■■剣道の当たり判定は不自然■■2本目
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胸を突かれても無傷。
肩を袈裟懸けにされても無傷。
大腿部を斬られても無傷。
だが、小手を斬られると即死www
もう、ルールありきの、ただの竹刀競技だろ。 >>131-132
>ところで担ぎ面が子供に悪影響を及ぼす、というのは剣道を指導した
>経験が少しでもあれば分かるのでは?
「かつぎ面」といえばその質を問うことなく全否定する画一的態度を
批判しているだけで、貴方のいう教育的効果については否定しない。
>相手の攻撃を避ける、防御するということの前にまず自分の
>打ち所・捨て所を捉えて全身で打ち込むということを覚えてからでないと
>何も出来ない選手に育ってしまう。
私もそのように教えられたし、剣道を人に教えるときにはそのように説明
している。捨て身の技の大切さは承知した上で、しかし、防御から
教えるやり方もありえるのではないかと思うようになっている。
ボクシングでも、殴る技術を教える前に殴られない技術を教えるところも
あるようだ。確かに防御偏重でやっていると攻防のバランスの崩れた剣が
出来上がってしまうだろうが、それは攻撃偏重の場合でも同じことだ。
要は偏重の状態にならないように、初心者に対しては指導者がコントロール
する必要があると思う。
それは、ボクシングなどの場合、セコンドがやっているよね。 >>134
バランスの問題に関しては確かに別の視点として考えられますね。
剣道は、あらゆる格闘技に比べて先手必勝、攻めろ攻めろと教えられる攻撃偏重の文化であることは否めないと思いますし、
それが剣道の価値観であるところは恐らく揺るがないのでその点、全体として何かバランスを欠くという指摘は充分可能でしょう。
(完全に余談ですが、そのような攻撃偏重の思想が戦時に軍国主義に於いて利用されてしまったという面もあります)
やはり、剣道が攻撃偏重であるからこそ剣道で結果を残したければまず先に攻撃を勉強するのは当然の流れなのでしょう。(「剣の技法」としての是非はともかくとして)
ですから、「剣道をする」ならば防御とのバランスを考えることよりもきちんとした打ち込みを先に教えることが徹底されていますし、剣道で結果を出す選手たちも皆(というか剣道をする者は皆、かも知れませんが)そのような稽古で錬を高めていますね。
結果、それで「攻撃偏重」となることも無いと思います。(剣道自体が攻撃することを是とするため当たり前ですが)
考えてみれば剣道の稽古は攻撃ばかりです。防御的な部分は足裁きくらいで(だからこそ差がつく部分ですが)素振りから始まって切り返し、基本技、打ち込みと攻撃を叩き込まれますね。
それは剣道をやるからには避けられない宿命なのかも知れません。>>134さんの考える「防御から教える」というのは具体的にはどのような稽古法なのでしょうか?
別に、私は攻撃>防御という価値観を強烈に支持しているわけではない点は誤解なきようにお願いします。
ただ、剣道という文化を見ると攻撃偏重はそれ自体の性質であるということ、加えて宮崎選手や中村先生もやはり攻撃を主体とする剣道の文化の中で練成し、己の剣を切り開いていったのであって
全く別のストリームから生まれた者ではない、ということを指摘したいに留まります。
「実戦なんだったら攻撃よりもっと防御を大切にした方が良いのではないのか?」
という指摘は全くそのとおりだと思いますし、その点「剣道は実戦では防御が弱い」という指摘もかなり幅広く妥当するのではないかと思います。
勿論それは、剣道という枠組みを飛び出した上での話ですが。 >>133
>考えてみると中村先生の「竹刀の下に立つな」「剣の恐ろしさを知れ」と
>いう言葉も、同じ趣旨の言葉であると思う。決して「斬られずに斬れ」と
>仰っているのではない。
防御偏重で腰のひけた剣がダメなのは当然の前提だろう。
>>54で引用されているそれらの言葉の意味は、真剣を扱うことを前提に
するのであれば、相手の竹刀を体に触れさせないようにしなければならない、
としか読めないのだが。
>剣道派の方が、中村先生の言葉が剣道批判の材料になり得ないというのは
>それが剣道の立場からでも充分に受け止められるものだからであって
>当然の反応なのだろう。
>このスレッドでの中村先生の言葉は意図を極端に捻じ曲げられている
>ように感じる。
>>54で引用されている言葉は、明らかに現代剣道のある部分を批判している
ようにしか読めないのだが(全否定ではないが)・・・。>>73が指摘して
いるように、剣の術理や理合が現代剣道でも多くは通じるものであるはず
なのに断絶している部分が大きいから、>>54のような表現になった、と
考えているのだが違うのか? >>135
>>>134さんの考える「防御から教える」というのは具体的には
>どのような稽古法なのでしょうか?
とりあえず思いついたものを考えると・・・
まず基本的な足捌き(フットワーク)は最重要だろう。
その上で効率的なよけ方を学ばせる。足でかわす、竹刀でかわす、それぞれの
場面において、次の場面につながりうるようなよけ方を学ばせる。相手が連続
して攻撃してきた場合はどうするか、距離をとるのか、懐にとびこむのか、
相手を打つのか、それぞれの状況に応じて考えていくと。
あと、安全でかつ次の展開につながる距離のとり方(非常に難しいが)。
その中で、防御偏重になったときにはかえってつけ込まれやすいことなど、
必要事項を適宜入れていく中で攻撃についても意識を向けさせ、防御と
攻撃のバランスを失さないことが重要であることなどを理解させていく。
防御から入る体系を作るには、セルフディフェンスを流派の目的としている
柔術の体系なんかを参考にすると面白いかもしれない。
とりあえず、こんなところ。 >>>54で引用されている言葉は、明らかに現代剣道のある部分を批判している
>ようにしか読めないのだが(全否定ではないが)・・・。
恐らく、その「全否定ではない」という部分が肝なんだと思います。
私が書いたのも、やはり現代剣道の一部分の批判ですね。(現代剣道、は特定の内容ではなく現代行われている剣道、という意味です)
「この発言があるから、剣道なんてやってもダメなんだ」
「つまり剣道の当たり判定で稽古をしてもダメなんだ」
そのように解釈する者がかつていました。(今はどっかいったかと思うと夏蝿のように湧いてきますw)
また、「それゆえ剣の理合=攻撃<防御だ。当てっこは理合に適う」という趣旨で捉えるのもやはり間違いだと思います。
「剣道の攻撃偏重の中でも、竹刀は刀であることを忘れてはならない」ということ、即ち私が書いたところの当てっこ批判と同じですが、それを意味する趣旨と解するのが自然ではないでしょうか?
また、
>剣の術理や理合が現代剣道でも多くは通じるものであるはず
>なのに断絶している
という点について、では通じるはずなのに何故断絶していると考えますか?
>>73氏は意図的に排除したかのように書いていますが私は違うと考えます。
一つは、「斬られずに斬る」が実戦的であり、実戦では防御と攻撃のバランスも重要視されるところ剣道は攻撃を是とし特化する武道であるため、
攻撃の理合の前に防御の理合が相対化する、ということを>>73氏は理解していないということ、
それに加えて真剣の術理でも攻撃はかなりの重要性を占めていた(というのは文献からしか推察できませんが。)点で、>>73の「剣の術理」に対する理解が不十分であること、
つまり、現代剣道にも剣の術理(特に攻撃面)は充分伝わっていながら>>73氏はそれを理解できていないというのが真相かと思います。
しかし、現代剣道に伝わるべき、伝わってしかるべき術理というか、競技としてのルール上は必要ないがそれでは剣の攻撃の術理を体得するものとして真っ当できない、というのが
中村先生の仰る忘れてはならないこと、現代に於ける相手に打たることを軽視するという捩れへの警鐘なのでしょう。
そのように解することで、全てが論理的に素直に繋がっていくと思います。 >>137
なるほど、確かに防御方法をバリエーションをつけて意識的に練習することは効果的な気がします。
ただ、相手が打ってくることが分かったならその機先を制して打つ、というのが剣道のオーソドックスな戦法なので
まず防御ありきではなかなか一本を取れる選手には育たないかも知れませんね。
(どちらかというと、選手云々というよりは剣道に対する防御法の指導という感じなのかもしれませんが。。)
打ってこない相手だと思ったならば打たずに攻めて苦しくなったところの起こりを叩く、という感じで処理されてしまう気もします。生半可な攻撃は隙を生むだけですし…
打突に至らない攻めが防御の役割を果たしていることも考えると、失礼ながら防御を以って攻撃の代を為す、という程の変革を起こせるものではない気もしてしまいました。
やはり「剣道」の稽古法としては苦しいのではないでしょうか?と言っても仕方ないですけど。
ご意見ありがとうございました。 >>139
初心者に対し攻撃・防御のどちらから入るか、どのような教え方をするのか、
という話だから、上のような説明にした。
打突に至らない攻めが防御の役割を果たしていることは承知だが、
どのような教え方をするにしろ、そのあたりはかなり上級で教えてできる、
というものでもないしね。
ただ、現代剣道の攻撃を是とする思想を相対化すべきではないかと
個人的には考えているので、あえて書いてみた。
現代剣道は隅から隅まで独自の価値観・思想で固まっている。
それ自体は悪いことではないが、その中で失われたものがあるというのは
上で書いたとおりだ。その文脈の中で中村藤雄氏の発言もとらえるべきと
思う。
>>140
そうですね、結論として思うところは似通っていると思います。
陳腐な言い回しですが「真剣同士の戦いの緊迫感」みたいなものは相当相対化されていますし。
その中で、剣道人として何をしていくべきか中村先生の言葉をどう捉えていくべきかを考えると、
真剣ならばどうなるのか、といったことを年頭に置きつつ剣道をしていく中で「失われたもの」を追求していくことなのではないかと思います。
ルールに依存することなく、正しい、目指すべき一本とは何なのかを考えることもその一歩であると思います。
長々とありがとうございました。 >>132
>私たちも、段位審査を研究したりする際に五臨や葉隠等の古来の剣術書を
>紐解き研究することがあるが、やはり「剣の理合は斬らせずに斬る」として
>教えているものは皆無と断ずるに躊躇しない。
>斬られたくないからこそ捨て身の一打を、というのは古くからの剣術が
>常に伝え続けているところで、
>やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う
おいおい、本当に「五輪書」読んでるのかよw
五輪書地之巻には
『武士の兵法を行う道は、何事においても人にすぐれるところを元とし、あるいは
一身の斬り合いに勝ち、あるいは数人の戦いに勝ち、主君の為、我が身の為、
名を上げて身を立てんと思う。これ、兵法の徳をもってなり』
とある。
分るよな?
武蔵は「どんな状態でも人に勝つのが兵法である」と説いているわけ。
相手の人数が多くても勝たねばならない。
それを
『太刀の徳を得ては、一人にして十人に勝つことなり。一人にして十人に勝つなれば
百人にして千人に勝ち、千人にして万人に勝つ。然るによって、わが一流の兵法に
一人も万人も同じことにして、武士の法を残らず兵法というところなり』
と伝えている。
一人で十人を相手に斬られずに勝つのが武蔵の言う「兵法」なわけよ。
捨て身どうこうってのは、剣道が一対一のスポーツだから出てくる発想であって
いわゆる「剣の理合」ではないの。
ちなみに沢庵の「不動知神妙録」では
『例えば、十人にして一太刀ずつ我へ太刀を入るるも、一太刀を受け流して
跡に心をを止めず、跡を捨てて拾い候はば、十人ながらへ働を欠かさぬにして候』
と教える。
つまり、相手が多い場合でも、特定の相手に拘らず常に一対一で受け流していけが、
スキを見せずに十人を相手にできるということな。
「捨て身」というのは、一人の相手に拘ることになるからダメなわけ。 >>132
ついでに新陰流の「殺人刀」では
(現代語に要約すると)
人に一太刀浴びせるのは容易い。人に斬られぬことは難しい。
相手は斬ろうと思って打ち付けてくるが、身に当たらぬ間合いを熟知して
驚かずに、あえて敵に打たせる。
とある。
そしてこう続く。
『敵は当たると思ふて打てども、つもり(間合い)あれば当たらぬなり。
当たらぬ太刀は、死に太刀なり。
そこをこちから越して打って勝つなり。
敵のする先は外れて、我かえって先の太刀を敵へ入るなり。
一太刀打ってからは、はや手をあげさせぬなり』
つまり敵の「先」の一撃をかわすことで、逆にこちらがファーストストライクをものに
することができると教えているわけ。
「斬られずして、斬る」というのが「剣の理合い」というのは常識だと思うぞw すまん、誤爆したw
>>144
葉隠も読もうぜ!
しかし「剣の理合」っていうのも色々あると思うな。
素肌剣術で武芸者として生き残っていこうと思うならまず斬られないように、が大切だったと思う。一人対多人数とかも攻撃動作は最小限にせざるを得なそう。
斬られないで生き残っていく中で技が磨かれていくとするなら、それこそボクシングの話のように防御から先に教わることもあったのかもしれないね。 今まで見てきて一番有意義なやり取りが成立した気がするがトピックからするとどちらの立場からもさほど結論は変わらないようだな。
剣道の価値観は実戦そのものではない。剣でのやり取りの一部分をフォーカスして、現代ではその精神を人間としての生き方に沿え高めていこうとする文化。
当たり判定が不自然だ、という批判はそのような剣道の性質を理解していないからそう見えるだけ。攻撃偏重の価値観が肌に合わないなら余所へ行けば良いし誰も止めない。
そのように剣道が文化として、また競技として実戦の要素を切り落としながらもなお剣の道であろうと足掻く矛盾からこそ競技としての歪みも生まれる。
そのような足掻きをどう評価するかは人それぞれなのだろう。
剣道なんて150年の歴史も持たない競技、その内容や取り巻く環境も戦前戦後、現代とどんどん変わっている。
また数年程経ったら剣道を巡る議論や環境も全く違うものになっているのかも知れないな。
柔道のように国際主義の中で合理化・定式化の波に揉まれて剣道としての本来の姿を著しく見失ったものにはなっていないでくれと、現代の剣道家としては願うばかりか。
何が「正しい剣道」なのかは誰かが決めて押し付けるものではなく理想的には個々が考えるべきことだから、剣道日本のようなジャーナルで様々な剣道を紹介し、比較議論するような試みがもっとあっても面白くなるかもしれんね。 >すなわち当てられずに当てる技術を磨いた方が
理合にかなうのかもしれないね
宮崎氏の剣道、合理的な剣道だと思う。だから6度も日本一になれたと思う。
>やはり剣の理合の第一歩は「捨て身の打ち」なのだと思う。
実力の低い人が、実力の高い人に使う打ち方だと思う。
実力が接近したもの同士では「捨て身の打ち」は使うべき打ち方ではない。
虚実を読めなきゃ防御もクソもないかと。
一年くらいやってりゃどんな防ぎ方すればいいのかなんてわかるだろうし。
学ばなきゃいけないのはどう防ぐか、よりどこを撃ってくるかだろ 虚実を読めなきゃ防御もクソもないかと。
一年くらいやってりゃどんな防ぎ方すればいいのかなんてわかるだろうし。
学ばなきゃいけないのはどう防ぐか、よりどこを撃ってくるか、だろ
もう、お互いに噛み付くのは止めないかい。
剣道には剣道の良い所があるし、剣術には剣術の面白い所がある。
これが分かっていて、お互い尊重し合える者同士で、オフをすると
それはもう、とても面白いもんだよ。
>>151
剣道屋やしったかが多いからね。
デタラメな理論で長文書いてるようではガキと同じで話にならない(笑 >>147
>剣道が文化として、また競技として実戦の要素を切り落としながらも
>なお剣の道であろうと足掻く矛盾からこそ競技としての歪みも生まれる
そういうこと。
時代環境の問題で、技術も精神も徐々に変形していったのだろう。
実戦的技術といっても、それを使用できる時代環境がなければ、そのような
技術が育ちにくいのは剣道に限ったことでもない。
ただ、それなら競技に特化した技術・価値観が大勢になるのが自然なのに、
「正しい剣道」に代表されるような競技への特化を阻む価値観が多数派で
あるところに剣道の特殊性がある。
それも平和な時代における付加価値のつけ方の一つといえようか。 >>153
こういうレスを見ると、剣道をやってると精神が歪むのかなと思う。 >>155
絶対お前みたいなバカが湧くと思ったwww
例えば、お前が人に石投げてお返しに突き飛ばされたら
それはお前に原因があんだろ?他人に対してバカな事言えば
存在を否定されるのは当たり前だろが。タコwww 「正しい剣道」なるものが競技への特化だけでなく、
博道の系統までほぼ全滅に追い込む態度が問題なのでは?
相手の剣風にまで注文をつけるようじゃ、外国に負けて当然だわな。 >>158
>「正しい剣道」なるものが競技への特化だけでなく、
>博道の系統までほぼ全滅に追い込む態度が問題なのでは?
中山博道氏の系統だけではなく、他の系統に対してもそうだと思う。
多分に政治的なものだ。
>相手の剣風にまで注文をつけるようじゃ、外国に負けて当然だわな。
というか、「正しい剣道で勝たねばならない」という自縄自縛に
かかっているのではないかと推測するが・・・。 >>158
それは言えてる。
確かに、ルールの中での強さを追求する方向なら、それもアリだと思う。
競技ってのは本来そういうものだから。
ところが現代剣道は、ルールの中で強さを発揮しても、「剣風」なる曖昧模糊とした
ものを持ち出して批判をすることをはばからない。
この体質こそが問題だわな。
外国人には「剣風」なんて関係ないから、(剣道の試合での)実戦的な強さを求める。
不合理な「剣風」に染まった日本人は負ける。 >>159
現代剣道は、「正しさ」を勘違いしているんだよな。
現代剣道の言う「正しさ」というのは単なる「格好重視」でいわばファッションと
言ってもいいもの。
本来、スポーツ(競技)においては、ルールの中で相手に勝利すること。
これが最優先であるべきで、勝利したものが「正しい」という価値観であるべき。
(でないと競技の意味がない)
つまらなかろうが、少々格好が悪かろうが、それは個性として認めるべきものなんだな。
例えば剣術には数多くの流儀があり、かなり異端的な技を使う流派もあったが結局は
淘汰されていったわけだ。
剣道においても、異端的な動きや構えは、その実力をもって淘汰するべきで、勝敗が
ついてから剣風がどうこうとぐだぐだ言うべきではないし、そういう批判は恥ずかしいと
考えなければいけないだろう。 >>161
>現代剣道の言う「正しさ」というのは単なる「格好重視」で
>いわばファッションと言ってもいいもの。
厳しい表現だねw
ま、自分たちの世界の権威ある大会で6回も全国優勝した人間に対し、
剣風うんぬんで批判するわけだから、そういわれても仕方のない面は
ある(それには、現代剣道の持つ思想ゆえ、という理由はあるわけだが)。
そのような態度は勝者を貶めるだけでなく、結局は自分たちの看板にも
唾を吐くような行為だと思うのだが・・・。 ある剣道関連のスレで宮崎正裕氏について、「騙しと打たせないことに
専心しているのが残念だ」との書き込みがあって驚いたことがある。
あのレベルで、「騙しと打たせないこと」だけで勝ち続けることができるか
否か、普通わかると思うのだが・・・。
「正しい剣道」を是とし宮崎氏には「汚い剣道」とレッテルを貼る
「教育」が2ちゃんの書き込みにまで及んでいるわけだ。
これは、かなり恐ろしいことだと思うのだが、どうだろう?
>>163
その辺は価値観の差なんだろうね。
剣道家の視点でみると「打たせない技術」というのは、卑怯に見えるらしいんだわ。
現代剣道は、少々無理してでも攻撃したほうがカッコイイみたいな風潮があって
相撃ちスレスレで一本取るのがエクセレントらしい。
要するに、正面からの打ち合いで、一寸ほどの間合いのやり取りするのが、
彼らの言う「すばらしい剣風」なわけだ。
「斬られずに斬る」という古流剣術の基本概念から見ると、相撃ちは下手のすることで
確実に一本入る体制にもっていくのが、上手いやり方となる。
現代剣道家はこの辺りの概念が理解できない。
本当は理解しているんだけど、それも認めちゃうと彼らの「正しい剣道」が否定されるので
いわく「異端である」「落ち着きがない」「勝ち負けにこだわりすぎる」「子供の教育によくない」
「剣風が卑しい」などと批判してしまうわけで。
これは特定個人というよりは、実は剣道界全体の風潮なんだよね。 なんか論外な話が続いてるな
剣道にあるのは別にファッションでもなんでもない
一番わかりやすい形で武士道の思想を残すものだ
フェンシング発祥の地フランスにも騎士道がある
フェンシングは国際競技だから柔道同様徐々に形を崩しつつある
仮に剣道に猫背の剣風があったとしたら、それはすでに異種格闘技だ
高潔な精神性を文化の根幹に据えているのに、試合の勝敗に拘って
本質を省みないから反発を受ける事が解らないんだな
駄目だこいつら外皮しか見えてねぇ 剣道と剣術は求めてるものが違う。
思想によって動きが変わるのは当然の事。
剣道の試合で剣術のような動きをすれば異端視されるのも当然の事。 >>158〜>>164
中山博道氏は知らないけど、なっとくだ。
>>仮に剣道に猫背の剣風があったとしたら、それはすでに異種格闘技だ
頭が固いな。
>>高潔な精神性を文化の根幹に据えている
これが剣道の本質か?精神性のみを重要視する剣道家は、間違いなく剣道の試合は弱い
のだろうな。
剣道が強い弱いは確かに関係ないけど。
剣道が弱いが剣道が好きだから、こうゆう本質を作り出すのだろうな。
だから自由に剣道をしたい者にはやりにくい。
>>相撃ちスレスレで一本取るのがエクセレントらしい
俺は、これが嫌い!しかしこれを求められる。
>>確実に一本入る体制にもっていくのが
これが好き!
俺は、自分勝手な剣道なんだって。。て言われた。
4●才リバケンオヤジ
大人と稽古するより、中学生や高校生と稽古した方が自由にできるから面白い。 古流剣術に刀投げ飛ばす技があると知った時は愕然としたな。
今の剣道とはかけ離れ過ぎてて最早比べる対象ではなくなってると思ったよ >>165
>剣道にあるのは別にファッションでもなんでもない
>一番わかりやすい形で武士道の思想を残すものだ
> 仮に剣道に猫背の剣風があったとしたら、それはすでに異種格闘技だ
姿勢が一定の型になっていなければ武士道の思想を表しているとは
認められず、猫背であれば既に異種格闘技であり剣道ではないと?
それならば、一定の型であるか否かが重要なのだから、>>161の言うように、
現代剣道は「格好」重視、ファッション(型、様式という意味がある)重視、
ということで正解になる。>>165は、>>161を批判しようとして、>>161の
意見を認めてしまっている。
>>165は、自分が何を書いているか理解していないし、それ以前に、
>>161が何を書いているかすら理解できていないように思われる。
>なんか論外な話が続いてるな
>高潔な精神性を文化の根幹に据えているのに、試合の勝敗に拘って
>本質を省みないから反発を受ける事が解らないんだな
>駄目だこいつら外皮しか見えてねぇ
相手の文章を読めてない人間が、掲示板で相手と議論するのは論外だし、
高潔な精神性とやらが理解できているとも思えない。
外皮すらも見えていないと思われる。 >>164
>「斬られずに斬る」という古流剣術の基本概念から見ると、
>相撃ちは下手のすることで
>確実に一本入る体制にもっていくのが、上手いやり方となる。
>現代剣道家はこの辺りの概念が理解できない。
>本当は理解しているんだけど、それも認めちゃうと
>彼らの「正しい剣道」が否定されるので
>いわく「異端である」「落ち着きがない」「勝ち負けにこだわりすぎる」
>「子供の教育によくない」
>「剣風が卑しい」などと批判してしまうわけで。
現代剣道でも、「打って勝つな,勝って打て」など同様の趣旨の言葉が
あるし、本来は共通するはずなのだが、後から接木された
「正しい剣道」の概念との矛盾が出てきているということだと思う。
>これは特定個人というよりは、実は剣道界全体の風潮なんだよね。
個人的には、「正しい剣道」の概念は戦後になって政策的に形成されて
きたものであると考えている。現に、中倉清氏が「変剣」というレッテルを
貼られるようになったのも戦後からであり、戦前にはそのような評価は
存在しなかったという。そもそも、戦前には各種剣道団体が並立しており、
それぞれの特徴をもって活動していたので、唯一絶対の「正しい剣道」など
存在しようもなかったと思う。 剣道は、ボクシングのようにルール内で戦う面白さかな。
あと、相手が参ったと言うような、相手の心を打つ最上の一刀
を追い求める道ってのは良いな。
剣術は、総合格闘技的なルール無用の何でもありの面白さだね。
技においては無限の可能性があるし、とりあえず、ガチな所がとても良い。
ボクシングと総合で争うのって、無駄じゃないかい。
どっちも面白いじゃないか。 >>170
馬鹿なのか?
ファッションが思想か?形式か?
日本語の勉強からして来い
お前らが言う、新しいつもりの流行やらがファッションだろ?
言語障害か?
だからお前は長いだけで無意味な見当違い文章をばら撒いちまうんだ
自分を省みろよ しかし剣道で剣道で一般的に使われる技意外つかうとなぜか邪道扱い。
中段以外の構えをすると何あいつ?みたいな、構え自体相当あるのになんで
中段しか認めない風潮が、上段はまだ許されるけど。
中段意外をするとふざけてると思われる。
変則的な動きや剣筋は予想しにくい、下段からの切り上げ篭手、胴とか
下段からの変則打ち自体は反応鈍るので防がれにくいけど
でもやると怒られる(’’;
頭が固い爺どもばかりだぜ、精神や見た目だけでは相手に勝てないぞっと >>167
頭が固いというのと、理もわからず都合主義なのは全く別だ
細長い竹刀でも使ってみたらどうだ?
剣道が剣道ルールで弱ければそれは剣道が弱いと見てもいいが
剣道が、古流に対して何故強くなければならない?
無思想のちゃんばらに対して何故強くなければならない?
何を持って強いと?
そもそも、様式や仕来りを理解できないまま、あっちこっちとフラフラ
浮ついた思想でないものねだりしているその精神こそが弱いんだろ?
まあ解ってないとは思うが 結論はこうだろ
剣道にしろ、どんな道にしろ、その門をくぐったが、一向に前に進めず
本質に触れることが出来ないままないものねだりに駄々をこねるその
弱い精神こそが「当たり判定」がどうのなどと吠える
心身を磨けば、そんなくだらないところに目くじら立てて食い下がらんだろう
精神的に弱すぎるんだよ、こいつらは >>176
自分が何を書いているか理解していないし、それ以前に、
他人が何を書いているかすら理解できていないように思われる。
心身を磨けば、そんなくだらないところに目くじら立てて食い下がらんだろう
精神的に弱すぎるんだよ、こいつらは >>ID:KzhJtmba >>174
まずね「ファッション」というのは単純に服装や髪型を表現する場合もある。
流行のファッション、オールドファッションという使いかたも一般的だからね。
転じて「見た目だけを気にする」という使い方もよくあること。
剣道において、ルール上なんの問題もないのに「猫背を認めない」というのは、
単なる見た目重視ってことにすぎない。
剣道だけやってるとわからないかも知れないが、大抵の格闘技は、前屈(やや猫背)に
構える。それが動きやすく合理的な構えだから。当然、真剣を扱う古流でも剣を振りやすい
ように、肩甲骨をゆるく保つ為にやや猫背ぎみの構えになる。
ちなみに背筋を伸ばすと、重心の位置が後ろに下がるので、一歩遅れるし
背筋を伸ばした状態では、斬れない。 >>176
>剣道が剣道ルールで弱ければそれは剣道が弱いと見てもいいが
>剣道が、古流に対して何故強くなければならない?
剣道ルールの中でも、古流の動きのほうが一枚も二枚も上なんだ。
合理的だから。
実際に古流の流れを汲む、宮崎氏や中倉氏は強かった。
現代剣道界は、それを「汚い」と批判し認めなかったけどね。
ルールの中で勝利したものを認めないような「剣道精神」ってのは百害あって一利なし。 >>181
剣道・古流剣道、俺には関係ないが
合理的だとゆうことは、大賛成だ。
競技に勝つには合理的とゆうことは、大切なことだ。
精神重視の剣道家の動きは、単調すぎて自分もある程度
合わせなくてはならないので、やりにくい。
面白みに欠ける。 >>180>>181
勝つための正しい理論だな。
もとプロスポーツ選手としての私の考えは!
腰か打突しろと、腰から頭は直線的に、背筋がつりそうになるし、
そんなの合理的なのか?
打突するスポーツは、すべて前傾姿勢だし。
陸上競技でも、瞬発力競技は、全て前傾姿勢なんだよ。
剣道も瞬発力が物をゆう競技なんだよ。
何が正しい、美しい剣道だ?
馬鹿馬鹿しい!! >>174
>馬鹿なのか?
>ファッションが思想か?形式か?
>日本語の勉強からして来い
>お前らが言う、新しいつもりの流行やらがファッションだろ?
>言語障害か?
>>180で「ファッション」の意味については指摘されているから、改めて
書くことはない。現代剣道は格好、見た目重視。馬鹿にしているわけでも
何でもなく、事実だ。>>170で指摘しているように、貴方自身があげた
猫背の例からもそれは明らかだ。
他人に馬鹿だの言語障害だの罵詈雑言を言う前に、まともに文章を読み、
書く練習をしたほうが良い。 俺も年で面までは、なかなか届かないが。
スピードある小手を微動だもせずくらいながら、
心折れる打突じゃないので関係ないだって?
微動だもせずくらったんだから、心折れろつーの。 剣道家は、50代・60代・70代と幅広く、運動能力のそんなに優れた
人達も少ないので、「正しい剣道」とゆう動きに統一性をもたせ、少なくして、身体能力の優れた
もの達への対抗手段なのだと思う。 >>186
お前の場合結局剣道の本質がわかってない人間のせりふだ
浅瀬でパチャパチャやった程度だからそんなことが気になって仕方ないんだろう
剣道で姿勢というのはさまざまな意味がある
お前らのごねるだだは、下らない あと、ファッションについて単語からして間違ってる
都合いいように言葉を歪曲するな
そういう姿勢だから都合いいように物事を歪曲したがる
つまり、本質に触ることが出来ない剣道を
都合よく理解した気になって歪曲しようとしてるだけ
つまらない人間が良くやることだ
剣道に限らず、何をやっても長続きしない、プライドだけは一人前の人間に
よく見られる習性だな 竹刀競技化したのは大会が増えすぎたせいだよ
みんな優勝したいと思うでしょ? 元に戻すにはまず「大会で優勝したいから稽古する」って意識を無くさなきゃ
ま、組織がデカくなりすぎた今からじゃ不可能ですな >>181
>ルールの中で勝利したものを認めないような「剣道精神」ってのは
>百害あって一利なし。
同意。
宮崎氏の場合などでも陰湿な個人批判が、「正しい剣道ではない」との
理由の下に横行していた。「剣道日本」も酷かったが、もっと酷かったのが
「剣道時代」。「勝ってはいけない剣道が勝ってしまった」などという
題名の匿名の批判記事など、第三者がみても吐き気がするような
ネガティブ・キャンペーンを長いことやっていた。
そのような宮崎氏憎しの空気の中、PL学園監督の川上氏や恵戸孝吉氏など
数名だけが、まともな発言をしていた。特に川上氏は、宮崎氏が全日本を
連覇したときの雑誌その他の宮崎氏に対する常軌を逸した批判に対し、
「前人未踏の連覇の偉業をまずは讃えるべきであるのに、批判が
先に立つのはいかがなものか」と苦言を呈していたが、
しごく常識的な感覚といえよう。
「剣道精神」が上記のようなイジメの如き態度をとらせるのだとしたら、
正に百害あって一理なしといえる。 >>191
棒を振り回して、ルール内で試合に勝つことが剣道じゃないんだ
それは、部活とか、学校の入学者獲得目的であって剣道の真髄ではない
美学に反して出世する、
美学を無視して金儲けする
美学なくして試合に勝つ
それらは近道かもしれないが、誰もに認められるほど立派な実績にはなりえない
みんな近道がしたいから、こんなスレが出来て持論を展開するんだろうが
誰もが認める勝ち方をしないものは、旨くやって、負けることを回避できた者であって
誰からも評価される勝者ではないということだよ
そこさえ解れば、こんなくだらないスレも建つことはないのだが、
いかんせん人間というのは自分の未熟なる原因を他に求めたがる
いまさらながら思うが、真っ直ぐな努力が出来る人間というのは最大の才能を持つ
限られた人間だけが進める道なのだという事かな >>192
>みんな近道がしたいから、こんなスレが出来て持論を展開するんだろうが
>誰もが認める勝ち方をしないものは、旨くやって、負けることを
>回避できた者であって
>誰からも評価される勝者ではないということだよ
>そこさえ解れば、こんなくだらないスレも建つことはないのだが、
>いかんせん人間というのは自分の未熟なる原因を他に求めたがる
笑わせる・・・。
宮崎氏は、人の何倍も努力して正当に勝利している。
それを「正しい剣道ではない」、「汚い剣道」などといって不当に
貶めるのは、それこそ自分の未熟な原因を他に求めたがる行動だ。
>いまさらながら思うが、真っ直ぐな努力が出来る人間というのは
>最大の才能を持つ
>限られた人間だけが進める道なのだという事かな
人一倍努力して正当に成功している人間を不当に貶めるのを、
世間では嫉妬という。嫉妬を屁理屈でくるんで自分を誤魔化して
いる人間は、「真っ直ぐな努力」などしていない。 >>192
ルールの中で努力するのが「美学」だわな。
また相手のスタイルが気に入らないなら、実力で排除するのが「美学」
負けた側が勝者をけなすというのは武士道精神にも美学に反するだろう。 人一倍努力をして正当に勝利した人間に対し、さも汚いことをしたから
勝ったかのように言う、的外れに偉そうな態度・・・。
それこそ、まさに自分の未熟なる原因を他に求めたがる態度なのだが、
それに気づきもしない。まるでどこかの宗教団体の信者のようだ。 >>193
>>194
>>195
↑
訳も解らず文句だけ並べたい人間だな
都合のいい例題を出さず、当たり判定が不自然という負け犬の遠吠えが
見当違いだと認められないのか?
はたまた認めると不都合なのか?
とにかくスレタイからかけ離れた例を出しながらも、スレのテーマが否定されることを
頑なに逃げ続けているだけの屁理屈並べは見苦しいけど? すでにスレタイがメインテーマではないことにすら
気付いていないのか・・・・? 剣道で心と体を鍛えることができたら、「剣道の成功者」。
それに失敗した者は「剣道の失敗者」だ。 >>197
>すでにスレタイがメインテーマではないことにすら
>気付いていないのか・・・・?
気付いているが、現在メインテーマになっている話題には
触れたくないのかもね。
>>196
剣道には独自の価値基準があり、当たり判定にもその基準に照らして
それなりの一貫性があるとしても、宮崎正裕氏の事例のように、
その当たり判定の基準に従って行われた試合で正当に勝った人間を
「正しい剣道ではない」、「汚い」などと不当に批判するのは、
当たり判定を含めた自分たちの競技そのものを否定する行為だと思うが。
それこそ、当たり基準が不自然・不合理なのか、剣道の世界の価値基準が
不自然・不合理なのか、のどちらかだろう。 それこそ、当たり基準が不自然・不合理なのか、剣道の世界の価値基準が
不自然・不合理なのか、のどちらかだろう。
↓
当たり判定を含めた剣道の競技そのものが不自然・不合理なのか、
剣道の世界の価値基準が不自然・不合理なのか、のどちらかだろう。
結局ね、現代剣道は「精神」そのものが歪んでると思うんだ。
だから剣道に関しては、他の武道よりも批判的な人が多い。
どこが歪んでいるのかというと、(このスレでもそうだけど)剣道やってる人は
「剣道は実戦を想定していない」と言い張るんだ。
まずここが問題なんだよね。
剣道が実戦を想定しているという前提で考えると、
例えば、肩や首筋を狙った袈裟切りについては、相打ちが多くなり
判定が困難になる為に排除した。
という解釈になる。
実際にやってみればわかるけどね。
実戦を想定しているなら、面を首捻ってよけるなんてのは、相手の技が効いてる
ってことなので、柔道でいう死に体となり一本とってもいいことになるだろ。
構えや動きについても、それは使い手の個性であって、勝つ為の努力であり
それを批判するということもなくなるだろう。 他の武道の場合は、「敗北からこそ学ぶことが多い」とよく言うんだけど
剣道の場合はそれがないんだよな。
例えば、宮崎氏がなぜ強いのか、それを分析することもなくただ「汚い」とだけ
批判しても進歩はないわけで、前に進むことを拒否して、独特の価値観ひきもる
ようでは、宗教といわれてもしょうがない。
久しぶりに見に来たけどやっぱりこのスレ同じ所でグルグル回ってるね。
一応肯定派の立場からの意見だけど、別に剣道を否定したい人たちが剣道嫌いならそれはそれで良いんだよ。
ただ、「武道かくあるべし」みたいなそれぞれのエゴを示さないであたかも「剣道は間違った文化だ」という主張をさも論理的に当然のように繰り返すのは筋通ってないよ。
正しい剣道って何?とか剣道の中で価値観が固定化していてそれはよろしくないんじゃないのか、みたいな議論は十分論ずる余地があるし興味深い議論だけど、
それと「剣道という文化の是非」みたいなところを曖昧に溶かしながら誤魔化して同時に論じようとしているのは傍から見てて痛々しい。
「既にスレタイがメインテーマではない」とか典型だよな。詭弁甚だしいw
スレタイとメインテーマがずれてきたんだったら「現代剣道ってどうよ?」ってスレ立ててそっちでやろうぜ。
「当たり判定は不自然」とかいうアホくさいスレタイを掲げてると話の中身勘違い人も増えそうだ。
剣道批判なのか、現代剣道ルール批判なのか、現代剣道と呼ばれる一定の剣風とそれを助長する風潮への批判なのか、
三つは全然違う話なのに何故かいつの間にかごっちゃにされてるのがこのスレの議論の特徴。
それで得するのはまあ…ねw >>203
>剣道批判なのか、現代剣道ルール批判なのか、現代剣道と呼ばれる
>一定の剣風とそれを助長する風潮への批判なのか、
>三つは全然違う話なのに何故かいつの間にかごっちゃにされてるのが
>このスレの議論の特徴。
三つは全然違う問題というか、それぞれ深く関連しているんだよね。
なぜかというと、全て全剣連の行う剣道(数の上で圧倒的である以上、
全剣連流≒現代剣道といってもいい)の拠って立つ独自の価値観から
流れ出ている話だからだ。
即ち、例えば肩や首筋への打撃を排除した現行ルールは実戦性という観点から
みてどうか、という話は、そもそも現代剣道の価値観からみて実戦的で
ある必要があるのか、という話になってくる。
また、俺なんかが何度も書いている、宮崎正裕氏や中倉清氏などがルールの
中で正当に勝利したにもかかわらず、「汚い」などの批判を長く受けている
問題についても、彼らへの批判の根拠であり、現代剣道の拠って立つ
価値観の代表的な現れである「正しい剣道」の内容及びその現代剣道に
おける重要さに対する是非、などの問題が派生してくる。これらは
現代剣道の拠って立つ価値観への議論抜きには語れないと思う。
「既にスレタイがメインテーマではない」というのは問題点を誤魔化して
ただ剣道を批判したいというのではなく、スレタイの問題を考えていけば
その前提となる現代剣道の独自の価値観の問題を議論せざるを得なくなるし、現在は
既にその段階に入っている、という意味に理解しているのだが違うかな?
そういう意味では、議論は同じところをグルグル回っているわけではなく、
新しい段階に入っていると個人的には思うんだがな。
>スレタイとメインテーマがずれてきたんだったら
>「現代剣道ってどうよ?」ってスレ立ててそっちでやろうぜ。
別スレ立てても構わないけどさ、上記のような理由からこのスレで議論を
続行しても別にいいと思うよ。 >>203に同意だな。
>>204は現代剣道批判と剣道のルール自体の批判とパラレルに考えるのが当然の帰結のように言ってるがそんなコンセンサスは取られてないし
別に宮崎選手や中村氏が「剣道のルール自体を批判する立場」に立っていることが明らかなのではないから事実に基づく既存の当然の考え方でもない。
現代剣道批判と剣道のルールの是非はどちらかの結論を取れば論理必然にもう片方の結論が決まる関係にあるわけじゃないのは明らかだろ?
その選択の余地を「深い関わりがあるから」という理由で固定してしまうのはむしろ「誤魔化し」に近いだろう。
それが固定されることは論証されていないし、帰納的にも多数とは言えない。
もちろん、今までの「武道だ、スポーツだ、やんや」みたいな中身すかすかの議論に比べれば前進してるのは間違いない。
ただ、別スレに隔離する意味こそあれ、同じスレで話し続ける実益はないな。
そこらへんが十分理解されているなら話は別だが、分別が不十分な奴が多い。>>203が言ってるのはそういうことじゃないかな? ついでに私見を述べるなら「正しい剣道」の推奨は多分に教育的見地からのものだと思う。
だが、教育の名の下に剣道の自由な可能性を封じるのは剣道自身にとっても不利益だし、不正議に感じる。
例えば数年前、全日本で上段の優勝者が続いた上段全盛期の頃、上段をのさばらせないために上段への胸突きがありになった(今は戻された)けどああいう介入は非常に悪い例の一つ。
メンを打つ剣道の価値観の下で上段が中段より強いというのが結論ならばそれはそれとして受け止めなくてはならないし、中段の選手は中段の人気と権威を取り戻すために奮起しなくてはならない。
そういう淘汰は自然になされるべきもので、ルールによって介入するなんてあってはならないこと。
二刀は認めない、とか引き胴はだめ、とかそういう一部の審判の勝手なバイアスも同じ理由で間違っている。ルールの下では構えも打ちももっと自由でもいいはず。競技性も増して面白くなるだろう。
剣道指導者としても中段も、上段も、それ以外の構えも全部できるのが真に推奨されるべき姿だと思う。
中段でやるべきことが沢山あるのは承知だが、実験的に上段や二刀をかじろうとすると怒られる、みたいなのは何か違うな。
ルールというよりは指導者や審判の問題ではないかと思うよ。 >>207
>中段でやるべきことが沢山あるのは承知だが、実験的に上段や二刀をかじろうとすると怒られる、みたいなのは何か違うな。
>ルールというよりは指導者や審判の問題ではないかと思うよ
ほとんどの指導者がそうなんだから、剣道精神ってのは腐ってると言える。 >>206
>>>204は現代剣道批判と剣道のルール自体の批判とパラレルに考えるのが
>当然の帰結のように言ってるがそんなコンセンサスは取られてない
>別に宮崎選手や中村氏が「剣道のルール自体を批判する立場」に立って
>いることが明らかなのではないから事実に基づく既存の当然の考え方でも
>ない。
>現代剣道批判と剣道のルールの是非はどちらかの結論を取れば
>論理必然にもう片方の結論が決まる関係にあるわけじゃないのは
>明らかだろ?
>その選択の余地を「深い関わりがあるから」という理由で
>固定してしまうのはむしろ「誤魔化し」に近いだろう。
曲解してほしくないね。
俺が言っているのは、ルールの問題にしろ宮崎氏などの問題にしろ
現代剣道の独自の価値観ゆえに発生してきている問題だということだ。
要するに、同根の問題だからこのスレでそれぞれの問題を論じることで、
根本にある現代剣道の独自の価値観の問題がより鮮明になる、と
いっているわけだ。
一つの問題である立場をとれば他の問題について当然にこの結論になる、
なんて事は一言も書いてないんだがな。
>>207
>「正しい剣道」の推奨は多分に教育的見地からのものだと思う。
その意見はまるっきり誤りではないが、今まで出てきた中倉氏や宮崎氏、
その他「汚い」などの不名誉なレッテルを貼られた人たちが、どのような
経緯でそのようなレッテルを貼られたかをかを辿っていくと違う側面も
見えてくる。
>>197
> すでにスレタイがメインテーマではないことにすら
> 気付いていないのか・・・・?
そもそもこれ自体、物の正しい見方が出来ない人間の行動だろ
価値がわからない人間や、物事を正しく受け取れない人間に
そもそも価値を論ずる資格などない
全ての主張は戯言だ 移民1000万計画の自民党、日本を外国人だらけにしようと画策中です
529 :名無しさん@3周年:2008/07/21(月) 14:27:10 ID:vRxZ11Sb
【記事】 外国人受け入れ、単純労働含め全業種で 自民PT方針
自民党の国家戦略本部の外国人労働者問題プロジェクトチーム(PT、長勢甚遠座長)は20日、
原則としてすべての業種で外国人労働者を受け入れる「外国人労働者短期就労制度」の創設を提言
する方針を固めた。将来の労働力不足に対応する目的で、専門分野に限られている現行制度を廃止し、
単純労働の就労も認める。ただ外国人の滞在期間は最長3年間として、定住は認めない。
今月下旬までに決定し、政府に申し入れる。
新制度では、政府が認定する受け入れ団体が国内の企業に労働者をあっせんする仕組み。団体の
認定には賃金の支払いや福利厚生について政府が設定する条件を満たす必要がある。港湾運送など
の職種を除き、受け入れ団体と企業が自由に交渉できるようにする。企業の受け入れ枠は現制度と
同様、常用労働者の20分の1以内とする。 (12:14)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080721AT3S1902220072008.html
>>207
結局ね、現代剣道ってのは武士道精神ではなく、一部の人間が好みと
するスタイルが強要されているだけなわけ。
「姿勢よく背筋を立て中段で構えて、じりじり間合いを詰めて面を打つスタイル」
これが連盟の(不合理な)理想なわけだ。
下段攻撃のない剣道ルールを「武道」としてみた場合、
上段と中段を比較すると上段が優位になる。
というのは、中段だと竹刀を振り上げる動作で、攻撃がワンテンポ遅れるから。
(下段への備えが必要ないってのも上段に有利になる)
だから、「中段が基本」ってのがそもそもおかしいんだ。
実戦的な古流剣術の場合だと、中段に相当する構えは少なくて、
上段系か、八双系の構えが基本になる(バリエーションはいろいろあるが)
どちらもワンテンポで打ち込むことができるから。
下段攻撃に対しては、のノ字描くように相手の剣先を払い、攻撃に転じるのが基本。
剣道の中段は、下段には対応できないし、攻撃にはワンテンポ遅れるしで、本来は
試し切りとか、練習用の構えなんだよな。
それが基本形ってのはどうかと思う。 あと二刀流だけど、攻防がワンテンポでできるので、戦前は二刀流のほうが
優位だったはず。
戦後になって、現代の中段シコシコ剣道だと二刀流に対応できないので、二刀流を禁止した
わけで、その結果伝承者がいなくなって二刀の技が途絶えちゃったんだよな。
>>210
「価値がわからない」とか「物事を正しく受け取れない」と決め付けて
かかるところに現代剣道の歪んだ「精神」を感じるんだけどな。
自らの価値観に拘って議論すること自体拒否するような態度が
現代剣道の問題点として議論されているんだと思うぞ。 >>214
追求しても居ない人間が、偉そうに価値を語れるのか?
どうせ覗いて挫けて逃げ出した人間だろう
なぜなら、お前のような戯言は、逃げ出した人間が決まって口にするからだ
もう少しまともなことを並べてみろよ
>>212も同じ
深さを全く知らずにかじった程度で薀蓄並べてるだけ >>215
悪いけどさ、
現代剣道ってのはたかだか60年程度の歴史だが、古流剣術は数百年の
伝統があるわけよ。
剣道しかやったことない厨房に、剣の道の深さとか言われても笑っちゃう
しかないんだけどw >>212
>だから、「中段が基本」ってのがそもそもおかしいんだ。
なるほどね・・・。
こうなると、その他の「基本」とされているものも検証したくなるね。
他にも現代剣道で「基本」とされている技術で、疑問に思われるものって
何かある? >>209
その疎明じゃ解決しないと思うんだが。
現代剣道の精神を分析するのは結構だがそれと「剣道」の「ルールの問題」はどう繋がる?
例えば「現代剣道は問題がある」という結論が出たところで「それゆえ剣道のルールは間違いだ」っていうのがどう繋がるかが明らかでないと「このスレで現代剣道の問題点を探る実益」がないだろ、っていってる。
>>209が言うには別にそこは固定しないのか。じゃあ、現代剣道の問題点は剣道のルール批判にどのような影響を及ぼす?
深く関連性を持つ、なんて言われても抽象的過ぎてわからない。結論から導かれる帰結を具体的に頼む。
そして、そこらへんがはっきりしないのにこのスレで現代剣道の問題点を語ることの弊害は、他の人もいうところの「ただ剣道を否定したいだけ」の短絡的なアホどもが勘違いすること。
例は…探すまでもないだろうねw
割と論理的な話が通じる人みたいだから甘えてもう一つ、剣道のルール批判「じゃあどんなルールにすれば良いと思う?」っていうことも聞いてみたい。
俺は逆の立場を考えたら「ルール批判」は対案がなければ誰の為にもならなくて意味ある提言としては成り立ち得ないと思うんだが、またはそれについてどう思う? >>216
剣道の歴史と古流の歴史をそういう風にしか比較できないところが既に
何もわかってない人間のせりふ
剣道の歴史が何から生まれどういう変遷の元に現在の形に落ち着いたか
解っていたらそんな恥ずかしいせりふとても並べられないはずだが
やっぱりコイツ何もわかってない >>219
>現代剣道の問題点は剣道のルール批判にどのような影響を及ぼす?
>深く関連性を持つ、なんて言われても抽象的過ぎてわからない。
その点は、>>204で例を出して書いているが文章が読めないのか?
この部分だが。
>例えば肩や首筋への打撃を排除した現行ルールは実戦性という観点から
>みてどうか、という話は、そもそも現代剣道の価値観からみて実戦的で
>ある必要があるのか、という話になってくる。
要するに、どういう技術を目指すのかによってルールの設定方法は
変わってくる。どういう技術を目指すのか、というのは価値観そのものだ。
だから、現代剣道の価値観の問題はルール批判と密接に関連するわけだ。
ところで、よりわかり易くするためにスポチャンを例にしよう。
現代剣道の隣接分野であるスポーツチャンバラはどういう技術を
目指して創られたのだと思う?
>剣道のルール批判「じゃあどんなルールにすれば良いと思う?」って
>いうことも聞いてみたい。
これはスポチャンの話を済ませてからのほうがわかりやすいので、
先に上の質問に答えてくれ。 それから>>219に対してもう一つ。
>「正しい剣道」の推奨は多分に教育的見地からのものだと思う。
これについてだが、教育的側面は否定しないものの他の側面も
存在すると>>209で書いた。
中倉氏や宮崎氏、その他「汚い」などの不名誉なレッテルを貼られた
人たちは、どのような理由でそのようなレッテルを貼られたと思う? >>221
んー、まだ齟齬があるな。
つまりさ、中村氏のいうような「剣道」を実践する或いは「自由な剣道」も当然に認める、
しかしルールは「剣道」に則る、
そういう選択肢が潰れてるんじゃないか?ということが言いたい訳。
加えていうなら、これは剣道日本が中村氏の談話を掲載したという立場から導かれる一つの提案だと思うんだよ。
剣の道を剣道で体現せよ、はストレートに読んだら中村氏の立場でもあると思われるし宮崎選手もあくまで剣道を大切にしてるわけだし。
ちなみに俺もこの立場。
現代剣道批判をルール批判に直結させるっていうのはこういう立場を看過してるんじゃないか?っていう話ね。
正当の勝者を批判する、或いは一定の形を押し付けるのは外的に見ても批判の対象になり得るけど「面を打つ・守るより攻める」といった価値観そのものはそれを取りたがる人がいるんだからほっとけよっていうのが普通の考え方な気がする。
「打たれてもいいから打つ」はレベルによりけり。基本の身に付け方としてはありじゃないかな。
目的がルールを規定するのは同意。
スポチャンはかじった程度で詳しくないけど、「当てられずに当てる」のがルールの本旨でスポチャンの目的もかくものだと思うよ。
ってかこの質問をよく知らない俺にする必要あるのか?なんかのプロセス?答えると答えてもらえるらしいので答えてみましたが。 >>222
このスレを読んで少し調べて、教育的な見地から、という美名の下に自由な価値観が否定された実情があるのではないかということを感じたのは既に述べた通り。上段の胸突きの話しかり、そういうのはまずい。
てかさ、>>222さん俺に聞かなくても分かってることがあるならわざわざ問わずに説明してくれちゃっていいよ?w自分の見解と違うと思ったらその時に言うからさ。
俺の「代案は?」っていうのは普通に否定派の人がどう考えてるのか俺は普通に分からないから質問してるわけ。
時間勿体ないしプロセスは最低限でいこうよ。 >>212に基本的に賛成
真剣で長時間中段正眼を維持するのは無駄だし腕が疲労するもの。
古流のなかでも一刀流は素肌剣術に特化して発生しており他の古流が少なからず介者剣術の要素を遺すのとかなり異なる。
定寸より大きい太刀が前提の介者剣術では下段、脇構え、八相に構えての遠間からの攻防が普通。凡そ現代剣道の攻防技術で真剣にすぐ適用出来るものは僅かでしかない。第一剣道家の多くが真剣を持っても竹もろくに斬れない。
それでも竹刀競技だからいいってのならもっと古流や幕末〜明治初期の撃剣スタイルの自由な剣道を並行して認めるべきだ。袈裟懸けや撞木足のスタイルをまるで合理的でないなどと盲信を前提に否定されるのは古流からは腹立たしい限り。
剣道の多様化、多分剣道関係者はそれを一番厭がり且つ恐れていると思う。
>>223
>中村氏のいうような「剣道」を実践する或いは「自由な剣道」も
>当然に認める、
>しかしルールは「剣道」に則る、
>そういう選択肢が潰れてるんじゃないか?ということが言いたい訳
いや、価値観を論じた結果、ルールを変えないほうがいいというなら、
変えなくてもいいわけだ。だから、別にそういう選択肢も潰れてない。
>スポチャンはかじった程度で詳しくないけど、「当てられずに当てる」のが
>ルールの本旨でスポチャンの目的もかくものだと思うよ。
剣道日本のインタビューで、スポチャンの創始者は次のような意味のことを
答えていた。少し長くなるが、思い出しながら書いてみる。
即ち、少年たちに剣道の稽古をつけていて(創始者は剣道5段だか6段、国体
出場経験あり)少年たちの竹刀が、自分の体や、面の横あたりに掠ることが
あると。剣道だと「まだまだ」ということになるが、剣道では「真剣だったら
・・・」というロジックをよく使用するのに、真剣だったら大きな怪我に
なりかねないにもかかわらず、そこを無視するのはおかしいのではないかと
疑問を持っていたと。
さらに、剣道では「気剣体一致の技でないと一本ではない」といわれるが、
これも真剣ならば何らかのダメージを負うのに、一種の暗示をかけて
一本ではないという理由付けにしており、それが剣道のディフェンスの
技術を非常に甘いものにしている。
このような暗黙の了解による決め事が剣道には多く存在し、それが技術の
妨げになっているので、いったんそのような決め事をやめて子どもの頃の
チャンバラ遊びの自由さからやり直すべきだと考え、スポチャンを創った。
ネーミングは「ニュー剣道」などとすると、剣道側から文句が出そう
だったので、チャンバラという剣道よりへりくだった名前にした。
大体、インタビューはこのような内容だった。以下、まだ続く。 >>226の続き
このように、スポチャン創始者の頭には「当てられずに当てる」という
ディフェンス重視の目的のほかに、剣道で暗黙の前提となっている
決め事から自由になる、という目的もあったわけだ。
そのような明確な目的があるから、得物は自由、当たったら一本、
相打ちは両方負け、のような各種ルールができている。
このように明確な目的・価値観ががあるからこそ、それに対応して
ルールが決められるわけだ。それに対して剣道はどうかというと、
目的・価値観はかなり曖昧だ。「剣の理法の習得を通じた人間形成」と
いったところで、具体的にどのような技術を目指しているのか、
さっぱり明らかではない。「正しい剣道」ではないなどという例の批判も
何に対して正しいのか、即ち具体的にどのような技術を目指しているのか、
明らかではなく、厳しい言い方をすれば「お前の剣道は認めない」という
感情だけが伝わってくる感じがする。
要するに、具体的にどんな技術を目指すのかが明らかでなければ、
適切なルールも、「正しい剣道」とやらもあったものではないと思う。
だから、「どんなルールがいいのか?」という質問については、
「まず、どんな技術を目指すのか、それをいくつか明確に決めてから、
その目的に適合するような数種のルールを用意すべきではないか」と
個人的には答える。現行より攻撃重視でいくのか、防御重視で行くのか、
などなど、どのような技術を目指すかは色々考えられるよね。 >>224
>教育的な見地から、という美名の下に自由な価値観が否定された実情が
>あるのではないかということを感じたのは既に述べた通り。
教育的な見地があっただろう、というのは当たっていると思うが、
政治的に「変剣」というレッテルを貼られたと思われる場合も多い。
例えば、恵○孝吉氏の場合などはその典型だと思う。
恵○氏の場合、その硬派な言動や、全日本で当時事実上の禁止状態だった
二刀で試合をしたことなどから、徐々に睨まれて「変剣」というレッテルを
貼られるようになっていった(これに関連して、高知大学の教授だった
専門家が書いたある本によると、「恵○氏はその実力は高く認められながらも、
段審査では合格は望めない、という風聞が剣道界でまことしやかに
伝えられている」という文が出てくる)。
また教職員大会の個人戦でも、一本の技を沢山打っているにもかかわらず、
審判が旗を上げず負けてしまい、それが試合に出なくなるきっかけに
なったと恵○氏自身がインタビューで言っていた。
中倉氏のように戦前には「変剣」という評価はなかったにもかかわらず、
戦後になってそのような評価になり、それが死ぬまで続くという事例も、
中山博道氏の系統が表舞台からほぼ姿を消したこととあわせて考えると、
どうなのだろうという気はする(確言はできない)。
宮崎氏の場合、全日本の最初の優勝の頃は好意的にとりあげらていたが、
その後、激しすぎる非難に見舞われたことはご承知の通り。
宮崎氏の試合振りは、別に変わっていないと思われるが・・・。
宮崎氏のときはリアルタイムで見ていたが、なぜこれほどまでに批判される
のか単純に不思議に思った覚えがあり、それが「正しい剣道」や、「正しい
剣道」に代表される現代剣道の価値観への疑問の端緒になっている
少なくとも、「正しい剣道」を理由に他人を批判するのであれば、その
「正しさ」の中身を明らかにすべきではないだろうかと、個人的には思う。 >>228の続き
>>228であげた3人の例は、最初は必ずしも「変剣」という評価は
受けていなかったのに評価が大きく変わった、という点に共通点がある。
彼ら3人の剣道の内容が大きく変わったとは考えにくいので、
剣道の内容以外の原因により評価が大きく変わった、と考える
のが自然だろう。「変剣」のレッテルを貼られることにより、そういう
ものだという空気ができたしまったと。
「正しい剣道」の内容の曖昧さはそのような空気を助長する役割を果たした、
と思われる。結局のところ、「正しい剣道」か否かについて確たる基準が
ないのだから、そうなってしまわざるを得ない。
そのほうが、剣道の世界の中の世論を作り出す側としては都合が良いのかも
しれないが。 俄かに空回りの流れだな
否定派にしろ、肯定派にしろ道を見つめ自問自答を繰り返すことは
個の成長に繋がる。双方が良い答えにたどり着くためには、始めに
結論ありきでは、まあ不味いだろうな。
剣の道の創めは、負ければ死だった。よって負けざる剣という思想も、
剣の道を歩むと決めたその心構えと共に共生していた。
剣の道を歩む者は、その志に死をいとわない。またその道を歩むなら、
志半ばでこの決心を、死して倒れてなるものかと、相反する心構えが
内在していたんだな。
剣道を始めたがゆえに取り付かれる邪念は評価だ。
だがこの評価というのは、剣道の道に限らないのだな。
人は他者からの評価に、心揺れるものだ。
評価を得るために、試合に勝つ事を欲するようになる。
美学、評価、実利
これはすでにパラドクス。であるから、ここで評価が多様化する。
しかしね、現代の剣道は、負けても死なないのだよ。
そして、剣で人を切る時代でもないのだよ。
ならば、今ではなく、後世に残すべきは何か?そこを考えてみて欲しい。
日本人は、敗者に美しさを見出せる、世界でもめずらし美徳を持つ人種だ。
こういう稀有な美学を体現できるものは、現代日本にも既に数少ない。
剣道は、今よりさらに美しくある可能性を残した、人の踏み歩む道なんだよ。 >>230
現代剣道に剣道に「美学」はないわな。
ルールを定めて競技の形式をとっている以上は、ルールが至上にあり
判定は、公平、公正でなくてはならない。
勝ったものを批判するのはあってはいけないし、勝つための努力を批判しては
いけない。
ところが現代剣道は、「剣風」なる曖昧なものを下敷きに指導を行っている。
ルール上認められている行為も、剣風が卑しいなどとケチをつけて甚だしくは一本を
とらない。
優れた技をこき下ろし、勝者を罵倒するというデタラメが許されるのは剣道だけ。
こんな剣道精神に迎合するということは、自分の頭で考えることができず、他者に
すべてを任す「飼い犬精神」を育むことになるだろう。
飼い犬というよりブタといったほうが良いかもしれない。
「狼は生きろ、ブタは死ね」
という格言があるが、精神が卑しきものは剣の道で生きる資格がない。 >>231
本当に剣風というのは曖昧なのか?
至上というものの姿がそんなにも見えないか?
卑しさや崇高というのがそんなに判断の難しいものか?
ルール上勝てばよいというのは崇高なのか?
短絡というものは往々にして卑しいものだ
勝てば官軍などという言葉は卑しいものの典型だ
深みに触れてもそれが解らないなら、救いようがないが
触れても居ないものを語っているならば恥曝しだ
>>232
「正しい剣風」というものが明確に示されていないなら曖昧だわな。
また、正しい剣風が試合で「弱い」なら、それを守る意味があるのかどうかは
議論の余地があるはず。
少なくとも信念をもって「弱い技」を好んで使っている以上、相手の動きや
技にケチをつけてはいけないだろうし、勝ち負けに重きを置かないならば
勝者のスタイルを卑しいとか、変則と批判する理由がないだろうと思う。
勝敗関係なく、ただスタイルを守りたいだけなら演舞をやっていればいい
ことで、試合をする必要はないだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています