>>274の続き
氷川さんは某アイドルの母親とよく電話していて『この人も学会なんだよ』と嬉しそうに自慢するのです。他にもたくさんの学会芸能人の名前を聞きました。
勧誘されるたびに『家族と相談します』と返事していましたが、担当としては、そのうち集会に行かなければならないのではないかと、内心ビクビクしていました。」
さらにプレッシャーだったのは、上司のJ女史も熱心な学会員だったことだ。
「氷川さんは月一ペースで学会の集会に参加していましたが、Jさんと二人でよく『○○さんの説法はすごい』などと会話していました。
ある日、氷川さんが『次の集会、後藤君も連れて行こうかな』と提案したのです。
するとJさんが『まだ早いわ』と言ったので、正直ホっとしましたが、振り返ると、二人はニヤニヤとこちらを見ていたのです」
本誌も集会に向かう氷川の姿をとらえている。四月十九日、午前十一時五分。
西麻布の交差点に止まった車からは、めったに着ないという黒いスーツに身を包んだ氷川きよしが現れた。
その十分後、一台のベンツが停車。
出てきたのは学会芸術部の部長である女優の岸本加世子(53)だった。
挨拶をかわす氷川と岸本。
停車中のベンツには人気女優の二人と、若手俳優も同乗していた。
「その日も、西麻布まで氷川さんをお送りしたのは私です。現場で錚々たるメンバーを目の当りにし次に誘われたら断れないという圧力を感じました」
岸本が運転するベンツは外苑西通りから、水道橋を抜け、巣鴨にある学会施設「東京戸田記念講堂」へ。
この日、行われていたのは、本部幹部会。
幹部や重要人物だけが参加する集会だ。
後藤氏は気づいてなかったが、彼が運転していた氷川の専用車についている四桁のナンバーは創価学会と所縁の深い数字だ。
それは学会の創立記念日であり、前身である創価教育学会を創設した牧口常三郎も因縁浅からぬ数字である。
特に熱心な信者が好んで使うナンバーなのだ。
創価学会に詳しいジャーナリストの乙骨正生氏はこう解説する。
「内部資料によれば、氷川は02年、池田大作氏から『あわてて学会宣言することもない』との助言を受けています。あくまで個人的な思いからの折伏でしょう。
ただ、部下を無理に折伏しようとするなんて、いまどきの学会員はやりません。
かつて学会が強面だった時代のオールドスタイルだと言えます。」(氷川との関係について創価学会広報室は「プライバシーの問題ですので一切お答えしておりません」と回答)
セクハラと宗教勧誘、そして威圧的な態度に後藤氏はどんどん萎縮していった。
「タバコを投げつけられたこともありました。三月八日のNHKホールの楽屋です。
実は氷川さんは愛煙家でマルボロ・ミディアムを日に半箱は吸うのです。ニコチンが切れると氷川さんのイライラは止まらなくなります。
『タバコはどこ、いま吸いたいの』と怒り始めるのです。翌九日は、車中でペットボトルの水を頭からドボドボとかけられました。
新逗子近くのコンビニで氷川さんが買ったカップ焼きそばを食べているときでした。
前日のタバコの一件を思い出した氷川さんの怒りが収まらなくなったのです。
『わかんなかったらきけよな、あ?』と後ろから運転席をガンガン蹴られました」(三月八日はNHKホールで「大地のめぐみ音楽祭」に出演。九日のコンビニ来店は店員が記憶していた。)
「私はすでに鬱憤のはけ口でしかありませんでした。氷川さんは体調不良もあってか声も本調子じゃないらしく、毎日不機嫌。さらに福田こうへい(昨年、紅白歌合戦初出場)など、台頭する新人歌手にも『ファンをとられちゃう』とヒステリーを起こしていました。
いつもヒットチャートを気にしていて少し気の毒でもありました。だから私は、八つ当たりされても氷川さんの気が収まるならと我慢していたのです。」
氷川が凶暴化した背景には、彼の才能を見出した恩師である長良プロの先代会長、長良じゅん氏が一昨年他界したことがある。
「重鎮がいなくなり、氷川さんの我儘を止める人がいないのです。
事務所は彼が独立しないようにおもねるばかりで、数億円の豪邸を用意したり懐柔工作に躍起でした。
一方で心の拠り所を失った氷川さんは周囲に当たり散らすようになったようなのです」