歴史的に鎌倉の頃の騎射戦の時代「太刀」は弓の補助,つまり拳銃の
様なサブアームだった.故に寸も短かった.
それがようやく刀が主武器になった南北朝時代に徒歩(かち)武者
が「大太刀」を遣った.介者剣術は長巻,大太刀,長刀のどれでも基本
は同じ半身で袈裟切り,大きく股を割る歩行.

それが本来の剣術で神道流や新陰流はそれを定寸の刀にも適用している.
一方で戦国が終り平時のみの素肌剣術中心になって一刀流が存在可能
になった.寧ろ一刀流こそ後発の例外的存在だったとも言えなくもない.

この事実に鑑みても,「殺陣」などが相変わらず半身袈裟切りなのからも
一刀流のみに偏重した現行剣道では不自然で,どちらも並立してもいいと
思う.その方法として,短刀,定寸,長寸,二刀に剣道競技が分かれて存在する
のもいい方法だと思う.

「なぎなた」は実際やってみれば分かるけれどあれは「女子薙刀」を
近代的集団稽古に対応させる為振り上げてから斬る「二段階操作」中心
で(だから構えが左足,左手が前になる)古流の男(大)薙刀の手法で
は遣えない(一本にならない).

近代化は剣道にも薙刀にも「画一化」を強要したと言えそうである.
日本には豊かな流儀の遺産があるのだから,それを活かす発想をする
のも先人への恩返しになるのではないだろうか.