【福島】懐かしの奥羽本線【青森】
数年前の夕方過ぎの事だが五反田の駅ビルのベンチに座ってたら向かいにいた香蘭生3人組のうち1人の子が突然スカート捲ってブラウスを下げた
お腹辺りでブラウスがモゴモゴしてたみたいで思いっきりスカート捲って黒パン丸見えで目のやり場に困った
椅子に座っていて雑談していて帰り際にスカート捲ったんだが、捲った直後に俺と目が合って笑いやがったよ
こっちは我慢出来ずに駅ビルのトイレで抜いて大量に出しちゃったw
「アイツ黒パン見てチンコ硬くなってんじゃねw」って思ってそう・・・ 花輪線、北上線、陸羽線など、東北横断ローカル線から乗り入れてくるDC急行が多かった。
分割併合、二階建ての三階建てだらけ。
秋田発、陸中、よねしろ、むつの三階建てとか ここに限らないが横断線との連絡が良くなくて時刻表見たら何とかできそうなのに
実際には目前で発車してしまった目当ての列車を虚しく見送ったことが数知れず 屋根上に飛び出していた看板が記憶に残る
昔は駅ごとに特徴があって見分けがつきやすかった 電車といえば特急だけで、あとは客車とディーゼルカーが当たり前
だったなぁ!
昨年久しぶりに秋田に帰省したけど、ロングシートの電車ばかりで
風情もへったくれもなくなったね。
それにしても駅員がいなくなったなあ! もしも阪神タイガースの代わりに東北タイガースが誕生していたら
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1602336652/
六甲おろしの代わりに「蔵王おろし」を合唱?
♪奥羽 奥羽 Oh 奥羽 東北タイガース
フレー フレーフレーフレー♪ 国鉄時代、多少合理化された末期でも
横手駅クラスで20人は最低でも配置 一人分の仕事を二人掛かりで確実に(ゆっくり)こなす 機関車なら重みのおかげで空転せずに済むのにな
電車になって軽くなったせいだとしたら皮肉なものだ 落ち葉などどこから飛んでくるか分からないのに
覆いをどうやって設置するの 秋田駅から大都会のハブ駅並にどこにでも乗り換え無しで行けた 県都の玄関口も代わり映えしなくなったね
どこも似たようなつくり 大昔の夏休み、福島⇒秋田まで8時間??かけて鈍行踏破した。
車窓の景色は山また山で、結構退屈だった。
新津〜秋田間の海岸景色と比べ、景色の点では失格といえる。
米沢or山形⇒秋田はDD51重連だったのが嬉しかった。 新庄⇔大曲間に新幹線を....という話は無いの?
途中の湯沢は菅前総理の故郷だし、
途中の主要駅なら横手駅もある。
その時、山形新幹線は奥羽新幹線になるのかな?
ま、乗る人もいなさそうだから、夢で終わるか!!!! 山間部を走り抜ける路線は景観面で不人気なのは仕方ないなあ
というか、ヒトはなぜ車窓から海を眺めるのが好きなのか?
言い換えれば、海沿いの路線に人気が集まるのはなぜか……… 例えば黒部峡谷鉄道のような渓谷が見ものの路線もある >>33
窓際まで迫る木々の揺らぎを肌で感じられる山間部の路線もいいよ! 鉄道会社も営利追求の民間企業の一つであることをいいかげんに許容しろや
特に自治体の無茶振りは目に余る どんなに役場が足掻いても撤退する
そうすべきと思う DC特急いなほの間合い運用だったはず。
いなほが電車化したときになくなり、DC急行になってしまった。 格下げされるとその便を愛用してきた客にとっては切り捨てられたような気持ちになるね 暑いから扇風機買ってきたんだが、オレンジ色に光って汗が止まらない >>47
その気持ちはあなたの胸にそっとしまっておいてください >>39
公共交通機関として、鉄道は過剰装備ということなのよ
専用道路にしてバス化することを考えた方がいい ダルマ食堂は山形駅前でも見掛けた
まさかチェーン店ではなく、ありふれた屋号なのだろう 「ひさご」「アサヒ」「日の出」も各地で見掛ける
語感としては3音が良いらしい 秋田支社管内のアッキー覚えている人いない?
ハンバーガーとか売ってた 二ツ井にある廃トンネルが牛舎に再利用されてると聞いてほっこりした
たいていは利用されず廃墟化していくばかりだから >>59
wikipediaより
>しかし、1989年(平成元年)に社内上層部から「国鉄時代の遺産をなくす」という指示が下り、
>「アッキー」もその対象に含まれていた。キャラクターグッズの販売もなくなり、
>「アッキー」が使用されているのは車両のドアステッカーのみとなった。
せっかく地元に愛されていたのに国鉄の遺産をいうことで廃止って・・・ >>59
パナデリアアッキーかな?
1996年に青森発酒田行き普通に乗っていて、鷹ノ巣駅で9分間の停車時間に買いにいき、
男性店員の名札がJR関係だった。
本来なら鉄道マンであるはずなのか… 国鉄時代の負の遺産って八つ当たりだろ
昔ながらのホームの立ち食いそばの多くが追いやられたのもそういう闇だな 変化を求める層がいつの時代にも一定数いて、彼らはまず「過去の否定」から入る思考
厄介だ 昭和58年8月 急行ざおう51号
夏休みを利用して乗れた唯一の急行列車 ほとんど利用されてなかったみたい
そりゃみんな新幹線に乗るわな >>70
昭和58年といったら日本海中部地震の年だったな
記録を調べたら奥羽本線も二ツ井〜鷹巣で陥没など被害が少なからず出ていたんだ… 日本海中部地震から北海道南西沖地震までの10年間は大きな地震がなかった日本の地震史上類まれな時代 その間でも長野県で大きい地震あったぞ
王滝村がやられたやつ >>77
陥没だけでなく隆起もあったので
遠くから見るとまるでラクダの背中のようになっていた、と当時の記事で読んだ 映画野生の証明で初めて見た急行ざおう号455系
ローズピンクは常磐線しか居ないと思ってたので驚いた
鉄道雑誌を買うお金もなく、図書館で月遅れの月刊誌を読むことしかできなかった 視野が狭かった ローズピンクは165系みたいなカボチャカラーより上品で好き
もっと広まればいいのにと思った のちにシュプール蔵王みたいなスキー列車が出て来てややこしかったな 客が減って不定期化
定期に戻ったものの数年で廃止になった 急行は速く移動したい人。
特別急行は快適に座って速く移動したい人。 庶民は普通列車かせいぜい急行。
特別急行はお大尽の乗り物 そんなバッサリと斬り捨てるなよw
ボックス席はグループで向かい合って座れるから楽しい お前は何も分かってない
「鉄オタは、群れない」
だから、ボックス席に1人ポツンと座ることはできない
それぐらい知っとけよ 意味不明。
固定クロスシートに1人で着席することの何がまずいのか >>83
ざおう銀嶺という臨時急行もあった
ざおうからの派生版のひとつ スキー列車が華やかりし時代
このあとすぐにバスに客を奪われて衰退していくわけだが スキー列車って3月末まで走ってたのか
3月末にはもう雪が残ってないのでは 今では信じられんがスキー客が鉄道にとってのドル箱の時代が確かに存在した。