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講評。

5762文字。離別にまつわる慕情を書き表している。

>図書委員の結衣としては、本を読みながらおにぎりをかじる彼には注意をせざるを得なかった。でも、個人的には全然アリだと思っていた。

上記二文は、前件と後件の語り口に硬軟の差が大きい。
作品は人死を用いる災害ものであり、語り手が言葉の信頼性を損なえば、展開の真実味に重大な疵が残る。

さて、作者に対する前回課題では、作品を観る側へと与える情報効果に重点を置いた。
今回課題「災害、悲恋もの」においても指摘観点は同様である。

>渡されたウエットティッシュで手を拭ってから、膝に一旦置いていたおにぎりを両手で捧げ持ってラップを剥がす。おにぎりを支える指先の感触が軽い。固く握り締めていないのだろうか、米の粒が立っているように見えた。
>三角形の頭頂にかぶりつく。白米部分が舌に触ると、米一つ一つがほどけて口内に散らばっていくように感じた。それらが纏う塩加減がちょうどいい。しかし、おにぎりの成形がゆるすぎるということもなく、手の中で崩壊する心配もなさそうだ。急いで噛んで飲み込む。

上記文は、作者らしい感覚描写の細やかさが目を引くも、細密に過ぎる。
描写とは作中人物、或いは語り手の意識の焦点であって、恋情を主とするはずの文脈において、これほどまで食感をクローズアップする有意性は低い。
こうした描写をスケッチの如く愉しむのは作者の十八番であろうが、それにかまけて描出対象の濃度順位を転倒させれば物語の趣旨が変わり、
部分が全体を喰い散らかす状況ともなればもはや悪癖である。

>その後、どうなったのかわからない。気がついたら、結衣は固い板に真っ白なシーツが敷かれた上に寝かされていた。体のあちこちに包帯が巻かれていた。周りには自分と同じように横たわる人が多くいた。けれども、そこに遥斗はいなかった。
>別の病院に送られて、結衣は幸いにも家族と再会できた。そして一ヵ月後、病床から起き上がったとき、もう遥斗の葬儀は終わったのだと聞かされた。

表現が簡素に過ぎる。本来、むしろこの劇的なシーンを十分に描き、主役の立場に読者の移入を追いつかせねば、後に控える結末部が空疎な物となる。
小説の肝要の一つは、繁簡宜しきを得ることに有り、つまりはバランスなのである。

さらに言えば、津波になぎ倒されず残った桜に関する言及が無く、読者に「ベンチ付近から逃げなければ良かったのでは」と思わせかねない余地を残した点や、
自身は相手を名字で呼びながら「前から言おうと思ってたんだけど」「その、『松永君』ての、やめない?」と語る遥斗の不可解な態度など、端々に問題が見られた。
ただし、作者の食感描写の秀逸と、(成否はともかく)それを媒介に主役の追憶を描くという戦略のユニーク性、
期限を意識しつつ増加させた文量など、総合的な挑戦心を好しとし、課題は五割の達成と判定した。

指摘は以上。読者に対して何を何処まで描いて見せるか、どの部分を抑制するべきか、それら情報の塩梅を掌握し、感度の高い筆致は要所で活用する。これが作者の課題である。
次回主題として、「信頼できない語り手、復讐劇、3000字程度」を提示しておく。期限は三月六日とする。