31名無しさん@一本勝ち2021/12/03(金) 07:40:28.71ID:+UyHjbW10⋮
安田秀則

・昭和15(1940)年生まれ。八光流元師範。私は最初八光流をこちら(本土)で学んで、昭和37(1962)年に奥山先生が沖縄に行かれたとき、講師の一人として同行した。
講習会で私は上原清吉先生の担当をした。私が教えた人の中で、一人だけどうしても技の掛からない人がいた。それが上原先生だった。



・上原先生は八光流の講習会に来たときには、すでにそれの裏をかく技を身につけている様子だった。私が掛ける技を逆手(さかて)に取るような、裏をかくような技をお持ちだった。
こちらが掛ける技の弱点はすべて知っているような感じだった。


・私たちが帰るとき、上原先生は他の受講者と一緒に空港まで見送りに来た。そのとき上原先生が私の側に来て、「沖縄の空手を甘く見るな。もし君が空手を修業する気があるなら修業してから帰りなさい」と耳打ちした。
私は当時まだ若く身軽だったので、「教えてくださるのなら、喜んでします」と言ってそのまま沖縄に残ることにして、2ヶ月くらい上原先生の道場で修業した。先生の人柄に惚れた。



・上原先生に習ってみて、初めてこれだけ偉い先生がよく講習会にわざわざ参加したものだと思ってびっくりした。ああ、この人は普通の人とは違うなと、そのとき感じた。



・当時、私は20歳頃で上原先生は60歳くらいだった。上原先生は達人だと思った。いくらまねをしてもできない。
練習内容は「そこに立って、こっちに向かってこい」と言われて、突いていくのだが相手にならなかった。まるで子供扱いだった。
沖縄の逆手(ぎゃくて、関節技)は技が速い。スピードが速い。突いたり、蹴ったりするのと同じスピードで逆手を掛ける。
私は八光流以外に大学で合気道も学んだが、だいたいにおいて本土の逆手は相手の手をとってそれから技を掛けるが、沖縄の技はすれ違いざまにはすでに技が掛かっている。
上原先生が私が教えた技から取手を作ったとか、そういうことは断じてない。