【株式会社】臨海セミナー Part5【臨海】
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つまんねー会社のスレなんだから別にいいだろ
>>1
スレ立てありがとう 年に最低5日は有給を取らないと罰金らしいけど、臨海さんはどうなんです? 役員が死んだと思っていたら、死んでいたのは>>22本人だった!!
みたいなショートムービー作ったら売れますかね? >>17
>>18
ちゃんと有給取ってるみたいで安心した
週停に充てるとか、半休の有給とかなのかな? ここの職員だろうと無かろうと人の死を弄ぶやつは人間として終わってんな。 数年前に、週停日に有給取って出勤して授業したけど、週休日コマ申請通らなかったことがあった。 >>29
無能で使えないからだよ。
少しは考えろ。 それが認められるなら普通の出勤日に全て有給当てて残業代出せとか謎の飛躍も生まれてしまうやろが 定期的に現れる元臨海社員のモンスター率は異常
あちこちで唆されて自分がブラック社員ってのに気づいてない mk取れって圧が本来の業務の支障をきたして、その結果より良い授業ができず、点数を取らせられず、負の連鎖
上の人が気づいてくれない限りこの負けループはずっと変わらずに続いていくんだ >>39
生徒が増えて利益が上がるのが一番だろ。
成績上がるに越したこと無いけど。
民間企業だからね。
生徒も塾に来るからにはしっかり勉強して
くれないと。 39は向いてないんじゃないかしら
まだ若いんだろうし塾のような直接的な仕事以外を探しなよ すぐ辞める、ただ通ってる、その様な生徒も大事。お客さんだからね。出来の良い特待生をお金で支えてる 電話するために演習時間確保しろ、テ対なんだから演習長めにとれるでしょみたいな指示ゴミなんだよ 裏を返せばmkさえ取ってれば何やってても問題ない
俺の教室、授業終わったらそっこーでスマホぽちーよ なんかさもこの会社がやべぇと書きたいみたい(洗脳はマジワロタ)やけど上の人の意見みたいに数字取ってれば自分のやりたい授業も出来るんやないの?慈善事業じゃあるめぇし 塾業界ってだいぶ底辺だけど、そんなかでもここって最底辺だよね。友達とかに言えないでしょ? え?自分は臨海セミナーで働いてますとか言えるの?恥ずかしい 自分の勤めてる会社を恥ずかしいと思わないことは、とっても素敵なことだと思うので、引き続き頑張ってください。 臨海が恥ずかしいとは思わないけど、塾講師が恥ずかしいというのは分かる 退塾が出る教室ってやっぱり室長の品格だよな
。余計なこと言って、社員間の仲をぶち壊す天才が内部なんて守れるわけないだろ。そのくせ言えって言った内容も言わないからこっちが言う羽目になるし。 室長がとにかく伝達事項やら作業進捗共有しないとぐっちゃぐちゃになってしんどいね
木曜の専任1人の日に授業中クレーム電話かかってきて授業潰したわ すでに達成してる教室もあれば全くという低空達成率のとこもある?この差はなんなんだ? それよくいわれるけど単発の行動の差じゃないよね
継続した行動、例えば保護者への電話報告なり教室内の躾の徹底なり、そういう積み重ねが常勝教室作ってるんだと思うよ
報告電話は一方的な伝達しかできないわ、教室内はもはや動物園と大差ないわ、そんなとこ回復しようがない 親でもないのに躾とかいう言い方してるの本当に嫌いなんだけどこれ俺だけ? しつけは必要だよ
子供らを真人間にしてあげないとならんからね 真人間かどうかは知らんが年長者や経験者が年少者や初心者に道理を教えることの何が悪いねんな
聞くか聞かんかは受け取り側の自由やし 全人教育
「人間の育成」を目的に
教育は「人間の育成」を目的にすべきです。「点数(偏差値)・成績・学歴」に偏重した教育ほど危険なものはありません。日新義塾はあくまで「全人教育」を追求していきます。そしてこれが、結果として、点数や成績の向上にもつながるものと私たちは信じています。 明確な理想
理念なき教育は意味をなさない
「幅広い価値観を認める」ということは「何をどのようにしてもよい」ということではありません。理念なき教育が「偏差値至上主義」「学歴偏重主義」「学習塾の商業主義」を生み出している、と私たちは考えます。日新義塾が否定しているのはこのような偏狭な価値観であり、教育には明確な理想・価値観が必要であると信じています。 自己実現のための教育
やりがいを見つけ、その実現を目指す
日新義塾の理想とする教育は「自己実現のための教育」です。具体的には、「それぞれの子供がそれぞれの個性に合わせてやりがいを見つけ、その実現を目指す」。人生に能動的に働きかけることができる人間を育成するための教育が日新義塾の理念です。「この学校しか合格しないからそこを受験する」「この学校にしろといわれたからそこに進学する」というような、他人にしかれたレールに乗る受動的な考えは、子供の可能性をどんどんつぶしていくことになるでしょう。 自己革新のための教育
「信じる」ことから始まる教育がある
自己実現を目指すためには、「自分にもできる」という自信と希望が不可欠です。しかし「自分に対して自信と希望を持つ」ということは、一部の子供を除いてかなり難しいことです。今現在勉強ができない子供に「自信を持て」と励ましても説得力はないでしょう。ということは、勉強を苦にしている子供はそのままずっといってしまう危険性が、かなり高いということになります。このような「現状の自分に甘んじてしまう」傾向は、実は優秀生の中にも見られます。
日新義塾が日々子供に訴える最も基本的なことは、成長段階にある子供には「今日駄目だから明日も駄目」ということはあり得ない、ということです。先ずは「将来の可能性」を少しでも期待できるようになれば、夢を信じることもできるようになるでしょう。 「日々の自己革新」を信じさせることから教育は始まると考えて、我々は「日新義塾」と命名しました。
自分を信じさせるための教育
子供たちに「最初の自信・やる気」を持たせる では、発展途上の子供たちは何をきっかけに「自分の可能性」を信じるようになるのでしょうか。あるいは何をきっかけに「自分の可能性」を信じることができなくなるのでしょうか。私たちがこれまでの経験から感じることは、「日々の些細なできる・できない」という経験と「周囲の些細な誉める・けなす」という評価の積み重ねが子供の「自信」を大きく左右している、ということです。「できる・できない」と「認められる・られない」は圧倒的に学校、特に勉強に関することが多いでしょう。ある日テストで満点を取り、先生・親にほめられ、周りの友人に一目置かれるという経験が、いかに子供たちにとって喜びであるかは、なかなか大人には思い至らないことではないでしょうか。反対にテストの点が悪くて先生に叱られ、親にとがめられるという経験の積み重ねが、いかに子供の「自信・可能性」をつぶすことになるかは、そうした大人の想像をはるかに越えています。 日新義塾では「現状の自分に満足せずに日々自分を伸ばしたい」という前向きな気持ちを子供たちに持たせるため、先ず「今までできなかったことができた」という経験を重視します。次に「できたことを大いに認めてあげる」ということが必要です。こうして子供たちが「自分は日々新たなことができるようになる」という自信を持ってくれば、その子供は必ず伸びるはずです。
周りからどんなに駄目といわれている子供でも、決して自分の人生を投げてはいません。自分をよくしたいという気持ちは持っているはずです。いや、必ず持っています。それを信じることのできない教師を、私たちは「教育者」と認めることはできません。そうした「良くなりたいという気持ち」を持っている子供たちに「最初の自信・やる気」を持たせることこそが、「教育者」の資格の第一歩なのですから。
「できない」は教師の責任
できないことをできるようにさせるのが教育者の役目
「できないことができるようになり、自信を持つ」といっても、それほど簡単なことではありません。子供は思わぬところでつまずくものです。そんなとき、「こんなこともできないのか」と思ったり、つい口走ってしまっては、子供の可能性を引き出すことはおろか、やる気を一気に失わせるといった負の要素を与えることにもなりかねません。 日新義塾は、「できないことをできるようにさせるのが教育者の役目」と考えます。「これだけ説明しているのに理解できないのか」とばかり、できないことを子供本人の責任にする教師を、私たちは「教育者」と認めるわけにはいきません。また教師が変わったことが子供の成績・やる気に影響を及ぼすことはしばしば見受けられることです。教師の能力の違いが、子供の将来を大きく左右するのです。 私たちは、子供に与える影響力の大きさを真摯に受け止めながら、教師自身が日々、自己革新に努め、将来のある子供の可能性を拡げることのできる集団であり続けたいと考えます。
自学自習の精神
自らの課題を、自らの力でクリアしていく力
もっとも、教師があまりにも「できるようにすること」に力を傾けすぎると、依存心の強い子供を作りかねません。日新義塾では、「自らの課題を、自らの力でクリアしていく」人間の育成を最終目標とした教育を実践しています 保護者面談してないの?
親が言っても聞かないから先生から言ってくださいってめっちゃ言われてますけど それを言われることと保護者面談の有無にどんな因果関係があるの・・・? もちろん塾だからって勉強だけ教えればいいんじゃなくて礼節とか通塾時のマナーとかも教えることは必要なんだけどそれを「躾」って表現するのがなあ…犬猫じゃあるまいし 「日新」は、中国の最も重要な四冊の古典である「四書」の筆頭「大学」の中の「まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり」から取ったもので、明治期くらいまでは学校名等によく使われていた言葉です。古代の帝王が毎朝顔を洗うときに使った「たらい」に刻ませた言葉で、「身体の垢を除き去るがごとく、その心をも洗い清めて日々自らを新たにしなければ人民はついてこない」という故事は「まず上が自らを顧みて自己革新に努めなければ下はついてこない」という考え方の源泉です。 教育というものが「点数・成績・偏差値・合格」に止まらないものであるならば、そしてまだ完成していない子供たちの人間形成に関与すべきものならば、教師の日々の自己革新なくして生徒の成長は考えられないはずです。 同じ教育といっても公教育と私教育では色々な面で大きく異なります。それぞれ良い面と悪い面がありますが、特に私教育の悪い面として、偏差値(合格)至上主義・商業主義などがよく挙げられます。私たちは十年前後大手学習塾で授業のみならず経営にも携わってきました。現場には、当然、純粋な気持ちだけで生徒と接している教師もいます。しかし、私達には生徒集め第一主義としか思えない企業体質、特に手段を選ばない合格実績集めなどには、内部にいる人間としても忸怩たるものを禁じ得ませんでした。それでも看板が大きくなり、駅前に大型教室を出せば生徒は自然に集まり、塾はますます大きくなっていくのです。 ボランティアではないのだから、どんな企業も社員の生活のため、自らの発展のため、利潤を追求すべきでしょう。しかし、こと子供の将来に関与する可能性の高い「教育」に限って言えば、「利益主義」は非常に危険な、ゆがんだものになる可能性が高いのではないでしょうか。だからこそ私たちは、大手塾での「理念なき安定」をなげうって、私たちの考える「私教育の理想」を実現するために、マンションの一室からの出発を選び、総合教育産業を目指す「草茅社(そうぼうしゃ)」、さらにその学習塾部門である「日新義塾」を創立しました。
まだまだちっぽけな存在ですが、「教育はより良いものが生き残る」ということを信じて、そして創業の志を忘れずに精進していく所存です。地域、保護者の皆様には、何卒、ご理解ご支援を賜りますよう伏してお願いいたします。 まだMK4メールとかいうきもい文化残ってるの?
全校メールとか、基本きもいやつ多かったよな あの文化は今働いてるやつも意見が分かれる
あれをやれば盛り上がってる感があると思ってやってる
おれは冷ややかな目で速攻削除している >>95
そうなんか。
俺がいたときは、MK4メールでやたら意味わからんこと書いて騒いでいるやついたわ。
あの人まだ働いてるんか? あれはメール送りすぎじゃなくてサーバーが貧弱なだけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています