駅の待合室の思い出
主要駅のテレビ・長椅子完備の広々とした待合室より
ローカル駅のただの風除け雨除けでしかないような質素な待合室の方が素敵 待合室に入りきれないからといってコンコースの地べたに座らされてる修学旅行生をよく見かけた
京都駅 主要駅で待合室に入りきらないから、新宿駅アルプスの広場のような待合所があるのでは 新幹線の待合室はJRになってからどんどん良くなっていった
新幹線に乗ってくれるお客は上得意だから、かな >>3
新大阪は1階食堂街の横のロビーっぽい場所。
待合室といえるものではなかった 田舎の無人駅は、落書きだらけの掘っ立て小屋みたいな待合室が定番 学校の最寄り駅の場合、その学校の学力レベルと落書きの数は反比例する法則 京阪萱島のホームにある大木は昔は待合室を貫くように立っていた 落書きは立派な犯罪なんですけどね
見て見ぬふりするから治まらないと思う >>7
1990年頃には、修学旅行生の待機で整列できるように
床面にラインが引いてあった
テレビでよく聞く、場ミリ >>3
現在でもそういう光景はあちこちで見かけるよね 大きな振り子時計が柱に掛けられていて毎正時になるとボンボンと音を出す
その横には大きな鏡、その下には寄贈主である個人または商店の名前
地方都市の中心駅ではよく見られた光景ではなかろうか 戦前からずっと場末の駅なのに、待ち合い室が必要なくらいに客がいたのか >>22
曲がりなりにも路線起点の始発着駅だからな。
それに旅客数だけで設備の差をつけるみたいな昨今の価値観じゃないし
そもそも省線民鉄問わずよほどの山間部でも無人駅がほぼない時代
(道路クルマなんてまだまだの時代で小口貨物もあったしな) >>23
大祭のためにはこのぐらい必要
全国から集まるので。 高知駅地平時代
坂本龍馬をモチーフにしたかわいいキャラクターのイラストが壁面にあしらわれてた
今風に言えばゆるキャラということになるか 今みたいにゆるキャラが大氾濫するまでは微笑ましく見れてたが…
やはり流れを変えたのはくまモンか 鏡は町医者でもよく見かけた
寄贈主は母校の医学部有志
鏡を贈ることに何か意味があるのだろうか 待合室の片隅にひっそりと地場産品の売り場があると嬉しくなってつい買ってしまう
高架化前の紀勢線海南駅でタワシを一袋買ったことがある 近鉄橿原神宮前の待ち合い室で柿の葉寿司が売られてました 奈良〜和歌山の山間部の一帯的な郷土料理だよ。
人さまが作った自治体で分けるのはナンセンス >>33
わかるわ
1984年、鹿児島駅待合で緑茶を買った
所狭しと、緑茶産出量日本一!みたいな幟な横断幕が飾られていた
俺の感覚はお茶といえば静岡か京都であり鹿児島など思いもよらず、
『また、誇大広告かw』とうち捨てておいたが、
本当に名産地だったとは.... まあ、鹿児島といやぁサツマイモか桜島大根か焼酎ぐらいか
お茶は浮かばないわw >>41
フツーは知らん
何らかの知識を得る機会がない限りは お茶は知らなくても知覧という地名はローカル私鉄ファンならピンとくるかも
知覧といえば薩南中央鉄道ね >>39
特産品を地元駅の待合室で売るだけで飽き足らず東京大阪へ売込行脚をかけたのが平松県政時代の大分。
東京駅での初めてのカボス特売はTVニュースにもなった >>45
待合室からずれるがコンコースで人気映画の海賊版CDやビデオが叩き売りされていた 古本市もやっていた
10冊10円とかw
まさに叩き売り 天井からアームが吊るされた台の上にブラウン管テレビが置かれ、
列車を待つ客はベンチに腰掛けて見上げるように画面を見ている
放映は常にNHK かつては売店があったのに、閉鎖されてしまったのがわかる駅は悲しいな。
まして、以前その店で買い物をしたことがあると。
富良野とかさ・・・ >>51
2013年頃、以下のエピソードは直江津駅か新津駅か
両駅とも経験あるので記憶にない。
ホーム上にある待合室で、乗継で深夜の寝台列車を待った。
途中で照明が消え、エアコン暖房も停止した。
まあ仕方ないわな、と思ったが
たまたま切れたタイミングが同時なだけでエアコンは終夜だった。
いいたいことは、
閉鎖売店が虚しいのも悲しいが、
列車がないってのも悲しいってこと。
しかも、深夜にしっとり寝台列車を待つって風情、
もうほとんど体験しにくくなってしまった。
フェリーも、八幡浜臼杵航路など数少ない。 >>53
平日はひるプレかと思いきや笑っていいともだった
1988年の岡山駅 ワイドショーは愚劣な芸能ゴシップや凄惨な事故報道ばかりだが、
笑っていいともなら人畜無害だから都合が良いね >>49
古いタイプの受像機はツマミを捻ってチャンネルを選択する
リモコンなどないからどうやってチャンネルを変えるのか不思議だった 長椅子の背もたれの背面に「フジカラー」の広告
1985年大垣駅にて 待合室だけでなく上屋の支柱までもが朱塗りにされてた京阪伏見稲荷 一応香取神宮最寄りなのに防犯上の理由(放火されたらヤバい)から貨車駅にされてしまった香取駅 >>61
京阪つながりで、
今は亡き萩原流行さんが流水プールで流されている
ひらパーのポスターが貼り巡らされていた枚方公園駅の待合 田舎の駅では天井や軒先に蜂の巣がぶら下がってたりするね いや、待合室にもできることはある
2001年7月加古川線粟生駅で見た特大の蜂の巣は忘れられない 地上駅時代の奈良駅もそこそこ大きい待合室があったが京都ほど団体客がないためか、観光シーズンだけの開放で閑散期は施錠されて中に入れなかった JRの奈良の話し
近鉄の奈良の地上時代はさすがに知らんw >>49関東鉄道のものはテレビの周りに広告が掲示されておりあまり見やすい物ではなかった。 岐阜羽島の改札外
0系の3人掛シートが多数並べてあった
簡易リクライニングのヤツ 待合室のそばに小さな庭園みたいなのがあった
篠山口駅