■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目
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胸を突かれても無傷。
肩を袈裟懸けにされても無傷。
大腿部を斬られても無傷。
だが、小手を斬られると即死www
もう、ルールありきの、ただの竹刀競技だろ。 >>167
頭が固いというのと、理もわからず都合主義なのは全く別だ
細長い竹刀でも使ってみたらどうだ?
剣道が剣道ルールで弱ければそれは剣道が弱いと見てもいいが
剣道が、古流に対して何故強くなければならない?
無思想のちゃんばらに対して何故強くなければならない?
何を持って強いと?
そもそも、様式や仕来りを理解できないまま、あっちこっちとフラフラ
浮ついた思想でないものねだりしているその精神こそが弱いんだろ?
まあ解ってないとは思うが 結論はこうだろ
剣道にしろ、どんな道にしろ、その門をくぐったが、一向に前に進めず
本質に触れることが出来ないままないものねだりに駄々をこねるその
弱い精神こそが「当たり判定」がどうのなどと吠える
心身を磨けば、そんなくだらないところに目くじら立てて食い下がらんだろう
精神的に弱すぎるんだよ、こいつらは >>176
自分が何を書いているか理解していないし、それ以前に、
他人が何を書いているかすら理解できていないように思われる。
心身を磨けば、そんなくだらないところに目くじら立てて食い下がらんだろう
精神的に弱すぎるんだよ、こいつらは >>ID:KzhJtmba >>174
まずね「ファッション」というのは単純に服装や髪型を表現する場合もある。
流行のファッション、オールドファッションという使いかたも一般的だからね。
転じて「見た目だけを気にする」という使い方もよくあること。
剣道において、ルール上なんの問題もないのに「猫背を認めない」というのは、
単なる見た目重視ってことにすぎない。
剣道だけやってるとわからないかも知れないが、大抵の格闘技は、前屈(やや猫背)に
構える。それが動きやすく合理的な構えだから。当然、真剣を扱う古流でも剣を振りやすい
ように、肩甲骨をゆるく保つ為にやや猫背ぎみの構えになる。
ちなみに背筋を伸ばすと、重心の位置が後ろに下がるので、一歩遅れるし
背筋を伸ばした状態では、斬れない。 >>176
>剣道が剣道ルールで弱ければそれは剣道が弱いと見てもいいが
>剣道が、古流に対して何故強くなければならない?
剣道ルールの中でも、古流の動きのほうが一枚も二枚も上なんだ。
合理的だから。
実際に古流の流れを汲む、宮崎氏や中倉氏は強かった。
現代剣道界は、それを「汚い」と批判し認めなかったけどね。
ルールの中で勝利したものを認めないような「剣道精神」ってのは百害あって一利なし。 >>181
剣道・古流剣道、俺には関係ないが
合理的だとゆうことは、大賛成だ。
競技に勝つには合理的とゆうことは、大切なことだ。
精神重視の剣道家の動きは、単調すぎて自分もある程度
合わせなくてはならないので、やりにくい。
面白みに欠ける。 >>180>>181
勝つための正しい理論だな。
もとプロスポーツ選手としての私の考えは!
腰か打突しろと、腰から頭は直線的に、背筋がつりそうになるし、
そんなの合理的なのか?
打突するスポーツは、すべて前傾姿勢だし。
陸上競技でも、瞬発力競技は、全て前傾姿勢なんだよ。
剣道も瞬発力が物をゆう競技なんだよ。
何が正しい、美しい剣道だ?
馬鹿馬鹿しい!! >>174
>馬鹿なのか?
>ファッションが思想か?形式か?
>日本語の勉強からして来い
>お前らが言う、新しいつもりの流行やらがファッションだろ?
>言語障害か?
>>180で「ファッション」の意味については指摘されているから、改めて
書くことはない。現代剣道は格好、見た目重視。馬鹿にしているわけでも
何でもなく、事実だ。>>170で指摘しているように、貴方自身があげた
猫背の例からもそれは明らかだ。
他人に馬鹿だの言語障害だの罵詈雑言を言う前に、まともに文章を読み、
書く練習をしたほうが良い。 俺も年で面までは、なかなか届かないが。
スピードある小手を微動だもせずくらいながら、
心折れる打突じゃないので関係ないだって?
微動だもせずくらったんだから、心折れろつーの。 剣道家は、50代・60代・70代と幅広く、運動能力のそんなに優れた
人達も少ないので、「正しい剣道」とゆう動きに統一性をもたせ、少なくして、身体能力の優れた
もの達への対抗手段なのだと思う。 >>186
お前の場合結局剣道の本質がわかってない人間のせりふだ
浅瀬でパチャパチャやった程度だからそんなことが気になって仕方ないんだろう
剣道で姿勢というのはさまざまな意味がある
お前らのごねるだだは、下らない あと、ファッションについて単語からして間違ってる
都合いいように言葉を歪曲するな
そういう姿勢だから都合いいように物事を歪曲したがる
つまり、本質に触ることが出来ない剣道を
都合よく理解した気になって歪曲しようとしてるだけ
つまらない人間が良くやることだ
剣道に限らず、何をやっても長続きしない、プライドだけは一人前の人間に
よく見られる習性だな 竹刀競技化したのは大会が増えすぎたせいだよ
みんな優勝したいと思うでしょ? 元に戻すにはまず「大会で優勝したいから稽古する」って意識を無くさなきゃ
ま、組織がデカくなりすぎた今からじゃ不可能ですな >>181
>ルールの中で勝利したものを認めないような「剣道精神」ってのは
>百害あって一利なし。
同意。
宮崎氏の場合などでも陰湿な個人批判が、「正しい剣道ではない」との
理由の下に横行していた。「剣道日本」も酷かったが、もっと酷かったのが
「剣道時代」。「勝ってはいけない剣道が勝ってしまった」などという
題名の匿名の批判記事など、第三者がみても吐き気がするような
ネガティブ・キャンペーンを長いことやっていた。
そのような宮崎氏憎しの空気の中、PL学園監督の川上氏や恵戸孝吉氏など
数名だけが、まともな発言をしていた。特に川上氏は、宮崎氏が全日本を
連覇したときの雑誌その他の宮崎氏に対する常軌を逸した批判に対し、
「前人未踏の連覇の偉業をまずは讃えるべきであるのに、批判が
先に立つのはいかがなものか」と苦言を呈していたが、
しごく常識的な感覚といえよう。
「剣道精神」が上記のようなイジメの如き態度をとらせるのだとしたら、
正に百害あって一理なしといえる。 >>191
棒を振り回して、ルール内で試合に勝つことが剣道じゃないんだ
それは、部活とか、学校の入学者獲得目的であって剣道の真髄ではない
美学に反して出世する、
美学を無視して金儲けする
美学なくして試合に勝つ
それらは近道かもしれないが、誰もに認められるほど立派な実績にはなりえない
みんな近道がしたいから、こんなスレが出来て持論を展開するんだろうが
誰もが認める勝ち方をしないものは、旨くやって、負けることを回避できた者であって
誰からも評価される勝者ではないということだよ
そこさえ解れば、こんなくだらないスレも建つことはないのだが、
いかんせん人間というのは自分の未熟なる原因を他に求めたがる
いまさらながら思うが、真っ直ぐな努力が出来る人間というのは最大の才能を持つ
限られた人間だけが進める道なのだという事かな >>192
>みんな近道がしたいから、こんなスレが出来て持論を展開するんだろうが
>誰もが認める勝ち方をしないものは、旨くやって、負けることを
>回避できた者であって
>誰からも評価される勝者ではないということだよ
>そこさえ解れば、こんなくだらないスレも建つことはないのだが、
>いかんせん人間というのは自分の未熟なる原因を他に求めたがる
笑わせる・・・。
宮崎氏は、人の何倍も努力して正当に勝利している。
それを「正しい剣道ではない」、「汚い剣道」などといって不当に
貶めるのは、それこそ自分の未熟な原因を他に求めたがる行動だ。
>いまさらながら思うが、真っ直ぐな努力が出来る人間というのは
>最大の才能を持つ
>限られた人間だけが進める道なのだという事かな
人一倍努力して正当に成功している人間を不当に貶めるのを、
世間では嫉妬という。嫉妬を屁理屈でくるんで自分を誤魔化して
いる人間は、「真っ直ぐな努力」などしていない。 >>192
ルールの中で努力するのが「美学」だわな。
また相手のスタイルが気に入らないなら、実力で排除するのが「美学」
負けた側が勝者をけなすというのは武士道精神にも美学に反するだろう。 人一倍努力をして正当に勝利した人間に対し、さも汚いことをしたから
勝ったかのように言う、的外れに偉そうな態度・・・。
それこそ、まさに自分の未熟なる原因を他に求めたがる態度なのだが、
それに気づきもしない。まるでどこかの宗教団体の信者のようだ。 >>193
>>194
>>195
↑
訳も解らず文句だけ並べたい人間だな
都合のいい例題を出さず、当たり判定が不自然という負け犬の遠吠えが
見当違いだと認められないのか?
はたまた認めると不都合なのか?
とにかくスレタイからかけ離れた例を出しながらも、スレのテーマが否定されることを
頑なに逃げ続けているだけの屁理屈並べは見苦しいけど? すでにスレタイがメインテーマではないことにすら
気付いていないのか・・・・? 剣道で心と体を鍛えることができたら、「剣道の成功者」。
それに失敗した者は「剣道の失敗者」だ。 >>197
>すでにスレタイがメインテーマではないことにすら
>気付いていないのか・・・・?
気付いているが、現在メインテーマになっている話題には
触れたくないのかもね。
>>196
剣道には独自の価値基準があり、当たり判定にもその基準に照らして
それなりの一貫性があるとしても、宮崎正裕氏の事例のように、
その当たり判定の基準に従って行われた試合で正当に勝った人間を
「正しい剣道ではない」、「汚い」などと不当に批判するのは、
当たり判定を含めた自分たちの競技そのものを否定する行為だと思うが。
それこそ、当たり基準が不自然・不合理なのか、剣道の世界の価値基準が
不自然・不合理なのか、のどちらかだろう。 それこそ、当たり基準が不自然・不合理なのか、剣道の世界の価値基準が
不自然・不合理なのか、のどちらかだろう。
↓
当たり判定を含めた剣道の競技そのものが不自然・不合理なのか、
剣道の世界の価値基準が不自然・不合理なのか、のどちらかだろう。
結局ね、現代剣道は「精神」そのものが歪んでると思うんだ。
だから剣道に関しては、他の武道よりも批判的な人が多い。
どこが歪んでいるのかというと、(このスレでもそうだけど)剣道やってる人は
「剣道は実戦を想定していない」と言い張るんだ。
まずここが問題なんだよね。
剣道が実戦を想定しているという前提で考えると、
例えば、肩や首筋を狙った袈裟切りについては、相打ちが多くなり
判定が困難になる為に排除した。
という解釈になる。
実際にやってみればわかるけどね。
実戦を想定しているなら、面を首捻ってよけるなんてのは、相手の技が効いてる
ってことなので、柔道でいう死に体となり一本とってもいいことになるだろ。
構えや動きについても、それは使い手の個性であって、勝つ為の努力であり
それを批判するということもなくなるだろう。 他の武道の場合は、「敗北からこそ学ぶことが多い」とよく言うんだけど
剣道の場合はそれがないんだよな。
例えば、宮崎氏がなぜ強いのか、それを分析することもなくただ「汚い」とだけ
批判しても進歩はないわけで、前に進むことを拒否して、独特の価値観ひきもる
ようでは、宗教といわれてもしょうがない。
久しぶりに見に来たけどやっぱりこのスレ同じ所でグルグル回ってるね。
一応肯定派の立場からの意見だけど、別に剣道を否定したい人たちが剣道嫌いならそれはそれで良いんだよ。
ただ、「武道かくあるべし」みたいなそれぞれのエゴを示さないであたかも「剣道は間違った文化だ」という主張をさも論理的に当然のように繰り返すのは筋通ってないよ。
正しい剣道って何?とか剣道の中で価値観が固定化していてそれはよろしくないんじゃないのか、みたいな議論は十分論ずる余地があるし興味深い議論だけど、
それと「剣道という文化の是非」みたいなところを曖昧に溶かしながら誤魔化して同時に論じようとしているのは傍から見てて痛々しい。
「既にスレタイがメインテーマではない」とか典型だよな。詭弁甚だしいw
スレタイとメインテーマがずれてきたんだったら「現代剣道ってどうよ?」ってスレ立ててそっちでやろうぜ。
「当たり判定は不自然」とかいうアホくさいスレタイを掲げてると話の中身勘違い人も増えそうだ。
剣道批判なのか、現代剣道ルール批判なのか、現代剣道と呼ばれる一定の剣風とそれを助長する風潮への批判なのか、
三つは全然違う話なのに何故かいつの間にかごっちゃにされてるのがこのスレの議論の特徴。
それで得するのはまあ…ねw >>203
>剣道批判なのか、現代剣道ルール批判なのか、現代剣道と呼ばれる
>一定の剣風とそれを助長する風潮への批判なのか、
>三つは全然違う話なのに何故かいつの間にかごっちゃにされてるのが
>このスレの議論の特徴。
三つは全然違う問題というか、それぞれ深く関連しているんだよね。
なぜかというと、全て全剣連の行う剣道(数の上で圧倒的である以上、
全剣連流≒現代剣道といってもいい)の拠って立つ独自の価値観から
流れ出ている話だからだ。
即ち、例えば肩や首筋への打撃を排除した現行ルールは実戦性という観点から
みてどうか、という話は、そもそも現代剣道の価値観からみて実戦的で
ある必要があるのか、という話になってくる。
また、俺なんかが何度も書いている、宮崎正裕氏や中倉清氏などがルールの
中で正当に勝利したにもかかわらず、「汚い」などの批判を長く受けている
問題についても、彼らへの批判の根拠であり、現代剣道の拠って立つ
価値観の代表的な現れである「正しい剣道」の内容及びその現代剣道に
おける重要さに対する是非、などの問題が派生してくる。これらは
現代剣道の拠って立つ価値観への議論抜きには語れないと思う。
「既にスレタイがメインテーマではない」というのは問題点を誤魔化して
ただ剣道を批判したいというのではなく、スレタイの問題を考えていけば
その前提となる現代剣道の独自の価値観の問題を議論せざるを得なくなるし、現在は
既にその段階に入っている、という意味に理解しているのだが違うかな?
そういう意味では、議論は同じところをグルグル回っているわけではなく、
新しい段階に入っていると個人的には思うんだがな。
>スレタイとメインテーマがずれてきたんだったら
>「現代剣道ってどうよ?」ってスレ立ててそっちでやろうぜ。
別スレ立てても構わないけどさ、上記のような理由からこのスレで議論を
続行しても別にいいと思うよ。 >>203に同意だな。
>>204は現代剣道批判と剣道のルール自体の批判とパラレルに考えるのが当然の帰結のように言ってるがそんなコンセンサスは取られてないし
別に宮崎選手や中村氏が「剣道のルール自体を批判する立場」に立っていることが明らかなのではないから事実に基づく既存の当然の考え方でもない。
現代剣道批判と剣道のルールの是非はどちらかの結論を取れば論理必然にもう片方の結論が決まる関係にあるわけじゃないのは明らかだろ?
その選択の余地を「深い関わりがあるから」という理由で固定してしまうのはむしろ「誤魔化し」に近いだろう。
それが固定されることは論証されていないし、帰納的にも多数とは言えない。
もちろん、今までの「武道だ、スポーツだ、やんや」みたいな中身すかすかの議論に比べれば前進してるのは間違いない。
ただ、別スレに隔離する意味こそあれ、同じスレで話し続ける実益はないな。
そこらへんが十分理解されているなら話は別だが、分別が不十分な奴が多い。>>203が言ってるのはそういうことじゃないかな? ついでに私見を述べるなら「正しい剣道」の推奨は多分に教育的見地からのものだと思う。
だが、教育の名の下に剣道の自由な可能性を封じるのは剣道自身にとっても不利益だし、不正議に感じる。
例えば数年前、全日本で上段の優勝者が続いた上段全盛期の頃、上段をのさばらせないために上段への胸突きがありになった(今は戻された)けどああいう介入は非常に悪い例の一つ。
メンを打つ剣道の価値観の下で上段が中段より強いというのが結論ならばそれはそれとして受け止めなくてはならないし、中段の選手は中段の人気と権威を取り戻すために奮起しなくてはならない。
そういう淘汰は自然になされるべきもので、ルールによって介入するなんてあってはならないこと。
二刀は認めない、とか引き胴はだめ、とかそういう一部の審判の勝手なバイアスも同じ理由で間違っている。ルールの下では構えも打ちももっと自由でもいいはず。競技性も増して面白くなるだろう。
剣道指導者としても中段も、上段も、それ以外の構えも全部できるのが真に推奨されるべき姿だと思う。
中段でやるべきことが沢山あるのは承知だが、実験的に上段や二刀をかじろうとすると怒られる、みたいなのは何か違うな。
ルールというよりは指導者や審判の問題ではないかと思うよ。 >>207
>中段でやるべきことが沢山あるのは承知だが、実験的に上段や二刀をかじろうとすると怒られる、みたいなのは何か違うな。
>ルールというよりは指導者や審判の問題ではないかと思うよ
ほとんどの指導者がそうなんだから、剣道精神ってのは腐ってると言える。 >>206
>>>204は現代剣道批判と剣道のルール自体の批判とパラレルに考えるのが
>当然の帰結のように言ってるがそんなコンセンサスは取られてない
>別に宮崎選手や中村氏が「剣道のルール自体を批判する立場」に立って
>いることが明らかなのではないから事実に基づく既存の当然の考え方でも
>ない。
>現代剣道批判と剣道のルールの是非はどちらかの結論を取れば
>論理必然にもう片方の結論が決まる関係にあるわけじゃないのは
>明らかだろ?
>その選択の余地を「深い関わりがあるから」という理由で
>固定してしまうのはむしろ「誤魔化し」に近いだろう。
曲解してほしくないね。
俺が言っているのは、ルールの問題にしろ宮崎氏などの問題にしろ
現代剣道の独自の価値観ゆえに発生してきている問題だということだ。
要するに、同根の問題だからこのスレでそれぞれの問題を論じることで、
根本にある現代剣道の独自の価値観の問題がより鮮明になる、と
いっているわけだ。
一つの問題である立場をとれば他の問題について当然にこの結論になる、
なんて事は一言も書いてないんだがな。
>>207
>「正しい剣道」の推奨は多分に教育的見地からのものだと思う。
その意見はまるっきり誤りではないが、今まで出てきた中倉氏や宮崎氏、
その他「汚い」などの不名誉なレッテルを貼られた人たちが、どのような
経緯でそのようなレッテルを貼られたかをかを辿っていくと違う側面も
見えてくる。
>>197
> すでにスレタイがメインテーマではないことにすら
> 気付いていないのか・・・・?
そもそもこれ自体、物の正しい見方が出来ない人間の行動だろ
価値がわからない人間や、物事を正しく受け取れない人間に
そもそも価値を論ずる資格などない
全ての主張は戯言だ 移民1000万計画の自民党、日本を外国人だらけにしようと画策中です
529 :名無しさん@3周年:2008/07/21(月) 14:27:10 ID:vRxZ11Sb
【記事】 外国人受け入れ、単純労働含め全業種で 自民PT方針
自民党の国家戦略本部の外国人労働者問題プロジェクトチーム(PT、長勢甚遠座長)は20日、
原則としてすべての業種で外国人労働者を受け入れる「外国人労働者短期就労制度」の創設を提言
する方針を固めた。将来の労働力不足に対応する目的で、専門分野に限られている現行制度を廃止し、
単純労働の就労も認める。ただ外国人の滞在期間は最長3年間として、定住は認めない。
今月下旬までに決定し、政府に申し入れる。
新制度では、政府が認定する受け入れ団体が国内の企業に労働者をあっせんする仕組み。団体の
認定には賃金の支払いや福利厚生について政府が設定する条件を満たす必要がある。港湾運送など
の職種を除き、受け入れ団体と企業が自由に交渉できるようにする。企業の受け入れ枠は現制度と
同様、常用労働者の20分の1以内とする。 (12:14)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080721AT3S1902220072008.html
>>207
結局ね、現代剣道ってのは武士道精神ではなく、一部の人間が好みと
するスタイルが強要されているだけなわけ。
「姿勢よく背筋を立て中段で構えて、じりじり間合いを詰めて面を打つスタイル」
これが連盟の(不合理な)理想なわけだ。
下段攻撃のない剣道ルールを「武道」としてみた場合、
上段と中段を比較すると上段が優位になる。
というのは、中段だと竹刀を振り上げる動作で、攻撃がワンテンポ遅れるから。
(下段への備えが必要ないってのも上段に有利になる)
だから、「中段が基本」ってのがそもそもおかしいんだ。
実戦的な古流剣術の場合だと、中段に相当する構えは少なくて、
上段系か、八双系の構えが基本になる(バリエーションはいろいろあるが)
どちらもワンテンポで打ち込むことができるから。
下段攻撃に対しては、のノ字描くように相手の剣先を払い、攻撃に転じるのが基本。
剣道の中段は、下段には対応できないし、攻撃にはワンテンポ遅れるしで、本来は
試し切りとか、練習用の構えなんだよな。
それが基本形ってのはどうかと思う。 あと二刀流だけど、攻防がワンテンポでできるので、戦前は二刀流のほうが
優位だったはず。
戦後になって、現代の中段シコシコ剣道だと二刀流に対応できないので、二刀流を禁止した
わけで、その結果伝承者がいなくなって二刀の技が途絶えちゃったんだよな。
>>210
「価値がわからない」とか「物事を正しく受け取れない」と決め付けて
かかるところに現代剣道の歪んだ「精神」を感じるんだけどな。
自らの価値観に拘って議論すること自体拒否するような態度が
現代剣道の問題点として議論されているんだと思うぞ。 >>214
追求しても居ない人間が、偉そうに価値を語れるのか?
どうせ覗いて挫けて逃げ出した人間だろう
なぜなら、お前のような戯言は、逃げ出した人間が決まって口にするからだ
もう少しまともなことを並べてみろよ
>>212も同じ
深さを全く知らずにかじった程度で薀蓄並べてるだけ >>215
悪いけどさ、
現代剣道ってのはたかだか60年程度の歴史だが、古流剣術は数百年の
伝統があるわけよ。
剣道しかやったことない厨房に、剣の道の深さとか言われても笑っちゃう
しかないんだけどw >>212
>だから、「中段が基本」ってのがそもそもおかしいんだ。
なるほどね・・・。
こうなると、その他の「基本」とされているものも検証したくなるね。
他にも現代剣道で「基本」とされている技術で、疑問に思われるものって
何かある? >>209
その疎明じゃ解決しないと思うんだが。
現代剣道の精神を分析するのは結構だがそれと「剣道」の「ルールの問題」はどう繋がる?
例えば「現代剣道は問題がある」という結論が出たところで「それゆえ剣道のルールは間違いだ」っていうのがどう繋がるかが明らかでないと「このスレで現代剣道の問題点を探る実益」がないだろ、っていってる。
>>209が言うには別にそこは固定しないのか。じゃあ、現代剣道の問題点は剣道のルール批判にどのような影響を及ぼす?
深く関連性を持つ、なんて言われても抽象的過ぎてわからない。結論から導かれる帰結を具体的に頼む。
そして、そこらへんがはっきりしないのにこのスレで現代剣道の問題点を語ることの弊害は、他の人もいうところの「ただ剣道を否定したいだけ」の短絡的なアホどもが勘違いすること。
例は…探すまでもないだろうねw
割と論理的な話が通じる人みたいだから甘えてもう一つ、剣道のルール批判「じゃあどんなルールにすれば良いと思う?」っていうことも聞いてみたい。
俺は逆の立場を考えたら「ルール批判」は対案がなければ誰の為にもならなくて意味ある提言としては成り立ち得ないと思うんだが、またはそれについてどう思う? >>216
剣道の歴史と古流の歴史をそういう風にしか比較できないところが既に
何もわかってない人間のせりふ
剣道の歴史が何から生まれどういう変遷の元に現在の形に落ち着いたか
解っていたらそんな恥ずかしいせりふとても並べられないはずだが
やっぱりコイツ何もわかってない >>219
>現代剣道の問題点は剣道のルール批判にどのような影響を及ぼす?
>深く関連性を持つ、なんて言われても抽象的過ぎてわからない。
その点は、>>204で例を出して書いているが文章が読めないのか?
この部分だが。
>例えば肩や首筋への打撃を排除した現行ルールは実戦性という観点から
>みてどうか、という話は、そもそも現代剣道の価値観からみて実戦的で
>ある必要があるのか、という話になってくる。
要するに、どういう技術を目指すのかによってルールの設定方法は
変わってくる。どういう技術を目指すのか、というのは価値観そのものだ。
だから、現代剣道の価値観の問題はルール批判と密接に関連するわけだ。
ところで、よりわかり易くするためにスポチャンを例にしよう。
現代剣道の隣接分野であるスポーツチャンバラはどういう技術を
目指して創られたのだと思う?
>剣道のルール批判「じゃあどんなルールにすれば良いと思う?」って
>いうことも聞いてみたい。
これはスポチャンの話を済ませてからのほうがわかりやすいので、
先に上の質問に答えてくれ。 それから>>219に対してもう一つ。
>「正しい剣道」の推奨は多分に教育的見地からのものだと思う。
これについてだが、教育的側面は否定しないものの他の側面も
存在すると>>209で書いた。
中倉氏や宮崎氏、その他「汚い」などの不名誉なレッテルを貼られた
人たちは、どのような理由でそのようなレッテルを貼られたと思う? >>221
んー、まだ齟齬があるな。
つまりさ、中村氏のいうような「剣道」を実践する或いは「自由な剣道」も当然に認める、
しかしルールは「剣道」に則る、
そういう選択肢が潰れてるんじゃないか?ということが言いたい訳。
加えていうなら、これは剣道日本が中村氏の談話を掲載したという立場から導かれる一つの提案だと思うんだよ。
剣の道を剣道で体現せよ、はストレートに読んだら中村氏の立場でもあると思われるし宮崎選手もあくまで剣道を大切にしてるわけだし。
ちなみに俺もこの立場。
現代剣道批判をルール批判に直結させるっていうのはこういう立場を看過してるんじゃないか?っていう話ね。
正当の勝者を批判する、或いは一定の形を押し付けるのは外的に見ても批判の対象になり得るけど「面を打つ・守るより攻める」といった価値観そのものはそれを取りたがる人がいるんだからほっとけよっていうのが普通の考え方な気がする。
「打たれてもいいから打つ」はレベルによりけり。基本の身に付け方としてはありじゃないかな。
目的がルールを規定するのは同意。
スポチャンはかじった程度で詳しくないけど、「当てられずに当てる」のがルールの本旨でスポチャンの目的もかくものだと思うよ。
ってかこの質問をよく知らない俺にする必要あるのか?なんかのプロセス?答えると答えてもらえるらしいので答えてみましたが。 >>222
このスレを読んで少し調べて、教育的な見地から、という美名の下に自由な価値観が否定された実情があるのではないかということを感じたのは既に述べた通り。上段の胸突きの話しかり、そういうのはまずい。
てかさ、>>222さん俺に聞かなくても分かってることがあるならわざわざ問わずに説明してくれちゃっていいよ?w自分の見解と違うと思ったらその時に言うからさ。
俺の「代案は?」っていうのは普通に否定派の人がどう考えてるのか俺は普通に分からないから質問してるわけ。
時間勿体ないしプロセスは最低限でいこうよ。 >>212に基本的に賛成
真剣で長時間中段正眼を維持するのは無駄だし腕が疲労するもの。
古流のなかでも一刀流は素肌剣術に特化して発生しており他の古流が少なからず介者剣術の要素を遺すのとかなり異なる。
定寸より大きい太刀が前提の介者剣術では下段、脇構え、八相に構えての遠間からの攻防が普通。凡そ現代剣道の攻防技術で真剣にすぐ適用出来るものは僅かでしかない。第一剣道家の多くが真剣を持っても竹もろくに斬れない。
それでも竹刀競技だからいいってのならもっと古流や幕末〜明治初期の撃剣スタイルの自由な剣道を並行して認めるべきだ。袈裟懸けや撞木足のスタイルをまるで合理的でないなどと盲信を前提に否定されるのは古流からは腹立たしい限り。
剣道の多様化、多分剣道関係者はそれを一番厭がり且つ恐れていると思う。
>>223
>中村氏のいうような「剣道」を実践する或いは「自由な剣道」も
>当然に認める、
>しかしルールは「剣道」に則る、
>そういう選択肢が潰れてるんじゃないか?ということが言いたい訳
いや、価値観を論じた結果、ルールを変えないほうがいいというなら、
変えなくてもいいわけだ。だから、別にそういう選択肢も潰れてない。
>スポチャンはかじった程度で詳しくないけど、「当てられずに当てる」のが
>ルールの本旨でスポチャンの目的もかくものだと思うよ。
剣道日本のインタビューで、スポチャンの創始者は次のような意味のことを
答えていた。少し長くなるが、思い出しながら書いてみる。
即ち、少年たちに剣道の稽古をつけていて(創始者は剣道5段だか6段、国体
出場経験あり)少年たちの竹刀が、自分の体や、面の横あたりに掠ることが
あると。剣道だと「まだまだ」ということになるが、剣道では「真剣だったら
・・・」というロジックをよく使用するのに、真剣だったら大きな怪我に
なりかねないにもかかわらず、そこを無視するのはおかしいのではないかと
疑問を持っていたと。
さらに、剣道では「気剣体一致の技でないと一本ではない」といわれるが、
これも真剣ならば何らかのダメージを負うのに、一種の暗示をかけて
一本ではないという理由付けにしており、それが剣道のディフェンスの
技術を非常に甘いものにしている。
このような暗黙の了解による決め事が剣道には多く存在し、それが技術の
妨げになっているので、いったんそのような決め事をやめて子どもの頃の
チャンバラ遊びの自由さからやり直すべきだと考え、スポチャンを創った。
ネーミングは「ニュー剣道」などとすると、剣道側から文句が出そう
だったので、チャンバラという剣道よりへりくだった名前にした。
大体、インタビューはこのような内容だった。以下、まだ続く。 >>226の続き
このように、スポチャン創始者の頭には「当てられずに当てる」という
ディフェンス重視の目的のほかに、剣道で暗黙の前提となっている
決め事から自由になる、という目的もあったわけだ。
そのような明確な目的があるから、得物は自由、当たったら一本、
相打ちは両方負け、のような各種ルールができている。
このように明確な目的・価値観ががあるからこそ、それに対応して
ルールが決められるわけだ。それに対して剣道はどうかというと、
目的・価値観はかなり曖昧だ。「剣の理法の習得を通じた人間形成」と
いったところで、具体的にどのような技術を目指しているのか、
さっぱり明らかではない。「正しい剣道」ではないなどという例の批判も
何に対して正しいのか、即ち具体的にどのような技術を目指しているのか、
明らかではなく、厳しい言い方をすれば「お前の剣道は認めない」という
感情だけが伝わってくる感じがする。
要するに、具体的にどんな技術を目指すのかが明らかでなければ、
適切なルールも、「正しい剣道」とやらもあったものではないと思う。
だから、「どんなルールがいいのか?」という質問については、
「まず、どんな技術を目指すのか、それをいくつか明確に決めてから、
その目的に適合するような数種のルールを用意すべきではないか」と
個人的には答える。現行より攻撃重視でいくのか、防御重視で行くのか、
などなど、どのような技術を目指すかは色々考えられるよね。 >>224
>教育的な見地から、という美名の下に自由な価値観が否定された実情が
>あるのではないかということを感じたのは既に述べた通り。
教育的な見地があっただろう、というのは当たっていると思うが、
政治的に「変剣」というレッテルを貼られたと思われる場合も多い。
例えば、恵○孝吉氏の場合などはその典型だと思う。
恵○氏の場合、その硬派な言動や、全日本で当時事実上の禁止状態だった
二刀で試合をしたことなどから、徐々に睨まれて「変剣」というレッテルを
貼られるようになっていった(これに関連して、高知大学の教授だった
専門家が書いたある本によると、「恵○氏はその実力は高く認められながらも、
段審査では合格は望めない、という風聞が剣道界でまことしやかに
伝えられている」という文が出てくる)。
また教職員大会の個人戦でも、一本の技を沢山打っているにもかかわらず、
審判が旗を上げず負けてしまい、それが試合に出なくなるきっかけに
なったと恵○氏自身がインタビューで言っていた。
中倉氏のように戦前には「変剣」という評価はなかったにもかかわらず、
戦後になってそのような評価になり、それが死ぬまで続くという事例も、
中山博道氏の系統が表舞台からほぼ姿を消したこととあわせて考えると、
どうなのだろうという気はする(確言はできない)。
宮崎氏の場合、全日本の最初の優勝の頃は好意的にとりあげらていたが、
その後、激しすぎる非難に見舞われたことはご承知の通り。
宮崎氏の試合振りは、別に変わっていないと思われるが・・・。
宮崎氏のときはリアルタイムで見ていたが、なぜこれほどまでに批判される
のか単純に不思議に思った覚えがあり、それが「正しい剣道」や、「正しい
剣道」に代表される現代剣道の価値観への疑問の端緒になっている
少なくとも、「正しい剣道」を理由に他人を批判するのであれば、その
「正しさ」の中身を明らかにすべきではないだろうかと、個人的には思う。 >>228の続き
>>228であげた3人の例は、最初は必ずしも「変剣」という評価は
受けていなかったのに評価が大きく変わった、という点に共通点がある。
彼ら3人の剣道の内容が大きく変わったとは考えにくいので、
剣道の内容以外の原因により評価が大きく変わった、と考える
のが自然だろう。「変剣」のレッテルを貼られることにより、そういう
ものだという空気ができたしまったと。
「正しい剣道」の内容の曖昧さはそのような空気を助長する役割を果たした、
と思われる。結局のところ、「正しい剣道」か否かについて確たる基準が
ないのだから、そうなってしまわざるを得ない。
そのほうが、剣道の世界の中の世論を作り出す側としては都合が良いのかも
しれないが。 俄かに空回りの流れだな
否定派にしろ、肯定派にしろ道を見つめ自問自答を繰り返すことは
個の成長に繋がる。双方が良い答えにたどり着くためには、始めに
結論ありきでは、まあ不味いだろうな。
剣の道の創めは、負ければ死だった。よって負けざる剣という思想も、
剣の道を歩むと決めたその心構えと共に共生していた。
剣の道を歩む者は、その志に死をいとわない。またその道を歩むなら、
志半ばでこの決心を、死して倒れてなるものかと、相反する心構えが
内在していたんだな。
剣道を始めたがゆえに取り付かれる邪念は評価だ。
だがこの評価というのは、剣道の道に限らないのだな。
人は他者からの評価に、心揺れるものだ。
評価を得るために、試合に勝つ事を欲するようになる。
美学、評価、実利
これはすでにパラドクス。であるから、ここで評価が多様化する。
しかしね、現代の剣道は、負けても死なないのだよ。
そして、剣で人を切る時代でもないのだよ。
ならば、今ではなく、後世に残すべきは何か?そこを考えてみて欲しい。
日本人は、敗者に美しさを見出せる、世界でもめずらし美徳を持つ人種だ。
こういう稀有な美学を体現できるものは、現代日本にも既に数少ない。
剣道は、今よりさらに美しくある可能性を残した、人の踏み歩む道なんだよ。 >>230
現代剣道に剣道に「美学」はないわな。
ルールを定めて競技の形式をとっている以上は、ルールが至上にあり
判定は、公平、公正でなくてはならない。
勝ったものを批判するのはあってはいけないし、勝つための努力を批判しては
いけない。
ところが現代剣道は、「剣風」なる曖昧なものを下敷きに指導を行っている。
ルール上認められている行為も、剣風が卑しいなどとケチをつけて甚だしくは一本を
とらない。
優れた技をこき下ろし、勝者を罵倒するというデタラメが許されるのは剣道だけ。
こんな剣道精神に迎合するということは、自分の頭で考えることができず、他者に
すべてを任す「飼い犬精神」を育むことになるだろう。
飼い犬というよりブタといったほうが良いかもしれない。
「狼は生きろ、ブタは死ね」
という格言があるが、精神が卑しきものは剣の道で生きる資格がない。 >>231
本当に剣風というのは曖昧なのか?
至上というものの姿がそんなにも見えないか?
卑しさや崇高というのがそんなに判断の難しいものか?
ルール上勝てばよいというのは崇高なのか?
短絡というものは往々にして卑しいものだ
勝てば官軍などという言葉は卑しいものの典型だ
深みに触れてもそれが解らないなら、救いようがないが
触れても居ないものを語っているならば恥曝しだ
>>232
「正しい剣風」というものが明確に示されていないなら曖昧だわな。
また、正しい剣風が試合で「弱い」なら、それを守る意味があるのかどうかは
議論の余地があるはず。
少なくとも信念をもって「弱い技」を好んで使っている以上、相手の動きや
技にケチをつけてはいけないだろうし、勝ち負けに重きを置かないならば
勝者のスタイルを卑しいとか、変則と批判する理由がないだろうと思う。
勝敗関係なく、ただスタイルを守りたいだけなら演舞をやっていればいい
ことで、試合をする必要はないだろう。 例えば空手には、型と組手(試合)の二つがあり、ともに競技として成立している。
型では姿勢が問われるが、試合になれば、少々崩れていようが一本入れれば
勝者として認められる。
剣道のように勝者が批判されることはまずありえない。
人間が互いの技能を高めての殴り合い(まあ寸止めもあるが)である以上
勝敗は紙一重であり、そんなそんな格好よく決まるというものではない。
これはボクシングなどでも同様。
姿勢よく格好よく一本決めるのが当たり前という現代剣道の精神は、
ほかの武術・武道からみても非常にヌルい感覚だと思う。 >>234
それであれば、真剣を持って殺し合いが出来る場所を探し彷徨えば良い
否定のための理論構築でないのなら、真にヌルくないものを現実に
求めてみたらどうだ?
とたんに口先だけの話になるんだろ?
剣の技と言うのは今後もどんどん失われていく。
それは世の流れだ。
そんな中、普遍な本質を残そうとする思想こそが今の剣道
そして、今の試合は、そういう変遷を経て存在する。
頭をぶん殴れば一本って思想がそもそも届いてないことに何故気づかない。 >>235
技が失われていくなかでどうして本質を残す事ができるのか?
術が極まって道に至るのではないのか? >>236
剣道に入門したとき最初に技を教えられたか? >>235
様々な制約で誘導されて現在の「一本」になって剣道が成立しているのが分かっていない。
自由な剣道にしたらそれこそ袈裟懸けや左足前の構えや撞木足、切り上げなど幾らでも成立する、なぎなたの女子に翻弄されるのが現在の剣道の実態。
問題はその高野佐三郎〜持田盛二へと正統派とされる剣道も名人のカタチだけ真似てても武術としては極められず筋力体力の剣道なのがほとんどな事。
剣道家は武術として極められなくてもカタチだけととのえた剣道で本当に満足しているんだろうか?
居合や古流を並行する人達はやはりその辺が動機なのだろうか? 剣道になぎなたが勝ってるのを今まで一度も見た事が無いのだが。 >>239
体験してみなされ
あと古流には(現代)なぎなたじゃなく薙刀(男薙刀)もある。こちらはブンブン振り回したり(屈むだけのスネ当てじゃない)マジな切り上げの太刀筋もあるから。
介者剣術の太刀筋はこうゆうものだと体験出来る。
空手と剣道の差
80年代の全空連覇者の内田への評価と90年代の全剣連の宮崎への評価の違いという事かも?
どちらも革新的な試合巧者だった。
(したくてもとても統一など出来ない)空手は流派や競技の多様性が保証されている、(ほぼ)一党独裁の剣道は駄目という事なのか。 「美学」といってもな・・・
宮崎氏などがやられたような集団イジメのような真似はダメだろう。
そもそも「正しい剣道」の確たる根拠なんてなくて、その場の空気で
決まるようなものだし。
現に、宮崎氏の評価も全日本で6回目の優勝をするころには再度変わって
「自在の剣さばき」なんて評価もされていたよ。
「3回優勝くらいなら変剣で、6回優勝なら自在かよ、いい加減だな」と
感じたのを思い出すよ。 薙刀、槍術に剣道はもちろんかてるわけがない
剣術でも厳しい、対応技が流派ごとに大体あるが
リーチ上、同実力なら
槍や薙刀のほうが圧倒的に有利(狭い場所や屋内を除く) いや,寧ろ問題は「リーチ」だけじゃなくて変化のない
直線的な攻防に終始する剣道が特殊なわけで・・・
興武所は男谷だから直心だとして,おそらく警視庁,
武徳会そして高野のラインで一刀流から更に単純
化された現代剣道が「政治的に」強制されて行った
はず!
挙国一致の御時世とはいえ,中山博道や植芝盛平など
武徳会にも古流や多様な流派剣術評価の可能性は
あったろうけど・・・結果的には現在の剣道に収斂
しちゃったと. 結局、同調圧力の強いムラ社会的体質なんだよな。
気に入らない奴には「変剣」だのレッテルを貼って、村八分にあわせると。 ここで騒いでる池沼共は本物の高段者に稽古付けてもらったことないんだね。可哀想に。
なんで宮崎選手みたいな変則的なのがいけないかって、ああいう剣道をするにはある程度の筋力がないとできないからだろうよ。
お前らは6、70歳になってもあの形を続けられるつもりなの?
高校や大学で終えるならまだしも、この先剣道で食っていこうっていうのにいつまでも体力に任せてちゃ駄目だって話だろ。
宮崎選手は基礎が出来てるからいつからでも修正が効くんだろうけど、お前らみたいに基礎もまともにやらずに実戦(笑)とか言ってる奴らには無理だろうな どんな武道・スポーツであれ競技ルールの枠内で技術が特化されてくるのは、
当然のことなんだよね。それで競技上不都合なことがあれば、
ルールを改正して対応するのが普通。
ところが、剣道の場合ルールを改正せずに、「正剣」の思想で批判して
技術の特化を押さえつけるという、非常に不自然なことをしている。
どんなルールに改正しても、「正剣」の思想で押さえつけるんじゃ
「ルールの枠内での技術の特化vs正剣の思想」という基本的構図は
全く変わらない。
現行ルールでも、「正剣」の思想が相対化されて自由に技術を特化させる
事ができるようになれば、問題ないと思うんだよね。
変えるべきはルールではなく、頭の硬さの方なのだと思うよ。 >>246
>なんで宮崎選手みたいな変則的なのがいけないかって、ああいう剣道を
>するにはある程度の筋力がないとできないからだろうよ。
>お前らは6、70歳になってもあの形を続けられるつもりなの?
宮崎氏と同じく変則的、「変剣」と呼ばれていた中倉清氏は、
80歳を越えても強さを維持していたがね。それも筋力的なものかね? やっぱり試合の結果からしか物事を考えられないようだ
それこそが変質で頭の固さだとも気づかずにね 剣道を辞めようかどうか迷っている。現代剣道に日本の美徳など感じられない。もし現代剣道にあるのだとしたらそんなものに価値はない。様式化形式化の現代剣道が嫌いなわけだ。
結局のところこうだ。私個人の意見としては日本独自の精神性を受け継ぎつつ、剣道が競技である限り剣風は自由であるべきである。なぜならルールの範囲内ならなんでもできるのが
「競技」の本質だからである。これだけは断固言い切るが競技はルールの範囲外から特定の思想によって抑制されてはならない。
いわゆる正剣以外認めたくないのなら競技を辞めればいい、それだけで片つくではないか。競技化の弊害については柔道という良い例があるが競技である以上独自の精神性が失われる
のはある程度仕方ない、だがその中で日本人として自国の文化に誇りを持つことに倫理的な価値がある。日本独自の精神性を残す
為に潔く競技剣道など廃止にしてしまうのもいい案ではないかと思う。 正剣=武術的に正しい=筋力を使わない
にならないのが致命的!
宮崎選手のはやさは体重移動の巧さだろう。かの中山博道も腰に重しをつけて稽古した様に、体重を利用しない限り筋力を克服した境地にはならない。
中倉清的な正中線も然り、体重の運用の為に必然的に具わったもの。
そのカタチだけ真似て凝り固まった姿勢を強要してるのが戦後の正剣だろう。
それじゃあ結局筋力で補うだけだから結局年齢で衰える。
剣道家の想定する古流には一刀流が多く、新陰流や神道流等は余り意識されないかも知れない。しかし逆に一般人には時代劇や歌舞伎で見馴れた袈裟懸けや半身でのめり込んで斬る方が「日本的」と映るはず。正剣と豪語しても一般人には別の世界の話。
筋力を遣わず体重や体内筋力を駆使する剣術には正剣の基準は通用しない。剣道はそこに謙虚になり剣道を狭い世界に完結させない度量が欲しい。
また古流ももう一度竹刀競技を幕末の様に自由な基準で復活させたらよい反証になるはずだ。 >>250
剣道が国際競技化することを危惧している人は多いだろうな
>>251
こういう書き込みをみると、古流には素晴らしいノウハウが沢山あることが
推察され、習いたくなる。 一つの示唆としては
古流もピンキリで真贋はまちまち。
ただ介者剣術の時代は太刀以外に大太刀長巻薙刀と得物が長大で元から腕力では扱えないので体重や重心を扱うノウハウが蓄積された。
刀が定寸化して剣術も形骸化のリスクが発生したとも。
その意味では現代剣道の竹刀はいかにも腕力に頼ってしまいがちな寸貫目かも知れない、古流ではもっと軽いかもっと重いかのどちらか。
新陰流の木刀も袋しないもかなり短く軽いし、直心影流では短い袋竹刀と重い木刀や振り棒を使う。
いずれも「軽い刀を重く 重い刀を軽く」を学ぶ為。薙刀(長刀)も古流の木刀は重い。故に介者剣術式に股を深く割る構えを取る。大太刀でも然り。これが軽々振り回し出来たら術の域に入る。 古流の動きってのは、重心の移動を、筋力ではなくタイミングでやるんだ。
脱力して重心を移動して力を入れる。この細かい繰り返しで体をあやつる。
で、「斜め」に動くんだ。
この動きは(観客としてみてもわからないと思うが)直接対戦すると消えたように見える。
消えたというと大げさだけど、瞬間移動されたというのか、視界には入ってるんだけど
「え! そこにいるの?」みたいな感覚ね。
これは膝をつかって、すり足で踵から踏み込む運足なんだけど、剣道って「足を上げて」
踏み込むからどうやってもワンテンポ遅れるんだよな。
動きも読まれるし、怪我の原因にもなりやすい。
あれはなんの意味があるんだろうね。
宮崎氏のビデオを見た事はないが、おそらく踏み込みも摺り足に近いはず。
私見では剣道の跳び込み足は一刀流の沈身(膝抜き)の歩み足がかなり
劣化したカタチなんじやないかと推察する.
正対して体重を活かせば沈身が普通だろうから.(切り落としの際に)
実際薬丸自顕流なんかは思いっきり沈身して斬りおろす.
しかしこれは半身で「掛かり身」と呼ぶ肩から傾いで体重を利用する
鐘木足,一文字腰(股割りの姿勢)の系統(新陰流など)よりも或は
習得が難しいとも思える.
だから一刀流では明治大正の「兵隊さん」には難しいし,敵にまっすぐ
「突撃ー!」させるには剣道の跳び込み足で充分だった・・・なんて
のは想像したくないけど.実際剣道の根本思想は「相打ち」上等の「
一歩踏み込め 後は極楽」だし・・・
剣ど〜なんて、どうせマイナーな、運動能力や運動センスがイマイチの人達の
競技だということ、これは間違いない。
人気スポーツなら、その競技をしていなくても人々は観戦するが、剣道は競技者
以外は興味を示すことは無い。
だから、勝者を非難できたり、上の立場になると何でも非難することが公然と
許される間違いなく独占的・閉鎖的競技だ。
他の競技で、勝者を称えず、非難したら、非難した者が非難されるが、
剣ど〜は、マイナー競技だから許される。
なんだかんだ議論しても、合理的より不合理が尊重される馬鹿競技だよ!
だから、剣道してる者は、頭の柔軟性の欠ける人物が多い。
>>257
剣道が一般の人にあまり人気がないのは、一般の人には
勝ち負けがよく分からないからだと思う。僕自身も、ある程度
上達するまでは、相打ちのときなどどちらが勝ちなのか全く
分からなかった。メジャーなスポーツにはならないだろうし、
ならなくてもよいと思う。剣道は、武道とスポーツの中間のような
特殊なスポーツだ。 棒や剣で勝敗を追求する運動体系は現在でこそ徒手格闘におされて相対的に若干関心はうすれたが人類史とともに興味の尽きた事のないものだと思う。
逆になんで球技や陸上の記録に人がそんなに夢中になれるのか昔から謎だった自分にはかなり特殊な攻防に限定されるフェンシングなんかより剣道は全然これからも関心のある対象だと思う。
だからこそ狭い人々の都合だけて完結しない透明性や多様性が保証されて欲しいもの。
剣道が上達するかどうかは、一に指導者に依る。もちろん個人の体力・資質
が基礎になるが、下手な指導者に習っていると、資質があっても上達しない。
やみくもに「かかり稽古」や実戦形式の稽古ばかりさせる指導者は最悪だ。
相手の竹刀の動きにどのように対応していくか、さまざまな場合を一つ一つ
丁寧に分析して指導出来るような知性のある指導者に習うと、驚くほど上達が
早い。(本人の努力は当然必要だが・・。)
■阪神大震災「ざまー見ろ」と騒いだ朝鮮人
るんるん ♪ 阪 神 大 震 災
∧_∧ ♪ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<丶`∀´> <
( 在日 ) │ 日本人が地震で 6千人も死んだぞ
| | | │
〈_フ__フ │ いい気味だ ざまー見ろー!
【生活保護】 │
【二十数万】 │ もっといっぱい 死ねばいいニダー
【生活保護】 │
【二十数万】 \_________________ >>261
同じように指導者がデタラメなおかげで努力しても報われなかった選手も数多くいる。
これも剣道に批判的な人間が多い理由の一つになっているだろう。 剣道に批判があるのではなく、
今の主流の剣道の不合理的な考えに批判があるのだと思う。
剣道はこうあるべき的、狭き考えが横行してるのに批判がある。 ここの否定ゴタク厨は日本語からして未熟だね
ファッションって言葉もとんちんかんな使い方してた癖に
必死でお茶を濁して逃げてるね
良くこんなチンカス相手にまじめにレスできるよな
剣道やる奴って忍耐力が尋常じゃねーなw 己の信念を貫けぬ者は何をしても同じ
求めれば得られるでしょう、剣道等以外でも >>267
同意
剣道だけが特別なんて思ってる剣道家が多いこと。
何だかんだ言ってもスポーツは、運動能力・センスなんだよ!
中学から剣道始めて、指導者もいない遊び剣道部でその運動能力で高校にスカウトされ。
中学県大会で優勝した2人に、最初から勝てたのは身体能力・運動センスがあったからほかならないんだよ。
精神力も確かに大切だが、身体能力を高めることが勝つためには重要なことだ。
剣道は筋力は関係ない、何が体重移動だ?
瞬発力筋に優れた者がかなり有利なんだよ。
けして勝つだけじゃなく精神修養も大切だが、競技を行う以上勝つ事を
目的にしないことはおかしい。
じゃあとりあえず>268は甲野氏に挑戦してみれくれ!
自慢の筋力や瞬発力を駆使して甲野氏の技を破ってからにしてくれぃ〜甲野氏は(私見では失礼ながら)「最高峰」じゃないが、今一番敷居が低く古流武術を体験させてくれる人だから、まじで簡単に参加出来るから(笑)
遅レスだが、
>>158
>「正しい剣道」なるものが競技への特化だけでなく、
>博道の系統までほぼ全滅に追い込む態度が問題なのでは?
同意。これが一番の問題。
何を信じるかは人の勝手で、「正しい剣道」を信じる人がいても
別に構わないが、やり方が非常に排他的。
>相手の剣風にまで注文をつけるようじゃ、外国に負けて当然だわな。
負けて当然だし、「剣風が・・・」と日本の現代剣道の世界でしか
通じない理屈を持ち出したところで、諸外国に対して説得力があるのか、
正直疑問に思う。 >>268
剣道だけじゃなく、武器を扱う武道の場合は、筋力よりも技のほうが大切なのよ。
理由は二つあって
一つには、筋力があろうがなかろうか両者の破壊力は同等と扱われること。
二つ目には、スピードは(必ずしも)筋力に比例しない事。
これは古流武術の基本的な考え方ね。
だから高齢者でも短い時間ならとんでもない強さを発揮できるわけ。
実戦を想定すると、それなりのスピードで刀が触れれば斬れちゃうわけで、
剣道でも、いいタイミングで当たれば一本になる。
KOパンチみたいなものはないし、威力があるから二本分とかにはならないので
筋肉をつけて破壊力を磨く必要はない。
また、剣先をかわす、わずか一寸(3センチ)ほどの動きに筋力はさほど関係
ないし、剣を振り下ろす速度も、筋力があるから速いというものでもない。
競技である以上、勝つことが大切というのは同意。
勝利を得る為の努力で、精神が磨かれる面もあるからね、 甲野さんは講習会とかで技がかからず恥かきまくりなんて話もあるようですが >>272
甲野氏も普通の人間なんだから掛かったり掛からなかったりが当たり前。
毎週通ってくる弟子にほぼ確実に技が掛かる合気道他の師範が異常。
異常ってのは馴れ合いが普通になってることだけどね。 たとえば黒田鉄山先生じゃ気楽に技をみせてくれないし! 高校と大学時代に日本一になった知り合いが現役バリバリの頃に10段の70過ぎのじいさんと試合する機会があって、
「10段つっても、あんなじいさんに負けるかよ!」
と思ってたら、ほとんど何も出来ずに負けたと言ってた。 >>271
筋力=スピードじゃないんだよ。
>>271さんは、筋肉には白筋・赤筋・中間筋があるのは知らないようだな。
瞬発力の競技者は、パワーの筋力とスピードの筋力の2つを意識して
トレーニングしてるんだよ。トレーニング法もそれぞれ違う。
筋力だけならボディビルダーに敵わないけど
スポーツ向きではない。
しかし重量挙げの選手は、ものすごいシュンパツ力を身につけている。
これは白筋のトレーニングによるものであの体で垂直跳び80オーバー
はかるくジャンプする。剣道なら遠間からかるく打ち込んでくるだろう。
しかもスピードがある打ちで。
やはり剣道も、シュンパツ力の競技、ウェイトトレーニングが有効だ。
シュンパツ力の競技で、ウェイトトレーニングをしない競技者はいない。
技術が互角なら、筋力特に速筋に優れた者には敵わない。
(100%とはいわないが)
確かに技術で、体力を負かすこともできることもあるだろうが。
そしたら、>>271さんは技術だけ磨けばよいとゆうことだが。
スポーツ理論を知る者たちからは、笑われるだけだろうけど。
今度のオリンピックの瞬発力競技で一般人のような体の人は間違いなくいないはず。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています