上でも仄めかしているのでトリップ付きで最後にアマチュア向けの方法論を書いておく。
>>154は一理あるもののアマが目指して良い類いの物ではない。高い目標は執筆の手を止める可能性がある。
>>156については作品の質による。ここに書かれているような作品も世には出ている。
ただし、それだけが至高とはならない。会話文を楽しむ形式の小説もある。
俺が角川で受賞した作品は会話の応酬が際立つ。それを念頭に置いて書いた物だった。
寸評ではその遣り取りが評価されて受賞に至ったとあった。作品に合わせて書き分けた方がいいという事例になるだろう。

自由間接話法や自由直接話法。他にも色々な視点が合わさって文体となる。
これらをどのように組み合わせて使うかは作者の考え方次第と言える。
神視点で話を進めたいのであれば使えばいい。ほとんどが会話文で埋められていても構わない。
段落を空けないで視点を変えることはあまり勧められないが、作者が必要と思うのならば挑戦すればいい。
このように書くとルールは無用に思えるが、たった一つだけ、守らないといけないことがある。
どのような技法を駆使して書いてもいいが、読者が違和感なく読めることが条件となる。
作品の内容よりも「この作品はこのような文体で書かれている」と言うことを
読者に伝えることが何よりも優先されると個人的には思っている。

男子高校生が主人公。朝の登校の場面から冒頭が始まるとする。

 いつもの通学路を歩いてはいたがぼんやりする。頭の中と同じで目も少し霞んでいた。
 そんな状態で空を見る。薄青い色が広がっていた。

このような書き出しならば読者は一人称と考え、その先も同じ文体が続くと思うだろう。

 学生服を着た上原淳史は眠そうな顔で通学路を歩いていた。生欠伸が絶えない。
 おもむろに空を見上げる。至って普通の青空を黙って眺めていた。

同じ場面であってもこのように描けば三人称に思える。
ここに色々と付け足すこともできる。読者に違和感を持たれないようにする必要はあるが。

 学生服を着た上原淳史は眠そうな顔で通学路を歩いていた。生欠伸が絶えない。
 おもむろに空を見上げる。青いな。その一言だけが心に浮かんだ。

長々と書いてきたが、俺の主張は二つ。
最初に文体を明かす。章毎に変えるとしても冒頭で読者にわかるように書く。
どのような文体でもいいが、読者が引っ掛からないで読めることがルールとなる。

この二つが守られた作品を書き上げることから全てが始まる。
基本無くして応用無し、が俺の考え方で他者にも勧められる方法論と思っている。
実際に俺が関わっているスレッドで受賞者を出している。書籍化まで到達した作者もいる。
試す価値はあるだろう。盲信は視野を狭めるので自身のアイデアを盛り込んでもいい。

これで俺の書き込みは最後とする。