あなたの文章真面目に酷評します Part107
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前スレ
あなたの文章真面目に酷評します Part106
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文量が多い場合は外部リンクを貼ったほうがいいかもしれません。
もしも文章を無視されてしまったら、もう一度批評をもらえるように頼んでみましょう。目についたものから批評していくので、見落としもあります。
辛辣なことを言われても落ち込みすぎないように。批評をした人とあなたの相性が悪かったのかもしれません。ただ、あなたの作品をそういうふうに受け取る人もいるということを心にとめておいてください。
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当スレは投稿者を育てるのが目的なので、できるかぎり良い所と悪い所を具体的に挙げて投稿者が納得する形で批評をしてあげてください。
■次スレ
スレッド容量が480KBを超えたら投稿を控えて次スレを立ててください。そうでない場合は>>980を踏んだ人がスレを立ててください。 ここは本当にどきりとするような指摘があるから勉強になる
自身の改善に役立ちます
晒したことはないけれどありがとう あと、それほど長文じゃない中で、安易に会話に頼るのはよしたほうがいいと思われ。
地の文で語って、どうしても会話入れないといけないところだけ、しかたなく入れるってくらいで
ちょうどいいバランスになると思われ。
映画監督がセリフをカットしていくようなのに似て
何を残して、何を省略するかで、読者に想像させる歓びを与えるのもまた作家のお仕事。 >>127
それとどう考えても、自分ならこの内容だと男を僕とかにして一人称で書いたほうがよくなりそうだと思うな。
わざわざ「男は、」ってしてる理由は何かあるの? 上でも仄めかしているのでトリップ付きで最後にアマチュア向けの方法論を書いておく。
>>154は一理あるもののアマが目指して良い類いの物ではない。高い目標は執筆の手を止める可能性がある。
>>156については作品の質による。ここに書かれているような作品も世には出ている。
ただし、それだけが至高とはならない。会話文を楽しむ形式の小説もある。
俺が角川で受賞した作品は会話の応酬が際立つ。それを念頭に置いて書いた物だった。
寸評ではその遣り取りが評価されて受賞に至ったとあった。作品に合わせて書き分けた方がいいという事例になるだろう。
自由間接話法や自由直接話法。他にも色々な視点が合わさって文体となる。
これらをどのように組み合わせて使うかは作者の考え方次第と言える。
神視点で話を進めたいのであれば使えばいい。ほとんどが会話文で埋められていても構わない。
段落を空けないで視点を変えることはあまり勧められないが、作者が必要と思うのならば挑戦すればいい。
このように書くとルールは無用に思えるが、たった一つだけ、守らないといけないことがある。
どのような技法を駆使して書いてもいいが、読者が違和感なく読めることが条件となる。
作品の内容よりも「この作品はこのような文体で書かれている」と言うことを
読者に伝えることが何よりも優先されると個人的には思っている。
男子高校生が主人公。朝の登校の場面から冒頭が始まるとする。
いつもの通学路を歩いてはいたがぼんやりする。頭の中と同じで目も少し霞んでいた。
そんな状態で空を見る。薄青い色が広がっていた。
このような書き出しならば読者は一人称と考え、その先も同じ文体が続くと思うだろう。
学生服を着た上原淳史は眠そうな顔で通学路を歩いていた。生欠伸が絶えない。
おもむろに空を見上げる。至って普通の青空を黙って眺めていた。
同じ場面であってもこのように描けば三人称に思える。
ここに色々と付け足すこともできる。読者に違和感を持たれないようにする必要はあるが。
学生服を着た上原淳史は眠そうな顔で通学路を歩いていた。生欠伸が絶えない。
おもむろに空を見上げる。青いな。その一言だけが心に浮かんだ。
長々と書いてきたが、俺の主張は二つ。
最初に文体を明かす。章毎に変えるとしても冒頭で読者にわかるように書く。
どのような文体でもいいが、読者が引っ掛からないで読めることがルールとなる。
この二つが守られた作品を書き上げることから全てが始まる。
基本無くして応用無し、が俺の考え方で他者にも勧められる方法論と思っている。
実際に俺が関わっているスレッドで受賞者を出している。書籍化まで到達した作者もいる。
試す価値はあるだろう。盲信は視野を狭めるので自身のアイデアを盛り込んでもいい。
これで俺の書き込みは最後とする。 >>127
映画的なカメラワークが難しそう。でも面白いんじゃないでしょうか。
この書き方は意識してらっしゃるんでしょう。
ぬいぐるみはスキルの一部?せっかく大胆に出てきているのに目立っていないけど……。
途中で語り部の疑問や判断が強めに入ってきて、独特な感じがしました。昔話風なんですね。
「どれ程の時をここで過ごしているのか。」とか、「敵意のあるものではない。」。 >>158
なるほど!実績に基づいた説得力のある論であった!
大変参考になる!
最後と言わずにたまには来て欲しい!
ワシの考え!(`・ω・´) 横スレの応酬があって、それが激しく一般論になって、
かんじんの投稿テキストが置き去りにされる、というw
そしてなんか「文芸自己啓発」論みたいな話になって終わるw
結局、いつもこうなるなーー。
でも、荒れた感じがなかったのは良かったよ。 >>127
細かい点でいえば、人称代名詞が1個もない、という特徴があるね。
それはまあ地の文のせいだけどw またジャンル的に固有名で通す、ということでもあるけど。
でも、結構、所有表現とか目的表現を省略してるよね。これも特徴的なことだね。
一方で、「それ」「その」だけは過剰なほど使われているね。これも特徴的なことだね。
多分、自然とこうなっているんだろうけど、一度、自分でもこのあたりを意識して文章を書いてみるといいよ。
自分の文体をつくる助けになるよ。 まあ作者はいちいちレスに返答することはないよw
なかにはデタラメ書いてあるのもあるから。
作者は自己責任で返答先を選ぼうね。
レスした相手のレベルが、あなたの作家としてのレベルだから。
面倒だったら、「みなさんアザーす」でもOK。 >>127
まあでもこうしたバトル作品を人気作に仕上げたいなら最優先はキャラクター性……になるでしょう。
売れているものを見ればなによりもキャラ立ちしているかどうかですからね。
これは技術的な点に勝って読者から求められますよ。
主人公に萌えるかどうか。いきいきしているかどうか。
そうやって見ると少し足りない。感情の振れ幅をもっと付けたり漫才を練習したりかな。
なーんて道化師さんの理想とずれていたら無視して下さい。 >>153
別にその文はその文でいいよ
バカ面の友達がきてからそのあと物語は続くんだから。
説明しようとする方がつまらんね。 酷評よろ。1/3
今日、冬季オリンピックが閉幕した。それに気づいたのは、たまたまチャンネルをNHKに合わせた時に閉会式がやっていたからだ。
色彩豊かな五輪のマークの花火が空に打ち上げられて、競技を終えた各国の選手が国旗を持っているシーンが画面に大きく映し出された。
こういった映像を見ても私はこれといって何も感じない。オリンピック終わったんだ、というくらいの感想しかもたない。
逐一スマホ携帯に入ってくる速報と会社での日本のメダル獲得の話題、それからテレビで見るダイジェストと二、三のライブで観た競技の決勝が私にとってのオリンピックである。
私は画面を眺めながら仕事のことが頭に思い浮かんだ。明後日の会議でプレゼンがある。私の意識はオリンピック閉会式から離れ、そのことを一通り考え通して、今度は、スポーツ競技と仕事、私はその繋がりについて考えてみた。 2/2
なかにはスポーツの精神論とビジネスマンの意識の高さを結びつけて語りたがるやつもいる。
私の会社の同じ営業部の新田という男が仕事における精神論についてよく語りたがるのだが、
彼曰く「判断は誤るものではない」ということである。
あれは会社の連中とオフィスでオリンピック中継を観ていた時のことだ。スノーボードのハーフパイプの決勝、ドイツの選手が凄い難易度の高い技を成功させて、
その後に滑った若い穴山という日本人が最後の技を繰り出せずに失敗した。それを観て新田は「穴山は判断を誤ったな。一回目のジャンプからおかしかったものな」と言った。
何でもスノーボードハーフパイプは半円形のデッキの縁の部分であるリップにボートが付いた瞬間から勝負が決まるのだという。
「ハーフパイプって競技は仕事と同じだ。始めに空中を飛ぶ瞬間に勝敗が決する。仕事もバランスを崩したら判断を誤る。一つの仕事に取り掛かる前が重要なんだよ。
一回目のジャンプに集中して、最後の大技を決めるために全てはある」と言った。更に新田は「人生だって同じだ。赤ん坊の時はしょうがないが、物事ついた時から意識を高く持ってるやつが人生に成功する」と続けた。
些か最後に付け加えた文句は滑稽だが、彼の精神論もまあ一理ある。しかし、判断というものはやはり誤るものだ。逆説的に言えば、誤らなければならない。流れに乗るために始めが重要ではある。だがどうやったってうまくいかないことはある。
失敗を繰り返さなければ成功することはない。そうでないとしたら、私のこれまでは無駄だったことになる。 3/3
スポーツ競技の中での判断と仕事の判断は同じものだとは思えない。物事をうまくやるためには失敗から学び、次の機会にそれを活かす。
その上で、物事の流れに乗っていく。
そのために物事の始まりに集中する。それは尤もなことではあるが、何度も失敗はする。判断は誤る。そういうものだ。
「判断を誤ると失敗する。そして失敗は癖になる」とも新田は言っていた。
私は昔から劣等生だ。判断を誤る人と失敗しない人。この違いはどこでどう起こるのだろう。失敗は癖になる、それは確かにそうだ。要領よくうまくやる。
やはり、人間は人生経験から物事を予測し、修正してうまくやることが重要なのだ。
人間の幸せはうまくいった人間に訪れる。うまくやるということが如何に大切なことかを社会人になって痛感させられることは多い。
しかし失敗はする。失敗しない人も中にはいる。しかし私は何度も失敗することも併せ持つ方の人間だ。
意識高い人間がいいのだろうか? 意識を高く持って生きていればうまくやれるのだろうか? このことに答えはないように思う。どうやったって人間、そんな劇的に変われることはない。 >>166
まず、書き出し
緊張感に欠け、目を引かない
>今日、冬季オリンピックが閉幕した。それに気づいたのは、たまたまチャンネルをNHKに合わせた時に閉会式がやっていたからだ。
変更例、「冬季オリンピックの閉会式を見ても何も感じないのはなぜだろう」
ぐらいで良い
中盤
冗長過ぎる
>彼の精神論もまあ一理ある。
から最後付近の
>このことに答えはないように思う。
まで
ほとんど飛躍のない論理の捏ねくり回し
半分以上はカット出来るはずだし、「スポーツと仕事には近いものがある」「失敗してこそ正しい判断ができるのでは」では捻りも足りない
最後、結末
エッセイの結語は大上段の一般論にしてはいけない
>どうやったって人間、そんな劇的に変われることはない。
変更例、「私はオリンピックの閉会式を見て、意識の低い生き方も認めて欲しいと感じたのだ。きっと」
自分自身の感じ方で何らか、仄かな言葉を漂わせるといい
その上で可能なかぎり書き出しに繋げれば纏まった感触が出る >>166
書き手さんは「し」氏かな。
だとすれば、研鑽を積んだのかな。
記述が随分滑らかで字に関して気になりません。
別な方であれば失礼しました。
なるほど。
ハーフパイプが段取り力に繋がっていく。
気になったのは「判断というものはやはり誤るものだ。逆説的に言えば誤らなければならない。」という表現。?でした。
逆説は誤っているように見えて実は正しいというような語意です。
てことは前の言葉から見て間違いに見えなきゃならない。
ので「判断というものは正しくあらねばならない。だからこそ逆説的に言えば誤らなければならない。」こんな運びになるのでは? >>168
「私は昔から劣等生だ。」あたりは学校時代のストーリーがないとボヤッとしますね。 >リップにボートが付いた瞬間から勝負が決まるのだという。
リップにボートが付いた瞬間【から】勝負が決まるのだという。 >流れに乗るために始めが重要ではある。
流れに乗るために<は>始めが重要ではある。 >そんな劇的に変われることはない。
そんな<に>劇的に変われることはない。 >【なか】にはスポーツの精神論とビジネスマンの意識の高さを結びつけて語りたがるやつもいる。
>スポーツ競技の【中】での判断
>失敗しない人も【中】にはいる。 >そんな劇的に変われることはない。
・そんな劇的に変われることはない。
・そんな<に>劇的に変われることはない。
・そんな<に>劇的に変わることはない。
・そんな<に>劇的に変われる<もの>ではない。
・そんな<に>劇的に変われる<という>ことはない。
・ 作品は著者の「世界」だろ。
外野が直してくれるのを前提に出してくるなんてのは、その時点で「世界」を描けてない証拠。
直されないと思って出しているのなら、我々外野は直すべきではない。一字一句の粗探しなんかでは特に。
書くことの孤独を紛らわせる、息抜き程度にこのスレが存在しているなら別だがね。 指摘の着目点は人それぞれだし、自由でいいよ
不十分と思えば、自分が指摘すれば良い
どの批評を採用するかも、作者次第なんだし >>169
>小説というよりエッセイとして読んでもらいたい。
書かれている内容を読んでくれ、という意味かとおもたら、
小説的なところはまったくないじゃんw
新田が架空の人物というだけでは小説にはならん。
結局、小説を書くのはエッセイを書くのとはまったく別の作業。
そういうことに鈍感なんだろな。 でも、エッセイと私小説、優劣や区分はあるのでしょうか。
課題人、まず、不義理を詫びます。
バディもの、できませんでした。
けれども、お礼も言わせて下さい。
あなたの指導、教授のおかげで書く意欲と、書いても良い資質が繋がりました。
勉強をして、バディものを書き上げて、褒めてもらう日を目指します。
願わくば、課題人を信じて研鑽を積むひとが続きますように。
信じても良い事。この、スレの批評人たちのレベルは高い。
そして、わきまえている。
過疎や停滞を心配する声もありますが、
そんな表層的なものなど、どうでもいい。
私は、そう思っています。
作品が出来るごとにあげさせていただきます。
良し悪しのテキストに使って下さい。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883994287/episodes/1177354054884013824 >>187
>五年の歳月を数えた頃が飲み頃であるらしい→五年の歳月を数えたあたりが飲み頃であるらしい。
>身の振りを決めないといけない→身の振り<かた>を決めないといけない
>Tが迫られた葛藤を私も負うことになった→Tが迫られた葛藤を私も抱えることになった
>バンドは崩壊をした→バンドは崩壊した
>酒が増えた→酒<量>が増えた
>ある日突然、無断欠勤を続けた→ある日突然、無断欠勤した。
>盃を交わす→グラスを交わす
>サミクラウスを前にし、辿る記憶を酒の肴に→サミクラウスを前にし、辿る記憶を肴に
>気を使う→気を遣う
>ただひたすらに寡黙であるTの目を ※寡黙=口数が少ない、そのさま >がさつを絵にしたような男で→がさつを絵に描いたような男で >ひと足先に健全な社会へドロップアウト
ドロップアウト:誤用 >望む望まぬ関係なしに△→望むと望まざるに拘わらず→Tの気持ちなどお構いなしに○
>そのようなことを連日話したとおもう→そのようなことを連日話したと思う。 >>187
えっ、もう終わり? といった感じである。もっと読みたいという意味ではない。
Tの死をあっさり受け入れすぎである。おかしいではないか。
バンドに無理やり誘い、勝手にやめたとなれば、語り手がTの死に責任を感じて苦悩する流れだろう。もうひとり、ラーメン屋に紹介した後輩も責任を感じて大泣きするだろう。
それを見て、「いや、責任はおれにある」とか言って語り手はしょんぼりするのだ。しょんぼりどころではないか。セリフもない作品だから書き方も工夫が必要だね。
そんな折、形見分けでTのうちで見つけるのはエロDVDではないはずだ。Tの残した物を見て、語り手はいい歳して号泣するのである。もしくは絶望に青ざめるのである。
なにがあったか。語り手は自分を許すことができるのか。
やっぱりバンドマンなら楽譜だろう。語り手の結婚を祝福する自作の曲である。歌詞を考えなければならないので大変だ。恥ずかしいし。
もしくは恨みつらみがひどい筆跡で書かれたノートだろうか。切り裂かれた写真だろうか。
んー、やっぱり俺はベタだなぁ。
エレキベースだろうけど、バンドというアコギな商売に誘った、みたいなことを書こうと思ってたのに忘れてた。 批評お願いします。
「猫とメガネと天気管」
重いカーテンが窓を遮っている。
猫には開けることができず、下を潜ることもできない。
天気管は言った。
「今日は晴れだ」
猫は知らない。
窓の向こうには、澄み切った青空があることを。
猫は真っ暗で広い部屋にいる。
そこにはメガネがいる。
メガネは喋らないが、音を出す。
「トン、トン、トン」
その振動で、猫はメガネに気付く。
振り返る猫。
反対から触れられる手。
猫にはメガネが分からない。
天気管は言った。
「今日も雨だ」
猫は知らない。
窓の向こうには、たくさんの雫で埋め尽くされていることを。
「トン、トン、トン」
振り返る猫。
鼻先を撫でる手。
猫は知っている。
メガネには手があり、足があり、顔があることを。
重いカーテンは、ずっと窓を遮っている。
だけど、カーテンが開いていた時もあった。
天気管は言った。
「今日も雨だ」
猫は壊した。
窓の向こうを告げる、お喋りな天気管を。
「トン、トン、トン」
振り返る猫。
猫を持ち上げる手。
猫は知っている。
天気管も、窓の向こうを知らないことを。
放される手、落ちていく猫。
砕けた天気管が、猫を貫く。
猫は知っている。
カーテンを閉めたのは、メガネということを。 もう採点も作者の弁も出て決着してしまったようだけ、一応、書いてみたよw
「おむすび」は、同じ作者による「墓参りとお供え」と同じ構造のストーリーだろ。
で、「おむすび」で作者がやろうとしていたことは、視覚によらない「触覚」による感情の表出だろ。
それは「5センチの細いヒール」が土に「ずごっと」突き刺さるシーンで予告される。
この小説で唯一重要だったのは、固さvs柔さ、おにぎりvsおむすび、という対比だろ。
【回想・津波以前】
>三角形の頭頂にかぶりつく。白米部分が舌に触ると、米一つ一つがほどけて口内に散らばっていくように感じた。
>しかし、おにぎりの成形がゆるすぎるということもなく、手の中で崩壊する心配もなさそうだ。急いで噛んで飲み込む。
【現在・再訪】
>あのときのおむすびとはとても似つかない、不恰好で米の粒がつぶれたおにぎりだ。
>包みのあいたところに口をつける。固い。思い切って上の前歯を差し込む。米の粒は固まったまま、ばらばらになる気配もない。
ただ、握り飯vs産巣日という語源的なイメージだけで、「おむすび」は「結衣」が津波以前の世界を「回復」させる呪具となりうるだろうか?
この「おにぎり」のような機能をもった物資を、小説的「装置」と呼んでもいいと思う。
しかし果たして、「おにぎりvsおむすび」は十分に「装置」たり得ただろうか?
「墓参りとお供え」における「牡丹餅?」がうまくいって、「おむすび」が不発に終わった理由は、まさに「お握り」が十分に固くないからではないか。
冗談でもなんでもなく、冷めて固くなったオニギリを炙って「焼きオニギリ」にする必要があったのではないかったか?
いやそれでは「食感」が違う、といえばその通りだけど(笑)。
それにタイトルを「おむすび」などとするのは、作者の意図がバレバレで下策。 2/2
なかにはスポーツの精神論とビジネスマンの意識の高さを結びつけて語りたがるやつもいる。
私の会社の同じ営業部の新田という男が仕事における精神論についてよく語りたがるのだが、
彼曰く「判断は誤るものではない」ということである。
あれは会社の連中とオフィスでオリンピック中継を観ていた時のことだ。スノーボードのハーフパイプの決勝、ドイツの選手が凄い難易度の高い技を成功させて、
その後に滑った若い穴山という日本人が最後の技を繰り出せずに失敗した。それを観て新田は「穴山は判断を誤ったな。一回目のジャンプからおかしかったものな」と言った。
何でもスノーボードハーフパイプは半円形のデッキの縁の部分であるリップにボートが付いた瞬間から勝負が決まるのだという。
「ハーフパイプって競技は仕事と同じだ。始めに空中を飛ぶ瞬間に勝敗が決する。仕事もバランスを崩したら判断を誤る。一つの仕事に取り掛かる前が重要なんだよ。
一回目のジャンプに集中して、最後の大技を決めるために全てはある」と言った。更に新田は「人生だって同じだ。赤ん坊の時はしょうがないが、物事ついた時から意識を高く持ってるやつが人生に成功する」と続けた。
些か最後に付け加えた文句は滑稽だが、彼の精神論もまあ一理ある。しかし、判断というものはやはり誤るものだ。逆説的に言えば、誤らなければならない。流れに乗るために始めが重要ではある。だがどうやったってうまくいかないことはある。
失敗を繰り返さなければ成功することはない。そうでないとしたら、私のこれまでは無駄だったことになる。 >>187
を読んで、ライブ会場に移動するのに置いていかれた仲の悪いベーシストとドラマーがケンカしながら目的地を目指し、最後には仲良くなってるというバディものが書けたのではないかと思った。
もしくは原稿が遅れがちな作家の家を訪問することにした編集者ふたりとか。
書いてみよう。
「花代(かだい)さん、ロム猫先生の原稿、届きましたよ」
黒豹出版社の文芸部オフィスに鈴木鈴子のアンニュイな声が上がった。
「おう、やっとか」
デスクで読んでいた他の作家の校正ゲラから顔を上げた副編集長代理補佐の花代は、鈴木鈴子に右手を差し出した。鈴木鈴子はその手にバイク便の封筒を渡す。封筒を開いて中の原稿を読み始めた花代の眉間に、みるみるしわが寄っていった。
「なあ、ロム猫先生にはバディものもアンソロジー用って言ったよな?」
花代が鈴子に顔を向けて言った。
「言いました」
「なんか違うんだよなぁ」
花代の眉尻が下がる。鈴子は原稿を受け取った。しばらくして読み終えると、
「なんか違いますね」
とアンニュイな声で言った。
「どういう事だ!」
「わたしに言われましても」
「担当だろう!」
「この件を依頼したのは花代さんです」
「そうだったか? 悪いが電話してみてくれ」
鈴子は手帳を取り出すと、花代のデスクの受話器を持ち上げた。
「出ませんね」
しばらくして、鈴子が受話器を耳に当てたまま言った。
「あんにゃろう、居留守だな」
ロム猫先生が往々にして電話に出ないことは広く知られていた。エッセイに書いたからだ。
「出かけるぞ、ついてこい」
「わたしもですか?」
「当たり前だ、担当だろう」
「でももうすぐお昼です」
「つべこべ言うな!」
こうしてふたりは出版社をあとにした。
ここまで572字。いけそうだ。書きませんが。 小気味のいい出だしに笑った
>>187
詫びなんぞいらん
『サミクラウス』もだが、ロム猫の人の話作りは死者をテコにして感慨に浸るパターンが多い
そこで死者へのフォローが不足すると、上の人が言ってる通り、読者の共感が不足する
今回のは特に、主役の感動のために脇役の死が駒として用意され、利用された印象が強い
読者は「可哀想な人物」に心を寄せる
感動ものの作者は、読者の共感が誰に寄っているか掌握していなければならない
作者の計算高さは主武装にしていい
それを見破られないぐらいまで計算高くなるといい
脇役を生かすパターンを試していけば、駒としてではなく人物として動かせるようになって、作り物とは言われなくなる
だからバディものや群像劇もいつかやってみればいい
小さくまとまるな
以上
良かったよ
またグッとくる作品を見たい まず、皆さん読んでくれてありがとう。
仕事の合間に、思うことをレスさせていただきたいと思います。
ただ、率直な意見、とても有り難いです。
取り急ぎ、お礼だけはと書き込んだ次第です。
では、後ほど。 >>196
つーか、これ、めっちゃ面白い!
是非とも続きが読みたい!
書いてはいただけないでしょうか? >>194
事故か?
他人の過去レスの無断コピペは厳禁。 >>187
>でも、エッセイと私小説、優劣や区分はあるのでしょうか。
これはw 誰か答えて差し上げましょう。 >>187
この作品を一言でいえば、私の「身上書」みたいなものかな?
あるいは、中編小説のちょっと長めの「梗概」といった感じかな。
充填してから瓶内熟成するビールがもたらす5年間という仕掛けがあるのに、全然
額縁小説という感じがしない。
現代風俗小説としての輝きもないけど。
これから小説を書こうと思っている良い子は、ちょっと考えてみるといい問題だな。
どうしてそうなってしまったのか、についてね。 どうか評価してください
エッセイ的なもの?
新年度。そろそろ高校一年生の生活も終わり、僕は二年生になる。進路先と将来を見据えていく年が始まる。将来の「夢」というものを、様々な観点で考えていく。
競歩の選手は、ほとんどが別の種目で挫折した人たちだと聞く。監督から、「競歩にしてみないか?」と勧められ、それを受け取る選手たちは今までの努力や苦労を想起し、葛藤に苛まれることだろう。それは、自分の目指してきた夢を捨てることになるかもしれないからだ。
それでも、成功した人はたくさんいる。競歩の選手に限らない。自己分析を重ね、他者の助言を取り入れて栄光を得た人達は必ずいるのだ。
先日、平昌オリンピックの舞台が幕を閉じた。日本は十三個のメダルを獲る輝かしい成績を残した。復帰後間もなくして臨んだ羽生結弦、カーリング女子の藤澤五月、彼らは小さい頃から夢を追い続けていた。
自分と他者の力量、世界の厳しさを知って道を変えるのは合理的だと思える。しかし、挫折を繰り返しても変わらぬ夢を見る人間の、実を結ぶ瞬間はこの世のなによりも美しい。人間の、一つの秘められた力なのだろう。
人が違えば、持つ夢も違う。「夢」をこれから考えていくのもいいが、子供の頃の初心に立ち返って、自分だけの誇れる夢を追うのもまたいいのかもしれない。 >>203
最近の新聞の社説ってこんなんだなーって印象の文章。
ぱっと見は文法的な誤りとかはないんだけど、何を評価してほしい?
日本語力を評価してほしいのか、新聞記者になりたいが文章力はどうか、とか。 >>204
社説っぽく書かれてあると思ってくれたのは嬉しいです。
個人的に、高校生ならこの程度の作文を書ける人がどのくらいいるのかの推測と、文章力を率直に評価してほしいです。 >>197
ありがとう。
>小さくまとまるな
の言葉に泣きそうになりました。ともかく、今は書きたい。たまっている話が三作ほどあります。
それを書き切ったうえで、挑戦をしたい。
「酷スレ」で初めて上げた掌編を
「駄文だな。読む価値なし」の第一声からスタートして、ようやく物語を作ることができた私は、書きたくて仕方がない。
駄文は変わらずですが、書くことを重ねていくうちに、少しずつ書きかたを理解している現状です。
無論、他人の批評などできるレベルになく、ただ「過疎、過疎」といわれる状況を歯がゆく思っていました。
ともかく、ありがとう。
毎度同じことをいいますが、君には感謝しかない。
>>188
毎度、原稿チャック?をありがとうございます。
今回、「講評お願いします」ではなく、「良し悪しのテキストに使って下さい」といったのは、>>202であげられている問題に使って欲しかったからです。
気づいているかと思いますが、今回の話は偶然そうなったのではなく、書く前から「地の文縛り」で書こうと考えていました。
その段階から「縛り」を意識すると、私の筆力では、回想、あるいは独白的な一人称にならざるを得なかった。
前レス、あるいは「創作ノート」スレで議論になった、地の文と会話文の議論に、作品として、
参加しようと思ったからです。
私が文章を読むときに感じる印象は、地の文は濃い情報を伝えられるが疲れる、そんな風に思っていました。
会話文があると、ほっとする。
ただ、会話文ばかりだと戯曲のような感じで、それもまた、つまらない。
どちらかに偏ったとき、文章はどんな風に歪になるか、あるいは成立するのか、試してみたかった。
結果、事実の羅列になり、長いあらすじのようになった感は確かにあるでしょう。
書くひとが書けば違う感じになるのかもしれたせん。
過疎ったら、論じてみてください。
私もその論が見たい。
ちなみに「健全な社会にドロップアウト」という表現は本来「ドロップアウト」と「」をつけて、
本来の意味として使っていないことを強調するべきでしたが、会話文でなくても、頑なに「」を使わないことで意図を示したかった、
そんな理由があります。
重ねて申し上げますが、ほんとうにありがとう。
また、読んで下さい。
長文失礼しました。 >>158
>俺が角川で受賞した作品
あなたはだれ? >>203
>将来の「夢」というものを、様々な観点で考えていく。
日記(ブログ)じゃないんだから、他人に読ませるには
「考えていく」で自己完結させずに、考えていきたいと思っているところだ。とか
読み手に心情を”伝える”書き方をすべきです。 >>209
確かにそうですね……
的確なアドバイスありがとうございます >>196
戯曲でしかないな。
会話任せで、地の文もト書きで終わってる。 >>166
ほとんど、感想文とか作文の類ですね。
延々、愚痴ってるだけという感じしかない。
>たまたまチャンネルをNHKに合わせた時に閉会式がやっていたからだ。
たまたまチャンネルを合わせたって言葉が死語になりつつある昨今において表現が古過ぎ、いきなりダサい。
ほかの文面も表現がさえない。 いつもの通学路を歩いてはいたがぼんやりする。頭の中と同じで目も少し霞んでいた。
そんな状態で空を見る。薄青い色が広がっていた。
このような書き出しならば読者は一人称と考え、その先も同じ文体が続くと思うだろう。
学生服を着た上原淳史は眠そうな顔で通学路を歩いていた。生欠伸が絶えない。
おもむろに空を見上げる。至って普通の青空を黙って眺めていた。 >>158
>作品の内容よりも「この作品はこのような文体で書かれている」と言うことを
>読者に伝えることが何よりも優先されると個人的には思っている。
>男子高校生が主人公。朝の登校の場面から冒頭が始まるとする。
>いつもの通学路を歩いてはいたがぼんやりする。頭の中と同じで目も少し霞んでいた。
>そんな状態で空を見る。薄青い色が広がっていた。
>このような書き出しならば読者は一人称と考え、その先も同じ文体が続くと思うだろう。
>学生服を着た上原淳史は眠そうな顔で通学路を歩いていた。生欠伸が絶えない。
>おもむろに空を見上げる。至って普通の青空を黙って眺めていた。
>同じ場面であってもこのように描けば三人称に思える。
>ここに色々と付け足すこともできる。読者に違和感を持たれないようにする必要はあるが。
>学生服を着た上原淳史は眠そうな顔で通学路を歩いていた。生欠伸が絶えない。
>おもむろに空を見上げる。青いな。その一言だけが心に浮かんだ。
>長々と書いてきたが、俺の主張は二つ。
>最初に文体を明かす。章毎に変えるとしても冒頭で読者にわかるように書く。
>どのような文体でもいいが、読者が引っ掛からないで読めることがルールとなる。
一人称と三人称の書き分けはそんなものではないので。
それは素人か、読者の発想でしかないですね。 続き)
むしろ、このように描けば三人称に思える。として挙げた、
>青いな。その一言だけが心に浮かんだ。
の方が一人称に適していて、人称を本当に理解してるんだろうか?と疑問に感じる。 >>158
>俺が角川で受賞した
というのがまず嘘でしょ? まず、本当に受賞したのなら匿名掲示板にスレ立てて
ワシ杯なんて時間の無駄なことやってないで、作品作りの執筆の仕事すればいいのにって思う。
結局受賞が嘘だから、執筆の仕事がないのでしょう? 受賞はしたけど、芽が出なかったんじゃない?w
ちゃんと能力のある評価された人なら、自分を買い被って偉そうに方法論なんてかたらないわ
自己顕示欲を満たしたいんでしょw 受賞したのなら何年にどの作品で受賞したか名乗ればいい。
それができないのは嘘だという証拠。
名乗れないのなら、受賞したとか言いまわるのはたいがいにせえと。
ワシの考え!(`・ω・´) >>199
調子に乗って書いてみました。
楽屋落ち的なアレなのでわからない人もいるかもしれません。
最初のを入れて4949文字くらい。
ネタをお借りした方はオマージュですので許してください。
これから3スレ汚しますがご容赦を。
最寄りの駅までは徒歩で約五分。すたすたと歩く、ややくたびれたグレーのスーツを着た花代のあとを、鈴子はやや早足で追った。花代は相手に合わせて歩調を変えるということをしない。少なくとも鈴子に対してはそうだった。
鈴子はこれから作家先生に会うのに失礼はないだろうかと、自分の服装を確認した。やはりグレーのスーツである。ややタイトなスカートなので、なおさら花代を追うのが大変だった。
駅の構内は平日の昼間だというのに人が多かった。なおかつ若者の姿が目立つ。
「ああ、もう高校は卒業式が終わったっけ」
鈴子のつぶやいたアンニュイな声は誰にも聞こえなかった。
券売機の前でたたずむ花代の横に、やっと追いついた鈴子が立った。
「ロム猫先生はどこに住んでるんだ?」
券売機から目を離さずに花代が言った。
「え、知らずに出てきたんですか?」
「君が知ってるだろう?」
「知りませんよ」
花代が顔を鈴子に向けた。
「なんでだよ! 担当だろう!」
「お宅にうかがったことはありませんし、打ち合わせはいつも社内か近くの喫茶店でした」
「マジか。バイク便の封筒には書いてるだろう?」
花代は鈴子の下げるバッグを見た。鈴子は首を振った。花代は手ぶらである。
「なんで持ってきてないんだ!」
「封筒は花代さんに渡しましたし、まさか住所を知らずに飛び出したなんて思っていませんでしたから」
鈴子はまっすぐに花代を見つめた。ふたりはしばらく睨み合ったが、やがて花代がため息をついて目をそらした。
「じゃあ社に電話して封筒の住所を聞いてくれ」
「はい」
鈴子はバッグからスマートフォンを取り出した。しばらくして、
「わかりました。欅高(けやきだか)です」
と鈴子が言った。
「欅坂?」
「いえ、欅高」
「どこだ、それ?」
ふたりはスマートフォンを取り出した。
「あ、ありました」
ややあって、鈴子が顔を上げずに言った。
「遠いですね」
「しようがあるまい」
「電話やメールじゃダメなんですか?」
鈴子はスマートフォンから顔を上げた。花代がまっすぐな視線を鈴子に向けた。
「人と人ってのはな、直接会って話さなければ伝わらないこともあるんだ」
花代がいつもより低い声で言った。ちょっと作った声だった。
「今回がそうなんですか?」
鈴子がアンニュイな声で言った。花代はなにも言わない。
「今回がそうなんですか?」
鈴子はもう一度言った。
「切符買ってこい」
花代は鈴子から目をそらすと券売機を指差した。
電車は駅構内の人手にもかかわらず空いていて、ふたりは並んでシートに腰掛けることができた。定期的な振動に鈴子がうとうとし始めたころ、隣で腕組みをしている花代が口を開いた。
「ロム猫先生の作品ってさあ――」
鈴子は二、三度まばたきをして、花代に顔を向けた。
「――なんであんなに暗いんだろうな」
その言葉を聞いて、鈴子がごくごくわずかに眉をひそめた。それは、たとえまっすぐ彼女の顔を見つめている者がいたとしても気づかないかもしれないほどだった。
「それはおかしいと思います」
「え?」
「暗いとか明るいではなく、なんというか、ロム猫先生の作品は、えーと」
鈴子は首をかしげた。
「ロム猫先生って、本人はそんなに暗くないだろ?」
花代は鈴子を横目で見ながら、口元に笑みを浮かべて言った。
「あ、そうですね。脳天気で悩みなんてちっともないような人ですね」
「そこまでじゃないだろう」
花代は笑った。
「これはあれですかね、ごっつい顔と体格の人がラブロマンスを書いたり、やせっぽちの小柄な人がタフガイの活躍するハードボイルドを書いたりっていう」
「本人とは逆のものを書くってことだな」
「そうです、そうです」
「んー」
花代は曲げた人差し指をあごに当てて中吊り広告を見上げた。
「しかし、そうとばかりも言えないぞ。私小説っていうのは作者自身をさらけ出すものだし、他のジャンルでも多かれ少なかれ作者自身は出てしまうもんだ」
「まあ、いい歳してラノベみたいなものしか書けない人もいますしね」
ほっとけ。
「結局、作家ってのは自分を切り売りするようなものなんだろうな」
「因果な商売ですねぇ」
鈴子は長いため息をついた。 欅高駅にふたりが姿を見せたのは夕方近くになってからであった。予定の時間よりはるかに遅い。改札を出ながらふたりは言い争っていた。
「なんで寝過ごすんですか!」
「それはお前だって一緒だろう!」
「お前とか言わないでください!」
「まったくこんな遅くなっちまって」
ふたりは駅舎から出た。
「あ、見てください、ピエロですよ」
鈴子がこぢんまりとした広場の片隅を指差した。赤い鼻をした派手な衣装のピエロがジャグリングをしているが、まわりには誰もいない。
「珍しいですねー」
「ピエロってなんか怖いよな」
「えっ、花代さん、ピエロが怖いんですか?」
鈴子の顔に邪悪な笑みが広がった。
「いや、なんのことだ? ロム猫先生のうちはこっちか」
花代はスマートフォンを見ながら歩道を歩いていく。
「ちょっと待ってください! わたし、お昼も食べてないんですよ!」
「俺だってそうだよ!」
「パワハラです!」
「あとでおごるから。今は早くロム猫先生に会わないと」
かなーり遅れているのであるが。
「ホントですね!?」
「ホントホント」
あやしいなぁ、とつぶやきながら鈴子は花代のあとを追うのであった。
「ここですね」
鈴子が一軒の民家の前で言った。表札にはロム猫先生の本名が書かれている。
「間違いないか?」
「たぶん」
「よし」
花代は、玄関ドア横の音符マークが描かれたボタンを押した。家の中でチャイムが鳴るのがかすかに聞こえた。しかし、応答はない。何度かチャイムを鳴らすが、ふたりには人の気配すら感じられなかった。
「留守ですかね?」
「そうだなぁ」
花代が腕組みして頭をひねった時だった。
「あ、そこの方はお出かけしたみたいですよ」
声がして振り返ると人のよさそうなおばさんが立っていた。
「そうですか。どこへ行ったかわかりませんか?」
「そこまではちょっと」
おばさんはそう言うと、遅れる遅れる、とつぶやきながら去っていった。
「やっぱり留守ですか」
「どこに行ったんだろうな」
「土地勘はありませんし、さっぱりですよ」
「うーん」
花代は腕組みして視線を落としたが、やがて、あっ、と声を上げた。
「スマホでこのあたりの地図を出してみろ」
鈴子は言われたとおりに地図アプリを開いた。二本指で操作し、拡大していく。
「待て」
鈴子のスマートフォンを覗き込んでいた花代が声を上げた。地図上の一点を指差す。
「ロム猫先生はここにいる」
花代はにやりと笑った。 夕焼けに赤く染まった児童公園に、砂場で遊ぶ幼児とそれを暖かな眼差しで見つめる若い母親の姿があった。その親子から遠く離れた位置に、半分に切った丸太を模したベンチがあり、ひとりの男が座っていた。手に持ったカップ酒は半分ほどに減っている。優しい目で遠くの子供を見ているその顔はなかなかのイケメンであった。ロム猫先生である。
「探しましたよ」
右手から声をかけられ、ロム猫先生は、はっと顔を向けた。そこには花代が微笑みを浮かべて立っていた。
ロム猫先生は反射的に腰を上げ、反対側に顔を向けた。
「鈴木さん……」
そちら側に立っていた鈴子が、さびしげに微笑みながら首をゆっくりと振った。
ロム猫先生はがっくりと肩を落とし、ゆっくりとベンチに腰を下ろした。
「どうしてここがわかったんですか?」
ロム猫先生は地面に視線を落とし、どちらにともなく静かに言った。
「作品にはね、その作家の自分自身が出るものです。あなたの作品には過去二回、公園で酒を呑むシーンが出てきましたね。今回もそんな気分じゃないかなと思ったわけです」
花代がゆっくりとロム猫先生に近づきながら言った。
「花代さんにはかなわないな」
ロム猫先生が端正な顔を歪めて笑った。
「読みましたよ、アベノミクス」
「サミクラウスです」
鈴子が訂正を入れた。
「読みましたよ、新作」
ロム猫先生が顔を上げた。そのままなにも言わず、花代の言葉を待った。
「公園でお酒を呑むシーンがなかったのでびっくりしました」
「そんな感想かい」
鈴子のアンニュイなつぶやきは、茜色に染まった空に吸い込まれ、誰の耳にも届かなかった。
「それと、依頼した内容とはちょっと違うようですね」
ロム猫先生の男前の顔が苦悶に歪んだ。
「私には――」
胸の奥から絞り出すような声がロム猫先生の喉から漏れ出すかのようだった。
「私にはバディものが書けないんだ!」
悲痛な叫びであった。
「どういうことですか?」
「あなたは言いましたね、作品には作家自身が現れるものだと。私にはバディものを描くべきものがないんです。あんな、あんなものは私には書けない!」
「ちょっと待ってください。あんなものとはどういうものです?」
「あんなぐちょぐちょどろどろで恐ろしいもの、私の中にはないんです!」
「ぐちょぐちょどろどろって――どうしてそれがバディものなんですか?」
「え?」
「え?」
「あー」
得心がいったように声を上げたのは鈴子であった。
「なんだ、鈴木? なにか心当たりがあるのか?」
「いやー、どうかなー」
煮え切らない鈴子からロム猫先生に目を戻し、
「詳しく聞かせてください」
と花代は言った。
ロム猫先生が語るには、バディものがどういうものかわからなかったので鈴子に尋ねたところ、映画を何本が紹介され、その中の一本を観て書けないと思ったとのことだった。
「それはなんという映画なんです?」
「遊星からの物体Xです」
ぐちょぐちょどろどろのホラー映画である。
「鈴木ー!!」
「いやぁ、冗談で言ったんですけどね。まさか最後に言ったやつから観るとは思わなかったです。てへ」
鈴子はこぶしを頭に当てると、片目をつぶって舌を出した。
「お前のせいじゃねえか!」
「お前とか言わないでください!」
「えーと?」
怪訝な顔のロム猫先生に、バディものとはどういうものかを花代は語った。
「そうだったんですか」
ロム猫先生のあっけにとられた顔もまた美形だった。
「ごめんなさい」
鈴子が頭を下げた。
「いやいや、教わった映画を全部観なかった私が悪いんです」
ロム猫先生は憑きものが落ちたような顔で笑った。
「どうです。書けそうですか?」
花代もまた笑顔で言った。
「ええ」
ロム猫先生は力強くうなずいた。
「格好のモデルになるバディたちが目の前にいますからね」
花代と鈴子はきょとんとしてロム猫先生を見た。やがて、
「俺たちが!?」
「わたしたちが!?」
ふたりは同時に言った。
「ほーらね」
ロム猫先生が声を上げて笑い、ふたりもつられて笑った。三人の笑い声が、やや紫色を帯びてきた空に響き渡った。
それを砂場から気味悪そうに見つめる若い母親に、三人は気づかなかった。
おしまい よくやく六十枚くらいの原稿が書けた。四十枚くらいの原稿を必要な加筆をしてだいたいこのくらいになった。
書けば書くほど小説って限定的な世界観であることがわかる。たくさんのことは云えない。たくさんの場面を描くにはやっぱり文書を簡素化して大衆小説にするしかない。
純文学のようなものは、たくさんの場面を想定する必要はない。一本道をその日行って帰ってくるくらいの物語で事足る。
賞に出そうとしているけど、十行くらいここに書き出して読んでもらっても支障ないかな? >ややくたびれたグレーのスーツを着た花代のあとを、鈴子はやや早足で
やや、ややの重複はいただけないな。もっと丁寧に言葉を選んでほしい。
>平日の昼間だというのに人が多かった。なおかつ若者の姿が目立つ。
なおかつ目立つなんて使い方も凡庸で説明的な言葉すぎる。
他も全体的に、凡庸な言葉選びが多すぎる。
少ない描写なんだから、せめてもっと文学的な表現を工夫してほしい。
会話も半分くらいは無駄で意味がなく削ってもいい。
それよりも会話の間の文に工夫がもっとほしい。
ネタで書いてるだけなら別だが文学になってるとは思えない。。 >右手から声をかけられ、ロム猫先生は、はっと顔を向けた。
>反対側に顔を向けた。
>そちら側に立っていた鈴子が
右手側からとか、反対側にとかそちら側とか作者の頭に浮かんだ情景を描きたいん子Lだろうけど
説明的すぎるし、そもそも必要ないと思う。
もっと文字として表現するべきものがあるはず。 一つ一つ添削していこうと思ってもキリがないほどに全体が文学的じゃない感じ。
地の文が「と鈴子が言った。」 「鈴子が言った。」 「鈴子は顔を上げた。」と「言った」「した」「笑った」「渡った」ばかりになっていきほとんど説明のト書きでしかなく、地の文を成していない。
あまりに会話に安易に重点を置きすぎているからそうなる。
たぶん理解していただけないだろうけど、書いた人の文章がレベルアップするように、まじめに評しました。 >>224
構わないですが、ネットに公開したらアウトになる賞だったら控えた方がよろしいと思います。 どうでもいいが、出来事を思いついたまま書き連ねていってる感じの人ばかりで、
ほとんどの人は、少しもプロット作って活かしていないでしょ?
文章の構成とか変えたり、伏線の張り方とか起承転結とのバランスを考えて書き直したりしていますか? プロットなんか考えない。思いつかない。
書きながら登場人物が動き出すのをまつ(安部公房) あなたは安部公房ではない。
曲が自然と浮かんでくるんだという天才ミュージシャンを例に挙げて、
俺もそうすると言って音楽の基礎も学ばず、いつまでたっても良い曲なんて作れないで
それでも俺も有名になれると無駄なあがきしているのと同じ。
無名の凡人ならプロットくらい作るのが肝心。
それができないなら知識のひけらかしのグダグダなまとまりのない文章書いてるようじゃ、いつまでたっても上達しないよ、「し」さん わかってはいるけど、プロットなんかなくても伝えたいことを念頭に置いて書いていけばいいのでないの?
書いてるうちにだんだんわかってくることもある。 この箇所はまだ推敲途中だから、同じ文章で原稿提出することはあるまい。今書いてるものの一節。こういった一節どう?酷評して。
私は更に東京にいた時のことを思った。東京は嫌いではない。いや、むしろこっちの生活よりも東京ライフの方が楽しかった。今思い出すと、都会の生活は実に多くの驚きと発見に満ちていた。
駅や街にいて耳を澄ませると遠くからなのか近くからなのか雑多な音が私を取り囲んでいるのがわかる。それはまるで、私を喧噪の中で一人置き去りにしているような音だ。
都会の生活を思い出すと、まずあの喧噪の中にいるときに聴こえてくる音を想起する。この雑踏のなかで聴いていた音の正体は、思い切って渦中に飛び込んでみると姿を現す。都会では実に様々なことがあった。
東京は、とかく孤立しやすい場所ではある。一歩音のする方へ、喧噪の中に飛び込んでみると、飛び込み方にもよるが危険なことも潜んでおり、スリリングだ。
それに比べると田舎の生活は実に味気ない。都会にあるはずのものが田舎にはないのだ。あるのは人と人との柵だけである。都会をギャラクシーに例えると、田舎はまさに「世間」という人間特有の場所と呼ぶにふさわしい。 あとこのような一節。酷評よろ。
私は、この時、自分の存在を漠然と思い浮かべてみた。私の眼前には夜の闇と月明かりに照らされて映る影があるだけであった。
そして、私は次に◯◯の顔を見た。それは私の顔のように見えた。◯◯の顔は私の顔に似ているような気がした。
◯◯の顔を見つめていると、だんだん顔が変化していって別の人の顔が頭の中に思い浮かんだ。
私は時々、親しい人の顔をみて気持ちが悪くなることがある。また、恋をしていた女の子の写真を眺めている時に気味が悪い、急に嫌気がさす瞬間があった。
◯◯の顔は、何と言おうか得体の知れない何ともいえない感覚を抱きながらも、ちっとも嫌いにはならなかった。
あの体験から五年経ったが、未だに◯◯とは幾何学模様のような綺麗な平衡線を保った友人関係が続いていた。 >>203
投稿された内容は、これこれこうだからこうなる、という説明であって自分の生活に触れていませんから、
エッセイというより緩い論説に見えます。
論旨がすっきり通るようにしておくことが大切でしょうね。
変節を経て成功する競歩選手。
幼少から自分の道を追い求めてきたメダリスト。
書き手はこれから進路を考えている。
この前提のもと、子供の頃からの夢を思い出すのもいいかもしれない、という結論はちょっとズレがあります。
メダリストを引き合いに出すのであれば、ずっと何かの夢を追い求めてきた自分の気持ちを、あらためて補強するものになるはずです。 >>221
スレをラノベタイトル化したものと認識して読みました。
一番うまく決まってるのは、アベノミクスのネタかなと思いますね。
冒頭からところどころ抜けている花代さんのキャラクターがいきています。
あとは脱力系のネタが多かったのでキャラクターが騒ぐ大振りのものを変化球で混ぜてもいいんじゃないでしょうか?
二人+ロム猫先生の漫才じみたトークが本編になるわけでしょうから、ピエロは要らなかったかもしれませんね。
二人のキャラ立ての場面なのだと思いますけど、IT的なピエロのホラーイメージが濃くて作品の統一感を乱している気がしました。
あとアンニュイ、がちょっと多過ぎてネタですかね?何かのネタかなと思いましたが分かりませんでした。 >>221
>>222
>>223
面白かった!お見事!「悪態と協力で進むバディもの」五千文字程度。まさに、お手本になりました。
批評うんぬんの前に普通に作品として楽しめましたよ。
キャラクターが生き生きとしてて、テンポよく、ちょっとした推理要素を入れて、最後には笑えるオチがある。
さすが、ミステリー作家さんだ、とうなりました。
公園で酒を飲むところとなかなかのイケメンってところは当たっています。 >>233
都会の中にある喧騒の正体、ここは読んでいる方からすると引きになっていて良い感じです。それが何なのか、ちゃんと書いた方がいいですよ。
ここ、うまく表現できていれば作家のスタンスが出るのになと惜しい気がしました。
文体にはツッコミどころが多いです。
実に多くの驚きと発見、様々なことがあった、と書いたらそれを具体的にいくつか後述した方がよろしいと思いますし、書かないなら気を持たせるだけなので不要だと思います。
「し」さんはカタカナの使い方に人一倍、気を使った方がいいと思いました。
東京ライフ、スリリング、ギャラクシー、いずれもが一般的な使い方でなく「私」をかなり変わった人に見せています。
例えで何かを表現するときは全く違うものを経由し、かつ凡庸でなく分かりやすくすることが条件です。田舎を言い表すところら凡庸に感じます。もう一歩踏み込んで遠回しかつ本質的に例えてください。 >>238サンクス
>実に多くの驚きと発見、様々なことがあった、と書いたらそれを具体的にいくつか後述した方がよろしいと思いますし、書かないなら気を持たせるだけなので不要だと思います。
短い一節なので、この後「様々なこと」を記してあります。
>「し」さんはカタカナの使い方に人一倍、気を使った方がいいと思いました。
東京ライフ、スリリング、ギャラクシー、いずれもが一般的な使い方でなく「私」をかなり変わった人に見せています。
これはお恥ずかしい指摘されるまで何の気なしに遣ってました。早速改変します。ありがとう。
例えで何かを表現するときは全く違うものを経由し、かつ凡庸でなく分かりやすくすることが条件です。田舎を言い表すところら凡庸に感じます。もう一歩踏み込んで遠回しかつ本質的に例えてください。
田舎については次の一節で説明してあります。↓ 酷評よろ。
高校に入学した時分のこと、私はこの田舎に希望をもってやってきた。ここではいろいろなことがあるとあの頃の自分は、本気で思っていた。何故なら田舎の人間は寛容だという勝手な観念を抱いていたからだ。
実際には真逆で、方言の違う私をこの土地の連中は卒業まで受け入れてはくれなかった。
この土地の同年代の飲み会というか、集まりに参加したことが私はなかった。ただ一度だけ高校三年の文化祭の打ち上げに参加したことがあった。
学校では、普通に友達もいて、至って普通の高校生活を送っていた私だったが、仲の良かった何人かの口から訊かされた
「飲み会が」とか「集まりが」とかいうところのその集まりとやらに参加したことが文化祭の打ち上げ以外には一度もなく、考えてみれば、私は休みの日に独りでいることが多かった。
これは私が嫌なやつだったから、とかいうより、それが自然だからそうだったという方がしっくりくるだろう。集まりに呼ぶ呼ばないという話題さえ恐らくは連中の口から漏れたことはなかろう。
私という存在は外部の人間として、話題にのぼったくらいが関の山である。
だから私はこの郷土に結び付けられた連中に複雑な心情を抱いてきた。この地方の人間は、そんなに悪い連中ではないけど、都会に暮らす人間のようなバイタリティーは皆無だった。
どれ、新しいことをしよう、とか常に外部を取り入れながら混沌とした人間関係を築くようなことを連中はしなかった。彼らはただ単調に過ぎる日常と自分が戻るべき場所を好んだ。
私は連中にとって外部の人間であり、どんなに学内で仲良くなってお喋りしても彼らと学校の外で会うことはほとんど皆無だった。
彼らは私のような外部の人間を郷土の「集まり」に入れたがらなかった。もちろん外部の人間を頑なに入れないということはないだろうけど少なくとも私の気質は彼らにとって外部だった。 投稿してしまったが、あまりに赤裸々過ぎるし、直すところもたくさんあるなw
「皆無」を二回も遣ってしまった。 ちなみに会話文がないようだけど会話文の箇所は載せません。登場人物も載せません。物語がどのようなものかわからないような箇所を投稿させていただきました。 >>234
あの体験、というのは前半の、相手の顔が自分の顔のように見えた一件を指しているのでしょうか?
であれば強烈に濃厚で奇妙な体験にしないと5年後まで記憶しているのが不思議に思えてしまう気がしませんか。
主人公はただでさえ人の顔に違和感を覚えることの多い人物ですから、その中でも記憶に焼き付く相当な体験にならないと。
読んでいくと顔が変な風に見えてもちっとも嫌いにはならなかった、と断続的に同じ体験が続いている書きかたをしています。
その後にあの体験から五年経ったが、と個の事例を抜き出した思い出し方があってやや違和感。
幾何学模様、は同じ図形が複雑に連鎖した図を思わせます。
人間関係の平行線は、一定の距離を交わらずに保っているイメージがあり、ここもまた言い表しとしてどんなもんかなというところです。 >>233
うーん、なんか無駄が多いのと文脈の繋がりに違和感があるのが気になるな。どこがどう悪いとは具体的に言えないから、歯がゆいな。
ちなみに、おれが>>233を改変するとこうなる。ただの自己満足だからこれは無視していいよ
私は更に東京にいた時のことを思った。都会の生活は実に多くの驚きと発見に満ちていた。
ひとたび街に出かければ、四方八方から雑多な音に取り囲まれ、まるで置き去りにするかのように次々と通りすぎていくのだ。そして、それらの音の群れにはときおりスリリングなものがひそんでおり、私の胸を躍らせるようなことも様々あった。
刺激的な都会に比べると、今の生活は実に味気なかった。都会にあるはずのものがここにはなく、あるのは田舎特有の人と人との柵だけである。都会を大小の星々がきらめく銀河に例えるなら、ここはまさに「世間」という現実にあふれた地上といえよう。
都会にいたことを思い出してることから、今は田舎にいるものだと考えて文章作ってみた。 そもそも都会と田舎、という古き良き対立構図がねえ……うーん。
余程鋭い視点で語るか地方にインターネットの影響がどう及んでいるかとか
最先端の生々しい感じを出さないと、常識の範疇に収まって陳腐化してしまいますね。
地方都市の独特な空気を語るだけの方が読ませる力は楽に出るでしょう。 >>245
地方はまだまだ地方なりのしがらみがある。
確かにあらゆる情報が田舎にも回ってきてるし、ここも昔ほど閉鎖された空間ではない。しかし都会の人間にあって、この土地の人間に無いものがある。
逆もまたある。 読んでくれた方、ありがとうございます。
>>225
ありがとうございます。
やややや! 本当ですね! 不覚です。そのすぐあとにももう一個ややがあるし。
まぁネタです。
>>236
ありがとうございます。
最初は、公園にたどりついた時にはふたりとも服がボロボロになってるようなものを書きたかったんですが、五千字にこだわったので書けませんでした。
ピエロは、欅坂の道化師さんへのアレで、欅高のピエロだったんですが、しょーもなくてすみません。
アンニュイは、他からのネタとかではなくて、手抜き的にアンニュイ連発してしまって、結局キャラ崩壊したのでなんだかよくわかりませんね。反省です。
>>237
ありがとうございます。
大阪本町 糸屋の娘
姉は十六 妹が十四
諸国大名は 弓矢で殺す
ロム猫さんは 褒め殺す
楽しんでもらえたようで、よかったです! お手本にはとてもなりませんが、超短編の難しさを痛感しました。でも、喜んでもらえたならうれしいw
あ、あと、ロム猫先生の外見については完全なフィクションです。 いつの間に馴れ合いスレになったんだ、ここは
もっと殺伐としたスレでいい ☆創作発表板というのがあるらしい Part1☆
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1520490344/
創作発表板と文芸書籍サロンの人との交友スレです。
文芸書籍サロンに立てときました。 >>240
ほとんど独白というかエッセイ風なんですが、レスされている人もいるように
都会の喧騒とか、ありきたりな内容、よくある想いで終わっていて、
それ以上の読者を引き付ける個性というか、あえてそれを書く理由というか、何かが足りない気がします。 >>158
>アマチュア向けの方法論
アマチュア向けの方法論なんてないですよ。
読者が読み進めたくなる文章を書く上において、プロもアマもないです。
自分が楽しむだけで、他人に読ませるつもりがないならともかくとして、
ネットに投稿して読んでもらいたいって思うなら、どうせプロじゃないんだし、とか、
アマだからこれでいいとか言ってるうちは、まず上達しませんよ。
それに、文章が上達したいから酷評を求めてるはずなんで
アマだからそんなのいいやって考えなら、何のためにアドバイスのレスを欲しがるのかわかりません。 ありがとう、没にしたので新潮間に合わないかも。
百枚くらいで書いて出すとは思うが。 本来、こういうふうに、作家の考えをストレートに「これが私の主張」みたく一人称で書くよりかは
三人称にしてキャラの中の誰かにそれとなく語らせて
オブラートに包んだようにして描くと読みやすくなりそうに思いますよ。
表向きにストレートな内容や表現にするよりかは、一見、お話はコミカルだったり別物なんだけど
その裏にすごく社会風刺が込められてるとか
読み終えると、作者の言いたかったことが見えてくるという、そういうものが書けると、より良い気がします。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています