幸せに生きたいなら「与える」ことです
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リリンも気づいているんだろ?
成功の秘訣は「与える」ことだってことを 幸せに生きたいなら「奪う」ことです
人類は欲望に任せて「いかに楽に奪うか」を考え実行し
文明を発展させてきたのです 奪う人は奪われます
与える人は与えられます
因果応報です お金は回していれば(遣えば)入る
流せば(自己投資など)入る
与えれば(プレゼントなど)入る 性悪説で生きるのです、人間の欲望にキリはありません
一度与えると感謝されます
二度与えると当然と思われます
三度与えると権利を主張してきます
人間とはそういう生き物なのです、与えてはいけません 感謝する人はより多くを与えられて、豊かさを手に入れます
感謝しない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます
それが宇宙の法則です 与えると受けた人は乞食になります、人の道を外す行為です 慈悲を持って与えて下さい
金品だけを与えるのではありません 見下す立場になりたい人、いい人に見られたい人
さあ、皆がいる場所で与えるのです、慈悲の心を込めて でも、「与える」っていうのは、ただ与えればいいってもんじゃないんですよ。
これのいい例として、二宮尊徳の両親の話があります。
江戸時代に二宮尊徳という、農民出身なのに武家や市町村の経営・運営に携わり、成果を上げたという人がいるんですよ。
そんな彼の両親が、実は「誰も幸せになれない与え方」をしていたんですよ。
それはどういうものかというと、自分が持っているお金や家財道具などを、村の人が「貸してくれ」と言われると、断らずにどんどん与えていたって言うんですよ。
彼の両親は、断り切れない性格だったわけですね。
当然、村の人は誰も返すこともなく、いわば持ち逃げと同じようになってしまいます。
これは、借りた側は「しめしめ、返さずにおけば儲かるぞ」と、欠乏意識を助長させる与え方ですよね。
言うなれば、これは「与えているようでいて、相手を泥棒にしていた」ということなんですよ。
「泥棒を育てていた」とも言えるでしょう。
相手に与えていても、豊かさを与えているとは限らないんですよ。
むしろ逆に、与えることで、相手に「自分はもっと足りない」、「私は貧しい」と思わせてしまうことだってあるわけです。
それを見ていた二宮尊徳は、「こんな与え方は絶対にしてはいけない。自分の家も貧しくなり、みじめになり、同時に相手も感謝を忘れて、人からもっと奪うようになる」
と、強い反面教師として学ぶわけですが。 とりあえず最初にお断りしておきますが、なぜ与えるのかというと、「自分が豊かになるため」です。
誰かのためとか、そんな高尚なものじゃないんですよ(笑
これはかなりの打算で、しかも自分の欲求や豊かさをより満たすためのものである、ということです。
自己犠牲とか、社会貢献とか、慈善事業とか、美しい心とか、そんなんじゃありません。
「自分がもっと繁栄するための、独善的方法論」です(笑 まず、
既に持っているものを
与えていく
次に、
受け取ったものを
与えていく 与えてみて初めて、自分がどれだけ与えられているのか、
そして、自分がどれだけ満たされているのかが理解できます “自分に与えてくれた金額や時間や労力”を
“自分がどのくらい大事にされているか”に置き換えてしまう
水商売的女性の発想をしていますね 与えていれば受け取れるようになります
与えることが豊かさなのです >>23
野良に安心して生きていける生活を与えるのもまたいいでしょう
つまり、飼えと 見返りを求めず与えて下さい
いずれかのタイミングで返ってきます 今、欠乏と制約という古臭い信念を越えて“動くプロセスを始める時 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています