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【世界一の】鈴木桂治【足技】
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0374名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/03/08(金) 09:14:45.36ID:CF7xNnYy
アテネ五輪男子柔道100kg超級金メダリストの鈴木桂治さんを講師に招いた三浦市柔道教室が、今月2日に潮風アリーナで開かれた。参加した約30人の市内
小中学生に対し、技のスピードやタイミング、体重移動などを丁寧に指導した鈴木さん。ときおり効果的な技の掛け方の見本を示すと、子どもたちは真剣な表情で見入っていた。
練習後の質疑応答では身体づくりや試合前の験担ぎのほか、「一番嬉しかった試合は」との質問があがり、当時柔道界の絶対的エースで、ライバルでもあった井上康生さんとの
一戦を振り返り、「大学1年のとき、(井上さんに)初めて勝てた試合が嬉しかった」と話した。
鈴木さんは五輪、世界柔道選手権、全日本柔道選手権の3大会を制覇した「柔道三冠」を達成。同3日開催の三浦国際市民マラソンのスペシャルゲストとして来場した。

メダリストに学ぶ心技体 鈴木桂治さんが柔道直伝 | 三浦
https://www.townnews.co.jp/0502/2019/03/08/472934.html
0375名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/05/25(土) 13:50:08.75ID:oLNvZ4az
04年アテネオリンピック(五輪)柔道男子100キロ超級金メダルで男子日本代表重量級コーチの鈴木桂治氏(38)が、全日本実業団体対抗(6月8〜9日、群馬・高崎アリーナ)に
出場することが24日、分かった。男子3部の国士舘大柔道クラブから出場し、7年ぶりの現役復帰となる。
関係者によると、4月ごろから実戦復帰に向け、本格的なトレーニングを始めた。全日本コーチと国士舘大男子柔道部監督を兼任する多忙の中、肉体改造にも励んでいるという。
現役時代は、長い手足を生かした小外刈りや大外刈りなどの足技を武器とした。男子日本代表の井上康生監督(41)の最大のライバルとして切磋琢磨(せっさたくま)した。
100キロ超級で制したアテネ五輪の他、100キロ級と無差別で世界選手権を制覇し、前人未到の3階級制覇を達成。12年ロンドン五輪代表を逃し、同7月に現役引退した。
13年の全日本実業団体対抗では、92年バルセロナ五輪男子78キロ級金メダルで強豪パーク24の総監督を務める吉田秀彦氏(49)が、男子3部で11年ぶりに実戦復帰した。
スター不在の柔道界を盛り上げるために一役買った。決勝までの6試合で5勝1分けと活躍し、準優勝に貢献した。
鈴木氏も同じように柔道界のカンフル剤となり、さらに、不調が続く担当の最重量級選手たちに向けて、本気の柔道を披露することで活を入れる考えがあるのかもしれない。
東京五輪まであと1年2カ月。38歳の五輪金メダリストが、強烈なメッセージを送る。

鈴木桂治氏が現役復帰へ 04年アテネ五輪で金 - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201905250000057.html
0378名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/06/08(土) 21:11:08.29ID:KdRA8VVm
2004年アテネ五輪柔道男子100キロ超級金メダリストの鈴木桂治氏(39)が7年ぶりに試合畳に上がった。男子3部で、母校・国士舘大OBで構成する国士舘大
柔道クラブの次鋒として出場し、6試合を4勝2引き分けでチームを優勝に導いた。
鈴木氏は12年に一線を退き、国士舘大の監督に就任。男子日本代表の重量級コーチも務めている。今回、大学の後輩らに誘われる形で出場を決意したというが、
普段は指導がメインのため、自身は大会前に乱取りを5本しただけだった。「練習を全くやってない。ほぼゼロ」と明かし、「どこまでやれるか不安だったし、
柔道をなめてるんじゃないかと葛藤があった」と迷いも生じていたことを打ち明けた。
1月に手術した右膝はテーピングで固め、痛み止めを飲んで臨んだ。久々の真剣勝負の前には体が震えたというが、それでも畳に上がれば五輪金メダリストの
地力を見せつけた。初戦は開始32秒、巻き込むような払い腰で一本を奪うと、2回戦は崩れ横四方固めで抑え込み、3回戦は切れ味鋭い払い腰、準々決勝は
大外刈りで次々と一本勝ち。準決勝、決勝は引き分けに終わったが、チームの勝利に貢献し「出るからには優勝したいと思っていた」と安どの笑みを浮かべた。
12年以降も「引退宣言はしていない」と強調したが、「ここで引退します」とあっさり宣言。今後の大会出場の可能性は「もうないですね」と笑いながら否定した。
現時点で“生涯最後”となったこの試合を「100点でいいんじゃないですか。自分が今できる全てをやった」と振り返り、「100点で引退します。いい経験を
させてもらいました」と晴れ晴れしく語った。

アテネ金・鈴木桂治氏 7年ぶり復帰戦で団体V「100点で引退します」
https://www.daily.co.jp/general/2019/06/08/0012408741.shtml

男子3部で2004年アテネ五輪100キロ超級王者の鈴木桂治・男子日本代表重量級コーチ(39)を擁する国士舘大クラブが初優勝を果たした。鈴木コーチが公式戦に
出場したのは、2012年秋の岐阜国体以来、7年ぶり。個人成績は1〜4回戦が全て一本勝ち、準決勝、決勝の2試合は引き分けで、優秀選手賞も授与された。
表彰式を終えた鈴木コーチは下衣を脱ぎ、右膝をがちがちに固めていたテーピングをはがした。1月7日に手術を受け、この日も痛み止めを飲んで試合に臨んだほど。
しかも代表コーチ、国士舘大監督として多忙を極めるため、練習は「本当にやっていない。ほぼゼロ。0・5くらい。先々週、2日間で立ち技(の乱取りを)5本やったくらい」。
それでも畳の上に立てば闘争本能がよみがえる。代名詞だった足技もさえ、4回戦は大外刈りで一本。「今の精一杯はやったので100点。今、これが僕のできる全て。
いい経験をさせていただきました」と晴れやかな表情で振り返った。
当初は今回の出場に葛藤もあったという。国士舘大時代の後輩や教え子から誘われたものの、現在は指導者の立場。3部とはいえ、真剣に五輪や世界選手権
を目指す選手たちにまじり、ろくに稽古を積んでいない自分が出ていいものなのか。「後ろめたさも少しあった。柔道をなめていると思われるな、と思った」。
実際、練習不足がたたり、3、4試合目で脱水症状気味に。「頭がボーッとした。やっぱり柔道をなめていました」と話したが、応援に駆け付けた現役の教え子たちに、
戦う姿を見せつけた。
2012年のロンドン五輪代表を逃して第一線を退いた後も、団体戦などへの出場に含みを持たせていた鈴木コーチ。「引退宣言はしていないと記事を書いて
いただいたことはありますけど、もう引退します。もうないです」と宣言した。今回の“復帰”が大きく報じられたこともあり、「そういう意味(話題性)では良かった。
宣伝部長に少しでもなれたらいい」とお家芸の人気拡大に一役買い、肩の荷を下ろした。

葛藤抱えながらの復帰戦 鈴木桂治氏「もうないです」 柔道全日本実業団体対抗大会
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/06/08/kiji/20190608s00006000423000c.html
0379名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/06/08(土) 23:30:59.71ID:KdRA8VVm
五輪金メダリストが「勝負の厳しさ」を伝えた。04年アテネ五輪(オリンピック)柔道男子100キロ超級金メダルの鈴木桂治氏(39)が、1日限定で7年ぶりに
実戦復帰した。
母校の国士舘大OBで構成する国士舘大柔道クラブの次鋒として畳に上がった。初戦から長い手足を生かした足技と多彩な組み手で相手を圧倒し、
準々決勝までの4試合をオール一本勝ち。準決勝と決勝は、1月に手術した右膝の影響などもあり、引き分けに終わったが、全6試合を4勝2引き分けで
優勝に大きく貢献した。「優勝という形で終われて良かったが、練習はほぼゼロだったため、不安しかなく、『柔道をなめているんじゃないか』という葛藤もあった」。
鈴木氏は、こう複雑な胸中を打ち明けた。
今春、大学の後輩に誘われて出場を決意した。理由は開催地が地方ではなく、関東で行われるためだった。しかし、国士舘大男子柔道部監督と男子日本代
表重量級コーチを兼務するため、常に選手たちの指導が最優先だった。稽古後の居残りウエートトレーニングと食生活の改善で肉体改造し、実戦的な乱取り
稽古は大会直前に5本行っただけだった。
「現役選手からすれば、もしかしたら(自分の復帰は)面白くないかもしれない。今日も練習を違うコーチに任せているし、練習をしていない自分がどこまで試合
に出て良いのか最後まで悩んだ。今朝も5時30分に起きるし、畳に上がるまで体がめちゃくちゃ体が震えた。ただ、現役時代は(試合で)『けがをしないように』と
言われたが、今日は『けがをしても良いから勝ちたい』と思った」
最後は意地だった。右膝はテーピングで固め、試合前には痛み止めを飲んで臨んだ。当初の予定では、2?3試合で交代するはずだったが、体が悲鳴を上げる
中でもフル出場した。観客席の最前列では愛娘の長女楓子ちゃん(かこ、3)と次女の琴子ちゃん(1)が「パパー」と何度も大声で声援を送った。教え子で
18年アジア大会男子100キロ級金メダルの飯田健太郎(21)らも自主的に応援に駆けつけ、「監督ー」と声を張った。「これが団体戦。ムードも雰囲気も良く、
自分の気持ちも奮い立った。応援してくれたみんなに感謝だし、終わってみると、大会に出て良かった」。
ロンドン五輪代表を逃した12年に第一線を退いてから引退宣言はしていないが、7年ぶりに実戦復帰して改めて勝負の厳しさを痛感した。「(柔道の試合は)
楽しいものではなく、苦しいもの。そんな中でも自分の今ある力を精いっぱい出せたし、100点だったこの日で引退する」。20年東京五輪まで残り1年2カ月?。
39歳の五輪金メダリストが、生涯最後の試合で勝負師としての執念を背中で示した。

04年金の鈴木桂治氏「引退する」満点復帰V貢献も - 柔道
https://www.nikkansports.com/sports/news/201906080001134.html
0380名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/06/17(月) 11:22:56.37ID:PQCD6aJK
先日行なわれた全日本実業団体対抗大会は、いつもとは異なる側面で注目を集めた。男子第3部に出場した国士舘大柔道クラブの一員として、鈴木桂治が参加したからだ。
実に約7年ぶりの公式戦出場であったし、鈴木のかつての存在感もあいまって、脚光を浴びることになった。
肝心の結果はと言うと、初戦から決勝まで6試合を戦い、4勝2分け。チームの優勝に大きく寄与したこともあいまって、鮮烈な印象を残した。
五輪金メダルなど一時代を担った。
鈴木は、まぎれもなく、一時代を担った柔道家であった。
もともと100kg級だった鈴木は、 2004年のアテネ五輪で100kg超級に階級を上げて出場し金メダル。世界選手権では2度の金メダルに輝いた。2003年の大会では無差別級で、
2005年には100kg級での優勝で、オリンピックと世界選手権を合わせて、男子では初めて3階級を制覇した選手でもある。
さらに、全日本選手権でも4度の優勝を果たしている。最後の優勝は30歳のとき。息長く、第一線で活躍した柔道家でもあり、100kg級では井上康生のライバルとして、
何度も好勝負を見せた。
鈴木がその立ち位置から退いたのは2012年のこと。ロンドン五輪出場の可能性が潰えると、7月に母校の国士舘大学柔道部監督への就任とともに、国際大会から退くと
発表したのである。
指導者としての人生を歩み始めたその4カ月後、日本代表のコーチに就任し、100kg級、100kg超級を担当。井上日本代表監督とともに、課題となっていた重量級の再建を
担う立場となった。
「出場できる大会には出場したい」
2014年の世界選手権では、選手たちのあまりのふがいなさに、100kg級でのエントリーを見送るなど厳しさをもって指導に臨んだ。その甲斐あってか、リオデジャネイロ五輪
では100kg級銅メダル(羽賀龍之介)、100kg超級銀メダル(原沢久喜)と、成果を残すに至った。
国士舘大学での指導とあわせ、指導者としての充実も見せていたから、鈴木は引退した選手と捉えられる面もあった。
ただ、実は鈴木自身は引退とは語ってこなかった。「出場できる大会には出場したい」という意向を示していたのだ。
柔道では、「生涯、柔道家」「一生現役」という姿勢を見せる選手は、まれではない。そこには「柔道は一生続けることができるもの」という思いも込められている。
それも含めて、選手たちがそう意識し、言葉にするのは柔道の特性かもしれない。
ときにそれが長いブランクを経ての復帰という形をとることもあった。2013年の全日本実業団体対抗では、1992年バルセロナ五輪78kg級金メダルの吉田秀彦が、
約11年ぶりに復帰を果たしている。
生涯柔道家という思いがあるから。
鈴木が引退とは言わずにきたのには、おそらく生涯柔道家という思いがあったのだろう。以前には「やり始めたらとことん続けることが大切だと思っています」とも語っており、
言葉にその思いを込めている。
第一線から退いても引退ではない、それが今回、形となったのは、後輩たちからの誘いがきっかけだ。団体戦だったら出てみても……という思いがふつふつと湧いた。
新春に行った膝の手術や、指導者としての時間から練習には大幅な制限があったという。その中で可能な限りの準備をして迎えた大会を終えて、鈴木は今できることを
すべてやったからこそ、「100点」と評価した。
また、今後は大会に出ることはないともしている。明確な引退宣言となったのは、やりきったという思いからだろう。
競技に打ち込む根本は自分のため。
大会に出場すると報じられたあと、その真意を推し量る筋もあった。どこを目指しての復帰なのか、どういう目的なのか、復帰しても、国際大会を目指す位置には
たどりつけないだろう……。
でも、選手が競技に打ち込むのは、根本は自分のためにほかならない。どこを目指すか、何を体現したいかもまた、個に拠る。大会に戻りたいという思いもそれぞれの
理由があって当然のことだ。
鈴木の7年ぶりの公式戦出場は、心からの楽しみな気持ちとともに、そんなことを想起させもした。

鈴木桂治、7年ぶり復活のち引退。 生涯柔道家として「100点」の戦い。
https://number.bunshun.jp/articles/-/839703
0382名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2019/06/24(月) 06:52:16.66ID:cg6zvKhP
百戦錬磨の柔道・金メダリスト鈴木桂治さんが、歌舞伎町の裏社会を描いたマンガ『新宿スワン』に見た魅力とは
https://book.asahi.com/article/12472824
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