今年も男のもとに長崎に住む高校時代の友人からカラスミが送られてきた。

 たがいに地元を離れ、それぞれの場所で暮らしている。
二十代の頃は連絡を取り合い、年に一二度帰省するたびに酒を酌み交わしていたが、
共に転勤を繰り返し、気がつけば北と南、気軽に遊びに行けるとは言えない距離に
まで離れてしまった間柄である。
 
 長崎ってなに有名なんだ? カステラとかカラスミとかハウステンボスじゃね?
 じゃあカラスミな。 ああ、後で送るわ。

 三年前、転勤になる際に携帯電話越しに交わした言葉がきっかけだった。
 珍味、何かの魚の卵を干したようなもの。
確かに食べたことはない。が、かといってカラスミを食べたいと強く願っているわけでもなく、
ありきたりな成り行き話で終わるはずだった。
 だが忘れた頃に突然友人から送られてきたカラスミに男は愕然とする。
珍味という認識は確かにあったが、それでも男は単に高級なたらこや辛し明太子の類似品と思っていた。
しかし大袈裟な木箱の中に鎮座する一はらの真空パックに、男の持つカラスミに対する価値観は
木っ端微塵に打ち砕かれる。
 早々友人宛てに無難な贈答用のビール詰め合わせと今住んでいる地域では割と有名な
日本酒を送り、その夜久しぶりに連絡を入れた??

 三度目なればカラスミの食し方もパターン化されてくる。
初めて口にしたときは日本酒を飲みながらだったが、ちょっとくせのあるチーズを思わせる濃厚さは
日本酒よりワインに合うのではと、二年目からは辛口の白ワインがテーブルに並ぶようになった。
 ご飯の上に乗るたらこほどの大きさで切り、ガスコンロで軽く炙ってちまちまとかじりながら
缶ビール二本を飲む。その後はコンロの上で温めたバターにおろしたカラスミを混ぜ、トーストした
フランスパンに塗りながら白ワインを飲む。付け合せは三杯酢をかけただけのレタスとハムのサラダ。
さらにはお気に入りのCDと雑誌、古本屋で100円で手に入る読みきりの漫画数冊が肴になる。
 カラスミ以外さほど高価なものはない。男にとっては贅沢品だが白ワインも一本980円の国産品だ。
しかしカラスミの存在が、午後に戯れる貴族にでもなったかの様に男を優雅な気持ちにしてくれる。
そして待ちに待った休日の今日がその日だった。

 新品のガスボンベと魚焼き網がセットされたカセットコンロ。切り分けられたフランスパンとカラスミ。
氷を張られた底の浅いボウルに佇む銀色の缶ビール二本とフルボトルの白ワイン。締めの一杯のための
お茶漬けの素と冷や飯。絶好調になった場合の予備のアルコールとスナック菓子。準備は万端である。
 取っ手の付いた二重底になっているタイプで食材にガス臭さが移ることはないが、なにかの儀式の
ように男は念入りに焼き網の位置と火加減を確認する。そして大ぶりに切られたべっ甲色のカラスミを
網の上に乗せ、焼き過ぎないように何度も何度も焼き目をひっくり返す。
 頃合を見て缶ビールを開ける。そして網の上のカラスミを直接手で取る。
熱と一緒になんとも言えぬむせ返るような、ある種の淫靡ささえ感じさせる匂いが漂う。大きく喉が鳴る。
しかし自ら罰を与えるように、手にしたカラスミをわざと鼻の前でとどめ、男はその余韻に浸る。
つばを何度も飲み込む。そしていよいよその時が来る。

 手にしたカラスミを舌先でなぶる。
皮と切り口の肉感の違いを、老獪な策士のような笑みを浮かべ楽しむ。口の中はすでに唾液であふれ
かえっている。そして缶ビールを左手に、満を持して男は力強くカラスミを噛み込んだ。

「!!!??っ」

 癖のあるチーズに似た、濃厚で芳醇な旨みが口いっぱいに広がるはずだった。
しかし男の口に響き渡ったのは、よもや頭蓋をも震わせる何かを砕く後味の悪い音だった。
 反射的にカラスミを吐き出し、舌先で歯を確認する。
折れたり欠けたりしたところはない。とりあえず胸を撫で下ろす。そして男は噛み切られたカラスミの断面を見る。

 至福の時から急転直下、ありえない現実に男は呆然とつぶやいた。

「カラスミから……炭?」