かつての道徳の時間について皆の意見聞きたい
昔は道徳の授業を信じていた。
大人になって、成果・数字のみが人間の要不要を分けている全てだと感じる。
最初の教育から法の抜け道を探して人を蹴落として支配する教育をしていくほうが、潜在的に道徳心を持つ人間が不幸にならなくて済むのではないか?
道徳の授業をするのは支配層が被支配層からの革命を起こさないようにするための無意識下の洗脳ではないのか?
と考える。
初めて掲示板を利用するので書き込む場所が違かったら申し訳ない。
意見を聞かせてほしい。 道徳いらんわ
いじめられっこ量産するだけ
道徳で縛られると、道徳で縛られてないものに蹂躙される ひろゆきが「本当に"頭"が貧相だなと思う」今どきの人物 日本の道徳教育を真に受ける人
https://president.jp/articles/-/51560
現実の世の中では「悪い人」がいます。
学校だって、クラスメートに暴力で脅おどされて、お金をせびられ続ける子どもがいる。
そのような人たちの存在を無視している道徳教育は、適切な教えをしているとはとても思えません。
道徳の授業でも「悪い人」が存在することを前提にすべきです。 中学の頃、俺をいじめてた奴が、
おじいちゃんの末期がんと老人ホームを題材にした作文で賞を取った
そして、そいつは優しい奴、真面目な奴みたいな評価を得てた
なんか虚しかった