論理的思考力を鍛えよう Part1
なぜ論理的思考力が必要か?
どうすれば論理的思考力が鍛えられるのか?
議論しましょう。
このスレを見た人が論理的思考力を鍛えて、日常生活や仕事に役立ててくれることがスレ主の願いです。 >>34
自分の書き方が悪かったなら謝りますが、自分は
>『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』の定義は「論理的思考力」である
と言ったつもりはありません。論理的思考力の定義が論理的思考をする能力であるというつもりで書きました。
まず
「循環定義 論理学」で検索したところ
定義されるべき名辞が、これと同語か同じ意味の語によって定義されること。
とありました。
被定義項である論理的思考力の「力」の部分について、この場合について言えば、腕力や権力とかではなく
能力という意味で使われてることになります。
つまり論理的思考「力(能力)」です
検索した意味は>>19で言いましたが論理学の本にあった
『管理社会とは人々を管理する社会のことである』
『独裁政治とは独裁者による政治である』
と一致しこれらは循環定義になります
管理社会を、管理と社会に分解しても、
独裁政治を独裁者と政治に分解して
別のものになっても循環定義として成立してます。
ゆえに、あなたの言った
>論理的思考力 と 論理的思考 と 能力 は それぞれ別のものですから
自分自身を含まず、よって循環にはなっていません。
は成立しません。
管理社会と独裁政治の例が循環定義として成立するのならば
論理的思考力〜についても成立します。 間違えました
>>39の訂正
>『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』 は「論理的思考力」の定義ではありません。
と言ってるから
正しくは
自分は
>「論理的思考力」の定義は
『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』である
と言ったつもりはありません
でした。 >>34
1、『管理社会とは人々を管理する社会のことである』
2、『独裁政治とは独裁者による政治である』
3、『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』
3が循環定義でないと言うのなら循環定義である1、2と
3との差異について指摘してもらいたいです。
1、2について、もしあなたが循環定義と認めないならば
それはあなたが片方の循環定義しか知らなかったということになりませんか? スレを立てた1が来なくて盛り上がらないからケンカばかりしてるぞ >>39
まず確認しておきたいことがあります。
>>39-40,42の「循環定義」についてですが、
A) 循環定義には2種類あって
ひとつは「AはBである」「BはAである」型の、推移の結果循環を起こすもの
もうひとつは「AはAである」型の、その文内で循環を起こしているもの
B) 定義A:『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』は、先の「AはAである」型の
循環定義である
C)『論理的思考力』は定義を必要とぜず『論理的思考をする能力』と等しい。
D)一般に『○○力』は定義を必要とぜず『○○をする能力』と等しい。
以上のA)-D)の主張であると解釈してよろしいのでしょうか?
また、以下のどの立ち位置での意見でしょうか?
i) 用語「循環定義」の定義はただひとつであり、そちらの主張する流儀のみが正しい。
ii) 用語「循環定義」の定義は流儀により異なるが、このスレではそちらの流儀に統一する必要がある。
iii) 用語「循環定義」の定義は流儀により異なる。 そして他の流儀の解釈に興味がある。
いかがでしょうか。
>>45の続き (45の名前欄に942とありますが、入力ミスです気にしないでください)
>>40 については発言の意図がわかりません
『論理的思考力とは論理的思考をする能力である』 とは 「論理的思考力」の
定義をしている文だとの主張なのですよね?
>>42 についてはこちらの流儀では1、2、3共に分解をしただけで、どれも循環定義にはあたりません。
「片方の循環定義」というのが、先の「AはAである」型のことでしたら、それを循環定義と捉える流儀が
あることは既知でしたが、「ABはAのBである」を「AはAである」と他の定義なしで同型とみなす
流儀があるのは知りませんでした。
私としては用語にも複数の系があることは承知の上で、どちらも循環定義だという側が、
両者を区別できたうえでそう言っているようなので、あえて両者を混同させるようなことを避け
推移循環定義と自己循環定義とでも言い分ければ、今後の論議には特に問題はないと考えるのですが。 >>32
同値関係(=)だけでなく包括関係(⊂、⊃)についても考慮すると
より興味深い結果になると思います。 >>45-46
もう読んでもわけがわからなくなってきてます。
もう降参です。
失礼なこと言いました。すみません。 物事を=で結ぶ同値関係だけでも
反射率、推移律、対象律をそれぞれ満たすのか満たさないのかなど
けっこうややこしい話があるよね。
論理包含や必要・十分条件あたりになると、
理解できていないのか、的はずれな論議をするひともよく見かける 同値関係に対して無批判に推移律を導入する論議もよく見る 論理的思考についての話題を誤解なく伝えるのには論理学の用語が便利だからあるていどは致し方ない。
論理学についての知識があるなしにかかわらず
論理的思考の持ち主ならば、論理学の初歩にあたるような推論規則は
常識として持ち合わせていたり、そうでなくてもたやすく理解できると思う。
もちろん、わからない場合はたずねていただければ最低限の説明などは出来ると思うし
論理学の学問的スレと言うわけではないのだから、多少の誤解は恐れずに卑近な例など交えての
話などもアリということでいいのではないか。 「はい論破w」
って言っているガキが多すぎる
全然理論的ではないのに 日本人は討論ができないと言われるが「はい、論破」はその典型だな。
論理や話し合いの目的は相手を論破することではない。話題を高めることだ。
片方が適当なことを言えば、結果的に論破という形にはなるが、論破を目指すのは本末転倒だよ。
「はい、論破」は話し合いをするつもりがないから出る言葉だ。 論破というガキ:
テレビ新聞を見ても、政治を見ても、そんな論理的でない大人たちばかりが
まかり通っているのだからしかたあるまい。
子供は大人を見て育つものだよ。 論理的思考力を身に付けてれば上手く仕事も出来るようになると思う。
自分の意見と相手の意見が異なるときに、なぜ相手はそう考えるのか、ほんとに相手の考えは合っているのか
そして自分の意見や考えも合っているのかを話し合うのが議論だと思う。
これをするにはお互いに論理的な思考力がないと出来ないと思う。
「はい論破w」坊は自分の意見を相手に押し付けているだけか、相手の話を聞く気が全くない。
長文ゴメン。 仕事てのは理屈くさいのが一番嫌いだというような取引相手と
一緒にやらないといけない時もあるから一概には言えんな。
そういう相手は、いくら論理的な間違いを指摘しても、
相手はそれを理解する気もないという、常識も土俵も違う世界。
しかしまあそういう相手ならこちらも 「理屈じゃねーんだよ」モードで行けばナントカなったりするんだが
必要条件十分条件の違いも分からんくせに頓珍漢な理屈だけは言ってくる相手が一番困るわな。
全体の傾向の話をしている時に、個々の事例で反論してこられるのも困る。
検定をした気配のない抽出サンプルや、とてもじゃないがランダムに抽出したと思えないサンプルで傾向を語られるのも。
たぶん統計がわかってない。 >>60
あそこの論理スレは、互いの論を検証しあうスレではなく
互いの人格を否定しあうスレだからな 論と人格をセットで考える人は多いね。討論中に人格を否定することに熱中する。
たぶん人格を否定すれば論も否定できたと思っているんだろうな。
数学板では論理学を馬鹿にする人はまずいない
論理学って数学的な学問だから偏見があるかないかの差かな。と思ってる 数学板では、馬鹿にするというより
論理学の数学でない部分に興味が無いという感じかな 馬鹿が人格への攻撃を始めると、まわりは馬鹿に気づき論議は無駄なので相手にしなくなってしまう
馬鹿はそれを相手が黙ってしまったのでぐうの音も出ないまでに論破したのだと勘違いしますます調子に乗る
やがて馬鹿の相手をするのは馬鹿だけになってしまうのだが馬鹿はそれに気付くことはない
だれもが馬鹿を相手にしなくなればそういうことは起こらないのだが、なにぶん馬鹿が多いのでそうはならない
どころかいまや馬鹿を承知で大きな声をはり上げる商売までも存在する
ネットだけでなく、政治も、マスコミも、いまだいたいそのあたり
多様性という視点から物事を見るとすると、どのような事柄を必ず重要となってきますか? >>69
これからの時代は多様性に可能性がある。
って聞いたから 何の多様性? 価値観? 文化? 生態?
どんな可能性? 発展? 生き残り?
質問にしろ自分の意見にしろなにしろもうすこし具体的に。
でなければせめて参考URLでも >>68
> どのような事柄を必ず重要となってきますか
どのような事柄が必ず重要となってきますか
どのような事柄を必ず重要としなければなりませんか
どっち? 頭の良さが極端に違うと会話が成り立たないって言うじゃん?
それを真に受けてる厨二病ってけっこういそうだよね 間違いではない。
ただ、それで「周りと話が合わない。周りが馬鹿だからだ」は勘違いだ。
頭が良い人が悪い人に話そうとすれば、頭が悪い人向けにかみ砕いて話せるからな。
話そうとしても話にならない場合は、
「自分が悪く、相手は良いが相手はこちらと話す気がない」か「どちらも悪い」だ。 話す気があって噛み砕いて話しても通じないことがよくある。
話そうとはしてるんだろうが、なにを聞けばいいのかすらよくわかっていないらしい。
論理的な話になるとマトモな会話が成り立たないほど言語能力が低いのがいるわな。
なにか一言二言話すたびに、それってこういうこと?と数例選択候補を上げて確認しないと
相手の言いたいことが通じない。
かといって向こうも考えてないわけではなく、伝えるだけの語彙がないらしい。
語彙がないてのも誤解を受けそうだな。 こちらが確認のために言った言葉はわかるようなので
単なる言葉を知らないというわけではなく、自分の言いたい事のためにうまく利用できないみたい。 「鍛えよう」って言ってんだから、できてないひとの話は参考になるだろうよ。
自分の臭さを測定する道具ってないでしょうか?
社会人だけど2週間お風呂はいらない生活を維持したいけど
汗臭いと思われたら嫌だし、困ってます 仮に臭さを測定する道具があったとしても
2週間お風呂にはいらないのなら意味ないのでは 「気づかなければ、反応しようもない」だろ。
朝にメーターでボーダーラインを超えたらシャワー浴びるって感じじゃないの?
人間の感覚は適当だから、実際に風呂入っているかどうかより自分が気にするかどうかだし。 ネットで討論をするときには、ひとつ誤字を入れておくと
本題の話をしたいひとと、ただケチを付けたいだけの馬鹿を
容易に区別できて便利
ケチをつけたい人は誤字に食らいついて、議論せずに騒ぐ。
2chなら「低学歴」、政治板なら「工作員」と決めつけられて会話にならない。 >>92
>ひとつ誤字を入れておく
勉強になりました >>90
シャワー浴びていいって前提なら困ることないんでないの。
>>88は
>社会人だけど2週間お風呂はいらない生活を維持したい
だから困っている。 これからは暑くなってくし、2日くらいに一回は入ったほういいんじゃないかな
それが嫌なら
汗臭いと思われても気にしないようにする。
または、香水とかでごまかす 討論に勝つ方法、日本版
・本題と関係ないことを問題視する
・論ではなく人格を攻撃する
・定量的な比較をせず感情に訴える
・最後に発言したほうが偉い なぜ風呂に入りたくないのかの理由がわからないので的確なアドバイスになるかどうかがわからないが
毎日濡れタオルで全身をよくふくだけでかなり改善できると思う。
汗臭いと思われるのが嫌なのだから、極寒の地に転勤願いを出せばいい。 >>15
なぜそれを見ると論理的思考に興味をもたれると思うんですか? >>100
これは短文からわかることを色々、推理してく推理小説。多少の論理の飛躍はあるけど
根拠は筋が通っていて面白いし論理的思考に興味持つと思う
作品では、
『九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ』
この文からです
推論1
話し手はうんざりしてる
推論2
彼は雨が降ることを予想してなかった
推論3
話し手はスポーツマンや戸外活動家ではない
推論4
話し手の意図は気まぐれでないということ、つまり彼は実際に自分で歩いてみた体験を語っている
推論5
話し手が歩いたのは夜中か早朝。12時から朝の5時か6時までのあいだ
推論6
彼はある町から外へ出たのではなく、町に向かって歩いてきた
推論7
九マイルというのは正確な数字を表してる
推論8
彼があるはっきりした目的地に向かっていたこと、しかも一定時間までにそこへ到着しなければならなかった
根拠を全部書くのは大変だから推論7だけ書く。
興味があったら本を読んでみてください。
推論7の根拠
仮に十マイル歩いたとか、車で百マイル走ったという表現なら、
実際は八マイルから十二マイルぐらい歩いたとか、
九十マイルから百十マイルぐらいの距離を走ったという意味に解釈していいだろう。
言いかえれば、十とか百というのはおおよその数字だ。正確に十マイル歩いたかもしれないが、約十マイル歩いたという意味にもとれる。 だが九マイルというときは、それが正確な数字だと考えてまずまちがいないだろう。 ちなみに>>16は
ミステリー板にあるスレで
出された問題に回答者がこの小説と同じ感じで論理的に推理するもの こういう場合の論理的 というのは
その可能性がある/高い、といった意味だと思うんだが
その可能性が他の可能性に比べて高いのか、また高いとしたらどのくらいなのかを
定量的に考えるような事例を見たことが無いんだけど、そういう例ってあるのかな?
先の推論を8個も重ねたのを例にすると、それぞれの推論が当たっている確率が
仮に8割だとしても、最終的な像全てが当たっている確率は8割の8乗である
17%弱にしかならない。
各々の確率が9割まであがったとしても、最終的な正解の確率は43%、つまり半分も当たらない。
推理小説などを読んでいると、見事な推論を積み重ね犯人を的中なんてシーンが多々あるが
事件を9割解決するためには、8個の推論のそれぞれは98%強の確率で当たっていなければならない。
しかし、小説を読んでいると、とてもじゃないがそれ以外の確率が1%を切ることはないだろう
とおもわれるような推論も多々登場する。
もしかすると名探偵は、数々の難事件を解決する裏で、それをはるかに超える未解決事件を抱えているのだろうか?
〉〉101
よくそんな推論が思いつくね。
どのような手段でその推論を導いてるの?
なにか法則やテクニックなどあればぜひご教示願いたい。 >>103
>定量的に考えるような事例
いいのが思い付かないので、自分の拙い推理で申し訳ないが
ある時ミステリー板で空き巣に入られたという人(Aさんとする)の書き込みがあった。
Aさんに話を聞いてみると、午後7時ころに出かけて深夜12時ころに帰宅して
空き巣に入られた事に気づいたとのこと
ここで自分の推理です。
・推理
犯人がAさんの部屋に侵入したのは午後7〜9時台だろうということ
・根拠
もし午後10〜12時台でAさんの家の電気が消えていて、犯人がそれを見たなら
犯人はこう思うはず
『きっと寝てるから電気が消えてるんだろう。入ったら返り討ちにあうかも』と
午後7〜9時台に犯人がAさんの家のあたりを通ったならこう思うだろう。
『きっとまだ仕事とかから帰って来てないんだな。入ってみよう』と
犯人からすれば
電気が消えていた場合その部屋の人間に会う確率は
午後10〜12時台よりも
午後7〜9時台のほうが低いだろうと考えたのではないか
したがって午後7〜9時台であろう
自分なりに論理的に考えた結果です。これはあなたが求めてたような例ですか?
8個の推論がすべて正しい可能性が高くないのは仕方がない。帰納推理だからね。
観察や分析によって当たる確率を高めるやり方だから。
>名探偵は、数々の難事件を解決する裏で、それをはるかに超える未解決事件を抱えているのだろうか?
そうだと思う。論理的な推理をするシャーロックホームズの小説にもそういうこと書いてた(フィクションだけどw) >>104
101のは自分の推理じゃなくて
小説からの引用。
ミステリー板にはこういう推理する人結構います
手段と言われても…
自分は論理学を勉強したり数学関連の本を読んだり、特に論理を重視した推理小説を読んだりするぐらいです
こんな本も出てます↓
シャーロック・ホームズの推理学 (講談社現代新書)
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4061489224/ref=mem_taf_books_d?qid=1340536669&sr=1-1&uid=NULLGWDOCOMO >>103
申し訳ない
具体的な数字の出し方はよくわからん
ただ
午後10〜12時台
と
午後7〜9時台
について蓋然性を比較すれば
・午後7〜9時台
のほうが高いんじゃないかなって事しか言えない。 >名探偵は、数々の難事件を解決する裏で、それをはるかに超える未解決事件を抱えているのだろうか?
そのような考え方でいけば、偶然よくあたっていた事件のみが題材にされているということだろう。
ただし、この「偶然当たる」が他の探偵よりもよく当たるかどうかを定量的に比較する方法は存在する。
統計学がそれ。
高校範囲を超える数学を学んでいない人間の
「論理的な話」は信用出来ない 同意。個人的には、悪いんだけど、高専レベルの人もアウト。学士の人と比べて知性が無いんだわ。 社会科学、人文科学という言葉に疑問を感じる。
ろくに定量化もせず、統計すらろくに使わずに、どのあたりが「科学」なのか?
もちろんきちんとやっているヒトもいないわけではないが) >>111
「高専レベル」とは具体的にはどのあたりを指すのか? 文部科学省が定めた範囲に情報科学を付け足した感じだろ。
客観的に「ここからここまで」というものはない。
>111のいう「高専はアウト」は>111が思う高専だな。共通した範囲は高専にはない。
たいていの高専は文部科学省の通達に情報科学を足す程度なので一行目になる。 うだうだと重箱の隅をつついてるような奴は
実際の仕事においては全く使い物にならない
この命題は真だろうか?
お前たちはどう思う? 「仕事内容による」が答えだ。
YES/NOの答えがほしいなら仕事内容を具体的に書かないといけない。 一般の話をしているわけだから反例がある以上 単に偽 で十分。
命題の真偽を問うているのに新たに前提を設ける必要など無い。
論理的には例外が一件でもあれば命題は偽。
>>117が言うのは現実的実用的と言う意味では間違っていないが論理的ではない。 現実の議論でも論題から外れたとこであれこれ言い出すのっているわな。
>>116のような命題の真偽は
対偶を考えるとすんなり理解できる場合が多い
今回の例でいうと
たとえどんな仕事でも実際の仕事においてほんの少しでも使えるところのある奴には
うだうだと重箱の隅をつつくようなやつはただの一人も存在しない
こう書きなおしてみると、「いや、ひとりくらいいるんじゃないか?」
「重箱の隅をつつくのが仕事っての、あるんじゃないか?」などと
反例を思いつきやすい よく言われるが、論理的には間違っていることが多い表現
〜にかぎって〜をする(しない)
例)
うちの子に限ってそんなことはしない。
頭のいいやつに限って、この問題は間違う。
うちの子だけ特にそんなことはしない。
よその子は例外なくする。
つまり、よその子にひとりでもしない子がいる場合は偽。
おなじく、頭の悪い奴にも同じ問題を間違えるやつはいる。
「その傾向が強い」程度の意味を限定し断言することで
語気は強まるが、正しい表現ではなくなる。
論理的というより、たんに日本語的に間違ってるだけかと。
傾向を示す表現だから、
〜に限って〜になりやすい、みたいによく使われるよな。 日本語を常用する人の中で特に誤解をされることなく意図が伝わるのだから
日本語的には間違っていないだろう。
日常語の中で「Aに限ってBだ」と言われて、それを
「AでないものならばBであることはありえない」や「BならばAである」と
同じ意味に理解をするひとは少数だと思うがどうか。 「頭の良い奴に限って間違う」というのは
単純に傾向の話と片付けてしまうのはちょっと違うんじゃないか。
「頭の良いひとが頭の悪い人に比べてその問題の正答率が下がる」
というのであれば頭の良い人の傾向の話だろうが
先の表現は「頭の良い人においてもこれはよく間違う」という
頭の悪い人はもちろん間違うようなときにも使われる。
つまり実際にその文が意味するところは、「頭の良い人に限る」のではなくて
「その手の問題に限って、頭の良い人でも間違う」というところではないだろうか? >>115
高専の数学の内容に文科省の通達があるのか? 語気を強めるための表現が、本来の意味とは異なってしまっても気にしないところが
日本語の論議に向かないと言われる理由の一つになっている
傾向の話に個別の事例で反論とか
検定も通していない傾向の話とか
無作為抽出ではないサンプルで傾向を語るとか
大学で数学を学んでいない奴は基本すらわかっていない 授業内容は各校任せだが、統一試験が「文科省の高校範囲プラスα」だね。
αのほうが多いところがギャグというか普通の高校から見て「高専難しい」と言われる理由か。 +αならまだいいだろう
普通科の半数以上は3Cは学ばず、2Bすら学ばないのも結構な割合でいるのだから。
高校範囲の全体どころか半分すら学んでいないのがいるってことだよ。 マジかー。ってか欧米ならありえないな、それ。
ここ10年以上、日本が理数は当然、教育で遅れをとっているわけだ。 高校生の数学に関しては遅れはとっていない
たとえば欧米の多くの国では高校範囲で微積分などの
難しい数学は扱わない。
高校までの数学の内容は日本のほうがかなり多い。
大半の高校で2複素数も三角関数も必修になっている。
大学でのとなると話は逆転する。 欧米の多くの大学では
社会科学・人文科学の学部学科関係なく数学が必修だ
一方日本の大学では、最難関と言われる大学でも
文系学部で数学を必修としている大学・学部は数えるほどしかない。
欧米ではそもそも「文系」などという学部分けが無い。
数学もわからないようなのが大卒を名乗れるのは日本だけということだね。
微分方程式も知らずにどうやって経済学を修めたのか
統計も知らずに社会学の何を学んだのか、ぜひ知りたいよ。
日本は高校で数学学ぶから大学で学ばないってどけじゃん