走行ルートが奇妙だった列車
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急行さんべ
山陰本線経由と美祢線経由を切り離して再び連結する変わったルートだった >>35
「国鉄時代はたくさんあった循環列車 時刻表でぐるり一周、懐かしの面影をたどる」
ttps://dot.asahi.com/dot/2020070200004.html >>36
かなり遠回りだね。
東北貨物ー武蔵野ー常磐ー我孫子回りの方が早い気がする。 36ぷらす3も一種の循環列車だが一周すると向きが逆になってしまい元に戻す方法がなく週によって編成の方向が違う
昔の房総循環列車は大網で方向転換するので向きが変わらなかったが現在だと編成の向きが変わってややこしくなる
前もって品鶴線回して向きを変えるか走行後に元に戻すかしないといけない >>38
東大宮(操)に回送する成田エクスプレス車両をついでに営業運転したようなものだし。 >>14
北斗星だっけかな。東北線の岩手県側の盛岡から先が大雨でやられて、北上から北上線に横手に迂回したの。
カシオペアは東北線でやらかすと上越羽越本線経由にしていた。
日本海縦貫線がらみだと新津から羽越本線に入って新潟無視するのと白新線使う新潟通るのとか。
まあ米原経由が湖西線経由や、その逆パターンは日常茶飯事で、湖西線が強風でダメになると、トワイライトエクスプレスが
米原回りになるのはよくある話。 >>42
とりあえず話してみたい内容を>>14をだしにしてレスしました
て感じじゃね? 14は定期列車の話してるのに、41はトラブル時の迂回の話してるんだよ。
話しかける相手間違えたとしか思えないんだが。 話の流れを理解出来ず、会話に入りたいからなんか言うっていうコミュ障にありがちなヤツ 充電走行できなかった時代には169系電車をDD16で牽引して小海線を走らせたりしてたが
電化区間に気動車を走らせるのではなく非電化区間に電車を走らせるなんてことを良くやってたな >>15
高山本線経由白鳥とか
北上線つーか横黒線経由つばさか >>21
今のルートじゃ?
南富山の重要性を考えると 別府発大分・熊本・小倉・別府経由大分行き ひまわり 水戸〜仙台を結んだ急行いわき1号と4号
常磐線、磐越東線、東北線経由。
1号は水戸545発〜仙台1154着で6時間以上かけた(福島〜仙台が普通列車)。
4号にいたっては仙台1615発〜水戸2252着(仙台〜福島と平〜水戸が普通列車)。
82年11月ダイ改で快速格下げ・平発着となるが、ほぼ同じ時刻で水戸から送り込みをし、夜に水戸へ返すダイヤなのは変わらなかったため、正味の廃止は85年3月のダイ改。
郡山発着の奥久慈や、勝田発着のつくばねを含め、この程度では奇妙とは言えないか? 京都〜長崎・佐世保 時代の特急かもめ
長崎行と佐世保行を肥前山口でなく小倉で分割。
佐世保行は筑豊本線経由。
原田から肥前山口は再び同じ線路を走るが、再併結せず6〜10分差で続行運転。
佐賀駅には2本のかもめが相次いで停車していた。 KQ川崎引上線一旦停止
特急浦賀ゆきKQ川崎から快特浦賀ゆき金沢文庫から普通浦賀ゆき 門司港発都城行肥薩線経由夜行。
ながさきはそんなに変じゃない。
あと、直川発直見行。運用が不明。 準急「九十九島」
博多−長崎間を、筑肥線−松浦線−佐世保線−大村線−長崎本線で結ぶ。
あとは、昔の団体専用列車かな。このスレの趣旨にあわないかもしれないが。 博多→(鹿児島本線)→原田→(筑豊本線)→直方→(伊田線)→伊田→(日田彦山線)→添田
彦山→(日田彦山線)→伊田→(伊田線)→直方→(筑豊本線)→原田→(鹿児島本線)→博多 筑豊地区は鉄道が網の目のように張り巡らされていたから経路だけ書き連ねると奇妙に見えなくもない 渋木→長門市→長門三隅→長門市→仙崎→長門市→下関
人丸→長門市→仙崎→長門市→奈古
長門三隅や仙崎ともに1区間だけ飛び出す。
こういうのはいったん降りて長門市駅で20〜40分ほど待っていたのだろうか 成田エクスプレスの大宮発着が今度のダイヤ改正で消える
山手線を4分の3周する格好になり東京で上野東京ラインに乗り換えた方が速かった? >>68
東大宮操車場への回送ついでに大宮まで客乗っけてた。
東京駅で成田エクスプレスから乗り換えるくらいなら、最初からスカイライナー使うって。 準急ひだ(⇒急行のりくら)
急行加越(⇒特別急行ひだ)
名古屋〜岐阜〜高山〜富山〜金沢(一部はさらに〜穴水〜珠洲) 急行しらはま
新宮→紀伊田辺→和歌山→高田→桜井→奈良→亀山→名古屋
急行紀州 ↑(連結)
紀伊勝浦→新宮→尾鷲→多気→松阪→→→→→┘ 湘南新宿ラインの母体のような運用だった
215系による「ホリデー快速・ビュー湘南」
恵比寿を出ると横浜までノンストップもまた格別
グリーンマックス大山本店の帰りによく利用したものだ ホリデー快速ときわハイキング
拝島→立川→国立→新小平→南流山→北小金→取手 大和路快速の大阪環状線一周は大阪駅で折り返しが出来ない為
京橋駅で折り返しても大丈夫だろうが利用者の多い大阪環状線の東側の区間客を取り込んでる >>62
> 門司港発都城行肥薩線経由夜行。
それ自体もそんなに変じゃないと思うが。
博多〜都城のルートは急行「えびの」と同じだし。
> 直川発直見行。運用が不明。
鉄ピクの古い号に、南延岡のD51が大分のオハフ33を1両だけ次位につけたミキストを
牽いている写真が載っている。直川村(当時)直美地区の中学生の通学の便を図るため
その区間だけ客扱いしていたとのこと。 客車列車。
草津6:10→柘植7:21/:23→亀山7:52/8:00→多気9:22/:30→新宮14:4/:14→紀伊田辺17:27/:50→東和歌山20:46→和歌山市21:00 仙台発喜多方・会津川口・会津田島・水戸 4方向行き普通列車
福島から急行いなわしろといわきに化けた 昔々、東京発松山行き夜行列車があった。
児島から宇多津に直行すればいいのに、わざわざ高松に立ち寄った。
1時間ほど余計にかかった。 昔々、函館発釧路行き特別急行列車があった。
千歳空港から石勝線に直行すればいいのに、わざわざ札幌に立ち寄った。
1時間ほど余計にかかった。 >>81
ダイヤが乱れたら札幌まで行かず千歳で方向転換してた
遠浅経由の方が方向転換せず楽だったが札幌からの客を拾うことを優先した >>82 千歳空港駅に停車し石勝線経由となってから、函館から帯広や釧路までこの列車を通しで利用する客はどのくらいいたのだろうか?札幌でほとんど入れ替わるのでは?
その当時でも、札幌で系統を分断するのが正解だったように思えるのだが。 急行あしずりの一部
高松~<予讃線>~多度津~<土讃線>~窪川~<予土線>~宇和島 長岡発新潟経由吉田行き普通列車(その逆も)
長岡から吉田までなら普通は東三条で弥彦線に乗り換えるほうが早い 地方は分断コマ切れ化なのに、都市周辺は珍妙ロングランだらけになっていく 児玉~(八高線)~高崎~(両毛線)~小山~(東北本線)~宇都宮 岡山ー法界院
岩国-南岩国
中国地方の謎の1駅運転 >>75
これは関空・紀州路快速快速も同様で、東側の区間客が見込めない時間帯は京橋折り返しにしてるよね 昔あった。謎のe字運転列車。
天王寺始発、天王寺経由、奈良行き。 関空特急はるかの奈良行きが検討されてるみたいだが大回りだな
天王寺では配線的に折り返しできずJR難波に行って折り返す必要がある >>94
日根野から和歌山へ向かい、和歌山から和歌山桜井線経由で奈良に向かうのかも知れぬ 奇妙というかどこにニーズがあるのかと思うのが近鉄の大阪・京都間特急。
西大寺でスイッチバックのオマケ付き しかも有料だからな
特別料金不要の新快速で京阪間30分15分ヘッドに勝てるか >>99
黒野の構造上ではそのような折り返しできなかったはず >>40
無理に東大宮に回送しなくても、池袋電車区で折り返し整備すればよかった気がする >>104 池袋運輸区に汚物処理や特急列車の座席カバー交換等の機能あるのか?
そのような機能を東大宮に集中させているのでは? >>92
「東側の区間客が見込めない時間帯」なんて事実上ないから実際は単なる間引き&入庫 >>103へ補足
到着の可否
谷汲→黒野3
本揖斐→黒野1←忠節
黒野2←忠節
出発の可否
本揖斐←黒野1→忠節
谷汲,本揖斐←黒野2→忠節
谷汲←黒野3→忠節 明智駅は
到着
八百津→明智1←新可児
八百津→明智2←新可児
御嵩→明智3
出発
八百津←明智1→新可児
八百津,御嵩←明智2
御嵩←明智3→新可児
だったと思う 西鹿児島発都城・西鹿児島行
西鹿児島ー隼人ー栗野(分割)ー吉松−小林ー都城(こちらはよくあったパターン)
↳薩摩大口ー宮之城ー川内ー西鹿児島
西鹿児島40分後に出る川内経由の薩摩大口行より宮之城(行き違い)までは先着
もっとも国鉄バスのほうが速いが
門司港発直方行
門司港ー黒崎ー直方ー原田ー博多ー福間ー黒崎(以下2回目)ー直方
原田と2回目の黒崎で列番変更、中間、筑前垣生、筑前植木は2回とも停車 九州横断特急
人吉まで行ってた頃に全区間乗り通した人は滅多にいなかったはず
結局系統分離してる 昭和57年
千葉県内⇔東京の急行(わかしお・さざなみ・しおさい・あやめ・すいごう)
東京→千葉 一部の両国発を除いて東京(地下)発
千葉→東京 東京(地下)行き,両国行きに加えて新宿行きが有る
当時は新宿駅から東京駅へどのように移動していたのか謎めいていたと思う >>27
2年以上前の書き込みにレスするのも何だが
一番多いのは函館-札幌の相互間の乗客なんで 磐越東線で
郡山発→夏井行
なんてのがあった。小野新町行でもなく平行(当時)でもなく
中途半端な行先。
しかも片道のみ。 いつ頃の話か分からないと調べようはないんだが
小野新町で折り返せない事情が何かあったのかもしれん
仙山線だと愛子の折り返しキャパシティの関係で
陸前白沢まで非営業で回送して折り返す便があるが
そういうのが客扱いしてたとかでないかな? 919D 石見益田発 伊田行き
益田1549→長門市→仙崎→長門市→厚狭→門司→(短絡線で折尾駅の脇通過)→直方→伊田2157
918D 小倉発小郡行き
小倉1015→門司→厚狭→長門市→石見益田→山口→小郡1802 犬山経由新岐阜ゆき
奇妙ではないが新一宮経由が存在するのになぜ迂回? 犬山線列車と各務原線列車が通しで走ってるに過ぎない 犬山経由岐阜行きは消えたな
各務原線が運行系統分離された >>1
「必要だからそうした」ってこと自体は
昔の人も今の人も変わらない
現代は一般的でなくなった運用概念も介在する
もともと列車1本が長距離運用主体の時代
↓2つのソレを繋げたら都合良くね?
↓始終点や経路だけみればヘンな列車の完成
現代の交通インフラ(長距離)は
空路の台頭〜高速バスの隆盛で
「点←→点」移動が主体になっていて
利用側もその視点になってる。
昔の、変な始終着駅や変な経路の長距離列車だって
それらを全区間乗る人が大半だったわけではない
簡単に説明すれば道路の国道なんかと同じ
各人が任意の区間を利用するが
道としては長距離の始終点がある
全区間通じて利用する人は居るには居れど
大半や主流というわけではない >>91
法界院は岡山大学に近いから、その通学生のため 昔の急行みまさか3号月田行は 大阪発12:30 月田着16:51
折り返し月田発16:57 津山着17:54の普通列車
他の「みまさか」は中国勝山か新見発着(新見発着は津山まであるいは津山から普通列車)
折り返し普通列車になるための運用上の都合で1本だけ月田行き
現在この時間に近い普通列車は新見 16:54発 月田 17:37発 津山 18:32着
月田発16:57ということは、下校学生向けだろうが、当時農業高校か林業高校でもあったのだろうか
南岩国は通学輸送(高水高校)
現在地へ移転してきたのは1954年だから
おそらく間違いない >>98
>名鉄w
>何があってもおかしくないわ
今なら、名鉄一宮発神宮前行
ただし名古屋本線ではなく、尾西線の森上、津島から津島線を経由して
須ケ口から準急 名鉄名古屋から普通
遠回りして種別変更も2度 >>114>>115の夏井行
通学需要があったと予想 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています