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出口クリスタ

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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2011/08/19(金) 09:13:07.83ID:8qoXMBP0
かわいい!
0325名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/24(水) 14:29:04.28ID:vgrJAYIp
柔道のアジア・パシフィック選手権は23日、アラブ首長国連邦のフジャイラで混合団体が行われ、日本が優勝した。準決勝でモンゴルを退けると、韓国との
決勝を4−2で制した。

日本、混合団体で優勝 柔道のアジア・パシフィック選手権 https://www.google.com.tr/url?q=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK30074_U9A420C1000000

柔道のアジア・パシフィック選手権は23日、アラブ首長国連邦のフジャイラで男女混合の団体戦が行われ、日本は決勝で韓国を4−2で下して優勝した。 

日本、混合団体V=柔道アジア・パシフィック
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042400340





平成のスポーツ界は激しく動いた。昭和55(1980)年のモスクワ五輪ボイコットを教訓に、日本オリンピック委員会(JOC)が日本体育協会から独立したのは平成元年。メ
ディアの多様化で多くのスター選手が生まれ、女性の活躍も目を引いた。2020年東京五輪招致を機に国の支援も大幅に拡充された。女子柔道で五輪2連覇を果たした
「ヤワラちゃん」こと谷亮子(旧姓田村)氏に、平成の歩みを振り返ってもらった。
柔道女子で2連覇 谷亮子氏
「最高で金、最低でも金」。2度出場した五輪で銀に泣き、3度目の正直を期した平成12年シドニー五輪を前に、谷氏は固い決意を口にした。宣言通りに金を取り、
結婚後の16年アテネ五輪で2連覇。出産を経て復帰した19年には「田村で金、谷で金、ママでも金」と誓った。
「何を期待されているか分かっていたし、見る人や支える人とのリンクができるのも感じていた。世界一になれたのは、世界一のサポートと応援があったから。一緒に
目標に向かい、夢を実現できた」。国民の期待を担った谷氏の歩みは、スポーツが日本社会で確たる地位を築いた道のりと重なる。
「スポーツは国力」という谷氏は、高校時代から「あらゆる競技が年中、強化できる宿泊型施設が日本にもあれば」と国に求めてきた。日本は10年長野五輪で冬季史上
最多の金5個を取り、アテネ五輪では金16個。日本勢の活躍が追い風となり、ナショナルトレーニングセンターの開設につながった。
参議院議員に転身した谷氏はスポーツ基本法の成立にも尽くした。同法の附則に盛り込まれたスポーツ庁の設置は27年に実現。31年度当初予算では選手強化費が
初めて100億円を超えた。「アスリートが世界で活躍し続けることは大きな影響力を生んだ。五輪招致、スポーツ庁設置、強化費拡充など、平成はあらゆることが形に
なった時代。その中で、私が選手として声を届けることが重要だった。スポーツに法律ができたのは大きい」と谷氏は振り返る。
女性の躍進も見逃せない。アテネ五輪からの4大会は金メダルの過半数を女子が占める。競技生活の中に結婚と出産が組み込まれるようにもなった。先駆けである谷氏は
出産後の19年に世界選手権を制し、翌年の北京五輪でも銅メダル。「子育てだけでも大変だったけど、女性アスリートに道を開きたかった。『ママでも金』の約束が私を
突き動かしてくれた」と語る。
スポーツの力は希望の火もともした。23年の東日本大震災後、五輪経験者らは被災地を訪ね、被災者を励ましてきた。東京五輪を前に、アスリートは国の活力の象徴にも
なっている。
「子供たちには憧れを見つけてほしい。『こうなりたい』という理想があれば努力できる。いつか必ず、目標にたどりつける」。令和時代を担う子供たちへの谷氏のメッセージだ。

【平成史】五輪 選手の活躍 スポーツの地位高めた
https://www.sankei.com/life/news/190424/lif1904240024-n1.html
0326名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/24(水) 20:26:53.91ID:KNWCpg9w
こんなに可愛いのに何故もっと人気が出ないの?
0327名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/25(木) 09:45:31.77ID:TZDjdUHY
柔道男子60キロ級の永山竜樹選手。美唄市出身の23歳で、現在、世界ランキング2位、東京オリンピックでメダルを目指す期待の選手です。
オリンピック前哨戦ともいわれる8月の世界選手権に向け、持ち味に磨きをかけています。
信条は "投げ技で一本!"
永山選手は、身長1メートル56センチ。最も得意としているのは、背負い投げです。
100キロを軽々と持ち上げるパワーが得意技を支えています。信条は「投げ技で一本」。寝技の練習は、ほとんどしないと言います。
永山竜樹選手
寝技大っ嫌いなんですよ(笑)。寝技は、あんまり楽しいと思わないです。
自分は好きなことをやるので。基本、立ち技ばかりですね。自分がやりたい柔道は一本取って勝つ柔道。
世界選手権の代表選考を兼ねた、全日本選抜体重別選手権の決勝。投げて一本を狙う柔道を貫こうと、しつこく攻め続けました。
得意の背負い投げで、一本勝ち。世界選手権への切符をつかみました。
1本を取る柔道にこだわる
永山選手が得意とする背負い投げのルーツは、岩見沢市の道場にあります。
玉置新さん。永山選手を小学校卒業まで指導しました。
これはいつ頃ですか?
小学3年生ですね。体小さくて苦労してたけど。
体が小さいことに、コンプレックスを持っていた、永山選手。玉置さんは、大きな相手でも投げ飛ばせる、柔道の楽しさを教えたと言います
重量級が力づくで勝つのは当たり前で、投げて美しいとやっぱり(観客が)どよめくとこ、あるじゃないですか。柔よく剛を制すじゃないけど。
「力づくで勝つんじゃなくて、柔らかく勝つ」。
玉置さんは、技をかけるタイミングや、足の運び方など、投げ技の基礎を徹底的に指導。永山選手は、玉置さんの教えを受け、投げ技に
魅力を感じるようになりました。
永山竜樹選手
やっぱり、小学校の頃から、すごい、技とかしっかり教えてもらって、それで投げると嬉しいとか、楽しいとかあるので。
好きな柔道をやるからには楽しくやりたいんで。だから、自分は1本を取る柔道にこだわってます。
"柔道は工夫次第で大きい選手に勝てる!"
8月の世界選手権に向け、課題としているのは、決め技のバリエーションを増やすこと。
屈強な海外勢を想定し、稽古で相手にするのは20キロ近く体重差のある選手たち。
裏投げや大腰など、あらゆる技を試し、新たな決め技を模索しています。
永山竜樹選手
柔道って小さくても、工夫次第で大きい選手に勝てるので。そこがすごい魅力かなと思います。
永山の柔道かっこいいなとか、永山みたいな柔道したいなって思えるような試合をしていきたいなと思います。めちゃくちゃ強くなることですね。
永山選手は信条の「投げて勝つ」柔道で世界一を目指します。永山選手が出場する柔道の世界選手権、男子60ロ級は8月25日に日本武道館
で行われます。

柔道 永山竜樹「投げて勝つ柔道で世界一へ」
https://www.nhk.or.jp/sports-story/detail/20190425_3703.html
0328名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/25(木) 20:36:06.42ID:p65NEThD
2016年リオデジャネイロ五輪の柔道100キロ超級銀メダリスト、原沢久喜(26、百五銀行)がはい上がってきた。リオ後の不振、心身の疲労による病。坂道を転がる日々
に耐えた柔道家は今、最重量級を背負う存在感を取り戻しつつある。
最重量級を背負う存在感を取り戻しつつある
あの勝ちがあったから今がある。そんな分岐点は「柔道人生で一番きつい」試合だった。
昨年の全日本選手権決勝。畳に上がる原沢の姿は悲壮感を漂わすどころか、同情さえ誘った。半年前に判明した病の影響は隠せず、準決勝でガソリンは底をついた。
立っているのもつらそうな好敵手を、3連覇を前にした王子谷剛志(旭化成)が追い立てる。
何度も裏返しになりかけながら持ち込んだ延長で、見る者を驚かせる光景が繰り広げられた。ランナーズ・ハイさながら「ゾーンに入った」感覚に包まれた原沢が
反転攻勢、王子谷をふらふらにして決着をつけた。
負けていれば世界選手権出場は絶望、東京五輪も遠のいていた。執念で踏みとどまったこの試合まで、原沢は転げに転げた。リオ翌年の同大会3回戦で絞め落と
された屈辱が異変の始まり。練習で息が切れ、疲れが抜けない。2回戦で姿を消した世界選手権の直後、心身の疲労が積み重なった慢性疲労状態、
オーバートレーニング症候群と診断された。
体がいうことを聞かず、敗戦続きでリオの輝きは薄れつつあった。しかし、そんな何かにすがりつきたい時期、原沢はあえて自らを突き放す。18年全日本選手権を
最後に日本中央競馬会を退社する決意を固めていた。
突き動かしたのは絶対王者テディ・リネール(フランス)とのリオ決勝の記憶だ。「『普通』では勝てないと。勝っても負けても変わらない環境でなく、退路を断って
すべて懸けてこそ違う世界が見えてくる」。他者には僅差に見えても、現状維持では届かないと感じていた。柔道界では異例のフリーの道を選んだ。
プロといえば聞こえはいいが、実質的に無職の立場だ。「負けたら終わりのリスクが柔道を小さくした面もあった」とその後も空回りするように勝ちきれない。
そんな歯車が、19年が明けると急速にかみ合いだした。
安定の代償に得た自由のおかげでかなった、天理大での長期出げいこが転機だった。元世界王者の穴井隆将監督に、得意の内股に入るまでの足技やフェイントの
重要性を説かれ、「リオ後にかからなくなった内股の発想が変わった」。
男女全階級を通じて唯一2大会とも派遣された、2月のパリ、ドイツでのグランドスラム大会連戦でそれは証明される。疲弊のリスクもあるタイトな日程を課した
首脳陣による荒療治も、背水の陣でいた原沢には渡りに船だった。「負けても次があると開き直れた」。準優勝ながらフランスで足技、内股と見違えるような鋭さを
見せ、直後のドイツで優勝。畳の上で戸惑ったようなかつての姿はどこにもなかった。
自由に動ける新たな所属先も決まり、4月の全日本選抜体重別も制した。「リオ以来の自信」と語りながら、あのときとは違う自分がいるとかみしめる。
「勢いと感覚だけでやっていたのがリオ。今は柔道についてよく考えて、毎日発見がある。一皮も二皮もむけていると思う」。厚みを増した柔道家に、
最強を証明する全日本選手権の舞台がまた巡ってくる。

復活の柔道・原沢、増した厚み 不振・病に耐え自信
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44197620V20C19A4UP6000/
0329名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/26(金) 12:33:22.42ID:C7elFD7D
人気漫画『YAWARA!』にちなんで、一部マスコミから「ヤワラちゃん」と呼ばれ始めた田村亮子(当時)は、その後、国民的な人気者となり勝負強さで日本中の
期待を背負い、元プロ野球選手の谷佳知氏と結婚して谷亮子となっても、そして出産を経て母親となっても長きにわたり日本柔道の女王として君臨した。
バルセロナ五輪柔道52キロ級銀メダリストで日本女子体育大教授の溝口紀子氏が、「48キロ級の女王」谷亮子を生んだ「悲劇のライバル」の存在について語る。
中3だった田村亮子選手が優勝し、一躍話題となった1990年の福岡国際大会。私も52キロ級で優勝したので当時のことは鮮烈に覚えています。
48キロ級女王として君臨していた英国のブリックスを準決勝で秒殺し、決勝でも前年チャンピオンの中国の李愛月を内股すかしで1本勝ち。階級が違ってよかったと
思いました(笑い)。
その後、田村選手は48キロ級の女王として君臨していくのですが、その裏にはあるライバルがいました。私と同じ埼玉大の後輩で、得意の足技を武器に天才と
呼ばれた長井淳子選手です。
大会では必ず決勝で、田村選手を投げるなど素晴らしい試合をする。でも結果は決まって僅差で田村選手が勝つ。10回対戦してすべて田村選手の僅差勝ち。
そのため長井選手は田村選手の陰に隠れて五輪代表になることができず、「悲劇のヒロイン」になりました。
2人の実力はほぼ互角ですが、田村選手が少し精神的に強かった。長井選手はお父さんも有名な柔道家のいわばサラブレッドで、田村選手は叩き上げということも
関係したかもしれません。ただ、田村選手が長く王者に君臨できたのは、ライバルの長井選手の存在があったことは間違いないと思います。
加えて、田村選手はスピードや技術も一流でしたが、特筆すべきは勝負勘。大舞台になればなるほど力を発揮し、どのようなタイプの相手でも戦えました。柔道は
自分の得意技をいつ仕掛けるかの駆け引きですが、田村選手はどんな戦い方でもできる。多才で対応力が凄かった。
そして「管理能力」です。最軽量の48キロ級で一番大変なのは、実は減量なんです。もちろんギリギリの体重を維持する方が有利なのですが、この体重調整が
本当に難しい。ただ食事制限をすればいいだけではなく、練習をすれば筋肉がついて重くなったりしますからね。身長が高いと成長期に4階級変わった選手も
いるほどです。その点、田村選手は身長が低かったことが幸いしたのでしょうが、とはいえ中学生から成人するまでずっと同じ体重を維持するのはかなり
厳しかったはずです。
そして日本代表を長く続けるのも想像以上に大変なこと。代表選手となればたとえ練習といえども投げられるわけにはいかない。ところが代表合宿の乱取りでは
二番手、三番手が試合以上に本気でかかってくる。特に田村選手は注目されていますしね。私は10年も続かなかったけれど、田村選手は五輪に5大会連続
出場していますから……。
時代にも後押しされました。1986年に男女雇用機会均等法が施行されて、女子柔道が1992年のバルセロナ五輪から正式種目になった。田村選手は女性の社会
進出と歩調を合わせて活躍した。最後は「田村でも金、谷でも金、ママでも金」と有名な言葉を残しましたが、女性が社会進出するモデルケースとして共感を
受けたと思います。

谷亮子を48キロ級の女王に育てた「悲劇のライバル」
https://www.news-postseven.com/archives/20190426_1358796.html
0331名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/27(土) 07:50:21.55ID:dYD5909t
体重無差別で日本一を争う柔道の全日本選手権が29日、東京・日本武道館で行われる。1948年から続く伝統の大会。平成の終わりに、史上初の父子制覇が懸かる
元王者の2世選手が2人登場する。昭和最後の88年大会に優勝した故斉藤仁さんの次男、立(東京・国士舘高3年)と、平成最初の覇者、小川直也さんが父の雄勢
(パーク24)だ。
斉藤立は190センチ、155キロと、仁さん譲りの恵まれた体格。95キロ超級で五輪連覇を果たした父直伝の体落としや、切れのある内股が武器だ。
昨年の世界柔道男子100キロ超級で相手を攻める小川雄勢(左)=2018年9月、アゼルバイジャン・バクー
2002年3月生まれ。山下泰裕(現全日本柔道連盟会長)や井上康生(現全日本男子監督)らも高校生で出場したが、17歳1カ月は最年少となる。「出るからには優勝を
目指す。失うものは何もない。全力でぶつかる」。超高校級の逸材は、大暴れする気概十分だ。
小川雄勢は、明大4年だった昨年3位に入り、100キロ超級の世界選手権代表切符も獲得。しかし技の威力が課題で、その後は結果を残せていない。92年バルセロナ
95キロ超級銀メダルの直也さんも認める才能が、花開くか。父が5連覇を含む7度の優勝を遂げた大会に向け、「最後まで諦めず勝ちにいく」と悲壮な覚悟を口にする。
大会は今夏の世界選手権(日本武道館)100キロ超級代表の最終選考会を兼ね、現状は2年連続3度目の日本一を狙う原沢久喜(百五銀行)が大きくリード。斉藤、
小川とも来年の東京五輪代表争いを見据え、存在をアピールする舞台となる。

頂点目指す2世たち=斉藤立、小川雄勢−29日に全日本柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042700196
0332名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/28(日) 18:51:13.29ID:jocdU/NZ
柔道の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)男子100キロ超級代表最終選考会を兼ね、無差別級で争う全日本選手権(29日、東京・日本武道館)の
前日会見が28日、都内で開かれた。
前回覇者の原沢久喜(26=百五銀行)は「気持ち的に充実しているのを実感している。あとは細かい部分を確認しながら、重量級以外の選手にも対応できるように
やってきた」と落ち着いた様子で語った。
今年は2月のグランドスラム(GS)パリ大会で準優勝。続くGSデュッセルドルフ大会では3年ぶりに国際大会で優勝を飾り、6日の選抜体重別選手権も制した。
代表争いで頭一つ抜けているが「ここで負けて代表になるより、勝って自分が一番強いことを印象づけたほうが、世界選手権に向けてもいいと思うので
勝って終わりたい」と気を引き締めた。
昨年の一年間はフリーとして活動していたが、4月から百五銀行所属となり、環境が安定したことで練習ものびのびとやれているという。全日本選手権は
伝統ある大会だが、来年の東京五輪代表の選考から外れる可能性があることに関して「選考どうこうっていうのは関係なく、全日本には出たい」と強い思い入れが
あることを明かし「連覇はもちろんしたいが、考えすぎずに一戦、一戦、戦い抜きたい」と腕をぶした。

柔道の原沢久喜 全日本選手権連覇へ気合十分
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1370802/

体重無差別で柔道日本一を争う全日本選手権(29日、東京・日本武道館)に臨む有力選手が28日、東京都文京区の講道館で記者会見し、2年連続3度目の
優勝を狙う原沢久喜(百五銀行)は「連覇を考え過ぎずに、一戦一戦しっかり戦い抜く」と抱負を語った。
大会は世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)の男子100キロ超級代表の最終選考会を兼ねる。現状、国内外の成績で原沢が大きくリードしており
「勝って自分が一番強いと印象付けたい」と話した。
前回決勝で原沢に敗れて3連覇を逃した王子谷剛志(旭化成)は、その後振るわず「苦しみを解放するにはチャンピオンにならないといけない」と4度目
の頂点へ気合。2017年に準優勝し、同年の世界選手権100キロ級金メダルのウルフ・アロン(了徳寺学園職)は「今年は何としても優勝したい」と意気込んだ。

連覇狙う原沢「一戦一戦」=29日に全日本柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042800367

体重無差別で争われ、世界柔道選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)男子100キロ超級代表最終選考会を兼ねる全日本選手権(日本武道館)に
出場する有力選手の前日記者会見が28日、東京都文京区の講道館で行われ、2年連続3度目の頂点を目指す原沢久喜(百五銀行)は「優勝だけを念頭に
置いて頑張る」と意気込みを語った。
1948年(昭和23年)に始まった大会は平成最後を迎える。2016年リオデジャネイロ五輪男子100キロ超級銀メダルの原沢は「五輪、世界選手権とは別の
意味合いの大会。日本一になりたい」と熱い思いを口にした。代表争いでは6日の全日本選抜体重別選手権を制するなど大きくリードしている。
100キロ級元世界王者のウルフ・アロン(了徳寺学園職)は準優勝だった一昨年以来の出場。「誰もが優勝したい大会。今年は何としても優勝する」と歴史ある
タイトルへの強いこだわりを示した。昨年準優勝の王子谷剛志(旭化成)は2年ぶり4度目の制覇へ「何回勝っても憧れの大会。勝って(平成を)締めくくりたい」と
固い決意を口にした。

原沢、全日本選手権に意気込み「優勝だけを念頭に」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190428/jud19042817260001-n1.html
0333名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/28(日) 18:52:53.14ID:jocdU/NZ
体重無差別で柔道の日本一を決める全日本選手権が29日に開かれるのを前に有力選手が会見し、2連覇を目指す原沢久喜選手は「優勝することだけを考えて臨み
たい」と意気込みを話しました。
全日本選手権は、ことし夏の世界選手権の男子100キロを超えるクラスの最終選考会を兼ねて29日、東京 千代田区の日本武道館で行われ、全国の予選を勝ち抜いた
選手などが体重無差別で日本一を争います。
28日は東京 文京区の講道館で有力選手3人が会見しました。
このうち、リオデジャネイロオリンピックの銀メダリストで、去年この大会を制した原沢選手は「前に出る柔道をすることで世界選手権にもつながってくる。
平成最後の大会で2連覇もかかっているが優勝することだけを考えて臨みたい」と意気込みを話しました。
また、すでに100キロ級で世界選手権の代表に選ばれているウルフアロン選手は、おととしこの大会で2位になっていて「柔道選手として誰もが一回は
優勝したい大会だ。ことしは何としても優勝したい」と初優勝に意欲をみせました。
一方、今回の出場選手で最多の3回の優勝経験がある王子谷剛志選手は昨シーズンから不振が続いていますが、「苦しみを解放するには
全日本でチャンピオンになることだと思うのでそこを意識してやっていきたい」と話しました。
全日本柔道連盟は、29日の大会後に強化委員会を開き、男子100キロを超えるクラスの世界選手権の代表を決めることにしています。

あす柔道全日本選手権 2連覇目指す原沢らが意気込み
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190428/k10011899931000.html

体重無差別で争われ、世界柔道選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)男子100キロ超級代表最終選考会を兼ねる全日本選手権(日本武道館)に
出場する有力選手の前日記者会見が28日、東京都文京区の講道館で行われた。
男子100キロ級のホープ飯田健太郎(国士舘大)は8強だった昨年に続いて2度目の出場となる。世界選手権代表はウルフに譲ったものの、伝統の大会への
思い入れは強く「自分の強さを証明できる舞台。存在感を大きく出していく」と力を込めた。
過去の優勝者には日本男子の井上康生監督ら100キロ級の選手も名を連ねる。20歳の若武者は「日本を背負ってきた選手は全日本選手権で活躍している
選手ばかり。そうなりたい」と気合十分だった。

男子100キロ級のホープ、飯田「存在感出す」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190428/jud19042817270003-n1.html
0334名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/28(日) 18:53:30.46ID:jocdU/NZ
体重無差別で争われ、世界柔道選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)男子100キロ超級代表最終選考会を兼ねる全日本選手権(日本武道館)に出場する
有力選手の前日記者会見が28日、東京都文京区の講道館で行われた。
五輪王者の故斉藤仁氏の次男、斉藤立(東京・国士舘高)は史上最年少の17歳1カ月で伝統の畳に立つ。大きな注目を浴びるが、リラックスした表情で講道館
での選手説明会に出席。「緊張は全然ない。全力を出すだけ」と最高峰の闘いを待ちわびた。
3月に痛めた左の肘や手首は完治していないものの「できることはやってきた」と話した。190センチ、155キロの大器は「全身全霊で悔いのないように試合をする。
どかーんと沸かせたい」と活躍する姿を思い浮かべた。

17歳斉藤、史上最年少出場へ「沸かせたい」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190428/jud19042817260002-n1.html

体重無差別で争われ、世界柔道選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)男子100キロ超級代表最終選考会を兼ねる全日本選手権(日本武道館)に出場する
有力選手の前日記者会見が28日、東京都文京区の講道館で行われた。
2012年ロンドン五輪男子100キロ超級代表で29歳の上川大樹(広島刑務所)は3月に京葉ガスから所属先を変えた。新天地で挑む9度目の全日本選手権。
「しっかり投げられる柔道ができれば」と上位進出をにらんだ。
両親の故郷の広島で、3月から刑務官として勤務する。母校の広島・崇徳高に出稽古するなど練習と両立しながら、中国地区で代表権を獲得。「若手は
体力があるので、前半で決めたい」と狙いを語った。

上川、新天地・広島刑務所で初の全日本/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190428/jud19042817550004-n1.html

柔道の17年世界選手権男子100キロ級覇者のウルフ・アロン(23=了徳寺学園職)が28日、全日本王者になることを誓った。
東京・講道館で行われた体重無差別で争う全日本選手権(29日、日本武道館)の前日記者会見に出席。2年前の準優勝超えを目指すウルフは「中学時代に
100キロ級の井上康生、鈴木桂治先生らの優勝を見た。今回は僕がその立場になれるように、何としても優勝を勝ち取る」と、4度目の挑戦で100キロ級時代を
築く決意を示した。
今月上旬には世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)代表に選出された。無差別の試合は故障リスクも高まるが「大きな相手に勝たないと世界の100キロ級に
通用しない。(聖地の)日本武道館で勝つことで自信にもつながる。欠場は一切、考えなかった」。
普段の減量前の体重は110キロ程度あるが、今回は108キロで臨む。「受けや技の威力、スタミナを考えても一番良い体重。(世界選手権に向けて)弾みを
つける意味でも全日本で勝っておきたい」と力を込めた。

柔道ウルフ・アロン「何としても」全日本王者へ誓い - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201904280000867.html

体重無差別で争われ、19年世界選手権東京大会(8月25日開幕、日本武道館)男子100キロ超級代表最終選考会を兼ねる全日本選手権が29日、
日本武道館で行われる。
28日、東京・講道館で前日会見が行われ、昨年準優勝の王子谷剛志(26=旭化成)が2年ぶり4度目の制覇へ意気込みを示した。
7度目の出場となる王子谷は「全日本は何回出場、何回優勝しようが憧れ。この舞台に立てることに感謝して1戦1戦戦いたい」と決意を述べた。
昨年は「苦しい年」で個人優勝なしで終わった。現状を打破するために、11月のグランドスラム(GS)大阪大会以降、自身の柔道と向き合い、得意の大外刈り以外の
技にも取り組んだ。技出しを早めるために瞬発力も鍛えた。23日には、1000円カットで毎年恒例の丸刈りにした。心身ともに“全日本モード”となり「この苦しみを
解放するには優勝しかない。新たな令和時代で勝ち上がれるよう、勝って平成を終えたい」と闘志を燃やした。
2年連続3度目の頂点を目指す原沢久喜(26=百五銀行)は「オリンピック(五輪)、世界選手権とは別の意味合いを持つ大会。優勝を念頭において、前に
出てしっかり技をかける自分の柔道を意識することが重要。それが出来れば、世界(選手権)代表につながると思う」と言葉に力を込めた。

王子谷剛志「苦しみを解放」丸刈り姿で誓う復活 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201904280000823.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)
0335名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/28(日) 20:05:28.69ID:jocdU/NZ
体重無差別で柔道日本一を決める全日本選手権の前日会見が28日、東京・文京区の講道館で有力選手が出席して行われた。
世界選手権(8月・東京)100キロ超級代表選考を兼ねて行われる大会で連覇を目指す原沢久喜(26)=百五銀行=は「日本一になりたいという思いがある。
平成最後の大会で、連覇がかかっている。勝ったら歴史に名が残る。ただ、連覇とか平成最後とかではなく、優勝することだけを考えて、一戦一戦、精いっぱい戦う」
と話した。
現在、世界代表に最も近いものの「負けて代表になるよりは、勝って、一番強いと印象づけたい」。昨年までは大技を見せながら反則を奪いにいく“安全策”の
柔道だったが、天理大などへの出げいこを積み、「しっかりと技をかけて勝つという、自分の柔道を見直した」という。「メンタルで負けられないという柔道に変わった。
今は『勝ちたい』という気持ちが相手にも伝わるようで、軸である内またがかかるようになった」と“攻撃柔道”で一気に連覇を決める。
会見では、4度目Vを狙う王子谷剛志(26)=同・旭化成=、ウルフ・アロン(23)=関東・了徳寺学園職=も優勝への意欲を示した。王子谷は「3度の優勝は、
この大会が一番の憧れであるということが結果につながっていると思う。昨年は苦しいシーズンだった。平成最後の大会で、しっかりと勝ち、令和(元年)は勝ち
上がっていける年にしたい」。気持ちも充実しているようで、昨年は決勝で脱水状態になったことを聞かれると「専門誌に『栄養の差が出た』と書いてあったので、
明日(試合当日)はたくさん食べようと思う」と報道陣を笑わせた。
100キロ級ですでに世界選手権代表を決めているウルフは、体重を108キロにまで増量して万全の状態。「柔道家なら誰でも優勝したい大会。目標は柔道3冠。
(17年の世界選手権優勝に続き)ここで勝てば2つ目。来年の東京五輪に王手をかけたい。勝って平成を締めくくりたい」
昭和最後の大会を制した故・斉藤仁さんの次男・立(たつる、17)=東京・国士舘高3年=、過去7度Vの小川直也さん(51)の長男・雄勢(22)=同・パーク24=ら
の戦いぶりにも視線が集まりそうだ。

原沢久喜「平成最後の全日本柔道選手権 連覇すれば歴史に名が残る」
https://hochi.news/articles/20190428-OHT1T50172.html
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2019/04/29(月) 18:00:18.90ID:UQ0qVpAw
世界選手権(8月開幕、日本武道館)の男子100キロ超級代表最終選考会を兼ねて行われた。史上最年少の17歳1カ月での初出場となった五輪2連覇王者の故・斉藤仁さん
の次男、斉藤立(17)=東京・国士舘高=は、1回戦で加藤大志(北海道警察)、2回戦で黒岩貴信(日本製鉄)に一本勝ちしたが、3回戦で12年大会覇者の
加藤博剛(千葉県警)に一本負けした。
重量級期待のホープは、90キロ級の身で12年大会を制した“業師”の前に敗れ去った。組手で主導権を握られると、開始約30秒で小内巻き込みで有功を奪われた。
その後、寝技での攻防で関節技で腕をきめられ、逃れようと前転したところを後ろ袈裟固めで捕らえられて万事休す。同じ国士館高出身の先輩でもある加藤。
試合後に「先輩は強いぞ」と声を掛けられ、「ちくしょーって叫びました」と、悔しさを露わにした。
「本当に勝てた試合だったと思う。知識のなさと経験のなさ。悔いしか残らない」と悔恨。東京都選手権の前に負った左手首の怪我の影響もあり、大会前は
思うような練習が積めず、寝技対策にも手を付けてなかった。
父仁さんは昭和最後となった1988年大会を制しており、平成最後の今大会に史上初の父子制覇の期待も懸かっていた。ただ、「最後とかは考えず、自分は自分と
思っていた」。不完全燃焼の結果に「全身全霊で挑戦する気持ちでやっていた。それができなかった。すごく悔しい」と、唇を噛みしめた。
これで東京五輪戦線でも厳しい状況に追い込まれた。ただ、父も活躍した全日本の畳が、新たなモチベーションを与えてくれた。「入場して挨拶した時に、体の
中心から何かが弾けた気がした。光みたいなものが。これが全日本か。勝ったら、最高に気持ちいいんやろなって」。まだ17歳。日本柔道の未来を担う大器は、
まだまだ成長する。

史上最年少全日本出場の斉藤立は3回戦敗退 高校先輩に敗れ「ちくしょー」 父は仁氏
https://www.daily.co.jp/general/2019/04/29/0012286689.shtml

体重無差別で柔道日本一を決める全日本選手権(29日、東京・日本武道館)で、ロス&ソウル五輪95キロ超級金メダルの故斉藤仁さんの次男で、史上最年少
出場を果たした注目の斉藤立(さいとう・たつる=17、東京・国士舘高)は、3回戦敗退となった。
1、2回戦は豪快に一本勝ち。190センチ、155キロの恵まれた体格で、大器の片りんを見せたが、3回戦の相手は同大会で優勝経験のあるベテランの
加藤博剛(33=千葉県警)だ。
斉藤は加藤の狙いすました小内巻き込みを食らって横転。有効を奪われると、寝技の攻防で関節技に入られた際に前転して切り返そうとしたが、そのまま
後ろ袈裟固めで押さえ込まれて1分50秒、一本負けを喫した。
試合後の斉藤は「知識のなさ、経験のなさ、練習不足もあって、悔いしか残らない」とがっくり。3月に左手首を痛め、満足に練習が積めなかったという。「自分の欠点、
寝技でやられた」と17歳はキャリアの差でしてやられた。
それでも、その快活な話しぶりと闘志あふれる柔道は亡き父をほうふつとさせ、大きな可能性を感じさせた。来年の東京五輪出場はこれでほぼ消えたが「しっかり
切り替えて。悔しさを埋めるように練習したい」とすぐに前を向いた。

17歳の斉藤ジュニア ベテランの元王者に一本負け「悔いしか残らない」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1371426/

世界選手権(8月開幕、日本武道館)の男子100キロ超級代表最終選考会を兼ねて行われた。昨年王者で、過去2回同大会で優勝している原沢久喜(百五銀行)は
準決勝で太田彪雅(東海大)に延長戦で敗れた。
相手に指導が2つ入った状態で、ポイントを得た時点で勝利する延長戦に突入。原沢は2つの指導を受け、両者後がない状態になると、延長4分30秒が
経過したころで、投げられ技ありをとられた。
なお、原沢は今月6日に行われた「全日本選抜体重別選手権」の男子100キロ超級で優勝している。

柔道・前年王者の原沢久喜が準々決勝敗退 太田彪雅と延長戦4分半超の激戦の末
https://www.daily.co.jp/general/2019/04/29/0012286760.shtml
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2019/04/29(月) 18:06:10.23ID:UQ0qVpAw
柔道・バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリスト、世界選手権王者で元プロレスラーの小川直也氏を父に持つ、小川雄勢(パーク24)が3回戦で尾原琢仁
(旭化成)と対戦し、相手の反則負けで準々決勝に進出した。
さらに、勝者が小川と対戦するはずだった佐藤和哉と熊代佑輔が3回戦で両者反則負けとなり、小川は準々決勝を行わず準決勝に進出することになった。
両者に2つずつ指導が出たが、決定打に欠き延長戦へ突入。小川が技をかけ、崩しきれなかったが、相手に3つ目の指導が入った。

柔道・小川雄勢 準々決勝の相手がいなくなり…一気に準決勝進出 父は直也氏
https://www.daily.co.jp/general/2019/04/29/0012286720.shtml

準決勝が行われ、柔道・バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリスト、世界選手権王者で元プロレスラーの小川直也氏を父に持つ、小川雄勢(パーク24)は
ウルフ・アロン(了徳寺学園職)と対戦し、1本負けした。
準々決勝の相手を決める3回戦で、両者反則負けがあり準々決勝は試合を行わずに準決勝に進出していた。
敗戦後、「僕の中で準決勝はウルフさんだと思っていた。それを超えられなかったのは力不足」と反省した雄勢。「勝ちたい気持ちがすごかった。僕も持っていたけど、
相手の方が強かった。少し引いてしまった」と振り返った。
前年と同じ準決勝での敗退となった。「優勝したい気持ちがあった」重要な大会だが、「進歩がないということ」と自分を戒めていた。

小川雄勢は準決勝敗退、ウルフ・アロンに1本負け 「進歩がないということ」
https://www.daily.co.jp/general/2019/04/29/0012286836.shtml

決勝で100キロ級のウルフ・アロン(了徳寺学園職)が加藤博剛(千葉県警)を延長戦の末に破り、初優勝を果たした。
両者ポイントがなく指導を1つずつ受けた状態で、延長戦に突入。1分20秒が経過したころに相手を崩しながらの足技で技ありをとり、試合を決めた。
場内での優勝インタビューには涙声で応じた。「いろんな人に応援してもらって、感謝の気持ちでいっぱいです」と絞り出すと涙をこらえた。「思っていたよりも、
何十倍もうれしいです」と感無量の面持ちだった。
7年前の同大会優勝者で試合巧者の加藤を相手に、延長戦に持ち込んでポイントを取った。「思い通りの試合ができたと思います」と手応えをつかんだ様子だった。
ウルフは世界選手権(8月開幕、日本武道館)の男子100キロ級代表に決まっており、「世界の100キロ級で通用するために大きな自信になりました」と語った。
今大会は体重無差別で行われている。

柔道、100キロ級のウルフが全日本初優勝「思っていたより何十倍もうれしい」と涙声
https://www.daily.co.jp/general/2019/04/29/0012287015.shtml

今夏の世界選手権(日本武道館)男子100キロ超級代表最終選考会を兼ねて行われ、2017年世界選手権100キロ級王者のウルフ・アロン(了徳寺学園職)が
決勝で12年覇者の加藤博剛(千葉県警)を5分29秒の末に支え釣り込み足を仕掛け、優勢勝ちで初優勝を飾った。平成最後の日本一決定戦を制し、
今夏の世界選手権(日本武道館)、1年3カ月後に迫る東京五輪へ頼もしさが増した。
「スタミナ、力強さ、粘り強さを前面に出して試合ができた」
準々決勝は過去3度の優勝経験がある王子谷剛志(旭化成)に延長の末に内股、続く準決勝では1992年バルセロナ五輪銀メダリストの小川直也氏を父に持ち、
昨年の世界選手権100キロ超級代表の小川雄勢(パーク24)を大内刈りでともに一本勝ちした。
2連覇を狙った昨年の世界選手権100キロ超級銅メダルの原沢久喜(百五銀行)は準々決勝敗退。五輪王者の故斉藤仁氏の次男で初出場の斉藤立
(東京・国士舘高)は3回戦で敗れるも、初出場で16強と健闘した。世界選手権代表経験のある七戸龍(九州電力)は2回戦敗退だった。

ウルフ・アロン、初Vで平成最後の王者に/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190429/jud19042917360003-n1.html
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2019/04/29(月) 18:34:15.71ID:UQ0qVpAw
柔道・全日本選手権(29日、日本武道館)男子66キロ級で世界選手権3連覇を目指す阿部一二三(日体大)を指導した兵庫・神港学園高の信川厚総監督が
特別表彰された。教え子へ「攻撃を貫く柔道を最後までやり抜けと言っている。自分の力を信じてほしい」とエールを送った。
決勝で敗れた7日の全日本選抜体重別選手権後に会い「世界選手権が最終決戦になるぞ」と伝えたという。丸山城志郎(ミキハウス)に次ぐ代表2番手の
位置づけになったが「今までが順調過ぎた。あの負けで成長してくれると思う」と心配はしていなかった。

V3目指す阿部一二三に恩師がエール「自分の力を信じて」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190429/jud19042915490001-n1.html

体重無差別で争う柔道の全日本選手権は29日、東京・日本武道館で、世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)男子100キロ超級の代表最終選考会を兼ねて
行われ、2016年リオデジャネイロ五輪男子100キロ超級銀メダルで昨年覇者の原沢久喜(百五銀行)が、準々決勝で太田彪雅(東海大)に敗れる波乱があった。
史上最年少の17歳1カ月で出場した斉藤立(東京・国士舘高)は3回戦で元全日本王者の加藤博剛(千葉県警)に一本負けした。
20年東京五輪に向けて日本武道館が改修されるため、来年は千葉ポートアリーナで行われる。

原沢が準々決勝で敗れる 柔道全日本、2連覇逃す
https://www.sankei.com/sports/news/190429/spo1904290019-n1.html

世界選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)の男子100キロ超級代表最終選考会を兼ねて体重無差別で行われ、2年連続3度目の優勝を目指した100キロ超級の
原沢久喜(26=百五銀行)は、4回戦で太田彪雅(東海大)に敗れ、連覇を逃した。
試合は太田が先に指導2となり優位に立っていたが、原沢は「投げに行くのか、指導を取りに行くのか、どっちつかずになってしまった」という消極姿勢があだとなり、
指導2で並ばれる展開に。徐々に組み手でも不利になると、ゴールデンスコアの延長4分43秒、相手の不意を突いた左の袖釣り込み腰で技ありを奪われ、勝負が
決まった。
最近1年の国内外の大会実績から、世界選手権代表は決定的な立場にある原沢だが「思ったようにいかなかった」と連覇の難しさを感じたようす。世界選手権に
向けては「時間があるので、しっかりコンディションをつくりたい」と気持ちを切り替えていた。

原沢は4回戦敗退 平成最後の大会で連覇ならず 柔道全日本選手権
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/29/kiji/20190429s00006000269000c.html

体重無差別で男子柔道日本一の座を争う全日本選手権は29日、世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)の100キロ超級代表選考会を兼ねて日本武道館で行われ、
2017年世界選手権男子100キロ級覇者のウルフ・アロン(了徳寺学園職)が決勝で加藤博剛(千葉県警)を下し、初優勝した。100キロ級の選手が優勝するのは
13年大会の穴井隆将以来。加藤は7年ぶり2度目の優勝はならなかった。
ウルフは準決勝まで4試合で一本勝ち。準々決勝は王子谷剛志(旭化成)を延長の末に内股で破り、準決勝は小川雄勢(パーク24)を大内刈りで下した。決勝は
互いに指導一つずつで延長に入り、支え釣り込み足で技ありを奪った。
2連覇を狙った原沢久喜(百五銀行)は準々決勝で太田彪雅(東海大)に技ありを奪われて敗れた。史上最年少の17歳1カ月で出場した斉藤立(東京・国士舘高)は
3回戦で加藤に一本負けした。

ウルフが初優勝=加藤は7年ぶり制覇ならず−全日本柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042900466
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2019/04/29(月) 19:39:56.59ID:UQ0qVpAw
8月の世界選手権(8月25〜9月1日、東京・日本武道館)100キロ超級の代表選考を兼ねて体重無差別で行われた。全日本柔道連盟は大会終了後、
強化委員会を開き、男子100キロ超級の世界選手権代表に準々決勝で敗れた16年リオ五輪銀メダルの原沢久喜(26)=百五銀行=を選出した。
2月のグランドスラム・パリ2位、4月の全日本選抜選手権優勝、今回の全日本では8強に入ったことなど、国内ポイントが1位だったため。
2020年東京五輪の前哨戦に向け、金野潤強化委員長、井上康生・男子代表監督はともに「全階級金メダル」を掲げた。全日本で優勝できなかった
原沢ら超級の選手たちに、井上監督は「どんなルール、どんな相手、どんな環境にあっても絶対的に勝てるという自力、たくましさがないと戦い抜けない」と話した。
世界選手権男子代表◇
60キロ級=高藤直寿(了徳寺学園職)、永山竜樹(パーク24) 
66キロ級=丸山城志郎(ミキハウス)、阿部一二三(日体大4年)
73キロ級=大野将平(旭化成)
81キロ級=藤原崇太郎(日体大3年)
90キロ級=向翔一郎(ALSOK)
100キロ級=ウルフ・アロン(了徳寺学園職)
100キロ超級=原沢久喜(百五銀行) 
団体戦=90キロ超級・影浦心(日本中央競馬会)、90キロ級・村尾三四郎(東海大1年)、73キロ級・橋本壮市(パーク24)

世界選手権100キロ超級代表に全日本V逸の原沢を選出 井上監督は「絶対的に勝てる自力が必要」と叱咤
https://hochi.news/articles/20190429-OHT1T50186.html

体重無差別で柔道日本一を決める全日本選手権(29日、東京・日本武道館)は、世界選手権(8月25日開幕、同)100キロ級代表のウルフ・アロン
(23=了徳寺学園職)が初優勝を飾った。
初戦から順調に勝ち上がり、準決勝で昨年3位の暴走王ジュニア¥ャ川雄勢(22=パーク24)に大内刈りで一本勝ち。決勝はベテランで試合巧者の
加藤博剛(33=千葉県警)から延長戦の末に支え釣り込みで技ありを奪って、日本最強の座に就いた。
試合後のウルフは号泣。「優勝できて素直にうれしい」と感極まった。2017年世界選手権の100キロ級王者だが、昨年1月に左膝半月板損傷の重傷を負って手術。
同年の世界選手権に出場したが、故障の影響で思うように動けず5位に終わった。苦しい時期を乗り越えて、伝統の大会で見事に復活した。
父親が米国出身のハーフで、それまでは規格外のパワーとスタミナを武器に戦ってきた。だが、この大会は「100キロ級のスピードの持ち味を生かした。2年前は
相手が組んでいたが、今年は自分から組んでいけた。そういう意味では成長できた」と“モデルチェンジ”にも成功した。
次は母国開催となる世界選手権。さらに来年はいよいよ東京五輪が待つ。ウルフは「平成最後を締めくくれた。世界選手権はおごらずにやりたい」と前を見据えた。
また、昨年大会覇者でリオ五輪100キロ超級銀メダルの原沢久喜(26=百五銀行)は準々決勝敗退。これまでの実績から世界選手権同級代表に選出された。

ウルフ・アロンが柔道日本一の座に 世界選手権へ「おごらずにやりたい」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1371642/

1948年に始まった伝統の日本一決定戦、平成最後の舞台で、史上初の「両者反則負け」の審判が下った。
3回戦の佐藤和哉(24=日本製鉄)と熊代佑輔(30=ALSOK)との対決で、両者が積極的に組み合うことがなく組み手争いが続き、延長戦の1分43秒に両者に
3回目の指導が与えられ、ともに反則負けとなった。勝者なしで準々決勝進出者はいない結果となった。
佐藤が「悔しいより情けない気持ち。とにかく引き手でどっちが先行するかだった。勇気を出して1つ深い所を取りにいくのができなかった」と肩を落とせば、
熊代は「互いによく分かっているので…。周りの人には申し訳ない。なかなか柔道の魅力、投げることを追求できなかった」と反省した。練習で組み合うことも
ある関係から、手の内を知り尽くしており、互いに慎重な姿勢を変えることができなかった。
大迫審判長は「ルール通りですが、断腸の思い。全日本では初めてになると思う」と説明した。審判が攻めるように促したが、改善が見られなかったという。

柔道 伝統の全日本選手権で初の「両者反則負け」 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201904290000644.html
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2019/04/29(月) 20:47:12.56ID:UQ0qVpAw
何十倍もうれしい
ウルフ・アロン 思っていたより何十倍もうれしい。日本の柔道選手の中で自分が一番強いと証明できる舞台は、ここしかなかった。努力や練習が結果につながり、
少し感極まった。
最年長でよくできた
加藤博剛 今大会最年長(33歳)で出て、よくできたと思う。来年に向けて頑張る。これからもなるべく多く出場して、皆さんに面白い柔道を見せられたらいい。
引いてしまった
小川雄勢 相手(ウルフ)の方がこの大会で優勝したい気持ちが強かった。引いてしまった。準決勝を越えられなかったのは力のなさ。組んだ後の技出しが、
僕の方が少し遅かった。

全日本柔道・談話
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042900540


世界選手権(8月開幕、日本武道館)の男子100キロ超級代表最終選考会を兼ねて行われた。伝統と格式を誇る国内最高峰の戦いで、平成最後の全日本で、残念な
“珍事”が起こってしまった。
3回戦で佐藤和哉(日本製鉄)と熊代佑輔(ALSOK)がともに積極性を欠く試合を展開し、ゴールデンスコア(GS)になっても組み合わず、指導3つで両者反則負けと
なった。大迫明伸審判長によると、全日本選手権での両者反則負けは「初めて」という。
同審判長は「我々としても体重無差別の日本の独自の大会の中で、できればどちらかが積極的になって片方の反則負けか、ポイントでの決着を期待していた。ただ、
さすがにあそこまで攻め合わない、組まないが続くと…」と、無念の表情。3度目の指導の前に一度試合を止めたことに触れ「試合を止めて、このままだと(3度目が)いくよと。
ギリギリのチャンスを与えた。あれ以上は伸ばせない。断腸の思い」と、説明した。
熊代は「昨年も対戦して、指導2つ同士から、自分が掛け逃げで負けた。それもあった…捨て身でいってもよかったが」と唇を噛みしめ、「全日本は日本一をきめる大会。
みんな試合に懸ける思いは強い。でも見ているお客さんはそこは分からない。申し訳ない」と、謝罪した。
佐藤も「両者反則負けは悔しいというか情けない。もう1つ深いところを取りにいくことができなかった。GSに入れば、相手も出てくるし、(引き手を)取れるだろうという
甘い気持ちがあった」と、悔恨した。
両者反則負けにより、この試合の勝者が対戦する予定だった小川雄勢(パーク24)は準々決勝で試合を行わず、準決勝に進んだ。

柔道、平成最後の全日本で残念な“珍事” 史上初の両者反則負け 審判長「断腸の思い」
https://www.daily.co.jp/general/2019/04/29/0012287551.shtml

体重無差別で争う柔道の全日本選手権は29日、東京・日本武道館で世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)男子100キロ超級の代表最終選考会を
兼ねて行われ、2017年世界選手権100キロ級覇者で23歳のウルフ・アロン(了徳寺学園職)が決勝で12年全日本王者の加藤博剛(千葉県警)を延長の末、
支え釣り込み足で技ありを奪って優勢勝ちし、初優勝を達成した。

 ウルフは初戦の2回戦から準決勝まで4試合連続で一本勝ち。準々決勝では昨年準優勝で過去3度制覇の王子谷剛志(旭化成)、準決勝で小川雄勢(パーク24)と
最重量級の強敵を撃破した。
16年リオデジャネイロ五輪男子100キロ超級銀メダルで昨年覇者の原沢久喜(百五銀行)は準々決勝で太田彪雅(東海大)に敗れたが、国際大会の実績を
考慮され、世界選手権代表に選ばれた。
五輪覇者の故斉藤仁氏の次男で、史上最年少の17歳1カ月で出場した斉藤立(東京・国士舘高)は3回戦で加藤に一本負け。3位は小川と太田。
20年東京五輪に向けて日本武道館が改修されるため、来年は千葉ポートアリーナで開かれる。
ウルフ・アロンの話
「ずっと目標にしていた大会なので、優勝できて素直にうれしい。努力や対策、技術が結果につながり、少し感極まってしまった。この手応えを世界選手権に
つなげていく」
飯田健太郎(国士舘大)の話
「(3回戦敗退に)思い通りの組み手になれず、攻め込まれる場面が多かった。(100キロ)超級の選手は強いなという感じ。完敗だった」
七戸龍(九州電力)の話
「(2回戦敗退に)関節技を取り逃がしたのは、(相手の)佐藤選手の方が気持ちが入っていたということ。今のところ、このままじゃ終われない」

ウルフ初優勝「ずっと目標にしていた」原沢はV2逃すも代表に
https://www.sanspo.com/sports/news/20190429/jud19042919300004-n1.html
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2019/04/29(月) 20:54:06.73ID:UQ0qVpAw
連覇を狙った原沢は迷いを振り切れず、準々決勝で太田に屈した。相手が先に指導を二つ受けたが、「投げにいくのか(三つ目の)指導を取りにいくのか。
はっきりしない時間が続き、不意を突かれた」。延長に入って指導の数で並ばれ、最後は奇襲の袖釣り込み腰で技ありを奪われた。
 国際大会の成績や全日本選抜体重別選手権優勝の実績により、世界選手権代表には順当に選ばれた。日本男子の井上康生監督は「世界と国内の
戦い方の違いに対応し切れなかった。どんな環境であれ、どんな相手であれ、絶対的な地力を持って勝ち抜いていくたくましさがないと、世界のトップには立てない」と
厳しく注文を付けた。

原沢、迷い振り切れず=全日本柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042900578

五輪王者の故斉藤仁氏の次男で、17歳1カ月の史上最年少出場を果たした立(たつる)=国士舘高=は3回戦で姿を消した。2012年大会の覇者、
加藤博剛(千葉県警)に一本負け。小内巻き込みで有効を奪われ、最後は関節技を逃げたところで寝技に持ち込まれた。3月に左手首を痛めていたこともあるが、
33歳、出場11回目のベテランの試合運びに対応できず、「知識のなさ、経験のなさ、練習不足が出た」と唇をかんだ。
初めて立った日本最高峰の舞台。試合場が一つしかなく、全方位から観客の注目が集まる。初戦の前、正面に礼をして顔を上げると、今までにない感覚を
味わったという。「何かがボーンとはじけた。胸の中心から『バッ』みたいな。ここで勝ったら沸くだろうな」。1、2回戦では一本勝ちして大器の片りんを見せつけた。
昭和最後の1988年大会を制したのは、仁さんだった。幼い頃から、父の厳しい指導を受け続けてきた。同じレベルの戦いに臨むようになって、仁さんの偉大さを
実感するようになった。「練習中とか、教えてもらっていたことがトップレベルの指導だったことが分かった。イヤイヤ教わっていたことを後悔している」。父と同じ
舞台に立ち、その思いを強くした。
国士舘高の先輩でもある加藤から試合後、「先輩はつえーぞ」と言われ、「チクショー」と叫んだ斉藤。今後は金鷲旗や全国総体など、高校の試合にも出場。
令和のスター候補生は、ほろ苦い経験を糧とする。

初出場の斉藤立「何かがボーンとはじけた」 感じた父仁氏の偉大さ
https://www.nishinippon.co.jp/nsp/judo/article/506634/

「一昨年は決勝で敗れ、昨年はけがで出られなかった。この大会にかける思いは強く、これまでの努力、対策、練習が結果につながった」。初の全日本王者に輝いたウルフは感極まって男泣きした。
100キロ超級の“猛者”たちを次々に撃破した。準々決勝は優勝3度の王子谷を内股で仕留め、準決勝は昨年3位の小川に大内刈りで一本勝ち。果敢なスタイルで館内を沸かせた。試合巧者の
加藤との決勝は延長に入る攻防の末、鮮やかな支え釣り込み足で技あり。右手を突き上げた。
ウルフの脳裏に焼き付く平成を彩った全日本王者は100キロ級を主戦場にしたともに五輪金メダリストの井上康生、鈴木桂治だった。現代表を率いる井上監督や
鈴木コーチから「100キロ級の選手が優勝する姿を見たい」と言われ、発奮。最重量級の選手と組み合って地力を培った。
既に今夏の世界選手権代表に内定しており、体重無差別の今大会はけがのリスクも伴う。しかし、ウルフは「けがを恐れているようでは世界選手権でも勝てない」
と意に介さなかった。
世界選手権と全日本を制し、「三冠」達成のためには、残すは「五輪の金メダル」だ。「強い柔道家を聞くと、三冠を取った人の名前が出る。これで王手をかけられた」。
平成を最高の形で締めくくった史上初のカタカナ王者が、五輪へ勢いをつけた。

ウルフ、悲願の柔道全日本王者に男泣き
https://www.sankei.com/sports/news/190429/spo1904290030-n1.html

熊代佑輔(ALSOK)と佐藤和哉(日本製鉄)の3回戦は延長1分43秒、ともに三つ目の指導を受けて両者反則負けとなった。互いに手の内を知り、引き手を狙い
続けての結末。熊代は「どちらが先に妥協するか。引き下がれなかった」と振り返り、佐藤も「あと半歩の勇気を持てず悔しい」と下を向いた。
続く準々決勝は小川の不戦勝になった。全日本柔道連盟の大迫明伸審判委員長によると、全日本選手権における両者反則負けは「おそらく初めて(のケース)」。
伝統の大会での凡戦に「さすがにあそこまで組まず、攻め合わないと限界。審判団としても断腸の思いだった」と苦渋の表情だった。

「断腸」の両者反則負け=全日本柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042900617
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2019/04/29(月) 21:09:40.28ID:UQ0qVpAw
体重無差別で柔道日本一を決める、伝統の全日本選手権が行われ、平成最後の大会で、17年世界選手権男子100キロ級覇者のウルフ・アロン(23=了徳寺学園職)が
決勝で12年全日本王者の加藤博剛(千葉県警)を延長の末、優勢勝ちし、初優勝を果たした。
日刊スポーツ評論家の古賀稔彦氏、“平成の三四郎”による、平成最後の全日本の評論をお届けする。
無差別で戦うからこそ、階級の相性が出てくる。ウルフ選手はその利点を最大限生かして戦った。超級の選手は超級同士の戦いのリズムがある。体力の減りも同様で、
それが同階級なら問題にはならない。だが、無差別で下の階級、体力的には遜色がない100キロ級と組むと、組み手争いや技出しが速く、呼吸のリズムも崩されて
体力消耗が速くなる。スタミナ自慢で1回の組み手で仕留める技があるウルフ選手にとっては、逆に自分のリズムも作りやすく、後半勝負という戦略を立てやすかった。
現在のルールをうまく利用していることも大きい。引き手で相手の袖口を持つが、以前は反則だった規則が今は技を出せば許容されることになっている。ここを
確保することで自分の組み手を作り、相手に重圧をかけることができている。
最後に、令和の全日本選手権には地方からの猛者の出現を期待したい。超級ではなく90、81、73キロ級などの出場者が出れば、初戦からワクワクするようなカードが
そろう。私が90年大会に中量級で出場し、決勝に進んだ時は非常に盛り上がっていただいた。無差別だからこその魅力が見られる令和の時代になってほしい。

平成の三四郎が平成最後の全日本評論、令和に何望む - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201904290000791.html

ことし夏に東京で行われる柔道の世界選手権の100キロを超えるクラスの代表に国内外の大会で安定した成績を残した原沢久喜選手が選ばれ、男子の代表9人が
出そろいました。
全日本柔道連盟は、29日、東京の日本武道館で行われた全日本選手権のあと強化委員会を開き、ことしの世界選手権の男子100キロを超えるクラスの代表に
リオデジャネイロオリンピックの銀メダリスト、原沢選手を選びました。
原沢選手は、29日の全日本選手権では準々決勝で敗れたもののことし2月の国際大会で優勝し、3週間前の全日本選抜体重別選手権も制していました。
これで世界選手権の個人種目に出場する男子の代表9人が出そろいました。
男子日本代表の井上康生監督は、「代表選手の自覚と誇りを持ち世界選手権で結果を出してほしい。2020年にも目線を向けながら、目標は全選手が一丸となっての
金メダルだ」と話していました。
柔道の世界選手権は、ことし8月から9月にかけて東京オリンピックの会場と同じ日本武道館で行われます。
原沢「スピード感に対応できるように…」
大会2連覇を目指しながら準々決勝で敗れた原沢久喜選手は「初戦から動きはよかったが負けた試合ではもっと積極性を見せたかった。組み手で相手に先に先に
持たれ、自分のいいところを出せずに負けてしまった。2連覇を目指していたが思うようにはいかない。まだまだ課題があると感じた」と大会を振り返りました。
大会のあと代表に選ばれた世界選手権に向けては、「世界選手権まで時間があるのでしっかりコンディションを作っていきたい。これからは、外国人が相手になるので、
試合のスピード感などに対応できるようにしていきたい」と話していました。

柔道世界選手権 100キロ超はリオ「銀」の原沢
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190429/k10011900841000.html
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2019/04/29(月) 21:20:32.21ID:UQ0qVpAw
奇襲で右腕をつかまれた原沢の巨体が畳の上でごろりと回った。延長4分43秒。袖釣り込み腰の技ありで仰向けの大の字になり、2連覇への道は準々決勝で途絶えた。
「最初から投げるつもりだったけど、なかなか思うようにいかなかった」。先に相手が指導2つを受ける優位な試合展開を生かせず、悔しさをにじませた。
「初戦から動きはよかった」との言葉通り、内股がさえ渡った。初戦の2回戦、そして3回戦と豪快に投げての一本勝ちで勝ち上がった。
国際大会での優勝がなかった昨年は、投げられるリスクを避けた指導狙いで中途半端な攻撃に終始。今年2月の国際大会で3年ぶりに優勝するなど、不振脱出の
きっかけは積極的な攻めに転じたことだった。だからこそ、投げにこだわったが、「組み手で先にいいところを持たれてしまった」と次第に劣勢に立たされての敗戦だった。
今夏の世界選手権100キロ超級代表には順当に選出された。「これからは外国人選手が相手。しっかりコンディションを作って対応したい」。切り替えて世界に挑む。

原沢、優位な試合展開生かせず8強で敗退 2連覇逃す 柔道全日本
https://www.sankei.com/sports/news/190429/spo1904290031-n1.html

普段は陽気な男が、インタビューで感極まった。2年前に準優勝しながら、昨年は左膝の手術を受けた影響で欠場。「今年は何としても優勝」との思いを現実にし、ウルフは
「思っていたより何十倍もうれしい」と涙を拭った。
米国出身の父を持つ23歳。2017年世界選手権の100キロ級で金メダルを獲得した。減量せずに108キロほどで臨んだ今大会は持ち前のスタミナに加え、
最重量級に負けないパワー、そして100キロ級ならではのスピードを存分に生かした。
準々決勝では一昨年の決勝で敗れた145キロの王子谷に圧力をかけ続け、延長で内股を決めて鮮やかな一本勝ち。136キロの小川との準決勝では、接近戦を
仕掛けて大内刈りでたたきつけた。
決勝の相手は7年前に優勝した加藤。もともとは90キロ級の試合巧者に対しては、一転して慎重に進めた。相手は33歳。「長引けば長引くほど消耗すると思った」。
組み手で妥協せず、狙い通り長期戦へ。延長約1分半で支え釣り込み足で技ありを奪い、拳を突き上げた。
本来100キロ級の選手で全日本を制した先人には、井上康生や鈴木桂治がいる。両者は世界選手権と五輪で頂点に立った。ウルフも「3冠」を強く意識し、
「井上先生、鈴木先生を超えるような柔道家になりたい」と大きな目標を口にする。まずは今夏に世界王座、そして来年は最後の金メダルをつかみにいく。

ウルフ、涙の日本一=東京で目指す「3冠」−全日本柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042900634

平成の始まりと終わりを「小川家」で制することはできなかった。父直也氏が平成元年大会から5連覇している小川雄勢は、準決勝でウルフに一本負けした。
奥襟を握られ劣勢、後がなくなった終盤に組みにいき、逆に大内刈りの餌食になった。「勝ちたい気持ちが相手のほうが強かった」と肩を落とした。

小川雄勢、平成元年から5連覇した父の前で一本負け - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201904290000759.html

体重無差別で争う柔道の全日本選手権は29日、東京・日本武道館で世界選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)男子100キロ超級の代表最終選考会を兼ねて行われ、
16年リオデジャネイロ五輪男子100キロ超級銀メダルで昨年覇者の原沢久喜(百五銀行)は準々決勝で太田彪雅(東海大)に敗れたが、国際大会の実績を考慮され、
世界選手権代表に選ばれた。
準々決勝で原沢を破った21歳の太田は、準決勝で力尽きた。「このまま優勝してやろう」と臨んだ一戦で、投げをこらえた際に左膝を負傷。相手の動きについていけず、
最後は豪快なともえ投げで一本を奪われた。「大丈夫かと思ったけど、痛過ぎて駄目だった」と悔しそうに話した。
一昨年のユニバーシアードで無差別級を制するなど、最重量級のホープ。優勝候補の撃破に「力を全て出せた」と手応えをにじませつつも、3位の結果には
「不完全燃焼という形で悔いは残る」と満足していなかった。

太田彪雅「痛過ぎて駄目」V候補原沢撃破も力尽きる/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190429/jud19042920450006-n1.html
0344名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/29(月) 21:52:18.16ID:UQ0qVpAw
史上最年少の17歳1カ月で出場した斉藤は、ベテランのうまさに屈した。
1、2回戦を一本勝ちして迎えた3回戦。顔を合わせた加藤は16歳違う国士舘高の先輩。体重も155キロの自身より約50キロ少ないが、開始早々小内巻き込みで
有効を奪われた。その後は寝技で翻弄(ほんろう)されて一本負け。「知識のなさ、経験のなさ。めちゃくちゃうまい」と認めるしかなかった。
男子95キロ超級で五輪を連覇した父、故斉藤仁氏が、昭和最後となった1988年に優勝した伝統の大会。開会式で名前を呼ばれ、拍手を浴びると、言いようのない
高揚感を覚えたという。
「もう切り替わっている。課題が見つかったので、いっぱい練習したい」。平成最後の全日本。「令和」の時代のホープが貴重な経験を積んだ。

17歳斉藤、うまさに屈す=全日本柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042900655

柔道・全日本選手権(29日、東京・日本武道館)体重無差別で争う大会。今夏の世界選手権(8月25日−9月1日、日本武道館)男子100キロ超級代表最終
選考会を兼ねて行われた。大会2連覇を狙った2016年リオデジャネイロ五輪銀メダリストの原沢久喜(百五銀行)は準々決勝で太田彪雅(東海大)に敗れて5位だった。
初戦の2回戦、3回戦は鋭い内股で一本を奪った。準々決勝も指導を2つリードしながら、「積極性が足りなかった」と組み手争いでも優位に立てず、追いつかれた。
8分43秒の末に、袖釣り込み腰で技ありを食らった。平成最後の日本一決定戦が不完全燃焼に終わり、「思うようにはいかない。まだまだ課題がある」と頭をかいた。
それでも昨年の世界選手権銅メダリストは、2月の国際大会で優勝、今月上旬の全日本選抜体重別選手権大会優勝など、男子最重量級の選手の中では、実績で
頭ひとつ以上抜けていた。今夏の世界選手権代表に選ばれた。「選抜まではいい形だった。切り替えて、引きずりすぎないように。世界選手権でベストを
尽くせるようにしたい」と4カ月後を見据えた。

原沢久喜、準々決勝敗退も実績評価され世界代表「ベストを尽くせるように」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190429/jud19042921250007-n1.html
0345名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/29(月) 22:50:45.44ID:UQ0qVpAw
体重無差別で争う柔道の全日本選手権は29日、東京・日本武道館で世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)男子100キロ超級の代表最終選考会を兼ねて
行われ、2017年世界選手権100キロ級覇者で23歳のウルフ・アロン(了徳寺学園職)が決勝で12年全日本王者の加藤博剛(千葉県警)を延長の末、支え釣り込み足
で技ありを奪って優勢勝ちし、初優勝を達成した。
決勝に進んだウルフと加藤はそれぞれ100キロ級と90キロ級を主戦場とする。互いに最重量級の選手をなぎ倒し、体重無差別の試合の醍醐味を体現。一方で主役を
担うはずの100キロ超級が4強で消えるふがいなさだった。
本命と期待された原沢は準々決勝で敗退し、地元開催の世界選手権へ気がかりな結果となった。最重量級の復権に向け、日本男子の井上監督は「絶対的な
地力と変化に対応できる細部の技術がなければ、勝ち続けることはできない」と課題を感じ取っていた。

ふがいない最重量級 井上監督「地力と技術がなければ…」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190429/jud19042922020008-n1.html

3回戦で異例の「両者反則負け」があった。佐藤和哉(日本製鉄)と熊代佑輔(ALSOK)が消極的として同時に三つ目の指導を受けた。どちらも準々決勝に進めず、小川が不戦勝で
準決勝に進んだ。
警戒し合って技が出ず、延長の5分43秒で試合終了。全日本柔道連盟の大迫明伸審判委員長は「(全日本では)たぶん初めて。(試合を)止めて選手に気づくように
チャンスを与えたのに攻め合わなかった。あそこが限界」と述べた。佐藤は「悔しいというより情けない」、熊代は「周りの人に申し訳ない試合になった」と反省した。
昨年2月のグランドスラム・デュッセルドルフ大会男子100キロ超級決勝で原沢と王子谷が同様に反則負けとなった例がある。

全日本選手権で両者反則負けの珍事!攻め合わず「あそこが限界」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190429/jud19042922060009-n1.html

何十倍もうれしい
ウルフ・アロン 思っていたより何十倍もうれしい。日本の柔道選手の中で自分が一番強いと証明できる舞台は、ここしかなかった。努力や練習が結果につながり、
少し感極まった。
最年長でよくできた
加藤博剛 今大会最年長(33歳)で出て、よくできたと思う。来年に向けて頑張る。これからもなるべく多く出場して、皆さんに面白い柔道を見せられたらいい。
引いてしまった
小川雄勢 相手(ウルフ)の方がこの大会で優勝したい気持ちが強かった。引いてしまった。準決勝を越えられなかったのは力のなさ。組んだ後の技出しが、
僕の方が少し遅かった。
簡単ではない
王子谷剛志 (昨年までの)5年は僕と原沢が優勝してきた。(原沢が敗れ)責任を持って優勝しようと思ったが、全日本は簡単ではない。柔道は奥が深い。
もっともっと考えてやる必要がある。

全日本柔道・談話
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042900540

惜しくも7年ぶり制覇はならなかったが、加藤が熟練の味で大いに盛り上げた。「今回最年長で出て、決勝まで行かせてもらって申し訳ない」。33歳のベテランは
おどけてみせた。
3回戦では母校、国士舘高の後輩の斉藤を得意の寝技で退けた。「先輩は偉大だろう。こんなことでめげるなよ」と声を掛けたという。その後も支え釣り込み足、
ともえ投げで一本勝ちを重ねて決勝へ。最後はウルフに屈したが「自分のいいところは出せた」とすがすがしかった。
本来の階級は90キロ級だが昨秋以降、距離を置いている。減量の必要がない全日本は体の切れが増し、過去2年も続けて3位に入っていた。今回が出場11度目。
「これからもなるべく多く出場して、皆さんに面白い柔道を見せられたら」。棟田康幸が持つ15度の史上最多出場記録の更新が目標だという。

加藤、熟練の味=全日本柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019042900687
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2019/04/30(火) 08:52:16.50ID:hdD5TmFL
柔道・全日本選手権(29日、日本武道館)体重無差別で日本一を決める伝統の大会。2017年世界選手権100キロ級覇者のウルフ・アロン(23)=了徳寺学園職=が、
決勝で2012年覇者の加藤博剛(33)=千葉県警=を延長の末、支え釣り込み足で技ありを奪って優勢勝ちし、初優勝した。
柔道家にとって、最高の栄誉を手にすると、感極まって涙を流した。日本武道館で開催された格式高い無差別級の大会で、100キロ級を主戦場とするウルフが平成最後の
全日本王者に輝いた。
「ずっと目標にしていた大会だった。思っていたより、何十倍もうれしい。日本の最重量級に勝てなければ、世界では勝てない思いで闘った」
米国人の父と東京出身の母を持つ23歳は、準々決勝で2年前の決勝で敗れた優勝経験者で100キロ超級の王子谷剛志(旭化成)を内股で撃破。4試合を一本勝ちして
迎えた決勝の相手は、寝技や関節技に定評がある12年王者の加藤博だった。圧力をかけ続け、5分29秒に、支え釣り込み足で優勢勝ち。約9000人の柔道ファンを沸かせた。
昭和23(1948)年から行われる全日本選手権。歴代優勝者は最重量級選手が多く名を連ねるが、ウルフと同じ100キロ級の井上康生・男子日本代表監督(40)が過去3度、
日本代表で指導を仰ぐ鈴木桂治コーチ(38)が4度制した。最重量級を打ち負かし、尊敬する柔道家に近づき、「結果を残せたのは大きい。(偉大な先輩を)超えられるような
選手になる」と新元号「令和」へ、宣言した。
今大会は最重量級の選手対策としてベスト体重である105キロよりも3キロ重い108キロで挑んだ。組み手争いから自慢の速い技だしに、体重増で力強さも加わり、
重い相手を圧倒した。「今回は持っている力を十二分に出せた。100キロ級の時に、この力を発揮しないといけない」と海外勢との闘いを見据えた。
伝統の大会で初めて誕生した片仮名の名前の王者は「緊張しすぎずにできたのは自信になった。おごらずやりたい」。100キロ級代表で出場する世界選手権(8月25日−
9月1日、日本武道館)、2020年の東京五輪が行われる聖地での優勝を足がかりに、夏の祭典へと突き進む。
優勝したウルフ・アロンについて井上康生・男子日本代表監督
「最重量級相手にも力強く、他を圧倒していた。(今後に向けて)心強い」
準決勝でウルフに大内刈りを食らって敗退。全日本選手権7度優勝の直也さんを父に持つ小川雄勢(パーク24)
「昨年と同じ(4強止まり)では進歩がない」
100キロ級のウルフ・アロンが全日本選手権を制した。最重量級以外の選手による優勝は2013年に制した100キロ級の穴井隆将以来。
ウルフ・アロンという男
生まれ 1996(平成8)年2月25日生まれ、23歳。東京都葛飾区出身。
競技歴 6歳の時に講道館のクラブで競技を始めた。東京・文京第一中−千葉・東海大浦安高から2014年に東海大体育学部武道学科に入学。18年に同大を卒業し、
同4月から了徳寺学園の職員。世界選手権は17年金メダル、18年は5位。昨年末のグランドスラム(GS)大阪優勝、19年GSパリ大会2位。
両親 父は米国人で駒大の英語講師を務めるジェームスさん、母は東京出身の美香子さん。だが、ウルフは「英語はまったく話せない」。
自慢の胸毛 17年の世界選手権で胸毛をそって優勝したことから一時期、大会前にそることを験担ぎにした。今大会はそらなかった。「意識がそっち(胸毛)に
いってしまうから」。
愛犬 今年飼い始めた愛犬のフレンチブルドッグ「オレオ」を溺愛し、写真共有アプリで投稿を連発する心優しい一面もある。
得意技 大内刈り、内股。
サイズ 181センチ、108キロ。

平成最後の王者!ウルフ、100キロ超級の猛者蹴散らし初V/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190430/jud19043005040001-n1.html

全日本柔道連盟(全柔連)は29日、「パーク24グループ・プレゼンツ・2019世界柔道選手権東京大会」の男子100キロ超級代表に昨年3位で2016年リオデジャネイロ
五輪銀メダルの原沢久喜(26)=百五銀行=を選んだと発表した。29日の全日本選手権は準々決勝で敗退したが、2月のグランドスラム大会制覇など国際大会の
実績が評価された。
代表選考は報道陣に公開された強化委員会で協議され、日本代表が出そろった。
準々決勝で太田彪雅(東海大)に敗れたが、国際大会の実績を考慮され、世界選手権代表に選ばれた昨年覇者の原沢久喜
「もっと積極性を見せたかった。課題はたくさんある」

原沢、準々決勝で敗退も世界選手権代表/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190430/jud19043005000003-n1.html
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2019/04/30(火) 09:01:30.99ID:hdD5TmFL
柔道・全日本選手権(29日、日本武道館)体重無差別で日本一を決める伝統の大会。五輪覇者の故斉藤仁氏の次男で、史上最年少の17歳1カ月で出場した斉藤立(たつる)=
東京・国士舘高=は3回戦まで進んだが、最後は加藤博に一本負けした。
史上最年少出場を果たした17歳1カ月の斉藤が会場を盛り上げた。1、2回戦を突破。3回戦で敗退したが、初の日本最高峰の舞台を興奮冷めやらぬ表情で振り返った。
「体の中で何かがばっとはじけて、体の中で広がった。ここが全日本選手権かと思った」
柔道界期待の星は190センチ、155キロと恵まれた体格をいかし、1回戦から2試合連続で一本勝ち。3回戦は準優勝した2012年王者で国士舘高の先輩、
加藤博に後ろけさ固めを食らい、一本負けしたが、大器の片りんを十分に発揮した。
父の仁氏は、昭和最後となった1988年大会を制した。幼少期の頃から、父の厳しい指導を受けてきた立は「練習中とかに教えてもらっていたことがトップレベル
だったと分かった。嫌々、教わっていたことを後悔している」。父が頂点に立った日本最高峰の舞台に初出場し、改めて父の偉大さに気付いた。
 「自分が目標にしていた全身全霊で悔いのないような試合ができなかった。悔しさを埋められる練習がしたい」。寝技、俊敏さ、メンタルの3つを課題に挙げた。
平成最後の経験を糧にして、新時代「令和」の主役になる。

令和期待の星!斉藤立、3回戦敗退も史上最年少出場で健闘/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190430/jud19043005030002-n1.html

100キロ級のウルフ・アロン(了徳寺学園職)が決勝で加藤博剛(千葉県警)を破り、初優勝を果たした。100キロ級の選手による優勝は2013年の穴井隆将以来となった。
類いまれなるスピードとスタミナを駆使して、100キロ級のウルフが最重量級の猛者たちをなぎ倒した。全5試合のうち、4試合で一本勝ち。今年の世界選手権、来年の
東京五輪の舞台となる日本武道館でイメージしたのは、身体能力の高い海外勢との闘いだった。
「世界の100キロ級と闘うためには、日本の100キロ超級の選手に負けるわけにはいかない」。準々決勝は過去3度優勝の王子谷、準決勝は昨年の世界選手権代表の
小川と、最重量級の実力者を撃破。決勝は2012年大会を制した90キロ級の試合巧者、ベテラン加藤を延長の末に支え釣り込み足で転がした。
17年大会は準優勝。勢いそのまま同年の100キロ級で世界選手権を制した順調な歩みが一瞬にして暗転した。昨年1月に左膝の半月板を損傷。手術を受け、約1カ月間は
歩くこともできず、茨城の実家に戻り、ライバルたちの海外遠征の結果の情報を断って焦る気持ちを抑えた。だが、心機一転で迎えた昨年の世界選手権は5位。今月初旬の
全日本選抜体重別も決勝で敗れた。同級で今年の世界選手権の代表権はつかんでいるが、不完全燃焼の試合が続いていた。
日本男子の井上康生監督も「重量級相手にも力強く、圧倒した」と絶賛する強さで平成最後の天皇杯を手にし、試合後は思わず涙もにじませた。米国人の父と
日本人の母の間に生まれた23歳は「最高の形で締めくくることができた。世界選手権、東京五輪で最高の(令和の)スタートを切りたい」と力を込めた。新時代の
幕開けを高らかに宣言する勝ちっぷりだった。

平成最後の全日本王者、ウルフが最重量級に挑んだわけ
https://www.nishinippon.co.jp/nsp/judo/article/506721/

全日本柔道連盟(全柔連)は29日、世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)の男子100キロ超級代表に昨年3位で2016年リオデジャネイロ五輪銀メダルの原沢久喜(百五銀行)を
選んだと発表した。29日の全日本選手権は準々決勝で敗退したが、2月のグランドスラム大会制覇など国際大会の実績が評価された。
代表選考は報道陣に公開された強化委員会で協議され、日本代表が出そろった。男子で90キロ級の向翔一郎(ALSOK)と66キロ級の丸山城志郎(ミキハウス)、
女子78キロ超級の素根輝(環太平洋大)が初の個人戦代表。混合団体のメンバー5人も決まった。

世界柔道、男子最重量級に原沢 日本代表が出そろう
https://www.nishinippon.co.jp/nsp/judo/article/506674/
0348名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/30(火) 09:06:01.55ID:hdD5TmFL
平成最後の大会は100キロ級のウルフ・アロン(23=了徳寺学園職)が決勝で加藤博剛(33=千葉県警)を下し、初優勝を飾った。すでに世界選手権(8月25日〜9月1日、
日本武道館)代表に内定しているウルフは、準々決勝で王子谷剛志(旭化成)、準決勝で小川雄勢(パーク24)と100キロ超級の実力者をいずれも一本で破る快進撃。
2度目の世界制覇と来年の東京五輪に向けても弾みをつけた。100キロ超級の世界選手権代表には、準々決勝で敗れて連覇を逃した原沢久喜(百五銀行)に決まった。
2年前はあと一歩及ばなかった頂点。激戦を繰り広げた畳の上で行われたインタビューで「思っていたよりも何十倍もうれしい」と話すと、頬を涙が伝った。少年時代、
100キロ級で活躍した井上康生や鈴木桂治が優勝する姿に憧れ、現在指導を受ける2人に続く初優勝。「世界の100キロ級で勝つには、日本の100キロ超級には負けて
いられないので」と胸を張った。
初戦で同じ100キロ級の新添悠司(大阪府警)相手に内股を仕掛けられた際、「全然微動だにしなかった」ことで好調さを実感。2年前の決勝で敗れた王子谷には、
延長2分過ぎに内股で145キロの巨体を転がしリベンジ。小川戦も組み手で優位に立つと、大内刈りで有無を言わせぬ一本。決勝では90キロ級の加藤博のうまさに序盤は苦戦も、
最後は支え釣り込み足で技ありを奪い「減量がなく、力を十二分に出せた」と振り返った。
主戦場は100キロ級だが、この日の体重は普段と同じ108キロ。切れ、スピード、パワーと三拍子そろうベスト体重で戦えたことが快進撃の原動力だ。課題は減量時に、
同じ力を出せるかどうか。「減量するとスタミナが不安になる」ことから、4カ月後の世界選手権に向けては普段の体重を105キロでキープ。削り幅を小さくする新たな試み
に取り組む。
01〜03年に3連覇を達成している男子日本代表の井上監督からも「世界選手権、来年の五輪に向けても頼もしい」と最大級の賛辞を贈られたウルフ。「カタカナの名前
の人が全日本を獲ったのは初めて。そういうのもうれしい」と平成最後に刻んだ名前を、令和の時代にさらに輝かせる。

ウルフ、令和を背負う!平成最後に初日本一「思っていた何十倍もうれしい」
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/30/kiji/20190429s00006000396000c.html

原沢は敗退したものの、これまでの実績を評価されて100キロ超級の世界代表に3年連続で選ばれた。
太田戦は先に相手に指導2が行き優位に立ちながら「投げにいくのか指導を取りにいくのか、どっちつかずになった」。その後指導2で並ばれ、最後は左の袖釣り込み腰
で不意を突かれて技ありを奪われた。2連覇を逃したが、世界選手権に向けては「時間があるので、しっかりコンディションをつくりたい」と気持ちを切り替えていた。

原沢 2連覇逃すも…100キロ超代表選出「しっかりコンディションつくる」
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/30/kiji/20190429s00006000405000c.html
0349名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/30(火) 09:10:56.52ID:hdD5TmFL
ウルフは精神的、肉体的スタミナに加え、パワー、組み手の巧みさが備わっている柔道家。そこに今回、緻密さが加わった。剛速球投手に変化球が加わり、幅が広がった感じ
と言えばいいだろうか。
例えば、相手有利の組み手になった際、以前は自らつぶれ、逃げることしかできなかった。ところが今回は相手有利になっても体の動きや技を出すことによって流れを変えた。
さらに、組み手は切らず、少しずつずらして、自分の技を出せる位置に変えていた。いつの間にかウルフの組み手になることで、相手は無理な体勢で技を繰り出し、
スタミナを消耗する。ウルフのもう一つの特長は、リカバリーが早く、トーナメントの終わりになればなるほど他の選手との体力差がつくこと。全日本王者になったことを
自信にし、世界選手権までさらに緻密さを身につけてほしい。
この日の原沢は、内股に頼る傾向があった。本来は大内刈りや大外刈り、支え釣り込み足といった技を持っている選手。五分に組み合った後、自分有利に組み替えていく
組み手も課題とし、本番に臨んでほしい。

ウルフ、剛速球投手に変化球が加わった
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/04/30/kiji/20190430s00006000102000c.html

平成のラストチャンピオンはウルフだ! 8月の世界選手権(東京)男子100キロ超級代表選考を兼ねて体重無差別で行われ、100キロ級代表のウルフ・アロン(23)=
関東・了徳寺学園職=が最重量級の有力選手を次々と撃破。初優勝を果たした。連覇を狙った原沢久喜(26)=推薦・百五銀行=は準々決勝で敗退。大会後、全
柔連男子強化委員会が行われ、100キロ超級代表には原沢が選ばれた。
息が上がりつつある相手の一瞬の隙を逃さなかった。ウルフの伸ばした左足を軸に、加藤博の体が宙に弧を描いた。ゴールデンスコアの延長戦。一本判定でも
おかしくないほど鮮やかな支えつり込み足が技ありとなり勝利が決定。平成最後の大会で、ほしかった「柔道日本一」の称号を手にした。
応援席に指で一番を示した平成12人目の新全日本王者は、畳の上の優勝者インタビューでマイクを向けられると、対戦相手をにらみ続けた鋭い目がみるみるうちに真っ赤
になった。
「光栄です。目標にしていた大会なので、うれしい。一昨年は2位で、昨年はけがで出られず。そんなことを思い出して…。たくさんの人の応援が力になった」
100キロ級を主戦場とする選手の優勝は13年の穴井以来6年ぶり。6日の全日本選抜体重別で羽賀龍之介(旭化成)に決勝で敗れたが、100キロ級の世界選手権代表に
選ばれた。今大会に向け「けがのリスクはあるけど、外国の大きな選手に対抗するためにも100キロ超級の選手と戦うのは大事と考えた」と、3週間かけ体重を108キロ
(当日は105キロ)まで増やして体重無差別の大会に臨んだ。
切れのある内股と支えつり込み足で初戦の2回戦から連勝。準々決勝で3度Vの王子谷剛志(26)=推薦・旭化成=に6分14秒の激闘の末、内股で一本勝ち。準決勝で
小川雄勢(22)=東京・パーク24=に大内刈りで一本勝ちと、最重量級の相手を撃破すると、決勝は12年大会覇者の加藤博を退けた。5試合で4つの一本を決め、
うち3つは最重量級相手からだった。
「そると力が落ちちゃうかもと思って胸毛は最近、そらない」と笑わせたウルフ。米国出身の父・ジェームスさん、母・美香子さんら家族が見守る中の勝利に「カタカナの
名前の人が全日本取ったのは初めて。うれしいです」と笑った。
「平成の最後に全日本で勝った。令和の最初に世界で勝って、最高のスタートを切りたい」。17年の世界柔道を制し、この日、柔道3冠の2つ目を取ったウルフ。
残るは五輪金メダル。まずは世界柔道で2度目の頂点に立ち、来年に夢をつなげる。

ウルフ・アロン、平成最後V「たくさんの人の応援が力になった」
https://hochi.news/articles/20190429-OHT1T50242.html
0350名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/30(火) 09:17:21.25ID:hdD5TmFL
17年世界選手権男子100キロ級覇者のウルフ・アロン(23=了徳寺学園職)が、決勝で12年全日本王者の加藤博剛(千葉県警)に延長の末、技ありで優勢勝ちし、
初優勝を果たした。持ち味のスタミナを武器に準々決勝では過去3度制覇の王子谷剛志、準決勝では小川雄勢と最重量級の強敵を撃破。大会後の強化委員会では
世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)100キロ超級代表に原沢久喜(百五銀行)が選出された。
4度目の挑戦で「オオカミ」が悲願の全日本王者となった。準決勝まで4試合連続で一本勝ち。“寝業師”加藤との決勝で、延長に突入した5分29秒。組み手争いを制し
支え釣り込み足で技ありを奪って、勝負を決めた。右手を力強く握り、観客席にいた両親に向かって指で「1」をさした。「100キロ級が日本一を証明することができて
大きな自信になった。令和時代に向けて最高のスタートが切れた」。珍しく、感極まって涙した。
夢だった。中学時代に100キロ級の井上康生男子監督らが全日本王者になるのを目にし「再び、100キロ級の時代を築く」との強い思いがあった。17年大会決勝では
王子谷に敗れてあと1歩だった。昨年1月に左膝を手術し、4カ月後の世界選手権を考慮すると故障リスクもあったが「日本の最重量級に勝てないと、世界の100キロ級には
通用しない」として、準備に万全を期した。恩師の東海大の上水監督は「馬力だけに頼らず、勝負の駆け引きも出来ていた」。グルメであり、通常は110キロ超で体重管理が
悩みだったが、今回は減量なし。「一番動ける」とする108キロで臨んだ。強みのスタミナ強化を図るため、3月の関東予選(宇都宮市)前日には大量のギョーザを平らげた。
全日本、世界選手権、オリンピック(五輪)の「3冠」を最終目標とする。平成最後の伝統ある大会で、初めてカタカナ表記の優勝者の名を残した。「これで20年東京五輪に
3冠の王手をかけられた。名前の通り、ワイルドに突き進みたい」。野性味あふれる23歳の柔道家の進化は止まらない

動けて技ある100キロ級ウルフが無差別制し日本一 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201904300000043.html

全日本柔道選手権が29日、東京・九段下の日本武道館で行われ、100キロ級から挑戦したウルフ・アロン(21、了徳寺学園職員)が初優勝を飾ったが、注目は17歳と52日で
史上最年少出場を果たしたロス、ソウル五輪95キロ超級金メダリスト、故・斉藤仁氏の次男、立(国士館高3年)の16強進出の大健闘だった。左手首を痛め、乱取りを
2週間前に再開したばかりの状況で挑み、7年前の全日本覇者で今大会の決勝まで行った“業師”加藤博剛(33、千葉県警)に寝技で仕留められたが会場を大きく沸かせた。
190センチ、155キロのサイズに加え、その性格も父親同様に豪快で愛されるキャラ。東京五輪出場は厳しくなったが、日本の重量級界の未来を背負う大器が出現した。
父が死闘を演じた舞台でベスト16進出
日本武道館で行われる全日本選手権は、4年前に54歳で他界した偉大なる父が、9連覇を果たした山下泰裕との死闘を繰り広げた舞台だ。昭和最後となる1988年の
大会を制している。そして、その“最強遺伝子”を引き継ぐ次男が平成最後の“聖地”に立った。
開会式で畳に上がり名前がコールされ、深々と下げた頭を上げた瞬間、何かが胸の中で弾けたという。
「なにかがバッーと弾けた。体の中で光が広がったみたい。中心からぶわっと。すげえな。これが柔道選手権か。勝てば(会場が)沸くやろう。楽しみやな」
浪速っ子らしく面白おかしく擬音で表現。つまりアドレナリンが全身を駆け巡ったのである。それは「初めての経験」だった。
これまでも武道館で試合をしたことがあるが、試合場がたったひとつで八角形に囲まれた観客席から視線を一身に浴びる風景は違ったという。これが父が戦い、
優勝した全日本なのだ。
「さあ、来い!」と両手を高く掲げてから組手に入る姿も父の姿に瓜二つ。それだけで会場がどっと沸く。
1回戦では、同じく初出場の加藤大志(27、北海道警察)に積極的に仕掛けて指導を取ると豪快な大内刈りで倒して1本勝ち。続く2回戦は、193センチ、140キロと体格のある
黒岩貴信(26、日本製鉄)が相手だったが、臆することなく攻めた。しっかりと引手を使い、左足をねじこんで、最初に指導を取ると、キレのある大内刈りから袈裟固めに
抑え込んでの合わせ技1本。そのパワーはワールドクラス。外連味のある勝ちっぷりでベスト16へ駒を進めた。
3回戦の相手は今大会最年長で11度出場を誇る加藤。90キロ級が主戦場だが、寝技や巴投げを得意としており大きい相手との戦いを知り尽くしている“曲者”だ。
斉藤は、小内巻き込みでバランスを崩され有効をとられた。
0351名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/30(火) 09:21:34.54ID:hdD5TmFL
続けて「気をつけろと言われていた。想定内。でも、むちゃくちゃうまかった」という寝技に引き込まれ、関節技の脇固めで腕を決められかけた。
「普通は抜かないといけないらしいんですが、知識がなかった」
まだ高校3年生。レベルの高い寝技、関節を学んでいない。しかも、3月に左手首を痛めた影響があり寝技の練習に時間も割けなかった。斉藤は、ただ本能で、なんと、
でんぐり返しをして、その関節技を切った。だが、セオリー通りの逃げ方ではなかったため、そのまま後ろ袈裟固めに抑え込まれた。巨体をバタバタさせて抵抗したが万事休す。
「寝技、関節がまったくわかんなくて。前転したら、とれるんちゃうかと思ったけれど、そのまま抑えられて。しょうむないことをしてしまった。やられました」
これが百戦錬磨のベテランの洗礼。
斉藤ジュニアの全日本の挑戦はここで終焉となった。
「(関節、寝技の)知識のなさ、経験のなさ、練習不足もあって悔いしか残らない。あそこで勝ったら気持ちいいんでしょうが、負けたらむちゃくちゃ悔しい。全身全霊で
戦い悔いなき試合をしたいと言っていたが、悔いしかない。出し切れていない」
取材スペースに出てきた斉藤は悔しさを隠さなかった。
その素直さがいい。
痛めた左手首をテーピングで固め、痛み止めを打って試合に臨んだ。大学生との乱取りを再開できたのは、ほんの2週間前。その間、彼なりの葛藤があったという。
岩渕公一監督からは「痛くてもやれ! 練習しながら治せ」と命じられたが、「ちょっとちゃうやろ」と反抗心を抱いた。
「悪化するのが怖かったのでしっかりと治すほうが先やと」
葛藤はあったが痛みを我慢して稽古を続けると動きが戻ってきた。それでも、たった2週間の準備で、ここまでできるのは非凡。
男子日本代表の井上康生監督も、「若手に存在感があった。重量級の未来に頼もしい選手が出てきた」と、斉藤を含む若手を高く評価した。
父が数々の伝説を残した全日本の畳に立ってわかったことがあった。天国へ旅立つ寸前、「稽古へ行け」と、遺言を残した父の指導はとても厳しく、当時は、言われたことを
素直に聞き入れることができなかったが、父の母校である国士館へ進み、高いレベルの柔道を学ぶようになってからその言葉と後悔の念が蘇るという。
「こう言ってたな、ああ言ってたなと。(父に)教えてもらっているとき、トップレベルのことを教えてもらっていた。なのに嫌々教わっていたことをバカだったかなと後悔している。
国士館に来て、凄いことを教わっていたんだなとわかる」
表情には、まだ少年のような可愛らしさの残る斉藤は、ほんの少し大人になった。
 残念だが、夢から目標に切り替わり始めていた東京五輪出場は、かなり厳しくなった。だが、「東京五輪? どうなんですかね。わかんないですが、もうしっかりと切り
替えている。課題はみつかってるんで。悔しさを埋めるために練習をする」とポジティブだった。
斉藤が具体的な課題として挙げたのは「寝技と、相手を警戒しすぎていたこと。気持ちの部分」の2点である。
逆にいい点もあったのでは?と聞かれると、「いいところはわかんない。いいところを見たら慢心する」と言いつつ「最初は固まっていた部分もあった。でも技を出して
固まったのが和らぎ、立ち直った。そこは良かった」と、大舞台での緊張の解きほぐし方を得た点を挙げた。
次なる目標も定めた。
「まだ実力をだしきれていない。金鷲旗(高校柔道大会)、インターハイの団体もある。前回勝っていない世界ジュニアでリベンジもしたい」
昨年の世界ジュニアでは、ただ一人メダルをクビから下げることができなかった。今度は、そこで成長した姿を見せるつもりでいる。
斉藤は、1本負けした武道館の畳の上で、父の国士館の教え子だった加藤から「先輩は強ええぞ」と声をかけられた。斉藤は「ちくしょう!」と言い返したという。
柔道のスケール、喋り、そして魂を剥き出しにするファイティングスピリット……すべてに父の“最強遺伝子”を引き継ぐ大物。父が守った日本伝統の重量級に未来の
金メダル候補が現れたのかもしれない。

史上最年少全日本柔道出場の斉藤ジュニアが見せた“最強遺伝子”の片鱗
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190430-00010000-wordleafs-fight
0352名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/30(火) 09:26:09.36ID:hdD5TmFL
「途上国発の世界ブランドをつくる」。山口絵理子氏(37)はこう目標を掲げて2006年、バングラデシュでバッグを生産して日本で販売する「マザーハウス」を創業した。
19年4月現在、生産国はネパール、インドネシアなどを加えた6か国に広がり、国内30店と台湾、香港、シンガポールの海外8店で、バッグからアクセサリー、衣料品まで
扱うほどに成長している。各国を仕事場に活躍する山口氏だが、高校時代は男子部員を相手に柔道の練習に明け暮れる生活だったという。慶応義塾大学湘南藤沢
キャンパス(SFC)で開発学に出会い、歩むべき道が見えてきた。
「みんなと同じ」が苦手な子どもだった。
今も基本的に変わっていませんが、ひとことで言うと内向的。自分の意見を話すのが苦手で、いつも日記を書いたり、絵を描いたり、粘土をこねたりしていました。
父が陶芸をやっていたので、身近に芸術があったことも影響していたかもしれません。
小学校では「前にならえ」も疑問に感じるくらい周りのみんなと同じ行動をすることが苦手で、窮屈に感じていました。漠然と「もっと自分らしさがあってもいいんじゃないか」
と思って。自分が周りのみんなと違うことを認識させられた6年間でしたね。1年生のとき、ベランダに出ていたら中からカギをかけられるといういたずらをされたんです。
物理的にだけでなく、精神的にも輪の中に入れないという状況です。
でも、この中に入ることだけがゴールだったら、生きるのがつらいなと感じていました。私の場合、母が支えてくれたおかげで6年生のころには休まず出席できるようになりましたが、
中にはドロップアウトしてしまう子もたくさんいるでしょう。もっと個々の違いを認めてもらえて自由になれたらいいのに、という問題意識がこのころ芽生えました。
中学は地元の公立に進みました。クラスも環境も変わるので、もういじめられたくないという気持ちもあって遊んでいる先輩たちと付き合い始めたんです。学校に
行かないのは当たり前。先生にも反抗して。それが、中2の秋にたまたま柔道の道場で女の子が男の子を投げ飛ばしているのを見て変わりました。「かっこいい!」と思い、
のめりこんだんです。負けるのが悔しくて、部活でも町の道場でも練習して、中3のときに埼玉県で1位になりました。
男子強豪高に入って全国7位に。柔道をやり切った後、教育を変えたいと慶応SFCに進む。
当時、埼玉県の女子柔道は埼玉栄高校が圧倒的に強かったのですが、決められた道を進むのが嫌で。自分の力を試してみたかったんですね。男子で1位のところで
鍛えれば埼玉栄に勝てると考え、県立大宮工業高校に入りました。当時、女子柔道部はなかったので、監督に何度も入部させてほしいと懇願しました。「男子が弱くなる」と
断られ続けましたが「必ず結果を出す」と約束し、やっと認めてもらいました。
でも、ケガが多く、なかなか結果が出なかったんです。精神的にも不安定だったとき、監督と交換日記のような形で柔道日記を書き、支えられました。柔道では
「自分に勝つ」ということを学んだと思います。高3最後の試合があった9月23日、負けたのに、爽快だったんですね。「いじめられた自分を克服したい」というのが柔道を
始めた原点でしたから。この先、オリンピックの金メダルを目指し畳の上で人生を送るというのはちょっと違う。自分は小学校の6年間、違和感を持っていたのを変えたい。
そのためにいい大学に入りたいと思い、そこから猛勉強しました。
高校生活は柔道が中心。授業中はほとんど寝ていたので浪人覚悟でしたが、慶応SFCのAO(アドミッションズ・オフィス)入試の面接で「教育を変えたい」という小学校からの
思いを訴え、合格できました。面接官に「柔道はやらないの?」と聞かれて、はっきりもうやるつもりはないと答えたので、落ちたかな、とも思ったんですけどね。
同級生のほとんどが就職する工業高校から進学したSFCでは、周囲に圧倒された。
入学してからは、まるで別世界にいるような衝撃を受けました。帰国子女が多く日常的に英語が飛び交っているし、1年生の時から他大学と連携してイベントを企画したり
ITベンチャーを起業したりする学生もいる。工業高校卒なんてもちろんいないし、自分は柔道しか知らないと改めて思い知らされました。英語もコンピューターも何もできず、
すべてがコンプレックスです。授業では先生にあてられないよう、一番後ろに座っていました。
必死でついていこうと、毎日ずっと図書館で予習・復習をしました。人生で一番勉強した時期です。それでも成績はBを取れればいい方。実は1年生の終わりごろ、
退学届を書いたんです。辞めて美大を受けなおそうと思って。ずっとスポーツの世界にいて「1位にならなければ意味がない」と思い込んでいたんですね。どの科目も
0353名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/30(火) 09:32:58.80ID:hdD5TmFL
普通以下なのがやるせなくて。
母に辞めると伝えたら「あ、そう。いいんじゃない」。さらりと言われたら、肩の力が抜けました。「別にいいじゃない」という答えもあるんだ。このことが分かったとたん、
もう少し力を抜いて2年生を踏み出してみようかなと思えました。
開発学の授業がきっかけで、途上国の教育問題に取り組み始めた。
1年で辞めずに続けたおかげで「開発経済学」という学問に出合い、(元経済財政相の)竹中平蔵先生の授業を受けることができました。そこで初めて「途上国」という言葉を
聞き、国の根幹をなす経済成長に対して教育が持つインパクトが非常に大きいと知って、教育と途上国がオーバーラップするようになってきたんです。
SFCはグローバルな環境で、政治や経済の分野の素晴らしい先生がそろっていましたが、中でも竹中先生は政策立案の中枢にいる人です。自分がやりたいことを学べるのは
先生の研究会だと思いました。
竹中研は政治経済で圧倒的な人気を誇っていて、そこにいる先輩たちはSFCの中心と言われていました。校内を歩いていると全然違う雰囲気を持っていて、「この人たちは
世の中を動かす人たちとつながっているんだ」という感覚でみんな見ていていた気がします。絶対受からないと思ったけど、ゼミの面接を受けるだけならタダだから行ってみようと
考えて挑戦しました。後から聞いた話ですが、将来何になりたいか聞かれたときに「首相になって教育を変える」と答えたのが面白いといって、採ってくれたみたいです。
ゼミでは経済格差や貧困問題について調べて発表していました。竹中研からは日銀や財務省に行く人が多く、主に金融や財政政策を研究していましたから、私は完全に
アウトサイダーです。先生は忙しくてなかなか大学に来られないし、私なんかが近寄るなんてできないと思っていました。でも、経済成長と教育の相関について、本当に
シンプルですが計量モデルを作って発表したとき、「プレゼン良かったよ」と一言声をかけてくれたんです。もう天にも昇る気持ちでした。柔道以外で人に認められる機会は
ゼロで、SFCに受かっちゃったのは間違いだったと後悔していたころですから、その言葉はすごく重かったです。

工業高→慶応SFC マザーハウス山口氏培った突進力
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO43937090Z10C19A4000000

熊代佑輔(ALSOK)と佐藤和哉(日本製鉄)の3回戦で、両者反則負けとなる“前代未聞”の珍事が起きた。指導3回で反則負けとなるルールで、本戦では2人に指導2つが入り延長へ。
だが攻め合うことなく両者に3回目の指導が与えられた。勝者が準々決勝で対戦予定だった小川雄勢(パーク24)は不戦勝となり準決勝へ。全柔連の大迫審判委員長は
「私の記憶では全日本選手権では初めてだと思う」と頭を抱えた。
両者は昨年6月の実業団団体でも対戦。熊代は「前回はかけ逃げで負けてしまって。捨て身でいっても良かったけど、引き下がるわけにはいかなかった。周りの人には
申し訳ない勝負をしたけど、どうしてもいけなかった」と反省した。

柔道全日本選手権3回戦で“前代未聞”の両者反則負け
https://hochi.news/articles/20190429-OHT1T50247.html

柔道の全日本選手権3回戦で両者が反則負けとなる異例の事態があった。佐藤和哉−熊代佑輔のカードは序盤から相手の引き手を探り合う膠着(こうちゃく)が続き、開始から1分余りで
双方に2度の指導が出た。主審は試合を止めて打開を促したが、延長に入っても変化はなく、5分43秒で両者に反則負けを宣告した。
佐藤和は「あと半歩(前に出る)の勇気が出なかった」と肩を落とし、熊代は「観客に分かりづらい試合をしてしまった」と猛省した。全柔連の大迫明伸審判委員長によると
両者反則負けは大会初。「組まない、攻めないが続いては仕方ない」と述べた。

3回戦で両者反則負け、大会では初めて 柔道の全日本選手権
https://www.sankei.com/sports/news/190429/spo1904290033-n1.html
0354名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/30(火) 14:22:20.75ID:2w0eMbDi
8月の世界選手権(東京)男子100キロ超級代表選考を兼ねて体重無差別で行われ、100キロ級代表のウルフ・アロン(23)=関東・了徳寺学園職=が最重量級の
有力選手を次々と撃破。初優勝を果たした。連覇を狙った原沢久喜(26)=推薦・百五銀行=は準々決勝で敗退。大会後、全柔連男子強化委員会が行われ、
100キロ超級代表には原沢が選ばれた。
連覇を狙った原沢は準々決勝で、学生王者の太田彪雅(東海大4年)に袖つり込み腰で一本負け。「投げにいくのか切り替えで迷ってる時に奇襲の技でやられてしまった」。
連覇を阻止され、8強止まりとなったが、男子100キロ超級の世界選手権代表には選ばれた。
2月のグランドスラム・パリ2位、4月の全日本選抜選手権優勝などの実績で国内ポイントが1位だったため選出。金野潤強化委員長は「世界で勝てる選手を総合的に
判断した」。井上康生代表監督は「どんなルール、どんな相手、どんな環境にあっても絶対的に勝てるという自力、たくましさがないと戦い抜けない」と叱咤(しった)激励した。

原沢、敗退も…100キロ超級代表 金野強化委員長「総合的に判断した」
https://hochi.news/articles/20190429-OHT1T50246.html

平成は、日本人アスリートが世界へ大きな飛躍を遂げた時代だった。夏季五輪は1992年(平成4年)のバルセロナ大会から7都市で行われた。女子柔道の
谷(旧姓・田村)亮子さん(43)は初出場のバルセロナで銀メダルを獲得。出場5大会で金2、銀2、銅1と連覇を含め、全ての大会で全メダルを手にした。
平成ラストデーの30日、夏季五輪を取材したスポーツ報知取材陣が思い出の五輪を振り返るとともに“YAWARAちゃん”が日本人唯一の偉業を語った。
全力の積み重ねです
我が子をいとおしむように、谷さんはメダルを一つ一つ、両手で持ってテーブルの上に並べた。92年バルセロナ銀、96年アトランタ銀、2000年シドニー金、04年アテネ金、
08年北京銅。日本選手で初めて出場5大会全てでメダルを獲得した。しかも全ての色がそろった。並んだメダルは、それぞれに違った輝きを放っている。
「どの五輪が思い出深いとか、私の中での順位付けはありません。一つ一つに全力を尽くし、その全てはつながっている。『全力の積み重ね』なんです。15歳の福岡国際が
なければ、バルセロナ五輪はなかった。人との出会いや巡り合わせに恵まれていた。女子柔道はバルセロナから正式種目になりましたから。運もあります。
多くの方の応援が力になった。メダルを見ると、常に成長させてもらいながら平成を駆け抜けてきたんだなあと思う」
試合待ち遠しかった
90年の福岡国際。中学3年生だった谷さんは当時世界最強のブリッグス(英国)を破って初優勝し、日本中を沸かせた。世界選手権は7度制した。当時は2年に
1度開催だから、彼女がデビューした年に生まれた赤ちゃんは、5度目の五輪の年には高校3年生。いかに長く、強かったのかが分かる。最初のバルセロナ五輪は銀メダル。
決勝でノワク(フランス)に敗れたものの、準決勝ではブリッグスを再び下した。
「初めての五輪は、緊張というより楽しみでした。柔道競技の最終日で、現地入りしてから2週間近くあったので、試合が待ち遠しかった。先輩方はどうメダルに絡むのか、
試合場での立ち居振る舞いや場の雰囲気…。何でも吸収した。よく銀メダルが取れたなあと思う。選手の実力は拮抗(きっこう)していた。あの時の実力は銀メダルだったと、
冷静になって考えると、そう思える。だから、次を目指すという思いが湧いた」
93年の世界選手権(カナダ)で初優勝。2年後の幕張大会で連覇し、アトランタ五輪では優勝候補となった。準決勝で宿敵サボン(キューバ)を下しながら、決勝で
伏兵ケー・スンヒ(北朝鮮)に敗れた。
「サボン選手とはいろいろな大会で決勝を争っていたので、準決勝が事実上の決勝という感じが確かにあった。当時の映像を見ると、彼女に勝った後ガッツポーズをしたし、
少し笑みがこぼれたように見えた。勝って満足してしまった自分がいた。金メダルを期待されていたけど自分自身、もっと研さんを積んでいかないといけないと思った。
アトランタでの負けに驚きはない。金メダルを取るには、まだ早かったということです」
シドニー五輪では「最高で金、最低でも金」と自らを鼓舞するように言った。決勝で新鋭ブロレトワ(ロシア)を内股で破り、悲願の初優勝だ。
「あの言葉は熊本合宿で初めて口にした。毎回合宿で目標を尋ねられ、その時の気持ちを素直に伝えたくて、自然と出てきました。発言と同時に心は決まった。
この言葉が大きな力となる。金メダルを取るためにシドニーに行くという決意があった」
0355名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/30(火) 14:23:21.10ID:2w0eMbDi
03年、プロ野球の谷佳知外野手と結婚した。当時、結婚を機に引退する女子柔道選手が多かったが、彼女にはアテネ五輪で日本人女子個人競技では初となる連覇が
懸かっていた。「田村で金、谷でも金」の誓いを立てた。
「この時点で五輪に4度目の出場をすることだけでも光栄でしたが、心技体どれも一番充実していた。でも大会前の合宿で体育館に敷いていた畳がずれて、そこに左足の
小指が挟まり腓(ひ)骨筋腱(けん)を損傷。じん帯も痛め、内出血して腫れ上がった」
五輪発祥の地で行われる本番(女子48キロ級は8月14日)が目前だった7月12日のアクシデント。応急手当てとして患部に馬肉を貼り、熱を取ったという。
「母(和代さん)が熊本出身で、馬肉は熱を吸収する性質があることは知っていて…。馬肉のおかげで五輪連覇です(笑い)。信条としていた『稽古に裏付けられた自信のみ』を
アテネで再確認できた」
長男・佳亮(よしあき)君を出産し、07年世界選手権(リオデジャネイロ)で優勝。「ママでも金」を実現した。
「出産後、体を戻すのが大変で10キロの減量もあった。体調も変わり授乳もある。そういう状態で(リオ世界柔道で)『ママでも金』を達成できたことは、言葉にできないくらい
込み上げてくるものがあり、ついにやり遂げたという思いがあった」
感謝しかありません
その実績が評価され5度目の五輪切符を獲得。北京五輪の準決勝、ドゥミトル(ルーマニア)は、組み手争いで攻めてこない姿勢を貫いたが、なぜか谷さんに指導が
与えられた。世界大会ではアトランタ五輪決勝以来12年ぶりの黒星。それでも3位決定戦では、鮮やかな払い腰でロシアのボグダノワを豪快に投げ、銅メダルを手にした。
「五輪5大会連続メダル獲得は大変長い道のりでした。長きにわたり競い合った全ての選手の皆さんが、私の能力を引き出し、高めてくれたのです。五輪を一言で言うと?
 『感謝』しかありません」
平成時代、テーブルに並んだメダルのごとく輝きを放つ、世界で最も有名な柔道家となった。国際柔道連盟は11年、史上最優秀女子選手賞を贈った。この賞を受けた
選手はこれまで彼女しかいない。現在、男の子2人のママとなった。新たな令和時代は、スポーツを志す13歳の佳亮君、9歳の晃明君とともに始まる。

“YAWARAちゃん”と振り返る平成五輪 感動ドラマは令和でも…谷亮子さんインタビュー
https://hochi.news/articles/20190429-OHT1T50202.html

北京五輪柔道男子100キロ超級金メダリストで総合格闘家の石井慧(32)が30日、ツイッターを更新し、29日に行われた柔道の全日本選手権に言及した。
体重無差別で柔道日本一を争う全日本は決勝で、100キロ級のウルフ・アロン(23=了徳寺学園職)が90キロ級の加藤博剛(33=千葉県警)を破り、初優勝を飾った。
加藤は奮闘むなしく世界選手権の代表入りは逃した。
石井はこれに異論を唱えた。「加藤先輩凄くない? いっつも決勝までいってるよ。もともと81の選手やで。一回でいいから加藤先輩を代表選べや」と全日本柔道連盟の
強化委員会の選考に疑問を呈した。
過去、全日本で加藤が決勝まで行ったのは2回だが、3位も2回と上位常連のイメージは強い。さらにロンドン五輪直前の2012年大会では優勝もしている。
加藤が代表になかなか選ばれない理由は、国際大会での成績が振るわないことが理由とされる。強化委が最も重視するポイントが、加藤にとって一番の課題だ。
しかし、海外の柔道家からも「なぜ加藤が代表に選ばれないんだ?」と指摘を受けた石井は、中量級の選手ながら100キロ超級の相手を次々と畳に転がす加藤の
技術を高く評価。代表入りの価値があることを強調した。

石井慧 柔道代表選考に苦言「一回でいいから加藤先輩を代表選べ」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1371807/
0356名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/30(火) 14:26:00.74ID:2w0eMbDi
「平成31年 全日本選手権大会」は29日に日本武道館で行われました。昭和の最後の大会で斉藤仁先生が優勝され、平成に入ってからは小川直也先輩、そして、
あの偉大な篠原信一が、日本柔道史の輝かしい歴史を紡いできました!
では、2020年東京五輪、今夏の東京世界選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)を控えて、全日本男子の仕上がり具合はどうなのでしょうか? はい! 
井上康生監督に話を聞いてきましたよ〜!
篠原「監督! 少しお話いいですか?」
井上監督「いいですよ」
篠原「2020東京五輪まであと1年ちょいですが、今年の東京世界選手権大会に向けて選手はどうですか?」
【世界選手権男子代表】
60キロ級=高藤直寿(了徳寺学園職)、永山竜樹(パーク24) 
66キロ級=丸山城志郎(ミキハウス)、阿部一二三(日体大4年)
73キロ級=大野将平(旭化成)
81キロ級=藤原崇太郎(日体大3年)
90キロ級=向翔一郎(ALSOK)
100キロ級=ウルフ・アロン(了徳寺学園職)
100キロ超級=原沢久喜(百五銀行) 
団体戦=90キロ超級・影浦心(日本中央競馬会)、90キロ級・村尾三四郎(東海大1年)、73キロ級・橋本壮市(パーク24)
井上監督「そうですね、世界選手の選手に関しては、いい選手がそろっていますよ! 60キロ級は高藤と永山、66キロ級は丸山と阿部、
73級大野で橋本もいます。この階級はこの1年でしっかりと見極めていきたいです。100キロ級はウルフと全体的にいい選手が揃っていますので!」
篠原「夏の世界選手権の対策や指導方針は?」
井上監督「東京五輪に向けてこの1年が大切になってくるので、この1年間のスケジューリングが大切になってきます」
篠原「ふむふむ」
井上監督「ルール的に4分という試合時間の中で指導3つを与えられると反則負けになるので、スピード感、技の出し方などの対応や対策をしっかりとしていきたいですね」
篠原「技術的には?」
井上監督「ルール的に変わってきてますから、立ち技と寝技の境界線が微妙になってきています。畳に両手をついていても、そこから返したりするとポイントを
取られるんです! レスリング的になってきているので、その辺の対策、対応をしっかりとしていきたいです」
篠原の心「さすが康生! 東京五輪に向けての対策をしっかりと考えているな!」
【平成の全日本決勝と言えば!】
篠原「平成最後の全日本になりましたね! 平成の中で一番印象に残る大会は?」
井上監督「やはり1998年の全日本ですよ!」
篠原「そうなの? 誰が優勝したの?」
井上監督「篠原先輩と私が決勝戦で戦った時の全日本ですよ!」(※注:篠原信一が初優勝。巻末の◆昭和〜平成の全日本選手権・決勝戦◆参照)
篠原「あっ! 覚えてますがな(汗)」
井上監督「私が柔道人生で何もできなかった決勝戦です! 組んだ時に何もできずに終わりましたから!」
篠原の満足度MAXの心の声「そんなことはないでしょ! ほかにも素晴らしい試合はあったでしょ」
井上監督「本当に私の中での平成の全日本柔道選手権大会での一番の思い出です!」
篠原の心の声「まぁな! 俺って強かったからな!(笑い)」
井上監督「そこからです!打倒篠原でやってきましたから! 篠原先輩と練習すればするほど、篠原先輩は全てを見せてくれたので、対策はできました。
また話せば話すほど勝てるチャンスはあると思いました!」
篠原の心の声「んっ? なんか微妙…」
篠原「この全日本柔道選手権大会の価値は?」
井上監督「私が篠原先輩に勝ちたいと思い頑張ってきました大会でしたから。私が全日本柔道選手権大会で優勝して、今度はその下の選手が打倒井上となるからこそ、
日本柔道の発展であったり、日本柔道の強みじゃないかと思います」
篠原「それから数年。監督、指導者になって、康生的なリフレッシュはどうしてるの?」
井上監督「コーチと食事したり飲んだりしながらコミニケーションを取ってることですよ!」
篠原「……。ノミニュケーションですか…」
篠原の心の声「アカン! 康生はオレを警戒している!」
篠原「いや、そう言うことではなくて…。昔の様に今日いっちゃう?」
素の康生「うふふふ(ニヤニヤ)」
篠原「いや〜ん、康生さんたら[ハート]」
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2019/04/30(火) 14:26:17.53ID:2w0eMbDi
【篠原の全日本柔道選手権大会の総括」
重量級はちょっと厳しかったかな! 全体を通して、物足りなさを感じましたね。今大会は一本勝ちの数は多いけど、ほとんどが延長戦。試合時間が4分と短くなったことも
あるでしょうが、序盤からダイナミックに攻める選手が減ったように思いましたね〜! 普段の稽古で打ち込みがしっかりできてない選手が多いのではと思いました。
自ら動く→相手が動く→足技をかける→大技かけるの繰り返しが、試合だと思うのですが、できてない。根本的に地力をつけるためには、組まれてもこの流れをやっていれば
勝てる、そういう努力が必要なのでは!
若手に希望を託すのもいいけど、一番手、二番手は負けられないという覚悟が必要です。ただ、決勝に勝ち上がったウルフ・アロン選手と加藤博剛選手は素晴らしい試合を
見せてくれました。ウルフ選手は本当に強かった! 優勝おめでとございます!
篠原の心の声「オレの現役時代にウルフ、いなくてよかった!」
それぐらい素晴らしい試合内容でした。

【篠原信一の柔道一本】平成最後の全日本選手権を観戦…井上康生監督が挙げた平成のベストバウトは?
https://hochi.news/articles/20190430-OHT1T50038.html

柔道の男子日本一を決める全日本選手権が29日行われ、ウルフ・アロン(了徳学園職)が決勝で加藤博剛(千葉県警)を降し、初優勝を飾った。連覇が期待された
原沢久喜(百五銀行)は準々決勝で敗退した。
攻め切って掴んだ初の頂点23歳の初優勝は全て、試合を技で決着をつけたものだった。
ともに1つずつ指導を受けてもつれ込んだ延長戦。開始15秒で巴投げを繰り出したのは加藤。ウルフの身体が一瞬浮き上がるがこれを畳に両手をつきこらえた。その後、
前に出ながら相手の右袖を掴むと小内刈りを狙うが今度は加藤がうつぶせになりしのぐ。さらにウルフは左手で奥襟を執拗に握り圧力をかけ続ける。時間と共にやや動きが
止まった加藤をさらに捕まえると、タイミングを見極めての支えつり込み足。加藤の右足を蹴り上げるようにして体を転がし、完ぺきに崩して技ありを奪い勝負あった。
既に今夏の世界選手権代表にも決定していたことから今大会出場への重要度を問う声もあったというが「(日本一を)獲れる時にとる」と意に介さず、日本一を狙うため
この日の畳を踏んだ。
準々決勝で3度優勝の王子谷剛志、準決勝では小川雄勢との対戦、体格・体重も自身より大きく上回る相手を降してきた。一転して決勝で対した加藤は一階級下の相手と、
無差別級ならではと言って良い戦いが続いた中、スタミナを活かして攻めの姿勢を貫き、最後まで自分の色を出し切った。「思っていたよりも何倍も嬉しい」涙を隠すことなく、
喜びを語った。
無差別級で見えた柔道の醍醐味
柔道の神髄を垣間見た戦いの連続ではなかったか。
平成最後、体重無差別で選手権者を決める大会、最後に向かい合った2人は何れも体格に勝る相手をなぎ倒してきた末の決勝だった。普段90キロ級の加藤博剛は
全対戦が体格差の大きい中、全て一本を決め勝ち上がった。
特に3回戦、五輪王者の故・斎藤仁氏の次男、斎藤立との試合では、17歳と若く体重も155キロの巨漢に対し、33歳の加藤は終始主導権を握った。積極的に組に行き、
序盤、足技で倒し有効でリードすると、自ら倒れこみながら帯を取るなど休むことなく細かい動きで相手を翻弄。最後は関節技を狙い、斎藤が仰向けになったところを逃さずに
袈裟固めで抑え込み。独特のペースで体格差を消し、見事なまでの試合巧者ぶりを発揮しての完勝だった。
7年前の選手権覇者は経験を武器に「柔良く剛を制す」という、力だけではない柔道の醍醐味をその戦いぶりで表現していた。

全日本柔道選手権 戦いから伝わった柔道の神髄
https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0430/zks_190430_7916114421.html
0358名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/30(火) 20:18:35.14ID:2w0eMbDi
平成最後に「ニュー・ウルフ」の誕生だ。体重無差別級で柔道日本一を争う全日本選手権(29日、東京・日本武道館)で、世界選手権
(8月25日開幕、同)100キロ級代表のウルフ・アロン(23=了徳寺学園職)が準決勝で小川雄勢(22=パーク24)、決勝で加藤博剛
(33=千葉県警)を破って初優勝を果たした。伝統の大会を制して感極まり、珍しく涙を見せたが、この裏では新時代を見据えた“変身”があった――。
平成最後の伝統の大会で、天皇杯を手にしたのは100キロ級のエース、ウルフだった。初戦から内股、支え釣り込み足に大内刈りと
切れ味鋭い足技が決まって快勝。「優勝できて素直にうれしい」と振り返り「来年(東京)五輪を迎える中で、今年優勝しておかないと、という
思いでやってきた。努力や対策が実り、いろんな人の後押しもあった。階級のない大会で日本で一番強いと証明できた」と喜びを口にした。
一昨年の世界選手権で優勝。しかし、昨年1月に左膝半月板損傷の重傷を負い、手術を余儀なくされた。昨年の世界選手権では、故障の
影響で思うように動けず5位。苦闘の末につかんだ初優勝だったが、舞台裏では新時代を見据えた“モデルチェンジ”があった。
父親が米国出身のハーフ選手は、これまで規格外のパワーとスタミナを武器に戦ってきた。所属の山田利彦監督(49)も「彼の持ち味は前
にガンガン出て、それに相手が対応していく中でスタミナを失っていくっていうところなんで。だからケガがあったときには、どうしてもその前に
出る勢いというものがやっぱりちょっと影を潜めてた」。一方で、かねて柔道界ではパワフルなそのスタイルから「いつか大ケガをするのでは」
という声があったのも確かだ。
実際に左ヒザを故障することになったが、母校・東海大柔道部の佐藤宣践主席師範(75)はその後のウルフの“変身ぶり”を指摘する。
「これまではスタミナがあるから、初めからゴールデンスコア(GS=延長戦)でスタミナ勝負を狙う柔道だった。それがちょっと前から、
試合開始から技で取りにいく柔道に変わった。技で取りにいってのGS突入なら問題ない。課題をクリアして、ひと皮むけたね」
全日本柔道連盟の金野潤強化委員長(52)も「今日はクレバーな柔道だったね」とスタミナに頼らない柔道を評価。東海大柔道部の
上水研一朗監督(44)も「しぶとく相手の嫌なところ、嫌なところを攻めていったんで、とてもいい戦いぶりでしたね」と、“ニュー・ウルフ”に
目を細めた。もちろん、この進化は豊富な練習量に裏打ちされたものだけに盤石だ。
ウルフは平成を「最高の形で締めくくれた」と語る一方で「相四つの相手にはいいところを持たせてしまう」と課題を挙げて、おごる姿勢は
みじんも見せない。ニッポン柔道では伝統の全日本選手権を制した者が「最強」とみなされる。今大会では100キロ超級でリオ五輪銀メダルの
原沢久喜(26=百五銀行)が準々決勝で敗退。平成の世は井上康生、鈴木桂治という100キロ級王者が時代を担ったが、新時代の令和も
同級エースが引っ張っていきそうだ。

【全日本選手権】涙の初Vウルフ 戦闘スタイル変更で化けた
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1371945/
0359名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/04/30(火) 20:19:21.62ID:2w0eMbDi
第41回全国高校柔道選手権が3月20、21 の両日、日本武道館(東京)で行われ、個人戦の女子48キロ級では、吉岡光(千葉・八千代1年)が
初出場で優勝を果たした。接戦となった初戦を乗り切ると、2戦目以降は、武器である投げ技や取り組んできた寝技がさえ渡った。
全国中学校大会に続く、日本一のタイトルを手にした。
自分のスタイルで挑む
「初戦(2回戦)を僅差で勝ち切れたことで勢いに乗れました」と振り返るように、3回戦は開始7秒に得意の背負い投げで圧勝。4回戦を危なげなく
突破した後、準決勝は袖釣り込み腰、決勝は延長の末に送り襟絞めと、多彩な技で一本勝ちを重ね、頂点に駆け上った。「どんな相手でも
自分のスタイルを崩さずに戦う。それができれば必ず優勝できると思っていました」
今大会に向けては得意技を磨きつつ、寝技も強化してきた。その成果もあって、決勝では優勝候補だった相手を失神させている。「試合内容は
満足していませんが、優勝できたことは良かったです」
「やるぞ」覚悟決め
試合では「いつも緊張している」と笑うが、いざ戦いが始まると、ひるむ様子を見せることなく、果敢に相手に立ち向かっていく。「畳に上がったら
やるしかない。自分で『やるぞ』を決めて臨むようにしています」
悔しさで強くなる
翌日の団体戦でも吉岡は全試合に先鋒として出場し活躍したが、3回戦で一本負けし、チームも敗れた。熊野耕二監督は「本人が一番悔しい
はず。でも、この負けが彼女をさらに強くする」と、吉岡のさらなる成長に期待する。
次なるターゲットは「(今月の)全日本カデ。目の前の試合を一つ一つ勝ち上がっていくことが目標で、最終的にはオリンピックに近づけたらと
思っています」
高校王者として、今後はライバルたちからマークされる存在になる。だが、吉岡は決して受け身にならず、自らのスタイルを貫くつもりでいる。
Q&A 歌うことが好き
Q 普段のリラックス方法は?
A 歌うことが好きで、たまに家族でカラオケに行ったりします。得意な曲はMISIA の「逢いたくていま」です。
Q 学校での授業は?
A 勉強はあまり得意ではありませんが、体育の授業は好きです。
Q 好きな食べ物は?
A めかぶやもずくが好きです。
Q オフの日の過ごし方は?
A 疲れている日は家でゆっくりしますが、子どもの頃に通った道場に顔を出したりします。

女子48キロ級 吉岡光(千葉・八千代1年) 投げ技武器に初V
http://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/5129


                                                                            
0360名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/01(水) 12:05:53.91ID:Q5floy1H
柔道男子66キロ級で東京五輪金メダル候補の阿部一二三(21=日体大)が1日、インスタグラムを更新した。
師匠でマネジメントを委ねる野村忠宏氏(44)と「最強×伝説」と書かれたボードを持った画像を投稿。
「平成から令和に変わりました! 令和では伝説を残せるように頑張り最強になります! 令和も応援よろしくお願します!」と決意表明した。
一方、妹で女子52キロ級の阿部詩(18=同)は、親友で78キロ超級の素根輝(18=環太平洋大)との高校時代の制服姿のツーショット写真を公開。
「次の時代も輝こう。沢山成長できた。まだまだこれから」と、兄に負けじと奮起を誓った。

阿部一二三 令和で「最強伝説」残す宣言
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1373016/

ようやく、念願の切符を手にした。
柔道78kg超級、素根輝(そね・あきら)は、4月に行なわれた全日本選抜体重別選手権の同級で3連覇を達成し、全日本女子選手権でも連覇。今年8月から9月にかけて
開催される世界選手権代表の座を初めてつかんだ。
現在大学1年生で18歳の素根は今でも十分若い存在だが、柔道界ではもっと早くから知られた存在だった。
7歳のとき柔道を始めた素根は、小学6年生で出場した全国小学生学年別柔道大会45kg超級でオール一本勝ちをおさめ優勝。中学生になると全国中学校柔道大会
70kg超級で2、3年生時に連覇。17歳以下による世界カデ選手権にただ1人中学生で選ばれ、優勝を飾った。
高校生になっても足取りは止まらない。1年生のときには全日本ジュニア選手権で優勝、初めて出場したシニアの大会である講道館杯では準優勝をおさめた。
高校2年生で出場した全日本選抜体重別選手権では21年ぶりの高校生としての優勝で脚光を浴びた。世界ジュニア選手権では優勝を果たした。
そして昨年も、選抜体重別、全日本女子と優勝。順調と思える足跡を刻んできた。
輝く経歴は図抜けた練習量の賜物。
素根の身長は162cm。この階級では小柄で、見た目にもひと回り以上大きな選手たちと組み合うことになる。
それをものともせず、結果を残してきた。その強さは、図抜けた練習量に支えられている。実家から通っていた高校時代までは、平日に朝練を1時間、放課後には3時間ほど、
帰宅してからはトレーニングルームで2時間強。他を圧する持久力を身につけて武器の1つとするとともに、小柄であることをかえっていかしつつ、背負い投げなども繰り出す。
だが、華やかな経歴の一方で、忘れられない悔しさがある。
それは昨年、世界選手権78kg超級の代表に選ばれなかったことだ。理由は、世界で金メダルを獲得できる可能性という点で劣ると見られたことにあった。
同じ階級には朝比奈沙羅という22歳の若き実力者がいる。グランドスラムでの優勝経験もある朝比奈は、国際大会で実績を積み重ねていた。そして選考理由について、
全日本柔道連盟の金野潤強化委員長はこう語っている。
「選考基準は、世界で金メダルを獲得できる可能性が高い選手。朝比奈は国際大会で3連勝しており、外国人に対して強く、国際大会でのポイント獲得率が94.63%。
素根は67.50%で、約30%の差があります」
結果、朝比奈が78kg超級の代表となり、素根は団体戦の代表で選ばれるにとどまった。
それでも腐らずに励み、アジア大会で金メダル。世界選手権では、朝比奈が金メダルを獲得する姿を見つめ、「来年は自分が出て優勝するという気持ちです」と語るほど、
悔しさを募らせた。
0361名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/01(水) 12:06:48.41ID:Q5floy1H
延長戦で発揮した持久力と執念。
こうして迎えた今年。全日本女子選手権決勝は、その執念が明瞭に伝わる試合となった。
対戦相手は朝比奈。先に指導2つをとられてしまい、あと1つとられれば反則負けとなる状況に追い込まれた。それでも下がることなく前へ出る。背負い投げなどを見せながら、
気迫をみなぎらせた。
延長戦に入ると、持ち味とする豊富なスタミナとともに、素根の執念が勝った。積極的に技を仕掛け続け、一方の朝比奈は息が上がる。
「絶対に勝ってやろう、そういう気持ちだけでした」
最後は朝比奈に3つ目の指導。素根が優勝を手にし、念願としてきた世界選手権への出場を決めた。
ただ、安閑とはしていられない。世界選手権は、2つの階級に限り、複数の選手を代表にすることができる。78kg超級はその枠を使い、
素根と朝比奈の2人が代表に選ばれた。強化委員会も「2人は同等」の評価であると説明した。しかしオリンピックに出られるのは1人だけだ。
だから素根は言う。
「ここからほんとうの勝負が始まると思います」
朝比奈が国際大会で残してきた実績は重い。それを知るからこその言葉だった。
一方で、こうも語る。
「来年の東京オリンピックで、必ず金メダルを獲ります」
最重量級で自身の個性をさらに輝かせることができるか。
「最後に笑うのは自分です」と語った小柄な女王が、世界の舞台で再びその決意を見せる。

女子柔道78kg超級の争いが熾烈。素根輝、2020年で「笑うのは自分」。 - 柔道
https://number.bunshun.jp/articles/-/839192
0362名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/03(金) 11:37:37.86ID:JLw0D1MK
体重無差別で「真の柔道日本一」を決める同選手権は、今年も昭和天皇生誕日の4月29日に日本武道館で、全国各地区の代表と推薦選手による42人が勝ち抜き
トーナメントを戦った。優勝候補の王子谷剛志(26=旭化成)と原沢久喜(26=百五銀行)が準決勝で敗退。決勝はウルフ・アロン(23=了徳寺学園職)とベテラン
加藤博剛(33=千葉県警)という、無差別では小柄同士の戦いとなりアロンが「支え釣込み足」で加藤を制して初優勝した。
最重量選手らの不甲斐なさに不安を残したこの大会で、異例の出来事はベテランの熊代佑輔(30=ALSOK)と若手ホープの佐藤和哉(24=日本製鉄)の3回戦で起きた。
この2人、ともに東京が拠点のため、よく合同練習をし、手の内を知り尽くすためか、互いに返し技を警戒して技が出ない。組手争いばかりでさっぱり組まず、
組んでも技をかけない。そんな中、主審は試合開始から1分ほどで「両者指導」を2回取った。現在の国際ルールでは、消極性には指導が与えられ、3回の指導
で失格し反則負けとなる。
4分間の「本割」の試合時間を終えてGS(ゴールデンスコア=片方が有効以上のポイントを取った時点で勝負が決まる延長戦)に入るが様子は変わらない。
業を煮やした主審は試合を止めて再開させたが、さっぱり技を出さない。延長1分43秒、再び試合を止めた主審は、腕をくるくる回して両者を交互に指さして
「反則負け」と宣言した。ともに3回目の指導で敗退だ。「えーっ」と場内はどよめいた。
この試合の勝者は次の準々決勝で、全日本6度の優勝者でバルセロナ五輪銀メダリストの小川直也(51)の子息・小川雄勢(22=パーク24)と当たるはずだった。
筆者は慌てて広報担当に「小川は不戦勝になるのですか?」と確認した。ちなみに小川は、これで準々決勝を不戦勝したが、準決勝でアロンに投げられて負けた。
全日本選手権での両者反則負けは前代未聞。大迫明伸審判長(58)は「2人とも全然攻めようとしないので主審は試合を止めて、このままだと(3度目の指導が)
いくよと、ギリギリのチャンスを与えた。あれ以上は延ばせない。断腸の思い」と話し、「日本の独自の大会なので、できればどちらかが積極的になって片方の
反則負けか、技によるポイントでの決着を期待したが。でも、この大会に出てくる選手なら、そんなルールは知らないというわけにはゆかない。2人とも負け
にしてしまうのは辛いが、あそこまで攻め合わない、組まないでは」と苦渋の表情だった。
全日本出場3度目の佐藤は優勝候補の一角とされたダークホース的存在だった。佐藤が右組、熊代が左組と喧嘩四つのため、互いに襟を取ったまま半身で
引手(袖)を取り合う格好が続いたが、佐藤の方が攻めようとしていた印象で熊代は引手を取れてもほとんど技をかけなかった。
少し前までこの大会は「講道館ルール」という日本独自のルールが適用されていたが、国際試合で勝てなくなるため国際柔道連盟(IJF)のルールを導入した。
さらに4回で失格だった「指導」が3回で失格と厳しくなっていた。
0363名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/03(金) 11:37:54.56ID:JLw0D1MK
柔道では技をかける瞬間に「隙(すき)」ができやすく、返し技が怖い。大外刈りなどは技をかけられた側も同じような形となり返されかねない。このため以前は、
危なくなるとすぐに逃げられる「場外際」でしか技をかけなかったり、組み手争いに終始するなどの「消極策」が横行し柔道の魅力を失わせた。
このため全日本柔道連盟は、引き手を切りやすいように柔道着の袖を短くすることを禁じるなど様々な改革で、「一本」や「技有り」を増やしてファン層は拡大した。
今大会も普段は100キロ級以下で活躍する選手が多彩な技で巨漢選手を投げ飛ばして会場が大いに沸いただけに「珍事」は残念ではあった。
実は佐藤と熊代は昨年の大会でも対戦している。この時は熊代が「掛け逃げ(指導を取られないため、見せかけだけの攻撃で袖を取られている引手を切ったりする)」
で3つ目の指導を取られて負けた。熊代は「去年のことが頭にあったが、もっと捨て身で行ってもよかった。全日本は日本一を決める試合なのでみんな負けたくない
思いは強い。でも見ているお客さんにはわからないし申し訳ない」と謝罪した。佐藤は「悔しいというか情けないです。もう少し深い所(奥襟など)を取りに行きたかった。
GSになれば相手が出てくるので取れると思ってしまった」と悔いた。
「喧嘩両成敗」ではないが、勝ち抜き戦だからといって無理に細かな差をつけて何とか一方を勝ち上げようとはせずに、2人とも失格にした今回の審判。甲子園の
高校野球に例えるなら、せっかく勝ち上がって対戦した2チームをともに敗退させるのに似て、勇気のいる判断だったはず。違和感を持つファンもいるだろうが、
今回の審判は「なんであれがポイントなのか」とも思われがちだった「効果」を廃止して、小さなポイントを稼いで逃げまくって勝ちを拾うことを防止した、新ルールの
精神にも立派に合致した判断なのだ。
伝統大会で前代未聞の「衝撃的珍事」ではあったが、選手たちは今後より積極性が重視される国際大会で戦わねばならない。「お前たちはまだ新ルールの
真意を理解してくれていないのか」と大ナタを振るった勇気ある審判団には拍手を送りたい。

伝統の全日本柔道で初の“両者反則失格”、前代未聞の珍事はなぜ起きたのか
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/05030802/

柔道男子66キロ級で五輪2大会連続金メダルの内柴正人氏(40)が3日、ツイッターを更新し、キルギスとの契約が終了したことを明かした。
内柴氏はまず「報告『ドバイの春はもう夏。』」と書き「僕が柔道に関わる事を組織としては『協力しない』と発表がありました」とキルギス側から契約打ち切りの
発表があったことを明かした。
そして「後日、説明がありました。『頑張れ』って強く、強く握手をして『本当だぞ。』そういう話を頂いた事はここだけの話にしてください」とつづり、キルギス側から
誠意を尽くしたお礼があったことを示唆した。
内柴氏のキルギス指導をめぐっては、全日本柔道連盟が1日、指導を継続している以上はキルギル代表に協力しないとの方針を固めた、と一部で報道された。
これを受けての事実上の“追放”とみられる。
内柴氏は総合格闘技団体「REAL」で、8月から10月の間に開催される大会でプロデビューすることも発表されている。

内柴正人氏 全柔連の“圧力”でキルギス指導の契約打ち切りか
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1375449/


                                                                                                 
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2019/05/03(金) 18:21:00.04ID:cyVlwltO
柔道女子52キロ級で2020年東京五輪で活躍が期待される阿部詩(うた、18)=日体大=が3日、令和へ決意を新たにした。「歴史を刻んでいきたいです」と
誓いを立てた。
平成の時代では、高校2年で講道館杯とグランドスラム東京を制覇、3年秋に初出場した世界選手権で優勝するなど世界のトップ選手へと飛躍を遂げた。
左肩痛からの復帰を目指す阿部はこの日、世界選手権(8月25日−9月1日、日本武道館)女子日本代表の一員として埼玉・朝霞市の自衛隊体育学校体育館で
行われた強化合宿に参加。左肩については「大丈夫です」と徐々に回復している様子。打ち込みをはじめ、乱取りなど約2時間半、精力的に稽古に取り組んだ。
今夏の世界選手権では3連覇を狙う男子66キロ級の兄・一二三(ひふみ、21)とともに、2連覇を目指す。

阿部詩、令和へ決意「歴史を刻んでいきたい」
http://www.iza.ne.jp/kiji/sports/news/190503/spo19050313070017-n1.html

柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)女子日本代表が3日、埼玉県朝霞市の自衛隊体育学校での強化合宿を報道陣に公開。冬場から左肩を負傷している
52キロ級世界女王の18歳、阿部詩(日体大)は乱取りなどで精力的に体を動かし、順調な回復ぶりをうかがわせた。本格的な練習再開は最近で
「(状態は)8割くらい。大丈夫です」と引き締まった表情だった。
柔道界期待のスター候補は令和の時代を迎え「歴史を刻みたい」と世界選手権2連覇へ意欲十分だ。日本女子の増地監督によると、世界選手権までに
国際大会を一つ入れる計画。具体的な時期は所属先などと協議して決定するという。

阿部詩、左肩は順調に回復「8割くらい」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190503/jud19050317150003-n1.html

柔道の全日本女子が3日、埼玉・朝霞市の自衛隊体育学校体育館で行った強化合宿を公開した。
4月の合宿を左肩のケガで回避した52キロ級世界女王の阿部詩(18=日体大)も今回は参加。「令和」時代への意気込みを問われると、「歴史を刻んで
いきたいです」とキッパリとした口調で誓いを立てた。ケガの状態については「全然大丈夫です。もう8割ぐらいの状態なので」と順調に回復していることを強調。
今夏の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)で3連覇を狙う男子66キロ級の兄・一二三(21=日体大)とともに、2連覇を目指すが、稽古ではその
言葉を裏付けるように打ち込みをはじめ、寝技、乱取りなど約2時間半にわたりキレのある動きを見せた。
今年に入ってまだ試合をしていないため、世界選手権までに1試合挟む考えだが、どの大会になるかはまだ未定。女子の増地克之監督(48)は
「昨日、おとといから精力的にこなせている。本人もしっかりと課題を持って取り組んでいるので、ケガについて大きな心配はしていない」と話した。

阿部詩 強化合宿で順調回復アピール「令和で歴史を刻んでいきたい」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1378905/

柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)女子日本代表が3日、埼玉県朝霞市の自衛隊体育学校での強化合宿を報道陣に公開した。
女子48キロ級代表で左膝負傷を抱える渡名喜風南(パーク24)が今回の合宿から復帰。3日の練習では軽めの打ち込みなどで体を動かした。
世界選手権は2年連続で決勝に進み、一昨年には優勝。今年は3月に左膝を痛め、最終選考会の全日本選抜体重別選手権を回避しながら代表に入った。
6月からは乱取りなど本格的な稽古を再開予定。渡名喜は「焦らず、急がずにやっていきたい」と慎重に話した。
日本女子の増地監督は「まだ手探りで5割程度」とし、所属先で指導する園田隆二監督は「段階を踏んで良くなっている」と評する。本番前の国際大会出場も
検討中だという。

負傷から復帰の渡名喜「焦らず急がず」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190503/jud19050317160004-n1.html
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2019/05/03(金) 18:21:18.32ID:cyVlwltO
柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)女子日本代表が3日、埼玉県朝霞市の自衛隊体育学校での強化合宿を報道陣に公開し、
78キロ超級で初の個人戦代表となった18歳の素根輝(環太平洋大)は「しっかりと責任感を持って練習に取り組まなければ」と決意を新たにした。
4月21日の全日本女子選手権決勝では、同じ階級で昨年世界女王の朝比奈沙羅(パーク24)を破って2連覇。念願の大舞台への切符を手にした。
ただ達成感に浸る様子はなく「心と体を整え、絶対に勝ちたい」と早くも頂点を見据える。この日は約2時間半、立ち技と寝技でみっちり汗を流した。
78キロ級の浜田尚里(自衛隊)は2連覇に向け「昨年はラッキーもあったが、今年は実力を身につけた上で優勝を狙う」と意気盛んだった。
今年の個人戦代表は素根を除く8人が、5階級制覇と出場全員メダルを達成した昨年と同じ構成。日本女子の増地克之監督は「頼もしく、
最強のメンバーだ。必ず好成績を収めてくれると感じている」と自信を示した。4月30日からの強化合宿は5日まで行われる。

柔道女子代表が合宿公開 素根「責任持って練習を」
https://www.sanspo.com/sports/news/20190503/jud19050316170002-n1.html

柔道の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)に臨む女子日本代表の強化合宿が3日、埼玉県朝霞市の自衛隊体育学校で公開され、4月の
全日本女子選手権で連覇を遂げた78キロ超級の素根輝(環太平洋大)、左肩のけがで前回の合宿を欠席した52キロ級世界女王の阿部詩(日体大)らが調整した。
18歳の素根は個人戦で初の世界選手権代表に選ばれ「責任を持って練習に取り組まないといけない。楽しみというか、絶対に勝ちたい気持ち」と覚悟を口にした。
精力的に乱取りや投げ込みを行い、汗を流した。
昨年の世界選手権で日本女子は、個人戦7階級で5人が金メダルに輝き、9人全員がメダルを獲得した。増地克之監督は今年の代表について、
「最強ではないか。非常に楽しみなチーム」と自信を示した。

素根、世界柔道へ覚悟=女子日本代表が合宿公開
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050300567

了徳寺大(千葉県浦安市)は3日までに、職員柔道部を系列の了徳寺学園(東京都墨田区)から1日付で移管したと発表した。部員の活動拠点が同大であるため。
柔道部には4月29日の全日本選手権を初制覇した男子100キロ級元世界王者のウルフ・アロン、女子52キロ級元世界女王の志々目愛らが職員として所属。
今後は了徳寺大職員となる。

了徳寺大に所属名変更 1日付で柔道部を移管
https://www.sanspo.com/sports/news/20190503/jud19050317410005-n1.html

                                                                                                  
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2019/05/04(土) 19:24:19.28ID:3itApfZ4
柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)男子日本代表が4日、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターでの強化合宿を報道陣に公開し、
2016年リオデジャネイロ五輪73キロ級王者の大野将平(旭化成)らが乱取りなどで力強い動きを披露した。
81キロ級で昨年世界選手権2位の藤原崇太郎(日体大)は接近戦の強化に加え、精度を磨いているという担ぎ技も入念に確認。「今年勝つことで(20年)東京五輪が近づく。
できることを全てやって、自信満々で臨みたい」と初の世界一へ意欲を示した。
この日は100キロ超級で五輪2連覇中のテディ・リネール(フランス)ら海外の五輪金メダリストや世界王者ら強豪が参加。畳は活気にあふれ、日本男子の井上康生監督は
「これだけの選手たちが日本に来てくれてありがたい。互いにレベルを上げながら20年に向かいたい」と満足していた。
66キロ級で世界選手権3連覇を目指す阿部一二三(日体大)は左脇腹痛により不参加。4月30日からの強化合宿は5日まで行われる。

大野らが力強い動き披露 リネールも、日本代表男子合宿/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190504/jud19050418450003-n1.html

全日本柔道連盟が4日に東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで公開した男子の強化合宿に、100キロ超級で五輪2連覇中の
テディ・リネール(フランス)が参加した。練習後に取材に応じ、来年の東京五輪へ向け「柔道のふるさとの五輪で優勝したい」と意欲を語った。
30歳のリネールは東京五輪へ照準を合わせるため、100キロ超級で8連覇していた世界選手権には昨年欠場し、今年の同選手権(8月25日開幕、
東京・日本武道館)にも出場しない予定という。
長く国際大会から離れ、4カ月前に練習を再開したそうだが、この日は同じ階級で昨年の世界王者グラム・トゥシシビリ(ジョージア)らと組み合い、力強さを示した。
「東京五輪で優勝すれば(地元の24年)パリ五輪に出たい。それが最後」との計画も示した。
日本男子の井上康生監督は「実力は落ちていないだろうし、経験値を積んでいる選手。打ち破れるように努力したい」と話した。

五輪3連覇「柔道のふるさとで」=リネールが合宿参加
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050400495

柔道男子日本代表強化合宿に参加中の、100キロ超級テディ・リネール(フランス)が4日、都内で取材に応じ、世界選手権(8月・東京)出場についてコメントした。
オリンピック(五輪)2連覇中のリネールは「あくまで目標は東京五輪で3連覇すること。今の状態では(世界選手権に)出場しないが、体と相談してどうしても出たくなったら
出るかも」と含みを持たせた。
リオ五輪後、休養を宣言、8連覇中だった昨年の世界選手権を欠場した。4カ月前に練習を開始し、調子は40〜50%。「国際大会に2年も出ていないのでまだまだ。他の選手に
比べてゆっくり調整している。スケジュールは決まっていない。試合に出られる体になってから出場する」とあくまで東京五輪に向けた調整を第一に考え、世界選手権には
こだわらない。
自身が出場していないため、100キロ超級の構図も変わった。原沢ら強豪がひしめく中での争いとなるが「原沢だけでなく(五輪で)優勝できる強い選手がたくさんいる。
準備をしっかりして挑む」と話す。東京五輪の後には地元フランスでのパリ五輪も視野に入れており「東京で優勝し、パリで出場できたら間違いなくそれが最後になる」と語った。
世界選手権に出場するか否かで日本柔道界にとっても大きな影響を及ぼす。日本代表の井上監督は「これだけの選手が日本に来てくれるだけでもありがたい」と感謝した上で
「急に出るとなったらダメージは大きい。出場すると思ってそのための準備をしたい」と話した。
「今は東京五輪しか考えていない」(リネール)とスタンスは変わらないが、日本柔道界にとって今後の動向が注目される。日本にとって最大のライバルとなる世界王者が
五輪3連覇へ向けいよいよ始動した。

リネールが日本合宿 世界柔道は「体と相談して」 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201905040000326.html
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2019/05/04(土) 19:24:41.86ID:3itApfZ4
2連覇へ不安なし! 柔道の女子日本代表が3日、埼玉・朝霞市の自衛隊体育学校体育館で行った強化合宿を公開した。4月の合宿を左肩のケガで回避した
52キロ級世界女王の阿部詩(18=日体大)は「令和」時代への意気込みを問われ「歴史を刻んでいきたいです」とキッパリとした口調で誓いを立てた。
世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)で3連覇を狙う男子66キロ級の兄・一二三(21=日体大)とともに、2連覇を目指す阿部は打ち込みをはじめ、
寝技、乱取りなど約2時間半にわたりキレのある動きを見せた。
世界選手権までに出場する試合は未定だが、ケガの状態について「全然大丈夫です。もう8割ぐらいなので」と順調な回復を強調。恩師の兵庫・夙川高(旧・夙川学院高)の
松本純一郎監督(50)が先月の全日本女子選手権の際に「大丈夫ですよ、いつも痛いって言いますから。ホンマに痛かったら電話かかってきます」と笑顔で
話していたことからも心配はなさそうだ。
平成の世で“最強の女子高生”だった阿部が令和で“最強の女子大生”となり輝きを放つ。

【柔道世界選手権】阿部詩V2に向け順調回復「8割ぐらい」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1382766/

柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)男子日本代表が4日、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターでの強化合宿を報道陣に公開し、
2016年リオデジャネイロ五輪73キロ級王者の大野将平(旭化成)らが乱取りなどで力強い動きを披露した。
五輪王者の故斉藤仁氏の次男で100キロ超級の17歳、斉藤立(東京・国士舘高)も強化合宿に参加。左の肘や手首の負傷で4日は体を動かさなかったが、
3日にはリネールとの乱取りで投げられたと明かし「いい経験になった」と刺激を受けた様子だった。
100キロ超級で昨年世界一のグラム・トゥシシビリ(ジョージア)とも組み合い、柔道着をつかめないほどのパワーに圧倒されたという。日本柔道の将来を担う大器は
「けがをしているのが悔しい。もっとやりたかった」と語気を強めていた。

17歳斉藤は王者から刺激/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190504/jud19050418470004-n1.html

柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)男子日本代表が4日、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターでの強化合宿を報道陣に公開し、
2016年リオデジャネイロ五輪73キロ級王者の大野将平(旭化成)らが乱取りなどで力強い動きを披露した。
五輪2連覇を目指す大野は乱取りで豪快な技を次々と繰り出した。がっちりと組み止めてからの大外刈り、内股で何人もの相手を裏返し。周囲の選手や指導者も見入る
強さだった。
絶対に倒れない防御も光った。「技だけでも力だけでもない。全ての面で強くならなければ」と風格を漂わせる。母校の天理大の穴井隆将監督は「組み手で相手の動きを
完全に封じている。強過ぎる」とうなった。
世界選手権はリオデジャネイロ五輪前年に制した2015年以来となる。日本男子の中心的存在は「6月も合宿を組んで詰めていく」とさらに前進する構えだ。

大野豪快、周囲も見入る/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190504/jud19050418450002-n1.html

                                                                                                            
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2019/05/04(土) 22:10:51.37ID:3itApfZ4
柔道の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)の女子52キロ級で連覇を目指す阿部詩(日体大)、男子100キロ級のウルフ・アロン(了徳寺大職)ら日本代表が4日、
東京都文京区の講道館で全国大会に出場する小学生に得意技を指導した。
阿部詩は背負い投げを担当。背負いから連続して技を仕掛けられる組み手を伝え、「子どもからの質問で気付きもあった」と笑顔で振り返った。
先日の全日本選手権を制したウルフは大内刈りを教えた。体の重心を低く保つことをポイントに挙げ、「返されるリスクが高い技。思い切り仕掛けることが大事」とアドバイス。
全日本王者の言葉に、子どもたちは熱心に耳を傾けていた。

日本代表が小学生指導=阿部詩「気付きあった」−柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050400544

柔道・世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)女子52キロ級代表の阿部詩(うた、18)=日体大=が4日、東京・文京区の講道館で行われた全国少年大会
合同稽古に参加し、多くの子どもたちと交流。緊張した面持ちで、背負い投げなどを教えた。「私の柔道は感覚的にやっていることが多いので、言葉することが難しかった。
もう少し考えないといけないのかなと思った」と意識する必要性を実感。2連覇を目指す今夏の世界選手権に向けて新たな気づきがあった様子だった。

阿部詩、子どもたちとの交流で新たな気づき「もう少し考えないといけない」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190504/jud19050419160005-n1.html

柔道女子52キロ級世界女王の阿部詩(18)=日体大=が4日、東京都文京区の講道館で行われた柔道教室に参加し、小学生相手に得意技の背負い投げを教えた。
阿部が指南したのは、先に引き手の袖を取り、動いて間合いをつくりながら引き手と同じ側の襟を持つと同時に投げる片襟状態での背負い投げで、「耐えられても、そ
こから大外刈りとかに連続でいける」などと説明した。
ただ、阿部自身は指導経験がこれが3度目らしく、言葉に詰まる場面もあった。「教えることが苦手と言うか、何を教えていいかわからなくて緊張しました」と四苦八苦。
「私の柔道は感覚的にやってる部分が多いので、言葉にして『ここをしっかり持って、こうする』って教えるのが難しくて…」と“天才肌”ゆえの苦悩をのぞかせた。
小学生からの質問では「身長の小さい相手にどうやって担ぎ技に入りますか?」と聞かれたというが、感覚派の阿部は「自分もどうやって入ってるかな…?と思ったので、
次の練習から意識してみたいなと思いました」とおどけてみせた。
子供や保護者からの人気はすさまじく、イベント終了後も握手や写真撮影を求められた。「トップ選手と触れ合って、(子供が柔道を)やってみたいと思う機会をもっと
増やせたらいい」と使命感をのぞかせていた。

阿部詩、技の先生役に四苦八苦「私は感覚的なので」
https://www.daily.co.jp/general/2019/05/04/0012301495.shtml

柔道男子100キロ超級で五輪連覇中のテディ・リネール(30)=フランス=が4日、東京・北区にある味の素ナショナルトレーニングセンターでの男子日本代表強化合宿に参加。
2020年東京大会での五輪3連覇へ、意欲を示した。
日本の大学生をはじめ、ロシアやモンゴルなど海外6カ国から有力選手が集まった。活気づいた柔道場に、ひときわ大柄な男の姿があった。絶対王者のリネールだ。
「(今は)ゆっくり五輪に向けて、準備している途中。柔道のふるさとの五輪で優勝したい」と思いを語った。この日は約2時間半の稽古の中で同階級の海外選手らと組み合った。
リネールは約4カ月前に本格的な稽古を再開し、現に状態は「40−50%」という。
2017年11月を最後に実戦を離れる五輪王者。3カ月後には17年まで8連覇を達成した世界選手権が控えるが、「ベストな状態になってからどの大会に出るかを決める」と
東京五輪を第一に考えて調整を続ける。

仏の王者リネール「柔道のふるさとの五輪で優勝したい」と東京大会での五輪3連覇へ意欲/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190504/jud19050421370006-n1.html


                                                                                        
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2019/05/05(日) 11:42:51.09ID:D4yy6dWW
柔道の世界選手権(8月25日−9月1日、日本武道館)男子100キロ超級代表の原沢久喜(26)=百五銀行=が4日、東京・文京区の講道館で行われた
全国少年大会合同稽古に参加。2020年東京五輪へ、五輪2大会連続王者で来日中のテディ・リネール(30)=フランス=に対抗心を燃やした。
「実績ももちろん、強い選手。五輪決勝でリベンジすることが一番」
“ニアミス”だった。原沢はこの日の午前、東京都内で行われた強化合宿の稽古には不参加。先月29日の全日本選手権(5位)の疲労回復を優先した。一方で、
2017年11月の大会を最後に実戦から離れているリネールが参加した。
絶対王者は練習後、4カ月前に本格的な稽古を再開したことを明かし、調子は40−50%という。今夏の世界選手権は回避する意向だ。
復帰時期も未定で、来夏を完璧な体調で迎えられるか不透明な王者だが、原沢は「最後に闘うのはリネール選手かなと思っている」。普段からインスタグラムなどで
好敵手の情報収集を欠かさない。リオ五輪決勝で敗れた悔しさを胸に東京五輪へと精進する。

原沢、リネール倒燃える「五輪決勝でリベンジが一番」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190505/jud19050505010001-n1.html

柔道男子100キロ超級五輪2連覇のテディ・リネール(フランス)が4日、都内で行われた男子日本代表合宿に参加。東京五輪での3連覇を
目指してマイペース調整を行っており、今夏の世界選手権(日本武道館)は欠場する方針を示しているが、「今のところ出ないが、出たくなったら出るよ」と
笑いながら“含み”を持たせた。
一方、リオ五輪銀メダルの原沢久喜(百五銀行)は都内で取材に応じ「(今年)出てきたら勝つチャンス」と雪辱へ意欲を燃やした。

王者リネール、原沢と対決!?欠場予定の世界柔道出場に含み
https://www.daily.co.jp/general/2019/05/05/0012302022.shtml

柔道の男子日本代表合宿が4日、東京都北区の味の素ナショナルトレセンで公開された。男子100キロ超級のホープ・斉藤立(国士舘高)は五輪連覇中の“絶対王者”で
合宿に参加中のテディ・リネール(フランス)と乱取りしたことを明かした。この日はケガで練習しなかったが「昨日お願いして一度だけやりました。(相手は)本気じゃないが
圧が凄かった」と明かした。リネールは斉藤が五輪2大会連続王者の故・斉藤仁氏の子息だと知っていたという。
目標としていた東京五輪出場は絶望的だが、絶対王者との距離感を測り「引き手を持つとすぐ切られる。これからです。いい経験になった」と前向き。リネールは
地元開催の24年パリ五輪まで現役続行の見込み。5年後に超えるため、一歩一歩階段を上る。

斉藤、リネールと乱取り「圧が凄い」柔道男子代表合宿
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/05/kiji/20190504s00006000432000c.html

柔道女子52キロ級世界女王の阿部詩(18)=日体大=が4日、東京都文京区の講道館で行われた柔道教室に参加し、小学生に片襟での背負い投げを指南した。
指導経験があまりないため言葉に詰まる場面もあり、「何を教えていいかわからず緊張した」と四苦八苦。「私は感覚的にやってる部分が多いので、言葉で教えるのが
難しくて…」と“天才”ゆえの苦悩をのぞかせた。
小学生や保護者からは大人気で、終了後も写真撮影や握手攻めが殺到した。「大変でした」と苦笑いしつつ、「(子供が柔道を)やってみたいと思う機会を増やせたらいい」と
使命感に燃えていた。

阿部詩“先生役”に緊張 “感覚派”なので「言葉で教えるのが難しくて」
https://www.daily.co.jp/general/2019/05/05/0012302024.shtml
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2019/05/05(日) 21:27:38.82ID:vywNiYcV
柔道の世界選手権(8月25日−9月1日、東京・日本武道館)に出場する日本代表(個人)が5日、東京都内で開かれた記者会見に出席。男女各代表9人が
大会に向けて意気込みを語った。
60キロ級で大会3連覇が懸かる2016年リオデジャネイロ五輪銅メダルの高藤直寿(なおひさ、パーク24) 「僕の階級は(永山と)2枠。プレッシャーもあるけど、
直接対決で勝って優勝することが東京五輪につながると思う」
昨年大会は60キロ級で銅メダル、3度目の出場で初優勝を目指す永山竜樹(了徳寺大職) 「高藤先輩と当たったら、全力で倒しにいく。自分らしい一本を取る
柔道で優勝したい」
66キロ級で初出場の丸山城志郎(ミキハウス) 「柔道っておもしろいな、かっこいいな、丸山ってすごいなと思ってもらえるように。全身全霊で頑張る」
大会3連覇を狙う66キロ級の阿部一二三(ひふみ、日体大) 「相手を投げる一本を取りにいく柔道で3連覇を目指す。(52キロ級の詩と)兄妹で優勝
できるように頑張りたい」
73キロ級で過去2度制した世界選手権に4年ぶりに出場するリオ五輪王者の大野将平(旭化成) 「日本武道館で試合することが好き。攻撃的に、そして
執念を持って我慢強く闘うのみ」
昨年銀メダルに終わったリベンジに燃える81キロ級の藤原崇太郎(日体大) 「華がある柔道ではないけど、泥臭く、気持ちを強くもって闘いたい。去年の
借りを返したい」
90キロ級で個人戦初出場の向翔一郎(ALSOK) 「自分の柔道をして(世界王者の証である)赤ゼッケンをもらいたい」
100キロ級で17年世界王者のウルフ・アロン(了徳寺大職) 「持ち味である、勝負強く、スタミナのある柔道を追求する。東京五輪へ、弾みがつく大会にしたい」
リオ五輪100キロ超級銀メダリストで昨年の世界選手権銅メダルの原沢久喜(ひさよし、百五銀行) 「今年は1人での代表なので責任感をもって頑張る。
貪欲にやっていく」
48キロ級で昨年大会銀メダル、世界ランキング1位の渡名喜風南(となき・ふうな、パーク24) 「東京五輪に向けて大きな位置づけの大会。
去年は準優勝に終わったので、今年は何としても優勝したい」
52キロ級で大会2連覇を目指す阿部詩(うた、日体大) 「一本をとりにいく柔道で2連覇したい。一番強いことをアピールできれば」
52キロ級で17年世界女王の志々目愛(了徳寺大職) 「一昨年、昨年と日本人選手と決勝で闘っている。今年も一戦一戦闘って最後に勝ちきれるように」
57キロ級で大会2連覇を狙う世界ランキング1位の芳田司(つかさ、コマツ) 「立っても寝ても粘り強く闘い、得意技の内股を出して勝ちたい」
リオ五輪63キロ級代表で、昨年の世界選手権銀メダリストの田代未来(コマツ) 「根気強く隙のない柔道がしたい」
70キロ級で大会3連覇が懸かる新井千鶴(三井住友海上) 「心技体を準備して3連覇をとりにいく。立ち技でも寝技でも攻め抜く、決めきれる柔道ができれば」
78キロ級で大会2連覇を狙う浜田尚里(自衛隊) 「一生懸命、頑張る。優勝して、東京五輪につなげたい」
78キロ超級で初の個人代表に選出された素根輝(そね・あきら、環太平洋大) 「優勝だけを目指して一戦一戦、全力で頑張る」
78キロ超級で昨年の世界女王、朝比奈沙羅(パーク24) 「(世界王者の証の)赤ゼッケンの誇りと挑戦者の気持ちを持って、日本武道館で全力で闘いたい」

阿部兄妹ら「優勝目指す」 世界選手権代表が決意表明/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190505/jud19050517100002-n1.html

柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)に出場する男女日本代表が5日、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで記者会見した。
女子70キロ級の新井千鶴(三井住友海上)は同級で日本勢初の3連覇に挑戦する。「心技体を準備して、3連覇をしっかり取りにいく。立ち技でも寝技でも
決め切る柔道を見せたい」と強い意欲をにじませた。
昨年11月のグランドスラム大阪大会優勝で早々と代表を決めてからは試合出場を回避し、国内外でじっくりと練習を積んできた。本番に向け「相手の隙や
好機をものにできるよう、そつのない柔道をつくっていく」とさらに完成度を高める気概を示した。

新井V3へ「心技体準備」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190505/jud19050518490004-n1.html
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2019/05/05(日) 21:30:31.58ID:vywNiYcV
柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)に出場する男女日本代表が5日、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで記者会見し、
男子66キロ級で2連覇中の21歳、阿部一二三(日体大)は「しっかりと自分の柔道をして、3連覇を目指す」と意気込みを語った。
阿部一の妹で昨年初出場制覇を果たした女子52キロ級の18歳、阿部詩(日体大)も「自分の柔道を出し切り、2連覇したい」と必勝を期した。
男子60キロ級で3年連続4度目の頂点を狙う高藤直寿(パーク24)は「がめつく4度目の世界一を目指す」。2016年リオデジャネイロ五輪覇者で15年以来の
出場となる同73キロ級の大野将平(旭化成)は「日本武道館で試合をするのが非常に好き。攻撃的な柔道を表現したい」と3度目の制覇へ闘志を燃やした。
今大会は来年の東京五輪と同じ会場で行われ、五輪前哨戦として大きな注目を集めそうだ。日本男子の井上康生監督は「素晴らしい選手が出そろった。しっかり
勝ち切り、来年につなげたい」と自信を漂わせた。
個人戦代表は男女14階級で18人。男子で90キロ級の向翔一郎(ALSOK)、66キロ級の丸山城志郎(ミキハウス)、女子78キロ超級の素根輝(環太平洋大)
初代表となる。

阿部一二三「3連覇目指す」世界選手権へ意気込み/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190505/jud19050518480003-n1.html

男子66キロ級世界王者の阿部一二三(ひふみ、日体大)は最大の好敵手・丸山城志郎(ミキハウス)との2枠での選出。準優勝で涙した4月上旬の全日本選抜体重別選手権で左脇腹を負傷し、
現在は治療に専念する。
3連覇が懸かる世界選手権へ、「一本を取りにいく柔道で、一戦一戦勝ち上がって3連覇を目指す。(妹の詩と)兄妹で優勝できるように頑張りたい」。3学年下で
52キロ級の妹・詩(うた)との兄妹優勝も狙う。

阿部一二三、2大会連続兄妹V目指す 世界選手権代表が会見/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190505/jud19050520420007-n1.html

柔道の世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)に出場する日本代表が5日、東京・北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで開かれた記者会見に出席。
2016年リオデジャネイロ五輪男子73キロ級覇者の大野将平(旭化成)が“原点回帰”で4年ぶり3度目の頂点を目指す。
リオ五輪後、休養を経て昨年競技に本格復帰した。昨夏のジャカルタ・アジア大会優勝など、険しい道のりを自らの力でこじ開け、17年世界王者の橋本壮市
(パーク24)らとの代表争いを制した。百戦錬磨の勝負師が、4年ぶりに世界選手権代表に帰ってきた。
「初めて(世界選手権の)代表に選ばれたのは13年。原点回帰、そういった思いでこの場にいる。攻撃的に、そして執念を持って我慢強く闘うのみ」と決意を込めた。
9年ぶりに日本開催となる世界選手権は武道の聖地が会場だ。「日本武道館で試合をすることが好き。(残りの3カ月間は)心のスタミナ、我慢の部分を蓄えて
稽古の量と質を上げる。最後は試合にピークとコンディションを合わせたい」。五輪2連覇が懸かる東京大会へ、ギアを上げる。

大野将平、“原点回帰”で頂点目指す 世界選手権代表が会見/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190505/jud19050520220006-n1.html

柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)に出場する男女日本代表が5日、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで記者会見した。
初の個人戦代表となった3人は念願の大舞台へ熱い思いを語った。
全日本女子選手権2連覇で78キロ超級の素根は、2年続けて混合団体メンバーとして個人戦の試合は客席から観戦。意気込みは人一倍で「目の前の相手を
一人一人倒し、優勝だけを目指して頑張る」と言葉に力を込めた。
男子66キロ級の丸山は昨年11月から国内外の大会で4連続優勝中。阿部との争いが注目され「しっかりとつくり上げ、全身全霊で頑張りたい」と決意を述べる。
国内の混戦を勝ち抜いた男子90キロ級の向は「攻撃的に執念深く闘うのみ。稽古場でやってきたことを全て出す」と気迫十分だった。

初代表勢は熱い思い/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190505/jud19050519180005-n1.html
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2019/05/05(日) 21:35:35.64ID:vywNiYcV
柔道の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)個人戦の日本代表男女各9人が5日、東京都内で記者会見し、男子66キロ級で3連覇を目指す
阿部一二三、女子52キロ級で連覇が懸かる妹の詩(ともに日体大)らが意気込みを語った。阿部一は「またきょうだいで優勝できるように頑張る」、
詩は「自分の柔道を出し切り、2連覇したい」と抱負を述べた。
男子73キロ級は、2016年リオデジャネイロ五輪金メダルの大野将平(旭化成)が激しい代表争いの末に切符を獲得。「攻撃的に、執念を持って我慢強く戦う」と
誓った。世界選手権は過去2度制しており、今回は4年ぶりの出場となる。
阿部一の他に、3連覇を狙う選手は2人。男子60キロ級の高藤直寿(パーク24)は「東京五輪に向けて優勝するしかない」、女子70キロ級の新井千鶴
(三井住友海上)は「相手の隙やチャンスをものにできるように、そつのない柔道をつくり上げたい」と話した。

阿部一二三「またきょうだいVを」=世界柔道日本代表が会見
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050500423

柔道の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)に出場する男女日本代表が5日、東京・北区のナショナルトレーニングセンターで会見した。
男子66キロ級で2連覇中の阿部一二三(21=日体大)は「しっかり自分の柔道をして、3連覇を目指す。一本を取りにいく、相手を投げにいくのが自分の柔道。
見ている人には、いつ投げるんだろうと楽しみながら見てもらえれば」とアピール。また東京五輪前年ということで「オリンピックにつながる大切な試合。まずは
優勝を目標に置いて頑張りたい」と力を込めた。
今回は同階級のライバル、丸山城志郎(25=ミキハウス)も出場する。4月の選抜体重別選手権決勝では13分を超える死闘の末、惜しくも敗れ、昨年11月の
グランドスラム大阪大会でも不覚を取り、現在連敗中の因縁の相手だが「丸山選手とどこで当たるか分からないが、一戦一戦、勝ち上がってしっかり勝ちきるだけ」
と必勝を宣言した。
対する丸山も「勝ち上がれば阿部選手と必ず当たるが、一人の敵であって、倒さないとチャンピオンにはなれない。自分自身との戦いになると思うので、日ごろの
稽古で鍛え上げて試合に臨みたい」と静かに闘志を燃やした。

阿部一二三と丸山城志郎 世界選手権へ静かに火花
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1383555/

全日本柔道連盟は5日、グランドスラム・バクー大会(10〜12日)の派遣選手を発表し、世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)代表勢では
女子で70キロ級の新井千鶴(三井住友海上)、57キロ級の芳田司(コマツ)、78キロ級の浜田尚里(自衛隊)らが入った。
女子代表では他に63キロ級の田代未来(コマツ)、52キロ級の志々目愛(了徳寺大職)も名を連ね、男子は90キロ級の向翔一郎(ALSOK)が選出。
昨年11月以来の実戦となる新井は「組み手の部分で厳しい闘いをイメージしてきた。練習を積んできたことがどれだけ利くかを感じられる大会にしたい」と狙い
を語り、世界ランキング1位の芳田は「断トツの1位で東京五輪までいきたい」と宣言。向は「世界選手権で金メダルを取るために、どうつなげるかを考えて闘う」と
意気込んだ。

新井、芳田らを派遣 GSバクー大会/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190505/jud19050520490008-n1.html

全日本柔道連盟は5日、アゼルバイジャンのバクーで10日から12日まで行われるグランドスラム・バクー大会に、今夏の世界選手権で
女子70キロ級3連覇を目指す新井千鶴(三井住友海上)、ともに連覇が懸かる同57キロ級の芳田司(コマツ)、同78キロ級の浜田尚里(自衛隊)ら
8選手を派遣すると発表した。
男子は世界選手権90キロ級代表の向翔一郎(ALSOK)、混合団体メンバーの村尾三四郎(東海大)が出場する。

新井、芳田ら派遣=柔道グランドスラム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050500466
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2019/05/06(月) 13:42:54.26ID:LwmwmK4F
柔道の世界選手権(8月25日−9月1日、日本武道館)に出場する日本代表が5日、東京・北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで開かれた記者会見に出席。
男子66キロ級で詩の兄・一二三は、最大のライバル・丸山城志郎(ミキハウス)との選出となった。準優勝に終わった4月上旬の全日本選抜体重別選手権で左脇腹を負傷し、
現在は治療に専念する。3連覇が懸かる世界選手権へ「相手を投げる一本を取りにいく柔道で3連覇を目指す。(妹の詩と)兄妹で優勝できるように頑張る」と世界王者の
意地を見せる。

一二三、世界王者の意地見せる!妹・詩と「兄妹で優勝」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190506/jud19050605000003-n1.html

柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)に出場する日本代表が5日、都内で会見を行った。男子66キロ級で2連覇中の阿部一二三(21)=日体大=が「しっかり
自分の柔道をして3連覇を目指したい」と言えば、同階級で初出場の丸山城志郎(25)=ミキハウス=も「自分らしい柔道で優勝を狙いたい」と、早くも火花を散らした。
世界選手権には2人が出場するが、金メダルを獲れば1枠しかない東京五輪代表へ大きく前進する。直接対決2連勝中の丸山は「(阿部を)倒さないと王者になれない。
自分との戦いになると思うので、日頃の稽古で鍛え上げて挑みたい」と気合。阿部一は「(丸山と)当たったときには自分の柔道をして勝ち切るだけ」と大舞台でのリベンジを誓った。

一二三VS丸山、早くも火花 66キロ級代表へ互いに気合十分
https://www.daily.co.jp/general/2019/05/06/0012304772.shtml

柔道の世界選手権(8月25日−9月1日、日本武道館)に出場する日本代表が5日、東京・北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで開かれた記者会見に出席。
女子52キロ級の阿部詩(うた、18)=日体大=は2016年リオデジャネイロ五輪同級女王のマイリンダ・ケルメンディ(27)=コソボ=を破っての2連覇を宣言した。
3連覇が懸かる66キロ級の兄・一二三(ひふみ、21)=日体大=との兄妹優勝も狙う。
世界女王として迎える2度目の世界選手権。会見に出席した男女18人で最年少の18歳、阿部詩が約3カ月後に迫った“東京五輪の前哨戦”へ決意を示した。
「持ち味である一本をとりにいく柔道で、2連覇したい。一番強いことをアピールできれば」
左肩を負傷している影響で、昨年11月のグランドスラム(GS)大阪以降は実戦から離れている。「(状態は)8割くらい。大丈夫」と徐々に回復している様子。世界選手権までに
国際大会1試合に出場を予定し、試合勘を取り戻していく。
「ケルメンディと当たったら、しっかり勝てるように準備していく」
世界選手権連覇に向けて、鍵を握るのは2016年リオデジャネイロ五輪金メダリストのケルメンディだ。16年末のデビューからシニアの国際大会で対海外勢に24連勝中と
無敗の詩だが、ケルメンディとの対戦はない。五輪女王撃破を今年の目標の一つに掲げる。
パワーが武器の好敵手に備え、詩は昨冬からウエートトレーニングに力を入れた。4月からは66キロ級の世界王者で3学年上の兄・一二三と同じ日体大に進学し、
一緒に練習する機会もある。「練習でも、力が強くなったなと思う。試合で自分の成長を感じられたら」と青写真を描いた。
女子52キロ級は公開競技だった1988年ソウル大会を含め、五輪8大会で日本選手の金メダルがない。柔道界期待のスター候補は世界選手権で五輪女王を破り、
来夏の東京五輪へ弾みをつける。

阿部詩が世界選手権連覇宣言!リオ五輪女王・ケルメンディ破るぞ
https://www.iza.ne.jp/kiji/sports/news/190506/spo19050608330009-n1.html 👀
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2019/05/06(月) 13:43:28.39ID:LwmwmK4F
柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)日本代表の男女18選手と両代表監督が5日、都内で会見を行った。男子66キロ級で2連覇中の阿部一二三(21)、
女子52キロ級で前回女王の詩(18)=ともに日体大=は1階級に2人が派遣された激戦階級を勝ち抜き、2年連続の兄妹優勝に意欲。男子60キロ級の高藤直寿(25)=
パーク24=、永山竜樹(23)=了徳寺大職=も舌戦を繰り広げた。
狙うは2年連続の兄妹優勝だ。日本代表選手団の愛称「ゴジラジャパン」にちなみ、背中に人気怪獣・ゴジラがプリントされた公式ジャージーを初めて着用し、個人戦の
代表18選手が勢ぞろいした会見。兄・一二三は「一本を取りにいく自分の柔道をしっかりして3連覇目指して、また兄妹で優勝できるように頑張りたい」と決意表明した。
これまで以上に厳しい戦いが待っている。優勝した過去2大会は1人代表で臨んだが、今回は直接対決で2連敗を喫した丸山城志郎と初めての2人代表。会見で隣に
並んだ丸山に「勝ち上がっていったら必ず当たることになると思う。倒さないとチャンピオンになれない」と宣戦布告され「丸山選手とどこで当たるか分からないが、当たった
時にはしっかり自分の柔道をして勝ちきるだけ」と対抗心を燃やした。
妹・詩は初出場で優勝した前回大会に続き、志々目愛と2人で挑む。「志々目選手をしっかり倒して、自分が東京五輪に出るという覚悟を持ってやっている。世界選手権で
優勝して私が一番強いとアピールしたい」。延長の末に内股で一本勝ちした昨年の決勝の再現を誓えば、2年連続で日本人決勝を戦っている志々目も「今年も一戦一戦
勝ち上がって、最後しっかり勝ちきれるように頑張ります」と火花を散らした。
今大会は現在、改修中で五輪会場となる日本武道館で行われるだけに、一二三も「東京五輪につながる大切な試合」と表情を引き締める。世界選手権は7階級に
合計9人まで出場でき、日本は国際競争力が高く実力伯仲の男女4階級に2人ずつを派遣。ただ、五輪代表は1階級に1人の狭き門だ。プレ大会でライバルとの
直接対決を制して世界王者に輝き、代表争いへ大きなアドバンテージをつかむ。

阿部一二三&詩、2年連続の兄妹V意欲「自分の柔道で勝つ」 8・25開幕世界柔道
https://hochi.news/articles/20190505-OHT1T50304.html

柔道の世界選手権(8月25日−9月1日、日本武道館)に出場する日本代表が5日、東京・北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで開かれた記者会見に出席。
男子73キロ級の大野将平(旭化成)が金メダルを獲得した2016年リオ五輪以来、3年ぶりに世界戦の代表に戻ってきた。同五輪後は休養を経て昨年競技に本格復帰し
昨夏のジャカルタ・アジア大会優勝など着実に勝利をおさめてきた。27歳の勝負師は「日本武道館で試合することが好き。攻撃的に、そして執念を持って我慢強く闘うのみ」
と覚悟を示した。

大野、3年ぶり世界戦代表「我慢強く」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190506/jud19050602340002-n1.html

柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)に出場する日本代表が5日、都内で会見を行った。
映画会社の東宝とのコラボで「ゴジラジャパン」と愛称が決まった日本代表の“ゴジラジャージー”がお披露目された。背中にゴジラのイラストがプリントされたもので、
日本男子の井上康生監督は「ゴジラと日本を背負って戦うのは重いですよ」としみじみ。ゴジラの体重は2万トン以上とされるが、それ以上に重いお家芸で勝つ責任感
をにじませた。

ゴジラを背負う!柔道・日本代表新ジャージー披露
https://www.daily.co.jp/general/2019/05/06/0012304770.shtml

柔道の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)の日本代表が都内で会見した。3月に代表の愛称が「ゴジラジャパン」に決定。この日は背面にゴジラが
プリントされた代表ジャージーがお披露目され、男子の井上康生監督(40)は「ゴジラと日本を背負って戦うのは重い」と責任感を口にする。
2万トン以上とされるゴジラの体重に匹敵する重圧を背負う代表をけん引するのは、男子66キロ級の阿部一二三(21=日体大)、詩(うた、18=同)の兄妹だ。
3連覇が懸かる一二三が「兄妹で優勝できるように」と言えば、連覇を狙う詩も「優勝して一番強いとアピールしたい」と気合を入れた。

柔道「ゴジラジャパン」代表ジャージーお披露目 康生監督「ゴジラと日本を背負って戦うのは重い」
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/06/kiji/20190506s00006000090000c.html
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2019/05/06(月) 13:44:17.61ID:LwmwmK4F
柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)日本代表の男女18選手と両代表監督が5日、都内で会見を行った。男子66キロ級で2連覇中の阿部一二三(21)、
女子52キロ級で前回女王の詩(18)=ともに日体大=は1階級に2人が派遣された激戦階級を勝ち抜き、2年連続の兄妹優勝に意欲。男子60キロ級の高藤直寿(25)=
パーク24=、永山竜樹(23)=了徳寺大職=も舌戦を繰り広げた。
日本男子の井上康生監督は、今回のメンバーが東京五輪代表の「有力候補」と語った。15年の世界選手権優勝者6人全員が翌年のリオ五輪に出場。今大会の結果も
重要な意味を持ち、熾烈(しれつ)を極めるのが2人を派遣する男女各2階級だ。男子66キロ級は3連覇を狙う阿部に対し、丸山は国内外で4連続優勝。60キロ級は
2連覇中の高藤と2年近く海外勢に無敗の永山。世界で2強と呼べる布陣だ。
阿部の女子52キロ級には元世界女王の志々目、78キロ超級は昨年世界一の朝比奈と全日本女王の素根。ともに日本勢同士による決勝の可能性が十分で、
勝った方は極めて優位に立つ。代表1人の階級は頂点に立つことで1番手の座がさらに強固となる。女子で70キロ級の新井は3連覇、57キロ級の芳田は2連覇なら
東京五輪代表へ王手といえる。

井上康生監督、世界柔道のメンバーが東京五輪代表の「有力候補」
https://hochi.news/articles/20190505-OHT1T50307.html

柔道の世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)日本代表の男女18選手と両代表監督が5日、都内で会見を行った。男子66キロ級で2連覇中の阿部一二三(21)、
女子52キロ級で前回女王の詩(18)=ともに日体大=は1階級に2人が派遣された激戦階級を勝ち抜き、2年連続の兄妹優勝に意欲。男子60キロ級の高藤直寿(25)=
パーク24=、永山竜樹(23)=了徳寺大職=も舌戦を繰り広げた。
男子60キロ級は16年リオ五輪銅メダルで世界選手権3連覇がかかる高藤と、昨年大会銅メダルの永山が火花を散らした。東海大の先輩の高藤が「しっかり永山選手の
ところまで行って勝つ。リオ五輪後、永山選手がここまで来てくれて僕も頑張れた。最後にきっちり倒して感謝の気持ちに変えたい」と“挑発”。永山も「高藤先輩と当たるまでは
目の前の試合に集中して、当たったら全力で倒しにいく」と応戦した。
高藤が腰部の筋膜炎のため欠場した4月の全日本選抜体重別選手権で、永山が優勝した。「けがをして試合に出られず、逃げているように言われることもある」。
世界王者は後輩との再戦の時を待ちわびている。大会の見どころを問われると「僕の柔道は分かりづらい」(高藤)、「柔道が分からない人が見ても分かりやすく」(永山)と
回答は真逆だった。自国開催の大舞台で、互いの柔道をぶつけ合う。

高藤直寿と永山竜樹が舌戦「倒して感謝の気持ちに」世界柔道60キロ級
https://hochi.news/articles/20190505-OHT1T50309.html

4月21日に行なわれた柔道の全日本女子選手権(皇后杯)は、1人の女性柔道家の生き方を示す大会でもあった。
女子52kg級で3回の世界選手権制覇、3度の五輪出場、五輪での銅メダル2つという輝かしい実績を残してきた中村美里(三井住友海上火災保険)が29歳にして初出場。
体重無差別で争う大会で「小よく大を制す」と全力を振り絞り、会場から大きな声援を浴びた。
「皇后杯出場は、オリンピックの金メダルと同じぐらい、夢でした。出られてうれしかったです」
初戦(2回戦)で敗れはしたが、関係者に握手でねぎらわれて頬をゆるませた。清々しい空気が漂っていた。
相手の児玉ひかる(東海大1年)は体重別の大会では78kg超級の選手で、今大会のエントリー体重は110kg。57kgの中村の2倍ある。身長も児玉が173cm、
中村157cmと、15cmの差。そして、昨年の世界ジュニア選手権78kg超級金メダルという実績を持つ伸び盛りのホープだ。
組み手がままならなくても工夫。
試合開始。体重差うんぬんの前に、リーチの違いから組み手がままならない中村は、開始1分過ぎのところで指導を受け、その約40秒後には2つ目の指導を受けた。
けれども、冷静さを失うことはなかった。
「組み手が不利になったところからの打開策や、組み手が良ければ崩すことを考えてやりました。巴投げからの関節技や、巴投げでは少し浮かせられたらと考えていました」
そう語ったように、さまざまな工夫で立ち向かった。小さな中村が児玉の下にまわって巴投げを掛けようと挑むときには、とりわけ大きな声援が響いた。
試合はゴールデンスコアの延長まで持ち込まれ、なおも熱戦が続く。すると5分12秒には相手に指導。中村の攻めが効いている。最後は6分13秒に払い腰で有効を奪われて敗れたが、 👀
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2019/05/06(月) 13:44:36.01ID:LwmwmK4F
その奮闘ぶりは多くのファンの目に焼き付いた。
小さくても大きな人に対抗できる。
「最初の指導は想定外だったけど、2つ目を取られても焦りはなかったです。ただ、体重が倍くらいというのは想定していたけれど、想像以上に大きかった。
組み手で相手を翻弄して技を仕掛けていくつもりだったのですが、大きさがある分、リーチもあって、なかなか自分の組み手ができませんでした。それでも途中からは徐々に
自分の柔道ができて、小さくても大きな人に対抗できるというのを少しは見せられたんじゃないかなと思います」
そして児玉に対して、「超級で全日本選抜体重別選手権に出ている強い選手と当たることができて本当に良かったです」と感謝した(※児玉の最終結果は5位=ベスト8)。
皇后杯はあこがれの大会だった。最初に出るチャンスを得たのは'09年世界選手権で初優勝を飾ったとき。規定により翌年の皇后杯の推薦枠出場権が付与された。しかし、
当時は52kg級の日本代表として果たさなければならない役割が大きく、ケガのリスクがあるということで出場を回避した。
「自分は出る気満々でした。その頃から出たいという気持ちを持ち始めていたのと、女子の日本一を決める大会ということにあこがれがありました」
連覇した素根輝の心にも響いた。
一度は断念したあこがれの舞台に立つ道が見えたのは、'16年リオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲って、休養に入っていた時期だ。'17年4月に筑波大大学院に進学した
中村は、それまでとは違った取り組みをしている中で皇后杯への思いを再燃させ、今大会の予選となる今年3月の東京都選手権で勝ち上がり、出場権を獲得した。
小さな体で果敢に相手に立ち向かう姿は、今大会で連覇を果たした18歳の素根輝(環太平洋大)の心にも響いた。
会場の袖で中村の試合に視線を送っていた素根は「小さい頃から中村美里選手がすごく大好きで、今でも憧れています。小さい体でも大きい相手に立ち向かっていく姿。
自分も重量級では小さい方なので、見習っていきたいです」と思いを馳せた。
一生現役かつ、後輩の指導も。
試合後、今後のことを聞かれた中村は、「未定です」としながら「世の中的には引退と思われるけど、柔道が大好きだし、一生現役のつもり。さらに上を目指したいと
思ったときはまた(皇后杯に)挑戦したい。ただ、後輩の指導もしていきたい」と語った。
日本ではスポーツビジネスの規模が年々拡大しており、トップアスリートの活動スタイルや世界大会から退いた後のライフスタイルも大きく変わってきている。
これまではメディアが「引退」という画一的な言葉で報じることが多かったが、これからは選手の考え方に応じた多様なスタイルがあることが前提となっていくのだろう。
皇后杯で得た新鮮な感情。
「52kg級のときは同じくらいか1つ上の階級の選手と練習していました」という中村は、皇后杯に出るにあたり、自分より大きな選手との稽古を繰り返し、それによって新たな
自分の能力を引き出されたという。
「大きい人とやることによって、体力面や筋力がアップしました。伸びしろというか、体の力の伝え方など、いろいろなことを感じられました。軽量級でも大きい人と練習したり
普段の基本練習をするのは大事。今後のヒントになります」
19歳で'08年北京五輪に初出場して銅メダルを獲得した頃、感情をあまり顔に出さないことで「笑わない柔道家」と呼ばれたことがある。'12年ロンドン五輪では北京五輪の
準決勝で敗れた北朝鮮の安琴愛(アン・グムエ)と初戦(2回戦)で再び対戦して敗れたが、涙をこらえていた。
それから4年、'12年の左ひざ手術から復帰して臨んだ16年リオ五輪では3位決定戦を制して2度目の銅メダルに輝き、表彰台で微笑んだ。
そして、今回の皇后杯。
中村は「今までになかった雰囲気を感じながらやりました。応援の人の声がたくさん聞こえて、延長戦に入ってからは、きつかったけど、いろいろな人と一緒に闘っている
気持ちでした」と新鮮な感情を口にしている。
「あらためて柔道の面白さを感じたし、これからももっと感じられるのではないかと思います。自分は競技以外のことでは柔道をまだ極めていませんし、
一部分しか経験できていないと思います。もっと自分自身が柔道の面白さを感じていきたいし、それを伝えていきたいです」
皇后杯で中村が示したのは「小よく大を制す」という柔道の醍醐味だけではない。
さまざまな経験を重ねながら多くのことを感じていき、それを未来に還元していこうという生き方。柔道の面白さを感じる場が「大会」なら、いつでもまたその姿を見せて欲しい。

「56kg対110kg」が女子柔道で実現。中村美里、皇后杯での挑戦と未来。 - 柔道
https://number.bunshun.jp/articles/-/839174
0378名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/07(火) 21:40:39.05ID:WQzrHnx+
柔道男子100キロ超級で五輪2連覇のテディ・リネール(30=フランス)がゴールデンウイーク中に行われた全日本合宿に参加(4日)して、注目を集めた。
2017年11月の世界選手権後から戦線離脱し休養。4か月前に練習を再開したばかりで、他の選手と比べてゆっくり調整をしているといい、現段階での
仕上がりは40〜50%だという。今夏の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)については「今の一番の目的は柔道の故郷である地で開催される
五輪に出ることなので、現時点では出ない」と改めて欠場する意向を示した。そのせいもあるのか、合同練習にもかかわらず、組み合うのは自国のコーチや
選手ばかり。これは20年東京五輪をにらんだ作戦なのか。本紙の直撃にリネールは「ノン。特に作戦ではない。たまたまだよ。(100キロ)超級の選手も
少なかったしね」と笑顔で答えた。
リネールといえばかつて米総合格闘技イベント「UFC」からの10億円の参戦オファーを断っているが、この日は「最終的には2000万ユーロ(約25億円)で、
という話が来たよ」と衝撃発言。ところが「自分は柔道以外はやらない。柔道はしっかりルールがあるので子供にもやらせることができる。格闘技はそこまでの
ルールはないからね」と言い切り、これまでと変わらない確固たる信念を語った。
とんでもない大金を積まれても、柔道家としての誇りを絶対に失わない“絶対王者”は「東京五輪で3連覇を決めて、また長い休憩に入るつもりさ」と涼しげに話す。
母国で開催される24年パリ五輪での4連覇を視野に入れる“25億円の男”が、東京でニッポン柔道の前に立ちはだかる。

リネール UFCの25億円オファー断っていた
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1384470/
0379名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/08(水) 12:27:55.02ID:meK/XXNJ
校野球で163キロを記録した佐々木朗希(岩手・大船渡)と同じ高校3年生、斉藤立(たつる/東京・国士舘)だ。190センチ、155キロの巨体は、大人に混じっても
存在感は際立っている。試合前は体を大きく揺らしながら首を左右に動かし、いかにも落ち着きがないが、
畳に上がれば獲物を襲うヒグマのように、長い両手と十本の指を大きく広げ、相手に立ち向かっていく。
き父の教えで、両手を大きく広げ相手に向かっていく斉藤立
そして左組みから仕掛ける体落としや大内刈り、内股といった大技は、ロサンゼルス五輪とソウル五輪の金メダリストで、2015年に亡くなった柔道界のレジェンドで
ある父・仁氏を彷彿とする。
いや、スケール感は父以上かもしれない。4月29日に行なわれた平成最後の全日本選手権で斉藤は、出場最年少として、昭和最後の1988年に同大会を制した
父に続こうとした。
「やっぱり全日本は違いますね。これまでも日本武道館は経験していますが、全日本選手権は試合場がひとつしかない。開会式で名前を呼ばれ、畳に上がった時、
何かが弾けたように(エネルギーが)ブワーッと来て、ここで勝ったら気持ちいいんやろうな、って(笑)」
初戦は27歳の加藤大志(北海道警察)を内股から大内刈りへの連絡技「一本」で仕留めた。
加藤は試合後、「お父さん同様、技に華がある」と振り返った。2回戦は140キロの黒岩貴信(日本製鉄)が相手。斉藤は内股、体落とし、大内刈りと手の内にある
技を余すことなく繰り出していき、大内刈り「技有」のあと、崩袈裟固めに抑え込んで合技「一本」。完勝と呼べる2試合だった。
同じ高校生が相手の場合、レベルが違いすぎれば、力まかせで勝ててしまうために、大雑把な柔道になりがちだ。しかし、高校生が相手であっても、斉藤は釣り手、
引き手をしっかり掴み、相手を崩し、大技へとつなげていく基本に忠実な柔道に徹する。
目先の相手に勝つことではなく、未来を見据えた柔道を仁氏から叩き込まれた。だからこそ、斉藤はシニアの大会であっても物怖じせず、試合巧者のベテランが
相手であっても攻撃柔道を貫けるのだろう。
また155キロの巨躯ともなれば、どうしてもヒザや腰に負担がかかってしまい、ケガの心配がつきまとう。その点に関しても、仁氏は抜かりなかった。
国士舘高校で斉藤を指導する岩渕公一監督が言う。
「立は体格のわりに、体が柔らかい。器用さもある。やっぱり、それは親父の指導の賜物ですね。今回の全日本に照準を合わせるために、(直前に開催された)
高校選手権は個人戦に出場させませんでした。東京五輪? 本人が本気で目指すというのだから、私らはそれを支援していくだけです」
大阪で育った斉藤は、上宮中学1年生の時に、父を亡くした。
そして、中学卒業後は、父の母校である国士舘高校に進学することを決意し、国士舘大学に進学する3歳上の兄・一郎さんとともに上京した。
母・三恵子さんが振り返る。
「親元を離れて、(立は)少し大人になったのかな。一緒に暮らしていた時は、とにかく甘えん坊でしたから(笑)。頼もしく成長してくれています。
両手を広げて、相手に向かっていくのは、夫がそうしろと伝えていたようです。どんな意図があるのか、私にはわかりませんが、相手に対し精神的に
優位に立つような目的があるのかもしれません」
斉藤の成長を温かい目で見守るのは、81キロ級を主戦場にする兄も同じだ。
「性格は裏表がなく、穏やかで、素直です。柔道家として精神的にも、技術的にも大きく成長したと思います」
国士舘高校のある世田谷区の住宅街に、数多くのオリンピックメダリストも通った中華料理の名店がある。斉藤は入学直後、名物の唐揚げ定食(ご飯・おかず大盛)
のあと、えびそば、そしてさらにもう一皿、定食をたいらげ、その大食漢ぶりが商店街の話題となっていた。一郎さんが続ける。
「本当に昔からびっくりするぐらい食べていましたね。本人は東京五輪を本気で目指していた。僕らとしては来年にこだわらずに、東京の次のオリンピックを
目指してくれたらいいと思っているんです。
焦ってしまったら、ケガをしちゃうかもしれないんで……」
0380名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/08(水) 12:30:01.36ID:meK/XXNJ
斉藤は全日本選手権の予選会となる東京都選手権(3月11日)の数日前に、手首の腱を負傷し、3月21の高校選手権・団体戦はぶっつけ本番。
全日本選手権に向けた練習も十分ではなく、寝技にいたってはほとんどできなかった。
そうした影響もあり、3回戦の国士舘の先輩である90キロ級の加藤博剛(12年の全日本選手権王者)との対戦では、巴投げを警戒するあまり小内刈り
で転がされた。さらに加藤の真骨頂である寝技で、関節を極めながら抑え込みに移行されて一本負け。百戦錬磨の相手に、手も足も出なかった。
「スタミナは自分の方があると思うんで、技を掛けて、攻めていったら、チャンスがあると思っていた。ケガをしていなかったら、もっと詰めた練習ができて、
いい結果が出せたと思う。悔いしか残らないです」
今後の課題は寝技だと明かした。
「関節技とかがまったくわからなくて……(加藤との試合でも極められた腕を)はずそうと思って、前転したらええんちゃう、と思って……
そうしたらそのまま抑え込まれて(笑)。まったく寝技を知らなかった。知識不足でした」
試合会場をあとにする際、加藤からは「先輩は強いんだぞ」と声をかけられたという。
「思わず『ちくしょー』って叫びました」
今回の敗戦で、わずかに残されていた東京五輪の道はほぼ途絶えた。
「しっかり気持ちを切り換えたい。この悔しさを埋める練習量を自分に課したいです」
前途洋々なまさしく大器――。復権が待たれる日本柔道の重量級にあって、斉藤の存在が光明であることは確かだ。

「令和の怪物」の父は柔道界のレジェンド。斉藤立は重量級の希望の星
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/fight/2019/05/08/___split_6/

テレビ朝日「報道ステーション」では、柔道男子66キロ級で五輪代表を目指す丸山城志郎のインタビューを放送。東京五輪につながる
世界選手権代表の座を手にした丸山がライバル・阿部一二三のことや自身の柔道について語った。
先月の全日本選抜柔道体重別選手権では、13分にも及ぶ延長戦の末に阿部を破った丸山。この試合を「疲れましたね」と笑った丸山は、
「頭の回転もなくなってきて、最後は気持ちの勝負でした」とも振り返った。
これまで同階級の顔として活躍してきた阿部については「自分の中では66キロ級は丸山城志郎だっていう気持ちが凄い強かった」と前置きすると、
「1人の対戦相手だけであって、試合をすることに変わりはないんで自分の柔道をして自分の柔道でしっかり勝ちきることだけを考えてた」と話す。
また、丸山はバルセロナ五輪の代表選手でもあった父・顕志氏を「ヒーローで憧れでもある。父がオリンピックに出て、僕もこういう舞台で戦って、
父ができなかった世界一。オリンピックで優勝してオヤジ超えをしたい」と意気込んだ。さらに、幼少から自宅での打ち込みや、階段ダッシュなど父から
鍛えあげられてきたことについても、「足腰だけじゃなくて体感や体全身の力がつく。小さい頃からの積み重ねが今の柔道になってる」と分析。父譲りの
得意技でもある内股については「軽量級は基本担ぎ技、背負い投げが多いんですけど、内股をやろうと小さい頃から思いました」という。
迎える東京五輪については、「最終的には東京オリンピックが1番大事」とした丸山は、「そこに1番強い自分を持っていって、世界で1番美しい柔道をするのは
丸山城志郎と思われるような柔道をしたい」と語った。

柔道66キロ級五輪代表争いは? 丸山城志郎、ライバル・阿部一二三は「1人の対戦相手だけ」
http://news.livedoor.com/article/detail/16426483/
0381名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/08(水) 19:08:34.04ID:BTR9VKOr
母がバレーボールチームに所属していたのですが、小学4年生の夏頃、そこで知り合った同じ学校の友達から「一緒に柔道をしよう」と誘われて、
松前柔道会の道場に連れて行ってもらったのが、柔道を始めたきっかけです。
柔道を始めたばかりの頃は、基本的な受身の練習から礼儀作法まで教わりました。礼儀作法を教わっても「こういうものなんだ」とすんなり受け入れていた
と思います。しかし、受身の練習で頭を打って痛い思いをしたせいで、最初は柔道にあまり良い印象はありませんでした。
他のスポーツはしていませんでしたが、当時、父がラグビー選手だったこともあり、一緒に練習に付いて行き、タックルをして遊んでいましたね。ただこれは、
柔道に活かすというよりは、遊びの延長のような感じでした。
柔道に本気で取り組みたいと思った県大会
弟と一緒に柔道を始めたのですが、よく試合に勝っていたのは弟。弟とは違い、自分は女子にも負けるほどで試合に勝てない日が続きましたね。
それでも、中学に進学してからも柔道を続けようと思い柔道部に入部。中学1年生の新人戦で、初めて県大会で優勝したのです。自分の中では、
県大会とはいえ初めてチャンピオンになれたので、柔道を途中で投げ出さずに続けてきて良かったと思いました。
この頃から柔道がすごく楽しいと思えるようになって、授業中も道場に行くのが待ち遠しいくらいでしたね。
柔道を通してたくさんの刺激を得た中学時代
中学校に入学したときは73kg級だったので、まずは試合までにウエイトが増やせるようにたくさん練習し、たくさんご飯を食べるようにしていました。
部活の練習とは別に、週3回は松前柔道会での練習も継続し、投げ技を中心に練習。中学3年生のときに出場した大会で、背負い投げをかけた際に
両膝着きで注意を取られて負けてしまったことがあったので、一本背負いを決めることができるよう、真剣に取り組みました。
中学最後に、初めて全国大会に出場。全国中学校柔道大会では、ベスト8に終わってしまいましたが、何も分からない状態からここまで勝ち進めたのは
嬉しかったですね。
この結果から、全日本柔道連盟の強化選手にも選んで頂き、毎月1回東京で合宿をして、色々な選手から刺激を貰う機会を得ました。合宿を通して
「このままではいけない」と気付くことができるようになったなど、プラスになることが多かったです。
全国中学校柔道大会が終わってから、国士舘高校をはじめ色々な高校からスカウトを頂きました。その中から進学先は新田高校に決定。父が新田高校の出身
ということや、中学生の頃から新田高校の監督にお世話になっていたことが大きな理由です。実際のところ、地元でも強くなれるという気持ちもありました。
新田高校の練習はとてもハードで、毎日練習についていくことに必死でしたね。軽量級が育つと言われる新田高校の練習メニューは、毎日300mトラックをダッシュで
5・6本走り、さらにそこから坂と階段をダッシュするという、重量級にはちょっと信じられないようなトレーニングだったのです。体重が落ちてしまわないように、必死で
食事を取り続ける日々。そんな練習を続けた結果、高校を卒業する頃には、軽量級と同じスピードで走れるようになっていました。
新田高校2年生のときに出場した全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会(以下、インターハイ)で3位入賞。この頃から自分の中で
着実に力が付いていると感じるようになりましたね。
また、大学の進学先もその頃から考えるようになったのですが、1年生のときから憧れていた東海大学の監督から声を掛けて頂いたときは本当に嬉しかったですね。
それからは、東海大学に入学したい思いで練習に取り組みました。
ところが、3年生のインターハイでは2回戦敗退。東海大学の入学は決まっていたものの、特待制度の条件が「インターハイ優勝」ということや、最後の試合で結果が
残せなかったことがすごくショックで…。喪失感というよりは絶望感に近く、畳から立ち上がることもできないほどでした。
そんな自分に、監督が「影浦はここで終わる選手じゃない」と声を掛けてくれたことを今でも良く覚えています。
怪我から見えた新たな柔道スタイル
0382名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/08(水) 19:09:16.39ID:BTR9VKOr
高校を卒業してから、初めての寮生活などで環境が大きく変わりましたが、絶対に日本代表になるという決意を胸に入学をしました。
しかし入学していきなり、全日本柔道選手権大会の3週間くらい前に両靭帯切断をしてしまったのです。そのまま大会に出場したあと、4ヵ月ほどのリハビリ生活を
余儀なくされました。
怪我をしているときに周りの重量級選手の練習を見ていると、このままでは自分は勝てないと考えるようになり、この怪我をきっかけに、自分の柔道スタイルを
180度変えることを決意。体が全然できていなかったので、怪我をしているときはウエイトトレーニングで体を大きくするように取り組みました。
さらにこれまで内股や大外刈りといったオーソドックスな技を中心に戦っていましたが、背負い投げなど、どちらかと言えば軽量級が得意とする技や
柔道スタイルにチェンジしたのです。
名だたる先輩との試合で得たもの
大学3年生のときに柔道グランドスラム東京2016に出場しました。自分は、欠場選手が出ての補欠上がりだったため、出場も一週間前に決まったような状況。
失う物は何もないと思い、胸を借りるつもりで思い切り試合に挑みました。
そのとき、決勝戦で対戦したのが東海大学で3年先輩の王子谷剛志選手です。同じ大学とは言え、一緒に練習したこともなかったので、相手の手の内が読めず、
ただの同門対決という感じでした。
自分の中では、すぐに勝負が付いてしまうのではないかと思っていたのですが、試合時間5分いっぱいの優勢負け。負けたとは言え「ここまで自分は戦える」という
自信になりましたね。
大学3年生で初めて全日本選抜柔道体重別選手権大会(以下、選抜体重別)に出場。大会は一回戦で原沢久喜選手と初めて試合をして、
3分くらいで一本負けしました。
その後、原沢選手が、リオデジャネイロ五輪(柔道)で銀メダルを獲得。その原沢選手と2017年の柔道グランプリ・デュッセルドルフで再び対戦し、勝利。
嬉しかったですよ。この勝利や大会優勝の経験は、自分の柔道により自信が付いたことを覚えています。
今では海外選手や実力ある日本選手と戦いを重ねてきたことで、背負い投げを自分の物にし、試合でも「今攻めたら有利な立場になる」とか「ここで引いたらまずい」
といった具合に、冷静な分析もできるようになりました。
日本中央競馬会所属の社会人になったことで、自分や柔道を取り巻く環境は本当にがらりと変化しました。
まず会社の研修が始まると、当然研修に参加しながらの練習。すぐに選抜体重別が控えていたので、この両立には戸惑いや焦りを感じましたね。
それまでは柔道のことだけを考え、まっすぐに取り組むことができる環境で過ごしていただけに、社会人になったばかりの頃は、柔道の時間が上手く取れない
こともあって、柔道に楽しく取り組めなかったのが正直なところです。
2018年の第18回アジア競技大会 柔道競技には団体として出場したものの、個人戦では出場できなかったことがとても悔しかったです。
同年の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会で優勝。そのまま波に乗って柔道グランドスラム大阪2018も優勝したかったのですが、2017年に負けていた
チェコのクルパレク選手に再び負けてしまいました。
この結果、自分が成長していないのではないかと追い込みましたね。柔道ワールドマスターズ・広州も、これまで海外で開催された大会では入賞し続けてきたのに、
初めて入賞できなかった大会となってしまい、やりきれない気持ちで一杯でした。
今後の目標について
100kg超級には様々な選手がいます。自分の場合は、体格の小ささを利用して背負い投げを軸にした試合展開ができる点や、技の受けのバランスやスピード、抜き技
でも、同じ階級では負けていないと思っています。
東京五輪(柔道)は絶対に出場したいので、死に物狂いで練習に取り組んでいます。特に今はスタミナと組み手の強化に注力し、「絶対負けられない」という気持ちで
追い込みをかけている感じです。
代表争いをしている選手は、皆当然必死で練習をしているので、その中で最後に差を付けられるところは「絶対東京五輪(柔道)に出る」という気持ちの強さだと
考えています。気持ちの強さで勝った選手こそ、東京五輪(柔道)の畳に上がることができると思うので、そこだけは他のライバル達には絶対負けたくないです。

影浦心 著名な柔道選手インタビュー
http://www.judo-ch.jp/interview/kageura/
0383名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/09(木) 11:50:08.67ID:NklycUao
20年東京五輪への「本当の戦い」が始まります。リオ五輪の時は若さと勢いだけで、本当の実力ではありませんでした。そのため、1年3カ月後の本番までには、
絶対的な地力と技術を身に付けて自分の柔道を完成させたいです。
子供の頃、五輪はテレビで見るものだったので、正直、今の状況が不思議です。小学生の頃、04年アテネ五輪で鈴木桂治先生が金メダルを獲得して「日本強いな」ぐらいの
記憶しかありません。体も小さく、弱かったので、五輪を本気で見ていませんでした。15年後の今は、代表の重量級コーチと選手の関係ですからね。人生、分かりません。
リオ五輪後は「追われる立場」となり、心と体がアンバランスになりました。オーバートレーニング症候群の発症や所属を退職してフリーになるなど全てが挑戦でした。
結果を残せず、背水の陣で臨んだ昨年の世界選手権も3位でした。その後、山口県の先輩の大野将平さんから天理大での稽古に誘われて、原点回帰出来ました。
天理の柔道は2本しっかり組んで、前に出て技を掛ける。この正統派スタイルが自分にも合っていて、本当の強さにつながると分かりました。組み手技術や技の威力を
発揮するための方法などを学び、大野さんには大外刈りの理論について聞きましたが、まね出来ないです…。異次元でした。その後も月1回ペースで天理大に行って、
感覚を取り戻しています。過去は振り返らずに、開き直って前だけを見ています。
世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)代表の選考会を兼ねた4月の選抜体重別選手権は優勝しましたが、全日本選手権は準々決勝で敗退しました。対日本人の
難しさと未完成な柔道を痛感しました。それでも代表に選出してもらったので、対外国人に切り替えます。井上(康生)監督からは「柔道界の白鵬になれ」と言われます。
元々、小柄だったせいか、小食で「いきなり!ステーキ」では400グラムぐらいしか食べられません。そこも改善して心技体を鍛えたいです。集大成の東京五輪では
頂点に立って「子どもたちに柔道をやってみたい」と夢を与えたいです。

東京五輪で頂点つかみ、子どもたちに夢を/原沢久喜
https://www.nikkansports.com/olympic/column/relay/news/201905080000313.html
0384名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/10(金) 12:41:51.37ID:bD24IxKh
2020年東京五輪で「気になる人」にスポットを当てた連載「『令和』に刻む東京五輪」の第3回は柔道界から“異端児”が登場だ。男子90キロ級で
今夏の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)代表に初選出された向翔一郎(23=ALSOK)は、その奔放な言動と変則的な戦い方か
ら「異能の柔道家」として注目を集める。本紙の単独インタビューに応じた若武者が見せた意外な素顔と、描いている将来像とは――。
今夏の世界選手権代表に決まった
向 日に日に緊張感が増すっていうか、もっと練習しなければいけないなっていうのは感じています。
昨年は団体での世界選手権出場
向 団体みたいに誰かが助けてくれるわけじゃないんで、個人の重圧も感じてますけど、オリンピックはこんなもんじゃないとも思ってます。目指してるのは
勝つ時も負ける時も、豪快(笑い)。見ている人が「楽しいな」って思えるような柔道をしたいですね。
試合では格闘技のように頭を左右に振って向かっていく変則的なスタイルだ
向 キック(ボクシング)の練習をやってます。同級生の選手が、柔道にどうやってつなげるかっていうのを考えてくれる。つり手を持つときはジャブとか。
手だけじゃなくて体で、力を抜くイメージですけど、柔道家って体に力が入りっぱなしだからできないんです。あとはスイッチ。一回体を入れ替えるだけでも
相手は何をしてくるんだろうってなる。
参考にした試合は
向 一番分かりやすいのは(那須川)天心VS(フロイド)メイウェザー(昨年大みそかのRIZINさいたまスーパーアリーナ大会)。あの時、ただ「メイウェザー強い」って
いうふうに見るんじゃなく、(メイウェザーが肩をピクッと動かす)圧のかけ方を見ていた。あれは(4月の全日本)選抜(体重別選手権)で自分も使いましたね。
メイウェザーがお手本とは…。その選抜優勝後に「感謝」という言葉を口にしている
向 忘れちゃいけない言葉だと思ってます。今、柔道でご飯食べさせてもらってるし、恩返しとか唯一の親孝行をできるのが柔道なので。自分は全然ケガをしないので、
それも母に感謝してますね。
お世話になった人への恩返しとなると…
向 五輪で金メダル。絶対「金」狙います。世間一般からしたら、柔道は「金」で当たり前みたいな部分があるので、世界選手権は通過点だと思わなきゃいけない。
東京の次の2024年パリ五輪は頭にあるか
向 全く考えてないっすね。たぶん気力が持たないし、下からもっと強いのが出てきますから。強いまま終わりたい。負けてる暇あったら違うことに目を向けたいです。
となると、東京五輪金メダルの先は
向 セカンドキャリアはよく考えます。「MMA(総合格闘技)に興味は」とか聞かれますけど、お金にならない(笑い)。子供とか奥さんができた時に、そんな冒険は
できないし、一番は親が心配する。だったら海外で柔道やったり。
かなり現実的だ
向 姉に男の子の子供ができたんですけど、めちゃめちゃかわいくて、本当に子供欲しくなりましたね。何でも買ってあげたくなっちゃう(笑い)。遊びに行くと姉が
「お財布が来たよ」って言ってる。
お姉さんも柔道をやっていた
向 大学4年まで。そこから一時期、MMA行ってました。
じゃあ、やはり向選手も
向 いや、姉ほど気が強くない。自分、実は優しいんすよ(笑い)。
柔道の指導者は
向 器じゃないですね、自分は。上に立って、何かを指図するっていうのができない。だからできてもコーチです。
ではタレントは? キャラ的に向いていそうだ
向 やってみたいっすよね。今、自分のキャラ、抑え込んでますから(笑い)。だからタレントとかになったら、もう言いたいこと言って…柔道界に戻って
来れなくなる(笑い)。
似ていると言われているお笑いコンビ「メイプル超合金」のカズレーザーとの共演が目に浮かぶ
向 あったら、いいっすねえ。カズレーザーが消えないうちにそれやりたいっすねえ。
【激戦の90キロ級】向の主戦場の90キロ級では東京五輪の代表争いが混沌としている。
この階級には、リオ五輪金メダルのベイカー茉秋(24=日本中央競馬会)に、昨年の世界選手権銅メダルの長沢憲大(25=パーク24)、さらに
世界選手権団体代表にはホープの村尾三四郎(18=東海大)が選出されるなど、強豪がひしめく。

異能の柔道家・向翔一郎 東京五輪「金」の向こう側に見えるカズレーザーとの合体
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1387527/
0385名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/10(金) 21:59:21.77ID:xOi8PYPp
12日の“母の日”を控えた10日、2012年ロンドン五輪柔道女子57キロ級金メダリストの“野獣”松本薫さん(31)が、都内で行われた「第12回
ベストマザー賞2019」(一般社団法人日本マザーズ協会主催)に出席した。
スポーツ部門の受賞となった松本さんは16年に結婚し、17年に第1子となる女児を出産した。今年2月の現役引退後は、健康を意識したアイスクリーム店を
プロデュースし、1歳11か月の長女を育てながら店頭に立っている。
松本さんは「ママとしては白帯。お話を頂いた時期は、ちょうど母として悩んでばかりいたので、私でいいのかなあと思ったが、これからも娘と向き合って頑張っていく。
あとは…何も考えていなかったので。すみません、終わります」と、現役時と変わらぬ天然ぶりで笑いを誘った。
そんな“愛されキャラ”の松本さんは、畳の上とは違って家庭では“野獣”ではないのだとか。「野獣になるにはスイッチを入れるのが大変なので。朝の満員電車で
席取りする時には、野獣で頑張っている。座れないと30分ずっと立ちっぱでつらい」と明かす。
夫似の長女がかわいらしくてたまらない様子で「朝、ベビーカーに乗せて、ダンナと私で走っているが、最近は自分でやりたがるようになり、週イチで走りだした。
もちろん、すごくゆっくりだけど。いつか柔道をやりたいと言えばやらせる。ただ、自分は教えない。道場の先生がかわいそうなので。陰で見守る」と、ユーモアを
交えて語った。
厳しい減量を強いられるアスリートでも食べられるように、乳製品、白砂糖、グルテン、トランス脂肪酸不使用の“ギルトフリー”なヘルシーアイスを、一から研究して
作っている。子育て同様、こちらも白帯からのスタートだ。
「娘が風邪で何も食べられない時に、アイスだけは口にした。すごくうれしかった」。長女は松本さんが丹精こめて作ったアイスのおかげで、元気を取り戻した。
「娘とちょうどいい距離感をとって、(仕事と子育てを)うまく両立していると思う」。仕事が子育てにもいい影響を与えているのだろう。
松本さんの子育てのポリシーは自然体。「子供にダメなことはダメだと教えるが、それ以外に関しては特に何も言わない。将来は自分で考えて、自分で行動し、
自分でしっかり立てる人間になってほしい。私も娘と一緒に成長したい」と締めくくった。

1児の母・松本薫さん 満員電車で野獣に変身「席取り頑張ってます」
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1389723/
0386名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/10(金) 21:59:57.71ID:xOi8PYPp
12日の母の日を前に、憧れや目標となるママを選ぶ「第12回ベストマザー賞2019」が10日、都内で発表された。スポーツ界からは2012年ロンドン五輪
柔道女子57キロ級金メダリストで、2月に現役を引退した松本薫さん(31)が選出された。令初の受賞者となり、「ママとしてはまだ白帯。他の受賞者の
みなさんみたいに黒帯ではありせんが、これからも娘と向き合って頑張っていこうと思います」と喜んだ。
2016年のリオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得後、同年11月に大学時代から交際していた一般男性と結婚。2017年7月に女児を出産した。「2020年の
東京五輪を目指して“ママでも野獣”で復帰したいと思っています」と望んでいたが、引退後はアイスクリーム店を開業。引退会見で発した「優先順位の一番が
子供になった」などが多くの女性たちから支持を集め、選出につながった。
子育てについて「悩んでいる時期に(受賞の)お話をいただき、私でいいのかの思った。でも、うれしかったです」と笑顔。1歳11カ月の長女の将来については、
「自分の足で、自分で行動できる大人になってほしい」と望み、柔道については「(娘の方から)やりたい、と言ったら」応援する程度。その時は自ら指導するのか?
と問われると「それはしない。だって、通う道場の先生がかわいそうじゃないですか」と金メダリストの誇りをにじませ、笑いを誘った。
アイスクリーム店については、「頑張らないといけない」と苦笑い。「一からなので、白帯ってこんなに大変だったのかと思いましたね」と奮闘している様子。
「黒帯より前の、茶色の帯をまずは目指します」と堅実路線を強調した。特に、苦労しているのは通勤。「満員電車の通勤ラッシュが熾(し)烈で、京王線は
(席を逃すと)30分間ずっと立ちっぱでつらいんです」と漏らした。ただ、長女が「風邪で何も食べられなかった時に、それ(手づくりのアイス)だけは食べられました」
と味は問題ではないようだ。
日本マザーズ協会主催のベスマザー賞はママたちの投票などで選ばれる。芸能部門は女優の吉瀬美智子(44)、文化部門はモデルの梨花(45)、
文芸部門は直木賞作家の辻村深月さん(39)、経済部門はファッションエディターの小脇美里さん(35)にそれぞれ決まった。

松本薫さん ベストマザー賞受賞に笑顔「ママとしてはまだ白帯」 柔道は「やりたいと言ったら…」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/05/10/kiji/20190510s00041000227000c.html
0387名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/11(土) 12:58:05.84ID:OcE6IKgO
柔道のグランドスラム・バクー大会は10日、アゼルバイジャンのバクーで開幕し、女子57キロ級で昨年の世界選手権を制した芳田司(コマツ)は決勝で
2016年リオデジャネイロ五輪金メダルのラファエラ・シルバ(ブラジル)に敗れて2位だった。同52キロ級の志々目愛(了徳寺大職)も2位。同48キロ級の
近藤亜美(三井住友海上)は2回戦で敗れた。

芳田と志々目が2位=グランドスラム・バクー大会−柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019051100276

柔道のグランドスラム・バクー大会は10日、男女5階級が行われ、女子57キロ級で今夏の世界選手権(東京)代表の芳田司(コマツ)は
決勝で2016年リオデジャネイロ五輪女王のラファエラ・シルバ(ブラジル)に敗れて2位だった。52キロ級で同代表の志々目愛(了徳寺大職)も
決勝でフランス選手に屈した。
48キロ級の近藤亜美(三井住友海上)は初戦の2回戦で敗れた。

芳田と志々目が2位 GSバクー大会/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190511/jud19051100480001-n1.html
0388名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/12(日) 12:39:35.66ID:9az8ERkF
柔道のグランドスラム・バクー大会は11日、アゼルバイジャンのバクーで行われ、女子63キロ級の田代未来(コマツ)と
同70キロ級の新井千鶴(三井住友海上)が優勝した。田代は決勝でリオデジャネイロ五輪金メダルのティナ・トルステニャク(スロベニア)
を破った。

田代と新井が優勝=柔道のグランドスラム・バクー大会
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019051200151

柔道のグランドスラム・バクー大会は11日、男女計4階級が行われ、女子は70キロ級で世界選手権2連覇の新井千鶴(三井住友海上)、
63キロ級で田代未来(コマツ)が優勝した。

新井千鶴・田代未来が優勝 柔道GSバクー大会
https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK60578_R10C19A5000000/
0389名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/12(日) 19:29:06.25ID:3r1+1rJE
柔道のグランドスラム・バクー大会で試合中に道着からスマホが畳に落ち、失格になるという前代未聞の珍事が発生した。まさかの“試合中の落とし物”の
実際のシーンを国際柔道連盟が動画付きで公開し、「こんなの見たことない」「彼女からの電話を待っていたのかも」「まぬけだ」「悲しすぎる」などと騒然とさせている。
前代未聞の珍事を演じたのは男子81キロ級2回戦に出場したアンリ・エグティゼ(ポルトガル)だった。相手のロビン・パチェック(スウェーデン)の袖を取り、
前かがみで組み合っていた場面だった。「ボトッ」――。白い道着から黒い何かが畳に落ちた。その大きさ、形……。一瞬で何かわかる。スマホだった。
反応したのは、相手のパチェックだった。何事かと組手を離し、拾い上げる。審判にアピールした後、ご丁寧にエグティゼに渡そうと紳士的に差し出した。
しかし、エグティゼはどこかバツが悪そうな表情。国際柔道連盟は「ジュウドウカ、携帯電話で失格」とつづり、公式Youtubeでまさかのシーンを公開した。
目の当たりにした海外ファンも仰天し、コメント欄で反響を寄せている。
「こんなの見たことない」
「電話で敗退」
「iPhoneで勝利」
「やっちゃった!」
「彼も混乱してるはず」
「大事な電話を待ってたんだよ…!」
「ガールフレンドからの電話を待ってたのかも」
「劣勢になったら電話で助けを求めるつもりだった…」
「まぬけだ」
「悲しすぎる」
「電話は相手を怪我させるかもしれないし、このレベルならプロとしてのエチケットだよ」
このようにエグティゼに対する厳しい声が相次いでいた。国際柔道連盟公式サイトによると、本人は失格になったという。持っていた携帯電話を置き忘れたの
かもしれないが、国際舞台でなんとも珍しい場面になった。

えっ、試合中にスマホが… 柔道国際大会の"衝撃の落とし物"に海外騒然「まぬけだ」
https://the-ans.jp/news/60635/

柔道のグランドスラム・バクー大会(アゼルバイジャン・バクー)で選手が試合中にスマホを落として失格となる珍事が起きた。国際柔道連盟が11日、
動画投稿サイト「ユーチューブ」の公式チャンネルで紹介した。
舞台となったのは男子81キロ級2回戦、アンリ・エグティゼ(ポルトガル)とロビン・パチェック(スウェーデン)の一戦だった。パチェックがエグティゼの袖を取り、
組み合っていたところでエグティゼの懐からスマホがポトリ。これをパチェックが拾って差し出すと、エグティゼはバツの悪そうな表情を浮かべた。
スマホを受け取ったエグティゼは場外にスマホを投げたが、失格が言い渡され両手で顔を覆った。この模様は国際柔道連盟のユーチューブ公式チャンネルにも
投稿され、「柔道家がスマホを落として失格」と紹介された。

ポルトガル選手、試合中にスマホ落とし失格 GSバクー大会で珍事/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190512/jud19051217120002-n1.html
0390名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/13(月) 11:34:58.59ID:tvxZD7rF
柔道のグランドスラム・バクー大会は12日、男女計5階級が行われ、女子は78キロ級で浜田尚里(自衛隊)が3位だった。男子90キロ級の向翔一郎(ALSOK)は2回戦で敗れ、
村尾三四郎(東海大)は初戦の2回戦で敗退した。

浜田が3位 GSバクー大会/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190513/jud19051300400001-n1.html

柔道のグランドスラム・バクー大会は12日、アゼルバイジャンのバクーで行われ、女子78キロ級の浜田尚里(自衛隊)は準々決勝で敗れた後、敗者復活戦を勝ち上がって3位に入った。
男子90キロ級の向翔一郎(ALSOK)と村尾三四郎(東海大)はともに2回戦で敗退した。

浜田は3位=柔道グランドスラム
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019051300201

NHKで生中継され、一つしかない試合会場に視線が集まるという独特の緊張感が漂う中、猛者たちが頂点を競う。そんな1948年から始まった格式ある大会が、
2020年東京五輪に向け、最重量級の日本代表選考会から除外されることになりそうだ。このため「柔道日本一=五輪チャンピオン」の構図が成り立たない事態も予想される。
価値の低下が懸念される全日本選手権。武道としての伝統、五輪競技としてのスポーツという両面に挟まれた微妙な立ち位置に、看板である最重量級のヒーロー不在という問題が
浮かび上がる。
文化の象徴
そこは柔道家たちにとって憧れの舞台であり、数々のドラマが繰り広げられた。1977年からは山下泰裕が前人未到の9連覇を成し遂げた。山下は1984年ロサンゼルス
五輪無差別級でも金メダルに輝いた。その間、ロサンゼルス大会から五輪の95`超級を2連覇した斉藤仁は全日本の決勝で3年連続して敗れ、山下の壁を越えられなかった
1998年からは篠原信一が3年連続優勝。そのうち2度、決勝で屈していたのが井上康生だった。しかし2000年シドニー五輪100`級で金メダルを獲得した井上は、2001年の全日本選手権で
篠原を倒して念願の初優勝を遂げた。振り返るだけで日本の英雄たちがよみがえり、柔道界の歴史が詰め込まれている。
2012年には90`級の選手の加藤博剛(千葉県警)が優勝。「柔よく剛を制す」という柔道の神髄が表れたシーンだった。今年の大会でも、決勝に100`超級の選手は残らず、100`級のウルフ・アロン
(了徳寺大職)が加藤を下した。体重差に関係なく純粋に頂点を目指して自己を磨く。全日本選手権は武道としての柔道文化の象徴と言える。
0391名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/13(月) 11:35:18.05ID:tvxZD7rF
スポーツとして
一般的には体重別で実施され、常に日本勢にメダルが期待される五輪も例外ではない。全日本柔道連盟は五輪や世界選手権の代表選考において、国内外の過去2年間の大会結果をポイント化する制度
を取り入れており、近年は特に国際大会での実績を重要視している。客観的なデータを大事にすることを鑑みれば、体重無差別の全日本選手権の大会結果を考慮しなくなることはある意味で合理的だ。
柔道の醍醐味は、鮮やかな「一本」で相手を制することであり、王道でもある。ただ国際的な大会ではポイントを奪って逃げ切る闘い方も散見される。例えば2016年リオデジャネイロ五輪100`超級決勝。
フランスのテディ・リネールは原沢久喜(現在は百五銀行所属)から先に指導を引き出すと、その後はしっかりと組むことなく、逃げるような姿勢でさばき続けた。会場の観客がブーイングを浴びせたが、
メダルはリネールの手に渡った。
▽豊かな精神性
武道の一つである柔道には、豊かな精神性が宿る。合気道の大家、多田宏氏は「日本人の身体」(内田樹著)の中で次のように指摘している。「色々な武道がスポーツ化され、世界中に広まったと
喜んでいるみたいですが、日本語のスポーツと外国語の『スポーツ』とは違う点がありますからね。スポーツというのは、やはりキリスト教文化圏の概念なんです。だからスポーツトレーナーが
『人間いかに生くべきか』なんて辛気くさいことは言わないでしょう。安らぎは教会や聖書によってのみ得ることができる。スポーツはそういう無言の条件の下で行われる、身体運動なんです。
もちろんスポーツには、スポーツとしての良いところがあります。しかし日本の伝統文化としての勝敗を超越した武道の訓練法には、スポーツにはない良いところがある」。勝ち負けにとらわれず
その道を究めるべく鍛錬を積む。武道に通じる特長は素晴らしく、受け継ぐべきものだろう。
また、柔道が競技に初採用された1964年東京五輪の翌年、日本レコード大賞を受賞した美空ひばりの「柔」には有名な一節がある。「勝つと思うな 思えば負けよ」。勝利を欲しがり過ぎると、
結果的に本来の能力を発揮できずにうまくいかないものだと解釈できる。大相撲で史上最多の優勝42回の横綱白鵬が、勝負に臨む心境として大事にしていると明かしたことがある。人生訓にも
通じる示唆で、柔道の深みがにじみ出る。
時代の宿命
2008年北京五輪優勝の石井慧を最後に、全日本王者が五輪と世界選手権の100`超級を制覇できていないことも、全日本選手権のステータスに影響を与えている。武道ではないものの、
国のお家芸と五輪との関係性で見れば、バスケットボール男子の例がある。バスケットボールの発祥地は米国で、現在はプロリーグのNBAを抱える。NBAと五輪ではルールが異なる点がある
にも関わらず、米国は五輪で3連覇中と母国の威厳をいかんなく発揮。同時にNBAは世界最高峰のリーグとして世界中のファンを魅了し続けている。
伝統や美学をしっかりと追求しながら、競技会でも好結果を残すのが一番の理想だ。一方、現実的に全日本選手権の権威についての雑音を封じ込めるには、日本が最重量級で五輪の金メダルを
獲得し、復権するのが一番の近道か。柔道がスポーツとして発展し、五輪が大きく注目されるようになった時代の宿命でもある。

柔道日本一はもはや五輪王者ではないのか ?伝統とスポーツの狭間で揺れる全日本選手権
https://victorysportsnews.com/articles/7397/original
0392名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/14(火) 01:22:15.40ID:6GFnzAHG
姉が柔道をしていて、その送り迎えに自分も付いて行くことが多く、そうしたことを続けているうちに自分も柔道を始めていました。
姉も父の影響で柔道を始めていたので、家族ぐるみで柔道をしていたという感じです。
小学生時代は湘南宮本塾で柔道を教わり、受身や回転といった基礎練習を中心に取り組んでいました。乱取りなどの本格的な練習は
行なわず、どちらかと言えば遊びに近い感覚だったと思います。
他に小学3年生まではサッカー、4〜6年生までは野球と柔道を平行して行なっていました。土曜日は午前に野球、午後に柔道。日曜日は一日中、
野球。平日は柔道。休みなく体を動かす毎日でした。今でも同級生や先輩とサッカーをすることがありますが、柔道の足技やフットワークに
活かされていると思います。
柔道一筋と決めた小学生時代
小学6年生のときに出場した全国小学生学年別柔道大会で準優勝をしたときは、ここまで結果を残せるとは思っていませんでした。この結果で、
中学校は柔道一本に絞ろうと決意。
全国小学生学年別柔道大会 2010
運良く勝ち進んだとはいえ、自信は付きました。また、多くの選手を見たことで、柔道の全国レベルを目指そうと思った大会でもあります。
中学に進学して痛感したことは、小学生とは力が桁違いに異なったということです。特に中学3年生の力は、体が成長過程ということもあって、
自分の力のなさを痛感しました。当時の自分は体が細かったこともあり、小学生のときのような練習量では上にはいけないと思い、練習量を
増やしたことを覚えています。
中学時代は学校で練習したあと、近くの麻布大学附属高校でも練習に没頭していました。麻布大学附属高校では、父が柔道部の顧問をしていた
関係で練習をすることができたのです。中学校の練習では満足できていない自分がいたのかもしれません。高校生に胸を借りるつもりで練習に
取り組んでいました。
中学1年生の最後に参加した新人戦ですが、「良いところまでいける」と言われていたにもかかわらず敗戦。そのときに、「自分は何でこんなに弱い
のだろう」と感じたと同時に「もっと強くならなければ!」と思いました。
2年生になってからは、とにかく猛練習をして、夏には全国大会に出場。結果が付いてきて本当に良かったです。
1年目の敗戦は、今思い出しても悔しいと感じる試合ですが、あのときの負けがあったからこそ、今の自分があると思っています。
中学3年間は、自分の柔道スタイルが作られた時期です。基本的な組み手や足技や内股の入り方など、中学時代に教わったことが、
今の柔道スタイルにつながっていますね。
高校生活が始まると、これまでとは全く違う環境での柔道でした。中学時代は、強豪校で柔道をしていたわけではなかったので、当たり前のように
試合に出られたのですが、国士舘高校に入学すると、まずレギュラーを勝ち取るという試練が待っていたのです。
負けず嫌いな性格もあり、団体戦は1年生のときから出たいと思っていたため、練習は上級生に食って掛かる勢いでしたね。その結果が、
全日本カデ柔道体重別選手権大会の優勝や、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会での団体戦優勝にも繋がったと思います。
2年生では世界ジュニア柔道選手権大会にも出場しましたが、一回戦で敗れました。しかし今まで戦ってきたステージから、ひとつ上の柔道を見ることが
できたので、自分の中での意識を世界に向けられたと思います。
ところが3年生では、全国高等学校柔道選手権大会(以下、高校選手権)で負けたことで、2年連続で高校柔道3冠を達成するという目標を失うことに。
その悔しさもあり、そこからまたどんどん練習をして、さらに意識をひとつ上の段階に上げることにしたのです。自分のコンディションや、体重の管理など、
柔道の練習だけでなく生活面でも注意をするようにしました。勝った試合よりも、負けた試合のほうが印象に残る性格です。悔しさを
バネにどんどん練習をした1年でした。
0393名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/14(火) 01:22:58.94ID:6GFnzAHG
2016年のリオデジャネイロ五輪(柔道)では、当時自分もシニアの選手たちと試合をして、五輪(柔道)出場選手の強さを知っていたので、
その中から優勝する人がたくさん出るのではないかと予想していただけに「あの強い人たちが負けるのか」と感じたのを覚えています。
あの畳の上にいる選手はどういう気持ちなのだろうか、やはり特別な場所なのだろうか、と良く考えていました。
リオデジャネイロ五輪(柔道) 2016
自分と同じ100kg級の羽賀龍之介選手が3位を獲得したときは、どこかほっとした気持ちがありました。悔しいともうらやましいとも違う、不思議な
感情を持ったことを覚えています。自分の階級で優勝者が出ると嫉妬していたでしょうね。
監督の厳しい指導で柔道をやらされていたような高校時代とは違って、大学生になると自分で練習内容やトレーニングを考えて柔道に取り組む
必要が出てきました。
ただ、自分は中学・高校生の頃から、意識して自分で練習をするように心がけていたので、大学に入って環境が変わっても、戸惑うことは
ありませんでしたが、自分で考えて練習することの大切さをあらためて感じることができたのは良かったです。
しかし戦績に関しては、講道館杯全日本柔道体重別選手権大会(以下、講道館杯)の優勝しか残せず、最初の1年間はとても悩みました。
選抜体重別も3位にはなっていますが、実質試合に勝ったのは一回だけ。高校で好成績を残したことで、相手選手にマークされるように
なったこともありますが、外国や国内のトップ選手と試合すると、自分の力のなさを痛感していました。
2018年2月の柔道グランドスラム・パリでは2回戦で敗退し、さらには怪我をするなど大学2年目は最悪のスタート。柔道グランプリ・ザグレブ3位、
柔道グランドスラム大阪でも3位、柔道ワールドマスターズ・広州も3位と、何とか入賞できた年でした。
そんな中で2018年の第18回アジア競技大会 柔道競技は、決勝戦でチョ・グハム選手にリベンジを果たすという目標もあり、どうしても
優勝したいと思って臨んだ大会。その頃、自分の柔道における課題が「我慢をすること」でもあったので、10分に及ぶ試合を最後まで耐えて
優勝できたことが、スランプに陥った自分に弾みを付けることができた要因だと思います。
アジア競技大会 柔道競技 2018(男子100kg級)
2019年2月の柔道グランドスラム・デュッセルドルフは、選抜体重別に繋げるための大事な試合ということもあり、本当に優勝できてよかったと
心の底から思える大会でした。今思うと1回戦から厳しい戦いばかりで、いつ負けても不思議ではなかったので、選抜体重別へ首の皮が
繋がったなという安心感もあります。世界大会での優勝は本当に久しぶりだったので、とても意味のある大会だったと思っています。
東京五輪(柔道)に出るためには、段階を踏んで結果を残す必要があります。そのために、対戦相手の研究、組み手、寝技など、限られた
時間の中で、できる準備は全部やるつもりです。
今は多くの大会で勝って、次の切符を手に入れることしか考えていません。
東京五輪(柔道)に近付くためにも、ひとつひとつの試合を大事にしていきます。

著名な柔道選手インタビュー飯田健太郎
http://www.judo-ch.jp/interview/iida/
0394名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/14(火) 22:17:34.16ID:lJWH1YcC
柔道のグランドスラム・バクー大会で試合中に道着からスマホが畳に落ち、失格になるという前代未聞の珍事が発生。まさかのシーンを
国際柔道連盟が動画付きで公開し、「こんなの見たことない」「まぬけだ」「悲しすぎる」などと海外ファンは騒然となっていたが、海外メディアも
続々反応。「柔道家が畳に携帯を落として失格」「奇妙なアクシデント」などと報じている。
畳に落ちた1台のスマホの反響が世界に広がっている。男子81キロ級2回戦に出場したアンリ・エグティゼ(ポルトガル)は相手の
ロビン・パチェック(スウェーデン)の袖を取り、前かがみで組み合っていた。その場面で「ボトッ」と白い道着から黒い何かが畳に落ちた。
誰が見てもそれはスマホだった。
先に反応したのは、相手のパチェック。組手を離してすぐに拾い上げる。審判にアピールした後、ご丁寧にエグティゼに渡そうと紳士的に
差し出した。ただ、エグティゼはどこかバツが悪そうな表情。国際柔道連盟公式サイトによると、結局、この行為が原因によりエグティゼは失格
処分になったという。
国際柔道連盟は「ジュウドウカ、携帯電話で失格」とつづり、公式YouTubeでまさかのシーンを公開。「こんなの見たことない」「まぬけだ」「悲しすぎる」
などと批判的の声のほか、「ガールフレンドからの電話を待ってたのかも」「劣勢になったら電話で助けを求めるつもりだった…」と揶揄する声も
上がっていた。
欧州メディアが続々報道「試合中に電話を落とし、気まずい瞬間」
これに海外メディアも続々と反応している。欧州衛星放送「ユーロスポーツ」ドイツ版は「おっと! 柔道家、試合中にスマホをなくす」と見出しを
打ち、「柔道グランドスラムで奇妙なアクシデント」と報じた。スイス公共放送「SRF」も「奇妙な失格 柔道家、試合の最中に着物から携帯電話を
落とす」とレポートしている。
柔道の強豪・フランスの地元紙「レキップ」も「柔道家が畳に携帯を落として失格」と報じれば、SNS上でも「ユーロスポーツ」公式インスタグラムは
「柔道の試合中に電話を落とし、気まずい瞬間」、英公共放送「BBCスポーツ」公式ツイッターは「競技の望ましい開始方法ではない」と伝えるなど、
各国で注目を浴びた。
スマホを置き忘れたことによりハプニングが発生したのかもしれないが、相手を怪我させかねない行為とあって大きな反響を呼んでしまった。

欧州騒然!? 柔道試合中の“スマホ落としの珍事”に各国も反響「気まずい瞬間」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190513-00060673-theanswer-spo
0395名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/14(火) 22:17:56.27ID:lJWH1YcC
柔道のグランドスラム(GS)バクー大会に出場した日本代表が14日、成田空港着の航空機で帰国した。
男子90キロ級の向翔一郎(23=ALSOK)、村尾三四郎(19=東海大)はともに2回戦で敗れた。男子を指揮する井上康生監督(40)は
「あらためて厳しい現状を突き付けられた。しかし、やるべきことは明確になった。しっかりと次の大会へ準備を進めていきたい」と述べた。
その「課題」としては「ペース配分が慎重になりすぎた。先手を取る試合展開が必要」「印象がいい試合の流れをつくっていく必要がある」を挙げた。
積極的に攻めの姿勢を貫くことを求めた。同階級は世界でもレベルが拮抗(きっこう)しているだけに「十分にチャンスはあるのではないか」と
奮起を促した。
世界選手権(東京)までは残り約3カ月。井上監督は「東京五輪へ向けて重要」と位置付けを強調し「1日1日を大事にしていきながら、1つ1つ
の練習、大会を大事にして、危機感を感じながらやらないといけない」と話した。90キロ級代表の向に関しては「今までは研究されていない身で
思い切りできたと思うが、これからは細かいことも研究される中で戦っていかないといけない」。その上で世界選手権、その先の
東京五輪(オリンピック)へ向け、今後の成長に期待を寄せた。

柔道日本代表が帰国 井上監督は向と村尾に成長期待
https://www.nikkansports.com/sports/news/201905140000933.html

柔道のグランドスラム・バクー大会に出場した日本代表団が成田空港に帰国した。男子90キロ級に出場した向翔一郎(23=ALSOK)、村尾三四郎(19=東海大)は
ともに2回戦敗退。男子監督の井上康生氏(40)は「厳しい現状を突きつけられた。やるべきことが明確になった。次に向けて準備したい」と語った。
向は8月25日開幕の世界選手権(日本武道館)に出場する。「課題しか残らなかった。先手にいかないといけない。密度の濃い練習をしていかないと」と猛省。
井上監督も「慎重になりすぎた。もっと先手を取る必要がある」と厳しく指摘した上で「強豪ぞろいであり、逆に言うなら突出した選手がいない。
十分にチャンスがある」と奮起を促した。
女子では、ともに世界選手権を控える63キロ級の田代未来(25=コマツ)、同70キロ級の新井千鶴(25=三井住友海上)が優勝を飾った。
新井は「今どれくらいできるのか分かった試合。何をされても嫌な感覚はない」と手応えを語った。

柔道男子の井上康生監督「厳しい現状」 GSバクー大会から日本代表帰国
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/14/kiji/20190514s00006000361000c.html

柔道のグランドスラム・バクー大会に出場した男女日本代表が14日、成田空港に帰国し、女子70キロ級で優勝した新井千鶴(三井住友海上)は
「精神面は落ち着いて臨めた。技や組み手はまだまだつくっていける」と世界選手権(8月25日〜9月1日、日本武道館)3連覇への収穫を語った。
昨年11月以来の実戦となった新井は立ち技、寝技ともに隙がなく順調な仕上がりをアピール。「右組み、左組みといろんなタイプがいるが、苦手
意識がなくなってきた」と充実ぶりを実感した。
女子63キロ級の田代未来(コマツ)は寝技がさえて優勝。「安定していると感じられた」と納得しつつも「世界選手権までの過程にすぎない」と悲願の
初の世界一へ引き締める。同57キロ級世界女王の芳田司(コマツ)は決勝で敗れ「守りの部分が甘かった。競った場面でスイッチが入らなかった」と悔しがった。

新井千鶴は世界V3へ収穫「精神面は落ち着いて臨めた」 GSバクーから帰国/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190514/jud19051420490001-n1.html
                                                                                  
0396名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/15(水) 22:16:45.86ID:qEO0ack8
柔道のグランドスラム(GS)バクー大会(アゼルバイジャン)に出場した男女日本代表が14日、成田空港に帰国。女子70キロ級で優勝した新井千鶴(25)=三井住友海上=は
「精神面は落ち着いて動じずに臨めたので、そこの部分は完成されつつあると感じる」と、手応えを口にした。
昨年11月のGS大阪大会以来、約5か月ぶりの試合となったが「落ち着いて、今まで通り試合に臨めた」とうなずいた。3連覇の期待がかかる世界選手権(8月25日開幕、
東京・日本武道館)に向けて、「技や組み手はまだまだ作っていけると感じる。相手が仕掛けてくる攻防に対して、展開をもっとスピーディーにして行くことも必要になる」と
課題も掲げた。

柔道・新井千鶴が世界選手権3連覇へ手応え「精神面は動じずに臨めた」GSバクー大会から帰国
https://hochi.news/articles/20190514-OHT1T50189.html

次こそ見ていろ!? 柔道のグランドスラム(GS)バクー大会を終えた日本代表が14日、成田空港に帰国。男子90キロ級の向翔一郎(23=ALSOK)は4月の
全日本選抜体重別を制し、個人では初の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)の切符を手に入れたが、今大会はトルコ選手に2回戦負けを喫した。
向は「持ち味が出せなかった。外国人が自分の柔道に慣れてきている。自分も外国人にいかに慣れていくか。もっと密度の濃い練習をしていきたい」と猛省した。
外国人選手に慣れるには実際に組み合うのが一番。先日行われた全日本合宿には男子100キロ超級で五輪2連覇のテディ・リネール(30=フランス)が参加し、向も
1回だけ乱取りで胸を借り、“最強”を体感したという。「やっぱりうまいです。引っ掛ける力もそうだし、能力がすごい」
バクー大会では残念ながらその成果は出せなかったが、今後外国人を相手にするにあたって、最強の男との稽古は必ず生きてくるはずだ。
そのリネールは合宿時に米総合格闘技イベント「UFC」からの25億円オファーを蹴ったことを本紙に語った。向は「見ましたよー。自分は25億だったら絶対いきます。
相手は(ボクシング元5階級制覇王者フロイド)メイウェザー(42=米国)で!」と高笑いで家路に就いた。世界選手権では稽古の成果を発揮してもらいたいところだ。

【柔道】向翔一郎 リネール効果でリベンジだ
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1394250/

ポーランドとカザフスタンで開かれる柔道の世界大会に松商学園高校一年の矢沢愛理さん(15)=塩尻市洗馬太田=が、日本代表として出場する。十三日に市役所を訪れ、
小口利幸市長に健闘を誓った。
大会は十八、十九の両日にポーランドで開かれる「ポーランドカデ世界大会」と、九月二十八、二十九の両日にカザフスタンである「世界カデ選手権大会」。
四月十四日に大阪府であった十五〜十七歳の全日本カデ柔道体重別選手権大会の女子六十三キロ級で初優勝し、両世界大会への出場資格を獲得した。
全日本柔道連盟の推薦を受けて出場する。
小学一年から同市広丘吉田の誠心館道場で練習を積み、同市丘中学校、同高校の柔道部で技を磨いた。世界大会の出場は初めて。夢は五輪での金メダル獲得と言う。
矢沢さんは「得意の大内刈りを決めて勝ち上がり、優勝したい」と抱負を話した。
小口市長は「さらに成長する余地があるので、頑張ってきてください」とエールを送り、市スポーツ夢基金からの激励金などを手渡した。

柔道 松商学園高の矢沢愛理 大内刈りでV狙う 世界カデ選手権など
https://www.47news.jp/localnews/prefectures/aichi/3567140.html

佐賀県が取り組むトップ選手の育成やスポーツ普及について助言などをする「SAGAスポーツピラミッド(SSP)構想」のアンバサダーに、柔道五輪金メダリストで
みやき町出身の古賀稔彦さん(51)が就任した。古賀さんは「わくわくな気持ち。佐賀に恩返しをする」と意気込んだ。
古賀さんは1992年のバルセロナ五輪で金メダルを獲得し、同年に佐賀県民栄誉賞の第1号を受賞。2000年の現役引退後、全日本柔道連盟コーチに就任するなど
若い世代の育成に取り組んできた。
15日に佐賀県庁で開かれた就任式で山口祥義知事が「県内には有望な選手がいる。そういう選手を何とかしてもらえたら」と要望した。古賀さんは「佐賀から世界を
目指して多くの応援をもらい、挑戦できて夢を達成できた」と話し、「感謝と恩返しの気持ちを込め、世界で活躍できる手助けをしたい」と力を込めた。

古賀さん「佐賀に恩返し」 県スポーツピラミッド構想 育成、助言役に就任
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/374423
0397名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/15(水) 22:41:20.69ID:qEO0ack8
6歳のときに、自分に何かスポーツをさせようと思っていた両親が、アテネ五輪(柔道)で野村忠宏(男子60kg級)さんや鈴木桂治(男子100kg超級)さんが金メダルを獲ったの
をテレビで観て感動して、その影響で柔道を習い始めたのがきっかけです。
その後、西脇柔道スポーツ少年団に入り、最初は基本的な技をひとつ2つ教えてもらって、それをひたすら反復するという練習でした。両親が熱心にサポートしてくれた
おかげで、しっかりとした基礎を作ることができたと思います。
柔道教室に通う以外に、自宅でも練習していました。テレビで野村選手の特集を見たときに綱登りの練習をしていて、自分も同じ練習がしたいと言って祖父や父にお願いして、
自宅の倉庫に綱を付けてもらい、登っていたのを良く覚えています。
小学生の頃は、無我夢中で柔道に取り組んでいましたが、指導してくれた父がすごく厳しくて、小さい頃の自分にとって、かなり怖い存在でした。
そんなこともあり、柔道をしているときも怒られないように気を付けていた面もあったと思います。
柔道自体は好きでしたが、当時は、ただ、がむしゃらに柔道をしているだけで「勝ちに行くぞ」というような貪欲さはなかったです。
小学6年生のときに参加した全国小学生学年別柔道大会の3回戦で敗退したときも、そこまで悔しいという気持ちはありませんでした。それでも、苦しかったことや
楽しかったことがたくさんあったので、当時の柔道は自分にとって良い経験になったと思っています。
正直なところ、中学校に上がってからも柔道を続けるとは思っていませんでした。
しかし、進路について両親と話をして、今後も柔道を続けることになったとき、これからは毎日練習することになるので、柔道が生活の一部になると思ったのです。
小学生のときは毎日柔道をするわけではなかったので、中学生になって環境が大きく変わってからは、「やるからには勝ちたい」と真剣に考えるようになりました。
小野中学校にいた昔の校長先生が外部のコーチとして練習に付いてくれて、入学してすぐに「この3年間で1番真っ直ぐ立って、組んで、先輩に投げられてきた人が最後には
強くなる」と言われたのです。そのコーチの言葉を信じて、一生懸命練習に取り組んだことで、今の基礎を作ることができたと思います。
当時教えてもらったことが軸にあり、そこから枝を生やすようなイメージで、今の柔道スタイルを作り上げていきました。中学時代の土台があったからこそ、今の自分があると
思います。
最も記憶に残る、全国高等学校柔道選手権大会
中学卒業後は、東京都の日本体育大学荏原高校(以下、日体大荏原)へ進学しました。地元の兵庫県から離れたのは、柔道と常に向き合える環境がほしかったからです。
高校で寮生活をすれば毎日柔道ができるので、そんな生活が送れたら、柔道もきっと今より強くなると考えました。
実際、寮にはトレーニング道具が準備されており、実家ではできないような練習にも取り組むことができましたね。「もう柔道はしたくない」と言いたくなるほど練習しました。
他にも、全国中学校柔道大会で優勝した先輩方の多くが日体大荏原へ進学したことも、理由のひとつです。その先輩方と、もう一度日本一を目指したいなと思いました。
高校時代の大会では、3年生のときに出場した全国高等学校柔道選手権大会が一番記憶に残っています。前年度は準決勝で、自分が取らなければいけないところを、
逆に相手に取られて負けてしまったので、すごく悔しい思いをしたのです。
だから、「次の年こそ、自分の分も先輩の分も取り返そう」と、自分自身すごく気合が入っていたのはもちろんですが、皆もすごい気迫を持って練習や試合に取り組んだ結果、
チーム一丸となって優勝することができたのは本当に感動しました。高校時代はもちろん、今までの柔道生活の中で一番記憶に残っている大会です。
0398名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/15(水) 22:44:12.61ID:qEO0ack8
高校を卒業したあとは、日本体育大学(以下、日体大)へ進学しました。日体大の道場には高校生のときから出稽古させてもらい、日体大荏原の生徒は
日体大の協力もあって強くなっているのだと改めて感じましたね。
大学進学によって、がらりと環境が変わることを避けたかったのも進学の理由のひとつです。何より、日体大に進学すれば高校の先輩方もいますし、指導をして下さる
先生も馴染みのある方ばかりなので、心強いですよね。高校時代からのメンバーがいることは、メンタル的にも良い効果があったと感じています。
ただ、大学1年目は怪我が多かったですね。自分の思うような稽古も試合もできなくて、満足のいく柔道ができなかった辛い1年でもありました。体調も崩すことが多く、
ひどいときには試合当日の朝、起きたら膝がすごく腫れていたことも…。気持ちは前にいっているけど、体がついてこないという状態が続いていました。
2018年2月の柔道グランドスラム・パリでは優勝という成績を収めることができました。怪我もなく良い練習ができていましたし、失う物はなかったので、チャレンジ精神で
自分の柔道を続けた結果のIJFワールド柔道ツアー初優勝だったと思います。
3月の柔道グランドスラム・エカテリンブルグでも優勝でき、2月に続いて2連覇を達成することができました。
9月のバクー世界柔道選手権大会(以下、世界選手権)は2位で、自分が世界一になるには、まだ一歩届きませんでしたが、その一歩というのは、とても大きなものです。
自分が決勝まで進むことができたという手応えはしっかりと感じたので、「今回の結果を次に活かそう」と、すぐに気持ちを切り替えることができました。
元世界選手権チャンピオンの永瀬貴規(男子81kg級)選手には、まだまだ実力が追い付いていないので、一歩一歩ですが、しっかりと力を付けていきたいと思っています。
2019年2月の柔道グランドスラム・デュッセルドルフでは優勝することができました。今は、自分の柔道を確かめながら、相手の研究もしっかりして、怪我をしないよう気を
付けながら力を蓄えているところです。
これからの試合で勝ち続けていくためには、まず一番に「勝ちたい」という気持ちを持ち続けることが大事だと思っています。あとは、最高の状態で試合に出られるように
するために、稽古や調整など、準備万端にしておくことも大切です。
2020年は東京五輪(柔道)が開催されますが、私は、あまり先のことを考えずに目の前の試合に集中するスタイルなので、ひとつひとつの試合が、東京五輪(柔道)にも
繋がっていくと信じて、一歩ずつ進んで行きたいと思っています。

藤原崇太郎 著名な柔道選手インタビュー
http://www.judo-ch.jp/interview/fujiwara/

柔道のグランドスラム・バクー大会に出場した日本代表が成田空港に帰国した。
女子2選手が優勝の一方、男子90キロ級の向翔一郎(23=ALSOK)と村尾三四郎(19=東海大)はともに2回戦敗退。井上康生・男子監督(40)は世界選手権(8月25日開幕、
東京・日本武道館)代表の向について「慎重になりすぎた。もっと先手を取る必要がある」と指摘したうえで「(同階級は)強豪ぞろいであり、逆に言うなら突出した選手がいない。
十分にチャンスがある」とハッパをかけた。

康生監督 柔道GS敗退も…向は世界選手権「チャンスある」
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/15/kiji/20190515s00006000065000c.html
0399名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/16(木) 20:49:17.36ID:OkoHrDeO
柔道の全日本選手権で初優勝したウルフ・アロン(了徳寺大職)がロッテ−オリックス戦(ゾゾマリン)で始球式を務めた。はだしに柔道着姿で登場。
投球はノーバウンドで捕手のミットに収まり、「練習の成果が出た」とうれしそう。
ウルフは東京で開催される世界選手権(8月25日開幕)の男子100キロ級に出場する。「世界選手権を取るのと取らないのとでは来年のオリンピックに
向けても変わってくる」。東京五輪も見据え、意気込んだ。

柔道のウルフが始球式=プロ野球のロッテ−オリックス戦
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019051601169

柔道の世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)男子100キロ級代表のウルフ・アロン(23)=了徳寺大職=が16日、千葉・ZOZOマリンスタジアムで
「了徳寺大学スペシャルナイター」として開催されたプロ野球のロッテ−オリックスでファーストピッチセレモニーを務めた。
柔道着に身を包み、裸足でマウンドに上がった。投じた力強い球はノーバウンドでストライク。観客席からは歓声が上がった。ウルフは「練習の成果が出た。
マウンドは畳と違ってバランスをとるのが難しかったけど、最低ラインを大きく上回った。合格点です」とニンマリ顔だった。
3カ月後には2020年東京五輪の“前哨戦”となる世界選手権が控える。昨年大会はけがの影響もあり、5位に終わった。2年ぶりの王座奪還を狙う全日本王者は
「準備を怠らずに、自分のやるべきことをやっていく」と決意を示した。
ウルフと一緒にセレモニーに参加した世界選手権男子60キロ級代表で、小学生時代に野球経験がある永山竜樹(23)=了徳寺大職=は「一人でも多くの方が
(柔道の試合会場)日本武道館に応援しに来てくれたらうれしいです」と話した。

ウルフが始球式 柔道着に身を包みノーバウンドでストライク
https://www.sanspo.com/sports/news/20190516/jud19051619590002-n1.html

(パ・リーグ、ロッテ−オリックス、7回戦、16日、ゾゾマリン)今年4月に柔道の全日本選手権を初制覇し、来年の東京五輪で活躍が期待される男子100キロ級の
ウルフ・アロン(了徳寺大職)が始球式を行った。
柔道着姿にはだしでマウンドに立ち、外角低めへストライクを投げ込んだ。「練習の成果が出たと思う。マウンドは畳と違って、バランスを取るのが難しかった」とコメントした。

ウルフ・アロンが始球式「マウンドは畳と違って…」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190516/jud19051619020001-n1.html
0400名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/21(火) 14:29:35.63ID:e5ecZrSL
全日本柔道連盟は17日、中国で24日から3日間行われるグランプリ(GP)フフホト大会に、今夏の世界選手権女子52キロ級で2連覇を目指す阿部詩(うた、18)=日体大1年=が
出場すると発表した。
左肩を負傷していた阿部は優勝した昨年11月のグランドスラム(GS)大阪以来、約半年ぶりの実戦となる。
男子は世界選手権81キロ級代表の藤原崇太郎(21)=日体大3年=が出場する。
なお世界選手権は8月25日から8日間、日本武道館で開催される。

世界女王・阿部詩が約半年ぶりの実戦へ/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190517/jud19051714410001-n1.html

柔道の世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)女子52キロ級で2連覇を目指す阿部詩(うた、18)=日体大=が21日、グランプリ(GP)フフホト大会(24−26日、中国)の
ため成田空港を出発した。左肩痛などで大会から離れており、昨年11月以来の実戦。世界女王は不安をかき消す勝利を誓った。
約半年ぶりの試合に覚悟を持って挑む。けがからの復帰戦に向けて、阿部は自らを奮い立たせるように言葉を並べた。
「半年間(時間が)あったので、いつもより少し不安や緊張がある。試合の中で負けたときを考えてしまうなどの怖さが少しあるけど、どう力を出せるかだと思う」
今冬は左肩を痛め、思うような練習をつめなかった。今月に入ってから本格的な稽古を再開した。急ピッチで仕上げ、ギリギリで試合に出場できるメドが立った。今でも
入浴どきに背中を洗った際には患部が痛むことがあるという。状態は「100%治ったとはいえない。7−8割だけど、集中していれば大丈夫。やるべきことをやるだけ」。
今大会に出場するには理由がある。2020年東京五輪を意識するから。女子日本代表の福見友子コーチ(33)からの言葉が背中を押した。「五輪前にこういうこと(けが)が
あっても出ないといけない、(体を)作っていかないといけない。そういう状況だと思ってやりなさいと言われました」。48キロ級の選手として2012年ロンドン五輪出場など
第一線で長く活躍してきた福見コーチからの助言で試合モードに切り替わった。
「柔道の感覚は戻ってきた。パフォーマンスも気持ちも上がってきている」と阿部。けがを乗り越え、最後は威勢の良い言葉が戻ってきた。16年末のデビューからシニアの
国際大会で対海外勢に24連勝中と無敗を続ける柔道界のスター候補が、中国に乗り込む。

阿部詩、けがからの復帰戦へ出発「感覚は戻ってきた」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190521/jud19052110160001-n1.html

柔道女子52キロ級世界女王の阿部詩(うた、18)=日体大=が21日、6カ月ぶりの実戦となるグランプリ(GP)フフホト大会(24日開幕、中国)への出発前に成田空港で
取材に応じ、「怖い部分も少しあるので、それをいいプレッシャーに変えていけるようにやっていきたい」と意気込みを語った。
阿部は今年の世界選手権(8〜9月、日本武道館)代表を早期に決めており、昨年11月のグランドスラム大阪を最後に大会には出場せず独自調整を続けていたが、
2月の練習中に左肩を負傷。4月には再び同箇所を痛めており、本格的に練習を再開したのは5月に入ってから。まだ日常生活などで痛みを感じることもあり、状態は
「7、8割くらい」というが、ケガを抱えた状態で五輪などの大一番を戦うことを想定する狙いもあり、今大会の出場を決めた。
「世界選手権でしっかり100%(の状態)に持っていけるようにと考えているので、今は7割8割でも勝てるように」と話し、「(負傷によって)自分が描いていたルートからは
外れてしまったけど、そういうこともある。それも踏まえて、どう試合で自分の力を出せるかが楽しみ」と、不測の事態すら俯瞰(ふかん)して楽しむ境地をのぞかせた。
半年も試合間隔が空くのは自己最長ブランクだというが、「意外とそんなに緊張してない」。海外勢から徹底対策されることも必至で、きれいに投げられない展開が
予想されるものの、「自分の柔道をできない場面だったり、我慢しないといけない場面が多くなると覚悟して臨むので大丈夫」と想定内と強調。有力選手は出てこないだけに、
自身の中にあるあらゆる不安要素との戦いが復帰戦のテーマとなりそうだ。

阿部詩、復帰戦は不安との戦い「怖い部分もある」自己最長6カ月ブランク、左肩負傷
https://www.daily.co.jp/general/2019/05/21/0012351285.shtml
0401名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/21(火) 14:29:55.22ID:e5ecZrSL
柔道のグランプリ(GP)フフホト大会(中国、24〜26日)に出場する女子52キロ級の阿部詩(日体大)が21日、成田空港から現地へ向けて出発した。
昨年9月の世界選手権と同11月のグランドスラム(GS)大阪大会の2大会を制し、今夏の世界選手権(日本武道館)代表の座を早々と射止めていた阿部だが、左肩の故障で
今回がGS大阪大会以来、半年ぶりの実戦となる。「こんなに試合がなかったことはない」という柔道人生最大のブランクとなるが、「そういう経験も一度しておける機会。
良かったかなと思う」とプラス思考で復帰戦に臨む。
気になる左肩の状態は「少し日常生活でも痛みがある」といい、入浴時に背中を洗ったり、練習後は痛みを感じるという。本格的に練習を再開したのも5月に入ってから。
状態についても「世界選手権で100%に持っていけるようにと考えている。今は7割、8割でも勝てるように」と完璧ではないことを明かしたが、そうした状況も含めて東京五輪へ
の絶好のシミュレーションとしたい考えだ。
今回は今年4月に日体大に入学後、初の大会出場でもある。昨年までは高校の制服を着用していたが、今回は紺色のパンツスーツに身を包んでの出発。「みんなと
一緒の黒が嫌なので」と選んだスーツの裏地は、兄・一二三(日体大)のスーツと同じペイズリー柄。「お兄ちゃんがスーツを選ぶ時に見ていて、それでこれを作った。
“まねすんな”と言われました。(でも)格好良くて、まねしちゃいました」と兄妹仲の良さも披露していた。

柔道阿部詩 左肩故障で半年ブランクも「経験」中国の大会に出発
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/21/kiji/20190521s00006000130000c.html

柔道のポーランドカデ(15歳以上、17歳以下)国際大会は18日、ポーランドで開幕し、女子44キロ級の宮城杏優菜(沖縄尚学高3年)は決勝でギリネオ(イタリア)に
背負い投げで一本勝ちし、初の頂点に立った。宮城は初戦からオール一本勝ちで頂点に上り詰めた。
4月の全日本カデ選手権で日本一に輝き、国際大会でも優勝を果たした宮城は「まさか優勝するとは思ってもいなかった。外国人とは最初やりづらかったが、
後から修正できた」と話した。沖縄尚学の真喜志康孝監督は「初めての海外でも(宮城が)力を発揮してくれた。さらに成長したなと感じる」と喜んだ。
宮城は、世界カデ選手権(9月25〜29日)への出場権も獲得している。

柔道 ポーランドカデ 宮城杏優菜(沖縄尚学高)がオール一本で世界一に
https://www.47news.jp/sports/3582422.html

イランのオリンピック委員会と柔道連盟がこのほど、国際柔道連盟(IJF)に対し「五輪憲章とその無差別の原則を尊重する」と表明した。具体的内容には触れなかったが、
複数のメディアは国交のないイスラエルを念頭に置いた動きだと報道。IJFは「歴史的な合意だ」と歓迎する。
イランはイスラエルの存在を否定してきた。大会での不自然な負傷や計量失敗により、対戦を回避し物議を醸した。2004年アテネ五輪では男子66キロ級でイスラエル選手と
当たることが決まっていた優勝候補のミレスマイリ選手が体重オーバーで計量に臨み、事実上の棄権をした。

イラン柔道、歴史的合意 イスラエル念頭、憲章尊重
https://www.47news.jp/sports/world-sports/3583580.html
                                                                                                        
0402名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/22(水) 01:21:24.40ID:FFFyFAj1
全国警察柔道選手権大会(14日、東京)の女子63キロ級で、兵庫県警教養課の荒木穂乃佳さん(21)が優勝、同課の北岡京さん(25)が準優勝を
果たし、21日に県警本部(神戸市中央区)で会見した。
大会では全国の都道府県警に所属する警察官らが男女計11階級に分かれて技術を競った。女子63キロ級には全国から35人が出場した。
荒木さんは2016年に入庁。毎年同大会に出場しており、16、17年の大会でも同階級で優勝した。北岡さんは同期で、荒木さんが優勝した2大会
で準優勝している。
「三度目の正直で今度こそ勝ちたい」と意気込んだ北岡さんと、3回目の優勝を狙う荒木さんの「兵庫県対決」となった決勝戦。互角の戦いを
展開したが、最後は判定勝ちで荒木選手が栄冠をつかんだ。
「プレッシャーがある中結果を出せてほっとしている」と振り返る荒木さん。北岡さんは「練習を重ねて、今後の大会で結果を残したい」と話した。

決勝は3度目の「兵庫県対決」 全国警察柔道大会、荒木V 女子63キロ級
https://this.kiji.is/503534864273851489?c=110564226228225532

柔道の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)で2連覇を目指す女子52キロ級の阿部詩(18=日体大)が21日、グランプリ・フフホト
大会(中国、24?26日)に向けて成田空港を出発した。
阿部は左肩痛の影響で実戦から離れており、試合は昨年11月のグランドスラム大阪大会以来、約半年ぶりということで「いつもよりは少し不安も
緊張もあるが、やるべきことをしっかりやるだけ」と心境を吐露した。試合間隔が半年空くのも柔道人生で初めて。この点に関しては「そういう
経験ができたので良かったかなと。自分でいいプレッシャーにできれば」と前向きな姿勢を見せた。
ケガの回復度は7?8割で、今も入浴時に背中を洗う際や練習後には患部が痛むという。本格的に稽古を再開したのは今月に入ってからで
「あまり練習ができていなかったところから、どういう試合ができるか。最後でパフォーマンスが上がったので、意外と緊張はしていない」と視界は
良好だ。
今年4月から女子大生いうことでパンツスーツ姿で登場した阿部。「黒だと皆と同じでイヤなので」とネイビーを選んだ。裏地のペイズリー柄は
兄・一二三(21=日体大)とお揃いだという。「これで作ってるのを見ていてカッコいいなと思って。『マネすんな』って言われました」と兄妹の
仲の良さを明かし、笑顔で復帰戦の地へ向かった。

阿部詩 左肩負傷から半年ぶり実戦へ「自分でいいプレッシャーにできれば」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1402374/

                                                                                   
0403名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/22(水) 15:03:57.82ID:gH/Qs0Kw
私の父が柔道の先生を務めていたこともあり、4歳のときに姉に付いて道場に通っていました。ただ、道場で柔道をするというよりは、姉に付いて行くことのほうが大切で…。
父も、この頃の自分に柔道をやらせるつもりはなかったようです。
小学1年生になると、白根柔道連盟凰雛塾に所属して、柔道に取り組むようになりました。
小学3年生までは自由に練習させてもらえましたが、あまり期待されて柔道をしていたわけではありません。好き嫌いという感情より、「練習に行かないといけない」といった、
習慣に近い感覚で道場に通っていたのを覚えています。
厳しかった父の指導
柔道を真剣に練習するようになったのは、小学4年生のとき。全国大会に出場するようになってから期待されるようになり、それに合わせて練習量も増えていきました。
父からの指導は、とにかく厳しかったのを覚えています。
おかげさまで、小学4年生のときは、自分の柔道人生の中で一番強かった時期なのではないかと言うくらい、試合で勝ち続けることができました。柔道をしているとき以外は
優しかった父ですが、あの厳しい指導がなければ、自分はその後も甘い考えで柔道と向き合っていたかもしれません。
柔道以外のスポーツは水泳を少しと、練習のない日には父とキャッチボールをしていたことがありました。ちなみに父は、当初私を柔道家ではなく野球選手になるよう
育てるつもりだったそうです。
講道学舎というプライド
中学生になって講道学舎に所属したきっかけは、白根柔道連盟凰雛塾の先生が講道学舎の出身で、私が小学校を卒業すると同時に講道学舎の先生になったことです。
その先生は、金鷲旗高校柔道大会などで活躍された選手で、私が小さいときからいつも面倒を見てくれた、いわばお兄さんのような存在でした。
白根柔道連盟凰雛塾は、練習こそ厳しいですが、1歩道場を離れると皆家族も同然というくらい仲が良く、オンオフの切り替えが、とてもしっかりしている先生が
多い道場だったと思います。
講道学舎での練習は、非常にハードなものでした。ただ、自分はその中でも手を抜くのが上手で…。講道学舎に入ると、練習がきつすぎて皆痩せていくのですが、
私だけ10kgくらい太ってしまいました。先輩に可愛がられて、色々ご馳走になったことも原因のひとつとは思いますが、講道学舎に入って太った人は、私が初めてだそうです。
講道学舎を辞めたあとは雄山中学校に入学するのですが、「講道学舎で柔道をしていた」というプライドが邪魔をして、伸び悩んでいた時期でもあり、父からも
「そんな変なプライドは捨てろ」と厳しく指導されることがありました。
他にも、中学時代は父と言い争いをするなど、色んな人に迷惑をかけてしまいました。今でも申し訳ないことをしたなという気持ちが残っています。中学生とはいえ、
まだまだ未熟だったと感じることがあります。
本気で柔道と向き合った「ある出来事」
高校に進学しても、まだ講道学舎のプライドを捨てきれずにいました。父の母校でもある高岡第一高校に入学すると「講道学舎出身の向翔一郎が入学してきたぞ」と、
ちやほやされたこともあって、練習に熱心に取り組むことが少なかったです。
そうして迎えた新人戦で、中学のときには圧勝した同級生と対戦して負けてしまいました。悔しい気持ちはあったのですが、それでも柔道と真剣に向き合わずに過ごしていると、
とうとう父からこれまでにない剣幕で注意されて、そこで初めて「自分はとんでもない負け方をしたんだ」と痛感しました。
そのあとは練習にも真摯に取り組むようになったのですが、高校2年生の冬に、監督がガンで亡くなりました。監督は父の先輩であり、私も小さいときから知っていた方なので、
すごく悲しかったです。何より、いつも私のこと気にかけてくれていたので、その恩返しができなかったことと期待に応えられなかったことが、とにかく心残りで…。
この出来事をきっかけに、これまで取り組むことのなかったウエイトトレーニングにも積極的に取り組み、翌年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)柔道競技大会
(以下、インターハイ)では81kg級で5位に入賞することができました。
実は柔道は高校生で最後にしようと思っていて、大学ではアメリカンフットボール部に入るつもりでした。しかしそんなとき、たまたま日本大学からスカウトして頂いて、
再び柔道と向き合うきっかけができたのです。
高校で最後にしようと思っていた柔道ですが、大学に入ると毎日練習ができる環境に身を置けたことで充実感を得ていました。その頃にはアメリカンフットボール部
に行きたい気持ちもすっかりなくなっていたのです。
0404名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/22(水) 15:04:26.43ID:gH/Qs0Kw
大学時代は、2014年と2015年の全日本ジュニア柔道体重別選手権大会の90kg級で2連覇を達成することができました。ですが実はそれ以上に、2014年の東京都ジュニア
柔道体重別選手権大会で2位だったことのほうが嬉しかったです。
この大会では、自分が高校3年生のときにインターハイ1位・2位と結果を残した選手に勝てたこともあって、自分の練習に対する取り組みが、結果として付いてきたのかなと、
自信を持てた大会でもありました。自分が意識的に勝ちにこだわるようになったのも、この大会での戦いが大きいと思っています。
一方で、2016年は、もっと良い結果が出せると思っていた柔道グランドスラム東京で7位に終わり、とても不甲斐なかったです。
大学4年生の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会では優勝、柔道グランドスラム東京は3位に入賞できましたが、全日本学生柔道優勝大会では、自分の敗北でチームが
勝てなかったこともありました。迷惑をかけてしまった面もあり、良い点も悪い点も含めて内容の濃い大学時代だったと感じます
リオデジャネイロ五輪(柔道)で火の付いた闘争心
今まで、五輪(柔道)で優勝している選手を見ても「すごいな」くらいしか思いませんでした。
しかし、リオデジャネイロ五輪(柔道)でベイカー茉秋選手が金メダルを取っている姿を見て、闘争心が沸いてきました。
嫉妬ではないですが、羨ましいと言う気持ちもあり、東京五輪(柔道)に対する想いが自分の中でより強くなりましたね。
好敵手との戦いで見せた優しさ
2018年2月の柔道グランドスラム・パリでは、優勝したこと以上に、ライバルでもあったグビニアシビリ選手(ジョージア)に勝てたことがとても嬉しかったです。
これまで何をしても勝てなかった相手だったので、この優勝はひとつの壁を越えたような感覚を手にしました。
試合後、怪我をしていたグビニアシビリ選手に肩を貸したことも、試合で会えば普通に話したりしていましたので、誠意と言うよりは怪我をした友達に肩を貸したような感じです。
そのときは仲間にからかわれたりしましたけど、やっぱり倒す敵と言うより、切磋琢磨し合えるライバルですから自然と肩を貸していました。
社会人になったことでの変化
2018年4月からはALSOKに所属したことで、これまで以上に恵まれた環境で柔道に取り組むことができるようになり、ALSOKにはとても感謝しています。
同年のバクー世界柔道選手権大会(以下、世界選手権)では団体戦に出場しましたが、やはり世界選手権の空気を味わえたことは、大きな刺激になりました。
なにより「次の年は個人戦に出場するぞ」という気持ちを掻き立てられたと思います。11月の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会で3位、柔道グランドスラム大阪で
優勝ができたことも、1歩ずつ進歩していくように柔道に取り組んだ成果ですし、毎年コツコツと進歩していけば良いのではと感じています。
ただ、2018年は全日本選抜柔道体重別選手権大会で、ベイカー茉秋選手に負けたことがとても悔しかったです。特にベイカー選手はブランクもあったのに、
それでも勝てなかったことで「まだ差があるのか」と痛感しました。しかし同時に次対戦するときは負けないな、という感覚も掴んでいます。
東京五輪(柔道)に向けて
2019年は東京で世界選手権が開催、また1年後には東京五輪(柔道)も控えており、これからの試合は負けられない戦いばかりです。
特に現在は世界選手権に向けて、練習量を大幅に増やしています。社会人になると、質にこだわる練習をする選手が増える傾向にありますが、私は初心にかえるつもりで、
量で質を凌駕してやろうと思っています。
東京五輪(柔道)に出場できるのは、誰よりも強い執念を持った人。その部分では誰にも負けないと思っています。今までお世話になった方々に恩返しをしたいという
気持ちで柔道と向き合っているので、その気持ちで負けないように取り組んでいきたいです。

向翔一郎 著名な柔道選手インタビュー
http://www.judo-ch.jp/interview/mukai/
0405名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/22(水) 15:05:05.93ID:gH/Qs0Kw
柔道女子52キロ級世界女王の阿部詩(18)=日体大=が21日、グランプリ・フフホト大会(24〜26日、中国)への出発前に成田空港で取材に応じた。
昨年11月のグランドスラム大阪大会以来、自身最長となる6カ月のブランクを経ての実戦復帰に「怖さもあるが、いいプレッシャーに変えてやっていきたい」と気合を入れた。
今年の世界選手権(8〜9月、日本武道館)代表を早く決めていたため長期で独自調整をしていたが、2月に左肩を負傷。本格的に練習を再開したのは5月に入ってからだ。
まだ日常生活では痛みを感じることもあるというが、「もし五輪前にこういうこと(負傷)があっても絶対に出ないといけない」と力説する。
「世界選手権でしっかり100%(の状態)に持っていけるようにと考えているので、今は7割8割でも勝てるように」。不測の事態すら格好の“五輪リハーサル”と位置づけて臨む。

阿部詩 6カ月ぶり復帰戦「怖さある」けど勝つ!GPフフホト大会へ出発
https://www.daily.co.jp/general/2019/05/22/0012353061.shtml

柔道女子52キロ級世界女王の阿部詩(18)=日体大=が21日、グランプリ・フフホト大会(24〜26日・中国)に向けて成田空港を出発した。左肩痛などで昨年11月の
グランドスラム大阪大会以来の実戦となる。試合間隔が半年空いた経験は初めてといい「いつもより少し不安と緊張もありますけど、やるべきことをやるだけ」と表情を
引き締めた。
左肩は入浴時に背中を洗う際に痛みを感じるなど、万全ではない。状態も7、8割で出場を迷ったが、女子日本代表の福見友子コーチから「五輪前に、もしこういうことが
あっても出ないといけない。そういう状況だと思ってしっかりやりなさい」と助言を受け、覚悟を決めた。「そういう経験も一度しておける機会。良かったかな」と前向きにとらえ、
復帰戦に臨む。

阿部詩、左肩痛不安も昨年11月以来の実戦へ「やるだけ」
https://hochi.news/articles/20190521-OHT1T50277.html

柔道の18年世界選手権男子81キロ級銀メダルの藤原崇太郎(21=日体大)が22日、グランプリ(GP)フフホト大会(24〜26日、中国)に出場するため羽田空港を出発した。
3カ月後に迫る世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)前の重要な大会に向け「結果も大事だけど、それ以上に内容にこだわりたい。自分が優位に組み手を進めて、
世界選手権につながる試合をしたい」と意気込みを示した。直近の2試合では組み手と技出しの遅さを課題とし、組み手を重点的に練習してきた。担ぎ技の精度も磨き、
実戦でも試す考えだ。
試合前は、お気に入りの理髪店で散髪してから臨む。髪形はいつも「お任せ」でお願いして、この日はパーマ頭にサイドを五厘程度に刈り上げたハードなニューヘアを披露。
気合十分の表情で、関係者からもらったホットアイマスクを片手に機上の人となった。

藤原崇太郎GP大会気合 ハードなニューヘア披露 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201905220000302.html
0406名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/22(水) 17:07:37.90ID:gH/Qs0Kw
東京五輪シミュレーションはどう転ぶ? 柔道の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)で2連覇を目指す女子52キロ級の阿部詩(18=日体大)が21日、
グランプリ・フフホト大会(24〜26日、中国)に向けて出発前の成田空港で「いつもよりは少し不安も緊張もあるが、やるべきことをしっかりやるだけ」と心境を吐露した。
左肩痛の影響で実戦から離れており、試合は約半年ぶり。肩の状態は7〜8割で、今も練習後や、入浴時に背中を洗うときに患部が痛むという。それでも、
今大会出場を決めたのは女子日本代表の福見友子コーチ(33)からの「五輪前にこういうことがあっても(体を)つくっていかないといけない。そういう状況だと
思ってしっかりやりなさい」との言葉だった。
ここで気になるのはケガの回復具合だ。最初に肩を痛めたのは2月19日の練習中。大事をとって3月のグランドスラム・エカテリンブルク大会を欠場するも、4月の
稽古中に再び痛め、強化合宿を回避した。稽古を本格再開したのは5月に入ってからで、3日の公開練習の際も「状態は8割」と答えていた。
いまだ万全ではない中で臨む今大会に向け、詩は「怖さが少しある」と話した。五輪を見据えて現状でどういった試合ができるか試すのは良い機会と言えるが、悪化
させるリスクもある。「世界選手権で100%に持っていきたい」という詩にとって、今回の選択は吉と出るか、それとも…。

阿部詩どうなる? 五輪シミュレーション
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1403178/

柔道女子52キロ級で昨年の世界女王、阿部詩(うた、18)=日体大=が21日、グランプリ・フフホト大会(24−26日、中国)に出場するため、日本航空機で成田空港を出発。
「パフォーマンスも気持ちも上がってきている。内容を求める」と決意を込めた。
冬場に左肩を痛め、昨年11月のグランドスラム大阪大会以来、約半年ぶりの実戦。本格的な稽古は今月からで状態は7、8割というが、けがを抱えながら来年の東京五輪を
闘う非常事態も想定し、出場を決めた。
「少し怖さもあるけど、いいプレッシャーに変えていければ」と詩。柔道人生最長のブランクをはねのけ、2連覇が懸かる世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)へ
自信を深める。

半年ぶり実戦へ阿部詩「内容求める」 柔道女子グランプリ・フフホト大会
https://www.sanspo.com/sports/news/20190522/jud19052205020001-n1.html

昨年の柔道世界選手権男子81キロ級銀メダリストの藤原崇太郎(21=日体大)が22日、グランプリ・フフホト大会(24〜26日、中国)に向けて羽田空港を出発した。
藤原は「(優勝した2月のグランドスラム)デュッセルドルフでも、(3位だった4月の)選抜(体重別選手権)でも、自分の形になるのが遅くなっていたので、組み手の部分
をしっかり意識して戦いたい。結果も大事だが、世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)につながるような内容にしたい」と意気込んだ。
昨年10月に脱臼した左ヒジは、担ぎ技が出せており影響はなし。コンディションづくりもいろいろ試したというが「自分の中で一番いい調整の仕方を持っているけど、他の人
に意見してほしくないので」と内容についてはけむに巻いた。
今春、自らが通う日体大には、先輩である阿部一二三(21)の妹・詩(18)が入学した。「自分に厳しく、追い込んで調整しているのを見ている…イヤ、見させて
いただいているので刺激を受けている」と配慮あるコメントを残し、中国へ飛び立った。

柔道の藤原崇太郎 GP大会へ出発「世界選手権につながる内容に」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1403931/

柔道男子81キロ級代表で昨年の世界選手権銀メダルの藤原崇太郎(21)=日体大=が22日、グランプリ(GP)フフホト大会(24−26日、中国)に出場するため、
日本航空機で羽田空港を出発した。直近の試合で課題だった技出しの遅さを解消するため、組み手の部分を重点的に練習。また試行錯誤して導き出した新しい減量法
にも手応えを得た。
2020年東京五輪のプレ大会となる世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)前の大事な国際大会へ、「内容も含めて世界選手権につながる試合ができれば」と
言葉に力を込めた。

藤原が中国大会に出発「世界選手権につながる試合ができれば」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190522/jud19052210410002-n1.html
0407名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/23(木) 20:54:37.81ID:PKkI3Dv7
昨年の柔道世界選手権男子81キロ級銀メダルの藤原崇太郎(日体大)が22日、グランプリ・フフホト大会(24−26日、中国)に出場するため、
日本航空機で羽田空港から出発した。直近2試合で課題だった技出しの遅さを克服するため、組み手を重点的に練習。また担ぎ技の精度も磨いた。
8月25日開幕の世界選手権(日本武道館)を前に、「内容にこだわる。世界選手権につながる試合ができれば」と決意した。

81キロ級・藤原、担ぎ技で勝つ!/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190523/jud19052305000001-n1.html

柔道のグランプリ・フフホト大会(中国、24〜26日)に出場する男子81キロ級の藤原崇太郎(日体大)が22日、羽田空港から出発し、「結果も大事だが、
世界選手権につながる試合を」と内容重視の考えを示した。
課題はいかに有利な組み手になるか。勝敗に直接影響する部分だけに「しっかり意識して練習してきた」と話した。今春には女子52キロ級世界女王の阿部詩が
日体大に入学。先輩となった藤原だが「凄く自分に厳しく、追い込んだ稽古をやっている。自分たち男子も詩選手を見て刺激を受けている」と“詩効果”があることを明かした。

81キロ級・藤原「世界選手権につながる試合を」
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/23/kiji/20190523s00006000053000c.html

今年こそは…。柔道男子81キロ級代表で昨年の世界選手権2位の藤原崇太郎(21=日体大)が22日、グランプリ・フフホト大会(中国、24〜26日)に向けて羽田空港を
出発。「最近、自分の形になるのが遅くなっていたので、組み手の部分をしっかり意識して、世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)につながるような内容にしたい」
と意気込んだ。
今春、日体大に先輩である阿部一二三(21)の妹・詩(18)が入学し、自身を含めた柔道部全体が刺激を受けているという。「自分に厳しく、追い込んで調整しているのを
見ている…イヤ、見させていただいているので」と後輩に対し、へりくだってコメントするなど、良好な関係をうかがわせた。
昨年、日体大が開いた世界選手権の報告&祝賀会。OBや関係者など約200人が集結する中、金メダルを獲得した「阿部兄妹」に対し、藤原は銀メダルだったことに、
今後へ期するものがあったという。世界選手権2年連続“アベックV”を目指す「阿部兄妹」と肩を並べるべく、まずは中国で頂点を狙う。

柔道GP・フフホト大会へ81キロ級・藤原 “後輩”阿部詩から刺激
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1404945/

オリンピック柔道の金メダリスト、大野将平選手ら天理市ゆかりのアスリート2人が市の特別顧問に就任し、地元の魅力発信に一役買うことになりました。
天理市の特別顧問に就任したのは、いずれも天理大学出身で、来年の東京オリンピックで2連覇を目指す柔道の大野将平選手と、天理市で生まれ育ったラグビー
日本代表の立川理道選手です。
2人は23日、天理市役所を訪れ、並河健市長から委嘱状を受け取りました。
このあと2人は並河市長と会談し、大野選手は「2人だけでなくて、市民の皆さんにも一緒に主役になってもらい、スポーツを通して天理の魅力を発信したい」と意気込み
を語りました。
立川選手は「生まれ育った天理に恩返しができるように頑張りたい」と話していました。
会談のあと、特別顧問と記された写真入りの名刺を手渡されると、2人はさっそく報道関係者と名刺を交換し、特別顧問の仕事を始めていました。
天理市では今後、2人を招いたイベントを開催するなど、スポーツを通して地元をPRしたいとしています。

大野選手らが天理市の特別顧問に
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20190523/2050002328.html
0408名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/23(木) 20:54:59.07ID:PKkI3Dv7
柔道男子で2016年リオデジャネイロ五輪73キロ級金メダリストの大野将平選手(27)=旭化成=と、ラグビー日本代表候補の立川理道選手(29)=クボタ=が23日、
奈良県天理市の「天理市スポーツ政策特別顧問」に就任した。スポーツを通じて天理市をPRする。
大野選手は天理大出身で、立川選手も天理市で生まれ育ち、天理高と天理大を卒業。天理市役所で並河健市長(40)から委嘱状を受け取り、大野選手が「主役は市民。
スポーツの楽しさや、競技の良さを感じてもらえたら」と抱負を述べ、立川選手は「ラグビーで天理に恩返しをしたいと日々思っていた」と語った。
両選手は天理市や天理大で開催されるスポーツイベントに参加し、子どもへの指導などを行う。

大野選手ら天理市特別顧問 スポーツ通じ、天理をPR
https://www.sanspo.com/sports/news/20190523/spo19052315320004-n1.html

柔道とラグビー。競技は違えど、トップ選手の2人だからこそ共鳴する部分がある。
柔道・大野将平(27=旭化成)とラグビー立川理道(29=クボタ)が23日、奈良県の天理市役所を訪れ「天理市スポーツ政策特別顧問」に就任した。その席で、
お互いの印象を口にした。
天理大出身の2人は、大学時代の共通の恩師を通じて交流を持つようになった。2016年リオデジャネイロ五輪男子73キロ級金メダルの大野は、2学年上の立川と
初めて会食した時の印象を覚えている。
「オリンピックの時の精神状態はどうだったのかとか、勝ったときになぜガッツポーズをしないのかという形で、結果について聞かれなかった。強い弱い以外のところを
質問をされた。見ているところが違うと常々思っている」
立川は15年ラグビーW杯1次リーグ初戦で南アフリカを撃破した歴史的メンバーの1人。同じスポーツ選手として大野を応援し、リスペクトし続けている。
「リオが終わってから競技を離れた。勇気がいることで、同じアスリートとしてすごい決断をしたと思っていた。それなのに戻ってからも結果を残している。努力の上で
身につけた自信あふれる姿を尊敬している。東京五輪でもメダルを取ってくれると思っている」
2人はゆかりのある土地のために一肌脱ぎ、今回の役職就任につながった。今後、同市でのスポーツフェスタに参加し、市民にスポーツの魅力を発信していく。
喜ぶ子どもはたくさんいるだろう。世界を知る2人のコラボレーションが楽しみでならない。

柔道リオ金の大野とラグビー立川がコラボ トップ選手は何に惹かれ合うのか
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/05/23/kiji/20190523s00049000296000c.html

天理大出身で16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)柔道男子73キロ級金メダルの大野将平(27=旭化成)とラグビー15年W杯日本代表の立川理道(29=クボタ)が23日、
奈良県天理市の「天理市スポーツ政策特別顧問」に就任した。
今後、天理市と天理大が連携し「天理トップアスリート地域貢献プロジェクト」として、スポーツを通じてさまざまな取り組みが行われる。主に、天理大が全国的に優秀な成績を
収める「柔道」「ラグビー」「野球」「ホッケー」の4競技の魅力を全国へ発信し、2人は今冬にも子どもたちにイベントで直接指導する。
両選手はこの日、市役所で行われた就任式に出席。山口県出身で中高と都内で過ごした大野は、大学1年から拠点とする天理市について「柔道人生で一番良い時期を
過ごさせてもらい『第3の故郷』だと思っている。今年の世界選手権(8月25日開幕、日本武武道館)とラグビーW杯が自国で開催される素晴らしいタイミングで、立川選手
とこういった事業に参加出来て非常に誇らしく思う。(プロジェクトの)主役は子供たちなので、競技の楽しさを直接肌で感じてもらい、各競技の好きになるきかっけ作りを
サポートしたいです」。一方で、天理市生まれの立川は「社会人になっても天理に対する思いが強く、いつか恩返ししたいと思っていた。活動を通じて、子供たちに
夢や希望をもってもらいたい」と話した。
式典では、それぞれが柔道着とラグビーボールに一番好きな言葉を漢字2文字で書いた。20年東京五輪で2連覇を狙う大野は「執念」、19年W杯日本大会の代表入りを
目指す立川は「感謝」と記した。トップアスリートの両選手は定期的に食事をする間柄で、競技に対しての姿勢や考え方について学び、刺激し合っているという。

柔道大野将平ら天理市スポーツ政策特別顧問に就任
https://www.nikkansports.com/sports/news/201905230000599.html
0409名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/24(金) 23:56:55.27ID:vm2PcQcz
柔道のグランプリ大会は24日、中国のフフホトで行われ、左肩の負傷から復帰した女子52キロ級の阿部詩(日体大)は2回戦から登場し、
決勝まで4試合全て一本勝ちで優勝した。今年の世界選手権で連覇を狙う阿部は、昨年11月のグランドスラム大阪大会以来の実戦だった。

阿部詩が復帰戦で優勝=柔道グランプリ
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052401265

柔道のグランプリ大会第1日は24日、中国のフフホトで行われ、女子52キロ級で昨年の世界選手権を制した阿部詩(日体大)が初戦の2回戦から4試合を
全て一本勝ちして優勝した。
18歳の阿部は左肩痛などのために昨年11月以来の実戦だった。強豪の出場は少なかったが立ち技、寝技ともさえ、危なげなく頂点に立った。

阿部詩が全試合一本でV 柔道GP、昨年11月以来の実戦
https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50924_U9A520C1000000/

テニスの4大大会今季第2戦、全仏オープンが26日、パリで開幕する。
23日、会場で本戦組み合わせ抽選が行われ、柔道男子で12年ロンドン五輪、16年リオデジャネイロ五輪の100キロ超級2連覇のリネール(フランス)が
ゲストで登場し、男女シード選手の振り分けを抽選した。リネールは「今は東京五輪が最大の目標」と、五輪3連覇に意欲を見せていた。

柔道2連覇リネールが振り分け抽選、五輪3連覇意欲 - テニス
https://www.nikkansports.com/sports/news/201905240000052.html

Judo ambassador and top football player Lothar Matthaus was the star of the 1990 World Championships in Italy where Germany captured the FIFA World Cup.
Matthaus is a close friend of IJF President Marius Vizer. Twenty years ago Matthaus lost a legendary Champions League final against Manchester United.
Matthaus will soon again be lined up alongside Stefan Effenberg, Mario Basler and Sammy Kuffour against a Manchester United team containing Beckham,
Ole Gunnar Solskjar and co in a charity match at Old Trafford on Sunday, to mark the 20th anniversary of that famous final.
Log on to Matthaus’s website, and the first words that greet you are “Persistence, perfection”, with the tagline “for success, there are no compromises”.
It encapsulates Matthaus. What is more, unlike a tired motivational slogan painted across the wall of a dressing room, reading his words you believe them
and his pursuit of something greater.
As a judo ambassador, Lothar Matthaus is invited at the major Judo events in the world, but also at the football events as an ambassador of Bayern Munich
where he spoke to another judo passionate, Vladimir Putin. “I know Vladimir Putin from London 2012,” he says. “Putin speaks very good German and
we talked about football and judo, the best restaurants and the Brexit, American politics and Russian politics. My wife is from Russia. I like the country,
the mentality of the people.”

Judo and Football ambassador Lothar Matthaus 20 years after legendary final
https://www.judoinside.com/news/3370/Judo_and_Football_ambassador_Lothar_Matthaus_20_years_after_legendary_final



                                                                                               
0410名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/24(金) 23:57:24.48ID:vm2PcQcz
Austria will propose to give back the World Championships organization in 2021 to the IJF. The Austrian Judo Federation successfully won the bid for the
World Championships, but with all the help of Austrian Sports Minister Heinz-Christian Strache, who resigned from his position this week after a corruption
scandal in Austria which brought the government down.
Austrian Judo Federation (OEJV) President Hans-Paul Kutschera proposed immediately to the board of the OEJV to give back the organisation of the worlds
in 2021. The costs of the organisation is 12 million euro for which 6 million for the IJF. However without the guaranteed support of the government it will turn
into a dramatic situation for Austrian judo instead of a highlight.
The problem though for the Austrian Federation is the two of the six million ‘public money’ already given out to the IJF as event fee. Giving back is both a
moral problem for the IJF to either give back, or keep the money. For the Austrian Federation a problem as the pressure will be high to get back the fee from
the IJF as Austria lost its faith in reputation of the government.
Heinz-Christian Strache confirmed in Baku
In his role as Minister of Sport, Strache traveled to the worlds in Baku last September to bring the 2021 tournament to Austria. It was essential sign for
the IJF that the government stood behind the bid.
It was agreed that three more millions should come from the sports ministry says Kutschera, but this second contract was not yet signed. On Wednesday
Juliane Bogner-Straus took over the political sports agenda.
For the first time since 1984 the Austrian were able to organise the World Championships. Austria was a huge judo nation in the mid-eighties with Olympic
Champion Peter Seisenbacher as its frontrunner, but also with strong women and in 1984 the women’s worlds were held in Vienna.
The Strache exit is not the only financial risk for the organizers. Previously, the city of Vienna was involved in its participation - around two million euros -
across. "They totally blocked," says Kutschera who is also Vice President of the European Judo Union.
Dramatic development
The association wanted to fill this gap with additional sponsors. Whether the World Championships can be returned at all in the hands of the IJF.
"I will explore that," promised Kutschera, who is therefore looking for talks with IJF President Marius Vizer. If the IJF will keep the agreed two Million
entry fee or a part of it, the dramatic development is even worse for the Austrian Judo Federation. Last year the Federation celebrated its 70th anniversary
with a gala in Vienna where IJF President was among the main guests.

Austrian Judo Federation aims to give back World Championships to IJF
https://www.judoinside.com/news/3369/Austrian_Judo_Federation_aims_to_give_back_World_Championships_to_IJF
0411名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/25(土) 13:48:39.09ID:oLNvZ4az
04年アテネオリンピック(五輪)柔道男子100キロ超級金メダルで男子日本代表重量級コーチの鈴木桂治氏(38)が、全日本実業団体対抗(6月8〜9日、群馬・高崎アリーナ)に
出場することが24日、分かった。男子3部の国士舘大柔道クラブから出場し、7年ぶりの現役復帰となる。
関係者によると、4月ごろから実戦復帰に向け、本格的なトレーニングを始めた。全日本コーチと国士舘大男子柔道部監督を兼任する多忙の中、肉体改造にも励んでいるという。
現役時代は、長い手足を生かした小外刈りや大外刈りなどの足技を武器とした。男子日本代表の井上康生監督(41)の最大のライバルとして切磋琢磨(せっさたくま)した。
100キロ超級で制したアテネ五輪の他、100キロ級と無差別で世界選手権を制覇し、前人未到の3階級制覇を達成。12年ロンドン五輪代表を逃し、同7月に現役引退した。
13年の全日本実業団体対抗では、92年バルセロナ五輪男子78キロ級金メダルで強豪パーク24の総監督を務める吉田秀彦氏(49)が、男子3部で11年ぶりに実戦復帰した。
スター不在の柔道界を盛り上げるために一役買った。決勝までの6試合で5勝1分けと活躍し、準優勝に貢献した。
鈴木氏も同じように柔道界のカンフル剤となり、さらに、不調が続く担当の最重量級選手たちに向けて、本気の柔道を披露することで活を入れる考えがあるのかもしれない。
東京五輪まであと1年2カ月。38歳の五輪金メダリストが、強烈なメッセージを送る。

鈴木桂治氏が現役復帰へ 04年アテネ五輪で金 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201905250000057.html

2004年アテネ五輪柔道男子100キロ超級金メダリストで12年7月に第一線を退いた日本男子代表の鈴木桂治コーチ(38)が6月8、9日の全日本実業団体対抗大会
(高崎アリーナ)の男子3部に出場することが25日、分かった。
鈴木コーチによると、母校の国士舘大のOBら指導者仲間と出場する。今年1月に右膝を手術し、稽古を始めて2週間ほどだというが「出るからには勝ちたい」と語った。
12年から日本代表で指導にあたり、国士舘大の監督も務めている。

アテネ五輪覇者・鈴木桂治氏が6月に実戦復帰/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190525/jud19052509440001-n1.html
0412名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/25(土) 21:50:20.71ID:9qs2NEww
柔道のグランプリ大会第2日は25日、中国のフフホトで行われ、男子81キロ級で世界選手権代表の藤原崇太郎(日体大)は決勝でイラン選手に敗れて2位だった。
女子70キロ級で新添左季(自衛隊)が優勝、女子63キロ級で能智亜衣美(了徳寺大職)が3位。

新添が女子70キロ級V 柔道GP、男子81キロ級で藤原2位
https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK60625_V20C19A5000000/

柔道のグランプリ大会は25日、中国のフフホトで行われ、女子70キロ級で新添左季(自衛隊)が優勝した。同63キロ級の能智亜衣美(了徳寺大職)は3位。
男子81キロ級の藤原崇太郎(日体大)は2位だった。

新添が優勝=柔道グランプリ
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052500519
0413名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/27(月) 00:16:50.96ID:bWiQzEeA
柔道のグランプリ大会最終日は26日、中国のフフホトで行われ、男子90キロ級で長沢憲大(パーク24)が優勝した。女子78キロ超級の秋場麻優
(環太平洋大)が2位、同78キロ級の高山莉加(三井住友海上)は5位だった。

長沢憲大が優勝、秋場麻優は2位 グランプリ大会/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190526/jud19052622030001-n1.html

柔道のグランプリ大会は26日、中国のフフホトで行われ、男子90キロ級で長沢憲大(パーク24)が優勝した。
女子の78キロ超級の秋場麻優(環太平洋大)は2位、78キロ級の高山莉加(三井住友海上)は5位だった。

長沢が優勝=柔道グランプリ
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052600499
                                                                                          
0414名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/27(月) 21:26:16.06ID:im8aMX6B
全日本柔道連盟(全柔連)は27日の常務理事会で、今夏の世界選手権と11月のグランドスラム(GS)大阪大会をどちらも優勝した選手に対し、
強化委員会で3分の2以上の賛成があれば2020年東京五輪の日本代表に早期内定する規定を、6月4日の理事会に諮ることを決めた。
その後も12月のワールドマスターズ、来年2月のGSパリ、GSデュッセルドルフの3大会を終えて成績が抜きんでた選手がいれば、強化委の
3分の2以上の賛成で代表に内定。それ以外は来年4月の全日本選抜体重別選手権後に、強化委が選考する。
全柔連の中里壮也専務理事は早期内定について「五輪まで少しでも長く準備期間を取りたい」と説明した。

世界選手権とGS大阪連覇で代表内定、全柔連が方針
https://www.sankei.com/sports/news/190527/spo1905270044-n1.html

柔道のグランプリ(GP)フフホト大会(中国)に出場した男女日本代表が27日、成田空港着の航空機で帰国した。女子52キロ級で優勝した阿部詩(うた、18)=
日体大=は、2連覇が懸かる3カ月後の世界選手権(8月25日−9月1日、日本武道館)に向けて「もっともっと攻める柔道を作っていきたい」と抱負を語った。
今大会は冬場から春先にかけて左肩を痛めた影響もあり、昨年11月以来、約半年ぶりの実戦だった。準備期間の3、4月に思うように練習をつめず、不安が
残る中での復帰戦となったが、全4試合オール一本勝ち。増地克之女子監督(48)も「けがも悪化せず、いい内容だった。(今後へ)弾みがついたのではないか」と評価した。
詩が今年の目標とするのは2020年東京五輪の“前哨戦”となる世界選手権での2連覇。この日、左肩の状態については「8−9割」とした上で、徐々に稽古の
強度を上げていく方針だという。「自分の体と向き合いながら、もっともっと自分の柔道を上げていくだけ」。けがを経て、詩はたくましくなった。

復帰戦優勝の阿部詩が帰国「もっと攻める柔道を作る」
https://www.sanspo.com/sports/news/20190527/jud19052720410001-n1.html

中国・フフホトで行われた柔道のグランプリ大会で優勝した女子52キロ級の阿部詩(18=日体大)が27日、成田空港に帰国した。
左肩痛の影響で実戦は昨年11月のグランドスラム・大阪大会以来、約半年ぶり。「急いで試合に合わせた部分があって、自分が思い描いていた技は
出せなかったが、優勝できてよかった」とホッとした表情を見せた。
さしもの阿部も一番練習を積める3〜4月が空いてしまったことでの怖さがあり、初戦は硬さがあったというが「負ける気はしなかった」。実際、終わってみれば
世界女王の貫禄を遺憾なく発揮し、オール一本勝ちで「自分のやるべきことをしっかりやれば、ケガをしていても大丈夫」とさらに自信を深めた。
2連覇を目指す世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)に向けては「相手を投げる練習が全くできていなかった。一本を決める練習をしないと試合
でも出ないので、この3か月は余計なことを考えずに、投げきることだけを意識してやりたい」と力強く語った。

復帰戦優勝の阿部詩が帰国 世界選手権へ投げ技に磨き
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1409922/

全日本柔道連盟は27日、東京都内で常務理事会を開き、今夏の世界選手権東京大会と11月のグランドスラム(GS)大阪大会の両方で優勝した選手は、
強化委員会の3分の2以上の賛成を得た上で東京五輪代表とする選考方式を導入する方針を固めた。
大阪大会後では、12月に中国で行われるワールドマスターズと、例年2月に欧州で開催されるGS2大会の結果を受け、さらに代表選手を追加できる。
最終選考会は来年4月の全日本選抜体重別選手権とし、体重無差別の全日本選手権は男女とも対象外とする。 
2016年リオデジャネイロ五輪まで従来の五輪代表は、開催年の春の国内大会を経て決めていた。東京五輪に向けては、成績の突出した選手を早く代表に
決めることで、本番までの準備期間を確保する狙いがある。

五輪代表、最速で11月決定=世界柔道、GS大阪優勝が条件
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052701135
0415名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/28(火) 00:18:30.16ID:GWaBNwOg
柔道のグランプリ(GP)フフホト大会(中国)に出場した男女日本代表が27日、成田空港着の航空機で帰国した。男子81キロ級で準優勝に終わった
藤原崇太郎(21)=日体大=は「素早く自分の形になって仕掛けることが課題」と反省点を挙げた。
決勝までの3試合を順調に勝ち進んで迎えた決勝。昨年の世界選手権決勝で敗れたサイード・モラエイ(イラン、27)に一本負けを食らった。新たな
組み手を試したが、世界王者はさらに上回った。藤原は「強かった。組んだ時の感じが他の選手と違った。『また頑張ろう』という気になった」と振り返った。
今後、拠点の日体大や代表合宿などで課題克服に取り組む。3カ月後には来夏の東京五輪と同じ会場、日本武道館で世界選手権が行われる。銀メダル
に終わった昨年のリベンジへ、精進する。

81キロ級準優勝の藤原崇太郎が帰国/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190527/jud19052721480003-n1.html

全日本柔道連盟(全柔連)が27日、来年の東京五輪代表を早ければ11月のグランドスラム(GS)大阪大会後に決める可能性があるとの選考方針を
固めたことを受け、日本男子の井上康生監督は「選手も、われわれもしっかりした準備をしていける」と歓迎した。
五輪前年の代表決定は異例で、五輪開催年の4〜5月の決定が大きな流れだった。井上監督は「これまではほぼ決定という流れがあっても、システム上は
できなかった。ご理解いただいたのはうれしく思う」と述べた。日本女子の増地克之監督は「選手にとってすごくいいシステム。五輪で結果を示すということが
大事になってくる」と気持ちを引き締めた。

井上康生監督「しっかりした準備できる」 早期代表決定を歓迎/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190527/jud19052722030004-n1.html

柔道日本女子の増地克之監督は27日、グランプリ・フフホト大会(中国)女子48キロ級で試合前に棄権した芳田真(コマツ)について減量の失敗だと明らかにした。
「現地に到着してなかなか体重が落ちず、すごく苦労した」と説明した。
18歳の芳田は57キロ級世界女王の芳田司(コマツ)の妹。昨年11月の講道館杯全日本体重別選手権を初制覇した。増地監督は「自覚がちょっと足りないかな。
非常に残念だが、まだまだ若い選手。しっかりはい上がってもらいたい」と述べた。
全日本柔道連盟の規定では、国際大会でけがを除く計量失敗などの過失で失格となった選手は強化指定から外れる。芳田は失格ではなく棄権だが、
関係者によると、近く強化委員会で処遇を決定するという。

芳田真は減量失敗で棄権、強化委で近く処遇決定/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190527/jud19052722490005-n1.html

柔道女子52キロ級で昨年の世界選手権を制した阿部詩(日体大)が27日、復帰戦で優勝したグランプリ・フフホト大会が行われた中国から帰国した。2月に
左肩を負傷したため半年ぶりの実戦。最初は硬さを感じたそうだが、「試合を重ねるうちに、少しずつ怖さが消えた。負ける気はしなかった」と振り返った。
連覇が懸かる世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)まで3カ月を切り、肩の状態は「8〜9割くらい」と説明した。けがの影響で得意とする担ぎ技の練習が
不足しており、「今回も切れのある一本がなかなか取れなかった」。全試合で一本勝ちを収めても満足はせず、夏に向けて課題を挙げていた。

阿部詩、復帰戦Vから帰国=柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052701172
0416名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/28(火) 14:52:30.38ID:hrZzwcGP
全日本柔道連盟(全柔連)は27日、東京・文京区の講道館で常務理事会を開き、来年の東京五輪の代表選考方針を固めた。選手の準備期間確保へ向けて3段階に分け、
早ければ11月のグランドスラム(GS)大阪大会後に五輪代表が決まる。柔道代表が五輪前年に決まるのは異例。
6月4日の理事会で正式に承認される見通し。これまで最重量級の最終選考会を兼ね、4月に体重無差別で争う男女の全日本選手権は選考対象から外れる。
第1段階は世界選手権(8月25日−9月1日、日本武道館)優勝者がGS大阪大会を制し、強化委員会で出席者の3分の2以上の賛成を得れば代表入りが決定。
次は来年2月のGSデュッセルドルフ大会(ドイツ)終了時点で1、2番手の差が圧倒的に開いていると強化委の3分の2以上が判断すれば決まり、4月の
全日本選抜体重別選手権が最終選考会となる。代表決定に絡む強化委は報道陣に公開される予定。
全柔連は一昨年から世界選手権で早期の代表決定を導入。昨年は男子で66キロ級の阿部一二三(21)=日体大、60キロ級の高藤直寿(25)=パーク24=が
大会前年に代表を決め、2連覇につなげた。
代表監督は“歓迎”
五輪前年の代表決定は異例で、五輪開催年の4〜5月の決定が大きな流れだった。日本男子の井上監督は「これまではほぼ決定という流れがあっても、
システム上はできなかった。ご理解いただいたのはうれしく思う」と述べた。日本女子の増地監督は「選手にとってすごくいいシステム。五輪で結果を
示すということが大事になってくる」と気持ちを引き締めた。

柔道代表、3段階選考に!あるぞ異例の大会前年決定も
https://www.sanspo.com/sports/news/20190528/jud19052805010002-n1.html

柔道女子52キロ級世界女王の阿部詩(18)=日体大=が27日、優勝したグランプリ・フフホト大会から成田空港に帰国した。自己最長ブランクの6カ月ぶりの実戦で、
左肩も痛めるなど万全とは程遠かったものの「どんな状況でも勝ち切ることができたのは良かった」と自信を深めた。
「相手が怖くて怖くて仕方がなかった」。投げ技のキレで相手を恐怖のどん底に突き落としてきた阿部といえども、不安要素が積み重なって未曽有の恐怖に襲われたという。
得意の担ぎ技は出せず、初戦は硬くなって攻めあぐねた。それでも内股や、地道に努力を重ねてきた寝技で仕留めオール一本勝利。「練習で全然投げられなくて
大丈夫かなと思ったが、試合では自分の力を出せることが分かった」とうなずいた。
2連覇すれば東京五輪切符に大きく近づく世界選手権(8〜9月、日本武道館)まで残り3カ月。「相手を投げることを一番の課題に置く。昨年よりもっと素晴らしい柔道
を見せられるように」と“刀”をじっくり研ぐことを誓った。

阿部詩「怖くて仕方なかった」 手負いVで自信 柔道・GPフフホト大会から帰国
https://www.daily.co.jp/general/2019/05/28/0012371761.shtml

柔道のグランプリ・フフホト大会で優勝した女子52キロ級の阿部詩(うた、18)=日体大=が27日、中国から成田空港着の日本航空機で帰国した。左肩負傷の影響で、
昨年11月以来の実戦となった大会を4試合全て一本勝ちで制した阿部は「(練習から)投げ切ることをしていないと、試合で出ないと学んだ。この3カ月は相手を投げることを
一番の課題に置きたい」と2連覇が懸かる世界選手権を見据えた

阿部詩、世界選手権連覇へ「投げる」課題/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190528/jud19052805000001-n1.html

柔道のグランプリ・フフホト大会(中国)で優勝した女子52キロ級世界女王の阿部詩(18=日体大)が27日、成田空港に帰国した。
冬場に左肩を負傷し、昨年11月のグランドスラム・大阪大会以来の実戦となったが、初戦の2回戦から4試合をオール一本勝ち。左肩は完治しておらず、「8〜9割の状態」と不安が
残る中で勝ちきった。「やるべきことをやれば、けがをしていても大丈夫。最初は怖さもあったけど自信につながった」と振り返った。
2連覇を狙う世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)に向け、得意の担ぎ技の強化を図る方針だ。今大会は万全でない中での戦い方を学び、「投げきる練習をしないと試合で
出ないことが分かった。残り3カ月は投げきることを一番の課題に置いて追い込みたい」と気を引き締めた。
女子代表の増地克之監督は「けがも悪化せず、良い内容だった。現状の力を出し切れたのではないかと思う。世界選手権に向けて弾みもついたと思う」と話した。

全戦一本勝ち阿部詩が凱旋帰国「自信につながった」 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201905270000999.html
0417名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/28(火) 14:52:48.67ID:hrZzwcGP
柔道男子日本代表の井上康生監督(41)が27日、全日本実業団体対抗(6月8〜9日、群馬・高崎アリーナ)に出場する04年アテネ五輪男子100キロ超級金メダルで
男子日本代表重量級コーチの鈴木桂治氏(38)にエールを送った。
グランプリ・フフホト大会(中国)から成田空港に帰国した井上監督は、7年ぶりに実戦復帰する鈴木氏について「柔道界を盛り上げる要素になると思う。一度引退して
指導者の道を歩む鈴木先生が、現役の世界で楽しく柔道をする姿を見せてくれたら素晴らしいと思う。先生もやる気満々とのことなので、応援したい」と激励した。
鈴木氏は大会初日の6月8日、国士舘大OBの「国士舘大柔道クラブ」の選手として男子3部に出場する。井上監督は「ただ残念なのが…私が行けるのは(大会2日目の)
日曜日のみで(会場では)応援出来ない」と肩を落とした。
13年の全日本実業団体対抗では、92年バルセロナ五輪男子78キロ級金メダルで強豪パーク24の総監督を務める吉田秀彦氏(49)が男子3部で11年ぶりに実戦復帰した。
スター不在の柔道界を盛り上げるために一役買い、決勝までの6試合で5勝1分けの活躍を見せた。 現役時代の鈴木氏は、長い手足を生かした小外刈りや大外刈りなど
の足技を武器に、井上監督の「最大のライバル」として知られていた。12年ロンドン五輪代表を逃し、同7月に現役引退。同年に日本代表のコーチに就任した。今年1月に
右膝の手術をし、リハビリを経て本格的な稽古で追い込んでいる。「出るからには優勝」と気合十分の様子だ。

柔道井上康生監督が鈴木桂治氏を激励「応援したい」 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201905280000017.html

平成最後の全日本選手権で“台風の目”となったのは、出場最年長の加藤博剛(千葉県警察=33歳)だった。オリンピックの代表争いに名前はないが、全日本の舞台で
輝きを放つベテランの迫る。
「お前のはもう柔道じゃないな、『加藤』だな」
体重無差別で争われる4月の全日本柔道選手権で準優勝した加藤博剛(千葉県警察)は、かつて国士舘大の先輩にこう言われたことがある。
「お前のはもう柔道じゃないな、『加藤』だな」
その柔道があまりに独創的すぎて、もはや柔道というジャンルではくくれない、だから名前を取って「加藤」ということらしい。先輩、なかなかのセンスです。
オリジナル技術の開発に至福の喜びを見出す後輩にとっては、最高の褒め言葉だ。
全日本選手権でも初戦からその独創性が炸裂、会場をドッカンドッカン湧かせていたが、この日のハイライトは準々決勝の影浦心(日本中央競馬会)戦だっただろう。
組み手争いがいよいよ本格化しようかという試合開始16秒、影浦の右釣り手を左の脇で挟んで動きを制御したかと思うと、くるっと宙に舞わせて「一本」。この日の体重が
105kgだった加藤が、120kgの影浦を、力みなく軽々とでひっくり返した動きは、世界最先端のパワー柔道とは一線を画すアプローチ。まるで古武術のようで、
人間の身体をよくよく理解しているからこそできた技に見えた。もうここまで来たら、本人が目指しているという「全日本の名物おじさん」では役不足。「名物達人」と
言いたくなるようなレベルである。
もちろん新しい技術が試合で使えるようになるにはそれなりに時間がかかる。しかも、最近ではインターネットもじゃまをする。今年は全日本に向け準備していたとっておきの
新技があったのに、大会前にその動画がネット上に拡散してしまったという。
「ほんと、ひどいっすよねぇ」
黒々とした眉をハの字にして嘆いてみせたが、うーん確かにそうだけど、でも、それはそのまま受け取れない。拡散したなら、むしろそれを逆手に取って、その上をゆく
技に仕上げればいい。この人ならそんなふうに面白がっていそうな気がするからだ。
「ははは。そうっすねぇ。実は今日も1回使ってみたんですけど、うまくいかなかったっすね」
え? どの試合のどの場面ですか? 
「ははははは。それはもちろん言えないっすよ。来年までしっかり作り上げてきます。出られたらですけど!」
はい、来年の「加藤」を楽しみに待ちたいと思います。

[柔道]人物クローズアップ 加藤博剛(千葉県警察)が全日本選手権準優勝
https://www.bbm-japan.com/_ct/17276101
0418名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/30(木) 00:24:27.94ID:YqeOWs6T
全日本柔道連盟は29日、東アジア選手権(6月1、2日・韓国)に出場する日本代表を発表し、五輪王者の故斉藤仁氏の次男で100キロ超級の17歳、斉藤立(東京・国士舘高)が選ばれた。関係者によると、
シニアの国際大会出場は初となる。
将来性抜群の大器として注目される斉藤は190センチ、155キロの体格で、豪快な体落としや内股を得意とする。体重無差別で日本一を
争う4月の全日本選手権には史上最年少の17歳1カ月で出場。3回戦まで進んだ。

斉藤立、初のシニア国際大会 東アジア選手権に出場へ/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190529/jud19052916090001-n1.html

今年夏に、鹿児島を中心に開催される「南部九州インターハイ」出場を目指し、熱戦が続く県高校総体。柔道・個人戦では、「姉妹対決」もありました。

鹿児島アリーナで行われた柔道個人戦。男女とも7階級で争われ、トーナメントを勝ち抜いた上位2名に全国大会の出場権が与えられます。
女子48kg級決勝では、今年限りの注目の一戦が実現しました。国分中央高校3年の中馬梨歩選手と、同じく1年の中馬優衣選手。「姉妹対決」です。
(妹・中馬優衣選手)「(初めての県総体で)大舞台に立つとあがってしまうので、緊張してました」
本人たち曰く、たたみの上では互いに「敵」。妹の優衣がきょう一番の戦いを見せ、組み合いますが、最後は姉の梨歩がおさえこんで一本。
姉妹対決を制し、優勝で全国への切符をつかみました。
試合後は、「姉妹」に戻ったふたり。
(妹・中馬優衣選手)「あえて『姉妹』というのを意識しないようにしていました。(姉の梨歩は)練習のときと試合のときは力も、前に出てくる感じも
違った。
(Q.またお姉さんと戦いたいですか?)大丈夫です…」
(姉・中馬梨歩選手)「ライバルというか、自分以外は妹といえど敵だと思っている。鹿児島での大会で、日本一になろうという気合が
高まってきました。決勝で姉妹対決できるよう、頑張りたい」
中馬姉妹での全国大会にも期待が高まります。
この他、女子個人では、28日の団体戦で連覇を果たした鹿児島南が7階級中5階級を制する強さをみせました。一方の男子は、
7階級中3階級で団体優勝の鹿児島情報が勝利しました。
各階級の上位2人が出場する全国大会・インターハイは、8月9日に鹿児島市で開幕します。

姉妹対決も! 県高校総体 柔道個人
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190529-00036066-mbcnewsv-l46

“絶対女王”になって五輪も決める! 柔道の世界選手権(8月25日開幕、東京・日本武道館)で2連覇を目指す女子52キロ級の阿部詩
(18=日体大)が、中国で行われたグランプリ・フフホト大会で優勝を果たし27日、成田空港に帰国した。
左肩痛の影響もあり実戦は昨年11月のグランドスラム(GS)大阪大会以来、約半年ぶりとなったが「急いで試合に合わせた部分があって、
自分が思い描いていた技は出せなかったが、優勝できて良かった」とホッとした表情を見せた。
2016年末からシニアの国際大会で対海外勢に28連勝と圧倒的な成績を残しているものの、リオ五輪金メダルのマイリンダ・ケルメンディ
(28=コソボ)とは未対戦のまま。昨年の世界選手権はケルメンディがケガで出場していなかったため、連覇には五輪女王を倒すことが
避けては通れない道となる。
さらにこの日、全日本柔道連盟は常務理事会を開き、来年の東京五輪の代表選考方針を固めた。選手の準備期間確保へ向けて3段階に
分けられており、最も早い第1段階では世界選手権優勝者が11月のGS大阪大会を制し、強化委員会で出席者の3分の2以上の賛成を
得れば代表入りが決定するという。
今大会ではブランクによる故障再発の怖さもあったというが、詩は「自分のやるべきことをしっかりやれば、ケガをしていても大丈夫」とさらに
自信を深めた。混戦と言われた52キロ級で完全に頭一つ抜け出した格好。まずは世界選手権で初顔合わせとなるケルメンディを倒した上で、
東京五輪代表第1号の座を狙う。

【柔道】阿部詩 打倒・五輪女王で代表の座に近づく
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1410174
0420名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/06/01(土) 16:18:51.48ID:ILCB9IpT
柔道女子78キロ超級世界女王の朝比奈沙羅(22=パーク24)は技の幅を広げるために、ラグビーのプレースタイルを独自で研究している。柔道界一の“ラグ女”が、
ラグビーの魅力を語った。
ラグビーは究極のチームスポーツです。1つミスで攻防が変わり、それをサポートするために、選手全員が筋骨隆々の相手に体をぶつける。衝撃音、体格差、
チームの一体感など個人競技の柔道ではないものがある。まさに、無差別の格闘技です。そのワールドカップ(W杯)が日本で初開催されるのだから、毎日、
ワクワクしています。9月20日の開幕戦チケットも当たったので、世界選手権(8月25日開幕、日本武道館)で2連覇して、気持ち良く応援したいです。
東海大3年の時、授業で「ラグビー理論及び実習」を履修しました。補助学生の先輩がスタメン出場して、応援で行くようになってから大好きになりました。柔道で
参考になることもあります。例えば、目線です。ボールを投げる方向を見て、投げるフェイントを入れてから自ら走るシーンがあります。柔道も同じで、目線とともに
払い腰のフェイントを入れないと、支え釣り込み足がかからない。あとは、勝敗が決まる後半に反則しない。指導3の反則負けがあるので、そこは意識しない
いけない。ラグビーから学ぶことはたくさんあります。
今は2週間に1回はラグビーを見ないとダメ。日焼けも好きなので、お日様に当たってビタミンDを生成しながら、練習や試合を見るのが至福の時なんです。観戦時は
自分の体格が体格なので…自然とプロップの選手に目がいきます。一番好きなポジションだし、スクラムの大黒柱で相手にタックルして何度も起き上がる。
あのパワーと運動量は圧巻で、すごみを感じます。高根の花ですが、競技引退後に同じ医師の道を志している日本代表候補のWTB福岡堅樹さんも気になります。
プレー中の判断力とかから賢さが表れていて本当にかっこいい。普段は柔らかい感じなのに、試合になると戦闘モードになってオーラがある。
学生時代から使う愛用のラグビータオルは遠征時の必需品で、元気の源です。こんな柔道家はいないと思いますが、W杯では目標の8強入りを達成してもらい、
そのパワーをもらって集大成の東京オリンピックに臨みたいです。

ビタミンD生成しながら観戦が至福/柔道朝比奈沙羅 - ラグビーW杯がやってくる
https://www.nikkansports.com/sports/rugby/column/rwccomes/news/201906010000099.html
0421名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/06/01(土) 16:19:12.84ID:ILCB9IpT
同じ“道”を追求する「柔道」と「書道」には、共通点があり、そこに触れることで発見や気づきがあるのでは?そんな考えのもと、今夏の世界選手権出場選手ら6人と柔道の男子日本代表10人が、
書道家の笹島沙恵さんを講師に迎え、書道の体験を行った。
ほとんどの選手が久しぶりの書道となる中、筆の持ち方、姿勢など、基本の基本からレクチャー。真剣な面持ちで講義を聞く選手たちに、「集中しすぎると、目線が
下がって全体が見えなくなるので、リラックスして」とやさしく話す笹島さん。
まず、半紙を前にした選手たちが書いたのは「書道で一番大事」という“まっすぐな線”。筆の感覚が楽しいのか、ワイワイガヤガヤしながら笑顔で筆を動かしていく。
横線が書けるようになったら、続いては上から下へ降ろす縦の線。「手前に筆を引くと、自分との距離が近くなる分、どうしても筆が倒れてしまうので、
丹田(へその下あたり)に力を入れて、引き付けます」と笹島さんから説明が。
「選ぶ言葉にもキャラクターが出る」と、選手たちを見守る井上康生監督
そんな時、見て回っていた井上康生監督が選手たちにアドバイス。向翔一郎選手には「“翔”がいいんじゃないの?」と声をかけた。早速、書き始める向選手だったが、
画数が多い上、筆で書くとなると難しい。何度かチャレンジするも…「先生!書いてもらっていいですか?(笑)」とお手上げ状態に。
笹島さんが書いた美しい「翔」
そこで笹島さんが書いてみると…書道歴20数年を超え、全国の展覧会で最高賞を多数受賞するなど輝かしいキャリアを持つだけあって、圧倒的に美しい芸術的な
「翔」の字が。これには、「うおっ〜カッコいい!」と向選手も大喜び。先生の文字をお手本に、俄然やる気を出して練習に励み始める。
ほかの選手たちも、ほめ上手の笹島さんに助言をもらいながら楽しそうに半紙に向き合っていく。橋本壮市選手は「一貫」、藤原崇太郎選手は豪快に「太」と書き、
藤直寿選手は自身の得意技である「小内刈」と書くもバランスを間違え「刈が小っちゃくなっちゃった(笑)」とおどけていた。
1時間ほど練習したところで、全員に真っ白な「うちわ」が配られ、そこに思いを込めて文字をしたためることに。練習の成果を試すとき…と思いきや、あれだけ「翔」
を練習した向選手は「(世界王者が背負う)赤ゼッケン」、今夏の世界選手権代表で3連覇を目指す藤選手は「一番になりたいから」という理由で「一」を書くなど、
柔道にかける熱い思いが表現されることとなった。
最後に笹島さんから「書道に決まりはなく、自分の思いで自由にかけるものです。自分の思いを書くことは、筆ではなくペンだったとしても、精神統一や気分転換
にもなりますし、(書いたことが)現実にもなります。今後もぜひ書道を使ってもらえるとうれしいです」と締めのあいさつが。それに対し、全員で「ありがとうございました!」
お礼を言い頭をさげた選手たち。自分が書いたうちわを手に、一同で写真撮影をし、書道教室は終了した。
各選手が書いた主な文字は…
(60s級)藤直寿選手「小内刈」「一」、永山竜樹選手「一本」、(73s級)橋本壮市選手「一貫」、(81s級)藤原崇太郎選手「太」、
(90s級)向翔一郎選手「翔」「赤ゼッケン」、村尾三四郎選手「努」。

“柔道”と“書道”には共通点が!?柔道男子日本代表6人が書道体験!
https://www.fujitv.co.jp/muscat/20195354.html
0422名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/06/03(月) 01:10:36.59ID:5GbwBCOw
警視庁戸塚署は1日、2012年ロンドン五輪・柔道女子57キロ級の金メダリストで、「野獣」の愛称で親しまれた松本薫さん(31)を一日署長に迎え、
特殊詐欺防止を訴えるイベントを都内で開いた。松本さんは「身近な人に相談することが大事」と訴えた。
会場では手口を紹介する寸劇も上演された。松本さんは父親が被害に遭いかけたエピソードを披露し「詐欺を一つでも減らしたい」と意気込んだ。
イベント終了後には会場近くの商店街を練り歩き、詐欺撲滅を呼びかけた。

柔道の松本薫さん一日署長 特殊詐欺防止イベント
https://www.sankei.com/photo/story/news/190601/sty1906010016-n1.html

柔道の東アジア選手権は1日、韓国・東海市で行われ、五輪連覇の故斉藤仁氏の次男で男子100キロ超級の斉藤立(東京・国士舘高)は、
決勝で韓国選手に敗れて2位だった。17歳の斉藤はシニアの国際大会初出場だった

斉藤立は2位=柔道東アジア選手権
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019060100554

柔道五輪王者の故斉藤仁氏の次男で男子100キロ超級の17歳、斉藤立(東京・国士舘高)が2日、シニアで初の国際大会となった東アジア選手権(韓国)から
成田空港に帰国した。決勝まで進んだものの、韓国選手に敗れ「勝てる試合だった。落ち込んでいる」と力不足を痛感した。
大会前に風邪をひき、万全の準備ができなかったと反省。「息が切れ、腕もぱんぱんだった。相当きつかった」とスタミナ不足を敗因に挙げた。190センチ、
155キロの柔道界期待の大器は「この悔しさをばねにする」とさらなる努力を誓った。

斉藤立、シニア初の国際大会で2位「勝てる試合だった。落ち込んでいる」/柔道
https://www.sanspo.com/sports/news/20190602/jud19060216240001-n1.html

5月26日、大学の試合が行われていた日本武道館で、本人に真意を直撃した。
「大きく報じられて自分でもビックリしているんです。現役復帰というほど、大げさなものではない(笑)。若手のコーチから誘われて、団体戦なら自分も試合に出るのは
面白いかな、と。実は僕は正式に『引退』を口にしたことは一度もないんです。柔道が生涯スポーツであることを証明できればいいですね。出るからにはもちろん、優勝したい」
現役時は切れ味鋭い足技で相手を面白いように転がし、2歳上の井上康生(現男子代表監督)と熾烈なライバル争いを演じた。五輪には2度出場し、柔道家なら
誰もが憧れる全日本選手権も4度制覇。さすがに今回の挑戦は、全日本や五輪といった最前線を目指すものではないという。
「監督となって、後輩に胸を貸すこともなくなっていました。大学生と実際に組み合うことで、外から見ているだけでは気付かなかった意外な技を持っていたり、新しい
発見があったりする。これからの指導にも生きると思います」
五輪で男女あわせて39個の金メダルを獲得してきた柔道母国にあって、黒歴史として刻まれているのが64年の東京五輪だ。無差別級の決勝で、神永昭夫が
オランダのアントン・ヘーシンクに抑え込まれ、敗れた一戦である。重量級にとって来夏の東京五輪は、50年前の屈辱を晴らす舞台であり、その旗振り役が
100キロ超級と100キロ級のコーチである鈴木なのだ。今一度畳に上がることで、重量級の選手たちに奮起を促す狙いもあるのではないか。
「日本代表クラスの選手に、“俺の柔道を見ろ”なんて、滅相もないです(笑)。まあ、鼓舞することぐらいはできるかもしれませんが、今回だけの出場で、
来年は出ません」
そうは言いつつも、113キロの体重を5キロほど絞って準備しているというから、レジェンドは本気だ。

「大きく報じられてビックリ」 柔道・鈴木桂治が明かしたまさかの“現役復帰”の真意
https://bunshun.jp/articles/-/12118
0423名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/06/03(月) 15:10:13.33ID:5JgpCKtv
柔道男子100キロ超級のホープ、17歳の斉藤立(東京・国士舘高)が東アジア選手権(韓国)から成田空港に帰国した。シニア初の国際大会は決勝で韓国選手に
延長戦の末に反則負け。「勝てる試合だった。悔しいというか、落ち込んでいる」と話した。
先週末はインターハイ東京予選に出場し、中5日の強行軍で「たった3試合だったが高校の試合と比較にならないくらいきつかった」と渋い表情。父でソウル
五輪王者の故・仁氏の思い出の国での苦い結果に「悔しさをばねにする」と飛躍を誓った。

斉藤立“思い出の地”惜敗 飛躍誓う「悔しさばねに」
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/06/03/kiji/20190603s00006000005000c.html

柔道五輪王者の故・斉藤仁氏の次男で男子100キロ超級の斉藤立(たつる、17)=東京・国士舘高=が2日、初のシニア国際大会のアジア選手権(韓国)から
帰国した。決勝で韓国選手に敗れてデビュー戦を2位で終え「勝てる試合だったので、うれしいとか全くない。悔しい。すごい落ち込んでいる」とうつむいたままだった。
痛めている手首は回復が長引いている。大会前に風邪をひき、追い込んだ練習ができなかったことも響いたが「試合に出れば、けがは関係ない。負けは負け」と
言い訳にはしなかった。「スタミナが全然いつもよりなかった。試合の準備ができなかった。この悔しさをバネにしたい」。敗因を分析し、次戦に生かす。

斉藤仁氏の次男・立 シニアデビュー戦2位に「すごく落ち込んでいる」
https://hochi.news/articles/20190602-OHT1T50204.html

柔道男子66キロ級で世界選手権2連覇中の阿部一二三(21)は3日、自身のインスタグラムで、来春の日体大卒業後に実業団のパーク24所属となることを
明らかにした。「柔道に打ち込む最高の環境とサポート体制を整えていただいた。2020年東京五輪で最高の結果を残せるように、努力を積み重ねる」とつづった。
阿部は背負い投げなどの担ぎ技を得意とし、昨年の世界選手権で女子52キロ級の妹、詩(日体大)と同日優勝を遂げた。
パーク24は1992年バルセロナ五輪男子78キロ級金メダルの吉田秀彦氏が総監督を務め、男子60キロ級の高藤直寿や現73キロ級の海老沼匡ら五輪、
世界選手権のメダリストが所属している。

阿部一二三、来春パーク24へ=「最高の環境と体制」−柔道
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019060300595

柔道男子66キロ級で東京五輪金メダル候補の阿部一二三(21=日体大)が来年からパーク24に所属することを明かした。
3日、インスタグラムを更新し「この度、2020年4月より、パーク24株式会社様に所属することとなりました。自分自身の最大の目標でもあり、
夢でもある『オリンピックで優勝する』ということを叶えるために、柔道に打ち込む最高の環境とサポート体制を整えていただきましたことをたいへん嬉しく思います」と
報告した。
同柔道部は吉田秀彦氏(49)が総監督を務める名門だ。また、選手にも強豪が多い。
 阿部は「パーク24株式会社様の柔道部には、世界で活躍する選手も沢山おられます。自分自身にとっても大きな刺激となり、共に高め合える環境に仲間入りし、
更なる成長ができることをとても楽しみにしています。2020年の東京オリンピックで最高の結果を残せるように努力を積み重ねていきますので、これからも
ご声援よろしくお願いいたします」と記した。

阿部一二三 パーク24所属に「自分自身にとっても大きな刺激」
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/judo/1417545/

柔道男子66キロ級で世界選手権を2連覇している阿部一二三(21)が3日、来春の日体大卒業後に実業団のパーク24に進むことを写真共有アプリ「インスタグラム」で
発表した。「柔道に打ち込む最高の環境とサポート体制を整えていただいた」と説明している。
豪快な担ぎ技を軸とした攻撃的なスタイルで期待を集め、今年8月開幕の世界選手権(東京)も代表に選ばれている。女子52キロ級の妹、詩(日体大)とともに来年の
東京五輪の金メダルを目指している。
パーク24は男子66キロ級で五輪2大会連続3位となり、現在73キロ級の海老沼匡や60キロ級で世界選手権2連覇中の高藤直寿らが所属。1992年バルセロナ五輪
王者の吉田秀彦氏が総監督を務めている。阿部は「大きな刺激となり、さらなる成長ができることをとても楽しみにしている」などとつづった。

柔道・阿部一二三、20年春にパーク24へ 「最高の環境」
https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK10192_T00C19A6000000/
0424名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/06/04(火) 23:09:26.32ID:M3Hfapjf
全日本柔道連盟(全柔連)は4日、東京都文京区の講道館で理事会を開き、来年の東京五輪の代表選考方針を正式に承認した。代表選手の準備期間確保を重視し、
3段階による選考方式を採用。早ければ11月のグランドスラム(GS)大阪大会後にも最初の代表が決まる。五輪前年の柔道代表決定は異例。
まずは世界選手権(8月25日〜9月1日・日本武道館)優勝者がGS大阪大会を制し、強化委員会で出席者の3分の2以上の賛成で代表入りが決定。第2段階は
12月のマスターズ大会(中国)、来年2月のGSパリ大会、GSデュッセルドルフ大会(ドイツ)終了時点で、強化委の3分の2以上が1、2番手の差が歴然としていると
判断すれば代表に選ばれる。
最終選考会は4月の全日本選抜体重別選手権となり、強化委の過半数の賛成で代表決定。体重無差別で争う男女の全日本選手権は選考対象を外れた。
地元開催五輪での金メダル量産に向け、抜本的な改革を断行。全柔連の金野潤強化委員長は「選手に休息や対策のための時間を与えるのが目的。プラスに働くこと
を願っている」と語った。

全柔連、五輪代表選考方針を承認 準備期間を重視
https://www.sanspo.com/sports/news/20190604/jud19060420570001-n1.html

全日本柔道連盟は4日、都内で理事会を開催し、2020年東京五輪代表を最短で11月に決める新しい選考方法を正式決定した。16年リオデジャネイロ五輪までは
五輪開催年の春に開催される国内大会を終えてから代表を決めていたが、早期に代表を決めることが可能になり、金メダルが至上命令である五輪本番に向けた
調整時間の確保が期待される。
柔道の五輪代表は各階級1人。新しい代表選考方法では、今夏の世界選手権(8〜9月、日本武道館)で優勝した選手が、11月のグランドスラム(GS)大阪大会も
優勝した場合、強化委員会で3分の2以上の賛成があれば代表に内定する。また、それ以降も12月のワールドマスターズ、20年2月のGSパリ大会、GSデュッセルドルフ
大会の結果をもって、同じ階級の他候補と明確な差がついている場合は、強化委員会の判断で代表を決めることができる。
それでも代表候補が僅差で決まらない階級は、従来通り20年4月の全日本選抜体重別選手権(福岡)で雌雄を決するが、体重無差別で行われる全日本選手権は
選考大会から外れる。
金野潤強化委員長は「選手たちに(五輪に向けて準備する)時間をなるべく与えたいし、強化側も(海外選手への)対策を練る時間がほしい」と期待しつつも、
「決して無理やり早く(代表を)決めることは考えていない。(同階級内で)明らかに差が生まれたという時点で内定を早く決める。プラスにしていきたい」と話した。

東京五輪の柔道代表、最短11月に決定 強化委員長「選手に時間与えたい」
https://www.daily.co.jp/general/2019/06/04/0012396021.shtml

                                                                                                      
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