■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目
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胸を突かれても無傷。
肩を袈裟懸けにされても無傷。
大腿部を斬られても無傷。
だが、小手を斬られると即死www
もう、ルールありきの、ただの竹刀競技だろ。 甲野さんは講習会とかで技がかからず恥かきまくりなんて話もあるようですが >>272
甲野氏も普通の人間なんだから掛かったり掛からなかったりが当たり前。
毎週通ってくる弟子にほぼ確実に技が掛かる合気道他の師範が異常。
異常ってのは馴れ合いが普通になってることだけどね。 たとえば黒田鉄山先生じゃ気楽に技をみせてくれないし! 高校と大学時代に日本一になった知り合いが現役バリバリの頃に10段の70過ぎのじいさんと試合する機会があって、
「10段つっても、あんなじいさんに負けるかよ!」
と思ってたら、ほとんど何も出来ずに負けたと言ってた。 >>271
筋力=スピードじゃないんだよ。
>>271さんは、筋肉には白筋・赤筋・中間筋があるのは知らないようだな。
瞬発力の競技者は、パワーの筋力とスピードの筋力の2つを意識して
トレーニングしてるんだよ。トレーニング法もそれぞれ違う。
筋力だけならボディビルダーに敵わないけど
スポーツ向きではない。
しかし重量挙げの選手は、ものすごいシュンパツ力を身につけている。
これは白筋のトレーニングによるものであの体で垂直跳び80オーバー
はかるくジャンプする。剣道なら遠間からかるく打ち込んでくるだろう。
しかもスピードがある打ちで。
やはり剣道も、シュンパツ力の競技、ウェイトトレーニングが有効だ。
シュンパツ力の競技で、ウェイトトレーニングをしない競技者はいない。
技術が互角なら、筋力特に速筋に優れた者には敵わない。
(100%とはいわないが)
確かに技術で、体力を負かすこともできることもあるだろうが。
そしたら、>>271さんは技術だけ磨けばよいとゆうことだが。
スポーツ理論を知る者たちからは、笑われるだけだろうけど。
今度のオリンピックの瞬発力競技で一般人のような体の人は間違いなくいないはず。 武器を扱う武道の場合の限定とゆうことだったんだね。
それでも、技術と瞬発力の両方トレーニングしたほうがいいよ。
瞬発力を身につけたほうが、技にキレがでるだろ。
瞬発力だけ意識してトレーニングしてもある程度パワーがついてしまうが。 乙、と書いて何か高尚な意見でも言ったつもりになっているのかね・・・。 >>276
これは、かなり間違ってるなー
ボディービルダーっていい体してるけど、筋力は殆ど無い
腕相撲でも半分くらいの腕の細い奴にころっと負ける
が、めったに腕相撲なんてしないのもボディービルダー
筋肉を傷めることを極端に嫌うから
重量挙げの選手はスピードが非常に遅い
これは、調査異性による破壊と再生を繰り返す事で必要な
筋力を得るトレーニングをするから
筋力、体重比が圧倒的に素早い移動に向いてない
ウエイトトレーニングには幾つかやり方がある
そのやり方で得られる筋力も全く違う
技術が互角というが、技術が全く解ってないし
スポーツ理論をもう少し理解してから書き込んでくれたほうが良いな
長いだけで嘘ばっかりだ こんなこと言ってるやつに限って色白メガネデブなんだな >>280
ウェイトトレーニングの実態を知らない人の妄言でした。 柔道は精神性が失われたというが、「外国のやり方を否定しないが
日本柔道を貫く」という姿勢は一貫している。精神性という名のもと
形式化を押し付ける剣道の世界よりも好感が持てる。
柔道界の態度のほうが潔さという点で、より高い精神性を保っているように
思われる。 >>280
君…、トレしたことないだろw
ビルダーやリフターどころか、ただのトレーですらないだろw 剣道は精神性を重んじるが、実は精神性が劣るとゆうことか。
否定から始まる馬鹿競技! >>287
お前の気持ちは痛いほど判るよ。
気にしなくて良い。結局人間なんて奇麗事言っても皆間違えて生まれてきたんだから。 左利きって構えのことかな?
別に規制されているわけじゃない
左腕前左足前でもいいし、左腕前右足前でもいい
教えられる人がいないだけ 授業でやる剣道じゃ左利きは左手前で構えるとか体育教師が言ってたなww
でも実際左利きが右手前に構えた方が全然有利なんだがなwww
まぁ実際やった事ない脳内には判らん事だがなwwww 釣りだと思うけど、有利不利の問題ではないと思うんだが。 左対右だと鐔競り合いの逆交差の判定はどうなるんだ? >>291
こういう都市伝説が当たり前のようにまかり通ってるのが今の剣道界。
もしおまえが右利きなら左手前にして構えてみろ。
どんだけやりにくいか馬鹿でもわかる。 左利きの選手全然いないじゃんかよぼけええええええええええ 薙刀は試合中に左右グリグリ変えるやんけ
剣道だってグリグリしてもいいはずだ 大小の刀は左腰にと、武士は右利きに矯正されますから仕方ありませんね 柳生新陰流「九箇之太刀」には左手左足前の型がある.
塚原卜伝の得意技だったとも伝えられる〜 左利きは上段に構えればいいだろう。
基本的に左手一本で打ち込めるからな。
>>297が言ってるように持ちが右手前なのは仕方ない。 >左利きのID:nxzQpMnT&ID:5S4/esiw&ID:OX88oFWZ
稽古不足なだけぢゃね? それならもっと防具を近代化した方が・・・
各部の新素材化と面の視界を改良するだけでもかなり違うはず.
左手前にまではいかないけども足の左右なら非連盟系なら歩み足の打ちもありなので. >>304
1kg前後。要は竹刀2本分と思えば良か。 重量自体はそうだが、形状の性質上それよりは重く感じる /~⌒⌒'Y⌒' 、 、i ,
/ Y ヽ - ○ -
l Y ヽ ´ノ `
l i~"~´  ̄`^´~゛゙i | (
| | ● | | ノ
ヽ / ,へ ,へ ヽ/
!、/ 一 一 V
|6| ||||| |. ||| i
ヽl /( 、, )\ !
| ヽヽ二フ ) /
丶 ┃ .ノ
| \ ヽ、_,ノ
. | ー-イ
>>303
それなら竹刀の形状もだな。カーボンでわざわざ竹棒の形を再現するなんて具の骨頂。
日本刀の刃(にあたる部分)や鎬、反りを持った構造にすべき。
当てっこに近くなると、年寄りが負けるから反対されるだろうな。 >>309
俺もカーボン竹刀を初めて見たときに、
何で竹に似せる必要があるんだ?、と不思議に思った。 竹刀の規定が体格に関係なく一律に(年齢,男女の区別のみで)
統一されてるのは体格の大きい選手に有利過ぎるかと.
戦前までは「三八の上限規定」だったと思うのだけど.
軽過ぎるものにしないように体格に応じて規定するとか・・・ 江戸後期に竹刀剣術の試合では規定がなく、4尺5寸〜5尺〜
さらに長く等。
長い竹刀を作り試合を有利にするものが続出したために
それを防ぐために3尺8寸の規定が作られた。
結局リーチが長いもののほうが有利で、5尺〜の竹刀ではもはや
剣術ではなく突くだけの槍的な動きになっていたそうな。
有名なのだと大石進とか。
「当てっこ竹刀の道」であって「剣の道」からは程遠いのが剣道
剣道も近年80年ほどの歴史しかないですからね 三所受けが汚いとか言われるけど、実際の切り合いならば別に万全の守りでもない。
小手面胴だけだからあんな形でも守れてしまう。 >>322
謙遜しなくて良いよ。
君くらいになると、相手が居なくても、手を出さなくても考えるだけでイけちゃうんだろ。 >>323
お主目の付けどころが玄人ぢゃのぅ。
かなりの素振りマスターと見た! 立ちんぼが真剣持ってて、打ち込みの甘い奴を斬るんだよ。
みな切られまいと懸命に稽古するから絶対に上達! 結局この話って好みの問題じゃないの?剣道も剣術もスポチャンも全部フィクションなんだから。
真剣じゃないけど木刀素面で打ち合いしたことはあるよ。怖かった。 あんなぁ。
毎朝だいたい決まった時間に起きて
30分ぐらいしたらウンコしたくなって
ドバ〜っと出て
残便感もなく
腸の中が空っぽになったような爽快感があるんやけど
またその30分以内にウンコしたくなって
1回目のドバ〜っの半分ぐらい出る。
その後はウンコしたいってことはなく
翌朝までウンコしない。
なんで二部構成やねん。
1回目終わったあの爽快感は何ですねん。
マジなんです。
というかちょっと古流武術が誤解を受けてる気がすんだが
古流武術が殺しの技術ばっかで殺し自体を目的にしてるとかさ。
そんなんなら現代社会で存在を認められないんじゃないか?
むしろ極限の状況を想定する事で武術としての動きが繊細かつ
極まった物になっていくことこそ、古流の醍醐味ではなかろうか?
そうなると当然精神論なども高度に発達すると思うんですが…
まあちょっと前のレス中にあった古流が無思想のチャンバラってのに
すごい嫌悪感を覚えたので…スイマセンはい(煽りには慣れてる筈なんだがねぇw)
べつに剣道が嫌いと言うわけではないですが、こういうこと言う人がいるとするなら一寸引く
まあ競技人口が多い分いろんな人がいる事でしょうし、古流を引き合いに出して
剣道は実践的でないというような、本当にこいつ古流やってんの?剣道と立ちあったこと案の?
って言うようなレスに腹が立ったのでしょうが・・・
(個人的に剣術の技は斬り合いには強いですが層の厚い剣道の上層選手は
実際に斬り合いしたとしたら強い人はたくさんいると思います。
つまり剣術は技に優れるが本気の人が少ない、剣道は本気が多いが技の洗練はされてないと。
うまい表現が見つからないですが…) 別に殺しを目的とした技でも、技術として、
伝統として、趣味として価値があれば
存在は認められるよ。
精神がどうの、道がどうのってのは
流派や個人ごとの問題だから気にすんな。
剣道やって勝ち負けに固執するのも自由
軍隊格闘技やって武道性を追求するのも自由。 剣道家からは古流は「禁じ手」が解禁されてるのが古流の一番の強み
であるとの偏見がある〜の意見には同意.
古流が目指すのは寧ろ「スポーツ的」な筋力や瞬発力では到達
出来ない術理へのロマンの追求.だから実現する人は稀だとの自覚
もちゃんとある.
古流側も剣道の(体力は年齢で衰えるし,ケガが多いけど)実践で鍛え
られた強さは充分認識しているもの.もしそうでない人がいたらそれ
は現実を知らないだけ.
古流修行者もどんどん防具稽古をすべきだと思う.
問題は剣道が打ち方や歩法に画一的な基準を当てはめ過ぎで
古流修行者がうまく両方の稽古を相乗効果的に修行しづらい
ところだろうと思う. >>337
まさしくそれです
古流も明治までは防具稽古が盛んでしたが、武徳会発足による
試合規則の制定に伴い撃剣稽古が減ったのは事実であり、
それは古流と剣道双方に大きな溝を作ったように思います。
そうでない流派も有るにはありますが…
試合規則はもっと術利(姿勢や発声、足捌き、竹刀捌き等)に関して自由になっても良いと思う。
当たり判定を増やした減らしたはあまり関係がないような気もせんでもない。 古流側でも有効打突部位が面,小手(左右),胴である事に特に異論は無いもの
と思う,せいぜいで脛(脛当て必要)までは検討すべきだろうけれど.
充分な打突のみが一本なのも一定の合理性は説明出来る.曰く実戦ではなかなか
踏み込めないものであるから軽いものは無効である云々.また人に拠っては剣道
の面は「面=おもて=目など」を斬りつけて怯ませてとどめをする残心で成立
していると唱える立場もある(これは居合の抜き付け,斬りおろしにも共通する)
しかし介者が基本となる古流では元来甲冑の隙をつくべく太刀筋が曲線するから
どうしても剣道(及び一刀流)の直線的斬りおろしとは噛み合ない.
しかし,実戦で袈裟切りや振り回す太刀に対応出来ないで済むものだろうか?
事実明治期の剣道家が園部武雄女史の風車の剣筋のなぎなたにいかに苦戦
したか知らない人はいまい.
古流の身体操作にはやはり刮目すべき深い理合が隠れているものだし,
剣道も試合にあってはそれら多様な背景の剣にも有効を認める寛容な
ルール規定であれば可能性は無限にひろがるものだと思う. 野糞は中学時代によくやったなぁ。
というのも男子トイレの個室の扉が閉まってると
「誰か糞してるぞ!誰や?誰や?誰や?」
よじ登って見られたりする。
見られた後はもうどうなるかわかりますよね。
だからとても学校で糞することなんて考えられなかった。
学校で糞したくなればひたすら我慢するしかなかった。
あの時は堂々と個室に入れる女子がうらやましかったなぁ。
学校終われば部活をサボって一目散に家に!
何時間も我慢できたはずの糞がもうすぐ出来ると思えば緩むのか
家に着くまでに漏れそうに。
はい。何度も野糞しました。
不思議なことにトイレで糞するより
野糞の方があの開放感というか気持ちいいというか。
あの頃以来、カバンやポケットに必ずティッシュを忘れずに入れておく
癖はついたけど高校生になって今日に至るまで
野糞はしておりません。
中学時代の良き思い出のひとつかも。
剣道云々かんぬん書いてるヤツの話って、だからどうした?
って事を一生懸命駄レスしてんよなwww ヨーグルトやと思って食べたら
木工用ボンドやった。
繊細である打ちと軽いだけの打ちは区別できるようなら
だいぶ変わるかなあ・・・ あんなぁ。
毎朝だいたい決まった時間に起きて
30分ぐらいしたらウンコしたくなって
ドバ〜っと出て
残便感もなく
腸の中が空っぽになったような爽快感があるんやけど
またその30分以内にウンコしたくなって
1回目のドバ〜っの半分ぐらい出る。
その後はウンコしたいってことはなく
翌朝までウンコしない。
なんで二部構成やねん。
1回目終わったあの爽快感は何ですねん。
マジなんです。
剣道の当たり判定というか、それも含めた現代剣道の価値観それ自体が
「剣」の技術の可能性を狭めているような気がして仕方ない。
例えば、上のほうで議論された「正しい剣道」などはその典型例。
要するにそこに言う「正しさ」とは、>>212が言うように
一部の人間の好みを強要しているだけのように思われる。
ルールの中で正当に勝利した宮崎正裕氏や中倉清氏に対し、碌な分析もなく
「汚い」、「変剣」などの負のレッテルを貼って疎外する態度は、
「自分に都合の悪いものは見ない」精神的ひきこもりではないか? ここでの問題の本質は「正剣」の理想とする剣道が真に
優位性から極まったスタイルであれば必死に「矯正」
しても本望と言えるだろうが,実際は常にそうだろうか?
高段者審査で求められる様なスタイルは「結果的に」無駄が
省けて至るべき境地であり,その形態だけを真似ても無意味
なのは自明.所謂達人の境地が形態模写で身に付く筈はなく
深い術理を積み上げなければならないだろう.
私見ではそういう領分は古流の様に形稽古からじっくり修行
する方が向いており,剣道自体は競技に特化してあくまでルール
内での錬磨で技術が発達するのに任せるべきではないだろうか?
この発想なら宮崎批判など生じなかったと思われる.
剣道の競技ルールが実戦性を離れないよう留意しつつも,競技
のもたらす切磋琢磨に任せるなら,自由な剣風や古流をベース
にした遣い手も出易いと思う.結果剣道人気も盛り返すと期待
したいのだが・・ >>346
>「正剣」の理想とする剣道が真に優位性から極まったスタイルであれば
>必死に「矯正」しても本望と言えるだろうが,実際は常にそうだろうか?
常にそうか否かどころか、非「正剣」とされた宮崎氏や中倉氏が
あれほどの実績を残している時点で「正剣」の優位性などないだろう。
特に宮崎氏の場合、常に否定的にみられるアウェー状態(審判含む)の
中での実績であることをリアルタイムでみているから、余計にそう思う。
>高段者審査で求められる様なスタイルは「結果的に」無駄が
>省けて至るべき境地であり,その形態だけを真似ても無意味
>なのは自明.
というか、技術を向上させたら「結果的に」高段者審査で求められる様な
「正剣」スタイルになる、というのが恐らく単なる思い込みだろう。
現に、中倉氏は九段になっても「変剣」というレッテルを貼られていた
わけだし。
そもそも中倉氏が「変剣」というレッテルを貼られたのは戦後になってから
であり、戦前にはそのような評価は存在しなかったという。
中倉氏のスタイルが戦前と戦後で変わっていないなら(変わっていないはず)、
『極まれば「正剣」になる』、が戦後に発生した思想だということがわかる。
そして、宮崎氏や中倉氏などの例をみると、繰り返すが「正剣」の優位性が
証明されたから「正剣」に圧倒的に傾いた現在の風潮が形成された、とは
いえないだろう。
多分に幼少からの「教育」の成果によってそのような風潮が形成された、
というのが正しいように思う。
考えてみれば、本来「剣」自体が多様な技術を内包しうるからこそ、
歴史上も異なる考え方を持った多くの優れた流派と人間たちを生んできた
わけで、『極まれば「正剣」になる』というのは歴史的にも正しくないのは
自明だ。 >>346
>剣道の競技ルールが実戦性を離れないよう留意しつつも,競技
>のもたらす切磋琢磨に任せるなら,自由な剣風や古流をベース
>にした遣い手も出易いと思う.
多様性を確保するなら、『極まれば「正剣」になる』という思想を相対化
しなければならない。だが、現代剣道を始めたときより刷り込まれた
上記の思想を相対化するのは、貴方が思う以上に困難だと思う。
現に貴方はこう書いているよね。
>高段者審査で求められる様なスタイルは「結果的に」無駄が
>省けて至るべき境地であり,その形態だけを真似ても無意味
>なのは自明.
ここには、『極まれば「正剣」になる』という思想的前提が明確に現れて
いると思うが、どうよ? >348
自分は必ずしも「正剣」が不合理だとは思いませぬ.
実際「正剣の総本山」高野佐三郎氏が遣い手であり数多の剣士を
寄せ付けぬ存在であったのがそれを証明していると思いますれば.
しかし同時期に中山博道があり軽妙な体裁きで相手を躱しつつ短めの
竹刀で翻弄する剣風で古流の玄義を剣道に活かしていたのも亦事実.
つまるところ「多様性」を容認し得た戦前と剣連の独裁体制の弊害
(戦前のイメージを払拭してスポーツとして認知される為に)規格
統一が行き過ぎた戦後剣道の差ではないかと存じまする.
剣道が狭い規格に収斂したのは主に政治的理由でしょう.
先の中倉清氏と縁深い植芝盛平(合気道)や国井善也(鹿島神流),黒田
泰治(改心流等)など古流遣い手と同時期に交流もあったにも却らず・・
少し前に空手道(全空連)は流派が型をお互い尊重しつつ組手競技では
純粋に競技に徹っせられる幸運を指摘する御仁もあられましたが空手と
剣道では流派と連盟の関係がかなり異なると謂う事かと.
柳生新陰流の先々代などは武徳会にも加わり,剣道にも関わっていますが,
どうにもそれが剣道の規格に影響した形跡は見られませぬ,剣道はあくまで
一刀流からの系譜に止まり袈裟切りや鐘木足は採用されずじまい.
園部女史の風車のなぎなたに翻弄された明治期の並み居る警視庁の剣士
たちはしかし,剣道を多様な流派の共存錬磨出来るものには遺してくれ
なかった訳であり,これも剣道と国民体育即ち教練の密接不可分の時世
ゆえかとも嘆息するばかり・・
>>350
>自分は必ずしも「正剣」が不合理だとは思いませぬ
同意。
問題なのは、多様性を排斥する風潮。
>つまるところ「多様性」を容認し得た戦前と剣連の独裁体制の弊害
>(戦前のイメージを払拭してスポーツとして認知される為に)規格
>統一が行き過ぎた戦後剣道の差ではないかと存じまする.
上記のように同意。
>剣道が狭い規格に収斂したのは主に政治的理由でしょう.
これまた同意。
戦後、剣道が生き残るには仕方がなかったのかもしれないが。 め〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!
その瞬間
プ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッツと
屁をこいたことある?
戦前にあった多様性を取り戻そうとしたら、柔道のように競技化を
もっと進めていくしかないと思う。
「競技化は剣道の本質を失わせる」という批判が必ず出てくるが、
その程度で失われる「本質」など、本質とはいえないのではないか。
柔道の場合、各国が元々自国がもっていた格闘技をもとにして
独自の技術を編み出してきており、日本はそれに対応を迫られている。
石井慧などは日本固有の技術に加えて、外国柔道の研究も怠りなくやって
勝利した好例だ。
自分の価値観に合わないやり方に対し「それは正しくない」などと
負のレッテルを貼ってネガティブキャンペーンをやるよりも、
各国の独自の技術を尊重・研究しつつ自分の技術を伸ばしていくほうが
正しい態度だと思う、 先にあった「実戦性」が重要と心得る.
柔道にあってアイデンティティーは「道着」でもあるが歴史
に従えば「組み討ち」であろう.サンボ的な捨て身技を是認
するか否かも敵が刃物(小刀類)を帯び,或は自ら甲冑を着て
いて尚,その技が相手に飛びかかり組み伏せ首が刈れるかが
「一本」の基準であるべきだと.
剣道あっては当然「日本刀」であろう.
太刀,打刀を問わず日本刀に準じて運用が作(な)されて
いれば燕返しよろしく「切り上げ」ようが水平に胴を薙
ごうが,上段で風車に振り面を狙おうが本来は是しであろう.
(ただ横面に就いては鼓膜破損の危険も考慮は必要かと)
よく指摘される「刺し面」批判だが,一部からは「太刀」
での介者剣術では深い太刀の反りを利用して下から相手を
斬る刀法があり,これは刺し面とも通じるとの意見もある
ようで「実戦性=刀」から大振りのみを礼賛する考えにも
一定の批判の余地があると思われる.
なぎなたは現在も時折剣道と交流試合があるが,女子の競技
なぎなたに留まらず古流の長刀,長巻きの刀法も交流して貰
いたいものだと思う.それにより定寸化以降喪われた大太刀
の理合と一刀流が同じ土俵で競う事も叶い多いに研究に貢献
するのではないかと.
こういった「実戦」優先の考えと「スポーツ」だから竹刀競技
でいいとの意見もありどこに基準を置くかもまた意見の分かれる
ところだと思われるが. 剣道に「実戦性」が必ずしも必要ないというのは、上のほうでも議論されて
いたよね。それならそれでいいと個人的には思うが、現在の状況では
あまりに思想統一が行き過ぎて「剣」の技術の可能性を狭めていることは
否めない。
ルール上問題なく勝っている勝者に対して、気に入らない場合には
負のレッテルを貼って激しく批判するという剣道の世界独特の悪習に
それが現れている。宮崎氏や中倉氏に対する批判の例は、その典型だ
もしルールに不備があるというなら変更すればいいだけのことなのだが、
それはせず、ひたすらネチネチ批判し同調圧力をかけるだけ。
ムラ社会的体質。
ルール上問題なく勝っている勝者を称える、ルールに不備があるなら
変更する、ルールの中での技術に意味不明な制限をかけない、など、
まともな競技化への道を進むのが良いと思う。 昨夜飲みすぎた。おつまみの柿ピーも食いすぎた。
夜中に息苦しさで目が覚めまた寝るの繰り返し。
柿ピーが効いてきたのか自分の屁でも目が覚める始末。
それ以降、息苦しさはなくなったが屁の連発が止まらない。
朝になりうんこしにトイレ行ったら確かな手ごたえ。
しかしでかい屁が一発でうんこは少量。
そしたらまたうんこしたくなって今度はちゃんと出た。
家を出てしばらくしたらまたうんこがしたくなり
誰でも入れる某トイレで今日3回目のうんこ。
それ以降、うんこはしたくならないけど
屁が止まらない。
出るときは思いっきり
ブ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ
又は
プ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ
けどなんか出たぞ〜ってな感じですがすがしい。
また休みの前夜には飲みすぎて柿ピー食いすぎて
思いっきり屁をここうと思った。
楽しみだw
>>356
フェンシングのエペとかフルーレ見たいに色んなルールを作るって云うのは如何かな。
現行の侭のルールと剣術の様なルールと二通り遣ってみたら如何だろう。 >>358
いいね。
そのほうが、ルール自体を相対化しやすい。 そもそも、剣道って見世物のためのスポーツじゃないだろ フェンシングが三つに分かれてるのはそれぞれ使う得物が違うから。
剣道でそれを言っても一刀と二刀の違いくらいしかないだろう。
二刀は競技者自体が少ないから今あえて分ける必要などない。 「短剣道」がある.
銃剣道に付随してる扱いではあるけど.
なぎなただってある意味「長刀」剣道
と言えなくもない・・(?!)
二刀だって本来独立しててもいいはず
だし,4尺以上の竹刀の剣道の存在(半身,
スネあり)だって当然あってもいい.
剣道が単一競技であるべき理由こそ寧ろ
ないとも言えるだろう. >>362
>二刀だって本来独立しててもいいはず
二刀は今分ける必要がないというだけで、独立してはいけないとは言ってない。
>4尺以上の竹刀の剣道の存在(半身, スネあり)だって当然あってもいい.
4尺以上の竹刀が刀といえるかどうか正直微妙。
遠間から脛ありの剣道がしたければ自分で「長刀」剣道と呼んでるのに、単純になぎなたやればいいだけだろう。
>剣道が単一競技であるべき理由こそ寧ろないとも言えるだろう.
二刀には独立しろと言っておいて、言ってることが矛盾してないか?
>>363
>試合で長刀対短刀があってもいい
短刀使って長刀相手に勝てるのか正直疑問。
剣道三倍段の意味を知っていれば普通は敬遠するだろう。
結局今剣道が抱えている問題はルール変更で解消できるようなものではないと思う。
グチグチ言う奴には言わせておけばいいし、必要なのはそれに耐えて自分の信念を貫く気合と根性だけだろう。 短刀が長刀より不利なら
不利な状況を打開する策を施すのが武道だと思うので
短刀を規制する必要は無いね
小太刀の型だってあるんだし
宝の持ち腐れ 小太刀が不利だの剣道三倍段だの
つまるところ勝敗にこだわってるだけじゃないのか? 歴史的に鎌倉の頃の騎射戦の時代「太刀」は弓の補助,つまり拳銃の
様なサブアームだった.故に寸も短かった.
それがようやく刀が主武器になった南北朝時代に徒歩(かち)武者
が「大太刀」を遣った.介者剣術は長巻,大太刀,長刀のどれでも基本
は同じ半身で袈裟切り,大きく股を割る歩行.
それが本来の剣術で神道流や新陰流はそれを定寸の刀にも適用している.
一方で戦国が終り平時のみの素肌剣術中心になって一刀流が存在可能
になった.寧ろ一刀流こそ後発の例外的存在だったとも言えなくもない.
この事実に鑑みても,「殺陣」などが相変わらず半身袈裟切りなのからも
一刀流のみに偏重した現行剣道では不自然で,どちらも並立してもいいと
思う.その方法として,短刀,定寸,長寸,二刀に剣道競技が分かれて存在する
のもいい方法だと思う.
「なぎなた」は実際やってみれば分かるけれどあれは「女子薙刀」を
近代的集団稽古に対応させる為振り上げてから斬る「二段階操作」中心
で(だから構えが左足,左手が前になる)古流の男(大)薙刀の手法で
は遣えない(一本にならない).
近代化は剣道にも薙刀にも「画一化」を強要したと言えそうである.
日本には豊かな流儀の遺産があるのだから,それを活かす発想をする
のも先人への恩返しになるのではないだろうか. >>365
別にあんたの武道観なんか知らないし、現行ルールでも長さ制限はあっても下限はないから
重量さえクリアできたら小太刀でも出れるだろう。
それよりそんなに小太刀にこだわるなら>>362がいってる短剣道をやったらどうなんだ?
>>366
>小太刀が不利だの剣道三倍段だのつまるところ勝敗にこだわってるだけじゃないのか?
もともとが勝負にこだわる剣術家の言うようなことじゃない。
>>367
>一刀流のみに偏重した現行剣道では不自然で,どちらも並立してもいいと思う
現代剣道が一刀流の流れをくんでいるというだけで、その他が競技化しないのは
そちら側であえてそうしてるからだろう。
>短刀,定寸,長寸,二刀に剣道競技が分かれて存在するのもいい方法だと思う
もうすでに短剣道、剣道、なぎなたでそうなってるでしょう。
それともそれらをすべてひっくるめて剣道と言いたいの?
>近代化は剣道にも薙刀にも「画一化」を強要したと言えそうである
それぞれに事情があることを分かれ。
それに問題があるなら一つ一つ具体的に提案すればいいだけだろう。
言ってることが抽象的すぎてさっぱりわからない。 現行ルールでも、もっと多様な技術が可能なはず。
変えるべきは頭の中身。
ルールの中で正当に勝利した現役時代の宮崎正裕氏に対し、
碌な分析もなく「汚い」、「変剣」などの負のレッテルを貼り
当時の剣道界をあげて疎外した態度こそ、狭量な体質、
頭の硬さを示す典型例。
基本的には、現在も変わっていないのではないか? ttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa3804810.html
ちょいと面白い質問があった。
得物が違うから当然技術は全然違うけど、
正中線の話とかは興味深いね…
ものすごい素直な意見だと思った。 >>368別にこだわりなんかないし今のままでも構わない。
実際に稽古しても、端から見ていても剣道やってる人間は懐が狭い奴が多いと感じているだけだから。
で、>>364と同一人物とお見受けするから質問するが、なぜあなたは今のルールにこだわるのか聞かせてくれないか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています