【70〜80年代】池袋に昔あった《 英進予備校 》
>>1
昔の先生って威厳があったよな
佐藤先生ってイメージとして東京高等師範学校を出て都立日比谷高校あたりで教鞭を執り定年後に英進予備校で、という感じ。 昔の予備校っていまのと違ってアカデミックな雰囲気があったらしいね
講師も国公立進学高や国公立大学を定年退官した先生が多かったから平均年齢も高かったし 両国予備校は学校法人の認可を受けてなくて通学に学割使えなかったんだよね? 夏期講習に田舎から出て来て朝霞の寮に入った。日活ロマンポルノを観に行ったのはいい思い出。 >>8
ワシは上野の地下特選劇場に安いからと入って数分後に逃げ出した
今で言うハッテン場だったんじゃなw >>1
駿台に近い雰囲気があったって話。
俺は80年代の英語科主任伊藤和夫師の時代の駿台しか知らんがね。
代ゼミや世代ではないが東進ハイスクールなどのような軽いノリにはついていけないなあ。 普通に公立進学校の雰囲気だったらしいね
先生も親身になって指導してくれたんだって
自発的に勉強する生徒にとっては居心地も良く、いい予備校だったとか この時代は予備校も進学塾も過当競争に入っておかしくなっていったよね。
進学塾だと「TAP進学教室」なんだけど、当時の御三家「麻布開成武蔵」に多数の児童を合格させていた優秀な進学塾だったんだけど、経営サイドと講師サイドが揉めて空中分解。
(後に講師陣が代ゼミSAPIXの前身を立ちあげる) 80年代は世の中全体に勢いはあったものの、良心的なものが淘汰され消えていったような気もする こういう暖かい雰囲気のある予備校って全国にあったよね 予備校とはかくあるべし、という感じの学校だったと思う
質実剛健だったよなあ Wikipediaの池袋のとこに予備校激戦区とあったと思うが、代々木とか駿台の医学と同じように
一つの文化になっていたりしたの? >>16
予備校もひとつの文化だったと思う。
共通一次試験が始まってからマンモス予備校の時代が到来して、看板講師が出てきて学内生中継授業から始まり、ビデオ授業、衛星放送授業とマス教育化が加速した。
代ゼミが新幹線停車駅前に校舎を設置するようになってからは看板講師が新幹線で講義に出向くようにもなった。
代ゼミの場合は名古屋とか仙台に新幹線で講師が出向く。
今でいうなれば、イオンが出店して地元のスーパーや個人商店が閉店する、即ち学生と距離の近い地元の小規模予備校の閉校。
東京に本院を置く美容形成外科が新幹線停車駅前に誰もいない分院を設置してオーダーが入り次第オペに出向くみたいな。 首都圏の公立進学校の定年退職OBが講師の大半だったようだから、公立進学校特有の落ち着いた雰囲気だったろうね。 サクセス受験指導会
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http://www.success-j.jp/ 両国と言えば高畑金蔵、ラジオたんぱ「合格いっぽんみち」 高校以上、大学未満でアカデミックな雰囲気のある古いタイプの予備校だね
こういう学校でヤル気を出して一生懸命やって志望校に入った連中が高度経済成長を支えてきたわけで 昔の予備校ってこんな感じだったらしいね
進学高を定年で退職した先生が教えるスタイル
テキストもオリジナルだったり、市販の問題集だったりと様々
でも、確実に地力は付いたと思うよ
学問に王道なしの遠回りだけれども、その無駄がよいみたい
西洋医学的な即効性ではなく、東洋医学的な感じかな 佐藤先生、40年前でおじいちゃん先生だからお亡くなりになったんだろうなあ キ // /::::://O/,| /
ュ / |'''' |::::://O//| /
.ッ \ |‐┐ |::://O/ ノ ヾ、/
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ヽ /\ ヽ___ノ / . へ、,/
/ × / { く /
く /_ \ !、.ノ `ー''"
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\| 1989年に英進予備校千葉校に通っていました。
おかげさまで偏差値を20以上上げることができ、志望校にかなり余裕で入ることができました。
感謝しきれません。 >>54
当時の話を頼みます。
>>1の動画の先生の話も聞きたいです