もうちょっと時間を置くつもりでしたが、次を投げます。4レス。
字下げしてないところは改行してないところです。

 コーヒーメーカーのものは煮詰まっているし、自分のためにドリップするのは面倒だった鈴子は、インスタントコーヒーの瓶を取るとマグカップにふたさじ入れた。ミネラルウォーターをちょっとだけ入れるとスプーンでかき混ぜる。こうしてからお湯を注ぐとインスタントコーヒーでも美味しくなるのだ。テレビで得た知識であった。
「鈴ちゃあん」
 すぐ後ろから気持ち悪い猫なで声が響いた。
「うわあ!」
 鈴子は驚いて、危うくカップを落としそうになった。
 あわてて振り返ると、思った通りの人物がそこにいた。
 編集者の朱川《あけがわ》である。明るい茶色のジャケットに真っ赤なシャツ、ビンテージ風ジーンズである。本物のビンテージではないのは桃ちゃんが見破ったのだが、本人はそれを気づいていない。文芸部は服装規定はあまり厳しくないのだが、それでも朱川はちょっと浮いていた。あまり似合ってもいない。
 鈴子などはそういう服装を好まないのだが、花代はそんなことはなく、むしろかばうようなところがある。鈴子はその理由を知っていた。
 あまりに花代の机が散らかっていたときに勝手に片付けたことがあり、その際に写真を見つけてしまったのだ。朱川より派手な格好の花代が写っていた。今では地味なスーツばかりの花代だが、若いころは自身も朱川のような格好をしていたのだ。かばうのもさもありなん、である。
 笑っているところを花代に見つかってこっぴどく怒られてからは、もう鈴子は他人のデスク触ることはない。散らかっているようでいて、本人にはなにがどこにあるかわかっているのだ。だいたい勝手に触るなど失礼である。
「びっくりさせないでください」
 鈴子は胸元に手を当てて言った。
「おや、俺に会ってどきどきしてるね?」
「驚いたからです」
 鈴子が朱川を好まないのは服装や、にやにやした軽薄な態度や、それほど親しくはないのに鈴ちゃんなどと呼ばれることのほかにも理由があった。
「またまたぁ。それはそうと、例のこと、考えてくれないかなぁ?」
 例のこと――。
 鈴子が担当する作家のうち、ふたりがメガヒットを飛ばした。黒豹出版創業以来となる大当たりだ。鈴子がすごいことをしたというわけでもない。構想段階で感想を聞かれたり草稿を見せられたときに思ったことを言っただけだ、と鈴子は思っていた。
自分ごときが言ったことが参考になるのかと考えていたくらいである。すべては作家の力なのだと思うから得意になることもなかった。それでも人気のある作家の担当というのは嬉しかったし、一緒に仕事をするのが楽しかった。だが――。
 朱川は、その担当を変わって欲しいと言ってくるのだ。そもそも担当というのは編集者同士でやりとりできるものではない。業務命令によってなされるものだ。作家が、編集者と馬が合わず変更を申し出てくる場合はあっても、編集者から変わりたいなどと言うことはできない。作家と出版社との関係にもひびが入りかねないことだ。
「何度言わせるんですか。無理なことは無理です」
 鈴子はカップに電気ポットからお湯を注ぎながら言った。かき混ぜ具合は足らなかったが、一刻も早くここから去りたいと思っていた。
「そこをなんとかさぁ。怒らせるようなことをしたりとか」
 朱川がにやにやと笑いながら言った言葉に、鈴子はかっとなった。作家と編集者の、いや、人間同士の関係をなんだと思っているのか。コーヒーをぶっかけてやろうかと思ったが、かろうじて残っていた冷静な部分がそれをとめた。
コーヒーは熱い。朱川は火傷するだろう。そうなると悪いのは鈴子だ。傷害罪だ。さらに火傷の痕が顔に残ったりしたらいくら賠償金を取られるかわからない。バッグのローンもまだ残っているのだ。落ち着いてきた。
「馬鹿! なことを言わないでください」
 鈴子は朱川の顔を見ずに給湯室を出た。