以前書いた小説の冒頭です。よろしくおねがいします。
 まだ正午前にもかかわらず街は雪曇りでほんのり薄暗かった。路の上に積もった雪は多くの足に踏みつけられて氷のようによく滑った。私は転ばないように一歩一歩気を付けて歩いた。
 十二月にもなると、この街は手袋をつけていても手先がかじかむ。コートの裾から、そして襟から冷たい風が忍び込んで私はときどき肩を震わせた。
 駅の前の花時計のところで彼女と待ち合わせた。花時計、といっても今は寒空の下、花なんて咲いてはいない。ただ錆び果てた大きな時針があるだけだった。一分ごとにその長針が、ぎしりぎしりとくたびれた音を静かなコンクリートの上に響かせていた。
 緑が枯れ、虫が死んで、鳥が飛び去ったあとに私一人で佇んでいる。なんとも寂しい。
 こういう日にはいつだって、ヒステリックな衝動に突き動かされて不意にどこかへ帰りたくなる。そして、どこへ帰ればよいのか分からないまま、いじけたように布団の中へと潜り込む。
 花時計が十二時を指した時、私を呼ぶ声がきこえた。それは聞き慣れた彼女の声だった。柔らかく、しかし輪郭がはっきりとしていて、そして地平線の向こうまで吹き抜けていく。顔を見なくても分かった。彼女の声だった。
 声のする方へ振り返ると、彼女が手を大きく振って私に笑いかけていた。手を振る度に、彼女の肩まで伸びた髪とワインレッドのマフラーがゆらゆらと揺れていた。
 その時、空にかかった厚い雲が僅かに晴れて日が差し込んだ。彼女は太陽の光を浴びながら、寒さで少し紅くなった頬を溌剌と動かして私の名を呼んでいた。