駅の待合室の思い出
駅の売店には悲しいいきさつが有るのよ
鉄道弘済会の存在理由を調べれば分かる 戦争に駆り出され死別したのだから、ふしだらにさかった挙句シングルになったのと訳が違う タイトルも歌手も忘れたけど売店のおばさんを唄った悲しい曲があったね
一度聞いて涙が止まらなかった
♪泣けてくるような夜だった~ みたいな歌詞 >>115
ガチだと、後期高齢者もしくは物故済みの世代かと >>115
今はニッセイトータルパートナーっていうね。 >>112
旦那が鉄道員で事故死
当時の労災は多かった >>119
特に悪天候時や夜間の貨車の連結解放作業に多かったって聞いたことがある。
・突放された貨車に轢かれる
・ブレーキを掛ける車両から転落etc. 鉄道弘済会の病院は義肢の製作やリハビリが巧いなんて話も。 地域からすれば
鉄道病院は
外科の名医が揃ってる印象だったとか >>121
似たような話として、警察病院は指の欠損の復元手術が得意というのがある。理由はお察しの通り。
受刑者の社会復帰を後押しする側面もあった 手の指の欠損は義指の製作の他、足指を切断して移植なんて方法も。 新幹線小郡駅の待合室で「おいでませ 山口へ」の幟を見掛けた
駅名が変わりそんな幟もなくなってしまった 今は駅名に山口が入ってるから使えるのにな
なぜやめちゃったんだ >>118
日生のオバチャンは自転車で村を巡っていくのがデフォの筈なんだが・・・ ベタだけど案内板などに方言が書かれているとホッとする
ただし大阪弁は例外