プロが自己の最高のパフォーマンスを発揮する為に行う「儀式」と
ここで言われている「儀式」は違うと思うが。

その理屈で言うなら、例えば分速1万文字が最高の人間が常に最高を
目指すなら「儀式」も必要かも知れない。でも1万文字読める人間が
4〜5千文字程度の速度読む為なら要らないと言う事になる。
同様に、10万文字読める人間が5万文字読む為には「儀式」は要らないだろう。

しかしここの文脈で察するに、「最高のパフォーマンスを出す為」ではなく
「速読をやる為」には絶対に必要のように書かれている。
やっぱりオカルトくさいんだよなぁ。この「儀式」によって変成意識状態に
かかって、自分で速読が出来ると洗脳してしまっているように見えるが。