>>301
おそらく著者は、正しく論理的な思考ができていないと、その「悪い例」という
違和感の正体が、推論過程の論理的な間違いなのか、それとも仮定に間違いが
あったのかの区別がつかないと言いたいのではないだろうか?

後者であれば仮定に間違いがあった(いわゆる背理法)と言えるだろう。

もちろん背理法を導入できる程度には論理が公理化されていなくてはならないが
(素朴論理のように無批判に導入をしては思わぬ結果を招くかもしれない)
それができていれば、事実として正しくないが論理的に正しい結果を役に立てる
ことができる(かもしれない)。

>>302
例のような単純な条件ならばたいした問題ではないが
実際の運用では、必要条件を見つけ出すのは結構大変だったりする。
数学を例にすると揉める原因になりかねないので、英語を例にすれば
「ビジネスで成功するには英語の習得が必要だ」と言うのは簡単だが
たったひとりでも英語を知らない人が成功していたら、それは「必要条件」では
ないことになる。
ただし日常語というのは恐ろしいもので、たった一人どころか、何人もの例外が
あるようなものを「必要条件」だと平気で言ってのける場合がある。
こうなってしまうと手に負えない。誰もが正しく用語を扱うことができるわけではない。