初めて露骨な差別を感じる場所が大学ではなかろうか?

海外なら人種差別的という深刻な問題はあるだろう。
しかし、日本だって努力や正しい行いではどうにもならない差別がある。
それを目の当たりにするのが大学辺りからだろう。

社会人になっても差別やヒエラルキーはあるが、大人としての信じられるルールはある。

ところが大学時代は独特なルールがある。
好きか嫌いか、力があるかないか、仲間がいるかいないか、この人に逆らうと面倒か、この人は裏切っても大丈夫か、etc

そういう微妙なバランスが大学生にはある。
まだ大人になりきれない人間の醜い序列がある。
大学生たちはその先でもやっていけるかどうかを見極める。
無理と感じた人は身の丈に合った世界を死に物狂いで探す。
まだまだいけると感じた学生は、差別や序列の戦いを続け更なるステージへあがる。

私はその競争をどこで降りてしまったかな、もう忘れたよ。
本来なら雨宮天も心が醜い勝者が抱いていたのだろう。

私の幸せは醜い競争を回避出来ただけの結果。
決して、私の実力などではない。
それだけは忘れない。
アウディのハンドリングと雨宮天へのハンドテクニック
死ぬまで離しはしない。ふふ