論理的思考力を鍛えよう Part1
なぜ論理的思考力が必要か?
どうすれば論理的思考力が鍛えられるのか?
議論しましょう。
このスレを見た人が論理的思考力を鍛えて、日常生活や仕事に役立ててくれることがスレ主の願いです。 統計≒社会調査だと思ってる人もいるくらいだから
誤解しても しかたないかもね。 数学や論理学が、他の学問や論議の何に役に立つのかよくわからないというひとは
それらを学習し理解するときに、なにか具体例を考えたと思うけれども
実際に数学や論理学がしたことは、それらの具体例を超えて一般化したのだと
そして、そのことにこそ意味があるのだということに着目して、もういちど
考えなおしてみると良いと思う。
もしかして中学の数学が学年に合わせて中学数学123とあり
高校の数学が 高校数学1A2B3Cと 順にあるように
大学の数学が 大学数学12〜 てな感じで順番にあると思っている人がいるのかな? >>242
なるほどやっぱ特に必要なかったようだね >>244
大学の数学の授業を受ける必要があるの?
→大学の数学が必要ないだと!!
大学の数学の授業って必要なくね?大学の数学は適宜学べば良いじゃん
→大学の数学の授業で学ばないと数学じゃないだと!!
何この論理的思考力の無さ >>245
だな。定義もしない、具体性を求めると上から目線で説明もしない、論点はズラす、とても議論をしたいようには思えないな >>250
数学の授業の必要性についてなんだからその授業でAを習うのがカリキュラムに含まれるなら数学の授業は必要無いという事になる
>>239 >>247
論点すら理解してない奴がいるおかげでおかしくなってる>>257 >>227
あーごめんごめんレス間違えてたわ
数学を使ってると全部数学なの?>>220ゲーム理論は数学→ゲーム理論では数学を使ってる
君の主張は変わってるね >>254
数学が一般化した貢献を認めるかどうかと具体的にどういう考え方だから議論に役に立つとは別問題だよ? >>252
ゲーム理論は数学と経済学のカテゴリ両方に属しているとは言えるね
経済学のみに属しているという書き方をしたのは悪かった >>263
何が言いたいのかよくわからないが、数学を使っていると数学というわけではない。
「ゲーム理論で数学を使っている」のではなく「ゲーム理論は数学のいちジャンル」ということだよ。
「ゲーム理論」は経済学を記述するために使われるので、つまり経済学の道具として使われることが多いので
経済学の専門家もそれをよく研究したり経済学部でも学ぶことができるというだけで
「ゲーム理論」そのものは経済学ではないんだ。
ただしゲーム理論はあまりにも経済学によく使われるので
ゲーム理論を多用した経済学のことをゲーム理論という言い方をすることがある。
しかし実際のところは、ゲーム理論を使って生物の進化など、
経済活動以外の人間(動物)の行動を記述することもできる。
ゲーム理論そのものは、純粋に公理の上に成り立つ数学。 経済学が存在しなくても成り立つもの。
統計学は社会調査や心理学などで使われることが多いけれども
統計学そのものは、社会調査でもなければ心理学でもない数学のいちジャンル。それと同じ。 >>265
先にも書いたが、ゲーム理論は経済学にまったく依存せず成立する理論だ。
ゲーム理論は経済学に属してはいないよ。 独立している。
もちろん、ゲーム理論が経済学で多用されるという事実は、全く否定しないし
その成立におおきく経済学者の関与があったことも、否定しない。
必要条件、十分条件に関しては、わからないひとに何度説明しても理解されない。
共通の理解がない人とは論議の袂を分かち合うしか方法はないのではないかと感じる。
学問の分野の従属の話では、
独立しているかどうか という考え方とどこから派生したか という考え方がある
前者の考え方では、 ゲーム論は 数学、後者では ゲーム論は 経済学
どちらの立場で分類するかで結果が違うだけ。
言い争うような内容ではない。
「独立している、いない」を論じるなら、それはご自由に。
さすがにゲーム理論は数学で成り立っても実用化の面からみればカテゴリとしては経済学だろ
物理学が数学あれば成り立つって言ってるようなもん 成り立ちに数学は必要でもゲーム理論の授業取るのに数学の授業を取る必要は? なるほど、立場を明確にしないで 言うのはあまり意味がなかったな。
>>265 すまんかった。
そういう意味ではまだ経済学の一部とも言えるかもしれん。
確率や統計が経済学から離れて数学と捉えられるほどには
こなれていないと言ったところなのだろうか。
(論がこなれていないという意味ではなく、利用者の気持ちがと言う意味)
>>270
物理学のある公式は数学で成り立ってるから、その公式は物理学ではなく数学である
っていうようなもんだろ >>270
物理が数学があれば成り立つなんて話はないと思うんだが
もしかして理論物理学のことを言ってるのかな?
物理学を数学として公理化する試みは、成功していないよ。 >>271
なるほど。
私は数学については必要を感じますが
「数学と名がつく授業の受講」については必要性を感じていないので
そちらとは関係ない話でしたね。
数学を使っていることと、 数学として独立していることの区別が付くほど
数学をわかっていないんだから、そういう話をしてもしょうがないと思うよ 物理学の公式は数学で成り立ってなんかいませんよ。
数学を使っているだけです。
>>278
なるほど、この違いがわからないんだね。 >>270
> 実用化の面からみればカテゴリとしては経済学だろ
これは当然ですよ。 実用という概念は数学とは関係ない概念ですから。 >>281
必要・十分条件と同じで
使うことと、独立していることの違いが
理解されないから、平行線のママ まずゲーム理論の内容を分解してから話せよ
数学だ
いや、経済学だ
って端的な言葉だけでやりとりしてるから、いつまで経っても水掛け論から抜け出せないんだよ
数式は出てくるけど、これはゲームに登場するプレイヤーの行動パターンを集計して心理学的な解釈を与えているし
集計結果を科学的にする為に数式に置き換えようと試みられた結果だろう
数学の役割は、世の中の事象を数式で表すことだから、心理学の範囲も対象となることもあるだろう。(特に統計心理学という分野もあるし)
物理も基本は数学は関係なくて、ただ世の現象を表現する学問。しかし、現象を言葉だけで説明しきるには不足していたから数式による表現も取り入れられたとみた方がしっくりくるのではないか?
ではゲーム理論はどこに入るのか
逆に、複数の学問の要素が含まれているものとは考えられないか?
だとしたら、どういう要素が含まれているのか?
それを確かめるにはどうしたらいいか? それにはまずは分解せよ
と、言いたくなる
好き勝手に書き殴ったものだから、真に受けないでくれよw ゲーム理論は、数学として公理化されている。
それで十分じゃないですか?
「独立」とか「従属」とか、専門外でどうとでも解釈を付けられそうな言葉を
使うのではなくて、理解できないひとには理解できないままでいいとおもいますよ。
>>284
>数学の役割は、世の中の事象を数式で表すことだから、心理学の範囲も対象となることもあるだろう。
いやそれはさすがにないよ。 心理学や社会学の範疇で、数学を人間行動や社会現象として捉えるという
試みはされているようだけど、それらは数学を対象にした研究であって、数学そのものではない。
>>284
> 数学の役割は、世の中の事象を数式で表すことだから
これは数学の使われ方、と言う意味では正しいと思うけれど
数学全体としてはそんなものを目的になんかしていないよ
読んだ人が誤解するといけないので、ちょっとだけ補足ね。 ゲーム理論は数学さえあれば経済学がこの世から無くても成り立つもんな
ゲーム理論をまともに知らない人の世界ではそうなんだろう
http://plato.stanford.edu/entries/game-theory/
現在のゲーム理論が成り立つのは経済学が無ければあり得ない >>288
どうせ噛み合わないよ
独立してるに違いないと信じる偏見
理解できないに違いないという放漫
世界が狭いんだよなぁ >>289
日本の理系ってよくそう言われるよね
研究オタクになっちゃうからかな? >>290
「与えられるだけの授業」に慣れ切っちゃうからでしょ >>288
歴史的背景についてはそのように書いてあるが
公理化に失敗したような話はどこに書いてある? >>292
>>285 参照。
成り立つとか独立とかどうとでも解釈できる用語で議論するのが
相互理解を得られない原因となっている。
おそらく公理化(そして抽象化と一般化)されていることに対する反論はない。 なるほど「独立」も数学的意味と一般的意味が異なる用語か。 うん。 >>289を見てそう思った。
独立に対して偏見とかいうのは変だなと思ったら納得がいった。 もしかすると、(もしかしなくても?)
「一般化」というのも異なる意味で解釈されるかもしれない。
「一般」 と 「特殊」 も 日常語とは異なる意味で使うから。 まあどちらにせよ人格に対する批判がある時点で
相手にするべきではないと思うけど。 ゲーム理論は数学を使っているが数学ではないよ。
ゲーム理論は、どういう数学を使っているんですか?
えっと…ゲーム理論…
そんな感じ。 ゲーム論の公理化なんてのは比較的新しい成果だから
ここ20年くらいのあたらしいゲーム論をやってないと
知らないのでは? 集合論なんかも公理化されて100年もたつのにまだまだ一般の人には知られてない。
いちおう算数や数学の時間に習うから、集合論は数学だとは認識されているけど
いわゆる数学の世界では素朴集合論はもう使わないでしょ。
数学関連では100年なんてのは新しい成果に入るかも。
高校数学までで習うことは、ほとんどが300年前とか
物によっては2000年以上前の成果だったりするから。
他の分野の学問だったらカビの生えたような古い成果だよね。 必要条件・十分条件 について ↓このような記事を見かけたのですが、どうでしょうか?
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080822/168550/
1ページめで、
> ここで「それは悪い例だ」と分かる人は論理的なセンスがある
と言うようなことが書かれています。 この「悪い例」という言い方は
実用的でない(社会的とか生活上の事実と異なる)という意味でしょうか。
しかし、論理的には、
「ガソリンが自動車に入っているならば、自動車が走る」を真と仮定したのですから
「自動車が走ることは、ガソリンが自動車に入っていることの必要条件」というのは
間違いではないはずです。
この結果が何か別のもの(例えば実生活)に合致しているかとか、役に立つかと
いうことと「論理的に正しい」ということは、異なるものだということですよね。
さて、このスレでは言う「論理的思考に役立つ」というのは
「実生活において役立つ論理につかえる」という意味なのでしょうか?
「論理的に正しい推論をする」という意味なのでしょうか? おなじく先ほどの記事の2ページ目なのですが
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080822/168550/?ST=career&P=2
> 「6教科があり、その内の4教科が合格点になると昇給する」。
> この状況の必要条件を、「4教科が合格点に達すること」と答える人は意外と多い。
> けれども、それは「必要十分条件」だ。
このところに違和感を覚える人とそうでない人がいるのではないでしょうか。
私は、引用3行目の「けれども」に違和感を感じました。
この「けれども」のせいで、この記事は「4教科が合格点に達すること」は
昇給の「必要十分条件」であって「必要条件」ではないと言っているように見えます。
しかし論理的には 「必要十分条件」とは 「必要条件」 でもあります。
必要十分条件とは 必要条件 でありかつまた 十分条件 でもある 条件ですから。
さらに、どうもこの記事は、「条件が足りないうちは 必要条件」、「条件がぴったりなら 必要十分条件」
さらに「条件が余っていると 十分条件」 と言いたげです。 挿絵もそのような表現になっています。
しかし論理的には 必要条件 かつ 十分条件 (集合的には両条件の交わりの部分) が
必要十分条件のはずですよね。
挿絵も、なんだか必要条件から必要十分条件を経て十分条件へと段階的に達成されるものだと
言いたげです。
先の「4教科で昇給」の場合はたまたまそうだと言えますが、一般にはそのような段階を経て
なるようなものばかりではありません。
数学が他の学問や論理や思考に与えた影響について知りたいのなら
小室直樹の『数学を使わない数学の講義』と『数学嫌いな人のための数学』
を一読してみてはいかがか。
小室直樹本人がキチガイなのか天才なのかの評価はさておき
この二冊に書いてあることは至極まともなことばかりなので
はたして学問に数学が必要かどうか、自分が学問をするにあたって
数学が必要なのかどうかを考える、また、決めるのには役に立つと思う。
「必要条件や十分条件がわからない人の反論は困る」 という話も載っていたりする。
私自身は、必要を感じない人はやらなければよいし、必要を感じたのなら大いにやれば良いと思う。
しかも、いつでも方向転換してよい。 いま要らないと決めても、困ったらいつでもやればいい。
私自身はいわゆる理系ではいが、必要と思った数学は学生時代から現在まで授業、独学含め学んだ。
気がつけば数学の教員免許が申請できるくらいの単位が貯まっている。(しないけど)
授業で学ぶのは質問ができるという他に代えられない利点があるが、数学は(時間はかかるが)独学
でも最も修めやすいジャンルのひとつではないかと思う。
>>301
おそらく著者は、正しく論理的な思考ができていないと、その「悪い例」という
違和感の正体が、推論過程の論理的な間違いなのか、それとも仮定に間違いが
あったのかの区別がつかないと言いたいのではないだろうか?
後者であれば仮定に間違いがあった(いわゆる背理法)と言えるだろう。
もちろん背理法を導入できる程度には論理が公理化されていなくてはならないが
(素朴論理のように無批判に導入をしては思わぬ結果を招くかもしれない)
それができていれば、事実として正しくないが論理的に正しい結果を役に立てる
ことができる(かもしれない)。
>>302
例のような単純な条件ならばたいした問題ではないが
実際の運用では、必要条件を見つけ出すのは結構大変だったりする。
数学を例にすると揉める原因になりかねないので、英語を例にすれば
「ビジネスで成功するには英語の習得が必要だ」と言うのは簡単だが
たったひとりでも英語を知らない人が成功していたら、それは「必要条件」では
ないことになる。
ただし日常語というのは恐ろしいもので、たった一人どころか、何人もの例外が
あるようなものを「必要条件」だと平気で言ってのける場合がある。
こうなってしまうと手に負えない。誰もが正しく用語を扱うことができるわけではない。 日常語はそのへん曖昧だわな。
「必要はない」 なんてのは 「必須ではない」 という意味ではなくて
「禁止事項」をあらわすことがあったりするしな。
「必要」も、あったほうが良いくらいの軽い意味で使われたりとか。 つまり、数学云々の人は、日常用語ではないと知っていながらこんな議論の場で使用していたと。
やっぱ>>289の通り、偏見や放漫に満ちてるって指摘は正しいわ >>298
現在のゲーム理論は経済学なしで成り立つのはあり得ないから
ゲーム理論がどう発展してきたのか
目の前の箱で調べてくるといいよ ここは日常語論議をするところであって論理学などの用語は使用禁止です。 >>304
それって一般的には必要だ→多数がそうなのねって理解で進むから問題ないでしょ >>309
曖昧さが問題にならない時に限ってそのとおり
背理法なんかの、たったひとつの矛盾を使うような
厳密な論議には向かないから、使い分けをしたほうがいいと思うよ
>>308
使用禁止とは言ってないけど?
相手と論議している上で、あえて相手が分かりづらい言葉を話す事が放漫と言われても仕方ないよね >>309
その「一般」がすでに論理で使う「一般」とは意味が異なっていることも
問題にならないときはOKだよ。 論理的思考をするスレにおいて、論理で使う用語をして、相手がわかりづらい用語というのか。なるほど。
あえてここで、と言うなら、論理で使う用語の意味に統一したほうが誤解が少なくないか?
まあ、そういう人がいるんだから仕方がない。
できる側があわせるしか方法はないよ。
合わせなければできないんだから。
もちろんやらないという選択もありだけど。 論理的思考を鍛えるスレでは論理で使う用語を理解していないと議論できない
鍛えるスレじゃなくなっちゃったね
やっぱ上から目線だわ 論理的思考を鍛えるには、論理で使う用語が必要なの? >>320
一人でも違う人がいたら必要ではなくなる 鍛えたい人は勉強したほうがいいと思うんだが
そういうとこで知らないことを武器にするのはいくらなんでもとおもうよ
知らない人同士で鍛えてればいいとおもった。 >>320
論理的思考の定義にズレがあるようだからね
このスレは論理学や数学を用いた論理的思考
その他はお断り 論理的思考力を鍛えよう、論理的思考力は数学や論理学の言葉を使う能力を含む
なのに、それ以外の切り口で論理的思考力を語る人がそれらの言葉を知らないなら見下されて仕方ないこのスレでは論理的思考力=数学や論理学の言葉を使う能力だと定義されたも同然です わざと曖昧にするのが流行りというわけではあるまいがどっちだろう?
・このスレは、「論理学や数学を用いた論理的思考その他」 はお断り
・このスレは論理学や数学を用いた論理的思考、「その他」はお断り
ふつうは鍛えながら理解しおぼえていくもんなんだがな。
どうしてもつかいたくないというひとがいるなら、めんどくさいことになりそうだな。
経済学の用語は知らないしおぼえる気も調べる気もないけど経済学を勉強したい。
漢字は知らないしおぼえる気も調べる気もないけど日本語を読み書きできるようになりたい。
論議の仕方は知らないけど論議したい。 おっとこれは2chが最適か、やはりここでやるべきだよ。うん。
>>325
やっぱこのレスを見ても分かるように、このスレ内では論理的思考力=数学や論理学の言葉を使う能力だと言えるね 論理の用語かどうかにかかわらず、知らないのは見下されて当然だと思うがね。
無知の知とか言い出さないことを願いながら。
>>326
それらの言葉を知らないなら、能力が低いと思われても仕方がないよ。
でもね、 知ればいいだけだよ。 難しい用語はたいしてないよ。
理系にありがちだけど、制約条件って概念が無い上に他の学問に対する理解や尊敬が無いよね
Bを知っている人がAを知らないとAを知っている人は、いくら見下しても良いとか まあ、高校範囲まで程度で使われる用語くらいは自主的に勉強してきて欲しいよな。
中学生ならしかたないけど。 >>329
論理でつかう言葉くらいは知ってて欲しいと思ってるおれは理系じゃないから。
そこでいきなり理系とか言い出すのは、なにか理系に恨みでもあるのかと思われるぞ。
>>328
論理的思考力の基礎=論理学や数学の言葉を使える事と定義され、他の切り口を用いる人はそれを知らないならバカにされても仕方ない
これがこのスレの基本だね >>330
>中学生ならしかたないけど。
そうか、そういう人もいるわな。 その発想はなかった。
そういうひとは自己申告してくれればなにか対応の方法があるかも。
>>335
いつのまにか 「バカにしてもいい」に変わってるよ。 >>337
上で見下されて当然と仰ってる人がいましたよ >>335
> 他の切り口を用いる人
他の切り口ってなんだ?
論理的思考を助けて共通見解を持つためにどんな用語や語法がある?
もしそれを知ってるなら、広く公開したほうがいいぞ。 論理的思考力には高校の範囲で学ぶ数学、論理の言葉を使える能力が必要で他の切り口を持っていてもバカにされて仕方ありません
これがこのスレの決まり >>338
用語は勝手に変更せず使い分けた方がいい。
あなたにとっては「見下す」と「バカにする」は同義語なのかもしれないが
発言者が他の用法で使ってる場合は大変失礼にあたる。
違う切り口なのかもしれない。 論理的思考を鍛えるのに
論理学のテキストを把握している必要があるってのはちょっとひどいね
それって、暗黙のうちに年齢制限を設けているようなものじゃないか?
そういうのが罷り通るなら、俺だってFランクラスの論理学を修めた程度の奴とは議論したくない
・・・ということを言い出したら、誰も鍛えられないと思うけどな
議論を進展させるために必要な、相手が理解するのに十分な情報を与えるという行動もとらずに一方的に拒絶するってのは、非論理的な行動のように見える なるほど、ではあなたが頑張って鍛えてあげてください。
きっと良いスレになると思います。
>>342
ひとつ質問したいのですが、 あなたは高校程度の論理で使うような用語を知らないのですか? > 議論を進展させるために必要な、相手が理解するのに十分な情報を与えるという行動もとらずに
> 一方的に拒絶するってのは、非論理的
行動そのものを論理化してとらえるのは、ちょっと高度すぎると思います。
高校範囲を超えていますよ。
あいかわらず教えてクレクレ厨がいるんだな
自助努力という概念がないのはベトナム人だっけ?
NHKだかなにかの番組でみたおぼえがあるよ。 >>342
けっきょくお前もそうやってわからなくて困ってるやつを助けたりする気はないんだろう? >>345
定義以外の意味で用いてるならば、それは誤解されても仕方ないでしょうね 初めに出ていた、論理的思考力とは?という定義はまず一つ決まったんじゃないでしょうか。
数学や論理学の言葉を理解している事。
これが基本なので、論理的思考力について他の切り口を持っていてもそれが理解されなければバカにされても仕方ありません。文句は言わないでね。これがスレのルールになりそうです