■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
胸を突かれても無傷。
肩を袈裟懸けにされても無傷。
大腿部を斬られても無傷。
だが、小手を斬られると即死www
もう、ルールありきの、ただの竹刀競技だろ。 正剣=武術的に正しい=筋力を使わない
にならないのが致命的!
宮崎選手のはやさは体重移動の巧さだろう。かの中山博道も腰に重しをつけて稽古した様に、体重を利用しない限り筋力を克服した境地にはならない。
中倉清的な正中線も然り、体重の運用の為に必然的に具わったもの。
そのカタチだけ真似て凝り固まった姿勢を強要してるのが戦後の正剣だろう。
それじゃあ結局筋力で補うだけだから結局年齢で衰える。
剣道家の想定する古流には一刀流が多く、新陰流や神道流等は余り意識されないかも知れない。しかし逆に一般人には時代劇や歌舞伎で見馴れた袈裟懸けや半身でのめり込んで斬る方が「日本的」と映るはず。正剣と豪語しても一般人には別の世界の話。
筋力を遣わず体重や体内筋力を駆使する剣術には正剣の基準は通用しない。剣道はそこに謙虚になり剣道を狭い世界に完結させない度量が欲しい。
また古流ももう一度竹刀競技を幕末の様に自由な基準で復活させたらよい反証になるはずだ。 >>250
剣道が国際競技化することを危惧している人は多いだろうな
>>251
こういう書き込みをみると、古流には素晴らしいノウハウが沢山あることが
推察され、習いたくなる。 一つの示唆としては
古流もピンキリで真贋はまちまち。
ただ介者剣術の時代は太刀以外に大太刀長巻薙刀と得物が長大で元から腕力では扱えないので体重や重心を扱うノウハウが蓄積された。
刀が定寸化して剣術も形骸化のリスクが発生したとも。
その意味では現代剣道の竹刀はいかにも腕力に頼ってしまいがちな寸貫目かも知れない、古流ではもっと軽いかもっと重いかのどちらか。
新陰流の木刀も袋しないもかなり短く軽いし、直心影流では短い袋竹刀と重い木刀や振り棒を使う。
いずれも「軽い刀を重く 重い刀を軽く」を学ぶ為。薙刀(長刀)も古流の木刀は重い。故に介者剣術式に股を深く割る構えを取る。大太刀でも然り。これが軽々振り回し出来たら術の域に入る。 古流の動きってのは、重心の移動を、筋力ではなくタイミングでやるんだ。
脱力して重心を移動して力を入れる。この細かい繰り返しで体をあやつる。
で、「斜め」に動くんだ。
この動きは(観客としてみてもわからないと思うが)直接対戦すると消えたように見える。
消えたというと大げさだけど、瞬間移動されたというのか、視界には入ってるんだけど
「え! そこにいるの?」みたいな感覚ね。
これは膝をつかって、すり足で踵から踏み込む運足なんだけど、剣道って「足を上げて」
踏み込むからどうやってもワンテンポ遅れるんだよな。
動きも読まれるし、怪我の原因にもなりやすい。
あれはなんの意味があるんだろうね。
宮崎氏のビデオを見た事はないが、おそらく踏み込みも摺り足に近いはず。
私見では剣道の跳び込み足は一刀流の沈身(膝抜き)の歩み足がかなり
劣化したカタチなんじやないかと推察する.
正対して体重を活かせば沈身が普通だろうから.(切り落としの際に)
実際薬丸自顕流なんかは思いっきり沈身して斬りおろす.
しかしこれは半身で「掛かり身」と呼ぶ肩から傾いで体重を利用する
鐘木足,一文字腰(股割りの姿勢)の系統(新陰流など)よりも或は
習得が難しいとも思える.
だから一刀流では明治大正の「兵隊さん」には難しいし,敵にまっすぐ
「突撃ー!」させるには剣道の跳び込み足で充分だった・・・なんて
のは想像したくないけど.実際剣道の根本思想は「相打ち」上等の「
一歩踏み込め 後は極楽」だし・・・
剣ど〜なんて、どうせマイナーな、運動能力や運動センスがイマイチの人達の
競技だということ、これは間違いない。
人気スポーツなら、その競技をしていなくても人々は観戦するが、剣道は競技者
以外は興味を示すことは無い。
だから、勝者を非難できたり、上の立場になると何でも非難することが公然と
許される間違いなく独占的・閉鎖的競技だ。
他の競技で、勝者を称えず、非難したら、非難した者が非難されるが、
剣ど〜は、マイナー競技だから許される。
なんだかんだ議論しても、合理的より不合理が尊重される馬鹿競技だよ!
だから、剣道してる者は、頭の柔軟性の欠ける人物が多い。
>>257
剣道が一般の人にあまり人気がないのは、一般の人には
勝ち負けがよく分からないからだと思う。僕自身も、ある程度
上達するまでは、相打ちのときなどどちらが勝ちなのか全く
分からなかった。メジャーなスポーツにはならないだろうし、
ならなくてもよいと思う。剣道は、武道とスポーツの中間のような
特殊なスポーツだ。 棒や剣で勝敗を追求する運動体系は現在でこそ徒手格闘におされて相対的に若干関心はうすれたが人類史とともに興味の尽きた事のないものだと思う。
逆になんで球技や陸上の記録に人がそんなに夢中になれるのか昔から謎だった自分にはかなり特殊な攻防に限定されるフェンシングなんかより剣道は全然これからも関心のある対象だと思う。
だからこそ狭い人々の都合だけて完結しない透明性や多様性が保証されて欲しいもの。
剣道が上達するかどうかは、一に指導者に依る。もちろん個人の体力・資質
が基礎になるが、下手な指導者に習っていると、資質があっても上達しない。
やみくもに「かかり稽古」や実戦形式の稽古ばかりさせる指導者は最悪だ。
相手の竹刀の動きにどのように対応していくか、さまざまな場合を一つ一つ
丁寧に分析して指導出来るような知性のある指導者に習うと、驚くほど上達が
早い。(本人の努力は当然必要だが・・。)
■阪神大震災「ざまー見ろ」と騒いだ朝鮮人
るんるん ♪ 阪 神 大 震 災
∧_∧ ♪ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<丶`∀´> <
( 在日 ) │ 日本人が地震で 6千人も死んだぞ
| | | │
〈_フ__フ │ いい気味だ ざまー見ろー!
【生活保護】 │
【二十数万】 │ もっといっぱい 死ねばいいニダー
【生活保護】 │
【二十数万】 \_________________ >>261
同じように指導者がデタラメなおかげで努力しても報われなかった選手も数多くいる。
これも剣道に批判的な人間が多い理由の一つになっているだろう。 剣道に批判があるのではなく、
今の主流の剣道の不合理的な考えに批判があるのだと思う。
剣道はこうあるべき的、狭き考えが横行してるのに批判がある。 ここの否定ゴタク厨は日本語からして未熟だね
ファッションって言葉もとんちんかんな使い方してた癖に
必死でお茶を濁して逃げてるね
良くこんなチンカス相手にまじめにレスできるよな
剣道やる奴って忍耐力が尋常じゃねーなw 己の信念を貫けぬ者は何をしても同じ
求めれば得られるでしょう、剣道等以外でも >>267
同意
剣道だけが特別なんて思ってる剣道家が多いこと。
何だかんだ言ってもスポーツは、運動能力・センスなんだよ!
中学から剣道始めて、指導者もいない遊び剣道部でその運動能力で高校にスカウトされ。
中学県大会で優勝した2人に、最初から勝てたのは身体能力・運動センスがあったからほかならないんだよ。
精神力も確かに大切だが、身体能力を高めることが勝つためには重要なことだ。
剣道は筋力は関係ない、何が体重移動だ?
瞬発力筋に優れた者がかなり有利なんだよ。
けして勝つだけじゃなく精神修養も大切だが、競技を行う以上勝つ事を
目的にしないことはおかしい。
じゃあとりあえず>268は甲野氏に挑戦してみれくれ!
自慢の筋力や瞬発力を駆使して甲野氏の技を破ってからにしてくれぃ〜甲野氏は(私見では失礼ながら)「最高峰」じゃないが、今一番敷居が低く古流武術を体験させてくれる人だから、まじで簡単に参加出来るから(笑)
遅レスだが、
>>158
>「正しい剣道」なるものが競技への特化だけでなく、
>博道の系統までほぼ全滅に追い込む態度が問題なのでは?
同意。これが一番の問題。
何を信じるかは人の勝手で、「正しい剣道」を信じる人がいても
別に構わないが、やり方が非常に排他的。
>相手の剣風にまで注文をつけるようじゃ、外国に負けて当然だわな。
負けて当然だし、「剣風が・・・」と日本の現代剣道の世界でしか
通じない理屈を持ち出したところで、諸外国に対して説得力があるのか、
正直疑問に思う。 >>268
剣道だけじゃなく、武器を扱う武道の場合は、筋力よりも技のほうが大切なのよ。
理由は二つあって
一つには、筋力があろうがなかろうか両者の破壊力は同等と扱われること。
二つ目には、スピードは(必ずしも)筋力に比例しない事。
これは古流武術の基本的な考え方ね。
だから高齢者でも短い時間ならとんでもない強さを発揮できるわけ。
実戦を想定すると、それなりのスピードで刀が触れれば斬れちゃうわけで、
剣道でも、いいタイミングで当たれば一本になる。
KOパンチみたいなものはないし、威力があるから二本分とかにはならないので
筋肉をつけて破壊力を磨く必要はない。
また、剣先をかわす、わずか一寸(3センチ)ほどの動きに筋力はさほど関係
ないし、剣を振り下ろす速度も、筋力があるから速いというものでもない。
競技である以上、勝つことが大切というのは同意。
勝利を得る為の努力で、精神が磨かれる面もあるからね、 甲野さんは講習会とかで技がかからず恥かきまくりなんて話もあるようですが >>272
甲野氏も普通の人間なんだから掛かったり掛からなかったりが当たり前。
毎週通ってくる弟子にほぼ確実に技が掛かる合気道他の師範が異常。
異常ってのは馴れ合いが普通になってることだけどね。 たとえば黒田鉄山先生じゃ気楽に技をみせてくれないし! 高校と大学時代に日本一になった知り合いが現役バリバリの頃に10段の70過ぎのじいさんと試合する機会があって、
「10段つっても、あんなじいさんに負けるかよ!」
と思ってたら、ほとんど何も出来ずに負けたと言ってた。 >>271
筋力=スピードじゃないんだよ。
>>271さんは、筋肉には白筋・赤筋・中間筋があるのは知らないようだな。
瞬発力の競技者は、パワーの筋力とスピードの筋力の2つを意識して
トレーニングしてるんだよ。トレーニング法もそれぞれ違う。
筋力だけならボディビルダーに敵わないけど
スポーツ向きではない。
しかし重量挙げの選手は、ものすごいシュンパツ力を身につけている。
これは白筋のトレーニングによるものであの体で垂直跳び80オーバー
はかるくジャンプする。剣道なら遠間からかるく打ち込んでくるだろう。
しかもスピードがある打ちで。
やはり剣道も、シュンパツ力の競技、ウェイトトレーニングが有効だ。
シュンパツ力の競技で、ウェイトトレーニングをしない競技者はいない。
技術が互角なら、筋力特に速筋に優れた者には敵わない。
(100%とはいわないが)
確かに技術で、体力を負かすこともできることもあるだろうが。
そしたら、>>271さんは技術だけ磨けばよいとゆうことだが。
スポーツ理論を知る者たちからは、笑われるだけだろうけど。
今度のオリンピックの瞬発力競技で一般人のような体の人は間違いなくいないはず。 武器を扱う武道の場合の限定とゆうことだったんだね。
それでも、技術と瞬発力の両方トレーニングしたほうがいいよ。
瞬発力を身につけたほうが、技にキレがでるだろ。
瞬発力だけ意識してトレーニングしてもある程度パワーがついてしまうが。 乙、と書いて何か高尚な意見でも言ったつもりになっているのかね・・・。 >>276
これは、かなり間違ってるなー
ボディービルダーっていい体してるけど、筋力は殆ど無い
腕相撲でも半分くらいの腕の細い奴にころっと負ける
が、めったに腕相撲なんてしないのもボディービルダー
筋肉を傷めることを極端に嫌うから
重量挙げの選手はスピードが非常に遅い
これは、調査異性による破壊と再生を繰り返す事で必要な
筋力を得るトレーニングをするから
筋力、体重比が圧倒的に素早い移動に向いてない
ウエイトトレーニングには幾つかやり方がある
そのやり方で得られる筋力も全く違う
技術が互角というが、技術が全く解ってないし
スポーツ理論をもう少し理解してから書き込んでくれたほうが良いな
長いだけで嘘ばっかりだ こんなこと言ってるやつに限って色白メガネデブなんだな >>280
ウェイトトレーニングの実態を知らない人の妄言でした。 柔道は精神性が失われたというが、「外国のやり方を否定しないが
日本柔道を貫く」という姿勢は一貫している。精神性という名のもと
形式化を押し付ける剣道の世界よりも好感が持てる。
柔道界の態度のほうが潔さという点で、より高い精神性を保っているように
思われる。 >>280
君…、トレしたことないだろw
ビルダーやリフターどころか、ただのトレーですらないだろw 剣道は精神性を重んじるが、実は精神性が劣るとゆうことか。
否定から始まる馬鹿競技! >>287
お前の気持ちは痛いほど判るよ。
気にしなくて良い。結局人間なんて奇麗事言っても皆間違えて生まれてきたんだから。 左利きって構えのことかな?
別に規制されているわけじゃない
左腕前左足前でもいいし、左腕前右足前でもいい
教えられる人がいないだけ 授業でやる剣道じゃ左利きは左手前で構えるとか体育教師が言ってたなww
でも実際左利きが右手前に構えた方が全然有利なんだがなwww
まぁ実際やった事ない脳内には判らん事だがなwwww 釣りだと思うけど、有利不利の問題ではないと思うんだが。 左対右だと鐔競り合いの逆交差の判定はどうなるんだ? >>291
こういう都市伝説が当たり前のようにまかり通ってるのが今の剣道界。
もしおまえが右利きなら左手前にして構えてみろ。
どんだけやりにくいか馬鹿でもわかる。 左利きの選手全然いないじゃんかよぼけええええええええええ 薙刀は試合中に左右グリグリ変えるやんけ
剣道だってグリグリしてもいいはずだ 大小の刀は左腰にと、武士は右利きに矯正されますから仕方ありませんね 柳生新陰流「九箇之太刀」には左手左足前の型がある.
塚原卜伝の得意技だったとも伝えられる〜 左利きは上段に構えればいいだろう。
基本的に左手一本で打ち込めるからな。
>>297が言ってるように持ちが右手前なのは仕方ない。 >左利きのID:nxzQpMnT&ID:5S4/esiw&ID:OX88oFWZ
稽古不足なだけぢゃね? それならもっと防具を近代化した方が・・・
各部の新素材化と面の視界を改良するだけでもかなり違うはず.
左手前にまではいかないけども足の左右なら非連盟系なら歩み足の打ちもありなので. >>304
1kg前後。要は竹刀2本分と思えば良か。 重量自体はそうだが、形状の性質上それよりは重く感じる /~⌒⌒'Y⌒' 、 、i ,
/ Y ヽ - ○ -
l Y ヽ ´ノ `
l i~"~´  ̄`^´~゛゙i | (
| | ● | | ノ
ヽ / ,へ ,へ ヽ/
!、/ 一 一 V
|6| ||||| |. ||| i
ヽl /( 、, )\ !
| ヽヽ二フ ) /
丶 ┃ .ノ
| \ ヽ、_,ノ
. | ー-イ
>>303
それなら竹刀の形状もだな。カーボンでわざわざ竹棒の形を再現するなんて具の骨頂。
日本刀の刃(にあたる部分)や鎬、反りを持った構造にすべき。
当てっこに近くなると、年寄りが負けるから反対されるだろうな。 >>309
俺もカーボン竹刀を初めて見たときに、
何で竹に似せる必要があるんだ?、と不思議に思った。 竹刀の規定が体格に関係なく一律に(年齢,男女の区別のみで)
統一されてるのは体格の大きい選手に有利過ぎるかと.
戦前までは「三八の上限規定」だったと思うのだけど.
軽過ぎるものにしないように体格に応じて規定するとか・・・ 江戸後期に竹刀剣術の試合では規定がなく、4尺5寸〜5尺〜
さらに長く等。
長い竹刀を作り試合を有利にするものが続出したために
それを防ぐために3尺8寸の規定が作られた。
結局リーチが長いもののほうが有利で、5尺〜の竹刀ではもはや
剣術ではなく突くだけの槍的な動きになっていたそうな。
有名なのだと大石進とか。
「当てっこ竹刀の道」であって「剣の道」からは程遠いのが剣道
剣道も近年80年ほどの歴史しかないですからね 三所受けが汚いとか言われるけど、実際の切り合いならば別に万全の守りでもない。
小手面胴だけだからあんな形でも守れてしまう。 >>322
謙遜しなくて良いよ。
君くらいになると、相手が居なくても、手を出さなくても考えるだけでイけちゃうんだろ。 >>323
お主目の付けどころが玄人ぢゃのぅ。
かなりの素振りマスターと見た! 立ちんぼが真剣持ってて、打ち込みの甘い奴を斬るんだよ。
みな切られまいと懸命に稽古するから絶対に上達! 結局この話って好みの問題じゃないの?剣道も剣術もスポチャンも全部フィクションなんだから。
真剣じゃないけど木刀素面で打ち合いしたことはあるよ。怖かった。 あんなぁ。
毎朝だいたい決まった時間に起きて
30分ぐらいしたらウンコしたくなって
ドバ〜っと出て
残便感もなく
腸の中が空っぽになったような爽快感があるんやけど
またその30分以内にウンコしたくなって
1回目のドバ〜っの半分ぐらい出る。
その後はウンコしたいってことはなく
翌朝までウンコしない。
なんで二部構成やねん。
1回目終わったあの爽快感は何ですねん。
マジなんです。
というかちょっと古流武術が誤解を受けてる気がすんだが
古流武術が殺しの技術ばっかで殺し自体を目的にしてるとかさ。
そんなんなら現代社会で存在を認められないんじゃないか?
むしろ極限の状況を想定する事で武術としての動きが繊細かつ
極まった物になっていくことこそ、古流の醍醐味ではなかろうか?
そうなると当然精神論なども高度に発達すると思うんですが…
まあちょっと前のレス中にあった古流が無思想のチャンバラってのに
すごい嫌悪感を覚えたので…スイマセンはい(煽りには慣れてる筈なんだがねぇw)
べつに剣道が嫌いと言うわけではないですが、こういうこと言う人がいるとするなら一寸引く
まあ競技人口が多い分いろんな人がいる事でしょうし、古流を引き合いに出して
剣道は実践的でないというような、本当にこいつ古流やってんの?剣道と立ちあったこと案の?
って言うようなレスに腹が立ったのでしょうが・・・
(個人的に剣術の技は斬り合いには強いですが層の厚い剣道の上層選手は
実際に斬り合いしたとしたら強い人はたくさんいると思います。
つまり剣術は技に優れるが本気の人が少ない、剣道は本気が多いが技の洗練はされてないと。
うまい表現が見つからないですが…) 別に殺しを目的とした技でも、技術として、
伝統として、趣味として価値があれば
存在は認められるよ。
精神がどうの、道がどうのってのは
流派や個人ごとの問題だから気にすんな。
剣道やって勝ち負けに固執するのも自由
軍隊格闘技やって武道性を追求するのも自由。 剣道家からは古流は「禁じ手」が解禁されてるのが古流の一番の強み
であるとの偏見がある〜の意見には同意.
古流が目指すのは寧ろ「スポーツ的」な筋力や瞬発力では到達
出来ない術理へのロマンの追求.だから実現する人は稀だとの自覚
もちゃんとある.
古流側も剣道の(体力は年齢で衰えるし,ケガが多いけど)実践で鍛え
られた強さは充分認識しているもの.もしそうでない人がいたらそれ
は現実を知らないだけ.
古流修行者もどんどん防具稽古をすべきだと思う.
問題は剣道が打ち方や歩法に画一的な基準を当てはめ過ぎで
古流修行者がうまく両方の稽古を相乗効果的に修行しづらい
ところだろうと思う. >>337
まさしくそれです
古流も明治までは防具稽古が盛んでしたが、武徳会発足による
試合規則の制定に伴い撃剣稽古が減ったのは事実であり、
それは古流と剣道双方に大きな溝を作ったように思います。
そうでない流派も有るにはありますが…
試合規則はもっと術利(姿勢や発声、足捌き、竹刀捌き等)に関して自由になっても良いと思う。
当たり判定を増やした減らしたはあまり関係がないような気もせんでもない。 古流側でも有効打突部位が面,小手(左右),胴である事に特に異論は無いもの
と思う,せいぜいで脛(脛当て必要)までは検討すべきだろうけれど.
充分な打突のみが一本なのも一定の合理性は説明出来る.曰く実戦ではなかなか
踏み込めないものであるから軽いものは無効である云々.また人に拠っては剣道
の面は「面=おもて=目など」を斬りつけて怯ませてとどめをする残心で成立
していると唱える立場もある(これは居合の抜き付け,斬りおろしにも共通する)
しかし介者が基本となる古流では元来甲冑の隙をつくべく太刀筋が曲線するから
どうしても剣道(及び一刀流)の直線的斬りおろしとは噛み合ない.
しかし,実戦で袈裟切りや振り回す太刀に対応出来ないで済むものだろうか?
事実明治期の剣道家が園部武雄女史の風車の剣筋のなぎなたにいかに苦戦
したか知らない人はいまい.
古流の身体操作にはやはり刮目すべき深い理合が隠れているものだし,
剣道も試合にあってはそれら多様な背景の剣にも有効を認める寛容な
ルール規定であれば可能性は無限にひろがるものだと思う. 野糞は中学時代によくやったなぁ。
というのも男子トイレの個室の扉が閉まってると
「誰か糞してるぞ!誰や?誰や?誰や?」
よじ登って見られたりする。
見られた後はもうどうなるかわかりますよね。
だからとても学校で糞することなんて考えられなかった。
学校で糞したくなればひたすら我慢するしかなかった。
あの時は堂々と個室に入れる女子がうらやましかったなぁ。
学校終われば部活をサボって一目散に家に!
何時間も我慢できたはずの糞がもうすぐ出来ると思えば緩むのか
家に着くまでに漏れそうに。
はい。何度も野糞しました。
不思議なことにトイレで糞するより
野糞の方があの開放感というか気持ちいいというか。
あの頃以来、カバンやポケットに必ずティッシュを忘れずに入れておく
癖はついたけど高校生になって今日に至るまで
野糞はしておりません。
中学時代の良き思い出のひとつかも。
剣道云々かんぬん書いてるヤツの話って、だからどうした?
って事を一生懸命駄レスしてんよなwww ヨーグルトやと思って食べたら
木工用ボンドやった。
繊細である打ちと軽いだけの打ちは区別できるようなら
だいぶ変わるかなあ・・・ あんなぁ。
毎朝だいたい決まった時間に起きて
30分ぐらいしたらウンコしたくなって
ドバ〜っと出て
残便感もなく
腸の中が空っぽになったような爽快感があるんやけど
またその30分以内にウンコしたくなって
1回目のドバ〜っの半分ぐらい出る。
その後はウンコしたいってことはなく
翌朝までウンコしない。
なんで二部構成やねん。
1回目終わったあの爽快感は何ですねん。
マジなんです。
剣道の当たり判定というか、それも含めた現代剣道の価値観それ自体が
「剣」の技術の可能性を狭めているような気がして仕方ない。
例えば、上のほうで議論された「正しい剣道」などはその典型例。
要するにそこに言う「正しさ」とは、>>212が言うように
一部の人間の好みを強要しているだけのように思われる。
ルールの中で正当に勝利した宮崎正裕氏や中倉清氏に対し、碌な分析もなく
「汚い」、「変剣」などの負のレッテルを貼って疎外する態度は、
「自分に都合の悪いものは見ない」精神的ひきこもりではないか? ここでの問題の本質は「正剣」の理想とする剣道が真に
優位性から極まったスタイルであれば必死に「矯正」
しても本望と言えるだろうが,実際は常にそうだろうか?
高段者審査で求められる様なスタイルは「結果的に」無駄が
省けて至るべき境地であり,その形態だけを真似ても無意味
なのは自明.所謂達人の境地が形態模写で身に付く筈はなく
深い術理を積み上げなければならないだろう.
私見ではそういう領分は古流の様に形稽古からじっくり修行
する方が向いており,剣道自体は競技に特化してあくまでルール
内での錬磨で技術が発達するのに任せるべきではないだろうか?
この発想なら宮崎批判など生じなかったと思われる.
剣道の競技ルールが実戦性を離れないよう留意しつつも,競技
のもたらす切磋琢磨に任せるなら,自由な剣風や古流をベース
にした遣い手も出易いと思う.結果剣道人気も盛り返すと期待
したいのだが・・ >>346
>「正剣」の理想とする剣道が真に優位性から極まったスタイルであれば
>必死に「矯正」しても本望と言えるだろうが,実際は常にそうだろうか?
常にそうか否かどころか、非「正剣」とされた宮崎氏や中倉氏が
あれほどの実績を残している時点で「正剣」の優位性などないだろう。
特に宮崎氏の場合、常に否定的にみられるアウェー状態(審判含む)の
中での実績であることをリアルタイムでみているから、余計にそう思う。
>高段者審査で求められる様なスタイルは「結果的に」無駄が
>省けて至るべき境地であり,その形態だけを真似ても無意味
>なのは自明.
というか、技術を向上させたら「結果的に」高段者審査で求められる様な
「正剣」スタイルになる、というのが恐らく単なる思い込みだろう。
現に、中倉氏は九段になっても「変剣」というレッテルを貼られていた
わけだし。
そもそも中倉氏が「変剣」というレッテルを貼られたのは戦後になってから
であり、戦前にはそのような評価は存在しなかったという。
中倉氏のスタイルが戦前と戦後で変わっていないなら(変わっていないはず)、
『極まれば「正剣」になる』、が戦後に発生した思想だということがわかる。
そして、宮崎氏や中倉氏などの例をみると、繰り返すが「正剣」の優位性が
証明されたから「正剣」に圧倒的に傾いた現在の風潮が形成された、とは
いえないだろう。
多分に幼少からの「教育」の成果によってそのような風潮が形成された、
というのが正しいように思う。
考えてみれば、本来「剣」自体が多様な技術を内包しうるからこそ、
歴史上も異なる考え方を持った多くの優れた流派と人間たちを生んできた
わけで、『極まれば「正剣」になる』というのは歴史的にも正しくないのは
自明だ。 >>346
>剣道の競技ルールが実戦性を離れないよう留意しつつも,競技
>のもたらす切磋琢磨に任せるなら,自由な剣風や古流をベース
>にした遣い手も出易いと思う.
多様性を確保するなら、『極まれば「正剣」になる』という思想を相対化
しなければならない。だが、現代剣道を始めたときより刷り込まれた
上記の思想を相対化するのは、貴方が思う以上に困難だと思う。
現に貴方はこう書いているよね。
>高段者審査で求められる様なスタイルは「結果的に」無駄が
>省けて至るべき境地であり,その形態だけを真似ても無意味
>なのは自明.
ここには、『極まれば「正剣」になる』という思想的前提が明確に現れて
いると思うが、どうよ? >348
自分は必ずしも「正剣」が不合理だとは思いませぬ.
実際「正剣の総本山」高野佐三郎氏が遣い手であり数多の剣士を
寄せ付けぬ存在であったのがそれを証明していると思いますれば.
しかし同時期に中山博道があり軽妙な体裁きで相手を躱しつつ短めの
竹刀で翻弄する剣風で古流の玄義を剣道に活かしていたのも亦事実.
つまるところ「多様性」を容認し得た戦前と剣連の独裁体制の弊害
(戦前のイメージを払拭してスポーツとして認知される為に)規格
統一が行き過ぎた戦後剣道の差ではないかと存じまする.
剣道が狭い規格に収斂したのは主に政治的理由でしょう.
先の中倉清氏と縁深い植芝盛平(合気道)や国井善也(鹿島神流),黒田
泰治(改心流等)など古流遣い手と同時期に交流もあったにも却らず・・
少し前に空手道(全空連)は流派が型をお互い尊重しつつ組手競技では
純粋に競技に徹っせられる幸運を指摘する御仁もあられましたが空手と
剣道では流派と連盟の関係がかなり異なると謂う事かと.
柳生新陰流の先々代などは武徳会にも加わり,剣道にも関わっていますが,
どうにもそれが剣道の規格に影響した形跡は見られませぬ,剣道はあくまで
一刀流からの系譜に止まり袈裟切りや鐘木足は採用されずじまい.
園部女史の風車のなぎなたに翻弄された明治期の並み居る警視庁の剣士
たちはしかし,剣道を多様な流派の共存錬磨出来るものには遺してくれ
なかった訳であり,これも剣道と国民体育即ち教練の密接不可分の時世
ゆえかとも嘆息するばかり・・
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています