夜行列車総合スレ★21
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日本の夜行列車も2020年8月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、
臨時列車で何とか走っていた「ムーンライトながら」もコロナ禍の影響でこの夏には設定されず、
これらもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」
「WEST EXPRESS 銀河」など、豪華な客室を売りにする寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、
ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴ですが、これらもコロナ禍で今後が不透明になっています。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
※個別スレへのリンクは>>2以降で
前スレ(夜行列車総合スレ★20@鉄道懐かし板)
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1597111164/
鉄道総合板の夜行列車総合スレ(★14)はこちら
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1517052329/ >>134
嘘はやめましょう
運賃には消費税が含まれているし、 グリーン車に乗ればグリーン料金には税金が含まれていたかと。
まあ道の方が税収が多いのは間違いないけれども >>135
>グリーン車に乗ればグリーン料金には税金が含まれていたかと。
嘘は止めような嘘は >>137
消費税と同時に課税されてた時期はないって言ってんだが >>135
消費税は鉄道や飛行機にバスにもかかるよ
グリーン車やA寝台に通行税がかかっいたのは1988年まで
消費税3%が導入されると通行税は廃止になったよ
しかしキミは何も知らんのだな 鉄道以外興味のない鉄道バカかw 1989年4月1日の消費税の導入に伴い、通行税は廃止 >>134
自動車税は 地方税だから国には入らない。
ホント、偉そうに言うけど、何も知らないんだな >>139
通行税が含まれて「いた」って>>135は
過去形で書いてるじゃん。消費税は「いる」と現在進行形で。
文脈・文意が理解できないバカかよ >>139
君も間抜けやな
間違って喧嘩して逮捕されちゃうタイプ? >>134
ここって、この前の年金ジジイとか、君みたいなのが出てきて、まあ飽きないな。 88年12月号の時刻表だと、急行「かいもん」門司港行き(小倉門司港間普通)に年始に特急「有明94号」(客車)と寝台特急「桜島」がある。
「有明94号」は鳥栖で「かいもん」を抜いて博多に「かいもん」より6分だけ早く着く。 博多から鹿児島への高速バスが走るようになったのが1990年らしいから、89年の正月とかだとまだ夜行列車の需要があったということだろう。
高速道路が出来てバスが走るようになると、昼行も時間の短縮が図られ、夜行列車の需要は極端に低下するのだろう。 >>142
過去の通行税と現在の高速道路建設と何の関係が? >>149
それは>>134 の、無知デタラメが元。
>>134は、高校生か大学生だと思うんだけれども 地方税と国税の違いも分かっていない。
まあ頑張って、>>134から丹念に読んでみて。 >>150
それ149の答えになってないよ
134も間違いを含むが135もおかしいでしょ
そもそも新直轄等除き高速自動車国道の建設費は借金
これを通行料で返済を続けている
整備新幹線スキームと変わらん グリーン車やA寝台きっぷを購入すると10%課税されてた通行税が廃止になって北斗星ロイヤルの特急A寝台個室券が
21,000円したのが1989年4月1日から消費税3%導入で10%だった通行税が廃止になり、北斗星ロイヤルの
特急A寝台個室券が7%安くなって19,940円に実質値下げになって喜んだ北斗星ロイヤルファンは少なくとないと思う
さらに消費税3%導入で飲食税(料理飲食等消費税)10%も廃止になって列車旅で言えば食堂車での飲食に対する
課税額が安くなり、食堂車ファンにとっては福音となったから自分も寝台特急や昼間の特急に乗れば極力食堂車を利用
したといっても過言ではない
1981年に仕事でお客さんと松江に完成した新事業部を見に出雲1号で向かった際、食堂車で瓶ビールやウィスキー
ミニチュア瓶につまみのアラカルト料理数点に〆の大山おこわ定食など2人で5500円以上飲食して日本食堂米子営業所の
領収書には印紙が貼ってあったけど全額会社持ちの接待なので自分も腹一杯飲み食いさせてもらった事がある
しかし消費税が10%までアップするとは1989年現在では誰が想像しただろうか? >>152
食堂車で1回2500円以上使ってたのか
お金持ちさんw >>151
そんなこと言いたかったのか
教えてあげて損したな >>153
脱税している飲み屋の補償金の為に増税とかバカバカしい。 >>156
そんなのより、国鉄債務の国民負担とか、コロナで公務員にも10万円とか、どさくさ紛れの東日本大震災の復興の無駄遣いとか 、そっちの方がよっぽど大きいような気がする >>155
おいおい
俺はお前に何も教えてもらっていないが >>157
コロナ特別給付金をナマポにも渡すのは反対
公務員はどうでもいいや >>159
資格審査する時間も金もなかったんだから仕方がないよ
全員一律給付でお前も貰えたんだから文句はお門違い >>160
そうなんだよな。
自分がもらえるのは当然、あいつがもらうのはけしからん、つて輩が多いと思う。他人が貰おうがどうしようが関係ないだろうにね。
二言目には、俺たちが納めた税金が…、とくるが、使い途に文句言えるほど納めてないでしょと思う。 公務員ですけど自分、家内、長男、長女、次男 5人分頂きました
2021年の給付金は住民登録してる全国民1人当り20万円でお願いします >>162の名前欄の48は誤記入です
他板のスレッド番号を間違えて操作 >>152
いい時代の東京発着ブルトレ食堂車
同じ出雲でも日食上野営業所の担当になって
メニューも対応も味もクソになった 日食米子は食堂車全盛時代ですら経営状況があまりに悲惨すぎたからな 日食米子はDC181特急やくもの食堂車を担当していた頃は
まだよかったけど出雲だけの営業になって経営状態よくなかった
特に上り出雲(のちの出雲4号)は朝食営業なかったので
夕食だけの営業で下り出雲に比べて顧客も少なかった まあ
ここだけの話
今でも、山崎12年ミニが、新幹線の車販で売ってる
ミネラルウォーター又は炭酸もついてくるし
あの値段は、以外とお得
まあ、ウイルキンソンで割ったら終わっちゃうけど >>152
確かに消費税3%スタートの時は、ロイヤルなどA寝台は料金さがったけど、
運賃は上がったので、実質値下げでないだろう。
>しかし消費税が10%までアップするとは1989年現在では誰が想像しただろうか?
当時の大蔵省幹部や、経済評論家はその可能性を示唆していた。 むしろ10%になるまで30年もかかったのに驚くべきだろ
平成元年の頃にはまもなく少子高齢化時代になるのは皆判っていたし、欧州の消費税に当たる当時の付加価値税の税率が
16%超だったのに、日本の消費税が10%になることを想像できない方が世間知らずってもんだ 消費税の話ももういいから。
ほんと、ここしつこい人が多くない!? >>175
食堂車メニューだと大山おこわ定食
日本食堂米子営業所の名物料理。寝台特急出雲と特急やくも、特急まつかぜの食堂車でのみ
オーダーできるローカルメニュー。山菜おこわと出雲割子そば他数点のセットなのだが、
皮も一緒に挽いて黒々と光るそばに仕上げた出雲そばの黒さ加減が何よりも印象深かった。 >>176
お前性格悪いな
まあ消える必要はないけど >>176
ホント性格悪いなお前
俺に言ってどうする
それとも心当たりがあるのか? >>177
そうそう。「弁当」ではなく「定食」だった。
「出雲」だと、上りに積み込むから、4号で売り切れてしまって、下りの1号では食べられないこともあると昔読んだ。 出雲1・4号の大山おこわ定食もよかったけど酒のアテで食べるアマサギ南蛮漬も美味かった
あまさぎは宍道湖七珍味のひとつで全国区ではワカサギと呼ばれる湖に生息する淡水魚 >>182
スキットルのことだね。
スタイリッシュでいいなと思うけど、いかんせん、あれじゃ2晩くらいしかもたないw 夜行列車の旅と言えばサントリーウイスキー 角瓶 ポケット瓶にはお世話になった
1980年台中頃以降になると上野・東京・新大阪・大阪などターミナル駅ホームにある
キヨスク売店でカップ入り氷を売っていたのでウィスキー・ロックが楽しめたけど
それ以前ではプラのお茶容器に冷水器の冷水を汲んでウィスキーポケット瓶をラッパ飲み
してチェイサー代わりの冷水を飲みながらウィスキーをちびりちびり飲むのが好きだった
今は缶入りでウィスキー水割りやウィスキーハイボールが発売されいい時代になったけど
夜行列車自体が淘汰されて殆ど消えてしまったけど・・・
https://products.suntory.co.jp/d/4901777284401/ 夜行列車の旅と言えば
平凡パンチだな
高校生は普段、大ぴらに読めない雑誌だから ワンカップ大関飲みながらボックス席で車内宴会という親父連中。夜行列車の定番だった。 道内夜行列車はスルメや氷下魚を肴にして臭かったとか。 >>186
昼行急行でも見られたわ
さらに言うなら常磐線の中電も 道内夜行列車のツマミといえば鮭トバでしょ
鮭トバでサッポロソフトを飲むのがたまらない プレイボーイは新聞広告にもヌード写真がのってて
乳首のところが★で隠してあったのが却ってエロかった 昔は今よりずっと喫煙率が高くて、道端へのタバコのポイ捨てや痰吐きは普通だったと思うが、例えば昭和40年代とかの夜行列車だと、列車の床に或いは窓からタバコ捨てたり痰吐いたりするのは当たり前だったのだろうか?
アラフォーだが、今まで電車の床に痰を吐いてるのはほんの数えるほどしか見たことないが、さらに昔はどうだったのだろうと思って。 >>194 そのために痰壺というのがある。駅のホームに幾つか置いてあった。車内ではトイレか洗面所で痰吐くか、ハンカチに吐くか。
気持ち悪くなってくるのでここまで 一応、ナハ11までは「タンツボ」が通路の中央に数か所付けられていた
ただ、ナハ11でも後期製造車には付けられておらず、それ以外も逐次全般検査等で撤去された(ただし、手洗い付近への設置は継続された) >>187
もっと昔に、
茹でた毛ガニが売られた時期には、
それこそ車内が(特に寒い時期で)、
カニの半分腐った臭いが充満したね。 >>194
冷房がなかったのもあって、窓を開けて吸い殻を捨てるのは恒常的にあった。
床はパラパラ程度だった。派手に多いと火災の原因になったので、旅客の自主モラルなどあった。
当時はたばこの不始末原因で家屋の火事も多かったので。
一番顕著なのは、首都圏主要駅のホーム上・線路上が吸い殻だらけ。
国鉄時代はそれが当たり前だったので、今はよくここまでできたものと隔世の感。 ロビーカーも食堂車も更衣室も灰皿だらけ。今じゃ考えられない。 寝台車の場合、寝台では禁煙→寝台使用中は禁煙→デッキ以外禁煙、と変わっていったのか? >>199
そんな昔じゃ無くても
シマ、211系クハの床
ロング席の足元、タバコを踏み消した跡が綺麗につながっていた 普通列車で、グリーン車だけ天井が黄色っぽくて高級感を出してると勘違いしてた子供の頃 初めて乗った夜行列車は、1980年頃の急行『佐渡』
当時、上野−新潟間に4往復走っていて、そのうち1往復(7,8号)が夜行だった
車両は他の『佐渡』と同じ165系
直角の背もたれのクロスシートで一夜を明かした >>200
JR化になった後も北斗星ディナーやトワイライトディナーが後半に入ってメインも終って
コーヒーが出る時間になるとディナータイムでの喫煙が許されてディナータイム中に灰皿を
持って来てくれたのが1993年くらいだと思う。後にディナータイムとモーニングタイムは
全面禁煙になったけどパブタイムはまだ喫煙ができた。
>>201
国鉄時代は完全車内禁煙の583系を除けば通路と2段ハネでも3段ハネでもベッドに座って
いればタバコは吸えて寝れなくてもカーテンの中に入ったり横たわれば禁煙だった。
ただし583系は通路に灰皿がないので洗面室やデッキ部分でタバコを吸うのは黙認していた。
>202
211系電車は1985年から使用されており、高シマ車は熊谷以北は禁煙区間が消えて
車内は自由にタバコが吸えた時代があったから仕方がないよ 線路脇の溝に溜まった雨水がタバコの吸殻からのヤニでまっ黄色とか今の若い人には分からないだろうなあ >>207
踏切で待って居たら
便所からの飛沫を浴びる
なんて事も、理解不能だろう
便器の穴に、流れるバラストの光景も 昔の撮り鉄のカメラは謎のさびで修理屋を困らせたのさ。原因は糞尿 >>209
カメラの謎の錆びはなかったけどレンズ保護に付けていたUVフィルターに
謎の水滴が付着してそれが乾くとなかなか取れないのでエタノールで拭いた
後に光学ガラス用清浄液(レンズクリーニングリキッド)で汚れを落とした >>206
1985年だとまだ普通列車の近郊電車は禁煙区間を過ぎると車内でタバコが吸えたな
首都圏の禁煙区間は東京〜平塚・新宿〜大月・上野〜小山・上野〜熊谷・上野〜土浦で
車内でタバコが吸えたのは113系・115系・153系・165系・401系・415系など
大垣夜行347M・345Mは平塚で、中央夜行441Mは大月から、上越夜行733Mは熊谷から
煙草が吸えたので大垣夜行に乗っていた時は相模川を渡る頃には銜えタバコで平塚駅へ
入線と同時に火を付けて車内が一瞬に紫煙で覆われたのが懐かしい
1987年秋、初めて臨時快速夜行ムーンライトに乗車した時は快速なのに喫煙車があって
新宿駅から村上駅まで全線煙草が吸えたのが本当に嬉しかったけど大好きだったタバコも
2002年に辞めてからは一切吸わなくなった >>206
>JR化になった後も北斗星ディナーやトワイライトディナーが後半に入ってメインも終って
>コーヒーが出る時間になるとディナータイムでの喫煙が許され
それ、鉄道というか世の中の禁煙化の流れと関係なく、テーブルマナー
フレンチのコースをサーブしてたからでしょ さすがに、いくら昔でも列車の床が痰だらけということはなかったんだな。一昔前の中国の硬臥車とかは本当にそうだったらしいが。
喫煙率が低下して、道の吸い殻も激減したし、その辺で痰を吐くのも相当少なくなった。中高生でカッコつけて唾吐くのも滅多に見なくなったし。 >>213 保健所の指導があるから。痰壺も公衆衛生、感染症防止対策として置かれたもの。
列車トイレでも温水洗浄便座が当たり前になった今日とは比較にならないが、当時でもそれなりの公衆衛生対策はしていた。 1960年代
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/024/954/52/N000/000/017/139545596591337038225_aaueno14.jpg
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ttp://i.pinimg.com/originals/bc/66/b7/bc66b72ca80ea7afc2dd4c498f9be3ca.jpg >>217 高速列車開業前の中国、春節民族大移動時の長距離列車に比べればまだましだろう。
トイレ行けないのでオムツ着けて乗る、車内で重病人出ても緊急停車しないで走り続けたから死亡。指定券持っていても、駅で乗るときにぼやぼやしてたら席が占領されていて、座らせてもらえない。 >>208
中央線普通夜行441Mに汚物処理つけてない115系もあったから
東京〜高尾間は115系のトイレが使用禁止だった時期があった プルマン式A寝台の解体作業で整備会社の係員が乗り込んできたのって、九州ブルトレではさくらとみずほだけ? >>220
1975年3月〜1976年9月のはやぶさ・富士 >>220
まだあるよ
1972年3月15日〜1975年3月9日までの
あさかぜ下り2号・あさかぜ上り3号(11レと10レ)
品客の14系化で2号車のオロネ14が対象
余談だが・・・
さくら・みずほに使われてる編成と同一編成で1975年3月10日で
あさかぜ下り2号・あさかぜ上り3号(11レと10レ)が臨時列車降格で
20系へと変わり8011レ・8012レになって上記の余剰になった14系
寝台車は1975年3月10日から いなば・紀伊 で使われた >>221-222
「整備会社の係員」は車掌補廃止後の話なので、24系はやぶさ・富士や、14系あさかぜは対象外だろう。
もし車掌補時代も対象なら、20系時代の元祖殿様あさかぜや、下関あさかぜも対象になってしまう。 >下関あさかぜも対象になってしまう。
いつから下関は九州になったのか ◎ 総裁達第23号(昭和51年11月8日)
車掌区に車掌(乗客案内)を置くことについて次のように定める。
昭和51年11月8日
車掌区に車掌(乗客案内)を置くこと等について
車掌区に、営業関係職員の職制及び服務の基準(昭和37年8月総裁達第363号)の定めによるほか、
次により、当分の間、車掌(乗客案内)を置くものとする。
1. 主な職務内容は、次の各号に定めるとおりとする。
(1) 旅客の接遇、案内及び整理並びに車内用の乗車券類の販売
(2) 列車内の秩序維持及び環境の保持並びに列車食堂営業等の指導
(3) 寝台用品類の引継ぎ等に関する業務
2. 指揮命令系統については、営業関係職員の職制及び服務の基準に定める車掌に係るものを準用する
3. 乗務方等については別に通達するところによる。
附 則
この達は、昭和51年10月1日から適用する。
出典:鉄道公報『昭和51年11月8日総裁達第23号』 上野発着だけど1976年10月1日から20系になった急行「天の川」のA寝台で秋田までフル乗車した時は
シーズンオフだったので車内も空いてて印象深い乗車を楽しむ事が出来た。夜行急行なのにグリーン車を2両も
連結して(急行「銀河」でさえA寝台は1両連結)秋田まで走ったのは寝台特急「あけぼの」の血統ではないかと
思ったくらいでよく手入れされた1号車・ナロネ21の車内や調度品は輝いており、本家あけぼの編成の20系と
遜色もなかった。
秋田方面の列車なのに新津から羽越線に入らず新潟駅へ停車してからEF58からEF81に牽引機関車を交換して
白新線〜羽越線経由で秋田へ向かったが乗車した1978年6月上旬の1号車は大層空いており、寝るまでは喫煙室の
BOXシートを基地として使わせてもらい、飲酒や喫煙しながら他の喫煙者らと雑談ができて楽しめた。
翌朝はあつみ温泉駅から整備会社の係員が乗り込んでA寝台とB寝台が座席車指定席扱いのヒルネになるけど
自分の席はA寝台がグリーン車になるのでヒルネで乗って来る人は皆無で秋田まで貸切状態であった。 >>229
> 寝台特急「あけぼの」の血統
これの意味がよくわからないな
> 秋田方面の列車なのに新津から羽越線に入らず新潟駅へ停車
元々新潟行の列車を延長したものだからね 天の川は新潟経由だったんだ。
子どもの時、日が早い夏の羽越本線を20系が走っていたのは記憶にある。日本海51号や急行あおもりも混じっていたかもしれない。 急行天の川、高崎、長岡間で各停並み、二時間かけて走っているが、新潟で早朝下車、深夜乗車の客もターゲットにしたから、時間調整のためこんなノロノロダイヤにしてるんだろ。
新潟回りにしないで秋田到着時刻をもっと早くする必要性が乏しかったからだろうけど 訂正、76年のダイヤで高崎、長岡3時間20分だ。新潟回らない鳥海は同じ区間を3時間弱で走る。 後のムーンライトえちごだと、高崎、長岡間2時間半。その代わり新潟着が5時少し前。
これで新潟港からフェリーに乗り、両津に朝の8〜9時頃に着いた。佐渡一周するには適当な時間帯。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています