ここだけ宮脇俊三先生を勝手に生き返らせるスレ
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「留萌本線で久々に増毛でも目指しましょうかな。ん?」 「昔、末端の一駅だけ乗り残した富山港線に久々に始発から乗ってみるか」
「あれ、なんだか様子がおかしいぞ、富山駅にホームがない、乗り場は駅前だって?」 「日高本線もいいですな。久々に終点の様似まで乗車してみましょうかな」 北海道新幹線も当然乗るけど昔のほうが良かったと思うだろうな。
でも現実を素直に飄々と受け入れそう。 「おやおや、宮脇クンの単独スレッドがあって、僕のスレッドがないのは
由々しき事態であり、ぞっとしない」などと言い出す人がいるかも知れない。 「久々に釧路から根室に向かいましたが、シカの数がやたら多かったですな」 東京-西鹿児島、または逆でもいいな
是非オロネ25に乗って、食堂車で飲んだ暮れる 宮脇先生の魂
「死体には旅客営業規則は適用されないらしい。すると私は、乗車しているといえるのであろうか。」 家内(まちさん)と娘の灯子を連れて行こう。
どこに行くかはパパが決めよう。 夫がぶらりと旅に出てしまった。
まちさんは、夫の帰りを待ちはしない。 とりあえず最長片道切符の旅を計画し、渋谷駅のみどりの窓口に並ぶ先生 種村先生に最長片道切符の旅について相談しに行った
ところ不在との由。 僕を生き帰らせないのは由々しき事態であり、ぞっとしない。 孤高の人と、取り巻きを引き連れて旅行するのが好きな人とでは
本質的に水と油。あまり近付かないほうが良いかと。 似てないからこそ共存共栄できたって面はあると思うぞ。 目指す方向性が違う感じがしたからバッティングせずに良かったのでは。 昭和53年11月9日の最長片道切符の行程で、
上野から成田へ行くのに、「我孫子まで赤電、そこから成田へは113系」
にすべきであったと、後悔(反省)し続けている。
そうすれば、木下駅でのあのような不始末には至らなかったと…。 何と、東海道新幹線に品川駅ができたというのか。
しかも、私が世を去るのを待っていたかの如くに。 「東京―大阪間、JR・高速バスのない旅」に挑戦する。
今はもう「日着」は無理だろうし、
そもそも”田舎バス”の乗り継ぎだけで済むかどうかも不明だが。 >>31
熊谷までは西武、秩父乗り継ぎして、軽井沢までバス乗り継ぎ(あるかな?)
軽井沢→長野→直江津→富山→金沢まで第三セクター乗り継ぎ。
金沢からは…高速バスしかないか。
あ、篠ノ井→長野はJRだ。
だめだ。 件の「旅」は雑誌社の編集者にそそのかされてのものだったために、
その”仕返し”に、今度こそ一番遅い飯田線全線直通列車に乗せようと企む。
しかし、今やそれに該当する列車は下地・船町を通過する知って愕然とする。 「そのうち、最長片道切符の距離が10000kmを割りそうではないか」
と慨嘆する。 種村直樹「私はホログラムだから無料で全線乗り放題だ」 「何処へ行っても”用があっても乗りたくない国電”ばかりになった」
と不満タラタラで、ついには引き籠りになったり…。 「昭和52年5月23日の、”酒に飲まれたための失敗”
弘前から『むつ1号』に乗る予定
↓
それまで待つ苦痛に耐え難く、碇ヶ関迄先行する各停に乗車
↓
その中で寝過ごして、『むつ1号』に置いてかれた
↓
大館から乗る予定だった『よねしろ1号』に乗れず、タクシーで追跡」
を忘れようとして、また酒飲むのか。 42年も前の話であり、当然にして宮脇先生は忘却している。 福知山線の事故現場に足を運んでみる。
「21世紀になって、日本の鉄道で一度に100名を超える死者を出す事故が起ころうとは…」
と絶句。 継続乗車の規定を緩和させようとする。
「有効期限最終日に到達可能な最遠地点の手前で途中下車しても、
最終的にそれと同一の結果が得られれば、継続乗車が認められる」
様にすべきだと訴えるとか。 宮脇先生だから、という理由で少々のごり押しは通る。 >>31
「東京〜大阪 国鉄のない旅」でも
新松田〜沼津〜静岡〜浜松と高速パスだし
「田舎バス」は浜松〜豊橋の3本のみ
当時すでに中央高速パスも開業しているから
飯田で京王バスと名鉄バスを乗り継げば
安直に「国鉄のない旅」が可能だったのだが まあ、その「旅」について雑誌に寄稿するっていう趣旨からすれば、
当時の国鉄に乗るに準じた手軽な行程じゃ意味がないって事もあっただろう。
それで思いついたが、生き返った宮脇氏が、今度は本当に歩いて東京から大阪へ行くとか。 跡形もなくなった三江線という実態に接し、JR「酉」社長への殺意を抱いたり。 それで、前とは違った意味での、「新・殺意の風景」なる書を著わしたりする。 JR北日本とかJR日本海とか架空の鉄道会社を登場させる。 「リニアモーターカーが”走り出す”のは、自分(1926年生まれ)が101歳になった時か」
と呟いて、やはり乗れないと落胆する。 「はやぶさ、と言えばブルートレインですな。断じて新幹線の名称なんかじゃ
ない」意外に頑固な先生。 「やはり、東北本線には在来線最長路線であって貰わなければ困る。
新幹線ができたからと言っ、て並行在来線を切り捨てるような施策は感心できない」
とか何かの本に書いたりする。 ごもっとも。18きっぷ旅行がやりにくくてしょうがない、と
種村クンも慨嘆している(?) 列車に乗った時には、OLの会話を盗み聞きする。
或いは、軽々しく女子高生に話し掛けて、警察に通報されそうになったり。 「どうも特急列車の客には変なのがいる」
って、あんたが一番そうだろ。
と突っ込まれて、返す言葉をなくす…。 しかし正体不明で、傍から見ると全く普通の人にしか見えない先生である。 タクシーに乗った時は、急いで目的地に行くよう運転手に要請するようになった。 近くで殺人事件が発生してしまい、「そう言えば怪しい乗客を乗せましたよ」などと
タクシーの運転手が先生の人相を警察に証言する。
(そんな作品、確かにあったような) 隣のヘアカール女「宮脇さんなら引っ越したわよぉ?」 そう言えば殺意の風景ってのあったが、どんな中身だったのか覚えてる人いる?TV東京でドラマ化純然たるサスペンス タクシー云々の前に、
列車が終着駅に着いたら、余計な事考えずに降りるよう心掛ける。 一見、既に発車したかに思える列車にじつはのれる、
っていう事例を探そうとする。
しかし、今は表示が「着発」になった駅も増えたし、
停車時間の長い駅については
個別に到着時刻を表示したりもするので、
自分の「スキル」を軽侮されたようで腹立てる。 一見、既に発車したかに思える列車にじつはのれる、
↓
一見、既に発車したかに思える列車に実は乗れる、
で、変換し損ないがあった。
>>68
42年前、青函連絡船内で説教垂れた、当時の青年に復讐される…。 本人は説教垂れたことなどとっくに忘れている。
相手はそもそもジジイになっていて昔の面影などなかった。 昭和53年12月17日に、筑肥線の列車に乗ってたさる中年男から、
「ワシが何をどんな順番で食おうと勝手じゃ!」
っていう抗議の手紙が届いてたとか…。
それに(上っ面な)詫びの返事書いて投函しようとしたら、
相手の住所も名前もなかった。 最長片道切符の旅・・・・・・・・・・ ちゅうこっちゃ。 次は、ウラジオストックからシベリア鉄道に乗ろうとする。 先生ならやるだろうなぁ。
お供するのは、まちさんか。 「いいか、『ロシア号』同士は1日2回擦れ違うんだぞ」
とか余計な講釈垂れて煙たがれたり…。 東京から直通できない県が増加した事に慨嘆する。
「特に、九州の中で東京へ乗り換えなしで行かれるのは福岡県だけになった。
何たる不便さか。新幹線の拡張とは一体何であるのか」
とか言って。 京浜東北線は東海道本線一族の隠し子である。いや、東京から大宮は
東北本線の隠し子、と。 乗り換え不能の駅で乗り換えたと見なすルートになるが、
まあいいではないか。
尤も、そもそも現状の最長片道ルートは、
北千住ー日暮里(ー上野)ー尾久ー赤羽
と辿るのかが問題である。 「越美北線の起点は越前花堂でいいではないか」
と、JR西日本に進言する。 JR〜東武の直通特急を目にして仰天する。
「これも、同病相憐れむという事なのか。
双方、単独では車に勝てぬと言っている
ようなものではないか」
なんて思って。 仁方、堀江がどこにある駅か、
地元民でないのに知ってる人間に出会って驚く。 仁堀航路が距離を水増ししてる実態をバラしたのはまずかったかと後悔してる。 「近頃はそれができなくなった。
盛岡―新青森間は、178.4kmと、正体を露わにせざるを得なくなった。
国鉄の頃であれば(在来線経営分離がなければ)、203.9kmと公言され、
特急料金も一段階高く設定されたところだが」
と、また”禁句”を口にしたり…。 ああ、もう93だったのか。おめでたいことである。ギリギリ大正生まれ
だったのかな。先生は。 旅先の宿で寝過ごさないよう、高機能の目覚まし時計を買っておく。 私の生後17日目(1926年12月25日)に大正天皇崩御と相成った。
この時までは、天皇崩御即新元号発足で、直ちに昭和に改元された。
それで、「昭和元年」は僅か1週間だったのである。
のような事を「新・新時刻表昭和史」なる本に書いたり…。 一週間で始まり一週間で終わりを告げた昭和の最初と最後 種村クンを見習って駅前のなんでも屋で買ったパンをもそもそとかじるも、ぞっとしない。
仕方がないので食堂を探して席についてはみたものの、世にもまずいラーメンが出てきた。
同行の編集者も、世にもしょっぱい顔をしている。
由々しき事態ではあるものの、どうすることもできない。
駅に戻って待合室で出会ったばあさまにかくかくしかじかと話すと、ばあさまは、
あの店のラーメンはまずいんですわとのたまう。丼ならまだなんとかなる由。
…と、もそもそ病が伝染る宮脇先生。 「今日では最早、寝台特急に乗って松葉ガニを味わいに出掛けるなどという事は叶わぬ。
世知辛い世の中になったものである」
と慨嘆する。 青函連絡船で供された「海峡ラーメン」の不味さを
改めて問題にしようとする。 「現在では山陰本線にも客車は走らなくなり(こんなものは何処にもないと言ってよくなったが)、
それなら、東京に近い北陸本線を利用して越前ガニを賞味した方がよい」
と思ったりする。 ワシ、カニの甲羅をパカ、と開けてそこに日本酒を注ぎ込むのが好き。
先生はどうやろか・・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています