直心影流では現在もスネ打ちのある防具稽古を行っている.そこでは袈裟に打って
いる.ただ直心影流自体は新陰流などよりかなり一刀流や剣道に近い正対した姿勢
の部類に入ると思われる.半身の新陰,神道流系とはかなり違うものに思う.

所謂「袈裟懸け」とはいっても一刀流や剣道の方には自らの正中線を保ったまま
太刀筋だけ斜に斬るものと思うかもしれないが,神道流や新陰流や介者剣術で謂う
処の袈裟は一重身や斜(車)の構えと呼ぶ半身姿勢から肩を大きく傾いで重心
を倒して移しながら体重移動を利用して斬る袈裟切りを指している.

この様な正中線を固定しない身体運用も剣術には一般的だが,剣道側がこれを理解
出来るかが重要になって来ると思う.ただ太刀筋のみ袈裟なら胴打ちは既に袈裟にな
っているのだから.しかし大太刀や介者剣術に由来する傾いだ体の運用の袈裟は半身
や鐘木足の歩法と同様剣術の深い理合の根幹をなしている要素であるだけに剣道側
が理解,受容出来るかを問われるのだと思われる.

剣道が古流とりわけ神道,新陰流と共存するかは打突部位というよりやはり「半身,
鐘木足,体を傾ぐ運用」など術理の違いを理解するかに懸かっていると思う.しかし
剣道の形や構え(脇構えなど)にそういった古流の要素が存在するのだから本来は
幕末や明治期の様にそれらをも許容するのが本義なのだと思うのだが.

因みにスネを打つのに(現代)なぎなたの様に上から斬りおろして打つだけではなく
「斬り上げ」でも認めるのが本来だと思う.介者では斬り上げは「鼠径部(股間)」を
狙うものだが便宜的に脛当てを打つのが妥当だという経緯があるので.胴も全く同様に
一刀流の理合以外を認めるのなら水平や斬り上げで打つ事も有効にしなくてはならない.

あと裁付け袴(たっつけばかま)で着けるべきすね当てを股立ちして付けている訳だが
股立ちを極端にしなければそんなに不格好(主観だからなんともいえないが)ではない
と思うのだが・・