【ファンタジー】ドラゴンズリング6【TRPG】
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――それは、やがて伝説となる物語。
「エーテリア」と呼ばれるこの異世界では、古来より魔の力が見出され、人と人ならざる者達が、その覇権をかけて終わらない争いを繰り広げていた。
中央大陸に最大版図を誇るのは、強大な軍事力と最新鋭の技術力を持ったヴィルトリア帝国。
西方大陸とその周辺諸島を領土とし、亜人種も含めた、多様な人々が住まうハイランド連邦共和国。
そして未開の暗黒大陸には、魔族が統治するダーマ魔法王国も君臨し、中央への侵攻を目論んで、虎視眈々とその勢力を拡大し続けている。
大国同士の力は拮抗し、数百年にも及ぶ戦乱の時代は未だ終わる気配を見せなかったが、そんな膠着状態を揺るがす重大な事件が発生する。
それは、神話上で語り継がれていた「古竜(エンシェントドラゴン)」の復活であった。
弱き者たちは目覚めた古竜の襲撃に怯え、また強欲な者たちは、その力を我が物にしようと目論み、世界は再び大きく動き始める。
竜が齎すのは破滅か、救済か――或いは変革≠ゥ。
この物語の結末は、まだ誰にも分かりはしない。
ジャンル:ファンタジー冒険もの
コンセプト:西洋風ファンタジー世界を舞台にした冒険物語
期間(目安):特になし
GM:なし(NPCは基本的に全員で共有とする。必要に応じて専用NPCの作成も可)
決定リール・変換受け:あり
○日ルール:一週間
版権・越境:なし
敵役参加:あり
名無し参加:あり(雑魚敵操作等)
規制時の連絡所:ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/3274/1334145425/l50
まとめwiki:ttps://www65.atwiki.jp/dragonsring/pages/1.html
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(単章のみなどの短期参加も可能)
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簡単なキャラ解説:
過去スレ
【TRPG】ドラゴンズリング -第一章-
ttp://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1468391011/l50
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ttp://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1483282651/l50
【ファンタジー】ドラゴンズリングV【TRPG】
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【ファンタジー】ドラゴンズリング4【TRPG】
ttps://mao.5ch.net/test/read.cgi/mitemite/1501508333/l50
【ファンタジー】ドラゴンズリング5【TRPG】
ttps://mao.5ch.net/test/read.cgi/mitemite/1516638784/l50 まともなPLが軒並み引退してここも実質二人で回してる感じだよな 崩落した壁へと叩きつけられたスレイブは、風魔法によるクッションでどうにか直撃を回避する。
致命傷は避けられたが、左肩が衝撃で脱臼してしまった。
ほうほうの体で壁の穴からまろび出た時には、ジャンが黒蝶騎士に容赦なく蹴りを入れられ続けている最中だった。
「ジャン!」
>「――ストーンウォール! ジャン殿、今のうちに距離を取れ!」
ティターニアが石の壁を創り出し、黒蝶騎士とジャンとの間を阻む。
激痛を発する左腕を抑えながらも跳躍術式で前線へ飛び戻り、ジャンの襟首を掴んで後ろへと下がった。
>「なるべく痛くないようにするけど、どうしても辛かったら介錯は他の人に頼んでね」
石壁によって閉じられる視界の先で、黒蝶騎士が再び弓を引き絞るのが見える。
軋みを上げて引き絞られる弦の様子を見ただけでわかった。
あの矢は石の壁など濡れ紙の如く引き裂いて、容易くこちらへと届くだろう。
矢羽から手の離れたその時が、ティターニアとジャン、シャルム、そしてスレイブ、その誰かが命を落とす瞬間となる――
>「……忘れていませんか、拙僧の存在を」
果たして、致命の想定は現実とならなかった。
石壁を突き破って踊り込んできた矢がこちらの鼻先に届かんとした瞬間、横合いからメイスが弧を描く。
質量と質量、慣性と慣性のぶつかり合いは火花どころか爆風じみた風を生み、周辺の草が耐えられずに散っていった。
弾かれた矢がどこかへと飛んでいき、再び石の砕ける音が轟く。
そう、この場に居る黒騎士は一人だけではなかった。
――黒鳥騎士アルダガ・バフナグリー。人類最強の弓使いに並び立つ、帝国最強戦力が一人だ。
>「ティターニアさん、ジャンさんとディクショナル殿を拙僧の後ろへ。神術で治療します」
如何なる手段を用いてか黒の蝶を無効化し、殲滅さえもし果せたアルダガは、スレイブ達を守るように前へ出る。
地面に突き立った十字架から放たれる癒やしの波動によって、脱臼した左肩がみるみる動くようになった。
そこから先は、スレイブが介入することさえままならない戦技の応酬だった。
黒蝶騎士は巧妙に軌道を逸らした矢を放ち、アルダガは巨大なメイスを手足のように操って叩き落とす。
アルダガが神術で攻撃すれば、黒蝶騎士はそれを身体の捻りだけで躱し、黒の蝶の群れで撃墜する。
反撃とばかりに撃ち込まれた黒の矢を、アルダガは――
「素手で掴み取った……だと……!?」
幾重にも張られた風の防壁をものともしなかった致死の弓を、あろうことか素手で掴んだアルダガ。
小枝を折るかのように真っ二つにされて放られた矢は、自由落下の勢いだけでも地面に大穴を穿った。
そうして両者は激突。
スレイブの二の轍を踏むかに思われたアルダガは弱化神術を応用して跳ね返しをこらえきり、
二人は強烈な蹴撃を交わし合って距離を開ける。
これが黒騎士。これが帝国最高峰の戦闘者達。
シャルムの銃弾に端を発した一分にも満たない攻防は、黒騎士同士の拮抗をもって終わりを告げた。
>「教えてください。一体この地で何が起きているんですか。……あなたは、何に追われているんです」
>「あーあ……正直、私もそれが知りたいからあなた達を呼んだんだけどなぁ」
油断なくメイスを構えたアルダガの問に、黒蝶騎士は露骨に肩を落とした。
番えられた新たな矢は放たれることなく、彼女の背負った矢筒へと収まる。
それが小競り合いを終える合図だとでも言うように、張り詰めていた空気が弛緩していくのがわかった。
「なるほどな……シアンス。あんたが指環に固執しない理由がわかった。まざまざと見せつけられたよ……」 スレイブは早鐘を打つ心臓をどうにかこうにか抑えつけて、滝のように流れる冷や汗を拭う。
風の指環を得て、古今無双の力でも手にしたような全能感をおぼえていたところに、冷水を浴びせられた気分だ。
目が覚めた。指環の力などなくても、人類はここまでやれる。
黒蝶騎士は、6つの指環を相手取って一歩も引かなかった。その強さに、古代人の遺産は無関係だ。
同時に恐ろしくもある。ただでさえ人類最高峰の戦力が揃った黒騎士に、指環の力まで加わったら。
もはや帝国を止められる国は、大陸には存在しないだろう。
>「……私の元々のプランはね、あなた達がパンドラさん?をやっつけたところを、
後ろから狙撃して指環もらってお家に帰ろー、いえーい……って感じだったんだけど」
黒蝶騎士が訥々と語る。
陸軍少将から指令を受けた彼女は、指環の勇者たちが女王パンドラから全竜の指環を奪取したところを闇討ちし、
指環の総取りを狙うべくセント・エーテリアに潜伏していた。
しかし、星都には先客がいた。僅かに残った痕跡から侵入者にあたりをつけた彼女はこれを狙撃。
確実に当たった手応えを得たにも関わらず、『先客』は生きていた。
不死者の術核さえ消し飛ばす一撃を受けてなお健在のその先客の接近を恐れた黒蝶騎士はこの場所へ立て籠もり、
そして状況を知るべく指環の勇者達へと救援信号を送って……今に至る。
「黒蝶騎士すら知らない不死身の第三勢力か……ぞっとしないな。帝国上層部の単なる内ゲバの方がよほどマシだった」
この状況で最も芳しくないのは、スレイブ達指環の勇者が完全に後手に回っているという点だ。
そもそも黒蝶騎士がこうして星都に侵入している事実さえ、事前に知らされてなどいなかった。
そして、情報戦において一歩リードしているはずの陸軍省すら、『不死身の先客』に見当が付いていない。
第三者のバックにいるのが何者であれ、皇帝とも陸軍省ともまったく異なる勢力がこの件に一枚噛んでいるのだ。
「一枚岩じゃないにもほどがあるだろう、帝国……この歪み切ったパワーバランスでよく云百年存続できたな」
あるいは、砂の上に城を築くが如く不安定に積み上げられた帝国を、必死に支え続けてきたのがジュリアンやシャルムなのだろう。
だがジュリアンは亡命し、祖龍復活の動乱は国家の基礎を大きく揺らがせている。
時間の問題だった崩壊が、単純に早まっただけの結果なのかもしれない。
>「……今回の任務。なるはやで終わらせた方がいいよ、ナグリーちゃん。
あまり時間を掛けると……クーデターが起きちゃうかも。あるいはそれ以上の事が。
せっかちな人達はもうこの戦いが終わった後の準備を始めてる」
黒蝶騎士が極めて一方的にそう告げると、彼女の周囲に黒の蝶が飛び交い始める。
すわ再戦か――スレイブは身構えるが、アルダガやシャルムに警戒する様子はない。
>「……あっ、それともう一つ」
>「私が射抜いたはずの、不死者よりも不死身な誰かさん。その時、一度反撃してきたんだけどね
確かに、こう言ってたよ……『指環の力よ』ってね。炎の魔法だった。でも……そこのおチビさんの声じゃ、なかったかなぁ」
「指環だと……!?」
最後の最後に意味深な一言を残して、黒蝶騎士は蝶の群れに包まれた。
黒の帳が晴れた頃には、そこにはもうなにも残されていない。
黒蝶騎士がその場から消え、今度こそスレイブは臨戦の緊張を熱い吐息と共に解いた。
>「へ?……いやいや!わたくし、そんなの身に覚えがありませんの!」
炎の指環を使った第三者。
思わず誰もがフィリアを見て、彼女はぶんぶんと首を振って否定する。
>「ああ、いえ……失礼。別に疑ってた訳じゃありません。
ただ……二つ目の炎の指環が存在する可能性はあるのか、気になりまして」
「『分霊』の線はどうだ?例えばソルタレクで力を取り戻すまで、俺の風の指環は本体とは言えなかった。
同じように、イグニスの力の一部を切り取ってそれっぽく指環の体裁を整えることは出来るんじゃないか」 『んーたぶん無理じゃな。風の指環は特例っちゅうか、ありゃ風の持つ"偏在"という特性を利用したもんじゃ。
風はどこにでも吹いていて、しかしどこかに寄り固まって存在しとるもんでもない。
目に見える存在として捉えられる炎と、目に見えない風じゃ、帯びる魔力の性質が全然別モンじゃからな』
「光と闇の指環が依代の数だけ存在するのと、理屈の上では同じことか……」
『そじゃなー。ま、仮にできたとしてもばかちんイグニスの小娘如きの力を分けたところでミソッカスじゃけどな!
ただでさえしょぼい炎の指環を更に切り分けたところで儂らの敵にもならんわ。
……お!?やるんかイグニス!やるんかー!?よーし傀儡、このクソたわけを捻り潰せ!』
炎の指環から出てきたイグニスの幻体とウェントゥスが殴り合いを始めたのをスレイブはガン無視した。
助けを求める悲鳴が聞こえたような気がしたが、膝の下で裾を引っ張る手がある気もするが、おそらく幻覚だろう。
まだおとといの酒が残ってるのかもしれない。
>「まだ見ぬ第三者。その男が、どこからこの星都にやってきたか……。
可能性としては……完全な秘匿性を保った上で転送魔法陣を使ってきたか。またはこの世界の原住民なのか。或いは……」
>「私達が使ってきた魔法陣以外にも、実は入り口が存在するのかも」
シャルムが仮定を呟きながら、空へ向けて銃を発砲する。
鉄の礫が風を切って宙を貫き、そして地平線の向こうへと消えていった。
少なくとも、銃弾の届く範囲に天井や壁はない。地下というにはあまりにもここは広すぎる。
>「ティターニアさんが言っていた通り、ここは本当は地下じゃないのかもしれない。
星都は帝都の地下にあるという情報自体が、間違っているのだとしたら」
「……位相の異なる空間、か。悪いが専門的な話はお手上げだ、位相というのがそもそも何のことを指すのか分からない」
セント・エーテリアは帝都の地下に存在する。その情報を、スレイブはとくに疑うことなく鵜呑みにしていた。
しかし、単に地底に拓けた空間というには、ここはあまりにも広大過ぎる。
地上では見たこともない植生をしていることから、空間的に他とは隔絶されていることだけは確かだ。
「位相というのは……そうだな、一冊の本の、右と左のページのようなものだ」
シャルムの仮説を聞いていたジュリアンが、頭を悩ませるスレイブに助け舟を出した。
「そして俺達人間や他の生き物は、いわばページの上に乗ったインクに過ぎない。
インクの視点からは、その本に隣のページがあることも、無数のページが集まって本になっていることも、認識できないだろう」
「つまりこのセント・エーテリアは、俺達の住む地上とは別のページに描かれたものだと?
しかし、俺達が現にこうして星都の地に立っています」
「では、インクが別のページに写る……裏写りするには、どうすればいい?」
スレイブには、ジュリアンが何を言わんとしているのかまるで見当がつかなかった。
ただ、食客魔導師の付き人として記録も担当していた彼には、インクの裏写りに悩まされた経験がある。
「……本を閉じれば、インクは隣のページに付着します」
「そうだ。それが位相を超えるということであり、俺達が用いる転移魔法も同じ原理でページ内を行き来している。
理解が追いつかないか?今はそれで良い。複雑で迂遠なことを考えるのは俺やそこのエルフ、それから……シアンスの仕事だ」
未だ頭の中で理屈を捏ね回しているらしきシャルムの姿を、ジュリアンは眩しそうに見つめていた。
彼と彼女の間には、5年の歳月を隔ててなお、魔術師同士に通じる共通の言語がある。
スレイブにはそれがどうしようもなくもどかしく、悔しかった。
>「仕方ありません。結局、今の私達に出来る事をするしかないって事ですね。
つまり……ひとまず、女王パンドラの元へ向かいましょう。 結局のところ、いまのスレイブ達には徹底的に情報が足りない。
足りない分は足で補うしかないとばかりに、シャルムは前進を提案する。
スレイブも同意見だった。このまま足踏みして後手にまわり続けるよりは、出たとこ勝負でも先手をとれたほうが良い。
「どの道俺達には、パンドラと対峙する以外の選択肢はないんだ。黒蝶騎士様からありがたい忠告もいただいたことだしな」
再びアルダガに道を拓いてもらいながら、一行は密林を分け入って行く。
やがて、視界を埋めるものが樹木から石造りの建築物へと変わった。
アンバーライトとは違い無数の建築物が密集したそこには、風化した帝国旗が突き立てられていた。
――キャンプ・グローイングコール。
全竜の神殿にほど近い位置にある、おそらく最後の中継地だ。
>「……とりあえず、掃除をしましょう。簡単に出来る方のね。
終わり次第ティターニアさんはリフレクションと、指環の準備を。
それと……ディクショナルさんも、指環の準備をしておいた方がいいですね」
「待て、何をする気だ――」
スレイブの返答を待たず、シャルムは密林目掛けて魔導拳銃の引き金を引いた。
放たれた弾丸は風を巻いて鬱蒼としたジャングルを貫き、その軌道を埋めるように炎が溢れ出す。
密林はあっという間に炎上し、日の落ちかけていた空を朱色に染め上げた。
>「私達を追ってきているのなら、今頃は穏やかな陽気に包まれているでしょうね。
追ってきてなければ……この先は、見晴らしのいい道を通れますよ」
(こ、この女……密林に火を放っただと……!?貴重な古代の遺産じゃないのか!?)
セント・エーテリアは帝国の繁栄を長らく支えてきた屋台骨だ。
密林に覆われてはいるが、丁寧に掘り起こせばまだまだ有用な遺産は手に入ったことだろう。
他ならぬ帝国の研究者であるシャルムにとって、札束を燃やすに等しい所業のはずだ。
「危機が差し迫っているとは言え、大逸れたことをするなあんたは……皇帝陛下の胃袋が心配になってきた」
燃え上がった炎は次々と別の木へと引火し、森を住処にしていた鳥や獣たちが鳴き声を上げながら逃げていく。
石畳を舐める熱風はスレイブたちのもとまで届き、スレイブはそれを指環の風で防いだ。
そうしてしばし、延焼していく森を呆然と見ていたスレイブは、炎の向こうに一つの声を聞いた。
>「……指環の力よ」
声を合図とするように、森を燃やす炎が渦を巻いて一点へと収束していく。
あらかたの炎が吸い込まれて消えると、その先には一人分の人影があった。
人影は、男だった。
襤褸切れ同然の服を来て、まるで整えられず伸びっぱなしの髪に、痩けた頬と、無精髭。
ここが星都の真っ只中でなければ、帝都の下層をうろつく浮浪者にしか見えないその姿。
男の人相を認めたシャルムは、拍子抜けしたような声を漏らす。
>「……アルバート?」
だが、もっと深刻な声は、スレイブの隣から上がった。
ジュリアンが信じられないといった表情でその眼を擦り、唖然として問いを放つ。
>「お前、なのか?」
>「……ああ。見ての通りだ」
そうして一歩踏み出した男の背にある大剣に、スレイブは見覚えがあった。
面識はない。しかし、ジュリアンの呼んだ名と、男の担う大剣を、スレイブは情報として知っている。 大剣は、炎の魔剣レーヴァテイン。
それを振るう男の名は――アルバート・ローレンス。
帝国最高戦力、黒騎士が一角……『黒竜騎士』の異名を持つ魔剣士だ。
「指環……!」
アルバートの左手には、大型の指環が嵌っている。
これまで見たどの指環にも該当しない形状と大きさだが、そこから迸る魔力は紛れもなく竜の指環のものだ。
>「何故、あなたがここにいて、炎の指環を手にしているのですか」
硬直するジュリアンを差し置いて、シャルムが拳銃をアルバートへ突きつける。
答えようとしないアルバートに業を煮やしたのか、もう片方の拳銃はジュリアンの方へと向けられた。
「おい――!」
思わず咎めようとしたスレイブだったが、それより先にアルバートが口を開いた。
彼はティターニアとジャンに何かを語りかける。
シェバトからの旅の道中で、彼女たちから聞いたことがあった。
かつて、ダーマへと渡る前――黒竜騎士アルバートと共に旅をしていた時期があったこと。
帝国の港町カルディアで水の指環を入手した際のいざこざで、彼とは離れ離れになってしまったこと。
そして帝都の晩餐会で聖女が口にした、アルバートの消息不明――
「行方不明になっていた黒竜騎士が、何故セント・エーテリアに……?」
>「俺は、元々この世界の人間だった」
この世界――エーテリアル世界。
アルバートの口から語られたのは、単なる妄想と切って捨ててしまえばそれまでの荒唐無稽な内容だった。
だが、現に彼の手には指環があり、帝国最重要機密の星都に単独乗り込み今ここに立っている。
それだけは真実であり……それだけが全てだった。
「……俺達の住む世界が、古代のエーテリアル世界を喰らった虚無の竜の腹の中だと?
世界の外に、もう一つ世界があるなど……信じられるか。馬鹿馬鹿しい、エーテル教団の妄言とまるきり同じじゃないか」
かつてメアリ率いるエーテル教団は、今ある世界を全て虚無に呑み込んでそこに新たな世界を創造しようとしていた。
アルバートの言うこの世界の成り立ちは、エーテル教団の謳った冥界論と鏡写しのように似ている。
アルバートの言動が全て妄想で、エーテル教団に触発されたと言われたほうがまだ信憑性がある。
だが……そもそも順番が前後しているのだとすれば。
エーテル教団の掲げる教義が、かつてこの世界に起こった史実をなぞることに端を発しているのなら。
かつての出来事を知る光竜エルピスがメアリに入れ知恵して、新たな世界の創造に動いていたとしてもおかしくはない。
帝国は、セント・エーテリアを帝都の地下に存在する空間だと位置づけていた。
しかし実際は……あの転移紋は、世界の『外』へと通じる扉だったのだ。
>「どうだ。思い出したか、イグニス……アクア、テッラ、ウェントゥスも」
『ぜんっぜんわからん……エルピスのぼけなすがその辺の記憶全部消しておったんか……?』
ウェントゥスは頭を抱えている。本気で混乱しているようだった。
仮にアルバートの言葉が全て正しいとして、全ての属性は一度虚無の竜に喰われて腹の中で再構成されている。
古代に存在していた指環の竜たちと、喰われてからの指環の竜とでは、そもそも同じ存在かどうかも怪しい。
数千年前から連綿と受け継がれてきた、七星竜と勇者達の旅路も、全てを茶番に帰しかねない事実だった。
>「このセント・エーテリアが今も形を保てているのは、ここが全竜の膝下だからだ。
辛うじて虚無の竜に喰われずに済んだ、最後の土地。だが……」 アルバートが掲げた指環に、四方から魔力が吸い込まれていく。
魔力というか、生命というか、もっと根源的な『何か』を喪失して、彼の周囲は白く崩れ去っていく。
>「これが、この世界の本当の姿だ。完全な喪失……それだけが唯一この世界に訪れる変化。
滅びゆく事にしか執着出来ない、愚かな連中の墓場に相応しいと思わないか」
――虚無の竜の外にある、セント・エーテリアのさらに『外』。
世界の外の果ては、既にアルバートの周囲のように色を奪われて砂と化しているのだと言う。
>「俺は、この世界の指環の勇者だ」
>「お前達を殺し、指環を奪い……いずれはあちらの世界から全ての属性を取り戻す。この虚無の指環でな」
旧世界の指環の勇者、アルバート・ローレンス。
その目的は、虚無の竜が喰らった属性を奪い返し、旧世界をもう一度復活させること。
彼は背に担う大剣レーヴァテインを抜き放ち、応じるようにシャルムが発砲した。
――ジュリアンへと向かって。
「何を――!」
スレイブは剣を抜くが、シャルムへの攻撃は他ならぬジュリアンによって制された。
彼は油断なくシャルムの銃弾を躱し、しかしアルバートから視線を外さない。
>「お二人は親友なんでしたよね。今、裏切られたら洒落にならない。
……あり得ない話じゃないでしょう。その人は、前科があるんですから」
「分かっている。あれが俺の知るアルバートなのだとしても……真に守るべきが何かを、違えるつもりはない」
ジュリアンが杖を掲げる。
スレイブはもう何も言わず、シャルムへ向けていた剣をアルバートへと構え直した。
シャルムの発砲はもうひとつ。アルバートの足元へと着弾した炸裂弾が、彼の周囲に爆発を起こす。
緻密に配置された爆発は、全方位からアルバートを押しつぶす爆圧と化して襲いかかった。
「やったか――?」
轟炎と共に舞い上がった土埃。
それが晴れると共に、その向こうからアルバートが姿を現す。
身にまとう襤褸切れは飛び散る砂礫に引き裂かれ、五体に刻まれた裂傷からは赤い地が滴る。
しかし、彼はその場から一切退くことなく全ての爆圧を耐えきって見せた。
彼を健在足らしめるのは指環の防御や魔剣の力などではなく――
>「純粋な身体能力と、精神力?……そんな馬鹿な」
「不死者より不死身……とは良く言ったものだな……!」
アルバートが左手を掲げ、その指に帯びた指環が輝く。
何らかの攻撃魔法が来る――身構えたスレイブだったが、発動した魔法の規模は想像を遥かに超えていた。
指環から放たれた二つの魔力が螺旋を描きながら天へと登っていき、炎を纏った無数の礫が空を埋め尽くす。
>「何もかもを埋め尽くせ……『バリアル・メテオ』」
「炎と大地の属性を――融合させただと――!?」
天を覆わんばかりの流星が、呪文と共に一斉に地へと降り注ぐ。
シャルムが展開した三重のプロテクションが、大気を揺らがす鳴動と共に次々と叩き割られる。
雨あられと地を打つ礫が砂塵を巻き上げ、視界は一瞬にしてゼロになった。
(炎の礫は目眩まし――本命は接近しての斬撃か!) アルバートが掲げた指環に、四方から魔力が吸い込まれていく。
魔力というか、生命というか、もっと根源的な『何か』を喪失して、彼の周囲は白く崩れ去っていく。
>「これが、この世界の本当の姿だ。完全な喪失……それだけが唯一この世界に訪れる変化。
滅びゆく事にしか執着出来ない、愚かな連中の墓場に相応しいと思わないか」
――虚無の竜の外にある、セント・エーテリアのさらに『外』。
世界の外の果ては、既にアルバートの周囲のように色を奪われて砂と化しているのだと言う。
>「俺は、この世界の指環の勇者だ」
>「お前達を殺し、指環を奪い……いずれはあちらの世界から全ての属性を取り戻す。この虚無の指環でな」
旧世界の指環の勇者、アルバート・ローレンス。
その目的は、虚無の竜が喰らった属性を奪い返し、旧世界をもう一度復活させること。
彼は背に担う大剣レーヴァテインを抜き放ち、応じるようにシャルムが発砲した。
――ジュリアンへと向かって。
「何を――!」
スレイブは剣を抜くが、シャルムへの攻撃は他ならぬジュリアンによって制された。
彼は油断なくシャルムの銃弾を躱し、しかしアルバートから視線を外さない。
>「お二人は親友なんでしたよね。今、裏切られたら洒落にならない。
……あり得ない話じゃないでしょう。その人は、前科があるんですから」
「分かっている。あれが俺の知るアルバートなのだとしても……真に守るべきが何かを、違えるつもりはない」
ジュリアンが杖を掲げる。
スレイブはもう何も言わず、シャルムへ向けていた剣をアルバートへと構え直した。
シャルムの発砲はもうひとつ。アルバートの足元へと着弾した炸裂弾が、彼の周囲に爆発を起こす。
緻密に配置された爆発は、全方位からアルバートを押しつぶす爆圧と化して襲いかかった。
「やったか――?」
轟炎と共に舞い上がった土埃。
それが晴れると共に、その向こうからアルバートが姿を現す。
身にまとう襤褸切れは飛び散る砂礫に引き裂かれ、五体に刻まれた裂傷からは赤い地が滴る。
しかし、彼はその場から一切退くことなく全ての爆圧を耐えきって見せた。
彼を健在足らしめるのは指環の防御や魔剣の力などではなく――
>「純粋な身体能力と、精神力?……そんな馬鹿な」
「不死者より不死身……とは良く言ったものだな……!」
アルバートが左手を掲げ、その指に帯びた指環が輝く。
何らかの攻撃魔法が来る――身構えたスレイブだったが、発動した魔法の規模は想像を遥かに超えていた。
指環から放たれた二つの魔力が螺旋を描きながら天へと登っていき、炎を纏った無数の礫が空を埋め尽くす。
>「何もかもを埋め尽くせ……『バリアル・メテオ』」
「炎と大地の属性を――融合させただと――!?」
天を覆わんばかりの流星が、呪文と共に一斉に地へと降り注ぐ。
シャルムが展開した三重のプロテクションが、大気を揺らがす鳴動と共に次々と叩き割られる。
雨あられと地を打つ礫が砂塵を巻き上げ、視界は一瞬にしてゼロになった。
(炎の礫は目眩まし――本命は接近しての斬撃か!) 一介の戦闘者であれば、降り注ぐ流星を為す術なく直撃して挽肉になっていただろう。
しかしこちらにはティターニアとシャルム、そしてジュリアンと、防御に長けた魔術師が三人いる。
ならば、狙ってくるのは視界を塞ぎ、連携を途絶させてからの各個撃破。
同じ剣士としての直感が、スレイブにアルバートの次の行動を予測させる。
「『エリアルロケート』――!」
風の指環に光が灯り、スレイブを中心として風の探知網が展開する。
風の流れを読み取り、視界外の動きを感知する探査の魔法だ。
アルバートの体格、体重、そして振るわれる大剣の形状が頭に流れ込み、スレイブは振り向きざまに剣を薙いだ。
音もなく接近していたアルバートの剣とスレイブの剣とがぶつかり合い、刃鳴と火花とが同時に散った。
「剣の競り合いで……負けてたまるか……!」
初撃を阻まれたアルバートは鼻を鳴らし、再び土煙の向こうへ姿を消す。
スレイブが指環を嵌めた拳を地面に叩きつけると、突風が巻き起こって土煙を吹き飛ばした。
煙の晴れた先にアルバートの姿がない。背後に回られたと理解するより速く、反射的に振るった剣が魔剣を弾いた。
「その魔剣は振って斬るだけか……?レーヴァテインは炎の魔剣だったな、火炎の一つも出してみろ」
強気に煽るスレイブだったが、内心では冷や汗が止まらなかった。
アルバートの剣にはまるで殺気がない。風の探知網がなければ振るわれたことにさえ気付けなかった。
まるで幽鬼――亡霊の剣だ。巨大な刀身が風を斬る音さえも聞こえず、ただ斬撃だけが降ってくる。
どうにかして隙を見出さんと挑発するも、アルバートは苛立った様子もなく剣を構える。
「忌々しいな。貴様のその剣も、俺達が奪われた世界で育まれたものだ。
俺達にはもう何も残っちゃいない。剣に懸けた熱も、音も、命も、全てだ」
「それを返せと?承服できないな、俺の剣は俺が鍛え、研ぎ澄ませてきた技術だ。あんたのものじゃない」
「貴様の意志など関係ない――全てのものが、在るべきところへ帰る。それだけだ」
瞬間、スレイブは己の身に起きた異常を理解できなかった。
剣が重い。生まれてからペンを持つより早く握り、十年以上振るってきた剣が。
まるで初めてその柄に手をかけたかのように、手から力が抜けていく。
「な――ッ!?何が起こった……!」
「言っただろう、全てのものは在るべきところへ帰る。貴様の剣も、もとは俺達の世界にあったものだ」
アルバートが大剣を掲げ、頭上から唐竹割りにスレイブへと叩き込む。
スレイブは思わず剣を捨ててその場から飛び退き、どうにか回避に成功した。
だが彼は剣を躱す際に目撃してしまった。アルバートの剣閃は、スレイブの剣とまるで同じだったことを。
「一つ……取り返したな。だが到底足りない。全てを返せ」
「剣術を……奪われただと……?」
全ての属性を奪うアルバートの『虚無の指環』。
属性とは、世界を構築する何もかもを指す概念だ。
大地も、空も、風も、人間も、その技術さえも、7星竜の司る何らかの属性に該当する。
ダーマの軍式剣術は、王国黎明より以前、世界の始まりの時より受け継がれてきた魔族の剣だ。
アルバートの言う『奪われし物』のなかに、剣術も含まれるのだとしたら。
(歴史のあるものほど奪われる、ということか……!?)
スレイブは間断なく短剣を抜き、逆手に構えてアルバートと対峙する。
短剣術はダーマで学んだものではなく、バアルフォラスが折られてから新たに独学で習得したものだ。
加えて、エーテリアル世界と関係ない魔神の能力までは奪われまい。 「奪うのはあんたの専売特許じゃない――喰い散らかせ、『バアルフォラス』!」
魔剣の刀身に魔力が灯り、不可視のあぎとがアルバートへと食らいつく。
知性を食らい尽くす魔神バアルフォラスの牙――アルバートは無抵抗にそれを受けた。
「くだらん曲芸だな」
魔剣のあぎとは確実に、アルバートを捉えていた。
しかし、知性を貪られたはずのアルバートの双眸に、戦意の火が消えることはない。
「馬鹿な……バアルの一撃を受けて何故戦意を保てる……!?」
「精神を食らう魔剣か。……そんなもので食らいつくせる怒りならば、俺はこうも苛まれはしなかった」
アルバートは大剣を構え、目にも留まらぬ速さで突きを繰り出す。
辛うじて剣閃を盾で捉えたスレイブは、大きく仰け反って苦鳴を漏らした。
――『瞬閃』。スレイブの得意とする剣士のスキルだ。
『純粋な身体能力と、精神力?……そんな馬鹿な』
シャルムの言葉が脳裏に何度も響く。
数千年、下手すれば数万年の時を越えたアルバートの精神は、純粋に――あまりにも、強大。
魔剣がいかに知性を削り取ろうとも、そもそもの絶対量が大きすぎて、全体から見れば齧られた量はごく僅かなのだ。
「魔剣の力を見たいなどと抜かしていたな。望み通りにしてやる――焦がせ、『レーヴァテイン』」
アルバートの魔剣から無数の燐光が火の粉の如く放たれ、彼の周囲に散る。
その火の粉の一粒がスレイブの腕鎧に付着し――燃え上がった。
「く――!?」
咄嗟に腕鎧の固定を外して放ると、積層ミスリルの鎧が一瞬にして溶け、その下の地面さえも溶岩のように赤熱する。
火の粉の一粒一粒に、想像を絶するような高密度の火炎魔法が込められていた。 「俺が唯一、貴様らの世界から取り戻した煉獄の炎。属性の……これもわずかな一端だ」
(魔剣レーヴァティン……話には聞いていたがこれほどとは……!)
黒竜騎士アルバートの持つ魔剣の威力は、ジュリアンを介すまでもなくダーマにまで轟いていた。
鋼鉄をバターのように寸断する、巨岩を丸ごと溶岩に変える、地脈からマグマを呼び起こす……
それら荒唐無稽な武勇伝が、何一つ誇張ではなかったと、今この場で理解できた。
加えて、魔法どころか地にあまねく全ての属性を簒奪する虚無の指環。
単純に刃を重ねるだけでは、アルバートにさらなる力を与えるだけに終わるだろう。
(だが……奴とて問答無用に全てを奪えるわけではないはずだ。
それができるなら、何も星都の奥底で俺達を待ち構えている必要などない。
もう一度虚無の竜の腹の中に入って、俺達の世界の全てを奪いに来ればいい)
一度に奪える量に制限があるのか、それとも奪える属性自体を選ぶのか。
いずれにせよ、活路を見出すにはできることを一から試していくしかない。
『飽和攻撃で一気に片を付けるぞ……奴にこれ以上、力を奪う機会を与えるな』
遠話で仲間たちにそう伝えたスレイブは、風の指環に全力を注ぐ。
両の掌をあわせ、巨大な魔法陣を宙に描き上げた。
「『エアリアルスラッシュ』!!」
シェバトで風の塔を根本から断ち切らんとはなった風の刃。
それと同規模の巨大な真空刃がうなりを上げて地を奔り、アルバート目掛けて飛翔する。
「――『シグマ』」
同時、アルバートの四方、八方、三十六方の全範囲に同様の魔法陣が展開する。
風の指環の『偏在』の特性を利用し、空間に広く散らした魔力が凝結して術式を形成した。
あらゆる角度から全てを断ち切る風の刃が、アルバートへと殺到する――! 【アルバートに剣術を奪われる。全方位から無数の真空刃が襲い来る攻撃魔法『エアリアルスラッシュ・シグマ』を発動】 >「――ストーンウォール! ジャン殿、今のうちに距離を取れ!」
「すまねえ……」
地面から隆起した無数の石壁に紛れるようにして、黒蝶騎士から距離を取る。
女王戦に備えて魔力の消費を抑えていたが、黒騎士の実力を見誤っていたことをジャンは痛感していた。
自らも負傷しているはずのスレイブに掴まり、なんとかティターニアたちの下へ戻る。
>「なるべく痛くないようにするけど、どうしても辛かったら介錯は他の人に頼んでね」
だがその瞬間、一撃必殺を体現した矢が放たれる。
指環の力ですら防ぎきれないその一射は、もう一人の黒騎士によって防がれた。
>「……忘れていませんか、拙僧の存在を」
お互いに当たれば致命傷となりうる一撃をぶつけあい、その戦闘速度は徐々に高まっていく。
長い旅路の中で経験を積んできたジャンでさえ見切れぬほどの一騎打ちは、アルダガの問いによって決着した。
>「教えてください。一体この地で何が起きているんですか。……あなたは、何に追われているんです」
>「あーあ……正直、私もそれが知りたいからあなた達を呼んだんだけどなぁ」
「お、終わったみてえだな……アルダガがいてくれて本当に助かった……」
かつてオーク族の英雄たちは鍛錬をするだけで山を揺らし、空を割ったと伝えられるが
黒騎士たちの攻防はまさしくそれだ。指環がなくともヒトは強いのだと、十分に感じさせてくれる強者の決闘。
そして黒蝶騎士はしばらく情報交換をした後、蝶の群れに隠されて音もなく消えていった。
>「ああ、いえ……失礼。別に疑ってた訳じゃありません。
ただ……二つ目の炎の指環が存在する可能性はあるのか、気になりまして」
>「『分霊』の線はどうだ?例えばソルタレクで力を取り戻すまで、俺の風の指環は本体とは言えなかった。
同じように、イグニスの力の一部を切り取ってそれっぽく指環の体裁を整えることは出来るんじゃないか」
もう一人の指環の勇者が存在するという情報に対し、複数の指環が作れるかという意見がスレイブから出される。
しかしウェントゥスとイグニスはその可能性を否定し、アクアもそれに追従する。
『水は寄り集まり、群れてこそ力となる。それに指環はこの世界そのものから力をくみ上げるものだ。
そんな簡単に複製しちゃったら属性の均衡が滅茶苦茶になっちゃうよ』
こうして一行は情報の整理をしつつ密林を前進し、キャンプ・アンバーライトに似た建造物に到着した。
キャンプ・グローイングコールと名付けられたそこは全竜が眠る神殿にほど近く、またアンバーライトよりも重厚な建築となっている。
>「……とりあえず、掃除をしましょう。簡単に出来る方のね。
終わり次第ティターニアさんはリフレクションと、指環の準備を。
それと……ディクショナルさんも、指環の準備をしておいた方がいいですね」
掃除と宣言したシャルムが行ったのは、背後に生い茂る密林へ振り向き、辺り一面を焼き払うことだった。
>「私達を追ってきているのなら、今頃は穏やかな陽気に包まれているでしょうね。
追ってきてなければ……この先は、見晴らしのいい道を通れますよ」
「追手を文字通り炙り出すとはとんでもねえことするな、あんた。
ここが地下じゃなくてどっか別の空間でよかったぜ……」
密林に広がる延焼を適度に水流を浴びせて抑えつつ、ジャンは野獣や野鳥以外の生物が動く気配を感じた。
明らかに隠すつもりのない、こちらに敵意を持った者の気配だ。 >「……指環の力よ」
どこか聞き覚えのある声、それを合図とするかのように燃え広がる炎がある一点に集まり、吸い込まれるように消えていく。
声が聞こえる方向にあった大木が焼け落ちて崩れ、その声の主の姿が露となる。
>「……アルバート?」
ジュリアンの呟いたその言葉は、ジャンを驚かせるには十分だった。
イグニス山脈で出会い、自由都市カルディアで行方知れずになっていた黒竜騎士、アルバート・ローレンスが目の前にいるのだ。
>「……覚えているか、カルディアで聞いた、舟歌を」
「色々ありすぎてよく覚えちゃいねえが……なんかあったのかよ」
明らかに友好的とは思えない雰囲気を纏ったアルバートに応対しつつ、
ジャンは全員に念話で呼びかける。
『前に会ったときとは違う、明らかにアルバートの様子がおかしいぜ!』
>「あの時、俺には……あの歌の続きが聞こえていた。
少女の声ではなく。海の底の、その更に奥底から響くような女の声で。
あれは……女王陛下の声だった。俺に何かを思い出せと歌っていた」
そしてアルバートが語りだすのは、自らがエーテリアル世界の住人であり、虚無の竜は一回滅ぼされたということ。
その死体がもう一つの世界となり、新たな歴史を刻んでいったということだ。
>「俺は、この世界の指環の勇者だ」
>「お前達を殺し、指環を奪い……いずれはあちらの世界から全ての属性を取り戻す。この虚無の指環でな」
「久しぶりに会って飯でも食うって流れにゃできねえか!
傷は治った、前に出るぜ!」
シャルムの放った炸裂弾をまったく意に介さず、アルバートはその指に嵌めた指環を輝かせて魔法を放つ。
>「何もかもを埋め尽くせ……『バリアル・メテオ』」
「最初っから竜装でいくぞ!出し惜しみしていい相手じゃねえ!」
蒼い鱗を身に纏い、ジャンは頭上から降り注ぐ流星群に向けてウォークライを放つ。
指環の魔力によって強化されたそのウォークライは、爆炎を纏った岩塊を打ち砕くには十分な破壊力だ。
スレイブが接近戦を挑む中、ジャンは背中の翼をはためかせてアルバートの頭上に飛ぶ。
ヒトであれば等しく死角となるその位置に陣取り、スレイブと合わせてジャンもまた魔法陣を展開していく。
>『飽和攻撃で一気に片を付けるぞ……奴にこれ以上、力を奪う機会を与えるな』
『任せときな!』
ジャンも天上に巨大な立体魔法陣を描き、深海を走る水の流れを召喚する。
「派手にぶちかますぜ……『クラン・マラン』!」
凄まじい水圧から解き放たれた水流が一つの大瀑布となり、真下にいたアルバートへと叩きつけられる。
スレイブの『エアリアルスラッシュ・シグマ』を魔剣で切り裂き、指環で吸収して対応していたアルバートにはまったく予期していなかった一撃だ。
「ジャン!お前も……」
巨人族ですら耐えきれぬほどの質量は何かを喋りかけたアルバートを
あっという間に包み込み、アルバートごと地面を掘り砕いていく。 「……これで全部吸収してたってんなら、もう殴るしかねえな」
竜装を解くことなく空中から監視し、大きな池となるほど掘り砕かれた穴を見る。
そしてジャンは見た。池の中心から外側へ徐々に水が消えていくさまを。今や四つの属性を吸収した虚無の指環を掲げ、
全身を純白の甲冑に包んだアルバートが空中に立つ姿を。
『虚無の力と融合している…!あれはもう切り離せない、ジャン!』
「あいつの吸収は魔法なら限界はねえってことか……接近するぞ、アクア!」
アルバートの頭上からジャンが突進を仕掛け、アルバートがそれに対応してレーヴァテインを振り上げる。
魔剣レーヴァテインは今や虚無の力と四属性の魔力が入り混じり、切り裂いたもの全てを食らい尽くす虚無そのものだ。
やがてジャンの竜鱗を纏った拳とレーヴァテインの刀身がぶつかれば、ジャンは即座にウォークライを放って
相手を怯ませんとする。
だがその咆哮は虚無を纏ったレーヴァテインに飲まれ、薙ぎ払いと共に増幅されたウォークライがジャンの全身を襲った。
纏った竜鱗は剥がれ落ち、背中に生えた翼は陽炎となって消え去る。そしてティターニアたちの方向へ吹き飛ばされていく。
「その咆哮も俺たちのものだ!偉大な戦士が修練の果てに生み出した奥義……貴様らが使っていいものではないッ!」
「お前が作ったもんでもねえだろッ!」
指環の魔力を空中歩行と魔力障壁だけにとどめて、再びジャンは接近する。
だが武器を持たず、両の拳を握りしめて突っ込むだけだ。
「虚無の竜から生まれた人間にあらざる異種族……それらも全て葬り去る!」
「どうりで不死人共が帝国人みてえな体格してると思ったぜ、ひょろっちいんだよお前ら!」
先程とは異なり、アルバートが振り下ろしたレーヴァテインはただ虚空と一粒の雫を切り裂くのみだった。
ジャンは正面から殴りかかると見せかけて直前で水流に溶けて背後に回り込んだのだ。
「剣も魔法も効かねえならッ!」
「貴様ァッ!」
即座に気づいたアルバートが横薙ぎにレーヴァテインを振るったとほぼ同時に、ジャンが
アルバートの顔面に向けて右の拳を叩き込む。
ジャンは腹をえぐり込むように切り裂かれ、アルバートは兜越しに衝撃を受けて大きくよろめく。
「へへっ……父ちゃんから習ったパンチは効いただろ?
こいつは虚無でも吸い込めるもんじゃねえ」
傷口から溢れる血に構うことなく、ジャンはにやりと笑って両手の拳を構える。
それはかつての旧世界にない、この世界で編み出されたもの。
オーク族が戦乱の中で生き残るために作り上げた、格闘術だ。
「……もはや容赦はしない。かつての仲間というだけで情けをかけてやったがもういいだろう」
アルバートが四属性の力を解き放ち、自らの周囲を暴走した魔力で覆いつくす。
通常の魔術師ならば自分が消し飛んでしまうようなそれを、アルバートは尋常ならざる集中力で制御してのけた。
その暴走魔力の方向すらレーヴァテインで自由自在に操り、やがて一つの方向に定めた。
「穿て、『バニシングエッジ』」
荒れ狂う魔力の奔流が放たれ、ジャンがとっさに放った魔力障壁をたやすく食い破ってティターニアたちを襲った。
【スレ立てありがとうございました!新スレで終わるかな…?】 >「……『審判の鏡(プロセ・ミロワール)』」
シャルムが血相を変えて駆け寄ってきて、反射の術式を組み立てようとするが、上手くいかないようだった。
>「……忘れていませんか、拙僧の存在を」
アルダガが振るったメイスが黒き矢を弾き飛ばす。
その後に幾重もの石壁が軽々と突破されたことに気付き、ようやく自分か仲間の誰かが死にかけていたことに思い至る。
黒蝶騎士の矢がプロテクションの魔法障壁をやすやすと貫くのを見た後だ。
その威力は分かっていたつもりだが、彼女の矢が持つのが的に当たるまで何物をも貫く性質だとしたら、
物理的実体のある石の壁なら多少は疑似の的となってくれるものと思っていたのだが、その想定は外れたようだ。
>「ティターニアさん、ジャンさんとディクショナル殿を拙僧の後ろへ。神術で治療します」
>「……すみません。ティターニアさん、お願いします」
魔力植物の蔦を操り、ジャンとスレイブを回復術の範囲内へ移動させる。
そうこうしているうちに黒騎士同士の戦いが始まり、あまりの凄さに手を出す間もなく結果的に観戦する形となった。
ジャンやスレイブも予想以上の黒騎士の強さに驚いている様子。
竜の指輪にさえ匹敵あるいは凌駕する力――
これには、人間という種族の個体差が激しく能力値のバラつきが大きい、というだけでは説明のつかない何かがある気がする。
例えば、選ばれし人間だけが生まれながらに授かる加護のような何かが。
エーテリアル世界のヒトはただ一種族しか存在しなかったらしいが、それが現在の人間の前身だったとしたら――
>「……いや、本当に申し訳ないです。恥ずかしながら私、自分より強い相手と戦うのは初めてでして。
どうも殺気に当てられてしまったみたいで……ああ、もう情けない」
「無理もない、気にするな」
シャルムの本職は魔術師であって戦士ではないのだから、戦いに慣れていないのは当然。
そう思い、この時点では特に疑問に思うことはなかった。強い者が本当の意味での戦いに慣れているとは限らない。
圧倒的に格下の敵を寄せ付ける前に吹っ飛ばすのは、戦いでも何でもないのだ。
>「教えてください。一体この地で何が起きているんですか。……あなたは、何に追われているんです」
>「あーあ……正直、私もそれが知りたいからあなた達を呼んだんだけどなぁ」
唐突に始まった戦いは終わりもまた唐突だった。
アルダガに膠着状態に持ち込まれ観念したのか、戦闘をやめて救援要請の真相を語りだす。
しかし安心してはいられない。
彼女が語ったのは、彼女自身ですら恐れをなすほどの得体の知れない侵入者の存在。
戦闘があと三回は多すぎるということでとりあえず黒蝶騎士はもうこちらと戦う気はないらしいのがせめてもの救いだ。
それなら最初から戦わないでくれるともっと有難かったのだが。 >「私が射抜いたはずの、不死者よりも不死身な誰かさん。その時、一度反撃してきたんだけどね
確かに、こう言ってたよ……『指環の力よ』ってね。
炎の魔法だった。でも……そこのおチビさんの声じゃ、なかったかなぁ」
>「もっと低い、男の声だった。どういう事なんだろうね?
……こっちはこっちで、探り回ってみるよ。手分けしないと、時間がないからね」
「まさかエーテルの指輪が奪われたか!? しかし竜の神殿には6つの指輪がないと入れぬはず……」
全属性を統べるエーテルの指輪なら炎の属性も使えるかもしれないが、
6つの指輪がここにある以上エーテルの指輪が先に取られたとは考えにくい。
シャルムやスレイブが二つ目の炎の指輪の存在について意見を交わすが、その可能性も低そうだ。
>「ティターニアさんが言っていた通り、ここは本当は地下じゃないのかもしれない。
星都は帝都の地下にあるという情報自体が、間違っているのだとしたら」
>「二つの世界を繋ぐ扉、或いは階段は、一つしかないとは限らない。
むしろあの扉が当時のこの世界の住人にとってのいわゆる非常扉だったなら、
扉が一つしかない方が不自然だ。だから……」
思考に行き詰まったシャルムの言葉を継ぐ。
「旧きエーテリアル世界から現在の世界への変革が単なる世界法則の書き換えではなく
異なる世界への移住に近いものだったとしたら……ここは打ち捨てられた旧世界の成れの果て、ということになるな。
飽くまでも憶測に過ぎないが」
今までに訪れた四星都市だって、結界を破るといきなり出現したり転移魔法陣で入ったりと、本当に現行世界の存在だったかは怪しいものだ。
唯一シェバトだけは一見普通に存在するように見えるが、旧世界が現行世界に重なった領域とも考えられる。
>「仕方ありません。結局、今の私達に出来る事をするしかないって事ですね。
つまり……ひとまず、女王パンドラの元へ向かいましょう。
黒蝶騎士が遭遇した第三者については……」
>「もしこちらを追ってくるとしたら……その時は私に考えがあります。
まずは、全竜の神殿を目指しましょう。やりやすい地形があるといいんですが……」
全竜の神殿にほど近い拠点であるキャンプ・グローイングコールに到着する。
シャルムは、掃除と称して躊躇うことなく密林に火を放った。
謎の侵入者がこちらを追ってきていることを前提としての炙り出し作戦だ。
>「……指環の力よ」
作戦は成功し、侵入者はついに姿を現した。
>「……アルバート?」
>「お前、なのか?」
>「……ああ。見ての通りだ」
>「……私達を、つけてきた理由は?」
「一瞬浮浪者かと思ったぞ! いきなり行方不明になってどこをほっつき歩いておったのだ!」
拳銃を突きつけてのシャルムの問いにも努めていつもの調子のティターニアの問いにも答えず、アルバートは反対に問い返す。 >「……覚えているか、カルディアで聞いた、舟歌を」
「ああ、あれは良かったな。上手なのは当然だったのだ。あの少女は実はセイレーンの女王だったのだからな」
>「あの時、俺には……あの歌の続きが聞こえていた。
少女の声ではなく。海の底の、その更に奥底から響くような女の声で。
あれは……女王陛下の声だった。俺に何かを思い出せと歌っていた」
アルバートは自らをこの世界の人間だと言い、エーテリアル世界の真実と、現行の世界の成り立ちを語り始める。
>「どうだ。思い出したか、イグニス……アクア、テッラ、ウェントゥスも」
>『ぜんっぜんわからん……エルピスのぼけなすがその辺の記憶全部消しておったんか……?』
『記憶が無いのも無理はないかもしれないわ。
エルピスが言っていた事が正しければだけどあなたたち四星竜は元々は全の竜の一部だった存在。
虚無の竜との戦いので全の竜から食らわれた属性が現行世界で再構成されて生まれた存在なのかもしれない』
全く心当たりがなさそうな四星竜に代わって、光の指輪に宿るメアリが答える。
>「俺は、この世界の指環の勇者だ」
>「お前達を殺し、指環を奪い……いずれはあちらの世界から全ての属性を取り戻す。この虚無の指環でな」
「虚無の指輪……ということはそなた、虚無の竜の使いか……!」
現行の世界が虚無の竜の死体の上にあるとしたら、つい最近復活した虚無の竜は一体何なのだろうか。
精神体か分霊のようなものか、あるいは光や闇の竜のように複数存在し得るものなのか――
そこでシャルムが何を思ったかジュリアンへと発砲。
当然スレイブが気色ばむが、ティターニアにはこれはシャルムの分かりにく過ぎる優しさのようにも思えた。
>「お二人は親友なんでしたよね。今、裏切られたら洒落にならない。
……あり得ない話じゃないでしょう。その人は、前科があるんですから」
相変わらず辛辣な言葉を吐くシャルムだが、彼女が撃ったのはおそらく、制圧用の電撃弾。
指輪を持っていないジュリアンは、戦線を離脱してしまえば積極的に狙われることはない。
動揺しきっているようなら下手に戦いに参加するようりも早々に気絶したほうが生存確率が上がるとも考えられる。
あるいはそれに加えて、親友と戦わせたくなかったのかもしれない――は流石に深読みし過ぎだろうか。
続いてシャルムはアルバートに炸裂弾を放つ。こちらはもちろん全力の殺傷攻撃だ。
凄まじい爆炎が炸裂するが、アルバートはそこに平然と佇んだままであった。
>「純粋な身体能力と、精神力?……そんな馬鹿な」
>「何もかもを埋め尽くせ……『バリアル・メテオ』」
シャルムの展開したプロテクションが叩き割られていく。
それを見たジュリアンがティターニアに「今から使う術の全体化を頼む」と目配せする。 「鏡の世界(スペクルム・オルビス)――」
イグニス山脈での最初の対面のとき、アルバートやティターニア達の攻撃をことごとく無効化した最高位の反射系防御魔法。
あまりにも高度な魔法であるため、対象は使用者本人だけしか不可能なのだが―― 「ストームソーサリー!」
ティターニアが範囲拡大の魔術で、防御魔法の効果を味方全員に及ばせる。
ジュリアンはティターニアがリフレクションを広範囲に張っているの等を見ていて、それが出来ると判断したのだろう。
ジャンのウォークライの加勢もあって、初撃を防ぎきる。 >「『エリアルロケート』――!」
アルバートの次の行動をいち早く察したスレイブが、剣での接近戦で迎え撃つ。
「――エアリアルウェポン!」
スレイブの使う風魔法の妨げにならぬよう、風属性の武器強化の魔法で援護するティターニア。
しかし打ち合いをしているうちに虚無の指輪の力によって剣術を奪われてしまったようで、
長期戦になればなるほど勝ち目は無くなるということに思い至ったスレイブが、念話で全員に語り掛ける。
>『飽和攻撃で一気に片を付けるぞ……奴にこれ以上、力を奪う機会を与えるな』
>「『エアリアルスラッシュ』!!」 「――『シグマ』」
>「派手にぶちかますぜ……『クラン・マラン』!」
本来なら大地の大規模魔法で攻撃に加わるべきところだが、ジャンの魔法がまともに直撃したのでその必要はないと思ったのか、
ティターニアは激流に飲み込まれたアルバートに語り掛けていた。
ジュリアンはアルバートが虚無に飲まれぬためにシャルムのような後輩を裏切ってまで
帝国を出奔したのに、これではあんまりではないか――
「水でも被って頭を冷やせ! ジュリアン殿がなんのために帝国を出奔したと思っておるのだ……!」
「俺のことはいい――殺す気で行かなければやられるぞ」
この期に及んでかつての仲間のよしみを捨てられないティターニアをジュリアンが嗜める。
しかし、ティターニアが攻撃に加わらなかったのは、結果的には良かったといえよう。
もしそうしていたら、更に大地の魔力を吸収させるだけの結果になっていたであろうから。
大きな池となるほどだった激流は瞬時に消え、純白の甲冑に包んだアルバートが空中に佇んでいた。
>『虚無の力と融合している…!あれはもう切り離せない、ジャン!』
>「あいつの吸収は魔法なら限界はねえってことか……接近するぞ、アクア!」
今度はジャンが接近戦を挑む。
アルバートとジャンのやりとりから、やはり人間が旧世界から存在した原初の種族で
他の種族は現行世界で新しく生まれた存在だということが鑑みられた。
もしかしたら帝国の人間達の人の世への並々ならぬこだわりや、
帝国の人々が信奉する女神の人間至上主義は、そこから来ているのかもしれない。
ジャンはオーク族の格闘術で拳を届かせて、旧世界に存在しなかった技なら通用するという一筋の活路を見出す。
しかし、それはアルバートを本気にさせてしまったようだ。
>「……もはや容赦はしない。かつての仲間というだけで情けをかけてやったがもういいだろう」
>「穿て、『バニシングエッジ』」
「来るぞ! 鏡の世界(スペクルム・オルビス)――」「――ストームソーサリー!」
アルバートの一撃必殺の攻撃に対し、ジュリアンとティターニアが先程と同じ連携魔法で応戦。
荒れ狂う魔力の奔流が鏡の魔法障壁に激突――
鏡の世界は、あらゆる攻撃を無効化する最高位の防御魔法。
通常なら瞬時に魔力が霧散して終わりなのだが、魔力の奔流の勢いがおさまる気配はなく、
驚くべきことに障壁が少しずつ削られていく。 「そんな……どうにかならないのか……!?」
仲間達を見渡してみるも、皆すでに自らの出来得る最大限の防御を試みていて、これ以上どうしようもなさそうだ。
障壁を突破されたら最後、凄まじい魔力の奔流に飲み込まれ、全滅は必至だろう。
――その時だった。 「――四星守護結界」
新たに重ねられた結界が、魔力の奔流を阻む。
それを行使したのは、パーティーメンバーの誰でもなく――
「良かった――間に合ったようですね」
「全く油断も隙もない……ヤケを起こした女王を諫めに来たらこの様だ――
しかし小鼠どもにしてはよく持ち堪えたな」
「話は後だ、奴を倒すぞ!」
「あの者に旧世界の存在である私たちの攻撃は通用しない……でも防御ならお力になれます!」
上から順に、シェバトで共に戦った風の守護聖獣ケツァクウァトル、ラテに力の一端を貸している大地の守護聖獣フェンリル、
灼熱都市での戦闘時には一言も喋らなかったはずの炎の守護聖獣ベヒモス、そして半人半鳥形態を取った水の守護聖獣クイーンネレイド――
まごうこと無き四星都市の守護聖獣達だった。
「お前たちもこちらの世界の存在だろう? どうしてそいつらの味方をする?
よもや情にほだされたのではないだろうな?」
思わぬ邪魔が入り、意外げに問いかけるアルバート。
何故なら彼ら守護聖獣は、もともとは旧世界の存在。
新しき世界に生まれ落ちた四星竜が勝手な事をせぬように送り込まれた監視者だった。
「ええ、エルピスの記憶操作が解け全てを思い出しました――確かに私たちはこちらの世界の存在。
だけどそれが何だというのでしょう。今や幾星霜との時をウェントゥスと共に過ごしたあの街こそが故郷――」
「……まあいい。全員まとめて叩きのめすまでだ。この虚無の指輪がある以上お前たちに勝ち目はない」 アルバートは守護聖獣達が新世界側に寝返ったと認識して尚、特に激昂するでもなく落ち着き払った態度で強者の余裕を見せる
事実彼の言う通り、指輪の力を使った強力な攻撃や、古代から伝わる大魔術の類は全て奪われてしまう。
守護聖獣達の助力で相手の攻撃を凌ぐことはできたとしても、どうやって倒せばいいというのか。
そんなティターニアの心中を見透かしたかのように、クイーンネレイドが言う。
「大丈夫、あなた達なら出来るわ。指輪なんてなくたって強かったじゃない。
思い出して、私と出会った頃のこと――」
言われた通り、クイーンネレイドと出会った時のことを思い出すティターニア。
「思い出したぞ。そなた、物乞いの少女に身をやつしていたな――それで確か……」
そこで唐突にアルバートに向かって一つの魔法をかける。
指輪の力も使っていない、古来から伝わる由緒正しい大魔術でも何でもない――ユグドラシアで開発されたイロモノ魔法である。
「黒板摩擦地獄(ブラックボードキィキィ)――高音質(ハイレゾナンス)!」
黒板を爪で引っかく音を大音量で聞かせる地味に凶悪な幻聴魔法――それの高位版だ。
「どうだ、こんな魔法は旧世界にはなかっただろう!」
「貴様――! そんなふざけた技があってたまるか……!」
効果はてきめんだったようで、思わぬ突飛な攻撃にアルバートは両耳を抑えて悶え苦しんでいる。
一気に畳み掛けるチャンスだ。 アルダガとの膠着状態に矛を収めたシェリーは、星都で自身に起こった異変について語り始めた。
パトロンである陸軍少将の命令でセント・エーテリアへと潜入した彼女は、そこで不死者とは異なる『敵』と出会う。
先制攻撃で致死の矢を命中させたにも関わらず健在だったその敵は、指環の所持を仄めかす言葉を口にした。
指環の勇者以外に存在する、正体不明の指環保有者。
陸軍でも捕捉し切れていない、完全に情報不足の現状を打破すべく、彼女は独自に調査を続けに姿を消した。
『クーデターが起きるかも』という、実にきな臭い言葉を残して――
>「仕方ありません。結局、今の私達に出来る事をするしかないって事ですね。
つまり……ひとまず、女王パンドラの元へ向かいましょう。
黒蝶騎士が遭遇した第三者については……」
星都の位置について仮説を重ねていたシャルムは、諦めたようにかぶりを振った。
>「もしこちらを追ってくるとしたら……その時は私に考えがあります。
まずは、全竜の神殿を目指しましょう。やりやすい地形があるといいんですが……」
「あのぅ……その『考え』というのは、昨晩のキャンプ魔改造のようなことですか?
拙僧あんまり古代の遺産を弄り回すの良くないんじゃないかと……
不死者のせいで発掘しきれてない有用資源もあることですし、できるだけ傷つけずに陛下にお返ししないと」
シャルムは有能な魔術師だが、その性向は些か未来の方を向きすぎているきらいがある。
新しく便利なものを作ることにかけては随一の才覚を持つ反面、古代の遺産に対するリスペクトがさらさらない。
壊してしまったらまた新しく作り直せばそれで良いという、合理性の塊のような女である。
もちろんその姿勢が現代の帝国の隆盛を支えているのは確かだ。
遺産などなくとも、人間は己の力だけで未来を切り開けるという主張を否定する気もない・
ただ、古代の女神を奉ずるアルダガとしては甚だ複雑な心境だった。
そして――たどり着いたキャンプ・グローイングコール。
そこでシャルムのとった追撃者対策に、アルダガは自身の願いが聞き届けられなかったことを知る。
>「私達を追ってきているのなら、今頃は穏やかな陽気に包まれているでしょうね。
追ってきてなければ……この先は、見晴らしのいい道を通れますよ」
「出来るだけ傷つけないようにって言ったじゃないですかぁーーっ!」
シャルムの放った魔導弾は密林に炎の轍を残し、みるみるうちに火災が広がっていく。
気付けばキャンプの周囲は炎上する木々に囲まれ、もうもうと立ち込める黒煙が人工の太陽を覆った。
「あああ古代の遺産が消し炭に!女神様になんと言い訳をすれば……!」
頭を抱えるアルダガの祈りが届いてか届かずか、燃え広がる炎の舌はやがて消えることとなる。
自然の鎮火ではない。ある一点へ向けて吸い込まれていく炎の先に、一人の男がいた。
指環を掲げるその姿は、一見すれば星都に迷い込んだ浮浪者。
しかし、アルダガは男の顔を知っている。その背に担った大剣を知っている。
違えるはずもない、彼はアルダガやシェリーと肩を並べ、共に帝国の為に戦ってきた存在。
――黒竜騎士アルバート・ローレンス。
港町カルディアで行方不明となり、アルダガが指環の勇者たちと邂逅するきっかけとなった男。
帝国諜報部が総力を挙げて捜索しても死体の痕跡さえ見つけられなかったアルバートが、密林の向こうから姿を現した。
「あ、アルバート殿……?なぜ貴方が星都に……」
アルダガが慄然と零した問いに、アルバートは答えない。
シャルムが魔導拳銃を突きつけ、ようやく言葉を発したかと思えば、その内容はアルダガの理解を越えていた。 (アルバート殿が古代エーテリアル世界の人間で、女王パンドラによって我々の世界に送り込まれていた……?
そして我々の世界そのものが、エーテリアル世界の一部を虚無の竜が捏ね回して作ったまがい物……
信じられませんっ!信じられるわけが!女神様の教えを根底から否定することとなります……!)
アルダガの奉ずる女神は、『全てのヒトの母』とされる人類の始祖だ。
純人族はみな一人の女性を共通の祖先とし、子から注がれる信望と愛によって彼女は神となった。
女王蟻と働き蟻の関係がそうであるように、女神とヒトとの間には血縁という強固なつながりが存在している。
だからヒトは女神に奉仕するし、女神もまたヒトへ平等に愛を注ぐ……それが教皇庁が正式に公表している教義だ。
だが、アルバートの言葉が全て正しいのだとすれば。
アルダガたち現行世界の人類は、虚無の竜に呑まれたエーテリアル世界の属性がかつての姿を再現したもの。
女神が産み落としたわけではない。
・ ・ ・
(それじゃ、わたしたちが母と崇める女神は一体、何者――)
そこまで思考して、アルダガはメイスで自分の頭を打撃した。
銅鑼を鳴らしたような大音声が響き渡り、こめかみが破れて真っ赤な地が地面に滴った。
(……鵜呑みにしてはいけません。アルバート殿の語ったことが事実である証左はどこにもないのだから。
拙僧は依然女神の子にして尖兵。捧げた愛に偽りはなく、故に拙僧の信心に揺らぎはありません)
そうだ。
今ここにアルバートが居る理由についてはまるで見当がつかないが、カルディアで津波に巻き込まれて頭を打ったのかもしれない。
黒騎士のアイデンティティであるブラックオリハルコンの鎧を失い、動揺が彼の心を支配していてもおかしくはない。
たとえば――そう。皇帝の信頼を失ったと感じた彼が、新たな拠り所として『女王』なる架空の存在を心の中に創り出し、
世界の成り立ちとかいう確かめようもないそれっぽい理屈を完成させている可能性だって十分にある。
そう考えると、なんだか腹が立ってきた。
黒騎士の至上命題とも言える護国の重責を放り出し、古代の密林で気楽な原始生活を送っていたアルバート。
彼が席を空けたせいで、他の黒騎士がどんなに苦労し、上層部がいかに混乱したことか。
>「何もかもを埋め尽くせ……『バリアル・メテオ』」
これ以上の会話は無用とばかりにアルバートが指環を掲げ、炎と大地の魔力が鳴動する。
空を覆わんばかりに出現した燃え盛る岩の礫が、流星の如くアルダガ達へと降り注いだ。
アルダガは懐から術符を四枚取り出し、自身と仲間達を囲うように四方へと投じる。
「凍える不幸、彼方の幸福。捧ぐは稀なる血、東より来たりし秘蹟の種。流転し、共鳴し、その双眸に天を座せ。
女神の吐息よ、来たる礫を打ち払え――『エニエルイコン』」
術符同士を光の線が結び、奔った聖句が女神の祝福をその場に喚び起こす。
光の障壁がアルダガたちを覆い、礫から彼女を護った。
(そう、そうです、そうですとも!女神の加護はこうして確かに拙僧を護ってくれています。
事実がどうであれ、いかなる過去があろうとも!いまこの場で拙僧の力となる信仰に相違はありません)
土埃を目眩ましとしたアルバートの奇襲をスレイブが迎撃し、剣士二人は切り結ぶ。
純粋な剣の技量ならば、両者の実力に大きな差はないとアルダガは感じた。
しかし、拮抗は長く続かない。 >「剣術を……奪われただと……?」
スレイブの動きが途端に精彩を欠き、ついには剣を取り落としてしまう。
その不条理なる現象は、アルバートの意志によって引き起こされたものだった。
「虚無の指環……失われた属性を、そちらの世界に取り戻す力ですか……!」
だとすれば、アルダガがこのままアルバートと対峙し続けるのはまずい。
彼女の使う神術は、女神が子たちへ授けたもの――アルバートのいう『奪われし属性』に該当する。
一人で多数を相手にすることに特化したアルダガの術は、この状況で最もアルバートに与えてはならないもの。
帝国最強戦力を相手に、神術を使わず立ち回る必要があった。
>『飽和攻撃で一気に片を付けるぞ……奴にこれ以上、力を奪う機会を与えるな』
>『任せときな!』
長期戦は分が悪いと判断したジャンとスレイブが、共に最大火力の広範囲殲滅魔法を放つ。
全方位から襲い来る風の刃を受けきったアルバートの技量は恐るべきものだが、既に連携は完成していた。
>「派手にぶちかますぜ……『クラン・マラン』!」
ジャンが召喚した水の巨大質量は、まともに受ければ骨さえ残らず砕け散る高圧の瀑布。
風の刃に足止めされていたアルバートは退避することさえままならず滝の餌食となった。
おそるべき水圧は地面を地盤ごと抉り取り、地形を変えるほどの威力がたった一人の男へと収束。
大型の竜でも耐えられずバラバラになるであろう極大の水魔法だったが――
「うそでしょ……」
水属性を吸収しきり、枯れ池となった底に五体満足で立つアルバートの姿に、アルダガは動揺を隠せなかった。
膝を付くことさえしないアルバートは、それまでの浮浪者同然の襤褸切れ姿ではなく、甲冑を身に纏っている。
――ブラックオリハルコンの対極とでも言うかのような、純白の鎧。
それは、単純な防御力の向上とは別に、『黒騎士』というかつての自分への決別を示しているかのようだった。
>「あいつの吸収は魔法なら限界はねえってことか……接近するぞ、アクア!」
アルバートはどういう理屈かふわりと宙に浮かび上がる。おそらくは吸収した風の魔法だ。
魔法は効果なしと見たジャンがその身に生やした翼で飛翔し、アルバートと空中での格闘戦を演じる。
風と翼、竜爪と魔剣が交差し、剣戟の衝撃が大気を弾く圧力が地上にまで届く。
ジャンが咆哮――カルディアで受けたものよりも遥かに強力なウォークライがアルバートを襲う。
アルバートは涼しい顔でそれを魔剣に吸わせ、意趣返しとばかりにジャンへと咆哮を叩きつける。
ジャンの身を覆っていた竜の鱗と翼が風前の灯火の如く消し飛んだ。
>「その咆哮も俺たちのものだ!偉大な戦士が修練の果てに生み出した奥義……貴様らが使っていいものではないッ!」
>「お前が作ったもんでもねえだろッ!」
両雄は再び激突し、リーチで勝るアルバートが魔剣を薙ぎ払う。
オークの胴さえも一撃のもとに両断する致死の斬閃は、しかしジャンを捉えられない。
彼は指環の力で潜行し、アルバートの足元をくぐり抜けて背後へと回っていた。
岩よりも鋼よりも何よりも硬く硬く硬く握り締められたジャンの拳が、振り向くアルバートの頬を強かに殴りつけた。
(相討ち――!?)
うなりをつけて振るわれたジャンの豪腕は確かにアルバートを打撃した。
そして、ほぼ同時にアルバートの魔剣もまた弧を描き、ジャンの横腹を刳り斬っていた。
臓物が溢れていないことから傷は腹膜にまで達してはいないようだが、夥しい血がジャンの腹から滴り落ちる。
致命傷一歩手前の深手にも関わらず、ジャンは獰猛に口端を上げた。
>「へへっ……父ちゃんから習ったパンチは効いただろ?こいつは虚無でも吸い込めるもんじゃねえ」 魔法はおろか剣術さえも奪い取る難攻不落のアルバートに対し、ジャンの見出した活路。
それは、旧世界から伝えられてこなかった、無軌道で新しい発想の技術を用いること。
長い時間をかけて洗練されてきた戦術ほど、アルバートはそこに旧世界とのつながりを見出して奪い取る。
ジャンがいまやって見せたように、ある意味合理性を欠いた思いつきの技ならば、アルバートに届かせることができる。
(しかし……拙僧に、それができるでしょうか)
思い出すのは、シャルムとのやり取り。
追跡者を迎撃する策として焦土戦術を選んだ彼女に、アルダガは否定的だった。
その行為は、古代の女神を信仰するアルダガの価値観と真っ向から反するものだからだ。
女神への信仰とは、すなわち祖先――古代の民への信仰に等しい。
世界開闢のときから変わることなく受け継がれ続けてきた女神の教えは、アルダガの精神の礎とも言えるもの。
アルバートに対峙するため、古い教えを脱却することは……女神への背信とならないだろうか。
アルダガだけでなく、大陸に生きる多くの民を支えてきた教えを、自分は否定してしまえるのか。
>「穿て、『バニシングエッジ』」
逡巡は身体を硬直させ、アルダガはその場を動くことができない。
ジャンに殴られ、怒気を放つアルバートが魔剣から全てを消滅させる極大の魔法を放つその瞬間さえも。
彼女は女神に背くことを恐れ、ただ迫り来る死を受け入れるほかなかった。
>「来るぞ! 鏡の世界(スペクルム・オルビス)――」「――ストームソーサリー!」
ティターニアとジュリアンが二人がかりで結界を張り、叩きつけられる死の光条をしのぐ。
しかし光の瀑布の勢いが衰えることはなく、次第に障壁を押しのけはじめた。
「……え、『エニエルイコン』!」
はっと顔を上げたアルダガも弾かれるように防御の神術を再び行使するが、焼け石に水を垂らすように掻き消える。
ジュリアンの編み出した最高位防御呪文も、ブラッシュアップを重ねられてるとはいえ、属性を束ねた魔法に違いはない。
少しずつではあるが、アルバートの持つ指環が『鏡の世界』の術式を紐解き、奪いつつあるのがアルダガにもわかった。
遠からず、魔法障壁は意味を失い、虚無の閃光がアルダガたちを呑み込むだろう。
>「そんな……どうにかならないのか……!?」
ジリ貧の八方塞がりに、諦めが胸中に鎌首をもたげ始めたそのとき。
アルダガの知る誰でもない、新たな声が聞こえた。
>「――四星守護結界」
それぞれ異なる四つの声が響くと同時、四重の結界がアルダガ達を囲う。
一つ一つが戦略級の障壁呪文にも等しい四種の結界とバニシングエッジが激突し、相殺。
威力を吸収し切って砕け散る結界の破片の向こうに、四つの影が見えた。
「古代都市の守護聖獣……!?」
アルダガは直接対面したことがあるわけではないが、資料としてその存在を知っている。
他ならぬアルバートが元老院に送った報告書の中にも、イグニス山脈で出会った守護聖獣についての記述があった。
指環の勇者たちがこれまでの旅路で時に対峙し、時に共闘した聖獣達が、加勢に現れたのだ。
>「お前たちもこちらの世界の存在だろう? どうしてそいつらの味方をする?
よもや情にほだされたのではないだろうな?」
>「ええ、エルピスの記憶操作が解け全てを思い出しました――確かに私たちはこちらの世界の存在。
だけどそれが何だというのでしょう。今や幾星霜との時をウェントゥスと共に過ごしたあの街こそが故郷――」
援軍の存在にアルバートは眉を立てる。
その至極まっとうな問いに、風の守護聖獣ケツァクウァトルは悪びれもせず答える。
古代のしがらみなど無関係に、『今』彼女の過ごす街と人々を護ると―― その言葉に、アルダガは電撃の奔るような感覚をおぼえた。
ずっと探していた答えにようやくたどり着いたような、快い熱が腹の底から湧き上がってくる。
アルバートの植え付けた女神への不信、教えを否定することへの罪悪、何より自分自身がどうすべきかという迷妄。
その全てに、納得のいく答えが一つ、見つかった。眼の前に横たわった闇霧を切り裂いて、光が差し込んだ。
「……シアンス殿、拙僧は古代から受け継がれてきた教えを遵守し、古代の法術を使ってこれまで戦い抜いてきました。
だから、古代の遺産に頼らないあなたの信念に賛同はできません」
>『人間の進化と繁栄は、人間の手によってもたらされるべきです。古代文明の遺産に頼るなど、主席魔術師の名折れです』
晩餐会の場でシャルムが語った信条が、ずっと頭の中に引っ掛かっていた。
女神の教えを逸脱し、前人未到の道を己の足で進まんとする彼女を理解できず、常に困惑が頭にあった。
そして、星都で再会したアルバートという古代の代弁者――言うなれば、古代そのものとの戦い。
旧い教えを守り続けてきた彼女は迷い、ついに足を止めてしまった。
真に守るべきものが何か、わからなくなってしまったのだ。
「命よりも大切にしてきた教えを、拙僧は裏切れません。拙僧の存在自体を否定することになるからです。
ですが……全てを古代に帰そうとするアルバート殿の考えにも、賛同するつもりはありません」
右手に握ったメイスを掲げ、その先にアルバートを捉える。
俯いていた顔を上げ、逸らしていた目を真っ直ぐ前へ向けて、彼女は自分のたどり着いた答えを放つ。
「拙僧は――わたし達は。教えを守るために生きているのではなく、生きるために教えを守っているのですから。
我々が生きているのは古代ではなく"いま"です。わたしは、いまを守るために戦います」
>「……まあいい。全員まとめて叩きのめすまでだ。この虚無の指輪がある以上お前たちに勝ち目はない」
守護聖獣との問答に見切りをつけたアルバートは、レーヴァテインを構えて臨戦態勢をとる。
「確かに虚無の指環は強力です。属性を奪い取る力は、まさに指環の勇者の天敵とも言えるでしょう。
……しかしアルバート殿、貴方はいっときでも勇者たちと共に旅をして、まだ気付いていないのですか?」
再び全てを消し飛ばさんとするその姿に相対して、アルダガは不敵に笑って見せた。
「ティターニア・グリム・ドリームフォレストが、ジャン・ジャック・ジャクソンが。
――たかだか勝ち目がない"程度のこと"で諦めるはずがないと」
>「黒板摩擦地獄(ブラックボードキィキィ)――高音質(ハイレゾナンス)!」 まったくの前振りなくおもむろにティターニアのはなった魔法がアルバートを直撃する。
鳥肌が立つような不快な不協和音を直接脳味噌に叩き込む凶悪無比な幻聴術だ。
>「どうだ、こんな魔法は旧世界にはなかっただろう!」
>「貴様――! そんなふざけた技があってたまるか……!」
古代人が考えつくはずもない――思いついても誰もやらなかったであろう嫌がらせ特化の魔法。
純粋培養の古代人であるアルバートにはてきめんに効果を表し、彼は不快に顔を歪めてもがき苦しんでいる。
敵ながらなんとも気の毒な状態であるが、アルダガは構わずアルバートの方へと踏み出した。
「エーテリアル世界だの虚無の竜だのは置いておいて、拙僧からも言いたいことがあります。
古代の民ではなく、アルバート殿、貴方へ言っておきたいことです」
彼女はメイスを掲げる。高く高く振り上げたその柄は、凄まじい握力によって軋む音を立てた。
「――手紙の一つもよこさず、どこをほっつき歩いてたんですかぁぁぁぁっ!!」
怒声と共に音を割って打ち下ろされたメイスが、地面を衝撃だけで爆発させた。
「拙僧や黒騎士、陛下たちがどれほど心配したとっ……!国民たちが、どれほど不安になったとっ……!!
古代の記憶が甦った?本当は女王に仕えていた?そんな言い訳より、まず言うべき言葉があるでしょう!!」
間一髪でメイスの直撃を回避したアルバートに、気炎を吐きながら追いすがるアルダガ。
棍術もへったくれもなく幼子のように振り回されるメイスの、一撃一撃が余波で周囲の草や木の葉を塵に変える。
頭の中で響き渡る騒音に苦しみながらもアルバートは大剣で反撃するが、純粋な質量差でメイスに押され気味だ。
「昔のことを思い出したら、それまで貴方が誓ってきた陛下への忠誠や、拙僧たちと共に帝国を守ってきた日々は、
全部なかったことになるんですかっ!?そんなわけがないでしょう!そんなことは、拙僧が許しません!!
あなたはアルバート・ローレンス、黒竜騎士です。古代の民である以前に、帝国に生きる民の一人です!!」
完全にお説教モードに入ったアルダガは、奇しくも彼女のパトロンである聖女の言動と瓜二つであった。
神殿に務める人はみんなこうなる。説教気質は空気感染するのだ。 【色々悩んだ末に吹っ切れる。それはそれとして黒騎士放り出したアルバートにマジ説教しつつ折檻】 知り合いから教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
参考までに書いておきます
グーグルで検索するといいかも『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
W1AHY しゃがみ込んだ私の頭上で激しい金属音が響く。
レーヴァテインと、ディクショナルさんの剣がぶつかり合う音。
私は姿勢を低くしたまま地面を蹴ってその場を離脱。
直後、風の指環の力が周囲に舞い上がった土煙を吹き飛ばす。
そして……再び二人の剣が激突する。
両者の実力は……今のところは互角……のように見えます。
>「貴様の意志など関係ない――全てのものが、在るべきところへ帰る。それだけだ」
ですが不意に、ディクショナルさんの構えが乱れた。
瞬間、襲い来る斬撃を……彼は剣を手放し、飛び退いて躱した。
彼ほどの剣士が、あんななりふり構わない逃げ方をするなんて……一体どうして。
>「一つ……取り返したな。だが到底足りない。全てを返せ」
「剣術を……奪われただと……?」
……そんな馬鹿な。
いえ、確かに理論的には不可能な事じゃない。
人間の一挙一動、気質、精神の動きにさえも属性は宿る。
炎が怒りや喜びを、水が悲しみや鎮静を司るように。
彼の操るダーマ式の剣術にも、司る属性はあったはず……。
虚無の指環はそれを諸共奪い取った……理屈は分かっても、対策は難しそうですね。
あまり多くのものを奪われては、手がつけられなくなる可能性があります。
>『飽和攻撃で一気に片を付けるぞ……奴にこれ以上、力を奪う機会を与えるな』
>『任せときな!』
ディクショナルさん、ジャンソンさんも同様の判断をしたようです。
二つの指環の力を合わせた波状攻撃。
>「派手にぶちかますぜ……『クラン・マラン』!」
やはり単純な出力という点において、指環の力は圧巻ですね。
……ですが、嫌な予感がする。
アルバート・ローレンスが操るそれも、紛れもなく指環の力……という事は。
>「うそでしょ……」
>「あいつの吸収は魔法なら限界はねえってことか……接近するぞ、アクア!」
……こうなる可能性も十分にあった。
指環の力が通じなかった。それでもジャンソンさんは怯まない。
拳と大剣の格闘戦の末……ジャンソンさんの拳がアルバート・ローレンスの頬に叩き込まれる。
レーヴァテインによる薙ぎ払いを、あえて避けず踏み込んで、刃に勢いが乗る前に受けに行った……?
なんて無謀な……いえ、あれこそが彼らが勇者たる所以、ですか。
>「……もはや容赦はしない。かつての仲間というだけで情けをかけてやったがもういいだろう」
ですがアルバート・ローレンスもまた帝国の誇る最高戦力の一人。
拳の一撃で昏倒させられるほど甘くはなかった。
虚無の指環に奪われた魔力が解き放たれる。
四つの属性がレーヴァテインに焼べられて、一つの純粋な威力として昇華されていく。
来る。世界をも焼き尽くすと謳われた魔剣を術核とした、必殺の一撃が。
防御しなければ。プロテクションなど一瞬で溶かされてしまう。
先ほど途中まで構築した防御術式……『審判の鏡』は殆ど組み上がっている。
完成させなければ……。
そう思った瞬間、また息苦しさと動悸を感じた。
集中出来ない。思考が……曖昧になる。 >「穿て、『バニシングエッジ』」
そして……荒々しい魔力の奔流が私達へと放たれた。
>「来るぞ! 鏡の世界(スペクルム・オルビス)――」「――ストームソーサリー!」
「っ……『審判の鏡(プロセ・ミロワール)』」
反射の魔法を展開する。
……術式を完成させられた訳じゃない。
ティターニアさんと、クロウリー卿が展開した反射魔法の中に、私の術式を付与しただけ。
『鏡の世界』の術理は幻術を用いた現象の歪曲。
水の属性が持つ流転の性質を利用した反射の術式。
私の『審判の鏡』……土属性、金属、鏡の持つ、転写の性質を利用する類感呪術とは似て非なるもの。
術式は不完全。鏡の世界の働きを阻害する事はなくても……十全の働きを示す事もない。
>「……え、『エニエルイコン』!」
皆が可能な限りの防御策を取っている。
それでも……魔力の奔流は止まらない。
確実に私達の防御を削り取っていく。
最高峰の古代魔法である鏡の世界も、魔法は魔法。
虚無の力に蝕まれ……いずれはその作用を損なう。
……この状況、私がやるべき事は一つ。
鏡の世界を修復しながら、改善していく……術者であるティターニアさんとクロウリー卿では手が回らない。
私が……やらないと。
出来ない訳がない。私だって主席魔術師なんだ。
やる事は単純だ。鏡の世界を構築する術式……魔力が描く、幾重にも重ねられた不可視の魔法陣。
破壊されていくそれらを読み解き、再構築する。
虚無の指環による崩壊よりも早く、早く……もっと早く。
指先に魔力を灯して、破損した術式に新しい式を書き足していく。
……いいぞ。修復は上手くやれている。
既存の術式に手を加えるくらいなら、今の私にも……
「……けほっ」
……気づけば私は、その場に膝を突いていた。
感じるのは、視界の揺らぎ。息苦しさ。激しい動悸。強い悪心。
それに……口の中に広がる、血の味。
口元から赤黒い血が、白い地面に落ちた。
……お腹が痛い。これは……胃に穴が空いたんだ。
……駄目だ。出来ない。
「……魔法が、使えない」
本当は……分かっていたんです。これは……呪いだと。
ずっと、我慢しなきゃと思ってきた。
クロウリー卿がいなくなった穴を埋めて、帝国の混乱と不安を収めるには、自分の事なんて考えている暇はなかった。
……私だって、魔術師です。本当は自分だけの魔法を作りたかった。
クロウリー卿がそうしたように、私だって、私だけが使える魔法を編み出して、色んな人に見せつけたかった。
あの晩餐会でのティターニアさんみたいに、誰もが魅入られてしまうような、そんな芸術的な魔法を……。 だけど……そんな事したって、帝国の為にはならない。
私一人の自己満足に過ぎない。
そんな事を考えていては駄目だって、ずっと自分に言い聞かせてきた。
それはつまり……暗示です。
強い執着や思い込みは、意識しなくても呪いを生む。
主席魔術師である私が強い意思を持って、自らの無意識を突いて施した呪い。
私自身にも、解けない呪い……。
誰にも言える訳がなかった。
主席魔術師が誤って自分自身を呪ってしまって、魔法を使えないなんて。
そんな事が知られれば、また帝国の民を失望させる事になる。
魔族や亜人に、付け入る隙を感じさせてしまうかもしれない。
むしろこの呪いを利用してやればいいと思った。自分にそう言い訳をした。
難しい魔法なんか使えなくても、私の研究、私の開発した魔導拳銃さえあれば人間は強くなれる。
そう強がって、黙ってこの星都に同行して……それで、この体たらく。
>「そんな……どうにかならないのか……!?」
「……ごめんなさい、先生。私の……私のせいで」
悔しくて、不甲斐なくて、涙が出る。
泣いてる暇があったら、術式の修復をしなきゃいけないのに。
それをしようとすると……手が震えてきて、何も出来ない。
障壁に亀裂が走る。
そして……
>「――四星守護結界」
不意に私達の周囲に、新たな結界が現れた。
要塞城を守護する結界に酷似した、四重の結界が……迫り来る魔力の波濤を防ぎ切る。
そうして役目を終え砕け散った結界の向こう側には、巨大な四つの影。
>「古代都市の守護聖獣……!?」
……助かった、みたいですね。
結局私は何も出来ないままで……。
あまりに自分が惨めで、立ち上がれない。
それに立ち上がったところで……もうこの戦いの中で、私が役に立てる事なんてない……。
>「……シアンス殿、
ふと、頭の上から声が聞こえた。
バフナグリーさんの声……下がっていろ、とでも言われるのでしょうか。
項垂れたままだった顔を上げて、彼女を見る。
>拙僧は古代から受け継がれてきた教えを遵守し、古代の法術を使ってこれまで戦い抜いてきました。
だから、古代の遺産に頼らないあなたの信念に賛同はできません」
だけど彼女が口にしたのはそんな事ではなかった。
そんな事ではなかったけど……何故、今その話をするのか……私には分かりません。
>「命よりも大切にしてきた教えを、拙僧は裏切れません。拙僧の存在自体を否定することになるからです。
ですが……全てを古代に帰そうとするアルバート殿の考えにも、賛同するつもりはありません」
>「拙僧は――わたし達は。教えを守るために生きているのではなく、生きるために教えを守っているのですから。
我々が生きているのは古代ではなく"いま"です。わたしは、いまを守るために戦います」
多分、彼女の方も私の答えが欲しくてこの話をしている訳ではないのでしょう。
これはきっと……ただの決意の表明。 「……生きる為に教えを守る。今を、守る為に……」
私は……私には、分からない。
だって私は……帝国の為に、未来の為に、生きてきました。
五年前にクロウリー卿がダーマへ亡命して……私が主席魔術師になったあの日からずっと。
私には主席魔術師としての責任があった。その責任を果たす為に、果たし続ける為に生きてきた。
……私は、バフナグリーさんとは、つくづく気が合わないみたいです。
>「拙僧や黒騎士、陛下たちがどれほど心配したとっ……!国民たちが、どれほど不安になったとっ……!!
古代の記憶が甦った?本当は女王に仕えていた?そんな言い訳より、まず言うべき言葉があるでしょう!!」
>「昔のことを思い出したら、それまで貴方が誓ってきた陛下への忠誠や、拙僧たちと共に帝国を守ってきた日々は、
全部なかったことになるんですかっ!?そんなわけがないでしょう!そんなことは、拙僧が許しません!!
あなたはアルバート・ローレンス、黒竜騎士です。古代の民である以前に、帝国に生きる民の一人です!!」
「……私は、私の五年間は、間違ってたのかな」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
いえ、誰の答えを聞かなくなって、分かっています。
……バフナグリーさんは今、あんなにも活き活きとしていて。
私は……このざまで。答えなんて聞くまでもない。
……思えばこの五年間、楽しい事なんて一つもなかった。
魔導拳銃の性能を示す為に戦場に立って、ヒトを殺して。
ヒトを殺す為だけの魔法を研究して。
私がやらなきゃいけなかったから。
ずっと自分にそう言い聞かせて、ここまでやってきた。
だけど……今この時、この場所で……私がやらなきゃいけない事なんてない。
やれる事も、ない。
自分の中で……何か、張り詰めていた何かが切れた気がする。
「……疲れた」
気がつかない内に、私はそう呟いていた。
……ふと、激しい金属音が響いた。
バフナグリーさんのメイスが、アルバート・ローレンスの頭部を捉えていた。
純白の兜が砕け散って、その体が大きく吹き飛ばされ、建物の残骸に突っ込んだ。
属性の抜け殻となっていた建物は容易く崩れ、彼の身体を覆い隠す。
……数秒の静寂。
虚無の塵は密林に吹く僅かな風でも容易く散らされていき……アルバート・ローレンスの姿が再び露わになる。
頭部からは血が流れ、彼はレーヴァテインを地面に突き立てたまま、立ち上がれずにいた。
黒鳥騎士、アルダガ・バフナグリーの渾身の一撃を頭に受けたのだから、当然の事です。
生きているだけでも不思議なくらいだ。
「……帝国に生きる民の一人、か。相変わらずだな。バフナグリー……」
深く俯いている彼の表情は、見えない。
ただ……その声は苦しげに聞こえます。
彼を苦しめているのは、痛みではない……それくらいの事は分かります。
振り返ってみれば彼は最初から、未練を振り払うように、敵対する理由を言葉にしていた。
「……貴様の言う通りだ。俺が、帝国民として生きた時間は……不死者として生きていた空虚な時間とは違う。
満たされていた。友情があった。絆があった……覚えているとも。俺は今でも、それが尊い」
……ふと、膝を突く彼の懐に、小さな人影が見えた。
実体のない朧気な……あれは、幻体だ。
ローブを纏った小柄な少年の幻体が……アルバート・ローレンスの体を支え、押し上げようとしている。 「だが、同じ事だ」
彼の左手。虚無の指環から一人、また一人と、幻体が姿を現す。
皆が彼を支え、励まそうとしている。
あれは……虚無の指環の、素体となった者達……?
「アルバート・ローレンスが帝国の民として生きていた。
それで俺の、かつての生がなかった事になる訳じゃない」
アルバート・ローレンスが、ゆっくりと立ち上がる。
「……大丈夫だ、ブリジット。心配しなくていい。
レイエス、血を止めてくれ……傷は平気だが、目が塞がる」
虚無の指環が……彼の体から属性を奪い取る。
バフナグリーさんが打ちつけた頭部の傷口が、その周囲の黒髪と共に白く染まり……急速に塞がった。
属性を奪う事で、生死の概念が失われたんだ。
「この指環は、俺のかつての仲間達だ。俺は、コイツらの期待に応えなくてはならない。
コイツらと共に戦い、勝ち得た先にあるものが、下らない争いに満ちた世界だなどと……そんな事、認められるか」
アルバート・ローレンスの瞳にはまだ、気力の炎が燃えている。
いえ、むしろその火勢はより強まってさえいる。
「それに……バフナグリー。俺は貴様が嫌いだ。
お前の奉じる、争いを煽るばかりの邪悪な女神もな」
……釘を刺すような声音。
私にはその意味が、すぐに理解出来た。
バフナグリーさんは女神の信徒。
その女神を邪神呼ばわりする理由は簡単だ……彼女をやる気にさせる為。
彼女の前言を、彼女自身に翻させる為だ。
「オークも人間も同じだ。蔑む対象が亜人か魔族かの違いでしかない。
優れた魔術の才に恵まれながら、世界を遠目に眺めようとしかしないエルフも……
皆だ。俺は皆が憎い……!」
……自分自身に言い聞かせるような声。
そして彼は、レーヴァテインを両手で掴み、体の前に。
その切っ先を天へと向けた。
「お前達も所詮、愚かな新人類に過ぎない……焼き払え、『レーヴァテイン』!!」
レーヴァテインが赤熱する。
瞬間、周囲に無数の火の粉が舞い散った。
……その一つ一つがミスリル製の鎧をも溶かすほどの高熱を秘めている。
身動きが制限された。
しかし火の粉を払おうと魔法を使っても、虚無の指環にその属性を奪い取られるだけ……。
この炎に支配された空間を、アルバート・ローレンスだけが唯一自由に動き回れる。
なおも赫く輝くレーヴァテインを手に、彼はゆっくりと、指環の勇者達へと歩み寄っていく。
……皆が危ない。なんとかしないといけない。
それが分かっていても……私はなおも立ち上がる事すら出来ないでいた。
【新スレありがとうございます。
黒狼騎士も折角だから出したいなぁとか思ってたけど、隙間がないんですよねぇもう】 >「派手にぶちかますぜ……『クラン・マラン』!」
>「ジャン!お前も……」
スレイブの全方位真空刃と、ジャンの召喚した深海の波濤。
二つの威力は融合し、相乗し、何かを叫びかけたアルバートを地面ごと呑み込んだ。
高圧の瀑布によって穿ち空けられたクレーターは、大量の水を湛えた湖と化す――
>「……これで全部吸収してたってんなら、もう殴るしかねえな」
竜装によって生み出した翼を上空ではためかせながら、ジャンがそう呟いた。
そしてその最悪の想定は、現実のものとなる。
「馬鹿な……地盤さえも砕き抜く指環の一撃だぞ……!」
湖から急速に水が引いていき、水底からアルバートが再び姿を現す。
風魔法を用いて宙に浮かび上がる彼は、一切の汚れも掠れもない純白無垢の鎧に身を包んでいた。
その白は、奇しくもアルバートに属性を奪われた大地の色と同一。
『虚無との融合……ティターニアやあのオークのやっとる竜装とかいうのと同じ技じゃな』
「黒騎士ならぬ白騎士だと?……笑えない冗談だ」
転生前の記憶を忘れ、この世界の民として戦い、黒騎士にまで昇りつめたアルバート。
ブラックオリハルコンと相反するかのような白の甲冑は、さながらかつての自分への意趣返しのようにも見えた。
>「あいつの吸収は魔法なら限界はねえってことか……接近するぞ、アクア!」
お互いに竜装を纏ったジャンとアルバートは空中で壮絶な格闘戦を繰り広げる。
アルバートが魔剣を振るえばジャンの爪が閃き、ジャンが咆哮を放てばアルバートがそれを吸収して撃ち返す。
剣術を奪われたスレイブが介入する好機を見いだせないまま、幾度となく二つの獣は激突した。
そして――
>「剣も魔法も効かねえならッ!」
>「貴様ァッ!」
水の指環を使って背後に回り込んだジャンの拳と、振り向きざまに薙いだアルバートの剣。
アルバートの兜がひしゃげ、ジャンの脇腹から鮮血が吹き、両者痛み分けの格好となって距離をとった。
「ジャン!」
腹を裂かれたジャンだったが、致命傷には至らなかったらしくその表情に苦痛はない。
溢れる血を意に介すことなく、再び両拳を構えて戦闘続行の姿勢を示す。
兜によって頭蓋を砕かれることを免れたアルバートもまた、怨嗟の篭った眼でジャンを睨みつけた。
>「へへっ……父ちゃんから習ったパンチは効いただろ?こいつは虚無でも吸い込めるもんじゃねえ」
(攻撃が通った……!?そうか、術理を用いない純粋な打撃なら、技術を奪われることもないのか)
わずか数合の打ち合いからジャンの導き出した活路。
アルバートのいた世界とのつながりがない、新しい発想の技や技術未満の攻撃は、奪われる対象とならないのだ。
アルバートの属性簒奪は、決して不落の要塞などではない。攻撃を通す手段はある。
絶望の中に垣間見えた光明が、スレイブたちを照らした。
しかし、アルバートもまた属性簒奪の力に全てを任せているわけではなかった。
>「……もはや容赦はしない。かつての仲間というだけで情けをかけてやったがもういいだろう」
アルバートがこれまで吸収した四つの属性の力を指環から解き放つ。
空間さえも歪ませる途方もない魔力の圧が、彼の持つ魔剣へと収束して一つの威力となった。 「まずい、防御を――」
>「穿て、『バニシングエッジ』」
>「来るぞ! 鏡の世界(スペクルム・オルビス)――」「――ストームソーサリー!」
力の奔流が大気を灼き飛ばしながらスレイブ達へ迫る。
ジャンの張った水の障壁は瞬く間に蒸発し、次いでティターニアとジュリアンが反射の術式を行使。
スレイブも合わせるように己の盾へ風の魔力を込める。
「断空の帳、晴嵐巻いて天と地を隔て――『テンペストイージス』!」
構えた盾を中心に魔力が奔り、大気の持つ『空と大地を隔てる』属性を顕在化した術式陣が展開。
『鏡の世界』から漏れた余波が逸れ、防御範囲外の地盤から色を奪っていく。
一瞬遅滞したかに思われたバニシングエッジであったが、虚無の指環の属性吸収能力もまた健在だ。
『異種の魔術防壁四枚……全部喰らい尽くすつもりか……!?』
防御術式の行使に集中していたウェントゥスが悲鳴じみた声を上げる。
四つの防壁と相殺し合ってなお、アルバートの極大魔法は勢いの衰える気配がない。
指環の勇者たちが未だ命を保てているのは、突き破られた傍から修復するシャルムの健闘によるところが大きい。
砕かれた魔術の破片を寄せ集め、リアルタイムで再構築をやってのけるその集中力は主席魔術師の面目躍如と言うほかない。
>「……けほっ」
――しかし、その先にあるのは予定調和じみた破滅。
人間の性能の極限に挑み続けた魔術師は、やがて限界を迎えて膝をついた。
「お、おい、しっかりしろ!あんたが倒れたら誰が――」
>「……魔法が、使えない」
窮地に陥った焦りから非難めいた言葉を口走りそうになったスレイブは、シャルムの呟きに耳を疑った。
魔法が使えない?馬鹿な、あんたは主席魔術師で、多彩な魔法を片手間で使うところを何度も見せてきたじゃないか。
それが、どうして今になって魔法が使えないなどと言い出すんだ――
思いを言葉にしようとして、スレイブの脳裏に帝都に入ってからの記憶がフラッシュバックした。
シャルムは――魔法を使っていない。
晩餐会で初めて出会ったときも、星都で不死者と戦ったときも、黒蝶騎士と対峙したときも。
彼女の魔法は全て、杖や魔導書ではなく彼女の持つ拳銃から放たれていた。
ティターニアやジュリアンのように、自ら術式を唱えて魔法を行使する姿を見た記憶がない。
『賢者の弾丸』。
術式構築を代行し、魔法を使えない者にも魔法を行使させることのできる魔導拳銃。
魔術師であるはずの彼女が、星都でこれ見よがしに魔導拳銃を多用していたのは、
ジュリアンに対するあてつけや、単なる技術の誇示、デモンストレーションに過ぎないと思っていた。
しかし真実は、他ならぬシャルム・シアンスこそが『魔法を使えない者』の一人だとするならば。
全ての不合理が腑に落ちる。納得のいく説明がつく。
(今日この時まで、魔法のないまま帝国の魔導技術を支え続けてきたのか……?)
一体いつから魔法が使えなくなったのかはわからない。
『賢者の弾丸』の完成度から見ても、昨日今日魔法を失った者が一朝一夕で作り上げた技術ではあるまい。
半年か、一年か――あるいはジュリアンが出奔した五年前から、彼女は魔法の使えない魔術師だった。
そんじょそこらの魔術師ではない。帝国における最高位の、主席魔術師だ。
自ら開発した魔導拳銃と、それを扱う技術だけを両輪として、シャルムは主席であり続けた。 ジュリアンの育んだ帝国の魔法を、守り続けた。
人間の可能性を――信じ続けてきた。
アルバートは新世界に渡った人間達を、愚者だと言った。
彼らが命がけで守った世界を闘争で食い潰すだけの、無思慮な恩知らず達だと断じた。
アルバートの眼にはこの世界の人間がそう映ってもおかしくはない。
実際、帝国は旧世界の遺産を盗み出してはそれを戦争に使い、大陸に覇を唱える大国となった。
そして今また、指環の力を手にして新たな戦争の火種を熾そうとしている。
だが、それだけが人間ではない。
シャルムがそうであるように、旧世界に頼らず人間の力だけで未来を目指す者たちもいる。
旧世界にはなかったものを、旧世界より進んだ何かを、創り出そうとあがく人間がいる。
全てを消し飛ばす極大魔法の前に、今にも潰えてしまいそうなその微かな灯を。
うずくまって震えている小さな背中を、何に替えても護らねばならぬと……腹の底からそう感じた。
>「そんな……どうにかならないのか……!?」
>「……ごめんなさい、先生。私の……私のせいで」
ティターニアの声色に絶望が混じり、シャルムが消え入りそうな声でつぶやく。
スレイブの盾にも亀裂が入り始め、もはや数秒と耐えられまいと悲観が心を支配しかけたその時。
>「――四星守護結界」
突如乱入した四つの声と共に、新たな障壁が展開し、バニシングエッジを完全に相殺する。
砕け散る障壁の破片が吹雪のように舞い、その向こうから四つの影が姿を現した。
スレイブ達とアルバートの間に立ちはだかるようにして現れたその影のうち、一つをスレイブは知っている。
「……ケツァク?」
四星都市を司る守護聖獣が一柱、風紋都市シェバトの守護者、ケツァクウァトル。
薄緑の長い髪を風にはためかせる、楚々とした美しい女性の姿をした聖獣だ。
彼女はスレイブの声に振り向くと、柔和に微笑んだ。
「お久しぶりです、スレイブ、ジュリアン……あとウェントゥスも」
『ああー!?なんで儂はついでみたいな扱いなんじゃ!じょーげかんけー大事じゃろ!』
「上下関係と言うなら、旧世界より来た我々守護聖獣の方が新世界で生まれた七竜より先輩ですよ?」
『えっマジで?そうなの?…………ケツァクパイセンちぃっす』
「プライドとかないんですか貴女……」
速攻で掌を返した権威に弱すぎる風竜に、ケツァクウァトルは目頭を揉んだ。
シェバトを守っているはずの彼女が何故星都に居るのかはわからない。
だが、距離を無視して移動してこれたあたり、やはりここは帝都の地下などではなく、世界の『外』なのだ。
>「お前たちもこちらの世界の存在だろう? どうしてそいつらの味方をする?
よもや情にほだされたのではないだろうな?」
突然の闖入者に、アルバートは余裕こそ崩さなかったものの、怪訝に眉を顰める。
ケツァクウァトルは視線を前方へ戻して、同郷の批判にも揺らぐことなく答えた。 >「ええ、エルピスの記憶操作が解け全てを思い出しました――確かに私たちはこちらの世界の存在。
だけどそれが何だというのでしょう。今や幾星霜との時をウェントゥスと共に過ごしたあの街こそが故郷――」
『パイセンの言う通りじゃ!とっくの昔に滅んだ世界なんぞより、今生きとる世界を守るに決まっとるじゃろ!
帝国人のお主には分からんじゃろうが、シェバトまじで良い街じゃから。旨い飴ちゃんもあるしの』
「あの……ウェントゥス、少し黙っていてもらえますか?真面目な話をしているので……」
『うっす、サーセンっした!』
絶体絶命の窮地へ駆けつけた思わぬ援軍。
絶望に支配されかけた指環の勇者たちに、消えかけた戦意の炎が再び宿り始める。
>「ティターニア・グリム・ドリームフォレストが、ジャン・ジャック・ジャクソンが。
――たかだか勝ち目がない"程度のこと"で諦めるはずがないと」
>「黒板摩擦地獄(ブラックボードキィキィ)――高音質(ハイレゾナンス)!」
ノーモーションで唱えられたティターニアの魔法がアルバートに襲いかかる。
またもや属性簒奪の餌食になるかと思いきや、アルバートは両耳を抑えて苦しみ始めた。
>「どうだ、こんな魔法は旧世界にはなかっただろう!」
>「貴様――! そんなふざけた技があってたまるか……!」
(ユグドラシアの独自開発魔法!黒竜騎士が知るはずもない――!)
旅の道中で、ティターニアから術理を教わったことがある。
幻術の応用で、歯の奥が疼くような不快な音を幻聴として聞かせる恐ろしい魔法だ。
アルバートは見えない何かから逃げ惑うように足取りを乱した。
>「――手紙の一つもよこさず、どこをほっつき歩いてたんですかぁぁぁぁっ!!」
そこへ、アルダガのメイスが鉄槌の如く降り注ぐ。
彼女は何事か恨み言を叫びながら、大木を薙ぎ倒すあの一撃を幾度となくアルバートへと振るった。
空振りしたメイスが地面をえぐる。かすっただけの木の葉が粉々になる。
いかに強固な鎧を身に纏ったアルバートとて、直撃すればひとたまりもないだろう。
頭蓋を不協和音に揺さぶられ、反撃もままならないまま回避を続けるアルバートと、それを追うアルダガ。
戦いもへったくれもない、悪童を追い回すかのような一部始終が続く。
剣術を奪われ、全力の魔法さえも吸収されたスレイブには、それを見届けることしかできない。
>「……私は、私の五年間は、間違ってたのかな」
足元で膝をついたままだったシャルムが、ふとそんな言葉を口にした。
打ちひしがれ、絶望の淵に居る彼女へ、かける言葉が見つからない。
スレイブは彼女の苦悩を知らない。何を言ったところで、それは陳腐な励ましにしかならない。
>「……疲れた」
己の力不足に、スレイブは奥歯が軋むほど噛み締める。
ジュリアンだったら、彼女の求める答えを提示できただろうか。
ティターニアだったら、ジャンだったら、フィリアだったら、彼女を立ち上がらせることができるだろうか。
陳腐でも、ありきたりでも、言葉ひとつかけることさえできない自分の無力に腹が立つ。
その時、アルダガの駆けていった方から金属のひしゃげる音が響いた。
メイスがついにアルバートの頭部を捉えて、彼をふっ飛ばしたのだ。
真っ白な灰が埃となって舞い上がり、その向こうからアルバートが姿を現す。
兜を失った彼は、レーヴァテインを杖代わりに突き立てながら、生まれたての子鹿のように足を震わせていた。
無理もない。
巨木を容易く叩き折るアルダガのメイスが頭部に直撃して、首と胴体が繋がっているだけでも僥倖だ。 >「……貴様の言う通りだ。俺が、帝国民として生きた時間は……不死者として生きていた空虚な時間とは違う。
満たされていた。友情があった。絆があった……覚えているとも。俺は今でも、それが尊い」
傍で、ジュリアンが息を呑む音がこちらまで聞こえた。
その心を守るために彼が帝国を裏切り、何の因果か星都で敵として再会した親友。
旧人類ではなく、アルバート・ローレンスという一人の男としての心情の吐露が、ジュリアンを締め付ける。
>「だが、同じ事だ」
アルバートの傍らに、おぼろげな人影が生まれた。
彼の身体を支えるように次々と出現していくその姿は、服装も装備も現代の帝国とは異なるもの。
おそらくは――虚無の指環に宿った、旧世界のアルバートの仲間たち。
>「アルバート・ローレンスが帝国の民として生きていた。それで俺の、かつての生がなかった事になる訳じゃない」
虚無の指環が輝き、アルバートの肉体から傷を『奪う』。
額を裂き、半面を染めていた血が、塵となって消えた。
>「この指環は、俺のかつての仲間達だ。俺は、コイツらの期待に応えなくてはならない。
コイツらと共に戦い、勝ち得た先にあるものが、下らない争いに満ちた世界だなどと……そんな事、認められるか」
アルバートは再び立ち上がる。
ジュリアンではない、ジャンやティターニアでもない、かつての仲間たちに支えられながら。
旧人類の代弁者は、終わった世界に微かに残る想いを背に担って、勇者たちに相対する。
>「お前達も所詮、愚かな新人類に過ぎない……焼き払え、『レーヴァテイン』!!」
沈まぬ信念を象徴するかのように高く掲げられた魔剣レーヴァテインから、再び炎の燐光が舞い散った。
雪の如く風に巻かれながら降る火の粉、その一粒一粒におそるべき熱量が込められている。
こちらに伝わってくる余熱だけで、眼が乾き、かいた汗が蒸発した。
「周囲の全てがレーヴァテインの熱圏……一歩でも踏み出せば消し炭というわけか」
既に火の粉はスレイブ達を取り囲むように漂い、その場から動くことを許さない。
魔法で吹き散らそうにも、虚無の指環に吸収されるのがオチだろう。
さながら炎の『檻』だ。そして出入り口の鍵は、アルバートだけが持っている。 (何もできないのか、俺は……!)
剣術は奪われ、指環の魔法もアルバートの前では役に立たない。
ジャンのように親からゆずり受けたものもなければ、ティターニアのように柔軟な発想もできない。
剣も魔法も、スレイブ・ディクショナルを構成する要素は、アルバートの世界から受け継がれてきたものばかりだ。
唯一自分のものだと言えるのは、かつての相棒、今はもの言わぬ短剣ひとつだけ。
『喰い散らかし』も効かないアルバート相手に、短剣一本でできることなどたかが知れている。
何もかもを奪われて、スレイブは打ちのめされてばかりだ。
うつむくシャルムを鼓舞することさえできない自分に嫌気が差す。
――本当に何もないのか?
剣を取り落としてからずっと握りしめていた、魔剣バアルフォラスに目を遣った。
ジュリアンに出会い、魔剣を手に入れて、スレイブは一度過去を捨てた。
苦悩を過去の記憶ごと魔剣に喰らわせて、ただの舎弟へと生まれ変わった。
過去に学んだ剣術や魔法を全て捨てて、自分は何もできない無力に成り下がったか?
違うはずだ。バアルフォラスの補助を受けながらも、シェバトを護る騎士として役目を果たしてきた。
あの時のスレイブがどんな風に戦っていたか、正確に思い出し、模倣することはできない。
真似ができないなら――
「……ジャン、今から5分だ。5分経ったら俺を思いっきりぶん殴ってくれ――シェバトの時みたいに。
それでも『俺』が戻らなかったら、ティターニア、ディスペルを頼む」
スレイブは短剣を構える。
その切っ先はアルバートではなく、自分自身の胸へと向いていた。
『ちょ、ちょっちょっちょっお主何やっとるんじゃ?何するつもりじゃ!?』
奇行に泡を食ったウェントゥスが指環から飛び出す。
スレイブは動揺する風の竜に、穏やかに声をかけた。
「バアルは居ない。相棒と言えるのはあんただ、ウェントゥス。……俺のことを、頼んだぞ」
息を深く吸い、吐いた。覚悟はそれで決まった。
スレイブは両眼を閉じて、バアルフォラスの刃を真っ直ぐ、己の胸へと突き立てた。
「竜装――『愚者の甲冑《バアルフォラス》』」 スレイブは目を開けた。眼の前がなんかすごいパァって感じにひらけた。
周りにはティタピッピがいて、ジャンがいて、シャルムがいて、あとなんか宗教の人がいる。
そのさらに周りにはギラギラ光ってる粒みたいなのがいっぱい浮いてて、向こう側にアルバートがいた。
スレイブはいきなりキレた。
「な、め、や、がってぇぇぇええええええ!!!」
『ぬおおおお!?急にどうしたんじゃお主、なんかキャラ違くない?』
身体の中から魔力がブァっとのぼってきてスレイブの髪がトサカみたいに尖る。
これがいわゆる怒りで髪が上の方に行く現象だ。
頭はアレになったけど別に記憶が消えたとかじゃないのでこれまでの話の流れはわかってる。
なんかアルバートとかいう昔の人が今の人類めっちゃむかつくからシメようっていう感じのやつだったはずだ。
もちろんそれを聞いたスレイブは激おこである。
「何がおろかな……おろかな?おろかな人類だよテメー好き勝手抜かしてんじゃあねーぞッ!
たかだか云千云万年眺めてただけで、何おれたちのことわかったつもりになってんだッ!
てめー人間が戦争やってるとこしか見てねーのか?他にも色々やってんだろうがよ!」
『云万年はたかがとは言わんじゃろ……』
「っせーぞウェントスっ!黙ってろっ!」
『えぇ……お主に頼まれたんじゃけど!』
めっちゃドン引きしてるウェントスをスレイブはカンペキにスルー。
地面を足でゲシゲシしながらアルバートをにらみつける。
「だいたいよぉー、なぁんでおれたちがテメーの思い通りに生きてかなきゃなんねーんだ?
別に戦争したって良いだろうが。てめーらだってやってたことだろ?てめーらの世界でもよ。
剣も鎧も、てめーが持ってるやつ全部、戦争とかに使うやつだもんなぁ?」
アルバートはなんかすごいかっこいい鎧着てるし、ボヤっとしてるお友達も武器とか持ってる。
虚無の竜とかいうやべーやつと戦ったときの武器だろうけどパッと用意できるってことは元からあったってことだ。
昔の世界も別に戦争とかぜんぜんしなかったってわけじゃない。そういうのわかっちゃう。 「おれたちの世界はてめーの世界が竜の腹ン中でコネコネされて出来たもんなんだろ。
ってことは材料はぜんぶてめーらの世界のもんだし、出来るもんもてめーらの世界と一緒じゃねーか。
てめーがなんか謎の上から目線でダメって言ってる戦争も、てめーらが戦争してたから同じようにやってんだよ。
自分たちはやってんのにおれたちにはやるなとか言うんじゃねーよ、そういうの、アレだ、ダメだろうが」
「戯言は終わったか」
アルバートはぜんぜん聞いてない感じでこっちにツカツカやってくる。
ビュン!と飛んできた剣をスレイブはバアルでカキンとやった。やったついでにアルバートのお腹に蹴りを入れる。
「人が話してるときにいきなり斬りかかってくんじゃねーよ、ぶっ殺すぞ」
ジャンプをめっちゃ強くする魔法が発動して、アルバートはすごく吹っ飛ばされた。
そしてジャンプの魔法が消えた。たぶんアルバートが食べたんだと思う。
スレイブはいきなりしゃがんで、足元でメソメソしているシャルムの首元をガシっとつかんだ。
「おらっいつまでウジってんだてめーも!悔しくねーのか昔の人にいろいろ好きほーだいゆわれて!
てめーがパイセンのいない帝国でこれまでがんばってきたことは、あの腐れ古代ジジイにドヤ顔でメッされていいもんじゃねー。
教えてやれよ、頭のヨボヨボなおじいちゃんどもに、今の人間がここまでやべーことやれるって」
シャルムは魔法が使えないとか言ってた。
じゃあ魔法がないとなんもできないただの性格の悪いジメジメしたクソ女かというと、それは違うとおもう。
ダメなやつが何年も同じ場所にいられるほど、パイセンのポストはアレじゃないはすだ。
「てめーがやるんだよ。おれたちの世界は、あいつらの世界なんかよりもずっとずっとすげーって、見せつけろ。
戦争とかいっぱいやってるけど、それでも今の世界はめっちゃいい感じだってこと、わからせてやれ。
魔法が使えなくても、帝国で、いや大陸でいちばんすげー魔法使いの、てめーがやるんだ」
パイセンの方がすげえ魔法使いだけどなって言おうとして、やめた。
それはウソだからだ。スレイブは、パイセンよりもシャルムのほうがすげえ魔法使いだと、思ってしまった。
認めたくないけど、ウソはつけなかった。
「も一度言うぜ古代人。おれたちの世界は、おれたちのもんだ。てめーのもんじゃねえ。
あとから来ていきなり返せとかいわれても返さねーよ。指環と一緒に墓の中にでも帰れや。
帰らねーなら……おれが土の中にぶち込んでやる。ウェントス!魔力よこせッ!」
『お、おう……』
まだ引いてるっぽいウェントスが返事をして、指環から魔力がスレイブの体に流れ込む。
体の中で出口を求めてぐるぐるしている魔力を、前に突き出した掌に集める。
「いくぜ必殺のぉぉぉぉおおおお!『スレイブ極太ビィーーム』!!!」
アルバートのバニシングなんとかと同じくらい凄い勢いの魔力がスレイブの掌からドバっと出た。
昔の世界とぜんぜん関係ないスレイブのオリジナルというか単なる魔力の発射だ。
アルバートに喰われる前に、周りめっちゃ飛んでる火の粉も全部のみこんでいく。 【魔剣で再び馬鹿になる。懐かしの超必殺技スレイブ極太ビームを発動】
【言い忘れてたけど新スレ立て乙でした!】 アルバートによって放たれた必殺の一撃は、指環の勇者たちを食らうことなく新たな結界の前に消え去る。
辺り一面に巻き上がる砂埃が突風によって吹き飛ばされ、その中にいたのは四体の守護聖獣。
>「……まあいい。全員まとめて叩きのめすまでだ。この虚無の指輪がある以上お前たちに勝ち目はない」
>「大丈夫、あなた達なら出来るわ。指輪なんてなくたって強かったじゃない。
思い出して、私と出会った頃のこと――」
「かといってもう殴りにはいけねえな、このまま魔法を防いでも……」
腹の横にできた傷に布を巻き、薬草を口に放り込む。
複数人で囲み、一度に襲い掛かるというのも手だが虚無の指環でそれらを
全て吸収されれば逆に一網打尽にされかねない。
しかし、ユグドラシア出身のティターニアにはまだ手札が残っていた。
>「ティターニア・グリム・ドリームフォレストが、ジャン・ジャック・ジャクソンが。
――たかだか勝ち目がない"程度のこと"で諦めるはずがないと」
>「黒板摩擦地獄(ブラックボードキィキィ)――高音質(ハイレゾナンス)!」
>「貴様――! そんなふざけた技があってたまるか……!」
「やっぱり普通の帝国人と同じか!ならやりようはあるぜ……」
ジャンはそう言うと一旦後方に下がり、荷物持ちをしているパックへ駆け寄る。
早口で何事かをパックに囁くと、彼は即座に荷物の中からあるものを取り出した。
「よし、ちょっと色が変わってるが使えそうだ……ありがとよ、パック!」
手に収まるほど小さな瓶に詰まったそれを持ち、腰に紐でくくった革袋の中に入れる。
そして再び前に出ようとしたところで、爆風とも言うべき衝撃がジャンを襲う。
>「――手紙の一つもよこさず、どこをほっつき歩いてたんですかぁぁぁぁっ!!」
アルダガが色々心の中にため込んでいたものを爆発させ、説教と共にメイスを振り回していたのだ。
オーク族でも思わず怯えそうなその乱打は砂を吹き飛ばし草木を薙ぎ払う。
味方であるにも関わらず、ジャンは思わず加勢することをためらった。
「世界三大おっかない女になれるぜ、こりゃあ」
『下手に横槍入れたらこっちまで吹き飛ばされそうだね』
そうして壮絶な打ち合いの末に、アルダガのメイスがアルバートの頭部に直撃する。
魔力で編まれた兜は粗悪な鉄のようにたやすく砕け、体もその衝撃を受けて吹き飛ばされた。
>「……帝国に生きる民の一人、か。相変わらずだな。バフナグリー……」
>「……貴様の言う通りだ。俺が、帝国民として生きた時間は……不死者として生きていた空虚な時間とは違う。
満たされていた。友情があった。絆があった……覚えているとも。俺は今でも、それが尊い」
それから彼が語り出すのは、旧世界の勇者としての矜持。
新世界を否定し、かつての仲間と共に指環の勇者を討ち果たすという決意だった。
>「お前達も所詮、愚かな新人類に過ぎない……焼き払え、『レーヴァテイン』!!」
最後に残った炎の魔力を完全に開放し、まるで闘技場のごとく火柱が辺りを包み、輪となっていく。
直接近づかずとも分かるその熱は、しかしジャンにとってはむしろ都合がよかった。
ビンの中身が暖められれば、さらに効果は増す。 >「……ジャン、今から5分だ。5分経ったら俺を思いっきりぶん殴ってくれ――シェバトの時みたいに。
それでも『俺』が戻らなかったら、ティターニア、ディスペルを頼む」
「シェバトの時ってお前……ああ、分かった!
力の加減はできねえからな!ちゃんと制御しろよ!」
>「竜装――『愚者の甲冑《バアルフォラス》』」
『さて、スレイブが仕掛けてくれてる今のうちに……フィリア、ちょっと頼みがある』
魔剣によって知性を失い獣のごとく暴れていた頃のスレイブならば、技も魔法もない。
ただ純粋に力をぶつける存在ならば、ジャンが叩き込んだ一撃のように有効打となりうるだろう。
今回はジャンがぶん殴るかティターニアによって解呪してもらうことで安全に元に戻ることもでき、スレイブが今できる最善の策だ。
>「も一度言うぜ古代人。おれたちの世界は、おれたちのもんだ。てめーのもんじゃねえ。
あとから来ていきなり返せとかいわれても返さねーよ。指環と一緒に墓の中にでも帰れや。
帰らねーなら……おれが土の中にぶち込んでやる。ウェントス!魔力よこせッ!」
知性を失ったスレイブがアルバートと問答しつつ格闘し、最後に莫大な魔力を放出する。
それは魔法や魔術ですらない、魔力を持つヒトならば誰でもできることだ。
ただ今は風の指環が持つ魔力が合わさり、魔神すら葬る一撃となった。
「愚かなことだ!それならば単純な壁で済む!
虚無の指環が吸収してきた魔力は貴様らだけではない……!」
アルバートは獰猛に笑い、片手をかざして魔力障壁を展開する。
あらゆる生物が持つ魔力を混在させ、いかなる城壁よりも硬くそれはそびえたつ。
放出された魔力が障壁にぶつかり、やがて塵となって消え去った瞬間。
勝利を確信したアルバートの後ろにあった炎が揺らめき、やがてそこからジャンが現れる。 「――俺がいることを忘れてねえか!」
ジャンはフィリアに頼んで辺りを包む炎そっくりに変化させてもらい、こっそりと後ろに回っていたのだ。
そしてアルバートにタックルを叩き込むべく突進する。
「同じ手は二度と食らわん!『ベータブレイク』」
その奇襲に即座に反応し、虚無の魔力が辺り一面を吹き飛ばす衝撃波となって猛然と走るジャンを襲う――はずだった。
ジャンは瞬時に竜装することで衝撃波を飛び越え、即座に解除してアルバートの目の前に着地する。
当然アルバートは着地の瞬間を狙ってレーヴァテインを振り下ろし、ジャンは腕だけを竜装することでそれを防ぐ。
蒼くきらめく竜の爪が魔剣を受け止め、鍔迫り合いが始まらんとするその時だ。
「そんなに旧世界がいいってんなら……新世界のいいところを紹介してやるぜ。
このメシは旧世界にゃないだろう!」
水の指環が輝き、腰の革袋から勢いよく水流に押されたビンがアルバートの顔面目掛けて飛び出ていく。
アルバートはジャンの竜爪を勢いよく弾き、返す刀でビンを一刀両断した。
そして先程から周囲の熱気によってほどよく暖められた中身が文字通り飛び出て、そこでジャンは再び水の指環を使った。
ビンの中身だった煮汁と赤い野菜の切り身が一塊となってアルバートの口に飛び込む。
しばしの間、塊を引き剥がそうとするアルバートとそれを必死に制御するジャンというシュールな光景が繰り広げられ
やがて塊がアルバートの口に入り、食道を通って胃に入っていく。
「むぐっ……貴様何を、何を食わせた!」
「大したもんじゃねえ……飛び目玉の姿煮にキラートマトをぶち込んだものさ。
あんたの言う亜人なら誰もが好きな料理だぜ」
そして数秒ほど二人が睨み合った後、アルバートが急に腹を押さえて呻き始める。
それは腹痛に苦しむヒトが共通してやる動作であり、こればかりは旧世界の人間でも変わらないようだ。
「は、腹が痛い……!毒を仕込むとは勇者のやることか!」
「俺は指環以外の特技は他のみんなと違って腕力ぐらいしかねえからよ、
全部で上回る相手に出会ったらこうするしかねえんだ……許してくれや」
さらに腹痛が酷くなってきたのか、アルバートの額には脂汗が浮かび
腰を曲げて崩れ落ちる。なんとか魔剣を支えに立ち、指環の勇者たちを鬼の形相で睨みつけた。 俺は頑丈さと堅実さがウリのジャン君が好きだったんだけどなぁ >「――手紙の一つもよこさず、どこをほっつき歩いてたんですかぁぁぁぁっ!!」
ティターニアの黒板超音波攻撃を皮切りにしたかのように、アルダガの爆裂お説教タイムが始まった。
その勢いたるや思わず加勢するのもためらわれる程である。
そして妙に生き生きしているアルダガとは対照的に――
>「……私は、私の五年間は、間違ってたのかな」
>「……疲れた」
シャルムはアルダガの快進撃を呆然と見つめながら、その言葉のとおり、何もかもに疲れ切った様子で立ち上がることも出来ないでいた。
その様子に、先程の意味深な呟きが思い出される。
――「……魔法が、使えない」
――「……ごめんなさい、先生。私の……私のせいで」
思えば彼女はシャルムは、黒蝶騎士戦でも魔法がうまく使えない様子が見られた。
その時は焦って上手く出来ない程度に思っていたのだが、本当に使えないのだとしたら――辻褄が合ってしまう。
彼女は魔導拳銃を撃ったりそれにあらかじめセットされた魔法を発動しているのであって、厳密には魔法を使っていないのだ。
「シャルム殿……」
ティターニアが何か声を掛けようとしたその時だった。
アルダガのメイスがアルバートの頭部を捕らえ、大きく吹き飛ばされる。
勝負あったかと思われたが、アルバートは帝国の民として生きた記憶を振り払うかのように、旧世界の仲間に支えられ再び立ち上がった。
>「お前達も所詮、愚かな新人類に過ぎない……焼き払え、『レーヴァテイン』!!」
灼熱の火の粉が舞い身動きが出来ない中、アルバートがゆっくりと歩み寄ってくる。
そんな中、スレイブが妙案を思い付いたようだった。
>「……ジャン、今から5分だ。5分経ったら俺を思いっきりぶん殴ってくれ――シェバトの時みたいに。
それでも『俺』が戻らなかったら、ティターニア、ディスペルを頼む」
>「シェバトの時ってお前……ああ、分かった!
力の加減はできねえからな!ちゃんと制御しろよ!」
「なるほど、なかなかにいい案ではないか――」
斬新な――身も蓋もなく言えば突拍子のない技ほど効くと踏んだスレイブは、自ら知性を捨て愚者になって戦うことにしたのだ。
その意図を察したティターニアは特に焦る様子もなく、ジャンと共に5分経ったらスレイブを元に戻す役を請け負う。
スレイブはアルバートと立ち回りつつ、合間にシャルムにも声を掛けた。
それは思慮深いいつものスレイブだったらかけられなかった言葉であろう。 >「てめーがやるんだよ。おれたちの世界は、あいつらの世界なんかよりもずっとずっとすげーって、見せつけろ。
戦争とかいっぱいやってるけど、それでも今の世界はめっちゃいい感じだってこと、わからせてやれ。
魔法が使えなくても、帝国で、いや大陸でいちばんすげー魔法使いの、てめーがやるんだ」
「ああ、そなたは自らに枷を課してまで人類全ての力の底上げに尽力した――
他の誰にも出来ることではない。
一人で誰にも真似できない領域まで到達してしまったジュリアン殿とは正反対だな」
「……余計なお世話だ」
考えてみれば単純なこと。
人類全てが魔法が扱えるような研究に本気で取り組むには、自らが魔法を使えない者の一人になるのが一番いい方法だ。
ただ誰もやらないだけで。それをシャルムは無意識のうちに実行してしまったのだ。
シャルムをジュリアンに任せ、ティターニアは戦闘の喧騒に紛れて、大地の指輪の力を使って地中に潜る。
スレイブが大技で相手の目を引くのに乗じて必ず仕掛けるであろうジャンの援護をするために。
先程からジャンが何やら仕込みをしていることに気付いているのだった。
>「いくぜ必殺のぉぉぉぉおおおお!『スレイブ極太ビィーーム』!!!」
>「そんなに旧世界がいいってんなら……新世界のいいところを紹介してやるぜ。
このメシは旧世界にゃないだろう!」
ジャンが持っていたビンの中身が水の指輪の力に制御されアルバートの口に飛び込もうとする。
しかしこのままなら当然手で振り払われるなりなんなりされていただろう。
そこで突然ティターニアがアルバートの背後に出現し、後ろから両腕を羽交い絞めにする。
「おっと、食べ物を粗末にしてはならぬ――!」
仕掛けは単純、指輪の力で地面の中を掘り進んで足元から現れただけだ。
その両手にはエーテルメリケンサックがはまっている。
その効力の一つは魔力から膂力への変換――つまりバカ力の体術ド素人、という状態である。
そして虚無の指輪を持つアルバートには、下手に技巧を凝らすよりも、技も何もない単なるバカ力の方が通用する。
もちろん正面から力比べをすれば敵わなかっただろうが、アルバートはまたしても
ティターニアの奇行とも言える行動に虚を突かれ、ビンの中身が口の中に飛び込むだけの隙を作ることとなった。
>「むぐっ……貴様何を、何を食わせた!」
>「大したもんじゃねえ……飛び目玉の姿煮にキラートマトをぶち込んだものさ。
あんたの言う亜人なら誰もが好きな料理だぜ」
>「は、腹が痛い……!毒を仕込むとは勇者のやることか!」
もはや勝敗は決したのは誰の目にも明らかであろう。ティターニアは杖を突きつけ、容赦なく告げる。 「どうだ――降参するなら解毒の魔法をかけてやろう」
「誰が降参など……!」
それでも尚怒りの形相で立ち上がろうとするアルバートに、ジュリアンが見かねたように歩み寄る。
ジュリアンは今までの戦いの流れを見ていて、ある一つの確信に近い仮説に辿り着いていた。
アルバートは戦いの最初においては指輪の力を使っての大魔法を無効化するほどの力を見せていた。
その彼が、斬新な技ほど効きやすいという法則があるとはいえ、いくら何でも途中から弱体化し過ぎている。
虚無の指輪に宿っているというかつての仲間たちが、致死の攻撃は防いで死なないように、
しかし受けたら戦意を削がれるような攻撃は敢えて通して負けるように立ち回っていたのだとしたら――
「昔から思い込みが激しいのは変わってないようだな――
貴様の仲間達は、本当にかつての世界を取り戻すために戦ってほしいなどと望んでいるのか?」
「当たり前だ――」
口ではそういいつつも、ついにその全身からあふれ出していた戦意が消える。
そして長い沈黙の後、掠れる声で言うのだった。
「……いや、本当は分かっていた――こんな事に何の意味もないことぐらい……。
何故なら、復活した虚無の竜は新世界旧世界もろとも全てを食らおうとしている――」
【折角シャルム殿への振りがあるからどうしようかと思ったがすでに勝負が付いてる感じだったのでとりあえず終わらせてしまった。
シャルム殿の復活劇は後のバトルに取っておくということで!
一応我のイメージとしてはアルバート殿は生真面目だから不死の女王か虚無の竜あたりに洗脳?されて使われてて
虚無の指輪に宿るかつての仲間達が洗脳を解こうと頑張ってた感じだがもちろん自由に解釈してもらって構わない!】 怒りとわだかまりの全てを込めて振るったメイスは、ついにアルバートの頭部を捉える。
きりもみ回転しながら吹っ飛んでいくアルバートだが、これで終わりではないことをアルダガは知っていた。
頭蓋が砕けるのも、首の骨が折れるのも、手応えで分かる。叩き込んだ一撃には、それがなかった。
ひしゃげた兜が衝撃を吸収しつつ、アルバート自身も自ら吹っ飛ばされることで威力を軽減したのだ。
それが証拠に、立ち込める塵の向こうから現れたアルバートは、出血しつつも戦意を失っていない。
とは言え、頭部を強打されたダメージ自体は残っているらしく、膝は地面についたままだった。
>「……帝国に生きる民の一人、か。相変わらずだな。バフナグリー……」
アルダガの名を呼ぶ彼の表情に、複雑な色が混ざる。
古代の民の代弁者として戦ってきたアルバートの中から、黒竜騎士の感情が顔を出した。
>「……貴様の言う通りだ。俺が、帝国民として生きた時間は……不死者として生きていた空虚な時間とは違う。
満たされていた。友情があった。絆があった……覚えているとも。俺は今でも、それが尊い」
「それならば……!」
アルバートが吐露した心情に、アルダガはメイスを握り締める。
帝国人として生き、ジュリアンとの友情を育み――アルダガ達とともに帝国を護ってきた彼が。
なぜ、それぞ自ら投げ捨ててまで新世界を滅ぼそうとするのか、理解が出来なかった。
>「だが、同じ事だ」
>「アルバート・ローレンスが帝国の民として生きていた。それで俺の、かつての生がなかった事になる訳じゃない」
「――――!」
それはアルバートが、アルバート・ローレンスとして新世界に生を受ける以前の記憶。
どれだけ幸せな時間を帝国で過ごそうとも、封じられた前世が色褪せて良い理由にはならない。
アルダガが説いた理屈と同じように、彼もまた、アルバートである以前に古代の民なのだ。
>「それに……バフナグリー。俺は貴様が嫌いだ。お前の奉じる、争いを煽るばかりの邪悪な女神もな」
虚無の指環が彼から傷と痛みを奪い去り、アルバートは再び立ち上がる。
旧世界の、彼がかつて護ろうとして、しかし救い切れなかった者たちに、背中を支えられながら。
「『貴方はもうアルバート殿ではなく、拙僧たちの仲間でもない』……そう、言わせたいのですか」
アルダガは苦虫を噛み潰したような表情で、その手のメイスをアルバートへと突きつけた。
この期に及んで女神を侮辱する彼の思惑など知れている。
両者の対立を明確にし、決別する――アルバートは、己が信念のために、幸せだった過去を振り払いたいのだ。
ジュリアンや、アルダガや、帝国に生きる全ての民に憎まれることで、それを叶えようとしている。
>「お前達も所詮、愚かな新人類に過ぎない……焼き払え、『レーヴァテイン』!!」
あまりにも哀しいその決意が魔剣に熱を与え、煉獄の火炎を解き放った。
蛍火の如く舞い踊る光の粒は、触れれば瞬く間に骨まで焼き尽くす致死の炎撃だ。
「再び近づけるつもりはないということですか……!」
現状アルバートにとって最も脅威となるのは、同格の黒騎士たるアルダガの攻撃力だろう。
今一度頭部にでもメイスを受ければ戦闘の続行は不可能、そう判断したからこそこちらの移動を封じにきた。
おそろしく理詰めで、ゆえに効果的な対策だ。遠距離法術が全て吸収されるアルダガには手も足も出ない。 だが、指環の勇者たちとて座して死を受け入れるはずもない。
彼らの眼にはもはや、バニシングエッジに晒されたときのような絶望はなかった。
>「竜装――『愚者の甲冑《バアルフォラス》』」
剣術を奪われたことで無力化されたと思われたスレイブが、唐突に短剣を自分の胸に突き立てた。
自決ではない。胸の傷から血は滴らず、彼の体から湧き上がる莫大な魔力がアルダガの方まで伝わってきた。
>「な、め、や、がってぇぇぇええええええ!!!」
「ええっ!?だ、誰ですか……?」
急に人格が変わったようにテンションを上げたスレイブが、立て板に水とばかりに喋り始める。
ひとしきりアルバートに対する文句をぶち撒けたと思えば、今度は足元で蹲るシャルムの胸ぐらを掴んだ。
>「てめーがやるんだよ。おれたちの世界は、あいつらの世界なんかよりもずっとずっとすげーって、見せつけろ。
(中略)魔法が使えなくても、帝国で、いや大陸でいちばんすげー魔法使いの、てめーがやるんだ」
>「ああ、そなたは自らに枷を課してまで人類全ての力の底上げに尽力した――
他の誰にも出来ることではない。一人で誰にも真似できない領域まで到達してしまったジュリアン殿とは正反対だな」
(魔法が使えない……?シャルム殿がですか……!?)
アルバートとの戦いのなかで、シャルムの戦意が折れてしまったことはアルダガも気付いていた。
もともとシャルムは研究畑の人間だ。眼の前で本気の殺気に当てられて、膝を屈するのも無理はない。
正味な話、シャルムが自分で見立てた通り、新旧指環の勇者対決において彼女に出来ることは少ない。
戦意を喪失したならそれも仕方のないことだし、シャルムの穴は自分が埋めて護れば良いと、アルダガは考えていた。
だが、指環の勇者たちはシャルムを諦めなかった。彼女を励まし、屈してしまった両足で、再び立ち上がらせようとしている。
(……拙僧はやっぱり貴女が羨ましいです、シャルム殿)
>「いくぜ必殺のぉぉぉぉおおおお!『スレイブ極太ビィーーム』!!!」
スレイブが放った純粋な魔力投射は、光の束となってレーヴァテインの燐光をのみこんでいく。
激流の如く荒れ狂う魔力の光条は、その先にいるアルバートさえも消し飛ばさんと迫った。
>「愚かなことだ!それならば単純な壁で済む!虚無の指環が吸収してきた魔力は貴様らだけではない……!」
アルバートもまた指環の魔力を解き放ち、幾重にもなった分厚い魔法障壁を生み出した。
単純な物量と物量とがぶつかり合い、余波が大気を焦がし、力の奔流がせめぎ合う。
やがて両者の魔力は相殺し、刹那にも満たない空白が静寂を伴って訪れる。
アルバートが犬歯を見せた。これで全てが振り出しに戻ったと、そう確信した笑みだった。
>「――俺がいることを忘れてねえか!」
静寂を突き破ったのはジャンだ。
如何なる幻術を使ったのか、炎の中から焦げ付くことなく飛び出した彼は、アルバートへ体当たりを敢行。
アルバートが迎撃に放った衝撃派を瞬間的に竜装することで飛び越え、オークの肉体と古代の魂が激突する。
>「そんなに旧世界がいいってんなら……新世界のいいところを紹介してやるぜ。このメシは旧世界にゃないだろう!」
アルバートの間合いに入る直前、ジャンの腰から水流を纏った何かが先んじて飛ぶ。
魔剣の一太刀で両断されたそれは、瓶詰めされた赤い液体。 (あれは……野菜?ジャンさんは一体何を――)
割れた瓶の中から溢れた野菜と煮汁は、しかし水の指環によって操られて飛翔し、アルバートの口元へ飛び込む。
当然彼は煮汁を引き剥がそうとするが、地面からの闖入者がそれを許さない。
>「おっと、食べ物を粗末にしてはならぬ――!」
いつの間にか地面に空いていたトンネルからティターニアが飛び出し、アルバートの両腕を押さえつける。
熱々の煮物を無理やり食べさせるジャンと、吐き出そうとするアルバート、それを羽交い締めにして妨害するティターニア。
セント・エーテリアの最奥で繰り広げられる謎の攻防は、やがてアルバートの嚥下する音と共に終わりを告げた。
>「むぐっ……貴様何を、何を食わせた!」
>「大したもんじゃねえ……飛び目玉の姿煮にキラートマトをぶち込んだものさ。あんたの言う亜人なら誰もが好きな料理だぜ」
アルバートの様子がおかしい。滝のような脂汗を流しながら、内股で下腹部を抑えている。
キラートマトも飛び目玉も、帝国では流通の規制されている食材だ。
理由は単純。それらの食材には微毒があり、人間が食べれば腹痛に苛まれるから。
帝国に行商に来たオークやリザードマンが法規制を知らずに市場へ持ち込んで、大規模な食中毒事件を引き起こしたこともある。
>「は、腹が痛い……!毒を仕込むとは勇者のやることか!」
>「どうだ――降参するなら解毒の魔法をかけてやろう」
ごもっともな非難にもどこ吹く風で、ティターニアは杖をアルバートへ突きつけた。
すっかり毒気を抜かれて一部始終を見守っていたアルダガは泡を食った。
「てぃ、ティターニアさん、まだ迂闊に近づいては――!」
有毒食材による食中毒を引き起こしたとはいえ、解毒魔法を使えるのはティターニアだけではあるまい。
アルバート自身も軍人としてその手の治療魔法は修めているだろうし、それこそ指環で毒を奪えば良い。
頭部の出血を止めたアルバートのかつての仲間なら、解毒の処置も可能だろう。
だが、アルバートの肉体を侵す毒は、一向に取り除かれる気配がなかった。
>「昔から思い込みが激しいのは変わってないようだな――
貴様の仲間達は、本当にかつての世界を取り戻すために戦ってほしいなどと望んでいるのか?」
その様子を眺めていたジュリアンが、アルバートへと歩み寄る。
五年の歳月を経て、お互いの間に深く険しい溝を横たえていた二人の男が、今ここにようやく並び立った。
>「……いや、本当は分かっていた――こんな事に何の意味もないことぐらい……。
何故なら、復活した虚無の竜は新世界旧世界もろとも全てを食らおうとしている――」
「どういうことですか……!」
愕然としたのはアルダガの方だ。
虚無の竜が二つの世界を両方共食らうつもりならば、アルバートの行為は本当に意味がない。
新世界から旧世界へと属性を奪い返したとて、結局全てが滅んでしまうなら何も変わりはしないのだ。
アルバートはうつむきながら、心の奥底をひっかくような声音で零す。 「俺達の世界は……かつての戦いで、あまりにも多くのものを失い過ぎた。
僅かに残された旧世界の断片、このセント・エーテリアも、数千年をかけてここまで縮みきってしまった。
遠からず遠からず旧世界は完全に消滅し、そして新世界もまた、虚無の竜に喰われるだろうな」
「……それなら、旧世界に残る人達と一緒に新世界へ来ませんか?
貴方がアルバート・ローレンスとして転生したように、こちらの属性で貴方達を全員再現すれば――」
「――捨てられるのか、貴様は」
アルダガの提案を、アルバートは遮った。
その声はとても静かで、しかしイグニス山脈の火口よりも深く、燃え上がるような怒りに満ちていた。
「どれだけ矮小で、みずぼらしい姿になったとしても、ここは俺達の故郷だ。
俺たちが護り、そのために沢山の仲間や家族を失ってきた、俺達の世界だ……!
命に等しいそれを打ち捨てて、貴様らの喰い荒らした世界へ移住しろだと?ふざけるなよ、納得できるかッ!」
落雷のような怒声に、アルダガは硬直した。
悠久に等しい時間をかけて蓄積され続けてきた怨嗟の声は、それそのものが強大な圧を秘めていた。
「エルピスにまんまと騙されて、祖龍復活を祭りかなにかのように考えてきた貴様らには分かるまい。
ヒト同士の争いに明け暮れ、世界をいたずらに疲弊させるばかりの貴様らは知りもすまい。
虚無の竜との戦い方を。護るべきものがあの牙に捉えられ、咀嚼され、失われていく恐怖と悔恨を!」
そして――アルバートは三たび、立ち上がった。
その身を苛む苦痛を意志の力だけでねじ伏せて、杖代わりにしていた魔剣を構え直す。
「俺は今度こそ、虚無の竜を殺す。奴が二度と復活することのないよう、魂に一片も残さず灼き尽くす。
その為には、貴様らの世界に奪われた属性の全てが必要だ。
貴様らは黙って属性を寄越せ。それを使って、俺が……俺達が奴と戦う……!」
【新スレ立てありがとうございました】 【トリップ誤爆しちゃったんでいい加減この建前取り外します。
そしてこのペースで1ターンに2キャラ動かすのリアル時間的にかなり厳しいので
今後はアルダガとしての行動もスレイブのレスに統一します。
よろしくおねがいします】 【レス順的には私→ジャンさん→ティタさん→シャルムさん→私って感じで】 (バフナグリーさんをスレイブさんに統一するなら
私→スレイブさん→ジャンさん→先生なのでは……?
……それでいいですよね!でないと私が当分暇になっちゃいますもんね!) 暑い……。
レーヴァテインがばら撒いた超高熱の火の粉が、周囲の温度を止め処なく上昇させている。
すぐ傍の地面に火の粉が落ちて、爆ぜた。
汗が頬を伝って、白化した地面に落ちる。息苦しい。意識が朦朧とする。
だけど……何も考えられないのが、少しだけ、心地いい。
アルバート・ローレンスが一歩、また一歩と歩み寄ってくる。
私は……殺されるんでしょうか。
……不思議な事に、あまり恐怖は感じません。
バフナグリーさんの言葉を借りるなら……思い返してみれば五年前からずっと、
私は……別に生きてた訳じゃなかったから、かもしれませんね。
五年間、全てを帝国の為に捧げてきた。
魔法学校時代の友達は今何をしているんでしょうか。
お父さんは、お母さんは……今でも毎月手紙を送ってくれているけど、
私はもう何年も前から、それを開封すらしていなくて……。
ユグドラシアに留学していた頃の、農業魔法の研究も……もうどんな事を考えていたのかさえ思い出せない。
一生懸命やってきたつもりだった。
だけど振り返ってみると……なんて虚しい五年間だったんだろう。
>「な、め、や、がってぇぇぇええええええ!!!」
……ディクショナルさんが何かを叫んでる。
アルバート・ローレンスの歩調が早まった。
風切り音、金属音……レーヴァテインが短剣に弾かれる。
そのままディクショナルさんはアルバート・ローレンスを蹴飛ばした。
先ほどまでとは一変した、荒々しい振る舞い。
だけど……彼は今もなお、渡り合っている。黒竜騎士アルバート・ローレンスと。
……やっぱり、私がやらなきゃいけない事なんて、ここには何も……。
>「おらっいつまでウジってんだてめーも!
「ひっ……な、なんですか……?」
突然胸ぐらを掴まれて、強引に顔を上げさせられる。
……怖い。私が失望させてしまった人に、何をされるのか……何を言われるのか。
「……ごめんなさい」
思わず目を伏せて、気づかない内に、私はそう呟いていた。
>悔しくねーのか昔の人にいろいろ好きほーだいゆわれて!
「……え?」
だけど、ディクショナルさんが口走ったのは……非難の言葉じゃなかった。
胸ぐらを掴まれたのはびっくりしたけど……ぶたれたりする訳でも、なさそうで……。
>てめーがパイセンのいない帝国でこれまでがんばってきたことは、あの腐れ古代ジジイにドヤ顔でメッされていいもんじゃねー。
教えてやれよ、頭のヨボヨボなおじいちゃんどもに、今の人間がここまでやべーことやれるって」
……もしかして私は、励まされているんでしょうか。
でも……
「……無理、ですよ。聞こえてませんでしたか?私は、魔法が使えないんです」
我ながら、なんとも情けない言葉です。
思わず自嘲の笑いが零れてくる。 >悔しくねーのか昔の人にいろいろ好きほーだいゆわれて!
「……え?」
だけど、ディクショナルさんが口走ったのは……非難の言葉じゃなかった。
胸ぐらを掴まれたのはびっくりしたけど……ぶたれたりする訳でも、なさそうで……。
>てめーがパイセンのいない帝国でこれまでがんばってきたことは、あの腐れ古代ジジイにドヤ顔でメッされていいもんじゃねー。
教えてやれよ、頭のヨボヨボなおじいちゃんどもに、今の人間がここまでやべーことやれるって」
……もしかして私は、励まされているんでしょうか。
だけど……
「……無理、ですよ。聞こえてませんでしたか?私は、魔法が使えないんです」
我ながら、なんとも情けない言葉です。
思わず自嘲の笑いが零れてくる。
「ずっと自分に言い聞かせてきました。自分の研究なんてしてちゃいけない。
オリジナルの魔法なんて作ったって、何の意味もないって。
そして気づかない内に、私は自分自身に暗示を施していた。馬鹿ですよね」
これでディクショナルさんも、私を放っておく気になったでしょうか。
顔を上げて彼の目を見ると……その瞳はただまっすぐに私を見下ろしていました。
私が心の何処かで、自傷願望めいた気持ちで期待していた、侮蔑の感情は宿っていなかった。
>「てめーがやるんだよ。おれたちの世界は、あいつらの世界なんかよりもずっとずっとすげーって、見せつけろ。
戦争とかいっぱいやってるけど、それでも今の世界はめっちゃいい感じだってこと、わからせてやれ。
魔法が使えなくても、帝国で、いや大陸でいちばんすげー魔法使いの、てめーがやるんだ」
……私が、一番すごい?
何を、馬鹿な事を……だってそんな事、この五年間、誰も言ってくれなかったのに。
それにあなたは、クロウリー卿の従者なのに。なのに、なんで……。
……まさか、心の底から、本気でそんな事を言ってるんですか。
この、魔法が使えない、惨めな私に。
>「ああ、そなたは自らに枷を課してまで人類全ての力の底上げに尽力した――
他の誰にも出来ることではない。
一人で誰にも真似できない領域まで到達してしまったジュリアン殿とは正反対だな」
……息が詰まるような感覚。
胸が苦しくて、何も言えなくて、私はまた俯いてしまいました。
スレイブ様が、指環の魔力を体内に取り込み、波濤として放つ。
胸ぐらから手を離されたシャルム様は……再び、俯いてしまいましたの。
……わたくしは、生まれた時からおうじょさまでしたの。
虫族がこれから先の世で、多種族社会の中で生きていけるように頑張る。
それはわたくしにとって当たり前の事でしたの。
だから彼女が感じていたであろう責任とか、重圧とか、そういうのは分かりませんの。
だけど、もしもわたくしが、生まれた時からおうじょさまじゃなかったら。
ただの小さな妖精が、ある日突然、王として生きろと言われて。
今まで歩んできた、王としての、指環の勇者としての道のりを歩かされたら。
わたくし、きっと怖くて泣いちゃいますの。
シャルム様はそんな道を今まで歩んできた。
だから……彼女が泣いてしまっても、座り込んでしまっても、それを責める事なんて……出来ない。
でも、だとしても……あるいは、だからこそ。
彼女は最早ここにいるべきではありませんの。
アルバート様の操る『レーヴァテイン』の炎は、シャルム様が戦意を失っていようと、区別なく猛威を振るいますの。
わたくしは視線をアルバート様へと向けて、その様子を伺う。
>「エルピスにまんまと騙されて、祖龍復活を祭りかなにかのように考えてきた貴様らには分かるまい。
ヒト同士の争いに明け暮れ、世界をいたずらに疲弊させるばかりの貴様らは知りもすまい。
虚無の竜との戦い方を。護るべきものがあの牙に捉えられ、咀嚼され、失われていく恐怖と悔恨を!」
……あちらは、まだまだやる気みたいですの。
「……レイエス、解毒しろ。俺達は……負けられない。
無用な気遣いはやめろ。これ以外に道はないんだ」
静やかな声だった。
例え虚無の指環に宿る彼らがそれを拒否しても、関係ない。
それならそれで……どのみち、命尽きるまで戦うまで。
そんな意志が宿った声でしたの。
指環から現れた幻体が、諦めたように彼に手をかざす。
「……焦がせ」
再び展開される火花の結界。
わたくしは咄嗟にムカデの王で、ジャン様とティターニア様を引き戻す。
……この技は、一度は皆様が攻略した技。
だけど、次も同じ手が通じるとは思えませんの。
イグニス様の炎の指環で干渉を試みるも……通じない。あの炎は、私達の世界の炎じゃないから……。
この戦い、まだまだ長引きそうですの……。
だから……いつまでもこの戦場に、シャルム様を置いておくのは正直、危険ですの。
わたくしが一度、安全な場所まで彼女を運ばないと……わたくしは一歩、シャルム様に歩み寄る。
そして……気づきましたの。
俯いた彼女は……何かを、ずっと呟いていた。
それに人差し指の先を、地面の上に這わせて……な、なんだか様子がおかしいですの……。
一刻も早くシャルム様をこの場から退避させないと。
そう思ってわたくしは彼女にムカデの王を……
「……クロウリー卿」
……ムカデの王を伸ばそうとしたその時、シャルム様が、ぽつりと呟いた。
「……クロウリー卿」
……返事はない。
「七年前の冬の事を、覚えていますか?」
私は構わず言葉を続ける。
「……私は覚えています。その年初めての雪が降った、冬の日でした。
私は夜が明ける前から、魔法学校の校庭にいました。
その日は……ジュリアン・クロウリーが、講演を開く日だったから」
私はその頃にはもうプロテクションが使えましたから、寒さはあまり気になりませんでした。
「誰よりもあなたを近くで見たくて、あなたが講堂を建てたらすぐに一番前の席を取りに行きました。
あなたの目に留まりたくて、あなたがした質問には全て手を挙げました」
私は……この五年間、ずっとクロウリー卿を恨んできた。
自分の事なんか何も出来ず、ずっとヒトを殺す為の研究と開発だけを続けて。
あんなにも敬愛していたのに、それでも恨まなくてはやっていられなかった。
……昨日、ディクショナルさんは私に言いました。
「あんたは、いまでもジュリアン様を諦めていないんだな」
私はそれを一笑に付した。
確かに私は彼を尊敬していた。だけどもう、今ではその感情を思い出せない。
言葉にはしなかったけど……あれは強がりなんかじゃない。
ずっと、ずっと憎んできたんです。何度も自分自身に言い聞かせてきた。
だからこの憎しみは……私にとってはもう、真実なんです。
だけど、だけど……もしも彼が、あの日の私の事を覚えているのなら……。
理由なんてないけど、根拠なんて何もないけど……。
私も、あの日の私の気持ちを……思い出せるかもしれない……。
「七年前の冬の、あの日の事を、覚えていますか……?」
返事は……ない。そりゃ、そうですよね。
たかが魔法学校の生徒の一人なんて、覚えている訳が……
「……ああ、覚えている」
……覚えている、訳が。
「ハイランドとダーマ……魔術適性において人間を上回る種族を仮想敵とした、魔法戦闘の技術開発。
……本来俺が話すつもりだった、模範解答を言われてしまって……少し、困った。
だから……よく覚えている」
……覚えているんですか?本当に?
「……ダーマに亡命した後、風の噂で、君が主席魔術師の座を継いだと聞いた。
今更なのは分かっている。だが……あの時、俺は安堵したんだ。
全てを打ち捨ててダーマに来たが……君が主席なら、帝国は大丈夫だと」
……本当に、今更ですね。今更そんな、取ってつけたような甘言……。
本当に、取ってつけたような言葉なのに……
息が詰まる。胸が苦しい。言葉が出てこない。
……その取ってつけたような言葉が、嬉しくて。 ディクショナルさんの言葉も、ティターニアさんの言葉も、嬉しかった。
主席魔術師になってから、誰にもかけてもらえなかった言葉。
……この五年間、ずっと辛かったのに。
どうしよう。たったあれだけの言葉で……こんなに、救われた気持ちになって。
私、こんなにちょろい人間じゃ、ないはずなのに……。
だけど……今なら私、もう一度頑張れる気がする。
目を閉じて、体内の魔力に意識を集中させる。
魔力の脈流が私の中に描く魔法陣。
私が扱える魔法は全て、その魔法陣の中に記されている。
逆説、その中にない魔法は、どんなに頑張ったって私には扱う事は出来ない。
それはつまり……もしもその体内の魔法陣に新たに線を書き加える事が出来たなら。
私は、人は、どんな魔法だって使えるようになる。
晩餐会の夜、机上の空論だなんて馬鹿にした魔法。
再現出来る必要なんてないなんて、嘯いた魔法。
……真似しようとした事がないなんて、嘘です。
主席魔術師になる前、本当は何度も真似しようとして、一度も再現出来なかった魔法。
後天性魔術適性の、付与術式。
……魔法が使えなくなってもう何年も経つ今の私が、出来る訳がない。
当然の理屈が脳裏によぎる。
違う。逆なんだ。出来ない訳がない。
だって……私は、大陸で一番すごい魔法使いなんだ。
他の誰にも出来ない事が、私には出来るんだ。
……そう言ってくれた人が、今の私にはいる。だから……
……私の体の中に、魔力が走る。
無数に存在する魔力の脈流に、新たな魔力の流れが書き加えられていく。
私の体の中にある魔法陣が、無限大に広がっていく。
今まで体験した事のない感覚。
だけどきっと……蛹が蝶に羽化する時に、感じるような。
そんな感覚に、私は目を開いた。
まず目に映ったのは、自分の右手。
指の先まで巡る稲妻のような魔力の流れが、皮膚の下から透けてぼんやりと光って見える。
「……出来た」
……確か、この魔法には名前がない。
誰にも再現出来なくて、クロウリー卿が発表をやめてしまったから。
だから……この魔法の名前は、私が決めてしまおう。
そんな事してもいいのかって?
まだ公式には未発表の魔法なんですから、言ったもん勝ちなんですよ。
後天性魔術適性の付与術式。この魔法の名前は……
「『フォーカス・マイディア』」
……見ていて下さい。ティターニアさん、ジャンソンさん。クロウリー卿。
それに……ディクショナルさんも。
顔を上げる。アルバート・ローレンスと目があった。
私の事なんて路傍の石程度にしか思っていない、とでも言いたげな視線が私を突き刺す。
彼がレーヴァテインで空を薙いだ。瞬間、結界のように展開されていた火の粉が私へと襲いかかる。 座ったままの私には、その攻撃は避けられない。
火の粉が私の身体に触れる……そして、燃え上がった。
アルバート・ローレンスは私の死を悼むように僅かに目を細め……しかしすぐに異変に気づいた。 「……炎とは際限なく燃え広がり、何もかもを灰に変える、死の象徴」
……私の身体は、燃えていない。
白衣にも焦げ目一つ付いていない。
「それとも……成長と再生、太陽を司る、生の象徴?
どちらかが正解で、どちらかが間違いなんでしょうか」
それどころか……先ほどまでそれはもう目眩に動悸に酷いものだった体調が、回復している。
「……違いますよね。どちらも正解なんです。
コインの裏も、コインの表も、どちらも同じコインであるように。
魔法とはその属性の持つ無数の性質から、望みの側面のみを顕現させる技術」
……いいですね。その表情。
驚きを隠し切れていないその表情。
褒めてもらえて、認められるのも良かったけど、そういうのも悪くない。
「私くらいの天才になれば……その側面を、反転させる事だって出来ちゃうんですよ。
あなた風の言い方をするなら……」
「……俺が取り戻したものを、再び奪い返しただと……」
「あら、私の台詞を取らないで下さいよ。
……ま、いいでしょう。ですがこの程度で驚いていては身が持ちませんよ」
……身に纏わりつく癒やしの炎を右手に集める。
属性を奪われ白化した大地をその手で撫でた。
炎が地面に燃え移り、その場に溶け込むように消えていって……周囲の大地に、色が、属性が戻る。
「炎は灰を生み出す。灰は土に還り、草木を育む糧となる。
すなわち炎の属性は、転じて大地の属性と化す。
そしてその大地から金属を生み出し、鍛え、変化させるのもまた炎」
炎を帯びたままの右手で、再び地面に触れる。
周囲のあちこちで地面が赤熱して……膨れ上がる。
大地は泡立つ溶岩のように隆起して、ある一つの姿へと変化していく。
巨大な人型、金属の光沢に身を包む……ゴーレムの姿へと。
「イグニス山脈では確か、古代のゴーレムを叩き斬ったんでしたっけ。
勿体無いですねえ。貴重な故郷の遺産を」
「……俺の炎を奪い取り、次はゴーレムか。意趣返しのつもりか?」
十を超えるゴーレムに囲まれても、アルバート・ローレンスは怯まない。
レーヴァテインを赤熱させ、どこから仕掛けられても対応出来るよう構えを取る。
「いいえ。私はただ、話がしたいだけですよ。
そう……これがあったからですよね。あなたが生きていた時代に、争いがなかったのは」
「……なんだと?」
ですが私が発したその言葉は予想外だったのか、そう、反応を返してきました。
私はにっこりと笑って……右手の人差し指を一振りする。
瞬間、全てのゴーレムが一斉にアルバート・ローレンスへと襲いかかった。 「ご覧の通りですよ。人間の代わりに戦場に立ってくれる兵器があるなら、戦争で人命を損なうなんてあまりにも無益です」
レーヴァテインが幾度となく閃く。
超高熱の刃にゴーレムの手足が容易く溶断されて、宙を舞う。
「かと言ってその兵器同士を戦わせて、潰し合わせるなんて事も……やはり、資源と生産力の無駄遣い。
まっ……費用対効果を度外視した、人命を使い捨てての特攻って手もあるっちゃありますが、
そんな馬鹿げた事、どのみち長くは続けられません」
ですがゴーレム達を操っているのはこの私。
レーヴァテインに斬られても腕が一本残っていれば、
逆に切り落とされた四肢を掴み、投げつける事で有効な攻撃が可能です。
それに手足を失ったゴーレムを、他のゴーレムに振り回させれば、レーヴァテインでは防ぎ切れないでしょう。
いやあ、痛快ですね。
「旧世界の物と比べて、どうです?私が創ったゴーレムの性能は。
まぁ多少の差はあるかもしれませんが、あなた達の文明は、それを量産出来る水準にあったんでしょう?」
「……戯言を」
アルバート・ローレンスが吐き捨てるようにそう言うと同時、虚無の指環が眩く光った。
私の創造したゴーレム達が、私の制御下から離れる。
一呼吸の静寂の後……それらが私の方へと振り向いた。
「ゴーレムの回収、製造なら帝国でも行っていただろう。
ユグドラシアもそうだ。だがそれでお前達の世界から争いは減ったか?
……違うだろう。それがお前達の本性だ」
ゴーレムの群れがこちらへと歩み寄ってくる。
そして私を見下ろし、右手を振り上げて……
「それはどうでしょう。少しくらいは減ってたのかもしれませんよ。
それに……それだけじゃない。あなた達にはもう一つ、私達にないものがあった」
……そこで、止まった。
私の話を最後まで聞こうとするのは、旧世界の住人としてのプライド故でしょうか。
「あなた達には……ドラゴンがいたでしょう?
都市を、世界を統治してくれる、人間よりも上位の種族が」
……まぁ、この辺は私達の世界に残された資料や古伝でしか確認が取れていないんですけどね。
否定はされないので別に間違ってる訳じゃなさそうです。
「統治者たる竜の意向に逆らって人間だけで戦争なんて出来る訳がない。
かと言って竜を巻き込んで戦争をしようものなら……竜よりも先に人間が死滅してしまう。
そんな土壌なら、争いなんて起こす気にもなりませんよね……違いますか?」
「……だったら、どうした。仮にそうだとしても、それはお前達では、
決して俺達の世界には追いつけない。ただ、それだけの事だろう」
アルバート・ローレンスはそう言って……直後、ゴーレムが動作を再開しました。
つまり振りかぶった拳で、私を叩き潰そうとして……瞬間、二つの音が響いた。
まず初めに、風切り音が。一拍遅れて、大砲の着弾音のような轟音が。
その二つの音が響くと同時……ゴーレムの右手、その固めた拳が、砕け散った。
二つの音が何度も繰り返し奏でられる。
その度にゴーレムの手足が、あるいは胴体や頭が、跡形もなく破壊されていく。
「……違いますよ。私達の世界に、人を統治してくれるドラゴンがいないなら……その代わりを作ればいい」 アルバート・ローレンスは、何が起きたか理解出来ていないようでした。
驚愕の表情を浮かべて……ただ、空を見上げる。
私も彼にならって、視線を上に向ける。
無数の『眼』が、アルバート・ローレンスを見下ろしていた。
瞳の代わりに砲口を持つ、金属の球体……非人型の飛行ゴーレム。
「名付けるなら……『竜の天眼(ドラゴンサイト)』。
遠隔操作が可能な事に加え、内部機構より発射可能な『賢者の弾丸』……あ、さっきゴーレムを吹き飛ばしたアレの事です。
その射程距離は……理論的には、無限大に広げていける」
具体的には自律駆動の実現と、動力の確保ですね。
今はまだ私が自力で操縦しているだけですが。
このドラゴンサイトが自律的に、どこまででも飛んでいき、射撃する事が可能になれば……
「天より見下ろす竜の眼の前には、最早人間も、オークもエルフも、魔族も関係ない。
みんな同じです。勝ち目などない」
つまり……帝国がハイランドとダーマを滅ぼして、大陸を統一して一人勝ち。これにて争いの歴史は終わりです。
……とはなりません。
私の開発した魔導ゴーレムが、ハイランドとダーマを蹂躙して、帝国に勝利を導く。
そんな展開は……国に仕える魔術師としては名誉な事……なんでしょうけど。
ここにはハイランド、ユグドラシアの導師であり……私の先生、ティターニアさんと。
私の尊敬する……ダーマの宮廷魔術師、ジュリアン・クロウリーがいる。
彼らなら、一度こうして見てしまえば、ドラゴンサイトと同様のゴーレムを設計、開発出来るでしょう。
いや、むしろしたくて堪らないはずです。
完全なる真球に浮かび上がる紋様は、どの角度から見ても異なる性質の魔法陣となるように設計されています。
この一切の無駄がない、機能美のみが存在する造形……芸術的でしょう。
魔術師なら、自分ならこうする、自分ならもっと良いものが作れる……そう思わない訳がない。
「無限の射程と、ゴーレムを容易く破壊するこの威力。
まともにぶつけ合えば……誰も、勝者にはなれない」
敵も味方もなく、全てが滅ぶだけ。
そうなれば最早、戦争は意味を失う。
……似たような構想は、『賢者の弾丸』を開発した頃からあったんです。
帝国が亜人や魔族を拒むのは……人間が、弱いから。
徹底して帝都や主要都市に亜人を住まわせないのは、破壊工作を伴うゲリラ戦に対しては、国防の要である黒騎士の性能が十分に発揮出来ないから。
ハイランドとダーマを敵視しているのは……先手を取られ、黒騎士が後手に回る事になれば、種族の性能差で攻め落とされてしまいかねないから。
そう、帝国は……私に言わせれば、まるで怯える針鼠でした。
だけど人間という種族そのものが、亜人や魔族と同じ水準に達する事が出来たのなら。
……何かが、変わるかもしれない、なんて。
「これが、ドラゴンの代わりです。行き過ぎた力が、私達から争いを奪ってくれる」
アルバート・ローレンスは……信じられない、といった表情で私を見ていた。
「馬鹿な……馬鹿な!やはりお前達はイカれている……!
帝国もダーマも、人間と魔族で互いに蔑み合っているんだ。
そんな物で、戦争がなくなる訳が……」
「そりゃいくらなんでも私達を馬鹿にしすぎでしょう。
帝国で生きてる魔族もいれば、ダーマで生きてる人間だっていますよ。
国家のトップが損得勘定も出来ない訳がないでしょう」 「っ……なら、そうだ。エーテル教団のような奴らはどうする。
損得ではない、狂気に従って生きるような連中にこの技術が渡ったら……」
「……さあ?あなたの世界では、どうだったんですか?
宗教の対立くらいあなたの世界にだってあったでしょう」
「なっ……」
……アルバート・ローレンスは、答えない。
「おや、どうしました。思い出せないんですか?
それとも……分からないんですか?」
彼はなおも答えない。
私は、問いを一つ重ねる。
「では質問を変えましょうか。この『ドラゴンサイト』。
……あなたの世界に、これに相当する技術はありましたか?」
……返答は、ない。
ですが彼は虚無の指環でこの無数の眼の制御を奪おうともしない。
ならばもう、答えは聞くまでもない。
「結構。もしも、国家に属さないならず者さえもが、国家を滅ぼし得る技術を得るような時代が来たら。
その時は……私達の世界が、あなた達の世界を、完全に抜き去った時だ。
それならば、最早あなたにとやかく言われる筋合いはない」
その時に私が生きていれば、また私がなんとかしますよ。
そうでなければ……その時代の誰かが、やってくれます。
あるいはティターニアさんなら普通にまだ生きているって可能性も……。
……私は右手で銃の形を模って、ばん、とアルバート・ローレンスに突きつける。
「ほら、追いついた」
さて……これで大人しく負けを認めてくれれば楽なんですが。
「……ああ、認めよう。お前は……たった一人で、たった数分で、俺達の世界に追いついてしまった」
……なんて事を言いながら、彼の眼から迸る戦意はまだ萎えてはいない。
ああ、やだやだ。結局、そうなるんですか。
「だが……それはお前だけだ。お前達の世界じゃない。
お前だけが追いついたんだ。ならば、ならば……」
……そんなにも苦しそうにするのなら、もうやめればいいでしょうに。
意を決するのが遅すぎて、完全に機を逸しています。
私はもういつ仕掛けられても、あなたを迎え撃てる状態にある。
ですが、そうは言っても……私には、あなたの気持ちが分かる気がしますよ。
やらなきゃいけない事だから。自分にしか出来ない事だから……やるしかない。そうでしょう?
あなたは、つい数分前の私と同じだ……アルバートさん。
「お前さえ、いなくなれば……!」
アルバートさんがレーヴァテインの柄を握り締める。
「……見下せ、『竜の天眼(ドラゴンサイト)』」
……瞬間、無数の竜の眼が、火を噴いた。 避ける事も、防ぐ事も叶わないでしょう。
強烈な慣性は鎧越しにも彼に伝わり、体勢を崩させる。
ですが……彼は倒れない。
決死の形相で歯を食い縛り、踏み留まりながら……一歩、私へと踏み寄った。
弾丸の雨はなおも続く。その殆どが彼に命中している。
それでも、アルバートさんは一歩、また一歩と前に進む。
虚無の指環で負傷を消し去りながら、確実に私との距離を縮めてくる。
……アルバートさんが、レーヴァテインの間合いに、私を捉えた。
炎の魔剣が大上段へと構えられる。
そして……
「……お褒めの言葉、有り難く頂戴します。ですが……残念。
私は、追いついたんじゃない……もう、追い抜いてるんですよ」
彼の背中に、隕石のように落下してきたドラゴンサイトそのものが、激突した。
単純明快な、弾丸よりも遥かに大きな質量による体当たり。
今度は、彼も踏みとどまれなかった。
一度地に倒れてしまえば……もう、起き上がれない。
無数の弾丸がひたすら彼を打ちのめし続ける。
……時間にすれば、僅か数秒。しかし百を超える銃弾が彼へと降り注いだ後。
着弾の衝撃で地面は爆ぜ、土煙が舞っている。
私が右手の人差し指をすいと虚空に滑らせると、生じた風がその煙幕を吹き飛ばす。
果たしてアルバートさんは……まだ五体健全な姿のままでいました。
純白の鎧は完全に砕け、ちょっと目を逸らしたいような状態ではありますけどね。
「……何故、加減などした。俺はこの世界の人間として、お前達に戦争を仕掛けた。そして負けたんだ」
彼は震える右手で地面を掴み、なんとか顔を上げて、私を睨む。
「……殺せ」
……私は腰に差した魔導拳銃を抜いて、彼の顔面に突きつける。
この距離から、頭部に『賢者の弾丸』を撃ち込めば……精神力なんて関係ない。
確実に彼を殺せるでしょう。
私は、そのまま魔導拳銃に魔力を通わせる。
……銃口から、冷たい水が飛び出して、彼の顔を濡らした。
「頭を冷やして下さい。この期に及んで、何を馬鹿な事を言ってるんです。
あなたは黒竜騎士、アルバート・ローレンス。皇帝陛下の盾であり、剣。
私が勝手に殺めてしまえる訳がないでしょう」
「……違う。俺は」
「あーはいはい分かりました。じゃあこうしましょう。今の一撃で古代人のあなたは死にました!
だからここにいるのは帝国人のアルバート・ローレンス!
男の人ってこういうのが好きなんでしょう?私にはよく分かりませんが」
……まだ納得出来てない様子ですね。
ああもう、さっきは私と同じだなんて言いましたけど……私の方がもうちょっと素直で、可愛げがありましたね、こりゃ。 「……これならどうですか。虚無の竜との戦いを前に、あなたは貴重な戦力だ。
この世界の滅亡を少しでも遅らせたいなら、我儘を言わないで下さい。
どうせ死ぬなら、虚無の竜との戦いで死ねばいいでしょう」
「俺は……この世界の再建を諦めた訳じゃないんだぞ。隙を見せれば、お前達を殺して」
「どんだけ不器用なんですか。本気でそう思ってるなら、そんな事言う訳ないでしょう。
……それに、私の考えが正しければ……この世界の再建は……まだ可能なはず……」
あ、あれ?なんだかまた、目眩が……。
口元に妙な違和感も……左手で唇に触れる。
指の腹に、血がついていた。これは……鼻血、ですよね。
それに顔もなんだか、すごく熱くて……なんで、急に……。
体から力が抜ける。姿勢を保てなくなって、倒れそうになって……誰かの手が、後ろから私を支えた。
振り返る。クロウリー卿……彼の手から、水属性の、氷の魔力が私に注がれる。
「……魔術適性を強化した副作用だ」
「ああ……なるほど。あなたが発表を取りやめたのは……こんな理由も、あったんですね。
鼻血が出るほど知恵熱を出したのは……生まれて初めてですよ」
上空に展開していたドラゴンサイトが、私の制御を失って落ちてくる。
ううん、やっぱり構造がまだまだ未完成だったみたいですね。
『フォーカス・マイディア』が切れた途端、ばらばらになってしまってます。
「……あの、ちょっとこれ止められそうにないんで。皆さん各自で身を守ってて下さいね」
……それにしても私、レーヴァテインの炎を反転させた、癒やしの炎を纏っていたはずなんですけど。
それでも五分と維持出来ないなんて。
今回はなんとかなりましたけど、実戦じゃ使えませんね、これ。
それから炎の指環などを用いた治療を受けた後……私は改めてアルバートさんに向き直った。
まだちょっとくらくらするので、座ったままで失礼しますよ。
「殺せって言うのはもう無しでお願いしますね。話が進みません」
「……本当なのか?さっき言っていた事は」
「この世界の再建、ですか。ええ、方法はあるはずですよ。ですが……」
「……実現は、難しいのか?」
「どうでしょう。それもありますが……それよりもまず、一つ疑問があるんです。
本当に、誰もこの手段を思いつかなかったのか……」
ちらりと、クロウリー卿を見る。彼もまた私を見ていた。
やっぱり……ありますよね。この世界を救う、もっと簡単な方法。
なのにそれが実行されず、彼に伝えられてすらいないのは……いえ、やめましょう。
考えても分かる事ではありません。
「……とりあえず、体力が回復したら全竜の神殿を目指しましょう」
そうして暫く休憩をして……私達は移動を再開する事にしました。
随分長い間座っていたので、私は地面に手を突いて足の感覚を確かめつつ立ち上がり……
……気がつくと何故だか、篭手を捨てて露わになったディクショナルさんのインナーの袖を、指で掴んでいました。 「……あ、あの、シャルムさん?一体何を……」
トランキルさんが戸惑った様子で尋ねてくる。
「ん?ああ、これですか?気にしないで下さい。ただの癖ですよ。
私、考え事をしていると、つい前を見るのを忘れてしまうものでして……。
さっきのゴーレムの設計、今からもっと練っておかないといけませんからね」
私は事もなげにそう言って、移動が始まって……。
……め、めちゃくちゃ恥ずかしい!
いやいや、なんですか。人の袖を掴んでしまう癖って!
なんで私はそんな嘘を……い、今からでも白状すれば……。
いえ、駄目です。そんな事したら何故嘘をついたかって話になりますよね……。
ていうか、学生時代の私を知ってるティターニアさんには、こんな嘘最初からバレて……。
……やめましょう。考えれば考えるほど恥ずかしくて顔に火がつきそうです。
この際本当にゴーレムの設計でも考えて、気を紛らわせないと……。 ……虚無の神殿に辿り着くと、私はすぐにディクショナルの袖から手を離しました。
そして魔導拳銃を抜く。
神殿には、恐らくは百を超える人数の兵士が待ち構えていました。
そしてその奥に見えるのは……恐らくはこの世界の女王、パンドラ。
彼らの肌は皆、虚無の白に染まっていました。
……それはつまり彼らもまた、虚無の竜と戦い、属性を奪われた不死者であるという事。
「……女王陛下。どうか兵をお下げください。
ご覧になっていたでしょう。彼らは私に勝利しました。
そして虚無の竜を倒す為にと、この命を奪わなかった」
アルバートさんがその場に剣を置き、跪く。
「それに……この世界を救う術は、まだあると。
彼女は、我々の世界よりも、更に先を行く魔術師です。
もしかしたら……」
瞬間、不死の兵士達が、一斉に弓を構えた。
直後に降り注ぐ無数の矢。
プロテクションを展開して、防御する。
「なっ……何故だ、女王よ!」
「残念です。あちらの世界に転生し、堕落してしまったのですね……指環の勇者よ。
敵の甘言に心を惑わされ、みすみすこの聖地まで案内してしまうとは」
冷たい刃のような、感情の宿っていない声と眼光。仮面のような表情。
……案の定と言うべきか、アルバートさん諸共って感じでしたね。
やはり……彼女、パンドラは既に知っている。
この世界を救う為の……一番確実で、手っ取り早い方法を。
「仕方ありません。まずは……彼らに大人しくなってもらう他ないようです。
構いませんね、アルバートさん」
……アルバートさんは答えない。
「……今のは少し、意地の悪い聞き方でした。いいでしょう。了承しろ、とは言いません。
ただ、邪魔はしないで下さいね。流石にそれは看過出来ない」
「……分かっている。だが……教えてくれ、シアンス。何故なんだ?」
何が、とは言わなかった。
それでも彼が言わんとする事は分かります。
何故、パンドラはこの世界を救う術を、私達ごと葬ろうとするのか。
何故……彼らは勝ち目がないと分かっていながら、私達と戦おうとしているのか……。
「……私の口から答えを聞いて、あなたが満足するとは思えません」
不死の兵士達が抜剣し、突撃してくる。
一糸乱れぬ統制に、空気が破れるような裂帛の気合。
彼らもこちらの世界では……虚無の竜との戦いに最後まで残った、精鋭中の精鋭なのでしょう。
ですが……それでも、指環の勇者と黒騎士、そして新旧主席魔術師に立ち向かうには……あまりに儚い。
……ああもう、やりにくいですね。
【な、長い……。
言うまでもないけどパンドラ戦はさらっと終えるつもりです……】 スレイブが指環からパクった魔力で発射したビームを、アルバートはすげぇ分厚い壁で防いだ。
壁がゴリゴリ削れる音はこっちまで聞こえてきたけど全然貫通してく感じがしない。
ものすごく分厚い壁だったからだ。
>「――俺がいることを忘れてねえか!」
そこへ、いきなり火の中から出てきたジャンがガーっと突撃してった。
アルバートは壁ほっぽり出してカウンター決めようとするけど、ジャンは羽出して飛び越えて羽しまった。
ジャンは腰につけたきんちゃくから瓶みたいなのを出して投げつける。
アルバートはそれを剣で切る。
ぶちまけられた瓶の中身が、蛇みたいにウネウネしつつアルバートの口に飛び込んだ。
>「おっと、食べ物を粗末にしてはならぬ――!」
煮物を吐き出そうとするアルバートに、こっちも地面から出てきたティタ公が覆いかぶさる。
しばらくモゴモゴしてたアルバートはついにごっくんした。
>「は、腹が痛い……!毒を仕込むとは勇者のやることか!」
ジャンが飲ませた煮物はスレイブも知ってる。飛び目玉の姿煮は食べるとお腹が痛くなる。
ギュルギュルし始めたお腹を押さえて苦しんでるアルバートに、ティタピッピが杖を突きつけた。
>>「どうだ――降参するなら解毒の魔法をかけてやろう」
「どうだぁおれたちの連携必殺技は!セントなんちゃらには便所なんてねえだろ!降参したほうが身のためだぜ!」
ティタの後ろでイキりまくるスレイブ。
アルバートがどんだけすごい覚悟で戦ってようが、漏らした瞬間すべてがアレになる。
もうこれは完全に勝利パターン入ったと思うスレイブだったが、びっくりなことにアルバートは我慢し続けた。
宗教の人にめっちゃおこになりながら噛み付いて、アルバートは剣を構えて立ち上がる。
>「……レイエス、解毒しろ。俺達は……負けられない。無用な気遣いはやめろ。これ以外に道はないんだ」
>「……焦がせ」
そして、またあの魔剣からブワーってなる火の粉がたくさん出てきた。
「バカがっもうその技は見切ってんだよ!俺のビームで全部ふっ飛ばしてやるぁ!」
もう一回ビームでアレしようとして、スレイブは指環から全然魔力が出てこないことに気がついた。
「ああーっ?ウェントスなにサボってんだっ!とっとともっかい魔力出せ!」
『無茶言うない!考えなしにぶっ放したどっかのアホのせいで指環に溜め込んどいた分がすっからかんじゃ!
さっきまで儂の幻体すら維持出来とらんかったんじゃぞ!』
「ポンコツがぁぁぁっ!古代人みてーに周りの魔力吸い取るぐれーしてみろや!
こうなったら直接剣でぶった切ってやるぜっ!」
『待て待て待て!さっき鎧が容易く溶かされたの見とったじゃろ!?』
ウェントスが注意するのを無視してスレイブはダッシュした。
そのあたりで、きっかり5分が経った。
横から飛んできたジャンの岩みたいなパンチがスレイブの頬にヒット。
「ぐええええ!」
スレイブはくるくる回転しながら吹っ飛んで、目の前が真っ暗になった。
――――――・・・・・・ ジャンの拳が強かに頬を打ち、スレイブは意識を失うと共に知性を取り戻した。
吹っ飛んでいった意識が戻ると同時、身体を捻って態勢を整え、足から着地する。
「……助かった、ジャン」
注文通り思いっきりぶん殴ってくれたお陰で頬にこびり付くような熱痛があるが、痛みはかえって意識を鮮明にしてくれる。
口の端から僅かに垂れる血を強引に拭って、スレイブは立ち上がった。
――竜装『愚者の甲冑』。
ティターニアやジャンのものとは異なり、この竜装に身を護り宙を舞う能力はない。
愚者の甲冑は、心に纏う竜装。
スレイブとウェントゥスの魂を強引に融合させて、指環の魔力を100%引き出す技だ。
異なる二つの存在間で魔力を伝達するうえで、ボトルネックとなりうる人格と知性。
それを一時的に封印することで、たった一撃で指環を空にするだけの魔力の解放を可能とした。
……副次的にかつてのスレイブの如く知性を失って暴走するリスクがあるが、今回はむしろそちらが目的だった。
本音と建前の垣根を取り払い、心の裡をありのままに誰かに伝えることは、きっと魔神を殺すより難しい。
ダーマの軍人、ジュリアンの部下、さまざまな立場に板挟みになったスレイブにとってはなおさらだ。
シャルムに言いたかったことは、伝えたかった想いは、知性が邪魔して何ひとつ言葉に出来なかった。
だからスレイブは知性を手放して――
>「『フォーカス・マイディア』」
――想いはすべて、シャルムへと伝わった。
俯き、膝をつき、蹲っていた彼女は立ち上がり、その双眸からは迷いの色は最早ない。
魂の一欠片まで燃やし尽くす劫火の燐光を、シャルムは怯えた様子もなくその身に受けた。
彼女の痩躯を包む炎は、しかし白衣の端も、髪の一束さえも焦がすことはない。
>「私くらいの天才になれば……その側面を、反転させる事だって出来ちゃうんですよ。あなた風の言い方をするなら……」
>「……俺が取り戻したものを、再び奪い返しただと……」
咎人を灼き滅ぼす異界の焚火。シャルムはそれを、癒やしの炎へと変じた。
>「炎は灰を生み出す。灰は土に還り、草木を育む糧となる。すなわち炎の属性は、転じて大地の属性と化す。
そしてその大地から金属を生み出し、鍛え、変化させるのもまた炎」
アルバートから簒奪し、シャルムの麾下となった炎が『滅んだ大地』を染め上げる。
虚無の指環によって奪われたはず属性が、セント・エーテリアの大地に再び色をもたらした。
その凄絶な光景の美しさに、スレイブは息を呑む。
「属性変換……!いや、それだけじゃない――」
>「……俺の炎を奪い取り、次はゴーレムか。意趣返しのつもりか?」
アルバートが忌々しそうに吐き捨てるその眼前には、泥人形の如く大地から萌え出る金属の巨躯。
数にして十数体の巨大なゴーレムが花開くように生まれ、シャルムに代わってアルバートと対峙する。
「あれだけの数のゴーレムを……今、この場で組み上げたというのか……!」
躯体を生成し構築する錬金術と、ゴーレムに魂を吹き込む魔導制御術。
異なる魔法を同時に、それもおそろしく高い精度で同時に行使して、シャルムは己が手勢を創り上げた。
歯車を軋ませながらアルバート目掛けて殺到するゴーレムを、アルバートは魔剣を手に迎え撃つ。
魔剣の一太刀で四肢を切断されつつも、切り落とされた四肢さえ武器にしてゴーレムは突貫する。
>「旧世界の物と比べて、どうです?私が創ったゴーレムの性能は。
まぁ多少の差はあるかもしれませんが、あなた達の文明は、それを量産出来る水準にあったんでしょう?」
>「……戯言を」 多勢に無勢と判断したアルバートはゴーレムとの白兵戦から一度退き、虚無の指環が再び閃いた。
ゴーレムは旧世界の遺産の一つだ。指環を使えば容易く奪い取れるだろう。事実、アルバートはそうした。
シャルムの生み出したゴーレムたちが、創造者たる彼女へとその拳を向ける。
一気に逆転した形勢。しかしスレイブは、シャルムに加勢しようとはしなかった。
奪い取られたゴーレムを見る彼女の眼には、依然として怯えも畏れもない。
ゴーレムの瞬時生成など単なる前置きに過ぎなくて、ここからが真骨頂だとでも言うかのように――
>「……違いますよ。私達の世界に、人を統治してくれるドラゴンがいないなら……その代わりを作ればいい」
瞬間、断続的に破壊の音が響いて、十数体のゴーレムが残らず砕け散った。
自己崩壊の術式でも仕込んでいたのか――否、破壊はすべて外部からの力によってもたらされたものだ。
鋼の巨躯をたちどころに瓦礫の山へと変えた一撃を、スレイブはよく知っている。
このセント・エーテリアで、他ならぬシャルムが何度も見せてくれた、あの術式。
「賢者の弾丸……!」
単一で魔法の行使が可能な魔導砲が、閉じた空を埋め尽くさんほどに無数に浮遊している。
ゴーレムを生成する傍らで、あれだけ複雑で高度な術式と平行して、これを創り上げていたのだ。
>「名付けるなら……『竜の天眼(ドラゴンサイト)』」
絶対的なアウトレンジである上空から、無数の砲火を途切れなく加える砲門陣。
しかしその本質は、おそらく攻撃力や射程距離などではないとスレイブは感じていた。
(人間も、魔族も、エルフも亜人も――黒騎士も。すべてを分け隔てなく、平等に見下ろす『眼』)
かつて、旧世界に存在していたという絶対の上位者と、同じ視点を持った兵器。
文字通り次元の異なる視線の前には、あらゆる種族の差が無意味と化す。
それはある意味では、種族や国家、立場の垣根を取り払うことに繋がる。
帝国を強国たらしめる、多種族への畏れ――帝国の根幹を、否定する術式だ。
>「これが、ドラゴンの代わりです。行き過ぎた力が、私達から争いを奪ってくれる」
シャルムの語る『竜の天眼』の運用思想は、理想論と言ってしまえばそれまでだ。
竜の息吹が、争いの火種を炎と化す前にのべつ幕なくすべてを吹き消すなら、事実上戦争はこの世から失われるだろう。
だがその事実を公表し、運用が始まれば――まず間違いなく、彼女は謀殺される。
争いの火種を絶やしたくない者はこの世界のどこにでもいて、彼らはシャルムの存在を快く思いはしない。
技術者一人を殺して戦争の根絶が止まるなら、躊躇うことなどないだろう。
>「だが……それはお前だけだ。お前達の世界じゃない。お前だけが追いついたんだ。ならば、ならば……」
>「お前さえ、いなくなれば……!」
経緯は違えども、アルバートもまた同じ発想に思い至ったようだった。
今度こそスレイブは剣を抜き放つ。
世界規模での戦争の根絶など彼には想像もつかない。
だが、シャルムの命を奪わんとする刃から彼女を護ることならば、スレイブにもできる。
敵対国の軍人ではなく。シャルム・シアンスの――仲間として。
「新世界を侮るなよアルバート・ローレンス。
彼女がいなくなればだと?ならば彼女を護りきれば俺たちの勝ちというわけだ。そのために、俺はここに居る。
剣術が使えなくても、俺はシアンスを護る。――魔法を使えなくても、何かを創り出した者がいたように」
無数の砲撃を総身に浴びながらも、着実にシャルム目掛けて歩みを進めるアルバート。
短剣を逆手に構え、それを迎え撃つべく踏み出したスレイブ。
しかしその疾走は、一歩目で途絶した。
>私は、追いついたんじゃない……もう、追い抜いてるんですよ」 上空から墜ちた『竜の天眼』が、アルバートの頭上を強襲し――彼を叩き潰したのだ。
純粋な質量の激突による衝撃は星都の大地を揺らがし、あたり一面に土煙が立ち込める。
シャルムが指を振って埃を吹き払うと、ついに五体を地に投げ出したアルバートの姿があった。
何度打ちのめされても、その度に旧世界のすべてに支えられて立ち上がってきた男が、ついに倒れ伏して。
世界を賭けた悲壮なる戦いは、これで幕を閉じる。
シャルムの痩躯を覆っていた癒やしの燐光が途切れ、鼻腔から流れ出た血を拭ったシャルムは――
そのまま後ろ向きに倒れ込んだ。
「シアンス!」
思わずスレイブは名を呼び駆けつけようとするが、それよりも早く彼女を支えた者がいた。
ジュリアンだ。彼は過熱したシャルムを氷結魔法で冷やしながら、なにかを堪えるように口を開いた。
>「……魔術適性を強化した副作用だ」
>「ああ……なるほど。あなたが発表を取りやめたのは……こんな理由も、あったんですね。
鼻血が出るほど知恵熱を出したのは……生まれて初めてですよ」
ひとまず無事だったシャルムの様子に胸を撫で下ろしたスレイブは、ようやく人心地ついて天を仰ぐ。
そして空を二度見した。ぎこちない動作で首をまわし、シャルムに問いかける。
「お、おい……宙に浮いてるアレ、さっきからぐらついてないか……」
>「……あの、ちょっとこれ止められそうにないんで。皆さん各自で身を守ってて下さいね」
シャルムの常軌を逸した集中力によって支え続けられていた、無数の『竜の天眼』。
まるでぷつりと切れた緊張の糸が天から竜眼を吊り下げていたかのように。
支えを失った竜の天眼が、一斉に落下してきた。
「詰めが甘いんだよあんたは――っ!!」
スレイブの悲鳴じみた叫びは、展開した風の魔法障壁に竜眼の激突する大音声にかき消された。 >「……とりあえず、体力が回復したら全竜の神殿を目指しましょう」
幸いにもシャルムの身を苛む副作用は深刻ではなく、少し休めば動けるようになるようだった。
消耗した魔力は指環の竜たちから徴収してシャルムに分け与え、疲労した肉体にはアルダガが癒やしの法術をかける。
その間、シャルムにはジュリアンがつきっきりだった。
「……………………」
スレイブはその様子を、拾い直した剣の手応えを確かめつつ眺めていた。
アルバートに奪われた剣術だったが、彼が戦意を失うと共にスレイブの元へと戻ってきている。
その辺から拾ってきた果実を放り上げ、一閃剣を振るえば、綺麗に皮の向けた果肉が落ちてきた。
『なに羨ましそうに見とるんじゃお主。
チェムノタ山でもそうじゃったけど隅っこで陰気に人間観察(笑)しとるのが趣味なんか?
混ざってくりゃいいじゃろ、オークと違って家族水入らずってわけでもなし』
「……余計な世話だ。俺がダーマでジュリアン様と過ごした5年の間、シアンスは帝国で一人だったんだ。
俺たち純人族にとって、5年という歳月はあまりに長い。だから……それを埋める邪魔はしたくない」
『ほーん、羨ましいのは否定しないんじゃな』
ウェントゥスはスレイブの周りをくるくると回って、揶揄するような笑みを浮かべた。
「何が言いたい」
『いやなー?羨ましいのはあの二人の、どっちに対してなんじゃろなーと思っての』
ウェントゥスの問いに、スレイブは答えられなかった。
そのあたりについて深く考えると何か致命的な弱みをウェントゥスに握られそうだったので、彼は魔剣を取り出した。
『あっ何魔剣で忘れようとしとるんじゃお主!そういうとこじゃぞ!そういう!』
やがてシャルムが動ける程度には復調し、一行は全竜の神殿を目指すべく探索を再開する。
立ち上がったシャルムの指が宙を彷徨ったかと思うと、小枝に留まる小鳥のようにスレイブの裾をつまんだ。
「なっ……!?」
>「ん?ああ、これですか?気にしないで下さい。ただの癖ですよ。
平然とシャルムは言うが、癖というにはあまりにも難儀過ぎる……
スレイブは半ば軍人としての条件反射でそれを振り払いそうになるが、諦めて腕の力を抜いた。
「前方不注意は危険だからな。それに危ないし、リスクがある。合理的な判断だろう」
動揺がモロに言語に現れるスレイブを、ウェントゥスがニヤニヤしながら見ているのが実に不愉快だ。
結局シャルムは密林を抜けて全竜の神殿へたどり着くまで、スレイブの裾から手を離さなかった。
「……全竜の神殿。ここがセント・エーテリアの最奥か――!」
ついに相見えた全竜の神殿は、おそらくは星都で唯一、人間の痕跡の新しい場所だった。
鬱蒼と茂る雑草と木立は丁寧に刈り取られ、開けた空間が広がっている。
女王とその麾下である不死者たちが、今なおここで不変の生活を送っているのだ。
「不死者の気配を無数に感じます。ただ、敵意はありません。アルバート殿が居るからでしょうか」
神殿を遠巻きにして気配を探っていたアルダガの見立て通り、そこには大量の不死者がいた。
彼らは謁見路の脇を固めるように整列し、旧世界の指環の勇者を出迎えるように立っている。
そして謁見路の先にある玉座には―― 「――女王パンドラ。この星都の、最高管理権限者です」
スレイブ達の集団からアルバートが一人歩み出て、謁見路に跪く。
彼は魔剣を床に置いて、女王の前に頭を垂れた。
>「それに……この世界を救う術は、まだあると。
彼女は、我々の世界よりも、更に先を行く魔術師です。もしかしたら……」
アルバートが二の句を継がんとした刹那、女王に侍っていた不死者たちが動いた。
雨あられと降り注ぐ虚無の色を纏った矢――シャルムがプロテクションを張って防御する。
女王パンドラはその様子に眉一つ動かさず、怜悧な声が神殿に響き渡った。
>「残念です。あちらの世界に転生し、堕落してしまったのですね……指環の勇者よ。
敵の甘言に心を惑わされ、みすみすこの聖地まで案内してしまうとは」
今の攻撃は、明らかにアルバートごと新世界の指環の勇者を滅ぼさんと意図したものだった。
なんのことはない。交渉は初めから譲歩の余地なく決裂していて、お互いの立場が明確となっただけのことだ。
>「仕方ありません。まずは……彼らに大人しくなってもらう他ないようです。
構いませんね、アルバートさん」
「黒竜騎士殿と言い、旧世界の連中というのはどうしていつも人の話を聞かないんだ。……もう、慣れたがな」
パンドラが冷ややかな号令をかけると、控えていた不死者の軍勢が一斉に武器を抜いて突貫を始める。
竜の巨体さえ押し流す波濤の如き突撃を前にして、スレイブは静かに剣を抜き放つ。
盾はもはや必要ない。防御は――シアンスが居る。
だからスレイブは迷いなく、もう片方の手に魔剣を握った。
「頭の固い狭量な古代人共に――未来を叩き込んでやる」
押し寄せる不死者の集団へ、スレイブは跳躍術式で躍り込む。
踏み込みの慣性を十全に伝えきった神速の刺突が不死者の胸部を貫き、他の不死者を巻き込んで吹き飛ばした。
背後から襲いかかる不死者の、武器を振り上げる腕が半ばから断ち飛ばされる。
横合いからタックルを仕掛けてきた不死者の頭部に、バアルフォラスの刀身が埋まってその場に崩れ落ちた。
精鋭たる不死者の軍勢はスレイブを取り囲むが、その刃のすべてが彼に届く前に腕ごと地に落ちていく。
「四天を閉ざす雹雪よ、白光照らし凍てつけ――『ヘイルストリーム』」
指環の魔力を解き放ち、切っ先を地面に突き立てれば、身を突き刺すような寒波が周囲にほとばしる。
空気中の水分が凝結して巨大な氷柱となり、不死者を氷像へと変えた。
「10秒経ったら退避してください!範囲法術で焼き払います!」
アルダガが叫ぶ言葉は不死者たちにも筒抜けだったが、攻撃が来るのがわかったところで回避のしようなどない。
彼女のメイスから放たれる神聖魔法の光は、不死者の集団を残らず穿ち尽くす天罰の雨だ。
全速力で疾走すれば範囲内を脱することはできるかもしれないが――それを看過する指環の勇者ではなかった。 >「昔から思い込みが激しいのは変わってないようだな――
貴様の仲間達は、本当にかつての世界を取り戻すために戦ってほしいなどと望んでいるのか?」
動きを止めたアルバートにジュリアンが近づき、友人だったあの頃のように諭す。
だがアルバートが語りはじめた旧世界の滅亡とそれに対するアルダガの提案は、アルバートの逆鱗に触れる結果となった。
>「俺は今度こそ、虚無の竜を殺す。奴が二度と復活することのないよう、魂に一片も残さず灼き尽くす。
その為には、貴様らの世界に奪われた属性の全てが必要だ。
貴様らは黙って属性を寄越せ。それを使って、俺が……俺達が奴と戦う……!」
そしてアルバートは立ち上がり、再び魔剣を構える。
それはまさしく戦場に立つ戦士の姿であり、いかなる理由であれ止まることはないという意志を示している。
>「……レイエス、解毒しろ。俺達は……負けられない。
無用な気遣いはやめろ。これ以外に道はないんだ」
その言葉に、ジャンは自らの行為を恥じた。
短い付き合いだったとはいえ、同じ目的で動いていた仲間をできれば殺したくなかったという自身の甘さと、
アルバート・ローレンスという戦士の誇りをくだらない毒物で踏みにじったことに気づいたからだ。
もはやアルバートは言葉や策では止まらない。
戦士は戦いでしか決着をつけられないのだ。それに気づかなかった自分の愚かさを感じ、ジャンは魔剣より噴出した爆炎から距離を取る。
と、未だ知性を取り戻さないスレイブが無策のまま突っ込んでいく。
>「ポンコツがぁぁぁっ!古代人みてーに周りの魔力吸い取るぐれーしてみろや!
こうなったら直接剣でぶった切ってやるぜっ!」
慌ててジャンは正気に戻すべくスレイブの肩を掴み、スレイブの頬を殴り倒す。
自分への怒りがあったためか、かなり力を込めて殴ってしまったがそれがスレイブにはよかったらしい。
元に戻ったスレイブと前衛を組み、再びアルバートに対峙しようとしたその時だ。
>「……炎とは際限なく燃え広がり、何もかもを灰に変える、死の象徴」
先程からぴくりとも動かなかったシャルムがつぶやき、ジャンはその姿に違和感を感じた。
魔剣から放たれた炎に巻き込まれているにも関わらず、シャルムの身体と衣服が一つとして燃えていない。
指環を持たない、一流の魔術師とはいえただのヒトが何故平然といられるのか。
>「炎は灰を生み出す。灰は土に還り、草木を育む糧となる。
すなわち炎の属性は、転じて大地の属性と化す。
そしてその大地から金属を生み出し、鍛え、変化させるのもまた炎」
「おいおい、あのゴーレムを一人で作りやがったのかよ……!」 焼き尽くすだけの炎をどうやったのか何かに変換し、色の消えた大地を再び元に戻してみせる。
そしてイグニス山脈にいたあのゴーレムよりも強靭であろうゴーレムを大量に作り上げ、手足のごとく操ってアルバートへ突撃させた。
シャルムが何をどうやっているのかジャンにはさっぱりだが、一つだけ分かることがある。
>「天より見下ろす竜の眼の前には、最早人間も、オークもエルフも、魔族も関係ない。
みんな同じです。勝ち目などない」
(あいつは……吹っ切れたな!それも前向きにだ!)
そうしてシャルムとアルバートの問答はしばらく続き、空飛ぶゴーレムの落下と同時に決着した。
>「……あの、ちょっとこれ止められそうにないんで。皆さん各自で身を守ってて下さいね」
「えっおい、自分で作っといてそりゃないだろ!?」
アクアのやれやれというつぶやきがゴーレムの破片と部品の衝突音にかき消される中、ジャンは慌てて水流の障壁を展開する。
こうして一行と守護聖獣はしばらく防御結界を張った後、全員の治療と事情の共有を行っていた。
>「……とりあえず、体力が回復したら全竜の神殿を目指しましょう」
その休憩の間、石に腰掛けたアルバートにジャンが近寄る。
とりあえずは仲間になったとはいえ、先程までは敵だったジャンにアルバートは剣呑な顔をした。
「……なんだ、今度は何を食わせるつもりだ?」
純白の兜を脱ぎ、魔剣の手入れをするアルバートの目の前にジャンは座り、ややばつが悪そうに喋りだす。
「さっきはその……悪かった。
お前は一流の戦士で、本当なら俺も殺すつもりで向かわなきゃいけなかった。
でも俺は殺したくなくて、うやむやにしようと思ってああしたんだ」
「むしろ驚かされたぞ、オークは策を使わず真正面から突っ込んでくるしかないと思っていたからな」
相変わらず魔剣を眺め、手入れを続けるアルバートに、しどろもどろになりながらジャンは話し続ける。
「それは策を使う必要がないと思った相手にしかそうしないから……って違う!
俺が言いたいのはつまり……オーク族のやり方でも、他のヒトのやり方でもダメなことを俺はしたんだ!」
「ならばどうする、許してほしいのか?」
「いや、言葉はいらねえ。思いきりぶん殴ってくれ」
アルバートは表情を一切変えず、魔剣を鞘にしまう。
そして立ち上がり、ジャンへとおもむろに近づくと――
「フンッ!」
気合の籠った掛け声と共にジャンの腹へと腕の動きが見えないほどの速度で拳を叩き込み、そのまま何事もなかったかのように元の位置に戻った。
一方ジャンは黒騎士の本気の拳を腹に叩き込まれ、体を折り曲げて崩れ落ちる。
「おおっ……いってえ……!滅茶苦茶いてえ……」
「……亜人の文化はよくわからんな」
強靭なオークの身体とはいえヒトの限界まで鍛えられたアルバートの拳は重く、
障壁も防具もなしに受けたジャンはその後、オーク族秘伝の薬を飲んでもしばらく腹が痛んだ。 >「……全竜の神殿。ここがセント・エーテリアの最奥か――!」
「その辺の遺跡とは違うみてえだな、よく手入れされてる」
『感じる魔力もすさまじいね、女王はこちらを待ち構えているようだ』
>「不死者の気配を無数に感じます。ただ、敵意はありません。アルバート殿が居るからでしょうか」
神殿の中央を割るように真っ直ぐ作られた謁見路の先、神官と重装兵に守られた玉座には女王パンドラが堂々と座っている。
周りにいる不死者たちは正気を保っているかは定かではない。だが、密林で出会った不死者とは明らかに様子が異なる。
彼らには秩序があり、それが彼らを戦士たらしめているのだ。
>「それに……この世界を救う術は、まだあると。
彼女は、我々の世界よりも、更に先を行く魔術師です。
もしかしたら……」
アルバートの提案への返答は、弓兵たちの一斉射で返された。
他の仲間が防御障壁を張って矢を跳ね返し、ジャンは他の不死兵の動きに備える。
先程まで武器を掲げていた不死兵たちが即座に各々の得物を構え、一行を包囲するべく近づいてきたからだ。
>「残念です。あちらの世界に転生し、堕落してしまったのですね……指環の勇者よ。
敵の甘言に心を惑わされ、みすみすこの聖地まで案内してしまうとは」
>「黒竜騎士殿と言い、旧世界の連中というのはどうしていつも人の話を聞かないんだ。……もう、慣れたがな」
「話し合う気がないなら最初からそう言うべきだぜ……突っ込むぞ!」
スレイブが空中から跳躍して飛び込むと同時に、ジャンは地上から強引に着地場所を確保する。
アルマクリスの槍はパックに渡し、今手に持つのはミスリル・ハンマー。
最初にぶつかった不死兵の剣を指環の障壁で受け流し、側頭部をハンマーで殴り飛ばす。
そうしてよろめいたところで押しのけ、無理矢理前進する。
数に任せて飛び掛かってくれば、ウォークライで怯ませ殴り飛ばす。
指環の魔力で瞬間的に増幅された咆哮は竜装の時ほどではないが、その圧力は武装した兵士すら姿勢を崩す。
>「10秒経ったら退避してください!範囲法術で焼き払います!」
さすがに虚無の竜との戦いを生き残った精鋭だけあってか、不死兵たちはアルダガの警告を聞いて即座に距離を取り散開する。
だが、ジャンはそれを逃さない。
「逃げるのはてめえらじゃねえぞ!『フラッシュフラッド』!」
神殿の外から突然現れた鉄砲水が不死兵たちを襲い、ちょうど神殿の中央にまとめる形で鉄砲水はなだれ込み続ける。
さらにその勢いの方向を指環でずらし、女王の座る玉座へと濁流が叩き込まれた。
アルダガの法術で不死兵は消し飛び、神官や重装兵ごと女王も仕留めたはず……だった。
「……やったか!?」 ジャンのその言葉と同時に濁流が蒸発し、辺りが水蒸気の霧に包まれる。
霧が晴れたところで玉座を見てみれば、そこにいたのは手をかざして障壁を張る二人の神官と、盾と大剣を構えて女王を守らんとする三人の重装兵。
そして、玉座からついに立ち上がった女王だ。
汚れ一つない純白のロングドレスと、同じく純白の指環が取り付けられた錫杖を持ち、静かにこちらを睨みつけている。
「……本当に残念です。この世界の指環の勇者たちが――この程度とはッ!」
女王は言葉をそこで打ち切り、錫杖を空中に浮かべ両手で魔法陣を描き出す。
それは未だヒトが辿り着けない神の御業。死者は蘇らないというルールの書き換え。
「我が勇猛なる英雄たちよ、魂すら残らぬ虚無より我の下に集え!『リターン』!!」
その詠唱を紡ぎ終わると同時に、女王の玉座へと続く階段にゆらり、ゆらりと影が現れはじめる。
それは最初薄れた染みのような影だったが、やがて濃さを増していくにつれて甲冑を纏った戦士であることが見て分かった。
ある影は身の丈よりもはるかに大きな斧を持ち、ある影は絹糸よりも細いレイピアを持ち、その装備は様々だ。
かつて旧世界で名を馳せ、虚無の竜に挑んで散っていった英雄たち――その完全なる再現。
八人の影が女王の前に跪き、そしてこちらへと武器を構えて向き直る。
「偉大な英雄たちよ、紛い物の勇者たちを魂ごと滅ぼしてしまいなさい!」
女王の号令の下、英雄の影は静かに階段を降りる。
ただ眼前の反逆者を討ち滅ぼすために――
【旧世界の英雄VS新世界の勇者】 闇黒大陸グルメ作戦が功を奏し戦闘不能に陥ったかと思われたあるアルバートだったが、
アルダガとの問答中に激昂し、またしても立ち上がる。 >「……レイエス、解毒しろ。俺達は……負けられない。
無用な気遣いはやめろ。これ以外に道はないんだ」
それを見たティターニアは、致命的な戦術誤りを痛感した。
最初から小手先の奇策で戦意を失わせる作戦が通用する相手ではなかったのだ。
この戦いを終わらせるには、息の根を止めるか、それ以外で方法があるとしたら――
正攻法でこちらの圧倒的優位を見せつけるしかない。
しかも、古代の指輪の力に頼らない新しい方法でという縛りもある。
黒板摩擦地獄以外にもユグドラシアの独自魔法はいくつもあるが――はっきり言ってイロモノ魔法揃いである。
何かと見た目的に難があったり、アルバートの怒りを増幅させそうなものばかりであった。
そもそも奇策で敵軍を混乱に陥れて戦意を失わせる戦術こそがユグドラシアが最も得意とするところであって
それは肉体精神共に常識の範疇内レベルの武装集団を最小限の犠牲で鎮圧するには確かに効率がいいが
帝国の黒騎士に代表される化け物級に強い一個人との戦闘には向いていない。
どうしたものかと思っていると、スレイブが魔力が空の状態で突っ込んでいこうとしていた。
>「ポンコツがぁぁぁっ!古代人みてーに周りの魔力吸い取るぐれーしてみろや!
こうなったら直接剣でぶった切ってやるぜっ!」
「スレイブ殿、今解除を……」
解呪の魔法をかけようとするティターニアだったが、それより早くジャンが殴ることによってスレイブは正気を取り戻した。
状態異常を魔法やアイテム等に頼らずに物理的手段で漢らしく解除する――いわゆる漢解除と呼ばれる手法である。
他に安全に解呪する方法があるならわざわざ漢らしく解除しなくても、とも思うが、
スレイブ本人が逆に気合が入っていいと思っているようなので問題はないだろう。
結局良案も思いつかないまま、スレイブとジャンの援護に回ろうとするティターニアだったが……背後でシャルムの呟きが聞こえた。
>「……出来た」
確信に満ちた呟きに思わず振り向いたティターニアは、目を見開いた。
「出来たって……まさかそれは……後天性魔術適性の付与術式……!?」
>「『フォーカス・マイディア』」
そこからシャルムの快進撃が始まった。その姿を見て直観した。
今の彼女に手出しは無用だ。ただ一つ出来ることがあるとすれば、精神力を分け与えて支えることだけ。
そう思ったティターニアは、魔術師同士で精神力を共有する力場を作る。
「――エナジーフィールド!」
ジュリアンもいつの間にかそこに参加していて。
未だ戦闘中だというのに二人して頭上を見上げつつどこかしみじみとした会話を交わす。 「生徒が自らを超えていくのは導師冥利に尽きるな――」
「超えていくとは同じ道を通った上で追い越す事であって端から土俵が違う場合は当てはまらないが。それにどうせ漫才しか教えてないだろう」
「分かっているが言ってみたかっただけではないか」
シャルムが繰り出した切り札、それは瞳になぞらえた無数の砲口を持つ、非人型の飛行ゴーレムだった。
>「名付けるなら……『竜の天眼(ドラゴンサイト)』。
遠隔操作が可能な事に加え、内部機構より発射可能な『賢者の弾丸』……あ、さっきゴーレムを吹き飛ばしたアレの事です。
その射程距離は……理論的には、無限大に広げていける」
それを制御しつつ、壮大な運用思想を語ってみせるシャルム。
ユグドラシアで正統派の大規模攻撃魔術があまり開発されていないのは、大規模な破壊や殺戮は望まない風潮が根底にあるからでもある。
しかしシャルムが提示したのは、圧倒的な力で戦争を抑止するという逆転の発想だった。
ついにアルバートが倒れ伏し、倒れそうになるシャルムをジュリアンが支える。
ティターニアは一つ気がかりなことがあり、竜の天眼を指差し無粋を承知で問いかける。
「シャルム殿、ところであれは……」
どうするのだ?と言おうとした時、スレイブがとんでもない事に気付いたようだ。
>「お、おい……宙に浮いてるアレ、さっきからぐらついてないか……」
>「……あの、ちょっとこれ止められそうにないんで。皆さん各自で身を守ってて下さいね」
「テッラ殿! 落下点を逸らせるか!?」
「きゃあああああ!! ――四星守護結界!!」
こうして指輪の勇者一行と守護聖獣総出で、シャルムがつけた文字通りのオチを回収したのであった。
ようやく話が通じるようになったアルバートが、世界の再建についてシャルムと言葉を交わす。
>「……本当なのか?さっき言っていた事は」
>「この世界の再建、ですか。ええ、方法はあるはずですよ。ですが……」
>「……実現は、難しいのか?」
>「どうでしょう。それもありますが……それよりもまず、一つ疑問があるんです。
本当に、誰もこの手段を思いつかなかったのか……」
「そなたらは何か知らぬのか?」
「こちらの世界の出身とはいってももうずっとあなた達の世界に身を置いていましたから何も……」
そう答えるクイーンネレイドの様子はどこか悲し気で、何かを予感しているようにも見えた。 >「……とりあえず、体力が回復したら全竜の神殿を目指しましょう」
暫しの小休止を取り、ジュリアンがシャルムを付きっ切りで介抱し、スレイブがそれを羨まし気に見たり
ジャンとアルバートが肉体言語を交わしたりしていた。
ティターニアも思いっきり新世界グルメ作戦の共犯なのだが
肉体言語が交わされる戦士二人の会話に入っていくのはなんとなく躊躇われ、傍観するに終わった。
そんな中、テッラがアルバートの持つ指輪に関しての疑問を漏らす。 『”虚無の指輪”とは一体――まるで8つ目の竜の指輪のよう。
かつて死んだ者が素体になっていることも光の指輪や闇の指輪に似ていますね』
「それでいくと……あの指輪に宿っている者は虚無の竜の影か?
虚無の竜が世界を食らった宿敵なのだからそれはおかしいだろう」
『そうですが……虚無の竜自体が何なのか私達にも分かりませんから。
昔世界を食らった虚無の竜が本当に全くの外界から現れた敵なのか、今回復活した虚無の竜はそれと同じ存在なのか……』
「もしかしたら虚無とは……忘れ去られた8つ目の属性、あるいは原初の0番目の属性なのかもしれないな――」
全の竜の神殿に向かって出発するとシャルムが突然スレイブの袖を掴み、それを見たパックが余計な分析を加える。
「これはっ……いわゆる同じアイドルを信奉する者同士が意気投合する現象――!?」
>「ん?ああ、これですか?気にしないで下さい。ただの癖ですよ。
私、考え事をしていると、つい前を見るのを忘れてしまうものでして……。
さっきのゴーレムの設計、今からもっと練っておかないといけませんからね」
「そんな癖は無かったと思うのだが……そなたは覚えがあるか?」
と、微妙な顔をしながらジュリアンに問いかけるティターニア。
「いや、無い――というか人を”置いてきぼり食らった奴”みたいな目で見ないでくれるか?」
そして辿り着いた竜の神殿。
>「残念です。あちらの世界に転生し、堕落してしまったのですね……指環の勇者よ。
敵の甘言に心を惑わされ、みすみすこの聖地まで案内してしまうとは」
>「仕方ありません。まずは……彼らに大人しくなってもらう他ないようです。
構いませんね、アルバートさん」
アルバートが女王パンドラに説得を試みるも、予想通りというか話が通じる相手ではなく、戦闘が始まった。
>「四天を閉ざす雹雪よ、白光照らし凍てつけ――『ヘイルストリーム』」
>「10秒経ったら退避してください!範囲法術で焼き払います!」
>「逃げるのはてめえらじゃねえぞ!『フラッシュフラッド』!」
戦闘が始まるや否や、秒速で雑魚の掃討が行われた。雑魚が一掃され、ついに女王が立ち上がる。
その手に持つ錫杖には、純白の指輪が取り付けられていた。 「エーテルの指輪……!?」
>「……本当に残念です。この世界の指環の勇者たちが――この程度とはッ!」
>「我が勇猛なる英雄たちよ、魂すら残らぬ虚無より我の下に集え!『リターン』!!」
>「偉大な英雄たちよ、紛い物の勇者たちを魂ごと滅ぼしてしまいなさい!」
かつて全の竜が全ての属性を統べていたという時代に虚無の竜に挑んだ英雄達。
その影が現れ、新世界の勇者を打ち倒すべく歩んでくる。人数は――奇しくも8人。
実は属性は8つあるのではないかという憶測と奇妙に符合してしまっていた。
『……手伝ってくれとは言いません――ただ手出しをしないでいてくれれば』
テッラが、かつて旧世界の英雄達と共に戦ったのかもしれない守護聖獣達を気遣う言葉を掛けた。
「――バインディング」
ティターニアが使ったのは、魔力の植物を絡みつかせ身動きできなくする魔法。
すると旧世界の英雄のうちの一人が巨大なバトルアクスを一閃し、絡みつこうとする魔力をバラバラに断ち切る。
そのままの勢いでバトルアクスが地面に叩きつけられたかと思うと、一瞬にして轟音と共に床に地割れが走る。
どうやらこの英雄は大地の属性を操る者らしい。
ティターニアが地面の裂け目に飲み込まれようとした時だった。
地面に出来た裂け目を跳躍して横切る巨体――フェンリルが間一髪で前足でティターニアを掬い上げたのだった。
フェンリルの肩の上に乗せられ礼を言うティターニア。
「フェンリル殿……助かった」
『勘違いするな、貴様のためではない――だがテッラが貴様を選んだからには仕方がないだろう』
『フェンリル……』
『テッラ、貴様も貴様だ。手出しをするなとはどういうことだ。我では足手まといということか?』
何故かテッラとフェンリルが少しいい雰囲気になっている。
地底都市にて、フェンリルがテッラとずっと一緒にいたくて大地の指輪を一行を渡すのを拒んでいたことが思い出された。
「我、もしかしなくてもお邪魔虫……? 後はお二人に任せた方がよいだろうか」
基本的に魔法使いは知性を磨いた方が様々な魔法を使えるようになるが、
異なる二つの存在間で魔力を伝達するにあたって、知性は妨げになってしまう。
これが、自分以外の人格らしきものを持つ存在から力を借りる系統の魔法を使うにあたって、魔法使いがぶちあたるジレンマだ。
そこでこのジレンマを克服するため、魔術師達は敢えて何も考えない状態を作り出す訓練も積む。
ティターニアはこの技術を用い、テッラと同化することとした。 「テッラ殿、暫しそなたの依り代となろう。フェンリル殿と好きなだけ暴れるがよい。
竜装――アースドラゴン」
ティターニアはフェンリルの肩から飛び降りたかと思うと空中で指輪から放たれた黄金色の光に包まれ、巨大な竜と化した。
普段の竜装は指輪の竜の力のほんの一部を借り受け同化するものだが、これはその全部版。
テッラが地底都市にて見せた大地の竜の姿そのものだ。
『フェンリル! 来ますよ!』
『言われずとも分かっている!』
邪魔に入ったフェンリルを切り伏せんと突進してくる大地の英雄。
暫しバトルアクスとフェンリルの爪での激しい立ち回りが行われる。
その立ち回りは唐突に終わりを迎えた。不意に英雄の動きが止まる。
大地から生えた、石とも植物の根ともつかぬものがバトルアクスに絡みついている。
今度は先刻とは違い、簡単に切り飛ばすことは叶わない。
『テッラ!』
フェンリルが飛び退ると同時。
翼をはためかせて上空に滞空するテッラが吐き出した地属性のブレスが、大地の英雄に直撃。
跡形もなく消し飛んだように見えた。
『まぁ……貴様にしては上出来なんじゃないか?』
『デレてる場合じゃないでしょう、皆さんを加勢に行きますよ!』
意識の片隅でテッラは思う。
他の英雄達も、自らが操る属性と同じ属性の指輪を持つ者に狙いを定めているのだろうか。
まだ指輪が手に入っていないエーテル属性の英雄は……ジュリアンかアルダガかシャルムあたりを狙っているのかもしれない。
歴代のエーテルの勇者達には意外なある共通点が見られ、それは異種族が珍しくない指輪の勇者の中にあって、決まって純人種であることだ。
それも、純人種の中にごくたまに生まれる規格外の人間であると思われ――
つまり、現在の一行の中でエーテルの指輪を扱う素質があるのはその3人であることが推察されるのだ。 ディクショナルさんとジャンソンさんが敵陣へと突撃し、虚無の兵士達を薙ぎ倒す。
正直、あの二人だけでも問題なく彼らを全滅させられそうです。
……こうなる事は、女王パンドラにも分かっていたはず。
こちらの世界の指環の勇者……虚無の指環を持っていたアルバートさんが敗れた時点で、
いくら精鋭とは言えただの兵士が私達に勝てる訳がない。
なのに何故……。
>「10秒経ったら退避してください!範囲法術で焼き払います!」
>「逃げるのはてめえらじゃねえぞ!『フラッシュフラッド』!」
バフナグリーさんが神術の詠唱を始め、合わせるようにジャンソンさんが敵の拘束を図る。
ディクショナルさんは巻き添えにならないよう、一足先に後方へ飛び退いてきて……
「……お怪我は、なさそうですね」
なんだか無性に彼の事が気になって、私はそちらに歩み寄る。
それからディクショナルさんの右肩に左手を乗せて、背伸びをして、彼を見上げ……
「ですが……あれだけ派手に動いたから、ほら、髪が乱れてますよ。
この長さなら、髪留めを使ってもいいんじゃないですか?」
右手の人差し指で、彼の前髪を、すいと撫でる。
「男の人でも、落ち着いたデザインの物なら変じゃありませんし。
ほら、私の使ってるこれとか……あなたにもきっと似合いますよ。
これくらいの小物でしたら、魔法ですぐに作れますし……」
私は右手に軽銀の細いカチューシャを作り出して……
……や、やっぱり何かが変です、私。
私がディクショナルさんに、贈り物を?
しかもお揃いの髪留めだなんて。
い、一体何を考えて私はこんな事を……いえ、いえ、落ち着きましょう。
「あー……デザインは気にしないで下さい。
ただいつも身につけてるからイメージしやすかっただけです。
それに、私なら装飾品にエンチャントを施す事も出来ますし……」
そう、そうですよ。その鎧に高機動戦用の術式が付与されているように、
エンチャントが施された装備品の有用性は明らかです。
私はあくまで合理的な判断の下に提案をしているだけで……
「まぁ……もし私と一緒のデザインが嫌だと仰るなら、別に作り直してもいいですけど」
……な、なんで私は自分から話をややこしい方向に戻したんでしょう。
自分で自分が分からない……。
「……『フォーカス・マイディア』の反動がまだ残っている?そんなまさか……」
と、不意に玉座の方から大きな音がしました。
ジャンソンさんの指環による攻撃に加え、バフナグリーさんの神術。
完全に勝負は決したものだと思っていましたが……
>「……本当に残念です。この世界の指環の勇者たちが――この程度とはッ!」
「我が勇猛なる英雄たちよ、魂すら残らぬ虚無より我の下に集え!『リターン』!!」
「偉大な英雄たちよ、紛い物の勇者たちを魂ごと滅ぼしてしまいなさい!」
……まだ食い下がるつもりですか。
過去の勇者の召喚……降霊術の類でしょうか。
魔法?それとも神術?その技法には興味深いものがありますが…… 「……もうやめませんか。あなた達に勝ち目があるとは思えない。
私達は原住民の虐殺がしたい訳ではありません。
それに、あなた達にも分かっているはずです。この世界を救う術……」
私が言い終えるよりも早く、斧を構えた大男が突撃してくる。
狙いはティターニアさん……ですが、指環の力とフェンリルの援護を得た彼女に勝てる訳もなく。
かつての英雄は大地の竜のブレスを受けて……消えてしまいました。
……当然の結果です。
こちらにはかつて彼らの世界を統べていた、竜の力を宿す指環がある。
彼らに勝ち目があるとすれば……虚無の指環。
属性を奪う指環という、指環の勇者に対する圧倒的な相性の良さ。
そこだけが彼らの唯一の勝ち目だった。
そんな事は彼らだって分かっているはずなのに……。
残る七人の英雄……その一人が、深く項垂れ首を振りながら、溜息を吐いた。
「まったく、粗忽者め……気が乗らぬにしても、もう少しやり方というものを考えんか」
瞬間、彼らが動いた。
私達の懐に飛び込むようにして……剣と剣がぶつかり合う音が幾つも響く。
「こうなれば、竜の力を無闇に振り回す事は出来まいよ」
他の英雄に遅れてゆっくりと、私を見つめながら歩み寄ってくるのは……嗄れた声の老人。
白髪にモノクル、顔の下半分を覆う豊かな白ひげ。
黒いローブに、つばの広い三角帽子……これまた、分かりやすい相手ですね。
「お主……この世界の魔術師を超えている、とか言われておったのう。
それはつまり、この儂をも超えておるという事じゃろ?
にわかには信じられぬのう……一つ、確かめさせてくれぬか」
「……こんなの、無意味です。無意味な戦いだ。
もしかしたら私達の内、何人かが敗れ……だけど最後には、竜の力によってあなた達が負ける。
それだけの戦いでしかない。一体、どうしてこんな事を」
「それはどうかの。全てはやり方次第じゃ。例えば……」
不意に、私の周囲に幾つもの魔法陣が現れる。
そこから生じるのは無数の槍。
それらがまるで私を包囲するかのように檻を形成する。
ただの檻じゃない。これは大地の属性は地面や植物だけでなく、金属も象徴している。
それはつまり金属から生み出される物をも象徴するという事。
例えば檻や金庫、鎖に錠前。つまり……封印術ですね。
「お主を生かしたまま人質にするという手はどうかのう」
「……自分で言うのもなんですけど、効果的かもしれませんね」
……ですが、湧き水や川がそうであるように。
大地とは水を生み、呼び寄せる属性でもある。
そして水は金属を腐食させ……また植物を育む。
強固な槍によって構築された檻は錆びて崩れ落ち、代わりに草花へと変化する。
「友を呼べ、小さき踊り子。証明せよ、その姿。
その振る舞い。その暴威。来たれ見えざる盟友……『花びらの刃(サベッジブルーム)』」
そして植物はその揺らぎをもって、姿なき風の振る舞いに形を与える。
それはつまり、より確かなものにする……強化するという事。
花びらを纏い渦巻く風の刃が、老魔術師へと襲いかかる。
「……ねえねえイグニス様。本当に僕の事覚えてないの?」
わたくしに斬りかかってきた少年は、鍔迫り合いの最中、そう尋ねましたの。
わたくしの手元の指環に向けて。
「あなたが僕に、一つの国を任せてくれた時の事。僕は今でも覚えてるのに」
剣と、女王の毒針。この距離で刃を交えていながらも、彼の目はわたくしを見ていない。
炎の指環だけを見つめていて……なのに、強い。
剣を払い除けようと力を込めても、押し返せない。
確かにわたくしちっちゃいですけど、この身にはムカデの王を宿していますの。
そのわたくしが……完全に、力負けしているなんて……。
『……すまないが君の知るイグニスと、今ここにいる妾は別の存在だ』
イグニス様は静かにそう答えましたの。
『だが……そうか。君は妾が選んだ王だったんだな。
かつての妾も、今の妾と同じように、王を選んでいたのか』
ならば、と彼女は続ける。
『分かるね、フィリア』
「……ええ。あなたは、この戦いに力は貸さない」
『ああ、そうだ。君が君じゃなくてジャンだったなら、敵が彼じゃなかったなら、
私は構わず力を貸していただろう。だが彼はかつての王で……君は虫のおうじょさまだ。
ならば君は、君の力でこの戦いを乗り越えなくてはならない』
「……ふうん」
瞬間、少年の腕に一層の力が籠もる。
「だったら、ねえ、イグニス様。僕がこの子をやっつけたら、今度は僕の指環になってくれる?」
『……考えておいてあげよう』
「やった。変わってませんね、イグニス様。あなたは四竜の中でも特に超然としていた。
嬉しいです、あなたはやっぱり……今でも、僕の憧れたイグニス様なんですね」
お……押し切られますの!
わたくしは咄嗟に後ろに飛び退いて、体勢を立て直す。
力比べでは不利……ならば女王蜂の速さで撹乱すれば!
わたくしは稲妻のごとく飛びかかり、五月雨のように毒針を振り回す。
だけど……当たらない。
斬撃は全て防がれて、掠りもしない。
「……もしかして、これで本気なの?」
ようやくわたくしを捉えたその双眸には、蒼い炎が宿っていた。
……わたくしも炎の指環を手に入れてから結構な時間が経ってますの。
だから分かる。
炎とは活力の象徴。あの恐ろしい膂力と眼力は炎の属性によって得られたもの。 「残念だなあ……昔より、見る目は曇ったんじゃないですか?イグニス様」
少年の放った、ただ一回きりの、横薙ぎの斬撃。
その一撃が、私が右手の構えた女王蜂の毒針を、砂糖菓子のように叩き折った。
……強い。
力も、速さも、彼の方が上回っている。
だけど……だからって、諦める訳にはいきませんの!
まだ、手は残っている!
「っ、このぉ!」
一歩深く踏み込んで、折られた毒針で突きを放つ。
これがわたくしに残された唯一の手……意表を突く事。
「……浅はかだね」
そして……少年が剣を振り上げて、わたくしの右腕、その肘から先が宙を舞った。
彼は重力に捕まって落ちてきた私の右手を掴んで……炎の指環を見つめる。
「約束したよね、イグニス様。これで、僕の指環に……僕だけのイグニス様になってくれるんだよね」
『……ああ、確かに約束した』
イグニス様は平然とした口調でそう答える。
『しかし……残念ながら、やっつけられるのは君の方のようだ。君の指環にはなってあげられないな』
直後……彼の掴んだわたくしの腕が、無数のムカデへと変化した。
ムカデ達は彼の体を縛り上げる。
関節を制し、牙と足を肉に食い込ませ……
「なっ……」
次の瞬間には、わたくしは左腕に再形成した毒針を、彼の首元に突きつけていましたの。
「……わたくしよりも力持ちなヒトは、世の中には大勢いますの。
わたくしより速く動けるヒトも、賢いヒトも。
わたくし……まだまだ未熟で、足りないモノばかりですの」
……だけど。
「だけど……自分で言うのもなんだけど、わたくし、ヒトを見る目だけは少し自信がありますの。
だって、指環の勇者になって……沢山の素敵なヒトと巡り会えたから。
あなたなら絶対に、炎の指環を見逃さない……見逃せないと思った」
これで……勝負は決しましたの。
そう思いたい。そう……思って欲しい。
でなければわたくしは、とどめを刺さなきゃいけない。
彼は……もう生きてはいない、幽霊のようなものに過ぎないのかもしれないけど。
それでも……嫌なものは嫌ですの。
「……ふ、ふふ。参ったなぁ。王様が底を見抜かれてちゃ、完敗だよ」
そして……彼は悔しげに、そう笑いましたの。
その声からはもう戦意は感じない。
……良かった、ですの。
「あ、でも念の為に毒針で一回刺しときますの。失礼しますの」
「……やるだけ無駄、ではないでしょうか。あなた達に勝てる道理はない」
「あら、どうしてそう思うのでしょう」
踏み込んできたのは女性の剣士。
放たれたのは神速の刺突。剣先が見えないほどの速さ。
ですが……剣先の動きは手足の動きに追従する。
見えなくても視える。狙いは私の心臓。 弧を描く足捌き。
体を回転させて刺突を躱しざま、右手に作り出した長剣を薙ぎ払う。
対手の剣士は身を屈めそれを避ける。
切り返しで繰り出されるのは、脚への切り払い。
しゃがみ込んだ、不十分な姿勢であっても全身の捻りがそれを補う。
十分に肉を切り裂き、私の骨格に届く威力がある。
私は地を蹴り、その斬撃を飛び越える。事前に全身を回転させていた事で勢いは十分。
前方へと飛びかかりつつ長剣を突き出す。
対手はしゃがみ込んだ体勢から……更に姿勢を低く。
背中を地に預けるようにして私の剣を回避。
そのまま地面を転がり距離を取って……仕切り直し、ですね。
「……あなた達の世界、あなた達の生きていた時代には、争いがなかったと聞きました。
剣術とは人を殺める為の技術。あなた達にはそれを実践する機会のなかったのでしょう?」
……対手が身に纏う、華美な洋服。
その胸元に一筋の切れ目が開いた。僅かな出血も伴っている。
最初に放った横薙ぎの一撃が、刻んでいた傷。
「ダーマの剣術は、確かにあなた達の剣術を基礎にしているのかもしれません。
ですが……青は藍より出でて藍より青し。
起源である事と、それが優れている事は、まったく別の事です」
私の言葉に……対手は、ふっと笑いました。
「……何か、おかしな事を言ったでしょうか」
「いえ……あなたにとって剣術とは、その程度のものだったのかと思うと、つい」
瞬間、対手の剣が閃いた。
……レイピアの細さ、軽さを活かした、手首の先の動きのみで放たれる斬撃。
私はそれを長剣で防ぎ、いなす。
「……分かりました。言葉だけでは伝わらないのなら、実践にて示しましょう」
そう言って私は一歩前へと踏み出し……不意に、右腕に鋭い痛みが走った。
そして生じる、無数の刃傷。傷口から闇の魔素が溢れる。
……馬鹿な。斬られた私自身すら気づけないほど、鋭い斬撃?
「私達の世界には……ドラゴン様がいました。私にとって剣とは、人殺しの術ではありません。
剣とは。そう、剣とは……人の身に生まれたこの私が、ドラゴン様に近づく為の術」
対手が一歩前に詰め寄ってくる。
引き下がる……訳にはいかない。迎え討ってみせる。
襲い来る無数の斬撃……速い。防ぎ切れない。 「あなた達の世界にはなかったでしょう?
決して勝てない存在、ドラゴン様への憧れ」
憧れ?何を馬鹿な……この鬼気迫る剣術が、憧れから生まれた?
「御冗談でしょう。あなたの剣術を育てたのは、憧れなんかじゃない。
優れた技にはその使い手の感情が宿る。これは、この剣は……嫉妬の剣だ」
「あら……ふふっ、バレちゃいましたか?」
「そりゃあ……そもそも私に目をつけてきた時点で、ね」 対手の剣が、黒く染まる。
闇の属性……負の感情の、そして無限の可能性の象徴。
それはすなわち正体不明……極まり、それ故に決して見切り得ない剣。
闇とは本来、世界に存在しなかった属性。
それはこの旧世界においても同じのはず。
その属性に……彼女は努力と研鑽のみで、辿り着いた?
「……強い」
私は……勝てない。
一歩、後ろに大きく飛び退く。
追い詰めるかのように対手が深く踏み込んでくる。
必然、放たれる剣技は……突きになる。
私は、それを……再度前に踏み込む事で、敢えて受けた。
……このままでは、勝てないから。
私が勝つ為には、この戦法しかなかった。
剣先が私の胸を貫く。
ですが……そこに私の、ナイトドレッサーの急所はない。
驚愕の色を浮かべた対手の顔を長剣の柄で思い切り殴りつけた。
対手が剣から手を離して……崩れ落ちる。
「……やっぱり、勝てませんでしたね。
実践を伴わない剣の弱さはよく知っています。
私もかつて、同じ負け方をしましたから」
剣を遠くに蹴飛ばして、ついでに……彼女の手足の腱も切っておきます。
もし起き上がってこられたら……次は、同じ勝ち方は出来ないでしょうし。
……気がつくとわたしは、見た事のない場所にいた。
ぴかぴかの地面に天井。
おっきな山から削り出したみたいに継ぎ目のない、代わりに綺麗な彫刻の掘られた建物。
トレジャーハンターだった時のわたしなら、大はしゃぎしてたのかなぁ。
「それとも……もしかして、ここがアガルタってとこなの?」
ねえ、ワンちゃん……ワンちゃん?
ちょっと、無視しないでよワンちゃん。
……分かったよ、もう。
ねえフェンリル。ここが、あなたとテッラさんが守っていたアガルタなの? ……返事はない。
あれ?どういう事?
周りにはわたしと戦ってた女の人もいないし、ジャンさんも、ティターニアさんも……。
……この街を歩き回ってみるしかないのかなぁ。
わたしはふらふらと……ええと、とりあえずアガルタって事にしとこう!
わたしはふらふらとアガルタを歩き回る。
ううん、やっぱり誰もいない……。
……だけど、なんだろう。
なんだか……どこに行けばいいのかは、分かる気がする。
そうして歩いていくと……私は、多分、このアガルタの真ん中に辿り着いた。
そこには瓦礫の山があった。これは……
「……神殿?」
『違う。ここに祀られていたのは神ではない。竜だ。
あの小鼠の寝所にするには、過ぎたるものよ』
頭上から聞こえた声。
見上げてみると……いつの間にか、そこにはワンちゃんがいた。
「あ、ワンちゃん。もう、どこ行ってたのさ。
……もしかして、テッラさんとイチャイチャしてたとか?」
『先ほどお前達を助けた我と、ここにいる我は、別の存在だ。
ここにいるのは我の血と力より生じた……そうだな。怨霊、と言うのが最も的確か』
「怨霊?」
『そうだ。テッラは我が友だ。我は、どんな形でもいい。奴と共に在りたかった。
その思念が力と共に貴様の肉体に宿り……ここにいる、我が生じた』
「……あなたは、それでいいの?」
『聞かねば分からぬか。我は貴様の力となり、貴様は、テッラが選んだあのエルフの助けとなった。
そしてここまで来た。これより先も同じだ。
貴様らは、無事にこの旅を終えるだろう。それ以上何が必要だと言うのだ』
「……それを直接言ってあげれば、テッラさんもきっとあなたの事を見直すのにね」
『余計なお世話だ』
……だけど、あれ?
「それで……結局わたしはなんでこんなとこにいるの?」
『……覚えていないのか?』
あはは、お恥ずかしながら。
『いや……あれだけ嬲られればそれもやむなしか』
え?ちょ、ちょっと待って。今なんだかすっごく不穏な言葉が聞こえてきたような。 嬲られたって、私が?
詳しく説明してよ、ワンちゃ……
『あなたは、あなたを呼び戻す為にここに来たんです』
背後から声がした。
振り返ると、そこにはメアリさんがいた。
『光の属性が持つ、過去と未来を照らす力。
それを使って、あなたはここに来た。
自らを埋もれさせてしまった、かつてのあなたを呼び戻す為に』
「……前の、わたしを?え?え?どういう事?」 メアリさんは、わたしの質問に答えてくれない。
ただ静かに、崩れた竜殿を指差した。
『進んで下さい。時間がありません。
あなたでは、勝てなかった。スキルが必要です。
それがなければ……あなたは、戦う事すら出来ない』
……確かに、これ以上色々聞くより、自分で確かめた方が手っ取り早そう。
わたしは崩れた竜殿に歩み寄る。
瓦礫の山は、よく見てみるとぼんやりと透けるような、そんな破片が混じっていた。
これは……あ、手がすり抜ける。ここを通っていけばいいのかな。
透けた瓦礫や、瓦礫と瓦礫の隙間を通っていきながら、わたしは考える。
えっと、つまり……多分ここは、わたしの心とか?精神とか?そんな感じの世界の中で。
メアリさんが通れるようにしてくれたこの瓦礫の先には……前のわたしがいる。
それはつまり……わたしは、そうしないと勝てない相手と戦ってたって事だよね。
もし、前のわたしが戻ってきたら、このわたしはどうなっちゃうんだろう。
消えちゃうのかな。それは……少し、やだな。
……ううん、ホントは……すごく、いやだ。
怖い……心臓の鼓動がどんどん激しくなっていってる。
息も、苦しく……。
本当に、わたしじゃ勝てなかったのかな。
もしかしたら、頑張ればまだなんとかなったりとか……。
前のわたしだって、急に起こされたって困るかもしれないし……。
いつの間にか、わたしの足は止まっていた。
今まで進んできた道を、振り返る。
…………いや、やめよう。
わたしは、ジャンさんが好きだ。ティターニアさんも、スレイブさんも、みんなが好き。
わたしが、前のわたしになって……それでわたしが勝てるなら。
わたしが殺されずに済んで、みんなが悲しい思いをせずに済むなら。
……それはそれで、悪くないよね。ねえ、フェンリル?
そして……崩れた竜殿の、多分、一番奥。
大きな蔦に支えられて、綺麗なお花が沢山咲いた、開けた空間。
そこに……私がいた。わたしと同じ顔。だけどわたしより髪が長くて……大人びて見える。
わたしは、私に歩み寄って、その傍にしゃがむ。
「……ねえ、起きて」
眠っている私の肩を揺する。
小さな身じろぎをして……私は、目を覚ました。
「……私?」
わたしと目が合うと、私は不思議そうに呟いた。
「ああ……そっか。私の……レンジャーのスキルが、必要なんだね」
だけど私はすぐに何かを理解したみたいに、そう言った。
「分かるの?」
「分かるよ。あなたと私は、同じ肉体の中にある、別の記憶なんだもん。
一つのカップの中にある、コーヒーと、ミルクみたいなもの。
こうして私が目を覚ましてしまえば……勝手に、私達は混じっていく」 ……本当だ。わたしの中に、私の記憶が……染み込んでくる。
トレジャーハンターの、レンジャーとしてのスキルの数々が。
……ふと、地鳴りのような音が聞こえた気がした。
いや……違う。勘違いじゃない。
この竜殿が、揺れているんだ。
「え?え?なに?どうなってるの?」
「フェンリルの持つ大地の力は、私にも扱える。
ここを、もう一度埋めるの。今度は掘り返せないくらい深く。
もう、私のスキルの使い方は分かったよね。だから、早く戻りなよ」
「戻りなよって……あなたは」
「……私は、ここでいいの。私は……ジャンさんとティターニアさんを殺そうとした。
それでも許してくれた二人を裏切って、ここに一人閉じ籠もった。今更合わせる顔がないよ」
「……でも」
「それに、あなただって……あなたのままで、いたいでしょ?」
……その言葉は、わたしの心に深く突き刺さった。
「わたしの事はいいから……ほら、早く行って、ね?」
私は……戻りたくないって言ってる。
わたしは……消えたくない。わたしのままでいたい。
わたしも、私も、お互いに望んでいる事は同じ。
わたしは、意を決して立ち上がった。
……寝転んだまま、立ち上がろうとしなかった私を、両手で抱きかかえて。
「え?……ちょ、ちょっと?」
「知ってるよ。そういうの。ヒュミントって言うんでしょ」
そうだよ。わたしは、消えたくない。わたしのままでいたい。
だからと言って……ここに、私を置いていきたい訳じゃない。
だって、わたしが消えちゃうかどうかより、もっと大事な事があるんだから。
もし私がジャンさんだったら、ここで一人で帰ったりしない。
ティターニアさんも、スレイブさんも、きっと、みんなそう。
だからわたしも……一人で帰っちゃ駄目なんだ!
わたしは、私を抱えたまま、崩れゆく瓦礫の中を走る。
「駄目……駄目だよ!私は……もう、壊れているの!
罪の重さに耐えられなくて、壊れた人格……。
それがあなたと一つになれば、あなたもどうなってしまうか分からない!」
私の言っている事は、今度は本当。
私は本当にわたしの事を心配して、言ってくれてる。
だけど、
「大丈夫だよ。わたしは……ずっと、ジャンさん達を見てきたから。
あの人達が、正しい事をしようとするところを。。
勇気がどういうものなのか……ずっと、見てきたから」 竜殿の外に飛び出すと……アガルタは、光の中に溶けて消えようとしていた。
ここは、光の指環の力……万象を照らし見通す力によって創り出された、仮初めの、精神の世界。
その世界が消える。
それはつまり……わたしが、私が、あの戦場に戻るという事。
消えてしまうかもしれない。壊れてしまうかもしれない。
だけど……うん、我慢出来ない怖さじゃない。
だって私は……指環の、勇者だから。
……ラテ・ハムステルが祈るような所作で額に当てた、光の指環。
その指環が絶えず発していた光が、途絶えた。
だが……何かが起きたような形跡は見えない。
それどころかラテ・ハムステルは……膝を突いたまま、呆けていた。
目の焦点はどこにも合わず、口はぽかんと半開きになっている。
隙だらけの姿。花を手折るように、いかなる手段をもってしても容易く仕留められる。
何をしようとしていたにせよ……彼女は、失敗したのだ。
……そう見えるように、私は演じた。
レンジャーのスキル『ヒュミント』。
私の首を刈ろうと歩み寄ってきた、散兵風の女の人。
鋭く振るわれた短剣。
私は魔狼の瞬発力でその刃の内側へと飛び込んで……掌底を、放った。
手応えは……あった。だけど……浅い。
首の捻りで威力をいなされた。
「ひゅう、あっぶない。どしたの、急に人が変わったみたいにテクい事しちゃって」
旧世界の英雄さんは……一瞬よろめいたけど、すぐに体勢を立て直す。
でも退こうとはしない。微かな笑みを帯びた目が私を見下す。
見抜かれたんだ。私が、レンジャーとしてはそこそこ出来る程度の奴でしかないって事が。
たった一撃で。
短剣が踊るように襲いかかってくる。
光の属性によって生み出される、無数の『ファントム』と共に。
光の指環、メアリさんが幻影を相殺してくれて……つまりこの戦いは、私と彼女の純粋な技比べ。
その結果は……私の手足に、赤い線として刻まれていく。
「勘違いしないでね。別に私は相手を甚振る趣味とかないのよ?
たださっきの『ヒュミント』は、アレだけは……本当に人が変わったみたいに見事だったからさ。
まだ何か隠し持ってるんじゃないかと思ったんだけど……」
英雄さんの、目の色が変わる。
私を観察する冷静な視線が、私の殺し方を見定める冷徹な眼光に。
「何もないみたいね。じゃあ……悪いけど、終わらせてもらうね」
……強い。
わたしが勝てなかった相手。私に託してくれた相手。
だけど……駄目みたい。私も、彼女には勝てない。
短剣が閃きと化して、私の首元へと迫ってくる。 「はい、おしまい……」
その瞬間。
わたしは、渾身の力で前に踏み込んで、思いっきりパンチを繰り出した。
間合いが埋まった事で英雄さんの狙いがズレる。短剣はわたしの頬を浅く切る。
一方でわたしのパンチは……英雄さんのほっぺを、今度こそ完璧に捉えていた。
ぶっ飛んでいった英雄さんは……ぐったりと倒れて、動かない。
はー……強かった。わたしでも、私でも勝てなかったけど……。
だけど、ふふん……わたし達の勝ちだよ、英雄さん。
とりあえず……念の為、鎖で縛り上げといて、と。
みんなは、どうしてるんだろう。
多分みんな勝ってるだろうし……わたし達が一番最後、だよね。
……ジャンさんとティターニアさんに、なんて説明すればいいのかな。私達の事。
お別れの仕方があんなだったし、気不味いなぁ。
そんな事を考えながら振り返った私の目に映ったのは……
……白衣のあちこちが焼け焦げて、破れて、切り裂かれた……シャルムさんの姿だった。
『サベッジブルーム』が老魔術師へと襲いかかる。
彼は防御魔法を展開しようとはしない。
代わりに使用された魔法は……『灼熱の槍(バーニングスピア)』。
……風は炎を煽り、その火勢を激化させる。
属性変換による魔法の流用。私がした事をそっくりそのままやり返そうって腹ですか。
ふん、お年寄りのくせに負けず嫌いな……。
放たれた灼熱の槍を、『ストーンウォール』にて防御。
そして炎は大地から金属を呼び出し、変化させる。
属性変換……生み出すのは、膝丈ほどの人型ゴーレム。
十を超えるゴーレムの群れが老魔術師へと襲いかかり……炎の魔法によって爆破される。
「……おや、返してこないんですか。先ほどの自信はどうされました」
「ほほ、そう焦るでない。こんな手ぬるいやり取りでは、なかなか実力の差が見えてこぬじゃろ」
「ははあ、それは失敬。では……お手並み拝見させて頂きましょうか。いつでもどうぞ」
老魔術師は私に右手を、その人差し指の先を突きつけると……魔法が迸る。
「手出しは無用ですよ、クロウリー卿。魔術師として勝負を挑まれたのです。
応じなければ主席魔術師の名が泣きます」
再び魔法の応酬が始まる。する事は何も変わらない。
相手の魔法を流用し、時に防ぎ、打ち消しつつ、撃ち返す。
ただ……炎、水、大地、風、光に闇。
飛び交う魔法の数と属性が、一つ、また一つと増えていくだけで。
……ふむ、確かに言うだけの事はある。
魔法の構築、再構築の速度は……まぁ、今の所は互角かもしれませんね。
無論、長く続ければ形勢は私の有利に傾くでしょうが……。
こんな無為な戦いを、長々と続ける気はありません。
私は『ナイト・ブリーチャー』と『ドーン・ブレイカー』を抜く。
放たれた二発の銃弾は……老魔術師の防衛網を潜り抜けて、彼の纏うプロテクションに亀裂を走らせた。
そう、私の開発した魔導拳銃。
これらは魔導適性の低い人間の魔術的育成が主たる目的。
ですが……一方で、熟練した魔術師同士の戦いにおいても非常に有用なのですよ。
私達魔術師は、基本的に意識一つで魔法が使えます。
その意識の集中を促す為に指の仕草や、杖を用いる事はありますが。
ともあれ、裏を返せば、一人の魔術師が同時に使用出来る魔法の数には限度がある。
集中力……意識の限界が、魔法の行使の限界。
でも私の魔導拳銃を撃つのに、集中力はいらない。
こちらは何も考えず、ただ魔力を流すだけでいい。
しかし相手は防御に意識を割かざるを得なくなる。
だから……ほら、私の手数が上回り始めた。
老魔術師を守るプロテクションに次々に亀裂が増えていく。
防壁の修復速度を、『賢者の弾丸』の破壊力が上回っている。
「むう……魔道具か。些か、無粋ではないかのう」
老魔術師が顔を顰める。いい表情ですね。
思わず、笑ってしまいそうなほどに。 「いいえ。これは私の発明品です。オリジナルの魔法を使うのとなんら変わりませんよ」
悪びれもなく私は答える。
「……ふむ、なるほど」
老魔術師は小さくそう呟いて……一瞬、寒気を感じるような眼光が、私を睨んだ。
「では……儂も、儂のオリジナルをお披露目させて頂こう」
老魔術師の右手が、彼の懐へ潜る。
取り出されたのは……一本の杖を取り出した。
「お主のそれと同じく、魔法とはちと違うがの」
そして彼はその先端を空中に、手遊びのように走らせる。
杖に通った魔力が宙に魔法陣を描き……プロテクションを、再展開させる。
それでいて魔法の応酬には、何ら遜色はないままで……。
つまり、彼は……まったく手元に意識を割かないまま、魔法陣を描いてみせた?
まさか……そんな事、不可能です。
不可能としか思えない……だけど、彼は確かにそれを為してみせた。
「どうじゃ。お主の魔道具も相当な逸品じゃが……儂の杖捌きも、なかなかどうして、悪くなかろう」
悪くないですって?
わざとらしい謙遜を……。
この私と魔術戦を繰り広げながら、全くの無心で、寸分の乱れもなく魔法陣を描く。
そんな芸当が……どれほどの訓練を積めば出来るようになるというのか。
……ですが、こちらの魔導拳銃は二丁。
まだ、手数では私が上回って……
「おや、お主……まだ余裕がありそうじゃの。では……これならどうか」
老魔術師が、左手にも、杖を持った。
「……馬鹿な。そんな事、出来る訳が」
「ほほ、やっと愉快な顔になったのう」
二本の杖が同時に、別々の魔法陣を描いていく。
手数が追いつかれた。いや……焦るな。
確かにあの技術には驚きましたが、別に私が上回られた訳じゃない。
ただ互角の勝負に戻っただけの事。
時間さえかければ、勝つのは私に決まって……
「楽しいのう。磨いた技を見せびらかすのは、幾つになっても」
……そう笑った老魔術師の両手に、指の間に挟むように、三本目、四本目の杖が加えられた。
二対四本の杖の先端が、まるで独立した生き物のように、魔法陣を構築する。
……手数が、上回られる。
魔導拳銃を介して展開したプロテクションが破壊されていく。
再展開が追いつかない。
渦巻く炎が、水の刃が、鉄鎚の如き風圧が、木枝の槍が、この身へと届いてくる。 「シアンス!」
「手出しは無用と言ったはずです!」
背後で叫ぶクロウリー卿を、その声に負けないくらいの怒鳴り声で制する。
……認めましょう。確かに私は、手数では彼には勝てないようです。
ですが、それなら別の方向性で勝てばいい。
私になら、それが出来る。
……旧世界の英雄。いけ好かない、老魔術師。
彼が見せた杖捌き。その技術は、悔しいけど……美しい。
芸術的です。私には再現し得ない芸術性が、そこにはある。
だけど、だけどそれでも、私の方がすごいんです。
そうでなくてはいけないんだ。
私が一番すごいんだって、そう言ってくれた人がいたから。
……ディクショナルさん。
初めて出会ってから、つい昨日までは、あなたの事なんていけ好かない人くらいにしか思っていなかったのに。
だけど今では、あなたのくれた言葉を思い出すと……とても、健やかな気持ちになれるんです。
防ぎ切れなかった魔法に刻まれた、打撲や切創の痛みも、気にならなくなって。
「……『フォーカス・マイディア』」
そして私は、自らの魔術適性を強化。
……瞬間、私の周囲に幾つもの魔法陣が現れる。
「……残念じゃ。残念極まる。正直なところ……お主は確かに、この世界の魔術師を超えていった」
これは、炎の属性……活性化の魔法?
「お主のその魔道具も、編み出した魔法も、儂には到底思いつかぬ代物。
儂がお主よりも勝っておったのは精々、手先の器用さくらいのものよ」
体が……熱い。息が……苦しい。
……そうか。この魔法陣は……私の体を、頭脳の働きを、活性化させているんだ。
『フォーカス・マイディア』の反動が、すぐさま症状として現れるように。
見られていたんだ。アルバートさんとの戦いが。
初めから私に……これを、使わせるつもりで………………。
「……頭が煮えたか。最早、魔法は使えまい……じゃが、それでもまだ生きておる。
のう、そこの魔術師殿。降参してくれぬか。その娘を庇いながらでは、儂には勝てぬよ。
時が経てば、その娘。命すらも危うくなるぞ」
「ふざけるな……!貴様をすぐに滅して、治癒を施せば……」
不意に、大きな音が響いた。
老魔術師のすぐ傍の地面が抉れている。
……それは、上空に形成された『ドラゴンサイト』から放たれた弾丸による現象。
「……その必要はありませんよ、クロウリー卿」
私が声を発すると、老魔術師の表情が驚愕の色に染まった。
ふふふ、驚いてくれたようでなによりです。
「……馬鹿な。何故、無事なのだ」
「失敗作の魔法を二度発動するほど、恥知らずな魔術師ではありませんのでね」 そう、既に改良済みなんですよ。
増強された魔術適性によって自分の体を過冷却する。
伝染病の対症療法と同じです。
なんらかの原因によって体温が上がるなら、その上昇量を上回る冷却を施せば、とりあえず致命的な現象は避けられる。
並行して治癒の魔法を使い続ければ……反動が看過出来ない症状として顕在化する事を遅らせられる。
つまり……魔術的リソースの一部を使用する代わりに、安全に使用可能な制限時間を設けた訳です。
「さて。とは言えあまり時間がありませんのでね。さっさと封印をさせてもらいますよ」 形成している『ドラゴンサイト』は一体のみ。
ですがそれでも、あまり長くは維持出来そうにありません。
まぁ無理をしている事に変わりはありませんからね。
「殺さなくてもよいのかね」
「あの女王様が素直にお喋りしてくれるとは限りませんからね。
それにあなたは旧世界の優れた魔術師です。
帝国に連れ帰れば皇帝陛下も喜ばれるでしょう」
「……そりゃお主ならそれくらい可能かもしれんが。
新世界の魔術師にはモラルというものがないのか……?」
「冗談ですよ。本気にしないで下さい」
老魔術師の体を構築する魔力に、楔を打ち込むように封印を施す。
『フォーカス・マイディア』を解除して……少し、目眩がしますが、これくらいの反動は許容範囲です。
「……これでよし、と」
封印術が完了して、さてお次は……
「それでは、お手数ですが……あなたから女王様に、戦いをやめるよう改めて進言して下さい。
全の属性を司る英雄である、あなたが敗れたんです。もうあなた達に勝ち目はないでしょう」
老魔術師は……答えない。
「……私は、私達は別に、この世界を滅ぼしたり、あなた達に報復がしたい訳ではありません。
むしろ……何故、あの女王がこの世界を救おうとしていないのか。私にはそれが分からない」
やはり返事はない……妙ですね。
この期に及んで、無駄な抵抗をするような方ではないはずですが。
「……残念じゃが、儂はそんな大層な肩書は持っておらぬよ。
全の属性の英雄は、儂ではない」
……なんですって?
じゃあ、一体誰がその相手を……。
【なんでこんな無謀なチャレンジしたんだろうって気持ちでいっぱいです】 アルダガの指示に従い、スレイブが跳躍術式でその場を離れると同時。
不死者たちも攻撃の予兆を察知したのか潮の如く戦闘領域から退かんとする。
>「逃げるのはてめえらじゃねえぞ!『フラッシュフラッド』!」
退却の動きを阻んだのは、ジャンの行使した激流の術式だった。
四方から戦場の内側へ向けて召喚された鉄砲水が、不死者たちを呑み込んでパンドラの座す玉座へと押し流す。
そこへ、詠唱完了したアルダガの法術が光の豪雨となって降り注いだ。
バックステップしたスレイブは破壊の雨を視界に収めながらシャルムのすぐ傍へと着地。
退避の場所に彼女の傍を選んだ理由は特にない。完全になんとなくであった。
シャルムは自身の呪縛を克服し、その身に魔法を取り戻した。
スレイブが傍で護らずとも、もはや不死者が彼女を害することは不可能だろう。
しかし……アルバートとの死闘を制したあと、シャルムが掴んだスレイブの袖。
まるで未だに袖を引かれ続けているかのように、スレイブは彼女の元へ戻ってきてしまった。
彼女はただの癖だと言っていたが、スレイブにはその行動が、僅かに残ったシャルムの不安の発露のように見えた。
指環の勇者たちのようにお仕着せの大義など持たず、ただ己の信念のみを指針として世界の存亡に立ち向かうシャルム。
仮借なく吹き付ける向かい風から彼女をこの世界に繋ぎ止める、楔くらいにはなれるはずだ。
>「……お怪我は、なさそうですね」
どうにも気恥ずかしさが勝ってシャルムの方を見ようとしないスレイブに、シャルムが歩み寄って来る。
彼女はスレイブの肩に手をかけて、身長の差を埋めるように背を伸ばし――
>「ですが……あれだけ派手に動いたから、ほら、髪が乱れてますよ。
この長さなら、髪留めを使ってもいいんじゃないですか?」
――指先でスレイブの前髪を払った。
(な……っ!?急に何をし出すんだこの女!?この状況でやることか!?)
アルダガの法術で不死者の軍勢の大部分を滅したとはいえ、戦闘中であることに変わりはない。
女王パンドラの能力はまだまだ未知数で、予断も油断も許されない状況のはずだ。
あまりに不用意な行動は余裕の現れか、はたまた敵の動きを誘って後の先でも取ろうとしているのか。
なるほど、迎撃用に魔法を行使するだけのリソースを残しつつ、『隙』を演出するには合理的な手段かも知れない。
>「男の人でも、落ち着いたデザインの物なら変じゃありませんし。ほら、私の使ってるこれとか……あなたにもきっと似合いますよ。
これくらいの小物でしたら、魔法ですぐに作れますし……」
(魔法を使っただと……!?)
前言撤回、シャルムは普通に魔法を使って何やら手元に小物を創り出した。
敵を目前にして攻撃用でも防御用でもない魔法にリソースを費やし始めた主席魔術師は、軽銀製の髪留めをスレイブに手渡す。
洗練された意匠を施したカチューシャは、シャルムの長髪を纏めているのと同じものだ。
スレイブがカチューシャとシャルムの髪留めを無言で二度見していると、シャルムの挙動が唐突に不審になった。
>「あー……デザインは気にしないで下さい。ただいつも身につけてるからイメージしやすかっただけです。
それに、私なら装飾品にエンチャントを施す事も出来ますし……」
「そ、そうだな……これなら、視界を確保しつつ頭部の防御も同時に行える。合理的だな……!」
シャルムが自分に言い訳するようにまくしたてるのに、スレイブも早口で同意する。
ウェントゥスが『おそろいじゃ、おそろい』と心底愉快そうに生暖かい眼を向けるが、いつものような反論さえ出てこない。
>「まぁ……もし私と一緒のデザインが嫌だと仰るなら、別に作り直してもいいですけど」
「いや、これで良い。これが良い。人から物を贈られるのは初めてなんだ、似合うと良いが……」 シャルムが髪留めを取り返すより先にスレイブは自分の髪にそれを留めた。
エンチャントを施される前なので合理性も何も自分でかなぐり捨てた形になったのにスレイブは気づいていない。
伸びすぎた前髪を髪留めですべて掻き上げて、前を見る。 戦場のど真ん中で男女が二人挙動不審になっている端で、不死者たちは壊滅状態に追い込まれつつあった。
不死なる者に対して覿面に威力を発揮するアルダガの神術が、不死の根源を浄化し、冷たい躯を砕いていく。
しかし敵もさる者、女王直属の護衛官らしき神官が抜け目なく障壁を張り、神術の雨から女王を庇護していた。
>「……本当に残念です。この世界の指環の勇者たちが――この程度とはッ!」
立ち上がった女王が純白の錫杖を振るい、空中に魔法陣を描き出す。
その文様は、帝国にもハイランドにもダーマにもない、旧世界に遺された僅かなるもの。
未だ新世界の人類が到達し得ない――反魂の術式。
>「偉大な英雄たちよ、紛い物の勇者たちを魂ごと滅ぼしてしまいなさい!」
虚無より萌え出たのは、それぞれ異なる武装に身を包んだ8人の影。
不死者のような青白い肌ではない。血の通った暖かみのある四肢に、意志の満ちた双眸。
「馬鹿な……!本当に死者を蘇生したと言うのか……!?」
旧世界の英雄たちと、指環の勇者たち。
奇しくも数は同じ――各々が操る属性も、都合八つ。
英雄たちの中の一人が、スレイブの方を見て、親指で外を指した。
場所を変えよう、ということらしい。
周囲のすべてを切り刻みかねない風の刃は、乱戦向きとは言えない魔法だ。
提案は、スレイブにとっても都合が良かった。
スレイブが跳躍術式で飛ぶと同時、誘った英雄もまた風を纏って宙を舞った。
二つの影は全竜の神殿の空を横断して、玉座の間から離れた庭園へと着地した。
『ええんかお主、相手の土俵にノコノコ上がってしもうて……明らか孤立を誘う罠じゃろこれ』
「孤立するのは向こうも同じだ。それに……旧世界の英雄を真っ向から打倒してこその、俺たち新人類だろう」
『あの帝国女の影響めっちゃ受けとる……』
そのとき、庭園を突風が洗った。
瓦礫の擦れる着地音に見上げれば、傍の建物の上に立つ一人の男。
スレイブを誘った旧世界の英雄だ。
「や、悪いね。あっちの連中他を巻き込むってことをまるで考えない脳筋どもでさ。
放っとくと際限なくドンパチやらかすからおちおち話も出来ないんだ」
革製の外套に鍔の広い帽子を被ったその男は、玉座の間の方に視線を遣って肩を竦めた。
無造作に切られた硬質な髪に疎らな無精髭。スレイブよりも一回り歳を重ねているように見える。
そして、背には黒い得物――銃身から銃床に至るまでブラックオリハルコンで出来た長銃を提げていた。
継ぎ目のない削り出しの逸品。旧世界の冶金技術の高さが窺える。
「旧世界じゃ、他人を見下ろしながら会話するのが礼儀だったのか?女王の教育も知れたものだな」
「あーそこも申し訳ない。見ての通り俺は銃手でね、地の利を取るのは職業病なんだ。
……まぁ、君の女王様に対する侮辱はこの無礼とチャラってことで聞き流しとくよ」
皮肉をさらりと躱されてスレイブは二の句を継げなかった。
代わりとでも言うように、鞘から剣を抜いて構える。
「おいおい、話がしたいって言ったろ。
銃手がわざわざこんな至近距離まで来てるんだぜ、剣士相手にだ。少しぐらい酌量してくれよ」
「今更何を話すことがある。女王様とやらの命令は指環の勇者の殲滅だろう。
最早言葉は要らない……銃声と剣戟が、俺たちの会話だ!」 スレイブの指環が輝き、彼の周囲に無数の魔法陣が展開する。
ウェントゥスの編み上げた術式が真空の刃を生み出し、銃手目掛けて殺到した。
対する風の英雄も片手で指を鳴らすと、スレイブと同数の魔法陣が迎撃の刃を生む。
双方の魔法が激突し、弾けた魔力が光の飛沫を上げる中、スレイブは疾走を開始した。
「結局こうなるのかよ!指環の勇者の中じゃ一番陰気臭くて話が通じやすそうだと思ったんだけどなあ!」
銃手は非難の声を挙げつつも、その動作に揺らぎはない。
提げていた長銃を片手で回転させて構え直すと、迫りくるスレイブへ向けて発砲した。
風を巻いて飛翔する鉛の弾丸に対し、スレイブは長剣を一閃。
分かたれた弾丸がはるか遠くの地面に二つの弾痕をつくる。
「当たり前のように弾を斬るな君は!」
「ただの鉛弾が当たると思うな。もっと速くて強烈な弾丸を、俺は星都に来てから何度も見てる」
二度、三度と断続して放たれる弾丸を全て断ち切って、ついにスレイブは銃手へ肉迫した。
右から袈裟掛けに振るった長剣を、銃手はその手に握る長銃で受ける。
鋼鉄を紙の如く引き裂くスレイブの斬撃は、しかしブラックオリハルコンとの純粋な硬度差によって阻まれた。
間髪入れずに左の魔剣で刺突――これも巧みに角度を調整した長銃が弾く。
神速の二連撃を凌ぎ切られてなお、スレイブは犬歯を見せて吠えた。
「舐められたものだな。剣士の間合いに銃一つで何が出来る!」
「俺だって君が話の出来ない奴だって分かってたらちゃんと間合いとってたよ!」
「ならば貴様の敗因は、戦場で悠長に会話が出来ると錯誤していた、想定の不足だ」
「開き直ってんじゃねえよっ!」
銃手は吐き捨てつつも長銃の銃床を槌の如く振るう。
受けたスレイブの長剣が火花と共に軋みを上げるほどの痛烈な叩きつけ。
恐ろしく頑丈で、そして重い銃だ。それを銃手は小枝を振るうように操ってみせる。
剣と銃床、鋼とブラックオリハルコンの連続した激突は大気を震わせ、あたりに火花が満ちていく。
「ああもう面倒くさいな!俺いい加減他の人とお話しに行きたいんだけど!」
「首から上だけで会話が出来るなら、今すぐ望み通りにしてやる」
「すごいこと言うなあ君!」
幾度となく斬撃を銃身で防ぎながら、銃手は距離を取らんと後退。都度スレイブは距離を詰める。
攻勢一方。ほどなく壁際へ追い詰め、致命の一撃を叩き込むことができるだろう。
しかし、銃手の表情に追い詰められた者の動揺や怯えはない。
「銃手の脅威は射程。近づいてしまえば、剣の間合いに入れてしまえば容易く殺れる。……そう考えてないか?」
「自分は違うとでも言いたげだな」
「まあな。銃手が接近戦に弱いなんてのは、射程と脳味噌の足りない剣士共の創り上げた幻想だよ。
ちょっとでも射撃を齧ったことのある奴ならみんなすぐに気づくはずだぜ。
――銃ってのは、的が近いほど当たりやすいってことにな」
瞬間、スレイブの足元で何かが弾けた。
銃手が剣撃を長銃で受けたまま引き金を引き、発射された弾丸がスレイブの足を撃ち抜いたのだ。
まともに構えてすらいないにも関わらず、脚部を覆う鎧の関節部を正確に射抜く、恐ろしく精密な射撃だった。 「っぐ……ぁ!」
這い登ってくる灼熱感と激痛を意志の力でねじ伏せて、無事な片足で跳躍する。
後方へ――そこは剣が届かず、銃だけが一方的に攻撃できる銃手の間合い。
接近戦のアドバンテージを失ったスレイブに、銃手は仮借なく銃撃を連発する。
咄嗟に張った防御魔法は二三発ほどで呆気なく貫通し、四肢にいくつもの銃創が空いた。
「遠間から一方的に撃てるのが銃の利点だけど、離れるほど的は小さくなって当てにくい。
百発百中のコツはな、当たる距離まで近づくことさ。密着すりゃ弾は絶対当たる。
するとどうだ、銃はどんな態勢からでも予備動作なしで高威力の攻撃ができる、最強の近接武器になるわけだ」
「言うは易しだな……!接近戦を捌きながら……正確に引き金が引けてたまるか……!」
膝を突きながらスレイブは吐き捨てる。彼の使える治癒魔法は簡単な止血程度しかできない。
穴の空いた手足を、無傷と遜色なく動かすことは不可能だ。
「お、ようやく会話が成立したな。んーでももう一発くらい撃っとくか」
銃手は無感情に引き金を引く。
スレイブの頭部を狙った弾丸は、しかし彼の周囲を渦巻く風によって軌道を逸らされ地面を穿った。
ウェントゥスの張った結界だ。指環から湧いた幻体が、スレイブの傍に立った。
『言わんこっちゃない……イキりすぎじゃお主』
「ああもう邪魔すんなよ、"紛い物の"ウェントゥス。
俺たちの世界に居た頃のあんたは、人間なんかソッコで見限る冷たい竜だったぜ。
ケツァクなんかガチでビビっててさ、あんたが虚無の竜に喰われたときはそりゃあもう複雑な顔してたもんさ」
『かつての儂がどんなんだったか知らんがの、今じゃって別に人間に肩入れしとるわけじゃない』
「へえ?」
『お主らの言う"新世界"は……虚無の竜の腹の中に散らばった断片をかき集めて、儂らが創り上げた世界じゃ。
紛い物じゃと?訳知り顔で軽々しく抜かすな。お主らの埃被った世界なんぞより百倍ええ所じゃわい』
スレイブの隣で鼻を鳴らすウェントゥスに、銃手は肩を竦めて答えた。
「否定はしないよ。俺もそっちの世界に居たことあるしね」
「……なんだと?」
銃手の言葉に目を剥くことになったのはスレイブの方だ。
旧世界を虚無の竜から護る為に散っていった英雄が、新世界を知っている。
その不合理は、しかし不可解ではない。つい先刻、実例を見たばかりだ。
「黒竜騎士の他にも、旧世界から転生した者がいたのか……!」
「そういうこと。ジョラス……えっとお前らの世界じゃアルバートか。
俺はあいつの前、だいたい今から百年ちょっと前に、同じように転生の任を仰せつかってね。
7つの指環を旧世界に持ち帰って、世界を一つに取り戻す……本来それは、俺の役目だった」
「だが、指環が今もこうして新世界の俺たちの手にあるということは……」
「お察しの通り、任務は失敗だったよ。俺は、あいつのようにはなれなかった。
最初のクジ引きで大外れを引いちまったのさ。転生したのはハイランドの片田舎の小さな農家。
まともなコネもないただの農民には、指環の勇者なんて大役は手が届かなかった」
銃手は目を伏せて、己の得物を指先で撫でた。
顔を出した感情は悔恨か、それとも単なる懐古なのか……窺い知ることはできない。 「ダーマに渡ってケツァクと合流しようとしたんだけどな、実用水準の飛空艇なんてまだ無かった時代だ。
城壁山脈を徒歩で越えられなくて、そこで俺は死んだ。多分まだ山頂あたりに俺の骸骨が転がってるだろうよ。
結局土産に出来たのは、当時の黒騎士から奪ったこの長銃だけってわけだ」
「……なるほど、だから次の転生者は黒騎士なのか。指環の勇者のポストを、より確実に狙うために」
黒竜騎士アルバート・ローレンスは、確か帝国の名門軍閥の生まれだったはずだ。
銃手の失敗から学んだ女王は、次の転生先を吟味したのだろう。
指環の勇者に足る資質を持った血筋と、指環探索のバックアップを受けられる身分を揃えるため。
そうして白羽の矢が立ったのが、帝国軍部に強いコネクションを持つローレンス家だったというわけだ。
「もうちょい正確に言うと、当たりを引くまで転生先のクジを引き続けたのさ。百年かけてな。
そうしてようやく、アルバートという成功例が出来た。世界は、それで救われるはずだった」
だが、そうはならなかった。
期待通り黒騎士となり、国家のバックアップを受けながら指環を探す任についたアルバート。
しかし彼からは、肝心の記憶が失われていた。つい過日まで、彼は一人の新世界の民だった。
そして、帝国人としてのアルバートが築いたつながりが、皮肉にも彼を指環から遠ざけている。
「ウェントゥスの言う通り、そっちは良い世界だよ。水も空気も、生も死も、何もかもが瑞々しい。
だから、新世界でぬくぬく暮らしちまったアルバートの奴を責める気にもならない。
こんな終わりかけの世界にいつまでも固執してる、女王様の方が俺には理解に苦しむね」
「それなら……!」
失血し、震える脚を剣で支えながら、スレイブは立ち上がって叫んだ。
これだけの長口上を聞いても、回復は遅々として進まない。
銃手もそれが分かっているから、こうして悠長に会話を続けているのだ。
「それなら何故、俺たちと敵対する!?虚無の竜から世界を救いたいのは、あんただって同じのはずだ!」
「そうとも、俺は世界を救いたい」
銃手は眉一つ動かさずに答えた。
「俺にとっちゃ、救われるのは旧世界でも新世界でもどっちだっていいんだよ。
旧世界は俺の大事な故郷だし、新世界の未来も魅力的だ。俺はあっちにも友人や家族がいたしな。
どちらにせよ……世界を救う英雄は、俺でなきゃ駄目なんだ。君ら新世界の勇者なんかじゃなく」
その双眸に浮かぶのは、怒りとも絶望とも異なる、スレイブとってまったく未知の感情。
きっと死ぬまで理解することはできないだろう。通じ合うにはあまりにも、隔てた時間が永すぎる。
「世界を救うために、俺たちは戦い続けてきた。百年、千年、万年、ずっとだ。
ポっと出の指環の勇者に世界を救われちまったら、俺たちが重ねてきた犠牲はどうなる?
転生を重ねて精神を擦り切らせた英雄たちは!魔力を捻出するために薪になった連中は!
永久に溶けることのない城壁山脈の雪の中で、誰にも顧みられることなく死んでいった俺は!
世界を救った英雄の影で、単なる失敗例として忘れ去られていくのか?」
「そんなことは……!」
そんなことはない、とは言えなかった。
彼らの戦いを知る者は、指環の勇者を除いて他にいない。
犠牲を弔おうにも、偲ぶべき者たちの顔も名前も、分かりはしないのだ。 「もう後には引けないんだよ。俺たちは、英雄にならなきゃいけないんだ。
俺たちを信じて、自ら犠牲になっていった連中に報いる方法は、それ以外にない」
「…………!」
スレイブは身体の中を雷鳴が駆け巡っていくような錯覚を感じた。
積み上げてきたものが違いすぎて、理解することなど不可能だと思っていた旧世界の英雄の、
しかし心の一片だけは、はっきりと彼にも感じ取ることができた。
「だったら尚更、あんた達に負けるわけにはいかないな」
スレイブは再び剣を構える。
傷ついた腕ではうまく力が入らず、切っ先は頼りなく宙を彷徨っている。
それでも、柄を握る手だけは、救いの手を掴むかのように剣を保持できている。
「俺が殺してきた者達。俺を支えてくれる者達。彼らに報いるために、俺は剣を握り、ここまで来た。
彼らが生きて、そして死んでいった意味は、他の誰でもない俺自身が創り出すものだ」
同胞殺しの咎に惑い、苦悩していたスレイブが、旅の果てにようやく見つけた答え。
奇しくもそれは、対峙する銃手の担うものと同じだった。
「……君と俺とを一緒にするなよ。背負った命の数が違い過ぎるだろ」
「ならばあんたを打ち倒して、あんたの背にあるものも俺が担おう。
俺の背にある数百と、あんたの背にある数万の命。英雄の座に――全員俺が連れていく」
「誰がくれてやるもんかよ。そいつは俺の役目だ。欲しいなら――俺から奪ってみな」
スレイブは膝を曲げる。跳躍魔術が脚に宿る。
骨自体は砕かれていないが、無数の銃創に穿たれた四肢ではかつてのように跳べはしないだろう。
十全の機動力を持つ銃手なら、今のスレイブの突進よりも速く後退し、間合いの外から射撃が出来るはずだ。
自分で走って追いつけないなら……誰かに背を押して貰えば良い。
「ウェントゥス、俺の跳躍に合わせて追い風を頼む。俺をあいつのところまで吹き飛ばしてくれ」
『お主マジで言っとるのか……?空中で狙い撃ちにされるのがオチじゃろそれ』
「それで良い。防御はこっちでやる」
とは言え、吹き飛ばされれば地に足を着けられない。踏ん張りが効かず、剣を振るうのは不可能だ。
つまり、これまでのように弾丸を断ち斬って躱すわけにはいかない。
頼みの綱は防御魔法のみ――おそらく、全身をくまなく護ることは出来まい。
頭か、四肢か、どこか一箇所のみに魔力を集中させて、それでも一度だけしか弾丸を防げないだろう。
銃撃を防ぎきり、勢いを殺すことなく剣を振るって当てる。
(考えろ――)
防御できるのはどこか一箇所だけ。発砲を見てからでは当然間に合わない。
銃手がどこを狙ってくるのかを読み切り、撃たれる前に先行して防壁を張っておく必要がある。
考えろ。銃手の思考を読め。
剣を構えて飛んで来る剣士を仕留めるにはどこを狙うべきか。
脚はまず除外されるだろう。脚を撃ち抜いたところで、吹き飛ばしの速度が落ちるわけもない。
胴や心臓、これも違う。鎧に阻まれれば無意味だし、仮に心臓を破壊しても死に至るまで数瞬かかる。
確実に仕留めるなら頭を狙うか、あるいは剣を握る腕を撃ち抜いて攻撃手段を奪うはずだ。
剣を握れなくなったスレイブを殺すのに、あの銃手なら一発の弾丸で十分だろう。 (どちらを守る?頭を撃ち抜かれれば当然即死だが、利き腕を撃たれても嬲り殺しにされるだけだ)
頭と利き腕。迫られた二者択一。
読み違えた先に待っているのは絶対の死だ。
賭けの対価はあまりに重いが、それでも確率が五分なだけ良心的とも言えよう。
スレイブは硬い生唾を呑み込んで、覚悟を決めた。
「行くぞ、英雄」
「来やがれ、勇者」
短い呼応を皮切りにして、スレイブは跳躍術式を解き放った。
同時、ウェントゥスがスレイブの背中目掛けて風の塊をぶつける。
内臓が引っくり返りそうな慣性を受けて、スレイブは加速した。
同時、銃手が発砲。
加速した視界の中で、スレイブには銃口から放たれる炎と煙まではっきりと見えた。
そして着弾。硬質な何かがはじけ飛ぶ音。
飛翔するスレイブの頭部。
そこには展開した魔法障壁と――それに阻まれた銃弾があった。
「おぉぉぉぉッ!!」
刹那、銃手と剣士の影が激突。
裂帛の咆哮を膂力に変えて、スレイブは剣を振るう。
唐竹割りに打ち下ろした刃は、銃手の掲げた長銃の銃身に、半ばまで喰い込んだ。
「ウソだろ、ブラックオリハルコンだぜこの銃……!」
だが、凌ぎ切った。剣はそれ以上進まず、銃手の身体には届かない。
銃手は勝機を確信し、唇を舐める――
「――遍く全てに轟け、『ディザスター』!!」
直上の空から降ってきた雷が長剣に直撃。
破壊の紫電が刃越しに長銃を這い回り、そして。
この世のどんなものより硬い希少金属ブラックオリハルコンが、鋼の長剣によって断ち切られた。
真っ二つになった長銃の他に、スレイブと銃手を阻むものはなにもない。
刃はそのまま落ち、その下にある銃手の鎖骨を断ち、胸筋を引き裂いて、肋骨を割り砕いた。
ぶち撒けられる自らの鮮血を浴びながら、銃手は仰向けに沈んでいく。
スレイブは銃手の身体が地面に叩きつけられるその瞬間まで、彼から視線を離さなかった。
長銃の断片が石畳に落ちて乾いた音を立てて、ようやく目を伏せる。
「……世界を救ったら、城壁山脈を探し歩いてでも、あんたの骸を弔うよ。
子孫がいたならそこに届けたって良い。雪の中から必ず掘り起こしてやる」
力の入らない腕でやけに重い長剣を鞘に収め、スレイブは踵を返す。
その背後から、枯れかけた声が聞こえてきた。
「……ザイドリッツって言うんだ、俺の名前」
あれだけ派手に出血してなお、銃手はまだ息があるようだった。
とはいえ、最早指一本さえも動かすことはできないらしく、浅い呼吸だけが唯一の挙動だ。 「墓に刻んでくれとまでは言わない。ただ、覚えておいて欲しいんだ。それで俺は満たされる」
「ザイドリッツ。俺はあんたを忘れない。あんたという英雄がいたことは、俺が未来に伝える」
銃手――ザイドリッツは、今にも絶えそうな息を吐いて、僅かに微笑んだ。
「そうかい。あとはまぁ、月並みな言葉になるけどさ。……世界のこと、頼んだよ」
「……任せろ」 それ以上の返事はなかった。
沈黙したザイドリッツを最後にもう一度だけ見て、その顔を胸に刻み込んでから、スレイブはその場を後にした。
一部始終を見守っていたウェントゥスがぴょんぴょん跳ねながら駆け寄ってくる。 『うっわ、やりおった。マジで生き残りおった。絶対脳味噌ぶち撒けて死ぬと思っとったのに。
お主あいつが頭狙ってくること分かっとったんか?それとも完全に運任せか?』
「……いや、本当は腕を守るつもりだったんだ。
より確実に俺を仕留めるなら、動きの不規則な頭よりも、軌道の限定された腕を狙うだろうと予測していた」
『はっ?じゃあなんで頭守ったのお主。思っくそ読み負けとったんじゃん』
何故か非難がましいウェントゥスの言葉に、スレイブは口をもごもごさせた。
不愉快というよりかは、恥じらうかのような仕草で、頭の上を示す。
そこにはあれだけの激戦を経て傷一つない、軽銀製のカチューシャがあった。
「……これを、壊したくなかった。頭を守ったのは、ほとんど無意識だ」
照れたように答えるスレイブに、ウェントゥスはドン引きした。
『き、気持ち悪ぅぅぅ〜〜っ!ええ歳こいた男女のやるこっちゃないじゃろそれ!
ほんでお次は何じゃ、"生き残れたのは彼女のおかげだな"とかキリッとした顔で言い始めるんか!?』
「なるほど、そういう捉え方もあるか」
『いやいやいやいや!えっマジ?そこ納得しちゃう?』
ぎゃあすか喚くウェントゥスを雑にいなしながら、スレイブは再び謁見路へと跳躍する。
世界を賭けた戦いはこれで終わりではない。一刻も早く傷を癒やし、仲間に加勢をしなければ。
仲間の元へ飛び戻ったスレイブが目の当たりにしたもの。
それは、それぞれ旧世界の英雄たちとの戦いを下した仲間たちと、未だ健在の女王パンドラ。
そして――8人目の英雄の眼前で、血を流し倒れ伏すアルダガの姿だった。 【風の英雄と交戦、撃破。
全の属性の英雄と戦っていたアルダガが画面外で倒される】 また馬鹿が暴れてんのかと思った
やっぱりそうだった
もう追放しろよ ジャンに対峙した旧世界の英雄は、一見すれば他の英雄たちとは大きく異なる。
自らの視界を塞ぐ黒い目隠し。荒波を連想させる青くなめらかな曲線で構成され、全身に刻まれたタトゥー。
身に纏うのは竜の紋章が金糸で編まれた黒い長衣であり、手に持つのは謎の金属で構成された長尺の棒。
肩まで伸ばした金髪もまた波のごとく揺れ、その体格はジャンに比べれば実に華奢だ。
おそらくは女性であろうこの英雄は、目隠ししているにもかかわらずジャンのいる方向に向き直り、頭をぺこりと下げた。
「生まれはアナテの海、『喝破』のオウシェンと申します」
「ダーマのオーカゼ村、ジャン・ジャック・ジャンソンだ」
そしてジャンが自己紹介と共にアルマクリスの矛を構え、オウシェンは長尺棒を両手に持つ。
先手必勝とばかりにジャンが駆け出し、オウシェンは長尺棒を縦横無尽に振り回してジャンを迎え撃つ体勢だ。
「オラァッ!」
「喝ッ!」
速度の乗った一撃をオウシェンの脳天めがけて振り下ろし、長尺棒が一瞬揺らめいたかと思うとそれを跳ね飛ばす。
見た目からは想像もできない膂力に、ジャンは思わずたじろいだ。
「……おいおい、てっきり魔術師だと思ったんだけどよ」
「海に生きる者は強くなければなりませんから」
ジャンのように生まれつきの強靭な肉体で押し通るのではなく、
長い修練の果てに辿り着いた圧倒的な体術。体を巡る力を最も効率よく扱う術を彼女は習得していた。
そしてそれは、守りだけに発揮されるものではない。
長尺棒が再び揺らめき、ジャンの腹を鋭く殴打する。
ぼきり、と骨の折れる音が響いて身体がよろめき、体勢を崩したところにさらに一撃。
反撃を許さない連撃は、最後に放たれた脳天への一撃で終わる。
「……アクアッ!!」
だがその最後の一撃は通ることはなかった。指環から放たれた水流が
長尺棒ではなく握りしめた手を狙い、槍のごとき鋭さで反撃したためだ。
オウシェンはそれを引き付けて避け、ジャンはその隙を狙ってミスリルハンマーを腰から抜き放つ。
矛という技量が要求される武器ではなく、純粋な腕力のみが支配する槌という武器は
技量で上回る相手を打ち破るには十分な破壊力を持った最適解だ。
骨の折れた痛みに歯を食いしばり、水流を避けて体勢を崩したオウシェンに狙いすまして思い切り大槌を叩きつける。
「吹き飛べやァ!」
常人ならば言葉通り吹き飛ぶ一撃だが、オウシェンはそれを避けることなく身構える。
長尺棒を構えて横薙ぎに飛んでくる大槌の断面を鋭く突き、そこで大槌はぴたりと止まった。 「なるほど、力は十分ですが技がないと見える。
それでよく生き延びてきたものですね」
「ふざけんじゃ……ねえぞォォッ!!!」
膠着状態に陥った瞬間、ジャンはウォークライを繰り出す。
自らを鼓舞し、さらに相手を怯ませる雄叫びは英雄を相手にしてもなお、勇気を生み出すのだ。
だが旧世界の英雄たるオウシェンは怯まない。
それどころか長尺棒を使って後ろに跳ねるように下がり、両足を強く踏み込んで床板を砕く。
そして静かに、その言葉を紡いだ。
『叫べ、歌え、戦え』
それは、荒波に立ち向かう船乗りの咆哮と海女の舟歌から生まれた、原初のウォークライ。
力を持つ三つの単語を触媒として周囲に漂う魔力を取り込み、自らの身体と一体化することで自在に環境を支配するオウシェンの秘儀。
そして今この場所は、指環の魔力が魔術の使用によって大量に残留する状態。
「新世界に伝わる魂の言葉がその程度ならば、私たちが犠牲を払った意味もありません!
私たちが再び指環の継承者となり、全てをやり直します」
その身に圧倒的な魔力を纏い、長尺棒を振るえば空気すら吹き飛ぶような錯覚を覚えるほど強大な存在となったオウシェン。
しかし、ジャンはそれに臆することはなかった。ウォークライによって生まれた勇気は蛮勇かもしれないが、それでも怯えを止めるには十分だった。
「アクア、限界までやるぜ。竜装だッ!」
『君に相応しい姿にするとしよう!オウシェンちゃんには申し訳ないけどね』
「勝ち目のない賭けをやりたがる癖は抜けていないようですね、アクア!
ですがそれが間違いだったと後悔するときです!」
水流がジャンの身体を包み、いつもとは違う姿へとジャンを変えていく。
その隙を逃さずオウシェンが飛び掛かり、長尺棒による無数の乱打で確実に仕留めんとする。
軌道が見えないほどの速度であらゆる角度から放たれる乱打は一つ一つが濃密な魔力を纏い、一撃必殺たりうるものだ。
だがその嵐の中で、水流に包まれたジャンが手を伸ばし、静かに言葉を紡ぐ。 『――囁け、黙れ、失せろ』
その手は深海のように蒼く、太陽に照らされる大海原のように眩しい。
ジャンは全身に指環の魔力で鎧を構築し、頭も竜を象った兜で覆っていた。
数百の乱打にも怯むことなく長尺棒を掴み、オウシェンを無理矢理に引き寄せる。
「馬鹿な!竜装では防げないほど魔力を取り込んだのにッ!」
「叫ぶことなく言葉だけで魔力を取り込めるなら、
言葉だけで魔力を消し飛ばすこともできるってことだろう?」
『もちろんボクがありったけの魔力を込めたからこそだけどね。
もう空っぽだよ、これ以上打つ手はない』
「というわけだ。最後は力比べといこうじゃねえか!」
「――舐めるな亜人!」
そこから先は、純粋な力と技のぶつかり合いだった。
ジャンが鋭い拳を繰り出せば、オウシェンはそれをいなして蹴りを叩き込む。
それをあえて受け止め、ジャンは膝蹴りを容赦なく相手の腹に入れる。
体格の差はあるものの、お互いに鍛えられた肉体である以上一進一退の攻防は続く。
そして、最後は唐突に訪れた。
「ゴラァッ!」
「破ァ!」
ジャンの拳とオウシェンの蹴りがそれぞれの顔面に突き刺さり、互いに吹き飛んでいく。
お互いに離れる形となった状態で、オウシェンが頭を振って先に立ち上がった。
「……ジャン、と言いましたね。
先程の言葉を訂正しましょう。あなたは指環を持つ者として十分な強さです」
「へっ、タコ殴りにされてから言う台詞じゃねえよ」
「女に手を上げるとは野蛮ですね」
「散々殴り合った後でそりゃねえだろ……」
ジャンも遅れて立ち上がり、お互い今まで神殿の外にいたことに気づいた。
どうやら最後の殴り合いに集中しすぎて周りが見えていなかったようだ。
「ともあれ、あなたの実力は十分に確かめました。
再び生を受けた身ではありますが、女王陛下には生前からもう十分すぎるほど忠義を尽くしたので。
この辺りで終わりとしておきましょう」
「……てっきり殺し合いになるかと思ったぜ」
「私が求めるのは血ではなく修練です。
どんな弱者も生きていればいずれ強者となりうるものですから」
そりゃいい、とジャンはひらひら手を振って神殿に戻る。
オウシェンはもはや戦う気はないが、他の英雄たちがどうなっているかは分からない。
そして神殿に戻ってみれば、そこには英雄と激戦を繰り広げるアルダガたちがいた。 アルダガが対峙しているのはおそらく全の属性を司る英雄。
装飾がなく、実用一辺倒の銀色に鈍く輝く鎧兜とただ一振りの何の変哲もない大剣。
それだけなのに、アルダガを一方的に押し込めていた。
メイスを振るえば即座に大剣で対応し、神術を放てばそれに弱点となりうる魔術を即座に放つ。
身体強化は効果が切れるまでいなし続け、時には砂による目つぶしや剣に毒を塗るなど、手段を問わずアルダガを追い詰める。
そして、メイスを剣でかち上げてアルダガの胴を容赦なく切り裂いた。そこに言葉はなく、全の英雄は次の標的を見定めた。
兜のスリットから覗く顔に表情はなく、ただ視線が獲物を探している。
それは英雄というより、化物のような姿だった。
「……」
全の英雄は何も語らず、入ってきたジャンに剣を向ける。
ジャンも一瞬で状況を理解し、未だ血を流すアルダガから全の英雄が離れるような位置取りをした。
そしてお互いに距離を徐々に詰め、全の英雄が先に動いた。
大剣を両手に持って横薙ぎに振るい、ジャンはミスリルハンマーをその刀身に合わせる形で叩きつける。
互いの武器がぶつかるかと思われたが、それは実現することはなかった。
「お前……前に……いたはずじゃ」
いかなる魔術か技か、全の英雄は一瞬の間にジャンの背後に回り込んでいた。
ジャンの胴はたやすく大剣に貫かれ、ジャンは背中を蹴り飛ばされて大剣を引き抜かれていく。
全の英雄は何も語らず、ただ次の標的を見定めるのみだ。
「英雄たちの中で最も強く、最も誇りを持たない……それが全の英雄。
貴様ら新世界の者には到底たどり着けない神の領域に至った、ただ一人の人間よ!」
パンドラは衛兵に守られたまま高らかに宣言し、錫杖をふりかざして宣言する。
「他の英雄がいくらやられようとも、全の英雄が残っていればそれでよい!
さあ、残党を狩れ!皆殺しにするのだ!」
【水の英雄とは引き分け
全の英雄はどんな手段を使っても絶対敵殺すマン!筋力しかないジャンに勝てるわけがなかった】 大地の英雄を撃破したティターニアとフェンリルがその場を去ろうとしたところ、後ろで微かな砂のざわめきの音が聞こえ、振り返る。
砂が集まって人の姿となり、再び大地の英雄が現れるところだった。
直撃の瞬間、自らの体を砂の粒子へと変化させ大地と同化することで致命傷を回避したようだ。
とはいっても全くの無傷とはいかなかったようで、大地の英雄はよろめきながら苦笑した。
「相変わらず容赦がないな、フェンリル」
警戒するティターニアだったが、大地の英雄はもう戦う気はないようだった。
「……良い、行け――最初から勝てるとは思っていなかったさ。
俺は確かに八英雄の中で最弱だが身の丈は知っているつもりだからな」
「それを自分で言ってしまうかお主――」
そう突っ込みながらも、この境地に至るまでは長年の苦労があったのだろうと想像するティターニア。
どうやら地属性を操る筋肉質な大男は噛ませポジションになってしまうのは旧世界からの逃れられぬ法則らしい。
「だが気を付けろ、全の英雄は強いぞ。お前たちに勝ち目はない……1対1ならな。
奴は一人で完全ゆえに仲間と助け合うことを知らない――勝機があるとすれば、そこだろうな」
「貴重なアドバイスをかたじけない」
この英雄達が本当の意味で蘇生した本人なのか、生前の記憶を基に再現された影のようなものなのかは分からない。
しかし、フェンリルと大地の英雄との間には言葉を交わさずとも通じ合っているような雰囲気を感じた。
全の英雄との戦場に向かいながら、ティターニアはニヤリと笑ってフェンリルに問いかけた。
「もしや……皆を勢いづけるためにわざと、最初に突っ込んでいった旧世界の英雄が
新世界の勇者に派手にやられる形を2人して作ったのではないか?」
『寝言は寝て言え、事前に共謀する暇などどこにあったというのだ』
無駄話はそこそこに先を急ぐ。仲間の誰かが一人で全の英雄に立ち向かっていてはいけない。
一足――いや、二足遅かったか。
ティターニアが辿り着いた時にはすでにアルダガは倒れ伏しており、そして――まさに今ジャンが大剣で貫かれるところだった。 「ジャン殿……!」
そこにパンドラの朗々とした口上が響き渡る。
>「英雄たちの中で最も強く、最も誇りを持たない……それが全の英雄。
貴様ら新世界の者には到底たどり着けない神の領域に至った、ただ一人の人間よ!」
>「他の英雄がいくらやられようとも、全の英雄が残っていればそれでよい!
さあ、残党を狩れ!皆殺しにするのだ!」
“全員まとめてかかってこい”なんて言ってくれるのは正々堂々が好きな自信家だけだ。
誇りを持たないとは、言い換えればどんなに格下と思われる相手でも、あらゆる手段を使い確実に仕留めようとして来るということだ。
大地の英雄が教えてくれた唯一の弱点が核心を突いているならば、
まず間違いなく全の英雄はこちらを孤立分断し各個撃破しようとしてくるだろう。
「スレイブ殿、今度ばかりは一騎打ちの誘いには乗るな! まずは皆が来るまで持ち堪えるぞ!」
ひとまずほぼ同時に到着したスレイブに身体能力強化と武器強化の補助魔法をかけていると、全の英雄の不気味な視線を感じた。
ターゲットロックオンされてしまったようだ。
『やはりそうきますよね……』
まずは前衛っぽい方から撃破、なんていう様式美は当然全の英雄には通じない。
鬱陶しい補助魔法を使う後衛から潰した方が効率がいいに決まっている。
早速大剣を振りかぶって叩き切らんと突進してくる。
先にやられてしまったアルダガやジャンは性格上、正面から迎え撃とうとしたと思われる。
つまるところ正面から迎え撃ったら相手の思う壺だと直感したティターニアは―― 砂嵐の魔法で目くらましをくらわせつつ一目散に逃げ出した。
ほどなくして追い付いた英雄がティターニアを背中を袈裟懸けに切り裂こうと、踏み込んだ瞬間――地雷を踏んだように足元が爆発する。 一方のティターニアは瞬間移動したかのように少し先を走っている。
足元に爆発の魔法を仕掛けた上で、大地の魔力を使った縮地の術で瞬間的にその場から離脱したという絡繰りだ。
次は同じ手は通用しないだろうが、差し当たっての時間稼ぎにはなった。
ティターニアは全の英雄が怯んでいる隙にジャンとアルダガが倒れている場所まで来ると、大地の高位回復術を行使する。
「――グランドハーヴェスト」
地面から生えてきた魔力で出来た植物の蔦のようなものが2人を包み込み、魔力を注ぎ込んで傷を癒す。
回復術が十八番の神官ならともかく、魔術師にとっては回復術自体がかなりの高位に位置する術。
増して強力な回復術となると魔力の消費量は馬鹿にならない。それでも迷う余地は無かった。
水の指輪の使い手のジャンとエーテルの指輪を受け継ぐであろうアルダガなくしては勝てない――
相手は全の英雄、こちらも全ての指輪の使い手が揃って初めて土俵に上がることが出来る、そう思ったのだ。
そうしている間に、各属性の英雄を撃破したのであろうフィリア達も駆け付ける。
「さあ――勝負はここからだ」
敵の数が増えたことを認識した全の英雄は、狙いを定めての単体攻撃から一気に全員を屠らんとする全体攻撃へと切り替えてきた。
その場に立ったまま大剣を横薙ぎに振るう、それだけで全方位に身を切り裂く衝撃波が走り抜ける。 バフナグリーさんが倒れている。
石畳に広がる血溜まりの中に。
……え?なんで?どうしてバフナグリーさんが?
バフナグリーが血を流して、倒れている理由。
そんなの分かり切っている。
だけど、頭では分かっていても……実感が追いついてこない。
バフナグリーさんが、黒鳥騎士が……負けただなんて。
平衡感覚がおかしい。自分がちゃんとまっすぐ立てているのか分からない。
心臓が早鐘のように暴れている。
呼吸も意識しないと出来ないくらいに、自分が混乱しているのが分かる。
動けない。何か、何かしないといけないのに。
>「お前……前に……いたはずじゃ」
バフナグリーさんがトドメを刺されぬようにと援護に動いたジャンソンさんも、大剣に突き刺され……
そこで私はようやく魔導拳銃を、恐らくは全の英雄であるあの男に向ける事が出来た。
そして銃声……当たり前のように、大剣で弾かれましたね。
それどころか跳弾で、バフナグリーさんにトドメを刺そうとすらしていた。
ならば……弾頭を電撃や爆薬を封じた物に切り替えて、再び射撃。
……今度は、避けられた?
直感で?それとも弾速の違いから弾頭の変化を見切られた……?
いや、余計な事を考えるな。避けてくれるなら幸いだ。とにかく、撃ち続けないと。
……ふと、全の英雄の、兜の奥の双眸と、目が合った。
心臓を鷲掴みにされたかのような寒気が、私の背筋に走った。
濃密すぎる殺気が、私に殆ど確信に近い予感を植え付ける。
もし次、自分の身を守らずに射撃を行えば、次の瞬間に全の英雄は私へと距離を詰めてくる。
そして私は殺される。
だけど、自分の身を守れば……その隙に、バフナグリーさんか、ジャンソンさんが殺される。
怖い。死にたくない。殺されたくない。
だけど……あの二人が殺されてしまうのも、嫌だ。
迷っている暇はない。私は銃口の向きを前に保ったまま……
>「スレイブ殿、今度ばかりは一騎打ちの誘いには乗るな! まずは皆が来るまで持ち堪えるぞ!」
……不意に、ティターニアさんの声が響いた。
全の英雄の眼光が、私からあちらへと移る。
彼女が戦線に加われば、私とバフナグリーさん達、両方に防壁を張る事が出来る。
二者択一の殺傷は成立せず……ならば指環の所有者である向こうを先に潰すつもり、ですか。
ティターニアさんは上手い事、時間を稼いでくれています。
それにバフナグリーさんと、ジャンソンさんの治療も。
ならば私がするべきは……。
私はディクショナルさんに銃口を向ける。
次の瞬間、私は彼の隣に移動していた。
魔導拳銃に彫り込まれた、短距離転移魔法の術式です。
「……酷い怪我だ。すぐに、治療します」
右手の魔導拳銃をホルスターに戻し……私はディクショナルさんの手を握った。
別に手を繋がなくたって、魔法による治癒は出来る。
だけど……私は、そうせずにはいられなかった。 さっき私を睨んだ、全の英雄のあの眼光……。
死を予感させるほどの殺気……。
手が、震えている。自分の意思で、それを止められない。
「ごめんなさい……もう少しだけ、このままでお願いします。
情けない話ですけど……あの眼に睨まれた時から、震えが止まらないんです」
相手はあのバフナグリーさんを、一対一で、さしたる手傷も負わずに倒してしまうほどの手練。
……殺されるかもしれない。死にたくない。
怯えていたって何の意味もない。分かっていても……怖い。
ディクショナルさんの手を強く握り締めたまま、治癒の魔法を使う。
血を失って低下していたディクショナルさんの体温が、戻っていくのが分かる。
指先から、手のひらから伝わる、体温と、拍動。
それらを意識していたら……いつの間にか、私の震えは止まっていました。
「……ありがとうございます」
……本当はもう少しだけ、こうしていたい。
そんな考えを振り払って、右手を離す。
「来ますよ、ディクショナルさん……詠唱時間を下さい」
私は一歩下がってディクショナルさんの後ろへ。
全の英雄が大剣を振り回し、剣閃を放つ。
「『フォーカス・マイディア』」
だけど……それが私に届く事は、ありませんよね。ディクショナルさん。
「堕ちろ釣鐘。毀れ一つない鋼鉄の歌姫よ。
牢櫃と化せ。罪人の怨嗟でその腹の底を満たしながら。
晩鐘は告げる。遍く命が逃れ得ぬ黄昏の刻を――『ジェイルハウス・ベル』」
全の英雄の頭上から、魔力で構成された釣鐘が落ちる。
結界魔法です。鐘が持つ反響の性質によって内部からの攻撃を、内側へと反射させる封印術。
「時の河の底に沈む凍れる過去よ。今再び現し世へ浮かび上がれ。
開け、如何なる栄華もいずれ避けられぬ氷の棺。来たれ、仮初めの目覚め。
映せ氷よ、過去の栄光――『フロート・パスト』」
地面から氷が生える。
人の形をした氷が。鍔の大きな三角帽子に、全身を包むローブ。
顔の下半分を覆う透明の髭。
そう――これは虚無の英雄。その氷人形。
時とは水。流れゆく河。
過去とは決して変えられぬもの。それはすなわち凍りついているという事。
そして氷は水に浮かぶもの。過去という氷を、時の河の水面、今に浮かび上がらせる。
この魔法は過去という概念を、氷を触媒に顕現させる召喚魔法。 「ありったけの封印術を」
水の属性とは物を沈め、熱を鎮め、音を静めるもの。
あの杖捌きをもって十重二十重の封印術を施させる。
その隙に私は……
「断空の帳。生と死の隔て。天空に満ちるは虚ろの壁。
流れ行く風は戻らない。過ぎ去りし死者が帰らぬように。
彼の者は去りゆく者。せめてその悲鳴も骸も掻き消し、手向けとせよ――『ブリーズ・アーク』」
風とは、天と地を隔てるもの。
風とは、何かを攫い、連れ去ってしまうもの。
転じて風とは異界との境界線であり、また異界への誘う運び手そのもの。
ここではない世界を作り出して、そこに対象を隔離する。
これは封印術と言うより……転送術。
そして……
「燃える手のひら。黒ずむ指先。溶け落ちる蝋の翼。天空の果てに手は届かず。
猛る刃。物言わぬ鏃。賛美の声。焦がれる心。別け隔てなく価値は無い。
拒め炎よ、不遜のともがら――『バーンド・レンジ』」
これで、仕上げです。
炎の属性は、太陽を象徴する。
触れようと手を伸ばせば身を焼かれ、命を落とす、人が決して到達し得ないものの象徴。
その概念を結界として顕現させる。
……『フォーカス・マイディア』を解除する。
荒れてしまった呼吸を整える。
短時間の発動とは言え……四属性による攻性結界の多重施行。
ちょっと無茶しすぎましたかね。
ですが流石の全の英雄も、これだけ結界を重ねがけすれば、最早身動き一つ取れないはず……。
そう思った直後の事でした。
全の英雄が、左手を私の結界にかざして……まるで扉を開けるかのように、すいと横に滑らせた。
「……は?」
それだけ。たったそれだけで……私の多重封印が、解除された?
あ、あり得ない……い、いや、実際目の前で起きてしまったんだ。
受け入れないと。動揺のせいで鼓動が早まる。
右手で、胸を抑える。落ち着け、落ち着け……。
……元から、幾つかの予想は立てていた。
その内の一つが、確信に変わっただけの事。
全の属性。
古竜、かつてこの旧世界を創造したのであろう全の竜と同じ属性。
つまり……創造神の力の一端。
全の英雄とは、言わば神の子にも等しい存在。
……バフナグリーさんが勝てなかったのも、納得出来てしまう。
ですが、ですが……それでも、勝機がない訳ではない。むしろ逆。
「……一つ、試してみたい事があります」
全の英雄の、その圧倒的強さ……いえ、全能性とでも言いましょうか。
その全容が明らかになったからこそ、一つ解せない事がある。 かつてこの世界であった虚無の竜との戦い。
その時に何故、彼は負けてしまったのか。
あれほどの強さを誇っていながら。
虚無の竜がそれ以上に強かった?
勿論その可能性もあります。
「……『フォーカス・マイディア』」
ですが……もしかしたら。
「『竜の天眼(ドラゴンサイト)』」
十基の衛星ゴーレムを形成し、その砲口は……女王パンドラへと。
そして……砲火が炸裂する。 護衛の神官が結界を張る。
ですが……くふふ、ちゃんと防ぎ切れますか?
最初に防いだ水の指環による魔法だって、
魔法の苦手なオークであるジャンソンさんが、
雑兵を蹴散らすついでにそちらに向けただけのものでしたよね。
私の、主席魔術師の、この世で最も優れた魔術師の最高傑作を。
果たして防ぎ切れますかねえ。
いいえ、不可能だ。そんな技量があるなら最初からそちらに戦わせておけばいいんですから。
防壁に亀裂が走り、砕け散る。
そして……女王へと発射された無数の弾丸を、全の英雄がその背で受け止め、阻んでいた。
得物の大剣も放り捨て、自身が傷を負う事など厭わずに……。
やはり。
あなたが虚無の竜に勝てなかったのは、あなたが皆を守ろうとしたから。
あなたは誰とも助け合わなかったんじゃない。
誰もかもを助けようとしたんだ。
魔物のような眼光は……もしかしたらその本性を、弱点を、隠す為のものだったのでしょうか。
ともあれその人間性は、称賛に値しますが……
「……今です!」
……汚い手である事は百も承知ですが、それでもやっと生じた隙です。
存分に突いて頂かないと。
ハムステルさんの槍を用いた飛びかかりが。
フィリアさんの鋭く閃く毒針が。
トランキルさんの闇の属性によるまったく同時に、かつ多角的に放たれる無数の斬撃が。
よろめく全の英雄の背中に、まともに入った。 ……直後に響く轟音。
全の英雄が、微塵も衰えぬ剛力で、振り返りざまに回し蹴りを放った音。
ハムステルさん達が弾き飛ばされる。
あれだけの攻撃を無防備な背中に受けた直後なのに、なんて威力……。
蹴り飛ばされた人達はまだ体勢を立て直せていない。
追撃を受けないよう援護をしないと……。
そう、思ったのですが……全の英雄は、動けていない。
背中から貫通した槍を強引に引き抜き、治癒と解毒の魔法を自分に施している。
……効いていたんだ。さっきの攻撃が。
倒せない相手じゃ、ないんだ。
だとすれば、やはり頼みの綱になるのは……
「……バフナグリーさん。すみませんが、もう一度、お願いします。
全の英雄と正面切って戦えるのは、あなただけだ。あなたが頼りなんです」
弱点を突くにしても、まずは戦いを成立させないと話にならない。
戦いの軸が必要なんです。
あの神の子を相手にそれを務められるのは、バフナグリーさんしかいない。
「もっとも……私の援護はあまり期待しないで下さい。
私も自分の身を守らなければいけませんし……身を守らせなきゃいけませんからね」
バフナグリーさんと、全の英雄。
極めて高度な技量と力を持つ前衛職二人。
その戦いの中で、的確な援護を行うのは……正直、困難です。
だから私がするべきは、自分の身は自分で守る。
バフナグリーさんの足を引っ張らない事。
そして……全の英雄の足を、あの女王様方に引っ張らせる事。
正直、自分でも卑劣な作戦だとは思いますが……負ける訳にもいきませんのでね。
【後は頑張って下さい!】 >>157
後は頑張れじゃなくてさ
お前が投入した糞設定が猛烈に妨害になってんだわ
頼むよホント スレイブが玉座の間に帰還したとき、既に一つの戦いに決着が付いていた。
大剣を濡らす血を無感情に払う全の英雄と――その眼前で、血溜まりの中に倒れ伏すアルダガ。
誰が見ても一目瞭然の勝敗を、スレイブはしばし受け入れられずにいた。
(馬鹿な、彼女は黒騎士だぞ……!アルバート・ローレンスと同格の、帝国最高戦力が、こうも一方的に……)
大人数人分もある巨木を容易く薙ぎ倒し、黒蝶騎士や黒竜騎士を相手に一歩も引かなかったアルダガ。
黒鳥騎士の実力が伊達ではないことなど、これまでの戦いで否が応にでも理解してきた。
だからこそ、眼の前の現実が未だ実感として頭の中に結びつかない。
スレイブが硬直する一方で、いち早くジャンは状況を理解し全の英雄へと飛びかかる。
大剣と戦鎚、質量を威力とする得物同士が交差し――重ならない。
一瞬にしてジャンの眼前から消えた全の英雄は、彼の背後に音もなく再出現し、大剣を振るった。
>「お前……前に……いたはずじゃ」
ジャンの胴から大剣の切っ先が生える。
不可解を言葉にすることしかできず、ジャンはアルダガと同じように全の英雄の脚元に倒れ伏した。
「ジャン――!」
一部始終を目撃してようやく頭が働き出したスレイブだったが、最早なにもかもが後手だ。
急ぎジャンに駆け寄らんとするが、全の英雄の視線は既に血濡れのジャンの背中にはなかった。
>「他の英雄がいくらやられようとも、全の英雄が残っていればそれでよい!
さあ、残党を狩れ!皆殺しにするのだ!」
現在、全の英雄が次の獲物と見定めているのはティターニアとシャルムの二人。
シャルムが魔導拳銃を発砲するが、不死者を一撃で仕留める破壊の弾丸が彼を捉えることはない。
音を越えて飛ぶ弾丸の性質を撃ってから見極めて、防御と回避を選択しているのだ。
(どういう視力をしているんだ……!)
銃撃で仕留められないなら、近づいて白兵戦を仕掛けるほかにない。
何よりも、全の英雄の視線はシャルムを射すくめている。彼女が反撃を食うのは時間の問題だ。
スレイブは満身創痍の五体に鞭打って跳躍せんとするが、ティターニアの声がそれを制した。
>「スレイブ殿、今度ばかりは一騎打ちの誘いには乗るな! まずは皆が来るまで持ち堪えるぞ!」
「だが……!」
泡を食って感情的になりつつも、スレイブは寸でのところで跳躍術式の発動を停止した。
ティターニアの考えは理解できる。
アルダガもジャンも、単独で全の英雄と対峙した結果、不可視の背撃を食らって倒れたのだ。
戦力の逐次投入は最も避けるべき愚――ティターニアの判断は利に適っている。
(だが、次に狙われるのはあんただぞ、ティターニア……!)
全の英雄、その兜の奥の眼光が、ティターニアを捉える。板金鎧を軋ませて歩み始める。
各個撃破を狙う彼にとって、司令塔たるティターニアは最優先で仕留めるべき対象だ。
スレイブがここで脚を止めれば、矛先が彼女に向くのは道理だった。
>「サンドストーム!」
しかしティターニアとて座して攻撃を待つばかりではない。
全の英雄の足元から砂嵐が立ち昇り、歩みを止めたほんの一瞬の隙を突いて彼女は疾走した。
追いすがる全の英雄。背後から打ち下ろした大剣を、ティターニアは紙一重で躱す。
爆発魔法と縮地術を巧妙に組み合わせた回避は魔導師を凶刃から救い、彼女は致死圏からの脱出を果たした。 >「――グランドハーヴェスト」
伏せるジャンとアルダガの元へたどり着いたティターニアが回復魔法を唱えると同時、
動きかねていたスレイブの隣にシャルムが出現する。短距離転移の魔法だ。
>「……酷い怪我だ。すぐに、治療します」
銃創から流れる血と埃に塗れたスレイブの手を、シャルムは汚れも厭わずに握った。
流れ込んでくる癒やしの魔力が傷口を塞ぎ、失った生命力を補填していく。
身体が活力を取り戻していく一方で、スレイブは諸手を握るシャルムの手に震えを感じた。
>「ごめんなさい……もう少しだけ、このままでお願いします。
情けない話ですけど……あの眼に睨まれた時から、震えが止まらないんです」
彼女の零した言葉を聞いて、スレイブはようやく彼女がいかに追い詰められていたかを理解した。
ほんの数秒前まで、シャルムは命の瀬戸際に立っていたのだ。
黒騎士を容易く倒し、指環の勇者であるジャンですら歯が立たなかった全の英雄。
その無機質な敵意と殺気に晒され、喉元に剣を突きつけられてなお、彼女は気丈に立ち向かい続けてきた。
シャルムの芯の強さには感服するばかりだが、同時にスレイブは後悔に奥歯を軋ませる。
(まんまと釣り出されていたということか……クソ、何をやっているんだ俺は……!)
風の英雄、ザイドリッツの仕事はスレイブを仲間たちから遠ざけた時点で完遂されていたのだ。
彼がスレイブを倒し果せればそれが最上、敗北したとしてもシャルム達後衛の元から前衛を一人引き剥がせる。
スレイブは間抜けにもその策略に嵌まり、一つボタンをかけ違えればシャルムは全の英雄に殺されていた。
己の不明を呪い、せめて彼女の不安を少しでも取り除こうと声を掛ける。
「大丈夫だ、ティターニアが二人を回復させられれば、全員で戦える。
指環の勇者が七人に黒騎士が一人だ。全の英雄がいかに強力でも、数の利はこちらにある――」
そこまで言って、スレイブは頭を振った。
この期に及んで"安心"の理由を他人に求めるのは彼の悪い癖だ。
今、シャルムの手を握っているのは他ならぬスレイブ自身だというのに、人任せが口を突いて出てはあまりに情けない。
戦術的な分析など捨て置いてしまえ。この場で伝えるべきことは何だ。誰よりも彼女に伝えたい言葉は何だ。
「――それに、貴女の傍には俺が居る。俺が、必ず守る」
傷ついた腱が癒え、握力が戻った手のひらで、震えるシャルムの手を強く握った。
ゆっくりと、呼吸が整うかのように、彼女の手から震えが消えていく。
>「……ありがとうございます」
シャルムは短く礼を言って、スレイブの手を離した。
無意識に指先が名残を惜しんで宙を掻く。心を満たす温もりが遠ざかっていく。
だが、この手が握るべきは温かく柔らかいシャルムの手ではなく、敵と戦うための冷たく硬質な剣だ。
剣を握れば、彼女の手を握ることはできない。
だが剣を握らなければ、彼女を目の前の悪意から護ることなどできない。
胸の裡を焦がすジレンマを抑えつけて、スレイブは再び鞘から剣を抜き放った。
>「来ますよ、ディクショナルさん……詠唱時間を下さい」
逃げ切ったティターニアの追撃を諦めたのか、全の英雄の双眸がこちらを射すくめる。
大剣を掲げて疾走する全身甲冑に、スレイブもまた剣を構えて相対した。
「……俺の後ろに居てくれ。背中に貴女が居るなら、俺は前を向いて戦える」
全の英雄が大剣を横薙ぎに振るう。
音の壁を貫き、水蒸気の尾を引く切っ先が、スレイブの胴を断ち切る軌道で迫った。 「『ミラージュプリズム』」
大剣によって真っ二つになったのは、蜃気楼を応用して創り出したスレイブの幻影。
本物は跳躍術式によって真上に飛び上がり、直上からの一撃を全の英雄の脳天へと叩き込んだ。
耳を劈く金属音と、虚空を染め上げる火花。
鉄兜程度なら容易く引き裂くスレイブの斬撃を、全の英雄は首を器用に動かして斜めに兜で受けていなす。
返す刀とばかりに逆袈裟に打ち上げてきた大剣が今度こそスレイブを捉えるが、
竜巻を身に纏って全身で回転することでそれを躱し切り、回転の速度そのままに再び剣をぶち当てた。
狙うのは全の英雄の甲冑、部位同士を繋ぎ止める革紐だ。ダーマ軍式剣術『鎧落とし』。
肩を保護する装甲が弾け飛び、石畳に落ちて乾いた音を立てた。
露わになった肩口のインナーを狙って刺突を繰り出すスレイブと、上体の捻りでそれを回避し反撃する全の英雄。
二つの鋼が風を巻いて交差し、激突の衝撃が大気を揺らした。
全の英雄の得物は大剣。懐に潜り込めばスレイブの長剣が有利だ。
体捌きと歩幅の調整で常に大剣の間合いの内側に居るスレイブに、全の英雄は有効打を与えられない。
大剣の質量による打撃力は脅威だが、柄や鍔は速度や慣性が乗らない部位だ。
鍔迫り合いに持ち込みつつ、左に握ったバアルフォラスで甲冑の腕装甲を断ち落とした。
「俺から眼を逸らすな。全身を覆うその鎧……一つ一つ取り除いてやる」
アルダガを下し、ジャンさえも手出しさせずに倒し果せた全の英雄を相手に、スレイブは善戦を続けていた。
四肢は淀みなく動く。
ティターニアの身体強化魔法が効いていることもあるが、戦いの感性がかつてないほどに研ぎ澄まされていた。
後ろにシャルムが居る。それを想うだけで、腹の奥底から力が湧いてくる。
視界は澄み渡り、鎧の擦れ合う音に混じって全の英雄の息遣いが耳に届く。
今やスレイブは、対峙する敵が剣を振るう際の僅かな予備動作、筋肉の軋みさえもはっきりを感じ取ることができた。
再びの刺突。石畳に亀裂を刻むほどの踏み込みと共に放った剣閃は、確かに全の英雄の肩口を捉えたはずだった。
切っ先がインナーを貫き肉を刳り飛ばすその刹那、全の英雄の姿が忽然と消失する。
ジャンの一撃を躱したあの動きだ。音も気配も残すことなく、全の英雄は眼の前から消えた。
だが、それはもう見た。
スレイブには、全の英雄が再出現する場所とタイミングが手に取るようにわかった。
「俺の後ろに立って良いのは……この世でただ一人だけだ!」
背後から突き出される大剣の切っ先が、身を捻るスレイブの胴鎧を浅く裂く。
致死の一撃を躱し切り、振り向きざまに振るった斬撃が全の英雄の腕を切り裂いた。
腱を断った手応えを刃越しに感じると同時、手首から鮮血を吹いた全の英雄がよろめく。
片手を潰した。これでもう大剣は握れない。
そして――スレイブは跳躍術式でその場を飛び退き、シャルムの隣に着地する。
彼女の術式詠唱が完了したことも、全て把握できていた。
>「拒め炎よ、不遜のともがら――『バーンド・レンジ』」
シャルムが魔力を解き放ち、四属性の多重結界が全の英雄を抑え込む。
都合四つの封印術は四方からあらゆる進路と退路を閉じ、巨大な一つの檻と化した。
スレイブの知る限り最上級の結界、更にそれを重ね掛けしている。
如何に旧世界最強の英雄と言えども、この封印から逃れることなどできまい―― >「……は?」
隣でシャルムが信じがたいものを目にしたような声を上げる。
スレイブもまた、彼女と完全に同じ感慨を抱いていた。
竜さえも身じろぎ一つ許さない最高峰の結界を、全の英雄はまるで戸を引くようにこじ開けたのだ。
「なん……だと……!」
それだけではない。
スレイブが確かに腱を切り裂き、鮮血の流れるままになっていた英雄の手首が癒えている。
それどころか断ち落とした甲冑の各部位さえも、いつの間にか修復されていた。
回復魔術に加え、鎧を自己修復する錬金術。
あるいは死者蘇生の応用で、自身の状態を戦闘開始時にまで巻き戻したのか。
いずれにせよ、封印術も物理攻撃も、全の英雄に対して何ら有効打となっていない。
「何もかもが出鱈目だな……女王が全幅の信頼を寄せるのは、こういうことか」
絶望が、足元から音を立てて這い上がって来る。
蠢く無数の虫の如きそれに呑まれずに済んだのは、隣にシャルムがいたからだ。
封印術を真っ向から無効化された様を目の当たりにしてなお、彼女の双眸に諦めの色はなかった。
>「……一つ、試してみたい事があります」
シャルムは再び己の魔術適性を拡張し、『竜の天眼(ドラゴンサイト)』を発動した。
無数のゴーレムを一瞬で瓦礫の山に変える無双の"眼光"が狙うのは、全の英雄ではなく――女王パンドラ。
護衛神官たちの魔術障壁を容易く粉砕し、砲撃が女王に迫る。
全の英雄は対峙するスレイブ達に背を向け、大剣を打ち捨ててまで女王の代わりに砲撃を受けた。
全能に片足を踏み込む全の英雄には、距離や時間の隔絶さえも無視して女王を護ることが出来る。
……出来てしまう。そしてそれこそが、唯一無二の彼の弱点だった。
>「……今です!」
瞬間、背を向けた全の英雄目掛けて、ラテたちが一斉に飛びかかった。
三方向からの総攻撃は迎撃の回し蹴りによって弾き飛ばされるが、まったく効かなかったというわけではない。
鎧の隙間から血を流し、背に槍の刺さった全の英雄は、確かに傷を負っていた。
(女王を護っている間は、自身の護りが手薄になる……絶対の防御は、両立できないのか……!)
全の英雄にとって、女王は何を置いても護るべき対象だ。
有無を言わさずあらゆる障害を突破する能力も、一瞬で敵の背後に回る移動術も、女王より優先して発動することはできない。
ならば、女王に間断なく攻撃を続けることで、全の英雄の圧倒的な防御力を無効化できるはずだ。
>「……バフナグリーさん。すみませんが、もう一度、お願いします。
全の英雄と正面切って戦えるのは、あなただけだ。あなたが頼りなんです」
そして、全の英雄を倒し果せるのはやはり、黒鳥騎士アルダガを置いて他にはいまい。
ラテ、フィリア、シノノメの三者が同時に火力を集中させた攻防ですら、全の英雄は女王を護りつつ凌ぎきった。
旧世界最強の戦士を止めるには、一撃で戦闘不能に至らしめる威力が必要だ。
歯がゆい話だが、スレイブはおろかジャンにもティターニアにもそれだけの火力を実現することは不可能だろう。
ともあれ、やるべきことはこれで単純になった。
全の英雄に女王の守護を優先させ、アルダガの攻撃に合わせて火力を集中させる。
「言うは易しだが――俺たちはこれまで何度だって、言葉を現実に変えてきたはずだ」 ティターニアの治癒魔法『グランドハーヴェスト』に包まれ、急速に傷が塞がっていく中、アルダガは意識を取り戻した。
全の英雄との戦いにおいて、油断や慢心はなかったはずだ。
確かに彼は手段を選ばなかったが、暗器や毒を活用するのは戦場においては当然の仕儀。
長年異教徒を相手にしてきたアルダガは無論、それに対する備えを十分にしていた。
敗北を喫したのは、純粋な力量の差によるもの。
そして、いかなる手段を講じてでも敵を制するという、全の英雄の覚悟に、アルダガは負けたのだ。
(不甲斐ない、と思うのは……全の英雄どのに対する侮辱でしょうか……)
覚悟や、まして信念で彼を下回っていたとは思わない。
それでも勝てなかったのは、きっと彼のすぐ傍に、彼が護るべき女王がいたからだろう。
アルダガや、教皇庁に属する神官たちは、聖女を介した『神託』という形でしか女神の言葉を聞いたことがない。
信奉する対象の顔や声も知らないこの歪な関係に、これまで疑問を感じたことはなかった。
教会は偶像崇拝を禁じているし、直接顔を合わせずとも上意下達が可能なように預言者としての聖女が居るのだ。
女神と民は、それでうまく回っていたはずだ。
だが、星都で直面した真実は、これまでアルダガが培ってきた信仰を覆しかねないものばかりだった。
世界の成り立ちと、それに立ち会った者達との邂逅。
アルバートの口から語られた真相を裏付けるように現れた、旧世界の英雄たち。
新世界の全てが旧世界を竜の中に再構築したものであるなら、アルダガの信じる女神は一体何なのか。
アルダガは、何の為に戦っていたのか。
会ったこともない女神を信じて――戦い続けることが出来るのか。
(女王パンドラ……英雄どの達が命を懸けて虚無の竜から護りきった、旧世界最後の人類。
きっと彼らにとって、何に代えても守りたい、大切な方だったのでしょう)
倒れ伏してなお滅びに抗おうと足掻くアルバートの姿を見たときから、わからなくなってしまった。
そして今、志を同じくする全の英雄との戦いで、アルダガは再び遅れをとった。
護るべき者がすぐ傍にいて、それだけを信じて戦える全の英雄の覚悟に、アルダガは勝てなかった。
神術の源は、女神を奉じる信仰心。
信仰が揺らげば、法撃は不発に終わり、加護はたちまち力を失う。
陳腐な言い回しになるが――アルダガは、気持ちの上で負けたのだ。
(叔父さま、わたしは何を信じて戦えば良いのでしょうか)
アルダガ・オールストン・バフナグリーが神の道に入ったのは、神殿騎士であった叔父の影響によるところが大きい。
"百頭竜"エドガー・オールストン。帝国西部に轟く彼の武名に、アルダガも魅せられた一人だった。
幸いにも神術の類稀なる才覚を持ち合わせていたアルダガは、辺境の修道院から教皇庁所属の戦闘修道士にまで上り詰め、
やがて……彼女は教会から離反したエドガーを、港町カバンコウで討つこととなる。
思えばそのときから、アルダガの信仰を支えてきたものは、少しずつ歪み始めていたのだ。
そしてその歪みは、星都の最奥で爆発した。
ティターニアの治癒術式から出たとき、自分はもう一度戦えるだろうか。
揺らがない信念と覚悟をもった、あの全の英雄と。女王を信じて戦う、旧世界の英雄たちと。
信じるもののなくなった、自分が―― >「……バフナグリーさん。すみませんが、もう一度、お願いします。
全の英雄と正面切って戦えるのは、あなただけだ。あなたが頼りなんです」
魔力のツタの向こうから、シャルムの声が聞こえた。
そして気付く。自分がここで倒れれば、全の英雄の矛先は彼女たちに向く。
指環の勇者たちを、守らねばならない。
(ああ、そうですね――)
自分は確かに神官で、教会の尖兵だが、守るべき何かを女神だけに限る必要はない。
自分が何を守るべきか、自分で決めたって良いのだ。
彼女が何よりも憧れたのは、神に仕える神殿騎士ではなく――民の為に戦う、叔父の姿だったのだから。
(わたしは……共に星都を旅し、一緒に戦ってきた彼女たちを、守りたい――)
顔も声も知らない誰かのために祈るよりも、それはきっと快い。
アルダガは自ら魔力のツタを破り、外へと飛び出した。
貫かれた傷はふさがり、手足は問題なく動く。腱も骨も全て無事だ。
ただひとつ、折れ砕けてしまっていた心も、新たな支えを得ることで再び立ち上がった。
「全の英雄どのは……わたしが倒します」
地面に転がっていたメイスをとり、握りを確かめるように二度、三度振る。
眼前では、全の英雄もまた、取り落とした大剣を広い直して構えていた。
「ずっと考えていたんです。わたしたちの世界の女神は、一体何者なのか。
新世界の全てが、旧世界の属性から再構築されたものだとするならば。
きっと女神は……新世界の民が望み、創り上げた仮初の『女王』なんだと思います」
全の英雄は何も答えない。
問答は不要とばかりに振り上げた剣が、直上からアルダガを襲う。
刹那、アルダガの右腕が鳥の羽撃きの如く揺らめき、置き去りにされた風を斬る音が追って響く。
大剣が弾かれ、質量に引っ張られるようにして全の英雄がよろめく。
そこへ畳み掛けるようなメイスの打擲。全の英雄は辛うじて大剣でそれを受け止めた。
「たとえ仮初めの、まがい物の救いであっても。それを守って、わたしは貴方を倒します。
女神が偽物でも、女神の愛した人々には――わたしが信じるものには、偽りなどありません」
全の英雄の輪郭が薄れていく。ジャンを背後から刺した正体不明の移動術だ。
しかしその姿が消える前に、アルダガの左手から燐光を放つ魔力の鎖が飛んだ。
鎖の先端にあしらわれた十字架型の楔が全の英雄の鎧に突き立ち、揺らいでいた輪郭が鮮明となる。
『レイジングゲルギア』。聖別された特殊な鎖を用いて、対象を術者の前方に繋ぎ止める拘束神術だ。
術者もその場を動けなくなるリスクはあるが、移動術や転移術さえも封じる極めて強力な拘束。
これでもうどこにも逃げられはしない。正面切っての殴り合いで相手を打ち倒すほかに逃れる術はない。
そこから先は、余人の介入する余地のない、打撃の応酬であった。
アルダガがメイスを振るい、全の英雄が大剣でそれを迎え撃つ。
全の英雄が懐から暗器を取り出せば、アルダガはそれが投じられるより先にメイスの柄を鞭のようにしならせて叩き落とす。 至近距離で幾度となくぶつかり合うメイスと大剣、魔術と神術。
瞬きさえも致命的な隙を生む高速域の戦いは、彼我の力量が拮抗していることを意味していた。
「北天の星、南地の砦、燃え盛る樺の森、押し立てる雹の波濤」
間断なくメイスを振るいながら、アルダガは同時に聖句の詠唱を始めた。
右手にはメイス、左手には鎖。聖水の瓶を手繰る余裕もない中で、彼女は片足で地面を強く踏みしめる。
加護によって強化された脚力は地面を強く波打たせ、地面に転がっていた聖水の瓶が跳ね上がった。
「撃鉄、波紋、逆さの骸。雷槌と劫火、円環の酒坏を血の輝きで満たせ――」
瞬間、アルダガはメイスを投擲した。
全の英雄が大剣でそれを弾き飛ばす、寸毫にも満たない間隙を縫って、彼女は間合いの内側に潜り込む。
メイスの代わりにキャッチした聖水瓶を握り潰し、聖水の濡らす右腕が、聖なる炎に包まれた。
「破城の神術――『フレスグレイヴ』!」
黒鳥騎士の象徴とも言える、神鳥を象った聖光を纏った右拳。
ほとんど密着した姿勢から放たれた極大神術が全の英雄の胴に着弾、その鎧を一瞬で灼き飛ばした。
光は減衰することなくその向こうの肉を穿ち、背中から突き抜けていく。
目を焼かんばかりの眩い輝きと轟音が炸裂し、そして全てに決着がついた。
本来メイスを通して行使する神術を生身に通した影響で、右腕の皮膚が炭化しかけたアルダガ。
その眼前には、鎧を失い胴に大穴を空けて倒れる全の英雄。
指環の勇者全員を相手に互角以上に渡りあってきた旧世界の最後の砦は、今ここに、陥落したのだった。 全の英雄がアルダガに敗北したその瞬間、女王の護衛である神官と重装兵に異変が起きる。
彼らは大きく身震いし、直後にぴたりと動きが止まった。
そして女王パンドラが錫杖を一振りすると、人数分の塩の柱となって崩れていく。
全ての英雄が打ち倒されたか戦意を失ったことを感じ取ったのか、女王は背後の椅子に倒れるように身を預け、
やがて静寂の中、塵が舞う虚空を見つめて語り出す。
「……私にはもう何もありません。英雄たちは破れ、エーテルの指環……全の指環は最後まで私たちを認めなかった。
行きなさい、新世界の勇者たちよ。ここより先の階段を下れば竜の神殿に向かう転移の魔法陣があります」
そして錫杖からエーテルの指環を取り外し、一行へと渡す。
「全の竜はその指環で目覚め、六つの指環を示せば力を与えるでしょう。
そして虚無の竜を打ち倒し……何を願うか、よく考えておきなさい。
どうか私たちのように……ならぬよう……」
虚無に飲まれていたとは思えないほど穏やかな口調で言い終えると、女王パンドラは静かに息を引き取った。
一行は各々のやり方で黙祷を捧げ、広間の奥の通路を歩いていく。
だがその背後、広間に一人の英雄が入り込む。
「女王パンドラ……あなたのことは最後まで嫌いでしたよ。
でも、世界を救おうとするその意志の強さだけは好きでした」
全身に曲線で描かれたタトゥーを刻み、長尺棒を持った華奢な女性。
旧世界の英雄であるオウシェンだ。
彼女は通路にいる一行に聞こえるほど大きな声で呼びかける。
「パンドラがいなくなったことで不死者たちは統制を失い、神殿へと獲物を求めてやってくることでしょう。
理性もなく、本能のみで生きる人間なぞ獣以下の存在でしかありません。
そのような者たちにこの神殿を乗っ取られるなど言語道断、私と生き残った英雄でここを守ります」
残骸と破片でボロボロになった広間をオウシェンが歩き、他の倒れている英雄たちを見つけては担いで一か所に集める。
「火と闇と光と土と……爺様も生きておられるようですね。
爺様に治療してもらえればなんとかなるでしょう、ほら爺様起きてください!寝たふりしないで!
魔力封印?爺様なら集中すればすぐに解除できます!」
既に不死者たちの雄叫びが神殿を囲む密林から聞こえはじめる中、旧世界の英雄たちは各々最低限の治療と武器の手入れを済ませて
再び戦闘態勢に入る。その行動の速さは、一行よりも長く戦い続けてきたという証なのだろう。 「……行こうぜ。俺たちはあいつらに託されたんだ」
埃一つない純白の通路の向こうでぼんやりと光る転移魔法陣を見据え、ジャンは言う。
既に傷はなく、疲労もない。やれることはただ歩くことだけだ。
「まさかリザードマンの討伐依頼からこんなことになるとはなぁ……」
通路を歩く最中、ふとジャンがつぶやく。
それに合わせるようにしてか、アクアも指環を通じて念話で語り始める。
『で、どうだい?ここまで来た感想は』
「持ち帰れそうな宝石が一つもないのは悲しいな。
これじゃ稼ぎになんねえよ……」
『……本音は?』
「正直虚無の竜とか全の竜とか規模が大きすぎてよく分かんねえ。
俺にやれることは――ティターニアの護衛として、邪魔する奴を殴り倒すことだけだ」
そして一行は転移魔法陣に踏み込み、竜の神殿へと向かう。
転移独特の浮遊感の中、ジャンはただ先祖と英雄に祈っていた。
(ご先祖様、一族の英雄様……どうか俺の成すことを見守っていてください。
相手がいかなる強敵であれ、俺は正面に立ち、歴史に残るような戦いをします。
俺は戦士として戦い、死を恐れず、生にしがみつきません。
だからどうか……仲間を、大事な人を守ってください)
祈りを終え、浮遊感が消え去る。
光に包まれた視界が開けたとき、目の前に見えたのは一匹の竜を象った紋章。
そしてそれを取り囲む四体の竜と、三体の獣が彫り込まれた壁画。
旅の終着点とも言うべき竜の神殿に、一行はたどり着いたのだ。 全の英雄相手に互角以上に立ち回るスレイブとシャルム。
それでも倒すことはかなわなかったが、シャルムの機転により、突破口が明らかになる。
大地の英雄が言っていた全の英雄の弱点は、確かに嘘ではなかった。
“一人で完全ゆえに仲間と助け合うことを知らない”とは、身も蓋もなく言えば
皆を守り抜こうとする上に一人だけ突出して強すぎるため、仲間がいてもお荷物にしかならない、という意味であった。
>「……バフナグリーさん。すみませんが、もう一度、お願いします。
全の英雄と正面切って戦えるのは、あなただけだ。あなたが頼りなんです」
「待て、一人で打ち合わせるなんて無茶だ!」
アルダガに正面切って戦わせようとするシャルムの策に異を唱えるティターニア。
というのも、アルダガは最初に正面から打ち合って見事にやられている。
普通に考えると前衛勢全員で取り囲んで各方位から攻撃する方が現実的と思われる。
しかし、スレイブはシャルムに賛同の意を示した。
>「言うは易しだが――俺たちはこれまで何度だって、言葉を現実に変えてきたはずだ」
「そなたら――いつの間にやらすっかり正統派熱血主人公系カ…コンビになりおったな……」
カップル、と言いかけて場がややこしくなりそうなので慌てて言い直す。
その時、当のアルダガが自ら回復術の中から出てきて、力強く宣言した。
>「全の英雄どのは……わたしが倒します」
>「ずっと考えていたんです。わたしたちの世界の女神は、一体何者なのか。
新世界の全てが、旧世界の属性から再構築されたものだとするならば。
きっと女神は……新世界の民が望み、創り上げた仮初の『女王』なんだと思います」
>「たとえ仮初めの、まがい物の救いであっても。それを守って、わたしは貴方を倒します。
女神が偽物でも、女神の愛した人々には――わたしが信じるものには、偽りなどありません」
「アルダガ殿……分かった。頼んだぞ!」
そこから、余人の介入する余地すらない超常の激戦が始まった。
戦闘が始まって程なくして、アルダガの拘束神術によって、全の英雄はその場から離れることが不可能となった。
これによりパンドラを攻撃することで足を引っ張る作戦は使えなくなったが、
パンドラ自身と直接対決出来る状態となったので、むしろ好都合。
先に司令塔たるパンドラを倒してしまえば、戦い自体が終わるかもしれない。
そうはいってもそれも決して簡単なことではないのだが。
先程全の英雄が女王を守ろうとして手傷を負ったとはいえ、未だ女王が動いてない以上その実力は未知数なのだ。 「パンドラを倒すチャンスだ……! 手の空いている者は取り巻きの相手を頼む!」
ティターニアがパンドラとの対決に名乗りをあげると、仲間達が取り巻きの護衛と交戦をはじめた。
相手も状況を察したのか、ここにきて女王パンドラがついに、臨戦態勢に入る。
「エーテルストライク!」
まずは牽制とばかりにオーソドックスなエーテル属性の攻撃魔法を打ち込むティターニア。
対するパンドラがプロテクションらしきもので防御。
そんなことをせずともエーテルの指輪を扱えるなら杖の一振りで無効化できそうなものだが。
そう思ったティターニアは、反応を見るために問いを投げかける。
「もしや……指輪の力を使えぬのか?」
女王は問いに応える代わりに、錫杖を振りかざし未知の魔法を解き放つ。
「――ディスインテグレート」
その正体は、全てを虚無に帰す分解消去の魔法。
まともに食らったティターニアは、あまりにもあっけなく小さな粒子に分解されて消えた。
「新世界の住人たるもの何人たりとも虚無への衝動には抗えぬ――
女神にして世界そのものたる私に刃向かった者の末路よ!」
勝ち誇っている女王の背後に、突如として砂の粒子が集まって形を成し、ティターニアが出現した。
分解消去の魔法が発動する寸前で危険を察知したテッラが、先にティターニアを砂と化して難を逃れたのだ。
「ホールド!」
背後から不意打ちを食らい、地面から伸びた岩の腕に拘束されるパンドラ。
「おのれテッラ! 我が被造物の分際で小癪な真似を……!」
「英雄達の時が昔のままで止まっているのをいいことにいいように利用しおって……!
英雄達は皆今なお世界を救おうとしておるのに――どうしてトップのそなたが世界を救おうとせぬ!?」
拘束されたパンドラに詰め寄るティターニア。
旧世界の英雄達とは、かつて女王と共に世界を救うべく虚無の竜に立ち向かった者達。
皆、未だ女王が未だ世界を救おうとしていることを信じて疑っていないかのように見えた。
しかし実際には女王はもはや滅びを望んでいる。
世界を救うために女王を守り抜いたところで、その先にあるのが滅びでは何の意味もないではないか。 「先程自分のことを女神にして世界そのもの、テッラ殿のことを被造物と言ったな?
そなたは一体……何者なのだ?」 その時爆音が炸裂し、アルダガと全の英雄との戦いに決着が着いたことが分かった。
パンドラは相変わらずティターニアの問いには答えず、その代わり静かに敗北宣言をしたのだった。
「もう良い――私の負けです」
女王は再び椅子に身を預け、毒気が抜けたような様子で語り始めた。
>「……私にはもう何もありません。英雄たちは破れ、エーテルの指環……全の指環は最後まで私たちを認めなかった。
行きなさい、新世界の勇者たちよ。ここより先の階段を下れば竜の神殿に向かう転移の魔法陣があります」
>「全の竜はその指環で目覚め、六つの指環を示せば力を与えるでしょう。
そして虚無の竜を打ち倒し……何を願うか、よく考えておきなさい。
どうか私たちのように……ならぬよう……」
「待て、勝手に死ぬでない! そなた一体何がしたかったのだ!?」
どこか安心したような様子で息を引き取るパンドラ。
息を引き取ると間もなく、まるで最初から実体が無かったかのように、光の粒子となって消えた。
>「女王パンドラ……あなたのことは最後まで嫌いでしたよ。
でも、世界を救おうとするその意志の強さだけは好きでした」
水の英雄オウシェンが入ってくる。
女王はもはや滅びを望んでいた、等と野暮なことを教えてあげるのはやめておいた。
>「……行こうぜ。俺たちはあいつらに託されたんだ」
「あやつら、我々を試しておったのかもな――」
こうしてついに竜の神殿へとたどり着いた一行。
竜を象った紋章に手を当てると轟音を響かせながら竜が住まう間への扉が開く。
一行を出迎えたのは、見る方向によって異なる色に見える、翼持つ巨大な竜だった。
竜は一行が入ってきたのを見ると、礼を言ったのだった。 『ありがとう、よくぞパンドラを解放してくれました。
これで、あなた達に虚無と戦う力を与えることが出来る――』
「どういうことだ……?」
全の竜は、かつて共に戦った英雄達でさえ知らぬかもしれない真相を語り始めた。
『その昔この世界で虚無の竜との戦いがあった事、あなた達の世界が虚無の竜の死体の上に成り立っているのは聞いていますね?
虚無の竜に次第に追い詰められ、このままいっては全てが滅びると悟った時、パンドラはある賭けに出ました
彼女は一縷の望みをかけて自ら虚無の竜に食われた――そして狙いは成功し、
彼女は虚無の竜の肉体と融合を果たし、新世界の礎そのもの――”女神パンゲア”となった。
しかし虚無の竜の肉体が世界の素体になる以上、争いが絶えず、ともすれば虚無へ回帰してしまう不安定な世界になるのは分かっていた。
それでも彼女は人間の可能性を信じ、新世界の女神となった。
一方の肉体から追い出された虚無の竜の魂はクリスタルに封印されることになった。
そしてあなた達が今しがた倒したパンドラは、彼女が僅かに残った旧世界の民のためにこちらに残した分霊。
しかし分霊であるため力が弱く、長い年月の間に争いの絶えない世界に絶望し虚無に飲まれてしまったのです。
ところで――パンドラから指輪は貰いましたね? さぁ、こちらに見せて下さい』
言われるままに指輪を掲げると、真っ白だった指輪が虹色に輝きだした。
『その指輪は私が作ったものですが力を貸すのは私自身ではありません。
エーテルの指輪、それは新世界の女神パンゲアと人を繋ぐもの――私はその橋渡し役に過ぎない』
先程倒した虚無に堕ちたパンドラは、言わば女神パンゲアの影――
倒されるべき自らの影に力を貸すわけもなく、パンドラがエーテルの指輪が使えなかったのも当然というわけだ。
尤も、力の源泉と同一存在の欠片であるパンドラが虚無に堕ちてしまった状態では、
何人にもエーテルの指輪の力は引き出せなかったであろう。
ティターニアは、光り輝く指輪をアルダガに差し出した。
「アルダガ殿……これはそなたが使うのがいいのではないか。
女王様は、仮初なんかじゃなかった――」
女神パンゲアが、本当に彼女の信奉する女神と同一存在なのかは分からない。
しかし少なくとも、世界を愛し、人間を愛し、人間の可能性を信じた女王は、確かに存在した―― バフナグリーさんの拳が光を帯びる。
神術による目が眩むほどの輝きの奥。二つの影が交差するのが辛うじて見えた。
そして光が徐々に収まって、私の目に映ったのは……崩れ落ちる、全の英雄の姿。
「バフナグリーさん!」
私は、気づけばバフナグリーさんに駆け寄っていました。
彼女の右腕を、皮膚の焦げていない根本から掴んで、引き寄せる。
すぐに、右手に集めた魔力で撫でるようにして、治癒の魔法を施す。
……効きが悪い。例え自傷であっても、これは、神の力によってもたらされた傷だから。
「しゃがんで。楽にして下さい」
『フォーカス・マイディア』を発動する。
負荷を軽減していたとは言え、もう大分、発動時間が嵩んできている。
刃物で指を切ってしまった時のような鋭い痛みが、頭の中で膨らみつつある。
だけど、中断する訳にはいかない。
フィリアさんが、炎の指環で周囲に癒やしの力を振り撒いている。
それでも……私は治療をやめない。
バフナグリーさんは……私の無茶な願いを、聞き届けてくれた。
この腕は、その代償。だから私が責任をもって治さないと。
……いえ、そうでなくとも。
「……痛いですか?少しだけ我慢して下さい。必ず治してみせますから」
バフナグリーさんに、こんな痛ましい怪我をさせたままでいたくない。
少しでも早く、少しでも楽に……彼女を、治してあげたい。
……不意に、視界がぼやけた。
『フォーカス・マイディア』の副作用……?
いや、違います。これは……ただの、涙。
嬉しくて……か、感極まって、泣いてしまうなんて……一体何年ぶりでしょう。
まるで五年前に戻ったような……変な気分です。
「バフナグリーさん、あなたが、無事でよかった。ほんとに、ほんとによかった」
あ、駄目ですこれ。止まらないやつです。
治癒魔法は続けたまま、私はバフナグリーさんの肩に顔を埋めて、鼻をすする。
「……ごめんなさい。あなたにしか、頼めない事でした」
女王パンドラが何か言っている。
本当は、彼女に聞かなきゃいけない事があったんです。
だけど……きっと、彼女はそれに答えてはくれないでしょう。
そんな言い訳を自分にして、私は動かなかった。
ただずっと、バフナグリーさんを抱きしめていた。 >「……行こうぜ。俺たちはあいつらに託されたんだ」
やがてジャンさんがそう言いました。
私は治癒魔法を切り上げて立ち上がると、白衣の袖で両目を拭う。
それからディクショナルさんの袖を掴んで……
無意識にまた同じ事を繰り返していた自分に、思わず笑ってしまいました。
「行きましょう、ディクショナルさん」
そして私達は転移魔法陣へと足を踏み入れて……周りに光が満ちる。
光が収まると目に映ったのは、竜を崇め奉る神殿。
その最奥には……常に移り変わる虹色の鱗を身に纏った、巨大な竜。
あれが……全の竜。
>『ありがとう、よくぞパンドラを解放してくれました。
これで、あなた達に虚無と戦う力を与えることが出来る――』
「どういうことだ……?」
そして全の竜は語り出す。
旧世界の女王が打った起死回生の策。
私達の世界の成り立ち。
>『その指輪は私が作ったものですが力を貸すのは私自身ではありません。
エーテルの指輪、それは新世界の女神パンゲアと人を繋ぐもの――私はその橋渡し役に過ぎない』
>「アルダガ殿……これはそなたが使うのがいいのではないか。
女王様は、仮初なんかじゃなかった――」
エーテルの指環に力が宿される。
ティターニアさんはそれを、バフナグリーさんへと差し出した。
……一応、この戦いの後で帝国がハイランドに戦争を仕掛ける可能性はまだ残っているのに。
まったくもう、ヒトがいい……。
「……帝国に指環をもたらす。確かに成し遂げましたね、バフナグリーさん。
他ならぬ指環の勇者様がこう仰っているんです。頂いておきましょう」
…………これで、指環の勇者様の物語の、本章はおしまい。
最後の指環を手に入れて、次の章では虚無の竜を倒して。
後は指環に各々願いを叶えてもらって……ハッピーエンド。
そう。ハッピーエンド。
誰もがそう呼ぶだろう結末が、もうすぐそこに見えている。
……僅かばかりの、謎を残しつつも。
私はその謎を、究明しようと思えば、そうする事が出来る。
だけど、本当にそれはすべき事なんでしょうか。
もしかしたらそれは……皆さんを、恐ろしいほどの危険に晒す事になるかもしれないのに。 「……ティターニアさん。いえ、先生」
私は、ティターニアさんを見つめた。
「もし、この滅びた世界に……まだ、誰も答えを知らない謎が残されているとしたら」
……これは、ただの言い訳。
誰か、誰でもいいから、私がこれからしようとする事を肯定して欲しかった。
曖昧な問いかけで、同意を、言質を取ろうとしているだけの……ズルいやり方。
それでも……ごめんなさい。
この謎は、一人で抱えて黙っているには、あまりにも重すぎます。
「どう、思いますか?その謎の正体を、知りたい、ですか?」
考古学の導師であるティターニアさんなら、もしかしたら。
「ジャンソンさん。私は結局、まだまだオークの事が分からないままです。
……だけど、あなたの事は……少しだけ、分かったような気がしてるんです。
何事も、中途半端は良くない……ですよね?」
当代の、最初の指環の勇者であるジャンソンさんなら。
「……ディクショナルさん。もし私が、もう一度。
何も聞かず、何も言わず、ただ手を握って欲しいとお願いしたら……それを、聞いてくれますか?」
あの時、私の手を握り返してくれた、ディクショナルさんなら。
「バフナグリーさん」
最後に私は、バフナグリーさんを見つめた。
「私が今からする事は、別に帝国の為ではありません。
それどころか……むしろ、誰の為にもならないかもしれない。
……それでも、力を貸してくれますか?」
そして……私は全の竜へと振り返った。
「すみません。少し、聞きたい事があります。
まだ明らかになっていない、幾つかの謎についてです」
『謎?……勿論、構いませんよ。私に分かる事でしたら、全てお答えします』
全の竜が静かに、私を見下ろした。
「……指環の伝承については、あまり詳しくはないのですが。
全ての指環を揃えれば、ありとあらゆる願いが叶う……世界を意のままに操る事さえ可能、そうですよね?
では……先代の指環の勇者は、戦いを終えた後、指環に何を願ったのですか?」
『先代勇者の……願い?ははは、些か気が早いようにも思えますが……。
覚えていますよ。彼らは、自分達で国を作る為の土地を求めていました』
「それだけ、ですか?」
『ええ。後は……戦災の復興の為に幾つか、小さな願いがあったくらいです。
勿論、その全てが叶えられました。願いは一つだけ、なんて心の狭い事は言いませんよ』 「……そうですか」
……この先。この先です。
「では、もう一つ」
次に私が問いを口にすれば、もう後戻りは出来なくなる。
どうか……口を噤む事が出来なかった私のわがままを、許して下さい。
「……あなたがこの世界を元通りに直さないのは、何故ですか?」
全の竜が常に纏っていた柔和な雰囲気が、一瞬で霧散した。
『……私も、そうしたいのは山々なんですよ。
ですがかつての虚無の竜との戦いで、私は最早本来の力を失ってしまった』
「いいえ、そんなはずはない。このセント・エーテリアの状態がその証明です。
虚無の竜が世界を滅ぼそうとしている時、あなたはずっとここにいたんだ。一体どうして?」
全の竜は……何も答えようとはしなくなった。
ただ私を、じっと見下ろしている。
「それだけじゃありません……先代の勇者が、世界の平和を願わなかった理由は?
指環の勇者なんてとびきりの慈善事業をやり遂げたお人好しが、その願いを、考えもしなかった?」
その可能性も、まったくないとは言い切れない。
だけどもっと……納得の出来る説明がある。
「本当は……叶えられなかったんじゃないですか?その願いを」
バフナグリーさんに受け渡された、エーテルの指環。
その力の源は、女神パンゲアだと聞かされました。
だけど指環とは本来……死を伴う物であるはず。
いかなる原理かは分かりません。
円環を描く事で、その力に絶えず巡り続ける性質を付与するのか。
……ともあれ、力ある者が死を迎える事で、指環は完成する。
「肝心要の、全の指環の力が不十分だったせいで」
ならば、全の指環の素体となる死者は一体?
女神パンゲアは力の提供者に過ぎない。
全の竜自身が、全の指環は自分が作り出したと言っている。
であれば、全の指環を完成させる為には……全の竜が命を捧げる必要があったはず。
だけどそれは、今この場で成されなかった。
そして恐らくは、先代勇者の時も、それ以前も、一度たりとも成される事はなかった。
「これが、僅かに残った謎……真実を、教えて下さい」
全の竜は、黙っていた。
『……ふ、ふふ』
……ですが不意に、笑い声が聞こえました。
全の竜の口元から零れ落ちた声。
それは次第に大きくなって……暫し、地を、大気を、揺るがすほどの哄笑が周囲に響く。 『真実?真実ならもう分かってるじゃないか。
私はあの時、滅びゆく世界をここから眺めていた。
世界の平和なんてつまらない願いを、全て足蹴にしてやった』
全の竜の口元が、裂けんばかりの笑みを描いた。 『それ以上の何が必要なんだ?君達はもう、真実に辿り着いている』
「……いいえ。私には……私達には、理解出来ない。
あなたが何故、自分の創造したこの世界の滅びを、ただ眺めていたのか」
全の竜は私達を見下ろしたまま、暫し考え込むような仕草を見せました。
『……そうだなぁ。理由か。確かにそれを教えてやった方が、面白くなるかもしれない』
「……面白く、ですって?」
……あなたが傍観を決め込んだ事で、一つの世界が滅んだというのに。
その理由を、言うに事欠いて、面白くなるから教えてやる?
やはり、この竜は……。
『ああ、そうとも。面白いか、どうか。それこそが私の唯一無二の判断基準だ。
この世界を虚無の竜が襲い、私の被造物がそれに抗う様は壮観だった。
君達の世界も、常に争いが絶えなくて見ていて飽きないよ』
「……狂ってる」
『まぁ君達の尺度で見れば、そう思うのは無理もない。
だが私にとっては切実な話なんだよ、これは』
全の竜が揺らめく虹色を帯びた翼を、軽く振るって見せる。
瞬間、地を走るように無数の花々が周囲に咲き誇る。
それだけじゃない。
この閉ざされた神殿の中に、陽光が注ぎ、風が吹き、川のせせらぎが聞こえてくる。
『どうだい、綺麗なものだろう。だが私にとってはこんなものは、ただの属性の集合体に過ぎない。
退屈だったんだ、私は。
私が遥か昔、まだこの世界すら存在しない虚無の中に生まれた時からずっと』
……全の竜が、その翼をもう一度振るう。
『虚無の中は、恐ろしく退屈だった。なにせ何もかもが存在しないんだからね。
だから、私はこの世界を造った。暖かで、清く、豊かで、滞る事のない世界。
でも、同じだった。私にはこの世界で起こる事、見えるもの、その全てが予測出来た。それでは虚無と変わらない』
生み出された『世界』が掻き消えて、周囲には元通り、神殿の内装が戻ってくる。
『だから私は、この世界に生命を造った。私以外の、不完全な、しかしそれ故に多様性を持つ存在を。
……その試みは、上手くいった。少なくとも暫くの間は。
彼らは文明を築き、進化していった。その様を眺めているのは……それなりに、退屈しなかった』
「なら……何故」
『君なら分かるだろう。発展も進化も、永遠に続く事はない。
停滞してしまったんだ。少しずつ、暮らしが便利になる程度の進化はあったけど。
だけどそれは私にとってはただの退屈な時間だった』
そう言うと、全の竜は……くつくつと笑った。 『そんな時だった。アイツが現れたのは』
「……虚無の竜」
『そう。アイツは、私の造った世界を見る間に食い散らかしていった。
最初はね、私も止めようと思ったんだ。
また一から世界を育てるなんて……そんな退屈な事、したくなかったからね』
心底、愉快そうな笑み。
『だけど……私は気づいてしまったんだ。
偉大な存在として生み出された竜達が、矮小な人間の為に命を懸ける様も。
竜に遠く及ばぬ人間達が、そのちっぽけな命を燃やして巨大な滅びに抗う様も』
心臓の鼓動が早鐘のように加速していくのを感じる。
怖い。得体の知れないものを目の当たりにする恐怖が毒のように、私を侵していくのが分かる。
『その無数の感情と、信念の爆発は……属性では言い表せないほど、美しかった。
だからつい、思ってしまったんだ。もう少しだけ見ていたい、と。
もう少しだけ、もう少しだけ見たら、彼らを助けようと』
……私は、全の竜の話を聞きながら、呼吸を整えていた。
先ほどの戦いの疲労は……殆ど残っていない。
炎の指環による治癒のおかげです。
『気がついたら、この世界は殆ど滅んでしまっていたよ。
だけど私はそれでも満足出来なかった……もっと見ていたかった。
あの悲劇を。英雄達の物語を』
「……もう、結構です。知りたい事は全部分かりました。これ以上は、聞きたくない」
『そうかい?そりゃ残念……しかし、ふふ。
パンドラがしてくれた事は私にとっても素晴らしい試みだったよ。
永遠に繰り返される争い。私を楽しませる為の舞台を、彼女は整えてくれたんだ』
「『竜の天眼(ドラゴンサイト)』」
既に神殿の外に形成していた球体ゴーレムが一斉に、火を噴いた。
放たれた弾丸は神殿の天井を容易く貫通、粉砕して……全の竜の肉体に、無数の穴を穿つ。
……その傷が、まるで水面のように元に戻っていく。
それは生物的な再生ではなく……もっと超然とした、再現。
『いいね、面白い。面白いよ。永遠にも思えるほどの時を生きてきた。
だが……私を滅ぼそうとする人間は、久しぶりだ。本当に久しぶりだ』
全の竜は余裕の笑みを浮かべたまま、私を見据えた。 『よろしい、かかってきなさい。自分の力で戦うなんて、生まれて初めてだけど……それもまた一興だ。
ああ、心配はいらないよ。君達が負けてしまったとしても、ちゃんと元通りにしてあげよう。
五分ほど前からね。ちなみに今は……ええと、三回目だったかな?』
「戯言を……」
……とは言ったものの、やはり、強い。
いえ、強いと言うよりは……まさしく、神がかっているとでも言うべきでしょうか。
『……おや、どうしたんだい。もしかして、怖気づいたのかな?
それならそれで構わないよ。君達は何事もなく世界を救い、舞台は続く。
私はそれでも困らないからね』
……勝機は、ない訳ではない。
私のドラゴンサイトは、確かに全の竜の頭部を撃ち抜いていた。
首筋にも、辛うじて首の皮が一枚残る程度の大穴が空いたのに、それでも奴は生きていた。
『世界を創造する力』……。
その力は、奴の存在そのものすら復元、再現出来るのでしょう。
ですが……指環の力なら。
四竜三魔、彼らもまた世界を創造する力の片鱗。
彼らの力を借りれば、全の竜の存在に傷をつけられるかもしれない。
それに……エーテルの指環。
新世界の創造神とも言える、パンゲアの力。
その力を、バフナグリーさんが引き出せれば……。
だけど……これは私が決めていい事じゃない。
……怒りを抑え切れなくて、つい発動したドラゴンサイト。
アレで仕留めきれなかったのなら……もうこれ以上はいけない。
私が独断で戦いを始める訳にはいかない。
私は、指環の勇者では、ないから。
全の竜の存在は……ある意味では、保険でもある。
彼が「劇」を望む限りは、恐らく私達の世界が滅ぶ事はない。
滅ばない程度に、全の竜は力を貸してくれるでしょう。
全の竜と、ここで事を構えるべきなのか、否か。
私には……分からない。
指環を持つ皆さんの方を振り返る。
私はきっと……縋るような目をしていた。 【今まで出てきたり出したりした設定を振り返ってたら、こんな事になりまして……。
エクストラステージに進むかどうかは、おまかせします】 >>183
お前の自画自賛本気で醜いから消えろや
バレてないと思ってるの?
なあウンコマン >>183
ラテカスさあ毎回そうやって迷走するよなあ 神術の炸裂が終末の鐘の如く響き渡り、死闘が終わりを迎える。
全の英雄の倒れる音と、アルダガの荒く不安定な呼吸。
それ以外の一切の音が介在しない静寂が、帳を降ろすように横たわる。
「――――っ」
最早言葉にすらならない呻きのようなものを上げて、アルダガもまた力尽きた。
焼け焦げた右腕に痛みはなく、そして痛み以外の感覚もない。
緊張の糸がぷっつりと途切れて、彼女は足の支えを失った。
仰向けに、倒れていく。
>「バフナグリーさん!」
その背を受け止める者がいた。
駆け寄ってきたシャルムがアルダガの肩を支えて、炭化した右腕を掴む。
皮膚の成れの果てがポロポロと溢れ落ちて、亀裂から血が溢れ出ていた。
「シアンス、殿……」
>「しゃがんで。楽にして下さい」
しかし血はすぐに止まった。
シャルムの回復魔法が焦げた血肉を癒やし、傷を埋め、新たな皮膚が形づくられていく。
同時に、沈黙していた神経が再び感覚を取り戻して、痺れるような痛みが腕から全身を駆け巡った。
「あっ、痛ぅぅぅ……!シ、シアンス殿、もう少し手心を……!」
>「……痛いですか?少しだけ我慢して下さい。必ず治してみせますから」
灼け尽き、失われていた肉体の機能を取り戻しているのだから、痛みがぶり返すのは当然と言えば当然だ。
全の英雄を打ち倒すのに、犠牲を払わずに済むなんて端から考えてなどいなかった。
右腕一本と引き換えに世界を救えるのなら、甘んじてそれを受け入れるつもりだった。
しかし――
>「……ごめんなさい。あなたにしか、頼めない事でした」
アルダガの肩に額を付けて、しゃくり上げるシャルムの姿を見たとき、彼女は心に何か温かいものが満ちていくのを感じた。
無事な左腕で、シャルムの頭を抱き寄せる。
世界を救うのに、見返りを求めるつもりはなかった。
黒騎士としての使命であり、女神を奉ずる者として当然のことだと認識していた。
だが、こうして傷ついたアルダガを見て、涙を流してくれる人がいる。
払った犠牲を取り戻さんと、失ったものを補わんと、必死に手を尽くしてくれる人がいる。
その温もりは、異教徒を滅したあとに、聖女を通じて交わされる女神のお褒めの言葉よりも、ずっと心地が良かった。
「貴女がそう言ってくれるのなら……戦った甲斐がありました、シアンス殿」
肩から伝わってくるシャルムの体温を感じながら、アルダガは零すように呟いた。
見返りを得て喜ぶなど、修道士として失格かもしれない。
だけど今はきっと、それで良い。それで良いのだと、心から思える。
(女神様。拙僧は今でも、貴女に対する信仰を失ったわけではありません。
ですが……"わたし"の選んだ守るべきものもまた、こんなにも尊いのです)
人民を救うなどと、上から目線で御大層な大義がなくても、人は戦える。人を救える。
他ならぬ証が、いまこの手の中にある。
シャルムを抱き締めながら、アルダガは自身の心の変容を、そう肯定した。
――――――・・・・・・ アルダガと全の英雄とが一騎打ちを演じる一方で、スレイブ達は女王パンドラと対峙していた。
ティターニアが大地の指輪の力で女王を翻弄し、岩の根がその動くを封じる。
全の英雄からの助けを得られず孤立しパンドラは、やがて指輪の勇者達に追い詰められていった。
そして、アルダガが全の英雄を打ち倒す。全てに決着がつく。
>「もう良い――私の負けです」
全の英雄の敗北は、旧世界の民に抵抗の術が残されていないことを意味していた。
パンドラは諦めたように椅子へと腰掛け、周囲から護衛の騎士たちが消える。
女王もまた静かに息を引き取って、指輪の勇者を阻むものは何もなくなった。
>「女王パンドラ……あなたのことは最後まで嫌いでしたよ。でも、世界を救おうとするその意志の強さだけは好きでした」
息絶えた女王の姿を複雑な面持ちで眺めるのは、旧世界の英雄が一人、オウシェン。
ジャンと戦い、その力量を測っていた彼女は、指輪の勇者達に向き直る。
>「パンドラがいなくなったことで不死者たちは統制を失い、神殿へと獲物を求めてやってくることでしょう。
理性もなく、本能のみで生きる人間なぞ獣以下の存在でしかありません。
そのような者たちにこの神殿を乗っ取られるなど言語道断、私と生き残った英雄でここを守ります」
「先程から神殿の周りから聞こえてくる叫びは、そういうことか。
他人のことを言えた義理じゃないが、あんたたちも満身創痍だろう。大丈夫なのか?」
スレイブの問いに、オウシェンは見くびってくれるなとばかりに鼻を鳴らした。
>「火と闇と光と土と……爺様も生きておられるようですね。
爺様に治療してもらえればなんとかなるでしょう、ほら爺様起きてください!寝たふりしないで!
魔力封印?爺様なら集中すればすぐに解除できます!」
指輪の勇者と対峙し、打ち倒された英雄たちが、一人また一人と立ち上がる。
全身に傷を負い、武装の砕けた者もいるが、その双眸には未だ戦意の火が宿っていた。
「俺を忘れるなよ、水臭いじゃないかオウさん。……水だけにさ」
突風が玉座の間を洗い、風の英雄ザイドリッツがふわりと着地する。
スレイブによって刻まれた刃傷は未だ残っているが、血は止まっているようだった。
「……生きてたのか」
「よく言うぜ、トドメ刺していかなかったのは君だろ。詰めが甘いよ、詰めが。気をつけなよ?
まぁ死に体ではあったんだけど……俺がまだ生きてるのは多分、女王様の差配さ」
ザイドリッツの言葉に、スレイブも合点がいく。
女王の最期は、彼女が自ら命を絶ったように見えた。
パンドラは自身の消失が不死者を暴走させることまで読んでいて、あえて余力を残して絶命したのだ。
自分の命の維持に使う魔力を、英雄たちの回復に充てた。
致命傷を負ったはずのザイドリッツが、こうして戦線に復帰できているのが何よりの証左だ。
「餞別だ、持っていきな」
不意にザイドリッツが放ったものを、スレイブは片手で受け止めた。
それは黒騎士の証、ブラックオリハルコンの長銃。ザイドリッツが百年前の黒騎士から奪ったものだ。
「これをどうしろと……」
スレイブは困惑した。渡された長銃は銃身が半ばから綺麗に断たれている。
他ならぬスレイブが、ザイドリッツとの戦いで破壊した銃だ。 「そっちの世界で俺を弔ってくれるんだろ?墓標代わりにでもしといてくれ。
うまい感じにソードオフになってるから撃てないこともないだろうけど、まぁお勧めはしないかな」
「……懐に入れておけば、盾くらいにはなるか」
風の英雄の真意が読めないまま、スレイブは長銃を腰帯に差した。
ザイドリッツは満足したように頷くと、オウシェンと共に神殿の出入り口へと向かっていく。
>「……行こうぜ。俺たちはあいつらに託されたんだ」
ジャンがそう言って、踵を返した。
一度は殺し合いを演じ、同じ目的のもと集った英雄と勇者が、再び袂を分かつ。
(託された、か)
世界を救いたいというザイドリッツの言葉に嘘はなかった。
そして、英雄たちが幾万年もの間掲げ続けてきたその責務は、正しく指輪の勇者たちに託されたのだ。
スレイブは、腰の壊れた長銃に手を置く。
進もう。託されたものと、意志を背負って。彼らの悲願もまた、スレイブ達と共にある。
>「行きましょう、ディクショナルさん」
スレイブもまた一歩踏み出そうとすると、何かに引っ張られるような感覚があった。
アルダガの治療を終えたシャルムが、神殿へ来たときと同じように、彼の袖をつまんでいた。
「………………」
スレイブはしばらく無言で立ち止まり、思案に思案を重ねて、行動に移した。
袖をつまむシャルムの手を振り払う。
「もしかするとまた分断される可能性がないこともないかもしれないからな。こうするのが、おそらく多分合理的だ」
スレイブはシャルムの方を見ることなく、自由になった手で、シャルムの手を握った。
手のひらから伝わる彼女の体温と、血の巡る鼓動。
彼に力をくれるその全てを確かめるように感じながら、スレイブは転移陣を踏んだ。 視界を包む光が晴れると、そこはこれまでとは別の神殿だった。
竜を象った意匠がそこかしこにあしらわれ、静謐と荘厳とが渾然一体となって見る者を包む。
パンドラのいた玉座の間とは異なり、生気に満ちた瑞々しい気配が充溢していた。
アルダガは目を閉じ、周囲の気配を探る。不死者の律動はどこにもない。
(星都の……更に隔離された空間、ですか。女王パンドラが、虚無の竜から最期まで護り通したもの)
巨大な扉を開いた先には、巨大な玉座を温めるように座する巨竜の姿。
――『竜の間』。星都を巡るこの旅の、最終目的地だ。
>『ありがとう、よくぞパンドラを解放してくれました。
これで、あなた達に虚無と戦う力を与えることが出来る――』
ティターニアの求めに応じて、全竜は真相を語る。
女王パンドラが虚無に墜ち、不死者の王として星都に君臨し続けた理由。
そして、アルダガ達の奉じる女神の正体――
「それではエーテルの指輪を司るのは、女神様ということですか……?」
他の指輪が四竜三魔の力を封じ込めたものであるように。
エーテルの指輪は、女神パンゲアの奇跡を凝縮し、形を成したものだった。
おそらくは、同じ理屈で力を得る神術よりも、更に奇跡の本領に近い力を手にすることができるだろう。
(……どうやら、指輪の勇者たちとわたしの旅は、ここで終わりのようです)
女神の力を司るエーテルの指輪は、本質的にはアルダガの持つ神術の力と同一だ。
それは逆説的に、神術使いとしてのアルダガが指輪の勇者と共に居る妥当性を否定するものとなる。
エーテルの指輪があれば、アルダガと同じ力をアルダガよりも高い精度で扱うことができるからだ。
思えば、星都への旅路は彼女にとって、帝国の全ての民を救うための使命を帯びた戦いだった。
既に話のスケールは一国の範疇などとうに越えて、指輪の勇者が救う対象は「世界」になっている。
復活した虚無の竜が今度こそ世界を食らいつくせば、帝国も連邦も王国も、国家の垣根など意味を為さないのだ。
だから、アルダガが指輪を求める理由は、最早帝国上層部への義理立てだけだ。
聖女はまたぞろマジギレするかもしれないが、そのためだけに勇者から指輪を奪う気にはならない。
アルダガが真に守りたいのは帝国ではなく……そこに生きる民だからだ。
指輪の勇者たちと共に戦い続けることが出来ないのが、残念ではないと言えば嘘になる。
しかし、帝国の強い意向を受けている立場のアルダガが勇者一行に混ざれば、待っているのは再びの政争だ。
無粋な横槍を避けるには、やはりアルダガはここで離脱すべきだろう――
彼女はそう結論付けて、指輪の勇者たちより一歩下がった。
しかし全竜との対話を終えて振り返ったティターニアは、真っ直ぐアルダガの方へ歩いてきた。
>「アルダガ殿……これはそなたが使うのがいいのではないか。女王様は、仮初なんかじゃなかった――」
差し出されたエーテルの指輪。
その行動が意味するところを、彼女はしばらく理解できていなかった。
「え……あ……えぇっ!?ティ、ティターニアさんっ!い、良いんですか……?」
アルダガが最後の指輪を手にすれば、これまでのように国家に囚われずに行動することは出来なくなる。
言わば現在のアルダガは帝国のエージェントだ。国家の意志によって指輪を探索している。
その『成果』として指輪を得れば、帝国上層部はそれを『有効に』使うことだろう。
行き着く先はハイランドやダーマとの戦争。
表立って開戦はしなくとも、指輪の力を背景に不平等な交渉を迫ることもあるだろう。
指輪の勇者たちにとって益となるものはなにもないはずだ。 >「……帝国に指環をもたらす。確かに成し遂げましたね、バフナグリーさん。
他ならぬ指環の勇者様がこう仰っているんです。頂いておきましょう」
「シアンス殿っ!?」
思わぬところから謎の援護射撃が飛んできた。
そう、国家間のしがらみや上層部の意向を無視するなら、エーテルの指輪の入手はアルダガにとっても悲願であった。
旧世界の女王が、新世界で女神となって造った指輪。それを賜るのは修道士としてこの上ない誉れだろう。
正直に言えば、喉から手がでるほど欲しい逸品ではある。
「……受け取れませんよ、ティターニアさん。帝国に指輪が渡れば、それは戦争の火種になります」
言葉とは裏腹にアルダガは手を伸ばし、ティターニアの手からエーテルの指輪を拾う。
巨大なメイスを振るい続けたために常人よりも大きいアルダガの指に、指輪はピタリと嵌った。
「ですが、一時的に預からせていただきます。約束、覚えていますよね?
星都での旅が終わったら、指輪を賭けた立ち合いが待っています。真の所有者は、それを経て決めましょう」
指輪を嵌めた手を確かめるように握ったり開いたりしながら、アルダガは言葉を返した。
当初の予定に変更はない。決着を着けるその意志は、未だなお胸の中にある。
さあ、あとは星都を脱出し、指輪を新世界に持ち帰るばかりだ。
竜の間を辞する支度を整えていると、シャルムが不意に思案を言葉にした。
>「もし、この滅びた世界に……まだ、誰も答えを知らない謎が残されているとしたら」
>「どう、思いますか?その謎の正体を、知りたい、ですか?」
「……シアンス殿?」
エーテルの指輪を含む、全ての指輪を手に入れて、残るは虚無の竜との最終決戦。
大団円まであと一歩というところで、シャルムは足を止める。
その表情には、謎への探究心というよりかは、もっと根源的な"怯え"のようなものが見て取れた。
>「……ディクショナルさん。もし私が、もう一度。
何も聞かず、何も言わず、ただ手を握って欲しいとお願いしたら……それを、聞いてくれますか?」
問われたスレイブはほんの数瞬、真意を探るように目を動かして、すぐに頭を振った。
シャルムの言葉が駆け引きや暗黙の訴えなどではなく、純粋な願いであると、気づいたのだ。
「貴女が何をしようとしているのか、俺は知らない。だが、何をするのだとしても……俺は貴女の隣に居よう」
スレイブは返答と共に、シャルムの手を再び握った。
そしてシャルムは、アルダガへと目を向ける。
>「バフナグリーさん」
>「私が今からする事は、別に帝国の為ではありません。それどころか……むしろ、誰の為にもならないかもしれない。
……それでも、力を貸してくれますか?」
「そんな他人行儀なこと言わないで下さい、シアンス殿……。わたしの守りたいものの中に、貴女もまた入っているんです。
帝国だからとか、新世界だからとか、そんなことは関係なしに、わたしは貴女を守ります」
仲間たちに一通り声をかけてから、シャルムは全竜へと向き直った。
>「すみません。少し、聞きたい事があります。まだ明らかになっていない、幾つかの謎についてです」
シャルムの問いに真摯に答えていた全竜。
しかしその態度は、ある質問を境に豹変することとなる。 >「これが、僅かに残った謎……真実を、教えて下さい」
全竜が笑う。裂けた口からのぞく、無数の牙は、彼のこれまで隠していた獰猛さの発露だった。
>『真実?真実ならもう分かってるじゃないか。私はあの時、滅びゆく世界をここから眺めていた。
世界の平和なんてつまらない願いを、全て足蹴にしてやった』
かつて世界を救うために戦った、先代の指輪の勇者たち。
いや、先代だけでなく、その前の代も、その前の前の代も、ずっと以前の勇者たち。
彼らが一様に望んだであろう世界平和は、指輪の力で叶えられるはずだった願いは。
――眼の前で心底愉快そうに語るこの全竜によって、阻止されていたのだ。
「ふざけるな……!!」
全竜の言葉をシャルムの隣で聞いていたスレイブが、怒りを露わにして叫んだ。
「ふざけるなよ、ふざけるな……!それじゃあ、これまで先代たちや、旧世界の英雄たちが払ってきた犠牲は……
彼らが願い、旅の果てに死力を尽くした戦いは、まるで――」
『――まるで無意味な、茶番。そう言いたいのだろう?ひどいことを言う奴だな。
君は興行の前座で痴態を晒す道化を、無意味なものだと斬って捨てるのかい?』
「貴様――!!」
激昂したスレイブが剣を手に飛びかかる。
怒りに任せた愚直な突進は、竜の鼻息一つで吹き飛ばされた。
『茶番などではなかったさ。彼らは優秀な道化だった。見ていて飽きないほどにね。
これからもそれは変わらない。君たちは私の書いた筋通りに世界を救うだろう。
私はひとしきりその過程を楽しんだあと、君たちの冒険譚を閉じて本棚にしまう。
よく頑張った、感動した、心躍ったと感想を述べてね。そしてまた次の勇者が生まれるのを心待ちにするのさ』
アルダガもまたメイスを構え、全竜と対峙する。 「それを聞いて、拙僧たちがおとなしく貴方の思い通りにするとでも?」
『するとも。虚無の竜から世界を救うという点においては、私と君たちの願いは同じなのだからね。
まさか世界を救わないなんて言い出すつもりはないだろう?それは困るなぁ。
せっかくここまで"育てた"最高の道化達が、舞台から転げ落ちてしまうのは良くない。
君たちの頭の中身を少々弄って、素直に世界を救いたくなるように仕向けてみるのも悪くないかもしれないね』
「心配せずとも、世界は救ってやる」
叩きつけられた壁の中に埋まっていたスレイブが、瓦礫を跳ね除けて起き上がった。
「貴様の描くシナリオなど知ったことじゃない。この下らない輪廻を、俺たちの代で終わらせる。
貴様が永遠の繰り返しを望むのなら、虚無の竜よりも先に貴様を滅ぼすだけだ」
『こらこら、観客に刃を向ける道化がどこに居ると言うんだい。
……いや、そういうのも趣向としては悪くないか。観客参加型の戯曲というのも、世界にはあったね。
よし、君の望む通りにしよう。私は何をすれば良い?舞台に上がって一緒に歌えば良いのかな』
「抜かせ……!」
『そら、第一楽章が始まるぞ。まずはロンドから踊って貰おうか――"破滅への輪舞曲"』
瞬間、神殿を構成していた石壁が消失した。
外には星都の密林が広がっているはずだが……目に飛び込んできたのは荒野。
地平線の彼方まで、木の一本すら見えないひび割れた荒野だ。
失われた天井の代わりに空には暗雲が立ち込め、雲の隙間から幾条もの稲光が降ってくる。
土砂降りの雷雨と、暴風。
どこからともなく押し寄せる濁流は、まるで嵐の海の上のようだ。
……"ようだ"ではない。いつの間にか、指輪の勇者たちは今にも沈みそうな船の上に放り出されていた。
荒波に揉まれ、転覆寸前にまで傾く船。足元の甲板の、濡れた木材の感触まではっきりと感じる。
「これは、空間の書き換え……滅びをもたらす天災を、『創造』した――!?」
『船旅と嵐による難破。艱難辛苦の代名詞とされるものさ。
今の時代は飛空艇なんて言う便利な乗り物が普及してしまったけど、あれは良くない。つまらない。
やはり冒険はこうでなくてはね』
船底に穴が空き、またたく間に海水が入り込んでくる。
難破寸前の船にトドメをささんとばかりに、濁った高波が空を覆い尽くした。 【全の竜との戦闘開始。『創造』の力により嵐の中で難破寸前の船の上に放り出される。】 全の竜が待ち受ける広間は華やかではないが気品を感じさせる装飾が施され、
旅の終わりに相応しい場所であった。
>『ありがとう、よくぞパンドラを解放してくれました。
これで、あなた達に虚無と戦う力を与えることが出来る――』
そうして全の竜が語り出すのは、旧世界の終焉と女神の誕生。
おとぎ話ですら語られることのなかった、世界創造の真実だ。
>「アルダガ殿……これはそなたが使うのがいいのではないか。
女王様は、仮初なんかじゃなかった――」
ジャンは一介の冒険者にすぎない。だが、教会からの出向とはいえ黒騎士のアルダガが指環を持つという意味は理解していた。
行動そのものが帝国の意志を示す黒騎士が女神に認められた証を持ち、自在に操る。
それは帝国と教会の間に軋轢を生み、ハイランドやダーマへの侵攻どころか
この大陸に広く信仰を持つ教会すら敵にするということ。
だが、それでもジャンは思う。
信仰に敬虔であり続け、一行をここまで守り抜いてくれたアルダガならば。
女神は虚像ではなく、本当にいたということが示されたならば。
それは報われるべきなのだと。
「とっとと受け取っちまえよ、どうせ俺たちじゃ使えねえしな」
>「……帝国に指環をもたらす。確かに成し遂げましたね、バフナグリーさん。
他ならぬ指環の勇者様がこう仰っているんです。頂いておきましょう」
「ほれ、帝国代表様が言っておられる。
とっとと嵌めて、帰ろうや」
結局指環を受け取ってはくれたものの、アルダガは頑固な姿勢を崩すことはない。
帝都で交わした約束をまだ実行するつもりでいるらしい。
>「ですが、一時的に預からせていただきます。約束、覚えていますよね?
星都での旅が終わったら、指輪を賭けた立ち合いが待っています。真の所有者は、それを経て決めましょう」
「なあティターニア、やっぱり俺たちでやんないとダメかな……
今のうちに俺の頭を覚えておいてくれ、きっとあのメイスでへこんで形が変わっちまうから」
アルダガの強靭な意志を秘めた目はまるで伝説に語られるオリハルコンのようだ。
確かに決闘はオーク族として誉れではあるが、思わずジャンはその目から目線をずらしてティターニアにこっそり耳打ちする。 さて、一行がどうやって帰るかとなったそのとき。
帝国の一流魔術師たるシャルム・シアンスがぽつりとつぶやく。
それは指環の勇者たちに対する問いかけであり、全の竜への問答でもあった。
>「ジャンソンさん。私は結局、まだまだオークの事が分からないままです。
……だけど、あなたの事は……少しだけ、分かったような気がしてるんです。
何事も、中途半端は良くない……ですよね?」
「……ああそうだ。やるなら最後まで、諦めは死……それが俺たちオークさ」
まるで気づいてはいけないことに気づいた子供のような、
王族の秘密を知った侍女のような表情でシャルムは語り始める。
先代勇者が願ったいくつかの出来事、そして唯一叶えられなかった、たった一つの願い。
そして、全の竜は真の姿を現す。
>『茶番などではなかったさ。彼らは優秀な道化だった。見ていて飽きないほどにね。
これからもそれは変わらない。君たちは私の書いた筋通りに世界を救うだろう。
私はひとしきりその過程を楽しんだあと、君たちの冒険譚を閉じて本棚にしまう。
よく頑張った、感動した、心躍ったと感想を述べてね。そしてまた次の勇者が生まれるのを心待ちにするのさ』
「……閉じる?閉じるってのはどういう意味だ!?」
『そのままさ。指環を全部返してもらった後、記憶をいじって故郷にでも送り出す。
かくして勇者は故郷に戻り、静かに幸せに暮らしましたとさ……』
「ふざけんじゃねぇぞ!!ここまでやってきたことも全部お前がやったってのか!」
『私は観客。透明な壁の向こうでただ楽しむだけさ。
役者たちは衣装と道具を与えれば常に自分で筋書きを整えてくれるからね……私は指環という大道具係でもあるかな?』
>「貴様の描くシナリオなど知ったことじゃない。この下らない輪廻を、俺たちの代で終わらせる。
貴様が永遠の繰り返しを望むのなら、虚無の竜よりも先に貴様を滅ぼすだけだ」
「シェバトからの付き合いだけどよ――スレイブ、お前は本当に気が合うぜ。
自分の道を好き勝手に弄られて黙ってられるか!」
ミスリルハンマーに指環の魔力を纏わせ、大瀑布のごとき水圧が大槌に宿る。
そうして各々の得物を全の竜に突きつければ、それが開始の合図だ。 >『そら、第一楽章が始まるぞ。まずはロンドから踊って貰おうか――"破滅への輪舞曲"』
>「これは、空間の書き換え……滅びをもたらす天災を、『創造』した――!?」
「全ての竜だからなんでもありってか!だけどよぉ!」
『専門家がいることを忘れてないかな!』
ジャンが荒れ狂う波と激しく叩きつけるように降り注ぐ豪雨に向けて指環をかざせば、
波は静かに、雨と雷雲は即座に霧散して青空が広がる。
船底から入り込んだ海水も戻り、逆に船を包む壁となって滑らかに海面を進んでいく。
「苦労しなけりゃ冒険じゃねえなんて、それこそ見ている側だけの感想さ。
いかに楽して安全に旅するかってところに力を入れるのが冒険だぜ」
『観客は刺激を求めるものなのだが……では、次の章に移るとしよう。
喜劇か悲劇かは君たち次第――"終わりよければ全てよし"』
いつの間にか全の竜の声だけが辺りに響き、雲一つない晴天だった空は今にも振りそうな曇天へと移り変わる。
船はどこかの港へと静かに着き、甲板から桟橋へ向けてタラップが勝手に伸びていく。
「……降りろってことか。茶番に付き合えとさ」
『指環の勇者たちはなんとか嵐を乗り越え、近くの港町へとたどり着いた。
だが町を歩く人々は何か事情を抱えているのか、表情は空の如く重苦しい』
港を歩く水夫や住人の顔は全の竜が語る通り暗く、何かに怯えているようだ。
ジャンが事情を聞いてみようと近づくが、誰一人として言葉を交わさず離れて行ってしまう。
『事情も分からぬまま勇者たちは町を歩き、そして市場で騒ぎに遭遇した』
言われたまま市場に辿り着いてみれば、そこにはボロボロの布切れを纏った複数の老人と子供が槍や剣を持ち、
町人たちに突きつけては食料を奪っていく。
『当然勇者たちは止めようとするが、老人の中で眼帯を付けひときわ立派な体格をした老人が勇者たちの前に進み出る』
「あんたら余所者には分かんねえだろうがな、こいつらは俺たちを捨てたんだ!
五年前に帝国への徴税として食料が片っ端から持ってかれ、口減らしとして働けない赤ん坊と老人を
魔物の住む洞窟に片っ端から捨てたのさ!」
武器を振り上げ威嚇する眼帯の老人は見れば古傷が多く、他の子供や老人も皆等しく傷ついている。
「だから生き残った俺たちは復讐するんだ!これは生きるための正当な手段だ!」
町人たちも負い目を感じているのか、非難の声を挙げる者はおらず、抵抗する者もいない。
武器を突きつけられているとはいえ、皆素直に食料や衣服を差し出している。
『さて、世界を救いたいと願う指環の勇者たちはどちらを救うのか?
あるいはどちらも等しく滅ぼすのか?役者の演技に期待するとしよう』
「……クソ、どっちをぶん殴ればいいってんだ……!」
【全の竜との戦闘(問答)?】 >「え……あ……えぇっ!?ティ、ティターニアさんっ!い、良いんですか……?」
>「……帝国に指環をもたらす。確かに成し遂げましたね、バフナグリーさん。
他ならぬ指環の勇者様がこう仰っているんです。頂いておきましょう」
>「ほれ、帝国代表様が言っておられる。
とっとと嵌めて、帰ろうや」
「どのみち指輪は一人一属性しか使えぬ。
ジュリアン殿なら使えるかもしれぬがその指輪の力を最も引き出せるのはそなただろうからな」
指輪が原因になっての戦禍を懸念し戸惑うアルダガだったが、
ティターニアがまず第一に考えているのは、この後に控えたエルピスや虚無の竜との決戦である。
これは別にどちらが正しいというわけでもなく常に権謀術数渦巻く政治的思惑の中で生きてきた者と、
神々や英雄の伝説を現実に起こり得る身近なものとして研究してきた者の思考の違いであろう。
地上がどうなっているのかは分からないが、もうすでに虚無の竜が世界を破壊し始めていることだって有り得るのだ。
ゆえに指輪の力を最も効率的に引き出せそうな者に渡したという単純な意図であったのだが、アルダガの胸中を察し、ニヤリと笑う。
「”有効活用”される可能性があるのはどの勢力に渡ってとて同じであろう。
それに安心しろ、その指輪は誰にでも使えるものではない。もしも欲にまみれた元老院の爺様に奪われたとてウンともスンとも言わぬだろうよ。
いくら御託を並べようが巨大な力を手にしてしまえば世の中多少の無理は押し通せるものだ。
その指輪を手にして尚化石のような上層部の思惑に唯々諾々と従う必要などないのだぞ」
そこで帝国と教会に忠誠を誓うアルダガから見て穏やかではない物言いになっていることに気付き、慌てて仕切り直す。
「……おっと、随分と物騒な言い方になってしまった。つまり何がいいたいかというとだな。
そなたなら……その指輪を使って帝国を更にいい方向に変えていけると思うのは買いかぶり過ぎか?
もしかしたらそれは国家や教会という枠におさまらない形になるかもしれぬがな――」
しかしアルダガは皆に指輪の所有者としてふさわしいと言われて尚、指輪の所有権は決闘で決めるという初志を貫徹するのであった。
>「……受け取れませんよ、ティターニアさん。帝国に指輪が渡れば、それは戦争の火種になります」
>「ですが、一時的に預からせていただきます。約束、覚えていますよね?
星都での旅が終わったら、指輪を賭けた立ち合いが待っています。真の所有者は、それを経て決めましょう」
「やれやれ――とことん頑固な奴め。約束してしまったのだから受けるしかあるまい。
地上に帰った時に虚無の竜どもが決闘するだけの猶予を与えてくれていたらだがな」
アルダガのあまりの初志貫徹っぷりに苦笑しながらも頷くティターニアだったが、一つの条件を提示した。 「ただし一つ条件がある―― そなたが勝ってそちらに指輪が渡ってももちろん我々も共に戦う。
だから……もしも我々が勝ってジュリアン殿が使うことになっても……共に虚無の竜と戦ってくれるか?」
これはもちろんアルダガが純粋に戦力として頼りになるというのもあるが、
“決闘に負けたので潔く散ります”は禁止という言外の意味も込められているのだった。
普通はそんな事はしないだろうが、星都の探索を通して黒騎士というのは
そもそもぶっ飛んだ集団というのがよく分かったので先手を打っておくに越したことはない。
>「なあティターニア、やっぱり俺たちでやんないとダメかな……
今のうちに俺の頭を覚えておいてくれ、きっとあのメイスでへこんで形が変わっちまうから」
「うむ……ちょっともうどうしようもなさそうだな……」
ジャンが耳打ちして来るが、自主的に指輪をあげて決闘回避しよう作戦(?)も失敗した以上どうにもならないのであった。
「全の竜殿よ、いい感じに我々を地上に帰らせてくれたりは出来るのか?
無理なら”リターンホーム”で帰るが――」
とりあえず元の世界に帰ろうと、ティターニアが全の竜に尋ねた時だった。
シャルムが意味ありげに問いかけてくる。
>「……ティターニアさん。いえ、先生」
>「もし、この滅びた世界に……まだ、誰も答えを知らない謎が残されているとしたら」
>「どう、思いますか?その謎の正体を、知りたい、ですか?」
「それはもちろん知りたいが……そんな深刻な顔をしてどうしたのだ?」
仲間の一人一人に問いかけるシャルムを見て、気付いてはいけないことに気付いてしまったのだと察する。
考古学者としての個人的興味としては、喉から手が出る程知りたいに決まっている。
しかし、好奇心は猫を殺す、深淵を覗く者はまた深淵に覗かれる――
世の中には謎のままにしておいた方がいいことがあるのかもしれない。
純粋に真実を探求し過ぎた結果狂気に堕ち破滅の道を歩んだ魔術師は枚挙にいとまがないのだ。
そして今回の場合、下手すれば破滅するのは自分達だけではなく世界の全てなのかもしれない
逡巡している間にも皆の後押しを受け、シャルムは全の竜にいくつかの問いを投げかける。
そしてシャルムが自身の本性を見抜いたのだと悟った時、全の竜の態度が豹変した――
シャルムがドラゴンサイトで開けた穴は事も無げに修復され、彼女は決断を委ねるようにこちらを見つめる。
迷う素振りも見せず宣戦布告するスレイブとジャンだったが、ティターニアは最終判断の材料を得るために追加で質問をした。
「毎度頃合いを見計らって自分で虚無の竜を目覚めさせては滅びない程度に力を貸す……
一人でマッチポンプしておったのではないか?
しらばっくれておるが本当は虚無の竜を呼び出したのもそなたなのだろう?
退屈のあまり世界を破壊する存在を望んでしまったのではないか?」
『さぁ、そうかもしれないしそうでないかもしれない』 からかうように曖昧な答えを返す全の竜。
単にふざけているのか、あるいは……ほんの少し願っただけでその事象が起こってしまうのだとしたら、
本当に本人にもどこまでが自分が起こした事象なのか分からないのかもしれない。
決断に窮したティターニアは、仲間の中で唯一冷静なジュリアンに視線で意見を求める。
「指輪の勇者ではない俺が決めることではないが慎重に考えることだな。
……正直お前の推測のとおりの可能性はかなり高いと思う。だが万が一違っていたら……」
ティターニアの推測が当たっていれば、全の竜が全ての元凶ということになり、これを倒すことは大きな意味を持つ。
しかしもしも、世界を救う側に干渉しているだけで、世界を滅ぼす要因の方に直接は干渉していないのだとしたら――
全の竜を倒すことは何のメリットもないどころか、世界滅亡の爆弾を抱えたまま世界存続の保険のみ失うことになる。
つまり、もしも首尾よくこの全の竜を倒した後で虚無の竜を倒し損ねたら、最悪の事態。
英雄どころか世界を滅ぼした大罪人だ。
そんな中、決断の決め手は、意外な者によって齎された。
「……頼む、力を貸してくれ」
「アルバート殿!?」
アルバートが素直に他人に物事を頼むのを初めて目撃し、驚愕するティターニア。
アルバートは確信に満ちた目で言葉を続ける。
「コイツを倒しこの虚無の指輪で全ての属性を吸収し尽くせば……新世界から属性を奪わずともこの世界を再建することが出来る!」
この言葉は戦う決め手を探していたティターニアにとって、十分すぎるほどの一押しになった。
「そなたには恩義があるからな――頼みを聞かぬわけにはいくまい。
あの時炎の山で出会わなければこんなに凄い冒険をすることはできなかった。
それに、打ち捨てられたはじまりの世界を救う――か、なかなか悪くないではないか!」
全の竜が、メンバー全員が宣戦布告したのをみとめると、ついに戦いは始まった。
>『そら、第一楽章が始まるぞ。まずはロンドから踊って貰おうか――"破滅への輪舞曲"』
>「これは、空間の書き換え……滅びをもたらす天災を、『創造』した――!?」
「おそらく一種の異空間だろうな……単なる幻ではなくここで受けたダメージは現実のものとなるだろうから気を付けよ!」
最初の試練は、船旅での転覆寸前の嵐。
しかしジャンが指輪の力によって難なくそれを鎮め、船は滑らかに進んでいく。 >『観客は刺激を求めるものなのだが……では、次の章に移るとしよう。
喜劇か悲劇かは君たち次第――"終わりよければ全てよし"』
用意された状況は、口減らしのために捨てられた老人や子どもが村人を脅して食料を奪っているというものだった。
>『さて、世界を救いたいと願う指環の勇者たちはどちらを救うのか?
あるいはどちらも等しく滅ぼすのか?役者の演技に期待するとしよう』
>「……クソ、どっちをぶん殴ればいいってんだ……!」
「落ち着け、所詮は全竜の茶番劇だ――セオリー通りにやればよい」
ティターニアはそう言って、混乱の渦中からは少し外れたところの村人と呑気に話をしている。
「五年前に食料が片っ端から持っていかれたそうだが……帝国が急に税を増やしたということか?」
「いや、その年から急に作物がとれなくなったのに税は減らなくて……」
『引き延ばしはいけないよ、退屈するからね。どちらを救うのか、どちらも滅ぼすのか――決断を』
「気が短い奴だな。時間制限付きクイズじゃあるまいし……」
決断を煽ってくる全の竜にぶつくさ言いつつ、ティターニアは抗争している村人達に向かって杖を構えた。
「双方ともいい加減にせぬか――」
杖を一振りしてファイアボールを放つ。すわ全員吹き飛ばすのかと思いきや、着弾したのは横の畑。
「早く逃げねばそなたら自身が食料になるぞ!」
爆発が巻き起こり、地中から鋭い歯の生えた大きな口を持つ巨大なミミズのような虫――サンドワームが現れた。
作物が取れなくなったという情報から、大地の指輪に宿るテッラの力で見抜けたのだ。
村内は先刻までとは別種の阿鼻叫喚となり、逃げ惑う人々。
『何等かの理由で狂暴化したサンドワームが土の中で作物を食い荒らし
ついには地上に出て人間を食べようとしていた――というわけですね』
サンドワームがすぐに無力化されると、ティタ―ニアは虫と会話できるフィリアに要請。
「フィリア殿、事情を聞いてみてくれ。もしかしたら黒幕の名でも聞けるかもしれぬな」
そう言った後、明後日の方向に向かって全の竜に語り掛ける。 「……もうこの辺りで良いか?
情報を集めることで現れるもう一つの選択肢、ド派手な怪物の登場で有耶無耶になる当初のいざこざ、
満を持して姿を現す黒幕――歴代勇者の伝説を研究すれば分かる、定番のパターンではないか」 『ハハハ、まさか質問に答えないとはね!』
「ハハハじゃないわ、全てそなたのシナリオ通りだろう?
馬鹿正直に最初に提示されたどの選択肢を選んでも鬱展開にしかならぬからな。
エンターテイメント型の劇を好むそなたが都合よく解決する追加選択肢を作らぬはずがない。
いい加減無意味な茶番劇はやめて普通に戦わぬか」
『全く……今代の勇者は情緒がなくて困る。
こういうのは土壇場で活路を見出すから燃えるのであって最初から余裕綽綽でやられると……』
「やかましいわ!」
『仕方がない、次に行こう――”常闇の牢獄”』
次の瞬間、辺りは闇に包まれた。夜の闇より昏い漆黒。上下左右の間隔も無い、音も聞こえない。
唯一聞こえて来るのは頭の中に響く全の竜の声だけだ。
「これは……何の試練だ……!?」
『単純なことさ、いつまで耐えられるか根競べだ――
ちなみに一説によると感覚を遮断した闇の中に3日もすれば発狂するらしい。
降参ならいつでも受け付けるよ』
「流石に形振り構わなくなってきたな……。
何、すぐに終わるだろう。こちらには闇の勇者シノノメ殿も光の勇者ラテ殿もおるからな」
『それはどうかな? 彼女らはまだ指輪の真の力を引き出せていないからね――
テネブラエとルクスは……果たして彼女らを認めるかな?』
意味深な言葉を最後に、それっきり全の竜の声は聞こえなくなった。
テネブラエとルクスは、それぞれ闇の竜と光の竜の本体の名前だが、真の力を引き出すにはそれらと対話する必要があるということだろうか。
もちろんその言葉の真意やそれ以前に真偽自体も不明で、単に不安を煽るために言っただけかもしれない。
そんなことを考えながらティターニアは、状況に変化が起こるのを待つことにした。 >『茶番などではなかったさ。彼らは優秀な道化だった。見ていて飽きないほどにね。
これからもそれは変わらない。君たちは私の書いた筋通りに世界を救うだろう。
私はひとしきりその過程を楽しんだあと、君たちの冒険譚を閉じて本棚にしまう。
よく頑張った、感動した、心躍ったと感想を述べてね。そしてまた次の勇者が生まれるのを心待ちにするのさ』
私達の希望を、尊厳を、何もかもを踏みにじるような全の竜の声。
嫌でも耳に届くその声に晒されながら、縋るような気持ちで、皆さんへと振り返る。
>「それを聞いて、拙僧たちがおとなしく貴方の思い通りにするとでも?」
>「心配せずとも、世界は救ってやる」
「貴様の描くシナリオなど知ったことじゃない。この下らない輪廻を、俺たちの代で終わらせる。
貴様が永遠の繰り返しを望むのなら、虚無の竜よりも先に貴様を滅ぼすだけだ」
>「シェバトからの付き合いだけどよ――スレイブ、お前は本当に気が合うぜ。
自分の道を好き勝手に弄られて黙ってられるか!」
ジャンソンさんもディクショナルさんも、バフナグリーさんも、怒りを露わにしている。
……ええ、そりゃそうです。私だって怒っています。
だけど……怒りに任せて決めてしまえるほど、この戦いの意味は、軽くない。
相手は全の竜。指環の力があれば、あの肉体にダメージを与える事は出来るかもしれない。
だけど……全の英雄と同じ、そして全の英雄よりも更に強力であろう、世界を創造する力。
まともな戦いが出来るのかも、分からない。
>「毎度頃合いを見計らって自分で虚無の竜を目覚めさせては滅びない程度に力を貸す……
一人でマッチポンプしておったのではないか?
>「指輪の勇者ではない俺が決めることではないが慎重に考えることだな。
……正直お前の推測のとおりの可能性はかなり高いと思う。だが万が一違っていたら……」
それに……そう、ティターニアさんとクロウリー卿は分かっていますよね。
全の竜は、私達の世界にとっては保険でもある。
奴の望みは永久の観劇……だからこそ、舞台が滅びてしまわぬよう、力を貸してくれていた。
その保険を失うリスクは……言うまでもなく、大きすぎる。
>「……頼む、力を貸してくれ」
ですが……不意にアルバートさんが、そう声を発しました。
>「コイツを倒しこの虚無の指輪で全ての属性を吸収し尽くせば……新世界から属性を奪わずともこの世界を再建することが出来る!」
……あなたにとって、虚無の竜とは直接の創造神。
それも私達のように、姿形の見えない、伝承の中に生きる存在じゃない。
確かに存在して、目で見て、声を聞く事だって出来ただろう、創造神。
その全の竜を……滅ぼす。
生半可な決意で口に出せる事では、ないでしょうに。
>「そなたには恩義があるからな――頼みを聞かぬわけにはいくまい。
あの時炎の山で出会わなければこんなに凄い冒険をすることはできなかった。
それに、打ち捨てられたはじまりの世界を救う――か、なかなか悪くないではないか!」
……ティターニアさんも、どうやら覚悟を決めたみたいです。
「……ごめんなさい。私一人で抱え込むには……あまりにも重すぎる謎でした」 指環を持たない私には、全の竜に対して有効打を与える事は出来ないかもしれない。
それでも……出来る事はあるはず。
この戦いは、絶対に、負けられない。
>『そら、第一楽章が始まるぞ。まずはロンドから踊って貰おうか――"破滅への輪舞曲"』
全の竜が翼を振るう。
瞬間、再び神殿の壁と天井が消え失せた。
代わりに周囲に描かれるのは……荒野と、暗雲に埋め尽くされた空。
そして気づけば私達は荒れ狂う海の上、頼りなく揺れる船の上に立たされていた。
>「これは、空間の書き換え……滅びをもたらす天災を、『創造』した――!?」
>「おそらく一種の異空間だろうな……単なる幻ではなくここで受けたダメージは現実のものとなるだろうから気を付けよ!」
船は今にも転覆してしまいそう……。
ですが……
>「全ての竜だからなんでもありってか!だけどよぉ!」
『専門家がいることを忘れてないかな!』
こちらにはジャンソンさんの水の指環がある。
彼が指環を掲げるだけで、荒波は凪ぎ、暗雲は散っていく。
もっとも……全の竜もこの程度で私達を仕留められるとは思っていなかったでしょう。
>「……降りろってことか。茶番に付き合えとさ」
>『指環の勇者たちはなんとか嵐を乗り越え、近くの港町へとたどり着いた。
だが町を歩く人々は何か事情を抱えているのか、表情は空の如く重苦しい』
そして次の舞台として用意されたのは……曇天に覆われた港町。
待っていたのは、争う人々。
やはり、この空間は……
>『さて、世界を救いたいと願う指環の勇者たちはどちらを救うのか?
あるいはどちらも等しく滅ぼすのか?役者の演技に期待するとしよう』
>「……クソ、どっちをぶん殴ればいいってんだ……!」
……全の竜は、非常に回りくどい手段で私達を攻撃してきている。
だけど……全の竜は私達を直接、海に叩き落とす事だって出来たはず。
そうしなかったのは恐らく、この空間、この攻撃が……
>「落ち着け、所詮は全竜の茶番劇だ――セオリー通りにやればよい」
……そう、この茶番劇は、これ自体がある種の魔法陣であり、呪文の詠唱なのです。
ただ紙の上にインクで魔法陣を描いたり、呪文を声に出すばかりが魔法の使い方ではありません。
例えば星の巡り。土地や触媒の選択、代償、生贄の有無……
大規模で高度な魔法には、しばしば発動に満たすべき条件が定められます。
複雑に描かれた魔法陣が複雑な魔法を生み出すように……より複雑な条件は、より複雑な魔法を生み出すのです。
つまりただ私達を海に沈めるのではなく、対処を誤って船を転覆させる。
舞台装置である彼らに対して間違った行動を取る。
そういった条件を設ける事で、より強力な効果を発揮させる。
この茶番劇は恐らくはそういった類のもの。
もっともこの説明は、今は不要でしょう。
ティターニアさんなら、この類の現象は容易く突き崩せるでしょうから。 >「双方ともいい加減にせぬか――」
「早く逃げねばそなたら自身が食料になるぞ!」
そう。この現象が物語の体裁を取っているのなら、その対処法は単純です。
語り部である全の竜に付き合わない事。
>「フィリア殿、事情を聞いてみてくれ。もしかしたら黒幕の名でも聞けるかもしれぬな」
「……恐らくは、無用だとは思いますがね」
フィリアさんへと視線を落とすと……彼女は静かに首を横に振った。
そして腕を百足に変形させ、伸ばしたかと思うと……
その先端に形成された蟻の大顎がサンドワームを咀嚼、嚥下していく。
「これは……人形ですの。ただの人形なら、まだしも……命ある人形。
この劇の為だけに作られた……過去も未来もない、命……」
……彼女は、周囲を見回した。
そして……背中から生やした巨大な百足を振り回す。
村の家屋が薙ぎ払われ、逃げ隠れた村人達の姿が露わになる。
だけど……彼らは何の反応も示さない。
ただ感情の見えない表情で、ぼんやりとこちらを見つめているだけ。
「……ちゃちな舞台裏ですの」
そう呟いたフィリアさんの声音には、強い侮蔑の感情が宿っていた。
気持ちは、分かります。これは……命への冒涜だ。
>「……もうこの辺りで良いか?
情報を集めることで現れるもう一つの選択肢、ド派手な怪物の登場で有耶無耶になる当初のいざこざ、
満を持して姿を現す黒幕――歴代勇者の伝説を研究すれば分かる、定番のパターンではないか」
既に、この異空間の性質は明らかになっている。
演劇の形を取り、誤った行動を取らせる事で、何らかの作用を引き起こすだろう魔法攻撃。
種が割れている以上、私達はもう芝居に付き合う事はない。
>『全く……今代の勇者は情緒がなくて困る。
こういうのは土壇場で活路を見出すから燃えるのであって最初から余裕綽綽でやられると……』
『仕方がない、次に行こう――
それでも……全の竜はこの茶番劇をまだ続けるつもりのようです。
一体何故。狙いが読めない。
>”常闇の牢獄”』
不意に、周囲を満たす暗闇。
何も見えない。地面に立っている感覚すらない。
魔力の波を発して周囲の様子を探ろうとするも……何も感じ取れない。
すぐ傍にいたはずのディクショナルさんも、バフナグリーさんも、他の皆さんも……どこにいるのか分からない。
>『単純なことさ、いつまで耐えられるか根競べだ――
ちなみに一説によると感覚を遮断した闇の中に3日もすれば発狂するらしい。
降参ならいつでも受け付けるよ』
唯一聞こえるのは、全の竜の声と、自分自身の呼吸音だけ。
体の感覚すら麻痺させるほど濃密な闇の魔素……。
ですが……これも結局、先ほどまでと変わらない。
光と闇の指環なら、この状況をどうにかするくらい、容易く…… >『それはどうかな? 彼女らはまだ指輪の真の力を引き出せていないからね――
テネブラエとルクスは……果たして彼女らを認めるかな?』
……なんだ。なんの話をしているんでしょうか。
テネブラエと、ルクス。確か、古竜の伝承における光と闇の竜の名前……。
光と闇の指環に……あの二人はまだ、認められていない?
……私は、どうすべきなのか。
もし、シノノメさんとラテさんが、指環の力を完全には扱えないのなら……
彼女達の助けをただ待っているのは、愚策なのかもしれない……。
疑心暗鬼が、自分の中で膨らんでいくのを感じる。
頭を左右に振って、思考を切り替える。
やめよう。こんな考えに陥ったら、それこそ全の竜の思う壺……。
……アルマクリスさん。アドルフさん。
あなた達の力でこの闇を払う事は出来ないんですか?
『もうやってるっつーの』
それにしては、周囲の様子が変わったようには見えませんが……。
『闇を払っても、その先にあるのも闇なんだからしょうがねーだろ』
つまり……癪な事ではありますが、全の竜の言っていた通り。
闇の竜、テネブラエの力を借りなければ……この状況は打破出来ない、と。
あなた達から、テネブラエに意思疎通を図る事は出来るのでしょうか。
……アルマクリスさん?アドルフさん?
返事がない……一体、何が。
いえ……全の竜が指環そのものに干渉出来るのなら、こんな回りくどいやり方をする必要はない。
であれば、恐らく……異常をきたしているのは私の方。
ナイトドレッサーである私ですら、感覚を奪われてしまうほどの、完全な闇。
その力が、指環との会話すら妨害しているのでしょう。
話し相手がいては、折角の暗闇も効果は半減してしまうでしょうしね。
…………現状を打破するには、より強い闇の力が必要。
だけどテネブラエと交信を図ろうにも、指環との会話はこの闇の魔素によって封じられている。
八方塞がりのようにも思えるこの状況。
ですが………………まだ、打つ手はあります。
今すぐに実行出来る手段ではありません。
時間が必要です。どれほどかかるのかも、試してみないと分からない。
それでも……皆が私を信じて、待っていてくれる事を、私は信じます。
………………完全な暗闇の中、私はただ、黙って時間が過ぎるのを待つ。
………………やがて、指環を握り締めていた左手の感覚が、なくなっている事に気づいた。
理由は分かっています。
体が……少しずつ、少しずつ、周囲の闇に侵されていっているから
私は闇から生まれた、闇の魔素で体を構成する種族。
乾いた布が水を吸い上げるように。
私の肉体は、より濃度の濃い周囲の闇に、侵食されていく。
このまま時が経てば……私はこの完全な闇に塗り潰されて……消える。
私は……それでもただ、時が過ぎゆくのを待っていた。
左手と両足の感覚が完全になくなって、代わりに呼吸が喉から、胸から、漏れるような感覚がするようになって。
段々と意識が……朦朧としてきて………
………私という存在が…………消える…………
その瞬間が…………もう目前にまで……迫ってきている……のが…………分かる…………。
「…………テネブラエ」
そして私は……その名前を呼んだ。 「“ここ”に……いるんでしょう?」
闇とは……光が、希望が、未来が見えない状態の事。
闇とは……本来、存在しないもの。
その存在しないものを、かつて、誰かが『闇』と認識した。
だから……あなたは、ここにいるはず。
ここは、一切の感覚が消え失せた、死の目前。
何もかもが失われる、私にとって最も恐れるべき『闇』の入り口なのだから。
そして……私は、見た。
一切の光がない闇の中で。
だけど確かにそこにある……完全な闇よりも更に濃い闇色の輪郭。
闇の竜の姿を。
無数の鎖に繋がれた、人間と、亜人と、魔族と、獣と、魔物と、竜と……ありとあらゆる存在の頭部。
それらを繋ぎ合わせた異貌の怪物……。
これが……闇の竜、テネブラエの姿。
『我ガ助力ヲ求メルカ』
空気の流れすら感じない闇の中に、声が響く。
『……ダガ、愚カナリ、我ガ眷属ヨ。我ハ闇ノ象徴。
即チ恐怖、破滅、絶望……ソレラヲ体現スル者。
我ガ権能ハ闇ヲ払ウ事ニ非ズ。闇ヲ深メル事』
……テネブラエが無数の貌を私へと近づける。
幾つもの視線が私を、看取るように見つめているのが分かる。
『貴様ノ願イハ叶ワヌ。貴様ハ、コノ闇ノ中ニ融ケテ、果テル』
冷酷な響きをもってそう宣告する、テネブラエの声。
私は……
「……いいえ、それは嘘です」
もう殆ど自由の利かない体で、小さく首を振って、そう答えた。
『……現実ヲ認メラレヌカ、我ガ眷属ヨ』
「ふふ……あまり、意地悪をしないで下さい……
私……今にももう……気を失ってしまいそうなんですよ」
もう殆ど感覚のない右手を伸ばして、テネブラエの体……それを縛り付ける鎖に触れる。
「あなたは……そう、闇の象徴。
実態のない恐怖よりも、名前のある、そこにある恐怖の方が、怖くない。
そうやって生み出された存在……」
だから、
「だからあなたには出来るはずなんです。闇を縛り……御する事が」
『……死ヘノ恐怖ニ飲マレル事ナク、己ヲ保ッタカ。
ソノ気質……確カニ闇ノ指環ノ主ニ相応シイ』
瞬間、テネブラエの肉体が巨大な渦と化した。
回転する鎖が、周囲の闇を絡め取って……べりべりと、暴力的な音を立てる。
そして……周囲に光が戻った。 周りにはジャンソンさんも、ティターニアさんもいる。
皆、無事……でしょうか。大分、時間をかけてしまいましたから……。
「……す、すみません。一人には……わりと慣れてるつもりだったんですが」
シャルムさんが真っ青な顔をして、その場にへたりとしゃがみ込んだ。
指環を持たない彼女は……私達よりも長く、孤独な闇に晒され続けていた。
呼吸もままならないほどに取り乱して……可哀想に。
私の体は……元通りに、復元されています。
元から、何事もなかったかのように……。
これもテネブラエの力なのでしょうか。
左手の闇の指環は……心なしか、より深い闇色を湛えているような気がします。
「……時間をかけてしまって、すみません」
皆にそう詫びつつ周囲を見回す。
目に映るのは……風に揺れる花畑。
眩い太陽に、流れる雲……。
「全の竜は……一体どこに?」
『……お見事、お見事。まさか自ら死の淵に飛び込む事でテネブラエとの交信を図るとは。
実にヒロイックだったよ。女の子にしておくのが勿体ないね』
「相変わらず神経を逆撫でするような言動がお上手な事で……。
その余裕が仇とならない内に、姿を見せてはどうですか」
『魔族の皮肉に晒され育った君ほどじゃないだろうけどね。
だけど安心したまえ。この物語は、ここで終幕さ』
不意に、花畑のどこかから音がした。
何かが這いずるような、草花が擦れる音。
『最終章の題名は……そうだな。“地を這う者ども”なんてのはどうだろう』
……それきり、虚無の竜の声は聞こえなくなりました。
地を這う者ども……姿の見えない何者かは、今もなお私達の周囲を蠢いている。
フィリアさんに目配せをしてみるも……彼女は小さく首を横に振る。
炎とは生命力の象徴。炎の指環を持つ彼女なら、この何者かを探知出来るかもと思ったのですが……。
ならば……ラテさんならどうでしょうか。
彼女の持つ、魔狼フェンリルの力の片鱗。
それに照らし、透かす事を得手とする光の指環なら……。
そう思い彼女へと視線を移すと……彼女は、淡く……どこか神聖な光を宿した指環を、じっと見つめていました。
「……ラテさん?大丈夫ですか?」
「あっ……ご、ごめんね。ルクスが……少し気になる事を言ってたから」
「気になる事、ですか?」
「うん……だけど今は、それどころじゃないの。急がないと」
ラテさんの左手。光の指環から強い輝きが溢れ出す。
彼女はそれを……空に向けて、かざした。 「ラテさん?何を……」
……瞬間、強い光に照らされた空が……透けた。
まるでガラスのように。
その向こう側に見えたのは……この『ガラス玉』を押し潰さんとする、全の竜の姿。
『おっと、気づかれてしまったか。
“地を這う者ども”は君達だったというミスリードだったんだが。
やはりルクスの権能は良くないな。物語の先を盗み見るなんて』
そう言うと全の竜は……私達を嘲るように笑った。
今までの茶番は……全てこの為の時間稼ぎ……?
『もっとも……この先が読めたところでもう手遅れだけどね。
なに、殺しはしないよ。この中に封じて……いつまでも眺めていてあげよう』
空が……迫ってくる。全の竜の笑い声が木霊する。
これは……一体、どうすれば。
「……っ、まだです!」
不意にシャルムさんが、全の竜の声に負けないくらいの大声で叫んだ。
「奴が力づくで私達を封印出来るなら、最初からそうすればよかった!
そうしなかったのは、出来なかったから!
今ならまだ、この結界を破れるはずです!」 第一楽章、『破滅への輪舞曲』。
突如として放り出された嵐の船上、スレイブ達を呑み込む濁流。
甲板を容易く木屑に――藻屑に変える大津波を、ジャンが水の指環で沈静化する。
神話のごとく波を割った後に垣間見えるのは、照りつけるような晴天だ。
>「苦労しなけりゃ冒険じゃねえなんて、それこそ見ている側だけの感想さ。
いかに楽して安全に旅するかってところに力を入れるのが冒険だぜ」
>『観客は刺激を求めるものなのだが……では、次の章に移るとしよう。
喜劇か悲劇かは君たち次第――"終わりよければ全てよし"』
「陸地が見えて来たぞ……今更だが、本当に海と陸を創造しているのか……」
>「……降りろってことか。茶番に付き合えとさ」
続く第二楽章。下船した先に広がるのは、港町と言うには余りに寂れた寒村だった。
導かれるがままに市場へと向かい、そこで一行は町を襲う賊らしき集団に出会う。
頭目の老人が語るには、彼らは重税に耐えかね食い詰めた町から切り捨てられた存在。
町から食料や衣服を奪うのは、過去の仕打ちに対する正当な要求なのだと言う。
>『さて、世界を救いたいと願う指環の勇者たちはどちらを救うのか?
あるいはどちらも等しく滅ぼすのか?役者の演技に期待するとしよう』
>「……クソ、どっちをぶん殴ればいいってんだ……!」
「劇中で答えを出す気など、初めからないんだろうな。どちらが正義か、解釈は観客次第……。
政治批判の戯曲によく見られる寓話要素だ。当事者にされた身には堪ったものじゃない」
スレイブは唾棄したい欲を抑えてそう吐き捨てた。
これは、答えのない悲劇を通して悪政を批判するための戯作。
登場人物に現状を打破する選択肢など用意されていないし、観客たる全竜もそれを望んではいないだろう。
劇中で許されるのは、ただやるせなさに歯噛みして拳を握ることだけだ。
>「落ち着け、所詮は全竜の茶番劇だ――セオリー通りにやればよい」
「セオリー?俺たちにまだ何かできることがあると言うのか?」
直面した難題に唸るジャンとスレイブをよそに、ティターニアの反応は至極あっけらかんとしたものだった。
彼女は町の住人と何か言葉を交わしたかと思うと、唐突に杖を掲げる。
「ティターニア?一体何を――」
>「早く逃げねばそなたら自身が食料になるぞ!」
ティターニアが放った炎弾は町の畑へと直撃し、土煙の中から巨大な管虫が飛び出した。
サンドワーム。本来は地中に生息して土壌を耕す魔物だが、作物を食い荒らす害獣となることも多い。
巨大化したサンドワームが住み着いていたせいで、この町はずっと不作に見舞われ続けていたのだ。
「第三の選択肢――そういうことか!」
登場人物が選べるのは、何も提示された選択肢からだけではない。
底意地の悪い全竜ならば、「こうしておけば良かったのに」としたり顔で言うために最良の選択肢を隠しているはずだ。
考古学に詳しいティターニアなら、物語の類型からそれを推測して選び取ることができる。 例えばこの町での一連の出来事は、賊と住人どちらにも非があり、どちらの主張にも正当性がある。
外からやってきた旅人が、一方を断罪することなど出来るはずもない。
だが、確執を生む大本の原因を解決出来るとすれば、それこそが物語を大団円に導く最良の選択肢だ。
無論、賊の住人への恨みは、かつて切り捨てられたことに対するものが大きい。
今更原因を解決したところで、虐げられてきた傷が癒えることなどないだろう。
しかし、サンドワームを退治すれば、町の食料事情は改善される。
賊たちに十分な補償をしつつ、再び町の住民として受け入れる――第三の道が拓ける。
物語の寓話性を根本から否定するティターニアの選択に、全竜は不満げに鼻を鳴らした。
>『仕方がない、次に行こう――”常闇の牢獄”』
刹那、寂れた町に立っていたはずのスレイブは、無窮の闇の中へと放り出された。
足元にあった土の感触さえも消え失せ、自分の手のひらすら目視することができない。
試しに腕を振ってみたが、風を切る感触はおろか、自分自身の筋肉の動きも感じ取れなかった。
(見当識の喪失――まずいな、自分が生きているかどうかさえ分からない)
ただ、頭の中に響き渡る全竜の声だけが、この空間における唯一の刺激だった。
この声が聞こえるうちは、スレイブは当面生きているということなのだろう。
>『単純なことさ、いつまで耐えられるか根競べだ――
ちなみに一説によると感覚を遮断した闇の中に3日もすれば発狂するらしい。
降参ならいつでも受け付けるよ』
「劇の続きはどうした?随分と安直なやり方をするじゃないか」
『なに、趣向を変えてみたくてね。言うなればこれは劇の場面転換を意味する"暗転"さ。
暗転が明けたとき、演者たちがどうなっているのかまでは保証しかねるがね』
「抜かしていろ。闇も光も、最早俺たちと共に在る」
『指環のことかい?』
全竜は愉快そうに笑う。
声に含まれる愉悦の感情だけは、闇の中でもはっきりと感じられた。
>『それはどうかな? 彼女らはまだ指輪の真の力を引き出せていないからね――
テネブラエとルクスは……果たして彼女らを認めるかな?』
「……なんだと?」
意味深げな言葉を最後に、全竜の気配が消えた。
正真正銘の、何も感じられない闇が押し寄せてくる。
『うおっ……おおおお……暗ぁ……怖ぁ……』
全竜の変わりに脳裏に響き渡ったのはウェントゥスの声。
どうやら全ての感覚が遮断されたこの場所でも、魂に深く繋がった指環の竜の声は聞こえるらしかった。 『お主なんでそんな平気そうなツラしとるんじゃ。いや見えんけれども』
「この手の拷問は珍しいものじゃない。特にダーマではな。
対拷問の訓練など飽きるほど積んできた。……実際に感覚遮断の拷問を受けたこともある。
何も考えなくて良い分、俺にとってはむしろ楽な部類だ」
『拷問慣れしとるのを自慢げに語る奴初めて見たわ……』
「取り乱す必要はない、というだけのことだ。じきに第三楽章とやらも終わるだろう。
この闇を払うのはシノノメ殿たちだ。俺たちは、それを信じて待っていれば良い。
無駄に体力を消耗することもない」
スレイブはそれだけ言って、目を閉じた。
視界に変化はなく、やはり視覚そのものが遮断されているのだと理解する。
苦しいという感覚もないため呼吸を忘れそうになるが、そこにさえ気をつけておけば問題はない。
『えぇ、マジで黙っとるつもりかお主。儂どうすりゃいいのこれ。
ヒマなんじゃけど。怖いんじゃけど。……ヒマなんじゃけど!!』
「……うるさいな!!」
結局、騒ぎ立てるウェントゥスに付き合う形でスレイブも会話をする羽目になった。
――スレイブがドヤ顔で行った『常闇の牢獄』への対処法は、てんで見当違いのものだった。
外部からの感覚を完全に遮断され、己の心臓の鼓動さえも感じ取ることのできない『闇』。
自身の生存を証明するものは『思考』だけだ。
考えることさえも放棄すれば、肉体は容易く生命の維持を忘れる。
使われなくなった部位に活力を費やす意味がないと、判断してしまうのだ。
脳にエネルギーが供給されなくなり、いずれ真実の死を迎える――
魔術で擬似的に作り出された闇であれば、スレイブのように思考を停止させて消耗を抑える方法で乗り切ることもできただろう。
だがこれは全能の竜の齎す本物の闇。
思考を辞めれば、命を確かめることができなければ、死はすぐ傍らにある。
奇しくも、ウェントゥスの奇行がスレイブを助けることとなった。
会話によって思考を保ち続けているうち、やがて闇の帳が晴れていく――
卵の殻を破るように、目の前の闇が剥がれ落ちて、光に満ちた風景が目に飛び込んできた。
>「……時間をかけてしまって、すみません」
指環を掲げていたシノノメが、四肢の感触を確かめるように見回しながらそう零す。
「……いや、助かった。全竜の用意した"劇"は……これで終幕なのか」
へたり込むシャルムの傍で、スレイブは剣の柄を握りつつ答えた。
指環を通じて思考を保つことのできた勇者たちと異なり、シャルムは孤独なまま闇へと曝露されていた。
その心理的な負担、精神へのダメージは推し量りきれまい。
蒼白の面持ちで膝を屈する彼女に、スレイブが出来ることはあまりにも少なかった。
ただ、次に如何なる演目が来ようとも、彼女の傍を離れるまいと寄り添う他にない。
全竜の姿は消えたままだったが、あの癪に触る声だけは、どこからか響いてきた。 >『最終章の題名は……そうだな。“地を這う者ども”なんてのはどうだろう』
瞬間、足元に生い茂る柔らかな草原に不穏な気配が満ちる。
風が吹いているわけでもないのに、ざわざわと葉の擦れ合う音が聞こえてきた。
スレイブは理性が判断を下すよりも早く、その場にしゃがみ込んだ。
「シアンス殿、少しだけ辛抱してくれ……!抗議は後で受け付ける」
未だ立ち上がることのできないシャルムの背と膝に手を回し、その細い身体を抱き上げる。
『地を這う者ども』。その名の通りの事象が勇者たちを襲うのであれば、地に伏せ続けるのはまずい。
スレイブはシャルムを抱えたまま、いつでも跳躍できるよう膝を屈めた。
(どこから襲って来る……?抱えて跳んで、逃げ場はあるのか……!?)
地面からの奇襲ならば跳んで避けることも可能だろう。
だがスレイブにできるのは、『飛行』ではなく『跳躍』だ。
仮に四方全ての地面を埋め尽くすように敵が出現し、着地したところに押し寄せられれば為す術などない。
……それが何だというのだ。この手を離すまいと決めた。邪魔立てする者がいるならその障害を除いてみせる。
(どこから来ようと……顔を見せた瞬間、範囲魔法を叩き込んでやる……!間抜け面を晒してみろ、全竜っ!)
>「ラテさん?何を……」
スレイブの腕の中で、シャルムが怪訝そうにラテの方を見た。
視線の先で、ラテが光の指環を天へと掲げる。
指環から放たれた光条が空を切り裂いて――その向こうに、全竜の姿があった。
>『おっと、気づかれてしまったか。
“地を這う者ども”は君達だったというミスリードだったんだが。
やはりルクスの権能は良くないな。物語の先を盗み見るなんて』
(やられた……!俺たちの意識が地面へ向かう隙に、封印結界を張っていたのか!)
>『もっとも……この先が読めたところでもう手遅れだけどね。
なに、殺しはしないよ。この中に封じて……いつまでも眺めていてあげよう』
閉じ込められた。
空き瓶に虫を入れて観察する子供のように、全竜は指環の勇者を標本にしようとしている。
結界は少しずつ縮小していて、いずれ身動きさえもとることができなくなるだろう。
(だが……!)
>「……っ、まだです!」
スレイブが思考を手繰り寄せると同時、シャルムが叫ぶ。
彼には彼女が何を伝えんとしているのか、手にとるように理解できた。
同じ結論にたどり着いていたからだ。
>「奴が力づくで私達を封印出来るなら、最初からそうすればよかった!
そうしなかったのは、出来なかったから!今ならまだ、この結界を破れるはずです!」
「俺たちとは異なる次元の生き物、超越した存在であるはずの全竜が、俺たちを『封印』しようとするのは何故だ?
封印しなければ危険なほど――俺たちには、奴を害する力があるからだ。
奴は全能だが、完全ではない。この結界だって、俺たちの力で叩き割れる!」 「――叩き割ります!」
シャルムの言葉に、真っ先に動いたのはアルダガだった。
彼女はメイスを全力で横薙ぎに振るい、結界の内壁を打撃する。
巨木を一撃でへし折り、飛竜の頭骨を甲殻ごとぶち抜く巨大質量の激突。
大気を波打たせる大音声と共に、結界の一部が大きくたわんだ。
しかし奇妙な弾力を有しているのか、メイスの衝撃を殺しきって結界はもとの形状に戻ってしまう。
『無理だと思うなぁ。結界の強度は勇者達の中で最も腕力のある君を基準に設計してあるんだ。
星都に入ってからの君たちの戦いは全て見ていたよ。いずれも私の結界を破るに足りる威力ではない。
だから――』
「――だから、無駄な試みはせずに座して待てと?
結界を傷付けられると困るから、そうして絶望を煽っているようにしか聞こえませんね」
『解釈は自由さ。好きなだけ試すと良い。
こうしてわざわざ情報を提供するのも、君たちの前途をより劇的にする為かもしれない。
ただ一つ誓っておこうか。語り手は演者に嘘を言わない。提供する情報は全て真実だよ』
「でしょうね。拙僧の打撃では、この結界を破ることは不可能です」
『皆で力を合わせれば乗り越えられると、そう考えたかな?
それも良いね、実に私好みの展開だ。ルクスに聞いてごらん、全員で力を重ねれば突破が可能かとね』
「結構。連携による突破力の向上など、貴方は既に計算済みでしょう。
これまで何代にも渡って指環の勇者の姿を見続けてきた貴方には、結末が見えている」
アルダガは自身の右手を見遣る。
中指に嵌ったエーテルの指環。そこには指環に認められた者だけが得られる輝きがない。
正式な所有者であると、他ならぬアルダガ自身が認めていないからだ。
「だから拙僧は……わたしたちは。貴方の見たことのない力で、貴方の想定を上回ります」
指環を掲げ、祈る。
僅かな魔力の火が、指環の宝飾に灯った。
『ああ駄目だ、それは悪手だよ。エーテルの指環は未完成だって、そこの魔術師君が解説してくれただろう?
その指環は私そのものだ。私を滅ぼさんとする者に、私自身が力を貸すはずもない。
しかしがっかりだなあ。期待はずれも甚だしい。散々大口を叩いておいて、結局上位の存在に頼るのかい』
アルダガは答えなかった。
集中が増すに従って指環は強く輝き、同時にアルダガの身体にも光が宿る。
「信仰とは」
光はやがてアルダガの背中から放たれる。
それはさながら光の『翼』。黒鳥騎士アルダガの象徴とも言うべき、神鳥の両翼。
「本来、形あるものではありません。拙僧たちが祈りを捧げる女神像は、信仰を集める言わば"道標"のようなもの。
偶像辞退が力を持つわけではなく、神の力の本質は"祈り"そのものにこそ生まれます。
隣人への奉仕。自身の持つ権能を他者の為に使う……女神の教えとはすなわち、『力の再分配』です」
翼を構成する光条は、よく見れば一筋一筋が鎖の形状を帯びている。
アルダガが神術で他者とを繋ぎ、その能力を共有する為の鎖だ。彼女の背から伸びる鎖の束が、仲間たちの元へと届いた。 「ジャンさん。ティターニアさん。ディクショナル殿。――シアンス殿。
わたしを『信じて』、その力を委ねてくれますか?」
『おいおい。パンゲアの教えをそんな風に歪めるなんて、バチ当たりな修道女だなぁ』
「問題ありません。わたしが信じるのは新世界の創造主たる女神パンゲアではなく――『わたしの中の女神様』です。
きっと大目に見てくれますよ。わたしの女神様なんですから」
『たった今邪教が誕生した気がする……』
アルダガは背後を振り向かない。
彼女もまた、仲間たちのことを『信じて』いるからだ。
光の鎖越しに流れ込んでくる暖かな力をその背に受けて、アルダガは己の信仰に名前を付けた。
「神装――『黒翼の聖槌(ヴェズルフェルニル)』」
――奇しくもその姿は、ソルタレク防衛戦にて光竜エルピスの見せたものによく似ていた。
他者の信仰を捻じ曲げ、その身に集めることで不可侵の神性を得る。
アルダガとエルピスとの違いは、信仰の源となる"信徒"の数。
そしてエルピスが純粋に己の力を高めていたのに対し、アルダガは鎖で繋がった者の全能力をメイスに宿す。
「わたしたちの世界に……貴方という"神"は、必要ありません。
貴方に全てを託すのならば……これからは、わたしが神になります」
聖なる光を纏って鉄槌と化したメイスを、結界目掛けて打ち下ろした。
鉄槌と結界の激突点において、神と神の力が無限の攻防を展開する。
ティターニアの魔力が増幅したシャルムの魔導技術が結界を解き、スレイブの剣技が亀裂を刻む。
開いた裂け目をジャンの膂力がこじ開けていき――アルダガの神術が、結界を貫いた。
張り詰めた革袋が破裂するように、結界が少しずつ崩壊していく。
やがて空隙は人の通れる大きさにまで広がった。
「……今ですっ!」
アルダガの神装、その真骨頂は仲間の力を一時的に借りることにある。
信仰をいう形で力を供給しつつも、仲間たちは遜色なく動くことができるのだ。
つまり――結界を広げさえすれば、アルダガ以外の指環の勇者たちは外に出られる。
外に出て……全竜の喉元へと、その刃を届かせることができる。
【エーテルの指環を依代にして仲間の信仰を集め、一時的に神化。結界を破る】 【暑中見舞い申し上げます。これからどんどん暑くなってきますので皆様お気をつけて】 規制解除、って書く必要あるか?
いつもお前そうだけど >「落ち着け、所詮は全竜の茶番劇だ――セオリー通りにやればよい」
どちらを殴るか考えていたジャンとは違い、ティターニアは冷静に動いた。
事情を聞き、全の竜の急かすような煽りにも動じることなく、この劇のからくりを見抜く。
>『全く……今代の勇者は情緒がなくて困る。
こういうのは土壇場で活路を見出すから燃えるのであって最初から余裕綽綽でやられると……』
「うるせえ!とっとと次に行くかこの術を解くかしやがれ!」
『仕方がない、次に行こう――”常闇の牢獄”』
街は消え失せ、仲間たちも見えない。それどころか自分がどこにいるのかすら分からない、
一切の色のない闇にジャンは包まれる。
全の竜の脅しめいた声を最後に、一切の音は聞こえなくなった。
そんな状況の中、ジャンは指環に宿るアクアと話し始めた。
「アクア、オークにはこんな言葉がある。『折れぬ剣より折れた剣』
あの二人は一回折れた剣だけどよ、今は立派に治って昔よりも切れ味がいい」
『それは……心が折れないより一回折れた方がいいってことかい?
折れるようなことは本人にとって重荷にしかならないんじゃないか』
「そりゃ重荷だよ。引きずって歩くのはつらいし、時には座り込んで全部諦めたくなる。
でもよ、一度も失敗せずに軽々歩くような奴よりは……歩くのが遅くても、それでも歩き続ける奴の方を……俺は助けてやりたい」
『……なるほど。君はやはりお人好しさ』
「そいつはどうも」
それからしばらくジャンはアクアと話し続け、やがて目の前の闇が砕け散るのを見た。
一行を包む闇は消え去り、青空と綺麗な花畑が一行を迎える。
>「……時間をかけてしまって、すみません」
「謝ることはねえよ、闇の竜に認められたんだろ?
ならそれでいいさ」
トランキルは闇竜の分体ではなく本体と出会うことで指環の力をさらに引き出し、
この暗黒を消し去ってくれたようだ。反対に指環を持たないシャルムは話し相手もなく、より負担が大きかったのだろう。
顔色を悪くしてへたり込んでいる。
>『最終章の題名は……そうだな。“地を這う者ども”なんてのはどうだろう』
景色を眺める時間も与えられぬまま、全の竜のその言葉を皮切りに、地中から奇妙な音が響く。
姿の見えない何かが地響きを立てて辺りを蠢くような、そんな音だ。 >「ラテさん?何を……」
全員があらゆる方向を警戒する中、ラテはただ一人空を見る。
そして掲げた光の指環が天を貫けば、雲の晴れた先に全の竜の姿が現れた。
今までの劇や試練もどきは全てこの封印結界の時間を稼ぐためだとシャルムとスレイブが気づく。
>「奴が力づくで私達を封印出来るなら、最初からそうすればよかった!
そうしなかったのは、出来なかったから!今ならまだ、この結界を破れるはずです!」
>「俺たちとは異なる次元の生き物、超越した存在であるはずの全竜が、俺たちを『封印』しようとするのは何故だ?
封印しなければ危険なほど――俺たちには、奴を害する力があるからだ。
奴は全能だが、完全ではない。この結界だって、俺たちの力で叩き割れる!」
そしてその言葉に呼応して、アルダガが走り、ジャンがそれに続けて結界の表面へ突進する。
常人のそれをはるかに上回る膂力で放たれたメイスの一撃に続けて、ジャンのミスリルハンマーによる打撃が続けざまに結界を襲う。
>「――叩き割ります!」
「ぶん殴るぜ!」
両者による必殺の一撃は結界をたわませはしたものの、それは一時的なものだった。
ぐにゃりと歪んで元に戻り、結界はさらに一行を追い詰める。
だが、そこでアルダガはある閃きを決意にして、形にした。
それはエーテルの指環から流れる光がアルダガの背中まで届き、ジャンとティターニアが
カルディアで見たそれよりはるかに大きく美しい翼となって顕現する。
>「ジャンさん。ティターニアさん。ディクショナル殿。――シアンス殿。
わたしを『信じて』、その力を委ねてくれますか?」
「信じなかったことなんて、一度もねえよ!
持っていきな、俺の全部!」
そうして指環の勇者たちの力を結集させたアルダガは竜装をはるかに上回る力――神装を発現させる。
それは全の竜といえども予想できなかった力。一人で全てを扱えるからこそ、全の竜には分からなかった力。
>「……今ですっ!」
結界は少しずつ砕け、アルダガの力を抑えきれなかった部分は隙間として発露する。
そこを見逃すジャンではなかった。 「アクアッ!あの野郎まで一直線だッ!」
『分かってる!――海の底の底、はるか下を流れる偉大なる水の流れ。
今こそ我に集いて――駆けろ!』
ジャンの背後から現れたのは、深海を駆け巡る水流の群れ。
凄まじい圧力と速度を持つそれを身に纏い、全の竜へ向けて自らを射出した。
『所詮は力押ししかできない亜人か、ならば期待に応えてやるとしようか』
全の竜は右手で結界を維持しつつ、左手で魔法陣を描き始める。
それは本来ならば一流の魔術師が数十人がかりで完成させる強大な魔法。
『これが神罰というものだよ。砕け、ミョルニール!』
目もくらむような雷が天から降り注ぎ、全の竜の左腕がそれを纏う。雷によってはるかに大きくなった左腕は、
巨人ですら焼き尽くすような武器となるだろう。
そうして一直線に突進するジャンに向けて左腕を振り下ろし、お互いの一撃がぶつかりあうかと思われた瞬間だ。
ジャンが右の拳を思い切り握りしめ、まるで全の竜を殴るつもりであるかのような体勢をとった。
『その距離で殴り合えるとでも思ったのかい!?
そのまま雷に焼かれるがいいさ!』
「――いや、殴れるぜ」
その瞬間、ジャンの右腕に先程まで背後にあった水流が次々と宿り、まるで巨人の拳のような形になっていく。
そうして全の竜の肉体ほどにまで大きくなった水流の拳は振り下ろされた左腕に下からかち上げる形ですれ違った。
すれ違いざまにジャンの左半身を雷が焼き、苦痛が全身を駆け巡る。
シェバトの時は片腕のみだったが、左半身ともなれば意識が飛びそうなほどのショックが脳を襲う。
だがジャンはまだ意識を保つ。奥歯を砕かんばかりに噛みしめ、目の前の殴るべき敵はまだ立っていると自分に言い聞かせて。
「歯ァ食いしばれやァァァァ!!!」
感覚の残る右腕を振りかぶり、ウォークライで自らに喝を入れて。
全身全霊を込めた一撃が、全の竜の顎へ鈍く低い音を立てて突き刺さった。
「……やったぜ」
強烈なアッパーを受けて全の竜はよろめき、ジャンは力を使い果たしたように落ちていく。
だが、どこまでも落ちていくことはなかった。既に結界の維持を全の竜は放棄し、場所は竜の神殿へと戻っている。
ジャンは神殿の床に倒れ込み、体勢を崩していた全の竜はやがて大きな笑い声を挙げて、一行へ向き直った。
『フフフ……この長い間……私に立ち向かうものなどいなかった。
だが!この亜人は私をただ一発殴るために全力を賭けて私に立ち向かった』
全の竜は口から流れ出る血にも構うことなく喋り続け、傷を癒すことすら考えずに両手と両翼に魔法陣を展開する。
『それに敬意を表そう。小細工はいらない。君たちは全て、一切、区別なく潰す。
観客を害する役者など、あってはならない……!』
両手に四つ、両翼に四つ。それぞれ属性が異なるのか、色違いの八つの魔法陣からあらゆる攻撃魔法が飛び出る。
さらには全の竜が大きく咆哮し、ウォークライにも似た音圧が一行に叩きつけられた。
【あまりの暑さにカレンダーを見たらまだ7月でたまげました
アクアの指環が欲しいです……】 シノノメが闇を払うまでの間、ティターニアは大地の指輪に宿るテッラととりとめのない問答をして時間を潰す。
「最初は想像と破壊の二面性を持つ絶対神――
真実は創造の善神と破壊の悪神の二項対立かと思いきやそれすら違ってどちらも悪い奴だったとはな」
『……どちらも悪い奴とはまだ決まったわけではないのでは?』
「どういうことだ?」
『全の竜が善なる存在では無かった――となるとその逆も有り得るのかもしれません』
「それは流石にないだろう、現に虚無の竜に食らわれたゆえこちらの世界は今の状態なのだぞ?
いや待てよ? 虚無の竜が悪神である全の竜を粛清しに来た存在だとすれば――全の竜を倒せばあるいは……」
『それに……アルバートさんは全の竜を倒せば虚無の指輪で属性を吸収し世界を再建できると言っていました。
他の属性の竜と指輪の関係性を考えればあの指輪も虚無の竜と無関係とは思えないんですよね……』
どれぐらいの時間が経っただろうか――
長かったのかも短かったのかも分からない時が過ぎた頃、突然闇が晴れた。
>「……す、すみません。一人には……わりと慣れてるつもりだったんですが」
指輪を持つ面々は割としっかりとした足取りだが、指輪を持たないシャルムは真っ青な顔をしてへたりこんだ。
指輪の加護のない者にとっては、とてつもなく長い時間だったのかもしれない。
その様子を見たシノノメが時間がかかったことを詫びる。
>「……時間をかけてしまって、すみません」
「……いや、よくやってくれた」
>『……お見事、お見事。まさか自ら死の淵に飛び込む事でテネブラエとの交信を図るとは。
実にヒロイックだったよ。女の子にしておくのが勿体ないね』
「セクハラという概念を知っているか?
昔のおおらかな時代はどうか知らぬが現代ではその発言は完全アウトゆえ気を付けるがよい」
等と適当に全の竜の無駄口の相手をしつつ、辺りを見回す。
それは今までとは違い、よく晴れた花畑という一見平和な光景だった。
>『最終章の題名は……そうだな。“地を這う者ども”なんてのはどうだろう』
地を這う者ども――その題名から、地を這うモンスターの類による襲撃を警戒するスレイブだったが、
ルクスとの対話に成功したらしきラテによると、それとは少し趣向が違うようだった。
>「うん……だけど今は、それどころじゃないの。急がないと」
光の指輪の力で、この空間の正体が明らかになる。
一行はまるでガラス玉の中のように結界に閉じ込められており、それを全の竜が押しつぶそうとしていた。 >『おっと、気づかれてしまったか。
“地を這う者ども”は君達だったというミスリードだったんだが。
やはりルクスの権能は良くないな。物語の先を盗み見るなんて』
>『もっとも……この先が読めたところでもう手遅れだけどね。
なに、殺しはしないよ。この中に封じて……いつまでも眺めていてあげよう』
「……眺めていられるものならいつまでも眺めているがよい。
お主、退屈が死ぬほど嫌いなのだろう? 果たしていつまで耐えられるかな?」
全の竜のシナリオに乗ってはいけない――手を尽くし結界を破ろうとして体力を消耗すれば相手の思う壺だ。
この堪え性の無い全の竜なら、こちらがじたばたせずに余裕の体でじっとしていればそう長くは持たず音をあげるだろう――
等という希望的観測の下に、斜に構えた根競べ籠城作戦を打ち出したティターニア。
しかしシャルムは、最初のひねくれたクールっぷりはどこへいったのか、熱血正統派な反応を示した。
>「……っ、まだです!」
>「奴が力づくで私達を封印出来るなら、最初からそうすればよかった!
そうしなかったのは、出来なかったから!
今ならまだ、この結界を破れるはずです!」
更に、スレイブがそれに呼応する。
>「俺たちとは異なる次元の生き物、超越した存在であるはずの全竜が、俺たちを『封印』しようとするのは何故だ?
封印しなければ危険なほど――俺たちには、奴を害する力があるからだ。
奴は全能だが、完全ではない。この結界だって、俺たちの力で叩き割れる!」
二人に突き動かされるように、アルダガが先陣を切って動いた。
>「――叩き割ります!」
「叩き割りますって……すっかりこの流れが定番になった気がする……。
これはもうぶち破るしかないな」
観念して正面突破に気持ちを切り替えるティターニア。
当然のごとくアルダガの初撃は阻まれたが、まだ策があるようだ。
>『ああ駄目だ、それは悪手だよ。エーテルの指環は未完成だって、そこの魔術師君が解説してくれただろう?
その指環は私そのものだ。私を滅ぼさんとする者に、私自身が力を貸すはずもない。
しかしがっかりだなあ。期待はずれも甚だしい。散々大口を叩いておいて、結局上位の存在に頼るのかい』
「パンドラが命を投げ打って尚指輪が真の力を発揮していないのはそなたが邪魔しておるからなのだろう?
完全ではないとはいえ彼女ならパンゲアの力を引き出せるかもしれぬぞ――」
ティターニアはそう答えるが、アルダガの答えはその遥か斜め上をいくものだった。
答えというより、もはや全の竜の戯言など耳に入っていないのかもしれない。
>「信仰とは」
>「本来、形あるものではありません。拙僧たちが祈りを捧げる女神像は、信仰を集める言わば"道標"のようなもの。
偶像自体が力を持つわけではなく、神の力の本質は"祈り"そのものにこそ生まれます。
隣人への奉仕。自身の持つ権能を他者の為に使う……女神の教えとはすなわち、『力の再分配』です」 神術による光の鎖が伸びてくる。
以前戦った時にジャンと能力を入れ替えられた時の鎖と似ているが、これは入れ替えではなく能力を共有するための鎖だ。
>「ジャンさん。ティターニアさん。ディクショナル殿。――シアンス殿。
わたしを『信じて』、その力を委ねてくれますか?」
「当たり前だろう。
カルディアで戦ったあの時――我は確かそなたの敗因は仲間がいないことだと言ったな。
ならば……仲間を得たそなたが負けるはずがあるまい!」
>「問題ありません。わたしが信じるのは新世界の創造主たる女神パンゲアではなく――『わたしの中の女神様』です。
きっと大目に見てくれますよ。わたしの女神様なんですから」
アルダガはあの帝国の聖女に聞かれたら破門にされかれない大胆発言をぶちかました。
最初に会った時はひたすら敬虔でお堅い聖職者というイメージだったが、信仰を自分の中で見事に昇華させたようだ。
>『たった今邪教が誕生した気がする……』
>「神装――『黒翼の聖槌(ヴェズルフェルニル)』」
>「わたしたちの世界に……貴方という"神"は、必要ありません。
貴方に全てを託すのならば……これからは、わたしが神になります」
アルダガの勢いはとどまるところを知らず、ついに神になる発言まで飛び出した。
ティターニアは心底愉快そうに笑いながら、鎖に魔力を送り込む。
「ふふっ、ははは! 何、宗教は案外懐が広いものだからな。宗派の一つだと思えば問題ない」
ついに結界の一部が裂け、隙間ができる。
>「……今ですっ!」
>「アクアッ!あの野郎まで一直線だッ!」
>『分かってる!――海の底の底、はるか下を流れる偉大なる水の流れ。
今こそ我に集いて――駆けろ!』
ジャンがいち早く、結界の隙間から飛び出した。
ジャンは雷撃の直撃を受けながらも、全の竜に一撃を浴びせることに成功した。
それとほぼ同時に、辺りの風景が霧消し、元の全の竜の神殿へと戻る。
>「……やったぜ」
「結界が……解けた……!」
>『フフフ……この長い間……私に立ち向かうものなどいなかった。
だが!この亜人は私をただ一発殴るために全力を賭けて私に立ち向かった』
>『それに敬意を表そう。小細工はいらない。君たちは全て、一切、区別なく潰す。
観客を害する役者など、あってはならない……!』 ジャンの一撃は、全の竜を本気にさせるのに十分だったようだ。これでもう本当に後戻りはできない。
最初にシャルムにドラゴンサイトを食らわされた時は傷は何事も無かったのように元に戻り態度も余裕綽綽だったが、
今回は傷を治すのも忘れるほどキレている。 否――もしかしたら治すことを忘れているのではなく、すぐには治せないのかもしれない。
ここから、ティターニアは一つの可能性に思い至った。 「指輪の力を使った攻撃なら通用するのかもしれない……!」
散々茶番劇で翻弄してなかなか直接対決をしようとしなかったのも、実は指輪を持つ者達との戦いを恐れていたからだとすれば説明がつく。
この戦い、実は思っていたよりずっとこちらに分があるのかもしれない。
そう思った矢先、あらゆる属性の魔法攻撃とウォークライのような音圧が一行に襲いかかる。
「「「「四星守護結界――!」」」」
「――指輪の力よ!」
それは単純明快にして強力無比な、桁外れの魔力による力押し。
四体の守護聖獣が防護障壁を構築し、アルバートが虚無の指輪の力を発動して魔法の一部を吸収しても尚、
障壁を突破し押し寄せてこようとしていた。
突破されれば全滅必至だが、ティターニアはやおら眼鏡を外し、不敵に笑う。
アルダガと全の竜の一連のやりとりを見ていて、自分も自らが信じる”神”を顕現する術を持っていることを思い出したのだった。
そしてそれはアルダガの信じる女神と対立するものではなく、源流は同じなのかもしれない。
「先程は散々趣向を凝らした舞台で楽しませてもらったからな。今度はこちらが用意した舞台にご招待しよう!
――ドリームフォレスト」 解き放つは、エルフの長にしか使えぬ結界魔法。
以前は獣人の精霊使いの助力を得ることで成功したが、
今のティターニアには紛れもなくエルフの女王だった聖ティターニアの記憶がある。
辺りの風景が、瞬時にして艶樹の森に塗り替わる。
背後にそびえたつは、神樹ユグドラシル――エルフが命を授かる大樹。
そして人間以外の種族は、パンゲアが礎となった新世界で新しく誕生したもの。
これもまた、女神の一つの姿といえるだろう。
『それがどうした! 背景が変わったところで意味はないだろう!』
「それはどうかな? 皆こちらに集まるのだ!」
ティターニアの持つエーテルセプターに神樹から莫大な魔力が供給される。
それもそのはず、エーテルセプターとはもともと神樹の枝から出来ているのだ。
「――プラントシェル!」
瞬時に周囲の草木や蔦が絡まり合い、テントのようになって一同を覆う。
次の瞬間四星守護結界が砕け散り、全の竜の魔力の奔流がそこに襲い掛かった。
『ヤケでも起こしたか! 涼むのには丁度いいかもしれないが……なっ!?』
勝ち誇っていた全の竜は思わず驚きの声をあげた。
魔力の奔流がおさまると同時、植物のシェルターがほどけるように解けると、無傷の一同が現れたのだ。
「言ったであろう? こちらの舞台だと。さあ――次はこちらの番だ」
神樹から仲間達に光の蔦が伸びて巻き付く。
もちろん動きを阻害するものではなく、逆に移動や回避の補助と防御、及び魔力の供給を行うものだ。
その気になれば蔦をターザンロープのように使ってのワイヤーアクションも意のままだろう。 【ファンタジー】ドラゴンズリング7【TRPG】
ttps://mao.5ch.net/test/read.cgi/mitemite/1532443937/l50
次スレを立てておいた。
多分630kbちょっとまで入るのだがあまり気にせずに投下して
「容量オーバーで書けません」って言われてから次スレにいってもらえばOK ありゃりゃ、730kbだったか……
少し早く立て過ぎたがどちらにしろこのスレでは終わりそうにないのでまあ良いか ディクショナルさんが私を抱えたまま着地を果たす。
……私は少し目を細めて、彼を睨みます。
「……あの、いつまでこんな状態のままでいるつもりですか?」
勿論、彼が私を庇おうとしてくれた事は分かっています。
分かってはいるんですが……流石に、これは恥ずかしいです。
別に嫌だった訳ではないんです。
ただそれを直接言うのはあり得ません。絶対無理です。
でも、何も言わずにこのまま降ろしてもらうのも少々剣呑ですから……
「こういう事は……時と場合を選んで、またお願いしますから」
……なんだか、余計にふしだらな感じになってしまった気もします。
いえ、気のせいですよね。それにそんな事を気にしている場合でもありません。
>「――叩き割ります!」
>「ぶん殴るぜ!」
私の両足が地面に再び触れた頃には、ジャンソンさんとバフナグリーさんは既に動き出していた。
お二人の強烈な打撃が結界を歪ませ……しかし、打ち砕くには至らない。
>『無理だと思うなぁ。結界の強度は勇者達の中で最も腕力のある君を基準に設計してあるんだ。
星都に入ってからの君たちの戦いは全て見ていたよ。いずれも私の結界を破るに足りる威力ではない。
だから――』
……全の竜が言う事を、私達が鵜呑みにする理由はありません。
例えその挑発的な言葉に、一定の説得力があるとしても……私達が諦める理由にはならない。
迫りくる結界は……確かに、堅牢です。
この世界の創造主にして、ドラゴンの真祖。
その圧倒的な魔力に物を言わせた、ただひたすらに分厚く、頑丈な結界。
それ故に……付け入る隙を見つけ出せない。
>「結構。連携による突破力の向上など、貴方は既に計算済みでしょう。
これまで何代にも渡って指環の勇者の姿を見続けてきた貴方には、結末が見えている」
バフナグリーさんが、ふとそんな事を口走った。
だけどその声音から感じるのは諦めじゃなくて……むしろ強い決意。
私は思わず彼女の方を見た。
>「だから拙僧は……わたしたちは。貴方の見たことのない力で、貴方の想定を上回ります」
『ああ駄目だ、それは悪手だよ。エーテルの指環は未完成だって、そこの魔術師君が解説してくれただろう?
その指環は私そのものだ。私を滅ぼさんとする者に、私自身が力を貸すはずもない。
しかしがっかりだなあ。期待はずれも甚だしい。散々大口を叩いておいて、結局上位の存在に頼るのかい』
全の竜は嘲るような声と共に溜息を吐く。
バフナグリーさんは……気にも留めていない。
ただ静かに、祈りを捧げ続けている。
……不意に、全の指環に光が灯った。バフナグリーさんの体そのものにも。
>「信仰とは」
光は形を変えて、彼女の背に翼を模る。 「本来、形あるものではありません。拙僧たちが祈りを捧げる女神像は、信仰を集める言わば"道標"のようなもの。
偶像辞退が力を持つわけではなく、神の力の本質は"祈り"そのものにこそ生まれます。
隣人への奉仕。自身の持つ権能を他者の為に使う……女神の教えとはすなわち、『力の再分配』です」
神術の鎖で編み上げられた翼……。
それが何を意味するのかは、明白です。
>「ジャンさん。ティターニアさん。ディクショナル殿。――シアンス殿。
わたしを『信じて』、その力を委ねてくれますか?」
「そんな事、聞かれなくたって……」
>「信じなかったことなんて、一度もねえよ!
持っていきな、俺の全部!」
むっ……先を越されてしまいました。
>「当たり前だろう。
カルディアで戦ったあの時――我は確かそなたの敗因は仲間がいないことだと言ったな。
ならば……仲間を得たそなたが負けるはずがあるまい!」
……まぁ、いいでしょう。
お二人とも、バフナグリーさんとは奇妙な因縁があったようですし。
もっとも……私だってもう、彼女とは、他人ではないのです。
譲るのは今回だけですからね。
……それでは、気を取り直して。
「……そんな他人行儀な事を聞かないで下さい、バフナグリーさん。
私も、あなたと同じです。
あなたが私を頼ってくれるなら……それだけで、理由は十分なんです」
そして私は、バフナグリーさんの背から伸びる鎖を握り締めた。
彼女の手を取るような気持ちで、両手で包み込む。
>「わたしたちの世界に……貴方という"神"は、必要ありません。
貴方に全てを託すのならば……これからは、わたしが神になります」
「っ……ふふっ、笑わせないで下さいよ。とんでもない事を言いますね、もう」
皆の信仰を帯びたバフナグリーさんが、再び結界へとメイスを振るう。
激しい衝突音、眩い光……二つの力がせめぎ合う。
全の竜の結界に僅かな綻びが生じる。
結界の再生よりも早く、その亀裂が、鋭く研ぎ澄まされた力によって広げられていく。
そして……
「……今ですっ!」
ついにその綻びは、私達が外へと脱出出来るほどにまで広がった。
……だけど、別に大げさに驚いたり、喜んだりなんかしませんよ。
だって……信じてましたからね。あなたなら、必ずやってくれるって。
>「アクアッ!あの野郎まで一直線だッ!」
>『分かってる!――海の底の底、はるか下を流れる偉大なる水の流れ。
今こそ我に集いて――駆けろ!』
真っ先に結界から飛び出したのは、ジャンソンさんでした。
小細工も駆け引きもない、真正面からの突貫。 >『所詮は力押ししかできない亜人か、ならば期待に応えてやるとしようか』
全の竜が嘲けるように笑う。
そう、ジャンソンさんの行いは、例えようもないほど愚かで、無謀……。
きっと少し前の私なら、そう、全の竜と同じ事を思っていたでしょう。
>『これが神罰というものだよ。砕け、ミョルニール!』
『その距離で殴り合えるとでも思ったのかい!?
そのまま雷に焼かれるがいいさ!』
だけど……今なら分かります。
そして全の竜は分かっていない。
なんの小細工もないという事は、絶対に迎え撃たれるという事。
「――いや、殴れるぜ」
それはつまり……敵の攻撃を確実に読めるという事。
自分が間違いなく甚大なダメージを受けると分かっているのなら……後はただ、それに耐えればいい。
>「歯ァ食いしばれやァァァァ!!!」
ジャンソンさんの右拳が、全の流の顎に突き刺さる。
>「……やったぜ」
「今まで数多の英雄譚を見てきた、と言うわりには……見る目がないんですね」
なんて皮肉も程々に、風の魔法でジャンソンさんの体を引き寄せます。
すかさずフィリアさんがそれをムカデの触手で受け止めて、そのまま指環による治療を始める。
一方で全の竜は……
>『フフフ……この長い間……私に立ち向かうものなどいなかった。
だが!この亜人は私をただ一発殴るために全力を賭けて私に立ち向かった』
『それに敬意を表そう。小細工はいらない。君たちは全て、一切、区別なく潰す。
観客を害する役者など、あってはならない……!』
……随分と、余裕がなくなってきたじゃないですか。
神殿の床に、ぼたぼたと血が落ちてきています。
という事は、やはり……
>「指輪の力を使った攻撃なら通用するのかもしれない……!」
「指環の力も、奴のそれと同じ、世界を創造する力ですからね。
感覚的には……上書きしている、といった感じなのでしょうか。
いいじゃないですか。塗り潰してやりましょうよ」
とは言え、良い事ばかりとも言えませんがね。
なにせ全の竜からすれば、最大の弱点が知られてしまった訳ですから……。
それはつまり……もう回りくどいやり方で戦う理由はないという事。
八属性の大魔法に加えて、竜の咆哮。
>「「「「四星守護結界――!」」」」
>「――指輪の力よ!」
守護聖獣達の結界に、虚無の指環。
それらを全て合わせて防御してもなお、衰えない破壊力……。
ですが……動じてなんかあげませんよ。
なにせ、ふふっ……私の先生が、いつになく不敵な表情をしていますからね。 >「先程は散々趣向を凝らした舞台で楽しませてもらったからな。今度はこちらが用意した舞台にご招待しよう!
――ドリームフォレスト」
石造りの壁に囲まれていた神殿が、瞬く間に、深い森の中へと塗り替えられる。
これが、ドリームフォレスト……。
噂には聞いた事があります。エルフの長にのみ相伝される魔術の秘奥。
「そんな……こんな事が……だって、こんなの……」
心臓が高鳴る。呼吸も忘れて、辺りを見回してしまう。
「これが、エルフ族の命の根源、原風景……すごい……」
すごい、すごい、すごい……それしか言葉が出てこない。
ここはエルフという種族の命の故郷。
一人一人が人格を持つエルフ達が、心の奥底に共通して持つ心象風景。
つまり……集合無意識。
実在するかも定かではなかった精神世界を……この世に顕現してしまうなんて。
『それがどうした! 背景が変わったところで意味はないだろう!』
「それはどうかな? 皆こちらに集まるのだ!」
ふふん、やはり何も分かっていませんか。
ならば、思い知らせてあげましょう。
ねえ、先生?
>「――プラントシェル!」
私達を植物の防壁が包み込む。そして……
『ヤケでも起こしたか! 涼むのには丁度いいかもしれないが……なっ!?』
その防壁は全の竜の魔法を、完全に凌いでのけた。
>「言ったであろう? こちらの舞台だと。さあ――次はこちらの番だ」
『馬鹿な……確かに君達を消滅させるだけの威力があったはずだ。
世界を創造する私の力を、たかが被造物が防げる訳が……』
「自分で言っていた事すらも忘れてしまったのですか?
ここは集合無意識を具現化した世界……。
人の心は、感情は、あなたの属性では言い表せないものなのでしょう?」
つまり……
「ここに、あなたが塗り替えていいものなど存在しない。
……いえ、本当なら世界のどこにも、そんなものは無かったのに」
私は『フォーカス・マイディア』を発動する。
神樹から魔力が供給されてくる。
森の清気が私の心身を常に癒やし続けてくれているのが分かる。
ここなら……平時の限界を超えた魔術適性の強化が出来る……。
『……ふん。なるほどね。だが……それはつまり、こういう事だろ?
君達自身の脆弱さは何も変わっちゃいない』
言うや否や、全の竜は再び八属性の魔法陣を描く。
あの一撃を何の準備もなく連発出来るのは流石と言わざるを得ません。 ですが、
「無駄ですよ」
私は全の竜に人差し指を突きつける。
瞬間、発動しつつあった魔法陣に、本来あるべきでない線が刻まれる。
そして……私達に向けて発動されるはずだった魔法の全てが、逆転した。
全属性の魔力の奔流が、全の竜の巨体に八つの風穴を穿つ。
「今の私なら……この世界の創造主の描く魔法であろうと、読み解き、書き換えられる」
……まぁ、本当は物量で攻め続けられたら流石の私も凌ぎ切れなくなるんでしょうけど。
わざわざ教えてやる義理もありません。黙っておきましょう。
それにしても……随分と痛ましい姿になったじゃありませんか。
「どうです、その傷。痛みますか?試しにその痛み、属性で言い表してみて下さいよ。
……出来ないのなら、おめでとうございます。
あなたが求めてやまなかったものを、これから幾らでも思い知らせて……」
私は挑発的な笑みと共に、全の竜を睨み上げて……思わず紡ぎかけていた言葉を失った。
全の竜の胸に穿たれた四つの風穴。
その内の一つ。その奥に……何かが、見えた気がしたから。
あれは……くすんで、ひび割れた……宝玉?いえ、眼球……?
……全の竜は、すぐに傷を塞いでしまった。
ジャンソンさんに殴られた時の傷は、そのままにしていたのに。
「……皆さん、見ましたか?今の……」
見間違いだったかもしれない……。
アレが一体なんだったのかも分からない……。
でも……今、何かが見えたような……。 >「アクアッ!あの野郎まで一直線だッ!」
アルダガのこじ開けた結界の隙間を縫うようにして、まず飛び出したのはジャン。
荒れ狂う水の流れを炸薬代わりに、己を砲弾の如く撃発したのだ。
>『これが神罰というものだよ。砕け、ミョルニール!』
迎え撃つは全竜の左腕。
天上より降り注ぐ雷を掌に纏って、稲妻の速度でジャンを打ち据える。
「あれは……『ディザスター』……!?」
天候の支配と、それにより収束した雷素の攻撃への転用――。
スレイブの得意とする魔法剣術をそのまま竜の規模へと拡大したかのような一撃だ。
奇しくも吶喊するジャンとの交錯は、シェバトでスレイブが彼と演じた果たし合いの再現となった。
異なるのは、ぶつかり合う力のスケール。
全竜の全力と、指環の力を限りなく引き出した勇者との、気の遠くなるほど絶大な魔力の激突。
しかしその最先端、衝突点にあるのはジャンの生身だ。
常人よりも遥かに頑健なハーフオークの総身が、這い回る紫電に灼かれていく――!
「ジャン……!」
シェバトでの戦いの後、片腕を焦がしたジャンの姿が脳裏を過ぎり、スレイブは堪らず声を挙げた。
全竜の一撃だ。灼けるのは片腕だけで済むまい。
雷槌が肉を打ち、皮膚を弾き、骨を焦がされてなお、ジャンは止まらない。
>「歯ァ食いしばれやァァァァ!!!」
――そして、拳が届いた。
渾身のアッパーカットは全竜の顎元へ突き刺さり、衝撃はヒトと竜の体重差を覆した。
顎を痛打された全竜がよろめき、同時にジャンは推進力を失って墜落していく。
スレイブは駆け出し、シャルムの風魔法が自由落下を緩めたジャンの身体を確保した。
フィリアのムカデがそれを包み込み、焦げた半身の治療を開始する。
超越者へ一矢報いんが為に苦痛を代償とした男の表情に、しかし苦悶の色はない。
>「……やったぜ」
「相変わらず無茶をするな、あんたは……ああそうだ、シェバトで出会ったときからそうだった」
ジャンの身柄をフィリアに任せ、スレイブはもはや彼の方を振り返らない。
顔など見合わせずとも、通じ合えるだけの足跡を、この旅で共に積み上げてきた。
「あんたはいつだって、俺たちの前途を……その身で切り拓いてきた。
ならば、その背を押し支えるのは俺の役目だ」
前方、顎を穿たれ血を流す全竜が、快哉にも似た声を上げる。
>『フフフ……この長い間……私に立ち向かうものなどいなかった。
だが!この亜人は私をただ一発殴るために全力を賭けて私に立ち向かった』
>『それに敬意を表そう。小細工はいらない。君たちは全て、一切、区別なく潰す。
観客を害する役者など、あってはならない……!』
「いいのか?俺たちを殺せば世界を救う者は居なくなるぞ」
『自惚れるなよ勇者共。君たちは代えの利かない存在などではないんだ。
代役はいくらでも立てようがあるし……脚本の大幅な書き換えも、やぶさかじゃあない』 全竜の両腕、そして両翼に都合八つの魔法陣が展開し、それぞれ異なる属性を宿す。
そのどれもが一介の魔術師であれば生涯最高の奥義となるような極大の攻撃魔法。
破壊の旋律が八つの音を奏でると同時、全竜は咆哮した。竜轟(ドラグロア)だ。
>「「「「四星守護結界――!」」」」
>「――指輪の力よ!」
刹那、守護聖獣達とアルバートが迫り来る滅びの波濤に障壁を合わせた。
一行を飲み込まんとする攻撃魔法の嵐はわずかに遅滞するも、やがて障壁を侵食していく。
そもそもの出力が巨大過ぎるうえに、竜轟による魔法消去の力が働いているのだ。
全てが破壊に呑まれるまで、猶予は数秒とないだろう。
幾度となく直面してきた絶体絶命の窮地に、しかしスレイブは心乱さず機を待ち続けた。
振り返らずとも分かり合えるのは、ジャンだけではない。
ティターニアが、あの抜けているようで抜け目のないエルフ最高峰の魔導師が、何もせず座視しているはずもないと。
論理ではなく直感で、スレイブには理解できたからだ。
>「先程は散々趣向を凝らした舞台で楽しませてもらったからな。今度はこちらが用意した舞台にご招待しよう!
――ドリームフォレスト」
瞬間、殺風景な石造りの神殿の風景が一変した。
砂浜を波が洗うように広がる緑。瑞々しい木々の香りが鼻に飛び込んでくる。
気づけばそこは、巨大な世界樹を中心とする原生林へと変わっていた。
>「そんな……こんな事が……だって、こんなの……」
隣でシャルムが心から感嘆の吐息を漏らす。
スレイブも同感だった。ティターニアの真骨頂、それを目の当たりにするのはこれが初めてだ。
「世界の上書き……全竜と同じ、領域創造の術式だと……!」
圧倒的な魔力で強引に空間を塗り潰す全竜のそれに比べて、ティターニアの領域創造はずっと繊細だ。
まるで百年、千年前からそこに聳えていたかのような、世界樹の存在感。
この領域にあっては、全竜のほうがむしろ新参の闖入者とさえ感じられる。
>『それがどうした! 背景が変わったところで意味はないだろう!』
>「それはどうかな? 皆こちらに集まるのだ!」
ティターニアの号令に促され、彼女の傍に寄れば、生い茂る草木が繭の如くスレイブ達を包み込む。
そこへ障壁を突破した全竜の攻撃魔法が直撃し――全てを凌ぎ切った。
世界を八度滅ぼせる破滅の大瀑布を、植物の殻は一切漏らすことなく遮蔽したのだ。
>「言ったであろう? こちらの舞台だと。さあ――次はこちらの番だ」
「はは……ジャンが無茶なら、あんたは無茶苦茶だ、ティターニア。
ウェントゥスが執着する理由がわかった気がするよ……」
『な?なっ?』
謎の勝ち誇りを見せるウェントゥスをもスレイブは一顧だにしないが、これは別に通じ合っているからではない。
>『馬鹿な……確かに君達を消滅させるだけの威力があったはずだ。
世界を創造する私の力を、たかが被造物が防げる訳が……』
ジャンに打ち据えられてなお余裕を崩さなかった全竜も、目の前の光景に信じがたいといった様子だ。
超然とした態度が、瓦解していく。 >「自分で言っていた事すらも忘れてしまったのですか?ここは集合無意識を具現化した世界……。
人の心は、感情は、あなたの属性では言い表せないものなのでしょう?」
>「ここに、あなたが塗り替えていいものなど存在しない。
……いえ、本当なら世界のどこにも、そんなものは無かったのに」 シャルムの言葉に、全竜はついに言葉を返せなかった。
あれだけ立て板に水の如く饒舌であった竜が、絶句したのだ。
>『……ふん。なるほどね。だが……それはつまり、こういう事だろ?
君達自身の脆弱さは何も変わっちゃいない』
暫しの沈黙を経て、全竜は負け惜しみとばかりに再び魔法陣を展開する。
守護聖獣と虚無の指環による五重の結界すら容易く食い破る威力を秘めた、極大の殲滅魔法。
いかなティターニアの領域創造であっても、間髪入れず立て続けに放たれれば凌ぎ切ることは困難だろう。
――だが、魔術師は彼女一人だけではない。
スレイブの隣には、エルフ最高峰に並ぶ、人類最高峰の魔術師が居る。
>「無駄ですよ」
既にフォーカス・マイディアを発動していたシャルムが、全竜の魔法陣を書き換えた。
威力はそのままに、しかし滅ぼす対象だけを捻じ曲げられた攻撃魔法が、術者である全竜目掛けて殺到する。
都合八発の極大魔法が、正確に八度、全竜の肉体を穿った。
>「今の私なら……この世界の創造主の描く魔法であろうと、読み解き、書き換えられる」
「たかが被造物と、そう言ったな。演者が脚本を書き換え、演台を飛び越えて観客の喉元に刃を突き立てる。
……そんな結末は、想定していたか?喜べ、これが貴様が渇望していた、予測不能な即興劇だ」
『お主なんもしとらん癖によくそこまで臆面なく言えるの……』
「結論を出すなウェントゥス、幕はまだ降りていない。ここから先が、俺の出番だ」
スレイブとて、全てを他人任せにして指を咥えていたわけではない。
ティターニアとシャルムは、指環の力ならば全竜の創造を越えられると分析し、ジャンがそれを実証してみせた。
指環の影響下にあるうちは、全竜は途轍もなく再生力の強い生き物と同じ。
ならば心臓や脳といった、生命維持に関わる急所に該当するものがどこかにあるはずだ。
そして、今しがたのシャルムの術式反転によって破壊された全竜の肉体に、とりわけ再生の早い場所があった。
敬意を払うなどと言っておきながら、損傷をなかったことにした箇所がある。
>「……皆さん、見ましたか?今の……」
「……ああ、いま見つけた」
肉体に穿たれた穴、その向こうに一瞬だけ垣間見えた珠のようなもの。
破壊すれば即死させられる弱点にしてはあまりに出来過ぎではあるが、全竜がそれの露出を嫌ったことは確かだ。
ならばこれからやるべきことは一つ。
「もう一度、大穴空けてやる。二度と減らず口を叩かせるものか」
言うが早いか、スレイブは跳躍術式を発動した。
地を滑るように疾走し、全竜の五体へと飛びかかる。
「拙僧たちで道をつけます。こんなことを言うのは神に仕える身としては間違っているかもしれませんが……。
シャルム殿、拙僧とてもスカっとしました。何度でもあの超越者に、痛みを思い知らせてやりましょう」
同時、アルダガも跳んだ。
『ドリームフォレスト』の内部に幾重にも張られた蔦を、腕力だけで手繰り、反発力で自身を射出する。
接近戦に特化したスレイブとアルダガは、それぞれの方法で全竜の肉体を飛び回り、
暫定的な弱点を目掛けて肉迫していく。 『見込みが甘いよ。私が君たちを誘い込むために、わざと偽りの弱点を晒したとは考えないのかい?』
「その時は、ハズレを含む全ての場所を一つ一つ砕いて回るだけだ。
結末の見える貴様には無縁のことだろうが――
そんな気の遠くなるような試行錯誤を繰り返してきた奴らを、俺は知っている」
うっとおしげに振るわれた全竜の爪を、スレイブは腰から抜いた黒の短銃で受け止めた。
旧世界の英雄たち。彼らが悠久の時の中で重ねてきた想いは、確かに受け継がれている。
「貴方が拙僧たちを打ち落とすのが先か、拙僧たちが当たりを引くのが先か。
賭博は教義で禁じられているのですが……たまには羽目を外すのも良いでしょう」
『私がそれに付き合うとでも――』
全竜が忌々しいとばかりに唸った刹那、右の豪腕に取り付いたスレイブが、長剣を鱗の隙間に突き立てた。
柄まで埋まった刃は出血を生むが、巨大な腕を切断するには刃渡りが足りなさすぎる。
刃の不足を補う術は、既に完成していた。
「――奔れ、『極光』」
血肉に埋まった刀身から魔力の光条が解き放たれ、全竜の腕を貫いた。
『極光』。またの名をスレイブ極太ビームである。
本来はバアルフォラスによる『呑み尽くし』か竜装を経なければ魔力が足りず使えない術式。
しかしドリームフォレストの影響下にあるいま、無限に近い魔力がその身に供給されている。
瞬間的に拡張された光の刃は骨を断ち、そのまま肉を切り裂いて――全竜の右腕を斬り落とした。
『――――ッ!』
全竜が息を呑む音が鳴動の如く響く。
切断された右腕はすぐに再生し、元通りになったが……全竜にひとつの想像をさせるに十分だった。
すなわちそれは、『弱点さえわかれば容易く貫ける』、指環の勇者の攻撃力だ。
観客として誰にも害されず、超越した立ち位置にいた全竜に、鮮明な死を予感させた。
『く、ふ、はははははは!なるほどこれが死への恐怖という感情か!
このひりついた焦燥感、悪くない。死を意識するからこそ、生の実感が湧くものなのだね!
身体の裡が強く拍動するのがわかる!血の巡りが早くなる!』
全竜は笑った。
哄笑は地響きの如く響き渡り、至近距離で音圧を受けたスレイブは反射的に風の防壁を張る。
『ああ、心地良い!命のやり取りというのは、素晴らしい高揚感をもたらすな!
君たちに命を奪われぬよう、私も必死に抗わなければならないね!必死に!ははは!』
「……何がおかしい」
『おかしい?いや、これは……そう、楽しい。楽しいんだ。私は楽しい。
これまで私は歴史の傍観者でしかなかった。勇者たちに力をくれてやるだけの存在だった!
しかし今は違う!私の創造を塗り替え、想像を越えて、私を殺そうとする者たちがいる!
描いた脚本など放り捨てて、即興だらけのこの舞台に、私もまた演者の一人として立っている!』
スレイブは全竜の腕を胴の方に疾走する。そこへ迎撃の攻撃魔法が飛ぶ。
アルダガの張った障壁が攻撃魔法を打ち砕き、舞い散る飛沫を突き抜けてスレイブは跳んだ。
再び放った極光が、今度は術式の触媒となっている両翼の片側を断ち落とした。
『退屈だった!人類の行く末を、ただ眺めるだけの日々が!
そのうち自分で英雄譚を書くようになったが、私は私の想像を越えられはしなかった!
物語が、登場人物が独り歩きするというのは、実に物書き冥利に尽きるな!』 全竜の肩まで到達したスレイブは、胸部目掛けて飛び降りる。
その場所こそが、シャルムの攻撃によって垣間見えた珠のようなもののあった場所だ。
全竜は左腕でそこを覆い隠す。スレイブは斬撃を放ち、左手首から先を切り落とす。
返す刃で胸に長剣を突き立て、『鎧落とし』で鱗を断ち剥がした。
「……戦って、命のやり取りをして、満足できたか?全竜」
『……いいや、戦うだけじゃ足りない。殺し合うだけでも足りない。
もう一つ芽生えたこの感情を言葉で表現するなら、そうだな、きっと』
アルダガのメイスが甲殻を砕き、スレイブの剣が肉を裂く。
そうしてついに、急所と思しき珠が再び顔を覗かせた。
そこへ極光を叩き込まんとスレイブが剣を構えた刹那、全竜の声が響いた。
『――私は、君たちに勝ちたい』
珠の表面に魔法陣が展開する。
それは全竜が翼に宿したものに比べればごく小さなものであったが……至近距離にいる二人を捉えるには十分だった。
「しまっ――」
放たれた純粋な魔力の奔流を咄嗟にアルダガが障壁で防ぐが、慣性までは殺しきれない。
ろくに踏ん張りも効かないままに、スレイブとアルダガは空中へと放り出された。
急速に遠ざかる視線の先で、切り開いた全竜の胸郭がゆっくりと閉じていくのが見える。
最接近のために練り上げた風魔法は、間断なく放たれた竜轟によって吹き散らされた。
切り落とした翼も再生が進んでいる。
このまま地面に着地する頃には、全てが振り出しに戻ってしまうだろう。
だから、スレイブは叫んだ。
顔を突き合わせなくても、"彼"が再び立ち上がることは、長い付き合いで分かっていた。
「――ジャァァァァァン!!!」 【弱点っぽい珠を再び露出させるも、全竜の足掻きにふっ飛ばされる。ジャンにトドメの要請】 トドメ刺しちゃっていいぞ
こいつらは引き伸ばすだけが能だからな 生まれてからというもの、殴られたり斬られたりする感覚は何度も味わってきた。
だが、半身を焼き潰される感覚というのはこれが初めてだった。
自分がどこにいるのかという感覚すらあやふやになり、治療を続けているフィリアとの距離が近くにも遠くにも感じられる。
喉も焼かれたのか、叫ぶどころか声も出せない。まともに動く片目で、眼前に広がるぼやけた光景をただ眺めるのみだ。
全竜が魔法陣を展開すれば、ティターニアと守護聖獣、そしてアルバートが全力で防ぐ。
この状況においてもティターニアは余裕を崩すことなく、いつもの調子で全竜の結界をさらに上回ってみせた。
>「先程は散々趣向を凝らした舞台で楽しませてもらったからな。今度はこちらが用意した舞台にご招待しよう!
――ドリームフォレスト」
(……世界樹ってのは綺麗なもんだな……)
ジャンがぼんやりとそう思っていると、全竜は再び八つの魔法陣を描き、咆哮と共に魔法を構築し始める。
先程と同じ、数人のヒトを消し飛ばすには十分すぎる威力だ。
>「今の私なら……この世界の創造主の描く魔法であろうと、読み解き、書き換えられる」
だがシャルムは、その全てを書き換えてみせた。
破壊の方向は反転し、全竜の身体に風穴を八つ作るのみとなる。
(あんだけ迷ってたくせによ……やっぱり宮廷魔術師はすげえな……)
そして風穴の向こうに見えた宝玉。
弱点に見せかけた囮かもしれないが、指環の勇者はその囮すら踏み抜いて本物を貫く。
>「もう一度、大穴空けてやる。二度と減らず口を叩かせるものか」
>「拙僧たちで道をつけます。こんなことを言うのは神に仕える身としては間違っているかもしれませんが……。
シャルム殿、拙僧とてもスカっとしました。何度でもあの超越者に、痛みを思い知らせてやりましょう」
アルダガとスレイブは持ち前の身体能力と体術で全竜の懐に潜り込み、全力で暴れまわる。
右腕を切り落とし、両翼を断ち切り、左手首も吹き飛ばした。
だがそこまでだった。全竜の生存本能からか、魔法ですらない魔力の奔流が二人を吹き飛ばして動きを封じる。
彼らの視線の先に見えるのは全竜の胸郭の向こう、光り輝く宝玉だ。
(あの宝玉を砕けば……奴を潰せる……
くだらない芝居を……終わらせられる……!) >「――ジャァァァァァン!!!」
フィリアの肩に手を置いて治療を止め、ジャンは立ち上がる。
既に四肢の感覚は戻り、無傷とは言えないが戦うには十分だ。
「叫ばなくても聞こえてるぜ、スレイブ!
休んでた分と、みんなが繋げてくれた分!全部繋げて終わらせるぞ!
りゅうそ――」
神樹から供給される魔力で竜装をするべく、指環を掲げるジャン。
だがその直前で、彼は見た。かつてアガルタでティターニアがこの結界を展開したとき、
敵であったミライユが過去を見たように、彼もまた過去を見た。
それはジャン個人の過去ではなく、オーク族全ての無意識の記憶から出てきたもの。
巨人族と見紛うばかりの巨躯。毛皮と鎖帷子で作られた重厚な鎧。狼の意匠を持った兜。
そして、彼が生涯使い続けてきた一振りの大剣。
『我らオーク族、どの氏族であれ、叛逆は誉れなり。
であるならば、汝に相応しき装いと雄叫びで以て、眼前の上位者を葬るべし』
それはジャンが子供の頃から聞かされてきたオーク族の英雄。
アウダス・オーカゼその人の姿だった。
ダーマ最初の解放奴隷にして、最多の魔神狩りの記録を持つ名高いオーク。
彼がジャンに近づき、古く錆びつき、刃こぼれの酷い大剣を渡す。
それだけをしてアウダスは霧のように消え去った。
そこからジャンは感じ取る。今こそオーク族の伝承に語られる戦の時だと。
己の全てを出し切るときだと。
『……ジャン!何してるんだ、奴の再生が終わってしまうぞ!』
「いや、大丈夫だ!……行くぜ、戦神装!」
『何だって!?いや、この大剣は……!』
錆びた大剣をジャンが振り上げれば、そこに魔力が宿る。
宿った魔力は大剣を研ぎ、癒し、欠けた刃を補う。
かつて英雄と共に魔神を狩り続けた大剣はその姿を取り戻し、振るえばあらゆるものを両断するだろう。
「まだだアアアアァァァァ!!!!」
さらにジャンは咆哮する。
だがそれは爆音と音圧で詠唱を妨害し、魔力を霧散させるウォークライではない。
吼えることで己に周囲の魔力を集中させ、自らの力とする――いわば本当のウォークライの使い方だ。
オーク族の伝承に語られる、天を割り地を裂いたとされる英雄たちはこの本当のウォークライに気づくことで
いかなる相手をも打ち倒してきたのだ。
そうしてあらゆる魔力を吸い上げ、今や一流魔術師ですら及ばぬほどの魔力をため込んだジャンが駆け出す。
再生を続けていた全竜は半身を焼いたはずの亜人が再び立ち上がったことに驚いたのか、眼を見開いてのけぞる。 『それは――魔剣レベリオ!』
「俺の名はジャン・ジャック・ジャンソン!
俺がやる戦は――竜狩りだッ!!!」
未だ再生の途中だった全竜は、小規模な魔法陣を展開してなんとか抵抗しようとするが、
ジャンの纏った魔力が全てを吹き飛ばし、全竜はよろめいて背後の巨木に倒れ込む。
そこにジャンが飛びつき、迷うことなく大剣を全竜の胸に突き刺し、そのまま強引に横に薙ぎ払う。
胸郭の一部分が切り捨てられ、するとその傷から光が漏れ出し、曇り一つない宝玉が姿を現した。
『や、やめ――』
「この世界に、筋書きはいらねえ!」
宝玉に大剣を突き刺し、何かがちぎれる音にも構わず全竜の身体からそれを突き刺したまま引き抜く。
そうして大剣に刺さったままの宝玉を抜き、空中に放り投げたかと思うと、ジャンは思い切り左手を振りかぶる。
「じゃあな!」
膨大な魔力を纏った拳がヒビの入った宝玉に叩きつけられ、ヒトの頭ほどもあった宝玉は粉々に砕け散って消えた。
全竜の全能を司る部分はこうして消え去り、後は肉体のみが残った。
その戦果に満足するかのように、大剣も宝玉と同じように消え去る。
オーク族が数多く成し遂げてきた下剋上に、新たな話がまた一つ加わったのだ。 「――グランドハーヴェスト」
全竜の攻撃を防いだティターニアは、フィリアが行っているジャンの治療に加わる。
>「……皆さん、見ましたか?今の……」
>「……ああ、いま見つけた」
ドリームフォレストの影響下でのシャルムの快進撃により、弱点もしくは本体らしき宝玉のようなものが一瞬見えた。
>「もう一度、大穴空けてやる。二度と減らず口を叩かせるものか」
>「拙僧たちで道をつけます。こんなことを言うのは神に仕える身としては間違っているかもしれませんが……。
シャルム殿、拙僧とてもスカっとしました。何度でもあの超越者に、痛みを思い知らせてやりましょう」
スレイブとアルダガが再び宝玉を露出させるべく猛攻を仕掛ける。
しかし二人は全竜の全力の抵抗により空中に放り出された。
そのままならばまたしても再生され振り出しに戻ってしまうと思われたが――ジャンに襷が繋がれた。
>「――ジャァァァァァン!!!」
重傷につきすでに戦力外――ジャンは全竜にはそう思われているであろう。
しかし流石はオークの頑強さというべきか、治療が功を奏しすでに立ち上がれる状態にまで回復していた。
>「叫ばなくても聞こえてるぜ、スレイブ!
休んでた分と、みんなが繋げてくれた分!全部繋げて終わらせるぞ!
りゅうそ――」
暫しジャンの動きが止まったかと思うと、巨大なオークがジャンに大剣を渡す幻影のようなものが見えたような気がした。
>『……ジャン!何してるんだ、奴の再生が終わってしまうぞ!』
>「いや、大丈夫だ!……行くぜ、戦神装!」
>『何だって!?いや、この大剣は……!』
>「まだだアアアアァァァァ!!!!」
「これは……聞いた事があるぞ、原初にして真祖のウォークライ……! 皆指輪の魔力をジャン殿に集めるのだ!」
指輪を掲げ、ありったけの魔力をジャンに供給する。
>『それは――魔剣レベリオ!』
>「俺の名はジャン・ジャック・ジャンソン!
俺がやる戦は――竜狩りだッ!!!」
ジャンは全竜から宝玉を抉り出すと、拳で宝玉を叩き割った。
宝玉は原型をとどめず粉々に砕け散る。 「今だ、アルバート殿!」
「言われなくても――指輪の力よ!」
アルバートが虚無の指輪を掲げ、宝玉が砕け散った成れの果ての輝く粒子を機を逃さず吸収する。
八属性の凄まじい魔力の奔流が指輪に吸収されていくのが見えた。
勝利を確信し、ドリームフォレストを解除する。
元の神殿に戻ってみると、抜け殻となった竜の肉体が心底愉快げに笑っていた。
『ふふふふ、ハハハハハハハハハ! 青は藍より出でて藍より青し、だったか……
まさかこんな日が来ようとな、私の負けだ――
やっと終われる、やっと眠れる……最後に最高の時間をありがとう』
全の竜はなけなしの力を使って一つの指輪を作る。
『全の指輪、なんていうのもおこがましい……
君達が持っている指輪に比べればほんのアクセサリーのようなものだが受け取ってくれ』
中空に浮かぶ指輪をそっと掌におさめるティターニア。
「そうか、やっと……永遠の孤独から解放されるのだな……」
『ああ、ありがとう……』
全の竜は穏やかな声で礼を言うと、風化するように消えていった。
そこには最後の置き土産なのか、転送魔法陣が残されていた。おそらく地上に繋がるものなのだろう。 セントエーテリア編もひと段落で近いうちにダイジェストを投下するので
気にせずに帰還シーンとかをやりつつぼちぼち次の展開に繋げる感じでタノム!
全の竜がくれた指輪はシャルム殿がもし良ければ、程度で出してみた
初志貫徹して指輪を持たない枠を貫くなら他の人に使ってもらおう
アルバート殿は世界の再建のために旧世界に残るのかな?とは思うけど連れてってもいいしお任せだ
順当に行けば次はアルダガ殿熱烈リクエストの決闘章かな!?
>>261
もう終盤でよければ歓迎するぞ
ではとりあえずテンプレを作ってきてくれ
今から入るなら既に登場してるNPCをPC化するのがスムーズだと思うけど新キャラがいい?
ハイランドならユグドラシアの導師あたりなら我と知り合い設定でいけるし
帝国なら黒騎士がまだ一人出てないのでその枠を使うのもいいかも
もちろん飽くまでも難易度を下げたいなら、という話なので自分が大丈夫そうなら何でもOK >「もう一度、大穴空けてやる。二度と減らず口を叩かせるものか」
>「拙僧たちで道をつけます。こんなことを言うのは神に仕える身としては間違っているかもしれませんが……。
シャルム殿、拙僧とてもスカっとしました。何度でもあの超越者に、痛みを思い知らせてやりましょう」
ディクショナルさんとバフナグリーさん。
ほんの数日前までは反りの合わない赤の他人だった、
だけど今では、私が最も信頼する二人。
二人が同時に全の竜へと飛びかかる。
ディクショナルさんの放つ魔力の波濤が、全の竜の右腕を斬り落とす。
苦悶の、言葉にならない呻きが響く。
>『く、ふ、はははははは!なるほどこれが死への恐怖という感情か!
このひりついた焦燥感、悪くない。死を意識するからこそ、生の実感が湧くものなのだね!
身体の裡が強く拍動するのがわかる!血の巡りが早くなる!』
……この期に及んで、奴は何を余裕ぶっているんでしょう。
あなたを傷つける術はもう分かった。
傷つけるべき場所も、見られてしまっているのに。
>『ああ、心地良い!命のやり取りというのは、素晴らしい高揚感をもたらすな!
君たちに命を奪われぬよう、私も必死に抗わなければならないね!必死に!ははは!』
>「……何がおかしい」
>『おかしい?いや、これは……そう、楽しい。楽しいんだ。私は楽しい。
これまで私は歴史の傍観者でしかなかった。勇者たちに力をくれてやるだけの存在だった!
しかし今は違う!私の創造を塗り替え、想像を越えて、私を殺そうとする者たちがいる!
描いた脚本など放り捨てて、即興だらけのこの舞台に、私もまた演者の一人として立っている!』
……いや、もしかしたら。
違うのかもしれない。
>『退屈だった!人類の行く末を、ただ眺めるだけの日々が!
そのうち自分で英雄譚を書くようになったが、私は私の想像を越えられはしなかった!
物語が、登場人物が独り歩きするというのは、実に物書き冥利に尽きるな!』
私は、見当違いの考えをしていたのかもしれない。
全の竜は……まさか本気で、この状況を楽しんでいる?
>「……戦って、命のやり取りをして、満足できたか?全竜」
>『……いいや、戦うだけじゃ足りない。殺し合うだけでも足りない。
もう一つ芽生えたこの感情を言葉で表現するなら、そうだな、きっと』
いや、だとしても……それでもあの二人が負ける訳がない。
二人はもう完全に、全の竜を翻弄して、圧倒している。
ほら、既にあの眼球めいた宝玉も剥き出しにされて……
>『――私は、君たちに勝ちたい』
……瞬間、二人の眼前に、魔法陣が描き出された。
「なっ……!」
>「しまっ――」
私は、その魔法陣に干渉する事が出来なかった。
術式を書き換えるよりも早く魔力の奔流は解き放たれ……
バフナグリーさんが展開した防壁ごと二人を吹き飛ばす。
あの魔法陣に私が手を加えられなかったのは……
全の竜が、術の規模ではなく発動の早さを優先して術式を組んだから。
それは……全の竜が初めて見せた、戦いの為の工夫、戦術。 「……成長、している?」
……考えが甘かった。
全の竜は、これまで自分の力で戦った事など一度もなかった。
それはつまり……奴には幾らでも伸びしろがあったという事。
「っ……!」
……今すぐに、この戦いを終わらせないと!
これ以上長引かせるのは不味い。
既に狙うべき場所は見えている。
指環の力がなくとも、このドリームフォレストの魔力を使えば……
私は蔦から供給される魔力を用いて植物の……ヤドリギの槍を創り出す。
『ミスティルテイン』……集合無意識を具現化するこの世界の魔力で編み上げた、不死者殺しの槍。
この槍なら、全の竜の命を奪う事も可能なはず。
そして『ミスティルテイン』が全の竜へと放たれる……
……その直前。奴が、私を見た。目と目が合った。
瞬間、全の竜が小さく息を吸い込んだ。
直後に吐き出される呼気は……竜轟。
力を帯びて私へと降り注ぐ。
術式を伴わない、単純な力押し。
故に、速い。『ミスティルテイン』の発射が間に合わなかった。
世界樹から伸びる蔦がシェルターとなって私を守る。
……その上から被せるように、無数の巨大な剣が降り注いだ。
これは……防壁を破る為のものじゃない。
防壁の有無に関わらず、私の動きを制限する為の檻。
やられた。好機を逸してしまった。
この檻を取り払っている内に、全の竜は再生を終えてしまう。
次……また同じ戦法が通じるでしょうか。
竜轟で機先を制して、その隙に術式を組み魔法を発動する……。
全の竜は、成長し続けている。
このままでは……
>「――ジャァァァァァン!!!」
焦燥に呑まれつつあった私の耳に、ディクショナルさんの声が聞こえた。
……そうだ。何を私は、一人で勝手に焦っていたんだ。
まだ、彼が残っていた。
全の竜は……間違えたんだ。
ディクショナルさん達を吹き飛ばした後、真っ先に狙うべきは私じゃなかった。
>「叫ばなくても聞こえてるぜ、スレイブ!
休んでた分と、みんなが繋げてくれた分!全部繋げて終わらせるぞ!
りゅうそ――」
……彼を、ジャンソンさんを、狙うべきだったのに。 >「まだだアアアアァァァァ!!!!」
刃の檻に囲まれた私は、この外の様子を見る事は出来ない。
>「俺の名はジャン・ジャック・ジャンソン!
俺がやる戦は――竜狩りだッ!!!」
ただジャンさんの雄叫びが聞こえて……凄まじい魔力の流れを感じる。
>『や、やめ――』
>「この世界に、筋書きはいらねえ!」
……そして、何かが打ち砕かれる、小気味いい音が響きました。
一拍の間を置いて、私を囲う剣の檻が崩れ落ちていく。
そうして私の目に映ったのは……ジャンソンさんが全竜から抉り取った宝玉を、拳で打ち砕く瞬間。
>「今だ、アルバート殿!」
「言われなくても――指輪の力よ!」
……終わった。
狂える創造主の手によって記される、偽りの冒険譚が。
そして……もしかしたら永い時の中で、
この世界から滅びの運命を退けていたかもしれない保険が今、これで完全に失われた。
……もう、後戻りも、失敗も出来ない。
だけど……大丈夫、ですよね?
ジャンソンさん、ティターニアさん、バフナグリーさん……ディクショナルさん。
あなた達なら……私達なら、大丈夫ですよね。
ドリームフォレストが解除される。
周囲の光景が元の神殿に戻って……そこには、全の竜がいました。
虹色の鱗に包まれた巨体はボロボロと崩れ落ちて、
その中に隠されていた……まるで枯れ木のように干からびた、隻眼の竜が。
>『ふふふふ、ハハハハハハハハハ! 青は藍より出でて藍より青し、だったか……
まさかこんな日が来ようとな、私の負けだ――
やっと終われる、やっと眠れる……最後に最高の時間をありがとう』
全の竜に残された、左眼。
元からひび割れ、白く濁ってしまっていたその眼が……右眼と同じように、風化していく。
生じた塵は私達の前に集まって……小さな指環を一つ、形作る。
>『全の指輪、なんていうのもおこがましい……
君達が持っている指輪に比べればほんのアクセサリーのようなものだが受け取ってくれ』
両目を失ってそう言う全の竜は……穏やかに、笑っているように見えました。
>「そうか、やっと……永遠の孤独から解放されるのだな……」
>『ああ、ありがとう……』
そしてその言葉を最後に、全の竜は自らの両眼と同じように、塵となって消えてしまいました。
残された骨がかしゃんと音を立てて、その場に散らばります。 「……ふん、散々人を弄んで、最後に満足して消えていくなんて。
本当に……傍迷惑な創造主様でしたね」
私は、同情なんてしてあげませんよ。
ティターニアさんじゃあるまいし。
ただ……
「……だけど、あなたがいなければ、この世界は今も始まってすらいなかったかもしれない。
私達の世界も……あなたがいなければ、きっと生まれる事はなかった。
もちろん、その事に感謝なんてしませんけどね」
滅びた世界の住人であったアルバートさんの前で、そんな言葉を口にする事は出来ません。
それでも、
「その事実と、あの指環の分くらいは……報いてあげますよ」
私は指を弾いて鳴らす。
神殿の床から、壁から、天井から、小さな植物の芽が幾つも生えてくる。
芽は急速に成長して、草へ、花へと姿を変えていく。
そうして床に散らばった骨が、埋もれていく。 「あの指環が役に立ったら、もう少しマシな墓を建てに来てあげますよ。
……さあ、行きましょう」
全の竜の墓標……花畑の下から漏れる魔力の光。
あの転送魔法陣は恐らく地上へ繋がっているんでしょうが……。
私達がこの旧世界へと転移してきて、そろそろ二日が経ちます。
たった二日、とは言えません。
48時間あれば……バフナグリーさんなら、都市の一つくらいなら、壊滅させられるでしょう。
……光竜エルピスは、狡猾な竜だと聞きました。
指環の勇者が不在だったこの時間は……光竜にとってはまたとない好機だったはず。
……嫌な、予感がします。
私達全員が上に乗ると、魔法陣の光が一際強くなりました。
視界が一瞬明滅し……次の瞬間には、周囲の光景は塗り替わっていました。
「……やはり、でしたか」
……破壊され、通行不可能な状態にされた、本来の転送魔法陣。
大規模な爆発が起きたのか、破壊は魔法陣だけでなく壁や天井にまで及んでいます。
そして……地上へと続く階段と、この部屋を隔てる扉。
そこには封印術が施されていました。
魔術と神術を織り交ぜた多重結界。
「……竜が扱うような術式ではありませんね。
強度の不足を工夫で補う……これは、人間による封印術です」
もっとも、この私を閉じ込めておくには……ふん、不足が過ぎますがね。
「今、解錠します」
私は扉に近寄って、結界に手をかざす。
しかし……この状況。
問題なのは、私達が閉じ込められている事ではない。
問題は……私達を閉じ込める為の封印が、人間の手によって施されたという事。
「……あーあ、やっぱり間に合わなかったんだ」
不意に、背後から聞こえた声。
私は殆ど反射的に魔導拳銃を抜いて、弾丸を発射。
そして……次の瞬間、私の目の前にあった結界が、音を立てて砕け散った。
一体何が起こったのか、私はすぐには理解出来ませんでした。
……背後に放ったはずの弾丸が、本来の数倍の威力になって私の方へと跳ね返ってきた。
その結果、結界が打ち砕かれた。
……こんな芸当が出来る人を、私は一人しか知りません。
「……シェリーさん」
黒蝶騎士、シェリー・ベルンハルト。
いつの間にか私達の背後にいた彼女の足元には、一人用の転送魔法陣がありました。
全の竜が彼女にも遠隔で魔法陣を用意していた、という事でしょうか。 「……あなたには読めていたんですか?こうなる事が」
「んー……まあね。行方知れずになった人の心を操る竜と、
全ての指環が揃うと聞いて浮足立ってるお偉いさん達。
何が起こるかなんて、しょーじき、察しがついちゃうよね」
そう言うと彼女は、深く溜息を零しました。
「分かってたから、さっさと終わらせたかったんだけどなぁ。
……あ、別にあなた達を責めてる訳じゃないからね」
シェリーさんは床に散らばる瓦礫の上を飛び渡り、私の隣……先程ぶち破られたばかりの扉の前に立つ。
「戻っておいで」
シェリーさんがそう呟くと天井をすり抜けて、何匹もの黒蝶が彼女の元へと降りてくる。
星都攻略に臨む前に、あらかじめ残してあったのでしょうか。
「……十三匹」
彼女の呟きからは……少し、悲しげな雰囲気が感じられました。
「私の……黒蝶騎士直属の小隊が、十三人。分かるでしょ、ナグリーちゃん。
ただ事じゃない。上は……多分相当ヤバい事になってるよ」
【決闘のお膳立てしようかなーとも思ったんですが、
こうした方がどんな立場のキャラ設定でも入ってきやすいかなって……】 第8話『始原の全竜』
帝国に乗り込む方法を検討していたところに舞い込んだ一通の手紙、それは帝国からの晩餐会の招待状だった。
その誘いに乗る形で首都ヴィルを訪れた一行を、案内役兼監視役の宮廷魔術師シャルムが出迎える。
互いに先代勇者の記憶を受け継いでいたティターニアと帝国皇帝との間でトントン拍子で話は進み、
セントエーテリアへ繋がる魔法陣へと手引きしてもらえることになった。
シャルムの一行に同行したいという希望と、黒鳥騎士アルダガを同行させて欲しいとの皇帝からの申し出を受け
翌日、2人をメンバーに加えてセントエーテリアに突入する。
アルダガの先導によって順調に全竜の神殿へと歩みを進め、廃墟で夜を明かしていると、一本の矢が建物内の床に突き刺さった。
それを調べると、矢の主は黒蝶騎士シェリー・ベルンハルトで、救援信号用のものであることが分かる。
翌日、シェリーのもとへ向かい、問答無用で戦闘になったが、一行が簡単には倒せない相手であることが分かると
自分以外に得体の知れない侵入者がいる、という情報を残して去っていく。
全の竜の神殿のほど近くまで進んだところでついにその侵入者が姿を表す。
それはカルディアで消息不明になっていたアルバートであった。
アルバートは自分が旧世界(セントエーテリアがある側の世界)の人間であったこと、
かつて虚無の竜に食らわれた属性を取り戻すために新世界(普段物語の舞台となっている世界)に転生していたことを語る。
帝国の地下にあると思われていたセントエーテリアは、実は原初のもう一つの世界に存在したのだ。
話もそこそこにアルバートは一行が持つ指輪の力を狙い、戦いを仕掛ける。
属性を吸収する力を持つ虚無の指輪で一行を圧倒するアルバートだったが、
途中で四星都市の聖獣達が一行に加勢に現れ、最終的にはトラウマを克服し覚醒したシャルムの大魔術の前に敗北。
シャルムの両方の世界を救う方法があるという言葉を聞き入れ、味方化する。
全の竜の神殿に辿り着き、女王パンドラを説得しようとするアルバートだったが
女王はやはり聞く耳持たず、旧世界の八英雄を召喚してけしかける。
最後に残った全の英雄が倒れると、女王は自ら負けを認めてエーテルの指輪を一行に託すと消えていった。
エーテルの指輪を携え全の竜の元に向かうと、エーテルの指輪に力を与え、
その昔パンドラが虚無の竜に自ら食われることで新世界の女神になったこと、
先刻倒したパンドラは分霊であったことを語る。
これでここに来た目的は達せられたと思われたが、全の竜が善なる存在ではないことを察したシャルムが
いくつかの質問を投げかけると、全の竜は本性を現した。
彼は全能の存在であるが故に退屈し、虚無の竜が襲来した時に暫く放置して戦いを眺めて楽しみ、
その後も世界が滅びない程度に力を化しつつ戦乱の絶えない世界を鑑賞して楽しんでいたのだ。
戦乱を起こす側に干渉していたかは定かではないものの、最終的には
アルバートの全竜から属性を吸収すれば旧世界が再建できるとの言葉が決め手となり、全会一致で全の竜に戦いを挑む決断をする。
全の竜の異空間を作り出す力に翻弄されるも、全員の絶妙な連携で全の竜を撃破。
アルバートは八属性の力を吸収することに成功し、全の竜は礼の言葉と一つの指輪を残して満足したように消えていった。
そこには地上への転送魔法陣が残されており、それを使って元の世界に戻ってみると、
本来の転送魔法陣は破壊されている上に地上への扉には一行を閉じ込めるためと思われる
封印術が施されており、尋常ではない雰囲気となっていた。
*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆*゚・*:.。. 第9話開始.。.:*・*☆*゚・*:.。. .。.:*・*☆* >「叫ばなくても聞こえてるぜ、スレイブ!
休んでた分と、みんなが繋げてくれた分!全部繋げて終わらせるぞ!
墜落していくスレイブの呼び声に、ジャンが応える。
入れ違うように跳躍する影には、これまでにないもうひとつの輪郭が追加されていた。
その姿を眼に収め、全竜が名前を言葉にする。
>『それは――魔剣レベリオ!』
「レベリオ……暗黒大陸に伝承される、戦神の剣か――!」
加速度的に流れ行く視界のなか、スレイブは確かに見た。
竜気を纏ったジャンが、なにか強大な幻からその剣を賜る瞬間を。
スレイブとアルダガの指環から魔力の奔流がジャンの体へと流れ込んでいく。
竜装ではない。
指環を触媒として、ジャンは竜の一つ上の位階から、力を掴み取ったのだ。
全竜と同じ段階、新たなる境地へと――到達した!
もはや全竜の迎撃魔法など礫ほどの意味も為さない。
眼の前を埋め尽くさんばかりに輝く弾幕を全て突破して、ジャンは空を貫く。
>「俺の名はジャン・ジャック・ジャンソン!俺がやる戦は――竜狩りだッ!!!」
再生途中の全竜の胸郭を叩き割って、鈍く光の灯る宝玉が露出する。
竜気に満ちた戦神の剣が、その切っ先が、全竜の"核"を穿ち抜いた。
>『や、やめ――』
>「この世界に、筋書きはいらねえ!」
貫かれ、胸元からこぼれ落ちた宝玉を、オークの拳が真芯から捉える。
宝玉は孵化寸前の卵の如く亀裂に覆われて、やがて火花のごとく砕けて散った。 >「今だ、アルバート殿!」
ティターニアの指示を先んじて理解していたアルバートが虚無の指環を掲げる。
全竜を形作っていた力が形状という強制力を失い、虚無の指環へと吸い込まれた。
存在の根拠を喪失し、崩壊していく神殿の瓦礫を蹴って、スレイブは再び跳躍。
力を使い果たし、自由落下するジャンの体を、両腕で受け止めた。
「全竜が世界黎明の頃から求め続けてきた、想像を凌駕する美しいもの。
奴が最後の最後に叶えた望み、それはおそらくきっと、あんただジャン」
全竜との最後の交錯、目を潰さんばかりの眩い輝きの中で、しかしスレイブはジャンから目を離せなかった。
古の英雄から継承した大剣で、古典の冒険譚よろしく竜を狩るジャンの姿。
それは雄々しく、猛々しく、荒々しく……何よりも、美しかった。
「戻ろう、帝都に……政治の道具なんかじゃない、本物の勇者の凱旋だ」
>「そうか、やっと……永遠の孤独から解放されるのだな……」
>『ああ、ありがとう……』
ジャンに肩を貸しながら緩やかに着地すると、今まさに全竜が終わりを迎える瞬間だった。
全竜は残った片目からひとつの指環を創り出し、そして沈黙した。
ひとつの巨大な、あまりにも巨大な存在の終焉。
まるで空間そのものが弔いの鐘を鳴らすように、静かに震えた。
>「その事実と、あの指環の分くらいは……報いてあげますよ」
シャルムが指を鳴らすと、四方から蔦が伸び、花をつけていく。
全竜の亡骸を覆う花畑は、原色の墓標。
>「あの指環が役に立ったら、もう少しマシな墓を建てに来てあげますよ。
……さあ、行きましょう」
シャルムが促す先には、淡く光を灯す転移魔法陣があった。
帰りの便を手配しておいてくれた全竜の配慮には頭が下がるばかりだ。
またぞろあの原生林を二日がかりで引き返すことになるかと思っていた。
「エーテルの指環はこうして手に入れたわけだが……問題の全てが解決したわけじゃない。
急いだほうが良さそうだな」
転移陣を踏むと同時、最初に星都へ飛ばされた時のような、如何ともし難い浮遊感に身を包まれた。 流れに委ねるように目を閉じ、再び開いた時、目の前にあるのは神殿の石壁ではない。
瀟洒な意匠の施された壁紙……ここは要塞城の一角、星都の入り口のあった部屋だ。
>「……やはり、でしたか」
アルダガが辺りを見回すよりも早く、シャルムが深刻な響きを含んだ声を上げた。
追ってアルダガも、現在起こっている事態を理解する。
「行きの魔法陣が、破壊されています……!」
本来この部屋の存在は門外不出、皇帝の一族と限られた家臣しか知らないはず。
扉は固く閉ざされ、余人の入り込む隙などなかったはずだ。
炸裂魔法によるものと思しき破壊は部屋の全域に及び、上等な敷物は無残にも焼け焦げていた。
「そんな、皇帝陛下は!?」
今すぐ部屋を飛び出さんと出入り口へと駆け寄り、ドアノブにかけた手が紫電と共に弾かれる。
封印術による結界、それもかなり高位のものだ。
わずかに焦げた指先を見る。触れたのがアルダガでなければ腕ごと吹き飛んでいただろう。
>「……竜が扱うような術式ではありませんね。
強度の不足を工夫で補う……これは、人間による封印術です」
「シアンス殿、それはつまり――」
封印を施したのはエルピスではなく、人間。
この部屋の存在を知っていること、指環の勇者の帰り道を的確に潰すその手口から、おそらく帝国上層部絡みだ。
「こんな結界、全竜のものに比べれば……!」
>「今、解錠します」
強硬突破を試みるアルダガをシャルムが制し、黒鳥騎士は振り上げたメイスを降ろす。
焦りがあった。そして焦りゆえか、背後に現れたもうひとつの存在に、彼女は気付けなかった。
>「……あーあ、やっぱり間に合わなかったんだ」
刹那、解呪に集中していたシャルムが反射的に後ろ目掛けて発砲した。
放たれた弾丸はしかし闖入者を穿つことなく、それどころか威力を増して跳ね返る。
打ち返された弾丸は、扉の結界を容易く貫き破壊した。
一連の流れに既視感を禁じ得ないのは、まったく同じ一部始終を星都で目の当たりにしたからだろう。
想像に違わず、現れたのは黒蝶騎士シェリー・ベルンハルトだった。
「やほっ、ナグリーちゃん」
「……貴女も星都から戻ってきていたのですね、黒蝶殿」
「ええーなんで他人事?ナグリーちゃん私に冷たくない?
てっきり帰りに声の一つもかけてくれると思ったのに、黙って帰っちゃうんだもんなぁ」
「言わずとも、拙僧たちの戦いは全て蝶を通して"見て"いたんでしょう。漁夫の利でも狙って」
シェリーは悪びれもせずに首肯して、シャルムに視線を遣った。
>「……あなたには読めていたんですか?こうなる事が」
>「んー……まあね。行方知れずになった人の心を操る竜と、全ての指環が揃うと聞いて浮足立ってるお偉いさん達。
何が起こるかなんて、しょーじき、察しがついちゃうよね」 シェリーの言葉に、星都で彼女が残した言葉が蘇る。
>『……今回の任務。なるはやで終わらせた方がいいよ、ナグリーちゃん。
あまり時間を掛けると……クーデターが起きちゃうかも。あるいはそれ以上の事が。
せっかちな人達はもうこの戦いが終わった後の準備を始めてる』
「"間に合わなかった"とは、そういうことですか……」
黒蝶騎士の懸念していた、帝国上層部の暴走。
指環の獲得によって大陸に覇を唱えんとする者達が、ついに動き出したのだ。
シェリーは瓦礫と化したドアへと歩み寄ると、虚空へ向けて「戻っておいで」と呟いた。
すると声に応えるように、何匹かの黒い蝶がひらひらと飛んできた。
おそらく、封印術によって足止めされ、この部屋の近くをさまよっていたのだろう。
>「……十三匹」
「その蝶は、まさか……」
同じ黒騎士に並ぶ者として、シェリーの操る蝶のことはアルダガもよく知っている。
無数の蝶たちは彼女の眼であり、手足であり、魔法の触媒。
そして黒蝶騎士は直属の部下にも蝶を与え、命令伝達や所在の確認などを行っていたはずだ。
それがいま、彼女の手元に戻って来ている。
十三匹。黒蝶騎士の部下と同じ数だけの蝶がだ。
>「私の……黒蝶騎士直属の小隊が、十三人。分かるでしょ、ナグリーちゃん。
ただ事じゃない。上は……多分相当ヤバい事になってるよ」
その事実が意味する状況は、アルダガにとって彼女の焦りが正しかったことを証明する根拠となった。
地上では今、何かが起きている。黒蝶騎士直属の部隊が壊滅するほどの何かが。
アルダガが硬い唾を飲み下すと同時、階段の向こうから物音が聞こえてきた。
ガシャ、ガシャと金属の擦れ合う音。鎧を来た何者かの足音だ。
音はゆっくりと、しかし確信をもった歩調で近づいてくる。
スレイブが剣を抜いて迎撃の姿勢を取るのを、アルダガは片手で制した。
「大丈夫です。この足音は、敵のものではありません」
「げぇっ、面倒くさいのが来ちゃったよ……ナグリーちゃんあと頼めるかな」
「逃亡は無駄ですよ黒蝶殿。この部屋の出口は一つしかありません。今から出れば必ず"彼"と鉢合わせます」
「うわぁ……」
アルダガが諦めたように首を振り、シェリーが不意に頭を抱える。
そうしている間にも足音はどんどんと近づき、やがて階段の上で止まった。
「おやおや。結界の破れる気配がしたから急ぎ歩いて駆けつけてみれば。
そこに居るのは我が国の誇る黒騎士殿が二人ではないかね。
国家を揺るがす一大事だというのにお二人は暇が余っているようで実に羨ましい」
階段から現れたのは、頭からつま先まで漆黒の板金甲冑に身を包んだ男だった。
兜の面頬は閉ざされ、人相を伺うことは出来ないが、揶揄するような粘ったい雰囲気が隙間から漏れ出ている。
「それに、これまた我が国の頭脳の粋たる主席魔術師殿に、出奔した裏切り者の元主席殿。
さらには……なんと!皇帝陛下より直々に招聘された指環の勇者殿までおられるではないか!
晩餐会の二次会が地下で行われているなど誰が知れようか。なぜ私を呼ばないのだね?」
「うう……く、くどい……くどすぎる……」 甲冑男の尋常じゃなくくどい喋り方に、隣人愛を説くアルダガも教義を投げ捨てそうになった。
おそるべきことにこの男、ここまで喋って未だに本題に触れてすらいない。
げんなりとした顔でススっと下がっていくシェリーの肩を、アルダガは加護込みでがっちり掴んで止めた。
「黒の鎧……もしや、この男も?」
スレイブの問いに、アルダガは苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。
「ご紹介します。ヘイトリィ・ランパート……黒騎士が一人、『黒亀騎士』です。
東方領地へ遠征に出ていたはずですが、この2日で帰還されていたようですね」
「悪い人じゃないんだけどねー……とにかく話がくどい上に皮肉屋気取ってて鬱陶しいんだよね……」
「紹介ご苦労。こうして黒騎士が三人集まる機会などそうはあるまい。
このまま親交を深めるために粗茶でも淹れたいところではあるが、生憎と事態は急を要する。
早速だが本題に移ろうではないか」
どこが早速なのかアルダガは思わず突っ込みそうになるが、面倒くさいのでやめておいた。
「黒亀殿、お国の一大事というのは……」
「如何にも。私はこの火急極まる案件を君たちに伝えるためここへ来たのだ。
残念ながら封印された扉を破壊する術は私にはないためその辺を彷徨いて時間を潰していたのだがな。
おっと失礼。また話が逸れたな。黒鳥君、君に悪いニュースと非常に悪いニュースがある」
「黒亀殿……!」
しびれを切らしたアルダガがすぐ傍の壁を握りつぶすが、ヘイトリィはどこ吹く風で話を続ける。
「そう昂ぶるな。まずは悪いニュースから報せよう。
――謀反が起きた。現在要塞城の執政層は元老院直属の部隊によって制圧されている。
下手人は元老院の過半数が所属する急進派だ。声明文も既に国民へ向けて公表された」
「謀反――!陛下は?陛下はご無事なのですか!?」
「おや、謀反にはあまり驚かないのだね。まぁ予想の範疇ではあったからな。
安心し給え、謀反を予期していた陛下は事の起きる直前に玉座を脱出された。
現在は教皇庁――君のパトロンのもとに匿われている」
「聖女様のもとへ?それならひとまずは安心ですね……」
国家の垣根を越えて大陸全土に影響力を持つ聖教の庇護下にあれば、元老院と言えども手出しは不可能。
当面の身柄の安全を確保するならば、最善の選択肢と言えるだろう。
教皇庁には強力な神術を収めた戦闘修道士が多数詰めている。武力の面でもこの上なく頼りになるはずだ。
「それがそうでもないのだ、黒鳥君。現在、教皇庁は元老院の手中にある。
急進派の手勢が"敬虔なる参拝者"として押しかけ、瞬く間に教皇庁を占拠してしまった。
戦闘修道士達の抵抗があったようだが、いまは既に沈黙している。
陛下と聖女は害されてこそいないものの、外へ出ることも許されていない状態だ」
「そんな……それはつまり、」
「事実上の軟禁状態、生殺与奪は急進派によって握られていると考えて良い。
大方でっちあげの証拠を作り上げて、聖女一派を『国賊』にでも仕立て上げる腹積もりだろう。
私を黒騎士に推したのは司法局でね。話は既に局の方にも回って来ている。
おそらくは、三日三晩もしないうちに聖女は磔刑に処され、陛下の身柄は急進派の手に渡るだろうな」 瞬間、アルダガの拳が部屋の壁に埋まった。
稲妻のように巨大な亀裂が走り、壁材はおろか金属製の支柱さえも捩じ切れ崩壊していく。
「なるほど……それは、確かに、非常に悪いニュースですね…………!!」
腹から飛び出そうになる怒りを何度も噛み殺して、ようやくアルダガは言葉を作った。
ヘイトリィはブラックオリハルコンの甲冑をガシャリと揺らして肩をすくめた。
「ん?いやいや、ここまでが悪いニュースだ。"非常に悪いニュース"はこんなものじゃないさ」
「…………なんですって?」
「――『黒狼騎士』が帰国している」
「………………!!」
謀反が起きたことより、聖女が軟禁されていることより、ずっと大きな衝撃がアルダガを絶句させた。
「……マジ?」
隣でシェリーもまた慄然とつぶやきを零す。
帝国に住む者ならば誰もが、同じ感想を持つことだろう。
"黒狼騎士"ランディ・ウルフマン。
帝国の誇る黒騎士において、最強にして最凶の男。
その名は国境を越えて四方千里へ轟き、英雄というよりも『天災』として人々の記憶に深く刻まれている。
曰く、一晩で千の竜を屠った。
曰く、素手でブラックオリハルコンを紙の如く千切った。
曰く、単独で軍事城塞の兵器から兵士まで全て解体した。
それら荒唐無稽な逸話、伝説の数々は……一つ残らず真実なのだ。
そして彼の最もおそるべき部分は、帝国に仕える騎士でありながら、誰の命令も聞くことはないという点だ。
ランディ・ウルフマンという手足の生えた天災に、黒狼騎士の身分を与えて帝国の戦力として扱っているに過ぎない。
一応敵味方の区別はあるようだが、その判断基準すら定かではないのだ。
「教皇庁の精鋭たる修道士達を壊滅させたのも、彼の仕業だ。
本来黒狼はお上の意向で動くような男ではないが、急進派はどういうわけか彼を制御する術を心得ているらしい。
陛下と聖女を助けるならば……黒狼との激突は避けられまいよ。どうだね、非常に悪いニュースだろう?」
膝が笑い、手が震えるのをアルダガは感じた。
震える手をもう片方の手で握りしめて抑え、彼女は振り返る。
星都を共に旅してきた、仲間達へ。
「……ごめんなさい、立ち合いの約束は、少しだけ先延ばしにさせてください。
拙僧には、今すぐ行かねばならない場所が出来ました」
ティターニアやジャンの顔を見た途端、叫び出したい欲求にかられて、アルダガは顔を伏せる。
助けを求めたい。この窮地をどうにかして欲しい。
だが、国家の一大事と行ってもあくまでこれは帝国の内輪もめだ。
国外の者達に助力を請うことは許されない。薄汚い利権争いに彼らを巻き込みたくない。
「エーテルの指環は、お渡ししておきます。すぐに飛空艇で要塞城を出立してください。
城内が混乱している今なら、まだ脱出は可能なはずです。
これ以上、帝国内の騒乱に、あなた達を巻き込みたくありません……!
世界を救うんでしょう?行って下さい!」
アルダガは目線さえ合わせることができないまま、指環の勇者たちに帝国からの脱出を促した。 【要塞城内でクーデター発生。皇帝は教皇庁に匿われるも、元老院によって軟禁状態。
ただでさえやばいのに黒狼騎士とかいうめちゃくちゃやばい奴が一枚噛んでる。
本当にやばいのでアルダガは勇者一行を逃がそうとする】
【8章おつかれさまでした!9章もよろしくです!
新規さんの投下待とうかと思ってたのですが平日は書く時間取れそうにないので投下します
決闘パートに持っていこうかと思ったのですが、せっかくのネタ振りなのでそっちに舵切ってみました】
【新規さんよろしくおねがいしますー】 ジャンが宝玉を破砕した瞬間、周囲に飛び散った全ての魔力は余すところなくアルバートが吸収する。
それと同時に崩壊する神殿の中を緩やかに落ちていくジャンの身体を、スレイブがしっかりと受け止めた。
>「全竜が世界黎明の頃から求め続けてきた、想像を凌駕する美しいもの。
奴が最後の最後に叶えた望み、それはおそらくきっと、あんただジャン」
「へっ、まさかその辺のオークに心臓ぶち抜かれるとは思わなかっただろうよ。
ご先祖様のおかげで久しぶりにかっこよく決まったってもんさ」
スレイブと拳をお互いにぶつけ合い、ジャンは崩落を免れた床にゆっくりと着地する。
駆け寄ってきたパックとも拳をぶつけて勝利を祝い、振り向いて全の竜とその神殿がゆっくりと消失していく様を見た。
>『全の指輪、なんていうのもおこがましい……
君達が持っている指輪に比べればほんのアクセサリーのようなものだが受け取ってくれ』
「あえて名付けるならば、『無色の指環』といったところか。
それはどんな属性にも染まらない、虚無ですらない。何もない空白を司る指環だ」
ジュリアンがシャルムと共に全の竜を弔うように花畑を作り、その指環に名を付ける。
魔術師としての本能か、即座にどういったものか解析していたようだ。
>「あの指環が役に立ったら、もう少しマシな墓を建てに来てあげますよ。
……さあ、行きましょう」
「まだエルピスの野郎と虚無の竜がいるけどよ、これで背後から殴る連中はいなくなったってことさ」
そうジャンは努めて明るく言って、全の竜が用意した転移魔法陣に踏み込む。
まさかもう少しで世界が何とかなるというときに、足を引っ張る連中はいないはず。
冒険者であっても軍人ではないジャンは、そう思い込んでいた。 >「……やはり、でしたか」
>「……あーあ、やっぱり間に合わなかったんだ」
視界が晴れた先にあったのは、徹底的に破壊しつくされた小部屋。
魔法陣は一文字も残さず崩され、隠し扉や細工を警戒したのか調度品や壁も無残に砕かれている。
そしてそこにいたのは指環の勇者だけではなく、同じように旧世界から戻ってきた黒蝶騎士シェリー・ベルンハルト、
さらには階段を下りてきたもう一人の黒騎士まで現れる。
>「おやおや。結界の破れる気配がしたから急ぎ歩いて駆けつけてみれば。
そこに居るのは我が国の誇る黒騎士殿が二人ではないかね。
国家を揺るがす一大事だというのにお二人は暇が余っているようで実に羨ましい」
三人の黒騎士たちが集まり、互いに持つ情報を交換し合う。
それによれば元老院のタカ派が指輪が全て集まるこの時を狙って武装蜂起し、教皇庁を占拠して皇帝と聖女を手中に収めているというのだ。
あまりにも急すぎる行動を可能にしたのは、黒狼騎士ランディ・ウルフマンによるもの。
>「エーテルの指環は、お渡ししておきます。すぐに飛空艇で要塞城を出立してください。
城内が混乱している今なら、まだ脱出は可能なはずです。
これ以上、帝国内の騒乱に、あなた達を巻き込みたくありません……!
世界を救うんでしょう?行って下さい!」
アルダガの顔は悲壮と決意に満ちている。
それは戦いに行く戦士の顔ではなく、信仰と愛国に殉じようとする修道女のものだ。
だからジャンはアクアに聞いた。帝都に流れる魔力にエルピスのものはあるかと。
『当たりだ。微々たるものだが、教皇庁とその周辺にエルピスの魔力を感じるよ。
元老院たちに情報を与えて扇動し、その黒狼騎士を乗っ取ったと言うことかな』
だったら、とジャンは前置きして、アルダガが渡してきたエーテルの指環を再びアルダガの手に握らせる。
そしてずいっと右手をアルダガの顔に近づけ、やや力を込めてアルダガの額を指でべしん、と弾く。
「帝都一つ救えない奴に世界が救えるかよ。
エルピスの野郎が関わっている以上、俺たち指環の勇者の出番だ」
「ほほう、そちらの亜人も勇者の一人であったか!
こんな状況でなければ手合わせ願いたいところだったが、今は緊急の事態というもの。
共に叛逆者を叩き潰すとしよう」
「ありがとよおっさん、やるならアルダガの後でな!」
ヘイトリィがジャンに握手を求め、ジャンはそれに快く応じる。
それを皮切りにして、一行は階段を駆け上がる。まずはこの要塞城を脱出し、教皇庁に向かわなければならない。 ――同時刻 帝都行政地区 教皇庁大礼拝堂
皇帝と聖女のステンドグラスが朝日を通して大礼拝堂を照らし、本来ならば
祈りを捧げる信者で溢れているここは、今や修道士たちと帝国兵たちの肉と血で凄惨な光景となってしまっている。
その中心に、一匹の竜と、一人の男がいた。
かつて黄金だった鎧は朽ち果て、欠け、ところどころがどす黒く染まっている。
兜のスリットからわずかに見える眼光は怒りと憎しみに満ち、二振りの大剣はもはや刃が欠けた一本しかない。
虚無の竜復活の時間稼ぎのために元老院議員たちを扇動し、そこに自らを維持する分の魔力すら注ぎ込んでいる。
かつて光竜と呼ばれ、世界を喜びと幸福で満たしたエルピスはもういない。
今ここにいるのは虚無の尖兵であり、虚無の竜に全てを捧げ尽くした、虚竜エルピスだ。
「私は……ここの死体でアンデッドを作り時間を稼ぐ。
ランディ……貴様は……要塞城に行け……」
「あいよ、任された!……と言いたいところなんだが。
この呪縛、いい加減解いちゃくれねえかな?ほとんどの『自分』が使えないのはつらいぜ」
雑に短く切り揃えた黒髪、見るもの全てを貫くかのような金色の眼。すっきりとした顔立ち。
一見すれば気の強い若者のような風貌だが、首から下、ブラックオリハルコンで
構成された胸当てと籠手、脛当ては血で染め上げられている。
両手に持っているのは特別な武器でもなく、特殊な触媒でもない。
帝国軍がどこでも使っている、一振りの槍と斧。
「貴様の無数に存在する多重人格……いや、多重魂と言うべきか。
それは今の私をあっさりと殺しうるものだ……そうなれば議員たちとの契約に反する」
「黒狼騎士の狼は『群狼』って意味なのによ、これじゃ『一匹狼』だぜ」
そう言ってランディは槍と斧を投げ捨て、近くの死体からメイスと大剣を奪い取る。
そうして二歩三歩ほど歩くと、ランディの眼が赤く染まり、口元が吊り上がって歪む。
「……それでは、狩りの始まりとしよう。我が名はランディ・ウルフマン。
かつて『群狼旅団』を率いた者――!」
【黒狼騎士&エルピス&アンデッド軍団
まとめてスクラップ&スクラップだ!】
【あ、新規さん入るならテンプレ早めに作った方がいいですよー】 >「あの指環が役に立ったら、もう少しマシな墓を建てに来てあげますよ。
……さあ、行きましょう」
「ところでシャルム殿、前に綺麗な小物は少し憧れると言っておったな?
よければこの指輪を使ってみるか? 全の竜もアクセサリーみたいなものだと言っていたゆえ丁度いいだろう」
そう言って、今しがたジュリアンが命名した無色の指輪をシャルムに手渡し、仲間達と共に転移魔法陣に足を踏み入れた。
転移した先は来た時とは様変わりしており、分かりやすく荒れ果てた光景が広がっていた。
>「……やはり、でしたか」
>「行きの魔法陣が、破壊されています……!」
>「……竜が扱うような術式ではありませんね。
強度の不足を工夫で補う……これは、人間による封印術です」
人心を操る力を持つ竜が野放しになっているのだ、少し考えれば想定の範囲内ではあるのだが……。
「エルピスめ、この期に及んで自分では手を下さず人間を裏から操るか……!」
同じタイミングで帰還してきたらしき黒蝶騎士が現れ、彼女直属の部隊が壊滅したことを示唆した。
>「私の……黒蝶騎士直属の小隊が、十三人。分かるでしょ、ナグリーちゃん。
ただ事じゃない。上は……多分相当ヤバい事になってるよ」
更に、全身鎧を着込んだ重装兵のようなもう一つの足音が聞こえて来る。
アルダガによると敵ではないようだが、シェリーは心底鉢合わせしたくなさそうにしている。
その理由はすぐに分かることになった。
>「おやおや。結界の破れる気配がしたから急ぎ歩いて駆けつけてみれば。
そこに居るのは我が国の誇る黒騎士殿が二人ではないかね。
国家を揺るがす一大事だというのにお二人は暇が余っているようで実に羨ましい」
>「それに、これまた我が国の頭脳の粋たる主席魔術師殿に、出奔した裏切り者の元主席殿。
さらには……なんと!皇帝陛下より直々に招聘された指環の勇者殿までおられるではないか!
晩餐会の二次会が地下で行われているなど誰が知れようか。なぜ私を呼ばないのだね?」
>「ご紹介します。ヘイトリィ・ランパート……黒騎士が一人、『黒亀騎士』です。
東方領地へ遠征に出ていたはずですが、この2日で帰還されていたようですね」
なんで黒騎士ってやたらキャラが濃いんだろうか、と思いつつも下手に口を挟んで更にややこしくなってもいけないので黙って聞いておく。
ヘイトリィは、謀反が起き聖女と皇帝が軟禁されていること、更にそれに黒狼騎士が関わっていることを語った。 「教えてくれて助かった。すぐに教皇庁に……アルダガ殿?」
>「……ごめんなさい、立ち合いの約束は、少しだけ先延ばしにさせてください。
拙僧には、今すぐ行かねばならない場所が出来ました」
>「エーテルの指環は、お渡ししておきます。すぐに飛空艇で要塞城を出立してください。
城内が混乱している今なら、まだ脱出は可能なはずです。
これ以上、帝国内の騒乱に、あなた達を巻き込みたくありません……!
世界を救うんでしょう?行って下さい!」
ティターニアが動くより早く、ジャンがエーテルの指輪を再びアルダガに握らせ、デコピンをする。
>「帝都一つ救えない奴に世界が救えるかよ。
エルピスの野郎が関わっている以上、俺たち指環の勇者の出番だ」
「別に帝国のためというわけではない。
エルピスは行方知れず、慌てて帝都を脱出したところで手掛かりはないのだ――
これだけ分かりやすいとっかかりがあるのだから行くしかなかろう。
それに……皇帝殿とは先代同士が共に旅した仲だしな」
混乱に乗じて教皇庁に向かう。
何故か道中の流れ矢は何故か全てヘイトリィに向かい、その堅牢な防御に弾き返されて終わった。
アルダガによると、流矢の呪いというものらしい。
辿り着いてみると、物凄い数のアンデッドの軍団が跋扈していた。
その服装は修道士や帝国兵のもので、戦いの犠牲となった者達の死体を材料に作り出されたものなのかもしれない。
アンデッド達を蹴散らしながら進むと、その奥に控えていたのは、朽ち果てた全身鎧を着込んだ騎士のような姿をした竜――エルピスと、
ブラックオリハルコンの部分鎧を着た青年――黒狼騎士ランディ・ウルフマン。
「何故そいつに協力する!? 皇帝殿と聖女様をどうする気だ!?」
>「……それでは、狩りの始まりとしよう。我が名はランディ・ウルフマン。
かつて『群狼旅団』を率いた者――!」
当然相手が答えるはずはなく、戦闘が始まった。
取り巻きのアンデッドが弾き飛ばされるのもお構いなしにお構い無しに突進してくる。
そこらの戦士がまともに受ければ一たまりもなく消し飛びそうだが、まず迎え撃ったのは、黒騎士一の堅牢を誇るヘイトリィであった。
「君達はあの者を!」
ティターニアは奥に控えているエルピスの方を見やる。
理由は分からないが、綺麗な黄金だった鎧がボロボロになっている、ということは案外余裕がないのかもしれない。 「また傀儡に戦わせて自分は戦わぬつもりだろう、そうはいかぬぞ!」
ティターニアは、エーテルセプターに魔力を通し、魔力のモーニングスターのようなものを作り出した。
通常の魔法攻撃は飛び道具の一種として全てヘイトリィに当たってしまうが、
これは”繋がっているから飛び道具ではない理論”である。
「……ところでそなた、その鎧の下はどうなっておるのだ? そりゃあああ!!」
もう見るからにボロボロだしガンガンやれば砕けるのでは!? という危険な好奇心が芽生えたようだ。
試しにぶち当ててみると、鎧の肩の端部分がほんの少し欠けた。
「……!? 貴様……ふざけるな!」
エルピスは一瞬焦りの色を見せたかと思うと、激昂して大剣を振り上げ襲い掛かってきた。
【新規さんなかなか来ないようなのでとりあえず通常通り進めておこうか。
>261殿、もし困っているなら遠慮なく言ってくれ】 地上では今、恐らくは光竜の手によって内乱が起きている。
……もしかしたら、光竜の干渉などなしに内乱が起きた可能性もありますがね。
正直……これからどこに行って、何から始めればいいのか。
私の考えはまだまとまっていません。
「……足音?」
ふと聞こえてきた、上階から階段を下ってくる、重甲冑の足音。
ディクショナルさんが静かに剣を抜いた。私はそれに倣うように魔導拳銃を抜き……
>「大丈夫です。この足音は、敵のものではありません」
しかしそれをバフナグリーさんが制する。
>「げぇっ、面倒くさいのが来ちゃったよ……ナグリーちゃんあと頼めるかな」
>「逃亡は無駄ですよ黒蝶殿。この部屋の出口は一つしかありません。今から出れば必ず"彼"と鉢合わせます」
「彼?一体何の話をしてるんですか?味方、なんですよね?」
そして姿を現したのは……漆黒の板金鎧を纏った、巨躯の……恐らくは、男性。
彼は確か……黒亀騎士、ヘイトリィ・ランパート。
>「おやおや。結界の破れる気配がしたから急ぎ歩いて駆けつけてみれば。
そこに居るのは我が国の誇る黒騎士殿が二人ではないかね。
国家を揺るがす一大事だというのにお二人は暇が余っているようで実に羨ましい」
黒亀騎士は敵意のない……ですが随分と持って回った喋り方をしながら、私達に近寄ってきます。
「丁重なご挨拶、誠に痛み入ります。
ですが私達が今までどこにいたのかはご存知ですよね?
地上では何が起きたんですか。詳細な情報が必要……」
>「それに、これまた我が国の頭脳の粋たる主席魔術師殿に、出奔した裏切り者の元主席殿。
さらには……なんと!皇帝陛下より直々に招聘された指環の勇者殿までおられるではないか!
「あ……あの?今は黒騎士流のジョークに付き合ってる暇は……」
> 晩餐会の二次会が地下で行われているなど誰が知れようか。なぜ私を呼ばないのだね?」
……私は呆気に取られて、思わず言葉を失ってしまいました。
>「うう……く、くどい……くどすぎる……」
バフナグリーさんとベルンハルトさんが嫌そうな顔をしていた理由が分かりました。
>「黒の鎧……もしや、この男も?」
>「ご紹介します。ヘイトリィ・ランパート……黒騎士が一人、『黒亀騎士』です。
東方領地へ遠征に出ていたはずですが、この2日で帰還されていたようですね」
>「悪い人じゃないんだけどねー……とにかく話がくどい上に皮肉屋気取ってて鬱陶しいんだよね……」
私も大概、ややこしい言い回しをする方だと思いますが……
この人を見てると、直した方がいいような気がしてきました。
>「紹介ご苦労。こうして黒騎士が三人集まる機会などそうはあるまい。
このまま親交を深めるために粗茶でも淹れたいところではあるが、生憎と事態は急を要する。
早速だが本題に移ろうではないか」
「どこが早速なんですか、どこが……」 >「黒亀殿、お国の一大事というのは……」
>「如何にも。私はこの火急極まる案件を君たちに伝えるためここへ来たのだ。
残念ながら封印された扉を破壊する術は私にはないためその辺を彷徨いて時間を潰していたのだがな。
おっと失礼。また話が逸れたな。黒鳥君、君に悪いニュースと非常に悪いニュースがある」
「……わざとやってるんですか?何かの時間稼ぎとか?」
>「黒亀殿……!」
>「そう昂ぶるな。まずは悪いニュースから報せよう。
――謀反が起きた。現在要塞城の執政層は元老院直属の部隊によって制圧されている。
下手人は元老院の過半数が所属する急進派だ。声明文も既に国民へ向けて公表された」
……謀反。やはり、ですか。
予想出来ていた事とは言え……いざこうして聞かされると、情けない、ですね。
まだ虚無の竜が倒せた訳でも、自分達が倒す訳でもないのに……何を馬鹿な事を。
さておき……黒亀騎士の情報によれば、皇帝陛下は聖女様の手引きにより教皇庁へと避難。
しかし急進派は予想外の武力を有しており、教皇庁を制圧。
皇帝陛下と聖女様は軟禁状態にあり……三日もすれば、聖女様は偽りの罪で処刑される。 >「なるほど……それは、確かに、非常に悪いニュースですね…………!!」
まさしく、その通り。
……ですが。
「……しかし、結果として急進派の連中は、失敗しました。既に失敗しています。
奴らは、私達……と言うより、バフナグリーさんが帰ってくるまでに事を全て終えているべきだった」
恐らくは星都攻略にもっと時間がかかるものだと思っていたのでしょう。
だから民衆の支持をあまり損なわないような手段を選んだ。
ですが……バフナグリーさんは、今、既にここにいる。
一時間後には、急進派に与した反逆者達は文字通り、跡形もなくなって……
>「ん?いやいや、ここまでが悪いニュースだ。"非常に悪いニュース"はこんなものじゃないさ」
>「…………なんですって?」
……私の心の中を、バフナグリーさんが完璧に代弁する。
クーデターが起こり、皇帝陛下が居城を追われ、果てには反逆者共の手に落ちる。
これ以上の悪いニュース?一体どんな……
「――『黒狼騎士』が帰国している」
………………は?
>「………………!!」
>「……マジ?」
言葉が出ない。バフナグリーさんも、絶句している。
>「教皇庁の精鋭たる修道士達を壊滅させたのも、彼の仕業だ。
本来黒狼はお上の意向で動くような男ではないが、急進派はどういうわけか彼を制御する術を心得ているらしい。
陛下と聖女を助けるならば……黒狼との激突は避けられまいよ。どうだね、非常に悪いニュースだろう?」
頭を抱える。あの黒狼騎士が、クーデターの手助けをしている?
そんな馬鹿な。
私は、それがただの八つ当たりだと分かっていながら、黒亀騎士を睨みつけた。
「何が、非常に悪いニュースですか……そういうのは、最悪だって言うんですよ」
>「……ごめんなさい、立ち合いの約束は、少しだけ先延ばしにさせてください。
拙僧には、今すぐ行かねばならない場所が出来ました」
地上で起きている事がただのクーデターなら、
黒騎士三人の力があれば、本当に一時間足らずで鎮圧出来たでしょう。
ですが、相手が黒狼騎士では……。
バフナグリーさんに、ベルンハルトさん、ランパートさん。
彼らが黒狼騎士に、絶対に勝てないとは思いません。
だけど……その戦いは、一時間ではとても終わらないでしょう。
一日中か……或いは七日七晩か……。
……ですがその絶望的な情報は皮肉にも、これからどうすべきか……私がその考えを固める助けになりました。
>「エーテルの指環は、お渡ししておきます。すぐに飛空艇で要塞城を出立してください。
城内が混乱している今なら、まだ脱出は可能なはずです。
これ以上、帝国内の騒乱に、あなた達を巻き込みたくありません……!
世界を救うんでしょう?行って下さい!」
そう、黒狼騎士が相手となるなら……私達はもう、虚無の竜との戦いにはついて行けない。
私は白衣の内ポケットから、全の竜が作り出した透明な指環を取り出して……ディクショナルさんを振り返る。 「ディクショナルさん……これは、あなたが預かっていて下さい。
もしこの指環に特別な力があるなら……あなた達が持っていくべきです。
……いえ、訂正します。あなたが、その力に守られて欲しい」
私は彼の右手に、指環を無理矢理押し付ける。
「もし、その指環が本当にただのアクセサリーだったなら……戦いが終わった後で、返して下さい」
それから改めて、彼の目を、じっと見上げました。
「あなたが、私の指に。……お願い出来ますか?」
私は……黒狼騎士に殺されるかもしれない。
そう思うと、図らずも私は、ディクショナルさんにそう尋ねていました。
慌てて彼に背を向ける。こんな事を聞いたって……彼を困らせてしまうだけなのに。 「行きましょう、バフナグリーさん……」
そうしてバフナグリーさんへと視線を向けると……
彼女はジャンソンさんに、おでこを指でばちんと弾かれていました。
「……ジャンソンさん?一体、何を……」
>「帝都一つ救えない奴に世界が救えるかよ。
エルピスの野郎が関わっている以上、俺たち指環の勇者の出番だ」
ジャンソンさんは迷いのない口調でそう言い切りました。
……驚きはしません。彼らなら、そりゃそう言うでしょう。
ですが……
「ジャンソンさん、駄目です。黒狼騎士は、バフナグリーさんとは違います。
ベルンハルトさんとも、他の誰とも。強さの話じゃない。
彼は、狼なんです。私達人間が、手懐けられなかった者」
黒狼騎士……彼の暴威を伝える逸話は幾らでもあります。
でもそれは……あくまで枝葉に過ぎません。
ランディ・ウルフマンという存在の異常性。
その中軸は……そんな伝説が連なるほどの、常識破り。
騎士の名にあるまじき行為を彼は厭わない。
それをする事で勝率が高まるのなら、むしろ進んでそれを行う。
……護るべきものを持たない、全の英雄と言えば、その恐ろしさが少しは伝わるでしょうか。
>「ほほう、そちらの亜人も勇者の一人であったか!
こんな状況でなければ手合わせ願いたいところだったが、今は緊急の事態というもの。
共に叛逆者を叩き潰すとしよう」
「ランパートさん!これは帝国の問題です!彼らの手を借りるべきじゃありません!
虚無の竜を野放しにして、世界のどこを齧り取られても、それが後の世に争いを生む。分かるでしょう!」
>「ありがとよおっさん、やるならアルダガの後でな!」
「ジャンソンさん!」
>「別に帝国のためというわけではない。
エルピスは行方知れず、慌てて帝都を脱出したところで手掛かりはないのだ――
これだけ分かりやすいとっかかりがあるのだから行くしかなかろう。
それに……皇帝殿とは先代同士が共に旅した仲だしな」
「ティターニアさんまで……ああ、もう」
私は頭を抱えて、思わずその場にしゃがみ込んでしまいました。
それから深い深い溜息を吐いて……しゃがみ込んだまま、ディクショナルさんに手を伸ばす。
「……何してるんですか。早く立たせて下さいよ。
どうせあなたも、やめようって言ったって聞かないんでしょう?
それと……さっきの指環、やっぱり今返して下さい。ほら、ここですよ」
……そうして私達は要塞城を脱し、教皇庁へと向かいました。
「……恐らくですが、光竜エルピスは皇帝陛下と聖女様を人質に取っているはずです」
道すがら、私はハムステルさんに声をかける。
「え?なんで?反逆者の人達は、聖女様は処刑するつもりだって……」
「それは、虚無の竜が倒された後の世界を生きるつもりの、人間の都合です。
光竜は虚無の勢力なのでしょう?奴にとって世界とは、滅ぶもの。
二人の安否などどうでもいいはずです」
「あー!なるほど!……じゃあ、このまま行ったら駄目じゃん!」
「ええ。ですから……ここは一度、二手に分かれるしかないと思います。
光の指環で教皇庁内の状況と、皇帝陛下の居場所を把握。闇の指環で秘密裏に救出する……。
黒狼騎士と戦うのは、それからでないと……」
「オッケー。じゃあ、ちょっと待っててね」
ハムステルさんが指環を掲げ、目を瞑る。 「……あれ?」
「どうしましたか?」
「皇帝さん……普通に部屋に閉じ込められてるだけっぽいよ?」
「……なんですって?」
「見た感じ、兵士が配備されているとか、魔法がかけられてるとか。そういうのはなさそうだよ」
「どういう事でしょうか……いえ、考え込んでいる暇はありませんね。
人質が取られていないなら……好都合だと思っておきましょう」
そして……私達は教皇庁、その大礼拝堂へと辿り着きました。
そこで待ち受けていたのは、ボロボロの甲冑を纏う何者か……恐らくは光竜エルピス。
それと、ブラックオリハルコンの軽鎧……黒狼騎士、ランディ・ウルフマン。
>「何故そいつに協力する!? 皇帝殿と聖女様をどうする気だ!?」
>「……それでは、狩りの始まりとしよう。我が名はランディ・ウルフマン。
かつて『群狼旅団』を率いた者――!」
>「君達はあの者を!」
黒亀騎士と、国蝶騎士。それにクロウリー卿。
襲い来る黒狼騎士を、三人が迎え撃つ。
どうも、黒狼騎士はエルピスに洗脳されている訳ではなさそうです……。
では何故。これは今考えるべき事ではないかもしれません。
だけど……今考えなくては、もう考える機会はないようにも思えます。
そう。このクーデターには……不可解な謎がある。
黒狼騎士は何故、反逆者達に加担したのか……。
>「また傀儡に戦わせて自分は戦わぬつもりだろう、そうはいかぬぞ!」
>「……ところでそなた、その鎧の下はどうなっておるのだ? そりゃあああ!!」
>「……!? 貴様……ふざけるな!」
そして……虚無の勢力であるはずの光竜が、
世界が救われた後の事などどうでもいいはずのエルピスが、
どうして皇帝陛下を人質に取らずに、こうして真正面からの戦いを挑んできているのか。
何かが、何かがおかしい。それは間違いないんです。
ただ……何が、何故おかしいのか。それが分からない……。
……駄目だ。この思考は、ここで行き止まりだ。
これ以上先へと進める事は出来ない。
それに彼らが何を考えているにしても……
私達がすべきは、彼らを倒し、皇帝陛下と聖女様を助け出す事。
その事に変わりはないんですから。
エルピスは……ティターニアさんへと力任せに斬りかかり続けている。
その動きはどう見ても隙だらけです。
罠にしては、あまりにも無防備過ぎるほどに。
私は礼拝堂の床を爪先でとんと叩く。
魔力が地を這い、エルピスの視界の外に魔法陣を描く。
そこから強烈な勢いで隆起した石柱がエルピスへと襲いかかる。 死角からの一撃は、エルピスをまともに捉えました。
ボロボロの甲冑が砕け散りながら、エルピスは礼拝堂の壁に激突。
元々、戦闘の余波でひび割れていた壁が崩れ落ちる。
エルピスは……そうして空いた穴から、外へと、私達に背を向けてよろめきながら転び出ていく。
「馬鹿な……あまりに、呆気なさ過ぎる」
私は思わずそう呟いて……しかし、すぐに異変に気づきました。
ボロボロになったエルピスの甲冑。その崩壊が……止まっていない。
甲冑に独りでに亀裂が生じ、蛇が這うように全身へと広がっていく。
「グ……オオ……」
そして甲冑が完全に砕け散る。
瞬間、その内側から……光が弾けた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています