夕焼けに赤く染まった児童公園に、砂場で遊ぶ幼児とそれを暖かな眼差しで見つめる若い母親の姿があった。その親子から遠く離れた位置に、半分に切った丸太を模したベンチがあり、ひとりの男が座っていた。手に持ったカップ酒は半分ほどに減っている。優しい目で遠くの子供を見ているその顔はなかなかのイケメンであった。ロム猫先生である。
「探しましたよ」
 右手から声をかけられ、ロム猫先生は、はっと顔を向けた。そこには花代が微笑みを浮かべて立っていた。
 ロム猫先生は反射的に腰を上げ、反対側に顔を向けた。
「鈴木さん……」
 そちら側に立っていた鈴子が、さびしげに微笑みながら首をゆっくりと振った。
 ロム猫先生はがっくりと肩を落とし、ゆっくりとベンチに腰を下ろした。
「どうしてここがわかったんですか?」
 ロム猫先生は地面に視線を落とし、どちらにともなく静かに言った。
「作品にはね、その作家の自分自身が出るものです。あなたの作品には過去二回、公園で酒を呑むシーンが出てきましたね。今回もそんな気分じゃないかなと思ったわけです」
 花代がゆっくりとロム猫先生に近づきながら言った。
「花代さんにはかなわないな」
 ロム猫先生が端正な顔を歪めて笑った。
「読みましたよ、アベノミクス」
「サミクラウスです」
 鈴子が訂正を入れた。
「読みましたよ、新作」
 ロム猫先生が顔を上げた。そのままなにも言わず、花代の言葉を待った。
「公園でお酒を呑むシーンがなかったのでびっくりしました」
「そんな感想かい」
 鈴子のアンニュイなつぶやきは、茜色に染まった空に吸い込まれ、誰の耳にも届かなかった。
「それと、依頼した内容とはちょっと違うようですね」
 ロム猫先生の男前の顔が苦悶に歪んだ。
「私には――」
 胸の奥から絞り出すような声がロム猫先生の喉から漏れ出すかのようだった。
「私にはバディものが書けないんだ!」
 悲痛な叫びであった。
「どういうことですか?」
「あなたは言いましたね、作品には作家自身が現れるものだと。私にはバディものを描くべきものがないんです。あんな、あんなものは私には書けない!」
「ちょっと待ってください。あんなものとはどういうものです?」
「あんなぐちょぐちょどろどろで恐ろしいもの、私の中にはないんです!」
「ぐちょぐちょどろどろって――どうしてそれがバディものなんですか?」
「え?」
「え?」
「あー」
 得心がいったように声を上げたのは鈴子であった。
「なんだ、鈴木? なにか心当たりがあるのか?」
「いやー、どうかなー」
 煮え切らない鈴子からロム猫先生に目を戻し、
「詳しく聞かせてください」
 と花代は言った。
 ロム猫先生が語るには、バディものがどういうものかわからなかったので鈴子に尋ねたところ、映画を何本が紹介され、その中の一本を観て書けないと思ったとのことだった。
「それはなんという映画なんです?」
「遊星からの物体Xです」
 ぐちょぐちょどろどろのホラー映画である。
「鈴木ー!!」
「いやぁ、冗談で言ったんですけどね。まさか最後に言ったやつから観るとは思わなかったです。てへ」
 鈴子はこぶしを頭に当てると、片目をつぶって舌を出した。
「お前のせいじゃねえか!」
「お前とか言わないでください!」
「えーと?」
 怪訝な顔のロム猫先生に、バディものとはどういうものかを花代は語った。
「そうだったんですか」
 ロム猫先生のあっけにとられた顔もまた美形だった。
「ごめんなさい」
 鈴子が頭を下げた。
「いやいや、教わった映画を全部観なかった私が悪いんです」
 ロム猫先生は憑きものが落ちたような顔で笑った。
「どうです。書けそうですか?」
 花代もまた笑顔で言った。
「ええ」
 ロム猫先生は力強くうなずいた。
「格好のモデルになるバディたちが目の前にいますからね」
 花代と鈴子はきょとんとしてロム猫先生を見た。やがて、
「俺たちが!?」
「わたしたちが!?」
 ふたりは同時に言った。
「ほーらね」
 ロム猫先生が声を上げて笑い、ふたりもつられて笑った。三人の笑い声が、やや紫色を帯びてきた空に響き渡った。
 それを砂場から気味悪そうに見つめる若い母親に、三人は気づかなかった。

 おしまい