これ慎重に出そうと思ってたやつの一部
酷評よろ

一月・ハッピーバースデー

人は有限な時間のなかで生きている。
みゆきが、高校の時分に的を射ることに青春を捧げていたことを私は知っている。彼女は高校生活の中で、スランプにかかって「調子が悪い」とよくボヤいていた。
「日常を水に例えるとね、その水が澱んでいると、物事がうまくいかないの。それで私の中のリズムが狂って、的を射る時の射形が崩れるの」
日常が澱んでいる、というのはどういうことなのか、私にはわからなかった。
みゆきが云うには、時間には浄不浄があり、心にわだかまりがない状態で試合に臨むと矢がちゃんと的を射抜くことができる、のだという。私にはその精神論は、些か難しい。
みゆきが調子を崩すたびに彼女の精神論を訊いていたから、何となく彼女が言い続けていることはわかっているつもりである。
日常を水に例えると、陽子の水は源泉からこんこんと湧き出るようにいつまでも淀みなく流れ続けているような清流のイメージである。
「私ね、子供が欲しいの」と陽子に告白された時、私は正直、嫌だなあ、と思った。
二十歳過ぎたばかりの私に子供が欲しい、は重すぎる。だけど、陽子は健全な女だった。
今の陽子はみゆきが例えた水でいうとわだかまりのない様子を表しているように感じる。
この状態で、陽子が矢を放ったら綺麗に的を射れるような気がする。今の良い状態で陽子に子供を産ませてやりたい、という気持ちも一方にあった。