懐かしの鋼体化車両
老朽化と酷使のため甚だしく劣化した木造車を
保安度向上と保守費低減をはかるべく整備改良した
鋼体化車両について語り合いましょう。 なるべく重くならないようにしたらしいがやはり鋼体を支えられなくなったんじゃないの M台車はD16とかだけど、T台車にやばいのが多かったと聞く
日車Dが新型に見えるくらいだとか 白井氏のカラーブックスの巻末の解説にはまだ現役の台車が残っていると書かれている
この本は1980年発刊なので当時で50~60年の古物だったことになる 昭和29年〜32年に伊予鉄道では二軸車の台枠を接合して、
木造ボギー客車(ハ500,ハフ550,ハニフ570)を製造した。
この時期に鋼体車両を作らなかったのは経費以外に自社工場に技術がなかったのかな。
木造車追放の機運が強かった頃と聞いているし、認可関連で特例でもあったのか。
軽便規格の路線だから、安全性に問題なしとされたのは推測できるけどね。 昭和30年代後半の、大手私鉄に対して運輸省の木造車追放勧告は
くそもろうるさかったらしい。地方中小には大目に見ていたようだが >>105
なるほど。時期的にだいたい十年の間隔で、
国鉄から大手、最後に中小と木造車がなくなっていますね。
長崎電軌の木造車(元西鉄)はかなり遅くまで残ってましたね。 >>106
木造車西鉄では301系を造らざるを得なかったのに、長崎ではイベント用に残る前、
少なくとも40年代後半まで複数がラッシュに使ってました。
南海軌道線でもカッコいいモ101を、351を造ったり大阪市電に車体載せ替えないとならなかった >>100
そのヤバい台車は瀬戸線(昇圧前)や揖斐・谷汲線にいたク2320など旧愛知電鉄の特急車をクハ化した車に振り替えていた 南海の簡易鋼体化は既に戦前に実施
安く手早く輸送力を増強したい現場のアイデアとして評価できる しかしコストダウンを意識するあまり老朽品の流用が裏目に出て用途が狭まり早々に無用の長物化
安易な改造はかえって高くつくという教訓を残した 使用機器の問題ではなく車体が小さくて輸送力無さ過ぎだったから Wikipediaには戸口が狭すぎて乗降に時間がかかり現場から嫌われたことも要因に挙げている
ドアも使い回ししたんだな 車体幅が狭いのも問題になって後期車は車幅、扉幅を広げたものの、
戦局の悪化や戦災で計画通りには進まなかったようだね。
南海の木造車は軌道線鉄道線ともに、昭和三十年代まで残っている。 珍しく南海が先進的に手を着けたんだね
結果は成功とはいえなくても足跡を残せただけでも意義はあった 思いっきり忘れ去られたモハ50.クハ65.サハ75 そう言われればそんな形式あったねえ…
という程度の知識しかない
子供の頃に読んだ鉄道関連の本にまったく載ってなかった 子供向け入門書の編者が、改造車は相応しくないと思ってしまったのだろうか 京急は鋼体化せずに中小私鉄に売り飛ばすか、売れなかったのは解体したんだっけ 京急が売った木造車なんてあったか?
そもそも標準軌間だから売却先が限定される 急行で走った名鉄510形+520形
車内もクロス席に変更したので窓と合っていない
改造されなかった521は昭和44年に30年以上先行で引退 >>120
売ったというか、戦後混乱期の車両供出政策の一環で和歌山鉄道、福井鉄道
にも渡った
琴電のと同じ 写真によればヘッドライト付近の雨樋が上にカーブしていて一目見たら忘れられない特異なデザイン
海外の電車の意匠だろうか >>124,125
あの雨どいスタイルのまま1983年まで居たのだから琴電すげえ、木造国電出自の
610も小さい窓ダブルルーフで同じく1983年まで居たのもすげえ >>122
その続きがある
なお、3700番台の車両を総称してHL車という
名鉄3700系な しかも3780型なる冷房付きまであった。名鉄HL車。 激重・超低性能で瀬戸電に厄介払い
三河線や尾西線などの乗客にとっては、
貴重な冷房車を奪われた恨みだけが残った 本線時代は特急運用にも入るから、どけよホーンも付いてたんでしょ 種車は旧愛電の3200などだからそんなに性能は悪くないのでは? オールMなら意外と速かったろうね
ここの下の方に3700の急行がフルノッチ走行する音あるけど、MT比1:1だと80km/hが精一杯じゃね?
https://www.asahi-net.or.jp/~mg5h-cd/sound2.htm 営業用としては旅客・郵便荷物ともに1957年に木造車は全廃されたけど、
事業用はヨンサントオ改正ぐらいまでナハ22000系の改造車が若干残ってた。 最初の2編成だけね
効率悪いので3本目からMTに変えた 昭和55年の頃、三河線重原~知立での乗車が唯一の体験
当時はまだツリカケ車が多かったこともあってそんなに鈍足感はしなかった
俺もコロタン文庫の例の解説文が先入観にあったのでどんな不具合があるのか興味があったが
スカされた気がしたのを覚えている 名鉄3700と三岐120はともに琴電に譲渡されたが
形状がそっくりだな 東大手や大曽根の坂を喘ぐように登ってた3780
瀬戸電に厄介払いしたが、それでもまともに走れず
支線冷房化の功績は大きいが、低性能はどうしようもなかった
それでも、一応の配慮はしてるんだよな
種車のモーター(MB98)を重量級の3780に流用できないので、
初期車に入れて差替え 喘ぐように坂を登っていた電車だった運転手はどんな表情をしていたのかな? 旧客のグリーン車で最後まで生き残ったのは鋼体化客車のしかも普通車から成り上がったスロ62が改造されたスロ81だったのは意外な感じ。