【8M】103系1000番台を徹底的に語るスレ【2T】
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昭和45年に登場したときは斬新な電車に感じた。
入線当時はエメラルドグリーンの103系と共通運用だったが、全く別の電車に感じた。
当時はまだ茶色のモハ72も運用されていた。
105系に改造されたとはいえ、最近まで残っていたことは奇跡のように思う。 和歌山エリアで数年前までなれの果てが現役だったんだっけ >>4
岡山近辺と広島近辺と宇部近辺
ほかには奈良線と仙石線 常磐線で走り出した頃は斬新に感じたが、営団と直通し、6000系が乗り入れて来ると見劣りするようになってしまった。
その6000系も鬼籍に入ってしまったと思いきや、インドネシアに残っているのは奇跡のように感じる。 中央総武緩行線、東西線で走っていた1200台とほとんど差がないんだろ。
こっちは301系がアルミ地に塗装されてから見分けがつきにくくなった。 >>8
そうほとんど差がない。ATCのキャブシグナルと1200番代ではクモハ102が存在したくらいかと思う。
実際1000番代が中央総武緩行線、東西線用に転属した事例もあった。
逆に1200番代が常磐快速に転属してきたこともあった。 千代田線の地下ホームで待ってて電車の音が聴こえてくると
騒音の大きさで 6000か 103-1000かすぐわかった せめて地下鉄線内では電制カット運転すべきだった
こうすれば抵抗器の熱で床や配線蒸し焼きにならなかったはず
東西線では抵抗器の排熱はさほど問題にならず2000年代まで生き延びた エメラルドグリーン時代
ナンバーにアンダーラインが引かれたのはモハだけ?
理由はなんでしたっけ? >>12
電制カットしたら今度は減速度が下がるから運転に支障が出る。
あと、抵抗器の排熱が東西線で問題にならず千代田線で問題になったのは、
千代田線が単線トンネル主体で排熱しにくい構造だったのもある。
実際、営団が千代田線開業時に暫定投入した5000系も、10年少々で殆ど
東西線に移籍したし(残ったのは北綾瀬支線用の一部のみ) 103-1000の車体って地上用103では初期車がベース? 電制カットといえば名鉄SR車で普通列車運用でパッケージコントローラーが焼損する危険性からやってたな
101系も山手線でモーターが焼けるのでやはりカットしてる
地方私鉄の回生車では回生失効が頻発するのでよくやってる 超多段制御
他の103系は起動時に13回くらいガクガクするけど-1000は非常になめらか
だけど起動1発目はドーン! 同じMT55でも、301系と走行音の違いは天地だな 301系はMT55しかなかった
逆に103系1500番台や121系はMT55Aしかない
105系0番台や119系は製造時期的に新造当初は全車MT55Aだったが保守部品で103系とモーターがごっちゃになってMT55がある >>13
1000番台MM'を制御可能改造された0番台Tcがアンダーライン
関東唯一の低運ブタ鼻Tc-103-188も >>13
20さんの回答通りですが、クハが4両と思いました
旧いポジをみると、188と627、93と***、まで確認できました
***は記憶では627より少し大きな数値だったと思いますが、確証ないですね
時間があれば、ネガの方も見てみます スレチだが1200の話題で失礼
オイラが小学校高学年の頃、ちょうど置き換えしていた時期で拝島の留置線に何本か並べて停めてあった。今なら疎開回送だと分かるが、当時はそんな知識も無かったので「珍しい電車が止まっている!」と夢中で手持ちの写ルンですで撮影していた。当時は拝島の構内に踏切が残っていて、今では乱入と言われかねない構図で歩道から普通に撮影出来た。(特に柵も無くすぐ脇に停めてあったので)あの時の写真、どこやったんだろ。多分捨てちゃったかな…今みたいにデジタルならねぇ。 301のコストが高かったから103直通仕様になったというのは本当? >>25
301系はアルミ車体に空気バネと当時の国電では異例の豪華仕様だったので、贅沢だと国鉄内部で批判されその後の増備と千代田線用は103系となった。主抵抗器の廃熱で床下のケーブルが蒸し焼きとなり検査入場の度にケーブルの引き直しが必要となったり、営団地下鉄の監査に入った会計検査院から6000系との電力消費の差が問題となったりで、早期に203系への置き換えとなった。結果的に国鉄内部の人が安物買いの銭失いだったと書いていたね。 末期の頃301と1200番台の混結編成も存在した。301は空気バネ、1200番台はコイルバネ、ホームで見ていると違いがよくわかった。 0番台と1000番台のモハを混在させると主制御器がCS20とCS40が混在しどんつきが大きくならないか?
同じくCS20とCS40の混在だった301系+103系1200番台も乗り心地が悪く営団から悪評付けられてた 国鉄電車は次第に不燃化され全部A-A基準と同等になったと聞いた。
そのため、東西線10連化の際不足するサハは一般番台が組み込まれた。 103系で加速度3.3は、無理がありすぎた。国鉄としては、新形式で製造したかったように思う。もし、新形式で加速度4とか5なら、現在の電車がどうなっていたか興味深いですね。 103系1500番台は加速度が2.9km/h/sだったが限流値の設定が違ってた
通常の103系は4M2Tでは2.5km/h/sだが首都圏ほど混雑しないと割り切って応荷重を0番台の300%までに対し200%までとして空車時の限流値を上げた
首都圏みたいにぎゅうぎゅうに詰め込むと加速度が低下する
阪神ジェットカーも応荷重が100%まででやはり閾値以上に混雑すると加速度が落ちる >>22
1000番台対応編成での93の相方は636だった
本来の相方だった92は、72系アコモ車置き換えのために仙石線へ転属 1000番台の窓は15cmしか開かない仕様?
地上部隊編入で全開可能? >>33
ありがとうございます
636も撮ったはずが出てこないようで、
撮っていない可能性
記憶があいまいで申し訳ございません 8M2Tでも加速度 実際は3.3km/h/s出てなかった。 8M2Tで通常のCS20だと計算上2.9km/h/sが限界?
東中野事故後の暫定編成で201系のスジに合わせるべく総武緩行線に8M2Tが走った事がある 僕は国鉄時代は生まれていないので国鉄時代の事はよく知らないが、思い切って203の導入まで待てば良かったんでは?<常磐線の千代田線との直通運転 >>38
おれも昭和生まれとはいえ、昭和のころはガキだったから全然わかんないけど、
千代田線は5000系でスタートして、しばらくして6000系に切り替わるわけだが、
6000系だけじゃ輸送力不足だったんじゃないのかな?
最初から北千住で国鉄につながってたわけだから、国電乗り入れはやりやすかったと思う。
営団って、国鉄と東京都の出資だったから、そのへんのソロバン勘定だったんじゃないのかな・・
知らんけど。 >>37
6M4Tだと(当時の実測値で)103系が2.5km/h/s、201系が2.7km/h/sだから
103系でも限流値を上げれば201系のスジに乗れたのでは? >>39
しばらくは6000系足りなかったから、5000系を2つくっつけたのも使っていた。
使わなくなった中間の運転台はキャブシグナルが横長、実際に直通で採用されたのは、速度計の回りに表示が出る奴。
前者の方がかっこよいと思った。 >>40
それ非冷房車の数値では?
1200番台は冷房化で3.0km/h/sに落ちた説あり
地上用は限流値を積車時470Aに引き上げて加速度を維持できた >>38-39
営団地下鉄も国鉄と東京都が出資していた組織だったから、会計検査院が
国鉄は営団に電気代の差額を払え、なんて言えた。
9000を使っていた頃の小田急は、営団に電気代の差額を払っていたのだろうか。
回生ブレーキはあったから103-1000よりは電気代安かっただろうけど
営団6000よりは加速時の抵抗に流れる分だけ余計に電気食ってたはずだし 仮に301が登場せず最初から103の直通仕様だったら東西線が1000番代で、千代田線が1200番代になっていたのかな? また、史実では最初が301だったために1981年の東西線10連化では車番そのままでの運転台撤去だったそうだが、これが最初から103直通仕様だったら単純な中間車増備だった(いや、国鉄時代だから…)? 103-1000を武蔵野線に直接転用しなかったのは機器の問題?
地上型とは機器が違ったみたいだから >>42
いや、103系、201系とも冷房車の実測値。限流値増スイッチがOFFだった。 いきなり103系1000番台が登場したのではなくて
301系先輩の失敗があったからこそなんですね
でも想定より早く203系後輩に交代した残念な電車、
という認識でOK? >>46
制御器のメンテに癖があるから、取り扱いになれてるマトに配置して
常磐快速線に使った、らしい。
301・103-1200の配置がミツじゃなくてトタだったら、武蔵野線に直接投入の可能性はあったのかも知れない。
長いトンネルがあるからって理由で101-1000を入れた路線だもの。
A-A基準の103-1000を使った方が安全性はより高まったはずだけどね 特定の電車区にしか配置できないという癖があるんだな 電機子チョッパ制御や界磁添加励磁制御化改造やって欲しかった
営団5000系は界磁添加励磁制御化改造してる 203系で捻出された103系1000番台の105系改造はあの当時の国鉄だからこそ生まれたんだろうね。
モハ全車に先頭車改造と1M制御化または電装解除(クハ化)って新製した方がよかったじゃないかと思ってしまう。奈良線和歌山線の電化と203系を組合せての予算だっただろうけど。 103系1000番台→105系500番台
短期で大量に先頭車化含めた改造が可能だったのは
各工場に居た大量の人員のおかげかと
クハ105顔は関西初登場だったのでちょっと嬉しかった >>52
当時の国鉄、赤字で批判されてたからね。
だから、使えるクハは0番台を含めてとことん使って、モハのクハ化を極力抑えたんだろう。 国鉄時代末期の改造車オンパレードの中の一つだろうな<103-1000を改造した105系 国鉄時代末期の改造車オンパレードの中での通勤型(知ってるもののみ)
・クハ103-2000/2050、サハ103-750
・103系3000番代
・105系4扉車 >>56
クハ103-811・818(非ATC車をATC化改造)
なおその改造の2年後からは、ATCを使わない京葉線や総武・中央緩行線へのATCクハの転用も開始されました 103系3000番台は奇跡の車両だと思う。
本来なら、仙石線で使用後廃止されても不思議ではないのに、国鉄の事情で生き延びた。
中には一時期青梅、五日市、武蔵野の6両編成が共通運用になった時があり、京葉線の東京地下駅でも見ることが出来た。 72系の車体更新車でも、4扉車は103に編入されたのに
身延線の3扉車はそのまま廃車だったもんな。
クハ111・115が足りなくなって先頭車化改造してた時期だったんだから
クハだけでも新性能車に編入改造しちゃえばよかったのに >>58
おれも103系3000番台はほんとに奇跡的な車両だと思うよ。
103系ったら青梅線や五日市線、っていうイメージだったのに
(俺、青梅線沿線の住民だった)
まさかの八高線に走るんだもんな・・・あのときは、まさかこういう光景が見れるようになるとは、
と思ったものだった。 結局103系全体にも話が広がるってことは、実物での混成や105系への改造などとも絡んで
1000番台・1200番台だけでは話が完結できないってことなんだよな
もちろんそれで構わないし、話の展開上避けることもできないと自分は考えてるけど 地下鉄乗り入れ仕様ということで1000番台になりましたが、115-1000みたいに耐寒耐雪仕様という意味に勘違いしている方は一定数居るのかな >>62
1000番台を耐寒耐雪仕様に割り当てている形式も多いけど、
101・113みたいに長大トンネル対応車、って意味合いで使っている形式も多い。
番台区分の役割を厳密に決めてなかったって事だ 103系1000番台、登場から半世紀過ぎてるんだね。 1971年4月20日デビューか
在来線初のATC路線でもあったんだ JR発足直後のおもしろ電車は5色揃えなければいけないがエメラルドグリーンは1000番台のユニットだった
どんつきが大きかった? >>66
えっわざわざ借り入れてきたの?!
単に2両ずつ違う色に塗り替えるだけで良かったんでは? >>67
色をそろえるため先頭から2両目にサハを連結してた
先頭をATC車にせねばならず山手線か京浜東北線が必須で必ずウグイスとスカイブルーになってた
中間車は借り入れ 違う既にあるヤテ車で2両ずつ塗り替えはできなかったのかということ
ちょうど大井工場あったことだし >>69
時はJR発足直後。手持ちの財産でいかに目新しいことを短期間で実行するかが
ポイントだったのでは?
「5色あるけど?」「じゃあ2両ずつつなげばいいじゃん!」みたいな
軽いノリだったのではないかと。 103系がJR東日本管内から早々に消えたのは故障しまくったことが理由らしい 常磐快速よく乗ったけど、エメラルドグリーン塗装の1000番台先頭車は違和感がした。
旧型車っぽく見えてしまう。運転台中央のドアのせいで。 クハ103-1000の前面窓は左右方向に後退角がついているから
クハ153並とは言いませんが結構パノラミック視界ですよね
クモヤ143やクモヤ145も同じ形状 営団6000系と見劣り賀しないように涙ぐましい努力をしたんでないかい。 CS40のメンテに手を焼いてCS20に交換されてもおかしくなかったはず
こうすれば京葉線を走行可能になってトンネルでの騒音が抑制される >>71
総武線の103を置き換えるときの理由が故障多発だった。
火を噴く事故が立て続けに起きた。きちんとメンテナンスしていれば防げた事故なんだけど
会社は、車両老朽化を理由にして、209-500を急遽つくって総武線に配備。
電車区の現場が新車導入に反対していたから、会社としては新車を入れるチャンスとして使った。 >>76
そして津田沼(習志野電車区)から車両配置が消え、三鷹へ配置集約されてしまったんだよな
見事に千葉外しにもなってしまった >>59
種車が古すぎた。
63由来も混じってたから >>74
それはむしろ小田急9000が該当すると思う 小田急9000も懐かしいね。
鬼籍に入るには早すぎた気がする。 >>73 103系1000番台の前面窓左右の後退角等、前面デザインって概ね301系のを流用したんだろ。
ただ、301系と異なり、シールドビームを前面窓下部左右ではなく、中央上部に2個配置としている。
シールドビームをこの位置に持ってきたのは何故だろう?
301の場合は営団との協議でこの方式になったそうだが。保守管理の手間を減らすために千代田線乗り入れではこの方式にしたのか?
301のJNR/JR表示窓は無駄とは思うが。 >>83
単純に、103系一般形での位置に合わせたんじゃないの?
それを言ったら1500番台はどうなるんだってなるけど(あれは201系車体に準じた103系と言うべきものか) 103系1500番台は年の離れた親戚って感じですよね
設計当時には105系や201系が登場していたからそれらの図面を流用したんでしょ 乗り入れ相手と車両の質を揃えるため、本来なら203系を入れるべきところで
筑肥線内が単線で回生ブレーキ失効ガー、って理由で103-1500になっちゃったんだもんな。
鋼製車体でいいから、台車をエアサスにしてあげればよかったのに。 当時の国鉄の財政難で103-1500になっただけと思う
(国鉄時代に生まれていないので詳しくは知らないが) 当時の国鉄の状況から言って地方のローカル線だと103系1500番台や105系新製車がギリだったんだろうね
2、3年遅かったら105系改造車みたいに103系1000番台からの改造になっていた可能性も
ブレーキについて言えば筑前前原以西は空気ブレーキで十分 筑肥線開業が少し遅かったら、103-1000に福岡市地下鉄対応の保安装置積んで転用し
外した中間車2ユニットが105系2連2編成に化ける、ってなってたってことか。 >>89
筑肥線は昔から開業してますよー
ライバルの福岡市交1000が究極の通勤電車を目指して設計されたから
国鉄は何を投入しても負け確定だったんですよね・・・ 103系1500番台が出たころって、ちょうど119系と105系も同じ時期で、
3つとも色ちがいでほぼ同じ顔してるよね。 国鉄らしい図面の使い回しって感じでした>105,119,103-1500
103-1000/1200の顔は首都圏限定で遠い存在だったけど
Tc105-0として奈良・和歌山線でおなじみの顔になりました
種車時代よりも長生きしましたねー >>92
東西線1200番台のK9編成(先頭車も中間組み込みできるよう、前面貫通路を改造した予備編成)は
先頭車の改造にあたって、Tc105-0の図面を流用(もしくは参考に)したんだっけ 仙石線が仙台~陸前原ノ町間で地下線になると聞いて
当時はこいつが転属してくるのかと思っていた 国鉄時代にJR東西線が開業してたらタイミングによっては常磐緩行線のこの1000番台が転属していた可能性あるか? ゼロではないかも知れない。
千代田線の単線トンネルがなければもっと生き延びたんだけどね。 >>88
1000番代で常磐快速線に転用されたのが9本だったみたいだからその可能性は高かったろうね 総武快速線や京葉線のように必ずしも貫通扉が必須じゃないのでは バーニア制御はメンテ厄介だよな
東武8000系はメンテナンスコスト低減のために電制なしになった
電気機関車ではよく使われるが電車では希少 東武8000系はなぜ私鉄の103系と呼ばれているのか?
全然103の面影が無いのに(むしろ私鉄の通勤車で103の面影があるのは小田急2600) >>101
でも、側面窓配置/ドア間隔、室内の配色などまんま103じゃないか<小田急2600 末期の15連快速の先頭に立つ姿はカッコよかった
4枚ドアが15両で片側60ヶ所の出入口は国内最高か >>100
・製造年代がほぼ同じ(103は1963~1984・東武8000は1963~1983)
・20m4扉の通勤型電車を大量増備した
って共通点があるから私鉄の103と呼ばれる。
東急8000も系列全部含めたら東武8000に近い数作ってるんだけど
東急はバリエーション豊富だからね。
ほぼ同じ車両を作り続けたという点で、東武8000は私鉄の103。
性能的には東武8000は近郊型に近いんだけどね。 103系へ/103系から改造ってだけで、72系・101系・105系も103系と絡むことになるからなぁ
201系の仕様が各所に反映された103系も、1500番台や0番台の最終製造MM'の7ユニットで存在するし
冷房改造やその後の更新改造では他の系列との共通要素もあったりして、
1000番台だけでなく103系全体では、結局は膨大なバリエーションになってしまうんだよな 僕は
小田急2600=103初期
小田急4000=103-3000
小田急5000=103低運ユニット窓
小田急5200=103高運
小田急9000=103-1000
というイメージなんだが
ちなみに小田急2600は103同様に低速型、初代5000系列は東武8000同様に高速型 >>107
>201系の仕様が各所に反映された103系
で無くて、201が途中から劣化して、103系に近ずいたんだろ >>107 車体のバリエーションは改造含めて多いけど、足回りは抵抗制御、非エアサスで最後まで統一。 103系、初登場が昭和38年。ってこては来年還暦だ。赤いちゃんちゃんこを送ってあげたい。 確かに、最古参がいるからね。
おばあちゃん103系、喜んでくれるかな? >>37
京浜東北線の103系末期の頃、8M2Tの編成が1編成だけ走っていたことがあった。
恐らく車両のやりくりの都合だと思うけど、起動加速が6M4Tとは全然違った。 >>40
>6M4Tだと(当時の実測値で)103系が2.5km/h/s
それは正しいと思う。ATS時代の京浜東北線103系非冷房低運車は、
最後尾がホーム後端をかわすのが大体60q/hにやや届かない位だった。
今のE233もほぼ同じで、起動加速力は、70q/hまでは大して変わらない。
70q/h以上になると、E233の方が断然速いけど。
>>42
高運全車冷房編成だと、10両で全車非房冷編成より50t近くも重くなったので、
ATS時代の、満員ラッシュ時の回復運転では中々100q/h迄出ないと、
実際に京浜東北線の運転士の人から、中学生の頃に聞いたことがある。
限流値上げても、屋根上の風圧抵抗とかで高速域の限界性能付近では差があるのでは? 弱め界磁率が設計値35%で実効値40%になってるのはモーターの発熱で界磁巻線の抵抗値が変化するためのマージン確保説がある
モーターが加減速である程度発熱した時に真価を発揮する
ぴったし35%にしてしまうと弱め界磁率が下がりすぎ下手したらモーターがフラッシュオーバーするみたい >>100
製造両数が異様に多い形式だからではないか? モハ103‐910番台は通常の抵抗制御のCS20に換装してもよかったのに
メンテが厄介で電装解除されたが911・913は冷房化されてたためにモハ103のみ電装解除して組み替えた 山手線で乗った時は加速時 時速20km/hのショックがなくスムーズな加速でした。 イメージ的に
小田急2600→103-0初期
小田急9000→103-1000
だと思ってる 105系4扉車の改造種車に1000番台が選ばれたのもバーニア制御器を廃棄するため バーニア制御は電気機関車の技術を応用したとも言えるが採用例希少だな 地上へ移った車両たちも部品取替えなど改造されていったんですか? >>127
クハは105系のタネに供出されるケースが多かったので
組み合わせた0番台クハなどに1000番台併結対応改造した。 >>128
その1000番代に対応させたクハには事故による代替新造車も含まれていたらしい >>129
その1両がクハ103-188
最初から最後まで、東エリアでは色々とオンリーワン的な存在になったけど 前面のJNRマーク
1000:左上
1200:左上
1500:右上
JRになってあっさり消されてしまいましたね
特急型以外でJNRマークが設定されたのはこれらだけ? 国鉄高速バスもそうだな
でも考えてみれば扇風機とか灰皿とか温度計にもJNRマーク入ってたから
設定のない車両の方が珍しかったかもなw >>130
クハ103-188は不思議な車両だった。
本来関西向けなのに北マトにきた。行き先表示を見ると、全面貫通ドアもないのに地下鉄直通仕様。
暫くは先頭に立つことはなかった。 >>135
根岸線で事故廃車となったクハ103-548の実質的な代替新造ってことで、
第一次改良車グループのクハ103の中でただ1両の関東配置となった車両ってところから
クハ103-188の歴史は始まるんだよね
常磐快速線の完全新性能化とも絡んで、何の因果か松戸区配置となったのもまた興味深い
常磐線1000番台の地上用コンバートの影響で風を切って走るようになり、1000番台との混成も同時に行われ
JR化の後はAU712で冷房改造、そして車両更新工事がなされ(グリーンマックスのキットのパッケージ写真にもなった)、
その後のATCクハ転属などの絡みで総武・中央緩行線、そして京葉線へと転属して
それぞれの路線で異彩を放ち続けてた
103系全体の歴史を語る時には、決して外してはならない車両のうちの1両になるんだろうな
1000番台の歴史を語る上でも、外すことができない車両となるのは言うまでもない 103-1000と小田急9000は早々に千代田線に来なくなったのが共通点 103系1000番台は時期的にAU75集中型冷房装置とAU712分散型冷房装置の
2種類が搭載されましたけど、冷房の効きに差はありましたでしょうか? ワシが小学生時代に走り始めて、105系化したとはいえ、還暦を超えてまで残っていたとは
感無量だ。 103-1000は発熱の影響で千代田線を追われたというがそれだと-1200と-1500はどうなるって話 >>138
出力は同じ4200calだったけどAU75に比べると効きが悪い印象が強い。 103-1000は乗務員室直後に戸袋窓が無かったが、-1200はあった模様 常磐快速線で3+7+5はやった事例無いな
総武線101系で3+4+3をやった事があるが真ん中に添乗員が必要では? >>145
確か1987年の冬になる前に15連化が開始された記憶が
その際にATCクハが常磐快速線へ初めて転入してきた ( 基本 )+( 付属 )
・(8M2T)+(2M3T)=10M5T
・(8M2T)+(4M1T)=12M3T※2Mユニットカット
・(6M4T)+(2M3T)= 8M7T
・(6M4T)+(4M1T)=10M5T
組み合わせによって加速等が違ったのかな 2M3Tはちょっとやりすぎ感あった
それに片方の先頭車を必ずAU712+SC24にする必要があった
5両すべてAU75だとMG容量が足りず1両だけ冷房が使えない
サハ103にサシ481の廃車発生品の小型MGを取り付けても良かったはず >>152
分割民営化後の簡易冷改車は、AU75使った冷改と比べて
車体の補強をしなくていい、ってメリットがあった。
補助電源についても、自車分の冷房用SIVを補強なしで屋根に積めちゃう。
サシなどの小型MGをひっかき集めても、数が足りなかっただろう。
それならSIV屋根に積んだ方が合理的。
形式は違えど分散型クーラーで非冷房車を冷改した東海。
冷房準備工事車だった115-2600まで分散型で冷改したのには驚いた。 >>153
東の115系(新潟に行った2000番台)の一部も、冷房準備車であってもAU712での冷改がされてたんだよな
ある意味運命のような番台だったのか?
103系だと、ユニット窓車でもAU712で冷改されたような感じか
Tc103-188とか、武蔵野線にいた一部ユニットとか Tc103-188は異端車だったね。
非貫通なのに行き先表示が地下鉄直通仕様だった。先頭に立つことは暫くなかった。 >>152
モハ102のMGを201系用の190kVAのBLMGに交換でも可
5両分給電できるため205系では真ん中のモハがMG準備工事になってるのある(のが仇となってMGが足りず短編成化でSIVを増設した車両が多数) 1000番代より僅かに1200番代の方が新製が早かったとか >>156
205はJR化後の増備車でMGを削減し既存車もそれに合わせていたかと 2M3Tは加速が悪いうえに冗長性に欠けるので真っ先に駆逐されてる
サハ103に101系の発生品のC-1000でいいのでCPを増設すれば保安度向上になった
185系も付属編成のサハにCPがある 103-1200は10両化の際に強引に地上用後期車のサハを組み込んでいた 103-1000は地上車との編成内混結もあった模様 103-1000の先頭車は16編成分製造された内の7編成分が105系4扉車に改造されていたので、当初は筑肥線に-1000を持っていくつもりだったのかな? ただし、僕は国鉄時代は生まれていないので、国鉄時代の事はよく知らない 国鉄が関東基準なのは、本社が関東にあったからと思われる 80年代は化粧板ドアが関西私鉄では標準だったけど関東は営団以外は無塗装ドアが主流だった
また蛍光灯カバーも関西私鉄では標準だったが関東では京急2000くらいだった そう考えると営団6000は当時では先進的な車両だったんだろうな 103系1000番台はこんなだった
ヒュゥ~
ゴォォォー
ブフォーブーンブフォー シュー
シュシュ シュゥ
ゴバァ~
北千住 北千住 日比谷線 東武線 国鉄快速線はお乗り換えです
プーーーーーーーーーー
ゴバァ バン!
シュゥ~
グゴォ ブフォーンブーンブォー
ガガン カカン ヒュゥゥ~ >>168
あと関西は先頭車が電動車で関東は先頭車は付随車というのが多い 80年代に限らず00年代まで
関西私鉄 電鈴 種別が後に言う
関東私鉄 ブザー 種別を先に言う
国鉄は全国で関東式
名鉄はゴチャ混ぜw 103系1000番台が経験したことある塗色は下記でOK?
・グレー+エメグリ帯(千代田線乗り入れ)
・エメグリ一色(常磐線)
・グレー+スカイブルー帯(東西線乗り入れ) >>174
一瞬だが三鷹転入直後カナリア帯も存在した。 歴史のたられば
もし、営団がトンネル冷房でなく車両冷房に昔から積極的だったら
国鉄は103系1000番台に冷房を搭載して使用し続けただろうか? >>176
203系に置き換えは冷房が原因じゃないから。 >>176
営団ってトンネル冷房に拘ってて乗り入れの相手会社の車両が冷房車の場合境界駅で冷房を切らせていたんだっけ?
大阪では大阪市交堺筋線で冷房車が堺筋急行の阪急5300系しかなかった時代本来なら天六で冷房をオフにする決まりだったのがそのまま冷房を効かしたまま堺筋線に乗り入れてたそうな 営団は最初トンネル冷房を普及させる予定だったけど方針を変えた。
銀座線に冷房機器を乗せることが不可能だったのが、薄型の機器が開発されたためと聞いたことがある >>180
トンネル全体冷房した方が手っ取り早いだろ
って主張する営団の老害幹部が引退したから、車両冷房に切り替わった。 01系冷房車 1990年
5000形 1980年
10系量産車 1979年
車体サイズ厳しい東山線も御堂筋線の翌年に冷房化してる
さらに10年遅れたのは技術問題よりトンネル冷房主義だな >>179
品川駅発車直後の架線柱にも「冷房OFF」の表記があって、都営直通の特急はスイッチを切っていた。
急行は非冷房の5000系。 そして泉岳寺から乗り込んだ都営乗務員が冷房のスイッチをw >>186
それそれw
そして北行は、KQの運転士と車掌が、電車が発射するまでホームに残って、
安全確認した後に引き上げていた。
でも南行の場合、都営の乗務員はKQの乗務員に引継ぎをすると、
安全確認なんかせずに、電車が発射する前にさっさと詰め所に引き上げていた。 103-1000は地上車とはドアエンジンが違い、閉まる時に地上車では鳴っていた「プシュ」という音が鳴らなかったらしい ちなみに103-1500はまた違うドアエンジンを採用していて、201等と同じドアエンジン
なので過渡期的な感じ 103系は長きに亘って製造されたから、いろいろと変化があるね。 103系と東武の8000系は比較されることが多い。
製造量数の多さと、製造期間の長さが要因だと思うけど、あれだけ製造されながら、
他社への譲渡がないのも共通点だと思う。
103系は10両だけインドネシア輸出あるけど。 >>191
JR各社を個別で見た場合、103系は東から西への譲渡が8両あったでしょ
元武蔵野線用の編成が、福知山線事故などの絡みで譲渡された感じだったかな >>188
応荷重装置が301系と共通だった
301系のやつは空気ばねの内圧を測定する方式だがこれをコイルバネ台車用に改設計してる 103系は短時間で再開閉すると応荷重装置がリセットされ0%と誤認する欠陥があった
クハ103-2051が天王寺駅で車止めに衝突した原因
1000・1200・1500番台は測定方式が異なるためリセットは起きなかったはず >>191
他社への乗り入れも少ないと思う。
103系→営団地下鉄、秩父鉄道、福岡市交
8000系→野岩鉄道、秩父鉄道
位しか思いつかない。 >>191
僕としては103の比較対象は小田急2600/5000/9000だと思ってるが
小田急車の方が国電的要素が強い(側窓配置、車内配色等) 播但線の103系とか加速が良くて1000番台を思い出すな。 >>192
JR同士の譲渡もあったんだね。
それにしてもあんなにたくさん製造されたのに微々たる数の譲渡。
インドネシアに輸出された103も既に鬼籍に入っているね。 >>195
103系が更に長期にわたって製造されたら、富士急や小田急・相鉄乗り入れもあったかもしれない。
8000系も営団日比谷線開通時、今のように20メートル車体が乗り入れ可能だったら、
加減速を強化した編成が乗り入れたかもしれない。その後開通した東急・横浜高速乗り入れ、
更に、お便所と抑速ブレーキ完備だったら、会津鉄道乗り入れもあったかもしれない。
妄想は膨らむ。 >>201 小田急乗入れ:103系1000番台が何故、千代田線乗り入れ運用から外されたのかわかってる?
富士急乗入れ:201ないし205が量産されなかったら、という話しても意味ないだろ。 >>201
つりかけの78系を、車体そのまま冷房化改造しようと企てた東武に
おまえは何を期待してるんだ?
国鉄で言えばモハ72を冷房化、ってのとほぼ同義だ。
日比谷線が20m対応だったとしても、直通用車両だけ高性能車で
地上専用車は低性能、って作り分けていたはずだ。
現に東上線では直通用の9000と地上用の10000を同じような車体で作り分けたし。 >>202
千代田線の単線区間が仇となったね。
国鉄時代、3社直通になり、その時点で、国鉄車が小田急に乗り入れ、逆に小田急車が国鉄に乗り入れれば、103系が、小田急を走る姿を見ることができたはずだ。 >>204
小田急9000系の屋根には常磐無線アンテナの台座と配線が準備されてたね >>204
逆Lアンテナを付けた103系1000番台か、それもまたいいな >>201
逆に相鉄の直角カルダン車が国鉄に乗り入れていた事になるのか >>204
仮に千代田線系統が国鉄時代に3社直通が実現していた場合、後に松戸で同じVVVFの小田急1000形と新京成8800形が並び、小田急線内では他社車両だけで3種のそれぞれ一点物(207-900/06/371)が走っていたという事になるのか >>208
後者に関しては、代々木上原で3並びが実際に実現していた可能性もあるように思う(直通がなくとも) 103系の行先幕に準急本厚木とか急行伊勢原とか入ってたかも。 湊町直通列車にも105系(元103系)を使ったことあるのだろうか >>211
それは聞いたことがないけど、試運転とかではあったかも。
105系導入直後は奈良線での運用もあり、京都口に2両編成があった。
昼間でも2両だと混雑していた。 >>211
105系(種車103系1000番台)
投入理由は奈良線・和歌山線電化開業向けだったから
前後の接続で桜井線には入線していたけど
関西本線には入線していないでしょう 少なくとも103と113は1000番台に区分されたのは地下線内対応だからと見た
横須賀総武快速の地下区間は当初は地下鉄規格だったそうだし >>214
改造だが101系1000番台も仲間に入れて下さい
武蔵野線は厳密には地下鉄じゃないけど長大トンネルが多いから その後制度が変わり総武、横須賀地下線は地下鉄扱いでなくなった。
そのため、217には前面貫通ドアを廃止たものや、235にはそもそも貫通ドアがない。 京葉線東京開業時に京葉中古車センターへ1000番台を持っていかなかった時点で
地下鉄規格以外の地下区間に非常口とか自然通風とかはどうでもよかったんだろうな >>218
湯島より北千住までのの上下段構造の区間(単線トンネルの上下並列区間)ってことでしょ >>217
1000番台は制御の問題で松戸と三鷹でしか取り扱いできなかった 東西線完全10両化で1200番台が余剰になった際も、松戸にしか使い道が無かったために結構複雑な転配になっていた模様 1000番台は1編成だけ東西線にも配置されていたが、これは一度常磐快速線に転用されていたものを再度東西線に転属させたものだったらしい 東西線直通車を受け持っていたのが三鷹ではなく豊田だったら103-1000を直接武蔵野に配置していた? 103-1200と301は黄帯→青帯になった点で営団07系と似ている ただ301/103-1200が同じ東西線のまま色変更に対して、営団07が有楽町線→東西線という違いはあるが 東西線で地下鉄運用復活した103-1000は冷房装置を搭載されていたから
千代田線時代より評判良かったんかな バーニア制御はメンテ厄介すぎだな
東武8000系はメンテを楽にするために電制なしにしてる
現存する車種で電制付きバーニアは南海6000系のみ >>229
103系1000番台も皆さんそれなりの人生を歩んだね。でも一番幸せだったのは105系に改造された方々だったのではないか?
つい最近鬼籍に入った方々もおられる。 西日本は4ドア縮小の方向になって元103-1000も置き換え対象になったと ちなみに小田急の抵抗制御車は
・2600形が(抵抗制御車では珍しい)回生ブレーキ
・初代4000形が(東武8000系同様に)電制無し
・初代5000形/5200形が(抵抗制御車では標準的な)発電ブレーキ
と3種揃っていた >>235
初代4000はつり掛けで作って、後に2400の機器流用したんじゃなかったっけ。 >>232
つーか、単純に車両自体の寿命も来ていたんだと思うけどな
西103系の廃車も次第に進んでたことを考えたら >>233
電制なしであるが故に鬼怒川線は団臨でしか入った事がない
ブレーキが焼けてしまいそう >>236
2400の主電動機を流用したが、主制御器は元のものを再利用した >>238
3070系とか5050系が普通に走ってたじゃん 103-1000は全て低運車の時期に製造されたが、-1200は高運世代のものもあった? 103-1000は後のATC車や小田急9000みたいに運転台直後に戸袋窓が無かったが、-1200はあった模様 当時の東西線のATCは地上信号式のWS-ATCで、千代田線は車上信号方式のCS-ATCだから違いがあるんだろう WS-ATCは速度照査ATSをATCっぽく命名した感がある 総武快速・横須賀線の地下区間は、当初キャブシグナル式ATCだったのが、ATS-Pに変わり、時代を逆行
したように感じた。錦糸町と品川での切り替えがめんどかったのかな?? ATS-PでATCの代わりを十分に果たせるようになった、時代の進歩の一面や
走らせる車両に積む装置を極力増やさず、走行制約も減らしたいなどの面もあったんでしょう
朝ラッシュ時に山手線と同等レベルの高密度になる中央線がATS-Pで対応されているあたり、
広域運転される車両も通したいってこともあるだろうし
今の埼京線は、池袋でATACSとATS-Pの切り替えを行ってるんだろうか
103系の時代だと、新宿時点でもATCを使ってた記憶が何となくあったもんで >>247
ATCバックアップってやつだな。
ATCの機器をATS代わりに使う奴。
基本的には地上信号に従って運転し、速度照査はATC側の情報を使って運転する。
いまも根岸線でやってたと思う。 >>248
おお、103系の運転台にかぶりついていた当時を思い出しました(情報に感謝)
ATCを積んでいなくても東京地下線に入れるようになって、
103系ではないけど113系1000番台(ユニットサッシ車の方)の本来の役割は
設備面でも事実上終えてしまったんだよね
最後までATCを使い続けた首都圏の103系が、いわゆるATC車と称される高運クハではなく
1000・1200番台だったと言うのも、また面白い話になるか >>238
臨時で会津高原まで入ったことがある。
余談だが、5000系は定期乗り入れがあり、山間部に吊りかけ音を豪快に響かせながら走っていた。 >>252
それは知らなかった
4ドアの大型使ってたんだなぁあんな山奥で 運用は朝だけだったと記憶している。
半自動ドア装置もない車両だから寒かったのではないか? >>254
東武通勤車は、真ん中の2扉を閉め切るスイッチがあるからそれを使えば若干マシ
国鉄の通勤電車だと、一部のドアだけ開けるスイッチみたいのがなかったんだっけ
だから半自動ドアにするか半自動スイッチを付けるか >>256
103系の増備中に4分の3閉め回路付けたロット合ったけど普及しないまま次のロットでは見送られてしまった。105系が半自動になった位。103系でも仙石線や川越線は半自動化したけど。 コロナ禍になって半自動の使用がかなり減った気がする。 >>258
特に夏場はね
半自動機能を活かして夏場の冷房の効きを良くして車内の保冷に役立ってたのにコロナ禍で換気するためか半自動機能を使わないどころか窓あけもやるから冷房が全然効かなくなって暑苦しくなる 今はどうなのか知らないけど、昔の冬の小田急は、大野以西で通過待ちの時などは、
一か所だけドアを開けて、3か所閉めてたよね。
あとKQ800型も、早朝平和島で緩急接続のバカ停する時、
各車両一か所しかドアを開けてなかった。 >>260
東北沢や経堂でもやってた。
ただし、冬だけでなく、夏の冷房シーズンもやってたが。 クモハ102は10両しか製造されていなかったらしい >>262
自分は5両だったように記憶している。
改造だと、加古川線や播但線用があるね。 クモハ102
新製車
1200番台の5両だけですね
改造車
1500番台が筑肥線
3000番台が川越線
3500番台が播但線
3550番台が加古川線 103系本に一通り目を通して来い、とは一応思ってたりもする
でも、本来の姿の山手線103系が消えてから、来年でもう35年も経ってしまうんだよな
当時の姿を実際に見た上で知っている世代が、間もなくアラフィフ以上になると思うと
時の流れを感じずにはいられない 山手線カラーの103系はもう乗れないんだよな
京浜東北線カラーも風前の灯火 >>268
色も常磐エメラルドグリーンそのものなんだよね? >>269
ほぼそのものだけど、前面に黒く塗ってあるところが違和感を感じる。 窓に後退角が付いていないからあまり似ていないと感じる
パンダ顔にしてもよかったのに >>270
サイドだけ見れば常磐民は懐かしさを感じると思う。 >>273
戸袋窓が無いのと、そもそも側窓が改造されている時点であまり面影はない まあるい緑の山手線♪
これの歌は103系のことだなw 山手線のイベント、カラフルトレインで、エメグリの1000番台が2両組み込まれたことがあった。 1200番代は0番代が高運に移行した後に作られたものもあったらしい 1205の編成なんかは車内無塗装化された年次なのに非冷房でちょっと違和感があった。 今となっては日本の地下鉄路線で非回生抵抗制御車が走るのは堺筋線のみに。 >>281-283
1000番台は1970〜71年にかけて一気に造られたけど1200番台は1970、1972、1978年と新製時期がバラバラだよね >>285
常磐線複々線化と営団地下鉄直通という大エポックがあったからね。 >>285
各駅停車の行先が全部地下鉄になった常磐線だと所要本数は多くなるが
総武線に中野・西船橋で割り込む形だと、地下鉄直通列車の本数は限定されるから
1200番台はそんなに数がいらないって事になる >>286 営団6000系の営業運転が千代田線の北千住・大手町間開業に間に合わなかった、まだチョッパ試験中で、103系1000台を使うしかなかったという事情もあるのでは。
千代田線がこの区間だけだった頃、とある日曜日の夕方に乗ったことがあるが、103系1000台の車内は客はまばらでのんびりした感じだった。 >>288
部分開業の時は103系使ってないよ。
東西線と同じ5000系の5両編成を導入した。
国鉄と直通時、その5000系を2本連結して暫く走っていた。異彩を放っていた。 >>291
ごめんなさい。質問対象は301系でした。
クハ103-1000のJNRマークが光ったら大変w あのJNRマークは地上線用の通勤型や近郊型には無かったそうだが りんかい線は幻の都市博の時はあの京葉103を一時譲渡するつもりだったの!?
おとなしく205にすれば都市博開催できたかもしれないな(などと) 103のりんかい線仕様はイメージイラストを見たことあるし大井工場の公開でNゲージが並んでいたこともある
白青緑の明るいきれいな色だった >>293
例外が、常磐の103系1000番代、中央総武の301系と103系1200番代。 >>295
借入(車籍は東日本のまま)の想定だけど塗装は変更するつもりだったのか 常磐快速の103系の色はエメラルドグリーン。
なんだかおしゃれな呼び方だったね。
単に緑ではいけなかったんだろうか? >>300
緑はJR北海道のライトグリーン、JR東日本のモスグリーンなど
種類が多いからエメラルドグリーンが適切だったんじゃないかな、知らんけど エメグリって言うと、一挙にエグくなるね。
でも、沿線の雰囲気からすると、エメラルドは爽やか過ぎて似合わない。 和歌山色105系は沿線に合ってる色だけど
常磐線と加古川線にエメラルドの海は無いしな… エメグリは常磐と加古川以外採用されていないのはある意味不思議だ。 ただ単に常磐快速線だけで終わっただけ<エメラルドグリーン 実際に見ると京浜東北ブルーと常磐快速エメグリとの中間で、
やや常磐快速よりの色って感じだよね。 どうせなら地域色エメグリにしてほしかったなあ。
かつて常磐で1000番代が地上用になった当時を彷彿としたはずだ。 113系が青緑だったから阪和の103系もエメラルドグリーンでもよかったかも。
てか東海道線が水色なのに同じ色にしてしまったんだな。 >>5
福塩線と宇部小野田には新造車しか入ってない
仙石線は103系通常番台からの改造 >>314
1000番台と1200番台初期はヘッドライトは豚鼻シールドビームだけど窓は非ユニット窓という、0番台でいうモデルチェンジの過渡期の形態になってるのが面白い。 103−1000番代は既に鬼籍に入ってしまったし、国鉄時代、千代田線の単線トンネルでの件を除けば、
あまり注目されることなかったけど、これだけレスが伸びるのはすごいと思う。 103系1000番台・1200番台にかかわる話をしようとすると
路線面では千代田線、常磐線、営団/メトロ東西線、中央・総武緩行線中心になるけど
車両の面からは必然的に103系一般形(常磐快速線絡み)や105系(改造車絡み)などにも触れることになるからなぁ
それだけでも話は大きく膨らむことになるんだよね 更には、103系1500番代や、モハ72形や101系からの改造車もあるからね。 103系1500番台も広義の1000番台になるのかな
地下鉄乗り入れ用103系ということで 1000、1200、1500、いずれもが「改造車」ではなく「新製車」だという事実
とくに1500は、105系とら201系の折衷型な外見で、103系とは全く異なる性質を持つ車両だった > 地下鉄乗り入れ用103系
0番台サハの-429・430も、事実上の仲間に入るのか
東西線用にコンバートされて以降は、最後まで地下鉄乗り入れ用として活躍したってことで >>26
千代田線に301系を投入してたら、廃熱問題や消費電力量の問題は起こってなかった、小さかった、のだろうか?
抵抗制御であることは変わらないからいずれ起こってた問題のような気もするが 抵抗制御であることに変わりないから、同じように起こったんでないかい。 千代田線に301系投入というifも面白そうですね
国鉄に予算が潤沢にあったらなー アルミだと軽量で消費電力が少なく問題が起こらなかった可能性? 歴史の歯車がどこかでちょっとでも狂ったら筑肥線に
103系1000番台が転入してくる可能性もあったかな 某転職CMの103系風電車を何となく思い浮かべた
側面は1500番台風の塗り分けだよな、あれ >>330
丁度103-1000のまま残ったTcが9編成分だから…
(103-1500も9編成) >>330
203系も検討したけど、ローカル区間での電力回生に課題があるため103-1500を投入したとも聞いたことがある。 >>333
筑肥線の電化が2年遅れてたら103系1000番台が筑肥線に転用されてたかもね。その代わり奈良線和歌山線可部線の105系は新車になったはず。 >>334
2年遅れたら、103-1000から2ユニット引き抜いて筑肥線
抜いた2ユニットは105に改造
105が不足する分は新製
だったんだろうな 103-1000の筑肥線仕様(案)
・6連に短縮
・冷房装置搭載(流石に九州で非冷房はキツイ)
・車体色はスカイブルー+クリーム帯 ここまで評価される103系1000番台、泉下で喜んでいるはずだ。 >>336
地方冷遇の国鉄のことだから平気で非冷房のまま投入するだろう。
福岡市交車との落差で悪評が激しく民営化直前にしぶしぶ冷房化してそう。 >>337
大昔のRMモデルズのフリーランスの紹介コーナーで
GMキットで制作した103系1000番台筑肥線色(水色にクリーム帯)が載ってた
「国鉄末期の財線難の為、筑肥線の増発による運用増は1500番台の新製ではなく
1000番台の転用改造となった、しかし不評な為、後に筑前前原~西唐津の区間運用にしか
使われなくなった」というフィクションの文章も書かれていた。 >>340
訂正:財線難→財政難
ちなみに載ってた作品は確か非冷房だったはず >>340
>しかし不評な為、後に筑前前原〜西唐津の区間運用にしか使われなくなった
史実の103系1500番のことじゃないですか
作者は未来が見えていたのかw >>342
乗客より市交のほうが不評だったんでないかい。
ATO使えないし。 >>343
ATOは電気指令必須という誤解があるが営団の3000系や5000系北綾瀬支線車で電磁直通と組み合わせた事例があり誤り
しかしブレーキ応答性が悪く停止位置のばらつきが大きくなりそう
103系でATO化改造の挑戦はその気になれば出来そうだった 103系をしかも手動でホームドアに停めてた福岡地下鉄の運転士の技量は凄かった
ゆるゆるブレーキ・込め直し・ショートばっかの某オレンジ色企業運転士にはできん芸当 >>333
その後、日中五日市線を往復する101系の運用が201系に置き換えられたときは、回生ブレーキ云々は何だったんだろうかと思ったな。
それと、千代田線のように電気代の差額を福岡市交通局に払う羽目にならなかったんだろうか? クハ103-1000/1500はそれぞれ向き固定だったらしい
-0のような方転はできなかったとの事 113-1000も-1000に区分されていた理由は103-1000と同じだったよね? 国鉄時代の各系列の1000番台って地下や長大トンネル対応もしくは寒冷地仕様というイメージある >>348
払っていたのか走行距離で調整したかどちらかだと思う。 地上用で向きを固定したのって偶数専用の500番台だけだな
クモハと対になるためコストダウンになる片渡りにした
仙石線のやつは方転したとか両渡り化したとか情報があるが真偽不明 快速線転用の過渡期に塗替えだけ先行実施し青緑で千代田線に乗り入れた事がある。
数年前の鉄道雑誌(確かレイルマガジン)に写真が掲載されてた。
営団からクレームが付いて2日で乗り入れやめたと書かれてたけど
地下駅で待ってた通勤客びっくりしただろうな。 三田線カラーで乗り入れるのはOKなのに
快速線カラーだと怒られるのかw >>356
東西線カラーの07系が一時期常磐各停に乗り入れたって聞いたが、国鉄からは
クレーム来なかったのかな?? >>359
今は小田急から水色帯の4000が普通に来てるけど、E531と間違う利用者いないのかな? >>362
4000系が乗り入れ始めた当初は「何これ快速じゃないの?」
何て声を聞くことがあったけど今はないね。 快速線E231はデビュー直前になって帯に黄緑が追加されてたね E501系が登場したときも各停の電車と間違える客がいた。
青帯だったら不自然はなかったんだけどね。 >>365
土浦市議会の青電の土浦延伸しろ、って要望に応えるために
本来白電にするべき車両を青電にしたんだから
色を変えただけで見事だますことに成功 >>366
なお京浦都市線にされる事も無く今に至る。
E501系登場の数年前まで103系10連に8M2Tの編成が1本だけ残っていて確かマト15。
モハも全て1000番台だった。両端クハは0番台で取手寄りが188だったと思う。 >>368
クハ103−188は特殊な車両だった。
豚鼻ライトに非貫通の低運転台。
ほとんどが関西向けだったようだが、何故か1両松戸に来た。
一時期、大阪環状線へ投入予定のオレンジの編成が山手線を走ったが、まもなく大阪環状線に行っったようだ。 >>369
ある意味ではモハ102-445とのセットで、根岸線での事故廃車の補充分として製造されているんだよな
最初から最後まで異端を極め続けて、最終的に生涯を終えたけど 0番台と1000番台のユニットを混合すると加減速がドン付きしないか?
通常の抵抗制御とバーニア制御を混在する格好になる
おもしろ電車もエメラルドはマトの1000番台を借りた 平成初期から引退まで10年くらい常磐快速線使ってたけど
混結編成でドン付きを感じた事は無かったな。
東西線の301系との混結編成は運転士に評判悪かったみたいたけど。
常磐快速線は加速力設定が東西線乗り入れ運用より低めだったからだろうか。 >>372
301系との混結にはビックリしたね。
ホームで見ると、コイルバネとエアサスの違いがはっきりわかった。 >>370
ホント異端だった。
編成の中間に充当されているのを見た。
行き先表示幕がなんと、1000番代と同じ。
間違っても千代が線に入ることはないんだけどね。 >>374
Tc188は1000番台快速線転用時に混結改造されナンバーの下に白線が引かれた。
その後、AU712で冷改され更新工事も受けたが
前面窓枠押さえが他車に多かった黒Hゴムではなく金属になったのでさらに異端車に。
マト15で8M2T強力編成の取手寄り10号車先頭を務めていた。
ラシに転属した後、短期間でケヨに転属。しばらく安泰の後、生涯を終えた。 >>374-375
首都圏の先頭車では1両だけこの形態(他はすべて関西配置)、
この形態唯一のエメラルドグリーン色と言うところから始まって
1000番台コンバートに合わせて方向転換と言うのも
異端要素に当然含まれるんだよね
結果として、103系の中でも「キングオブ異端車」を終始貫いたのかもしれないけどね
そして103系を語る上では絶対に外せない車両の中の1両にもなると思う 国鉄末期突然先頭に立つようになった103-188を初めて見た時に、長年中間封じ込めされてて存在を知らなかったから、関西から転属して来た車両かと思ったわ。
あの顔で非冷房と言えば関西にしか居ないと思ってたしね。 そもそも関東ではクハ103-188のような低運でヘッドランプが新製時から2灯という形態自体がレアで逆に関西ではポピュラーなイメージある
関東新製配置の量産冷房車クハにしても殆どが関西転属して関東残留も少なかったし 中間に封じ込まれたクハ103-188は、地下鉄直通するわけではないのに1000番代仕様の行き先表示だったのは今もってなぞだ。
おまけに代々木上原(地下鉄経由)の表示もあり、かつての東西線の表示みたいだった。 >>380
もしかすると中間封じ込め時代は幕入れてなかったのかも。1000番台の幕は105系改造タネ車になったのから転用したんだと思う。 クハ103-188の入った1990年代前半のマト15は中間の1000番台モハも含め
全車AU712搭載で更新工事が施工されたけど、天井も塗装されていてAU712冷改車特有の
太いダクトがクリーム色で塗られていた。 >>367
トイレも無いしな
置き替えたつもりの403系が検査予備として残ったんで所要増
思えば贅沢な時代だったのかも 和田岬の103系が昨日で引退した。
最後の車両がクハ103-188タイプだった。
長年ご苦労様でした。 快速線転用後のクハ103-1000の運転席見てたら非常扉内側の周囲にガムテが貼ってあった
隙間風酷かったんだろうな >>383
便所は後付けしたけど、今では土浦ーいわきの限定運用になってるね。 >>388
501の10両編成って今どういう運用されてんの?
一番需要ありそうなのが土浦〜水戸だとは思うが10両は明らかに過剰だと思うし… >>391
それにしても、ロングシート10両編成が満員になるほどなんですかね? 10両固定なのでそのまま使っていると思う。
満員までいかなくても思いのほか乗っていると思った。 いわき駅でE501を見た人たちが、「各駅(停車)の電車がここまで来るんだね」って話していた。
非鉄の一般ピープルには、白い細線1本加えた程度ではE233−2000と同じに見えるらしい。 >>395
非鉄の人は色で見分ける。
だからJR千代田線の電車と同じにしか見えない。
興味ない人ってそんなもんだぞ。
飛行機にあまり興味ないオレが、羽田着の飛行機の窓から「エアバスがどれか探してやる」って観察したが
見つけられなかった。というか、どれがどう違うのかわからなかった。
A380とYS-11だったら見ただけでわかるんだけどなぁ >>396
色よりも側面の形状だろう
緑と言うなら快速電車も緑だ E501系を昔の京浜東北線の車両だと言ってる非鉄?な人を見た事があるな 非鉄の一般ピープルでも側面の違いは分かるんだね。
でも京浜東北の209が帯色を変えて千葉へ転属したように、常磐線に転属したと考えるわけだね。 興味無さそうな人が九州の415-1500を「常磐線の払い下げが走ってる」と言ってるのは見た
実際に混じってるし見る目あるなと >>400
九州の415−1500も結構なお歳なので、将来の関門間がどうなるか心配だ。
関門間は西の担当にして521系を投入するとか考えないと・・・ >>401
九州の廃車寸前のDC最期のご奉公の場所になるんじゃないか?
わざわざ交直流車を買う気もないだろうし、塩害対策って理由も付けられるし。
DENCHAの技術供与を受けた代わりに、E531ベースで60Hz版の新車製造を許可する
ってなっても良さそうだけどさ >>402
多分、日田彦山線と共通運用のDCを導入するんでは?もともと小倉まで来てるんだからそれを下関まで伸ばすのは難しくないだろうし >>402
男鹿線に乗ったとき、DENCHAの技術供与があったことを初めて知った。
車内も東の車両とは思えないくらいおしゃれで、運転台後部の曲面ガラスが印象的だった。
出入り口付近のサークルつり革は残念ながらなかったけど。 千代田線直通運用入っていた頃は熱風とか床が焦げたとか配線を短期間で張り替えたなんて話は
鉄道雑誌に書かれてたけど、それでも1986年春まで15年は走っていた訳で
諸問題をどう解決していったのかは興味ある。
結局解決されずに撤退までだましだまし使っていたのかもしれないし。
203系導入も最初の1本目は取手延長に伴う運用増
2本目以降も奈良線和歌山線可部線電化に伴う玉突き転配。 地下鉄線内で故障しまくったせいで地上へ撤退した103-1500は今現在もだましだまし使ってる予感 貫通扉付けた305系3連投入ですぐに置き換えるかと思ったら
全然そんな気配無し 415系みたいに東から211系を買ってきたりしてな… >>403
下関に交流20000ボルトの充電設備が必要だね。 >>412
日田彦山線はデンチャ走ってないよ
純然たるDC区間
ってかスレチな話題続きすぎだなw 103系1000番代は複々線化する前は常磐線各停として上野にも乗り入れていた。モハ72や旧型客車、キハ81とも仲良く走っていた。 初めて見た小学生時代、JNLマークが新鮮に感じた。
特急みたいだと思った。 >>415
わかる
通勤・近郊型でJNRマーク書いてある電車は皆無だったからね >>416
通勤近郊形でもJNRマーク書いてあったよ >>418
単発のアホに構ったらいかんで
とりあえず、車体外側にJNRマーク書いてたのは、特急型以外だと301、103-1000, 1200, 1500 >>420
> 車体外側に
後付条件出してやんのw >>420
JNRマーク、地下鉄に直通する車両には付けたって事かな。
昔は急行が私鉄に直通していたけど、乗り入れ先が地方私鉄だからか
JNRマークはなかったし。
国鉄線に大手私鉄の車両が直通することはあっても、大手私鉄に国鉄車が
直通する事ってなかったんだっけ。
国鉄車は代々木上原で折り返しだったもんな。 国鉄車の大手私鉄乗り入れは、貨物以外思いつかない。 >>425
国鉄時代はそれだけじゃね?
私鉄構内に国鉄の機関車が入るとかそういうのはあっただろうけど
JRになってから国鉄型の電車が大手私鉄に乗り入れたことはあったね >>424
飯田線・名鉄名古屋本線の豊橋付近は特殊例外扱いか
共用区間だからどっちの路線なんだろうなとふと思って 曖昧さとか許容というのを理解できない人は「言葉ずらし」としか語彙がない件。そもそも「言葉ずらし」なんて言葉自体存在していないもんね。 >>420
>>423
209-900もな
・公式試運転時点
blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/5e/892f59446f05bd715868611e3bfd0dda.jpg
blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/1e/8ec326888ad3ee373d2fc2aab4c7825f.jpg
blog.goo.ne.jp/ak7193907/e/d99437e6b81610311d5755cacd9affa6
↓
・定期運行開始当初
stat.ameba.jp/user_images/20190818/11/kitatetu-dd/e1/43/j/o1019064614541429391.jpg?caw=800
ameblo.jp/kitatetu-dd/entry-12508327263.html
↓
・分割民営化直前
https://twitter.com/expresstokiwa/status/1225461443132178432/photo/2
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>427
複線の1本をJR、もう1本を名鉄が所有していると聞いたことがある。 元々国鉄が開通させていたら、こんな区間はなかったはずだけど、豊川鉄道として開通後に国鉄が買収したのでこんなことになったと聞いたことがある。
でも、関空に至る路線も、JRと南海の電車が同じ線路を走っていて、まさに呉越同舟状態だ。 >>420
スロフ12 701/702
名古屋鉄道管理局欧風客車 >>433
成田の場合は同じ高架やトンネルの中をJRと京成が仲良く走っているが、関空と違うのは単線並列なこと。
ゲージが違うからやむを得ないとは思うが、3線軌条にすれば複線化も可能だね。 >>433
白金高輪〜目黒の都営と東京メトロの供用区間もある >>436
共に東急・相鉄にも乗り入れているからややこしい。
西高島平発海老名行きとか、湘南台発浦和美園行きなんてのもある。 確かに。
相鉄線内は、東急・東京メトロ・JR・都営・東武・埼玉高速の車両が乗り入れ百鬼夜行状態だ。 普通だったら>>439みたいな乗り入れになるところを、新横浜線からは
東急車以外入ってこないんだもの。
相鉄の労組頑張ったよな。 残念ながら相鉄には東急車とJR車しか乗り入れないけど、ある意味、伊豆急と伊東線みたいだな。元東急車とJR車だけど。 103系1000番台、105系に改造されたとはいえ、つい最近まで残っていたのは奇跡のように思う。 >>447
初登場が1970年、105系化したけれども和歌山・奈良地区の最後の廃車が2021年、
51年間にわたって活躍したんだね。 103系自体は1963年製造開始だから今年で丁度60年だ。
原形顔は3月の和田岬線廃止でなくなってしまったのは残念だけど、加古川・播但・筑肥線ではこれからも少しでも長く活躍してほしい。 常磐快速線はE231置き換え後もTX開業の翌年までは103系わずかに残存したけど
1000番台は含まれてなかったしいつの間にか常磐線からいなくなっていた印象。 常磐快速線でモハユニットが0番台と1000番台が混在してたのあったが通常の抵抗制御とバーニアを混ぜるとどんつき酷くならないか?
301系+103系1200番台で問題になった >>455
301系+103系1200番台は聞いたことあるけど、常磐では聞かなかった。 >>456
付属5連(4M1Tの一部編成)では混成されてたと思うけど、ユニットカットなど様々な対応をしてたから問題なかったとか? JR発足直後のおもしろ電車も中間のモハユニットは他線区から借りる必要があったがエメラルドは1000番台だった 北千住西日暮里間の爆音うるさい‼
103系1000番台「……」
あれぇ ここ上野だよ?なんで君ここにいるの?
103系1000番台「……」
ゼロ番台と混結で変な編成だなあ
103系1000番台「……」
塗り替えられたか、でも貫通扉が変だ、似合わん
103系1000番台「……」
(京都駅にて)おおっ高校の時乗って千代田線の103系だ‼ なんか編成短いし、都内走ってた時のような覇気がないねえ。左遷とはこういうもんか。
103系1000番台「……」
(桜井線にて)うーむ懐かしい。ワンマンで、
田舎ゆっくり走る余生か。しかし精算で婆さんがまごまごしてるのを冷たい目線で見る乗客怖いな。いやだな田舎。
103系1000番台「……」 主制御器をCS20に交換する工事やってもおかしくなかったはず
バーニア制御はメンテが面倒
東武8000系は構造の複雑化を避けるため電制なし >>460
制御器より自然通風式の抵抗器の発熱に悩まされた。 医師になるのは、めちゃくちゃ簡単だよ。
どんな馬鹿医大でも国家試験の合格率7割以上はあるし、自治医大以上ならほぼ100%。
弁護士の場合は難関ロースクールを卒業しても、国家試験を通るのは10%程度。
医師になるには金と時間がかかるが、試験自体は簡単。
うちは従兄弟三人医師になったが、英検二級すら落ちるレベルの頭だからね。
医師国家試験の合格率ランキング見てみ。
一番低い杏林大学ですら、79.4%。
奈良県立大以上の偏差値の25校は95.0%超え。
これのどこが難関試験なの?
医学部に学費を支払える財力のハードルが高いだけで、医師にはバカでもなれる。
弁護士、司法書士、会計士、英検1級あたりは、バカには絶対に無理。
まとめると
医師国家試験→バカでも受かる。しかし、医学部6年間で1,000万以上かかる学費のハードルが高い。
司法試験→ロースクール卒業しても、合格できるのはごく一部。非常に難関な試験。
司法書士→ロースクールに行かなくても受験できるが、難易度は司法試験並み。
英検1級→英語がずば抜けて優秀でないと合格できない。英語の偏差値100必要。(実際にはそんな偏差値はないが)
会計士→おそらく、最難関試験か。会計大学院修了者の合格率は7.6%しかない。
不動産鑑定士→鑑定理論が地獄。単体の科目としては最難関の一つ。経済学などは公務員試験より簡単か。 >>463
夜行列車スレでも貼られてるし、狙って投げたんじゃないかって気はする >>461
1200番台や1500番台が21世紀まで生き延びたのとは対照的だな
シールドトンネルを時速80キロで駆け抜けるために熱がなかなか抜けなかった
東西線は開削トンネルが多く地上で100キロ運転もするので放熱が割合良かった >>466
北千住から湯島までは二層式単線トンネルだしねぇ >>466
アナログATC時代は75km/hだったはず。
北千住-町屋-西日暮里と75km/hで飛ばして単線シールドでは冷却不足だったんだろうな。 101系910番台で試用されたマグアンプ式回生ブレーキを採用してたらどうなっていたか
MT55でも定格速度が低いので結構低速まで効くはず 営団も5000系を1981年まで地下区間走らせていたけど問題にならなかったのだろうか クハのブレーキを操作するとHSCの音がしたんだよなあ >>470
同じく抵抗制御の5000系が暫く使われていたのは自分も不思議に思っていた。 地上線仕様だと京葉線で103系が地下を走行してた
山岳トンネル規格なので大丈夫だと思ってたらブロワーの騒音が凄かった
松戸電車区の1000番台とモハを交換すれば静かになったのに >>473
新たにCS40の保守なんてどこも引気受けたくなかったはず。
事実松戸と三鷹に封じ込め。 >>472
千代田線の開業に6000系の開発が間に合わなかったので、代わりに5000系を使った。
6000系だけで運用がこなせるようになった後は、7連から10連へ編成の増強が進んでいた東西線に転属した。 >>476
6000系だけで運用がこなせるようになった後、というよりは、むしろ
6000系だけで運用をこなせるように、6000系を増備できたから、と
言った方が適切だな。
きっかけが東西線の輸送力不足による編成長増強なのは正しい。 一時期の東西線は、7連、8連、10連が混在し、103系と301系の混結編成まであった。 >>478
その両数混在と異系列混結は実際にあった時代が違う >>479
混結の方が後だね。
一時期は103系1200番代がマトに行ったり、逆に1000番代がミツにやってきたり、
一般番代のサハが混じっていることもあった。 混結サハ103はA-A基準をクリアしているんでしたっけ >>481
東西線で混結されてたサハは窓の開口部を制限するストッパー程度の改造で対応できた。 難燃化は製造年次毎に向上しているから、後期製造の特に無塗装化進んだ車両は問題無かったんじゃない。
そういえば、武蔵野線でも101系は1000番台に改造されたけど、103系は非冷房でも無改造で使用されてたね。非常用ドアコックの説明板のところに、係員の指示がある場合はそれに従って下さいというのが必ず追記されてたけど。 A-A基準は地上用でも実質義務化されてなかったっけ? >>485
当初は地下線専用の基準だったけど、その後全車両向けに拡大された。 前面扉からの避難が時間が掛るということを知らされたのはついこないだだと思ったが
落成時にそれを見抜けた人ってどれだけいたのか
専門誌に記事とかないかな >>487
都営新宿線の10-300Rが駅間で故障して立ち往生して、前面貫通路使って
客を降ろしたら1時間半かかったんだっけ。
何かあったら次の駅まで走ってホームに客を避難させるのが基本だけど
単線トンネル区間で脱線して走れないとなったら、前面くらいしか逃げ道がないから
非常用の貫通路は必要って事になる。 総武快速横須賀線は、以前は前面貫通路必須だったのに今では必要なくなったようだね。
新しく配属された235系は非貫通。 >>489
E217系の増備途中から既に非貫通になってるよ。 前面貫通扉の設置基準はトンネル断面の大きさにもよるんじゃないかな
総武快速横須賀線は横からの避難も可能だから非貫通でもOKに 品川から両国にかけて、地下鉄のトンネルから山岳トンネルの扱いに変わったんだっけ。
だから前面の非常口の必要性がなくなって、E217の途中から非貫通に >>493
あれ? 確かそれより前に(1980年代頃から)、183系の改造先頭車(非貫通)が
東京駅に乗り入れていた実績があったような。
その話聞いたとき、東京駅乗り入れって貫通型(オリジナルの183系がそう)に
限らないんだと驚いた。 >>494
1982年11月改正以降だな
房総急行の格上げで所要編成数が増え、
上越新幹線開業による転用(ATC搭載改造実施と一部先頭車は新造)で
当該編成が発生したんだっけ 元々東京トンネルの規格だと編成両端の貫通扉は必須じゃなかったけど
全車両通り抜け可にする必要があったからじゃなかったっけ?
分割併合の可能性考えてたんじゃなかったかと 丹那トンネルも同様だっけ?
後年185系の4+6連が走ったが
アレは全席指定だしヨシとしたのか 非貫通が2か所あると真ん中の編成に添乗員が必要じゃなかったか?
419系の9両編成が短期間で中止されたのは真ん中に添乗員がいないと北陸トンネルを走れないため
京急の4+4+4は長大トンネルを走行しないため特に問題にはなってない
非貫通が1か所であっても非常通報装置が必須である >>493
前面の形態は変わらなかったけど、非貫通になったんだよね クハ103-1000(新製車)
非常用貫通扉
クハ105-0(改造車)
常時使用貫通扉に改造
クハ103-1000(改造車)
後年編成組み替えの際にクハ105-0をお手本とした
常時使用貫通扉に改造 >>500
クハ103-1000(改造車)
後年編成組み替えの際にクハ105-0をお手本とした
常時使用貫通扉に改造
改造したのは、クハ103-1200とクモハ102-1200だけどね。 >>501
指摘感謝。東西線の1200番台でしたね。
301系と併結運用もありました。 301系クハクモハの運転台撤去貫通化改造車はクハ105より登場時期が古い(1981年)から
クハ105の常時使用貫通扉は参考にした可能性あるな 私鉄がファンデリアを採用してたのに国鉄がグロベンによる自然換気で見劣りしてたな
そもそも国鉄でのファンデリアの採用が希少で101系800番台の低屋根のパンタ下くらいしかない >>504
でもファンデリアを採用していた所って、その後ことごとくファンデリアをやめたよな。
比較的長く使っていた営団や京王も1960年代後半には前者は扇風機搭載に、後者は冷房車に移行したし。 >>503
301系・103系1000、1200番代とも貫通路は非常用だった筈だけど、実際に使用するようになったわけだね。
あれが営団6000系みたいに片側に寄っていたら使えなかったね。 設計時はあくまでも非常用で、貫通路として使うことは想定外だったと思うけどね。 >>105、>>119
なんかあまりその呼び名は好きじゃないな
東武8000の方が空気バネ台車で乗り心地も良かった
むしろ103系の方が東武8000の劣化版だと思う >>510
空気バネは301系
103-1500はコイルバネだ >>511
書いたのはワシ。
少し認知入ってる。
ごめんちゃい。 >>509
空気バネはいいけど電制無いからブレーキが臭かった。 >>513
あれで会津高原まで行ったことあるんだからすごい >>515
それ5000系じゃね?
8000系が会津田島に入った話はない
8000系だと急勾配でブレーキシューが焼けそう 5000系は会津高原まで一時期定期で乗り入れていた
山あいに響く吊り掛けの轟音は忘れがたい あそこ高原じゃないからね
会津高原口尾瀬口にすべき パンダ顔トリオ
105系と119系は非冷房、一部廃車発生部品を再利用だったけど
103系1500番台は冷房完備、純新車だった 103系1000番台が105系に改造されたとき、顔が2種類になったのは意外だったね 103-1000/1200の地下鉄顔は増えませんでしたな
パンダ顔は仲間を随分増やした 俺はこの形式のブレーキ緩解音が好きだなぁ。
あれって、トンネル内温度上昇を防ぐために一気に空気を放出させない装置ってのは本当なんですか?
晩年の105系にはあの独特な音が全くしないのもあって、わざわざ乗りに行ってがっかりしたものです。 >>505
日比谷線だとファンデリアの営団3000系と東武2000系がハズレで、首振り扇風機の東急7000系がアタリだったな。
営団車も一部扇風機車もいたけど。
ファンデリアの利点が今もわからないな。 1500番台は明らか限流値ブーストしてる
CS20であるが4M2Tで加速度2.9km/h/sを叩き出してて201系とほぼ互角
しかし応荷重が首都圏みたいに300%まで効くようにするとモーターが焼けるので200%までしか効かない
首都圏ほど混まないと割り切った ファンデリアは涼を得るためのものではなく強制換気装置だからな。
窓を締め切った冬場のラッシュで地下トンネルを低速で走り続けても車内の空気を確実に入れ換えるための一種の安全装備なんだよ。
だから浅草線と日比谷線の乗入車両を機に私鉄車両に一斉に広まった。 通勤電車に扇風機が付き始めたのは昭和30年代に入ってから。
それから5年ぐらいしか経ってない時代に作った車両だから、当時の感覚ではまだまだ扇風機なしでも全然普通だったんだよ。
もちろんそれからの10数年で贅沢の水準がどんどん上がっていったわけだけども。 ファンデリアが国鉄では101系800番台のパンタ下とか採用例が非常に少なかった
メンテが厄介なのが嫌われた? 国鉄は製造コストの掛かる強制換気を避けて自然通風器を使い続けていた。
与圧した方が車体内部への水の侵入も防げることは分かっていたが、新幹線やブルートレインを別にすると本格的に強制換気を採用するのは117系や781系から。 103-1000
灰色+青緑色帯ってJR化の時には消滅してましたっけ 常磐各停-千代田線からの最終運転日は1986年4月29日。
灰色+青緑色帯が、快速への転用含めていつまで残っていたかわからないな。 105系の種車は56両
松戸区残留組は104両
青緑一色化の進み具合は地元鉄じゃないと知り得なさそう >>537>>538
彼らにとって、松戸区残留となり快速線で轟音を上げて爆走し夭逝したグループと、
105系となってのんびりローカル運用をこなし天寿を全うしたグループとどちらが
幸せな一生だったか考えてしまう。 >>539
> 夭逝した
> 天寿を全うした
この書き方の違いでもう脳内で答え出してないかい? 今の経年に置き換えて考えると、
E233系初期車6本ほどが突然2両編成に改造されて和歌山線や可部線に飛ばされてその後30年生きながらえるか、
そのまま首都圏で20年走って終わるかの違いだな。 和歌山のクハ105青緑一色は常磐線地上時代のクハ103-1000に似ていた >>544
確かに・・・
懐かしい気がした。
色に限れば加古川色だけどね。 >>543
京浜東北→房総各線→伊豆急と第三の人生を歩んでる209系もいる 103系1500番代は福岡市営からクレームが来たために305系に置き換えられたとされているが実際はどうなんだ? >>548
故障が多発して厄介者扱いされた
他にも加速が悪かったりホームドア未対応や抵抗器の発熱やATO非対応とか つまり東の103系は故障の影響で早期全廃になり、九州の103系は故障の影響で福岡市営出禁になったのか
こう見ると西日本の103系がかなり化け物だな
西日本103系も結局、(播但線/加古川線以外は)体質改善されてない方が後まで残る事になったし 播但線・加古川線・筑肥線の103系、あといつまで頑張るかな?
103系誕生から60年、今年還暦なんだよね。 103系1000番台から105系化され更に体質改善N40で
黒サッシになった個体も居たような >>549
枯れた技術の103系で故障多発って、やはり使い方(走らせかた)によるものなんだろうな。
東京の偉い人にはわからなかったのだろうな。
まあ、地域特性を無視した車両配置は国鉄の御家芸とも言えるが。113系→115系でさえ会計検査院からクレームつけられたし。 >>556
関東の103系も末期は故障が多発しており、それが理由で2006年に全廃された >>556
113系→115系の例ってどこ?
史実の登場順だと111系→115系→113系だから、115系→113系ならまだ解るが。 >>556
会計検査院にそこのところの事情がわかる輩がいたとは思えんな >>560
逆、内情わからないから見た目113系と同じなのに、お高い115系に突っ込みが入った。ソースは鉄ピクの115系特集な。 >>561
115系ってもともとは111系の出力増強・寒冷地版という位置づけで、
戻しノッチも抑速ブレーキも当初の予定になかったんだったっけ。
今から振り返ったら戻しノッチ・抑速ブレーキ装備は正解だったけど、
何もしらないお役人には無駄な投資と装備に見えたんだろうな。 添加励磁やVVVFなら抑速も戻しノッチも電子回路で費用もそんなに掛からないが、
カム軸制御器+抵抗制御では維持工数も含めて結構違ったと思うよ。
私鉄だって長い下りがないところは余計な機能は付けてなかったし。 >>565
今でも筑肥線では3両化されつつも頑張ってるけどあと何年持つかな? >>558
80→115→165なら中央西線
後に115→211
今も寒さ対策は優先な筈だが >>561
111系と401系ももし色が同じだったら、401系はけしからんってなったんだろうな 原価が高いから
ボロくなっても常磐線に残ってた
寧ろ構造的には重いから
先にガタが来るんだよな そこはキハ80みたいな客車だろ
白とピンクに塗られてた >>570
韓国の1000系電車でないかい
むしろ301系に似ている >>572
40年近く前に韓国旅行してこの電車を見たときは、あまりにも301系に似ていたんで腰を抜かしてしまった。
これがアルミ無塗装だったら更に似ていると思った。 筑肥線を走るクハ103-1500は数多くいた103系グループのうち、現役最後のクハ103
他に残っている車両はクモハもしくはモハばかり 播但線・加古川線=クモハ+クモハ
筑肥線=クハ+モハ+クモハorクモハ+モハ+クハ 103系は登場したのが昭和38年。
今年でちょうど還暦だ。
赤いちゃんちゃんこ着せてあげたいね。
最も昭和38年製の車両は鬼籍に入ってしまったけどね。 東武8000系=私鉄の103系って言われているのは西日本の103系の改造後の側面が東武8000系に似ているからという理由だけだと思う 確かに103の戸袋窓を無くしたら東武8000に近くなるが >>579
生産した車両数が多いってこともあるんでないかい >>581
> 生産した車両数が多いってこともあるんでないかい
というかそれだけだろ 今となっては東武8000系と103系、どちらが長生きするか興味深いね 東武8000系が私鉄の103系と言われているならば、同じ東武の10080系は私鉄の207系900番代だな >>574
韓国は他に西武6000系に似てる車両もある
つまり地下鉄直通車の前面をパクるのが韓国の伝統(?) 乗務員扉と客用扉の間にある昇降用ステップ
1000番台は建築限界対策で埋込型が採用されていた
0番台等の折畳型は「ペンペン草」と呼ばれている? >>585
今では韓国が各国に鉄道車両を輸出しているけど、当時は日本製車両を輸入していた。 ブエノスアイレスの地下鉄は韓国製が多かった
丸の内線の車両も現役だったけど。 >>588
元丸ノ内線の車両は冷房がないから評判はどうなんだろうか? バーニア制御は今や絶滅寸前だな
現存するのが東武8000系と南海6000系だけになった
東武8000系は機構の複雑化を避けるためか電制なし >>590
その東武8000系が臨時で会津高原まで乗り入れた武勇伝が残っている >>590
勾配区間を走ることを想定してなかったから空制だけで十分と判断したんじゃね?
南隣の西武でも701系が電制持ってなかったし。 西武701系は秩父まで乗り入れていたように記憶している >>593
701系登場時は西武秩父線の建設が具体化してなかった。
当然、西武秩父線にあるような25‰連続勾配区間の考慮も想定外だった。
ただ、後に西武秩父線が開通したときに、電制がなくても、電磁自動ブレーキ車(赤電)でも安全に
坂を降りれると判断されたのか、結果的に赤電が(701系も吊り掛け車両も)西武秩父線に乗り入れる
ようになったけど。 >>594
> 701系登場時は西武秩父線の建設が具体化してなかった。
1963年だったら既に具体化してるだろ 701系の乗り入れに特に課題はないって判断されたんでないかい >>591
5000系は定期で乗り入れていたね
山間を吊り掛け音を高らかに響かせて走っていた >>598
そういえばあの無線アンテナ、なんで常磐線だけだったんだろ?
三河島を問題視しての設置なら、同様のことは首都圏他線区でも起こりうるから
他線に普及してもおかしくなかったのに。とくに貨物が絡む幹線。 >>599 防護無線兼用の統一型を86年から首都圏各線に導入したが、それまでは常磐線だけ先行して導入したようで。交直流車では常磐専用アンテナは静電アンテナを兼ねていたそうだが。 >>600
三河島の件があったから特別扱いだったんだね >>601 常磐線、無線電波が届きにくいトンネルが少なかったことも一因かも。
新幹線は開業当時から列車無線が導入されていたが、一部のトンネルで交信不能区間があったというし。
103-1000の場合、地下鉄区間は当初、どうなっていたかはよくわからんが。 >>593
二代目501系の快速急行奥武蔵に乗った記憶ある。
正丸トンネルを吊りかけ爆音で子供自分のトラウマ。
今なら録り鉄案件だけど。 昔の営団地下鉄は車両冷房を露骨に嫌ってたな
主抵抗器の排熱と冷房の排熱のコンボでトンネルが異常に暑くなりそう
大阪市営地下鉄でも冷房化が遅れてた
阪急5300系は堺筋線内で冷房を切るよう規定されていたみたいだが不徹底だった >>603
正丸トンネルは単線でトンネル内での離合が怖かった。
「このまま動かなかったらどうなるんだ・・・」 クハ104-551は0番台に1000番台の前面を接合? 踏切事故で側面を大破したものの、前面は無傷だったので、再利用する事にした。
それをサハ103にお面をつけてクハ104にしたと聞いたことがある。 1000番代1200番代が鬼籍に入ってしまった現在、
1500番代には長生きしてほしいものだ >>613
2月に乗ったとき、かなり劣化していると感じた >>611
サハ103じゃなくてモハ102-385を電装解除して事故車クハ105-7の運転台を移植 >>604
5300が堺筋に乗り入れてた頃には既に御堂筋線には10系冷房車が入ってたから、
「御堂筋線ではちゃんと冷房入れてるのにこっちは冷房切るのは不公平やないか」と苦情があって、大阪市交は渋々ながら5300の冷房使用を黙認したらしい。 >>617
近所の山万は今の時代でありながら冷房がない
逆にレアだね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています