言うまでもなく、厳格審査は、二重の基準論を背景に提唱されている審査基準のひとつである。
(表現の自由を中心とした)精神的自由権と経済的自由権を、価値的あるいは機能的に区別し、
前者を「優越的人権」とおいて、それに対する規制立法を裁判所の「厳格審査」に付すことにより、
より厚く保護するが、他方、経済的自由権に対する規制については「合理性の審査」が妥当し、
結果として広い立法裁量が承認される、というのが厳格審査論の背景的発想である。

ただし、経済規制については、規制目的が消極的か積極的かで処理が異なるとされ、
前者に立つ規制については、「厳格な合理性の審査」が妥当するというヴァリエーションを生んだ。
大胆に整理すると、@厳格審査とは、表現の自由に対する規制を主要対象とするもので、
この審査基準では、まず、立法目的の高度の正当性が問われ、次に、立法目的を達成するのに
必要最小限度の規制手段が採用されているかどうかが検討される、
A厳格な合理性の審査 (中間基準)とは、経済的自由権に対する消極規制を主要対象とし、
まず、立法目的の正当性が、次いで、立法目的と規制手段の間に「合理的関連性」に加え
「事実上の実質的関連性」があるか否かが検討され、さらに、立法目的を達成し得る「より制限的
でない代替手段 」が存在するか否かが問われる(LRAの基準)、
B合理性の審査は、経済的自由権に対する積極規制を主要対象とするもので、立法目的と
規制手段の双方で立法府の裁量が広く認められ、規制が著しく不合理であることが明白な場合に
限って違憲とされる(明白性の原則)……という3 つの基準が存在している。

このようにわが国の違憲審査基準論は、二重の基準論を下敷きにして、上記@からBの三種の基準論
として展開してきた(これら三つの審査基準が差配するものには、上記の他に、合憲性・違憲性の推定
と立法事実の検証がある。正当化事由の論証は、「一応違憲」の評価を前提とするので、
合憲性の推定の成立する余地はないし、立法事実の存在の推定も成立しない)。