ……
「なっ……」
次の瞬間には、わたくしは左腕に再形成した毒針を、彼の首元に突きつけていましたの。
「……わたくしよりも力持ちなヒトは、世の中には大勢いますの。
わたくしより速く動けるヒトも、賢いヒトも。
わたくし……まだまだ未熟で、足りないモノばかりですの」
……だけど。
「だけど……自分で言うのもなんだけど、わたくし、ヒトを見る目だけは少し自信がありますの。
だって、指環の勇者になって……沢山の素敵なヒトと巡り会えたから。
あなたなら絶対に、炎の指環を見逃さない……見逃せないと思った」
これで……勝負は決しましたの。
そう思いたい。そう……思って欲しい。
でなければわたくしは、とどめを刺さなきゃいけない。
彼は……もう生きてはいない、幽霊のようなものに過ぎないのかもしれないけど。
それでも……嫌なものは嫌ですの。
「……ふ、ふふ。参ったなぁ。王様が底を見抜かれてちゃ、完敗だよ」
そして……彼は悔しげに、そう笑いましたの。
その声からはもう戦意は感じない。
……良かった、ですの。
「あ、でも念の為に毒針で一回刺しときますの。失礼しますの」
「……やるだけ無駄、ではないでしょうか。あなた達に勝てる道理はない」
「あら、どうしてそう思うのでしょう」
踏み込んできたのは女性の剣士。
放たれたのは神速の刺突。剣先が見えないほどの速さ。
ですが……剣先の動きは手足の動きに追従する。
見えなくても視える。狙いは私の心臓。 弧を描く足捌き。
体を回転させて刺突を躱しざま、右手に作り出した長剣を薙ぎ払う。
対手の剣士は身を屈めそれを避ける。
切り返しで繰り出されるのは、脚への切り払い。
しゃがみ込んだ、不十分な姿勢であっても全身の捻りがそれを補う。
十分に肉を切り裂き、私の骨格に届く威力がある。
私は地を蹴り、その斬撃を飛び越える。事前に全身を回転させていた事で勢いは十分。
前方へと飛びかかりつつ長剣を突き出す。
対手はしゃがみ込んだ体勢から……更に姿勢を低く。
背中を地に預けるようにして私の剣を回避。
そのまま地面を転がり距離を取って……仕切り直し、ですね。
「……あなた達の世界、あなた達の生きていた時代には、争いがなかったと聞きました。
剣術とは人を殺める為の技術。あなた達にはそれを実践する機会のなかったのでしょう?」
……対手が身に纏う、華美な洋服。
その胸元に一筋の切れ目が開いた。僅かな出血も伴っている。
最初に放った横薙ぎの一撃が、刻んでいた傷。
「ダーマの剣術は、確かにあなた達の剣術を基礎にしているのかもしれません。
ですが……青は藍より出でて藍より青し。
起源である事と、それが優れている事は、まったく別の事です」
私の言葉に……対手は、ふっと笑いました。
「……何か、おかしな事を言ったでしょうか」
「いえ……あなたにとって剣術とは、その程度のものだったのかと思うと、つい」
瞬間、対手の剣が閃いた。
……レイピアの細さ、軽さを活かした、手首の先の動きのみで放たれる斬撃。
私はそれを長剣で防ぎ、いなす。
「……分かりました。言葉だけでは伝わらないのなら、実践にて示しましょう」
そう言って私は一歩前へと踏み出し……不意に、右腕に鋭い痛みが走った。
そして生じる、無数の刃傷。傷口から闇の魔素が溢れる。
……馬鹿な。斬られた私自身すら気づけないほど、鋭い斬撃?
「私達の世界には……ドラゴン様がいました。私にとって剣とは、人殺しの術ではありません。
剣とは。そう、剣とは……人の身に生まれたこの私が、ドラゴン様に近づく為の術」
対手が一歩前に詰め寄ってくる。
引き下がる……訳にはいかない。迎え討ってみせる。
襲い来る無数の斬撃……速い。防ぎ切れない。 「あなた達の世界にはなかったでしょう?
決して勝てない存在、ドラゴン様への憧れ」
憧れ?何を馬鹿な……この鬼気迫る剣術が、憧れから生まれた?
「御冗談でしょう。あなたの剣術を育てたのは、憧れなんかじゃない。
優れた技にはその使い手の感情が宿る。これは、この剣は……嫉妬の剣だ」
「あら……ふふっ、バレちゃいましたか?」
「そりゃあ……そもそも私に目をつけてきた時点で、ね」 対手の剣が、黒く染まる。
闇の属性……負の感情の、そして無限の可能性の象徴。
それはすなわち正体不明……極まり、それ故に決して見切り得ない剣。
闇とは本来、世界に存在しなかった属性。
それはこの旧世界においても同じのはず。
その属性に……彼女は努力と研鑽のみで、辿り着いた?
「……強い」
私は……勝てない。
一歩、後ろに大きく飛び退く。
追い詰めるかのように対手が深く踏み込んでくる。
必然、放たれる剣技は……突きになる。
私は、それを……再度前に踏み込む事で、敢えて受けた。
……このままでは、勝てないから。
私が勝つ為には、この戦法しかなかった。
剣先が私の胸を貫く。
ですが……そこに私の、ナイトドレッサーの急所はない。
驚愕の色を浮かべた対手の顔を長剣の柄で思い切り殴りつけた。
対手が剣から手を離して……崩れ落ちる。
「……やっぱり、勝てませんでしたね。
実践を伴わない剣の弱さはよく知っています。
私もかつて、同じ負け方をしましたから」
剣を遠くに蹴飛ばして、ついでに……彼女の手足の腱も切っておきます。
もし起き上がってこられたら……次は、同じ勝ち方は出来ないでしょうし。
……気がつくとわたしは、見た事のない場所にいた。
ぴかぴかの地面に天井。
おっきな山から削り出したみたいに継ぎ目のない、代わりに綺麗な彫刻の掘られた建物。
トレジャーハンターだった時のわたしなら、大はしゃぎしてたのかなぁ。
「それとも……もしかして、ここがアガルタってとこなの?」
ねえ、ワンちゃん……ワンちゃん?
ちょっと、無視しないでよワンちゃん。
……分かったよ、もう。
ねえフェンリル。ここが、あなたとテッラさんが守っていたアガルタなの? ……返事はない。
あれ?どういう事?
周りにはわたしと戦ってた女の人もいないし、ジャンさんも、ティターニアさんも……。
……この街を歩き回ってみるしかないのかなぁ。
わたしはふらふらと……ええと、とりあえずアガルタって事にしとこう!
わたしはふらふらとアガルタを歩き回る。
ううん、やっぱり誰もいない……。
……だけど、なんだろう。
なんだか……どこに行けばいいのかは、分かる気がする。
そうして歩いていくと……私は、多分、このアガルタの真ん中に辿り着いた。
そこには瓦礫の山があった。これは……
「……神殿?」
『違う。ここに祀られていたのは神ではない。竜だ。
あの小鼠の寝所にするには、過ぎたるものよ』
頭上から聞こえた声。
見上げてみると……いつの間にか、そこにはワンちゃんがいた。
「あ、ワンちゃん。もう、どこ行ってたのさ。
……もしかして、テッラさんとイチャイチャしてたとか?」
『先ほどお前達を助けた我と、ここにいる我は、別の存在だ。
ここにいるのは我の血と力より生じた……そうだな。怨霊、と言うのが最も的確か』
「怨霊?」
『そうだ。テッラは我が友だ。我は、どんな形でもいい。奴と共に在りたかった。
その思念が力と共に貴様の肉体に宿り……ここにいる、我が生じた』
「……あなたは、それでいいの?」
『聞かねば分からぬか。我は貴様の力となり、貴様は、テッラが選んだあのエルフの助けとなった。
そしてここまで来た。これより先も同じだ。
貴様らは、無事にこの旅を終えるだろう。それ以上何が必要だと言うのだ』
「……それを直接言ってあげれば、テッラさんもきっとあなたの事を見直すのにね」
『余計なお世話だ』
……だけど、あれ?
「それで……結局わたしはなんでこんなとこにいるの?」
『……覚えていないのか?』
あはは、お恥ずかしながら。
『いや……あれだけ嬲られればそれもやむなしか』
え?ちょ、ちょっと待って。今なんだかすっごく不穏な言葉が聞こえてきたような。 嬲られたって、私が?
詳しく説明してよ、ワンちゃ……
『あなたは、あなたを呼び戻す為にここに来たんです』
背後から声がした。
振り返ると、そこにはメアリさんがいた。
『光の属性が持つ、過去と未来を照らす力。
それを使って、あなたはここに来た。
自らを埋もれさせてしまった、かつてのあなたを呼び戻す為に』
「……前の、わたしを?え?え?どういう事?」 メアリさんは、わたしの質問に答えてくれない。
ただ静かに、崩れた竜殿を指差した。
『進んで下さい。時間がありません。
あなたでは、勝てなかった。スキルが必要です。
それがなければ……あなたは、戦う事すら出来ない』
……確かに、これ以上色々聞くより、自分で確かめた方が手っ取り早そう。
わたしは崩れた竜殿に歩み寄る。
瓦礫の山は、よく見てみるとぼんやりと透けるような、そんな破片が混じっていた。
これは……あ、手がすり抜ける。ここを通っていけばいいのかな。
透けた瓦礫や、瓦礫と瓦礫の隙間を通っていきながら、わたしは考える。
えっと、つまり……多分ここは、わたしの心とか?精神とか?そんな感じの世界の中で。
メアリさんが通れるようにしてくれたこの瓦礫の先には……前のわたしがいる。
それはつまり……わたしは、そうしないと勝てない相手と戦ってたって事だよね。
もし、前のわたしが戻ってきたら、このわたしはどうなっちゃうんだろう。
消えちゃうのかな。それは……少し、やだな。
……ううん、ホントは……すごく、いやだ。
怖い……心臓の鼓動がどんどん激しくなっていってる。
息も、苦しく……。
本当に、わたしじゃ勝てなかったのかな。
もしかしたら、頑張ればまだなんとかなったりとか……。
前のわたしだって、急に起こされたって困るかもしれないし……。
いつの間にか、わたしの足は止まっていた。
今まで進んできた道を、振り返る。
…………いや、やめよう。
わたしは、ジャンさんが好きだ。ティターニアさんも、スレイブさんも、みんなが好き。
わたしが、前のわたしになって……それでわたしが勝てるなら。
わたしが殺されずに済んで、みんなが悲しい思いをせずに済むなら。
……それはそれで、悪くないよね。ねえ、フェンリル?
そして……崩れた竜殿の、多分、一番奥。
大きな蔦に支えられて、綺麗なお花が沢山咲いた、開けた空間。
そこに……私がいた。わたしと同じ顔。だけどわたしより髪が長くて……大人びて見える。
わたしは、私に歩み寄って、その傍にしゃがむ。
「……ねえ、起きて」
眠っている私の肩を揺する。
小さな身じろぎをして……私は、目を覚ました。
「……私?」
わたしと目が合うと、私は不思議そうに呟いた。
「ああ……そっか。私の……レンジャーのスキルが、必要なんだね」
だけど私はすぐに何かを理解したみたいに、そう言った。
「分かるの?」
「分かるよ。あなたと私は、同じ肉体の中にある、別の記憶なんだもん。
一つのカップの中にある、コーヒーと、ミルクみたいなもの。
こうして私が目を覚ましてしまえば……勝手に、私達は混じっていく」 ……本当だ。わたしの中に、私の記憶が……染み込んでくる。
トレジャーハンターの、レンジャーとしてのスキルの数々が。
……ふと、地鳴りのような音が聞こえた気がした。
いや……違う。勘違いじゃない。
この竜殿が、揺れているんだ。
「え?え?なに?どうなってるの?」
「フェンリルの持つ大地の力は、私にも扱える。
ここを、もう一度埋めるの。今度は掘り返せないくらい深く。
もう、私のスキルの使い方は分かったよね。だから、早く戻りなよ」
「戻りなよって……あなたは」
「……私は、ここでいいの。私は……ジャンさんとティターニアさんを殺そうとした。
それでも許してくれた二人を裏切って、ここに一人閉じ籠もった。今更合わせる顔がないよ」
「……でも」
「それに、あなただって……あなたのままで、いたいでしょ?」
……その言葉は、わたしの心に深く突き刺さった。
「わたしの事はいいから……ほら、早く行って、ね?」
私は……戻りたくないって言ってる。
わたしは……消えたくない。わたしのままでいたい。
わたしも、私も、お互いに望んでいる事は同じ。
わたしは、意を決して立ち上がった。
……寝転んだまま、立ち上がろうとしなかった私を、両手で抱きかかえて。
「え?……ちょ、ちょっと?」
「知ってるよ。そういうの。ヒュミントって言うんでしょ」
そうだよ。わたしは、消えたくない。わたしのままでいたい。
だからと言って……ここに、私を置いていきたい訳じゃない。
だって、わたしが消えちゃうかどうかより、もっと大事な事があるんだから。
もし私がジャンさんだったら、ここで一人で帰ったりしない。
ティターニアさんも、スレイブさんも、きっと、みんなそう。
だからわたしも……一人で帰っちゃ駄目なんだ!
わたしは、私を抱えたまま、崩れゆく瓦礫の中を走る。
「駄目……駄目だよ!私は……もう、壊れているの!
罪の重さに耐えられなくて、壊れた人格……。
それがあなたと一つになれば、あなたもどうなってしまうか分からない!」
私の言っている事は、今度は本当。
私は本当にわたしの事を心配して、言ってくれてる。
だけど、
「大丈夫だよ。わたしは……ずっと、ジャンさん達を見てきたから。
あの人達が、正しい事をしようとするところを。。
勇気がどういうものなのか……ずっと、見てきたから」 竜殿の外に飛び出すと……アガルタは、光の中に溶けて消えようとしていた。
ここは、光の指環の力……万象を照らし見通す力によって創り出された、仮初めの、精神の世界。
その世界が消える。
それはつまり……わたしが、私が、あの戦場に戻るという事。
消えてしまうかもしれない。壊れてしまうかもしれない。
だけど……うん、我慢出来ない怖さじゃない。
だって私は……指環の、勇者だから。
……ラテ・ハムステルが祈るような所作で額に当てた、光の指環。
その指環が絶えず発していた光が、途絶えた。
だが……何かが起きたような形跡は見えない。
それどころかラテ・ハムステルは……膝を突いたまま、呆けていた。
目の焦点はどこにも合わず、口はぽかんと半開きになっている。
隙だらけの姿。花を手折るように、いかなる手段をもってしても容易く仕留められる。
何をしようとしていたにせよ……彼女は、失敗したのだ。
……そう見えるように、私は演じた。
レンジャーのスキル『ヒュミント』。
私の首を刈ろうと歩み寄ってきた、散兵風の女の人。
鋭く振るわれた短剣。
私は魔狼の瞬発力でその刃の内側へと飛び込んで……掌底を、放った。
手応えは……あった。だけど……浅い。
首の捻りで威力をいなされた。
「ひゅう、あっぶない。どしたの、急に人が変わったみたいにテクい事しちゃって」
旧世界の英雄さんは……一瞬よろめいたけど、すぐに体勢を立て直す。
でも退こうとはしない。微かな笑みを帯びた目が私を見下す。
見抜かれたんだ。私が、レンジャーとしてはそこそこ出来る程度の奴でしかないって事が。
たった一撃で。
短剣が踊るように襲いかかってくる。
光の属性によって生み出される、無数の『ファントム』と共に。
光の指環、メアリさんが幻影を相殺してくれて……つまりこの戦いは、私と彼女の純粋な技比べ。
その結果は……私の手足に、赤い線として刻まれていく。
「勘違いしないでね。別に私は相手を甚振る趣味とかないのよ?
たださっきの『ヒュミント』は、アレだけは……本当に人が変わったみたいに見事だったからさ。
まだ何か隠し持ってるんじゃないかと思ったんだけど……」
英雄さんの、目の色が変わる。
私を観察する冷静な視線が、私の殺し方を見定める冷徹な眼光に。
「何もないみたいね。じゃあ……悪いけど、終わらせてもらうね」
……強い。
わたしが勝てなかった相手。私に託してくれた相手。
だけど……駄目みたい。私も、彼女には勝てない。
短剣が閃きと化して、私の首元へと迫ってくる。 「はい、おしまい……」
その瞬間。
わたしは、渾身の力で前に踏み込んで、思いっきりパンチを繰り出した。
間合いが埋まった事で英雄さんの狙いがズレる。短剣はわたしの頬を浅く切る。
一方でわたしのパンチは……英雄さんのほっぺを、今度こそ完璧に捉えていた。
ぶっ飛んでいった英雄さんは……ぐったりと倒れて、動かない。
はー……強かった。わたしでも、私でも勝てなかったけど……。
だけど、ふふん……わたし達の勝ちだよ、英雄さん。
とりあえず……念の為、鎖で縛り上げといて、と。
みんなは、どうしてるんだろう。
多分みんな勝ってるだろうし……わたし達が一番最後、だよね。
……ジャンさんとティターニアさんに、なんて説明すればいいのかな。私達の事。
お別れの仕方があんなだったし、気不味いなぁ。
そんな事を考えながら振り返った私の目に映ったのは……
……白衣のあちこちが焼け焦げて、破れて、切り裂かれた……シャルムさんの姿だった。
『サベッジブルーム』が老魔術師へと襲いかかる。
彼は防御魔法を展開しようとはしない。
代わりに使用された魔法は……『灼熱の槍(バーニングスピア)』。
……風は炎を煽り、その火勢を激化させる。
属性変換による魔法の流用。私がした事をそっくりそのままやり返そうって腹ですか。
ふん、お年寄りのくせに負けず嫌いな……。
放たれた灼熱の槍を、『ストーンウォール』にて防御。
そして炎は大地から金属を呼び出し、変化させる。
属性変換……生み出すのは、膝丈ほどの人型ゴーレム。
十を超えるゴーレムの群れが老魔術師へと襲いかかり……炎の魔法によって爆破される。
「……おや、返してこないんですか。先ほどの自信はどうされました」
「ほほ、そう焦るでない。こんな手ぬるいやり取りでは、なかなか実力の差が見えてこぬじゃろ」
「ははあ、それは失敬。では……お手並み拝見させて頂きましょうか。いつでもどうぞ」
老魔術師は私に右手を、その人差し指の先を突きつけると……魔法が迸る。
「手出しは無用ですよ、クロウリー卿。魔術師として勝負を挑まれたのです。
応じなければ主席魔術師の名が泣きます」
再び魔法の応酬が始まる。する事は何も変わらない。
相手の魔法を流用し、時に防ぎ、打ち消しつつ、撃ち返す。
ただ……炎、水、大地、風、光に闇。
飛び交う魔法の数と属性が、一つ、また一つと増えていくだけで。
……ふむ、確かに言うだけの事はある。
魔法の構築、再構築の速度は……まぁ、今の所は互角かもしれませんね。
無論、長く続ければ形勢は私の有利に傾くでしょうが……。
こんな無為な戦いを、長々と続ける気はありません。
私は『ナイト・ブリーチャー』と『ドーン・ブレイカー』を抜く。
放たれた二発の銃弾は……老魔術師の防衛網を潜り抜けて、彼の纏うプロテクションに亀裂を走らせた。
そう、私の開発した魔導拳銃。
これらは魔導適性の低い人間の魔術的育成が主たる目的。
ですが……一方で、熟練した魔術師同士の戦いにおいても非常に有用なのですよ。
私達魔術師は、基本的に意識一つで魔法が使えます。
その意識の集中を促す為に指の仕草や、杖を用いる事はありますが。
ともあれ、裏を返せば、一人の魔術師が同時に使用出来る魔法の数には限度がある。
集中力……意識の限界が、魔法の行使の限界。
でも私の魔導拳銃を撃つのに、集中力はいらない。
こちらは何も考えず、ただ魔力を流すだけでいい。
しかし相手は防御に意識を割かざるを得なくなる。
だから……ほら、私の手数が上回り始めた。
老魔術師を守るプロテクションに次々に亀裂が増えていく。
防壁の修復速度を、『賢者の弾丸』の破壊力が上回っている。
「むう……魔道具か。些か、無粋ではないかのう」
老魔術師が顔を顰める。いい表情ですね。
思わず、笑ってしまいそうなほどに。 「いいえ。これは私の発明品です。オリジナルの魔法を使うのとなんら変わりませんよ」
悪びれもなく私は答える。
「……ふむ、なるほど」
老魔術師は小さくそう呟いて……一瞬、寒気を感じるような眼光が、私を睨んだ。
「では……儂も、儂のオリジナルをお披露目させて頂こう」
老魔術師の右手が、彼の懐へ潜る。
取り出されたのは……一本の杖を取り出した。
「お主のそれと同じく、魔法とはちと違うがの」
そして彼はその先端を空中に、手遊びのように走らせる。
杖に通った魔力が宙に魔法陣を描き……プロテクションを、再展開させる。
それでいて魔法の応酬には、何ら遜色はないままで……。
つまり、彼は……まったく手元に意識を割かないまま、魔法陣を描いてみせた?
まさか……そんな事、不可能です。
不可能としか思えない……だけど、彼は確かにそれを為してみせた。
「どうじゃ。お主の魔道具も相当な逸品じゃが……儂の杖捌きも、なかなかどうして、悪くなかろう」
悪くないですって?
わざとらしい謙遜を……。
この私と魔術戦を繰り広げながら、全くの無心で、寸分の乱れもなく魔法陣を描く。
そんな芸当が……どれほどの訓練を積めば出来るようになるというのか。
……ですが、こちらの魔導拳銃は二丁。
まだ、手数では私が上回って……
「おや、お主……まだ余裕がありそうじゃの。では……これならどうか」
老魔術師が、左手にも、杖を持った。
「……馬鹿な。そんな事、出来る訳が」
「ほほ、やっと愉快な顔になったのう」
二本の杖が同時に、別々の魔法陣を描いていく。
手数が追いつかれた。いや……焦るな。
確かにあの技術には驚きましたが、別に私が上回られた訳じゃない。
ただ互角の勝負に戻っただけの事。
時間さえかければ、勝つのは私に決まって……
「楽しいのう。磨いた技を見せびらかすのは、幾つになっても」
……そう笑った老魔術師の両手に、指の間に挟むように、三本目、四本目の杖が加えられた。
二対四本の杖の先端が、まるで独立した生き物のように、魔法陣を構築する。
……手数が、上回られる。
魔導拳銃を介して展開したプロテクションが破壊されていく。
再展開が追いつかない。
渦巻く炎が、水の刃が、鉄鎚の如き風圧が、木枝の槍が、この身へと届いてくる。 「シアンス!」
「手出しは無用と言ったはずです!」
背後で叫ぶクロウリー卿を、その声に負けないくらいの怒鳴り声で制する。
……認めましょう。確かに私は、手数では彼には勝てないようです。
ですが、それなら別の方向性で勝てばいい。
私になら、それが出来る。
……旧世界の英雄。いけ好かない、老魔術師。
彼が見せた杖捌き。その技術は、悔しいけど……美しい。
芸術的です。私には再現し得ない芸術性が、そこにはある。
だけど、だけどそれでも、私の方がすごいんです。
そうでなくてはいけないんだ。
私が一番すごいんだって、そう言ってくれた人がいたから。
……ディクショナルさん。
初めて出会ってから、つい昨日までは、あなたの事なんていけ好かない人くらいにしか思っていなかったのに。
だけど今では、あなたのくれた言葉を思い出すと……とても、健やかな気持ちになれるんです。
防ぎ切れなかった魔法に刻まれた、打撲や切創の痛みも、気にならなくなって。
「……『フォーカス・マイディア』」
そして私は、自らの魔術適性を強化。
……瞬間、私の周囲に幾つもの魔法陣が現れる。
「……残念じゃ。残念極まる。正直なところ……お主は確かに、この世界の魔術師を超えていった」
これは、炎の属性……活性化の魔法?
「お主のその魔道具も、編み出した魔法も、儂には到底思いつかぬ代物。
儂がお主よりも勝っておったのは精々、手先の器用さくらいのものよ」
体が……熱い。息が……苦しい。
……そうか。この魔法陣は……私の体を、頭脳の働きを、活性化させているんだ。
『フォーカス・マイディア』の反動が、すぐさま症状として現れるように。
見られていたんだ。アルバートさんとの戦いが。
初めから私に……これを、使わせるつもりで………………。
「……頭が煮えたか。最早、魔法は使えまい……じゃが、それでもまだ生きておる。
のう、そこの魔術師殿。降参してくれぬか。その娘を庇いながらでは、儂には勝てぬよ。
時が経てば、その娘。命すらも危うくなるぞ」
「ふざけるな……!貴様をすぐに滅して、治癒を施せば……」
不意に、大きな音が響いた。
老魔術師のすぐ傍の地面が抉れている。
……それは、上空に形成された『ドラゴンサイト』から放たれた弾丸による現象。
「……その必要はありませんよ、クロウリー卿」
私が声を発すると、老魔術師の表情が驚愕の色に染まった。
ふふふ、驚いてくれたようでなによりです。
「……馬鹿な。何故、無事なのだ」
「失敗作の魔法を二度発動するほど、恥知らずな魔術師ではありませんのでね」 そう、既に改良済みなんですよ。
増強された魔術適性によって自分の体を過冷却する。
伝染病の対症療法と同じです。
なんらかの原因によって体温が上がるなら、その上昇量を上回る冷却を施せば、とりあえず致命的な現象は避けられる。
並行して治癒の魔法を使い続ければ……反動が看過出来ない症状として顕在化する事を遅らせられる。
つまり……魔術的リソースの一部を使用する代わりに、安全に使用可能な制限時間を設けた訳です。
「さて。とは言えあまり時間がありませんのでね。さっさと封印をさせてもらいますよ」 形成している『ドラゴンサイト』は一体のみ。
ですがそれでも、あまり長くは維持出来そうにありません。
まぁ無理をしている事に変わりはありませんからね。
「殺さなくてもよいのかね」
「あの女王様が素直にお喋りしてくれるとは限りませんからね。
それにあなたは旧世界の優れた魔術師です。
帝国に連れ帰れば皇帝陛下も喜ばれるでしょう」
「……そりゃお主ならそれくらい可能かもしれんが。
新世界の魔術師にはモラルというものがないのか……?」
「冗談ですよ。本気にしないで下さい」
老魔術師の体を構築する魔力に、楔を打ち込むように封印を施す。
『フォーカス・マイディア』を解除して……少し、目眩がしますが、これくらいの反動は許容範囲です。
「……これでよし、と」
封印術が完了して、さてお次は……
「それでは、お手数ですが……あなたから女王様に、戦いをやめるよう改めて進言して下さい。
全の属性を司る英雄である、あなたが敗れたんです。もうあなた達に勝ち目はないでしょう」
老魔術師は……答えない。
「……私は、私達は別に、この世界を滅ぼしたり、あなた達に報復がしたい訳ではありません。
むしろ……何故、あの女王がこの世界を救おうとしていないのか。私にはそれが分からない」
やはり返事はない……妙ですね。
この期に及んで、無駄な抵抗をするような方ではないはずですが。
「……残念じゃが、儂はそんな大層な肩書は持っておらぬよ。
全の属性の英雄は、儂ではない」
……なんですって?
じゃあ、一体誰がその相手を……。
【なんでこんな無謀なチャレンジしたんだろうって気持ちでいっぱいです】 アルダガの指示に従い、スレイブが跳躍術式でその場を離れると同時。
不死者たちも攻撃の予兆を察知したのか潮の如く戦闘領域から退かんとする。
>「逃げるのはてめえらじゃねえぞ!『フラッシュフラッド』!」
退却の動きを阻んだのは、ジャンの行使した激流の術式だった。
四方から戦場の内側へ向けて召喚された鉄砲水が、不死者たちを呑み込んでパンドラの座す玉座へと押し流す。
そこへ、詠唱完了したアルダガの法術が光の豪雨となって降り注いだ。
バックステップしたスレイブは破壊の雨を視界に収めながらシャルムのすぐ傍へと着地。
退避の場所に彼女の傍を選んだ理由は特にない。完全になんとなくであった。
シャルムは自身の呪縛を克服し、その身に魔法を取り戻した。
スレイブが傍で護らずとも、もはや不死者が彼女を害することは不可能だろう。
しかし……アルバートとの死闘を制したあと、シャルムが掴んだスレイブの袖。
まるで未だに袖を引かれ続けているかのように、スレイブは彼女の元へ戻ってきてしまった。
彼女はただの癖だと言っていたが、スレイブにはその行動が、僅かに残ったシャルムの不安の発露のように見えた。
指環の勇者たちのようにお仕着せの大義など持たず、ただ己の信念のみを指針として世界の存亡に立ち向かうシャルム。
仮借なく吹き付ける向かい風から彼女をこの世界に繋ぎ止める、楔くらいにはなれるはずだ。
>「……お怪我は、なさそうですね」
どうにも気恥ずかしさが勝ってシャルムの方を見ようとしないスレイブに、シャルムが歩み寄って来る。
彼女はスレイブの肩に手をかけて、身長の差を埋めるように背を伸ばし――
>「ですが……あれだけ派手に動いたから、ほら、髪が乱れてますよ。
この長さなら、髪留めを使ってもいいんじゃないですか?」
――指先でスレイブの前髪を払った。
(な……っ!?急に何をし出すんだこの女!?この状況でやることか!?)
アルダガの法術で不死者の軍勢の大部分を滅したとはいえ、戦闘中であることに変わりはない。
女王パンドラの能力はまだまだ未知数で、予断も油断も許されない状況のはずだ。
あまりに不用意な行動は余裕の現れか、はたまた敵の動きを誘って後の先でも取ろうとしているのか。
なるほど、迎撃用に魔法を行使するだけのリソースを残しつつ、『隙』を演出するには合理的な手段かも知れない。
>「男の人でも、落ち着いたデザインの物なら変じゃありませんし。ほら、私の使ってるこれとか……あなたにもきっと似合いますよ。
これくらいの小物でしたら、魔法ですぐに作れますし……」
(魔法を使っただと……!?)
前言撤回、シャルムは普通に魔法を使って何やら手元に小物を創り出した。
敵を目前にして攻撃用でも防御用でもない魔法にリソースを費やし始めた主席魔術師は、軽銀製の髪留めをスレイブに手渡す。
洗練された意匠を施したカチューシャは、シャルムの長髪を纏めているのと同じものだ。
スレイブがカチューシャとシャルムの髪留めを無言で二度見していると、シャルムの挙動が唐突に不審になった。
>「あー……デザインは気にしないで下さい。ただいつも身につけてるからイメージしやすかっただけです。
それに、私なら装飾品にエンチャントを施す事も出来ますし……」
「そ、そうだな……これなら、視界を確保しつつ頭部の防御も同時に行える。合理的だな……!」
シャルムが自分に言い訳するようにまくしたてるのに、スレイブも早口で同意する。
ウェントゥスが『おそろいじゃ、おそろい』と心底愉快そうに生暖かい眼を向けるが、いつものような反論さえ出てこない。
>「まぁ……もし私と一緒のデザインが嫌だと仰るなら、別に作り直してもいいですけど」
「いや、これで良い。これが良い。人から物を贈られるのは初めてなんだ、似合うと良いが……」 シャルムが髪留めを取り返すより先にスレイブは自分の髪にそれを留めた。
エンチャントを施される前なので合理性も何も自分でかなぐり捨てた形になったのにスレイブは気づいていない。
伸びすぎた前髪を髪留めですべて掻き上げて、前を見る。 戦場のど真ん中で男女が二人挙動不審になっている端で、不死者たちは壊滅状態に追い込まれつつあった。
不死なる者に対して覿面に威力を発揮するアルダガの神術が、不死の根源を浄化し、冷たい躯を砕いていく。
しかし敵もさる者、女王直属の護衛官らしき神官が抜け目なく障壁を張り、神術の雨から女王を庇護していた。
>「……本当に残念です。この世界の指環の勇者たちが――この程度とはッ!」
立ち上がった女王が純白の錫杖を振るい、空中に魔法陣を描き出す。
その文様は、帝国にもハイランドにもダーマにもない、旧世界に遺された僅かなるもの。
未だ新世界の人類が到達し得ない――反魂の術式。
>「偉大な英雄たちよ、紛い物の勇者たちを魂ごと滅ぼしてしまいなさい!」
虚無より萌え出たのは、それぞれ異なる武装に身を包んだ8人の影。
不死者のような青白い肌ではない。血の通った暖かみのある四肢に、意志の満ちた双眸。
「馬鹿な……!本当に死者を蘇生したと言うのか……!?」
旧世界の英雄たちと、指環の勇者たち。
奇しくも数は同じ――各々が操る属性も、都合八つ。
英雄たちの中の一人が、スレイブの方を見て、親指で外を指した。
場所を変えよう、ということらしい。
周囲のすべてを切り刻みかねない風の刃は、乱戦向きとは言えない魔法だ。
提案は、スレイブにとっても都合が良かった。
スレイブが跳躍術式で飛ぶと同時、誘った英雄もまた風を纏って宙を舞った。
二つの影は全竜の神殿の空を横断して、玉座の間から離れた庭園へと着地した。
『ええんかお主、相手の土俵にノコノコ上がってしもうて……明らか孤立を誘う罠じゃろこれ』
「孤立するのは向こうも同じだ。それに……旧世界の英雄を真っ向から打倒してこその、俺たち新人類だろう」
『あの帝国女の影響めっちゃ受けとる……』
そのとき、庭園を突風が洗った。
瓦礫の擦れる着地音に見上げれば、傍の建物の上に立つ一人の男。
スレイブを誘った旧世界の英雄だ。
「や、悪いね。あっちの連中他を巻き込むってことをまるで考えない脳筋どもでさ。
放っとくと際限なくドンパチやらかすからおちおち話も出来ないんだ」
革製の外套に鍔の広い帽子を被ったその男は、玉座の間の方に視線を遣って肩を竦めた。
無造作に切られた硬質な髪に疎らな無精髭。スレイブよりも一回り歳を重ねているように見える。
そして、背には黒い得物――銃身から銃床に至るまでブラックオリハルコンで出来た長銃を提げていた。
継ぎ目のない削り出しの逸品。旧世界の冶金技術の高さが窺える。
「旧世界じゃ、他人を見下ろしながら会話するのが礼儀だったのか?女王の教育も知れたものだな」
「あーそこも申し訳ない。見ての通り俺は銃手でね、地の利を取るのは職業病なんだ。
……まぁ、君の女王様に対する侮辱はこの無礼とチャラってことで聞き流しとくよ」
皮肉をさらりと躱されてスレイブは二の句を継げなかった。
代わりとでも言うように、鞘から剣を抜いて構える。
「おいおい、話がしたいって言ったろ。
銃手がわざわざこんな至近距離まで来てるんだぜ、剣士相手にだ。少しぐらい酌量してくれよ」
「今更何を話すことがある。女王様とやらの命令は指環の勇者の殲滅だろう。
最早言葉は要らない……銃声と剣戟が、俺たちの会話だ!」 スレイブの指環が輝き、彼の周囲に無数の魔法陣が展開する。
ウェントゥスの編み上げた術式が真空の刃を生み出し、銃手目掛けて殺到した。
対する風の英雄も片手で指を鳴らすと、スレイブと同数の魔法陣が迎撃の刃を生む。
双方の魔法が激突し、弾けた魔力が光の飛沫を上げる中、スレイブは疾走を開始した。
「結局こうなるのかよ!指環の勇者の中じゃ一番陰気臭くて話が通じやすそうだと思ったんだけどなあ!」
銃手は非難の声を挙げつつも、その動作に揺らぎはない。
提げていた長銃を片手で回転させて構え直すと、迫りくるスレイブへ向けて発砲した。
風を巻いて飛翔する鉛の弾丸に対し、スレイブは長剣を一閃。
分かたれた弾丸がはるか遠くの地面に二つの弾痕をつくる。
「当たり前のように弾を斬るな君は!」
「ただの鉛弾が当たると思うな。もっと速くて強烈な弾丸を、俺は星都に来てから何度も見てる」
二度、三度と断続して放たれる弾丸を全て断ち切って、ついにスレイブは銃手へ肉迫した。
右から袈裟掛けに振るった長剣を、銃手はその手に握る長銃で受ける。
鋼鉄を紙の如く引き裂くスレイブの斬撃は、しかしブラックオリハルコンとの純粋な硬度差によって阻まれた。
間髪入れずに左の魔剣で刺突――これも巧みに角度を調整した長銃が弾く。
神速の二連撃を凌ぎ切られてなお、スレイブは犬歯を見せて吠えた。
「舐められたものだな。剣士の間合いに銃一つで何が出来る!」
「俺だって君が話の出来ない奴だって分かってたらちゃんと間合いとってたよ!」
「ならば貴様の敗因は、戦場で悠長に会話が出来ると錯誤していた、想定の不足だ」
「開き直ってんじゃねえよっ!」
銃手は吐き捨てつつも長銃の銃床を槌の如く振るう。
受けたスレイブの長剣が火花と共に軋みを上げるほどの痛烈な叩きつけ。
恐ろしく頑丈で、そして重い銃だ。それを銃手は小枝を振るうように操ってみせる。
剣と銃床、鋼とブラックオリハルコンの連続した激突は大気を震わせ、あたりに火花が満ちていく。
「ああもう面倒くさいな!俺いい加減他の人とお話しに行きたいんだけど!」
「首から上だけで会話が出来るなら、今すぐ望み通りにしてやる」
「すごいこと言うなあ君!」
幾度となく斬撃を銃身で防ぎながら、銃手は距離を取らんと後退。都度スレイブは距離を詰める。
攻勢一方。ほどなく壁際へ追い詰め、致命の一撃を叩き込むことができるだろう。
しかし、銃手の表情に追い詰められた者の動揺や怯えはない。
「銃手の脅威は射程。近づいてしまえば、剣の間合いに入れてしまえば容易く殺れる。……そう考えてないか?」
「自分は違うとでも言いたげだな」
「まあな。銃手が接近戦に弱いなんてのは、射程と脳味噌の足りない剣士共の創り上げた幻想だよ。
ちょっとでも射撃を齧ったことのある奴ならみんなすぐに気づくはずだぜ。
――銃ってのは、的が近いほど当たりやすいってことにな」
瞬間、スレイブの足元で何かが弾けた。
銃手が剣撃を長銃で受けたまま引き金を引き、発射された弾丸がスレイブの足を撃ち抜いたのだ。
まともに構えてすらいないにも関わらず、脚部を覆う鎧の関節部を正確に射抜く、恐ろしく精密な射撃だった。 「っぐ……ぁ!」
這い登ってくる灼熱感と激痛を意志の力でねじ伏せて、無事な片足で跳躍する。
後方へ――そこは剣が届かず、銃だけが一方的に攻撃できる銃手の間合い。
接近戦のアドバンテージを失ったスレイブに、銃手は仮借なく銃撃を連発する。
咄嗟に張った防御魔法は二三発ほどで呆気なく貫通し、四肢にいくつもの銃創が空いた。
「遠間から一方的に撃てるのが銃の利点だけど、離れるほど的は小さくなって当てにくい。
百発百中のコツはな、当たる距離まで近づくことさ。密着すりゃ弾は絶対当たる。
するとどうだ、銃はどんな態勢からでも予備動作なしで高威力の攻撃ができる、最強の近接武器になるわけだ」
「言うは易しだな……!接近戦を捌きながら……正確に引き金が引けてたまるか……!」
膝を突きながらスレイブは吐き捨てる。彼の使える治癒魔法は簡単な止血程度しかできない。
穴の空いた手足を、無傷と遜色なく動かすことは不可能だ。
「お、ようやく会話が成立したな。んーでももう一発くらい撃っとくか」
銃手は無感情に引き金を引く。
スレイブの頭部を狙った弾丸は、しかし彼の周囲を渦巻く風によって軌道を逸らされ地面を穿った。
ウェントゥスの張った結界だ。指環から湧いた幻体が、スレイブの傍に立った。
『言わんこっちゃない……イキりすぎじゃお主』
「ああもう邪魔すんなよ、"紛い物の"ウェントゥス。
俺たちの世界に居た頃のあんたは、人間なんかソッコで見限る冷たい竜だったぜ。
ケツァクなんかガチでビビっててさ、あんたが虚無の竜に喰われたときはそりゃあもう複雑な顔してたもんさ」
『かつての儂がどんなんだったか知らんがの、今じゃって別に人間に肩入れしとるわけじゃない』
「へえ?」
『お主らの言う"新世界"は……虚無の竜の腹の中に散らばった断片をかき集めて、儂らが創り上げた世界じゃ。
紛い物じゃと?訳知り顔で軽々しく抜かすな。お主らの埃被った世界なんぞより百倍ええ所じゃわい』
スレイブの隣で鼻を鳴らすウェントゥスに、銃手は肩を竦めて答えた。
「否定はしないよ。俺もそっちの世界に居たことあるしね」
「……なんだと?」
銃手の言葉に目を剥くことになったのはスレイブの方だ。
旧世界を虚無の竜から護る為に散っていった英雄が、新世界を知っている。
その不合理は、しかし不可解ではない。つい先刻、実例を見たばかりだ。
「黒竜騎士の他にも、旧世界から転生した者がいたのか……!」
「そういうこと。ジョラス……えっとお前らの世界じゃアルバートか。
俺はあいつの前、だいたい今から百年ちょっと前に、同じように転生の任を仰せつかってね。
7つの指環を旧世界に持ち帰って、世界を一つに取り戻す……本来それは、俺の役目だった」
「だが、指環が今もこうして新世界の俺たちの手にあるということは……」
「お察しの通り、任務は失敗だったよ。俺は、あいつのようにはなれなかった。
最初のクジ引きで大外れを引いちまったのさ。転生したのはハイランドの片田舎の小さな農家。
まともなコネもないただの農民には、指環の勇者なんて大役は手が届かなかった」
銃手は目を伏せて、己の得物を指先で撫でた。
顔を出した感情は悔恨か、それとも単なる懐古なのか……窺い知ることはできない。 「ダーマに渡ってケツァクと合流しようとしたんだけどな、実用水準の飛空艇なんてまだ無かった時代だ。
城壁山脈を徒歩で越えられなくて、そこで俺は死んだ。多分まだ山頂あたりに俺の骸骨が転がってるだろうよ。
結局土産に出来たのは、当時の黒騎士から奪ったこの長銃だけってわけだ」
「……なるほど、だから次の転生者は黒騎士なのか。指環の勇者のポストを、より確実に狙うために」
黒竜騎士アルバート・ローレンスは、確か帝国の名門軍閥の生まれだったはずだ。
銃手の失敗から学んだ女王は、次の転生先を吟味したのだろう。
指環の勇者に足る資質を持った血筋と、指環探索のバックアップを受けられる身分を揃えるため。
そうして白羽の矢が立ったのが、帝国軍部に強いコネクションを持つローレンス家だったというわけだ。
「もうちょい正確に言うと、当たりを引くまで転生先のクジを引き続けたのさ。百年かけてな。
そうしてようやく、アルバートという成功例が出来た。世界は、それで救われるはずだった」
だが、そうはならなかった。
期待通り黒騎士となり、国家のバックアップを受けながら指環を探す任についたアルバート。
しかし彼からは、肝心の記憶が失われていた。つい過日まで、彼は一人の新世界の民だった。
そして、帝国人としてのアルバートが築いたつながりが、皮肉にも彼を指環から遠ざけている。
「ウェントゥスの言う通り、そっちは良い世界だよ。水も空気も、生も死も、何もかもが瑞々しい。
だから、新世界でぬくぬく暮らしちまったアルバートの奴を責める気にもならない。
こんな終わりかけの世界にいつまでも固執してる、女王様の方が俺には理解に苦しむね」
「それなら……!」
失血し、震える脚を剣で支えながら、スレイブは立ち上がって叫んだ。
これだけの長口上を聞いても、回復は遅々として進まない。
銃手もそれが分かっているから、こうして悠長に会話を続けているのだ。
「それなら何故、俺たちと敵対する!?虚無の竜から世界を救いたいのは、あんただって同じのはずだ!」
「そうとも、俺は世界を救いたい」
銃手は眉一つ動かさずに答えた。
「俺にとっちゃ、救われるのは旧世界でも新世界でもどっちだっていいんだよ。
旧世界は俺の大事な故郷だし、新世界の未来も魅力的だ。俺はあっちにも友人や家族がいたしな。
どちらにせよ……世界を救う英雄は、俺でなきゃ駄目なんだ。君ら新世界の勇者なんかじゃなく」
その双眸に浮かぶのは、怒りとも絶望とも異なる、スレイブとってまったく未知の感情。
きっと死ぬまで理解することはできないだろう。通じ合うにはあまりにも、隔てた時間が永すぎる。
「世界を救うために、俺たちは戦い続けてきた。百年、千年、万年、ずっとだ。
ポっと出の指環の勇者に世界を救われちまったら、俺たちが重ねてきた犠牲はどうなる?
転生を重ねて精神を擦り切らせた英雄たちは!魔力を捻出するために薪になった連中は!
永久に溶けることのない城壁山脈の雪の中で、誰にも顧みられることなく死んでいった俺は!
世界を救った英雄の影で、単なる失敗例として忘れ去られていくのか?」
「そんなことは……!」
そんなことはない、とは言えなかった。
彼らの戦いを知る者は、指環の勇者を除いて他にいない。
犠牲を弔おうにも、偲ぶべき者たちの顔も名前も、分かりはしないのだ。 「もう後には引けないんだよ。俺たちは、英雄にならなきゃいけないんだ。
俺たちを信じて、自ら犠牲になっていった連中に報いる方法は、それ以外にない」
「…………!」
スレイブは身体の中を雷鳴が駆け巡っていくような錯覚を感じた。
積み上げてきたものが違いすぎて、理解することなど不可能だと思っていた旧世界の英雄の、
しかし心の一片だけは、はっきりと彼にも感じ取ることができた。
「だったら尚更、あんた達に負けるわけにはいかないな」
スレイブは再び剣を構える。
傷ついた腕ではうまく力が入らず、切っ先は頼りなく宙を彷徨っている。
それでも、柄を握る手だけは、救いの手を掴むかのように剣を保持できている。
「俺が殺してきた者達。俺を支えてくれる者達。彼らに報いるために、俺は剣を握り、ここまで来た。
彼らが生きて、そして死んでいった意味は、他の誰でもない俺自身が創り出すものだ」
同胞殺しの咎に惑い、苦悩していたスレイブが、旅の果てにようやく見つけた答え。
奇しくもそれは、対峙する銃手の担うものと同じだった。
「……君と俺とを一緒にするなよ。背負った命の数が違い過ぎるだろ」
「ならばあんたを打ち倒して、あんたの背にあるものも俺が担おう。
俺の背にある数百と、あんたの背にある数万の命。英雄の座に――全員俺が連れていく」
「誰がくれてやるもんかよ。そいつは俺の役目だ。欲しいなら――俺から奪ってみな」
スレイブは膝を曲げる。跳躍魔術が脚に宿る。
骨自体は砕かれていないが、無数の銃創に穿たれた四肢ではかつてのように跳べはしないだろう。
十全の機動力を持つ銃手なら、今のスレイブの突進よりも速く後退し、間合いの外から射撃が出来るはずだ。
自分で走って追いつけないなら……誰かに背を押して貰えば良い。
「ウェントゥス、俺の跳躍に合わせて追い風を頼む。俺をあいつのところまで吹き飛ばしてくれ」
『お主マジで言っとるのか……?空中で狙い撃ちにされるのがオチじゃろそれ』
「それで良い。防御はこっちでやる」
とは言え、吹き飛ばされれば地に足を着けられない。踏ん張りが効かず、剣を振るうのは不可能だ。
つまり、これまでのように弾丸を断ち斬って躱すわけにはいかない。
頼みの綱は防御魔法のみ――おそらく、全身をくまなく護ることは出来まい。
頭か、四肢か、どこか一箇所のみに魔力を集中させて、それでも一度だけしか弾丸を防げないだろう。
銃撃を防ぎきり、勢いを殺すことなく剣を振るって当てる。
(考えろ――)
防御できるのはどこか一箇所だけ。発砲を見てからでは当然間に合わない。
銃手がどこを狙ってくるのかを読み切り、撃たれる前に先行して防壁を張っておく必要がある。
考えろ。銃手の思考を読め。
剣を構えて飛んで来る剣士を仕留めるにはどこを狙うべきか。
脚はまず除外されるだろう。脚を撃ち抜いたところで、吹き飛ばしの速度が落ちるわけもない。
胴や心臓、これも違う。鎧に阻まれれば無意味だし、仮に心臓を破壊しても死に至るまで数瞬かかる。
確実に仕留めるなら頭を狙うか、あるいは剣を握る腕を撃ち抜いて攻撃手段を奪うはずだ。
剣を握れなくなったスレイブを殺すのに、あの銃手なら一発の弾丸で十分だろう。 (どちらを守る?頭を撃ち抜かれれば当然即死だが、利き腕を撃たれても嬲り殺しにされるだけだ)
頭と利き腕。迫られた二者択一。
読み違えた先に待っているのは絶対の死だ。
賭けの対価はあまりに重いが、それでも確率が五分なだけ良心的とも言えよう。
スレイブは硬い生唾を呑み込んで、覚悟を決めた。
「行くぞ、英雄」
「来やがれ、勇者」
短い呼応を皮切りにして、スレイブは跳躍術式を解き放った。
同時、ウェントゥスがスレイブの背中目掛けて風の塊をぶつける。
内臓が引っくり返りそうな慣性を受けて、スレイブは加速した。
同時、銃手が発砲。
加速した視界の中で、スレイブには銃口から放たれる炎と煙まではっきりと見えた。
そして着弾。硬質な何かがはじけ飛ぶ音。
飛翔するスレイブの頭部。
そこには展開した魔法障壁と――それに阻まれた銃弾があった。
「おぉぉぉぉッ!!」
刹那、銃手と剣士の影が激突。
裂帛の咆哮を膂力に変えて、スレイブは剣を振るう。
唐竹割りに打ち下ろした刃は、銃手の掲げた長銃の銃身に、半ばまで喰い込んだ。
「ウソだろ、ブラックオリハルコンだぜこの銃……!」
だが、凌ぎ切った。剣はそれ以上進まず、銃手の身体には届かない。
銃手は勝機を確信し、唇を舐める――
「――遍く全てに轟け、『ディザスター』!!」
直上の空から降ってきた雷が長剣に直撃。
破壊の紫電が刃越しに長銃を這い回り、そして。
この世のどんなものより硬い希少金属ブラックオリハルコンが、鋼の長剣によって断ち切られた。
真っ二つになった長銃の他に、スレイブと銃手を阻むものはなにもない。
刃はそのまま落ち、その下にある銃手の鎖骨を断ち、胸筋を引き裂いて、肋骨を割り砕いた。
ぶち撒けられる自らの鮮血を浴びながら、銃手は仰向けに沈んでいく。
スレイブは銃手の身体が地面に叩きつけられるその瞬間まで、彼から視線を離さなかった。
長銃の断片が石畳に落ちて乾いた音を立てて、ようやく目を伏せる。
「……世界を救ったら、城壁山脈を探し歩いてでも、あんたの骸を弔うよ。
子孫がいたならそこに届けたって良い。雪の中から必ず掘り起こしてやる」
力の入らない腕でやけに重い長剣を鞘に収め、スレイブは踵を返す。
その背後から、枯れかけた声が聞こえてきた。
「……ザイドリッツって言うんだ、俺の名前」
あれだけ派手に出血してなお、銃手はまだ息があるようだった。
とはいえ、最早指一本さえも動かすことはできないらしく、浅い呼吸だけが唯一の挙動だ。 「墓に刻んでくれとまでは言わない。ただ、覚えておいて欲しいんだ。それで俺は満たされる」
「ザイドリッツ。俺はあんたを忘れない。あんたという英雄がいたことは、俺が未来に伝える」
銃手――ザイドリッツは、今にも絶えそうな息を吐いて、僅かに微笑んだ。
「そうかい。あとはまぁ、月並みな言葉になるけどさ。……世界のこと、頼んだよ」
「……任せろ」 それ以上の返事はなかった。
沈黙したザイドリッツを最後にもう一度だけ見て、その顔を胸に刻み込んでから、スレイブはその場を後にした。
一部始終を見守っていたウェントゥスがぴょんぴょん跳ねながら駆け寄ってくる。 『うっわ、やりおった。マジで生き残りおった。絶対脳味噌ぶち撒けて死ぬと思っとったのに。
お主あいつが頭狙ってくること分かっとったんか?それとも完全に運任せか?』
「……いや、本当は腕を守るつもりだったんだ。
より確実に俺を仕留めるなら、動きの不規則な頭よりも、軌道の限定された腕を狙うだろうと予測していた」
『はっ?じゃあなんで頭守ったのお主。思っくそ読み負けとったんじゃん』
何故か非難がましいウェントゥスの言葉に、スレイブは口をもごもごさせた。
不愉快というよりかは、恥じらうかのような仕草で、頭の上を示す。
そこにはあれだけの激戦を経て傷一つない、軽銀製のカチューシャがあった。
「……これを、壊したくなかった。頭を守ったのは、ほとんど無意識だ」
照れたように答えるスレイブに、ウェントゥスはドン引きした。
『き、気持ち悪ぅぅぅ〜〜っ!ええ歳こいた男女のやるこっちゃないじゃろそれ!
ほんでお次は何じゃ、"生き残れたのは彼女のおかげだな"とかキリッとした顔で言い始めるんか!?』
「なるほど、そういう捉え方もあるか」
『いやいやいやいや!えっマジ?そこ納得しちゃう?』
ぎゃあすか喚くウェントゥスを雑にいなしながら、スレイブは再び謁見路へと跳躍する。
世界を賭けた戦いはこれで終わりではない。一刻も早く傷を癒やし、仲間に加勢をしなければ。
仲間の元へ飛び戻ったスレイブが目の当たりにしたもの。
それは、それぞれ旧世界の英雄たちとの戦いを下した仲間たちと、未だ健在の女王パンドラ。
そして――8人目の英雄の眼前で、血を流し倒れ伏すアルダガの姿だった。 【風の英雄と交戦、撃破。
全の属性の英雄と戦っていたアルダガが画面外で倒される】 また馬鹿が暴れてんのかと思った
やっぱりそうだった
もう追放しろよ ジャンに対峙した旧世界の英雄は、一見すれば他の英雄たちとは大きく異なる。
自らの視界を塞ぐ黒い目隠し。荒波を連想させる青くなめらかな曲線で構成され、全身に刻まれたタトゥー。
身に纏うのは竜の紋章が金糸で編まれた黒い長衣であり、手に持つのは謎の金属で構成された長尺の棒。
肩まで伸ばした金髪もまた波のごとく揺れ、その体格はジャンに比べれば実に華奢だ。
おそらくは女性であろうこの英雄は、目隠ししているにもかかわらずジャンのいる方向に向き直り、頭をぺこりと下げた。
「生まれはアナテの海、『喝破』のオウシェンと申します」
「ダーマのオーカゼ村、ジャン・ジャック・ジャンソンだ」
そしてジャンが自己紹介と共にアルマクリスの矛を構え、オウシェンは長尺棒を両手に持つ。
先手必勝とばかりにジャンが駆け出し、オウシェンは長尺棒を縦横無尽に振り回してジャンを迎え撃つ体勢だ。
「オラァッ!」
「喝ッ!」
速度の乗った一撃をオウシェンの脳天めがけて振り下ろし、長尺棒が一瞬揺らめいたかと思うとそれを跳ね飛ばす。
見た目からは想像もできない膂力に、ジャンは思わずたじろいだ。
「……おいおい、てっきり魔術師だと思ったんだけどよ」
「海に生きる者は強くなければなりませんから」
ジャンのように生まれつきの強靭な肉体で押し通るのではなく、
長い修練の果てに辿り着いた圧倒的な体術。体を巡る力を最も効率よく扱う術を彼女は習得していた。
そしてそれは、守りだけに発揮されるものではない。
長尺棒が再び揺らめき、ジャンの腹を鋭く殴打する。
ぼきり、と骨の折れる音が響いて身体がよろめき、体勢を崩したところにさらに一撃。
反撃を許さない連撃は、最後に放たれた脳天への一撃で終わる。
「……アクアッ!!」
だがその最後の一撃は通ることはなかった。指環から放たれた水流が
長尺棒ではなく握りしめた手を狙い、槍のごとき鋭さで反撃したためだ。
オウシェンはそれを引き付けて避け、ジャンはその隙を狙ってミスリルハンマーを腰から抜き放つ。
矛という技量が要求される武器ではなく、純粋な腕力のみが支配する槌という武器は
技量で上回る相手を打ち破るには十分な破壊力を持った最適解だ。
骨の折れた痛みに歯を食いしばり、水流を避けて体勢を崩したオウシェンに狙いすまして思い切り大槌を叩きつける。
「吹き飛べやァ!」
常人ならば言葉通り吹き飛ぶ一撃だが、オウシェンはそれを避けることなく身構える。
長尺棒を構えて横薙ぎに飛んでくる大槌の断面を鋭く突き、そこで大槌はぴたりと止まった。 「なるほど、力は十分ですが技がないと見える。
それでよく生き延びてきたものですね」
「ふざけんじゃ……ねえぞォォッ!!!」
膠着状態に陥った瞬間、ジャンはウォークライを繰り出す。
自らを鼓舞し、さらに相手を怯ませる雄叫びは英雄を相手にしてもなお、勇気を生み出すのだ。
だが旧世界の英雄たるオウシェンは怯まない。
それどころか長尺棒を使って後ろに跳ねるように下がり、両足を強く踏み込んで床板を砕く。
そして静かに、その言葉を紡いだ。
『叫べ、歌え、戦え』
それは、荒波に立ち向かう船乗りの咆哮と海女の舟歌から生まれた、原初のウォークライ。
力を持つ三つの単語を触媒として周囲に漂う魔力を取り込み、自らの身体と一体化することで自在に環境を支配するオウシェンの秘儀。
そして今この場所は、指環の魔力が魔術の使用によって大量に残留する状態。
「新世界に伝わる魂の言葉がその程度ならば、私たちが犠牲を払った意味もありません!
私たちが再び指環の継承者となり、全てをやり直します」
その身に圧倒的な魔力を纏い、長尺棒を振るえば空気すら吹き飛ぶような錯覚を覚えるほど強大な存在となったオウシェン。
しかし、ジャンはそれに臆することはなかった。ウォークライによって生まれた勇気は蛮勇かもしれないが、それでも怯えを止めるには十分だった。
「アクア、限界までやるぜ。竜装だッ!」
『君に相応しい姿にするとしよう!オウシェンちゃんには申し訳ないけどね』
「勝ち目のない賭けをやりたがる癖は抜けていないようですね、アクア!
ですがそれが間違いだったと後悔するときです!」
水流がジャンの身体を包み、いつもとは違う姿へとジャンを変えていく。
その隙を逃さずオウシェンが飛び掛かり、長尺棒による無数の乱打で確実に仕留めんとする。
軌道が見えないほどの速度であらゆる角度から放たれる乱打は一つ一つが濃密な魔力を纏い、一撃必殺たりうるものだ。
だがその嵐の中で、水流に包まれたジャンが手を伸ばし、静かに言葉を紡ぐ。 『――囁け、黙れ、失せろ』
その手は深海のように蒼く、太陽に照らされる大海原のように眩しい。
ジャンは全身に指環の魔力で鎧を構築し、頭も竜を象った兜で覆っていた。
数百の乱打にも怯むことなく長尺棒を掴み、オウシェンを無理矢理に引き寄せる。
「馬鹿な!竜装では防げないほど魔力を取り込んだのにッ!」
「叫ぶことなく言葉だけで魔力を取り込めるなら、
言葉だけで魔力を消し飛ばすこともできるってことだろう?」
『もちろんボクがありったけの魔力を込めたからこそだけどね。
もう空っぽだよ、これ以上打つ手はない』
「というわけだ。最後は力比べといこうじゃねえか!」
「――舐めるな亜人!」
そこから先は、純粋な力と技のぶつかり合いだった。
ジャンが鋭い拳を繰り出せば、オウシェンはそれをいなして蹴りを叩き込む。
それをあえて受け止め、ジャンは膝蹴りを容赦なく相手の腹に入れる。
体格の差はあるものの、お互いに鍛えられた肉体である以上一進一退の攻防は続く。
そして、最後は唐突に訪れた。
「ゴラァッ!」
「破ァ!」
ジャンの拳とオウシェンの蹴りがそれぞれの顔面に突き刺さり、互いに吹き飛んでいく。
お互いに離れる形となった状態で、オウシェンが頭を振って先に立ち上がった。
「……ジャン、と言いましたね。
先程の言葉を訂正しましょう。あなたは指環を持つ者として十分な強さです」
「へっ、タコ殴りにされてから言う台詞じゃねえよ」
「女に手を上げるとは野蛮ですね」
「散々殴り合った後でそりゃねえだろ……」
ジャンも遅れて立ち上がり、お互い今まで神殿の外にいたことに気づいた。
どうやら最後の殴り合いに集中しすぎて周りが見えていなかったようだ。
「ともあれ、あなたの実力は十分に確かめました。
再び生を受けた身ではありますが、女王陛下には生前からもう十分すぎるほど忠義を尽くしたので。
この辺りで終わりとしておきましょう」
「……てっきり殺し合いになるかと思ったぜ」
「私が求めるのは血ではなく修練です。
どんな弱者も生きていればいずれ強者となりうるものですから」
そりゃいい、とジャンはひらひら手を振って神殿に戻る。
オウシェンはもはや戦う気はないが、他の英雄たちがどうなっているかは分からない。
そして神殿に戻ってみれば、そこには英雄と激戦を繰り広げるアルダガたちがいた。 アルダガが対峙しているのはおそらく全の属性を司る英雄。
装飾がなく、実用一辺倒の銀色に鈍く輝く鎧兜とただ一振りの何の変哲もない大剣。
それだけなのに、アルダガを一方的に押し込めていた。
メイスを振るえば即座に大剣で対応し、神術を放てばそれに弱点となりうる魔術を即座に放つ。
身体強化は効果が切れるまでいなし続け、時には砂による目つぶしや剣に毒を塗るなど、手段を問わずアルダガを追い詰める。
そして、メイスを剣でかち上げてアルダガの胴を容赦なく切り裂いた。そこに言葉はなく、全の英雄は次の標的を見定めた。
兜のスリットから覗く顔に表情はなく、ただ視線が獲物を探している。
それは英雄というより、化物のような姿だった。
「……」
全の英雄は何も語らず、入ってきたジャンに剣を向ける。
ジャンも一瞬で状況を理解し、未だ血を流すアルダガから全の英雄が離れるような位置取りをした。
そしてお互いに距離を徐々に詰め、全の英雄が先に動いた。
大剣を両手に持って横薙ぎに振るい、ジャンはミスリルハンマーをその刀身に合わせる形で叩きつける。
互いの武器がぶつかるかと思われたが、それは実現することはなかった。
「お前……前に……いたはずじゃ」
いかなる魔術か技か、全の英雄は一瞬の間にジャンの背後に回り込んでいた。
ジャンの胴はたやすく大剣に貫かれ、ジャンは背中を蹴り飛ばされて大剣を引き抜かれていく。
全の英雄は何も語らず、ただ次の標的を見定めるのみだ。
「英雄たちの中で最も強く、最も誇りを持たない……それが全の英雄。
貴様ら新世界の者には到底たどり着けない神の領域に至った、ただ一人の人間よ!」
パンドラは衛兵に守られたまま高らかに宣言し、錫杖をふりかざして宣言する。
「他の英雄がいくらやられようとも、全の英雄が残っていればそれでよい!
さあ、残党を狩れ!皆殺しにするのだ!」
【水の英雄とは引き分け
全の英雄はどんな手段を使っても絶対敵殺すマン!筋力しかないジャンに勝てるわけがなかった】 大地の英雄を撃破したティターニアとフェンリルがその場を去ろうとしたところ、後ろで微かな砂のざわめきの音が聞こえ、振り返る。
砂が集まって人の姿となり、再び大地の英雄が現れるところだった。
直撃の瞬間、自らの体を砂の粒子へと変化させ大地と同化することで致命傷を回避したようだ。
とはいっても全くの無傷とはいかなかったようで、大地の英雄はよろめきながら苦笑した。
「相変わらず容赦がないな、フェンリル」
警戒するティターニアだったが、大地の英雄はもう戦う気はないようだった。
「……良い、行け――最初から勝てるとは思っていなかったさ。
俺は確かに八英雄の中で最弱だが身の丈は知っているつもりだからな」
「それを自分で言ってしまうかお主――」
そう突っ込みながらも、この境地に至るまでは長年の苦労があったのだろうと想像するティターニア。
どうやら地属性を操る筋肉質な大男は噛ませポジションになってしまうのは旧世界からの逃れられぬ法則らしい。
「だが気を付けろ、全の英雄は強いぞ。お前たちに勝ち目はない……1対1ならな。
奴は一人で完全ゆえに仲間と助け合うことを知らない――勝機があるとすれば、そこだろうな」
「貴重なアドバイスをかたじけない」
この英雄達が本当の意味で蘇生した本人なのか、生前の記憶を基に再現された影のようなものなのかは分からない。
しかし、フェンリルと大地の英雄との間には言葉を交わさずとも通じ合っているような雰囲気を感じた。
全の英雄との戦場に向かいながら、ティターニアはニヤリと笑ってフェンリルに問いかけた。
「もしや……皆を勢いづけるためにわざと、最初に突っ込んでいった旧世界の英雄が
新世界の勇者に派手にやられる形を2人して作ったのではないか?」
『寝言は寝て言え、事前に共謀する暇などどこにあったというのだ』
無駄話はそこそこに先を急ぐ。仲間の誰かが一人で全の英雄に立ち向かっていてはいけない。
一足――いや、二足遅かったか。
ティターニアが辿り着いた時にはすでにアルダガは倒れ伏しており、そして――まさに今ジャンが大剣で貫かれるところだった。 「ジャン殿……!」
そこにパンドラの朗々とした口上が響き渡る。
>「英雄たちの中で最も強く、最も誇りを持たない……それが全の英雄。
貴様ら新世界の者には到底たどり着けない神の領域に至った、ただ一人の人間よ!」
>「他の英雄がいくらやられようとも、全の英雄が残っていればそれでよい!
さあ、残党を狩れ!皆殺しにするのだ!」
“全員まとめてかかってこい”なんて言ってくれるのは正々堂々が好きな自信家だけだ。
誇りを持たないとは、言い換えればどんなに格下と思われる相手でも、あらゆる手段を使い確実に仕留めようとして来るということだ。
大地の英雄が教えてくれた唯一の弱点が核心を突いているならば、
まず間違いなく全の英雄はこちらを孤立分断し各個撃破しようとしてくるだろう。
「スレイブ殿、今度ばかりは一騎打ちの誘いには乗るな! まずは皆が来るまで持ち堪えるぞ!」
ひとまずほぼ同時に到着したスレイブに身体能力強化と武器強化の補助魔法をかけていると、全の英雄の不気味な視線を感じた。
ターゲットロックオンされてしまったようだ。
『やはりそうきますよね……』
まずは前衛っぽい方から撃破、なんていう様式美は当然全の英雄には通じない。
鬱陶しい補助魔法を使う後衛から潰した方が効率がいいに決まっている。
早速大剣を振りかぶって叩き切らんと突進してくる。
先にやられてしまったアルダガやジャンは性格上、正面から迎え撃とうとしたと思われる。
つまるところ正面から迎え撃ったら相手の思う壺だと直感したティターニアは―― 砂嵐の魔法で目くらましをくらわせつつ一目散に逃げ出した。
ほどなくして追い付いた英雄がティターニアを背中を袈裟懸けに切り裂こうと、踏み込んだ瞬間――地雷を踏んだように足元が爆発する。 一方のティターニアは瞬間移動したかのように少し先を走っている。
足元に爆発の魔法を仕掛けた上で、大地の魔力を使った縮地の術で瞬間的にその場から離脱したという絡繰りだ。
次は同じ手は通用しないだろうが、差し当たっての時間稼ぎにはなった。
ティターニアは全の英雄が怯んでいる隙にジャンとアルダガが倒れている場所まで来ると、大地の高位回復術を行使する。
「――グランドハーヴェスト」
地面から生えてきた魔力で出来た植物の蔦のようなものが2人を包み込み、魔力を注ぎ込んで傷を癒す。
回復術が十八番の神官ならともかく、魔術師にとっては回復術自体がかなりの高位に位置する術。
増して強力な回復術となると魔力の消費量は馬鹿にならない。それでも迷う余地は無かった。
水の指輪の使い手のジャンとエーテルの指輪を受け継ぐであろうアルダガなくしては勝てない――
相手は全の英雄、こちらも全ての指輪の使い手が揃って初めて土俵に上がることが出来る、そう思ったのだ。
そうしている間に、各属性の英雄を撃破したのであろうフィリア達も駆け付ける。
「さあ――勝負はここからだ」
敵の数が増えたことを認識した全の英雄は、狙いを定めての単体攻撃から一気に全員を屠らんとする全体攻撃へと切り替えてきた。
その場に立ったまま大剣を横薙ぎに振るう、それだけで全方位に身を切り裂く衝撃波が走り抜ける。 バフナグリーさんが倒れている。
石畳に広がる血溜まりの中に。
……え?なんで?どうしてバフナグリーさんが?
バフナグリーが血を流して、倒れている理由。
そんなの分かり切っている。
だけど、頭では分かっていても……実感が追いついてこない。
バフナグリーさんが、黒鳥騎士が……負けただなんて。
平衡感覚がおかしい。自分がちゃんとまっすぐ立てているのか分からない。
心臓が早鐘のように暴れている。
呼吸も意識しないと出来ないくらいに、自分が混乱しているのが分かる。
動けない。何か、何かしないといけないのに。
>「お前……前に……いたはずじゃ」
バフナグリーさんがトドメを刺されぬようにと援護に動いたジャンソンさんも、大剣に突き刺され……
そこで私はようやく魔導拳銃を、恐らくは全の英雄であるあの男に向ける事が出来た。
そして銃声……当たり前のように、大剣で弾かれましたね。
それどころか跳弾で、バフナグリーさんにトドメを刺そうとすらしていた。
ならば……弾頭を電撃や爆薬を封じた物に切り替えて、再び射撃。
……今度は、避けられた?
直感で?それとも弾速の違いから弾頭の変化を見切られた……?
いや、余計な事を考えるな。避けてくれるなら幸いだ。とにかく、撃ち続けないと。
……ふと、全の英雄の、兜の奥の双眸と、目が合った。
心臓を鷲掴みにされたかのような寒気が、私の背筋に走った。
濃密すぎる殺気が、私に殆ど確信に近い予感を植え付ける。
もし次、自分の身を守らずに射撃を行えば、次の瞬間に全の英雄は私へと距離を詰めてくる。
そして私は殺される。
だけど、自分の身を守れば……その隙に、バフナグリーさんか、ジャンソンさんが殺される。
怖い。死にたくない。殺されたくない。
だけど……あの二人が殺されてしまうのも、嫌だ。
迷っている暇はない。私は銃口の向きを前に保ったまま……
>「スレイブ殿、今度ばかりは一騎打ちの誘いには乗るな! まずは皆が来るまで持ち堪えるぞ!」
……不意に、ティターニアさんの声が響いた。
全の英雄の眼光が、私からあちらへと移る。
彼女が戦線に加われば、私とバフナグリーさん達、両方に防壁を張る事が出来る。
二者択一の殺傷は成立せず……ならば指環の所有者である向こうを先に潰すつもり、ですか。
ティターニアさんは上手い事、時間を稼いでくれています。
それにバフナグリーさんと、ジャンソンさんの治療も。
ならば私がするべきは……。
私はディクショナルさんに銃口を向ける。
次の瞬間、私は彼の隣に移動していた。
魔導拳銃に彫り込まれた、短距離転移魔法の術式です。
「……酷い怪我だ。すぐに、治療します」
右手の魔導拳銃をホルスターに戻し……私はディクショナルさんの手を握った。
別に手を繋がなくたって、魔法による治癒は出来る。
だけど……私は、そうせずにはいられなかった。 さっき私を睨んだ、全の英雄のあの眼光……。
死を予感させるほどの殺気……。
手が、震えている。自分の意思で、それを止められない。
「ごめんなさい……もう少しだけ、このままでお願いします。
情けない話ですけど……あの眼に睨まれた時から、震えが止まらないんです」
相手はあのバフナグリーさんを、一対一で、さしたる手傷も負わずに倒してしまうほどの手練。
……殺されるかもしれない。死にたくない。
怯えていたって何の意味もない。分かっていても……怖い。
ディクショナルさんの手を強く握り締めたまま、治癒の魔法を使う。
血を失って低下していたディクショナルさんの体温が、戻っていくのが分かる。
指先から、手のひらから伝わる、体温と、拍動。
それらを意識していたら……いつの間にか、私の震えは止まっていました。
「……ありがとうございます」
……本当はもう少しだけ、こうしていたい。
そんな考えを振り払って、右手を離す。
「来ますよ、ディクショナルさん……詠唱時間を下さい」
私は一歩下がってディクショナルさんの後ろへ。
全の英雄が大剣を振り回し、剣閃を放つ。
「『フォーカス・マイディア』」
だけど……それが私に届く事は、ありませんよね。ディクショナルさん。
「堕ちろ釣鐘。毀れ一つない鋼鉄の歌姫よ。
牢櫃と化せ。罪人の怨嗟でその腹の底を満たしながら。
晩鐘は告げる。遍く命が逃れ得ぬ黄昏の刻を――『ジェイルハウス・ベル』」
全の英雄の頭上から、魔力で構成された釣鐘が落ちる。
結界魔法です。鐘が持つ反響の性質によって内部からの攻撃を、内側へと反射させる封印術。
「時の河の底に沈む凍れる過去よ。今再び現し世へ浮かび上がれ。
開け、如何なる栄華もいずれ避けられぬ氷の棺。来たれ、仮初めの目覚め。
映せ氷よ、過去の栄光――『フロート・パスト』」
地面から氷が生える。
人の形をした氷が。鍔の大きな三角帽子に、全身を包むローブ。
顔の下半分を覆う透明の髭。
そう――これは虚無の英雄。その氷人形。
時とは水。流れゆく河。
過去とは決して変えられぬもの。それはすなわち凍りついているという事。
そして氷は水に浮かぶもの。過去という氷を、時の河の水面、今に浮かび上がらせる。
この魔法は過去という概念を、氷を触媒に顕現させる召喚魔法。 「ありったけの封印術を」
水の属性とは物を沈め、熱を鎮め、音を静めるもの。
あの杖捌きをもって十重二十重の封印術を施させる。
その隙に私は……
「断空の帳。生と死の隔て。天空に満ちるは虚ろの壁。
流れ行く風は戻らない。過ぎ去りし死者が帰らぬように。
彼の者は去りゆく者。せめてその悲鳴も骸も掻き消し、手向けとせよ――『ブリーズ・アーク』」
風とは、天と地を隔てるもの。
風とは、何かを攫い、連れ去ってしまうもの。
転じて風とは異界との境界線であり、また異界への誘う運び手そのもの。
ここではない世界を作り出して、そこに対象を隔離する。
これは封印術と言うより……転送術。
そして……
「燃える手のひら。黒ずむ指先。溶け落ちる蝋の翼。天空の果てに手は届かず。
猛る刃。物言わぬ鏃。賛美の声。焦がれる心。別け隔てなく価値は無い。
拒め炎よ、不遜のともがら――『バーンド・レンジ』」
これで、仕上げです。
炎の属性は、太陽を象徴する。
触れようと手を伸ばせば身を焼かれ、命を落とす、人が決して到達し得ないものの象徴。
その概念を結界として顕現させる。
……『フォーカス・マイディア』を解除する。
荒れてしまった呼吸を整える。
短時間の発動とは言え……四属性による攻性結界の多重施行。
ちょっと無茶しすぎましたかね。
ですが流石の全の英雄も、これだけ結界を重ねがけすれば、最早身動き一つ取れないはず……。
そう思った直後の事でした。
全の英雄が、左手を私の結界にかざして……まるで扉を開けるかのように、すいと横に滑らせた。
「……は?」
それだけ。たったそれだけで……私の多重封印が、解除された?
あ、あり得ない……い、いや、実際目の前で起きてしまったんだ。
受け入れないと。動揺のせいで鼓動が早まる。
右手で、胸を抑える。落ち着け、落ち着け……。
……元から、幾つかの予想は立てていた。
その内の一つが、確信に変わっただけの事。
全の属性。
古竜、かつてこの旧世界を創造したのであろう全の竜と同じ属性。
つまり……創造神の力の一端。
全の英雄とは、言わば神の子にも等しい存在。
……バフナグリーさんが勝てなかったのも、納得出来てしまう。
ですが、ですが……それでも、勝機がない訳ではない。むしろ逆。
「……一つ、試してみたい事があります」
全の英雄の、その圧倒的強さ……いえ、全能性とでも言いましょうか。
その全容が明らかになったからこそ、一つ解せない事がある。 かつてこの世界であった虚無の竜との戦い。
その時に何故、彼は負けてしまったのか。
あれほどの強さを誇っていながら。
虚無の竜がそれ以上に強かった?
勿論その可能性もあります。
「……『フォーカス・マイディア』」
ですが……もしかしたら。
「『竜の天眼(ドラゴンサイト)』」
十基の衛星ゴーレムを形成し、その砲口は……女王パンドラへと。
そして……砲火が炸裂する。 護衛の神官が結界を張る。
ですが……くふふ、ちゃんと防ぎ切れますか?
最初に防いだ水の指環による魔法だって、
魔法の苦手なオークであるジャンソンさんが、
雑兵を蹴散らすついでにそちらに向けただけのものでしたよね。
私の、主席魔術師の、この世で最も優れた魔術師の最高傑作を。
果たして防ぎ切れますかねえ。
いいえ、不可能だ。そんな技量があるなら最初からそちらに戦わせておけばいいんですから。
防壁に亀裂が走り、砕け散る。
そして……女王へと発射された無数の弾丸を、全の英雄がその背で受け止め、阻んでいた。
得物の大剣も放り捨て、自身が傷を負う事など厭わずに……。
やはり。
あなたが虚無の竜に勝てなかったのは、あなたが皆を守ろうとしたから。
あなたは誰とも助け合わなかったんじゃない。
誰もかもを助けようとしたんだ。
魔物のような眼光は……もしかしたらその本性を、弱点を、隠す為のものだったのでしょうか。
ともあれその人間性は、称賛に値しますが……
「……今です!」
……汚い手である事は百も承知ですが、それでもやっと生じた隙です。
存分に突いて頂かないと。
ハムステルさんの槍を用いた飛びかかりが。
フィリアさんの鋭く閃く毒針が。
トランキルさんの闇の属性によるまったく同時に、かつ多角的に放たれる無数の斬撃が。
よろめく全の英雄の背中に、まともに入った。 ……直後に響く轟音。
全の英雄が、微塵も衰えぬ剛力で、振り返りざまに回し蹴りを放った音。
ハムステルさん達が弾き飛ばされる。
あれだけの攻撃を無防備な背中に受けた直後なのに、なんて威力……。
蹴り飛ばされた人達はまだ体勢を立て直せていない。
追撃を受けないよう援護をしないと……。
そう、思ったのですが……全の英雄は、動けていない。
背中から貫通した槍を強引に引き抜き、治癒と解毒の魔法を自分に施している。
……効いていたんだ。さっきの攻撃が。
倒せない相手じゃ、ないんだ。
だとすれば、やはり頼みの綱になるのは……
「……バフナグリーさん。すみませんが、もう一度、お願いします。
全の英雄と正面切って戦えるのは、あなただけだ。あなたが頼りなんです」
弱点を突くにしても、まずは戦いを成立させないと話にならない。
戦いの軸が必要なんです。
あの神の子を相手にそれを務められるのは、バフナグリーさんしかいない。
「もっとも……私の援護はあまり期待しないで下さい。
私も自分の身を守らなければいけませんし……身を守らせなきゃいけませんからね」
バフナグリーさんと、全の英雄。
極めて高度な技量と力を持つ前衛職二人。
その戦いの中で、的確な援護を行うのは……正直、困難です。
だから私がするべきは、自分の身は自分で守る。
バフナグリーさんの足を引っ張らない事。
そして……全の英雄の足を、あの女王様方に引っ張らせる事。
正直、自分でも卑劣な作戦だとは思いますが……負ける訳にもいきませんのでね。
【後は頑張って下さい!】 >>157
後は頑張れじゃなくてさ
お前が投入した糞設定が猛烈に妨害になってんだわ
頼むよホント スレイブが玉座の間に帰還したとき、既に一つの戦いに決着が付いていた。
大剣を濡らす血を無感情に払う全の英雄と――その眼前で、血溜まりの中に倒れ伏すアルダガ。
誰が見ても一目瞭然の勝敗を、スレイブはしばし受け入れられずにいた。
(馬鹿な、彼女は黒騎士だぞ……!アルバート・ローレンスと同格の、帝国最高戦力が、こうも一方的に……)
大人数人分もある巨木を容易く薙ぎ倒し、黒蝶騎士や黒竜騎士を相手に一歩も引かなかったアルダガ。
黒鳥騎士の実力が伊達ではないことなど、これまでの戦いで否が応にでも理解してきた。
だからこそ、眼の前の現実が未だ実感として頭の中に結びつかない。
スレイブが硬直する一方で、いち早くジャンは状況を理解し全の英雄へと飛びかかる。
大剣と戦鎚、質量を威力とする得物同士が交差し――重ならない。
一瞬にしてジャンの眼前から消えた全の英雄は、彼の背後に音もなく再出現し、大剣を振るった。
>「お前……前に……いたはずじゃ」
ジャンの胴から大剣の切っ先が生える。
不可解を言葉にすることしかできず、ジャンはアルダガと同じように全の英雄の脚元に倒れ伏した。
「ジャン――!」
一部始終を目撃してようやく頭が働き出したスレイブだったが、最早なにもかもが後手だ。
急ぎジャンに駆け寄らんとするが、全の英雄の視線は既に血濡れのジャンの背中にはなかった。
>「他の英雄がいくらやられようとも、全の英雄が残っていればそれでよい!
さあ、残党を狩れ!皆殺しにするのだ!」
現在、全の英雄が次の獲物と見定めているのはティターニアとシャルムの二人。
シャルムが魔導拳銃を発砲するが、不死者を一撃で仕留める破壊の弾丸が彼を捉えることはない。
音を越えて飛ぶ弾丸の性質を撃ってから見極めて、防御と回避を選択しているのだ。
(どういう視力をしているんだ……!)
銃撃で仕留められないなら、近づいて白兵戦を仕掛けるほかにない。
何よりも、全の英雄の視線はシャルムを射すくめている。彼女が反撃を食うのは時間の問題だ。
スレイブは満身創痍の五体に鞭打って跳躍せんとするが、ティターニアの声がそれを制した。
>「スレイブ殿、今度ばかりは一騎打ちの誘いには乗るな! まずは皆が来るまで持ち堪えるぞ!」
「だが……!」
泡を食って感情的になりつつも、スレイブは寸でのところで跳躍術式の発動を停止した。
ティターニアの考えは理解できる。
アルダガもジャンも、単独で全の英雄と対峙した結果、不可視の背撃を食らって倒れたのだ。
戦力の逐次投入は最も避けるべき愚――ティターニアの判断は利に適っている。
(だが、次に狙われるのはあんただぞ、ティターニア……!)
全の英雄、その兜の奥の眼光が、ティターニアを捉える。板金鎧を軋ませて歩み始める。
各個撃破を狙う彼にとって、司令塔たるティターニアは最優先で仕留めるべき対象だ。
スレイブがここで脚を止めれば、矛先が彼女に向くのは道理だった。
>「サンドストーム!」
しかしティターニアとて座して攻撃を待つばかりではない。
全の英雄の足元から砂嵐が立ち昇り、歩みを止めたほんの一瞬の隙を突いて彼女は疾走した。
追いすがる全の英雄。背後から打ち下ろした大剣を、ティターニアは紙一重で躱す。
爆発魔法と縮地術を巧妙に組み合わせた回避は魔導師を凶刃から救い、彼女は致死圏からの脱出を果たした。 >「――グランドハーヴェスト」
伏せるジャンとアルダガの元へたどり着いたティターニアが回復魔法を唱えると同時、
動きかねていたスレイブの隣にシャルムが出現する。短距離転移の魔法だ。
>「……酷い怪我だ。すぐに、治療します」
銃創から流れる血と埃に塗れたスレイブの手を、シャルムは汚れも厭わずに握った。
流れ込んでくる癒やしの魔力が傷口を塞ぎ、失った生命力を補填していく。
身体が活力を取り戻していく一方で、スレイブは諸手を握るシャルムの手に震えを感じた。
>「ごめんなさい……もう少しだけ、このままでお願いします。
情けない話ですけど……あの眼に睨まれた時から、震えが止まらないんです」
彼女の零した言葉を聞いて、スレイブはようやく彼女がいかに追い詰められていたかを理解した。
ほんの数秒前まで、シャルムは命の瀬戸際に立っていたのだ。
黒騎士を容易く倒し、指環の勇者であるジャンですら歯が立たなかった全の英雄。
その無機質な敵意と殺気に晒され、喉元に剣を突きつけられてなお、彼女は気丈に立ち向かい続けてきた。
シャルムの芯の強さには感服するばかりだが、同時にスレイブは後悔に奥歯を軋ませる。
(まんまと釣り出されていたということか……クソ、何をやっているんだ俺は……!)
風の英雄、ザイドリッツの仕事はスレイブを仲間たちから遠ざけた時点で完遂されていたのだ。
彼がスレイブを倒し果せればそれが最上、敗北したとしてもシャルム達後衛の元から前衛を一人引き剥がせる。
スレイブは間抜けにもその策略に嵌まり、一つボタンをかけ違えればシャルムは全の英雄に殺されていた。
己の不明を呪い、せめて彼女の不安を少しでも取り除こうと声を掛ける。
「大丈夫だ、ティターニアが二人を回復させられれば、全員で戦える。
指環の勇者が七人に黒騎士が一人だ。全の英雄がいかに強力でも、数の利はこちらにある――」
そこまで言って、スレイブは頭を振った。
この期に及んで"安心"の理由を他人に求めるのは彼の悪い癖だ。
今、シャルムの手を握っているのは他ならぬスレイブ自身だというのに、人任せが口を突いて出てはあまりに情けない。
戦術的な分析など捨て置いてしまえ。この場で伝えるべきことは何だ。誰よりも彼女に伝えたい言葉は何だ。
「――それに、貴女の傍には俺が居る。俺が、必ず守る」
傷ついた腱が癒え、握力が戻った手のひらで、震えるシャルムの手を強く握った。
ゆっくりと、呼吸が整うかのように、彼女の手から震えが消えていく。
>「……ありがとうございます」
シャルムは短く礼を言って、スレイブの手を離した。
無意識に指先が名残を惜しんで宙を掻く。心を満たす温もりが遠ざかっていく。
だが、この手が握るべきは温かく柔らかいシャルムの手ではなく、敵と戦うための冷たく硬質な剣だ。
剣を握れば、彼女の手を握ることはできない。
だが剣を握らなければ、彼女を目の前の悪意から護ることなどできない。
胸の裡を焦がすジレンマを抑えつけて、スレイブは再び鞘から剣を抜き放った。
>「来ますよ、ディクショナルさん……詠唱時間を下さい」
逃げ切ったティターニアの追撃を諦めたのか、全の英雄の双眸がこちらを射すくめる。
大剣を掲げて疾走する全身甲冑に、スレイブもまた剣を構えて相対した。
「……俺の後ろに居てくれ。背中に貴女が居るなら、俺は前を向いて戦える」
全の英雄が大剣を横薙ぎに振るう。
音の壁を貫き、水蒸気の尾を引く切っ先が、スレイブの胴を断ち切る軌道で迫った。 「『ミラージュプリズム』」
大剣によって真っ二つになったのは、蜃気楼を応用して創り出したスレイブの幻影。
本物は跳躍術式によって真上に飛び上がり、直上からの一撃を全の英雄の脳天へと叩き込んだ。
耳を劈く金属音と、虚空を染め上げる火花。
鉄兜程度なら容易く引き裂くスレイブの斬撃を、全の英雄は首を器用に動かして斜めに兜で受けていなす。
返す刀とばかりに逆袈裟に打ち上げてきた大剣が今度こそスレイブを捉えるが、
竜巻を身に纏って全身で回転することでそれを躱し切り、回転の速度そのままに再び剣をぶち当てた。
狙うのは全の英雄の甲冑、部位同士を繋ぎ止める革紐だ。ダーマ軍式剣術『鎧落とし』。
肩を保護する装甲が弾け飛び、石畳に落ちて乾いた音を立てた。
露わになった肩口のインナーを狙って刺突を繰り出すスレイブと、上体の捻りでそれを回避し反撃する全の英雄。
二つの鋼が風を巻いて交差し、激突の衝撃が大気を揺らした。
全の英雄の得物は大剣。懐に潜り込めばスレイブの長剣が有利だ。
体捌きと歩幅の調整で常に大剣の間合いの内側に居るスレイブに、全の英雄は有効打を与えられない。
大剣の質量による打撃力は脅威だが、柄や鍔は速度や慣性が乗らない部位だ。
鍔迫り合いに持ち込みつつ、左に握ったバアルフォラスで甲冑の腕装甲を断ち落とした。
「俺から眼を逸らすな。全身を覆うその鎧……一つ一つ取り除いてやる」
アルダガを下し、ジャンさえも手出しさせずに倒し果せた全の英雄を相手に、スレイブは善戦を続けていた。
四肢は淀みなく動く。
ティターニアの身体強化魔法が効いていることもあるが、戦いの感性がかつてないほどに研ぎ澄まされていた。
後ろにシャルムが居る。それを想うだけで、腹の奥底から力が湧いてくる。
視界は澄み渡り、鎧の擦れ合う音に混じって全の英雄の息遣いが耳に届く。
今やスレイブは、対峙する敵が剣を振るう際の僅かな予備動作、筋肉の軋みさえもはっきりを感じ取ることができた。
再びの刺突。石畳に亀裂を刻むほどの踏み込みと共に放った剣閃は、確かに全の英雄の肩口を捉えたはずだった。
切っ先がインナーを貫き肉を刳り飛ばすその刹那、全の英雄の姿が忽然と消失する。
ジャンの一撃を躱したあの動きだ。音も気配も残すことなく、全の英雄は眼の前から消えた。
だが、それはもう見た。
スレイブには、全の英雄が再出現する場所とタイミングが手に取るようにわかった。
「俺の後ろに立って良いのは……この世でただ一人だけだ!」
背後から突き出される大剣の切っ先が、身を捻るスレイブの胴鎧を浅く裂く。
致死の一撃を躱し切り、振り向きざまに振るった斬撃が全の英雄の腕を切り裂いた。
腱を断った手応えを刃越しに感じると同時、手首から鮮血を吹いた全の英雄がよろめく。
片手を潰した。これでもう大剣は握れない。
そして――スレイブは跳躍術式でその場を飛び退き、シャルムの隣に着地する。
彼女の術式詠唱が完了したことも、全て把握できていた。
>「拒め炎よ、不遜のともがら――『バーンド・レンジ』」
シャルムが魔力を解き放ち、四属性の多重結界が全の英雄を抑え込む。
都合四つの封印術は四方からあらゆる進路と退路を閉じ、巨大な一つの檻と化した。
スレイブの知る限り最上級の結界、更にそれを重ね掛けしている。
如何に旧世界最強の英雄と言えども、この封印から逃れることなどできまい―― >「……は?」
隣でシャルムが信じがたいものを目にしたような声を上げる。
スレイブもまた、彼女と完全に同じ感慨を抱いていた。
竜さえも身じろぎ一つ許さない最高峰の結界を、全の英雄はまるで戸を引くようにこじ開けたのだ。
「なん……だと……!」
それだけではない。
スレイブが確かに腱を切り裂き、鮮血の流れるままになっていた英雄の手首が癒えている。
それどころか断ち落とした甲冑の各部位さえも、いつの間にか修復されていた。
回復魔術に加え、鎧を自己修復する錬金術。
あるいは死者蘇生の応用で、自身の状態を戦闘開始時にまで巻き戻したのか。
いずれにせよ、封印術も物理攻撃も、全の英雄に対して何ら有効打となっていない。
「何もかもが出鱈目だな……女王が全幅の信頼を寄せるのは、こういうことか」
絶望が、足元から音を立てて這い上がって来る。
蠢く無数の虫の如きそれに呑まれずに済んだのは、隣にシャルムがいたからだ。
封印術を真っ向から無効化された様を目の当たりにしてなお、彼女の双眸に諦めの色はなかった。
>「……一つ、試してみたい事があります」
シャルムは再び己の魔術適性を拡張し、『竜の天眼(ドラゴンサイト)』を発動した。
無数のゴーレムを一瞬で瓦礫の山に変える無双の"眼光"が狙うのは、全の英雄ではなく――女王パンドラ。
護衛神官たちの魔術障壁を容易く粉砕し、砲撃が女王に迫る。
全の英雄は対峙するスレイブ達に背を向け、大剣を打ち捨ててまで女王の代わりに砲撃を受けた。
全能に片足を踏み込む全の英雄には、距離や時間の隔絶さえも無視して女王を護ることが出来る。
……出来てしまう。そしてそれこそが、唯一無二の彼の弱点だった。
>「……今です!」
瞬間、背を向けた全の英雄目掛けて、ラテたちが一斉に飛びかかった。
三方向からの総攻撃は迎撃の回し蹴りによって弾き飛ばされるが、まったく効かなかったというわけではない。
鎧の隙間から血を流し、背に槍の刺さった全の英雄は、確かに傷を負っていた。
(女王を護っている間は、自身の護りが手薄になる……絶対の防御は、両立できないのか……!)
全の英雄にとって、女王は何を置いても護るべき対象だ。
有無を言わさずあらゆる障害を突破する能力も、一瞬で敵の背後に回る移動術も、女王より優先して発動することはできない。
ならば、女王に間断なく攻撃を続けることで、全の英雄の圧倒的な防御力を無効化できるはずだ。
>「……バフナグリーさん。すみませんが、もう一度、お願いします。
全の英雄と正面切って戦えるのは、あなただけだ。あなたが頼りなんです」
そして、全の英雄を倒し果せるのはやはり、黒鳥騎士アルダガを置いて他にはいまい。
ラテ、フィリア、シノノメの三者が同時に火力を集中させた攻防ですら、全の英雄は女王を護りつつ凌ぎきった。
旧世界最強の戦士を止めるには、一撃で戦闘不能に至らしめる威力が必要だ。
歯がゆい話だが、スレイブはおろかジャンにもティターニアにもそれだけの火力を実現することは不可能だろう。
ともあれ、やるべきことはこれで単純になった。
全の英雄に女王の守護を優先させ、アルダガの攻撃に合わせて火力を集中させる。
「言うは易しだが――俺たちはこれまで何度だって、言葉を現実に変えてきたはずだ」 ティターニアの治癒魔法『グランドハーヴェスト』に包まれ、急速に傷が塞がっていく中、アルダガは意識を取り戻した。
全の英雄との戦いにおいて、油断や慢心はなかったはずだ。
確かに彼は手段を選ばなかったが、暗器や毒を活用するのは戦場においては当然の仕儀。
長年異教徒を相手にしてきたアルダガは無論、それに対する備えを十分にしていた。
敗北を喫したのは、純粋な力量の差によるもの。
そして、いかなる手段を講じてでも敵を制するという、全の英雄の覚悟に、アルダガは負けたのだ。
(不甲斐ない、と思うのは……全の英雄どのに対する侮辱でしょうか……)
覚悟や、まして信念で彼を下回っていたとは思わない。
それでも勝てなかったのは、きっと彼のすぐ傍に、彼が護るべき女王がいたからだろう。
アルダガや、教皇庁に属する神官たちは、聖女を介した『神託』という形でしか女神の言葉を聞いたことがない。
信奉する対象の顔や声も知らないこの歪な関係に、これまで疑問を感じたことはなかった。
教会は偶像崇拝を禁じているし、直接顔を合わせずとも上意下達が可能なように預言者としての聖女が居るのだ。
女神と民は、それでうまく回っていたはずだ。
だが、星都で直面した真実は、これまでアルダガが培ってきた信仰を覆しかねないものばかりだった。
世界の成り立ちと、それに立ち会った者達との邂逅。
アルバートの口から語られた真相を裏付けるように現れた、旧世界の英雄たち。
新世界の全てが旧世界を竜の中に再構築したものであるなら、アルダガの信じる女神は一体何なのか。
アルダガは、何の為に戦っていたのか。
会ったこともない女神を信じて――戦い続けることが出来るのか。
(女王パンドラ……英雄どの達が命を懸けて虚無の竜から護りきった、旧世界最後の人類。
きっと彼らにとって、何に代えても守りたい、大切な方だったのでしょう)
倒れ伏してなお滅びに抗おうと足掻くアルバートの姿を見たときから、わからなくなってしまった。
そして今、志を同じくする全の英雄との戦いで、アルダガは再び遅れをとった。
護るべき者がすぐ傍にいて、それだけを信じて戦える全の英雄の覚悟に、アルダガは勝てなかった。
神術の源は、女神を奉じる信仰心。
信仰が揺らげば、法撃は不発に終わり、加護はたちまち力を失う。
陳腐な言い回しになるが――アルダガは、気持ちの上で負けたのだ。
(叔父さま、わたしは何を信じて戦えば良いのでしょうか)
アルダガ・オールストン・バフナグリーが神の道に入ったのは、神殿騎士であった叔父の影響によるところが大きい。
"百頭竜"エドガー・オールストン。帝国西部に轟く彼の武名に、アルダガも魅せられた一人だった。
幸いにも神術の類稀なる才覚を持ち合わせていたアルダガは、辺境の修道院から教皇庁所属の戦闘修道士にまで上り詰め、
やがて……彼女は教会から離反したエドガーを、港町カバンコウで討つこととなる。
思えばそのときから、アルダガの信仰を支えてきたものは、少しずつ歪み始めていたのだ。
そしてその歪みは、星都の最奥で爆発した。
ティターニアの治癒術式から出たとき、自分はもう一度戦えるだろうか。
揺らがない信念と覚悟をもった、あの全の英雄と。女王を信じて戦う、旧世界の英雄たちと。
信じるもののなくなった、自分が―― >「……バフナグリーさん。すみませんが、もう一度、お願いします。
全の英雄と正面切って戦えるのは、あなただけだ。あなたが頼りなんです」
魔力のツタの向こうから、シャルムの声が聞こえた。
そして気付く。自分がここで倒れれば、全の英雄の矛先は彼女たちに向く。
指環の勇者たちを、守らねばならない。
(ああ、そうですね――)
自分は確かに神官で、教会の尖兵だが、守るべき何かを女神だけに限る必要はない。
自分が何を守るべきか、自分で決めたって良いのだ。
彼女が何よりも憧れたのは、神に仕える神殿騎士ではなく――民の為に戦う、叔父の姿だったのだから。
(わたしは……共に星都を旅し、一緒に戦ってきた彼女たちを、守りたい――)
顔も声も知らない誰かのために祈るよりも、それはきっと快い。
アルダガは自ら魔力のツタを破り、外へと飛び出した。
貫かれた傷はふさがり、手足は問題なく動く。腱も骨も全て無事だ。
ただひとつ、折れ砕けてしまっていた心も、新たな支えを得ることで再び立ち上がった。
「全の英雄どのは……わたしが倒します」
地面に転がっていたメイスをとり、握りを確かめるように二度、三度振る。
眼前では、全の英雄もまた、取り落とした大剣を広い直して構えていた。
「ずっと考えていたんです。わたしたちの世界の女神は、一体何者なのか。
新世界の全てが、旧世界の属性から再構築されたものだとするならば。
きっと女神は……新世界の民が望み、創り上げた仮初の『女王』なんだと思います」
全の英雄は何も答えない。
問答は不要とばかりに振り上げた剣が、直上からアルダガを襲う。
刹那、アルダガの右腕が鳥の羽撃きの如く揺らめき、置き去りにされた風を斬る音が追って響く。
大剣が弾かれ、質量に引っ張られるようにして全の英雄がよろめく。
そこへ畳み掛けるようなメイスの打擲。全の英雄は辛うじて大剣でそれを受け止めた。
「たとえ仮初めの、まがい物の救いであっても。それを守って、わたしは貴方を倒します。
女神が偽物でも、女神の愛した人々には――わたしが信じるものには、偽りなどありません」
全の英雄の輪郭が薄れていく。ジャンを背後から刺した正体不明の移動術だ。
しかしその姿が消える前に、アルダガの左手から燐光を放つ魔力の鎖が飛んだ。
鎖の先端にあしらわれた十字架型の楔が全の英雄の鎧に突き立ち、揺らいでいた輪郭が鮮明となる。
『レイジングゲルギア』。聖別された特殊な鎖を用いて、対象を術者の前方に繋ぎ止める拘束神術だ。
術者もその場を動けなくなるリスクはあるが、移動術や転移術さえも封じる極めて強力な拘束。
これでもうどこにも逃げられはしない。正面切っての殴り合いで相手を打ち倒すほかに逃れる術はない。
そこから先は、余人の介入する余地のない、打撃の応酬であった。
アルダガがメイスを振るい、全の英雄が大剣でそれを迎え撃つ。
全の英雄が懐から暗器を取り出せば、アルダガはそれが投じられるより先にメイスの柄を鞭のようにしならせて叩き落とす。 至近距離で幾度となくぶつかり合うメイスと大剣、魔術と神術。
瞬きさえも致命的な隙を生む高速域の戦いは、彼我の力量が拮抗していることを意味していた。
「北天の星、南地の砦、燃え盛る樺の森、押し立てる雹の波濤」
間断なくメイスを振るいながら、アルダガは同時に聖句の詠唱を始めた。
右手にはメイス、左手には鎖。聖水の瓶を手繰る余裕もない中で、彼女は片足で地面を強く踏みしめる。
加護によって強化された脚力は地面を強く波打たせ、地面に転がっていた聖水の瓶が跳ね上がった。
「撃鉄、波紋、逆さの骸。雷槌と劫火、円環の酒坏を血の輝きで満たせ――」
瞬間、アルダガはメイスを投擲した。
全の英雄が大剣でそれを弾き飛ばす、寸毫にも満たない間隙を縫って、彼女は間合いの内側に潜り込む。
メイスの代わりにキャッチした聖水瓶を握り潰し、聖水の濡らす右腕が、聖なる炎に包まれた。
「破城の神術――『フレスグレイヴ』!」
黒鳥騎士の象徴とも言える、神鳥を象った聖光を纏った右拳。
ほとんど密着した姿勢から放たれた極大神術が全の英雄の胴に着弾、その鎧を一瞬で灼き飛ばした。
光は減衰することなくその向こうの肉を穿ち、背中から突き抜けていく。
目を焼かんばかりの眩い輝きと轟音が炸裂し、そして全てに決着がついた。
本来メイスを通して行使する神術を生身に通した影響で、右腕の皮膚が炭化しかけたアルダガ。
その眼前には、鎧を失い胴に大穴を空けて倒れる全の英雄。
指環の勇者全員を相手に互角以上に渡りあってきた旧世界の最後の砦は、今ここに、陥落したのだった。 全の英雄がアルダガに敗北したその瞬間、女王の護衛である神官と重装兵に異変が起きる。
彼らは大きく身震いし、直後にぴたりと動きが止まった。
そして女王パンドラが錫杖を一振りすると、人数分の塩の柱となって崩れていく。
全ての英雄が打ち倒されたか戦意を失ったことを感じ取ったのか、女王は背後の椅子に倒れるように身を預け、
やがて静寂の中、塵が舞う虚空を見つめて語り出す。
「……私にはもう何もありません。英雄たちは破れ、エーテルの指環……全の指環は最後まで私たちを認めなかった。
行きなさい、新世界の勇者たちよ。ここより先の階段を下れば竜の神殿に向かう転移の魔法陣があります」
そして錫杖からエーテルの指環を取り外し、一行へと渡す。
「全の竜はその指環で目覚め、六つの指環を示せば力を与えるでしょう。
そして虚無の竜を打ち倒し……何を願うか、よく考えておきなさい。
どうか私たちのように……ならぬよう……」
虚無に飲まれていたとは思えないほど穏やかな口調で言い終えると、女王パンドラは静かに息を引き取った。
一行は各々のやり方で黙祷を捧げ、広間の奥の通路を歩いていく。
だがその背後、広間に一人の英雄が入り込む。
「女王パンドラ……あなたのことは最後まで嫌いでしたよ。
でも、世界を救おうとするその意志の強さだけは好きでした」
全身に曲線で描かれたタトゥーを刻み、長尺棒を持った華奢な女性。
旧世界の英雄であるオウシェンだ。
彼女は通路にいる一行に聞こえるほど大きな声で呼びかける。
「パンドラがいなくなったことで不死者たちは統制を失い、神殿へと獲物を求めてやってくることでしょう。
理性もなく、本能のみで生きる人間なぞ獣以下の存在でしかありません。
そのような者たちにこの神殿を乗っ取られるなど言語道断、私と生き残った英雄でここを守ります」
残骸と破片でボロボロになった広間をオウシェンが歩き、他の倒れている英雄たちを見つけては担いで一か所に集める。
「火と闇と光と土と……爺様も生きておられるようですね。
爺様に治療してもらえればなんとかなるでしょう、ほら爺様起きてください!寝たふりしないで!
魔力封印?爺様なら集中すればすぐに解除できます!」
既に不死者たちの雄叫びが神殿を囲む密林から聞こえはじめる中、旧世界の英雄たちは各々最低限の治療と武器の手入れを済ませて
再び戦闘態勢に入る。その行動の速さは、一行よりも長く戦い続けてきたという証なのだろう。 「……行こうぜ。俺たちはあいつらに託されたんだ」
埃一つない純白の通路の向こうでぼんやりと光る転移魔法陣を見据え、ジャンは言う。
既に傷はなく、疲労もない。やれることはただ歩くことだけだ。
「まさかリザードマンの討伐依頼からこんなことになるとはなぁ……」
通路を歩く最中、ふとジャンがつぶやく。
それに合わせるようにしてか、アクアも指環を通じて念話で語り始める。
『で、どうだい?ここまで来た感想は』
「持ち帰れそうな宝石が一つもないのは悲しいな。
これじゃ稼ぎになんねえよ……」
『……本音は?』
「正直虚無の竜とか全の竜とか規模が大きすぎてよく分かんねえ。
俺にやれることは――ティターニアの護衛として、邪魔する奴を殴り倒すことだけだ」
そして一行は転移魔法陣に踏み込み、竜の神殿へと向かう。
転移独特の浮遊感の中、ジャンはただ先祖と英雄に祈っていた。
(ご先祖様、一族の英雄様……どうか俺の成すことを見守っていてください。
相手がいかなる強敵であれ、俺は正面に立ち、歴史に残るような戦いをします。
俺は戦士として戦い、死を恐れず、生にしがみつきません。
だからどうか……仲間を、大事な人を守ってください)
祈りを終え、浮遊感が消え去る。
光に包まれた視界が開けたとき、目の前に見えたのは一匹の竜を象った紋章。
そしてそれを取り囲む四体の竜と、三体の獣が彫り込まれた壁画。
旅の終着点とも言うべき竜の神殿に、一行はたどり着いたのだ。 全の英雄相手に互角以上に立ち回るスレイブとシャルム。
それでも倒すことはかなわなかったが、シャルムの機転により、突破口が明らかになる。
大地の英雄が言っていた全の英雄の弱点は、確かに嘘ではなかった。
“一人で完全ゆえに仲間と助け合うことを知らない”とは、身も蓋もなく言えば
皆を守り抜こうとする上に一人だけ突出して強すぎるため、仲間がいてもお荷物にしかならない、という意味であった。
>「……バフナグリーさん。すみませんが、もう一度、お願いします。
全の英雄と正面切って戦えるのは、あなただけだ。あなたが頼りなんです」
「待て、一人で打ち合わせるなんて無茶だ!」
アルダガに正面切って戦わせようとするシャルムの策に異を唱えるティターニア。
というのも、アルダガは最初に正面から打ち合って見事にやられている。
普通に考えると前衛勢全員で取り囲んで各方位から攻撃する方が現実的と思われる。
しかし、スレイブはシャルムに賛同の意を示した。
>「言うは易しだが――俺たちはこれまで何度だって、言葉を現実に変えてきたはずだ」
「そなたら――いつの間にやらすっかり正統派熱血主人公系カ…コンビになりおったな……」
カップル、と言いかけて場がややこしくなりそうなので慌てて言い直す。
その時、当のアルダガが自ら回復術の中から出てきて、力強く宣言した。
>「全の英雄どのは……わたしが倒します」
>「ずっと考えていたんです。わたしたちの世界の女神は、一体何者なのか。
新世界の全てが、旧世界の属性から再構築されたものだとするならば。
きっと女神は……新世界の民が望み、創り上げた仮初の『女王』なんだと思います」
>「たとえ仮初めの、まがい物の救いであっても。それを守って、わたしは貴方を倒します。
女神が偽物でも、女神の愛した人々には――わたしが信じるものには、偽りなどありません」
「アルダガ殿……分かった。頼んだぞ!」
そこから、余人の介入する余地すらない超常の激戦が始まった。
戦闘が始まって程なくして、アルダガの拘束神術によって、全の英雄はその場から離れることが不可能となった。
これによりパンドラを攻撃することで足を引っ張る作戦は使えなくなったが、
パンドラ自身と直接対決出来る状態となったので、むしろ好都合。
先に司令塔たるパンドラを倒してしまえば、戦い自体が終わるかもしれない。
そうはいってもそれも決して簡単なことではないのだが。
先程全の英雄が女王を守ろうとして手傷を負ったとはいえ、未だ女王が動いてない以上その実力は未知数なのだ。 「パンドラを倒すチャンスだ……! 手の空いている者は取り巻きの相手を頼む!」
ティターニアがパンドラとの対決に名乗りをあげると、仲間達が取り巻きの護衛と交戦をはじめた。
相手も状況を察したのか、ここにきて女王パンドラがついに、臨戦態勢に入る。
「エーテルストライク!」
まずは牽制とばかりにオーソドックスなエーテル属性の攻撃魔法を打ち込むティターニア。
対するパンドラがプロテクションらしきもので防御。
そんなことをせずともエーテルの指輪を扱えるなら杖の一振りで無効化できそうなものだが。
そう思ったティターニアは、反応を見るために問いを投げかける。
「もしや……指輪の力を使えぬのか?」
女王は問いに応える代わりに、錫杖を振りかざし未知の魔法を解き放つ。
「――ディスインテグレート」
その正体は、全てを虚無に帰す分解消去の魔法。
まともに食らったティターニアは、あまりにもあっけなく小さな粒子に分解されて消えた。
「新世界の住人たるもの何人たりとも虚無への衝動には抗えぬ――
女神にして世界そのものたる私に刃向かった者の末路よ!」
勝ち誇っている女王の背後に、突如として砂の粒子が集まって形を成し、ティターニアが出現した。
分解消去の魔法が発動する寸前で危険を察知したテッラが、先にティターニアを砂と化して難を逃れたのだ。
「ホールド!」
背後から不意打ちを食らい、地面から伸びた岩の腕に拘束されるパンドラ。
「おのれテッラ! 我が被造物の分際で小癪な真似を……!」
「英雄達の時が昔のままで止まっているのをいいことにいいように利用しおって……!
英雄達は皆今なお世界を救おうとしておるのに――どうしてトップのそなたが世界を救おうとせぬ!?」
拘束されたパンドラに詰め寄るティターニア。
旧世界の英雄達とは、かつて女王と共に世界を救うべく虚無の竜に立ち向かった者達。
皆、未だ女王が未だ世界を救おうとしていることを信じて疑っていないかのように見えた。
しかし実際には女王はもはや滅びを望んでいる。
世界を救うために女王を守り抜いたところで、その先にあるのが滅びでは何の意味もないではないか。 「先程自分のことを女神にして世界そのもの、テッラ殿のことを被造物と言ったな?
そなたは一体……何者なのだ?」 その時爆音が炸裂し、アルダガと全の英雄との戦いに決着が着いたことが分かった。
パンドラは相変わらずティターニアの問いには答えず、その代わり静かに敗北宣言をしたのだった。
「もう良い――私の負けです」
女王は再び椅子に身を預け、毒気が抜けたような様子で語り始めた。
>「……私にはもう何もありません。英雄たちは破れ、エーテルの指環……全の指環は最後まで私たちを認めなかった。
行きなさい、新世界の勇者たちよ。ここより先の階段を下れば竜の神殿に向かう転移の魔法陣があります」
>「全の竜はその指環で目覚め、六つの指環を示せば力を与えるでしょう。
そして虚無の竜を打ち倒し……何を願うか、よく考えておきなさい。
どうか私たちのように……ならぬよう……」
「待て、勝手に死ぬでない! そなた一体何がしたかったのだ!?」
どこか安心したような様子で息を引き取るパンドラ。
息を引き取ると間もなく、まるで最初から実体が無かったかのように、光の粒子となって消えた。
>「女王パンドラ……あなたのことは最後まで嫌いでしたよ。
でも、世界を救おうとするその意志の強さだけは好きでした」
水の英雄オウシェンが入ってくる。
女王はもはや滅びを望んでいた、等と野暮なことを教えてあげるのはやめておいた。
>「……行こうぜ。俺たちはあいつらに託されたんだ」
「あやつら、我々を試しておったのかもな――」
こうしてついに竜の神殿へとたどり着いた一行。
竜を象った紋章に手を当てると轟音を響かせながら竜が住まう間への扉が開く。
一行を出迎えたのは、見る方向によって異なる色に見える、翼持つ巨大な竜だった。
竜は一行が入ってきたのを見ると、礼を言ったのだった。 『ありがとう、よくぞパンドラを解放してくれました。
これで、あなた達に虚無と戦う力を与えることが出来る――』
「どういうことだ……?」
全の竜は、かつて共に戦った英雄達でさえ知らぬかもしれない真相を語り始めた。
『その昔この世界で虚無の竜との戦いがあった事、あなた達の世界が虚無の竜の死体の上に成り立っているのは聞いていますね?
虚無の竜に次第に追い詰められ、このままいっては全てが滅びると悟った時、パンドラはある賭けに出ました
彼女は一縷の望みをかけて自ら虚無の竜に食われた――そして狙いは成功し、
彼女は虚無の竜の肉体と融合を果たし、新世界の礎そのもの――”女神パンゲア”となった。
しかし虚無の竜の肉体が世界の素体になる以上、争いが絶えず、ともすれば虚無へ回帰してしまう不安定な世界になるのは分かっていた。
それでも彼女は人間の可能性を信じ、新世界の女神となった。
一方の肉体から追い出された虚無の竜の魂はクリスタルに封印されることになった。
そしてあなた達が今しがた倒したパンドラは、彼女が僅かに残った旧世界の民のためにこちらに残した分霊。
しかし分霊であるため力が弱く、長い年月の間に争いの絶えない世界に絶望し虚無に飲まれてしまったのです。
ところで――パンドラから指輪は貰いましたね? さぁ、こちらに見せて下さい』
言われるままに指輪を掲げると、真っ白だった指輪が虹色に輝きだした。
『その指輪は私が作ったものですが力を貸すのは私自身ではありません。
エーテルの指輪、それは新世界の女神パンゲアと人を繋ぐもの――私はその橋渡し役に過ぎない』
先程倒した虚無に堕ちたパンドラは、言わば女神パンゲアの影――
倒されるべき自らの影に力を貸すわけもなく、パンドラがエーテルの指輪が使えなかったのも当然というわけだ。
尤も、力の源泉と同一存在の欠片であるパンドラが虚無に堕ちてしまった状態では、
何人にもエーテルの指輪の力は引き出せなかったであろう。
ティターニアは、光り輝く指輪をアルダガに差し出した。
「アルダガ殿……これはそなたが使うのがいいのではないか。
女王様は、仮初なんかじゃなかった――」
女神パンゲアが、本当に彼女の信奉する女神と同一存在なのかは分からない。
しかし少なくとも、世界を愛し、人間を愛し、人間の可能性を信じた女王は、確かに存在した―― バフナグリーさんの拳が光を帯びる。
神術による目が眩むほどの輝きの奥。二つの影が交差するのが辛うじて見えた。
そして光が徐々に収まって、私の目に映ったのは……崩れ落ちる、全の英雄の姿。
「バフナグリーさん!」
私は、気づけばバフナグリーさんに駆け寄っていました。
彼女の右腕を、皮膚の焦げていない根本から掴んで、引き寄せる。
すぐに、右手に集めた魔力で撫でるようにして、治癒の魔法を施す。
……効きが悪い。例え自傷であっても、これは、神の力によってもたらされた傷だから。
「しゃがんで。楽にして下さい」
『フォーカス・マイディア』を発動する。
負荷を軽減していたとは言え、もう大分、発動時間が嵩んできている。
刃物で指を切ってしまった時のような鋭い痛みが、頭の中で膨らみつつある。
だけど、中断する訳にはいかない。
フィリアさんが、炎の指環で周囲に癒やしの力を振り撒いている。
それでも……私は治療をやめない。
バフナグリーさんは……私の無茶な願いを、聞き届けてくれた。
この腕は、その代償。だから私が責任をもって治さないと。
……いえ、そうでなくとも。
「……痛いですか?少しだけ我慢して下さい。必ず治してみせますから」
バフナグリーさんに、こんな痛ましい怪我をさせたままでいたくない。
少しでも早く、少しでも楽に……彼女を、治してあげたい。
……不意に、視界がぼやけた。
『フォーカス・マイディア』の副作用……?
いや、違います。これは……ただの、涙。
嬉しくて……か、感極まって、泣いてしまうなんて……一体何年ぶりでしょう。
まるで五年前に戻ったような……変な気分です。
「バフナグリーさん、あなたが、無事でよかった。ほんとに、ほんとによかった」
あ、駄目ですこれ。止まらないやつです。
治癒魔法は続けたまま、私はバフナグリーさんの肩に顔を埋めて、鼻をすする。
「……ごめんなさい。あなたにしか、頼めない事でした」
女王パンドラが何か言っている。
本当は、彼女に聞かなきゃいけない事があったんです。
だけど……きっと、彼女はそれに答えてはくれないでしょう。
そんな言い訳を自分にして、私は動かなかった。
ただずっと、バフナグリーさんを抱きしめていた。 >「……行こうぜ。俺たちはあいつらに託されたんだ」
やがてジャンさんがそう言いました。
私は治癒魔法を切り上げて立ち上がると、白衣の袖で両目を拭う。
それからディクショナルさんの袖を掴んで……
無意識にまた同じ事を繰り返していた自分に、思わず笑ってしまいました。
「行きましょう、ディクショナルさん」
そして私達は転移魔法陣へと足を踏み入れて……周りに光が満ちる。
光が収まると目に映ったのは、竜を崇め奉る神殿。
その最奥には……常に移り変わる虹色の鱗を身に纏った、巨大な竜。
あれが……全の竜。
>『ありがとう、よくぞパンドラを解放してくれました。
これで、あなた達に虚無と戦う力を与えることが出来る――』
「どういうことだ……?」
そして全の竜は語り出す。
旧世界の女王が打った起死回生の策。
私達の世界の成り立ち。
>『その指輪は私が作ったものですが力を貸すのは私自身ではありません。
エーテルの指輪、それは新世界の女神パンゲアと人を繋ぐもの――私はその橋渡し役に過ぎない』
>「アルダガ殿……これはそなたが使うのがいいのではないか。
女王様は、仮初なんかじゃなかった――」
エーテルの指環に力が宿される。
ティターニアさんはそれを、バフナグリーさんへと差し出した。
……一応、この戦いの後で帝国がハイランドに戦争を仕掛ける可能性はまだ残っているのに。
まったくもう、ヒトがいい……。
「……帝国に指環をもたらす。確かに成し遂げましたね、バフナグリーさん。
他ならぬ指環の勇者様がこう仰っているんです。頂いておきましょう」
…………これで、指環の勇者様の物語の、本章はおしまい。
最後の指環を手に入れて、次の章では虚無の竜を倒して。
後は指環に各々願いを叶えてもらって……ハッピーエンド。
そう。ハッピーエンド。
誰もがそう呼ぶだろう結末が、もうすぐそこに見えている。
……僅かばかりの、謎を残しつつも。
私はその謎を、究明しようと思えば、そうする事が出来る。
だけど、本当にそれはすべき事なんでしょうか。
もしかしたらそれは……皆さんを、恐ろしいほどの危険に晒す事になるかもしれないのに。 「……ティターニアさん。いえ、先生」
私は、ティターニアさんを見つめた。
「もし、この滅びた世界に……まだ、誰も答えを知らない謎が残されているとしたら」
……これは、ただの言い訳。
誰か、誰でもいいから、私がこれからしようとする事を肯定して欲しかった。
曖昧な問いかけで、同意を、言質を取ろうとしているだけの……ズルいやり方。
それでも……ごめんなさい。
この謎は、一人で抱えて黙っているには、あまりにも重すぎます。
「どう、思いますか?その謎の正体を、知りたい、ですか?」
考古学の導師であるティターニアさんなら、もしかしたら。
「ジャンソンさん。私は結局、まだまだオークの事が分からないままです。
……だけど、あなたの事は……少しだけ、分かったような気がしてるんです。
何事も、中途半端は良くない……ですよね?」
当代の、最初の指環の勇者であるジャンソンさんなら。
「……ディクショナルさん。もし私が、もう一度。
何も聞かず、何も言わず、ただ手を握って欲しいとお願いしたら……それを、聞いてくれますか?」
あの時、私の手を握り返してくれた、ディクショナルさんなら。
「バフナグリーさん」
最後に私は、バフナグリーさんを見つめた。
「私が今からする事は、別に帝国の為ではありません。
それどころか……むしろ、誰の為にもならないかもしれない。
……それでも、力を貸してくれますか?」
そして……私は全の竜へと振り返った。
「すみません。少し、聞きたい事があります。
まだ明らかになっていない、幾つかの謎についてです」
『謎?……勿論、構いませんよ。私に分かる事でしたら、全てお答えします』
全の竜が静かに、私を見下ろした。
「……指環の伝承については、あまり詳しくはないのですが。
全ての指環を揃えれば、ありとあらゆる願いが叶う……世界を意のままに操る事さえ可能、そうですよね?
では……先代の指環の勇者は、戦いを終えた後、指環に何を願ったのですか?」
『先代勇者の……願い?ははは、些か気が早いようにも思えますが……。
覚えていますよ。彼らは、自分達で国を作る為の土地を求めていました』
「それだけ、ですか?」
『ええ。後は……戦災の復興の為に幾つか、小さな願いがあったくらいです。
勿論、その全てが叶えられました。願いは一つだけ、なんて心の狭い事は言いませんよ』 「……そうですか」
……この先。この先です。
「では、もう一つ」
次に私が問いを口にすれば、もう後戻りは出来なくなる。
どうか……口を噤む事が出来なかった私のわがままを、許して下さい。
「……あなたがこの世界を元通りに直さないのは、何故ですか?」
全の竜が常に纏っていた柔和な雰囲気が、一瞬で霧散した。
『……私も、そうしたいのは山々なんですよ。
ですがかつての虚無の竜との戦いで、私は最早本来の力を失ってしまった』
「いいえ、そんなはずはない。このセント・エーテリアの状態がその証明です。
虚無の竜が世界を滅ぼそうとしている時、あなたはずっとここにいたんだ。一体どうして?」
全の竜は……何も答えようとはしなくなった。
ただ私を、じっと見下ろしている。
「それだけじゃありません……先代の勇者が、世界の平和を願わなかった理由は?
指環の勇者なんてとびきりの慈善事業をやり遂げたお人好しが、その願いを、考えもしなかった?」
その可能性も、まったくないとは言い切れない。
だけどもっと……納得の出来る説明がある。
「本当は……叶えられなかったんじゃないですか?その願いを」
バフナグリーさんに受け渡された、エーテルの指環。
その力の源は、女神パンゲアだと聞かされました。
だけど指環とは本来……死を伴う物であるはず。
いかなる原理かは分かりません。
円環を描く事で、その力に絶えず巡り続ける性質を付与するのか。
……ともあれ、力ある者が死を迎える事で、指環は完成する。
「肝心要の、全の指環の力が不十分だったせいで」
ならば、全の指環の素体となる死者は一体?
女神パンゲアは力の提供者に過ぎない。
全の竜自身が、全の指環は自分が作り出したと言っている。
であれば、全の指環を完成させる為には……全の竜が命を捧げる必要があったはず。
だけどそれは、今この場で成されなかった。
そして恐らくは、先代勇者の時も、それ以前も、一度たりとも成される事はなかった。
「これが、僅かに残った謎……真実を、教えて下さい」
全の竜は、黙っていた。
『……ふ、ふふ』
……ですが不意に、笑い声が聞こえました。
全の竜の口元から零れ落ちた声。
それは次第に大きくなって……暫し、地を、大気を、揺るがすほどの哄笑が周囲に響く。 『真実?真実ならもう分かってるじゃないか。
私はあの時、滅びゆく世界をここから眺めていた。
世界の平和なんてつまらない願いを、全て足蹴にしてやった』
全の竜の口元が、裂けんばかりの笑みを描いた。 『それ以上の何が必要なんだ?君達はもう、真実に辿り着いている』
「……いいえ。私には……私達には、理解出来ない。
あなたが何故、自分の創造したこの世界の滅びを、ただ眺めていたのか」
全の竜は私達を見下ろしたまま、暫し考え込むような仕草を見せました。
『……そうだなぁ。理由か。確かにそれを教えてやった方が、面白くなるかもしれない』
「……面白く、ですって?」
……あなたが傍観を決め込んだ事で、一つの世界が滅んだというのに。
その理由を、言うに事欠いて、面白くなるから教えてやる?
やはり、この竜は……。
『ああ、そうとも。面白いか、どうか。それこそが私の唯一無二の判断基準だ。
この世界を虚無の竜が襲い、私の被造物がそれに抗う様は壮観だった。
君達の世界も、常に争いが絶えなくて見ていて飽きないよ』
「……狂ってる」
『まぁ君達の尺度で見れば、そう思うのは無理もない。
だが私にとっては切実な話なんだよ、これは』
全の竜が揺らめく虹色を帯びた翼を、軽く振るって見せる。
瞬間、地を走るように無数の花々が周囲に咲き誇る。
それだけじゃない。
この閉ざされた神殿の中に、陽光が注ぎ、風が吹き、川のせせらぎが聞こえてくる。
『どうだい、綺麗なものだろう。だが私にとってはこんなものは、ただの属性の集合体に過ぎない。
退屈だったんだ、私は。
私が遥か昔、まだこの世界すら存在しない虚無の中に生まれた時からずっと』
……全の竜が、その翼をもう一度振るう。
『虚無の中は、恐ろしく退屈だった。なにせ何もかもが存在しないんだからね。
だから、私はこの世界を造った。暖かで、清く、豊かで、滞る事のない世界。
でも、同じだった。私にはこの世界で起こる事、見えるもの、その全てが予測出来た。それでは虚無と変わらない』
生み出された『世界』が掻き消えて、周囲には元通り、神殿の内装が戻ってくる。
『だから私は、この世界に生命を造った。私以外の、不完全な、しかしそれ故に多様性を持つ存在を。
……その試みは、上手くいった。少なくとも暫くの間は。
彼らは文明を築き、進化していった。その様を眺めているのは……それなりに、退屈しなかった』
「なら……何故」
『君なら分かるだろう。発展も進化も、永遠に続く事はない。
停滞してしまったんだ。少しずつ、暮らしが便利になる程度の進化はあったけど。
だけどそれは私にとってはただの退屈な時間だった』
そう言うと、全の竜は……くつくつと笑った。 『そんな時だった。アイツが現れたのは』
「……虚無の竜」
『そう。アイツは、私の造った世界を見る間に食い散らかしていった。
最初はね、私も止めようと思ったんだ。
また一から世界を育てるなんて……そんな退屈な事、したくなかったからね』
心底、愉快そうな笑み。
『だけど……私は気づいてしまったんだ。
偉大な存在として生み出された竜達が、矮小な人間の為に命を懸ける様も。
竜に遠く及ばぬ人間達が、そのちっぽけな命を燃やして巨大な滅びに抗う様も』
心臓の鼓動が早鐘のように加速していくのを感じる。
怖い。得体の知れないものを目の当たりにする恐怖が毒のように、私を侵していくのが分かる。
『その無数の感情と、信念の爆発は……属性では言い表せないほど、美しかった。
だからつい、思ってしまったんだ。もう少しだけ見ていたい、と。
もう少しだけ、もう少しだけ見たら、彼らを助けようと』
……私は、全の竜の話を聞きながら、呼吸を整えていた。
先ほどの戦いの疲労は……殆ど残っていない。
炎の指環による治癒のおかげです。
『気がついたら、この世界は殆ど滅んでしまっていたよ。
だけど私はそれでも満足出来なかった……もっと見ていたかった。
あの悲劇を。英雄達の物語を』
「……もう、結構です。知りたい事は全部分かりました。これ以上は、聞きたくない」
『そうかい?そりゃ残念……しかし、ふふ。
パンドラがしてくれた事は私にとっても素晴らしい試みだったよ。
永遠に繰り返される争い。私を楽しませる為の舞台を、彼女は整えてくれたんだ』
「『竜の天眼(ドラゴンサイト)』」
既に神殿の外に形成していた球体ゴーレムが一斉に、火を噴いた。
放たれた弾丸は神殿の天井を容易く貫通、粉砕して……全の竜の肉体に、無数の穴を穿つ。
……その傷が、まるで水面のように元に戻っていく。
それは生物的な再生ではなく……もっと超然とした、再現。
『いいね、面白い。面白いよ。永遠にも思えるほどの時を生きてきた。
だが……私を滅ぼそうとする人間は、久しぶりだ。本当に久しぶりだ』
全の竜は余裕の笑みを浮かべたまま、私を見据えた。 『よろしい、かかってきなさい。自分の力で戦うなんて、生まれて初めてだけど……それもまた一興だ。
ああ、心配はいらないよ。君達が負けてしまったとしても、ちゃんと元通りにしてあげよう。
五分ほど前からね。ちなみに今は……ええと、三回目だったかな?』
「戯言を……」
……とは言ったものの、やはり、強い。
いえ、強いと言うよりは……まさしく、神がかっているとでも言うべきでしょうか。
『……おや、どうしたんだい。もしかして、怖気づいたのかな?
それならそれで構わないよ。君達は何事もなく世界を救い、舞台は続く。
私はそれでも困らないからね』
……勝機は、ない訳ではない。
私のドラゴンサイトは、確かに全の竜の頭部を撃ち抜いていた。
首筋にも、辛うじて首の皮が一枚残る程度の大穴が空いたのに、それでも奴は生きていた。
『世界を創造する力』……。
その力は、奴の存在そのものすら復元、再現出来るのでしょう。
ですが……指環の力なら。
四竜三魔、彼らもまた世界を創造する力の片鱗。
彼らの力を借りれば、全の竜の存在に傷をつけられるかもしれない。
それに……エーテルの指環。
新世界の創造神とも言える、パンゲアの力。
その力を、バフナグリーさんが引き出せれば……。
だけど……これは私が決めていい事じゃない。
……怒りを抑え切れなくて、つい発動したドラゴンサイト。
アレで仕留めきれなかったのなら……もうこれ以上はいけない。
私が独断で戦いを始める訳にはいかない。
私は、指環の勇者では、ないから。
全の竜の存在は……ある意味では、保険でもある。
彼が「劇」を望む限りは、恐らく私達の世界が滅ぶ事はない。
滅ばない程度に、全の竜は力を貸してくれるでしょう。
全の竜と、ここで事を構えるべきなのか、否か。
私には……分からない。
指環を持つ皆さんの方を振り返る。
私はきっと……縋るような目をしていた。 【今まで出てきたり出したりした設定を振り返ってたら、こんな事になりまして……。
エクストラステージに進むかどうかは、おまかせします】 >>183
お前の自画自賛本気で醜いから消えろや
バレてないと思ってるの?
なあウンコマン >>183
ラテカスさあ毎回そうやって迷走するよなあ 神術の炸裂が終末の鐘の如く響き渡り、死闘が終わりを迎える。
全の英雄の倒れる音と、アルダガの荒く不安定な呼吸。
それ以外の一切の音が介在しない静寂が、帳を降ろすように横たわる。
「――――っ」
最早言葉にすらならない呻きのようなものを上げて、アルダガもまた力尽きた。
焼け焦げた右腕に痛みはなく、そして痛み以外の感覚もない。
緊張の糸がぷっつりと途切れて、彼女は足の支えを失った。
仰向けに、倒れていく。
>「バフナグリーさん!」
その背を受け止める者がいた。
駆け寄ってきたシャルムがアルダガの肩を支えて、炭化した右腕を掴む。
皮膚の成れの果てがポロポロと溢れ落ちて、亀裂から血が溢れ出ていた。
「シアンス、殿……」
>「しゃがんで。楽にして下さい」
しかし血はすぐに止まった。
シャルムの回復魔法が焦げた血肉を癒やし、傷を埋め、新たな皮膚が形づくられていく。
同時に、沈黙していた神経が再び感覚を取り戻して、痺れるような痛みが腕から全身を駆け巡った。
「あっ、痛ぅぅぅ……!シ、シアンス殿、もう少し手心を……!」
>「……痛いですか?少しだけ我慢して下さい。必ず治してみせますから」
灼け尽き、失われていた肉体の機能を取り戻しているのだから、痛みがぶり返すのは当然と言えば当然だ。
全の英雄を打ち倒すのに、犠牲を払わずに済むなんて端から考えてなどいなかった。
右腕一本と引き換えに世界を救えるのなら、甘んじてそれを受け入れるつもりだった。
しかし――
>「……ごめんなさい。あなたにしか、頼めない事でした」
アルダガの肩に額を付けて、しゃくり上げるシャルムの姿を見たとき、彼女は心に何か温かいものが満ちていくのを感じた。
無事な左腕で、シャルムの頭を抱き寄せる。
世界を救うのに、見返りを求めるつもりはなかった。
黒騎士としての使命であり、女神を奉ずる者として当然のことだと認識していた。
だが、こうして傷ついたアルダガを見て、涙を流してくれる人がいる。
払った犠牲を取り戻さんと、失ったものを補わんと、必死に手を尽くしてくれる人がいる。
その温もりは、異教徒を滅したあとに、聖女を通じて交わされる女神のお褒めの言葉よりも、ずっと心地が良かった。
「貴女がそう言ってくれるのなら……戦った甲斐がありました、シアンス殿」
肩から伝わってくるシャルムの体温を感じながら、アルダガは零すように呟いた。
見返りを得て喜ぶなど、修道士として失格かもしれない。
だけど今はきっと、それで良い。それで良いのだと、心から思える。
(女神様。拙僧は今でも、貴女に対する信仰を失ったわけではありません。
ですが……"わたし"の選んだ守るべきものもまた、こんなにも尊いのです)
人民を救うなどと、上から目線で御大層な大義がなくても、人は戦える。人を救える。
他ならぬ証が、いまこの手の中にある。
シャルムを抱き締めながら、アルダガは自身の心の変容を、そう肯定した。
――――――・・・・・・ アルダガと全の英雄とが一騎打ちを演じる一方で、スレイブ達は女王パンドラと対峙していた。
ティターニアが大地の指輪の力で女王を翻弄し、岩の根がその動くを封じる。
全の英雄からの助けを得られず孤立しパンドラは、やがて指輪の勇者達に追い詰められていった。
そして、アルダガが全の英雄を打ち倒す。全てに決着がつく。
>「もう良い――私の負けです」
全の英雄の敗北は、旧世界の民に抵抗の術が残されていないことを意味していた。
パンドラは諦めたように椅子へと腰掛け、周囲から護衛の騎士たちが消える。
女王もまた静かに息を引き取って、指輪の勇者を阻むものは何もなくなった。
>「女王パンドラ……あなたのことは最後まで嫌いでしたよ。でも、世界を救おうとするその意志の強さだけは好きでした」
息絶えた女王の姿を複雑な面持ちで眺めるのは、旧世界の英雄が一人、オウシェン。
ジャンと戦い、その力量を測っていた彼女は、指輪の勇者達に向き直る。
>「パンドラがいなくなったことで不死者たちは統制を失い、神殿へと獲物を求めてやってくることでしょう。
理性もなく、本能のみで生きる人間なぞ獣以下の存在でしかありません。
そのような者たちにこの神殿を乗っ取られるなど言語道断、私と生き残った英雄でここを守ります」
「先程から神殿の周りから聞こえてくる叫びは、そういうことか。
他人のことを言えた義理じゃないが、あんたたちも満身創痍だろう。大丈夫なのか?」
スレイブの問いに、オウシェンは見くびってくれるなとばかりに鼻を鳴らした。
>「火と闇と光と土と……爺様も生きておられるようですね。
爺様に治療してもらえればなんとかなるでしょう、ほら爺様起きてください!寝たふりしないで!
魔力封印?爺様なら集中すればすぐに解除できます!」
指輪の勇者と対峙し、打ち倒された英雄たちが、一人また一人と立ち上がる。
全身に傷を負い、武装の砕けた者もいるが、その双眸には未だ戦意の火が宿っていた。
「俺を忘れるなよ、水臭いじゃないかオウさん。……水だけにさ」
突風が玉座の間を洗い、風の英雄ザイドリッツがふわりと着地する。
スレイブによって刻まれた刃傷は未だ残っているが、血は止まっているようだった。
「……生きてたのか」
「よく言うぜ、トドメ刺していかなかったのは君だろ。詰めが甘いよ、詰めが。気をつけなよ?
まぁ死に体ではあったんだけど……俺がまだ生きてるのは多分、女王様の差配さ」
ザイドリッツの言葉に、スレイブも合点がいく。
女王の最期は、彼女が自ら命を絶ったように見えた。
パンドラは自身の消失が不死者を暴走させることまで読んでいて、あえて余力を残して絶命したのだ。
自分の命の維持に使う魔力を、英雄たちの回復に充てた。
致命傷を負ったはずのザイドリッツが、こうして戦線に復帰できているのが何よりの証左だ。
「餞別だ、持っていきな」
不意にザイドリッツが放ったものを、スレイブは片手で受け止めた。
それは黒騎士の証、ブラックオリハルコンの長銃。ザイドリッツが百年前の黒騎士から奪ったものだ。
「これをどうしろと……」
スレイブは困惑した。渡された長銃は銃身が半ばから綺麗に断たれている。
他ならぬスレイブが、ザイドリッツとの戦いで破壊した銃だ。 「そっちの世界で俺を弔ってくれるんだろ?墓標代わりにでもしといてくれ。
うまい感じにソードオフになってるから撃てないこともないだろうけど、まぁお勧めはしないかな」
「……懐に入れておけば、盾くらいにはなるか」
風の英雄の真意が読めないまま、スレイブは長銃を腰帯に差した。
ザイドリッツは満足したように頷くと、オウシェンと共に神殿の出入り口へと向かっていく。
>「……行こうぜ。俺たちはあいつらに託されたんだ」
ジャンがそう言って、踵を返した。
一度は殺し合いを演じ、同じ目的のもと集った英雄と勇者が、再び袂を分かつ。
(託された、か)
世界を救いたいというザイドリッツの言葉に嘘はなかった。
そして、英雄たちが幾万年もの間掲げ続けてきたその責務は、正しく指輪の勇者たちに託されたのだ。
スレイブは、腰の壊れた長銃に手を置く。
進もう。託されたものと、意志を背負って。彼らの悲願もまた、スレイブ達と共にある。
>「行きましょう、ディクショナルさん」
スレイブもまた一歩踏み出そうとすると、何かに引っ張られるような感覚があった。
アルダガの治療を終えたシャルムが、神殿へ来たときと同じように、彼の袖をつまんでいた。
「………………」
スレイブはしばらく無言で立ち止まり、思案に思案を重ねて、行動に移した。
袖をつまむシャルムの手を振り払う。
「もしかするとまた分断される可能性がないこともないかもしれないからな。こうするのが、おそらく多分合理的だ」
スレイブはシャルムの方を見ることなく、自由になった手で、シャルムの手を握った。
手のひらから伝わる彼女の体温と、血の巡る鼓動。
彼に力をくれるその全てを確かめるように感じながら、スレイブは転移陣を踏んだ。 視界を包む光が晴れると、そこはこれまでとは別の神殿だった。
竜を象った意匠がそこかしこにあしらわれ、静謐と荘厳とが渾然一体となって見る者を包む。
パンドラのいた玉座の間とは異なり、生気に満ちた瑞々しい気配が充溢していた。
アルダガは目を閉じ、周囲の気配を探る。不死者の律動はどこにもない。
(星都の……更に隔離された空間、ですか。女王パンドラが、虚無の竜から最期まで護り通したもの)
巨大な扉を開いた先には、巨大な玉座を温めるように座する巨竜の姿。
――『竜の間』。星都を巡るこの旅の、最終目的地だ。
>『ありがとう、よくぞパンドラを解放してくれました。
これで、あなた達に虚無と戦う力を与えることが出来る――』
ティターニアの求めに応じて、全竜は真相を語る。
女王パンドラが虚無に墜ち、不死者の王として星都に君臨し続けた理由。
そして、アルダガ達の奉じる女神の正体――
「それではエーテルの指輪を司るのは、女神様ということですか……?」
他の指輪が四竜三魔の力を封じ込めたものであるように。
エーテルの指輪は、女神パンゲアの奇跡を凝縮し、形を成したものだった。
おそらくは、同じ理屈で力を得る神術よりも、更に奇跡の本領に近い力を手にすることができるだろう。
(……どうやら、指輪の勇者たちとわたしの旅は、ここで終わりのようです)
女神の力を司るエーテルの指輪は、本質的にはアルダガの持つ神術の力と同一だ。
それは逆説的に、神術使いとしてのアルダガが指輪の勇者と共に居る妥当性を否定するものとなる。
エーテルの指輪があれば、アルダガと同じ力をアルダガよりも高い精度で扱うことができるからだ。
思えば、星都への旅路は彼女にとって、帝国の全ての民を救うための使命を帯びた戦いだった。
既に話のスケールは一国の範疇などとうに越えて、指輪の勇者が救う対象は「世界」になっている。
復活した虚無の竜が今度こそ世界を食らいつくせば、帝国も連邦も王国も、国家の垣根など意味を為さないのだ。
だから、アルダガが指輪を求める理由は、最早帝国上層部への義理立てだけだ。
聖女はまたぞろマジギレするかもしれないが、そのためだけに勇者から指輪を奪う気にはならない。
アルダガが真に守りたいのは帝国ではなく……そこに生きる民だからだ。
指輪の勇者たちと共に戦い続けることが出来ないのが、残念ではないと言えば嘘になる。
しかし、帝国の強い意向を受けている立場のアルダガが勇者一行に混ざれば、待っているのは再びの政争だ。
無粋な横槍を避けるには、やはりアルダガはここで離脱すべきだろう――
彼女はそう結論付けて、指輪の勇者たちより一歩下がった。
しかし全竜との対話を終えて振り返ったティターニアは、真っ直ぐアルダガの方へ歩いてきた。
>「アルダガ殿……これはそなたが使うのがいいのではないか。女王様は、仮初なんかじゃなかった――」
差し出されたエーテルの指輪。
その行動が意味するところを、彼女はしばらく理解できていなかった。
「え……あ……えぇっ!?ティ、ティターニアさんっ!い、良いんですか……?」
アルダガが最後の指輪を手にすれば、これまでのように国家に囚われずに行動することは出来なくなる。
言わば現在のアルダガは帝国のエージェントだ。国家の意志によって指輪を探索している。
その『成果』として指輪を得れば、帝国上層部はそれを『有効に』使うことだろう。
行き着く先はハイランドやダーマとの戦争。
表立って開戦はしなくとも、指輪の力を背景に不平等な交渉を迫ることもあるだろう。
指輪の勇者たちにとって益となるものはなにもないはずだ。 >「……帝国に指環をもたらす。確かに成し遂げましたね、バフナグリーさん。
他ならぬ指環の勇者様がこう仰っているんです。頂いておきましょう」
「シアンス殿っ!?」
思わぬところから謎の援護射撃が飛んできた。
そう、国家間のしがらみや上層部の意向を無視するなら、エーテルの指輪の入手はアルダガにとっても悲願であった。
旧世界の女王が、新世界で女神となって造った指輪。それを賜るのは修道士としてこの上ない誉れだろう。
正直に言えば、喉から手がでるほど欲しい逸品ではある。
「……受け取れませんよ、ティターニアさん。帝国に指輪が渡れば、それは戦争の火種になります」
言葉とは裏腹にアルダガは手を伸ばし、ティターニアの手からエーテルの指輪を拾う。
巨大なメイスを振るい続けたために常人よりも大きいアルダガの指に、指輪はピタリと嵌った。
「ですが、一時的に預からせていただきます。約束、覚えていますよね?
星都での旅が終わったら、指輪を賭けた立ち合いが待っています。真の所有者は、それを経て決めましょう」
指輪を嵌めた手を確かめるように握ったり開いたりしながら、アルダガは言葉を返した。
当初の予定に変更はない。決着を着けるその意志は、未だなお胸の中にある。
さあ、あとは星都を脱出し、指輪を新世界に持ち帰るばかりだ。
竜の間を辞する支度を整えていると、シャルムが不意に思案を言葉にした。
>「もし、この滅びた世界に……まだ、誰も答えを知らない謎が残されているとしたら」
>「どう、思いますか?その謎の正体を、知りたい、ですか?」
「……シアンス殿?」
エーテルの指輪を含む、全ての指輪を手に入れて、残るは虚無の竜との最終決戦。
大団円まであと一歩というところで、シャルムは足を止める。
その表情には、謎への探究心というよりかは、もっと根源的な"怯え"のようなものが見て取れた。
>「……ディクショナルさん。もし私が、もう一度。
何も聞かず、何も言わず、ただ手を握って欲しいとお願いしたら……それを、聞いてくれますか?」
問われたスレイブはほんの数瞬、真意を探るように目を動かして、すぐに頭を振った。
シャルムの言葉が駆け引きや暗黙の訴えなどではなく、純粋な願いであると、気づいたのだ。
「貴女が何をしようとしているのか、俺は知らない。だが、何をするのだとしても……俺は貴女の隣に居よう」
スレイブは返答と共に、シャルムの手を再び握った。
そしてシャルムは、アルダガへと目を向ける。
>「バフナグリーさん」
>「私が今からする事は、別に帝国の為ではありません。それどころか……むしろ、誰の為にもならないかもしれない。
……それでも、力を貸してくれますか?」
「そんな他人行儀なこと言わないで下さい、シアンス殿……。わたしの守りたいものの中に、貴女もまた入っているんです。
帝国だからとか、新世界だからとか、そんなことは関係なしに、わたしは貴女を守ります」
仲間たちに一通り声をかけてから、シャルムは全竜へと向き直った。
>「すみません。少し、聞きたい事があります。まだ明らかになっていない、幾つかの謎についてです」
シャルムの問いに真摯に答えていた全竜。
しかしその態度は、ある質問を境に豹変することとなる。 >「これが、僅かに残った謎……真実を、教えて下さい」
全竜が笑う。裂けた口からのぞく、無数の牙は、彼のこれまで隠していた獰猛さの発露だった。
>『真実?真実ならもう分かってるじゃないか。私はあの時、滅びゆく世界をここから眺めていた。
世界の平和なんてつまらない願いを、全て足蹴にしてやった』
かつて世界を救うために戦った、先代の指輪の勇者たち。
いや、先代だけでなく、その前の代も、その前の前の代も、ずっと以前の勇者たち。
彼らが一様に望んだであろう世界平和は、指輪の力で叶えられるはずだった願いは。
――眼の前で心底愉快そうに語るこの全竜によって、阻止されていたのだ。
「ふざけるな……!!」
全竜の言葉をシャルムの隣で聞いていたスレイブが、怒りを露わにして叫んだ。
「ふざけるなよ、ふざけるな……!それじゃあ、これまで先代たちや、旧世界の英雄たちが払ってきた犠牲は……
彼らが願い、旅の果てに死力を尽くした戦いは、まるで――」
『――まるで無意味な、茶番。そう言いたいのだろう?ひどいことを言う奴だな。
君は興行の前座で痴態を晒す道化を、無意味なものだと斬って捨てるのかい?』
「貴様――!!」
激昂したスレイブが剣を手に飛びかかる。
怒りに任せた愚直な突進は、竜の鼻息一つで吹き飛ばされた。
『茶番などではなかったさ。彼らは優秀な道化だった。見ていて飽きないほどにね。
これからもそれは変わらない。君たちは私の書いた筋通りに世界を救うだろう。
私はひとしきりその過程を楽しんだあと、君たちの冒険譚を閉じて本棚にしまう。
よく頑張った、感動した、心躍ったと感想を述べてね。そしてまた次の勇者が生まれるのを心待ちにするのさ』
アルダガもまたメイスを構え、全竜と対峙する。 「それを聞いて、拙僧たちがおとなしく貴方の思い通りにするとでも?」
『するとも。虚無の竜から世界を救うという点においては、私と君たちの願いは同じなのだからね。
まさか世界を救わないなんて言い出すつもりはないだろう?それは困るなぁ。
せっかくここまで"育てた"最高の道化達が、舞台から転げ落ちてしまうのは良くない。
君たちの頭の中身を少々弄って、素直に世界を救いたくなるように仕向けてみるのも悪くないかもしれないね』
「心配せずとも、世界は救ってやる」
叩きつけられた壁の中に埋まっていたスレイブが、瓦礫を跳ね除けて起き上がった。
「貴様の描くシナリオなど知ったことじゃない。この下らない輪廻を、俺たちの代で終わらせる。
貴様が永遠の繰り返しを望むのなら、虚無の竜よりも先に貴様を滅ぼすだけだ」
『こらこら、観客に刃を向ける道化がどこに居ると言うんだい。
……いや、そういうのも趣向としては悪くないか。観客参加型の戯曲というのも、世界にはあったね。
よし、君の望む通りにしよう。私は何をすれば良い?舞台に上がって一緒に歌えば良いのかな』
「抜かせ……!」
『そら、第一楽章が始まるぞ。まずはロンドから踊って貰おうか――"破滅への輪舞曲"』
瞬間、神殿を構成していた石壁が消失した。
外には星都の密林が広がっているはずだが……目に飛び込んできたのは荒野。
地平線の彼方まで、木の一本すら見えないひび割れた荒野だ。
失われた天井の代わりに空には暗雲が立ち込め、雲の隙間から幾条もの稲光が降ってくる。
土砂降りの雷雨と、暴風。
どこからともなく押し寄せる濁流は、まるで嵐の海の上のようだ。
……"ようだ"ではない。いつの間にか、指輪の勇者たちは今にも沈みそうな船の上に放り出されていた。
荒波に揉まれ、転覆寸前にまで傾く船。足元の甲板の、濡れた木材の感触まではっきりと感じる。
「これは、空間の書き換え……滅びをもたらす天災を、『創造』した――!?」
『船旅と嵐による難破。艱難辛苦の代名詞とされるものさ。
今の時代は飛空艇なんて言う便利な乗り物が普及してしまったけど、あれは良くない。つまらない。
やはり冒険はこうでなくてはね』
船底に穴が空き、またたく間に海水が入り込んでくる。
難破寸前の船にトドメをささんとばかりに、濁った高波が空を覆い尽くした。 【全の竜との戦闘開始。『創造』の力により嵐の中で難破寸前の船の上に放り出される。】 全の竜が待ち受ける広間は華やかではないが気品を感じさせる装飾が施され、
旅の終わりに相応しい場所であった。
>『ありがとう、よくぞパンドラを解放してくれました。
これで、あなた達に虚無と戦う力を与えることが出来る――』
そうして全の竜が語り出すのは、旧世界の終焉と女神の誕生。
おとぎ話ですら語られることのなかった、世界創造の真実だ。
>「アルダガ殿……これはそなたが使うのがいいのではないか。
女王様は、仮初なんかじゃなかった――」
ジャンは一介の冒険者にすぎない。だが、教会からの出向とはいえ黒騎士のアルダガが指環を持つという意味は理解していた。
行動そのものが帝国の意志を示す黒騎士が女神に認められた証を持ち、自在に操る。
それは帝国と教会の間に軋轢を生み、ハイランドやダーマへの侵攻どころか
この大陸に広く信仰を持つ教会すら敵にするということ。
だが、それでもジャンは思う。
信仰に敬虔であり続け、一行をここまで守り抜いてくれたアルダガならば。
女神は虚像ではなく、本当にいたということが示されたならば。
それは報われるべきなのだと。
「とっとと受け取っちまえよ、どうせ俺たちじゃ使えねえしな」
>「……帝国に指環をもたらす。確かに成し遂げましたね、バフナグリーさん。
他ならぬ指環の勇者様がこう仰っているんです。頂いておきましょう」
「ほれ、帝国代表様が言っておられる。
とっとと嵌めて、帰ろうや」
結局指環を受け取ってはくれたものの、アルダガは頑固な姿勢を崩すことはない。
帝都で交わした約束をまだ実行するつもりでいるらしい。
>「ですが、一時的に預からせていただきます。約束、覚えていますよね?
星都での旅が終わったら、指輪を賭けた立ち合いが待っています。真の所有者は、それを経て決めましょう」
「なあティターニア、やっぱり俺たちでやんないとダメかな……
今のうちに俺の頭を覚えておいてくれ、きっとあのメイスでへこんで形が変わっちまうから」
アルダガの強靭な意志を秘めた目はまるで伝説に語られるオリハルコンのようだ。
確かに決闘はオーク族として誉れではあるが、思わずジャンはその目から目線をずらしてティターニアにこっそり耳打ちする。 さて、一行がどうやって帰るかとなったそのとき。
帝国の一流魔術師たるシャルム・シアンスがぽつりとつぶやく。
それは指環の勇者たちに対する問いかけであり、全の竜への問答でもあった。
>「ジャンソンさん。私は結局、まだまだオークの事が分からないままです。
……だけど、あなたの事は……少しだけ、分かったような気がしてるんです。
何事も、中途半端は良くない……ですよね?」
「……ああそうだ。やるなら最後まで、諦めは死……それが俺たちオークさ」
まるで気づいてはいけないことに気づいた子供のような、
王族の秘密を知った侍女のような表情でシャルムは語り始める。
先代勇者が願ったいくつかの出来事、そして唯一叶えられなかった、たった一つの願い。
そして、全の竜は真の姿を現す。
>『茶番などではなかったさ。彼らは優秀な道化だった。見ていて飽きないほどにね。
これからもそれは変わらない。君たちは私の書いた筋通りに世界を救うだろう。
私はひとしきりその過程を楽しんだあと、君たちの冒険譚を閉じて本棚にしまう。
よく頑張った、感動した、心躍ったと感想を述べてね。そしてまた次の勇者が生まれるのを心待ちにするのさ』
「……閉じる?閉じるってのはどういう意味だ!?」
『そのままさ。指環を全部返してもらった後、記憶をいじって故郷にでも送り出す。
かくして勇者は故郷に戻り、静かに幸せに暮らしましたとさ……』
「ふざけんじゃねぇぞ!!ここまでやってきたことも全部お前がやったってのか!」
『私は観客。透明な壁の向こうでただ楽しむだけさ。
役者たちは衣装と道具を与えれば常に自分で筋書きを整えてくれるからね……私は指環という大道具係でもあるかな?』
>「貴様の描くシナリオなど知ったことじゃない。この下らない輪廻を、俺たちの代で終わらせる。
貴様が永遠の繰り返しを望むのなら、虚無の竜よりも先に貴様を滅ぼすだけだ」
「シェバトからの付き合いだけどよ――スレイブ、お前は本当に気が合うぜ。
自分の道を好き勝手に弄られて黙ってられるか!」
ミスリルハンマーに指環の魔力を纏わせ、大瀑布のごとき水圧が大槌に宿る。
そうして各々の得物を全の竜に突きつければ、それが開始の合図だ。 >『そら、第一楽章が始まるぞ。まずはロンドから踊って貰おうか――"破滅への輪舞曲"』
>「これは、空間の書き換え……滅びをもたらす天災を、『創造』した――!?」
「全ての竜だからなんでもありってか!だけどよぉ!」
『専門家がいることを忘れてないかな!』
ジャンが荒れ狂う波と激しく叩きつけるように降り注ぐ豪雨に向けて指環をかざせば、
波は静かに、雨と雷雲は即座に霧散して青空が広がる。
船底から入り込んだ海水も戻り、逆に船を包む壁となって滑らかに海面を進んでいく。
「苦労しなけりゃ冒険じゃねえなんて、それこそ見ている側だけの感想さ。
いかに楽して安全に旅するかってところに力を入れるのが冒険だぜ」
『観客は刺激を求めるものなのだが……では、次の章に移るとしよう。
喜劇か悲劇かは君たち次第――"終わりよければ全てよし"』
いつの間にか全の竜の声だけが辺りに響き、雲一つない晴天だった空は今にも振りそうな曇天へと移り変わる。
船はどこかの港へと静かに着き、甲板から桟橋へ向けてタラップが勝手に伸びていく。
「……降りろってことか。茶番に付き合えとさ」
『指環の勇者たちはなんとか嵐を乗り越え、近くの港町へとたどり着いた。
だが町を歩く人々は何か事情を抱えているのか、表情は空の如く重苦しい』
港を歩く水夫や住人の顔は全の竜が語る通り暗く、何かに怯えているようだ。
ジャンが事情を聞いてみようと近づくが、誰一人として言葉を交わさず離れて行ってしまう。
『事情も分からぬまま勇者たちは町を歩き、そして市場で騒ぎに遭遇した』
言われたまま市場に辿り着いてみれば、そこにはボロボロの布切れを纏った複数の老人と子供が槍や剣を持ち、
町人たちに突きつけては食料を奪っていく。
『当然勇者たちは止めようとするが、老人の中で眼帯を付けひときわ立派な体格をした老人が勇者たちの前に進み出る』
「あんたら余所者には分かんねえだろうがな、こいつらは俺たちを捨てたんだ!
五年前に帝国への徴税として食料が片っ端から持ってかれ、口減らしとして働けない赤ん坊と老人を
魔物の住む洞窟に片っ端から捨てたのさ!」
武器を振り上げ威嚇する眼帯の老人は見れば古傷が多く、他の子供や老人も皆等しく傷ついている。
「だから生き残った俺たちは復讐するんだ!これは生きるための正当な手段だ!」
町人たちも負い目を感じているのか、非難の声を挙げる者はおらず、抵抗する者もいない。
武器を突きつけられているとはいえ、皆素直に食料や衣服を差し出している。
『さて、世界を救いたいと願う指環の勇者たちはどちらを救うのか?
あるいはどちらも等しく滅ぼすのか?役者の演技に期待するとしよう』
「……クソ、どっちをぶん殴ればいいってんだ……!」
【全の竜との戦闘(問答)?】 >「え……あ……えぇっ!?ティ、ティターニアさんっ!い、良いんですか……?」
>「……帝国に指環をもたらす。確かに成し遂げましたね、バフナグリーさん。
他ならぬ指環の勇者様がこう仰っているんです。頂いておきましょう」
>「ほれ、帝国代表様が言っておられる。
とっとと嵌めて、帰ろうや」
「どのみち指輪は一人一属性しか使えぬ。
ジュリアン殿なら使えるかもしれぬがその指輪の力を最も引き出せるのはそなただろうからな」
指輪が原因になっての戦禍を懸念し戸惑うアルダガだったが、
ティターニアがまず第一に考えているのは、この後に控えたエルピスや虚無の竜との決戦である。
これは別にどちらが正しいというわけでもなく常に権謀術数渦巻く政治的思惑の中で生きてきた者と、
神々や英雄の伝説を現実に起こり得る身近なものとして研究してきた者の思考の違いであろう。
地上がどうなっているのかは分からないが、もうすでに虚無の竜が世界を破壊し始めていることだって有り得るのだ。
ゆえに指輪の力を最も効率的に引き出せそうな者に渡したという単純な意図であったのだが、アルダガの胸中を察し、ニヤリと笑う。
「”有効活用”される可能性があるのはどの勢力に渡ってとて同じであろう。
それに安心しろ、その指輪は誰にでも使えるものではない。もしも欲にまみれた元老院の爺様に奪われたとてウンともスンとも言わぬだろうよ。
いくら御託を並べようが巨大な力を手にしてしまえば世の中多少の無理は押し通せるものだ。
その指輪を手にして尚化石のような上層部の思惑に唯々諾々と従う必要などないのだぞ」
そこで帝国と教会に忠誠を誓うアルダガから見て穏やかではない物言いになっていることに気付き、慌てて仕切り直す。
「……おっと、随分と物騒な言い方になってしまった。つまり何がいいたいかというとだな。
そなたなら……その指輪を使って帝国を更にいい方向に変えていけると思うのは買いかぶり過ぎか?
もしかしたらそれは国家や教会という枠におさまらない形になるかもしれぬがな――」
しかしアルダガは皆に指輪の所有者としてふさわしいと言われて尚、指輪の所有権は決闘で決めるという初志を貫徹するのであった。
>「……受け取れませんよ、ティターニアさん。帝国に指輪が渡れば、それは戦争の火種になります」
>「ですが、一時的に預からせていただきます。約束、覚えていますよね?
星都での旅が終わったら、指輪を賭けた立ち合いが待っています。真の所有者は、それを経て決めましょう」
「やれやれ――とことん頑固な奴め。約束してしまったのだから受けるしかあるまい。
地上に帰った時に虚無の竜どもが決闘するだけの猶予を与えてくれていたらだがな」
アルダガのあまりの初志貫徹っぷりに苦笑しながらも頷くティターニアだったが、一つの条件を提示した。 「ただし一つ条件がある―― そなたが勝ってそちらに指輪が渡ってももちろん我々も共に戦う。
だから……もしも我々が勝ってジュリアン殿が使うことになっても……共に虚無の竜と戦ってくれるか?」
これはもちろんアルダガが純粋に戦力として頼りになるというのもあるが、
“決闘に負けたので潔く散ります”は禁止という言外の意味も込められているのだった。
普通はそんな事はしないだろうが、星都の探索を通して黒騎士というのは
そもそもぶっ飛んだ集団というのがよく分かったので先手を打っておくに越したことはない。
>「なあティターニア、やっぱり俺たちでやんないとダメかな……
今のうちに俺の頭を覚えておいてくれ、きっとあのメイスでへこんで形が変わっちまうから」
「うむ……ちょっともうどうしようもなさそうだな……」
ジャンが耳打ちして来るが、自主的に指輪をあげて決闘回避しよう作戦(?)も失敗した以上どうにもならないのであった。
「全の竜殿よ、いい感じに我々を地上に帰らせてくれたりは出来るのか?
無理なら”リターンホーム”で帰るが――」
とりあえず元の世界に帰ろうと、ティターニアが全の竜に尋ねた時だった。
シャルムが意味ありげに問いかけてくる。
>「……ティターニアさん。いえ、先生」
>「もし、この滅びた世界に……まだ、誰も答えを知らない謎が残されているとしたら」
>「どう、思いますか?その謎の正体を、知りたい、ですか?」
「それはもちろん知りたいが……そんな深刻な顔をしてどうしたのだ?」
仲間の一人一人に問いかけるシャルムを見て、気付いてはいけないことに気付いてしまったのだと察する。
考古学者としての個人的興味としては、喉から手が出る程知りたいに決まっている。
しかし、好奇心は猫を殺す、深淵を覗く者はまた深淵に覗かれる――
世の中には謎のままにしておいた方がいいことがあるのかもしれない。
純粋に真実を探求し過ぎた結果狂気に堕ち破滅の道を歩んだ魔術師は枚挙にいとまがないのだ。
そして今回の場合、下手すれば破滅するのは自分達だけではなく世界の全てなのかもしれない
逡巡している間にも皆の後押しを受け、シャルムは全の竜にいくつかの問いを投げかける。
そしてシャルムが自身の本性を見抜いたのだと悟った時、全の竜の態度が豹変した――
シャルムがドラゴンサイトで開けた穴は事も無げに修復され、彼女は決断を委ねるようにこちらを見つめる。
迷う素振りも見せず宣戦布告するスレイブとジャンだったが、ティターニアは最終判断の材料を得るために追加で質問をした。
「毎度頃合いを見計らって自分で虚無の竜を目覚めさせては滅びない程度に力を貸す……
一人でマッチポンプしておったのではないか?
しらばっくれておるが本当は虚無の竜を呼び出したのもそなたなのだろう?
退屈のあまり世界を破壊する存在を望んでしまったのではないか?」
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