ここだけ宮脇俊三先生を勝手に生き返らせるスレ
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
散々弄られてる掲示板にさりげなく加わり軌道修正を試みる 「15日には今泉駅に行きたいが、新型コロナウィルスも気になる」
と葛藤する。 >>571
一畑電鉄には私の慣れ親しんだ井の頭線の電車が2両で健気に走る 宍道湖が見たくなったのでサンライズ出雲乗車を計画する先生 或る日の夕食の席で家族に、
「もし私が新型コロナウィルスに感染して回復不能になったら…」
と、再び(!?)天に召された日の事を指図する。 「そんなこと気にする前に、煙草止めて酒も控えめにしなさい」
と奥方から窘められてたり。 明治以降の人文地理の法則に逆行して
駅前だけが寂れ果てている地方都市が増えたものだ
しかし元々陸蒸気の煙を嫌って町外れに駅がつくられたのだから
元に戻っただけかもしれぬ 「今や、1本の列車の運転距離という点でも、東京―博多間の新幹線が第1位になるのか」
と落胆する思いに。 とりあえず東京〜鹿児島中央までの新幹線旅行を試みる先生 「やはり、『はやぶさ』は山陽・九州新幹線の名称にするのがよい。
できれば、東京―鹿児島中央間直通の列車が設定され、それにその名が充てられるのが理想的であるが」
と、暗にJR東日本(北海道)に「はやぶさ」返上を迫ったりする。 握手券付きの本が億万長者のプレイボーイに買い占められる >>584
東京発日豊本線方面が「富士」というのも... 「日豊本線は、鹿児島本線や長崎本線より格が落ちる」
などと言った経緯もあり、
「富士」が東京―日豊本線間の列車の名称になってる事に何処か納得できずにいる。
で、その反動を恐れる余り、大分県や宮崎県にはどうも足が向かなかったり…。 「42年前の夏、サラリーマン人生から足を洗った時、もっと早く”大旅行”の行程を決めるべきだった。
結局、最長片道切符の旅も、時間に追われる羽目になった」
と今更後悔する。 「あの時は要するに、ぐずぐずし過ぎたのである。あるいは南から北へ攻め上った
ほうが良かったのではないかと考えてもみたり。私も当時は若かった」 「尤も、早い時期に出掛けていたら、新松戸―西船橋間が開業する前のルートになるところであった。
それがよかったかどうか…。
いや、そうであったら、『あの人物』に頭下げるような仕儀には至らなかったのだ」
などと、思いは千々に乱れる。 娘が小学5年と2年だったあの時。
比較的に遅くに生まれた子供だったが、今では上の娘もちょっとした
物書きである。感慨深い。 ジョン・コンスタンティンからあの世から連れ戻した借りを返せと言われる 高校野球を見て、
最寄り駅の花咲駅を廃止してしまった民営化の影にため息をついたのである。 「浜松―豊橋間のバス位あっていい筈ではないか」
と、何かにつけて訴えてる。 「静岡県内は普通列車が3両編成しかないのに乗り合わせると地獄だ。
過疎化地帯を走っているのではない。せめて8両編成にすべきだ」と声高
に叫ぶ先生。 「現状は要するに、『文句があるなら新幹線に乗れ』という事ではないか。実にけしからぬ」
と鉄道会社に抗議の手紙を出すが、一笑に付されて終わる。 「まさか、”新型コロナウィルス感染防止のため、○○歳以上の方は乗車を御遠慮下さい”
などという時代になるのではあるまいな」
と危惧してる。 「今日ばかりは、『飛行機旅行なんかクソクラエ』とも言い難い気がする」と思ったり。 まさかこの歳になってヤホーニュースとやらに取り上げられる日が来ようとは 「リニアモーターカーの工事が、また頓挫しようとしているではないか。
私が生きているうち(!?)には乗れぬという事か」
と嘆く事しきり…。 さすがに静岡県内の普通列車については
「長く乗っていられるのに安い」などとは思わない 「日本中の列車が、”用があっても乗りたくない国電”と化しているのだ」
と歯軋りする。 だが新潟支社管内は最近新造車両にボックスシートが増えてきて嬉しい
八海山を眺めながら八海山のワンカップなど呑むのは
さすがに憚られるご時世ではあるが 青春18きっぷとは言わず
青春18のびのび切符と言う 藤井聡太の青春18キック炸裂
(。´・ω・)ん?藤井聡太って誰とのたまう先生。
先生の後継者になるかも知れない鉄道マニアの愛知県在住の高校生ですよ、と愛読者 「私も、”PC枕木”みたいな名前の検査受けた方がよいのか…」
などと思って見たり。 昭和20年8月の「時間表」が何処かに保存されてないかと、そこら中の図書館に行くが、徒労に終わる。 「軽井沢の別荘に行って、近所のテニスコートで短いスカート姿の少女を眺めよう」
などと邪な魂胆を抱いてたが、昨今の世情でそれもオシャカになった。 「この夏は、肺炎ばかりでなく、日射病だか熱射病も大敵というではないか。
冷房の効いた列車内で過ごしたいが、駅に辿り着くのも命がけだ」
と慨嘆する。 「備後は大体岡山県に相当するが、一部は広島県にかかっている」
なる誤謬が、嘗ての職場で代々語り継がれていると知って、著しい罪悪感に襲われる。 備後落合。何故か知らないがよく来る駅だな、と先生。 「”ビンゴ”って、あのゲームが広島県の辺りで誕生したんですか!?」
と若い編集者に真顔で尋ねられて、
「近頃の学校教育はどうなっているのだ!!」
と憤る。 「やはり8月15日には特別な感情を禁じ得ない。
これは、いくら時代が変わろうと絶やしてはならぬものである」
と決意を新たにする。 >>613
備中は全部岡山県で
備後は全部広島県なのだから言い訳が立たぬ 「結局、私も、東北本線の起点が何処か知らぬというのと大差ない、という事である」
と反省しきりの心境に…。
更に福井県の”鉄道ファン”から、
「越美北線の起点も誤解されてましたよね」
なる手紙が届いたり。 「戦時中、こんな豪雪(森宮野原付近、785cm)が記録されたのだ」と若年層に主張してたら、
「今は最高気温40℃超えが続出してるんですよ」と言い返されたり。 「”単位数が2倍になると組み合わせ数は2乗になる”、という理由は何ですか?」
なんて読者に突っ込まれたりする。 近頃の若い者は
「数学が嫌いならやらなくていい」
という教育を受けているのか 「やはり、最高学府というのも、『昔の大学』程度に数を絞る必要がある。
(元)国鉄の特急も、数の急増に伴って、とみに格が下がったのだ」
などと口にして、世間の顰蹙を買ったり…。 「多経路システムに於ける最長または最短ルートの探索について」
なる、某大学教授の研究の概要だけでも何とか理解しようと思うが、徒労に終わる。 「今の方が、飯山線と只見線に乗って日帰り、が不可能になっているではないか!」
と怒りに燃える。 もう一度、鈍行の寝台車で紀伊半島を巡りたいと思う。 飯田駅に着いたら、
「今度は逃がしませんからね」
と、途中下車印だらけの最長片道切符を取り上げられる。
で、再発行まで一週間近く足止めされる羽目に…。 折角全線開通の日に乗った只見線も気仙沼線も
今や全線を鉄道で乗り通すことはできない 「そのうち、”中央構造線の旅”もできなくなるのか」と危惧する。
「阿波池田から川之江に行くバスは、既にないのではあるまいか」とも。 八幡浜から三崎に行くバスも
松山発の特急バスに途中乗車するしかない 東京大阪国鉄のない旅で唯一まともに客が乗っていた
浜松ー鷲津間直行バスも
1日僅か3本になっているではないか 「ですから、こちら(浜松)から豊橋へ行かれるなら、国鉄というかJRが便利ですと、
再三ご案内申し上げておりますが」
と遠州鉄道バスの案内係にやり込められる夢見る。 「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の影響で
案内係の対応はかつてより良くなってたり 都電の4本のレールが等間隔かどうか
(下り線と上り線の内側のレール間の距離も1372mmなのか!?)、測ろうとする。
それで電車の接近に気付かず、運転士に怒られたり。 「新型コロナウィルス感染の蔓延とGoToキャンペーンがいかに両立するのか。
私には皆目見当がつかない。鉄道の利用が盛んになるのは良い事と言いたくなるが、
どう考えたらよいのやら分からぬ」
と困惑する。 自分の言いたいことを宮脇先生に代弁させてるだけのやつは寒いな コロナに不要不急ジジイ成敗してもらういうことであればコロナいいね思ったり テメーは実効的な事何一つ言えねーくせに他人の発言に言い掛かり付けてるだけの、
>>636みてーな野郎が最大の害悪。 >>638
個別具体的に指摘したわけじゃないのに噛み付くってことは自覚があるのかw
わかってたらやめろよ。うすらみっともない。 再びわんこそばに挑戦すると言い出すが、妻子に止められる。 赤岩〜大沢間のスイッチバックを、改めて味わってみたいと思う。 中央構造線の旅で、
佐賀関―臼杵駅間のみとは言え、
タクシーに乗った事を何処かで後悔してる。 女子高生に席を譲られることが今さらながらショックである。 しかし、その温もりを感じて悦に入るという、困った性分。 編集者のとき担当していた瀬戸内寂聴が年上なのに存命と知って思い出話をしに行く 「やはり私は早死にであったのか」と肩を落とす。
その上、奥方に「だから、煙草止めなさいって口酸っぱくして言ったでしょ」と責められる。 東北本線に再び気動車が走るようになった事に驚愕する。 酒もやめられない。紹興酒を昼から口にする。
「ママには内緒だぞ」と灯子に告げる。 「それで、いつ寸又峡温泉にご一緒させて頂けるのですか?」
と、某雑誌社の元編集担当から矢の催促だったり。 旅行の喜びを知ったまちさんから旅行の計画を立てて、と懇願される。
はて、どこに行こうか、と時刻表と格闘する鉄道員周遊俊妙居士、もとい
宮脇俊三先生。 差し当たって、「ななつ星」あたりにしようかと思うが、
東京―九州間の移動手段に困る。
新幹線しかない上にこれはすっかり味気なくなってるし、
かと言って、飛行機に魂売るなんぞプライドが許さんし。 「いそかぜ」があれば
サンライズ出雲から乗り継いで九州に行けるのだが 結局、「サンライズ瀬戸」で、自らの本籍地を訪ねる事に。 たまにはノビノビ座席でノビノビすることも考えたが
結局いつもの個室に。 最長片道切符の旅の途中で
「大平総裁誕生」
の新聞記事を目にした時の事を思い出す。 「『ルクセンブルクではあっと言う間、フランスやドイツでも1日乗れば国外へ出るのに対して、
日本では2日がかりで乗っても領土の中』と言われるが、比較の仕方がおかしいではないか。
我が国でだって、最大限急いだとしたら、1日もすれば国境に辿り着く」
と読者からクレームの手紙が来てたりする。 渋谷駅の様変わりぶりに、未だ戸惑いを隠せずにいる。 「昭和50年12月の時点で、山野線435Dが吉松に着く5分前に肥薩線836レが発車するダイヤになっていたのは、
タクシー会社と共謀しての事であったのか!?」
と、当時の鹿児島鉄道管理局関係者に絡んだりする。 >>661
日本から鉄道で超えられる国境など皆無ではないか 豊島園や、各地のデパート閉鎖に心を痛める。
「これはマイカーの蔓延に依拠するのであろうし、
駅前や近くの商業施設撤退は、ますます車社会を助長するのだ。
正に悪循環である」と。
釜石で朝飯を食いそびれかけたがコンビニで暖かい幕の内を仕入れて事なきを得た 駅弁よりもコンビニ弁当のほうが美味いと思うことが何故かある。 「板谷峠のスイッチバックが消えて30年。早いものである」と回想する。
で、それを抹殺した恨みから、山形へ行く時は、仙台へ出て仙山線経由にしてる。 >>667
飛行機ありにしたら1日で世界一周できるだろバカ >>670
一遍ぐらい「旅の終わりは個室寝台車」読んでから書き込め、バカ >>672
1番最初に読んだのが個室寝台車
バカは>>661 「昨今の情勢は、言わば飯田線を4社に分断するようなものではないか」と慨嘆する。 一方で北陸本線だった鉄路を鈍行列車しか走らなくなった事により車窓をゆっくり楽しむ機会を得た
特急街道だった頃にはなかなか出来なかったので、半日がかりでまわってみようと思う
この忌々しい流行り病が収まってからではあるが… 「しかし、在りし日の”鈍行列車”の風情は最早味わえない。
大阪近郊も同然の車両に乗り続けるとは、甚だ興醒めである。
尤も昨今では、国電型のロングシートでないだけ有難いと思うべき情勢になっている」
などと溜息ついたり。 国電型のロングシートで悠然と駅弁を食べていた昔を懐かしむ先生 「最長片道切符の旅」で御殿場線に乗った時、ロングシート車だった事を思い出すと、
改めて無念さが沸き起こってくる。 久し振りに、土合駅の階段を下りて、トンネル内のホームから電車に乗ろうとする。
さすがに、この駅の階段を昇る気力は、とうになく…。 >>675
私の愛する国鉄こそファシズムの権化ではないか?
と複雑な気分 「それにしても、今は北海道に国電型のロングシート車など、
地域の特性を全く顧みぬ所業が罷り通っているではないか。
1回乗れば何十万円などという列車を、どこかが始めれば他も挙って真似したり、だ。
寧ろ、国鉄の頃の方が、各地の実情に見合った施策が見られた」
てな事を思うかどうか。
多分に、”思って欲しい”という個人的願望が強いが。 >>683
北海道のロングシートは札幌函館近郊だけで
ローカル区間はボックスか転換クロスシート
地域の特性を鑑みてると思うが
それより中央本線や紀勢本線のロング化が嘆かわしい そう言えば、今年乗った釧網本線も花咲線もボックス席だったな、と記憶の糸を
辿る先生。 >>683
夢空間や諸外国の豪華寝台に乗ってはしゃいでいた宮脇先生がそんなことを思うかね?
宮脇先生を自分のスピーカー代わりに使うのは敬意を欠くぞ。 >>686
凡百の貧乏鉄ヲタと宮脇先生とは格が違う
ということをわかっていない輩が多いな 当たる確率の高低差はあっても、所詮このスレは全て、
書き込みした奴の推測の域を出るものじゃない。
要するに、どれもこれも、大なり小なり「宮脇先生を自分のスピーカー代わりに使」ってるって事だ。
それが悪いってんだったら、こんなスレ自体閉鎖すべきだ。 『父・宮脇俊三への旅 宮脇灯子』という文庫本があり、思わず手に取る先生。
幼い娘の手を引いているのは、まぎれもなく、若い日の(と言っても40代だが)
私ではないか。
・・・・・・文句を言わない父など、父ではない。・・・・・うん、灯子にしか
書けない文章だな、と満足そうに微笑む先生。 >>688
「原作の主旨に沿ってるか」という点が重要
沿っていないならば、中原中也や太宰治を都合のいいイケメンに脳内変換してる腐女子と同じ >>688
宮脇先生がいかにも言いそうなことを想定してセリフを作るのと
単に自分が言いたいだけのことを宮脇先生に言わせるのは天と地ほどの差がある。
このスレは作品を通じて得た「自分の中にいる宮脇先生との対話」なんだよ。言わば法事で故人を偲ぶがごときもの。
だから「敬意を欠く」という言葉も出る。 宮脇氏は「変わりゆくものは受容する」という姿勢が一貫していたからね
乗ること自体を目的とした豪華列車の類も
滅びゆく鉄道の生き残り策として好意的だった 廃線跡巡りは好きなのだが
私は葬式鉄ならぬ法事鉄であろうか? >>694
そういえば宮脇先生は開通当日にはよく乗ってるけど
廃止当日の最終列車に乗った記述は見たことがない 廃止された路線のダイヤを再考する、
「線路があった時刻表」
なる書を著わしたりする。 >>697
それ面白いな。
草軽電気鉄道は生き残っていたら吾妻線延伸なんかもあって興味深いダイヤになったと思う。 しかし、それが宮脇氏の著作の中で最も膨大なものになった、
などという皮肉な結末に至ったり。 「北海道&東日本パス70日間の旅」を計画
「本当にやるんですか」「やりますよ」 吉備路をゆっくり辿ってみようと思い立つが、
そこまでの道程が余りに味気なくて、気力が萎えがちに。 9月と言えば、「東京―大阪間・国鉄のない旅」に出た事を思い出し、
「名古屋からの近鉄の行程を、急行の乗り継ぎにしてみるのも一興だったか」と呟く。
するとその時同行した元編集者から、
「難波に23:58着という事は、電車が3分遅れてたら、その日のうちには着けなかったんですよ」
と突っ込まれる。 >>701
先生はそんな貧乏臭い旅はせんよ
横見じゃあるまいし 18きっぷの旅はしばしばしてたじゃないか
ホテルや温泉、食べ物をいいものにすれば貧乏くささも減るさ 「旅の終わりは個室寝台車」の飯田線の中で藍君に中島みゆきを聴かされたように、若い編集者にあいみょんを聴かされる
『女は「あなたの心臓をえぐり取ってネックレスにする」と唄い、飯田線は伊那谷を走る。』 「それにしても、今は全区間直通列車が全て下地・船町を通過するではないか。
これでは編集者いびりの醍醐味に欠ける」
と悔しがる。 部下をいびった後に寿司屋で一献
そういう上司も少なくなりましたな >>706
「今夜だけでもきれいになりたい」ではなく
「今夜死んでもいいからきれいになりたい」
の方を引用すべきだったと後悔 「そう言えば、あの音楽は今でも”ニューミュージック”と称されるのか。
鉄道の方は、我々が飯田線に乗った翌年登場した『新型』車両も、とうに引退している」
などと思ったりする。 >>710
ニュータウンが50年経ってもニュータウンと呼ばれているようなもんだろうw
でもjpopという言葉ができる前の米米クラブとかも
ニューミュージックと呼ばれていたような 「結局、『東京―大阪間・国鉄のない旅』への”仕返し”も不完全燃焼に終わった感じだ」
と、今更のように悔しがる。 今や「最長片道切符の旅」は「最長」の名を冠するのも躊躇われる程にルートが限定されてしまったと嘆く。 「何と言っても、現在は四国を除け者にしているのがよくない」
と、些か憤慨する。
で、
「それは御自身の本籍地がある場所だからですか?」
などと茶々入れられたり。 「そのうち、『時刻表1万キロ』にせざるを得なくなるのか」などと思う。 旅先で新聞の白抜きの見出しを目にして
「地震で東京が潰れたか」と思ったら、
「菅新総裁誕生」であった。 「今度の総理大臣は、『湯沢に新幹線の恩恵を』などと言い出すのか」
なんて思ったり。 沼宮内や木古内にフル規格の新幹線が停まるご時世に
湯沢や横手がロングシートの普通のみとはけしからぬ 42年前の今頃、結局自力で最長片道ルートを割り出すのを断念した事を思い出し、
「豊橋から会津若松に向かう経路を思い付くとは、どのような頭脳の持ち主なのか」
と、件の眼科医に畏敬の念を抱く。 四国を全て割愛し北陸本線や信越本線の大部分を割愛したJR最長片道切符になんの意味があるのかと嘆く 「『新幹線も活用すれば、在来線のみ利用の場合より長くなる』どころではなくなった。
少なからざる地域で『新幹線を利用せざるを得ない』というが如き有様である」
と、”新・最長片道切符の旅”なる本に書いたりする。 「あの頃は「並行在来線問題」などなかった。JRから経営分離すれば経営が成り立つとはどんなカラクリによるものか」
と首をひねる。 「矢張り初心に帰って、最長片道ルートに捕らわれない遠回りの旅を考えるべきか」
と思ったりする。 >>712
JR無しで東京から大阪に行くのも今や高速バスで乗り換えせずに行けてしまう。
ルールを更に工夫せねば単なるバス旅行である。 「今度、高山に泊まる機会があったら、
ビジネスホテルの経営者の奥方に手料理を振舞って貰おうか」
なんぞと邪な思いを抱いてる。 「最長片道切符の旅」の、
「…まず西佐川を通過し、次に佐川に停車する。西へ向かって走っているのに『西』が先に現れるのである」
との叙述に関して、
「それより前に、”東へ向かって走っているのに『東』が先に現れるのである”、を体験された筈ではありませんか
(厚岸―厚床―東根室―根室)」
なんて、読者から混ぜっ返しの手紙が届いてたり。
それに対して、
「そこ(厚床―根室)は、本来のルートから外れていますので」
とやり返そうとしたら、差出人の住所も名前も書かれていなかった、とか。 「昨今は観光客目当ての奇抜な終着駅も増えた。旅の風情とは程遠いものだが、路線が生き残るためにはきっと必要な事なのだろう」
と肩を落とす。 「矢張り終着駅というものは、山守や北進のような感じがよい」
などと、何かの本に綴ったりする。 もし智頭線とか北越北線がJRだったら、線路のない時刻表にあったダイヤに近いものになってただろうな。
北越北線は東日本だろうから、線路のない時刻表そのまんまのダイヤになってた可能性大。
智頭線の場合は西日本なので、現実の智頭急行のダイヤに近いようなダイヤ(但し最高速度は110km/h)になってたと思う。 「”GoToキャンペーン”とやらの時流に乗って何処かに出掛けようか」
と口にした途端、家族から止められる。 「近くにも旅はある」って「男にも穴はある」みたいに、新しい世界に気づかせてくれる素敵な言葉ですね。と感想を伝えたい 「解かってくれたか(ニヤリ」と返されたらどうすんの 幌延駅の待合室で寝ると言っていた青年
まさか若き日の横見浩彦氏ではあるまいか
1961年生まれなら当時22歳 40年前、品鶴線経由に変わった横須賀線に乗った後上野に行き、「ゆうづる」で青森に向かった事を思い出す。
で、「あのような事は、”若かった”からできたのだ」と回想する。 「10月2日は、”国鉄の特急の格が一層下がった日”と言えよう」と思う。 北海道へ行って「本物の太陽」を見ようと思うが、
そのきっかけになった広尾線は最早存在せず、意気消沈する。 「今、大いに活用してるのはノビノビ座席だね。ちょっと、コロナは怖いけどね。」 「最長片道切符」を購入した後、経路の記載に欠落がないかに目を光らせようとする。 「『白鳥』に乗り通すのは、もっと空いた時期にするべきであった」
と後悔する。 「そのうち、金沢から大阪や名古屋さえ直通できなくなるというのか」
と憤慨する。 日高本線・鵡川〜様似間116km廃止合意の知らせに肩を落とす先生 昭和57年6月23日に成立した、「最長・最長片道切符の旅」をやってみたかった。
と、今更ながら思う。 >>744
「そのうち、北海道の鉄道の電化率は100%になるかも知れぬ。
つまり、現在の非電化区間は全て消滅という予感がするのである」
なんて事を何かの本に書いたりする。 我ながら日本が最も日本らしい姿を見せる絶妙な季節に「最長片道切符の旅」を実行したものだと思う 「しかし結局は、『特急や急行も利用し、夜遅くまで乗』る事が多かった。
その最も甚だしい例は、青森―好摩間を、一旦東京に戻るために寝台特急に乗った事で
済ませざるを得なくなった経緯だが、他にも吉松―人吉間が日没後の特急になったりした。
会社を辞めた事で決別できたと考えていた、時間に追われる旅行になったのである」
と、ちょっと後悔もしてたり。 昭和53年10月から42年が過ぎた今は、旅に出ようとすると、子供から訓戒垂れられる。
「お金無くさないで」とか、「札幌駅で1分で乗り換えようなんて無理しちゃ駄目よ」とか。 「あの頃は今にして思うと若かったな。娘も二人とも小学生だったし」 「丁度42年前の昭和53年10月12日、最長片道切符の旅に出掛けた
(羽田空港から千歳空港に向かい、札幌に出て「からまつ」に乗った)」
と回想する。
「あれから今日でちょうど42年。清々しい秋空である。最も今日は金曜日でなく火曜日
であるが」 「帯広駅前の本屋に行ったら、『エゾマツとトドマツの違いを知るのに都合の良い本があるか?』と聞いてみよう」
と考える。 十勝バスで豊頃町のうまいラーメンを食べに行こうかと思ったが
店はおろかバス路線すらも無いのであった 新型コロナウイルス(C-COVID19)終息の見通しが立たない。
下手に取材に出ると感染して行き倒れしかねんからなぁ・・・ 今度は厚床に泊まろうと思って道東に出掛けるが、やっぱり根室まで行っちまう。 最長片道切符の旅で行った梅ヶ枝町の炉端焼きの店がまだ健在なのが嬉しい 具体的な店名を言うと「俺ん家」
・・・・・・・・・でも本には店名は書かないことにしよう。 根室市の緑町にいる時は、うっかり「梅ヶ枝町」を口にする事のないよう、慎重の上にも慎重を期す。 紋別の日本旅館に泊まった時、下着の洗濯を頼んでみたが、断られた。 今は大抵のビジネスホテルに
コインランドリーという便利なものがある 「42年前、私が北海道で見た日本シリーズの試合では、何れもスワローズが敗れた。
特に10月17日の第3戦では、3塁も踏めなかった」
と回想して、旅先ではヤクルトの試合は見ない事にしてる。 旧・喜茂別駅付近に出掛けて、改めてエゾマツとトドマツを判別してみようとする。 「まさか、”最長片道切符の旅”の青森―好摩間の行程を、
北海道からの帰りに寝台特急に乗った事を以て替えねばならなくなったとは」
と、今更のように悔しがる。 「これから一層寒くなるので、風邪など引かぬよう体を鍛えねばなるまい」
と思って、近所のジムに通うと家族に宣言するが、一笑に付される。 「旅先では、カメラは肌身離さず持ち歩かねばならぬ」と気を引き締めてる。 「私が全区間乗り通した時に限って、あの特急は、『白鳥”2号”』などという余計な数字をくっつけていた」
と些か不服に思っている。 今度気仙沼に行ったら、漁師からマグロ買おうかと思う。 私が早めにこちらに来たのは
高山本線に置き忘れたハマチの祟りかもしれぬ 「近頃、時刻表から擦れ違いや追越を推理する楽しみがめっきり減った」と嘆いてる。 「矢張り、旅に出る時には、一定の額の現金を携行する必要がある」
などと思って、自らの不行状(=深酒)は反省せず。 42年前に、花輪線の車中に置き忘れたカメラの事を思い出す。
しかし、さすがに遺失物係に申し出る勇気は出ず。 「42年前の今日こそ、
『僕に水割り頂戴!』
なる声を上げた女の客に遭遇した日である。
尤も、私が一番”変なの”だという向きもあるようだが」
なんて事を思ったりする。 「首里城が焼け落ちて1年になるのか。
慰問がてら、モノレールに乗りに行きたいものだ」
と思いつつ、結局酒飲んでたり。 東北本線上り列車に乗った時は、小山には定刻に着くよう車掌に注文付ける。 「『そとやま』の車内で、『あなたもう生理休暇使っちゃったの?』などと話してたOL達も、
今は既に60代か」
と感慨にふけってる(自らを棚に上げて)。 「考えてみると、私は”最長片道切符の旅25周年”を目前にして昇天したのだった」
と歯軋りする。 「今風邪を引いたら、簡単に医者にかかれない。くれぐれも用心せねばならぬ」
と気を引き締める。 日高本線に乗りに行きたいが、「葬式鉄」の一味になるのも憚られると思って逡巡する。 「考えてみると、『最長片道切符の旅』といい、飯田線や特急『白鳥』の乗り通しといい、
何れも日が短い時期にぶつかった。全く巡り合わせの悪かった事だ」
と改めて悔やんでる。 「将来、北陸本線は米原―敦賀間だけになるというのか」
と思い、言葉を無くす。 「明日、つまり11月6日は、北陸トンネルの火災事故が起きた日だが、
他にも何かあったような気がする。何であっただろうか。私の”同好の士”と関係あった気がする。
…どうも思い出せない。年のせいか」
と苛立つ。 「そうだ。ようやく思い出した。足立区竹の塚在住だったあの男の件だ」
と、今日は朝から、T村N樹なる人物の七回忌に出掛ける準備に余念がない。 孤高の旅を好む私と大勢の取り巻きを連れて旅に出るTくん。
どちらがいいとか言うつもりはないが私は自らのスタイルを今後も変える
つもりはない。 「そのうち、最長片道切符も自動改札対応になるのか」
と、暗澹たる思いに駆られる。 「今は、私1人だとしても、安房鴨川から内房線経由で千葉まで鈍行で乗り通す気にはなれない。
最長片道切符の旅の折は、連れてきた次女の退屈ぶりが察せられ、止むなく断念したのだが」
と、昨今のロングシート車の蔓延を恨めしく思う。 >>792
JR全線が自動改札対応になったらなったで
据え膳食わぬは男の恥とばかり
「130円本州一周一筆書きの旅」へと出かける で、浜川崎に着いても改札係の姿がないのを見て、拍子抜けした思いに駆られる。 「今日は鶴見の”あの場所”へ行ってくるか」と呟く。
しかしその途端、次女から
「パパ、42年前の今日の事、忘れてないでしょうね
(木下駅のホームで用足しする破目に)」
と、恨めし気な視線が向けられる。 上州の空っ風に吹かれても風邪を引かないように、毎朝乾布摩擦に精出す。 「今年はクマに襲われる被害が多発しているというが,昔秋田で食した熊鍋の味は忘れ難い」
などと思ったりする. 今度「最長片道切符の旅」に出る時は、
何が何でも中央西線は各駅停車に乗ろうとする。 せっかく景色の良い中央本線なのに
運悪く新宿から名古屋までロングシートで乗り通す羽目に 「今や、”鈍行”が一番味気ないという事ではないか。
42年前に、我が娘が、『汽車に乗るんじゃなかったの?』口にした、
その不満が全国に蔓延しているに相違ない」と憤る。
で、その娘(次女)が、
「一番はトイレがない事でしょ!」と鋭い突っ込みを入れる。 八高線クラスの路線でも、「乗り損なったら大変という運転間隔」なのだと思う。 突然、「わんこそば」に再挑戦しようと思い立つが、家族から止められる。
「うっかりのどに詰まらせでもしたら、”また(!?)”あの世行きよ!」と。 「昔は北陸本線であった金沢ー直江津間の現状を見ていると、
飯田線が再び4社(豊川・鳳来寺・三信・伊那電気、の各鉄道)に分かれそうではないか」
と慨嘆する。 「時刻表 奥の細道」に絡んで、
新潟交通(県庁前ー燕)→東三条→新津→五泉→蒲原鉄道(村松で途中下車)→加茂→高崎、
なんていう面倒な行程のスケジューリングをやらせた雑誌編集者の労をねぎらって飲みに誘ったところ、
トイレに立った隙に、酒に毒を入れられたり。 「38年前、ついに東京から札幌まで、列車と連絡船の乗り継ぎで日着が可能になった」
と、改めて当時の間隙を思い出す。
今は鹿児島から札幌はおろか旭川まで日着が可能であるが
枕崎から根室や稚内まで日着可能になるまでに
果たして両端の路線は存続できるのであろうかと
残念ながらそう思う 「根室から枕崎へ行くとなれば、最短距離を辿るとしても、日本の広さを実感できるではないか」
と改めて思う。
しかし次の瞬間、
「と言っても、新函館北斗から鹿児島中央まで新幹線、というのは少々興覚めだが」
などと言を翻したり。 東海道新幹線はほぼ全区間景色が見えるからまだしも
北陸や九州などは長大な地下鉄の如くである
中央リニアが完成しても「鉄道」とは呼びたくない気がする 全ての新幹線について、暗くても何処を走っているか分かるようになった。
しかし、
「それだけ、いつ何処へ行くにも新幹線に乗らざるを得なくなったという事だ」
と思って、嬉しくもなかったりする。 風邪を引いて、「最長片道切符の旅」に出られない日が続いた思い出から、
「病気など、やむを得ざる事由による旅行の中断に際しては、
乗車券の有効期限を日延べとする事ができる」
のごとき規則変更を要求したりする。 「私が下界に舞い降りたことが地球に災いを齎したのではあるまいか。
だとしたら、実に申し訳のない事である」
などと、珍しく(失敬)、殊勝な思いを抱いたりする。 「明日は”いい夫婦の日”とやらか。女房を誘って何処かへ出掛けようか。
しかし、昨今の新型コロナウィルス騒ぎも気になる。どうしたものか」
と思案にくれている。 「矢張り、『南武線は夜でもよい』のような差別的扱いはよくなかった」
と反省する。 「私が贔屓にしている国鉄スワローズを”裏切った”金田正一の移籍先である読売ジャイアンツは、
日本シリーズで『南海ホークス』に、言わば5連敗ではないか」
と留飲を下げてたり。 ホークスなのに、「つばめ」を走らせるJR九州と提携するとは何事かと、今更腹を立てている 「いつかスワローズ贔屓のタクシー運転手に出会いたいものだ」
と思ったりする。 42年前を思い出して、尻手で浜川崎行に乗り換えようとしたら、
やたら長時間待たされる。 「飯田駅では、途中下車印が多数押された切符を取り上げられぬよう、用心せねばなるまい」
と、気を引き締める。 「やはり、北千住ー日暮里(ー上野)ー尾久ー赤羽ー田端、という、
乗り換え不能の駅で乗り換えたようなルートは拙かったのか」
などと不安に陥ったりする。 コロナ禍なのに平気で遠出をする若者に腹を立てるが、
自分も戦時下に関門トンネルまで出掛けたことを思い出し、
仕方がないと自分に言い聞かせる 「その旅行の代償として、私は虫垂炎を悪化させた。
やはり、天罰というものはあるという気がしたのである」
などと神妙な面持ちに。 「今頃、博多の街は大騒ぎなのであろう。
行ってみたいものだが、現在では寝台特急はない」
と悔しがる。 「もうすぐ、あの神岡線の末裔の命日か」
と思い、改めて”富山―神岡”なるサボを逆恨みする。 「これからは、”雑誌の編集者と近所の寿司屋で一献”も難しくなるのか」
と不服になる。 久々にソフトバンクの昔の親会社の南海電鉄に乗ることにする。
贔屓球団の国鉄と日本シリーズでは一度も対戦したことがなかったが。 「南海電鉄と言えば、客車時代の『つばめ』の色と湘南電車の緑とを合わせたような塗装が特徴だった。
それが見られなくなったのは、少々寂しくもある」
などと、結局国鉄を基準とする物の見方から抜け出せずにいる。 42年前、和歌山線の急行の車内で遭遇した車掌には、それ以前にも出会った事があると未だ思ってる。
「あの車掌は、”自分はずっと和歌山勤務”などと嘘をついたに違いない」と失敬千万な思い込み。 「今頃の時期に高山へ行っても、観光客向けの飲食店は営業していない。
ガイドブックにはそうした情報も載せるべきではないか」
と出版社に文句言いに行く。 飛騨に行って、当地おススメというカジカ酒を飲もうと考える先生。
「フグ酒よりも行けますぞ」と知人から聞いたからである。
「カジカとは、いかなるものか」
ぶつぶつ独り言を言う先生であった。 >>833
「最新情報は各店ホームページをご覧ください」と言い返される 「斯様な企業の出版物は今後一切購入せぬ!」
と憤慨した直後に自らの経歴が蘇り、
「考えてみれば、私はあの連中のような業界に身を置いていたという事ではないか」
と自己嫌悪にも陥ったり。 「出版業と文筆業 所詮虚業の人生」
とこの歳になって虚無感に襲われる
「これはまずい」と自棄酒 「可部―三段峡間の最後の1日から17年。以て瞑すべし」
と改めて思う。 「東北本線が日本最長路線でなくなってから18年、
あのような中途半端な新幹線(八戸終点の如き)のために、因果な事だ」
と溜息つく。 新幹線と完全並行している東海道本線と山陽本線が全く無傷なだけでも幸い
と思い直す 「『智頭線』が産声を上げてから26年経ったか。
形は変わったが、”線路のない時刻表”から脱却したのは何よりであった」
と感慨にふけってる。 「東北新幹線が新青森開業となって10年、山形新幹線が新庄開業となって21年。
ミニ新幹線などと言って栄華を焦った山形・秋田は、言わば”慌てる乞食は貰いが少ない”を地で行ったようなものではないか」
と揶揄するような気持になるが、次の瞬間、
「しかし、この両県で新型コロナウィルスとやらの災いが小規模に留まっている事をどう考えればよいのか」
などと神妙な面持ちに。 ググってただ年数数えてくる奴
他のスレにもいたな
毎年1足して同じこと書くキチガイ >>844 みてーな、テメーは何一つ語らねーで
他人に発言にイチャモンつけるだけの野郎が
スレにとって最大の害悪なんだがな。 >>844 みてーな、テメーは何一つ語らねーで
他人に発言にイチャモンつけるだけの野郎が
スレにとって最大の害悪なんだがな。 >>844 みてーな、テメーは何一つ語らねーで
他人に発言にイチャモンつけるだけの野郎が
スレにとって最大の害悪なんだがな。 テメーは何一つ語らねーくせに
他人の発言にイチャモンだけ付けるような
野郎が最大の害悪をもたらす。 「私はやらないが種村クンはインターネットをやるのだろうか?」 >>844,>>849
大体、山形新幹線の新庄延伸や東北新幹線の新青森開業がいつだったか位ぇな事は、
一々調べなくたって頭に入ってんだ。 「いつしか、”三次に行ったらハンバーガーを食いたい”と思う様になってきた。これはまずいぞ」
と、気を引き締める。 「わざと上記のような反応を返しているのか否か分からぬが、
”これはまずいぞ”とは、”これはよくない傾向だ”との意味である。
やはり、三次に行ったら三次の名物を味わいたい。
それが、一度どうにも空腹に耐えかねて、ついハンバーガーに手を伸ばしたばかりに、その虜になりかかっている」
と自省したつもりになってる。 三次と聞いてふと備後落合あたりに足を伸ばしたくなった。
何故か立ち寄る機会の多い駅。 なお今三次駅前にバーガー屋は無い模様
お好み焼きで我慢してください先生 五分歩けば牛丼屋もファミレスもありますぞ
三江線なき今は立ち寄る機会もないだろうが それでも昨今の地方中小都市の駅前に比べれば
三次駅はまだ恵まれた方だと思う
かつて駅弁を買った新見駅前の現状は... 新見駅の駅弁は栄養バランス的には、とてもいい感じだったが。値段的にも。
ただし、先生の好みとは少し違うような。
久々に木次線に乗ることを試みる先生。 今の新見駅前はとても1時間毎に特急が停車するとは思えない >>861
新見は一応駅前食堂と喫茶店があるし、ちょっと行けば「いんでいら」で名物のえびめしも食べられる。
あと、駅弁売ってた弁当屋はまだ仕出し屋として営業してて弁当も売ってくれる。
まだまだ恵まれてると思うがなぁ。 >>864
新見駅は交通の要衝ではあるが市の人口そのものが少なく
観光資源も乏しい上に本来の街の中心からも離れている
それでいて津山や三次には一本もない特急が毎時停車するのには違和感を覚える ロングシートの私鉄など用があっても乗りたくないが
一畑電鉄には京王井の頭線の旧車両が走っているので話は別 松江泊。宍道湖の七珍料理に舌鼓。
明日は山陰本線の旅へ。 やはりサンライズ出雲は京都から山陰本線に入るべきだと考える。 サンライズは「電車」なので無理です先生
「汽車」はおろか「客車列車」も絶滅危惧種である 智頭急行線の建設現場の取材をするより
山陰本線全線電化を訴えるべきだったかと後悔 最長片道切符の旅で出てきた「星の王子」って、どんな格好していたのだろうか?
当時は今ほど奇抜な服も無かろうに。 令和3年。途中の平成の記憶が抜け落ちているが94年もよくぞ生きてきた。
家内には感謝している。 >>95
「なんでも屋」の表現を使ったのは種村氏より宮脇氏の方が先だと思う
「時刻表2万キロ」の会津若松のビジネスホテルで近くのなんでも屋の割引券をもらって飲みに行ったというのが最初だと思う >>760-761
根室の「俺ん家」は吉田類さんも行った名店ですね
最長片道切符取材メモで「今回の最低」と酷評した大阪のビジネスホテル「シャトーテル大手前」は
潰れて建物だけ廃墟になって残ってる。
本編ではホテル名こそ出てこないけど、場所的に記述で特定できる 爺になっても「〜っす」口調で許されるのは
あの人くらいだろう コロナなる耳慣れない言葉が流行しているが私は元気である。 遥か昔に失効しました。
94歳の今になって再取得する気になれません。
好きな酒も飲めませんし。
とのことです。 お宅の玄関先にクルマが置いてありますが?
運転するのは女房です
ご自分では運転しないのですか?
しませんよ 三駅が徒歩圏内で昼間でも五分待てば電車が来る
新宿や渋谷まで約十分で家の周囲は狭隘道ばかり
なぜ自動車を所有しようとするのか? 北海道旅行からの帰りに地震の影響で盛岡〜那須塩原間が不通。足止めを食らってしまう。 青春18きっぷの季節。
しかし、ここまで18きっぷをまだ買っていないことに気が付いた先生。 久々に「最長片道切符の旅」を読み返してみた。
登場人物の多くは既に亡くなっていると思う。 >>894
存命なのは大量に乗り合わせた高校生たちくらいか?
あとオフィスレディー達かな 1番若かったのはりんご齧ってる女の子が
カープの帽子かぶってる少年達か
他ならぬ理子さんか
赤ちゃんも出てきたっけ 「ぼくに水割り頂戴!」の女の子、実際には女装した男ではないだろうか・・・ 今、最長片道切符の旅をやろうとするとルートが単純化してしまって、ある程度は私でも分かる。
起点は稚内からであろう。私が昭和53年に実行した時は、広尾から出発したのだが。
などと昭和時代を追憶する先生なのである。 JRバスも含めた最長片道切符の旅をやることも考えた。
あと40年若ければ。 東京から札幌までは日着できるようになって久しいが
稚内〜西大山はまだ無理である。新幹線が札幌まで全通すれば叶うのであろうか。 旅の醍醐味は、独特の「間」にある。
北海道のような土地には簡単に着いて欲しくない。 自分の意見をただ書くだけの場所じゃないんだからもうちょっと工夫しなさいよ 村上とかいう若者の五輪決勝での先制ホームランに大喜びのスワローズファンの先生 今年も終戦記念日は今泉駅前の出来事を思い出すが
8月15日は玉音放送があっただけの日であって
ポツダム宣言受諾の日ではないのである 「天竜浜名湖線は外国人など乗らぬ線だろうけど」
「いいえ遠江国にはブラジル人が沢山住んでいます」 ローマ字を読み終らないうちに列車の扉が閉まってしまう。 >>185
指南というより、別の人が作ったルートを見せただけなんだが。 >>448
山本という人名みたいな駅も、周囲に住宅が建て込んで、すっかり様相を変えました。 >>798
マタギの老人に「あんなものはダメダメダメ」と再び笑われる 久々に山陰本線を旅して、阿川駅の変貌ぶりに腰を抜かす。 松浦鉄道が松浦線だった国鉄時代に東海道本線御厨駅が開業していたら
遠江御厨(とおとうみみくりや)になったのであろうか >>918
ここは宮脇氏を生き返らせるスレ
あなたが喋ってはいけない 「稚内から樺太に鉄道がつながって、オリエント急行まで接続される時代を見たかった。」
などと言うかな?
悲願だったわけじゃなし、あるがままか。 今だったら、「時刻表ひとり旅」にあった路線座談会はどんな感じになるんだろう?
東北本線とか身長が縮んじゃるな >>921
鹿児島本線なんて二人(?)に分裂してしまった 議長「日豊さんと日南さん、少し間を空けていただけませんか。後ろの方が見えませんので……。
はい、ありがとうございます。おや、宮崎空港さんでしたか。はじめまして」 議長「深名さんも湧網さんも美幸さんも今回は欠席と。それから『タンシン』さんも
今回は欠席ですな」
「議長! それは『いぶり』です!」
議長「ああ、そうそう。申し訳ない。胆振さんも今回は欠席と。で、あなたは?」
「胆振の代理人の函館ですわ。ワシのところも影が薄くなっておりますわ。これは
内緒なんですけど、ワシのところの長万部から小樽まで営業を任せている息子が
将来の独立を考えているんで困っているんですわ」
議長「しかし、おたくのところは倒産の心配はしなくていいだけマシだという外野の
声もありますが」 「息子の前では『父さんは倒産なんて怖くない』なんて胸を張っていますが、もうワシ
もトシだし、働くことに疲れましたわ。隠し子の上砂川が亡くなって以来、なんというか
虚無感に襲われるようになりましたわ」
「議長! 深名さんも湧網さんも美幸さんもとっくに亡くなってしまっていることを
ご存じか?」
議長「私の心の中では永遠に生き続けていますが・・・」 議長「日高さんも車椅子でよくおいで下さいました」
「息子もずっと前に死にましたし いっそ殺してほしいところなんですがね」 >>929
留萌本線「日高さん、私もです。息子は33回忌を過ぎました。日高さんより私の方が早く死にそうですね。」 日高&留萌
「室蘭さんや根室さんもご苦労様ですが、千歳さんや石勝さんという元気なご子息がいらして羨ましい」 >>922
ベトちゃんドクちゃんみたいなもんだ(不謹慎) 東北本線、だいぶ背が縮んでしまいましたな。
盛岡から先、18きっぷで乗れませんぞ。
しかし、切り替えの早い先生、「北海道&東日本パス」を用意 贔屓球団のヤクルト・スワローズが日本一になって感慨無量である。
思えば私が最長片道切符の旅に出た昭和53年もヤクルトが日本一で神宮球場は使用出来ず
相手はオリックスの前身球団の阪急ブレーブスだった。
まだ娘は二人とも小学生だったのだが。
と回想する先生。 思えばあの年の日本シリーズで、スワローズが勝った4試合のうち2試合は、阪急の先発投手は元国鉄マンの今井雄太郎だった。
彼がこの年に完全試合を達成した時は私も嬉しかったが、その今井投手を打ち崩しての日本一というのは少々複雑でもあった。 78年は阪急ブレーブス
95年はオリックス・ブルーウェーブ
21年はオリックス・バッファローズ
名称はそれぞれ異なれどヤクルトはオリックスには強い。 流氷の季節。紋別には接岸しているらしい。旅の虫が疼く。 種村氏は流氷に足を取られて手のひらをケガしたことがあるようだ。
私も気を付けなければ。 >>941
しかし今や車窓からオホーツク海が見える鉄道路線は釧網本線のみ 新幹線のトンネル騒音で話が半分くらい聴き取れないが適当に相槌でも打って済ませてしまおう その程度の知識で.. と毒づいてしまったのは申し訳なかった、フィリピンの観光局の方。鉄道の事知ってるわけないよね。 存続していれば常呂駅を確実に好きな駅の上位に選ぶ。 >>953
いざフィリピンに行ってみれば
「その程度の知識でよくフィリピンに来ましたな」
と言われそうなことの連続であった そういえばロハスからイロイロまでの100キロを超える泥道を走ってくれたのは
今は無き「トヨペット・コロナ」だったのも感慨深い 今年の秋は全線運転再開するという只見線に乗りに行こう。 山陰本線と因美線が廃止されでもしたら
万字線方面のネタが書けなくなる
Microsoft IMEでは「万字線」が一発で出なかった
物書きには使えないな >>901
旭川-山川日着の動画を観て自分もyoutubeを始める先生 >>960
旭川〜山川間は「最長1日切符の旅」と言えようか
しかし有効期限は1日ではないのですっきりしない 新幹線が札幌まで延伸するものの長万部から小樽にかけての山線がこのままで行くと廃止になってしまうの
は淋しい。国鉄スワローズもといヤクルトスワローズが今年も強いので気を紛らわせることは出来るのだが。 山線は三セクどころかバス転換される見込みだが
全く並行していない室蘭本線すら並行在来線として
JRから切り離されそうな気配である 今や博多から宮崎に鉄道で行く場合
鹿児島中央経由が最短時間なのである
文明とは何であるか考えざるを得ない だがすでに50年以上前から
東京から福井はおろか石川富山でさえも
米原経由が最短時間であった時代もあったのだが 宮脇先生が昭和53年に実施した「最長片道切符の旅」をいつかやってみたいとボクは思う(-ω-)/
しかしながら先生の頃とは時代が異なり、出発点だった広尾線はもうない。
ルートに組み込まれていた標津線も湧網線も天北線も羽幌線も・・・・・
残念でならない(-ω-)/
ボクは北海道の廃止路線の多くは一度も乗車体験がない。深名線とちほく高原鉄道くらいしか知らない。
鉄道に関して言えば、間違いなく「昔は良かった」と言えるとボクは思う(-ω-)/
どうでもいいことだが、今年の夏の全国高校野球大会は沖縄県の沖縄水産が全国優勝するような気がしてならない(-ω-)/ >>960
かつてスーパーマリオにはまってたことを灯子さんにばらされてるので、サブチャンネルでゲーム実況も始める先生 あんなボソボソ声で実況されてもなぁ
やっぱり活字が一番 > ボソボソ声で実況
なんとなく放送大学を思い出した >>966
ここは宮脇先生に独り言を言わせるスレであって
おのれの独り言を垂れ流すスレではない
そんなスレももう終着駅は近い >>968
残っている動画は60代以上ばかりだからな
若い頃からあんなボソボソ声じゃなかったと思うぞ 安倍くんも私と同じスワローズファン。
私は国鉄時代からの筋金ファン。 大阪市の身体障害者の皆さん!
大阪地下鉄回数カードを交通費代わりに支給されピンハネされましょう! 「北海道&東日本パス」を使って1週間旅に出ようと思う。
家内が「私も連れてって」とせがんだ。
渋谷駅に着く。
みどりの窓口ではなく、自動券売機の前に立つ私。お札を投じて、トクトクきっぷの
ところを押して、ポン、と押すと、お釣りがジャラジャラと返ってきた。 渋谷から宇都宮行きの「湘南新宿ライン」に乗ると早速席を譲られる。 そもそも私は日没前にそれも列車内で酒を呑むような下劣な人種ではない
誘惑に負けた時も小ジョッキ一杯に留めている 日没後の列車内での飲酒と
日中の店内や自宅での飲酒はどちらが下品なのだろう混雑率や座席タイプにもよるのだろうが 北海道&東日本パスを使用しての旅行の1日目。17時59分仙台着。
今日はここで宿泊することにする。
牛タン定食を食べる。シチューに牛のしっぽを煮込んだテール・スープなど、
とても美味い。 仙台育英高校、東北初の全国優勝おめでとう、とコメントしておく。
二人の娘が中学生くらいだった頃は池田高校全盛だったが、今でも私は池田の校歌を
歌える。 >>983
仙台名物と言いながらオーストラリア産ではあるが
オーストラリア牛はアメリカ牛よりも日本的だと思うのでまあよい 盛岡からIGRいわて銀河鉄道の乗客になる。
もともとは東北本線だったのに、と私は慨嘆した。
地元の高校生が乗客に多い。 青い森鉄道も元々は、東北本線。
悲惨なのは、身体のあちこちにメスを入れられて、一部を切り取られてしまった信越本線。 何で高崎横川はぐんまちゃん鉄道とかじゃないんだろ? なんとなく似ている。
横川・軽井沢間が切り取られてしまって、繋がっていない信越本線と
指を詰めてしまった893 私が著述家として世に出られたのは
ローカル線の上客であったやや柄の悪い高校生たちのお陰であり
感謝に堪えない 青森からひと駅の新青森へ。新幹線の駅は真新しくて綺麗。土産物屋も充実しているが、
駅からしばらく歩くと、とたんに淋しい風景になる。
やはり青森駅こそが青森県の中心なのだと思う。
ただ、青森駅は行き止まりのような構造で、本来ならばここに新幹線を通すのが筋だと
思うけれど、仕方がないと感じる。
新青森から新幹線に乗る。やがて青函トンネルの中に吸い込まれていった。
(いよいよだな)と背筋がゾクゾクしだした。 青函トンネル内は新幹線も思うようにスピードが出せない。
それでも思いのほか早く北海道に突入した。
新函館北斗。既存の渡島大野駅を改称した新幹線の終着駅であり、始発駅でもある。
久々の北海道。深呼吸をせずにはいられない。 このスレッドは1000を超えました。
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