論理的思考力を鍛えよう Part1
【論理力テスト】次の文章は正しいようで実は論理的に間違っています。どこがどうおかしいか貴方は説明できますか→「何度学校を変わってもいじめられるのは、いじめられる側に原因がある証拠だ」…答えは「感情自己責任論」で検索 >>32
だいぶ前の書き込みだが
具体例をあげて欲しいです
でないと、よくわかりません >>743
読んではみたが、どうやら筆者は「原因」と「権利」をなにか混同しているように見受けられる。
また、論理と倫理を混同している可能性もある。
そこで言う「原因」とは何を指すのかをきちんと定義しなければ、論理的な話題としては
稚拙で徒労に終始すると思う。 そもそも因果関係にない。
仮に関係あるとしても検証するほど起こらないため決めつけられない。
まして、同じ環境にいても違うことを考える人間の話で、原因も糞もあるか。
「そいつがそうだった」とか「運がなかったな」とかで片付けろ。 ランタイハンと一言言ってくれ。
後は、ランタイハンって何だと?ネットで拡散するだろう。
そのきっかけを作る為に、ランタイハンという言葉を出すべき。 >>746
相関があるかどうかもわからないものかな。 > 同じ環境にいても違うことを考える人間の話で、原因も糞もあるか。
もしかして、「喧嘩になったのはAがBをぶん殴ったのが原因」てのも
認めないのか? 論理的思考力が高ければ、他人の言葉を聞いたときの理解度も高くなりますか?
それと、論理的思考力を完全に欠如した人が他人の言葉を理解することって可能ですか?
「論理的思考力=理解力」というふうに置き換えることってできますか?
「言語は論理的である」などと言っても問題ないでしょうか? >>750
「論理的」ってのをどのようなものだと理解しているの
「論理的思考力=理解力」とするなら、論理的には飛躍しているが経験から直感的に正しい理解に辿り着くような類のものは論理的思考力ではないから理解力ではないことになるけど、違和感はない?
また「あらゆる言語が論理的である」とするなら、「論理的でない言語は存在しない」、また「論理的でないものは言語ではない」いうようなことになるけど、反例は思い浮かばない?
何にせよ「論理的」あるいは「論理的思考力」をそちらがどう捉えるかで回答が変わってくる >>751
>「論理的」ってのをどのようなものだと理解しているの
「論理的」という言葉の意味とか概念がよくわかりません。
>「論理的思考力=理解力」とするなら、論理的には飛躍しているが経験から直感的に正しい理解に辿り着くような類のものは論理的思考力ではないから理解力ではないことになるけど、違和感はない?
確かに違和感があります。「論理的思考力=理解力」というのは違うみたいですね。
>また「あらゆる言語が論理的である」とするなら、「論理的でない言語は存在しない」、また「論理的でないものは言語ではない」いうようなことになるけど、反例は思い浮かばない?
特に思い浮かびません。反例を提示していただけると助かります。
>何にせよ「論理的」あるいは「論理的思考力」をそちらがどう捉えるかで回答が変わってくる
「論理的」あるいは「論理的思考力」という言葉に厳密な定義はないのですか?
もしあればその定義に基づいて>>750に回答してもらいたいです。 > 「論理的思考力=理解力」とするなら、論理的には飛躍しているが経験から
> 直感的に正しい理解に辿り着くような類のものは論理的思考力ではないから理解力ではないことになるけど、違和感はない?
違和感を感じるのは、これは理解力の定義であって、論理的思考力の定義ではない、というところだな。 > 「論理的」あるいは「論理的思考力」という言葉に厳密な定義はないのですか?
厳密な定義をした上で、論を展開することは可能だし
少なくとも論を展開するに必要なだけの定義はしなければならない。
通常は「どう捉えることが正しいか」ではなくて「どのように捉えた場合どうなるのか」を考える
論理的思考そのものもそのようになされるもの
そのあたりの理解が足りていないひとに、違う立場(違う捉え方)から反論をする傾向が見られるが
本来それは反論に当たらす、定義をより厳密にする必要があるという提言にすぎない。
そして、論をより強固にするためにいつでも定義を変更することができる。 数学は、論理的思考を養うという意味では、うってつけの
学問なんですよね。 >>97
>討論に勝つ方法、日本版
>
>・本題と関係ないことを問題視する
>・論ではなく人格を攻撃する
>・定量的な比較をせず感情に訴える
>・最後に発言したほうが偉い
確かにそういう風潮はあるけど指摘されたら負けだよね 最近渡辺パコ氏の論理力を鍛えるトレーニングブックを入手して
ここへ辿り着きました。ええ、素人です。
この本で勉強したら自分の中で何かが劇的に変わるものでしょうか。 推論:こうするからこうなる。ゆえにああなる。
こうする→こうなる
に整合性があるのか。
整合性を判断するのは知識、体験、研究、歴史といった「情報」。
情報がないとそれを判断できないし論理的に説明されてもわかるはずがない。 とても簡単なネットで稼げる情報とか
暇な人は見てみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
TAEPY 確実にどんな人でも可能な確実稼げるガイダンス
参考までに書いておきます
いいことありますよおに『羽山のサユレイザ』とはとは
9VV >>137
高校に詰め込んでるから習熟出来てないんじゃね
一番いいのは高校の数学を少し減らして大学に回すことだと思う 論理的思考力はインテリと看做される素養だと思うけど、それはレスポンスが早いという意味であって、社交でしか役立たんだろ
まあちゃんと論理を使えるより社交の方が重要な社会だけどな
道具としての論理はとても有意義だと思う、計算に10分かかるんで前述の利点はないけど、論理的思考力は設計や計画立案には役立たずだしな ところで「チンポがシコシコする」という日本語表現は、学術的に正しいと言えるのか?
チンポ「を」シコシコするのではなくて、チンポ「が」シコシコする。この場合、「チンポ」は主語となる。
オブジェクト指向で言う「集約」は2種類あって、全体(俺)と部分(チンポ)が繋がっている場合と、
全体(俺)と部分(チンポ)が別々になっている場合とが考えられる。けれども「チンポ」はそれ自体
が独立した生き物であり、所有者の意思とは無関係に、自ら勃起して「シコシコする」。
例えば寝てる時にエロい夢みて朝起きてみたらチンコが勃起して射精してたとか。
違うか?
「胸がドキドキする」は良いが、「チンポがシコシコする」はダメな理由を、50字以内で述べろ! 論理的思考力って飛躍が無い思考を実践できる能力じゃね? >>777
チンポは独立した自我が存在して、チンポ【が】シコシコする 『シコシコ』という擬音はどうでもよい。問題は、
自我 チンポ
↑ ↑ チンポ=自我
チンポ 自我
オブジェクト指向では、この三種類が考えられるということだ。
>チンポ=自我
散歩している時、自分もチンポも所在地は同一である。
https://i.imgur.com/4XhBmP3.jpg
https://i.imgur.com/PPFJZqI.jpg
夏目くんの場合は、チンポが自我を圧倒し、体が自然に滝川さんの股間に近づいていったのだ。
『笑ってごまかすな!!』
と言われても、夏目くんは何と言えば良かったのだろう?
チンポ≫自我
『チンポが自我を超えてしまった』を簡略化して、チンポがシコシコする!
チンポがシコシコしていると(チンポが自我を超越していると)、息もハァハァになる。
チンポがシコシコしている(チンポが自我を超越している)と、顔もアヘ顔になる。
つまりその顔は『チンポの一部』つまりチンポの皮と同じということ。
博士号の肩書きがあっても、STAP細胞のそれは間違いであり科学者として失格。
チンポと自我の関係について、それが間違いということなら、俺も科学者を自称するのを止めよう。
しかしながらあの夏目くんは、笑ってごまかす以外に何と申し上げたら良かったのか。 名前忘れたけど何とかの不定原理ってやつかな、
なんか数学の一つ一つの証明は原理から派生していてなお数学によってその原理を担保することはできないみたいなの。
現象に数式とか演鐸的に定理を当てはめたらたまたま現実の全ての理にかなってなお、それを応用できて新しい物が作れてるみたいな話、高校の時何言っとるんやって思ってたけどなぜか今は好き。