鈴木長十は、4月の最初の授業で、初めの5分ぐらいイスに座ったまま沈黙しているので、この人は何なんだと思った。

日本史の金本師は、4月の最初の授業で、300人ぐらいの教室のうしろにさらに何十人も立ち見がいて、これまた何なんだと思った。

駿台では「…先生」ではなく「…師」と書いていた。駿優もそれにならって「…師」と書いていたが、英語の宮崎尊先生が「宮崎尊師は麻原尊師みたいでいやだ」と言っていた。