自分も1978年に大塚寮に居ました。
寮は、確か巣鴨警察署前の坂道を登った突き当たりにあり、6、7階建で、寮生は250名ほどだったと記憶しています。
一応、全員3畳間位の個室でしたが、ペアで隣とは薄いベニア板1枚の壁で、深夜は隣人の寝息まで聞こえましたね。

朝食と夕食は不味くもなく美味くもなく、極普通だったような記憶があります。今思えば、多分あれは食中毒だったと思いますが、一度寮生の殆どが腹痛を訴え、トイレに行列が出来たことがありましたが、保健所出動と言うことにはなりませんでした。
寮生は夜食にペヤングソース焼きそば、チキンラーメンを良く食べてましたね。

大塚寮に隣接した所に女子高の十文字学園があり、寮の向こう正面教室での着替えを双眼鏡で覗いたり、寮室隣のテニスコートでの部活練習眺めながら、「パンツ見えてるよ〜」とチョッカイ出すと、女子高生に「また来年も落ちるわよ〜」と言われ、皆んなシュンとなったものです。

夜の残り湯は臭いので、授業後に速攻に帰って一番風呂に入ろうと大浴場に行ったところ、寮母(寮生は寮婆と呼んでいた)が入浴中で、見たくもない全裸を見てしまい、ゲッ!とした苦い経験もありました。

授業をサボりたい時は、寮長、寮婆に見つからないようにそっと玄関に行き、下駄箱にスリッパ入れて、外履きを部屋に持ち帰り、寮長巡回が終わるまで物音が立たないように自室でじっと静かにしてました。

早いもので今ではもう還暦を超え、退職した爺さんになってしましたが、昭和時代のとても良い思い出です。
あの頃の大塚寮の友達は今頃どうしているのやらです。