★★★師友塾と二求の塾について18★★★ [無断転載禁止]©2ch.net
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>>633
行けるに越したことないけど、行けないならしょうがないんじゃない?
結婚や就職では不利になると思うけど。
自分も学校嫌いだったし。
いまだに子供の学校行事とか内心は嫌で嫌でしょうがないもん(笑) オレ今でも時々考えるんだけど、『不登校は悪いことではない』(不利には違いないけど)と本気で誰かに主張したい時、あの人の話を引用せずに(まぁしたくない)相手を説得まではいかないまでも、そこそこ納得させる方法・・・。
弱肉強食や利己主義、エゴ人間、欺瞞に満ちた、といった観念的な(あの人の)キーワードを用いずに、自分が納得する言葉で不登校を正当化するには。
たとえばだけど、人類の教育史みたいな観点から見れば、人間が学校に通い始めたのはつい最近で、実は学校に通ってない期間の方が遥かに長い。とか。
肩が凝るね。戯言いうてすみません。 >>634
学校ほど今も昔も変わらん場所はないね(笑) そうそう!谷けいすけ 先生かな。漢字忘れた。確か、大越さんに塾を継いでくれと言われた人。 谷啓介なあ… オレ一回アイツに詰められたけど、なんかSっけのあるヤツだった
就任間もない頃しか知らんけど、そんなにオオコシの信頼あったのか >>635
あはは(笑)
面白い発想をされる方ですね。
まぁでも不登校って、持って生まれた性質も大きいんじゃないかと思うんです。
不安を感じやすかったり、物事を深く考えてしまったり。発達障害とかは別として。
今の時代であれば物事を深く考えず、疑問を持たず、すぐに順応出来る人が有利なんじゃないかな。
学校生活なんて人生の一瞬ですよね?
結婚生活を維持出来るかとか、就職して仕事を長く続けられるか、の方が重要ではないかと思うんです。
公立の小学校の雰囲気がどうしてもダメなんですよ(笑) >>639
自分は公立の小学校出身ですが、
公立の小学校なんてウンコとションベンの匂いの記憶しかないわ。 >>639
おや、おかしいな。おや、なんでだろ。って今の時代だからこそ大事に思うんだけどねぇ。 学校なんか行った方が良いに決まってるでしょ
毎日勉強して色んな考え方の人とコミュニケーション取ってる方がええと思う
不登校してフリースクールに行っても関わるのは自分の似たようなタイプの奴でしょう?
今の日本は学校も行かずにひきこもりの経歴のあってろくな学力もない奴が出世できるほど寛容な社会じゃないしな >>642
色んな考え方の人とコミュニケーション取るのが良いというのは、それはそうなんだけど、でも誰でも多くの場合、幼稚園、小学校、中学校と、ずーっと知ってるメンツと過ごすわけで、これって色んな人とコミュニケーションできるという環境では決して無く、
むしろ変化に乏しい空間ゆえにイジメの温床になったりする可能性の方が高いような気がするんだよ。
将来のためには無理してでも学校には行くべき、的な話ならまだわかるけど、学校に通学するのがとても良い事だ。という話には首を傾げてしまう。自分は。 >>643
言うほど同じようなメンツかな?
最近は校区がごちゃごちゃとしてるから幼稚園から中学校くらいなら入れ替えは結構あると思うけどね
どうしても環境変えたいなら転校すれば良いだけだし
とにかく学校は毎日行かなくてはいけないよ 学校にいった方がいいのは間違いない
おっさんになった今の記憶と知力、コミュニケーション力が不登校になった当時得られたら学校に行ってただろう
社会というものはそれだけ得るものが多い
間違っても塾には行ってないね
あくまでも一時的な退避場所であるべきだと思う 不登校経験者ってその後の人生
再び社会のレールに戻れた人ってどれくらいいるんだろうな
ハートネットTVや報道特集なんか見てると壊滅的みたいなんだが
師友塾は塾生が優秀だし実家も太いから社会復帰率は高いかも知れないが そう言えばブルーメの丘だっけ滋賀のリゾートっぽいところで合宿したこともあったよな
確か塾長と受け入れ先とで意見が合わず1回きりだったけど >>635
不登校と社会や生き方論は繋げない方が無難かもな90年代の自分探しブームの弊害っぽいしアレ
社会や生き方よりも環境をはじめ障害や病気に人間関係の方が直接的な原因になっているだろうし
それに善悪の問題でもないからなぁ不登校…会社なら転職して片付く話だし…とは思った >>638
その先生は塾生からスタッフになった人かな
Sっ気は…糾弾するのが好きな塾生は割といたからな師友塾
あと糾弾系塾生には親がヒステリーだと子供は攻撃的になるのでそういう面も働いてたかもな >>647
わりとみんな普通にやってると思うで
昔ばったり元塾生を見かけたんやが上場企業で働いてたし
こっちも向こうも仕事してたから話しかけたりはしてないけどな 辞めた奴の6、7割くらいはちゃんと大学専門学校通ったり仕事したりしてるだろ
むしろズルズルと歳食っても塾に残ってた奴の方がいわゆる低所得で苦しく生活してると思うぞ
AIE行った奴は金持ちの息子で仮にもアメリカの大学卒業出来るような英語力と学歴があるから立派に勝ち組人生やろうけど >>650
いや、三好先生の後輩?とかで入ってきた先生。sっけあったかもしれないけど、結構好きだったなー。塾のなかでは好きな先生。 ふつうに社会に戻ったよ。塾時代から、世俗的と言われてきたからか、ふつうに馴染めたかな。ただ、大学進学した当初はやはり、欠席多かったし単位落としたのあったけど、もう戻りたくなかったから、必死で勉強した。
今は、日本の企業に勤めてる。まあまあ固い会社。周りは高学歴が多い。学校はやめない方がいいかな。学歴はあったにこしたことはないと思う。給料に反映されるしね。院卒が一番給料いい。 オオコシは著作でも「どうしても学校に行けない子だけ、師友塾に来てください」と主張していたけど、
皮肉にもそういう子ほど塾のアウトサイダー的な思想に感化され、さらに社会復帰が難しくなったんじゃないか
(もともとオオコシはそういう子を社会に送りだす気はさらさら無く、自分の組織の忠実なしもべにするのが目的だからさらにタチが悪いんだが)
歴史上には一部の社会不適応者で革新的な仕事をした人もいたけど、ほとんどの不適応気質の人は社会の片隅でひっそり生きてるのが現実だと思う
登校の是非を問う以前に、どうしても学校に行けない(体が激しい拒絶反応を起こすとか)子はどういう手段が適切なんだろうか
イジメ自殺報道が無くならないでしょう あれ、自分の分身をみてるようで本当に悲しいんだ 死ぬくらい苦しんでいるなら、どうして不登校しなかったのかと…
イジメの根本的な解決には、加害者、教師、家族、社会全体の構造的な暴力だととらえる必要があると思う
大人の過労死も似てるね 江戸時代からの組織への滅私奉公という美徳、切腹することで責任を取るという、ある種自殺の美化…
>>645
勘違いしてる人多いけど、義務教育は教育を子どもが受ける義務じゃなくて、教育を国と親が子どもに受けさせる義務の義務だよ >>646
あなたは当時、記憶力、知力、コミュニケーション力が劣ってたから不登校に陥った。てこと??
社会というものは得るものが多いと力説するけど、当たり前じゃないか。それ塾に通ってた時に塾長に堂々と述べてたら大したもんだけど。
いわずもがな社会なんて概ね頭の良い人達が中心となって構成されてるんだから。それはあなたが言う通り得るものは多いよ。 >>656
劣等感に苛まれてそれから逃れるために不登校になってた、というのが在るかな。
勿論そうでは無い人もいるだろうから、自分と他の塾生を一緒ににするのは言い過ぎだったわ。 >>657
思春期なんて勉強やスポーツの出来不出来や、容姿のことや、果ては喧嘩の強い弱いなんてことまで自分と他人を比べてしまうもんね。
まぁ社会人になっても同じだけど、人間なんて不平等なのが当たり前、悪い頭は良くならないし、努力の力なんてたかが知れてる。みたいに考えるようになったわ、自分は。 >>655
言っちゃあ悪いがいじめによる自殺ってのは人類が続く限りなくならないと思う
こんなのは今に始まった話じゃないしね 学校のイジメとか、年齢関係なく司法機関が介入すればいいと思うんだけどね。
小中学生であっても他人に暴力や脅迫をすれば、普通に逮捕、拘留、立証立件、起訴、裁判で。 塾長のことって今になってみればどう思う?
オレは一般家庭の子だったからか、特徴がなかったからか全く相手にされてなかった(笑)
同じこと言ってもやってもお金持ちの子とは反応が違うの。卑屈かもしれんけど。 >>661
思うに、あそこでは親がハイソであればあるほど、親の価値観である安定した豊かな人生を、不登校することによって拒否した。というお話を立てやすいからだろうか。 >>662
ネットが普及してきて色んな情報を知って腑に落ちたよ。
金持ちな親を持つスタッフ同士の強制結婚とか。
塾自体がなくなった今、塾長に対してどう思う? >>663
そりゃ強制結婚なんて反対に決まってるじゃない(笑) そうだね(笑)
ここの板このおじさんしかいないの(笑)? >>661
相手にされなかったのなら、あなたの本望じゃないかい?
でも芦屋の六麓荘の子もいたけど、塾長からあんまし相手にされなかった子もいたよ。
なので卑屈になることも無いのではと。 親が金持ってなくても塾長の腹心に近かった塾生は居たぞ
そいつはバイトしないと生活が出来ないくらい困窮してたけど塾長に魅入られて合宿費融通させて貰ってた
要は塾長様を崇め奉る熱心な信心が重要ってこと 別にふつうの家庭だったが、周りからは、
塾長に気に入られてると言われたり、
嫉妬されたりした。
塾から少し遠のいたとき、塾長がレストランに
連れてってくれた。付き添いもなしで2人きり。えらい高級レストランだったな。
そのあと、御影の街を2人で散歩。
でも結局辞めることとなり、みんなの前で、自分の心は塾にない発言をしたが、
詰められなかったなあ。
だから、塾や塾長には恨みもない。 高校を自覚的に辞めた人と辞めざるを得なかった人の違いに
前者は環境が合わなかった場合で別の学校なら通えた
後者は10代のうつ病で医者にかかる必要が
師友塾というか大越先生は目指せニューエリートだし前者向けに塾作っときながら
後者も入れて塾で病は治る!やっちゃったから微妙感はね
とは言え塾からハートケアに途中で変わった塾生もいたけど
塾の構造を考えるとフレキシブルなのか一貫性に欠け迷走したところなのか 塾で病は治るって農業すればうつ病は治るみたいな感覚だよな実際北海道合宿があったし
あと全然ハートケアの話をネットで見ないけどみんな今でも患ったままなのかな 大越先生と塾生…戦国大名と小姓みたいな関係だな
これは塾生時代から思ってたしたぶんほとんどの塾生もそう思ってたはず >>669
名前までは覚えていないかな。洋食食べた気がする。塾生の間では、有名な場所なのかしら? >>673
深田池の側の御影ガーデンシティー内の店?? >>655
どうしても学校に行けない(体が激しい拒絶反応を起こすとか)子は医者にかかるのが適切だと思う
師友塾みたいに自己啓発や作業療法やっても効果は薄いし成人後を考えると社会的立ち位置の自覚も必要になるし
いつか本気出せばなんとかなると思いながら35歳以上になった引きこもりとか悲惨でしかないからな >>671
17で塾に出会うも馴染めず数日で行かなくなり、20過ぎまで引きこもり。
20過ぎからハートケアの家庭訪問を約半年間受けてハートケアから直でリトリート合宿へ。
その後塾生に混じってブートキャンプ、春のオリエンテーション合宿、夏の北海道、越前行って、その間に大検取得。
その年度に大学進学して大学生活を満喫し就職して10年近く。
今度結婚するみたいな人生を送ってます。
最後の方は塾と色々あったけど、ハートケアはあって良かったと思ってます。 >>677
すごく苦しくて辛い日々だったのではないかと思いました。
自分はハートケアが始まったあたりの塾生なので、ハートケア生と関わったことがないのですが、元塾生として嬉しく思いました。
結婚おめでとう。 『道をつけてあげなさい』
がハートケアフレンドのコンセプトって聞きました。
アベ先生、クラモト先生、ナカイ先生。お元気かな。 >>679
そうそう倉本先生だ。思い出しました。
クラタニ先生ではありませんでした。名前を間違えて覚えているなんて何て失礼。
倉本先生には引きこもり時代、一緒に日本橋にパソコンを買いに行っていただいた思い出があります。
数年前、梅田のヨドバシ一階のカフェで倉本先生らしき方が近くに座ってらしたんですが、私の塾との別れ方が良いものでは無かったので声を掛けられませんでした。
その場で直接お礼を言えなかったこと、今でも後悔しています。
>>678
ありがとうございます。
ハートケアが出来た当時、という事は大先輩になるんでしょうか。
ハートケアがいつ頃出来たとか全然知ろうともしてなかったです。 >>674
んー、ごめんなさい。もはや。記憶が薄く… >>676
師友塾の掲げる「不登校生」は十把一絡げだったな
塾長1943年(昭和18年)生まれだし文系博士で医者でも心理士でもないから
いろんな人がいますよって言ってもわからなかったかもな >>677
結婚おめでとう
なんとかなってるみたいで良かった ハートケアが出来たのって90年代前半じゃなかったっけ ハートケア創立当初のスタッフなんか全員2極化の時に辞めちゃったよな
1人だけ残った人も居たけどその人は事務専門みたいな感じだったし
今は元ハートケア生がニグの塾の運営してるくらいだから古くからのスタッフは何とかニューロン?とかAIEに残ったんじゃないの? なんかこの板見るようになってから、毎晩の様に塾生が夢の中に出てくるわ(苦笑)
20年以上前の事やのに、やっぱ繋がり深かったんやなぁ(._.) >>687
オレも日常生活では塾のことなんて完全に忘れてるのに、たまにこの板のぞいたら当時の記憶が連鎖反応的によみがえるというね(笑)
でも良かったんじゃない? オオコシのもくろみはどうあれ、不登校になった子らの一時の居場所であったことには違いないんだから
オレは今でも社会に適応するの苦労してるけど、オオコシのマイコンの影響は5年くらいで解けたかな 5年 長いか(笑)
当時から精神病だったと今ならわかる 自然の中で遊びまくって、農業やったら病気なんか治るっていう幻想は、もっと長い時間持ってた
でもね、そういう過程は必要だったと思う ようやくこの数年で、うつ病が社会的認知を得始めてきてるでしょう
統合失調症や双極性障害に関しては、当人の病識自体がまだまだ低いんじゃないかな
20数年も前の話、オオコシ以外の多くの識者も、心の病いに関しては認識がずっと浅かったろう そう連鎖反応的に・・・。
なんていうか、マイコンがどうというか、思春期の思い出としてすごく懐かしい。
塾の思い出だけじゃなくて、御影のパン屋のケルンやシュヌルバールト。塾生の御用達だった あさひ。イベントの時に買い出しに行ったライフ。
なんか塾の生活も含めて牧歌的な日々だった。 先日たまたま結婚式があって、かなり久しぶりに御影で下車しました。
塾…本当にもうないんですね。
長い間もうどうでもいいや〜と思ってたけど、なくなってみるとやっぱり寂しい。
>>689
あ、ケルンでドイツパン買って帰りましたよ(笑)
今から思えば当時は贅沢な時間を過ごしてた気がします。悩みは多かったけど。 >>690
そうそれ、贅沢な時間を過ごしてたって感覚。
僕の悩みのメインは大検取る事でしたけど。
ケルンのパン好きでした。あそこのカレーパン絶品でした。 統合失調に躁鬱もそうだけど発達障害も閾値超えると社会に適応なんて無理だってわかる
社会に参加できない人々の受け皿もいるよなと最近は思うんだけど
そういう取り組みをやれそうなところって少ないよな
塾長は君たちが次の師友塾を作れと言っていたけどそれは本当に無理ゲーと感じる ホント師友塾がもう少しマトモなら行く先のない人の受け皿も作れたんだろうけどな
またマインドコントロールを続けるのかの問題もあるしそうならなくてよかったんだけど
就労B型は師友塾のレベルなら造作もなく作れただろうな 師友塾とオレンジの会を分けたものは何かとか考えたりするね >>691
そう!
カレーパンもめっちゃ美味しい!
すいません、それだけです(笑) >>692
受け皿というか、それは福祉とか行政の役割になるんじゃないか。 >>696
オレンジの会は福祉にも進出して居場所の先の進路として就労B型施設を作ったんだよな
師友塾は進路がAIEと大学と就職だったからハートケア系の人たちの進路がなかった >>697
わかるけど、でも師友塾生であれハートケア生であれ別に障害者とかではないんだから。 >>698
不登校の中の障がいの問題って
知的と身体でもないから確か18歳越えてからじゃないと障がい者にはならないんだよな
任意の手帳の申請が18歳以上から受付だから
進んで精神になりましたなんてことを望む人はまずいないから早ければ20代前半で手帳を申請するパターンだな
それも通院費の減免の自立支援を申請するついでになるのが通例
結局は塾を出たらもうお客じゃないんだサヨウナラという大越ドクトリンでしかなかったんじゃね? 矛盾するようなことを書くけど土肥隆一議員いたじゃない塾と関係のあるのは右翼系ばかりなのに唯一の左翼系の
あれ土肥氏が福祉施設の理事長をしていて塾長はその福祉施設目当てで関係を結んでいたみたいなんだよな
だからビジョンとしては進路としての福祉施設も視野にはあったかもしれない
ただ師友塾の保護者達は福祉とか精神とかを望んじゃいないから成り立たなかったのではと察するけど >>700
それで東京校の去るみたいに飛んだり跳ねたりして学級崩壊の元になってたADHDを追放したんだよなw >>702
病院ではないが病人や障がい者のような者も集まってくるところとはこれ如何に 師友塾ってビジネスは実に上手く逃げ切れるから
大越てめぇはとんでもなくずるがしこい野郎だって思えて笑える >>705
神戸校のリフォーム時に間借りしたのが土肥氏が理事をしていた福祉施設なんだけど
当時神戸校には精神病の非常勤スタッフもいたし大越先生のことだから施設も運営することは
考えの中に有ったんじゃないかなとは思うんだ完全に憶測でしかないけど >>708
そちらに対するレスではないので誤解なさらないでください 師友塾と大越敏夫と保護者の三位一体が師友塾の問題の構造だったという気がするね まぁ学校だって病院ではないが義務教育だと特殊学級はあるし
高校だと保健室登校があるやろってことじゃないかな
つまり現実の学校と同じ問題構造を師友塾も抱えたままだったってだけで >>698
全員が障がい者だとはもちろん思ってない
登校に付き添いが必要だったり多動のようになって暴れていた塾生とか
リスカしてた塾生すぐ誰かを叩く塾生はハートケアに変わったりもしていたし
中にはそういうとても健康とは思えない人もいたよねってことだよ >>712
そうでした「俊夫」でしたね
ご指摘ありがとうございます ちなみに自分はルサンチマン化した元塾生なので
なんだ馬鹿がまた暴れてるのか程度で思ってもらえればと思う あのさ、ヒューマニティーセミナーで記憶に残ってる話ってある?
あったとして、それは今でも役に立ってる? >>717
中退者は人の10倍の努力をしないと世間には認めてもらえない、みたいな話は心に残ってる。
塾の思想とは合わなかった今でも俺の中に生き続けているよ あの人の本を読んでみると『不登校』と昔の貧困や結核が、社会不適応という名の元に一緒になってるね。 >>717
この宇宙で変えられるのは自分自身だけっていう話。
宗教っぽいけど、思い通りにいかない時とかは思い出してる。
あとはエリクソンの発達段階の話。 『天職天命に生きよ』『セルフ人間を目指せ』
今思い出しても胸が熱くなる。 不登校生を褒めつつも、どこかでバカにしてた節もなかったか。 >>717
お役立ち系の話じゃないが
大橋巨泉のことを大越は酷く嫌っていて理由がいまだにわからない
あいつは公の精神がないが俺はあるって語っていたが単にアカが嫌いだったんじゃ >>719
>>722
底辺からのし上がった人が金持ちとその子供が不登校になっていてどう思うかって話かもね
妬み嫉みヒガミが全くなかったことは無いだろうし親子ともに馬鹿にしてたとしても驚かない >>721
セルフ人間どころか社会の宿命でウンコ人間になってる人がほぼ全員なんじゃないかな
誰もウンコ人間から逃れられない原罪は見逃してくれない
と今は思う 師友塾の癌は大越とヒューマニティセミナーだったな
思春期の頃は好奇心が勝ってカルトの闇を認識できなかったけど
部落解放同盟も真っ青の糾弾会をセミナーでやってたわけだし師友塾は解同w >>726
セミナーのない師友塾など玉ねぎの入ってないカレーどころかルースパイスカレー粉一切入ってないカレーよ セミナーといえばたまに茶番劇みたいになってなかった?
吊るし上げっていうのかな。
一対大勢とか親子一緒にとか。
あれ嫌だったなー >>726
ヒューマニティーセミナーは週に一度のお塩の時間。
雑談ができるようになれば師友塾は卒業。
必須条件と十分条件の観点から見ると、師友塾は十分条件。つまりあっても無くてもいいもの。
て、昔あの人言うてた。 あの頃のままであれば、今も御影に存在してただろうし、卒業生も笑顔で訪ねて来てたかもね。 >>730
吊るし上げとかしなければ、ここまで評判を落とすこともなかったかと。
あと離れた塾生に対しての素っ気なさ。
お世話になったスタッフとかに挨拶に行きたくても、ネットで調べるしかできない。
しょうがないですかね…。 >>731
離れたわけじゃないんだけど塾から紹介してもらったバイトを辞めてしまって
出禁になってしまった哀しみ
塾後のつながりの手段がなかったのは残念だな >>733
塾から紹介してもらったバイトって何?? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています