■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目
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胸を突かれても無傷。
肩を袈裟懸けにされても無傷。
大腿部を斬られても無傷。
だが、小手を斬られると即死www
もう、ルールありきの、ただの竹刀競技だろ。 人間(にんげん)形成と人格(じんかく)形成を混同している人がいるね。
人格(じんかく)の形成には様々な要素が絡み合い、
100人いれば100通りの人格(じんかく)が形成されるもの。
剣道に限らず、他の武道、あるいはスポーツなど、
○○を修錬すれば、崇高な人格(じんかく)が形成されるなどということはないし、
それを謳っている武道やスポーツもない。
全日本剣道連盟が謳っているのは、
剣道とは、人格(じんかく)形成の道であるということではなく
剣道とは、人間(にんげん)形成の道であるということ。
そして、ここで言っている人間形成とは、
剣の理法の修錬によって学ぶ武士の精神を基本とした人間形成のこと。
武士の精神、すなわち武士道の基本は、個人の欲望の放棄。
言い換えれば、動物としての欲望を人間としての理性によって超越すること。
その究極が「死ぬことと見つけたり」とされるように、
「生きる」という欲望すらを捨て去ること。
勝ちたい、負けたくないというのは、動物の持つ本能であり欲望。
この欲望を超越して、「義」「勇」「仁」「礼」「誠」や「名誉」「忠義」などを重んじ、
卑怯、未練を断ち切ることを武士道は教えている。
だから、勝つための手段として反則ぎりぎりの行為をすることはもちろん、
敵の予想の裏をかく高度なフェイント技や、
敵に打たれないように姿勢を変化させながら素早く打つ技など、
一般のスポーツでは高騰テクニックとして推奨されるような内容の技でも
剣道では、卑怯未練な行為として戒められる。
剣道で求められるのは、打たれることを決して恐れず、
正々堂々と中心を割って、ひたすら正面を真っ直ぐに打ち抜く修錬を通して
どんな時でも物事に動じず、冷静に対処し、いざというとき身を捨てて行動できる
不動の精神を養うこと。
ルールが定められた竹刀による試合競技において勝利することは、
剣道の修錬の一過程であって、生涯を通しての剣道本来の目的ではない。
むしろ、競技試合で勝つための行為、すなわち
竹刀を相手の身体に当てるための工夫や相手の竹刀に当てられないための行動は、
剣道本来の目的である不動の精神を学ぶ上でマイナスになる場合が多い。
高齢の高段者は、そうしたことを自身の若い頃の経験を通して知っているから
若い人たちに余計な回り道をさせたくなくて、「正しい剣道」を教えようとする。
まあ、それがなかなか理解できないのも「若さ」かもしれない。
私もそうだった。
そのために10年は遠回りしてしまったと思う。
せかっく剣道をやるんだったら、
若い人たちには出来るだけ回り道はして欲しくないもものだね。
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