3:「西宮七園」・住宅地の開発 〜 西宮・宝塚 | このまちアーカイブス | 不動産 ...三井住友トラスト不動産
西宮の住宅地開発と「西宮七園」
MAP 14(甲東園駅) MAP 15(甲東園付近) MAP 16(昭和園付近)

「甲陽園」「甲東園」「甲風園」の由来である甲山の様子
「甲陽園」「甲東園」「甲風園」の由来である甲山の様子
明治初期、大阪の工業化による住環境の悪化などを背景として、風光明媚な別荘地として注目され始めていた阪神間の地域には、都市部の実業家たちが多く移り住んだ。
西宮周辺も、その環境と国鉄(現・JR)東海道本線、阪神電鉄、箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)の各路線の開通に伴い、様々な開発が行われた。
現在それらの地域は「西宮七園」と並び称される高級住宅地となっているが、それぞれ形成された過程は異なっている。

「香櫨園」は1907(明治40)年に香野蔵治と櫨山慶次郎が、現在の「阪急夙川駅」の南側に開設した遊園地。
1913(大正2)年に閉鎖され、その後住宅地となった。

「苦楽園」は明治後期にラジウム温泉が発見されると、大阪の実業家、中村伊三郎によって別荘地として開発された後、温泉リゾート地として賑わったが、温泉が枯渇し住宅地にその姿を変えた。

「甲子園」は、阪神電鉄が武庫川改修の際に取得した土地に総合リゾート地として開発された。野球場のほか、テニスコート、遊園地、ホテルなどが建設され、周辺は住宅地として開発された。