>>812
それよりこのサブタイトルー博打の駒として生きる
これを競輪の頂点を極めた選手がいうのはどうかと思うぞ?

競輪は主催運営者の斡旋や番組編成で成り立っている博奕興行であることは事実だが
選手にとっても労働であると同時に博奕じゃないか
しかもその博奕の種銭は主催運営者から支給されていると想定して賞金が決められている

勿論、最終日まで博奕の取り分は支給されないなどの制約はあるが
勝ち上がりなんかの賞金=純粋な競走としての労働賃金、これだけでは
S級上位でも年間2、3千万にしかならない
逆にA級戦の賞金はほとんどが労働賃金

こういうサブタイトル付けるならA級で代謝するまで走ってから言うべき
尤も本人はもう引退の準備を進めているのかもしれないけどな